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校長室から

109 版画(11/15)

 4年生の教室で木版画に取り組んでいたのは先週のこと。緑色の板、青い板、黒い板と色とりどり。担任に尋ねると、青いものは彫刻刀を使う練習用で、黒いものは一度試し刷りした子。緑色は今まさに彫り進めている子のようです。

 現在の版画板は、とにかく彫りやすく彫刻刀がきれいに進みます。同時に色板なので紙に印刷した時の色の出方をイメージしやすくなっています。昔は合板でしたが、木の芯があったり彫りにくい方向があったりして、彫った線がガサガサになったものです。そういえば、現在の彫刻刀にはケガから守る工夫もされています。

 彫ることに慣れると、切出しを使った浮彫りも上達しました。中学生のころに作った、父のフルネームの表札はそれから40年間、実家の玄関の軒下に掲げられていたのです。うれしいことです。

 版画とは違いますが、身の回りに木材がいろいろあって自由に使える環境だったようにも思います。家を建てる現場では、その場で木を切ったり鉋(かんな)で削ったりするのが当たり前でした。今のように工場で出来上がったものを現場で組み立てるという作業ではありません。当然、端切れや板材がたくさん出ます。これは絶好の制作材料、宝の山です。のこぎりで切ったり釘を打ったりして船やロボットなどを作ります。自然とのこぎりや金づちの使い方なども習得します。

 また、私は笹薮が好きです。今でも見つけると入り込みたくなります。それは、小学生時代に笹薮の中に秘密基地を作った思い出があるからです。ボンナイフなどを使って笹を切り、奥へ奥へと進みます。そして、人ひとりが入れる空間を作るのです。そこに大事なものを空き缶に入れて持ち込んで…。こうした様々な楽しみ方ができたのが私たちの時代です。遊びながら生活に必要な技術を身につけたのです。

 4年生の教室廊下に、刷り終わった版画の作品が続々と掲示されています。じっくり見て回ります。

108 初めて(11/14)

 職員玄関を入って正面に季節の植物が展示されます。ザクロや柿などありましたが、最近真っ赤なカラスウリがたくさん置かれています。職員に紹介したら、翌日には『カラスウリ』という本が添えられていました。こうしたちょっとした心遣いがうれしいのです。私はといえば、もうしばらくしたら種を採って財布に入れておこうかと狙っているところです。

 さて、先週は半日かけて校長室と会議室の掃除をしました。今日、県教委と市教委の学校訪問があるからです。担任は、3校時または4校時の授業を見てもらい、午後から指導をいただきます。当然、校長も学校経営について説明したり指導・助言をもらったり…。家庭でも同じですが、人を気持ちよく迎い入れるために準備を怠ることはできません。日本人特有のお・も・て・な・し!

 というわけで、校長室と会議室を仕切るパーテーションを初めて開けました。明るいし広い!執務用の椅子から見える景色も違います。廊下を通りかかった6年生が驚いていましたし、職員も「初めて見ました」というくらい。長机の配置も変えて中央にゼラニウムの切り花と綿の枝を飾ってみました。

 人それぞれに「初めて」が繰り返されます。何でもないことが急に思い出されることもあります。例えば、初めてカップヌードルを食べた日。中学生になって友達と遊んでいた途中、自販機で買ってお湯を注いでその場でチュルチュル…。初めて映画館で映画を観たのは高校生。『風と共に去りぬ』を立ち見で。彼女と一緒で緊張する中、長いし疲れるし、内容なんて全然入ってこなかったことだけ覚えています。そして、初めて行ったコンサートは、中学校の友達に誘われて…。ユーミンだったこと以外よく覚えていません。そのあと2度目は、なんと4年前のスキマスイッチ。それも娘が急遽行けなくなったため回ってきたチケットでした。

 人との出会いも「初めて」の連続。いくつになっても、よいめぐり逢いに期待します。さぁ、今日はどんな初めてがあるでしょうか?でも、忙しい!忙しい!

107 修学旅行を終えて(11/11)

 シャポーの装飾が、いつの間にかクリスマスに切り替わっています。

 10月が終わろうとするころ、韓国ソウルの繁華街・梨泰院の路上ではハロウィーンを前に集まった若者が狭い坂道で折り重なるように倒れた雑踏事故が発生。150人以上の死者を出しました。一方インドでは、百年以上の歴史があって人気観光地としても有名なつり橋が崩落して130人を超える死者が報告されていました。

 宿泊学習で100人もの子供たちを引率する際、担任を含め全員がその職責を重く感じながら行動します。元気に帰ってくるのが当たり前。そして、「楽しかったぁ」と思い出を語る子供たちを親は待っているからです。誰一人けがすることもなく無事学校に到着すると肩の荷が下りてどっと疲れが出るのですが、それも心地よいものです。ただ、翌日が休みだったら…という思いはあります。

 今回、私自身3年ぶりの修学旅行に引率して、以前と随分変わったことを感じました。その一つが子供たちの荷物。宿までバスのトランクに入れられている大きなリュックに替わって「ガラガラ」が目立ちます。その割合は4分の1程度でしょうか。2つ目が職員同士で連絡を取り合う手段。それこそ何十年も前はトランシーバー持参でしたが、携帯電話で必要事項を伝える方法になりました。でも、今回も含め校外学習では、ライングループを使って情報共有しています。現状が手に取るようにわかって便利であることを実感。

 また、シートベルト着用も当たり前となりましたから、席を立って歩く子は皆無です。バスレク係がなくなってDVD鑑賞時間が長いわけですが、今回も3本観ました。ただ私にとっては無声映画なのです。画面を見ながらストーリーを自分なりに作り上げています。健聴者は、あの音で聞こえるのだと改めて驚きです。いずれにせよ、晴天かつ心配な事案もなく幸せな2日間でした。

 さて、今日は1のゾロ目であることもあって、「ポッキーの日」「下駄の日」「鮭の日」「西陣の日」「鏡の日」「折り紙の日」「麺の日」「乾電池の日」「靴下の日」「サッカーの日」「チーズの日」「ピーナッツの日」「もやしの日」ほか記念日のオンパレード!

106 違和感の正体は?(11/10)

 11月4日夕方時点では、HPアクセス数90万本のわずか手前でしたが、修学旅行を明けて見てみると90万を5千も超えているではありませんか。80万達成をここに記したのは7月5日でしたから、4か月で10万件といった計算になります。多くの方に見ていただけていることを嬉しく思います。このままいくと、単純計算で3月初旬に100万件を突破します。

 一昨晩は、歴史的な天体ショーでした。その一つである「皆既月食」はとてもきれいでした。欠けていく姿、逆に元に戻っていく様子は神秘的。同時に、月が天王星を隠す「天王星食」も起こっていたようですが肉眼ではよくわかりません。日本では442年ぶり(1580年7月の土星食以来)で、同時観測される次の機会は322年後(2344年7月の土星食)だそうです。まぁ、誰も見ることは叶いませんが…。

 さて、そんな欠けていく月を眺めながら電車を待ち、修学旅行帰りの重い荷物を持って乗った電車の中でのこと。西船橋駅から乗ってくる客が多くて車内が混みあいます。最後に乗ってきた人を見たときに、何かしら違和感を覚えたのです。それが何なのかよくわかりません。しばらく経って、その正体が判明。マスクをせずにいるため顔全体が見えていることです。マスク生活が当たり前になると、マスクを着用していないことが違和感の原因になるなんて…。今年の新語・流行語大賞にノミネートされている言葉の中に「顔パンツ」がありますが、電車の中での出来事はまさにそれ!何か事情があったのでしょうが、全国の感染者数がまた増えている中にあって顔パンツは、まだまだ手放せません。

 これからの季節には寒さ除けにもなりますが、目深にニットハットを被りマスクする私の姿は、それはそれで違和感の対象なのかもしれません。

105 “ゆかり”と“ひろし”(11/9)

 昨日、修学旅行から帰りました。秋晴れの清々しい天気で、東照宮周辺の燃えるような紅葉は見事でした。一方、奥日光は裸になった木々。家康ゆかりの東照宮には、時期的なこともあって学校数は少なめで、集合し写真を余裕で撮れました。また、日本広しといえども、華厳の滝・龍頭の滝・湯滝という三名瀑を一気に見られるのは日光だけかもしれません。子供たちは、家で何を話したのか気になります。

 さて、先日、広島菜を使ったふりかけがキッチンに置いてあるのを見かけました。黄緑色のパッケージに「青菜ごはん用」と書かれ、「ひろし」という名称です。「広島だから?」と思っていると、もう一つの紫色のパッケージのふりかけが並びます。「しそごはん用」と書かれていますが、ご存じの「ゆかり」です。そうなんです、「ゆかり」と「ひろし」といった男女ペアにしたかったようです。なかなか粋な命名です。

 休日の朝、鏡をじっと見ていると、瞼の周辺にシミを発見!これもむかし日焼けを、頑張った「勲章」だと思っていた「代償」です。だって腕にも背中にもあちこちに…。そして、ひろしは数え唄を口ずさみます。

  ♪一つ 人よりシミがある   二つ ふたつもシミがある  すると、ゆかりも一緒になって歌いだします。

  ♪三つ 三日月シミがある   四つ 横にもシミがある  

  ♪五つ いつでもシミがある  六つ 向こうにシミがある

  ♪七つ 斜めにシミがある   八つ やっぱりシミがある

  ♪九つ ここにもシミがある  十で とうとうしみったれ

 我が家のしみったれ「ひろし」と「ゆかり」は、まるで打ち合わせでもしたかのように寸分違わず歌えるのでした。めでたし、めでたし。

104 新品を身に着けて(11/4)

 明後日6日は「アパート記念日」。1910(明治43)年、上野に初の木造アパートが完成した日といいます。5階建て70室の賃貸で、洗面所と浴槽、電話は共同だったそうです。私が結婚してすぐに暮らし始めたのも菅野周辺の2階建てのアパートでした。

 最近、4年生のグリーンスクールと2年生の千葉市動物公園に引率しました。ありのみコースでは、いつの間にかシーソー型回転遊具担当のおじさんになっていました。でも、「楽しかったぁ」という一言がやけに嬉しくて…。一方、動物公園では何人もの子供たちが動物科学館の中を案内してくれるなどいっぱい話ができました。

 さて、週明けの月曜日から一泊で日光修学旅行に行きます。教員になってから何度目の日光修学旅行でしょう。20回は下らないことは確かなのですが…。東照宮の見学ポイントあるいはいろは坂・中禅寺湖周辺で聞くバスガイドさんの案内、華厳の滝や龍頭の滝の視点など尋ねられれば答えてあげられそうです。奥日光は10月下旬に初雪が降ったと聞きました。きっと宿周辺の朝は氷点下だと思いますが、週間予報を確認すると、去年のような豪雨に見舞われることはなさそうです。

 修学旅行をはじめ、宿泊があるときは下着を新調してくれます。もし風呂に入るときなどに古びた下着を身に着けていると恥ずかしい思いをするだろうからという配慮。脱臼癖のある私は、何年も前のある夏の朝ベッドから起きようとして左肩脱臼!救急車を呼んで病院で治療してもらいましたが、家に帰る段になって首の伸びたヨレヨレのTシャツ姿であることに気づきます。恥ずかしくて電車に乗れる恰好ではないので、義父に車で迎えに来てもらったとことを思い出します。

 宿泊学習につきものなのが忘れ物。名前のないタオルや下着、片方だけの靴下…。名前があっても自分のものだと気づかない子がいるのは今も昔も変わらないような…。 というわけで、来週2日間はブログ休載。その代わり、「学校・児童の様子」には、できるだけリアルタイムで写真を掲載する予定です。そうそう、これまでの校外学習でも、子供たちの様子を写真付きで掲載していましたが、ご覧いただいていますぅ?

