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校長室から
どうぞよろしくお願いいたします
本年度より、校長に着任いたしました 中屋 陽一 と申します。どうぞよろしくお願いいたします。
本日の着任式では、子どもたちが校歌を一生懸命に歌い、「おはようございます」「よろしくお願いします」と元気よく挨拶し、大きな拍手で迎え入れてくれました。たくさんの子どもたちに温かく迎え入れてもらえる喜びや感動を味わえるのは、教職員ならではの醍醐味です。とても幸せな気持ちでスタートすることができました。
始業式では、子どもたちに本校の学校教育目標「夢をもち、たくましく生きる子ども」について話しました。
「夢をもつ」では、今夢をもっているかを問いかけたところ、ざっと見て半分くらいの子が手を挙げました。今後、どの子も自分なりの「夢」をふくらませ、「目標」をもって「行動」していくことができる子どもを育てていきたいと思います。
「たくましく生きる」ことについては、「体」だけでなく「心」もたくましくなってほしい、と伝えました。そして、そのために、
①友だちと仲良くすること、悪いことをしたら素直に謝ること
②失敗や間違えをしても大丈夫、次にチャレンジすることが大切なこと
③明るくさわやかな挨拶ができること
が大切だといくことを伝えました。
校長1年目、至らない点も多々あるかと思いますが、保護者、地域の皆様と共にこの学校教育目標を実現し、平田っ子を幸せにできるよう、一生懸命努めてまいります。
どうぞよろしくお願いいたします。
中屋 陽一
596 悩みは尽きず(25.3.28 最終回)
いつだったか、頼まれて百均の毛糸売り場をはしごしたときのこと。お目当ての品がないというより、棚に毛糸玉がほとんどありません。編み物が若者中心に人気らしく、どこも品薄が続いていると知りました。「編み物カフェ」まで登場といいますから、嵌った人には人の目や声に悩まされることなく没頭できて最高かも…。
さて、深刻になりがちな親の悩みの一つが、「宿題をやらない」「家で勉強しない」というもの。やるべきことをやっていない場面に遭遇すると怒りの感情が沸々と…なんてことも?そして、その原因を「やる気ないから」と断じてしまいがちです。ただ、「やる気スイッチ」は、なかなか自分で操作できるものではありませんから、心の持ちようを持ち出されても解決には至りそうもありません。
そんなとき、原因を「置かれている環境」で説明してみるとよいかもしれません。宿題をやらないのは、「難しすぎるから」「やっても誰も見てくれないから」などと言い直すことで、原因特定につながるとともに宿題をやるための手立てが見えてきそうです。この場合、宿題の難易度を下げたり終わった課題を家族に見てもらったりするなど環境を変えればよさそうだと気づけます。理由や原因を特定するのは簡単ではないが故に、「やる気」や「根性」といった精神論で一括りにしてしまわないようにしたいものです。結局、行き着くところは個人攻撃となり、自己肯定感の低下を招いてしまいますから。
会社でも、なかなか業績が上がらない社員に対して、「やる気」「根性」を持ち出して責め立てれば、ハラスメントと言われかねないのと同じです。仕事の中身を見直したり部署を移ったりすることで大きな力を発揮するかもしれないのに、個人の問題にすり替えられていることも…。ただ、言うは易し行うは難し。やっぱり悩みは尽きません。
そうであっても、4月からも一緒に考えて解決に向かって手を携え合える教職員・保護者でありたいと考えています。いつかまたどこかで。
超久しぶりに口唇ヘルペスが出た!疲れ?ストレス?早く治さなきゃ。
595 あんこ(25.3.27)
駅のホームに立って、ビルの屋上の看板に目をやると、「はみ出せ、うみ出せ、旭化成」というキャッチコピーが目に飛び込んできます。韻を踏む感じで好きです。旭化成は別にして、「はみ出せ」や「うみ出せ」は、子供たちに願うところ。人と違うことを嫌ったり出る杭になることを怖れたりして、無難な道を選ぶより、はみ出すことを怖がらず新しいものをうみ出す意気込みと勇気をもった人であってほしいと思います。
さて、春の訪れを感じる一つが和菓子という人がいるかもしれません。彼岸のぼた餅(おはぎ)は、私の記憶に刻まれる和菓子の代表格です。家で母が作っている懐かしい光景が、今でも目に浮かびます。あんこの他にきな粉やゴマもあって、弟と競って食べたりつまみ食いしたり…。妻があんこをおいしいと思えるようになったのも、母のぼた餅を食べてからだと言います。以後、春と秋には必ずぼた餅(おはぎ)が我が家の食卓に乗るようになりました。
桜餅やかしわ餅が好きな人も多いと思います。最近ようやく食べられるようになりましたが、私は桜餅の塩漬けの葉が苦手でしたから、専らかしわ餅派です。でもそれ以上と言えるのが草餅。ヨモギの風味が何とも言えません。田んぼのあぜ道で摘んだヨモギで、子供たちが団子やパンを作ったこともあります。草餅とあんこの組み合わせは最強です。
大福もいい!春はいちご大福が店頭に並びますが、やっぱり豆大福でしょうか。これは大人になってから。豆のかたさや塩辛さが餅やあんこと調和します。たい焼きも捨て難い!餡は様々で、気分で選べますが、やっぱりスタンダードな粒あんが好きかな。尻尾からかぶりつく私ですが、頭と尻尾でアンケートを取りたい気分です。
あぁ食べたい。季節関係なく、甘いものをちょっとだけでも食べたくなる意志の弱さ。いかんいかん!
