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校長室から

どうぞよろしくお願いいたします

 本年度より、校長に着任いたしました 中屋 陽一 と申します。どうぞよろしくお願いいたします。

 本日の着任式では、子どもたちが校歌を一生懸命に歌い、「おはようございます」「よろしくお願いします」と元気よく挨拶し、大きな拍手で迎え入れてくれました。たくさんの子どもたちに温かく迎え入れてもらえる喜びや感動を味わえるのは、教職員ならではの醍醐味です。とても幸せな気持ちでスタートすることができました。

 始業式では、子どもたちに本校の学校教育目標「夢をもち、たくましく生きる子ども」について話しました。

 「夢をもつ」では、今夢をもっているかを問いかけたところ、ざっと見て半分くらいの子が手を挙げました。今後、どの子も自分なりの「夢」をふくらませ、「目標」をもって「行動」していくことができる子どもを育てていきたいと思います。

 「たくましく生きる」ことについては、「体」だけでなく「心」もたくましくなってほしい、と伝えました。そして、そのために、

 ①友だちと仲良くすること、悪いことをしたら素直に謝ること

 ②失敗や間違えをしても大丈夫、次にチャレンジすることが大切なこと

 ③明るくさわやかな挨拶ができること

が大切だと話しました。

 校長1年目、至らない点も多々あるかと思いますが、保護者、地域の皆様と共にこの学校教育目標を実現し、平田っ子を幸せにできるよう、一生懸命努めてまいります。

 どうぞよろしくお願いいたします。

※アップアップの毎日で、このブログ、前任の校長先生のように毎日のアップは難しいかもしれませんことをご容赦ください。

                                      中屋 陽一

596 悩みは尽きず(25.3.28 最終回)

 いつだったか、頼まれて百均の毛糸売り場をはしごしたときのこと。お目当ての品がないというより、棚に毛糸玉がほとんどありません。編み物が若者中心に人気らしく、どこも品薄が続いていると知りました。「編み物カフェ」まで登場といいますから、嵌った人には人の目や声に悩まされることなく没頭できて最高かも…。

 さて、深刻になりがちな親の悩みの一つが、「宿題をやらない」「家で勉強しない」というもの。やるべきことをやっていない場面に遭遇すると怒りの感情が沸々と…なんてことも?そして、その原因を「やる気ないから」と断じてしまいがちです。ただ、「やる気スイッチ」は、なかなか自分で操作できるものではありませんから、心の持ちようを持ち出されても解決には至りそうもありません。

 そんなとき、原因を「置かれている環境」で説明してみるとよいかもしれません。宿題をやらないのは、「難しすぎるから」「やっても誰も見てくれないから」などと言い直すことで、原因特定につながるとともに宿題をやるための手立てが見えてきそうです。この場合、宿題の難易度を下げたり終わった課題を家族に見てもらったりするなど環境を変えればよさそうだと気づけます。理由や原因を特定するのは簡単ではないが故に、「やる気」や「根性」といった精神論で一括りにしてしまわないようにしたいものです。結局、行き着くところは個人攻撃となり、自己肯定感の低下を招いてしまいますから。

 会社でも、なかなか業績が上がらない社員に対して、「やる気」「根性」を持ち出して責め立てれば、ハラスメントと言われかねないのと同じです。仕事の中身を見直したり部署を移ったりすることで大きな力を発揮するかもしれないのに、個人の問題にすり替えられていることも…。ただ、言うは易し行うは難し。やっぱり悩みは尽きません。

 そうであっても、4月からも一緒に考えて解決に向かって手を携え合える教職員・保護者でありたいと考えています。いつかまたどこかで。

 超久しぶりに口唇ヘルペスが出た!疲れ?ストレス?早く治さなきゃ。

595 あんこ(25.3.27)

 駅のホームに立って、ビルの屋上の看板に目をやると、「はみ出せ、うみ出せ、旭化成」というキャッチコピーが目に飛び込んできます。韻を踏む感じで好きです。旭化成は別にして、「はみ出せ」や「うみ出せ」は、子供たちに願うところ。人と違うことを嫌ったり出る杭になることを怖れたりして、無難な道を選ぶより、はみ出すことを怖がらず新しいものをうみ出す意気込みと勇気をもった人であってほしいと思います。

 さて、春の訪れを感じる一つが和菓子という人がいるかもしれません。彼岸のぼた餅(おはぎ)は、私の記憶に刻まれる和菓子の代表格です。家で母が作っている懐かしい光景が、今でも目に浮かびます。あんこの他にきな粉やゴマもあって、弟と競って食べたりつまみ食いしたり…。妻があんこをおいしいと思えるようになったのも、母のぼた餅を食べてからだと言います。以後、春と秋には必ずぼた餅(おはぎ)が我が家の食卓に乗るようになりました。

 桜餅やかしわ餅が好きな人も多いと思います。最近ようやく食べられるようになりましたが、私は桜餅の塩漬けの葉が苦手でしたから、専らかしわ餅派です。でもそれ以上と言えるのが草餅。ヨモギの風味が何とも言えません。田んぼのあぜ道で摘んだヨモギで、子供たちが団子やパンを作ったこともあります。草餅とあんこの組み合わせは最強です。

 大福もいい!春はいちご大福が店頭に並びますが、やっぱり豆大福でしょうか。これは大人になってから。豆のかたさや塩辛さが餅やあんこと調和します。たい焼きも捨て難い!餡は様々で、気分で選べますが、やっぱりスタンダードな粒あんが好きかな。尻尾からかぶりつく私ですが、頭と尻尾でアンケートを取りたい気分です。

 あぁ食べたい。季節関係なく、甘いものをちょっとだけでも食べたくなる意志の弱さ。いかんいかん!

594 ふりかけ(25.3.26)

 ミモザやユーカリを切って、妻がスワッグを作って娘にあげていました。スワッグとは、ドライフラワーなどの花や植物を束ねて作る飾りで、部屋や玄関、リビングに飾るとナチュラルな雰囲気が出ます。ただ、この聞き慣れないスワッグとウィッグとが混同してしまって…。

 熱々のご飯に卵の白身だけをかけて混ぜた後、残った黄身をのせて醤油麹で味を調えると、最高の卵かけご飯の出来上がり!同じようにパラパラとふりかけるだけで、ご飯をペロッと食べられてしまうふりかけもまた優れものです。今、家ではパリパリした食感の「花がつお」というふりかけを時々食べています。

 焼肉味やポテチ風味のものなど、進化のスピードは凄まじいものがありますが、やっぱりふりかけと言ったら「のりたま」が原点のような気がします。これまでの胡麻塩というモノクロームの世界から、袋から広がる小さな花を散らしたような黄色の粒と黒や緑のアクセントが加わったカラフルな世界の幕開けでした。のりたまに限らず、かけすぎて怒られるのは今も昔も変わりません。丸美屋の「のりたま」は1960年発売といいますから65歳になるわけです。永谷園の「お茶づけ海苔」もお世話になりました。鮭や梅、わさびに加え、「おとなのふりかけ」が登場して優に30年は過ぎています。

 ただ、ご飯にふりかけという組み合わせは、「出された料理では満足できない」という気持ちの裏返しにも思われ、決してよいイメージではなかったことは確かです。そうであっても、不足する栄養を補う食べ物として現在まで確実に地位を築いてきたのは誰もが認めるところだと思います。

 給食の手作りふりかけも好きなので、異動先での給食が今から楽しみなどと思いながら、今日も書いている私。

593 感謝(25.3.25)

 先日のW杯アジア最終予選のバーレーン戦を観ながら、ふと体が右や左に傾いていることに気づきます。パスを展開している場面やシュートが決まりそうな場面に限られます。どうも力が入ると体がボールと一緒に動いているようです。

 自宅周辺の公園や駅に、シェアサイクルのステーションがあります。「いつでもどこでも気軽に、自由に」を合言葉に利用促進を図っているようです。市川市にも現在76の拠点があるようです。シェアサイクルの導入により、近隣への買い物や通勤・通学といった利便性のほか、来訪者の観光やレジャーといった回遊性の向上をねらっているわけです。

 登録しておけば安価で利用でき、スマホ上で支払い完了できるシステムで便利そう。でも雨ざらし、夏場は直射日光を浴び、シートもハンドルも劣化します。電動アシスト付き自転車なので充電はどうしているのか不思議でなりません。実際、私が使う場面を考えてみますが全然思い描けませんので、台数を増やすことが本当に必要なのかどうか…。

 さて、平田小で勤務した3年間も終わりに近づき、修了式を迎えます。勝手気ままに綴った「校長の部屋」も通算600に近づきました。「こんな考えもあるんだぁ」とか「へぇ~」程度に流していただけたことに感謝します。1年間ありがとうございました。

 ところで今日の修了式や離任式で話すことをまだ考えていないことに気づきました。朝の見守りもせず、短い時間で仕上げます!

592 愚痴です(25.3.24)

 彼岸の墓参りで拝もうとしていると、見知った姿に目が留まりました。小中学校の同級生。こんな偶然にびっくり!

 令和8年度以降の宿泊学習に係る業者選定の大詰めです。子供たちの生活経験を増やし、学びが生まれ、友達や学級・学年の団結力が育まれる活動や場所、時期を大切にした計画・実施でありたいと考えます。同時に保護者の経済的負担もできるだけ抑えたい思いは言うまでもありません。

 さて、以前こんな話を耳にしたことがあります。普段から親が働いているある子は、家の鍵を持って登下校しています。昔は「かぎっ子」と言われたものですが、最近は当たり前すぎて耳にすることもありません。宿泊学習の日、保護者は紛失が心配で子供に鍵を持たせなかったといいます。学校にバスが戻ってくるタイミングで、学校にその保護者から電話がありました。「仕事を終わらせて17時半に迎えに行くので、それまで学校に置いておいてほしい」と言うのです。少し身勝手ではないでしょうか。

 宿泊学習は、担任にとってはその期間中、ずっと緊張を強いられます。安全で何事もなく帰るのが当たり前。ですから、夜もわずかな睡眠で朝を迎えます。泊数が増えればさらに大変ですから、学校に帰着して子供を帰した時には、肩の荷が下りてどっと疲れが出ます。にもかかわらず、退勤時刻を大幅に過ぎてなお、保護者の都合で勤務を強いる形になります。ただ、私が思うほど、その保護者に感じる部分はないのかもしれません。「頼めばやってくれる。やってくれて当然。だって私は働いているのだから」と言うかもしれません。

 教職員にも自身の生活があり、そして働いているのです。たとえ子供たちのためという強い想いや使命感はあっても、決してボランティアではありません。ですから、双方が気持ちよく互いを思いやれる学校だったら、「ありがとう」「どういたしまして」が自然に飛び交うのではないかと思います。

 この事例の場合の解決の一案。見送りのタイミングで学校職員に鍵を預けるというのはいかが?

