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校長室から

497 ありがとうを口癖に(24.10.22)

 教員の意識調査にある「どのようなときにやりがいを感じるか」の問いに、「自分の仕事が評価されたとき」が6番目に登場します。また、「働きやすい職場はどのような職場ですか」に対しては、「上司から正当な評価がされること」という文字が見られます。

 次の作品は、新聞に掲載された小学2年生の詩です。

  じぶんのシューズあらいと / ぞうきんがけをしました

  シューズをあらったとき / お母さんがうれしそうに

  サイコーっていってくれました /

  お母さんのおてつだい / いつもやりたいです

 お母さんの言葉とそこに添えられる嬉しそうな表情が、この子をやる気にさせる評価であり、スイッチなのだと思います。同じ言葉であっても、トーンなどの違いで受ける印象が異なりますから、笑顔と一緒に感謝や称賛をちゃんと相手に伝えたいと思います。

 先々週、補聴器を点検に出しました。オーバーホールするので1週間かかります。そこで代替器を借り受けて装着してびっくり。進化のスピードは加速度的に伸びているようで、突発音のほか風切り音が低減されています。強い風でもバリバリと割れる音がしないのです。車検や修理の際の代車に、新型車を借りた時の、軽快感・操舵感に驚くのと同じ感覚です。新旧補聴器の違いを実感した先週でしたが、買い換えを検討できる余裕なんかあるはずもなし。

 そういえば、病院の受付で大きな声で聞き返していたおじいさんの耳にも外れかけた補聴器が見えました。何年使っているかは不明ですが、未来の自分を見るようです。そのおじいさんが、看護師さんに大きな声で「ありがとう~」と発した響きは、決してうるさく感じないから不思議です。

496 尾頭付き(24.10.19)

 今日土曜日は、音楽会の参観とひらたっ子まつり。ワクワクします!

 ある日のニュースで、「地域を支えるヤブ医者」というタイトルが映りました。「えっ、どういうこと?」と思いながら見ていると、「ヤブ医者」とは本来名医を表す言葉で、現在言われるような下手な医者のことではないとのこと。兵庫県養父(やぶ)市のHPには、“ある名医が但馬の養父(やぶ)という所にひっそりと隠れるように住んでいて、土地の人に治療を行っていた。死にそうな病人を治すほどの治療を行うことも少なくなかった。その評判は広く各地に伝わり、多くの医者の卵が養父の名医の弟子となった。”とあります。そういう起源があったんだぁ、ガッテン!

 スーパーに並ぶサンマは、今年もスリムな体型です。そんな魚たちを眺めていて、ふと思います。子供たちはこうした魚を見て、名前を言えるのでしょうか。切り身や刺身しか目しない子にとって、鯛や金目はわかってもマグロもカツオもブリも同じに見えるかもしれません。でも魚にも顔があって、種類の見分けはつきます。開きになっても、アジなのかホッケなのかもわかります。

 一般的に、焼き魚として提供されるものの多くは尾頭付きのように思います。鯛やサンマ、目刺しまで…。私の場合、目刺しは頭から全部食べてしまいますが、妻は皿の隅に置いて口をつけません。美味しいのにと思って手を伸ばそうとすると叱られます。ですから、先日食べたサンマには頭がありませんでした。内臓もなかったので売り場に出される前にカットされたものだったのでしょうが、ちょっと寂しい。頭を食べるわけではないのになぜか寂しい。やっぱり、サンマがサンマであることの証が頭(顔)なのではないかなぁと思うのです。「養父」ならず「目黒」のサンマも、当然尾頭付きだったはず。

495 あの気持ちを再び(24.10.18)

 キンモクセイの甘い香りに淡い思い出が浮かびます。一方、味への感動は忘れて久しいように思います。自分で収入を得るようなると、自然と美味しいものを口にする機会が増えます。あれもこれも美味しいと味わっていくうちに、今なら何でもない味に感動したあの時、あの場面が蘇ります。大学生になったころから、新しく知る味がどんどん増えていきました。母の作る味がスタンダードでしたから、「世の中にこんなに美味しいものがあったんだ」というカルチャーショックはたびたびでした。例えば、大学の食堂で食べたサウザンドアイランドが、アルファルファのサラダ(今でいうスプラウト)を絶品に変身させてしまうような錯覚に陥りました。マヨネーズくらいしか知らない舌が、異世界を味わったような感覚。今思えば、たかがそんなことに?と馬鹿々々しくなりますが…。

 ユーチューブで、松山千春が歌う『旅立ち』をたまたま聴くことがあり、カラオケで歌ったことを思い出しました。70年代後半のリリースです。この頃のフォークソングは、自分が歌詞の中の主人公のような錯覚に陥ります。時代背景や生活環境が必ずしも合致しないのに、自分と重ねてしまった若かりし頃。

 70年代のヒット曲のリストから好きな曲を選んでもらうというアンケート結果を見ると、『なごり雪』『神田川』『心の旅』『22才の別れ』などフォークソングが上位を独占です。そのほかにも、不思議と別れや別れの予感を歌った曲がとても多いことに気づきます。自分の思いどおりにはならない心苦しさと傷つけあう姿を切々と詞にしています。逆に、人とのかかわりや思いが、歌の中に息づいているとも言えそうです。アンケート48位に見つけた、ハイファイセットの『フィーリング』も好きだなぁ。

 歌に自分を重ねて感傷に浸るなんてこともなくなったので、子供たちの歌声を楽しみにする今日は、明日に向けたリハーサル兼相互に見合う発表会です。

494 夢を見る(24.10.17)

 社会科の授業が始まる時間、他校からの参観者が数名確認できます。でも、子供は7~8名くらいしか教室に戻っていません。どうしたのか心配しながら、仕方なく授業を始めます。グラフを読み取って考えさせようと思っていたにもかかわらず、その資料が教科書のどこにも載っていないことに気づいて焦ります。手元にも印刷資料を用意していません。ふと教室全体に目をやると、子供たちは授業に関係ないものを振り回してやりたい放題。授業は進まず、板書は未だなし。そんな状況を目の当たりにして、参観者がこそこそと話し始めているのが横目でわかります。居たたまれない気持ちになる中、目が覚めました。担任ではない年月が、担任をしていた時代を大きく上回っているにもかかわらず、未だに準備不足の授業場面の夢を時々見るのです。

 賞状書士の資格をとってみようかと、通信講座に申し込んだのは何十年前のことだったか。筆などは別にして、手本や道具が一式揃い、取り組んで添削を受けたのは2回くらいでした。時間がないわけではありませんが、一人で黙々と続ける根気に欠ける私。ウクレレが続いているのは、独学ではなく、定期的に先生に習いに行っているからにほかなりません。

 似顔絵の通信講座受講を考えた時もありました。特徴をとらえた絵は、何かの役に立つのではないか、描いている時間も楽しいのではないかと思いめぐらせたのですが、申し込みには至りませんでした。好きだったのが、先日亡くなったイラストレーター・山藤章二さんの風刺画。例えば、岸田劉生の『麗子像』を模して描いた大平正芳元首相などの作品はユーモアたっぷり。特徴をとらえた似顔絵が描けたら、全校児童をモデルにできるのにと叶わない夢を見ます。現実は、ワンパターンの自分の似顔絵が限界なのに。

493 あおとあか(24.10.16)

 晴れた日の真っ青な空が、高く見えて秋らしさを感じさせます。「水色」「空色」など、様々な表現がありますが、ざっくりまとめれば「青」系です。でも、「蒼」「碧」「藍」を使う場面も見受けられ、文字から伝わる印象や微妙なグラデーションも人それぞれのはず。

 「あお」は、空の高みの澄み渡る色でもあり、海の深さを表現する色でもあります。朝靄の中に広がっていく始まりの色であり、夜の闇に見つける懐かしい光なのかもしれません。ある人は悲しみあるいは透明感を感じ、またある人は希望を見出します。名前にも使われる文字という点で、「緑」「翠」「碧」とも似かよっている気がして、なんとも不思議です。「これってポエムっぽいぞ」と思って検索すると、『名前の詩』(三戸隆正)に「あお」を発見!