103 キャッシュレス(11/2)

 金融教育を推進するある研究会が、中学3年生を対象にした「キャッシュレス決済を利用しているかどうか」を調査した結果が公表されていました。その利用率は約62%に驚かされます。交通系の電子マネー(PASMO・SUICAなど)は5割弱、ペイペイやラインペイなどで20%以上です。スマホ決済が1割弱いますし、クレジットカードを利用する生徒も4.4%と決して少なくありません。

 確かに、「現金を持ち歩かなくてよい」「支払いがすぐ完了する」「おつりがなくてよい」などメリットはあります。一方で、自分の支払い能力を超える買い物ができてしまう怖さがあります。修学旅行などへ行ってお土産を買う際に、品物の値段をたし算して手持ちの金額を考えながら折り合いをつけるのもよい経験です。ブレーキのないキャッシュレスだったら百害以外の何物でもないようにも思います。

 キャッシュレス全盛になると、PASMOなどを持っていないときに電車に乗るために現金で切符一枚買うのも大変になってしまいますし、買い物の支払いでお札ばかり出して、財布が小銭だらけになるなんてことも考えられそうです。ただ、ペイペイの支払い方法だって様々なため、躊躇してしまう人は少なくないと思うのです。

 紙幣に目をやると、肖像が時代とともにかわります。千円札の場合、聖徳太子や伊藤博文が今は使われていないのはわかりますが、現在出回っているのは野口英世?夏目漱石?色合いが似ているので、新旧の見分けがすぐにつきません。2年後には北里柴三郎になりますから、ますますわからなくなりそうです。

 そういえば、私は中学生の頃から数年間、古銭集めに熱中しました。今も大事にとってありますが、「昭和○年の○円玉は製造枚数が少ないので貴重だ」と知ると、財布の中の硬貨を広げました。十円玉も「縁にギザギザがあるものは玉数が少ない」と言われ、「ギザ十」集めをしました。穴がない五円玉、逆に穴のある五十円玉なども含め、ストックブックに保管したのです。これからを買い取ってくれる店もありますが、二束三文というか百円はやはり百円程度なのだろうと期待はしていません。

 キャッシュレスではこんな楽しみ方も薄れてしまいます。

102 乱れてる?(11/1)

 ワイシャツの襟元にはネクタイが締められます。今日から11月。気持ちも引き締まります。最近、穏やかな天候が続いていましたが、朝の挨拶&見守りのために通学路に立つことがなかなかできていません。寒くなって横着しているわけではなく、出勤後から何故かせわしないのです。また、校外学習があれば引率したり見送ったり…。今日も2年生の校外学習に同行させてもらいます。

 さて、24日の朝日新聞に、文化庁の21年度国語世論調査に関する記事がありました。「姑息(こそく)」の意味を「卑怯な」と回答した人が約74%、「割愛(かつあい)」を「不必要なものを切り捨てる」と回答した人が65%だったといいます。ともに本来の意味とは違い、前者は「一時しのぎ」で後者は「惜しいと思うものを手放す」という意味が正しいそうです。知らずに使っていました。  20年度は「がぜん」や「破天荒」、「すべからく」が調査問題でした。その前年は「手をこまねく」「敷居が高い」「浮足立つ」が調査対象となっていました。このほかにも、「気になる言葉」なども取り上げられます。 そういえば先日、ドラマである場所の映像を見て、「あっ、タワーレコードだ」と言ったら、「やめてよ。お願いだからタワレコって言って!」と家族に頼まれました。「いやいや、なんでも縮めるのはよそうよ」と思いながらも自分勝手な簡略言葉を発して皆に馬鹿にされそうな気がします。 ところで、タレント&歌手のDAIGOさんがある言葉をアルファベットで表現することがあります。例えば「平田っ子まつり」なら「HTM」のように…。あれを即興でできるならすごい能力だと思っています。

 それでは、ITK! 行ってきま~す!

101 秋の実Part2(10/31)

 今頃の時期になるとオレンジ色から赤色に変化して、熟した果実をつるからぶら下げるカラスウリを山野で見かけます。木の実は有名ですが、日が暮れると開花して朝には閉じてしまうという一夜花が見たくて裏庭で育てましたが、蕾すらできません。当然実をつけることはなく、毎年肩を落とします。

 そこで、秘密の場所から蔓ごと採ってきて、庭木の枝にぶら下げるとオレンジ色が映えて格好の飾りになるのです。長いこと庭のアクセントになり、薄茶色になった頃には種が採れます。この種がまた特徴的です。その形状が大黒様のお腹のようで縁起がよいとか、打ち出の小槌のようだからという理由で財布に入れておく人がいるそうです。金運アップのアイテムとして…。ちなみに、赤く完熟したカラスウリの実はシロップやハチミツ漬けにして食べられるらしいです。

 また、秋の実で思い出すのがヨウシュヤマゴボウ。きっと一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。ブドウを小さくしたような濃い紫色の実をたくさん房につけます。花瓶に生けるだけでも絵になりますし、熟したこの実を潰して水に溶かせば赤ワイン色になって、色水遊びをしたり絵を描くためのインクにしたり…。低学年の生活科でも活躍する場面が見られます。

 先週、4年生は大町方面へ出かけて自然と触れ合いました。もしかすると、数珠玉やひっつき虫のオナモミ、カラスウリなど、秋の実をあちこちで見ることができました。ありのみコースにはどんぐりがいっぱい落ちていました。普段、「どんぐり」と一括りにしてしまいますが、いろいろな種類があります。一般的に細長いのがマテバシイかコナラ、小さかったらシラカシ、太っちょな奴はクヌギです。マテバシイならどんぐり笛が作れますし、クヌギはどっしりとしたどんぐり独楽に最適です。そういえば先日、1年生は独楽を作っていました。オナモミ・ダーツなんてものも楽しそう。

100 ねんどの神さま(10/28)

 昨日、5年生の「夢の教室」(児童の様子ブログ参照)で来校した元サッカー選手の波戸康広さんは、現役を退いて10年以上が経ちますが相変わらず格好いい!短い時間でしたが、温かで包容力を感じる人柄でした。

 さて、読書週間に向けて「先生方のおすすめの本」の紹介用紙をもらっています。何にしようか考えて、好きな絵本というかお話を紹介しようと思いました。残念ながら図書室には置いていないというので、別の本にかえますが、ちょっとだけ知っておいてほしいと思って、あらすじを記そうと思います。「ずっこけ三人組」シリーズで有名な那須正幹さんが書き、黒を基調とした絵も重々しい雰囲気を醸しています。

 

 “太平洋戦争が終わって、ちょうど一年がすぎた9月のことだった。”という文で始まります。主人公の健一は、戦争を起こす人間をこらしめるねんど細工の神さまを学校で作ります。健一の親はみんな戦争で亡くなって、戦争を憎んでいるからです。校長先生は、“この作品は、子どもの戦争に対する素直な憎しみが表現されている。”と言ってひどく気に入り、校長室に飾ったのです。何年かして学校は廃校。ねんどの神さまも倉庫に長い間忘れられたままでいました。

 それから40年以上が経ち、健一の作ったねんどの神さまが、身長100mを超えるような巨大な怪物になって突然山村に現れます。自衛隊や様々な兵器で攻撃されますが、びくともしないどころか、どんどん東京へ近づきます。そして、怪物はあるビルの一室に目的の人物を見つけます。それは、兵器会社の社長になっていた健一だったのです。

 殺されることを覚悟した健一に怪物は、“ぼくは、ケンちゃんのつくった神さまなんだよ。ぼくにケンちゃんを殺せるわけないじゃないか。ぼくはね、ケンちゃんに教えてもらいたくって、やってきたんだよ。ねえ、ケンちゃん。もう、ぼくは、いなくなったほうがいいのかなあ。ケンちゃんは、昔みたいに戦争がきらいじゃないみたいだからね。”と尋ねます。これに対して、“わたしは、子どものころとかわりないよ。(中略)わたしの事業は、平和のための事業なんだよ。”と健一は返します。

 最後は、自分の意志で小さなねんど細工に戻った神さまを健一が破壊します。そして、“これで、いい。この数十年、心のすみにひっかかっていたトゲのようなものが、きれいになくなってしまった。”と言い、晴れ晴れした気持ちになるというストーリーなのです。

 切なさの中に、何かもどかしさを含んだラストシーンです。ただ、日本だっていつ戦争が起こっても不思議ではないことを示唆する作品にも思えるのです。大人も考えさせられますし、読み聞かせもありだと思うのです。ぜひ!

099 秋の実Part1

 プラタナスは、葉が大きな落葉樹であるため、夏は木陰をつくり、冬は陽を遮りません。また、虫がつきにくいなどの特徴もあって街路樹に適すようで街中でよく見られるとともに、平田小の校庭にもあります。でも、大きな葉は枯れて落ちてもそのままなのでかさばるのです。風が吹くと、そのままの大きさで道路や近隣住居に侵入して迷惑をかけます。ですから、これからの季節の掃除は大変。前任の市川小のシンボルツリーがこのプラタナスでした。プラタナスの葉が落ち始める季節から銀杏の落葉が終わるまでの期間、美化委員会の児童が毎朝校庭の掃き掃除をしているのではないかと思います。

 

 このプラタナスは、スズカケ(鈴懸)と別名があるように、硬くてイガイガで真ん丸の実をつけます。長い柄が付いているので、軽く振り回して相手の頭のポコって殴るなんていたずらもしたなぁ。痛いのなんのって…。

 学校の敷地内を見て回ると、発見がたくさんあります。プールの脇には、キウイが小さいながらも数個なっています。4年生の昇降口そばにはザクロ。体育館奥には柿が熟してきたみたいです。そこで、一つ採って検食してみましたので報告します。

 まずキウイ。包丁で切るだけで硬いことはわかりますが、フォークがなかなか刺さらないほど。小粒であるからなのか、もいだばかりだからなのかは不明ですが、青臭くてダメ!もう1個あるので、机上で熟成させてみます。

 次にザクロ。少し前に用務員さんが収穫して事務室前に展示してくれました。小さな粒々を口に入れるとおいしいではありませんか。今年は雹害で落ちてしまったものもあり、現在は手の届かないところにあと1個。

 最後に柿。こちらは渋柿ではないと聞いていましたが、干し柿にするという職員もいるので真偽が定かではありません。一人貧乏くじを引くのは嫌なので、二人に声をかけ合図とともに同時に歯を立ててみると…。うん、食べられる!キウイ同様もう少し置いておくともっと甘くなるかもしれません。

 敷地の外にもムラサキシキブや数珠玉が自生しています。安全にも気を付けながらいろいろなものに気づく目も大事にしてほしいと思います。ところで、プラタナスって食用部分はないのかなぁ?

098 値上げ(10/26)

  庭の照明は、時刻をセットしておけば自動で点いて自動で消えてくれるのですが、少し前にいじったら点かなくなってしまいました。だから直すまでは帰宅時に手動で点灯させます。玄関を開けると、「点灯虫、おかえり」と奥から声が聞こえる毎日。

 さて、今年は食品等の値上げが何度も行われるような渦の中です。スーパーの棚に並ぶアルコール類を見て感じていましたが、先日は自分事として実感した2例がこちら。1つめは、紀文の3個入り肉まんのパックを見たとき。寒くなると恋しくなる食べ物の一つです。高校生の頃、冬の部活帰り。駅前で仲間と食べた肉まんやカレーまん、ピザまんの美味しかった記憶がどうも美化されているようです。これまでは、スーパーの広告の品として298円で売り出されていたこの肉まんが、先日セール品で358円でした。恥ずかしながらこの60円に…。そしてもう1つが、カンロ飴。数種類あって口が寂しくなった時の友達ですが、パッケージが少し変わって登場したので期待して口に放り込むと、一回り小さい!「わかるの?」と思うかもしれませんが、それを感じられるほど食べていますから…。

 また、サラミ味・ソース味・カレー味の3種類で43年前に誕生した「うまい棒」は当初からずっと10円で販売されてきました。子供たちの小遣いで選ぶ楽しさを感じてもらえるように1本10円という価格にこだわり続けてきましたが、残念ながら春から2円値上げされています。こんなふうに、「やむを得ず」が身の回りにはいっぱいです。11月は、牛乳やヨーグルトまで波が押し寄せてきます。

 電気代も同様です。家庭で節電をしているでしょうが、学校はどうでしょう。市内全校の電気料金は市の負担ですから、値上げに伴う支出増は他の予算削減という形で跳ね返ってこないとも限りません。明るい日の廊下や階段、誰もいない教室などこまめに消灯する習慣が、職員・子供を問わず必要だと思います。そんなわけで、「点灯虫」ではなく「消灯虫」として校内を回ってきます。

097 土曜日の午後は…(10/25)

 顔が寒い!頭が寒い!んっ?どこまでが顔でどこからが頭なのかって?