591 君に届け!(25.3.21)

 小さなことや当たり前の景色にも気づける人であってほしくて、卒業生に贈ったメッセージの一つを記します。

 例えば、急に雨が降ってきた時、鞄の中にある折り畳み傘を思い出して、「あ~、持ってきてよかった」と安心します。でも、その雨の中を家に帰って湯舟に浸っている時に、「あ~、家に屋根があってよかった」と思う人はまずいません。普段から雨風をしのいでくれる屋根はすごい。にもかかわらず、ありがたいと思うことはないのです。また、災害等で停電になった時、闇を照らす懐中電灯やスマホの灯りをありがたいと思っても、普段私たちを照らしてくれる太陽や月の光をありがたいと感じることもないのではないでしょうか。つまり、大きいが故に気づきにくいのです。

 今回、卒業を迎えることができたのは、どんな大きな存在があったからなのでしょう。それは、親以外の何物でもありません。家の屋根であり太陽の光となって、ずっと守り照らしてきたのです。それに気づけない子は、辛いときに雨宿りできる心の居場所を見失うことになりかねないと心配します。

 だから小学校卒業に際して、「親への恩返しをしてください」とお願いしました。決してプレゼントしたり肩揉みしたりするということではなく、今すぐでも、十年後であってもできること…。それは「今、私幸せだよ」と言える心や体でいることではないでしょうか。心から「幸せ」って言えることだと思うのです。だって私も含めて、子どもの幸せが親の幸せでもあるからです。子供が嬉しそうに笑顔でいる姿を見て、親は幸せを感じます。生まれたばかりの時も、今も、二十歳になった時やその先もずっと変わりはしません。

 もう一つ、自分の人生で一番尊い存在である自分自身を見失わないように伝えました。仮に、磯野カツオという人の人生では、カツオ君が主人公であって、浪平さんやフネさん、ましてやサザエさんではないことは明らかです。どんなにあこがれの有名人がいたとしても、自分の人生においては、脇役かそれ以下でしかないわけです。「自分という存在も実は大きくて、とても尊い」ということさえ忘れなければ、知れずと勇気が湧いてくると考えます。そして、親から受け継いだその命も、一つの恩だと考えて大切にすることだって立派な恩返しであり、恩送りになると思うのです。

 ちょっとばかり長かったので、どの程度子供たちに届いたかは定かではありませんが…。

590 春眠不覚暁(25.3.19)

 朝起きて、洗面台で髭剃りと洗顔が最初の日課。眼鏡をはずそうと両手をこめかみ辺りに持っていくと、なぜか空振り!あれっ、眼鏡をかけていなかった。寝ぼけているわけではないのに、あるあるの行動です。

 卒業式当日の昨日の朝は、髭を普段よりきれいに剃るために、電動ではなくカミソリでやってみました。いつもは入浴時に髪と一緒に剃るので、朝の乾いた肌と髭にはカミソリ刃が痛い!剃り終わって薬用ローションを塗ると、一層ヒリヒリして目が覚めます。思わず、「う~ん、マンダム!!」(昔のCM)と言ってしまいそうに…。

 漢詩『春暁』にある「春眠暁を覚えず」は、教科書にも載る有名な文句。「春の眠り心地がよいので、朝になったことに気づかず、つい寝込んでしまって目が覚めない」といった意味です。確かにこれからの時期、一度目が覚めた後、自分を甘やかすようにとろとろとまどろむ時間は何とも言えません。仕事のある日も、まずスマホのアラームがけたたましい音楽を奏でます。オフにして、またウトウト。すると、10分後に腕からブルブルと振動が…。さっきスマホを止めて、ものの1分しか経っていないような感覚で仕方なく起きだすわけです。だから、土日の幸せな気持ちに特別感があるのかもしれません。

 先の詩は、「春眠不覚暁/処々聞啼鳥/夜来風雨声/花落知多少」と続きますが、「国破れて山河在り」(『春望』)とともによく知られる五言律詩。きっと中学校で勉強したのでしょう。春の日差しで暖かさの満ちた教室には、眠気という魔物と戦いを繰り広げる子供たちが増えてくるかもしれません。

589 あなたに出逢えてよかった(25.3.18)

 田村正和さんと小泉今日子さんが30年以上前に父子として共演したドラマ『パパとなっちゃん』。この主題歌『あなたに会えてよかった』が好きでした。キョンキョンの作詞ですが、今日卒業する6年生に、「あなたたちに出逢えてよかった」と伝えたいです。ただ、式辞の内容とはちょっと違うので…。

 ここに、『準備』(高階杞一)という詩があります。これは、ここまで出会った卒業生や全校児童への私からのメッセージであり、プレゼントとします。

 

    「準 備」

  待っているのではない

  準備をしているのだ

  飛び立っていくための

 

  見ているのではない

  測ろうとしているのだ

  風の向きや速さを

 

  初めての位置

  初めての高さを

  こどもたちよ

  おそれてはいけない

  この世のどんなものもみな

  「初めて」から出発するのだから

 

  落ちることにより

  初めてほんとうの高さがわかる

  うかぶことにより

  初めて

  雲の悲しみがわかる

 

 四連にあるように、一歩踏み出すことにより見える景色があり、やってみて初めてわかる深層あるいは真実があるのかもしれません。そうだとしても、高所恐怖症の私にバンジージャンプはご勘弁願いたい!

588 花粉とミモザ(25.3.17)

 「爽やかさのある優しい香り」がするらしいミモザの花。「らしい」と書いたのは、それを感じないからです。スギ花粉飛散の季節と重なるため、思い切り吸い込むことが憚られるからかも…。ミモザの日(3/8)頃からどんどん開花範囲が広がり、今が盛りと道行く人の目を楽しませている庭のミモザ。

 この「ミモザの香り」を売りにしていたのが、花王のフェザークリームシャンプー。黄色のボトルから卵色の液体が出てくるCMが流れたのは、半世紀前の髪ふさふさだった中学生頃でしょうか。エメロンとかバスボン、シャワラン、恋コロンシャンプーなど、響きを懐かしく思う昭和世代。

 花粉症を発症して、何年のおつきあいでしょうか。若い頃はティッシュボックスを手放せないほどひどかったのですが、最近は比較的軽く済むようになっています。ひどい時は、思考能力ゼロ・根気ゼロ・意欲ゼロに陥りますから最悪です。シーズンに入ると飲み薬は欠かせませんが、コロナ前後のマスクが生活以降、くしゃみ・鼻水より目のかゆみの方が悩みの種。

 天気予報の中で、花粉の飛散予報も報じられます。「少ない」という文字に安心し、「非常に多い」を見た日はきちんと対策をとらなければなりません。洗濯物を屋外に干さない家庭もあるはずです。妻と出がけに口喧嘩でもしようものなら、枕干しをして仕返しをされそうで怖い!毎日確認する花粉情報に最近、「極めて多い」という表示が登場しました。「非常に多い」より上位にランクされています。1㎠あたりの花粉数が百個以上といいますから、爪全面が花粉で黄色く染まるイメージです。

 車のボディも花粉で黄色くなる季節、雨で濡れようものならこびりついてなかなか落とせません。そんな嫌われ者は、この先4月下旬まではいなくなってくれそうもありませんが、明日の卒業式は花粉症ではなく、感激の涙を浮かべることになりそうな予感が…。

587 ホワイト&ブラック(25.3.14)

 規模の違いこそあれ、ロサンゼルスや岩手で発生した山林火災では、その怖さをまざまざと見せつけられた気がします。空気が乾燥する中、なかなか延焼を防げない大船渡市周辺では、祈る気持ちで雨を待ったことが想像できます。先週その待望の雨が降って、鎮圧に向かったことに安心して頬を濡らしたのは、雨だったのかうれし涙だったのか。震災といい山林火災といい、被災者の無念は想像できるものではありません。

 不思議なことに、今回の災害で思い出すのが子鹿のバンビ。山火事によって、バンビをはじめ多くの動物たちが逃げ惑うシーンだけが記録の奥底に残っています。ただ、どんなストーリーだったかは忘れてしまいました。こうした恐ろしい「山林火災」という四文字をニュース画面に見て、「風林火山」に読めてしまう不届き者は…。

 さて、今日は円周率の日でもありホワイトデーでもあります。バレンタインデーに女性からもらった贈り物にお返しする日とされているのは誰もが知るところです。バレンタインセールが終わったと思ったら、すぐに百貨店などの菓子売り場はホワイトデーに切り替わりました。ただこのホワイトデーは、純粋な日本発のイベントといわれます。そういえば、マシュマロを贈るなんてことを小学生の頃は聞いた記憶が…。どうも「もらったチョコレートを、男性のふわっとした優しさ(マシュマロ)で包み込んでお返しする」というコンセプトらしく、百貨店が暇なこの日にホワイトデーが決まっておよそ50年が過ぎます。

 ちなみに、韓国でもホワイトデーが定着していて、こちらはキャンディーなどが中心だとか。さらに、バレンタインチョコやホワイトデープレゼントを貰えなかった人たちのための「ブラックデー」まであるそうで、暗い色の服をまとって黒いジャージャー麺を食べるのだとか。それが来月14日。

586 かつお節(25.3.13)

 体育館の大時計が、先週付け替えられました。平田小同窓会からの寄贈です。以前、平澤同窓会長に相談したところ快く応じてくださり、本校卒業生でもある平田電機社長に先週末作業をしてもらいました。これから何十年もの間、子供たちや開放団体の活動、地域の人たちを見守ってくれますが、その最初の大仕事が来週18日に控える卒業式。ある意味、お披露目式ともいえます。これまでの時計より一回り大きい感じです。止まっていると分かっているのに、習慣で見上げてしまっていました。その位置に正確な時刻(とき)を確認できる時計があるのは、やっぱりよいものです。(写真は、HPの3/7Diaryをご覧ください)

 さて、年度末も押し迫り、給食は残すところあと3回となりました。献立表をよく見ると、かつお節の使用頻度はほぼ5割。洋風あるいは中華・韓国メニュー以外、つまり和食メニューには必ず使われるほど大事な食材です。ですから、乾物専門店のかつお節をお土産に持って帰ると、妻は満面の笑顔で迎えてくれるのです。

 そんなかつお節を、昔は削り器でその都度準備したものです。大工道具の鉋(かんな)を逆さまに置いた台の上を、雌節あるいは雄節と言われるかつお節を前後させて掻きます。おひたしや冷奴をテーブルに配膳する前に削ってのせるのが私たち兄弟の仕事でした。刃の出具合によってうまく削れたりそうでなかったり…。今も家に削り器はありますが、袋やパック詰めの手軽さに負けて陽の目を見る機会はなかなかやってきません。極限まで小さくなったかつお節本体をしゃぶったなぁ。

 いずれにしても、動脈硬化や血栓を防いだり血圧を下げたりする働きもあるとされますから、大事にしたいお友達。今日の給食のけんちんうどんにも昆布や鶏肉とともに、出汁用削り節が4kgも使われているのだそうです。

585 鏡の法則(25.3.12)

 日曜劇場『御上先生』を観ながら、今日はどんな展開になるのだろうとワクワクします。ある日、生徒が問いかけます。「なぜ教師になったのですか?」と。さて、同じ質問を子供からされたとき、あるいは若い先生から尋ねられたとしたら、私は何と答えるだろうと考えてしまったのです。決して「でもしか教師」(教師にでもなるか・教師にしかなれない)ではありませんが、自分を突き動かしたものを忘れて、体裁を繕った答えを口にしてしまう自分に気づきます。ドラマの中で、問われた人物はこんな風に答えます。「誰かが変わる瞬間を見続けていられるから」と。とてもでないけど、こんなことは言えそうもありません。この仕事を終えたときに振り返って、答えられるように宿題にしておきます。

 心理学に「鏡の法則」というのがあるそうです。自分の周囲の人たちの振る舞いや出来事は、自己の投影であるという考え。つまり、自分の態度や感情は、周りの人々に反映されてその結果として自分に返ってくるというもので、「ミラー効果」とも呼ばれます。

 仏教用語の「因果応報」という言葉も、「自分の行いや態度はいずれ自分に返ってくる」といった現象を言います。普段から親切にしてくれる人には、「親切にしよう」「優しく接しよう」と思うのが自然な心の動き。つまり、鏡の中の自分の置かれた状況を変えたいと思ったとき、どんなに鏡にアプローチしても何も変わりません。自分自身が変わってこそ、初めて鏡の中の世界、あるいは相手の姿がこれまでと異なって見えるというわけです。まさに、良好な人間関係の構築につながります。

 これって、学校・学級における児童理解や経営にも通じるように思うのです。

584 TKB48(25.3.11)

 「TGCに石破総理が登場」というニュースの見出しを見て、「TGCって何?」と問うたのは言うまでもありません。東京ガールズコレクションというファッションイベントだとか。