 「あ」かるく楽しみながら 「お」おきな夢を叶える

 秋は、実りの季節でもあります。おいしい果物が出回ります。梨が終わって、同じバラ科のリンゴが店先にたくさん並んでいます。梨といったら、昔は「長十郎」一択だったように思いますが、幸水・豊水・あきづき・かおり・王秋など、次々と新しい品種が登場しています。これはリンゴも一緒。甘み重視で蜜の入った「ふじ」が人気ですが、私の推しは「紅玉」。酸味の利いた昔ながらの味です。その甘酸っぱさからアップルパイや焼きリンゴといったお菓子の材料として活躍する品種です。今は、赤系では「陸奥」「ジョナゴールド」「シナノスイート」「秋映」「サンふじ」、黄系は「シナノゴールド」「王林」などが有名でしょうか。ここ数年、我が家では信州のリンゴ農家から箱で取り寄せて、アラカルトを楽しんでいます。

 「あ」りのままに 「か」ちまけよりも 自分らしい味になれ(by蜂須賀)

492 宝物(24.10.15)

 30歳を過ぎたわが子二人が幼かった頃、ビデオカメラを構えて記録するのが楽しみでした。小さめのVHSテープが溜まってきたので、デッキを2台並べてDVDに編集しました。「老後の楽しみだ」と言って、何時間もかけて納得のいくものにしたはずなのに、しばらくして確認した時には、DVDプレーヤーでもPCにも映りません。何度やっても同じなので、諦めて放置したままでしたが、先日、娘がテープのほうを業者に出して再編集してくれました。幼稚園の発表会や運動会、小学校の入学式などを再び目にすることができました。記憶が刺激されて涙がこぼれます。「子は3歳までに親に恩返ししている」と言われますが、どんなに大きくなっても可愛くて仕方ない宝物です。

 近くの公園や林、先日のアンデルセン公園などの路上にシイやクヌギの実が落ちていることを見かける季節。総じてどんぐりを、木に生っていた時と同じように帽子を被せて並べてあげれば、ちょっとした秋の置物に変身です。たくさん落ちていますから、発芽してもよさそうなものですが、そういう所にはなかなかお目にかかれません。芽を出すためには様々な壁があるようです。例えば、公園など人が立ち入る場所の地面は踏み固められて、水分を吸いづらいとか、そうでない場所でも、落ち葉に邪魔されたり、動物に食べられたりしてします。水が吸えても、周りの木が日光を遮って育たないということも多くあります。発芽まで生きられる割合は、なんと1%にも満たないといいます。

 道端に落ちているどんぐりを、まるで宝物のように大事にポケットにしまう子がいます。でも、忘れられたどんぐりが洗濯機の中を泳ぎ回って怒られた、あるいは怒ったなんて経験もあるはず。

491 何派?(24.10.11)

 納豆をかき回しながら、ふと思います。なぜ納豆のパックって3つなのだろうと。2つや4つの方が使いやすいのに…。我が家は二人家族ですから、パックの1つが必ず余る計算です。いつも同じ納豆を買うわけではないので、2つ置かれた納豆のタレの味や豆の大きさが違う日があることになります。こうした疑問は誰もが感じるようで、スマホで検索すればそれらしい答えにヒットします。

 ①夫婦2人と子供1人の家族が増えたためとする説。②4人家族だと3個入りパックを2つ買うため利益が上がるとする説。③ヨーグルトは4個入りが多い中、納豆を4パックにすると購入価格が上がって売れにくくなるとする説。④冷蔵庫での収納や売り場での場所確保にちょうどよいサイズであるとする説。どれももっともらしい。ちなみに、納豆をご飯にのせて食べる派かそのまま食べる派か、どちらが多いのかと新たな疑問が…。ということで、表題は宗教・宗派を問うたものではありません。

 では、インドア派かアウトドア派かを問われたら、間髪入れずアウトドア派と答える私。家の中でじっとしているより、やることがあれば屋外で作業しているほうが好きなので、外に出たと思ったらいつまでも家の中に戻らないこともしばしばあって呆れられています。

 昭和の子供はみんなアウトドア派かもしれないという決めつけはよくありませんが、私にとって屋外活動に欠かせなかった遊び道具がナイフ。時間と材料さえあれば一人で黙々とナイフを携えて工作三昧でした。当然のことながら、たまにケガもしますから、どうすれば止血できるかなど体験的に学んだ気がします。

 今日は1年生とアンデルセン公園へ出かけます。何回も校外学習の引率はしてきましたが、実はアンデルセン公園は初めて。巡りあわせというかタイミングの問題なのですが…。だから、子供たちと一緒に屋外での活動を楽しんできます。そして三連休…。

490 よくわからない(24.10.10)

 テレビ放送された『踊る大捜査線 ザ・ムービー』を録画して観ました。1998年上映ですから、製作は四半世紀以上前となります。当然、様々なことが今と大違い。車は古いし、パソコンが分厚い。職場でタバコをぷかぷか吸っています。シートベルトを閉めずに車を運転していたり、腹部を刺された青島刑事を室井さんが支えながら外に連れ出したり。大怪我しているのに歩かせちゃダメでしょ。あらっ、重傷者を警察車両に乗せちゃったよ、とツッコミどころ満載でした。でも、みんな若くて懐かしい。

 さて、最近よくわからなくなっていくものがあります。例えば、「今年はなに年だっけ?」と干支を問われて、返答に困ることはないでしょうか。これは年老いたせい?いやいや記憶力の問題ではないはず。年男・年女でもない限り、干支を気にすることがなくなったからかもしれません。自分の干支から数え直して、「どうも辰年のようだ」という結論に落ち着くといった感じです。

 ほかには、俳優の岡田准一さんが、V6だったことは覚えていても、他のメンバーをそらんじることができないなんてことも…。TOKIO、嵐、NEWSもごちゃごちゃで、誰がどこに属していたかわからなくなります。新しめのSnow Manだって8人なのか9人組なのか?辛うじてSMAPだけはわかると思っていたら、結成当時は「スケートボーイズ」というグループ名で12人もいたとか!途中脱退した森且行さんを含めた6人だったことすら知らない世代が多くなりましたが、「へー」といった感じ。妻にでも話そうものなら「だから何?」と素っ気ない返事間違いなし!

 さらに、人顔認知機能!これはシチュエーションと深く結びついています。学校外で私と会った子供の多くが「えっ、何でここに?」という表情をします。時には、校長であることを認識せず(気づかないフリ?)に素通りという場面もあります。大人も同様。自転車に乗って出かける女性を、学校近くで毎朝見かけますが、異なる時間あるいは違う場所ですれ違うと、見たことがあるけれど誰だっけ?顔見知りなのか保護者なのか、自分なりの答えを見つけるまでかなりの時間を要します。

 きっと誰もが同じだと思いたくなる今日は、1999年まで33年間「体育の日」だった日です。

489 手書き文字(24.10.9)

 新番組が続々とはじまる秋ですが、テレビ欄を見ていると、正時(00分)に始まる番組の少なさを今更のように感じます。逆に言うと、番組開始時間が中途半端なものだらけとなります。テレビ欄にNHKから7局が並びますが、横罫が4局つながるのが最大です。正午ぴったりに始まるのだって3局しかありません。こんな風になったのはいつ頃からなのでしょう。特に、夕方のニュース番組をみると、日テレは3:50、テレ朝は4:48、TBSが3:49、フジが3:45と、競い合うようにスタートラインが前に前に動いていったことが窺えます。こうした手法を「フライングスタート」と呼ぶそうです。他局より数分でも早く始めることで、視聴者を引き込もうとするわけです。過去にも似たような開始時間の前倒しはありましたが、視聴率至上主義の最たるもの。ずっと昔は、どの局も基本、正時に番組が開始され、視聴者にとっては時報の役割も兼ねていたといってもよいものでした。推理ドラマのアリバイにも利用されたりして…。

 若い先生方の研修のために、今も現役で子供たちに国語の授業を毎日行う大先輩に来ていただきました。15年ぶりにお会いしましたが、授業への情熱は全く失われていないことに尊敬のまなざし。板書は当然、配付するプリントも手書きにこだわっています。実際、いただいた資料20枚すべてに手書き文字とイラストが並んで、温かみがあります。

 ここ数十年、パソコンやスマホが筆記用具の代わりを果たしてくれますから、手書きの機会は激減しました。右手中指にできたペンだこも小さくなっています。今更ながら、普段どんなときにペンを持つか挙げてみました。①日記、②備忘録へのメモ、③先生の週記録へのコメント、④スケジュール帳への記載、⑤先生への連絡事項を記す付箋紙、⑥検食簿への記録、と数えるほどしかありません。お気に入りの万年筆も、使わないとインクの出が悪くなるので、努めてそんな時に使用しています。

 先日配付した通知表に見つけた「福倉部長」にはニンマリ。手書きだったらこんなこともなく、ちゃんと「副クラブ長」と書けるのに。

488 ジャンパー(24.10.8)

 今朝、本八幡高架脇を歩いているときにどなたかに挨拶をされたのに、気づいたときは時すでに遅し!すいません。

 だいぶ前になりますが、教頭先生がいただき物の缶サイダーに私の似顔絵を描いて、冷蔵庫に入れておいてくれました。ある日それを思い出して、プルタブを開けて飲み始めてふと気づいたこと。口をつけるたびに自分の顔を舐めているではありませんか。これは意図的犯行?