 さて、22日(土)に3年ぶりに開催された平田っ子まつり。すれ違う子供たちはみんなよい表情です。中には額に汗をにじませながら様々な体験コーナーを回っている子もいました。委員の方々には計画段階から頑張っていただきました。各ブースを運営してくださった保護者や地域の方々にも感謝の気持ちでいっぱいです。

 綿密な計画を練ったとしてもうまくいかない部分はあるものです。でも、準備の過程こそ財産であり、子供の笑顔が答えです。また、結果だけにこだわる必要はないと思います。課題が残れば、その解決や克服に向けてまた頑張るという点は、子供の学びや私たちの仕事も一緒。いずれにせよ、とても濃密な2時間をありがとうございました。

 ところで、週5日制が当たり前の現在ですが、30年前の1992年秋から毎月第2土曜日が休業日になったのです。その3年後の4月から第2と第4土曜日が休みという隔週での週5日制に切り替わり、完全週5日制となったのは20年前のこと。こうした経緯を教員として知らない職員の方が多くなっている昨今、私自身も土曜日に勤務していたことを忘れてしまいそうです。

 ただ、土曜日は半日授業の「半ドン」でしたから、午後は今以上に「特別感」が際立っていたように思うのです。子供も同じだったかもしれません。給食はありませんから、近所の食堂などに行って定食を食べながらビールも飲めました。部活動をしていましたので、練習試合で他校へ出向いたり来てもらったりも毎週のように行いました。保護者の方が私のために交代で手弁当を用意してくれるなんて、今では考えられないことです。懐かしさに浸ってしまいます。

 そういうわけで、平田っ子まつりが行われた午後が子供たちにとって「特別な時間」であったならうれしいです。

096 クズ(10/22)

  今日は平田っ子音楽会、そして平田っ子まつり。3年ぶりの開催でこれまで以上に大変だったと思いますが、PTAの皆さんも委員の方を中心に今日まで熱心に取り組んでくださいました。とても楽しみです。

 さて、今日は音楽会や祭りとは全然関係のない「葛(くず)」のお話。「クズ」という響きは、「ゴミ」「役に立たないもの」というイメージが先立ち、あまりよいものではありません。この葛が幅を利かせて生い茂っている空き地や草むら、公園などは身近に見られます。ひと月前頃まで赤紫色の花を咲かせている姿も目にしました。柏の葉っぱのような大きな葉と簡単には切れない丈夫な蔓が特徴で、木などに巻き付いている姿を一度は見たことがあるでしょう。花言葉は、「芯の強さ」「快活」。蔓も根も丈夫な、いかにも葛らしい花言葉です。

 

 この名前の由来は、むかし奈良県の国栖(くず)が産地だったことからくると言われます。「葛」と漢字で書くと、「かずら」とも読みます。この場合、蔓植物の総称になります。ややこしい! 

 葛(くず)は、漢方薬として重宝され、「葛根湯」と聞けば解熱剤等でよく知られています。また、くず餅の原料になります。大きく肥大した塊根に含まれるデンプンをくず粉として利用します。くず餅と聞くと、亀戸を本店とする船橋屋しか思い浮かびませんが、きな粉と黒蜜を皿に残さないようにきれいに食べたくなります。

 ぱっと見では無駄で邪魔な植物と映ってしまう葛ですが、見えない部分で人を笑顔にしているのです。これを食べてみようと最初に思った人も尊敬しますが、人にも見かけだけでは判断しきれない「良さ」があるものです。その「良さ」を自信にして胸を張れる人を増やしたいですし、先入観にとらわれず相手をよく知ろうとする姿勢が大事なのだと思います。

 今日一日、普段目にすることのない「良さ」をたくさん見つけたいと思っています。

095 願うだけではなく(10/21)

 ウクレレで『星に願いを』のソロ演奏に取り組んでいます。和音で抑える箇所が数々あるため、ゆっくりしたリズムで弾くのですが、一定の速度で演奏する必要があります。そこでメトロノームの登場!60(遅っ)にセットしていざ始めますが、途中から指が遅れます。「ちょっと待って~、ちょっと待って!」とつぶやく私の耳には、弦の響きに混ざって隣の部屋から押し殺すような笑い声が聞こえてくるのです。

 一昨日、午後一番の出張があり、会場の最寄りが京成線なので菅野駅から乗車しました。でも、菅野駅ホームに立つのはなんと人生初!失礼を承知で言うと、通過駅でしかなかった菅野駅。学校に戻る際にも降り立ったのですが、とても新鮮な気持ちになりました。

 また、その前日には県内の小学校長が集まる研究協議会が千葉市で行われました。3年ぶりの対面開催です。グループ協議を行う中で、地域や規模は違ってもみんな同じような課題に悩んでいることを感じました。実践発表も行われましたが、提案の端々に登場する「自己肯定感・自己有用感」に関する話に心の中でうなずきながら聞いていましたし、最後に「幸せな教職員が幸せな子供たちをつくる」と言っていましたが、まさにその通りだと常々考えています。幸せな子供たちの育成をめざして、教職員も保護者も幸せであるためには何ができるか、何をどのように改善していくかなど、知恵を寄せ合っていきたいと思うのです。星に願っているだけでは課題解決は図れませんから…。

094 言葉遊び(10/20)

 いつものように道の駅へ足を運ぶと、棚に陳列される野菜なども秋に変わりました。生落花生のおおまさりや葉付きの大根、カブ、すだち、サツマイモなどなど。すだちは別として、根菜と葉物の季節の到来です。マスクをとって深呼吸すると、何やらかぐわしい匂いが…。ん?lこれは金木犀。今シーズン2度目の開花です。平田小でも咲いています。そして今朝は、久しぶりに青空が広がる晴天。

 さて、先週の読売新聞に言葉遊びが載っていました。ある四字熟語が「愛しき体、愛しき命」と読めるそうです。その熟語が「絶体絶命」。漢字を分解すると、確かに「糸(いと)色(しき)体(からだ)、糸(いと)色(しき)命(いのち)」になり、熟語の意味とも結びついて感心してしまいました。

 こうした言葉遊びは、言語活動を豊かにするとも言われます。一般的にはしりとりや早口言葉がありますが、「折り句づくり」も面白いですね。例えば、行の最初の言葉に「あ・い・う・え・お」を折り込んで意味のある文章を作ります。最初の文字は変えずに、文字数を1つずつ増やしていく「言葉の階段」も頭を使います。“あり”“あしか”“あめりか”…といった感じ。「回文づくり」も頭脳フル回転まちがいなし!学級レク、家族が集まった時、渋滞した車の中など機会はいろいろ。テーマやルールを絞っていくとレベルアップが図れます。下降線をたどる私の脳にもよい刺激を与えてくれそうな期待が…。

 何十年ぶりと伝えられる円高。ドル建の保険が恨めしく、好ましくない刺激になって血圧も上昇~。

093 昔の市川駅周辺(10/19)

 よく耳にする話に、「『聞く』には耳しかないが、『聴く』には耳も目も心も入っている。目を見て、耳を傾け、心で受ける傾聴を心がけましょう」と。

 『忙しい』という字は、心を亡くすと書きますし、『辛い』にあと一本足せば「幸せ」になります。逆に、『幸せ』な状態から一つでも手を抜けば『辛く』なります。

 安心すれば呼吸は深くなり、不安だと浅くなります。だから、「自分の心は『息(呼吸)』に表れる」という見方があります。大人向けには、「『愛』は真心(真ん中に心がある)、『恋』は下心」と言ってうんうんとうなずく場面もあるでしょう。漢字ってよく考えてみると面白いものです。小学校で習う漢字を使って、子供と一緒に言葉遊びをしてみるのもよいかもしれません。  先週、本校の用務員さんからまた短歌をもらいました。

   ありし日の 島村の味 懐かしむ 桃のようかん 真間の継橋

 市川駅北口にあった菓子店「しまむら」を詠んだものです。今は銀行になっていますが、贈答用に菓子を買った人も多いのではないでしょうか。そのすぐ近くにすき焼きなどを食べさせてくれる「鍋せん」があって、若かりし頃先輩に連れて行ってもらいました。ジャンボ餃子で有名な「ひさご亭」もありました。

 南口にはツインタワーなんてあるわけもなく、右側にはショッピングセンターのアーケード、正面にはパチンコ屋の2階に「磯ぜん」という名の居酒屋。大きな行事のあとはよく飲みに行きました。当時は車通勤をしていましたので、そんなときしか立ち寄りませんでしたが、そんな市川駅は結婚する前のクリスマスに妻と待ち合わせた場所でもあります。時間を間違えて何時間も待たせて不安な思いにさせた苦い思い出があります。あの時帰られていたらきっと…。

 何十年も前には、永遠だと思っていた「青春」。文字をよく見ると、ちゃんと「月日」があるのですね。

092 恥ずかしい(10/18)

 毎月下旬頃にチェックのために学年だよりの原稿が回ってきます。9月下旬も、すでに教務主任や教頭の目を通っていますから気になる部分は多くはありません。そんな中で、月行事予定欄に朱で訂正が加えられていました。「スポーツの日」を「体育の日」と記載する学年がとても多かったようです。「名称が変わったのはいつからだっけ?」と、日記帳を1年前、2年前とめくってみました。昨年は東京オリンピックイヤーでしたから7月23日がスポーツの日。その前は、本来開催予定だった令和2(2020)年。どうもこの年に改称されたようです。

 そして10月に入ったある日、自分で書いている校長室の行事黒板を見て恥ずかしくなりました。だって、10月10日の欄に「体育の日」と赤く書いてあるではありませんか。9月下旬に10月行事を書いていましたから、多くの職員・来客に見られていたことになります。まぁ、誰も気づかなかっただろうとさらっと流して、「スポーツの日」と書き換えたのでした。

 話は変わりますが、普段使う私の便利商品はバッグハンガーです。鞄を床に置いておきたくない場所では、テーブルに引っ掛けて吊るしておけますし、普段は鞄の持ち手に掛けておくだけ。校長室でもプリンター台に掛けてあります。身なりや持ち物で人の印象が左右されることも少なくありません。そういう意味でも、目立たないけどいざという時に便利なグッズ、快適に使用できるアイテムって結構たくさんありそうです。私も、使いそうな物をポーチに入れて持ち歩きますが、整理されていないのでカバンがかさばります。ミンティア、爪切り、頭痛薬、リップクリーム、日焼け止めクリーム、鼻炎用噴霧薬、目薬…とあるわあるわ。半年以上使ってないものもあって、見られたら恥ずかしい!使用期限の過ぎた薬は処分します。

091 変わること、変わらないこと(10/17)

 先日、地域の方からうれしい電話を頂戴しました。“新田2丁目の狭い路地ですれ違おうとしたときに、さしていた傘をすぼめてくれた子が二人いました。とても立派な行為です”と。5月の学校だよりで「江戸しぐさ」について記しましたが、「傘かしげ」と同じ。「よりよく生きるマナー」を子供たちがちゃんと実践できることを考えると、年齢には関係ないことを改めて思います。

 さて、9月下旬、4年生対象に落語教室が行われましたが、その中で座布団にも前後ろがあるという話を初めて耳にしました。縫い目のない方が前で、お客さんとの縁が切れないようにという思いが引き継がれているのだそうです。

 そうこうするうち、10月に入って三遊亭圓楽師匠が亡くなりました。50年以上の歴史がある『笑点』を長く支えてきた一人です。現在の最古参は、林家木久扇(元 木久蔵)師匠です。座布団運びの山田隆夫さんも長いのですが6代目。その山田隆夫さんがバンド「すうとるび」のメンバーだったことを知る人は数えるほどになってしまったのかもしれません。

 9日の朝日新聞日曜版に食品用ラップに関する記事がありました。日本でラップが初めて登場したのが1960年で、「クレラップ」と「サランラップ」といいますから60年以上の長寿商品です。最初はさっぱり売れなかったのが、冷蔵庫の登場とともに売り上げを伸ばしたといいます。ただ、このラップのルーツが軍需品だったとは…。第2次世界大戦下のジャングルにおいて、靴の中敷きにして水虫防止にしたり、弾丸や火器を湿気から守ったりするために重宝されたと知りました。