 一方、新聞には災害時の写真に添えられた「TKB48」の文字があります。秋葉原・難波・栄・博多・新潟のほか、バンコクやジャカルタにもあるAKB48グループに関係あるのかと、「T」にあたる地域を考えましたが全くの的外れ。災害後の暮らしを守るために必要なもので、「Toilet」「Kitchen」「Bed」「48hours」を指すそうです。

 阪神淡路大震災から30年、東日本大震災から14年、そして昨年の能登半島地震。今後も南海トラフ地震や首都直下型地震が、近い将来起こる確率の高さが指摘されています。また、世界中で豪雨などによる被害も頻発するなど、生活が脅かされる不安を常に抱えています。よって、被災後の暮らしを守るための備えについてもしっかり考える必要があるわけです。

 被災地の緊急支援には、TKBが必要とされます。災害対応のノウハウ蓄積があって、避難場所・避難所となる施設の整備が進んでいます。こうしたハード面ととともに、自助・共助など災害があった時にどう動くかといったソフト面も大切にしなければなりません。自治体や地域で行われる防災訓練などは、自分や地域を見つめる機会になるはずです。

 東日本大震災に見舞われた今日3月11日は、市川市防災教育の日です。子供たちが今後、家庭や地域の戦力となって活動できるように、まずは自分自身を考えられる機会にしたいと願います。 

583 つぶる?つむる?(25.3.10)

 2週に一度のペースでカラダのメンテナンスに、自宅にある治療院に通っています。日曜日に施術してもらうので、小さな子がお父さんと遊びたいだろうにと罪悪感が生まれます。家族サービスする時間を奪っているようで申し訳ない気持ちもあると妻に話すと、「家族サービス」という言葉は今の時代にそぐわないと異議を唱えられました。そもそも子供や家族と遊ぶことをサービスと表現することに違和感があるといいます。よく考えると、確かにこの言葉は、会社で働く男性にしか適用されない気がします。だって、共働きする女性が使う場面を想像できませんから。男性が家族に関わることは業務外という私の深層意識が、きっと駄々洩れしてしまっているのでしょう。ジェンダーフリーだなんだと言葉を飾っても、心の奥底では昭和を未だ脱し切れていないようです。

 さて、卒業式や入学式ほか、写真を撮られる場面は比較的多いものです。そんなとき、目をつぶらないようにと緊張してしまいます。漢字にすると「目を瞑る」と書きますが、「瞑る」は仏教用語で、“心を落ち着かせて物事に深く思いを馳せる”という意味があるそうです。瞑想がソレに当たります。しかし、「目をつむる」という言い方をする場合もあります。「つぶる」も「つむる」も漢字にすれば同じですし、基本的な意味も同じ。敢えて違いを挙げるなら、「目をつむる」は目を閉じることの意味でしか使えませんが、「目をつぶる」は目を閉じることの他に、過失などを見て見ぬふりすることの意味でも使うことができるという点でしょうか。

 明日11日「市川市防災教育の日」に放送で児童に黙とうを促しますが、どちらを使おうかと迷います。いやいや、「目を閉じてください」って言えば済むことでしょ?!

582 TRUE COLORS(25.3.7)

 テレビっ子と名乗るには歳をとりすぎたドラマ爺は、『グレースの履歴』の著者(源孝志)の新作『TRUE COLORS』を観ています。色彩にこだわるトップフォトグラファーが、色覚異常の難病を告知されて引退を余儀なくされ、故郷の天草に戻ります。人との関わりの中で自分らしさを取り戻していくヒューマンドラマ。十人十色とは言いますが、別の意味で人それぞれ見ている色は同じではなく、色覚は人の数だけ存在する個性の一つであることを改めて感じます。

 ニュースなどテレビに映る男性を見ながら、不自然に黒い髪に目が行きがち。一方で、白髪をあえて真っ黒に染めずに、清潔感のある自然なグレーヘアにする人もいるようです。この「グレー」は、「灰色」とも「ねずみ色」とも言われます。でも、使われる言葉によってイメージする色調が違います。

 小学校入学のときに揃えてもらった色鉛筆。12色だったり24色だったりする一本一本に、ひらがなで名前を刻印してもらいました。色の名前も鉛筆本体や収納缶に書いてありました。そこには「ねずみいろ」とあったように記憶します。「だいだいいろ」「ももいろ」なども懐かしい。「オレンジ色」「ピンク色」とも微妙に違う気がするのは言葉の印象だけではないはずです。

 時々日記にイラストを入れます。その方が見返したときに楽しいですし、何があったか一目瞭然だから。そのイラストを色鉛筆でぬりぬり。本体上部がその色に塗られ、英語表記されています。シルバーグレーは「銀鼠(ぎんねず)」、トープは「もぐら色」、インディゴは「濃藍」と言われます。ただ、ネズミやもぐらを見たことのない人には、和名もイメージしづらいかもしれません。慣れ親しんだ「はだ色」も、2000年を境に「うすだいだい」に…。

 普段気にすることなく見ている様々な色は、赤・青・緑の3原色を混ぜ合わせて再現できるわけですが、その見え方は皆違っていて、色覚にも多様性が存在することを知ることは大切ではないでしょうか。

 今日の「空の色」は何色ですか?

581 キューピッド(25.3.6)

 体育館のバスケットボードの下から、6年男児がジャンプしてリングに触れています。3年前から知る子が、こんなに成長したんだぁと感慨に耽りながら、一方で対抗心がむくむくと湧き上がります。満を持して、ジャ~ンプ!!ん?届かない。今のは失敗、ということでもう一度チャレンジ。あれっ?昔は楽に届いたはずなんだけどなぁと、言い訳する自分を情けなく思います。それ以上に衰えを痛感。きっと傍から見ていると、足の裏は床からほとんど浮いていないのかもしれません。

 さわりはここまでにしてクイズを一つ。〈かけるだけでなく、混ぜたり焼いたりと色々な調理効果が期待できるもの〉で、〈サラダやお好み焼き、焼きそば、サンドイッチ、ハンバーガーなどに合うもの〉といったら?〈原料の主流は、油と酢と卵の黄身〉とまで言えば…。

 そう、答えはマヨネーズ。ごはんかけて食べる人だっているほどです。私のマヨネーズデビューは、57年の歴史を持つ味の素でした。マイルドな味わいから、祖母や母が好んで選んでいたのかもしれません。

 一方、キューピーマヨネーズはこの3月で発売から100年を迎えます。約80か国で販売されるキューピーは、日本のマヨネーズの祖と考えられます。海外のマヨネーズとの違いは、全卵ではなく卵黄のみを使うという点で、これによって深いコクとうま味を実現し、今では日本の食卓に欠かせない存在に成長したようです。その歴史は、劣化防止と品質向上の努力の軌跡ともいえます。ブランド名は、日本でも人気のあったキューピー人形のように、だれからも愛される商品になってほしいという願いから名付けられたといいます。『キューピー3分クッキング』のオープニングにあるヤサイとのダンスは、まさに愛されキャラ!!

580 脳震盪(25.3.5)

 市内相撲大会が毎年開催されていた頃は、ぶつかり稽古で私の肋骨は骨折やヒビの日々。蒸し暑い中、バストバンドを外せなかったことを思い出します。相撲の対戦で怖いのが、仰向けに倒れて土俵に後頭部を打ち付けることです。それを防ぐために、準備運動で倒れ方や受け身の体勢をしっかり指導したのです。まわしの締め方を知らない先生が増える中、開催されなくなることは必然なのかもしれませんが、一抹の寂しさがあります。

 昔から時々耳にする言葉に「脳震盪」があります。「ノーシントー」という響きに、特に危機感を持たず過ごしてきた数十年。「心臓震盪」を知って以降、目に見えない恐ろしさを感じるようになりました。スポーツでは、サッカーのヘディングやぶつかり合いの際の頭部への打撃、転倒により引き起こします。出血などの外傷がほか、自覚がない場合もあるため、見逃されるケースも少なくないようです。アメフトやラグビー、相撲、ホッケー、サッカーと、接触プレーがある競技は特に注意が必要です。女子は2倍発生しやすいという研究結果もありますし、学校生活でも気をつけるに越したことはありません。

 公共図書館も書店もない自治体が、全国で256町村(全体の15%)にのぼるそうです。図書館は増加傾向にある一方で、書店の急減が背景のよう。ネットで本を読んだりスマホに読書時間を削られたりすることが要因なのでしょう。

 こうした中、平田小では読書活動の充実を目指しています。その一環としての「まるごと図書館」が、一層活用されるように工夫・改善することを避けて通れません。また地域環境としても、中央図書館や平田図書館などが徒歩圏内といった立地を考えると、これらを利用しない手はありません。「未知の文化や情報との出会いを提供してくれる書棚」から本を取り出して手にするために一歩踏み出すかどうか、そこが分かれ道です。本好きな大人を子供は見ています。

 ぜひ、マルチルームの大人用図書も借りに来てください。子供も大人も、ガツンと頭や心を揺らすような一冊に出合えますように!

579 スパゲッティ(25.3.4)

 今日も夕方以降、雪の予報が出ています。三寒四温の言葉どおり寒さと暖かさを繰り返しながらの春が待ち遠しい!そして、雪解けとともに顔を出し始めるのが、ふきのとう。地域によって収穫時期は違いますが、関東では今頃のようです。以前、早春のキャンプでふきのとう味噌を作って食べたことが思い出されます。野菜売り場に並ぶ、菜の花や新玉ねぎ、芽キャベツ、分葱(わけぎ)、三つ葉などにも春を感じます。買った三つ葉の切り株部分を水栽培すれば、可愛い芽を出して添えものに利用できます。

 添えものといえば、弁当や定食の片隅にちょこんと盛られたスパゲッティ。当然、一品料理として提供されるスパゲッティもあり、日本人にとって結構身近な料理といえそうです。スーパーの冷凍食品売り場で安くなっていたりすると、自然と手が伸びてしまいます。でもふと、「ナポリタン」にしようか「ミートソース」にしようかと考えます。学生時代に入った喫茶店や学食でも、どちらを注文したものかと悩んだことを思い出します。

 ウインナーやピーマンが入って、ケチャップでべとべとになったナポリタン。タバスコをたっぷり振りかけて、シャツにシミを作らないように気をつけて食べます。一方のミートソースは、細かく刻んだ野菜と挽肉がたっぷり使われて、フォークで麺と絡める僅かな時間に幸せを感じてしまう田舎者。二者択一の場合、自分はどちらを選ぶだろう。まぁ、その時の気分次第でしょうが…。

 給食の献立表にナポリタンとかボロネーゼ(昔はミートソースとソフト麺でした)の文字を見つけると、当日は一日出張なんてことがないか、手帳で確かめてしまいます。ちなみに3月はなくて残念。6年生各クラスのNo.1献立でも選外だったようです。ただ、ふと思うのです。「ボロネーゼとミートソースってどこが違うの?」と。

578 雛と瓶(25.3.3)

 乾燥する日が続き、土日は4月の陽気。逆に今日は、昨日マイナス15℃と冬に逆戻り。こんな季節は、静電気がバチバチと走ります。パジャマを脱いだ途端、下に着けていたヒートテックが静電気で宙を踊ります。普通だと怒髪天の如く髪も立つのでしょうが、私の場合そんな心配はご無用。

 今日はひな祭り!娘が独り立ちしても、雛人形は毎年ちゃんと飾られます。お内裏様とお雛様の2体だけですが、現在売られるものに比べたらかなりスペースをとります。ただ、「人形は顔が命」とCMのキャッチコピーよろしく、穏やかで優しい顔には癒されます。供えられる雛あられには、味や形など地域性があるようです。関東の雛あられは、お馴染みの4色。これは四季を表すといわれますし、生命や自然のエネルギーを意味するともいわれます。