 さて、店の衣料品はすっかり秋冬物になりました。半袖が長袖に、生地が厚手になるだけでなく、色合いも夏と秋冬では大きく違います。「トレーナーを買おうかな」と言うと、「スウェットよ!」とたしなめられます。マネキンが身に着けるスタジャンを眺めていると、「あなたには似合わない!」と釣れないお言葉。懐かしさを感じながらも、今だからこそ上手く着こなせるのではないかという妄想が、その一声で萎れていきます。

 ちなみに、ジャンパーかジャンバーかで悩んで、語尾を適当に濁すのは私だけ?英語表記から正しいのはジャンパーのようですが、紛らわしいのでフランス語のブルゾンを使うほうがよいのかも…。

 ところで、スタジャンとは「スタジアムジャンパー」の略で和製英語。発祥はアメリカのベースボールと言われ、大学生のスポーツチームが着用していたジャケットのことです。特徴は、胸のワッペンでしょうか。日本では1980年台にブームが到来して、アメカジの代表アイテムともいえるものでした。胸ワッペンや背中のデザインが特徴的で格好よかったので、大学生の頃の一張羅のアウターでした。

 これに似た、一文字違いのスカジャン。何の略かと思ってググると、横須賀ジャンパーの略称とあります。横須賀駐留のアメリカ軍人が、自分のジャケットに派手な和風の刺繍を入れてお土産にしたことから定着したらしいのです。

 そういえば、サントリーの缶コーヒー『BOSS』で、ボスジャンが当たるというキャンペーンがあったことを思い出しました。ヤフオクにも商品が多数見られます。今はもうキャンペーンをやっていないだろうと思って検索すると、「役満ボスジャン~オリジナル麻雀牌デザイン~」が自販機にタッチで当たるようです。応募締め切りは来年2月。でも、さすがにこのデザインは奇抜すぎでダンディにはなれません。

487 オーエス(24.10.7)

 朝の天気予報で雨雲の動きをチェックして、「今日は雨が降る心配がないな」とか「折りたたみ傘を忍ばせておく必要があるな」とか、日本地図の中の千葉県を中心に見ながら確認する毎日。すると、千葉県がいつの間にか正統なチーバくんの姿にしか見えなくなってくるから不思議です。それほど浸透している証拠ともいえそうです。

 さて、秋は幼稚園や保育園の運動会シーズンです。というわけで、今年も孫の運動会を見に行ってきました。年中の綱引きで、「オーエス、オーエス」のかけ声を久しぶりに聞きました。ところで、この「オーエス」って何?という疑問。昔、西船橋に劇場があったなぁなんて話をすると、お叱りを受けそうなので真面目に調べました!

 綱引き自体は、平安時代からあって、神事として開催されていたといいます。これが明治時代になって他国との交流が盛んになり、海外のチームとも交流戦が行われました。その頃には、神事というよりスポーツとして楽しんでいたようです。イギリス人の指導の下で発せられたかけ声は「oh hisse(オーイス)」。でも、日本人の耳には「オーエス」と聞こえたというのが始まりなのです。「せーの」でも「よいしょ」でもよいわけで、要は力を込めて引くタイミングを揃えるためのかけ声ですから、独自のものを作り出してもよいわけです。実際、力自慢集まる綱引き競技では、「オーエス」なんて悠長なリズムでは勝てそうもありません。

 5月の運動会でも、5・6年生が「お助け綱引き」をしました。ある学校では、綱を2本使用して十字に組んで、その中心の位置によって勝敗を決する競技方法をとっていました。いろいろなやり方がありますので、高学年ならある程度アイディアを子供たちに委ねてみるのもよいかもしれません。

486 うらら(24.10.4)

 自民党・石破茂氏が新総裁となって新内閣が発足しました。この102代首相、時代劇で「おぬしも悪よのぉ~」とお代官様を演じたらよくお似合いでは?なんて、失礼千万!27日には衆議院解散・総選挙なので、その後すぐに内閣の顔ぶれがまた変わる可能性もあります。とりあえず、教育に携わる者として文部科学大臣の名前くらいは知っておかなければと、新聞の束から数日前の朝刊を引っ張り出しました。「阿部俊子文部科学大臣ね!」と顔と年齢をチェックして思います。「ついこの前までは誰だっけ?」と。盛山正仁氏だそうですが、記憶にございません。

 内閣改造・総選挙などで、文科大臣だけみても目まぐるしく入れ替わります。令和になってすでに6人目ですから、毎年変わっている計算。よって覚えられるはずがないと言い訳。また、防衛費や少子化対策費、災害復興費、社会保障関係費などは取沙汰されますが、教育費が話題に上る場面にとんとお目にかからない気がします。すぐに首を挿(す)げ替えられるとなれば、じっくり腰を落ち着けて政策を強く進める余裕なんてないのかも。

 さて、ある日の新聞に「秋うらら」という言葉を見つけました。「秋麗」と書いてもよいそうですが、これだとビールの銘柄にしか見えません。そういえば、「春うらら」という歌があったことを思い出して調べてみると、ありました、ありました。48年前に田山雅充さんが歌っています。前奏は、まさに昭和歌謡。ちなみに山本リンダさんは、「♪ウララ ウララ ウラウラで~♪」と『狙いうち』を歌っていました。

 この「麗らか」とは、「空が明るく晴れて日がのどかに照っているさま」「心にわだかまりがなく、晴れ晴れと明るいさま」と辞書にはあり、春の季語だそうです。でも、秋の麗らかさは春とだいぶ違う気がします。春の場合、草木の芽吹きや咲き始めた花が暖かな陽光を浴びて、人々の和んだ表情まで想像できます。一方、秋の場合、風はなく、穏やかな赤・黄・オレンジ色の空気に包まれた、心とろける日差しの中にあるイメージを描きます。

 夕方の富士山がきれいに見え始めるのも秋口からです。『夕焼け小焼け』の音楽が流れると家が恋しくなる季節。『先生と子どもたちが詠んだ学校俳句歳時記』の中に、「何ごとも なき日の下校 秋うらら」という作品が掲載されているといいます。これって私たち教職員の願いであり、ホッと肩の力を抜く瞬間をよくとらえています。

 前期終了の今日も平穏な一日でありますように。

485 才と歳(24.10.3)

 HPへのアクセスが、いつの間にか200万件突破しました。驚きと感謝!

 ある日、開店と同時に船橋東武のエスカレーターを上がって奥の街区にある目的の店まで歩きました。わかっていることでも、左右交互に「おはようございます」「いらっしゃいませ」の無機質な声のシャワーが、私一人に延々と注がれる状況はどう対応したらよいものか悩みます。しかもどこも婦人服売り場ときていますから、私は入るわけのない客。だから、ロボットが動いているだけと思って、ひたすら前だけ向いて歩きます。あ~小っ恥ずかしい!

 さて、自分の年齢を書いたとき、専ら「歳」を好んで使います。なんだか格好よく見えるからという単純な理由です。どちらも同じ読みで、年齢を表記する際に使われる漢字ですが、使い分けの必要性はあるのでしょうか。調べると、「歳」は年月や数を表し、「才」は生まれ育った才能や資質などの意味をもつとあります。つまり、年齢を示す漢字は「歳」が正式であるといえそうです。

 「才」は、小学2年生で学ぶ160の漢字の中に見つけることができます。一方、「歳」は中学校で習う常用漢字ですから、画数が少なくて小学校の早い段階で書けるようになる「才」を年齢の表記で使われるようになったのかもしれません。

 「才」を使うことにより、単なる年月のたし算ではなく、その人間が身に着けた知恵や知識の量、つまり人の内面にまで目を向けているようにも思えてきます。生まれながらにして持っている人は「天才」ですし、たくさんの才能を持っている人は「多才」と呼びます。だから10才の子は、365日間で身につける知恵を10個分持っていることになるわけです。こう考えると、「才」もなかなかよいではありませんか。ただ、自分を振り返った時に、60数個分の知恵を本当に身につけているかどうかは、はなはだ疑問です。年齢に応じて身につけた力を発揮できるように、私たち大人も知恵を出し合って日々努めます。

 今日は定時に退勤して、また百貨店の婦人服売り場を横目に目的の場所を目指します。

484 パンダ(24.10.2)

 昔懐かしい防虫剤のにおいが、前を歩く人から漂ってきます。少し涼しくなったので、タンスやクロゼットから出された上着類から発せられているのかもしれません。「ナフタリン」や「ショウノウ(樟脳)」といえば、まさに箪笥の匂いだったのですが、わかる人も少なくなったと思います。

 昔懐かしい響きは、「瀬戸物」というワード。茶碗や湯呑みなどの陶磁器が、家庭で使われますが、これらの割れ物を称して「瀬戸物」と言うのだとばかり思っていた子供時代。全国各地ある焼き物にはそれぞれの名前がついていますが、瀬戸物が愛知県瀬戸市を中心に作られる陶磁器のことだと知ったのはいつでしょうか。

 さて、ジャイアントパンダ2頭が、13年過ごした上野動物園から中国に返還されました。思い出すのは1972年10月に初めてパンダが来日した際のフィーバーぶり。日本と中国の国交が結ばれた記念に、中国から贈られたランランとカンカンを一目見ようと長蛇の列ができました。2時間待って見られるのが30秒ほど。回転寿司のレールよろしく、歩みを止めず人の背中の向こうにいるパンダをチラ見という感じでした。「上野動物園といえばパンダ」というイメージが植え付けられた出来事でした。

 孫の誕生日に絵本はどうかと思って、いろいろと手にしてみました。その中の『パンダ銭湯』、脱衣所で黒い部分を脱いでいく様子がコミカルです。また、アニメ『パンダコパンダ』にも描かれるように、パンダはとても穏やかなイメージです。実際、攻撃性は低いとされますが、やはりクマ科ですから…。

 中国に帰るパンダに大勢のファンが別れを惜しんで集まりました。開園前の暗いうちから集まった人は皆、黒装束。ガラスに自分が映りこまないようにするためといいます。観覧のマナーという人もいるくらいですから驚きです。中には何年もの間、毎日パンダに会い(愛)に通うコアなファンもいるというからさらに驚きです。そういう人は、パンダの顔写真で名前を全部言い当てます。