594 ふりかけ(25.3.26)
ミモザやユーカリを切って、妻がスワッグを作って娘にあげていました。スワッグとは、ドライフラワーなどの花や植物を束ねて作る飾りで、部屋や玄関、リビングに飾るとナチュラルな雰囲気が出ます。ただ、この聞き慣れないスワッグとウィッグとが混同してしまって…。
熱々のご飯に卵の白身だけをかけて混ぜた後、残った黄身をのせて醤油麹で味を調えると、最高の卵かけご飯の出来上がり!同じようにパラパラとふりかけるだけで、ご飯をペロッと食べられてしまうふりかけもまた優れものです。今、家ではパリパリした食感の「花がつお」というふりかけを時々食べています。
焼肉味やポテチ風味のものなど、進化のスピードは凄まじいものがありますが、やっぱりふりかけと言ったら「のりたま」が原点のような気がします。これまでの胡麻塩というモノクロームの世界から、袋から広がる小さな花を散らしたような黄色の粒と黒や緑のアクセントが加わったカラフルな世界の幕開けでした。のりたまに限らず、かけすぎて怒られるのは今も昔も変わりません。丸美屋の「のりたま」は1960年発売といいますから65歳になるわけです。永谷園の「お茶づけ海苔」もお世話になりました。鮭や梅、わさびに加え、「おとなのふりかけ」が登場して優に30年は過ぎています。
ただ、ご飯にふりかけという組み合わせは、「出された料理では満足できない」という気持ちの裏返しにも思われ、決してよいイメージではなかったことは確かです。そうであっても、不足する栄養を補う食べ物として現在まで確実に地位を築いてきたのは誰もが認めるところだと思います。
給食の手作りふりかけも好きなので、異動先での給食が今から楽しみなどと思いながら、今日も書いている私。
593 感謝(25.3.25)
先日のW杯アジア最終予選のバーレーン戦を観ながら、ふと体が右や左に傾いていることに気づきます。パスを展開している場面やシュートが決まりそうな場面に限られます。どうも力が入ると体がボールと一緒に動いているようです。
自宅周辺の公園や駅に、シェアサイクルのステーションがあります。「いつでもどこでも気軽に、自由に」を合言葉に利用促進を図っているようです。市川市にも現在76の拠点があるようです。シェアサイクルの導入により、近隣への買い物や通勤・通学といった利便性のほか、来訪者の観光やレジャーといった回遊性の向上をねらっているわけです。
登録しておけば安価で利用でき、スマホ上で支払い完了できるシステムで便利そう。でも雨ざらし、夏場は直射日光を浴び、シートもハンドルも劣化します。電動アシスト付き自転車なので充電はどうしているのか不思議でなりません。実際、私が使う場面を考えてみますが全然思い描けませんので、台数を増やすことが本当に必要なのかどうか…。
さて、平田小で勤務した3年間も終わりに近づき、修了式を迎えます。勝手気ままに綴った「校長の部屋」も通算600に近づきました。「こんな考えもあるんだぁ」とか「へぇ~」程度に流していただけたことに感謝します。1年間ありがとうございました。
ところで今日の修了式や離任式で話すことをまだ考えていないことに気づきました。朝の見守りもせず、短い時間で仕上げます!
592 愚痴です(25.3.24)
彼岸の墓参りで拝もうとしていると、見知った姿に目が留まりました。小中学校の同級生。こんな偶然にびっくり!