 そういう目で台所、いやキッチンの抽斗を開けてラップを取り出します。「NEW」クレラップとして売り出したのが30年以上前なのに、パッケージには相変わらず「NEW」の文字?実は、常に目にはつかない改良・調整を地道に加えて今に至るようですので、「NEW」もまんざら嘘ではありません。最近では災害時にも役立つ必須アイテムにも数えられているラップが、急に偉く見えてきました。

090 鉄道開業150年(10/1)

 NHKが、隙間時間で鉄道の歩みを映像で見せてくれるときがあります。遠い昔だけど懐かしさがこみ上げてきます。渋谷駅から三軒茶屋方面へ走っていた緑色の路面電車を芋虫電車と呼んでいたのは今は昔。

 今日は鉄道開業150年目という節目の日です。明治5(1872)年の今日、新橋や横浜(現桜木町)の停車場で開業式が行われ、翌日から旅客列車の運転が始まりました。当然、蒸気機関車です。煙を噴き上げながら走る様子は、まさに文明開化の象徴だったはずです。それから150年が経つのです。各地、あるいは鉄道会社、テレビなどで様々な催しがあります。

 私が育った八千代市の足は京成電車・バスオンリー。ストライキや悪天候などで運休すると、陸の孤島と化すのです。そんな京成電車の車両の色も今のステンレスカラーとは違った2色編成。ベージュと赤を中心にした車両とくすんだ深緑というかグレーというか不思議な色の車両の2つ。後者は行商列車としても使われていました。

 祖母と一緒に出かけると、祖母は草履を脱いで窓のほうを向いてシートに正座をするのです。そして、外をじっと眺めて時々話しかけてくれたのを不思議な気持ちで見ていました。車窓からの景色を単に楽しんでいたのかどうかは不明ですが、家が少ない時代ですから遥か遠くまでが見晴らすことができたのです。

 

 切符も改札で駅員さんが鋏で切ってくれます。この駅員さんグッズのようなおもちゃを買ってもらって弟と駅員ごっこをしたことも思い出されます。また、中学生のころに「幸福ゆき」の切符が大ブームになったことがありました。今も抽斗の中で静かに眠っています。

 石橋正次さん歌う♪夜明けの停車場に~降る雨は冷たい~♪というフレーズを思い出しました。こんな歌や『いい日旅立ち』(山口百恵)を口ずさみながらの寝台特急の旅なんてものもいいなぁ~。

089 時代とともに(10/13)

 サッカーなどのスポーツで、競技者の交代や負傷者の怪我の程度の判断あるいは搬出などによって空費された時間を指す通称があります。私がサッカーに関わっていた頃は、「ロスタイム」という言い方をしていました。これは、和製英語です。その後、「インジュアリータイム」(負傷分の時間)と呼び方が変わり、今では「アディッショナルタイム」(追加時間)と言われます。こうした時間帯に得点が入るなどという劇的な場面をプロサッカーではよく目にします。

 ものの呼び名は時代とともに変わっていきます。サッカーの「自殺点」は、「オウンゴール」が普通です。身に着けるものでは、「とっくりのセーター」とか「ズボン下」なんて言ってしまう私は生きる化石。「タートルネック」「レギンス」なんて言葉がすぐに出てきません。

 他にもいろいろあります。『ねずみくんのチョッキ』という絵本がありますが、「チョッキ」なんて使いません。今は「ベスト」でもなく、「ジレ」というようです。「ランニング」は「タンクトップ」ですし、「Gパン」は「ジーンズ」、さらには「デニム」です。「コール天」はわかるでしょうか。「コーデュロイ」のこと。これからの季節お世話になる「ニットキャップ」は昔、「正ちゃん帽」でした。上着を掛けておく「ハンガー」は「えもんかけ」、「J-POP」は「歌謡曲」と言ってほしい。

 自分の体も古くなりますから、聴こえない場面が多くなり、とてもストレスと劣等感を感じるようになりました。そこで、少し前から補聴器を装着し始めました。以前も試したことが何回かありますが、AI機能も搭載されて進化著しいといった感じです。正常の聴力に戻ることは叶いませんが、自分のほしい音が今以上に聴こえるようになるまで、まだまだ調整と慣れるための時間が必要みたいです。人生のこれからの時間は決してロスタイムとは思いませんし、アディッショナルタイムにもまだ早いので、ゆっくり補聴器ともつき合っていきたいと思います。

088 どっち?(10/12)

 次のような話を目にしました。

 子供にバスケットボールを教えていて、フリースローの成功率を上げたいと考えたコーチがいるとします。Aコーチは、正しいシュートの仕方を丁寧に教えます。Bコーチは、フォーム等にはこだわらず10本中10本が決められるように何度も繰り返させます。正しいシュートの方法を身につけることが大事か、形より決められるという結果を重要視するか。筆者は後者のBと主張しています。

 シュートフォームの良さはフリースローの成功につながることはありますから、私はAさん寄りの指導をしてきました。でも記事には、「コーチにとっての正しい方法が、子供にとって正しい方法であるとは限らない」「バスケのシュートは、正しい方法が一つではない」とあります。

 これは学習にも通じそうです。例えば算数で、4×7のかけ算の問題をどのように解くのかが大事か、それとも正しい解答にたどり着くことが大事か、という問いになります。正しく28を導くには、様々な正しい方法があります。九九で導いたり図に表したり、あるいはたし算に直したり…。つまり、正しく解くことができたならば、いろいろな方法のどれか一つあるいは複数を適用している証拠となります。より効率的と考える求め方に到達するかどうかはあまり問題ではないといえます。

 この記事では、「親や教師が、子供がどう考えているかを重視しすぎて、子供が正しい解決策にたどり着いているかを十分に見ていないときに間違いが起こる」と指摘しています。さらに、「結果にもっと焦点を当てて、学習プロセスにはあまり焦点を当てないようにしたい」とも。「結果がすべて」と言って「プロセスを無視」しているように聞こえますが、実はそうではないようです。プロセスを限定することに異を唱えているのではないでしょうか。 

 学習の中では、様々な方法があり、それを友達と交流することを行います。ただ、あるやり方がまるで一番であるかのようにまとめたり、特定の解法でないと丸がもらえなかったりすることを諫めているように思うのです。皆さんはどうお考えでしょう?

087 見ているようで…(10/11)

 お笑いコンビ「ずん」の飯尾和樹さんが言っていた言葉。“いつも機嫌がよく見える人たちも、イライラしていないわけじゃないんです。ただ、「イライラから離れるスピードが以上に速いんです」”。

 飯尾さんの相方も声を荒げる場面を見たことがないくらい温和なのだそうです。イライラしないのか、嫌な奴はいないのか尋ねると、「いざとなったら縁を切る覚悟で付き合っている」と言うのです。嫌なことを言われたら、「こういう人もいるんだぁ」とマイ人間観察図鑑に綴じこんでいけばよいとも。また、「キャイ~ン」の二人に共通しているのは、気がいいことのほかに嫌だと思った時にははっきり「イヤです」というところだとも言っています。人間関係の中で、「イヤ」と自分の意思を伝えることはとても大事だと思うのです。子供たちも同じ!

 さて、先日の新聞に阿川佐和子さんのコメントが掲載されていました。その内容が、適当に相槌を打って無意識のうちに聞き流していることのある自分と重なりました。家族も、まさにあなたのこと!と太鼓判を押していました。

 同じように、見ているようで実は見えていない場面が生活の中にあります。最たるものが、子供の道路への飛び出し。例えば、降りた車の後ろを通って道路の反対側に行こうとする場面だったらどうでしょう。親がそばにいるので安心して飛び出す子はいないでしょうか。横断歩道を渡る場面、反対側で仲の良い子や親が手を振っているとします。うれしくて走り出す子だっています。横断歩道を渡ろうと待っていても止まってくれる車はとても少ないのが現状。ましてや自転車の場合、「邪魔だ」とばかりに走り抜けていく人にも出くわします。だから状況をよく見てほしいと、朝の安全指導をしながら思います。

 もし相手が止まってくれたなら、渡る途中や渡り終わったあとにペコリとお辞儀を添えたら、急いでいたイライラも消えて、温かい気持ちになってくれるかもしれません。

086 おもいやり算(10/7)

 一昨日、寝着を長袖に交換し、昨晩は毛布が登場!今日も寒い一日になりそうです。そして、令和4年度の前期終了を迎えます。今週、子供たちがこの半年間で頑張ったことをプリントに記している場面にお邪魔したときがあります。ふと自分が問われたら何を書くだろうと考えてしまいました。異動してきての半年の成果を客観的にとらえる難しさを感じます。

 そんなことを思いながらある学級の背面掲示を見ていると面白いものを発見!班のメンバーやめあて、仕事内容を書いたイラスト入りの紙ですが、大きくグループの名前が記されています。「チャー班」や「メロン班(パン)」があります。こういうセンス、大好きです。残念ながら通知表には記載されませんが…。

 今日の全校オンライン集会では、「おもいやり算」の話をします。「+」はたすけあう、「-」はひきうける、「×」は声をかける、「÷」はわけあうというもので、「人を笑顔にする算数」とも言われます。東日本大震災のあとに何度もテレビで流されたので、記憶している人も多いかもしれません。4年生で学ぶ「計算のきまり」のようにかけ算・わり算が優先だとか、カッコの中を先に処理するとかいうきまりはおもいやり算にはなく、どれから先にやってもいいのです。  困っている友達がいれば助け合い、損だなぁという場面でも笑顔で引き受け、互いによく声をかけあい、うれしいことも悲しいことも分かち合うなど、相手の気持ちも尊重して行動できれば、周りの人たちを幸せな気持ちにできるのではないでしょうか。これは大人も同じ!

 三連休明けに、新たな気持ちでまた子供たちと向き合っていきたいと思います。

085 なかま(10/6)

 食欲の秋、給食の検食が待ちきれなくなりました。小学生からずっと給食で育ってきたような感じです。小・中学校9年間に加えて行政を除く学校勤務が30数年ですから、あわせて40年はお世話になった計算になります。人生の3分の2以上の昼食は学校給食です。ありがたや~。家庭ではあまり作らないメニューも少なくありません。10月の献立表を見ても、「けんちん汁・さつま汁」「ひじきのマリネ」「家常豆腐」「大学芋」などですが、黙食でなくなる日を待ちわびます。

 そんな中ここ数十年、目にしていないのがスティック状の納豆。納豆嫌いな子なのか余ったものを持ち帰るためにキープしていたのか不明ですが、机にしまっておいたのを忘れていた子がいました。ある日、膨張した袋が破れて机の中がネバネバ。周辺が納豆臭なんてことがあったのです。

 さて、3年生が国語で『わすれられないおくりもの』(スーザン・バーレイ)を学習しています。私も校長室にある絵本を久しぶりに手に取って読み返してみました。ご存じかもしれませんが、周りの誰からも慕われていたアナグマが年をとって死んでしまうという内容。かけがえのない友を失った仲間たちがどうやってこの悲しみを乗り越えていくのかを静かに伝えていきます。アナグマの死を通して、友達のすばらしさや生きるための知恵や工夫を伝え引き継いでいくことの大切さ、そして自分らしい生き方とは何かを語りかけてくるのです。自分の子供たちに読み聞かせをした絵本の中でも大好きな作品。主人公のアナグマは、年長者ではありますが決して先生ではなく、あくまでもみんなにとって仲間なのです。学級においても、担任は指導者であると同時にひとつのものを一緒に創りあげていく一人の仲間でありたいと私は思います。

 同じシリーズに『アナグマのもちよりパーティ』もあります。読んでみてください。そうそう、先生たちのお薦めの本を紹介する紙をもらいました。う~ん、どの本にしようかなぁ。

084 安全・安心のために(10/5)