 実力より話題性やルックスで注目を集めて、集客の要とする「客寄せパンダ」という言葉がありますが、人の興味や関心を惹きつける魅力は、パンダにあやかりたいものです。

483 仮面の下(24.10.1)

 10月になったためか、スタッドレスタイヤのTVCMを見た朝は、どんよりした天気。

 初夢で見るとめでたいものとして、「一富士二鷹三茄子」は有名で、これに「四扇五煙草六座頭」と続きがあることは以前書いた記憶があります。ほかにも、辛抱強くがまんすることを「桃栗三年柿八年」と言いますが、これも「柚子の大馬鹿、十八年」と続き、「子供は風の子」に「大人は火の子」がセットになります。最近知って「へぇ~」と思ったのが、「根掘り葉掘り」。これで完結ではないようで、「ごぼうの根まで」というフレーズがくっつきます。「井の中の蛙大海を知らず」も「されど空の青さを知る」という続きがあったのです。昭和の言葉に「男は度胸、女は愛嬌」があります。現在、こんなことを口にすると、各方面から批判が殺到しそうです。でも、これもここで終わりではなく「坊主はお経」とラップのような韻を踏んでいます。

 さて、車の運転、あるいは運転中につぶやく言葉に、その人の本性が現れると言われます。車に乗るということは、車というシールドに覆われることになります。つまり、密閉された空間、あるいは仮面と言い換えてもよいかもしれません。だから本当の自分をむき出しにできる場所といえます。つまり、ハンドルを握ると人が変わるのではなく、運転にその人の奥底が全部表れているということのようです。あおり運転などはその最たるものかもしれません。

 そういう人は、ストレスをためやすかったり、人のせいにすることが多かったりするといった特徴があるといいます。様々な状況下で冷静な判断力がマヒして、「自分は正しい」「相手が悪い」と主観的な状況判断に陥ることが原因とされます。こうした傾向は車種によっても違うようです。高級車や大型車に乗ることで自分の価値を高めすぎてしまうともいいますから要注意?!

 そんなこと「百も承知、二百も合点」と思いながらも、自分のことを諫める私です。

482 数十年前の理科授業(24.9.30)

 10月を前に、愛知県瀬戸市で来年の干支「巳」にちなんだヘビをかたどった焼き物の出荷が最盛期を迎えたと新聞にありました。11月になると年賀はがきの販売が始まります。それを前に明日から85円に値上げですから、今年は年賀状をどうしようか思案中。同じような思いを抱える人は少なくないはずです。いっそのこと今回で年賀状じまいもアリかと悩む今日この頃。

 キッチンで滅多にしない調理をしていると、目の前をコバエが横切ります。できるだけ生ゴミを置かないようにしていても、どこからともなく発生するコバエが鬱陶しい。コバエホイホイなる商品まであるくらいですから、どこの家でも悩みの種なのだと思います。

 そういえば小学生のころ、理科でコバエ(ショウジョウバエ)を使った実験をしました。集気瓶にバナナを入れておいてショウジョウバエを集めて…。でも何の実験だったかという記憶は定かではありません。高校だと遺伝について学ぶ内容なのでしょうが…。また、ニワトリの卵を孵化させる実験・観察もしました。暗幕を張った部屋で卵に光を当てて血管を透かして見たり成長していく様子を確認したりしました。学校には卵を定温管理できる孵卵機があったものです。そのほかにも、高度ともいえる学習をしていたことを思うと驚きです。

 一方、指導する側になってからの理科の内容も現在とは違います。ジャガイモのでんぷん反応は4年生で扱いましたし、流水のはたらきを校庭で観察したり流水実験場で水を流して確かめたりしました。高学年では、音の伝わり方の実験やものの燃え方で木炭作りまでしました。光の進み方の学習では、プールの下の真っ暗な配管スペースにクラス全員でもぐって、「目に見える」という現象について考えたことも思い出されます。現在とは一味違った、科学・物理に係る思考力や洞察力が問われるものばかりでした。どちらが良い悪いという問題ではなく…。中高と進むにつれて選択教科となりますから、出会わないまますれ違うだけの内容も多くなります。だからこそ、普段の何気ない事象や現象にもハテナを感じて、調べ進める子供たちであってほしいと強く願います。

481 家庭訪問(24.9.27)

 昨日は4年生の落語教室で、生の落語を聞きました。落語は、頭の中で色々と想像することが多いので、ボケ防止にもよいかもと勝手なことを思います。先週、文化庁が発表した「国語に関する世論調査」では、読書機会の減少が浮き彫りになりました。ひと月に本を読まない人が6割以上にのぼり、読書離れが顕著です。でも、読書に浸る時間の楽しさ、想像を巡らす面白さを多くの子供たちにもっと味わってほしいと思います。だから、落語を聞いたり「学校まるごと図書館」の本を読んだりことが、その小さな一歩になればうれしい限り。10月にはラベルを貼り始める予定で、現在進行中です。

 少し前に読んでいた小説に、家庭訪問の場面がありました。今は居所を確認するだけの学区訪問のみという場合が多いのですが、以前は日時を決めて各家庭を徒歩や自転車で回っていました。入学・進級後の4月下旬から5月中旬の1週間程度が割り当てられた大きなイベントだったといえます。子供は親から部屋の片づけを厳命され、親は話す内容やお茶菓子を考えなくてはいけない面倒なものだったはずです。各家庭や子供の状況、保護者の要望を早い段階で把握して、きめ細かくフォローすることが目的でした。子供たちが交代で案内役をしてくれることも多くありました。次の家までの時間配分に余裕を設けていても、話が延びてしまったり家を見つけられないことがあったりして押せ押せになるあの焦りが蘇ってきます。

 あの頃、各家庭で飲み物や食べ物を用意してくれます。飲んだり食べたりしなければ用意してくれているのに申し訳ないですし、食べる家とそうでない家があれば気を悪くさせてしまうかもしれないしと、若かった私は私なりに葛藤があった時代です。保護者も用意するものが被らないように連絡を取り合っていたのかもしれません。

 家に上がることが多かったわけですが、嫌だった家庭もきっとあったはずです。玄関先に腰かけて話すことだってありました。ただ、実際に顔を見て一対一で話すことで、双方の距離を縮めるよい機会であったことは否定できません。元気な声と笑顔、話し方やその内容など、「今なら」と思うことが当時の自分には全然できていなかったことを、今更ながらに反省と後悔、そして恥ずかしさが一気にこみ上げます。

480 虫偏(24.9.26)

 夏休みに、毎年素敵な昆虫標本を作ってくる子がいます。今年は、これまで以上にボリュームアップした作品に驚かされましたし、採集した蝶などの説明は尽きることがありません。それほど好きなものがあるのは、羨ましいことであり強みだと思います。例えば、本・ダンス・音楽・電車・アニメなど好きなものがあって、他者にはオタクに映ったとしても、その分野に精通すればそれは誇ってよいことだと思うのです。

 さて、蝶や蜂、蚊など昆虫類の漢字は「虫偏」が使われます。でも、虫の仲間ではないのに「虫偏」がつく漢字も時々見られます。例えば、はまぐり。貝類なのに「蛤」と書きます。古代中国では、人でも獣でも鳥でも魚でもないことから、虫に分類されていたといいます。では「蛸」はどうでしょう。中国ではアシナガグモに使われる漢字で、日本では使われていませんでした。おそらく8本の足がクモのように見えたからではないかと推測されています。驚くことに、自然現象の「虹」でも「虫偏」が登場します。やはり古代中国でのこととなりますが、虹は龍が作り出すものと考えられていて、ヘビを表す「虫」と(大空を)貫くことを意味する「工」を組み合わせたことに由来します。

 PCなどの文書作成ツールで入力すれば、誤変換にだけ気をつければよい現代、表示される漢字に何の疑問も入り込む余地なく使ってしまいます。必然的に学習能力も低下。でも、よく考えると不思議がたくさんあることに気づきます。例えば「海」が使われる漢字ですが、正しく読めたのか不安になります。「海星」「海月(水母)」「海豚」「海象」「海獺」「海豹」など難解なものも…。

 漢字っておもしろいって言って、漢字辞典を広げる子がいたら最高!偏や旁(つくり)などで、寿司屋の湯飲みみたいな作品が登場するのも粋では?