令和8年度以降の宿泊学習に係る業者選定の大詰めです。子供たちの生活経験を増やし、学びが生まれ、友達や学級・学年の団結力が育まれる活動や場所、時期を大切にした計画・実施でありたいと考えます。同時に保護者の経済的負担もできるだけ抑えたい思いは言うまでもありません。
さて、以前こんな話を耳にしたことがあります。普段から親が働いているある子は、家の鍵を持って登下校しています。昔は「かぎっ子」と言われたものですが、最近は当たり前すぎて耳にすることもありません。宿泊学習の日、保護者は紛失が心配で子供に鍵を持たせなかったといいます。学校にバスが戻ってくるタイミングで、学校にその保護者から電話がありました。「仕事を終わらせて17時半に迎えに行くので、それまで学校に置いておいてほしい」と言うのです。少し身勝手ではないでしょうか。
宿泊学習は、担任にとってはその期間中、ずっと緊張を強いられます。安全で何事もなく帰るのが当たり前。ですから、夜もわずかな睡眠で朝を迎えます。泊数が増えればさらに大変ですから、学校に帰着して子供を帰した時には、肩の荷が下りてどっと疲れが出ます。にもかかわらず、退勤時刻を大幅に過ぎてなお、保護者の都合で勤務を強いる形になります。ただ、私が思うほど、その保護者に感じる部分はないのかもしれません。「頼めばやってくれる。やってくれて当然。だって私は働いているのだから」と言うかもしれません。
教職員にも自身の生活があり、そして働いているのです。たとえ子供たちのためという強い想いや使命感はあっても、決してボランティアではありません。ですから、双方が気持ちよく互いを思いやれる学校だったら、「ありがとう」「どういたしまして」が自然に飛び交うのではないかと思います。
この事例の場合の解決の一案。見送りのタイミングで学校職員に鍵を預けるというのはいかが?
591 君に届け!(25.3.21)
小さなことや当たり前の景色にも気づける人であってほしくて、卒業生に贈ったメッセージの一つを記します。
例えば、急に雨が降ってきた時、鞄の中にある折り畳み傘を思い出して、「あ~、持ってきてよかった」と安心します。でも、その雨の中を家に帰って湯舟に浸っている時に、「あ~、家に屋根があってよかった」と思う人はまずいません。普段から雨風をしのいでくれる屋根はすごい。にもかかわらず、ありがたいと思うことはないのです。また、災害等で停電になった時、闇を照らす懐中電灯やスマホの灯りをありがたいと思っても、普段私たちを照らしてくれる太陽や月の光をありがたいと感じることもないのではないでしょうか。つまり、大きいが故に気づきにくいのです。
今回、卒業を迎えることができたのは、どんな大きな存在があったからなのでしょう。それは、親以外の何物でもありません。家の屋根であり太陽の光となって、ずっと守り照らしてきたのです。それに気づけない子は、辛いときに雨宿りできる心の居場所を見失うことになりかねないと心配します。
だから小学校卒業に際して、「親への恩返しをしてください」とお願いしました。決してプレゼントしたり肩揉みしたりするということではなく、今すぐでも、十年後であってもできること…。それは「今、私幸せだよ」と言える心や体でいることではないでしょうか。心から「幸せ」って言えることだと思うのです。だって私も含めて、子どもの幸せが親の幸せでもあるからです。子供が嬉しそうに笑顔でいる姿を見て、親は幸せを感じます。生まれたばかりの時も、今も、二十歳になった時やその先もずっと変わりはしません。
もう一つ、自分の人生で一番尊い存在である自分自身を見失わないように伝えました。仮に、磯野カツオという人の人生では、カツオ君が主人公であって、浪平さんやフネさん、ましてやサザエさんではないことは明らかです。どんなにあこがれの有名人がいたとしても、自分の人生においては、脇役かそれ以下でしかないわけです。「自分という存在も実は大きくて、とても尊い」ということさえ忘れなければ、知れずと勇気が湧いてくると考えます。そして、親から受け継いだその命も、一つの恩だと考えて大切にすることだって立派な恩返しであり、恩送りになると思うのです。
ちょっとばかり長かったので、どの程度子供たちに届いたかは定かではありませんが…。
590 春眠不覚暁(25.3.19)
朝起きて、洗面台で髭剃りと洗顔が最初の日課。眼鏡をはずそうと両手をこめかみ辺りに持っていくと、なぜか空振り!あれっ、眼鏡をかけていなかった。寝ぼけているわけではないのに、あるあるの行動です。
