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校長室から
518 その言葉、大丈夫?(24.11.21)
病院に設置された血圧計で計測をすると、日時が記録されてプリントアウトされます。整形外科を受診した際に打ち出された記録用紙を見て、思わずスマホを取り出してしまいました。だって、ポッキーの日(11月11日)の11時11分ではありませんか。勝手に特別感を抱き、きっとよいことがあるはずだという幻想にとらわれてしまうのは悪い癖!
数日後、足を引きずるようにして横断歩道を渡る際、普段なら余裕で渡れるのに、渡り終わらないうちに歩行者用信号が点滅しているではありませんか。歩くのが遅いお年寄りを見かけますが、焦る心境がわかる気がしました。「足を引きずるように」という部分を、「びっこを引きながら」と書こうと思って躊躇いました。差別語かもしれないと思ったからです。調べると、一般的には差別語とされているようです。
日本語は、世界でも豊かで美しい言語であると言われますから、元々の言葉自体に差別語はないと言ってよいのでしょう。要は使うときの問題。相手を疎外する意味で使えば、その言葉が差別語となりますし、相手が嫌な気持ちを抱く場合は、不快語と言えばよいのでしょうか。日常生活で使われるうちに知らず知らずと刷り込まれた用語も多くあります。心身や病気に関する用語に限ってみると、「めくら」「おし」「つんぼ」「かたわ」「気ちがい」「ちんば」など色々。令和の時代には聞かないものばかりでしょうが、私はよく耳にしていました。差別語の中に、「片手落ち」「手短か」等が見られますから注意が必要です。また、性別に関する差別語は、現在のジェンダーに通ずるものが多くみられます。
そういえば昔は、左利き(サウスポー)を「ぎっちょ」と言っていたのを知る世代は少ないでしょうが、これも差別語なのかもしれません。そんなことばかり考えてしまうと、慎重にならざるを得ず、何も言えなくなってしまいそう。でも、無意識ほど怖いものはありませんから…。
517 植物の秋(24.1.20)
近隣の田舎道を走ると、家の周りに色とりどりの小菊が咲いています。キク科の花は、空気をきれいにして悪いエネルギーを浄化したり、その場所のエネルギーを活性化させたりもする縁起のよい花だと考えられています。また、天皇の御紋に使われるほどの品格を備えた高貴な花で、不老長寿の意味をもつ菊は、おめでたい正月にピッタリと言えそうです。菊を飾ると「福が来る」「よい子が育つ」ともいわれるそうですから、小菊を摘んで小さな花瓶に生けるのもよいかも…。
急に気温が下がった昨日、朝の安全指導を兼ねて久しぶりに学校の周りをゴミ拾いして回りました。体育館奥の外環側の歩道は、2年前ほどではないものの弁当などのゴミがあちこちに散らばっています。背丈の伸びた草の中に足を踏み入れて、プラ容器やペットボトル、吸い殻などを袋の中へ。
ひと通り拾い上げて、戦利品ともいえるいっぱいに膨らんだゴミ袋に満足しながらズボンの裾に目をやると、1cmほどのシャーペンの芯状の種がびっしりとくっついています。草むらを見ればと、コセンダングサが生えています。「やっちまったぁ」と心の中で呟きます。ヘッツキ虫と呼ぶものの一種で、花が終わったばかりの時に摘んで、友達の服を的に見立てて投げて遊ぶ植物です。昨日に限って、スボンもジャケットも毛を多く含む暖かい素材だったのに不注意以外の何ものでもありません。手で払っただけでは落ちないので、部屋に戻ってゴミ箱を脇に侍らせ、一つ一つ摘まんではポイ!それにしても植物の仕組みって凄いと、感心しながら手を洗ったのです。
いま平田小では、風に飛ばされるプラタナスの枯れ葉に頭を悩ませます。きれいに色づかないまま茶色く枯れて、なかよし広場一面に広がるわ、歩道で吹き溜まりを作るわ。大きなままでかさばるし、掃いても掃いてもキリがありません。はて、どうしたものか。
516 合唱大好き(24.11.19)
先週行われた市川市児童生徒音楽会を見に行きました。2日間の午前・午後で、4部制による開催でした。文化会館のステージで歌う姿と聞こえてくる声は、学校の体育館に響いた歌声を遥かに超える、自信が感じられるものでした。透き通った声と人に伝えたいという想いをひしひしと感じたのです。他校が2曲発表する中、『HEIWAの鐘』というパワフルな1曲に絞った潔さもよかったのかもしれません。卒業式でまた子供たちの歌声を聴けると思うと期待感がムクムク。同時に、涙がこぼれてしまいそうな予感が…。そんなことを思いながら、音楽的センスに欠ける私が、14校の合唱を聴いた感想を偉そうに書きたいと思います。