  《よみ:ヒトデ・クラゲ・イルカ・セイウチ・ラッコ・アザラシ》

479 適応できる?(24.9.25)

 先週末頃から涼しい朝、そして心地よい秋風を感じるようになりました。昨日は迷って半袖にしましたが、今日は迷うことなく長袖シャツ。ポケットに忍ばせる汗拭きも、タオルからハンカチに切り替わっています。「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったもので、9月中旬まで真夏日が続いてうんざりしていたのが嘘のようです。この暑さは6月から3か月以上続きましたから、最高気温35℃と聞いても驚かなくなってしまったことに逆にビックリ。

 年を経るごとに暑い日が多くなっている現在ですが、不思議なもので秋の彼岸にはちゃんと涼しさが戻ってくるのです。辻褄が合うようになっているみたいです。事もあろうに、妻は歳のとり方と重ね合わせて言うからびっくりです。曰く、季節の移ろいと同じように、50代から白髪が目立つ人も60代後半から急に白髪が増え出した人も、70歳にもなれば同じような割合でちゃんと白くなっているのだと。徐々に白いものが増えている現実をそんなふうに表現するかぁと達観した見方に感服です。

 先日、近所のダイソーで塗料と刷毛をかごに入れてレジへ向かいました。いつの間にやらレジがセルフに変わっていました。バーコードを読ませるところがわからずもたもたしていると、店員が近づいてやさしく教えてくれました。スーパーもドラッグストアもセルフレジ化が急速に進んでいます。人件費削減、合理化・効率化の一つなのでしょうが、慣れない身には買い物自体が億劫になります。

 先日は、百貨店の駐車場自動精算機の前で困っているお年寄りがいました。手伝っている間に、後ろに列ができていくのは大きなプレッシャーです。ガソリンスタンドもセルフが多くを占めるようになったためか、ブレーキランプなどの灯火類が切れたまま走っている車が増えてはいないでしょうか。タイヤの空気圧だっていつ点検したか覚えていないなんて言う人も…。以前ならサービスでやってくれていたことがなくなった弊害は少なくないのかもしれません。

 便利ではあっても、簡単には適応できない人がいたり、逆に課題が生まれたりすることも忘れないでいたいものです。

478 愛着ある者たち(24.9.24)

 先週金曜日は、私用で休みをもらいました。出かけるまでの間、大リーグ中継を見ていると、偶然にも大谷翔平選手の50本塁打・50盗塁達成という場面に遭遇。不思議と近しい人の活躍を見るような気分に浸ってしまいました。

 巣立った子供たちが残していったぬいぐるみは、みな優に成人(?)年齢に達し、大谷選手と同年代ばかりです。そして、一つ一つに名前がついています。例えば、犬のぬいぐるみ。ワンポ・ワンワン・ワン太郎・ワンの助・ワン次郎・ワン太・ワン吉…など覚えきれません。また、北海道でお土産に買った手のひらサイズのキタキツネに、プーちゃんと名付けて特別大事にしていた息子。日光江戸村で買った印籠をあげたら、その中に入れて持ち歩いては時々覗くほどのお気に入りでした。ある日、印籠に入れてポケットにしまったまま洗濯に出したからさぁ大変!プーちゃんは、目が取れたり毛が抜けたりして無残な姿になってしまったのです。大泣きして、しばらくショックから立ち直れなかったことが思い出されます。それほど大好きだったプーちゃんの2代目がやってきたのはそれから数何年後。単に名前があるかないかだけなのに、親しみや愛着に違いを感じてしまうのが不思議です。

 8月終わりに、和室の障子を張り替えました。何年張り替えていなかったかなんて恥ずかしくて書けません。ただ、張り替えを決心して障子紙を買ったのは2か月以上前のこと。一念発起、頑張りました。糊張りだったので、まず古い紙を剥がすだけで大変。たった4枚にもかかわらず、何時間かかったのでしょう。剥がされた古い障子紙は、まるでわら半紙(懐かしい響き)のような色に日焼けしていたので、張り替え後の白さは部屋の明るさで一目瞭然。和室に暮らすぬいぐるみもひと際鮮やかに見えます。労力に見合った感動でした。にもかかわらず、3週間経った先日、障子戸に目をやると、角がペラっと剥がれているではありませんか。アイロン張りの弱さか、再度アイロンをかけてもダメだったので液体のりで補修。

 この「しょうじ君」たちは、いつまで色白で張りのある肌を保てるのでしょう。

477 Don’t miss the signs(24.9.20)

 会議室にある住宅地図を貼り合わせた学区地図を刷新しました。まだ外環自動車道が書かれていなかったので、把握しづらい部分がありました。着任して2年半も手もつけずにいたので、模様替えのつもりで…。地図をつなぎ合わせて学区を赤ペンで囲んでいくと、地図の足らない部分があることに気づいたり、「ここまで平田小学区なんだぁ」と改めて知ったり。なかなか学区を端から端まで見て回ることは叶いませんが、地図上で歩いて確認できたような気分になりました。

 さて、もう6~7年も前に新聞に掲載された小学1年生の詩を読んで、改めて考えされられました。

  きょうは あさ はやくから 

  べんきょうをした。 / みんな やった。 

  これは きっと ほめられると / おもった。 

  どんなに ほめられるのかなと / おもった。 

  ほめられたら いいのになあと / おもった。

  にこにこして、おかあさんに / 見せたら 

  おかあさんは、ほめてくれなかった。

  「土よう日の ぶんも しなさい。」 

  と はんたいに おこった。 

  わたしは なきました。

 様々な状況があるので一概には言えませんが、大人の都合や大人の尺度で褒めたり叱ったりしてしまうことがあるような気がします。致し方ないにしても、忙しさを理由に場面を見逃したり、送られるサインを見落としていたりすることもきっとあるはずです。褒めてほしいのは、1年生でも6年生でも同じ。この歳になった私だって、褒められたら嬉しい気持ちになりますし、誰に褒められるか、どんな言葉で褒められるかで嬉しさも違うものです。褒められるために頑張る子にしてはいけない、調子に乗せたらダメ、なんていう人もいるかもしれませんが、500人の子供たちを預かる中で、寄り添いながらサインを見落とさず勇気に変換できる言葉をかけてあげられる大人でありたいと思うのです。

 明日から今月2度目の三連休。子供も大人も嬉しいことがたくさんありますように!

476 コロッケ(24.9.19)

 休みの日の昼前に買い物に行って、「お昼ご飯はどうする?」と尋ねられます。特に、長期休業や連休中は考えるのも億劫な感じ。蕎麦やパスタ、ローリングストックのカップ麺、外食などの選択肢の中にあるのがコロッケパン。総菜コーナーでコロッケやメンチカツを買って、食パンやコッペパンに挟むだけ。千切りキャベツがあれば、なおよし。(自分ではやらないくせに偉そう!)

 胸を張れることではありませんが、自分で料理ができない者にとって、コロッケを作る大変さはわからないものです。だから、私が簡単にリクエストでもしようものなら嫌~な顔をされますが、子や孫のためならホイホイと作れるみたいです。一般的な作り方を見てみると、ジャガイモの皮を剥いて、茹でて潰します。玉ねぎのみじん切りとひき肉を炒めて、ジャガイモと混ぜます。小判型・俵型などに整形して衣をつけて揚げたら完成。火を使う、茹でる・炒める・揚げるといった3工程を含めて、何工程もあって面倒くさそうであることだけは理解しました。コロッケはスーパーなどで買うものと決めている家庭があってもうなずけます。

 来週最終回を迎えるドラマ『海のはじまり』にもコロッケのシーンがありました。主人公(目黒蓮)の娘が知っているコロッケは、スーパーで安くなった時だけ買ってくるもの。家でコロッケを作る姿を見て、「コロッケって家でも作れるの?」と驚くのです。これに対して「家で作るのはとても大変なんだよ」と優しく話す有村架純。そして、出来上がったコロッケを食べたその子は、「スーパーのみたい!おいしい」と感激するというもの。コロッケの味の基準がスーパーの総菜というのは、忙しい家庭では普通のことなのかもしれません。

 そういう意味で、恵まれているとしか言いようのない私は、亡き母の作ってくれた俵型コロッケが基準。夏暑く、冬寒い台所で山のように積まれるくらい揚げていた後ろ姿を思い出します。今もそれを引き継ぐように作ってくれる人がそばにいることに感謝以外ありません。

475 世は歌につれ(24.9.18)

 3年生が国語の学習で手紙を書いたそうです。敬老の日が近かったせいもあって、祖父母に宛てたものが多かったといいます。3年生くらいの子には、封筒に貼る切手自体が珍しく映るようで、シールと勘違いして貼り直そうとしたり、うまく貼れたことに驚いた顔をしたりする子がいるなど、担任にも驚きだったようです。

 LINEミュージックからのお知らせを開いてみると、「あの頃私たちが夢中だった曲」と題され、自分の生まれた年を入力できる欄があります。試しにやってみると、13歳のときに流行った歌が表示されました。「なみだの操」(殿さまキングス)、「うそ」(中条きよし)、「くちなしの花」(渡哲也)とあり、再生も可能です。画面をスクロールすると、14歳の3曲に「年下の男の子」(キャンディーズ)、「私鉄沿線」(野口五郎)、「ロマンス」(岩崎宏美)、その翌年には「およげ!たいやきくん」と続きます。高校生の頃は、ピンク・レディーの「渚のシンドバッド」「UFO」などを歌いながら教室で踊っていたことまで思い出されます。

 こんなことをS先生に話しながら時代を辿っていると、急に「あっ、私の生まれた年です」と言うではありませんか。それなら、とS先生の生年を入力すると…。中学生の頃の代表曲は「浪漫飛行」「真夏の果実」「ラブ・ストーリーは突然に」「愛は勝つ」「I LOVE YOU」など。まだまだ若い!敬老の日に、孫から「いつまでも元気でね」とメッセージをもらう者とはさすがに違います。