卒業式当日の昨日の朝は、髭を普段よりきれいに剃るために、電動ではなくカミソリでやってみました。いつもは入浴時に髪と一緒に剃るので、朝の乾いた肌と髭にはカミソリ刃が痛い!剃り終わって薬用ローションを塗ると、一層ヒリヒリして目が覚めます。思わず、「う~ん、マンダム!!」(昔のCM)と言ってしまいそうに…。
漢詩『春暁』にある「春眠暁を覚えず」は、教科書にも載る有名な文句。「春の眠り心地がよいので、朝になったことに気づかず、つい寝込んでしまって目が覚めない」といった意味です。確かにこれからの時期、一度目が覚めた後、自分を甘やかすようにとろとろとまどろむ時間は何とも言えません。仕事のある日も、まずスマホのアラームがけたたましい音楽を奏でます。オフにして、またウトウト。すると、10分後に腕からブルブルと振動が…。さっきスマホを止めて、ものの1分しか経っていないような感覚で仕方なく起きだすわけです。だから、土日の幸せな気持ちに特別感があるのかもしれません。
先の詩は、「春眠不覚暁/処々聞啼鳥/夜来風雨声/花落知多少」と続きますが、「国破れて山河在り」(『春望』)とともによく知られる五言律詩。きっと中学校で勉強したのでしょう。春の日差しで暖かさの満ちた教室には、眠気という魔物と戦いを繰り広げる子供たちが増えてくるかもしれません。
589 あなたに出逢えてよかった(25.3.18)
田村正和さんと小泉今日子さんが30年以上前に父子として共演したドラマ『パパとなっちゃん』。この主題歌『あなたに会えてよかった』が好きでした。キョンキョンの作詞ですが、今日卒業する6年生に、「あなたたちに出逢えてよかった」と伝えたいです。ただ、式辞の内容とはちょっと違うので…。
ここに、『準備』(高階杞一)という詩があります。これは、ここまで出会った卒業生や全校児童への私からのメッセージであり、プレゼントとします。
「準 備」
待っているのではない
準備をしているのだ
飛び立っていくための
見ているのではない
測ろうとしているのだ
風の向きや速さを
初めての位置
初めての高さを
こどもたちよ
おそれてはいけない
この世のどんなものもみな
「初めて」から出発するのだから
落ちることにより
初めてほんとうの高さがわかる
うかぶことにより
初めて
雲の悲しみがわかる
四連にあるように、一歩踏み出すことにより見える景色があり、やってみて初めてわかる深層あるいは真実があるのかもしれません。そうだとしても、高所恐怖症の私にバンジージャンプはご勘弁願いたい!
588 花粉とミモザ(25.3.17)
「爽やかさのある優しい香り」がするらしいミモザの花。「らしい」と書いたのは、それを感じないからです。スギ花粉飛散の季節と重なるため、思い切り吸い込むことが憚られるからかも…。ミモザの日(3/8)頃からどんどん開花範囲が広がり、今が盛りと道行く人の目を楽しませている庭のミモザ。
この「ミモザの香り」を売りにしていたのが、花王のフェザークリームシャンプー。黄色のボトルから卵色の液体が出てくるCMが流れたのは、半世紀前の髪ふさふさだった中学生頃でしょうか。エメロンとかバスボン、シャワラン、恋コロンシャンプーなど、響きを懐かしく思う昭和世代。
花粉症を発症して、何年のおつきあいでしょうか。若い頃はティッシュボックスを手放せないほどひどかったのですが、最近は比較的軽く済むようになっています。ひどい時は、思考能力ゼロ・根気ゼロ・意欲ゼロに陥りますから最悪です。シーズンに入ると飲み薬は欠かせませんが、コロナ前後のマスクが生活以降、くしゃみ・鼻水より目のかゆみの方が悩みの種。
天気予報の中で、花粉の飛散予報も報じられます。「少ない」という文字に安心し、「非常に多い」を見た日はきちんと対策をとらなければなりません。洗濯物を屋外に干さない家庭もあるはずです。妻と出がけに口喧嘩でもしようものなら、枕干しをして仕返しをされそうで怖い!毎日確認する花粉情報に最近、「極めて多い」という表示が登場しました。「非常に多い」より上位にランクされています。1㎠あたりの花粉数が百個以上といいますから、爪全面が花粉で黄色く染まるイメージです。
車のボディも花粉で黄色くなる季節、雨で濡れようものならこびりついてなかなか落とせません。そんな嫌われ者は、この先4月下旬まではいなくなってくれそうもありませんが、明日の卒業式は花粉症ではなく、感激の涙を浮かべることになりそうな予感が…。