 とっぷりと日が暮れた後、どこかの家からお風呂の石鹸の香りが漂ってきます。温かい風呂に浸るのも気持ちよいですし、風呂上がりも汗ばむこともなくさらっとしています。

 私は石鹸のにおいが好きで、夏場のボディーシートやスプレーは石鹸の香りの商品を選びます。風呂場で使う石鹸は、当然「牛乳石鹸」。それを知る娘から牛乳石鹸クリームをプレゼントしてもらいました。

 

 さて、9月23日に自宅を出た後、行方が分からなくなってすでに2週間近くが過ぎる近隣市の小1女児。昼前の時間帯に、母親より数分早く家を出て公園に向かったといいます。無事でいることを祈りますが、昨日河川敷で子供の遺体が発見されたという報道もありますし…。子供が安心して屋外で遊べるように、大人の目は不可欠です。無関心であってはならないと思います。

 長く学校に携わっていると、何百人という児童一人一人にあてはめて考えてしまいます。校内で楽しく安全に過ごすのは当たり前。放課後であれ休みの日であれ、事件や事故が起こらないように取り組み、そして願う毎日です。だからこそ、くるぶしくらいの深さの水溜まりで溺れて亡くなる事故、歩道を普通に歩いていて自動車が突っ込んで来て被害に遭うケースなど、具体的な場面を通した指導が必要です。また、自転車の右側走行や一時停止をしなかったことにより他者を傷つけてしまう事故も考えられます。加害者にもなりうる可能性があることを教えることも大人の役目

 子供たち自身だって、不審者、交通加害・被害事故、水場や危険箇所など、身の回りの様々な危険を知り、様々な状況に対応できる判断力を高めていくことは急務です。登校時に一緒に学校に来てくださる保護者の方がたくさんいます。そうしたときや一緒に駅などへ向かう道すがら、「かけこみ110番」の家や店の確認あるいは利用上の留意点などをお子さんと話したり、大地震の際の危険箇所を考えたりすることだってできます。学区探検では安全という視点も加えながら見て回るのもよいでしょうし、施設や仕事を安全というフィルターでとらえてみるのも新たな発見につながるかもしれません。家庭においても、指導したり気づかせたりすることを「機会があれば」「休みの日に」と後回しにするのではなく、今だと思います。古くなってしまったけど、「今でしょ」。

 暗くなるのがどんどん早くなっています。無灯火で自転車に乗っている子供や大人はいませんね?

083 伸びしろ(10/4)

 子供たちと話をすると、意外なことに気づくことがあります。例えば、「校長先生が担任をしていた時ってあるんだぁ」と不思議がられること。どうも昔から校長だったと思っている様子。

 さて、少し前にSNS上に次の問題を見つけました。「たけしさんは、1周4.2kmのジョギングコースを3週間走りました。全部で何km走りましたか?」という小数のかけ算。4.2km×(7日×3週)と考えられる人は素直な人かも?でも、情報不足ゆえ「3週間耐久マラソンかよ!」という突っ込みをしたくなるのは私の悪い癖です。

 同じように、SNSに子供の採点済みのテストが掲載されていました。小学校3年生の子はASDやLD傾向があるらしく、普通10分程度で終わるドリルに1時間以上の時間を費やすといいます。ある日、持ち帰ってきた漢字50問テストの13問が正解だった答案を見たお母さんは、我が子の努力を嬉しく思いました。それ以上に、担任の心遣いに感動したといいます。なぜなら、間違ったところや書けなかったところに敢えてバツをつけず、できなかった部分を復習させ、正しくかけたら丸を追加するような採点方法だったのです。できないことに注目するのではなく、できたところをしっかり認める対応を、私たちも心がけたいと思い、職員にも紹介しました。

 今週末、一人一人に成果と課題を伝えながら、通知表を手渡します。所見欄は夏休みの面談に代えさせていただくので記載なし。教科に関しては「よくできる」「ふつう」「努力が必要」の3段階評価です。ただこの評価もとらえ方でポジティブになれます。「よくできる」は『自信』、「ふつう」は『安心』、「努力が必要」は『伸びしろ』と言い換えれば、そのあとのアドバイスも素直に耳を傾けるかもしれません。

 そこで、通知表「あ・ゆ・み」を使って子供たちへのメッセージを作ってみました。

 「あ」 あきらめない強い心で 新しいことに挑戦!

 「ゆ」 ゆっくりでよいから ゆめを大きく膨らませながら

 「み」 みぢかなことから始め みごとな花を咲かせよう!平田っ子

082 落語(10/3)

 週末ランニングにはもってこいの気候になってきました。そして、鍋物や煮込み料理がおいしい季節です。煮込まれると、翌日さらにおいしく感じる食べ物。思いつくのは、豚汁やカレー、おでん、もつ煮でしょうか。行列の出来る料理店主が、「○日煮込んでから○晩寝かせました」なんて言うと本当においしそうに聞こえてしまいます。どうも冷めるときに周りの水分を吸収し、出汁や旨みといったものが素材に入り込むらしいのです。

 さて、4年生が国語で落語『ぞろぞろ』を通して、落語の面白さを感じ、相手への伝え方などについて学びます。そして先週、林家のん平師匠をお招きして、扇子や手ぬぐいの使い方をはじめ、落語に関する話や「初天神」を披露していただきました。平田小学校出身の師匠は、小学校5年生の時にテレビで見た「時そば」があまりにも面白くて落語家を目指そうと決めたそうです。校長室でお話を伺っているとき師匠のスマホにメールが届きました。なんと、お孫さん誕生の写真付きお知らせが舞い込むというめでたいおまけつき!

 落語の面白さは、同じ演目でも噺家さんによって雰囲気がガラッと変わること。過去に名人と呼ばれた噺家は、人の心をつかんで離さないのだと思います。「まんじゅう怖い」「あたま山」「寿限無」「目黒のサンマ」など、子供でも楽しめる演目はたくさんありますし、新作落語だって…。漫画や絵本になっているものもありますから、本を読んだり実際に寄せに足を運んだりしてみるのもよいですね。平田小から二人目の落語家誕生という時が来る日も近い?

081 アンテナ(9/30)

 朝、お父さんが幼児の手を引いています。保育園へ向かう途中でしょうか。歩道にある自動販売機に興味を示す我が子に「自動販売機!」とゆっくり繰り返し教えています。「自動・販売機」と唱えてみると、先進技術の進歩が目覚ましい現代にあって、その字面に古さを感じてしまうのは私だけでしょうか。 自販機では、ありとあらゆるものが売られています。蕎麦やラーメン、焼き芋、ホンビノス貝…。常識を覆すようなものまであるようです。本八幡駅を降りて学校に向かう途中にも、『だし道楽』という出汁の自販機があります。需要がある証拠です。

 話は変わりますが、戦争末期を描いた『日本のいちばん長い日』という書籍や映画があります。降伏か本土決戦かで揺れる首脳部の中で、「あと二千万の特攻を出せば、日本は必ず勝てます。男子の半分を特攻に出す覚悟で戦えば…」と幕僚が徹底抗戦を主張する場面があります。まさに狂気です。零戦の神風特攻隊は有名ですが、人間もろとも体当たりして敵艦や戦車を爆破する人間魚雷ほか、木製ボートに爆薬を載せて自爆する特攻艇など、命と引き換えに散っていった多くの若者がいたことを思い起こさずにはいられません。

 長引くロシアとウクライナの戦争、中国による台湾へのけん制など緊張が続く中、広島や長崎の原爆投下の日すら忘れそうになっていた自分に気づきます。新聞には戦時下における一般人の悲愴な様子が綴られています。体験や経験はしていなくても、文章から感じることはできます。年齢にかかわらず、事実を知るということはとても重要だと思います。様々な方向から事実を見つめ、何を感じ、場合によってはもっと深く調べてみること。「自分に関係ない」「興味がない」「難しい」と言わず、入口の扉を小さくても開けてみようとする子供たちであってほしいのです。

 明日から10月。身近なことにアンテナを高くして、新たな「やる気スイッチ」を自分でON!

080 Moon(9/29)

 先の土曜日の朝、ふと見たNHKニュースで行徳の特集。中台神輿店や野鳥観察舎、行徳港のホンビノス貝を取り上げていて、不思議と嬉しくなる自分に気づきます。

 さて、朝晩が涼しくなり、車のウィンドウやボンネットに露が降ります。昨日はキンモクセイの淡い香りを感知しました。日中は汗ばみますが、やはり秋が確実にやってきていることを感じます。ところで秋といえば、俳句の季語などに「月」がよく登場します。以前たんぽぽ2組で取り組んだ「お月見」を表した作品の月の中には、餅つきをしているウサギの姿が見られました。また、1週間ほど前には6年生が理科で月の満ち欠けの学習をしていました。

 月の模様=ウサギの餅つきという図式は、日本では当然のこととして語られますが、世界共通ではありません。例えば、インドネシアでは「編み物をする女性」ですし、ベトナムでは「大木の下で休む男性」、モンゴルでは「犬」といわれます。インドでは「ワニ」、中東では「ライオン」、南欧では「片腕のカニ」、ドイツでは「薪を担ぐ男性」など見え方は様々です。先入観を取り払うと、今日の月齢は3.2日。三日月ですから、満月は10月10日(ハンターズムーン)までお預けです。

 さらに、「月」が入っている歌を思い起こしてみると、“月が~出た出た~”で始まる『炭坑節』。 “出た~出た~月が~”と歌い出しが逆の童謡『月』。『証城寺の狸林』では“つ、つ、月夜だ、みんな出て来い来い来い”と歌われます。それ以外では、『今宵の月のように』(エレファントカシマシ)や『三日月』(絢香)は好きな歌。

 生活や歌など私たちにとっては身近な月ですが、一方で神秘的でもあります。いつもより目線を少し上げて、穏やかな気持ちで雲や月を眺めてみると、何かしら新しい発見(お告げ)があるかもしれません。

079 クルマ大好き(9/28)

 昨日図工室へ行くと、5年生が電ノコを使って板を切ったり彩色したりしていました。その中に、上手に青い車の絵を描いている子がいます。筆先を使ってそのボディに「STI」の文字を書き終えたタイミングで話しかけてみました。すると、スバル好きであることが判明。お父さんはレガシィB4スペックBのMT車とのこと。私もアウトバックに乗っていることほか話してしまいました。授業中なのに…ごめんなさい。すると、昼休みには友達と校長室を訪ねて来てくれたのです。

 さて以前も書いたかもしれませんが、私はクルマが大好き。見るのも乗るのも弄るのも…。大学に入学してすぐに運転免許を取得しましたから、かれこれ43年の所有歴。免許返納なんて時が来ることを考えるのが、正直怖い!当時はマニュアル車全盛の時代。車は若い男性の趣味の代名詞だったとも言えます。大学時代、みんな父親の車を借りて乗り回しますから、ファミリア、プレリュード、セリカXXなど今はなき懐かしい名車ぞろいです。私も父の510ブルーバード(写真は同型)を…。音楽はカセットテープ、重いハンドル、エアコン代わりの三角窓にエンジン始動時のチョークボタン。窓はレギュレーターハンドルをクルクル回して開閉。ナビなんて当然ありませんが、道路地図さえあればどこへでも行ける自信がありました。そして、彼氏は「運転できて車を持っている人」が条件といわれる時代だったのです。現在、市川市の各校に配備されている公用車も、集中ドアロックがありません。同乗者がいるときや後席に荷物を積むときなど、それぞれのロックを解除しなければならず不満をぶつくさ!