474 瞑想と迷走(24.9.17)

 今日は仲秋の名月。でも満月は明日ですが、きれいな月が見られると穏やかな気持ちになれそうです。

 「めいげつ」ならず、「めいそう」と聞くとイメージする文字は「瞑想」「迷走」のどちら?専ら私は「迷走」の方かも。自分の迷走もさることながら、学校や人が迷走しないように何ができるかを考えます。もう一方の「瞑想」には、集中力を高めたり創造力を引き出したりする効果があり、トップアスリートも多く実践していると聞きます。

 そうは言っても、瞑想はヨガ教室や寺など特別な場での行いのような気がしますが、日常生活では「今やっていることを意識する」といったシンプルな活動でよいといいます。食事の時には、食べ物の味や香りだけでなく、その形や舌ざわりなどを丁寧に感じながら食べるのだそうです。ゆっくりした食事により、これまで以上に美味しく感じられるようです。歯磨きだって同じ。一本一本の歯の形や表面などをイメージしながら磨くのがよいと、歯科医も推奨しています。洗顔やうがい、手洗いなどでも、目の前のことに集中する時間を作ると、新たな発見や興味を生み出すかもしれませんから実践してみる価値がありそうです。

 40年前に卒業した大学の友達の一人は、栃木で僧侶をしています。実家が寺なのに教育学部に入学し、3年次の夏休みは京都でずっと修業漬けでした。ある寺の住職は、精神医学を学びたくて医学部に進学し、6年間医師として働いた後、寺を継いだといいます。大学で学んだ心理療法の一つでもあるマインドフルネスで経を極め、禅を身近に感じられるようにしているそうです。大学時代の友人の彼は今、どんな住職になっているのでしょう。

 8月上旬に京都・東本願寺で得度式(とくどしき)が行われ、9歳の小学生28人も剃刀の儀を受けて僧侶になったという報道を見ました。子供たちが描く未来の自分の姿に、「僧侶」を挙げる子に未だ一度も出会ったことがありません。でも、実家が寺であるかどうかは関係なく、これだって立派な職業の一つ。瞑想や法話などをきっかけとして、仏道に目覚めることだって…?!

473 割り切る(24.9.13)

 修学旅行は特に天気の心配をすることなく、笑顔で元気に帰って来られたという当たり前のことに胸をなでおろします。でも、何事もなく帰り着くのは、その裏側に様々な支援や配慮があるからに他なりません。自ずと担任の緊張感や責任感は、管理職とはまた別物。泊数が増えれば、それに比例するようにプレッシャーは増大します。だから、担任として引率していたころは、たくさんの出迎えの保護者から感謝の言葉をいただくだけで報われた気がしたのです。

 さて、泊を伴う学習があると、大きいバッグを持って電車に乗ります。ずっと手に下げたり肩にかけたりしているのは疲れますから、たとえ座れても網棚(今は荷棚という?)に載せてしまいます。ただ最近は、荷棚に荷物やカバンが載っているのを見かけることは稀です。大きなドラムバッグを足元に置く人を見かけますが、必然的に足を開く形になりますから、他者からは迷惑行為と映る場面も少なくないわけです。

 数年前に約500人に行った、「通勤電車で荷棚(網棚)を利用しますか」というアンケートでは、「基本的に利用しない」と答えた人が56%でした。理由は、「忘れそう」「手元にないと不安」「高くて使いづらい」「落ちたら嫌」と続きます。昔より情報管理が厳しくなっていることもあって、カバンを置き忘れたらビジネスマンには致命傷です。また、昔は手提げカバン主流でしたが、今はリュックタイプ全盛期ですから、荷棚に載せる必要性もなくなっているからかもしれません。

 修学旅行に戻りますが、いろは坂途中の明智平駐車場で子供たちのロープウェイ到着を待つ間、夫婦でドライブしていた方と立ち話に興じてしまいました。2人乗りのロードスターに乗っていて、別にもう1台所有していると言います。なぜなら、奥様に「買い物袋すら載せられない」と言われるくらい割り切った趣味グルマだから。でも、ある意味うらやましい。

 割り切って電車の荷棚もなくしてしまえば、その空間は別の用途が見えてくるかもしれません。旅行の荷物だって割り切ってミニマムにすれば、スペースも取りませんし軽々とは思いますが…。

472 桃と西瓜と米と(24.9.12)

 わかってはいるのに、昨日の奥日光の朝のヒンヤリした気持ちよさと比べてしまって恋しくなります。この暑さは、いつまで続くのでしょう。

 8月後半から出回った「川中島白桃」。大玉で食べ応えのある食感が特徴です。また、皇室に献上される最高峰の桃として知られるのが「あかつき」。糖度が高いが値段も高い品種です。ともに、山梨・山形・長野・福島でシェアを分け合うように生産されています。ただ、旬を逃すと他の果物同様、なかなか口には入らなくなります。

 そんな中、割と長く出回っているのがスイカ。熊本から富里、山形など、列島を縦断するように産地を変えながらスーパーに並びます。でも、蝉時雨を聞きながら縁側に腰かけてかぶりつき、種子を口から放り出す場所を気にすることなんてなかった光景は消えてしまいました。もしかすると、スイカの原型や冷蔵庫に入りきらないくらい大きいことを知らない子供もいるかもしれないと思ってしまいます。だって、スーパーやコンビニで売られるスイカは、すでに何等分かに切られていたり小さな破片となって容器に詰められたりしているのが当たり前となってしまっていますから…。

 一方、7月下旬頃からコメが品薄になっています。スーパーの棚が空っぽだったり「一家族1袋まで」の貼紙があったり…。昨年の猛暑によるコメの不作と流通量の減少、災害に備えた買い占め、あるいはインバウンド需要が原因といわれますが、食卓と家計への影響は決して小さくありません。新米が出回るこの時期、量の少なさと店頭価格にみんな目を丸くしているのでは?

 総じて私たちの生活は、「食」と切っても切り離すことができません。だから、「いただきます」「ごちそうさま」の言葉は、生産や流通に携わる人あるいは食材そのものへの感謝でもあると言われます。子供たちが学びを通して実感する努力や苦労、人の想いにより、食への意識が今以上に高まるといいなぁ。

471 洒落っ気(24.9.11)

 福岡県にある会社が世に送り出す製品の名前がとてもユニークです。義理と人情を経営方針にする産業機械メーカーで、農林業や土木分野の作業車・運搬車を製造販売しています。自分たちが作った機械に愛着が持てるようにと考えられたネーミングは、「草刈機まさお」「安全湿地帯」「芝耕作」など、知っている人ならクスッと笑えます。顧客のニーズや心に潜む声を拾って開発されているので、使う人の身になっていて使い勝手が抜群だと評判なのだそうです。

 一方、「殺気」(ころっけ)、「熱中症」(ね、チュウしよ?)、「姿」(じじょ)、「背中」(はいちゅう)、「小川」(ちいかわ)、「助手」(たすけて)、「ほうかごに友達と遊ぶ」(放火後)、「ゆでたまごを食べる」(茹でた孫)…。これらは、実際にあったテストの珍解答らしいです。洒落っ気や遊びゴコロが感じられます。採点者が赤ペンで添える粋なコメントがあれば、両者の距離感がぐんと縮まるような気もします。6年生の教室廊下に、漢字50問テストをわざと間違えた答にして貼ってみました。気づいてくれたようですが、意味の通じる誤解答ってすごく難しい!フル回転させた数十分でした。

 さて、こんな小噺のような会話もあります。電車に乗っていると、おじさん二人が何やら話をしています。A「俺の会社、ブラックなんだよな~」 B「えっ?色があるだけいいじゃないか」 A「ああ、お前はむしょくか」というもの。実際これは困りものですが、日常の中の笑いは気持ちにゆとりを生み出すと思うのです。

 シルバー川柳もユーモアがたっぷり。「改札を 通れずよく見りゃ 診察券」、「LED 使い切るまで 無い寿命」、「恋かなと 思っていたら 不整脈」。どれも笑えるけれど痛々しい?!