まず、どの学校もピアノの伴奏が児童・生徒です。家で相当練習したのでしょう。歌う側は「伴奏は途切れない」ことが前提で、その信頼の上で成り立っていると思います。ですから、伴奏者のプレッシャーたるや半端ではないと勝手に想像し、尊敬の念を抱きます。伴奏者もさることながら、指揮者も全体のコーディネーターであり、エンターテイナーともいえそうです。ある中学校の指揮をした女子生徒は、クラスに一体感を生み出しているように見えましたし、とても楽しそうでした。
また、合唱ではスーパースターはいらないことを感じます。男声と女声の調和、声の厚みと深みなど、ハーモニーが聴く者にどのように届くかが大事。そういう意味で、今回6年生が何を感じたかを知りたいと思います。同じ小学生に、あるいは中学生の歌う姿に3年後に自分を重ねて、刺激を受けた子供たちがたくさんいたらうれしいです。
合唱大好き!歌う子供たちの表情を見ているのが大好き!というわけで、あっという間の2時間でした。
515 雪見だいふく(24.11.18)
林の中のナナカマドがきれいに色づいています。庭の万両や千両も赤みや黄色みが強くなってきて、深まる秋を感じながらの昨日の20℃超えにギャップを感じます。
朝食後に歯磨きをするために洗面所に行くと、少し間をおいて妻が「何?」と尋ねます。「いやいや、一言も発していないよ」「空耳じゃん?」と返してからふと気づきました。「ごちそうさま」を言い忘れていたことを。催促の「ん?」は、日常茶飯事。いばれることではありません。「阿吽の呼吸」とか「以心伝心」、「言わなくたって伝わっているはず」ではなく、きちんと声にすることを大事にしないと、家族という近しい関係だからこそ、崩れてしまって取り返しがつかなくなることだってあるかもしれません。ただ、言うは易し行うは難しデス。
さて最近、ロッテ『雪見だいふく』のテレビCMをよく見ます。この商品は、冬のイメージが強いせいでしょうか。1981年誕生といいますから、40年以上のロングセラーです。初代CM出演者は、伊藤つかささん(知らないだろうなぁ)。その後、中山美穂さんや榮倉奈々さん、土屋太鳳さんなども登場して、現在の森七菜さんに至ります。味も、最初の10年間はバニラだけでしたが、イチゴやチョコ、さらにマスカットやミルクティー、パンケーキ味まで出されているようです。子供のおやつとしての需要が減っていくにしたがって、ターゲット層を広げているようです。
そんな今日は、「雪見だいふくの日」です。11月は「いい」の語呂合わせで、18日である理由は、パッケージを開けた時のスティックと2つの大福で「18」に見えることからといいます。食べた人の心を包み、ほっこり真ん丸になりそうな雪見だいふくを今晩の食卓に乗せたら、一粒万倍日でもあるので、大きな「福」がやってくるかなぁ。
514 からだ元気かな?(24.11.15)
今月初めに休んだ後、6年生が廊下ですれ違いざまに、「体、大丈夫ですか?」と声をかけてくれました。気遣いができる人であることがうれしく思います。また、担任からも何らかの情報が伝わっていたのでしょうが、声にしてくれたことに感激です。こうした子供たちに囲まれているからこそ元気でいられるのかもしれません。
さて、足繁く通う図書館に行くと、カウンターのそばに「今年の漢字」一文字を募集する用紙が置かれています。来月9日までの公募で、12日に発表されるようです。AIによる概要欄には、不安定な世界情勢から平和を願う人が多いことから、「和」という文字を挙げています。
能登地震に始まった2024年。子供たち自身が、「自分の一年」を漢字で表すとしたら…。4年生以上の児童に理由も添えてアンケートをとってみたいと考えています。どれだけの回答があるかはわかりませんが、個々を振り返るよい機会になるかもしれませんし、大人側の発見や驚きなどを見つけられるかもしれません。
ちなみに私の場合、〈体〉という字が思い浮かびます。昨年末以降、ケガを含めて病院に何度行っただろうと指を折って数えます。健康であることの大切さや自分の体の管理の重要性を痛感する一年でした。毎朝飲む薬の数は、増えることはあっても減りそうもありませんし、来年になったら劇的に改善するというものでもありません。日々の努力あるいは不摂生は、確実に蓄積されて体にあらわれるのです。悲観的になりがちですが、ワクワクする毎日を希求する私の耳には、幼い娘が踊りながらよく歌ってくれた、ポンキッキで流れていたメロディーが聞こえてくるようです。
“♪からだ元気かな?みんな元気かな?…(略)…頭、おでこ、眉毛、目・目・目…、鼻、口、耳、頬、顎、顔、首、肩、オーライ!…♬”と。「大丈夫!」と胸を張って言えるように、今年の残った日々を頑張ります。