587 ホワイト&ブラック(25.3.14)
規模の違いこそあれ、ロサンゼルスや岩手で発生した山林火災では、その怖さをまざまざと見せつけられた気がします。空気が乾燥する中、なかなか延焼を防げない大船渡市周辺では、祈る気持ちで雨を待ったことが想像できます。先週その待望の雨が降って、鎮圧に向かったことに安心して頬を濡らしたのは、雨だったのかうれし涙だったのか。震災といい山林火災といい、被災者の無念は想像できるものではありません。
不思議なことに、今回の災害で思い出すのが子鹿のバンビ。山火事によって、バンビをはじめ多くの動物たちが逃げ惑うシーンだけが記録の奥底に残っています。ただ、どんなストーリーだったかは忘れてしまいました。こうした恐ろしい「山林火災」という四文字をニュース画面に見て、「風林火山」に読めてしまう不届き者は…。
さて、今日は円周率の日でもありホワイトデーでもあります。バレンタインデーに女性からもらった贈り物にお返しする日とされているのは誰もが知るところです。バレンタインセールが終わったと思ったら、すぐに百貨店などの菓子売り場はホワイトデーに切り替わりました。ただこのホワイトデーは、純粋な日本発のイベントといわれます。そういえば、マシュマロを贈るなんてことを小学生の頃は聞いた記憶が…。どうも「もらったチョコレートを、男性のふわっとした優しさ(マシュマロ)で包み込んでお返しする」というコンセプトらしく、百貨店が暇なこの日にホワイトデーが決まっておよそ50年が過ぎます。
ちなみに、韓国でもホワイトデーが定着していて、こちらはキャンディーなどが中心だとか。さらに、バレンタインチョコやホワイトデープレゼントを貰えなかった人たちのための「ブラックデー」まであるそうで、暗い色の服をまとって黒いジャージャー麺を食べるのだとか。それが来月14日。
586 かつお節(25.3.13)
体育館の大時計が、先週付け替えられました。平田小同窓会からの寄贈です。以前、平澤同窓会長に相談したところ快く応じてくださり、本校卒業生でもある平田電機社長に先週末作業をしてもらいました。これから何十年もの間、子供たちや開放団体の活動、地域の人たちを見守ってくれますが、その最初の大仕事が来週18日に控える卒業式。ある意味、お披露目式ともいえます。これまでの時計より一回り大きい感じです。止まっていると分かっているのに、習慣で見上げてしまっていました。その位置に正確な時刻(とき)を確認できる時計があるのは、やっぱりよいものです。(写真は、HPの3/7Diaryをご覧ください)
さて、年度末も押し迫り、給食は残すところあと3回となりました。献立表をよく見ると、かつお節の使用頻度はほぼ5割。洋風あるいは中華・韓国メニュー以外、つまり和食メニューには必ず使われるほど大事な食材です。ですから、乾物専門店のかつお節をお土産に持って帰ると、妻は満面の笑顔で迎えてくれるのです。
そんなかつお節を、昔は削り器でその都度準備したものです。大工道具の鉋(かんな)を逆さまに置いた台の上を、雌節あるいは雄節と言われるかつお節を前後させて掻きます。おひたしや冷奴をテーブルに配膳する前に削ってのせるのが私たち兄弟の仕事でした。刃の出具合によってうまく削れたりそうでなかったり…。今も家に削り器はありますが、袋やパック詰めの手軽さに負けて陽の目を見る機会はなかなかやってきません。極限まで小さくなったかつお節本体をしゃぶったなぁ。
いずれにしても、動脈硬化や血栓を防いだり血圧を下げたりする働きもあるとされますから、大事にしたいお友達。今日の給食のけんちんうどんにも昆布や鶏肉とともに、出汁用削り節が4kgも使われているのだそうです。
585 鏡の法則(25.3.12)
日曜劇場『御上先生』を観ながら、今日はどんな展開になるのだろうとワクワクします。ある日、生徒が問いかけます。「なぜ教師になったのですか?」と。さて、同じ質問を子供からされたとき、あるいは若い先生から尋ねられたとしたら、私は何と答えるだろうと考えてしまったのです。決して「でもしか教師」(教師にでもなるか・教師にしかなれない)ではありませんが、自分を突き動かしたものを忘れて、体裁を繕った答えを口にしてしまう自分に気づきます。ドラマの中で、問われた人物はこんな風に答えます。「誰かが変わる瞬間を見続けていられるから」と。とてもでないけど、こんなことは言えそうもありません。この仕事を終えたときに振り返って、答えられるように宿題にしておきます。