 今日は修学旅行2日目。ホテルやバスの中、6年生が帰宅した家、そして平田小のどの学級でも、明るく笑いがあふれる一日でありますように!東照大権現様、よろしくお願いします。

470 本当に必要なこと(24.9.10)

 パラリンピックが終わりました。車いすラグビーでは、悲願の金メダルとなりました。オリ・パラともに、柔道選手の活躍が記憶に新しいところですが、開催国のフランスも柔道大国として知られます。競技人口は日本の4倍以上で、小学校では柔道が必修科目となっている学校も多いそうです。そして、競技人口の4分の3が日本でいう小学校高学年の子供だというから驚きです。元サッカー選手のジダン氏やNBAフォーニエ選手なども、子供のころに柔道をやって、体の強さや転び方を覚え、専門種目に移っていくというように、独自の強化策となっています。また、道徳の一つとしても確立しているようで、様々な可能性を秘めた子供たちに本当に必要なことって何なのかを改めて考えさせられます。

 小学4年生の時の担任は、今思い返すと社会科を専門にしていたようです。同窓会グループラインでは、社会科のレポートで苦しめられた思い出が語られました。様々な資料から仮説を立てたり証明をしたり、4年生には高すぎるハードルを越えるように求めていたようです。おそらくその先生が考える「将来必要となる学力」だったのかもしれません。だからか、NHK教養番組やドキュメンタリー番組を観ることも宿題でした。その一つが『明るい農村』。1963(昭和38)年にスタートして、22年間続いた番組。高度成長期真っ只中において抱える農業の課題や食の流通などが取り上げられて、視聴率15%以上もある朝の定番でした。でも毎朝視聴してから登校なんて、私には無理でした。

 もう一つが『新日本紀行』です。こちらは月曜夜放送で、1963年から約19年続いた本格的な紀行番組だったようです。きちんと観ていなかったので、冨田勲さんのテーマ音楽くらいなら、聴けばおぼろげながら…。先生!全然身につきませんでした、ごめんなさい。

 今日から1泊で日光修学旅行です。昨年は12月中旬にスライドしたため、どこも貸し切り状態でした。今年は紅葉にはまだまだ早いですが、東照宮など巡ってきます。子供たちの心に残る景色や場面は、教員の想うところとは少し違いそうです。それもまたよし!行ってきます。子供たちの様子は、写真でお伝えします。

469 レコーディング(24.9.9)

 アメリカのロックバンド「TOTO」が来日した時、トイレの便器を見たときに感激したという随分昔の話を急に思い出しました。水洗トイレが当たり前となった現在、より清潔で快適な機能が求められているようで、「TOTO」と「INAX(リクシル)」の2大メーカーがしのぎを削ります。

 WCとかお手洗い、便所、化粧室など、施設や店舗によって表示も様々なトイレ。表す言葉が、なんと千種類もあるというから驚きです。厠(川の上に板を渡して、その上で用を足していた時代の「川の上の小屋」「川屋」が転じた表現)、ご不浄(排泄物は不浄、つまり汚れたものとされることから)、憚(用を足す場所へ行く行為は恥ずかしいと捉えられ、人目をはばかる必要があるから)、雪隠(せっちん)といった古い響きを耳にしたことのある人はいるでしょうが、次の言い方は隠語であるといい、初めて聞きました。

 その一つ目が「高野山」です。高野山の僧侶は、仏門に入るときに髪を剃ることから、「髪を落とす」が転じて「紙を落とす」となってトイレを表すのだそうです。もう一つが「レコーディング」。どういうことかと考えましたが、何のことはなく単なるダジャレ。レコーディングは録音をしますから、「音入れ=おトイレ」となると知って納得です。

 海外のトイレにも特徴があります。中国には、ドアや壁がない「ニーハオトイレ」と呼ばれるトイレが今も残っているといいます。壁に背を向け、通路側に向かって屈んで利用するため相手の顔が見える状態ですから、かなり勇気がいりそう。夢の中で行くトイレも同じで、結局用を足せずに出てしまうのですが、それはそれでよいのかも…。

 たくさん汗をかく夏場は、小用回数の減少が顕著です。ただ、アラートの出るような日のトイレは、暑すぎて入るのが憚られます。まさに、「憚(はばかり)」状態。さらに、座って用を足す場合、腰を上げる時にお尻が便座にくっついて、少し持ち上がるなんてことも。だから夏の快適機能もぜひご検討願います!2大メーカー様。

468 雷鳴が聞こえたら…(24.9.6)

 集団での手遊びに「おちたおちた」があります。園児にもできますしキャンプファイヤーでも行われる簡単なゲームです。リーダーが言う言葉に合わせて、みんなが決まったポーズをして楽しむもの。落ちるものは「りんご」「かみなり」「ゲンコツ」の3つで、それぞれ手を出して受け取ったり、へそや頭を守ったりするという決められたポーズをとるのがルール。

 でも現在、親や先生からゲンコツで頭を殴られれば虐待・体罰とされますからゲンコツが振り下ろされる場面を目にすることは滅多にないでしょう。また、雷鳴轟く日が少なくありませんが、雷が鳴っておへそを隠す子がどれだけいるでしょう。特に、雷鳴でへそ隠しする行為の意味を知る子はいないのでは?

 諸説ありますが、雷が鳴ったりゲリラ豪雨がやってきたりするときは空気がひんやりします。雷を発生させる積乱雲から吹く冷たい風です。そこで、お腹を冷やさないように子供たちを戒めるため、「雷様がおへそを取りに来る」と昔の人は言ったのです。へそを取られては大変なので、シャツをズボンに入れて隠したり手で隠したりしたというわけです。

 腹巻だって腹を冷やさない有効な手立てです。バカボンのパパやフーテンの寅さんはその代表的な存在です。私も寝ているときにお腹を冷やさないように、子供のころ腹巻をしていました。今でもパジャマの中にシャツの裾をインするのは、昭和の定番を引き継ぐ名残りかもしれません。でも、それを笑う妻!

 昭和の定番といえば、旅行の思い出にお土産に買ったペナントもその一つ。二等辺三角形の旗は、どこの土産屋でも扱っていました。当然、修学旅行でも買い、部屋の壁に画鋲で飾ったのは言うまでもないこと。また、山へ行けば金属製のピンバッジを買って、帽子の横から後方までを囲むように取り付けました。引率して日光へ修学旅行に出かけたことは20回を下りませんが、記憶を遡っても土産物店でペナントなどを見かけたことはないと思います。

467 唐揚げとビール(24.9.5)

 朝が過ごしやすくなった今週は、ずっと腰痛に悩まされています。左臀部や大腿部から腰にかけて痺れるような痛みも走ります。歩くには支障ありませんが、洗面やトイレでの着座、ズボンの着脱などに一苦労。靴下を履くだけでも優に1分はかかりますし、寝返りも慎重になります。修学旅行までには…。

 さて、長期休業中の職員の飼育当番が私は嫌いでした。空腹からか人恋しさからかわかりませんが、ニワトリが狂暴になるからです。餌をもらえると思うや一気に集まって足を突きます。餌皿を地面に置こうとすると、「ちょっと待て!」という声を無視して、猛然と襲いかかるのですから恐怖以外何物でもありません。でも、金網越しに聞こえる幼子二人の「がんばって!」の声に勇敢な姿を見せようと必死だったのを思い出します。

 家の近くの小学校には歩道沿いに鶏小屋があり、4羽のニワトリが飼育されています。この小屋の金網に、おやじの会をはじめ学校協力団体のポスターが何枚か貼ってありますが、その中に駅前の唐揚げ専門店のポスターもあるではないですか。鶏小屋に鶏唐揚げ店の宣伝って…、気になりだすと凄く複雑な心境です!

 唐揚げに合うのが夏のビールで、最高においしい!何杯でもいけそうですが、身体と家計がそれを許しません。たまに自分へのご褒美と称して飲む「SPRING VALLEY サマークラフトエール」が特にいい!夏限定で、トロピカルフルーツのような香り。ちょっとお高いですが、このシリーズは裏切りません。(※どれも個人の感想です)

 ところで、家で飲むビールが瓶だったのはいつまででしょう。近所の酒屋からケースで配達でした。1980年代前半の缶ビールの比率は一桁台でしたが、1995年には瓶を逆転しています。その頃からなのか缶に切り替えたことで、空き瓶ケースのスペースを心配しなくてよくなりました。先日の懇親会で、久しぶりに瓶ビールを持ってお酌してまわりました。そういえば、別の日にある店の冷蔵ケースに瓶のコカ・コーラを見つけたときも不思議と嬉しい気持ちになりました。

466 傘(24.9.4)

 夏休みに人間ドックを受診しました。ここ数年、市の集団検診で済ませてきましたが、病気の巣窟みたいな体なのでしっかり診てもらわないということで…。以前の病院とは異なるからなのか、時代の流れなのかは不明ですが、着替えるとタブレットを渡されます。空いている検査室へ誘導してくれて、呼び出しもタブレット上に表示されます。前はどこの検査室から呼ばれるかわかりませんし、難聴の私は名前を呼ばれたことを聞き逃さないように、神経をすり減らす数時間でした。でも、今回はストレスフリー!また、内視鏡検査(胃カメラ)を初体験。不安で押し潰されそうだったにもかかわらず、終わったことすら気づかない有様。鎮静剤投与しさえすれば、バリウム検査より絶対オススメかも。

 さて、雨の日に人がすれ違う時は、双方が傘をさして自然とぶつからないような所作をするものです。一方、日光を遮るために日傘を目深にさす人を見かけますが、これが厄介!紫外線を少しでも避けようと目深に差すので前方がよく見えないためか、顔の脇を傘の端が擦るように通ったり、肩にぶつかったりすることもあります。自動車・自転車の運転同様、前・後方の確認は怠らないようにしてほしいものです。

 こうした傘は、平安時代ころに中国から伝来しました。高価だったので権力の象徴でもあり、貴族や高僧のために従者が日除け・魔除けのために差し掛けていたのです。また、開いたままで閉じることができない仕組みでした。日本で最も古いものは、民話『かさじぞう』でお地蔵さんの頭に被らせて雨雪を凌いだ「笠」かもしれません。ただ、和傘に至っては、「番傘」や北原白秋の『あめふり』で歌われる「蛇の目傘」、「端折傘」が広く知られていますが、雨傘として一般の人々に広まったのは、江戸時代中期とされています。香取市佐原地区で製作される「佐原傘」は千葉県の伝統工芸品になっています。