 さて、「命の水」「エネルギーの源」とも言ったら夏場のビール。瓶ビールが家庭の主流だった頃は、酒屋に買いに行って重いビールケースを車に乗せて持ち帰ったものです。1本633mlあり、瓶本体の重量を合わせればかなりの重さですから、配達をしてくれる小売店もありました。飲み終わればケースに入れて返却・購入の繰り返し。ケースを置く場所も必要でした。

 小さい頃は、父が飲むビール瓶に口に唇をつけて楽器を演奏するかのように息を吹き込み、ホーホーと音を鳴らして楽しんでいました。まだビールが残っているときと空になった時とで音が違うことに驚きながら、量を変えた瓶を並べればメロディが奏でられるのではないかと思っていたあの頃。調べてみると、ビン笛奏者や合奏団なる人たちがいるようです。『たのしいひなまつり』を瓶笛で演奏したら、油で整えた髪を振り立ててお雛様は喜んでくれるでしょうか。

 そういえば、瓶による牛乳等の販売も撤退が相次いでいるようです。

577 春夏秋冬(25.2.28)

 右手の人差し指第二関節内側に水泡ができて、物を持ったり触れたりするときに痛みが走ります。ペンを握っても痛いので、持ち方を変えました。といっても、これまでは親指の爪が人差し指の中に隠れてしまう変な握り方なので、人に見られたくないもの。だから普通に戻っただけなのですが、残念ながら痛みが引くにつれて元に戻っていったのでした。

 米をはじめとして食材の高騰は、家庭にも給食にも大打撃です。それでも旬の食材を使って調理したいという思いも一緒のはず。今、野菜なら葉物、フルーツはいちごや柑橘類、魚は鯖や鰤、鱈といったところが旬。例えば、魚偏に冬と書けば出世魚の「鮗(コノシロ)」。晩秋から冬に脂がのります。こんなふうに、四季を表す漢字を当てるだけで「鰆(サワラ)」「魚夏(ワカシ)」「鰍(カジカ)」というように魚の名前になります。

 同じように樹木にも指揮を表す漢字が見て取れます。「椿」「榎」「楸」「柊」は、読みになると途端に怪しくなります。特に、「楸」は「ヒサギ」と読み、碁盤の材料に適しているそうですが、クスっと笑みがこぼれ出る文を見つけて、正門わきの掲示板に貼りました。

  木へんに春  なんで  私じゃないの  桜

 確かに春を代表する樹木といえば、誰もが「桜」をイメージするはず。にもかかわらず、木偏に春と書いて「椿(ツバキ)」ですから、首を傾げる気持ちもわからなくはありません。ただ、椿は冬の終わりから春にかけて色鮮やかに花を咲かせるため、春を告げる花として古来より親しまれてきたのです。

 一方、童謡『たきび』に歌われる「山茶花(サザンカ)」は、知らないと読めない漢字の一つ。椿と花や樹形がそっくりで、なかなか見分けがつきません。ポイントは、開花の時期や花の散り方(花ビラが散るのが山茶花、花ごとポトリと落ちるのが椿)などといいます。いずれにせよ、じっくり鑑賞したい植物ではありませんが…。

576 悩み(25.2.27)

 スズキ・ジムニー5ドアが1月末に発表され、その後4日間で約5万台の注文が殺到する大人気。年間販売予定台数が1.5万台弱といいますから、注文後3~4年待たないといけない計算。結局、前代未聞ともいわれる発表後数日での受注停止に踏み切らざるを得なくなったのです。想定外のことに、会社としては嬉しさの悲鳴以上に悩みが尽きないのではないでしょうか。というわけで、今日は悩みをいくつか。

 悩み-その1。65歳になった天皇陛下の誕生日は、語呂合わせで「富士山の日」。これは素敵!一方私の誕生日は、語呂合わせだと「ゴミの日」。ちょっと悲しい響き!

 悩み-その2。肌のハリがない!弾力に欠ける!ニット帽を被ると、頭部にできた布の縫い目跡がいつまで経っても消えない!でも被らなければ寒いし…。

 悩み-その3。帰りの電車に空いている座席を見つけて腰を下ろします。しばらくしてから、あるいはどこかの駅で自分より年上と思われる人が乗ってきた時、本の文字を目で追いながら頭の中が高速で回転しだします。「席を譲るかどうか」という悩みです。隣でスマホをいじる人は、私よりふた回りも若そうですが、譲るそぶりはなし。そうかといってヘルプマーク等をつけているわけでもないのに、シニアの私が譲ったら相手はどう思うか。そもそも高齢者に席を譲ろうとする人が一人もいないのはなぜだ。結局、どの年齢だったら席を譲るべきか線引きに苦悩しながら、読書専念を決めたのでした。

 悩み-その4。給食後の歯磨きを自席でする人は少なくありません。どうしてそんなことができるのだろうと不思議でならない私。だって、歯ブラシを咥えてブラッシングを始めると唾があっという間に溜まるので、手洗い場の前を離れられません。その校長室の手洗い場が詰まってしまったのですから大変!昨年度から騙し騙し使ってきましたが、ついに流れなくなりました。どこで歯磨きしようか…。

 どうでもよいことに悩めるのは、平和な証拠です。今日も日中は暖かいようです。

575 梅(25.2.26)

 昨日も6年生が校長室にやってきて、1年生と給食の交流をしたいと真剣に訴えます。思いを語れる6年生に育っていることが何より嬉しい!認めたのは言うまでもありません。

 月曜日に成田山公園の梅まつりに出かけました。果たして、今日からの暖かさを待って開花の準備をしようかといった段階です。よって、懐かしい街並みの参道巡りに切り替えです。鰻や竹細工、鉄砲漬けの店は今も変わらず…。羊羹といえば「米屋」や「とらや」という人が多い中、祖母は「成田柳屋」だったことを思い出します。ただ明治30年創業のその店も明後日閉店を迎えます。

 さて、「梅」がつく日本酒といったら、梅錦(愛媛)・雪中梅(上越)・越乃寒梅(新潟)などがあります。山武市には、梅一輪という銘柄を製造する酒蔵もあるようです。一方、テレビCMで有名だったのは、石原裕次郎さんや渡哲也さんを起用した松竹梅。「♪喜び~の酒、松竹梅」というフレーズは今も耳に残っています。

 梅は、花の鑑賞用の花梅と実を食べることを目的に栽培される実梅に分類されます。母はよく梅干を作っていましたし、梅酒づくりは妻に引き継がれ、数十年物の瓶が床下で出番を待ちます。梅の実には種が入っていますが、割ると「仁」が現れることを知らない人は私だけではないはず。大宰府天満宮に祀られる菅原道真が、梅干を好んだことから「天神様」と呼ばれるそうです。でも私の中では、梅干は種で完結してるのに、画像検索すればあります、あります!しかも、その天神様を袋詰めした商品まであってびっくりです。

 先の「大宰府」が歌詞にある曲が昭和のフォークソング『飛梅』(さだまさし)。切ない歌詞が好きで今でも口ずさみます。ただ、桜を歌ったヒット曲は多くありますが、梅はほとんど聞かない気がするのは、華やかさに欠けるからでしょうか。そうだとしても、学校の梅の開花を心待ちにする私です。

574 独り言(25.2.25)

 先週、庭のミモザが開花しました。寒さに負けずその数を増やしていく健気な姿に、小さな声でエールを送った今年度最後の三連休。

 そういえば、気づくとよく人以外に話しかけています。決して認知異常ではありません。例えば、お風呂が沸いたことを知らせる音声に「はーい、今行きますよ~」と答えながら重い腰を上げ、いつの間にか終わっていた洗濯機に「あらまっ、気づかなかった」といった具合。仏壇や写真立て、鉢植えの植物にも話しかけます。家に話し相手がいないとそれは顕著にあらわれる傾向が…。声に出していることで安心感を覚えるのは歳のせいでしょうか。逆に学校では、誰彼かまわず話しかけることができますから、職務多忙の教頭先生はいい迷惑?

 さて、毎朝袖を通すYシャツ。寒い日は、袖も正面の合わせもボタンが留めにくくなります。特に袖は、慌ただしさの中で行う老化予防の指先トレーニングのようで、「えーい、なんでこんなに硬いんだよぉ」と、ここでも一人ぼやきます。このボタンホールには、縦向きと横向きが存在します。シャツの一番上だったり一番下だったり袖口だったり…。指先に違和感を覚えるのが一番下のボタン。シャツによって縦穴と横穴があるからです。コートやジャケット、セーターなどの上下の動きや左右の動きへの対応、つまり動作のしやすさとズレへの対応、そして美観を考えて作られているようです。

 県立学校はウォームビズなのか、冬場もネクタイ着用しなくてもよくなったと聞きます。もしかすると、来年度から市立学校にもそうした通達があるのではないかと期待します。そうすれば、ジャケットの下はYシャツではなく、タートルネックのセーターも見苦しくなければアリかも…。朝の準備時間短縮につながること間違いなしですし、「イケオジになれるかも?!」と心の声。でも、電子音に返答している時点でイケてないわけで、イケ爺は淡く儚い夢~。

573 今、未来の扉を開くとき(25.2.21)

 今日は6年生を送る会。年明けころにその6年生にアンケートをとりました。小学生が挙げる「カッコイイ・かわいい俳優・芸能人」って誰だろう。どんな人に憧れるのだろうと単に興味を持ったからです。伝え方が悪かったのか、はたまた受け取り方によるのかは不明ですが、想定もしないカテゴリーからも出るわ出るわ。スポーツ選手や声優、すとぷり(知らないので調べました)のイラストキャラクター名などがあります。父や母のほか、校長の髪と読み取れる文字まであります。

 男性のトップは、ミセスの大森元貴。次いで目黒蓮と花江夏樹(声優)。一方女性は、橋本環奈と広瀬すずをトップに、アンミカ、吉田沙保里、芦田愛菜と続きます。知らない名前は、何者なのか検索しましたが、その数26名!総数の3分の1に当たります。

 さて、♪たとえば君が傷ついて~くじけそう~になった時は~♪と、今月の歌が放送で流れます。『ビリーヴ(believe)』という曲。これを知ったのが、20数年前のドラマ『Dr.コトー診療所』でした。離島医療に情熱を注ぐ主人公、命の尊さや人間同士の強い結束を描いた人間ドラマの主題歌『銀の龍の背に乗って』(中島みゆき)も好きでした。一方先の曲は、受験のために島を離れる漁師の息子(タケヒロ)のお別れ会で子供たちが歌ったもの。送り出す側の子供たちも涙を流し、嗚咽をこらえて懸命に歌うシーンは感動でした。その曲を6年生を送る会で全校合唱するようです。ちなみに、原作の漫画本は、校長室に全冊そろっていますので読みたい方はお立ち寄りください。

 『I believe』(綾香)も、♪I believe myself あたたかい光は まちがっちゃいない 歩いて行こう♪と勇気づけます。6年生の卒業まで実質16日。自分を信じて、自らの手で未来への扉を開いてほしいと思います。♪ドアを大きく開け放そう 広い世界へ出て行こう~♪(『ひろい世界へ』より)

572 一寸先は闇?!(25.2.20)

 このご時世、テレビや新聞の見出しに「動き出した米」の文字を見て、「アメリカ」なのか「ライス」なのか一瞬迷いが…。ところで、トラックが、陥没した道路の穴に落ちた事故が発生してすでに3週間。運転手救出まで最短3か月と言われてからも1週間が過ぎます。「救出」「救助」という文字が空しい痛ましい事故です。この報道があった直後、「視点の高いトラックの運転手なら事前に見えただろ」「前方不注意なだけじゃないの」とSNSで非難する輩がいたといいます。状況を知りもしない、深く知ろうともしないで誹謗中傷する無神経さに業腹です。学校で起こるトラブルも然り。「木を見て森を見ず」とならないように、全体の状況や関係する者の声などをしっかり把握して、丁寧・迅速な対応を怠らないようにしたいものです。少なくとも子供たちには、匿名性を盾に誹謗中傷する人にならないように「正義」について考える場は大事です。

 さて、自転車の運転者に対しても首をかしげたくなる場面があります。1つは、歩行者用の狭い歩道をわがもの顔で自転車に乗って通行する人。しかも右側通行だったりしたときは、後ろから近付いているのに気づいても避けることをしない性悪男はだぁれ?ただ、ほとんどの人は脇に寄って道を譲りますから、その寛大さに驚きます。これが普通?