 

 時は流れ、最近の若者の車離れは深刻なようです。10~20代の運転免許保有者は20年前には1740万人強だったものが1080万人強まで落ち込み、約4割減といいます。自動車教習所も死活問題でしょうが、自動車販売業も大変ですし、将来的な日本の物流への不安につながります。

 タイムマシンやロボットほか、空飛ぶクルマはアニメや漫画の世界でした。自動運転レベル3~4の車が量産され、完全自動運転も間近です。また、空飛ぶクルマも実現の段階にきているようです。ただ、飛行機に乗るのが怖い私は、車は地面を走るにとどめたい。いや、免許返納までは飛ばないだろうと勝手に決めつけます。

 でも、未来で子供たちはどんなクルマと一緒に生活するのでしょうか。もしかすると、スマートウォッチで「流星号」(※スーパージェッターの乗り物)を呼ぶことができるようになっているかもしれません。これはこれで羨ましい。

078 根っこ(9/27)

 9月最終週となり、朝晩が涼しく過ごしやすくなりました。先の三連休最終日は天気がよかったので、墓参りしたり植物の世話をしたり…。調子の悪い鉢植えがあったので、掘り起こしてみました。すると、オリーブの鉢には、コガネムシの幼虫が17匹。バラの鉢には二回りも小さい幼虫が116匹もいるではありませんか。根が喰われてユラユラ状態でしたから、成長が止まってしまったのも頷けます。今朝がたは、地植えのオリーブの梢に憎きコガネムシを10匹ほど発見!時間がない中で殺虫剤を2階のベランダから散布しました。夏があまりにも暑かった故、活動を休止していた感じですが、昆虫にとってもよい季節の到来なのかもしれません。学校も深い学びが得られるように積極的な活動を行っていきます。

 さて、若い先生が校長室に入るとき、ノックをして「○年○組の△△です」と言って入室します。先輩からの指導がこういうところにも息づいているのを感じます。職員室に来る子供たちを見ても、多くの児童がきちんとできていることに気づきます。

 「ドアのノックは3回するもの。2回だと便所のノックになってしまうから」と言われた覚えがあります。入室の際は守るようにしていますが、どんな背景があるのでしょうか?日本は、もともと障子や襖中心の生活でしたからノックするという習慣がありませんでした。ドアは欧米などから入ってきたものですから、3回以上のノックは欧米様式のようです。  また、部屋を出るときにドアを閉めるのは日本で当たり前のこととして教育されますが、イギリスではトイレや自分の部屋から出るときはドアを開け放しにするのがマナーとされるようです。逆に言うと、室内に人がいるときはドアが閉まっていることになります。

 親しき仲にも礼儀ありの気持ちを忘れず、たとえ気心が知れた相手でも気遣いやマナーを行動にプラスして、心地よい関係を生み出したいと思います。特に、気軽な連絡手段かつ相手が見えないメールだったら尚更のこと、表現に心遣いや相手を敬う気持ちを忘れないようにしたいものです。そうしたことが、人間関係の根っこになっているのではないでしょうか。

077 知る楽しさ(9/26)

 私の場合、苗字と坊主頭が印象に残るのか、覚えていただけるようです。「小六の子孫ですか?」とか「出身は徳島ですか?」と問われることも…。確かに蜂須賀は比較的珍しいとは思いますが、もっと数少ない珍名さんは平田小にもいるはず。

 徳川将軍家の家紋は、誰もが知る「三つ葉葵」、いわゆる「葵の御紋」ですが、我が家の家紋は「丸に卍」が45度傾いた形。これは、文字を家紋にしたもので、仏教からきたと言われます。そういえば、地図記号では卍は寺院ですし、浅草寺の本堂にも同じマークが見られます。「丸に卍」は蜂須賀小六(正勝)が使用していた家紋ですが、「卍」は漢字ではなく梵字。幸運福来の意味が込められているといいます。ナチスの鍵十字とよく間違えられますが、鍵十字の形は卍の逆向きで、45度傾いています。

 さて、「卍」は漢字ではありませんが、広辞苑にも掲載され、書き順・画数が存在します。では、何画なのでしょう?てっきり5画だとばかり思いこんでいましたが、実は6画だそうです。部首は「十」といいますから、残りの4つのパーツをつけていけば完成ですが、そんな簡単なものではありません。書き順は図のとおり!なんか賢くなった気がします。

 

 自分の家の家紋の意味を調べたり、自分だけの家紋(文様)を作ってみたりするのも楽しいかも。

 苗字に戻りますが、先日5年生の子が本を携えて校長室にやってきました。その本には、『鬼滅の刃』に登場した珍名さんがたくさん。「竈門(かまど)」「産屋敷(うぶやしき)」「不死川(しなずがわ)」「栗花落(つゆり)」など、実在するそうです。「鼻毛」さんも日本に30人ほどいらっしゃるとか。知らないことがいっぱい!求めて調べれば様々なことがわかってうれしい!楽しい!

076 深まりゆく秋(9/22)

 少し前にシャインマスカットを沢山いただきました。おいしかったぁ~!

 突然話は変わり、チョコレート菓子「きのこの山」と「たけのこの里」。どちらがお好み?私は、断然サクサクなクラッカーの「きのこの山」です。このことについて、何年か前に「国民大調査」と称して総選挙が行われたことがあります。結果は、47都道府県中46でたけのこ愛がきのこ愛を上回りました。唯一きのこ愛が上回ったのは、福島県だったそうです。

 日が短くなり秋らしくなってきました。そして、秋の味覚といえばキノコは代表の一つ。そのトップに君臨するのが「松茸」という見方もできます。高級食材ですから一度も食したことがありませんが、「椎茸」とともに香りや食感、味など魅力的なキノコであることは間違いありません。しかしながら、日本以外の国では、松茸も椎茸も嫌われているというから不思議です。どうも、「靴を履き続けたニオイ」とか「風呂に何日も入っていないニオイ」といった、かなり臭いイメージがあるからのようです。つまり、様々な調理方法で椎茸や松茸をおいしく食べられるのは日本だけということでしょうか。

 一方、給食で提供されることの多い「竜田揚げ」。鶏肉やサバ、昔はクジラを材料として、みりん醤油などに漬け込んで、片栗粉等をまぶして油で揚げた料理です。この「竜田」は、奈良県の竜田川のことで、紅葉の名所となっている場所。油の中で食材が赤く変色する様が、竜田川の水に浮かぶ(映る?)紅葉を連想させるためらしいのです。

 食欲の秋というのは、寒くなる前に人間の体は体温・体力を保つための準備として、秋頃から食欲が増すという本能を言った言葉です。私の場合、必要以上に冬の準備はしないように自制心を働かせないと…。

 明日からの今月2度目の三連休ですが、天気がどうも…。

075 私も敬老対象?(9/21)

 月曜日は敬老の日でした。敬老の日が9月15日だったことを覚えている世代は確実に減っていきます。2003年に第3月曜日に変更されましたからもう19年です。半世紀前は60歳過ぎたら「敬老」の対象だったように思いますが、若いころは自分がいつかそういう年齢になることすら想像できませんでした。今や65歳以上が日本の総人口に占める割合が3割に迫る時代です。約3人に1人が高齢者となりますが、自分もそろそろその仲間入りです。とりあえず、妻と二人揃って映画を割引で観られることだけは良しとします。

 ところで、道行く若い世代に「敬老の日に家族で祝う習慣があるか」尋ねた結果を報じたウェブニュースがありました。あると答えたのは4割以下、祖父母の誕生日を知っていると答えた人も4割以下だったといいます。ちなみに私の子供たちは覚えているか、それ以上に教えてあったか不安になります。  さて、9月になるとすぐに、様々な店舗でオレンジと黒のハロウィングッズが売り出されます。ハロウィンは、古代ケルト人の催事が起源となるお祭り。これが日本でも当たり前になってきたのは、最近10年くらいのことでしょうか。クリスマスやバレンタインに次ぐイベントになっている場合もあるようです。ハロウィンを象徴するオレンジは、「収穫」を表し、黒は「魔女や悪霊」を表しているといい、収穫と鎮魂の意味があるそうです。ハロウィン翌日の11月1日「ハロウマス」と前日の「イヴ」から、「ハロウィン」と呼ばれるようになったそうです。??理解できませんが。

 当日、パーティーをしたり仮装したりする学級があるかもしれません。そんな学校での楽しかったことをおじいちゃんやおばあちゃんに話してあげるだけで喜んでくれるはず。特別なことをするより、何気ない普段の会話が家族には大切なのかもしれないと思うのです

074 心躍る(9/20)

 オレンジ色の空を映して、電球色のような明るさの朝5時。昨日は強風に備えて鉢植えを移動しましたが、大丈夫そうで一安心。そして、子供たちが安全に登校するのを願います。

 夏の花といえば、幼少期の夏の庭の印象から色とりどりのグラジオラスを思い浮かべます。遡って、春の花。一番に思い浮かぶのが庭を縁取るミヤコワスレ。紫色の花弁と濃緑の葉がいまだに印象に残ります。小さい頃に身の回りにあった植物は、半世紀経っても忘れられないようです。

 もう少し涼しくなってくると、秋の植物が園芸店に出回り華やかな気持ちにさせてくれます。様々な種類がありますが、私にとっての代表的な秋の花は何だろうと思い巡らせます。ビオラもいいですね。厳冬期を耐え抜き春まで咲いてくれます。花期は短くても芳醇な香りを放つキンモクセイも大好きです。ランニングしながら、他人の家の庭の植物を見て回るのは楽しいものです。学校の花壇も模様替えが始まります。一鉢栽培も秋蒔き・秋植えです。秋の植物を求めて学校敷地内を観察して回るこの時期は、素敵な発見ができそうな、そんな気がするのです。ただその前に、夏の間に大きく育った草をなんとかしないといけません。用務員さんが夏休み後半から頑張ってくれていますが、植物の勢いのほうが勝っているようです。

 さて、ある秋晴れの朝、「ドン、ドン」と外から音が響きます。運動会があることを知らせる花火(空砲)かと思ってしまいました。どうも近所で解体工事を始めた音だったようで、残念で気持ちが一気に下降線。花火なんて、学校や地域の運動会が秋に行われていたずっと昔のお話です。ただ、音とともに青空に白い煙が2つ3つ見えると、なんかよいことがありそうな予感でワクワクしたあの頃のことを思い出すのです。

 この花火のように、多くの人が同じものを見たり聞いたりすることによってワクワクするものって、今の子供たちにはどんなものがあるのでしょう。尋ねてみたくなります。

073 文字からイメージする(9/16)

 ある飲料メーカーの次のような広告が新聞の片隅に掲載されました。「いいビールじゃないの、あの男には もったいないわね」とあります。パッと理解できる人もいるし、意味が分からないと思う人もいるはずです。さてこのビール、よいビールなの?よくないビールなの?それによって、読み方まで変わってきます。しばらく悩んで、文章のつながりからするとこれはよいビールなのだと合点が言った次第です。文字だけだとイメージが難しいことをあらためて思います。

 さて、好きなプロのウクレレ奏者が、『瑠璃色の地球』(歌:松田聖子)を水辺で演奏する動画があります。自然と穏やかな気持ちになっていくのが不思議です。アイドル路線のヒット曲とは一線を画して聴こえます。“夜明けの来ない夜は無いさ あなたがポツリ言う”の歌い出しは、戦争や感染症、災害等が繰り返される現代への過去からのメッセージとも捉えられます。自分で奏でてみたいとは思い、簡単な楽譜を買いました。もっと素敵なアレンジにステップアップしたいと思っているところです。

 ところで「瑠璃色」ってどんなイメージでしょう?瑠璃は、洋名「ラピスラズリ」です。正倉院の宝物にも見られます。光沢のある濃い紫がかった鮮やかな青とでも言いましょうか。同じように、グループサウンズ時代の歌に『亜麻色の髪の乙女』がありますが、「亜麻色」をイメージするのも難しいです。黄色がかった薄茶色?個人的には、MUJI(?)で扱うようなリネン製品を思い浮かべます。「トキ色」だって朱鷺を知っていたとしてもよくわかりません。

 一方、様々な色のイメージを効果的に活用している場面にも出合います。例えば「赤」。一般的な情熱的・エネルギッシュ・熱さ・強さ・活動的というイメージは、血液や太陽、炎など生命の象徴からやってくるのではないでしょうか。自分を鼓舞したり相手を威圧したりするのに効果がありそうです。また、「緑」は、自然・癒し・爽やかさ・健康・新鮮さなど、安心感を与えます。心に安定を与えてくれる気がします。

 というわけで、今日は?明日は?何色を身につけましょうか。マスクの色も気分によって…。

072 迷信(9/15)

 夏に父の新盆の法要を行いました。毎回、住職の法話を楽しみにするのですが、今回もうなずきながら聞き入りました。その中から「迷信」について。

 