心理学に「鏡の法則」というのがあるそうです。自分の周囲の人たちの振る舞いや出来事は、自己の投影であるという考え。つまり、自分の態度や感情は、周りの人々に反映されてその結果として自分に返ってくるというもので、「ミラー効果」とも呼ばれます。
仏教用語の「因果応報」という言葉も、「自分の行いや態度はいずれ自分に返ってくる」といった現象を言います。普段から親切にしてくれる人には、「親切にしよう」「優しく接しよう」と思うのが自然な心の動き。つまり、鏡の中の自分の置かれた状況を変えたいと思ったとき、どんなに鏡にアプローチしても何も変わりません。自分自身が変わってこそ、初めて鏡の中の世界、あるいは相手の姿がこれまでと異なって見えるというわけです。まさに、良好な人間関係の構築につながります。
これって、学校・学級における児童理解や経営にも通じるように思うのです。
584 TKB48(25.3.11)
「TGCに石破総理が登場」というニュースの見出しを見て、「TGCって何?」と問うたのは言うまでもありません。東京ガールズコレクションというファッションイベントだとか。
一方、新聞には災害時の写真に添えられた「TKB48」の文字があります。秋葉原・難波・栄・博多・新潟のほか、バンコクやジャカルタにもあるAKB48グループに関係あるのかと、「T」にあたる地域を考えましたが全くの的外れ。災害後の暮らしを守るために必要なもので、「Toilet」「Kitchen」「Bed」「48hours」を指すそうです。
阪神淡路大震災から30年、東日本大震災から14年、そして昨年の能登半島地震。今後も南海トラフ地震や首都直下型地震が、近い将来起こる確率の高さが指摘されています。また、世界中で豪雨などによる被害も頻発するなど、生活が脅かされる不安を常に抱えています。よって、被災後の暮らしを守るための備えについてもしっかり考える必要があるわけです。
被災地の緊急支援には、TKBが必要とされます。災害対応のノウハウ蓄積があって、避難場所・避難所となる施設の整備が進んでいます。こうしたハード面ととともに、自助・共助など災害があった時にどう動くかといったソフト面も大切にしなければなりません。自治体や地域で行われる防災訓練などは、自分や地域を見つめる機会になるはずです。
東日本大震災に見舞われた今日3月11日は、市川市防災教育の日です。子供たちが今後、家庭や地域の戦力となって活動できるように、まずは自分自身を考えられる機会にしたいと願います。
583 つぶる?つむる?(25.3.10)
2週に一度のペースでカラダのメンテナンスに、自宅にある治療院に通っています。日曜日に施術してもらうので、小さな子がお父さんと遊びたいだろうにと罪悪感が生まれます。家族サービスする時間を奪っているようで申し訳ない気持ちもあると妻に話すと、「家族サービス」という言葉は今の時代にそぐわないと異議を唱えられました。そもそも子供や家族と遊ぶことをサービスと表現することに違和感があるといいます。よく考えると、確かにこの言葉は、会社で働く男性にしか適用されない気がします。だって、共働きする女性が使う場面を想像できませんから。男性が家族に関わることは業務外という私の深層意識が、きっと駄々洩れしてしまっているのでしょう。ジェンダーフリーだなんだと言葉を飾っても、心の奥底では昭和を未だ脱し切れていないようです。
さて、卒業式や入学式ほか、写真を撮られる場面は比較的多いものです。そんなとき、目をつぶらないようにと緊張してしまいます。漢字にすると「目を瞑る」と書きますが、「瞑る」は仏教用語で、“心を落ち着かせて物事に深く思いを馳せる”という意味があるそうです。瞑想がソレに当たります。しかし、「目をつむる」という言い方をする場合もあります。「つぶる」も「つむる」も漢字にすれば同じですし、基本的な意味も同じ。敢えて違いを挙げるなら、「目をつむる」は目を閉じることの意味でしか使えませんが、「目をつぶる」は目を閉じることの他に、過失などを見て見ぬふりすることの意味でも使うことができるという点でしょうか。
明日11日「市川市防災教育の日」に放送で児童に黙とうを促しますが、どちらを使おうかと迷います。いやいや、「目を閉じてください」って言えば済むことでしょ?!