 もう1つは、青信号の横断歩道を横切る自転車。駅前の歩行者用信号が青になると人が一斉に渡り始めます。そこに小学生を後ろに乗せた母親が自転車で横断歩道の人波を掻き分けるように突っ切っていきます。車両用信号は赤。また学校前でも、歩道を渡る子供を邪魔だとばかりに脇をすり抜け走り去る自転車。もしかして、自転車は歩行者という認識なのでしょうか。数年前、青信号で横断中に自転車にぶつけられました。もし相手が高齢者や幼児だったら…、大ケガをさせたら…、そう考えると恐ろしくなります。これは大人だけの問題ではなく、小学生だって同じです。誰もが被害者にも加害者にもなり得るのです。

※HPのトップに、持ち主を待っている忘れ物・落とし物の画像を掲載中!授業参観では2階の連絡通路に展示しています。

571 頓珍漢(25.2.19)

 娘が中学生の頃だと思いますから、もう20年近く昔のこと。娘が「百均」云々という話をしたときに、妻が「百円均一でしょ!」と指摘・訂正したことを急に思い出しました。でも、浸透してしまった今、「百円均一」なんて言う人はゼロに近いはず。同じようにそれ自体が一般化して、正式名称を思い出すのに時間がかかるもののたくさんあります。それほど略語に囲まれて生活しているといっても過言ではありません。

 そんな中、「パソコン」「リモコン」「エアコン」「ツアコン」どれにも「コン」が使われていますが、「コンピュータ」「コントロール」「コンディショナー」「コンダクター」と全部異なりますから厄介! 一方で、昔使った「ガンプラ」(ガンダムのプラモデル)なんてもう通じないのかも…。最近どこかで目にした「ニキ」「ネキ」は、「兄貴」「姉貴」を指すといいますが、たった3音すら短くするんだぁ?!

 一方こちらは正統派。随分前に「こそあど言葉」を学んだ3年生。普段から無意識に使っている言葉を、物事・方向・場所・様子に分類して使い分けできるように再確認しながら、効果的に使用できることをねらっているようです。会話する者同士、「アレ」や「そっち」が同じものや場所、方向で一致しなければ、とんちんかんな会話になってしまいそう。

 ある時、「アレパシー」なる怪しい文字に目が留まりました。「アレどうしようか?」「それナニしといて!」で大抵のことは片付くので、「テレパシー」に似せた亀田誠治さん(音楽PD)の家庭の造語らしいのです。そういう我が家も、「ほらアレ、アレ」で通じてしまいますし、「あのさぁ…」と私が一声発しただけで何を言わんとしているのか判読する能力に長けた者がいる一方で、「アレパシー」の欠片すら持たない私は、略語の会話も含めて食い違いや思考の迷走といったとんちんかんな受け答えをしばしば。場をシラケさせる羽目に…。

570 小銭(25.2.18)

 世界のホームラン王と言われた王貞治氏が、ニュースでインタビューを受けていました。20年近く前に胃の全摘出をしているのに、高齢ながら矍鑠(かくしゃく)とした姿が印象的でした。ONと謳われたもう一方、ミスタージャイアンツと呼ばれたた長嶋茂雄氏(読売ジャイアンツ終身名誉監督)の話をし始めると、「亡くなったよね」と尋ねるような口調。テレビにほとんど登場しないからといって失礼極まりない!そういえば、「お菓子のホームラン王」というキャッチコピーで売られた亀屋万年堂のナボナは今も健在なのでしょうか。

 昔は、貯金箱がどの家にも必ずあった気がします。空き瓶に硬貨を入れて貯めていた人も多いと思います。サザエさんなど漫画の世界では、貯金箱をひっくり返して手持ちのお金を数える場面だってありました。お手伝いや肩たたきをして10円もらって喜んで貯金箱に入れていた時代です。「お駄賃」なんて死語ですし、そのありがたみは極めて薄らいでいると言わざるを得ません。

 少し前に、何かの番組で小銭を持ち歩く人の割合が6%という数字を見たような気がします。実際、長財布が小型化し、さらには薄型になっていて、世代にもよりますが全体で4人に1人は財布を持ち歩かないといわれるキャッシュレス時代。そんな中にあって、小銭は邪魔者扱いされているような気がしてしまいます。

 銀行や郵便局に小銭を預けたり両替したりすると、今は手数料を取られますから、コツコツ貯めこむのは割に合いません。中身の見えない貯金箱を振ったり重さを感じて貯まった金額を想像したりしたあのワクワク感は遠い昔のことになってしまったようです。ちなみに、あなたの小遣いはおいくら?と余計な詮索をしてしまいそう。

569 蒸籠と寒太郎(25.2.17)

 「蒸籠」という文字だけで、前後の文脈で判断ができないとなるとなかなか読めそうもありません。「蒸すためのカゴ」、つまり「せいろ」です。最近、この蒸籠が活躍しています。前は電子レンジで温めた物が、蒸籠を使うと素材のおいしさが際立って、まるで別物になった錯覚に陥ります。野菜や肉などを蒸して、タレをつけて食べるとヘルシーでいくらでも食べられそう。しかも満足度が高いのでよいことずくめ。今冬のブームは蒸籠料理?

 さて、「風がうなる」と言い表すことがありますが、最近はあまり耳にしなくなりました。冬場に北風が強く吹き付けると、上空の電線が大きく揺れて「ヴ~ンヴ~ン」と鳴ります。ブンブンゴマを回したときのように…。風の強い日が続くと、そうした音も耳に懐かしく思えてくるのです。ところで、先週木曜日の強風は、個人的には春一番でしたが違ったようです。この日たまたま校外での会議に出席して、定時に終わったので直帰しましたが、帰宅後しばらくしてスマホを見ると、JRは遅れ、東武は止まっているではありませんか。普段通りだったら、電車内に閉じ込められて動き出すのを待つことになっていたかも…。

 最近聞かなくなったもう一つが、灯油の移動販売車の音楽。「♪北風~小僧~の寒太郎~♪」と大音量が流れます。「♪ヒューンヒューン、ヒュルルンルンルンルン」と、これまた風の音とも樹木や電線を揺らす音とも判断がつかない微妙な擬音です。ここ十年灯油価格は上昇を続けていますが、ガソリン代もかかるので移動販売を縮小しているのでしょうか。

 ちなみに我が家からストーブというものがなくなって久しい。エアコンが故障して解放型ストーブを使用しているたんぽぽEに、たまにお邪魔して手足を翳して温まる私。子供たちにとっても心落ち着く、憩いの場のようです。

568 あなたの出番です!(25.2.14)

 近隣の百貨店の特設売り場では、数多くのブランドチョコを販売するバレンタイン商戦のピークだった先週。開店を待つ列があったのかもしれません。今年は「カカオショック」とも言われるくらいカカオ豆の価格が高騰して、商品の値段に反映されているようです。私はといえば、引き出しの中で安価だけど燦然と輝く板チョコをチラ見しながら、どのタイミングで食べようか思案中!

 創立150周年を迎えた市川小では、6年生が「市川小祭り」を企画。1~5年生を対象にテーマごとの発表会を開催するという招待状をもらったので足を運びました。テーマは多岐にわたり、校舎・学校行事・地域行事・校歌や校章・自然環境など、両手に余るグループ数。午後は授業参観として保護者へ発表したといいます。学校の歴史や伝統の再発見から、改めて自分の学校に誇りをもちたいと子供たち自身が考えたようです。それ以上に、この企画をやり切った自分たちを誇れるようであってほしいと思います。

 平田小でも先週、6年生男児が校長室を訪ねてきました。何事かと思っていると、新しい学校キャラを誕生させて送る会の場で発表したいと言います。よく聞くと、顔が校長で胴体はハチ というではありませんか。でも、折角考えたものを一回限りにするのは勿体ない。長く愛されたいならモデルは私じゃないでしょうと伝えました。「ハチ」も最初は「蜂」でしたが、「80周年に向かって」の「八」を象徴することに変更したという理由づけに吹き出しそうになります。ただ、こうして子供たちと話す時間は楽しくて至福かも。

 いつも言うことですが、やってみよう・創り出そうとする姿勢が何よりうれしい!考えただけでなくそれを行動に移す気持ちを応援したい!うまくいくかどうかより、まずは動いてみることが次に絶対つながると信じています。1週間後が待ち遠しいなぁ。さて、どうなるか?

567 発酵食品(25.2.13)

 ぬか漬け用の深めの容器にキュウリやカブ、大根などを入れて食卓の一品として出されます。毎日手でかき混ぜて空気を入れ、温度管理にも注意しながら適度な発酵を促します。冬場は氷水に手を入れたような冷たさに手が痺れます。とは言っても経験したのはただの1回だけ…。そして最近、タッパーのようなホーロー容器を新たに購入して、腸活にいそしんでいます。

 県内で「発酵の町」をPRするのは神崎(こうざき)町。道の駅もあって、納豆・醤油・味噌・チーズ・糀カレーなど様々な発酵食品を取り扱っています。そんな「発酵」と「熟成」は似た感じがしてプラスのイメージ。対局のイメージを抱く「腐敗」とも根っこは同じ気がしますが、何が違うのでしょう。

 一般的に、人間にとって有益な物質が作られる場合が「発酵」。さらにそれを管理して寝かせておくことで、風味などが増して「熟成」となります。逆に有害な物質が作られる場合が「腐敗」。例えば、牛乳に乳酸菌を加えるとヨーグルトが生まれ、「発酵」が起きたとなるわけです。一方、牛乳を常温で放置すれば、腐敗菌が増殖して腐ります。顔を背けたくなるくさやとかブルーチーズなんて、発酵・腐敗の紙一重そのもの。

 ところで、発酵に欠かせない「糀」と「麹」の違いがよくわかりません。どちらも「こうじ」と読み、どちらを使っても間違いではないようです。ただ、一般的に「麹」は麦・豆・米などの穀物で作られたもの全般を指し、「糀」と書いた場合は米こうじを表すことが多いといいます。偏で判断すればよいみたい。

 4月に開幕する大阪万博で、千葉県は「発酵」をテーマとしたブースを設ける予定のようです。5月には先の神崎町で「発酵マラソン大会」を開催するとか…。こうしたイベント或いは私たち自身、たとえうまくいかなかったとしても気持ちを腐らせることなく、努力で熟成につなげていきたいと思います。

566 どう食べる?(25.2.12)

 我が家では専らホクホク系のサツマイモが好まれるので、紅あずまやベニコマチ、○○金時などの品種がよく選ばれます。カボチャも同様で、口の中の水分をみんな持って行くのかと錯覚するようなものばかりが食卓に登場します。先月の給食で提供された焼きいもは、ねっとり系で普段食べ慣れない美味しさでした。品種を尋ねると安納芋だそうです。オーブンで焼いた後、スチームで仕上げたとか。こちらの方が好きかも…なんて浮気心が働いて、その後3度も紅はるかを買って調理しました。

 娘の誕生祝いに妻が作ったケーキに乗っていたいちご。私の皿には最後まで一粒残してあります。娘も一緒で、好きなものは最後まで取っておいて食べることを生活信条としています。一方娘の旦那はほぼ最初に食べたようで、食べかけのケーキの陰にすら姿かたちが見えません。食べ方は人それぞれで、個性が見え隠れします。