 蛇はナメクジを恐れ、ナメクジは蛙を恐れ、蛙は蛇を恐れるとする故事から転じて、三者が互いに牽制しあって身動きがとれない状態を「三すくみ」、あるいは「三つ巴」と言います。この場面を田んぼの畦道で目にしてしまったある男が、「この場面を見るときっと悪いことが起きる。長生きできない」という迷信を思い出し、心配になって一休和尚に相談したそうです。食事が始まるときでしたが、一休さんはその男を招き入れ、膳まで用意させました。そして、「私がよいと言うまで食事に箸をつけるでないぞ!」と言いました。みんながおいしそうに食べるのを男はじっと見ています。いつ「どうぞ」と言ってくれるか心待ちにしていましたが、一向に声がかかりません。しばらくすると、皆は食べ終わって片付けが始まります。そして一休さんは、「客人の食事も片付けなさい」と言うのです。男は不思議でなりません。それが顔に出たのか、そのあと一休さんはこう言ったのです。「あなたは、三すくみを見ただけで長生きできないと思ったのですよね?ならば、料理も見ただけで腹が満たされるのではないですか?」と。  住職の話は、迷信に心が奪われてしまうことを諫める話だったようです。小さい頃は「火遊びすると寝小便をするよ」と言われたことを思い出します。住職の話を聞いた今も、やっぱり霊柩車を見ると親指を隠しますし、夜に爪を切ることは避けている私です。

 最後に、背中を押してもらえたり、妙に納得してしまったりする言葉を5つ。

■晴れの日は枝が伸びる。雨の日は根が伸びる。

■置かれた場所で咲けないときは 逃げてもいいよ、咲けるところへ。

■失敗しなかった1日は、何もしなかった1日だ。

■思った通りにはならないが、やった通りにはなる。

■したい人1000人、始める人100人、続ける人1人。

071 おにぎり(9/14)

 家の階段をのぼりながら、「♪ボバンババンボン…ブンバボンいつもおいらは泣かない~♪」と歌っていると、「それって、嘘つき少年の話だよね」と言います。いえ、違います! 1963年から約2年間放映されたアニメ「狼少年ケン」の歌です。狼少年ケンを、「オオカミが来たぞ~」と何度も嘘を触れ回る寓話と混同されては困ります。でも、知っている人は少ないのだろうなぁ。

 コンビニおにぎりの人気者は、ツナマヨや紅鮭、明太子、昆布、梅干しといったところでしょうか。私の場合、貧乏人根性丸出しでとにかく安いものをセレクト。たまに筋子なんて文字を見つけたときは手に取ってしまいます。ニーズに敏感で、売上げに大きく貢献しているのではないでしょうか。

 そのコンビニ業界では個性派おにぎりが相次いで登場しているといいます。中には300円を超えるものまであるようです。のり弁の具材やお子様ランチをおにぎりにするとか、豚骨ラーメンにぎりなど、従来の常識を完全に覆す商品ばかり。物珍しさで飛びつかせるだけでなく、また楽しみたいと思わせることが大事。でも、おかずも一緒に摂れるなら忙しい人の栄養バランスにはもってこいかもしれません。

 さて、夏の終わりから感染者数が減っていますが、この夏のコロナ感染者数の増加は凄まじいものでした。昨年の日記にメモされた感染者数なんてかわいいものでケタが違う。一方、行動制限はなし。とはいうものの旅行や観光は避けたくなります。必然、家での活動が多くなります。どこにも行かなかった夏休みは、小さな庭に七輪を出して肉とビールでささやかな幸せに浸りました。虫よけスプレーをつけて、蚊取り線香を焚いて、明るいうちから開始。最後は梅干しのおにぎりに海苔を巻いて〆…と思ったら、「もう十分食べたでしょ」と。もう1~2回、炭のにおいを楽しみたいなぁ。

070 新エチケット?(9/13)

 夏場のマスク生活はとにかく暑いし蒸れる!ひと頃より涼しく感じる今でさえ、時々外して口の周りの汗をぬぐいます。3年前まで、マスクは帽子やサングラス的な立ち位置?でした。人前では外すのが、一般的に失礼のない応対と考えられますから、コートの類いと似ているかもしれません。花粉症や風邪、衛生に特化された職種など使用場面が限定されていましたから、人に挨拶するときには一旦マスクをとるのがその扱いでした。ところが、このマナーというかエチケットが180度の転換を見せたから、あら大変!でも、それがスタンダードになった昨今を驚くべきでしょうか。コロナ終息後もマスク生活を続けたいと考える人が4割もいるという調査結果もあるようです。

 校長室で仕事をしているときは一人ですからマスクを必要としません。よって、机の上に置きっぱなし。ドアをノックする音に続いて職員が入ってきて、慌てて着用するのは毎度のこと。この外したマスクにもマナーがあるとマナー講師の諏内さんは言います。「着けているマスクは誰に見られても問題ありませんが、いったん外したマスクは清潔感が感じられないため、人目につかないようにするのが理想です」と。飲食店で外したマスクをテーブルにポンと置いておくことはNG。バッグやポケットにしまうのが気遣いらしいのです。マスクケースに入れるという配慮も必要ですし、その場合も人目つかないようにした方がスマートなようです。こんなことに無頓着な私は、いつも机上に置きっぱなし。ただ意識(行動)の継続は大事です。(参考:諏内えみ「愛されるふるまい」)

 日中はまだ暑い日が続きそうですので、マスクをしない方がよい場面があると思われますから…。

069 発酵食品(9/12)

 2年生の廊下に夏休みのできごとを絵日記にして掲示されています。楽しかったことが行間から滲み出ています。読んでいると、「…しかも泊りだったので、ますます…」「久々に旅行に行ったので…」「うまくなるコツの一つ目は…二つ目は…」「お墓の前で手を合わせると、おばあちゃんの声が聞こえてくるようでした」などの表現に目が留まります。1年生とは違った、成長が見てとれます。

  さて、香取郡にある道の駅「発酵の里」へ行きました。醤油や味噌、酒粕など発酵食品や麹製品を扱う珍しさに誘われて…。買ったのはオリジナルの「しょうゆ糀DEスパイスカレー」。一度食べたらクセになる本格派発酵スパイスカレーという謳い文句に心が揺れて。でもおいしかったです。また食べたいと思ったくらいですから…。ただお値段は540円。スーパーのレトルトの2倍です。安ければ4~5箱買えます。

 発酵は、微生物による有益な作用ですが、「腐敗」とは紙一重という感覚があります。健康によいとされる発酵食品の歴史は、紀元前五千年頃に牛乳から偶然できたヨーグルトが世界初といわれます。日本に目を向けると、最も古いとされるのが奈良時代の瓜の塩漬けですが、それ以前にも存在していたと考えられるようです。

 日本酒やワイン、味噌、醤油、納豆、キムチ、くさや、ソーセージなど代表的な発酵食品は数々ありますが、くず餅やナタデココも仲間だということを初めて知りました。くず餅は小麦粉に乳酸菌を混ぜて発酵させ、ナタデココは原料のココナッツ果汁に酢酸菌を混ぜて発酵させるそうです。ゼリーのように固めただけなのかと思っていました。

 ちなみに、ウェブ上に『料理王国~日本発酵地図~』というページを見つけました。そこにあった日本地図。●は濃口醤油の産地、塗られている部分は薄口醤油、たまり醤油、白醤油などです。主な産地が西日本に偏り、東日本では野田と銚子のみ。「千葉県ってすごいじゃん」と改めて思ったのです。これって、4年生の社会科のネタに使えないかなぁ?

068 カミナリ様(9/9)

 昨日の早朝の嵐は凄かった。稲光で明るいのか防災ニュースがスマホに届いた明るさなのかわかりません。夜中、市川市にも洪水警報が発令されたくらいですから…。

 さて、ピカッと光ったと思うとすぐに大きな音が鳴り響く雷は、年齢を問わず怖いものです。最近頓(とみ)に、大気不安定による雷鳴・落雷が何度もあります。2学期始業式の日も教室に雷鳴が響きました。昔は、金属製のものを身に着けていると雷に打たれるとか、お腹を出して寝るとカミナリ様に臍を取られるとか言われたものです。近年は、雷の怖さや身の守り方を訴え続けたからか、雷に打たれて亡くなったという報道はめったに聞かなくなりました。

 雷といえば停電がつきものだった半世紀前。頻繁に電気が消え、母がブレーカーを上げに席を立ち、祖母がロウソクを取りに行っていたことを思い出します。ロウソクは生活必需品で、どこの家庭にも箱入りで常備されていたはずです。夜、ロウソクの炎の下の食事なんて当たり前でした。大人になって、キャンプ場でひどい雷に遭ったときは、クルマに避難して幼い子を抱いて一晩を過ごしたこともありました。 雷鳴が聞こえるなど雷雲が近づく場合は落雷も迫っていますので、速やかに安全な場所へ避難することが必要です。子供たちが登下校中だったり屋外で遊んでいる最中だったりする場合もあれば、下校時刻前ということもあります。状況に応じては、子供をしばらく学校に留め置きますから、無理なお迎えは控えてください。それ以上に、対処法をしっかり確認して考えて行動できるようにすることが大事。

 こんなことを記しながら思い浮かんだのが、いかりや長介さんと高木ブーさん、仲本工事さんが黒・緑・赤色のカミナリ様に扮して、雲上で愚痴を言い合うドリフのコント。名物だったように思います。なつかし~。

   遠雷や はづしてひかる 耳かざり(木下夕爾)

 まだまだ雷鳴轟く日がありそうな気がします。

067 博士ちゃん(9/8)

 料理関係のバラエティー番組を時々観ます。『相葉マナブ』では、船橋のニンジン、横芝光町のズッキーニ、松戸のジャガイモ、富津のソラマメ、市原のトウモロコシなどが取り上げられ、夏休み前には富里スイカを使ったレシピがありました。また、『満点青空レストラン』では、やはり夏休み直前に江戸崎カボチャが登場しました。美味しそうで茨城まで買いに行こうかと思った矢先、翌日スーパーに陳列されているではありませんか。きっと放送予定を知って仕入れたに違いない、と勝手に決めつけます!お値段は通常の倍。でも、満足感はそれ以上かも。だってカボチャをあまり好んで食べない私が美味しいと思うくらいですから…。

 一方、夏のビールに最高の相棒といえば枝豆!ただ、その品種はたくさん。「だだちゃ豆」「湯上がり娘」「味風香」「夏風香」「神風香」と違いがよくわからないまま、「今日はこれにしようか」と買い物かごに入れた最盛期。今夏、初めて出会ったのが「ゆかた娘」でしたが、枝豆ももう終わりです。

 ところで、枝豆の生産量日本一はどこ?2019年のデータでは、群馬県が第1位(9.4%)、僅差で千葉県が第2位です。畑でよく見かけましたが、納得です。ちなみに、子供たちは畑に植えられた作物を見て種類がわかるでしょうか。枝豆や空豆、人参、大根、落花生などわかるといいなぁ。また、花を咲かせる植物の名前を言える博士ちゃん、いないかなぁ。野菜や植物に限らず、興味あることにとことん詳しい「博士ちゃん」とおしゃべりしてみたい気がします。そんな子がきっといるはず。「へ~」と感心したり相槌を打ったりして聴いているだけしかできないかもしれませんが…。

066 4K(9/7)

 ニュースの冒頭で、「スタジオの照明を暗くしています」とテロップが入ります。スーパーも商品棚周辺の照明を落としています。夏場の電力ひっ迫への対応ですが、電気代やガス代が値上げされる中、元に戻すことはないかもしれません。

 さて、最近の家屋のトイレは、便所・厠・御不浄などと呼ばれていた頃のものと真逆で、おしゃれなレストルームという感じです。また、出先のトイレにも当たり前のように装備されたウォシュレット。「おしりだって洗ってほしい」のCMで一躍、世間に認知されたのが40年前。でも私が使ったのは1~2回。いろいろな機能が、未だよくわかりません。  今日久しぶりに昭和30年代の汲み取り式和式便所を思い出しました。板張りの床に便器(現在残る和式便所の便器とは異なる)がついています。その便器から臭気が上がってくるのを防ぐために、木製の蓋で覆っていました。窓にはねじ式の鍵がついており、床の高さにごみを掃き出すための窓もあります。トイレットペーパーはロール式などあるわけなく、B5~A4大の四角いちり紙が、竹で組んだような箱に入っていました。足を開いてしゃがむのですが、便器の下に落ちたらどうしようと思う幼少期でした。当然ながら、大きい方の用を足せば下に溜まった糞尿液が勢いで跳ね返ってきます。これを「おつり」と呼んでいましたし、このトイレは通称「ぼっとん便所」。

 ところで、1年生の国語科『はたらくじどうしゃ』でポンプ車やダンプカー、ショベルカーなどが紹介されますが、その中に今はほとんど目にすることのない「バキュームカー」があったとしたら、何をする車だと子供たちは考えるでしょう。これが登場する前は、畑の一角にある「肥溜め」に糞尿を桶で汲んで処分していたなんて想像もできないことでしょう。  こんな話になったのは、朝方の夢にぼっとん便所が登場したから。便器ぎりぎりまで汚水で満たされ、排泄を戸惑っている場面でした(朝から汚い話ですいません)。トイレの花子さんに登場するような、暗い・汚い・臭い・怖いの四拍子(4K)揃った昔の便所に戻りたいとは思いませんが、学校のトイレも未だ1~2Kかな。トイレは、安心して入れる衛生的な場所にしないといけないと常々思うのですが…。

 ちなみに、子供達への4K(気づき・関心・声かけ・確認)には積極的でありたいと思います。大人のアンテナは高く、感度よく!