582 TRUE COLORS(25.3.7)
テレビっ子と名乗るには歳をとりすぎたドラマ爺は、『グレースの履歴』の著者(源孝志)の新作『TRUE COLORS』を観ています。色彩にこだわるトップフォトグラファーが、色覚異常の難病を告知されて引退を余儀なくされ、故郷の天草に戻ります。人との関わりの中で自分らしさを取り戻していくヒューマンドラマ。十人十色とは言いますが、別の意味で人それぞれ見ている色は同じではなく、色覚は人の数だけ存在する個性の一つであることを改めて感じます。
ニュースなどテレビに映る男性を見ながら、不自然に黒い髪に目が行きがち。一方で、白髪をあえて真っ黒に染めずに、清潔感のある自然なグレーヘアにする人もいるようです。この「グレー」は、「灰色」とも「ねずみ色」とも言われます。でも、使われる言葉によってイメージする色調が違います。
小学校入学のときに揃えてもらった色鉛筆。12色だったり24色だったりする一本一本に、ひらがなで名前を刻印してもらいました。色の名前も鉛筆本体や収納缶に書いてありました。そこには「ねずみいろ」とあったように記憶します。「だいだいいろ」「ももいろ」なども懐かしい。「オレンジ色」「ピンク色」とも微妙に違う気がするのは言葉の印象だけではないはずです。
時々日記にイラストを入れます。その方が見返したときに楽しいですし、何があったか一目瞭然だから。そのイラストを色鉛筆でぬりぬり。本体上部がその色に塗られ、英語表記されています。シルバーグレーは「銀鼠(ぎんねず)」、トープは「もぐら色」、インディゴは「濃藍」と言われます。ただ、ネズミやもぐらを見たことのない人には、和名もイメージしづらいかもしれません。慣れ親しんだ「はだ色」も、2000年を境に「うすだいだい」に…。
普段気にすることなく見ている様々な色は、赤・青・緑の3原色を混ぜ合わせて再現できるわけですが、その見え方は皆違っていて、色覚にも多様性が存在することを知ることは大切ではないでしょうか。
今日の「空の色」は何色ですか?
581 キューピッド(25.3.6)
体育館のバスケットボードの下から、6年男児がジャンプしてリングに触れています。3年前から知る子が、こんなに成長したんだぁと感慨に耽りながら、一方で対抗心がむくむくと湧き上がります。満を持して、ジャ~ンプ!!ん?届かない。今のは失敗、ということでもう一度チャレンジ。あれっ?昔は楽に届いたはずなんだけどなぁと、言い訳する自分を情けなく思います。それ以上に衰えを痛感。きっと傍から見ていると、足の裏は床からほとんど浮いていないのかもしれません。
さわりはここまでにしてクイズを一つ。〈かけるだけでなく、混ぜたり焼いたりと色々な調理効果が期待できるもの〉で、〈サラダやお好み焼き、焼きそば、サンドイッチ、ハンバーガーなどに合うもの〉といったら?〈原料の主流は、油と酢と卵の黄身〉とまで言えば…。
そう、答えはマヨネーズ。ごはんかけて食べる人だっているほどです。私のマヨネーズデビューは、57年の歴史を持つ味の素でした。マイルドな味わいから、祖母や母が好んで選んでいたのかもしれません。
一方、キューピーマヨネーズはこの3月で発売から100年を迎えます。約80か国で販売されるキューピーは、日本のマヨネーズの祖と考えられます。海外のマヨネーズとの違いは、全卵ではなく卵黄のみを使うという点で、これによって深いコクとうま味を実現し、今では日本の食卓に欠かせない存在に成長したようです。その歴史は、劣化防止と品質向上の努力の軌跡ともいえます。ブランド名は、日本でも人気のあったキューピー人形のように、だれからも愛される商品になってほしいという願いから名付けられたといいます。『キューピー3分クッキング』のオープニングにあるヤサイとのダンスは、まさに愛されキャラ!!
580 脳震盪(25.3.5)
市内相撲大会が毎年開催されていた頃は、ぶつかり稽古で私の肋骨は骨折やヒビの日々。蒸し暑い中、バストバンドを外せなかったことを思い出します。相撲の対戦で怖いのが、仰向けに倒れて土俵に後頭部を打ち付けることです。それを防ぐために、準備運動で倒れ方や受け身の体勢をしっかり指導したのです。まわしの締め方を知らない先生が増える中、開催されなくなることは必然なのかもしれませんが、一抹の寂しさがあります。
昔から時々耳にする言葉に「脳震盪」があります。「ノーシントー」という響きに、特に危機感を持たず過ごしてきた数十年。「心臓震盪」を知って以降、目に見えない恐ろしさを感じるようになりました。スポーツでは、サッカーのヘディングやぶつかり合いの際の頭部への打撃、転倒により引き起こします。出血などの外傷がほか、自覚がない場合もあるため、見逃されるケースも少なくないようです。アメフトやラグビー、相撲、ホッケー、サッカーと、接触プレーがある競技は特に注意が必要です。女子は2倍発生しやすいという研究結果もありますし、学校生活でも気をつけるに越したことはありません。
公共図書館も書店もない自治体が、全国で256町村(全体の15%)にのぼるそうです。図書館は増加傾向にある一方で、書店の急減が背景のよう。ネットで本を読んだりスマホに読書時間を削られたりすることが要因なのでしょう。
こうした中、平田小では読書活動の充実を目指しています。その一環としての「まるごと図書館」が、一層活用されるように工夫・改善することを避けて通れません。また地域環境としても、中央図書館や平田図書館などが徒歩圏内といった立地を考えると、これらを利用しない手はありません。「未知の文化や情報との出会いを提供してくれる書棚」から本を取り出して手にするために一歩踏み出すかどうか、そこが分かれ道です。本好きな大人を子供は見ています。
ぜひ、マルチルームの大人用図書も借りに来てください。子供も大人も、ガツンと頭や心を揺らすような一冊に出合えますように!