 ここに小学生4~6年生500人が答えた、ベネッセが行ったアンケートがあります。『好きなものは先に食べる?後に食べる?』というもの。6割弱が、楽しみは後に残しておいて幸せに浸りたいタイプです。逆に、お腹が空いているときに好きなものを食べた方が、よりおいしく感じるという先食べ派の意見もごもっともという感じです。

 そういえば私が小学生だったころ、「三角食べ」の指導がされました。ごはん(パン)・汁物・おかずを、順々にバランスよく食べることが推奨され、一品ばっかりを食べ進めるのは行儀が悪いとされていました。しかし最近では、食べる順番が健康に関係することがあるとされ、「ばっかり食べ」は必ずしも悪ではなくなってきました。血糖値などを気にする私はベジファーストを実践して、まずは野菜を先に食べることを心がけています。でも給食は、律儀に三角食べの教えを守っています。

 アルミホイルで包んだ芋を、教室の煙突ストーブの上で焼いて食べた古き良き時代も懐かしい。

565 E.T(25.2.10)

 体育館の天井部に挟まった、こぶし大のカラーボール数個が気になる最近。バカリズムさん原作のドラマ『ホットスポット』を観たからでしょうか。ある回では、40歳女性3人と宇宙人を囲んだ会話に、映画『E.T』が登場します。月を背景に自転車が空を飛んだり人差し指を合わせたりするシーンは、この映画を象徴しますが、女性3人は知りません。1982年公開なので生まれてもいない計算になります。つまり、学校でも50歳以上限定の話題にしかできないということ。

 さて、実際に見たことはありませんが、古くはガマの油やバナナのたたき売りなど、巧みな口上と実演を駆使して商品を売る職人がいました。去年の今頃、木梨憲武さんと奈緒さんが共演したドラマ『春になったら』が放映されました。木梨さんの仕事は実演販売士で、会社のカリスマ的存在。スーパーやショッピングセンターなどで、行き交うお客さんの足を止めさせるところから始まり、商品の魅力や使い方をわかりやすく説明して買ってもらう仕事。語り口やパフォーマンスで、客の関心をいかに惹きつけるかがポイントでありテクニックというわけです。現在では、テレビの通販番組やユーチューブなど、店頭以外で活躍する人も数多く目にしますが、その話術は見習うところが多いような…。

 先日、6年生のキャリア教育で様々な職業の方8名をゲストに迎えて話を聞かせてもらいました。小学生段階でのキャリア発達の課題としては、人間関係形成力・情報活用力・意思決定力・将来設計力・生命尊重力が挙げられます。つまり、高学年では、集団の中で自分の役割や責任を果たす中で、役立つ経験・喜びを感じ、社会とのかかわりの中で夢や希望、働くことのイメージを膨らませることをねらっています。ですから、ほとんど知らない実演販売士に話が聞けたら、子供たちの世界がどんなふうに広がるのか興味津々です。ET(えらく大変な仕事だ)と思うか、それとも目を輝かせるか。

564 落とし物(25.2.7)

 教室を見て回ると、必ずと言ってよいほどある落し物。鉛筆や消しゴム、プリント類など様々です。そして、拾い上げて近くの子に「あなたの物?」とさりげなく問います。落とし主の子は、無言でそれを手に収めます。しばらく待ったあと、その子に「どういたしまして」と小声で言って、「ありがとう」の言葉が返ってくるのを待つことも…。まるで、「ごちそうさま」を忘れて催促される自分を見ているようです。

 読みながら思わず笑ってしまった新聞投書。頼まれて醤油瓶を取ってあげたおじいちゃんは、孫がお礼を言わないので醤油瓶から手を放さないまま、「こういうときは何て言うの?」と尋ねたそうです。その孫はしばらく考えてから言った言葉が、「手を放してください!」だったと。

 話は変わりますが、低学年の児童が教室で魚の絵を描いています。どうも図工の作品のようです。サメもいればシャチも小さな魚もいます。何匹も泳ぐ絵もあります。でも、ふと気づきます。ほとんどの子が描く魚の頭が、左を向いていることに。突然、「魚の絵を描いてください」と言われたらどうでしょう。私の魚も左向きとなります。これはほかの動物にも共通しているようです。正面や上を向く絵を描く人は、単なるへそ曲がりか才能か?

 ある統計では、98%の人が左向きに魚を描くといいます。料理屋で焼き魚を頼むと、たいていの場合、左向きに配置されます。これらは、日本語の文字の書き方と密接な関係があるとする説。旧来の縦書き文字は右から左へと読んでいきます。巻物にすれば、右から左へ文字が流れます。必然的に、巻物に描かれる魚や動物も左向きとなるというものです。左向きの絵が多くなれば、それが刷り込まれていくことになるわけです。逆に、左右入り混じった構成が自然とできる子がいたとすると、才能に恵まれていると考えてもよいのかも。そうした才能をどこかに落としている者はおらんか~?なまはげが問いかけます。今日から「秋田なまはげまつり」が始まります。

563 お化け(25.2.6)

 妻が口にした本の題名『要介護探偵』が、「妖怪御三家」と聞こえてしまう耳。困ったものです。決して御三家ではありませんが、「妖怪」アニメをよく観た順に並べてみると、「ゲゲゲの鬼太郎」「妖怪人間ベム」「ドロロンえん魔くん」「地獄先生ぬ~べ~」といったところ。聞き知るのは「妖怪ウォッチ」くらい。

 お化けや幽霊、妖怪などが登場する怪談話といえば夏の風物詩。真冬にする話題ではなさそうです。確かにお化け屋敷や肝試しは、俳句で言えば夏の季語。ここでふと疑問が…。このお化けや幽霊、妖怪って、どこがどう違うのでしょう? 

 調べると、“お化けとは、幽霊や妖怪など特異なものの総称” とされています。ドラマや漫画で「お化けが出た~」と言って慌てて逃げたり腰を抜かしたりするシーンが登場する一方で、巨大なカボチャを見て「お化けカボチャ」と表現します。つまり、得体が知れない怪しげなもの、あるいは異常に大きかったり異形だったりするものを形容する場合などに用いる言葉といえます。

 お化けに包含される「幽霊」は、“死んだ人が成仏できないでこの世に姿を現すもの” と辞書にあります。四谷怪談のお岩さんや戦地で亡くなった兵隊など、因縁のある場所や人の前に、丑三つ時などを狙って出てくることが多いようです。

 これに対して、「妖怪」は、人間以外の動物やモノが変化したもので、“人知では解明できない奇怪な現象や物体” と説明すればよいでしょうか。昔から言い伝えられる河童や座敷童、一つ目小僧などがそれに当たり、天狗やかまいたちも妖怪の範疇かもしれません。幽霊とは違って黄昏時の出没が似合うイメージがあります。

 冬にお化けが出そうもありませんが、「雪女」だってれっきとしたお化け。『ふゆのおばけ』(せなけいこ著)という絵本もあるくらいですから、探せばヒュ~ドロドロ~と現れるかも。

562 遊ぼうぜ(25.2.5)

 大谷翔平選手寄贈「野球しようぜ」のグローブは、去年の1月30日に届いたことを3年日記で確認しました。早いもので1才になりました。5年生と6年生が競うように、昼休みに使っている姿を見かけます。傷みは特にみられませんが、1年経ったのでメンテナンスのために、汚れを落として革用オイルを塗るとよいかなと考え、グローブ置き場に「誰かお願いできませんか」と書いた紙を貼っておいたら2人も名乗りをあげてくれました。今日の放課後にやってくれるらしいのです。

 1月末に、1年生が昔遊びを体験しました。これまでにも羽根つきや凧揚げ、竹とんぼを体験してきましたが、経験がないのでなかなかうまくいきません。今回は、あやとりやお手玉、独楽などを、地域の方々に教えてもらいながらコミュニケーションを図る場面がありました。取り組んだ中にベーゴマもあります。学校保管のベーゴマが箱にごそっと入っています。私なんか目がキラキラしてしまいましたが、ベーゴマは低学年にはちょっと無理かな。担任も初めて見たというくらいですから、こういう機会がなければ一生見ることのないと言っても大袈裟ではないのかもしれません。まず紐を巻く段階で困難を極めます。中学生の時に夢中になった私ですら、紐のせいにするほど難儀しました。

 大正時代から子供の間で盛んに遊ばれたベーゴマは、普通の独楽とは違って「ケンカ独楽」です。負ければ相手に取られてしまいますから、如何に相手の独楽を弾き飛ばすか、最後まで回っていられるかが最も重要です。ですから、鉄の塊であるベーゴマを念入りに研いだものです。

 野球にしろ昔遊びにしろ、誰かと一緒にやって楽しさを共有するってよいものです。

561 気になる(25.2.4)

 朝、保護者と一緒に登校した児童が、別れ際に「バイバイ」と言って門に向かいます。何でもない朝の一コマです。でも年を重ねたからでしょうか、細かいことが気になってしまうのが僕の悪い癖っ(杉下右京さん風に)。「行ってきます」と口にしてほしいなぁと…。

 何かの記事で、一年の節目の挨拶に「あけおめ」「ことよろ」という略語はふさわしくないのではないかといった内容を目にしました。きっと賛否両論でしょう。ただ、省略されることが定番になった日本語は少なくありません。そんな中に明治時代以降から使われている「行ってきます」という言葉があります。もともとは「行ってまいるが、必ず帰ってきます」の意で、帰ってくるのが当たり前ではなかった時代に、必ず帰ってくるという誓いが込められていたのです。そして、「無事に行って、帰っていらっしゃい」(行ってらっしゃい)と、相手の誓いに思いを重ねたのです。さりげなく使っている言葉に、こんな素敵な思いが込められているわけです。だから、冒頭のような行きっぱなし、あるいは今生の別れにも聞こえてしまう「バイバイ」ではなく、「行ってきます」と笑顔で手を振ってほしいと思うのです。

 また、校内でも気になることはあります。例えば、授業中に当たり前のようにトイレに行く子が多いこと。これは、決して低学年に限ったことではありません。確かに急な腹痛に襲われたり気分が悪くなったりした場合は仕方ありませんし、何らかの疾病等も考えられます。でもそうでなければ、休み時間に用を足せば45分我慢できないなんてことはなかなかあるものではないのでは?ただ先生も、トイレに行きたいと訴える子を行かせないなんてことはできません。それこそ肉体的・精神的な苦痛ですから。

 しかし、それを当たり前にしてはいけません。無理に我慢させることではなく、集団や社会で相手を不快にさせないマナーやエチケットについて、子供たちの納得・理解に導くことがまず大事だと思います。時と場、状況に応じた振る舞いを低学年のうちから意識することは大切です。そうした中で、「自分らしさ」「ありのままの自分」を見つけられるといいなぁ。

560 暦の上の春(25.2.3)

 逃げる2月の始まりです。今年の節分は例年より1日早く昨日(2/2)でした。今後もしばらくは4年に一度の周期で2月2日が節分になるそうです。さながらオリンピックのよう。プロ野球も各球団のキャンプインが伝えられ、来たる春本番に向けて様々なことが動き出します。桜のつぼみの動きはどうでしょうか。先週観察したひらた山では、まだまだ硬いつぼみでした。東京の開花予想は3月21日と発表されましたので、もしかすると体育館入口そばの桜は、卒業式に華を添えてくれるかもしれません。まずその前に正門脇の梅が、今年はきれいに咲いてくれることを待ち望みます。

 さて、昨日は節分。昨今、豆まきをする家庭がどんどん減ってきているようですが、我が家は年中行事として継続中。でも、昔みたいに威勢よく蒔くわけにはいきません。握るのではなく、指先に摘まんで数方向に投げ分ける感じと言ったほうがよいでしょうか。なにせ、お値段は高いですし、量も少ないときています。夫婦二人で歳の数だけ食べられるかすら危うい感じです。そこでナニをしたか。そう、昼間のうちに2つの小皿に出して数え始めました。二人分をキープして、残り19個しかありません。つまり、蒔くのはそれだけ。小皿に出した豆は、安心してすぐさまおなかに「福(腹)は~内」。昼食が物足りなかったので、美味しいこと美味しいこと!でも、家庭の豆まきはどうして夜やるんだろう?鬼は夜行性なの?それとも家長を待って行うのがしきたりだったとか?