065 セミとカメムシ(9/6)

 夏休みの自由研究で、カブトムシや蝉、蝶の標本を作ってきた子がいます。親子で一緒に楽しむ機会になったのだろううれしく思います。 

 さて、カブトムシや蝉に負けず劣らず、私の体も硬い!これは年齢によるものではなく、小学生の頃からすでにコチコチ。スポーツテストで柔軟度を測る「立位体前屈」が嫌いでした。だって「マイナス10数cm」という記録なのですから。整形外科の理学療法士にも「かなり硬いですね」と言われます。そんな私はこの夏、汗を拭くボディシートのお世話になることも度々。でも背中に手が届きません。そこで登場するのが孫の手。シートを孫の手で押さえながら背中を拭いている姿は人には見せられない滑稽なものだと思います。

 この夏、子供たちが聞いたセミの声は何種類だったのでしょう。早朝や猛暑が少し収まった時間帯に鳴いていたようです。他人事のような書き方ですが、セミの声が聞こえないので必然的にそうなってしまいます。セミの声がうるさく聞こえていたのは20代までだったか、遥か彼方の記憶です。そんな私のために、ミーンミーン、カナカナカナ、ジージー、ツクツクボーシとワンセットで鳴きまねをしてくれる人がいます。クマゼミはシャーシャーと鳴くというのも少し前に知りました。涼しくなってきて、セミの鳴き声に哀愁が漂っているようです。

 話は変わって、同じ昆虫でもカメムシのお話。8月初旬のニュースにあったのが「カメムシ注意報発令」の記事。カメムシは隔年で発生数が増減するといいます。今年は、梅雨前から気温が高く、しかも記録的な早さの梅雨明けが影響して、過去10年で最も多かったらしいのです。我が家の庭も例外でなく、茶色の果樹カメムシが退治しても退治してもライラックやレモンの木に現れます。カメムシは白色を好む傾向があるので、シャツやシーツなどの洗濯物についていないか確認していました。そういえば、食べ物についていた緑色のカメムシを噛んでしまった忌々しい思い出が蘇ってきました!

064 自由研究(9/5)

 夏休みが終わりに近づいたころ、ネット上で小学6年生で4姉弟の長女の自由研究が話題になりました。テーマは「なぜ、きょうだい喧嘩が起きるのか」で、テーマもさることながらデータをまとめる視点がなかなかです。「誰vs誰が多いか」「男vs男、女vs女ではどのくらいか」「年齢差でみるとどうか」「原因は何か」「ちょっかいか、自己主張か」「喧嘩が起こりやすい時間はいつか」など、100バトルをしっかり記録しながらまとめています。着眼点に面白さに驚きます。

 さて、スーパーなどの棚に並ぶランチパック。いつでもどこでも食べられる手軽さを売りに、1984年に発売された商品。当初は「ピーナツ」「ヨーグルト」「小倉」「青りんご」の4種類だったとか。味の開発はとても大変そうです。月に40~50種類くらいの提案がされるも採用はめったにないといいますし、開発チームでは毎日16種類以上の試作品を食べているようです。絶望的な味だったのが「エナジードリンク」と「もやしのナムル」といい、パンとの相性がダメだったようです。関東と関西とでは人気に違いがあるそうです。これらも研究!でも、10月からはこれも値上げでしょうか。

 パンで思い出しましたが、夏休み中に外環側道にある「ミートショップ・ミヤワキ」へ行きました。前任校から異動するときに保護者の方からお手紙をいただきましたが、その中におすすめの店として紹介されていたのです。1学期は、店内へ足を踏み入れることができずにいました。8月に入って、念願のカツサンドを食しました。ボリュームたっぷりでやわらかい。ポークもよいけどチキンはそれ以上というのが感想です。次回がいつになるかはわかりませんが、パンをテーマにすると、来夏の研究テーマが思い浮かぶかも? 

063 目覚まし?それとも警告?(9/2)

 うちの奥さんは、スマホの目覚まし機能に名前を付ける変な人です。セットした時刻によって「アラームさん」「アラーム様」「アラームちゃん」などなど。どれが何を知らせるものかわかるのか怪しい?

 さて、夏休み後半に千葉県知事から「子供の車内放置撲滅」について緊急メッセージがあったので本校HPにアップ&メール配信しました。どれだけ報道されても、車内で熱中症により亡くなる子供の事故が後を絶たないのはなぜでしょうか。ある自動車部品専門商社の調査では、子供だけを残して車を離れた経験のあるドライバーが3割もいるようです。普段と違う行動パターンがあったりストレスを感じていたりすることで、考えられないようなミスをするというのです。自分は大丈夫という過信は禁物のようです。

 とにかく猛暑と呼ばれる日に炎天下の駐車は躊躇われます。フロントガラスにサンシェードは必須です。これまで使っていたものは7~8年経過していて小さな穴が目立つようになったので買い換えました。4層構造で効果は絶大!サンシェードなしと新旧とで車内温度を比較してみたくなります。

 給食室で働く調理員さんは、給食室という熱のこもる空間で火を扱います。夏場はサウナ状態でしょうか。体験したことはないですが、とにかく暑いそうです。また冬場だって、冷たい水での作業が求められる場面があります。ただどんな状況下でも、判断・行動が鈍って考えられないようなミスをしたなんてことが起きないように頑張ってくれています。今日から給食が始まります。感謝しながらいただきます。

 有事にアラームが危険を知らせるということもありますが、学校では、ミスをゼロに近づける人為的な努力をしながら、失敗をカバーしあえる組織・体制を大事にしたいと考えます。

 2112年の明日9月3日は、ドラえもんの誕生日!

062 学校職員の夏休み(9/1)

 42日間の夏休みが終わり、学校の活気に水を差すような朝の雨。ただ、子供たちが家庭や地域で過ごすこの期間、事件・事故の報告がなかったこと、たとえ憂鬱な気持ちがあっても登校してきたことをうれしく思います。保護者や地域の方々に感謝の気持ちでいっぱいです。2学期もどうぞよろしくお願いします。

 さて、世界で最も多忙といわれる日本の教員は、この夏季休業をどのように過ごしていたのか興味のある方もいるかもしれません。普段忙しい教員が、ホッと一息つけるかというとそうでもありません。個人面談は事前の準備も含めて、想像以上に大変です。秋に行われる授業研や教育委員会訪問に備えて、教材研究したり指導案を作成したりすることにも時間を費やします。当然、9月からの授業に向けて計画も集中して行います。部活動や校務分掌、備品点検なども漏れなくついてきます。さらに、校外学習の下見に時間をかけられるのもこの時期しかありません。これらに加えて出張・研修がありますから、学校外でも仕事に精を出しているといった感じです。

 業務改善の一つとして、市川市公立学校でお盆周辺を学校閉庁日にして休める日を確保しています。付与される特別休暇はここで消化します。年次休暇も学級担任には普段取得しづらい傾向がありますから、必然的に年休取得を夏季休業中に集中させてリフレッシュを図っています。とは言え、毎日のように顔を合わせる先生も…。

 未だにご近所さんから、「先生は夏休みがあっていいですね」的な目で見られますが、夏休みだからといってのほほんと過ごしているわけでは決してないのです。ただ、ゆったり使える時間を有効に活用して、自分を人間的に肥えさせたいと誰もが願っているのは確か!

 このあと子供たちの声を聴きに、教室を回ろうと思います。 

061 コップの水(7/20)

 42日間の夏休みは、これまで背負っていた様々な荷物を一度全部下ろして解放感に浸れる期間です。リフレッシュして9月を迎えてほしいと願っています。

 次のような話を読みました。心理学の先生が、講義の中で水の入ったコップを持ち上げたそうです。受講者はてっきり、「水はまだ半分あるととらえるか、もう半分しかないとみるか、どうですか?」と問われると思いました。でも先生は、「このコップの重さはどのくらいだと思いますか?」と尋ねたのです。口々に「△グラム」とありましたが、先生は「正確な重さは関係ありません。むしろ持っている時間が大事なのです」と言い、さらに続けます。「例えば、このコップを1分間持っているのは何の問題もありません。ですが、1時間も保持していればどうでしょう。腕が痛くなってきますよね。さらに、一日中持っていたら腕の感覚が麻痺してしまいます」と。受講者は真剣に耳を傾けます。「人生におけるストレスや不安は、このコップの水に似ているのです。ちょっと悩んだり考えたりしている分には特に何も起こりません。ですが、あることに長く考え続けると痛みを感じ始めます。さらに、一日中考え続ければ、思考が麻痺してきます」と言って、最後に「ですから、コップを下に置くことを忘れないでください」と締めくくったのです。

 『コップを下に置くこと』とは、別のことに没頭して忘れたり昇華したりすることと考えることもできますし、誰かに相談したり愚痴をこぼしたりすることととらえることもできます。気づくこと、受け止めること、傾聴すること、そうした気持ちが、誰かを救うことができるかもしれません。

 夏休み明け前後、いのちの電話や著名人からのメッセージなどが新聞掲載されます。これらは、子供を自死から救う取り組みの一つ。学校でも相談を受け付けます。遠慮なくいつでも声を聴かせてください!最後に、この1学期間、多くの方にお世話になりました。ありがとうございました。

060 昭和の夏休み(7/19)

 夏休みを楽しみにする気持ちに時代は関係ありません。

 半世紀前の小学生は、夏休み前に必ずと言ってよいほど「一日の過ごし方」を円グラフのような表に計画。そして休みに入ると、ラジオ体操が一日の始まり。出席カードのようなものを首から下げて、終わるとおじさんやお姉さんにハンコを押してもらいました。

 朝早く、近くの林に虫捕りにも行きました。カブトムシやクワガタを捕るために、前日にスイカやメロンの食べ残しをトラップとしてセット。自分だけの狩り場をもっていたのです。でも翌朝にいるのはカナブンだけ…なんてことばかり。エアコンなんてない時代、扇風機の前で「ア~~」とか「ワレワレハ 宇宙人デアル」なんてこともやりました。変な声になって…わかるかなぁ?

 子供会で行った岩井海岸。行きだったか帰りだったか、買ってもらったばかりの麦わら帽子をバスの窓から飛ばされちゃって、でも「バスを止めてください」なんて言う勇気がなくて、泣きたくなるのを我慢していたのを今でも思い出します。

 思いであるアイスも色々あります。商店のアイス保冷庫からホームランバーやメロン型アイスを取り出して…、卵型の風船アイスはおっぱいアイスなんて呼んでいました。定番はやはりバニラのカップアイスでした。

 夏休みの宿題は、先生がわら半紙に印刷した問題ばかり。アニメ『サザエさん』のカツオ君のように最後に慌てるのは毎年のこと。嫌なことを後回しにするのは、今も変わっていないのですが。

 今の子供たちが数十年後にノスタルジックな気分に浸る思い出って何なのだろうと、どうでもよい心配ができることを「平和」と呼ぶのかもしれません。