579 スパゲッティ(25.3.4)
今日も夕方以降、雪の予報が出ています。三寒四温の言葉どおり寒さと暖かさを繰り返しながらの春が待ち遠しい!そして、雪解けとともに顔を出し始めるのが、ふきのとう。地域によって収穫時期は違いますが、関東では今頃のようです。以前、早春のキャンプでふきのとう味噌を作って食べたことが思い出されます。野菜売り場に並ぶ、菜の花や新玉ねぎ、芽キャベツ、分葱(わけぎ)、三つ葉などにも春を感じます。買った三つ葉の切り株部分を水栽培すれば、可愛い芽を出して添えものに利用できます。
添えものといえば、弁当や定食の片隅にちょこんと盛られたスパゲッティ。当然、一品料理として提供されるスパゲッティもあり、日本人にとって結構身近な料理といえそうです。スーパーの冷凍食品売り場で安くなっていたりすると、自然と手が伸びてしまいます。でもふと、「ナポリタン」にしようか「ミートソース」にしようかと考えます。学生時代に入った喫茶店や学食でも、どちらを注文したものかと悩んだことを思い出します。
ウインナーやピーマンが入って、ケチャップでべとべとになったナポリタン。タバスコをたっぷり振りかけて、シャツにシミを作らないように気をつけて食べます。一方のミートソースは、細かく刻んだ野菜と挽肉がたっぷり使われて、フォークで麺と絡める僅かな時間に幸せを感じてしまう田舎者。二者択一の場合、自分はどちらを選ぶだろう。まぁ、その時の気分次第でしょうが…。
給食の献立表にナポリタンとかボロネーゼ(昔はミートソースとソフト麺でした)の文字を見つけると、当日は一日出張なんてことがないか、手帳で確かめてしまいます。ちなみに3月はなくて残念。6年生各クラスのNo.1献立でも選外だったようです。ただ、ふと思うのです。「ボロネーゼとミートソースってどこが違うの?」と。
578 雛と瓶(25.3.3)
乾燥する日が続き、土日は4月の陽気。逆に今日は、昨日マイナス15℃と冬に逆戻り。こんな季節は、静電気がバチバチと走ります。パジャマを脱いだ途端、下に着けていたヒートテックが静電気で宙を踊ります。普通だと怒髪天の如く髪も立つのでしょうが、私の場合そんな心配はご無用。
今日はひな祭り!娘が独り立ちしても、雛人形は毎年ちゃんと飾られます。お内裏様とお雛様の2体だけですが、現在売られるものに比べたらかなりスペースをとります。ただ、「人形は顔が命」とCMのキャッチコピーよろしく、穏やかで優しい顔には癒されます。供えられる雛あられには、味や形など地域性があるようです。関東の雛あられは、お馴染みの4色。これは四季を表すといわれますし、生命や自然のエネルギーを意味するともいわれます。
さて、「命の水」「エネルギーの源」とも言ったら夏場のビール。瓶ビールが家庭の主流だった頃は、酒屋に買いに行って重いビールケースを車に乗せて持ち帰ったものです。1本633mlあり、瓶本体の重量を合わせればかなりの重さですから、配達をしてくれる小売店もありました。飲み終わればケースに入れて返却・購入の繰り返し。ケースを置く場所も必要でした。
小さい頃は、父が飲むビール瓶に口に唇をつけて楽器を演奏するかのように息を吹き込み、ホーホーと音を鳴らして楽しんでいました。まだビールが残っているときと空になった時とで音が違うことに驚きながら、量を変えた瓶を並べればメロディが奏でられるのではないかと思っていたあの頃。調べてみると、ビン笛奏者や合奏団なる人たちがいるようです。『たのしいひなまつり』を瓶笛で演奏したら、油で整えた髪を振り立ててお雛様は喜んでくれるでしょうか。
そういえば、瓶による牛乳等の販売も撤退が相次いでいるようです。