 今日は立春。ずっと昔は、新しい年が春から始まっていたので、言うなれば今日は元日とは別の特別な日と言えそうです。春とは名ばかり、明日以降の寒波に震え上がりそうです。

559 四字熟語(25.1.31)

 横綱 照ノ富士が引退をし、大関 豊昇龍が優勝して幕を閉じた大相撲春場所。その豊昇龍が横綱に昇進しました。伝達式でどんな四字熟語が口上で用いられるか注目を集めましたが、大関昇進の際にも語った「気迫一閃」でした。「何が起きても力強く立ち向かう」という決意が込められているといいます。頻繁に金星を提供してしまうことのない、強くて憎まれるくらいの横綱になってほしいと願います。

 一方、私の好きな作家 中山七里の作品にも四字熟語が随所に登場します。その多くは、聞いたこともなかったり読めなかったりするものばかり。でも、不思議と勉強になります。使われる四字熟語を集めてみようかと思ったこともありますが、作品の大半を読んでいるので、いまさらそのためにページをめくるのは…と思い返して即却下!

 ところで、四字熟語がプリントされたシャツを高校生運動部員が着ているのを見ます。「勇猛果敢」「不撓不屈」「疾風迅雷」など様々。「虚弱体質」なんて文字を背負って、実は凄い力を発揮する人がいたら注目の的?ちなみに、姿かたちを次々と変化させていく様子を表す「変態百出」だったら、どの部活動が採用するでしょう。決して、変態が百回出るわけではありませんから、帰宅部も該当せず。

 住友生命が毎年募集する創作四字熟語は、その時代の世相を反映しています。2021年の最優秀賞は「七転八起」にかけて「七菌八起(ななころなやおき)」。2020年は「獅子奮迅」にかけて「医師奮診」。ともに新型コロナ関連です。2011(H23)年は「理路整然」が「帰路騒然」とされ、1995(H7)年は「針小棒大」が「震傷膨大」に。その背景には2つの大震災があります。2004(H16)年の「様様様様」は笑えます。韓流ドラマ『冬のソナタ』の「ヨン様」です。そして昨年(2024)は、大谷翔平選手一色の側面から「当代随一」をもじって「盗打随一」が最優秀賞に輝きました。

 さぁ、今年度もあと2か月を残すばかり。「給料泥棒」と言われないように頑張ります。

558 ウルトラ、ドン!(25.1.30)

 あるカレンダーの隅に書かれた文字に目が釘づけ!今年は「昭和100年」だったのです。

 昭和から平成のヒットチャート上位20位を見たときに、イントロの平均は17.5秒だったそうです。イントロがなかったのは、サザンの『TSUNAMI』だけで、逆に一番長いのが小田和正『ラブストーリーは突然に』の39秒。このイントロを聞いただけで、ドラマ『東京ラブストーリー』の場面が蘇るのは、やっぱり私の古さかもしれません。

 ところが、10年前にはイントロ平均が6秒程度になっています。これには、音楽アプリやサブスクの急速な普及が大きな影響を与えているようです。ストリーミングの再生回数はヒットチャートを左右するのは言うまでもありません。実際、最初の5秒で4分の1、30秒未満で3分の1以上の人が次の曲にスキップしてしまうというデータがあります。つまり、再生後に聴く者の心を掴まないと聴いてもらえない=収益にならないという構図ができてしまいます。よって、サビからいきなり始まる曲も多くあるわけです。例えば、YOASOBIの楽曲のイントロ平均が5秒未満であることをみると理解できるかもしれません。

 給食の放送で、イントロクイズが出されることがあります。思い出すのは、昭和の時代の人気番組の一つだった『クイズ・ドレミファドン!』です。まさにイントロクイズの元祖でした。わかりそうでわからないもどかしさの記憶が蘇ります。

 ですから、現在ヒットする歌でイントロクイズをするのはなかなか難しい。ただし、「超ウルトライントロ」なら可能?今回のタイトルも含めて、わかる人にしか伝わらない昭和の娯楽番組。

557 シェア(25.1.29)

 ある日の外食。野菜カレーもおいしそうだしピザも魅力的!悩んだ末、「二人でシェアしよう」と提案しました。買って帰ったチョコレートケーキと和栗のモンブランのどちらも食べたい。やっぱり仲良く半分こ。

 この「シェア」という概念は、様々な場面で一般的になっています。ルームシェアやカーシェアなど、空間や移動手段のシェアのほか、レンタルサービスはモノのシェアですし、クラウドファンディングはお金のシェアといえそうです。家事・育児・介護代行も、それぞれが持つスキルを共有する意味ではシェアの一つとなるわけです。

 6年生が社会科で取り組んだ、願いを実現させるための政党(?)が、先週校長室にプレゼンにやってきました。麦茶を入れたウォータージャグを設置する《麦茶党》、校内に観葉植物を置いてグリーンを増やす《Mr.Green 6》、水栓の自動化と温度調節を可能にしたい《水党(すいどう)》の3グループどこも、願いや思いが明確で、メリット・デメリットを挙げ、必要予算を自分たちで算出する姿勢に感心してしまいました。子供たちの真剣な訴えがとても新鮮で、嬉しいを通り越して誇らしく思えたのです。だから私も真剣に受け止めて質問や意見をしました。そんな言葉や表情を普段目にしないためか、ちょっとたじろぐ様子もありましたが、私にとっての素敵な時間はあっという間に過ぎていったのです。後日各クラスにA4版2枚の手紙をしたためました。

 自分たちの考えたことが、ほかの人やほかの学校まで幸せにするという考え方も、シェアに通じるのかもしれません。教室や学校の中の小さなお互いさまの気持ちが生活を豊かにし、広くは共生へとつながっていくように思います。そのためには、相手を信頼できる関係作りが不可欠と言えそうです。

556 いちご(25.1.28)

 いちごは「イチゴ」「苺」とも表されますが、なぜ「母」なのでしょう。どうも一つの株に次々と実をつけるところから、「子を産む」株を母親に見立てたようです。なるほどと思いながらも、平仮名表記の方がつるんとした丸形をイメージさせてくれるので、私は好き。そんないちごの花言葉は、「幸福な家庭」「先見の明」「尊敬と愛情」なのだそうです。一年中露地栽培状態のウチのいちごも、年がら年中白い花を咲かせて家庭を守ってくれているということです。

 旬のピークが1~3月と言われるいちごですが、ショートケーキやいちご大福、いちご味の菓子などがショーケースや売り場を華やかに飾っている今が、まさに旬。新聞にも、いちご狩りの記事が鮮やかな写真入りで紹介されていますし、スーパーなどの店頭には、様々な種類・産地の瑞々しい品々が並んでいます。どの品種を選ぶかによって満足度が大きく違いますから慎重を期します。甘みが強くて酸味も適度にある「やよい姫」が我が家の一番推し。でもお値段も高いので、1粒を半分に切って一日1個、数日間楽しんでいます。

 ところで、森永製菓のミルクキャラメルが、魅力的なお菓子だった幼少時。オレンジに近い黄色のパッケージには、「滋養豊富」「風味絶佳」と書かれているのを知っているでしょうか。まさに大正時代からという歴史を感じる一品(逸品)です。一方、江崎グリコも創立百年を超える会社で、グリコーゲンを含んだ栄養菓子の意味から「グリコ」が誕生したといいます。そのグリコからアーモンドキャラメルが発売された時、「一粒で二度おいしい」のキャッチフレーズに心躍らせたものです。それ以前にも、「一粒300メートル」というキャッチコピーがありました。キャラメル一粒で300メートル走れるカロリーが含まれることから派生した遊びゴコロ。ポッキーやプリッツも魅力的で、ある意味草分け的な存在でした。いちごポッキーだってもうすぐ50歳を迎えるようです。

555 若々しく(25.1.27)

 テレビ番組のCMが鬱陶しいので、ドラマは専ら録画してCMをスキップして観ます。そんな私が、CM見たさにリモコン操作です。チャンネルは「8」。テレビ局への不信感から70社以上の企業がCM出稿を差し止めるという異例の事態となっています。放送では、ACジャパンの広告に差し替えられているというので、どんな様子なのか確かめようと思ったのですが、そういう時に限ってリアルタイムで見たい番組もないですし、なかなかCMにもならないのです。

 さて、今日で通算555号。この数字は、スバル好きのスバリストが車のナンバープレートに希望する数字です。世界ラリー選手権で活躍していた頃のスバル車の車体には、黄色の文字で「555」と大きく書かれていたことに由来します。これは当時のスポンサー会社、「ブリティッシュアメリカンたばこ」という企業のたばこ銘柄の1つです。たばこ離れが進む以前ですら見たことのなかった銘柄ですが、そのパッケージの「555」だけは今もなお変わらず愛されている証といえます。

 不易、つまり激変の時代にあっても変わらないものがあると同じように、変わらなくてはいけないもの(流行)もあるはずです。だから、当たり前を疑ってかかること・柔軟な発想・前例踏襲からの脱却など、学校や学級でも大切にしていきたいと考えます。「やわらか頭」もその一つ。校長室前に掲示しているクイズに挑戦している子を時々見かけてうれしく思います。悩みに悩んで、校長室の扉をノックする子もいます。そして、わかった瞬間の表情がステキです!!私自身、鈍くなってきた頭に刺激を与える意味でも、一生懸命考えて答えを導き出してからの掲示を心がけています。「やわらかい」の中には、「わかい」がちゃんと隠れていますから、頑張ることで少しでも若さを保てることを願います。髪の密度は減るばかりですが…。

554 カラダに投資(25.1.24)

 肩こりがひどい!ふくらはぎがパンパンに張る!膝・腰・股関節が痛い!庭仕事や洗車で脚立に上るとふらつく!何年前からかなんて記憶はありませんが、気持ちと身体のバランスが崩れてきたことを実感します。「まだ若い」「きっと大丈夫」という思い込みほど怖いものはないわけで、思いがけない場面でケガをすることも出てきました。

 友だちは、リンパマッサージに夫婦で通っていると、そのよさや効果をとくとくと説明してくれます。広告の「筋膜整体」「筋膜リリース」なる文字も時々目に入り、興味をそそります。ただ、理論攻めや感覚でものを言われてもよくわかりません。百聞は一見に如かず、百見は一考に如かず、百考は一行に如かず!一度体験してみようとネット検索すると、あるわあるわ。大量の情報から選択は困難で、しかも料金は回数券制になっているみたいではっきりしません。どうも施術時間と料金体系から察するに、40分もやってもらうと渋沢さん2人分に近づきそうです。

 それでも、「今は自分の体に投資も必要だ」と申込みを決めた矢先、自宅ポストにチラシの投函がありました。そして、なんと妻の知り合いが患者として写っているではありませんか。さらに、施術してくれるのは、その知り合いの友だちの子だとか。これは一度試してみるしかないと思い立って予約・施術です。歪み改善のための立ち方やストレッチなども教えてもらいました。ただ、各部位をほぐしてもらいながら、「メチャクチャ硬いですね」と何度言われたことか。褒められているわけでもないのになぜか照れが…。小学校のマット運動が嫌だった記憶が蘇ってきました。

 その記憶の容量が針を振り切ってしまって、物覚えの悪さや物忘れの激しさを増した頭。ほぐしてもらうと柔らかくなって回転がよくなるかも?というわけで、明後日も揉み揉みしてもらいます!

553 大人のおもちゃ(25.1.23)

 カローラ、サニー、ファミリア、ブルーバードなどは昭和の人気車種。今もその名を残すのはカローラだけですが、父が中古で買ってきた銀色のブルーバード(510型)を乗り回した免許取りたての40数年前を思い出します。学生の私にとって、まさにわくわく感いっぱいの青い鳥だったのです。

 当時の車は、現代車のようなコンピュータ制御ではなく、至る箇所が昭和!オートロックなんてありませんから、乗り込んだり施錠したりする際は、ドアごとに鍵を開閉しなければなりません。ドアの鍵穴にキーを差し込んでロックを解除し、キーを回してエンジンスタート。いやいや、寒い日などは、まずはチョークボタン(知らないだろうなぁ)を引いてエンジンがかかりやすくするのです。サイドガラスの開閉はレバーを回す手動ですし、換気用の三角窓までありました。サイドブレーキがスティックタイプだったり、シートベルトがなかったり、パワステではないのでステアリングがめっちゃ重かったり…。エアコンもありませんから、夏は窓を全開、冬は温風のみ。当然のことながら、エアバッグや衝突回避センサー、バックモニターなどの安全装備なんてあるはずもなし。

 自宅前のどぶ(側溝)にタイヤを落として、近所の人に手伝ってもらって脱出したこともあります。「土禁(どきん)」といって、車内に土や泥を持ち込まないために、靴を脱いで車に乗り込むのも車好きの間で流行りました。だから時々、脱いだ靴やサンダルが道路に忘れられていることもあったのです。

 時代は変わって、EVやハイブリッド化が進んで純エンジン車が追いやられ、先進技術満載の車が続々と生まれています。便利・安全になる一方で、犠牲にされたものもきっとゼロではないはず。行き着くところまで行ってしまった感じはありますが、子供たちが免許を手にする頃の自動車も、わくわくする大人のおもちゃであってほしいと願うのです。それとも、一層クルマ離れが進んでいる?

552 桃と先生(25.1.22)

 読売巨人軍の丸選手が、新年早々に今年の漢字を問われて「挑」という文字を色紙に書いていました。様々なことに挑んでいく充実した一年にしたいのでしょう。ただ、この文字の「てへん」が「きへん」にも見えてしまって、「桃?」なんてボケてみせます。でも、「桃顔(とうがん)」、「桃源郷」、「桜梅桃李(おうばいとうり)」、など、「桃」を含む熟語にはよい意味が多いので、こっちでもよいかもと思ってしまうのです。一方、『男はつらいよ』シリーズから広まった、「驚き、桃の木、山椒の木」の桃には何の意味もなく、『タイムボカン』シリーズでも頻繁に使われたことまで思い出します。

 話は変わりますが、「先生」の定義とは何でしょう。毎日慌ただしい中にあって、じっくり考えたことなどありません。若い世代は日々の授業で精いっぱいですから尚更のこと。広辞苑には、「①先に生まれた人」「②学徳の優れた人。自分が師事する人」とあります。一方、漫画の登場人物が語るには、「良くも悪くも、人の人生に大きな影響を与える人間だけが先生と呼ばれることを許される」「医者に教師に…政治家はもっぱら悪い影響の方だが…」「先生と呼ばれる身になるなら、よき影響を与えてそう呼ばれろ!」と。

 さぁて、教師になった頃の私は…?20年前は…?事の大小は問わず、子供たちにどんな影響を与えたのでしょうか。怖くなります。今はどうでしょう?子供だけでなく教職員や保護者に、何らかの影響を与えているのでしょうか。それがよい影響でありたいと願いますが、自信はありません。また親として、私は子供たちにどんな影響を与えたのかも疑問です。反面教師でないことだけを祈ります。

 ただ、こうして立ち止まって振り返ることは、決して無駄な時間ではないような気がします。あらぬ方向に向かいがちな自分の軌道修正にもなるので、時々立ち止まって振り返る習慣を大事にしようと思います。個々の行動や状況が、集団全体に影響を及ぼすことを警告する「一桃腐りて百桃損ず」という諺もありますから…。

551 聞きやすい、読みやすい(25.1.21)

 体育館の大時計が止まり、もう修理対応できないと言われて半年経つでしょうか。かねてより、平澤同窓会長と相談をして、これまで積み立てられてきた同窓会費を利用して、新しく付け替える計画を進めています。3月の卒業式には、新しい時計に見送られて6年生が巣立てるように準備中です。

 バラエティー番組などを見ていると、会話がウィットに富み、切り返しが上手な人、頭の回転が速いMCやゲストがいることに気づきます。ある意味、尊敬すべき能力です。話をしていても「あ~」とか「え~」をついつい口にしてしまう、自分の話し方を何とか矯正しようとしますが、難しいものです。だから、聞きやすい話し方をする人もすごく羨ましい限り。上手な話し方だと、引き込まれて内容がすんなり頭に入ってくるから不思議です。職員会議の最後に話をする場面があるので、意識してやってみました。でも、数分話すうちに意識が飛んでいくように忘れ去られ、話し終わって失敗に気づいたのです。それでも繰り返しトレーニングは大事だと自分に言い聞かせていますが、いつ身につくことやら…。

 聞く場面だけでなく、読む際にも文章の読みやすさ、読みにくさがあるようです。情景が目に浮かぶような表現、簡潔でテンポよい表現など、作家それぞれにスタイルがあります。当然、感じ方も読み手によって違うでしょう。私は池井戸潤さんの作品を好きでよく読みますが、速読術を会得したのかと思うほど読むのが早い妻は、「読みにくいし感情移入ができない」と言います。ただ、本の場合は話を聞くのとは違って、嫌なら読まなければよいだけなので選択の余地があります。箱根駅伝の放送前に読み終えるはずだった『俺たちの箱根駅伝(上)』も、30ページも読まないうちに本棚に戻されていました。速攻で選外になってしまったようです。

 聞いてもらえる卒業式の祝辞を、そろそろ考え始めているところです。

550 痛いのは嫌いっ!(25.1.20)

 寒さが緩んだ大寒の今日は、「二十日正月」と呼ばれる正月納めであり、昔の仕事始めとされる日。地域によって、骨正月・頭正月・団子正月などとも言われるようです。

 寒い日が続くと、毛のコートよりダウンジャケットを選ぶ日が多くなります。ただ、モコモコのダウンは着ぶくれします。同じようなダウンを着込んだ2人が並べば、約3人分のスペースを専有するのでシートは窮屈な空間になってしまいますし、混雑した電車も同じ。乗客の間を縫って奥へ進もうとしても、触れ合う面積が大きくてなかなか前へ進めません。

 そんな寒さの中、安全指導をしていると、毎朝自転車で走り過ぎる女性は薄手のセーター1枚。首元にはマフラーを巻くでもなく、颯爽としたいでたちで漕ぎ去っていきます。寒さにめっぽう強いのだろうと思うとともに、こういう人は痛みにも強いのかもと、いらぬ想像をしてしまいます。そんな私は、手足が冷えないように足踏みと揉み手を繰り返して見送るのです。

 さて、「80歳までに3人に1人が発症する」といわれる病気はなぁ~んだ?ある研究データがはじき出した、帯状疱疹の発症率です。こうした背景から、厚労省は来年度から65歳になった高齢者などを対象に、ワクチンの定期接種を始める方針を決めたのが昨年12月のこと。これを聞いて、「あと2年がんばろ!あなたはあと1年だけどね」というつぶやきが聞こえます。

 帯状疱疹は、体内に潜伏している水疱瘡と同じウイルスが、加齢や疲労等によって免疫力が低下した体内で活性化して、痛みを伴う小さな水ぶくれが帯状にあらわれる皮膚の病気。私の場合、しばらく発症していない口唇ヘルペスに時々悩まされますが、これと同じ類だとか。痛みは、「ピリピリ」「ジンジン」「ズキズキ」「焼けつくような感じ」と表現され、個人差はあってもすごく痛いというので、公費補助によるワクチンに期待!そんなことを考えるようになってしまうことに…。

549 五色百人一首(25.1.17)

 一昨日の給食で、キャベツスープが出ました。甘味が溶け込む一品でしたが、高いので気軽に使える食材ではなくなっています。でも今月の献立を見ると、スープやサラダにキャベツが頻繁に使われ、登場回数でいえば4割打者です。先日会った人から、給食の焼きそばに入っていたキャベツの芯に近い白い部分が嫌いだったという話を聞きました。長い時間、キャベツとにらめっこだったとか。今は、そんな部分も食べやすく調理されている気がします。一方、家庭で調理したフライに付け合わせる千切りキャベツは、出来合いの袋入りを買ったほうが安上がりかもしれません。

 さて、昨日は1年生のある学級が校長室にみんなでやってきました。学校にある「大きな数を探そう」という算数の学習の一環。ノートにメモする姿もさまになっていました。そして今、1年生から6年生までの全児童が取り組んでいるのが、「五色百人一首」というもの。競技かるたとは少し違って、初心者でもとっつきやすいといわれます。100枚の札を20枚ずつ、青・ピンク・黄色・緑・オレンジの5色のグループに分けられ、取り札の表に上の句、裏面に下の句が書かれています。

 百人一首は、家庭での正月遊びとして親しまれてきたものですが、30分以上かかったり100枚を覚えるのが大変だったりします。また、得意・苦手の差が出やすいことから、学校で取り組むことが難しかったのです。でも、20枚単位であれば低学年でも数分で終わります。さらに、青と黄色の札には、人気のある歌や覚えやすい歌が多く含まれるように構成が工夫されています。

 日本の伝統文化に触れながら、「学級の仲がよくなる」「ルールを守る基礎になる」「負けを認め、受け入れられるようになる」など、学級づくりにも役立つ教材として多くの学校で取り組まれているのです。私も低学年のグループに交じって札を取ろうと目を皿のように文字を追いますが、結局手元には1枚も札がないというのが現実。子供たちのやる気と積み重ねた経験には驚くばかりです。

 明日は平田小学校区の避難所開設訓練です。HPトップに概要を掲載してありますのでぜひ! 

548 車CM(25.1.16)

 孫がトミカタウンのマップシートを部屋に広げて、一緒にミニカーで遊ぼうとせがみます。ランボルギーニもGTRも清掃車も古い車もみんなごっちゃ混ぜ。しかもキープレフトの原則がないまま走るので、あちこちで衝突事故とヒヤリハットの連続です。

 ところで、「旧車」と呼ばれるのはどのくらい古い車を指すのでしょう。いずれにしても、私は大切に乗られている古い車が好きです。頻繁に壊れて修理が必要だそうですので、よほど好きでなければ所有できません。だから眺めるだけで十分。以前、ドラマ『グレースの履歴』(原作 源孝志)で登場した、滝藤賢一さんの乗るホンダS800も魅力的な一台です。

 アメリカでは、保安基準によって右ハンドル車の輸入・販売が認められていません。しかし、登録後25年を経過していればそれが可能となるという「25年ルール」なるものがあります。これにより、日本車の海外での相場が上がり、人気車の価格が高騰しているので、「手放さなければよかった」と悔やんでいる人もいるとか。

 クルマのCMも魅力的でした。“愛のスカイライン”で親しまれた、日産のケンメリCMメロディのサビは今も口ずさめますし、ホンダ「シティ」のCMも印象的でした。それでも、私の推しは、「街の遊撃手」をキャッチコピーにした、いすゞ「ジェミニ」のCM。幾シリーズもあって、ワルツに合わせて踊る運転技術とカラフルなボディーに目を奪われました。CGなんてない時代のインパクトある映像です。今も検索すれば映像が見られますので是非!!

 最近というわけではありませんが、日野トラックの「♪トン・トン・トン・トン・ヒノノニトン」というCMのフレーズも妙に耳に残っています。