 ビニール傘が登場したのは1958年。その数年後の東京オリンピック観戦のために来日していた外国のバイヤーの目に留まり、ニューヨークでヒットして世界に広がりました。そして現在!来客用玄関には十本近くあって、どれが誰のものかわからない状態ですし、強い雨風の後は、路上に無残な姿で置き去られる様が痛々しく不憫です。

465 ごはんのおかず(24.9.3)

 車で出かけて、遥か彼方であっても水平線や白い波が見えると「あっ、海だ!」と、自然と声が漏れてしまいます。周囲を山で囲まれた道を走れば旅行気分に浸れるのと同じように、海が見えると泳ぐわけでもないのに高揚感に包まれるのが不思議です。あぁ、最後に水着を着たのはいつだろう?もう海で泳ぐことなんてないのだろうなぁと思うと一抹の寂しさが…。

 たまに行くラーメンチェーン店は早くて安いので、簡単にお腹を満たすならちょうどよいのです。でも、ある日その前を通りかかると、内装が取り壊されている最中。結構客が入っていたように思いましたが、つぶれてしまったようです。最近はロボットが料理を運んでいました。人件費削減とはいえ、人間が行うサービスは期待できなくなります。無機質で充足感がありませんから、安いだけなら「ここじゃなくてもいいか」と心満たされず客足が遠のく原因になったのかもしれません。2か月後の今週末、やっぱりそこにはラーメン店が開店。

 さて、ごはんやパンの主食に、「おかず」がテーブルに副えられます。この「おかず」ってどういう意味か考えたこともありませんでしたが、ある時、ふと疑問を抱いたのです。「おかず」とは、副食や惣菜のことで、食事の献立の中で主に米飯の主食に付け合わせて食べる料理全般を指す言葉と説明があります。主食の周りを囲むようにして置かれて、古くは「御回り」「御巡り」と呼ばれたことからもイメージできるように、「おかず」は主食を囲む程度の品数が必要になります。つまり、「数を取りそろえる」を語源として、漢字では「御数」と書くようです。「おでん」「おから」「おはぎ」「おじや」「おかき」「おこわ」「おむすび」などと同様、室町時代に使われた言葉だそうです。

 昨日の始業式では、涼しい体育館で「いのち」「今ここにいるだけで素晴らしいこと」について、画像や詩を交えて話しました。そんなかけがえのない存在である子供たちが一生懸命取り組んだ夏休みの作品が、校内のあちこちで見られるようになります。数ある力作を「おかず」にしながら、子供たちの2学期のスタートをしっかり目に焼き付けるべく校内を「御巡り」します。

464 オリンピック精神(24.9.2)

 ある日、翌日の天気予報をスマホで確認すると、居住市の最高気温が40℃と表示されています。こんな数字を初めてです。そんな酷暑の夏休みは、様々なスポーツの熱い戦いに始まり、そしてパリオリンピックや甲子園大会の余韻、パラリンピック開幕の中終わったような気がします。特に、8月の声を聞くと駆け足に時間が過ぎていき、宿題はないものの気持ちが焦るのは大人も子供も関係ないようです。

 高校野球千葉県大会決勝は、タイブレークの延長10回の攻防にモヤモヤを残した試合でした。五輪開幕前に行われたサッカー予選は3連勝。続く準々決勝のオフサイド判定には様々な意見が飛び交いました。それでも木村選手は大活躍。日本最初の金メダルは、柔道48キロ級の角田夏実選手。八千代市出身なのでLineのグループメールでは大いに盛り上がりました。一方、2連覇を果たした阿部一二三選手を、将棋の加藤一二三棋士の愛称「ひふみん」と呼ぶ者がそばにいるから紛らわしい!

 さて、岸本佐知子さんの著した『ねにもつタイプ』という本に、「裏五輪」と題したエッセイがあります。いきなりオリンピックが嫌いだで始まります。朝から晩までオリンピックばかりになることやメダルの獲得数に固執することを理由に挙げ、そもそもスポーツが嫌いだと言うのです。例えば、レスリング競技を“互いの体の臭い部分を無理やり嗅がせあった”のが起源に違いないとする発想には笑いがこぼれます。

 オリンピックが始まる前のメダル獲得への期待と結果のギャップは、報道の取り上げ方に顕著に表れます。メダルを取った選手はヒーロー・ヒロインとなってTV画面に連日映し出されます。マイナーな競技にもスポットが当たります。逆に結果が伴わないと、「芸能人格付けランキング」よろしく、映す価値がないかのように存在自体亡き者にされがちです。胴上げしておいて手を放したようなもので、失礼な感じ。ぜひとも、メダルにこだわりすぎた番組構成はやめにしてほしいと思います。

 だから、冒頭の岸本さんが提唱するメダルも金・銀・銅はやめにして、一位どんぐり、二位煮干し、三位セミの脱け殻とかにする意見に大賛成!そうすれば、勝ち負けにこだわること自体馬鹿げて思えて、「参加することに意義がある」というむか~しのオリンピック精神に立ち戻れるのでは…。

 さて、2学期スタートの今日は予想に反してよい天気。子供たちの胸にどんぐりや煮干し、セミの脱け殻を見つけようと思います。

463 夏の終わりに(24.8.30)

 お盆明けの夜、急に雷鳴がとどろいたかと思うと大粒の雨が降り出しました。雨戸を叩く音でわかります。暗い廊下の窓越しに見える閃光は、まさしくホーンテッドマンションです!半世紀前は、雷が落ちるとよく停電しました。だから長めのロウソクは家庭の必需品でした。今は、お寺ですら電気でチラチラ動く偽ロウソクを使っているほどですから、ロウソクやマッチがない家庭ばかりかも。だから災害に備えて、ドラッグストアのロウソクセットは売り切れでした。

 児童文学作家の矢玉四郎さんが80歳で亡くなりました。『はれときどきぶた』など、著書を手に取ったことがあるかもしれません。図書室にあった4冊を拝借して校長室前に展示してみました。懐かしくて、1冊読んでみました。“ぼくは、畠山則安。三年三組。あだ名は、十円やす”というお決まりの文句から始まります。新学期は、何かと配付物が多くあるので、職員室前に取りにくる子がたくさんいます。横目で見るだけでもよいので気づいてくれたらうれしいです。手に取って読んでくれたらもっとうれしい!

 もう1冊は、『こころってなんだろう』(細川貂々 著)です。心はいつどうやって生まれるのか、どうして揺れ動くのか、そうした葛藤に対する気づきが大人にも子供にもきっとあるはずです。

 来週からの新学期に合わせるかのようにゆっくりと近づく台風。その影響がとても心配です。最新の情報を収集しながら、新たなスタートにも余念なく…。そして、それぞれの心の動きにも敏感でありたいと思います。

462 感動(24.8.28)

 台風10号が自転車並みの遅さで近づいています。先週後半、鴨川市の棚田で稲刈りをする家族集団がいくつも見られました。その一つである大山千枚田は、黄金色に染まってとてもきれい。途中、小湊鉄道の踏切を何度か渡りましたが、教科書にあった『加代の四季』の「春は線路からやってくる」という一節を思い出しました。線路や枕木の周りに鬱蒼と草が生い茂る様は、ジブリアニメの世界ようでちょっと感動でした。

 時同じくして、高校野球甲子園大会の決勝戦が行われました。決勝史上初の延長タイブレークの末、京都国際高校が初優勝。校歌斉唱の時に、準優勝校・関東第一のアルプススタンドから手拍子が送られ、相手へのリスペクトが感じられました。実はこの手拍子、大社高校の大応援団が、準決勝の勝者・神村学園に送ったことが始まり。その後、関東第一に敗れた神村学園にのバトンとなり、決勝後の関東第一へと受け継がれていったのです。まさに青春!様々な思いが凝縮された一場面に感動です。いくつになっても、純粋さを失わないでいたいと思います。

 今大会は、韓国語の校歌や決勝戦のタイブレークに様々な意見が聞かれましたが、次のような素敵な提案もあり、これには大賛成!「甲子園では、負けたチームを讃えて校歌斉唱をする」というもの。こうすれば全校の校歌が甲子園に流れます。決勝では、両校の校歌が歌われれば全校歌の制覇です。よいアイディアだと思ったのですが、きれい事だと切り捨てられてしまうでしょうか。

 スポーツでも音楽でもなんでも、真剣に取り組む姿に感動して鳥肌が立つこと、時に涙がこぼれることがあります。平田っ子のそんな姿がたくさん見られる秋冬でありたいと願っています。

461 嫌~な虫(24.8.26)

 スズメバチや蚊、カメムシ、カミキリムシ、コガネムシなど、夏場の嫌な虫は数々ありますが、これ以上のものはないというのが水虫!しかも季節は関係なく寄生されるからタチが悪い。そんな水虫に、現在も悩んでいる大人や子供は少なくないはずです。

 何を隠そう、私も小学生のころから20年近くお付き合いしました。足にできて痒くなる場合もあれば、爪が侵されたり皮膚がボロボロと剥けたりするのです。終いには、左手にまで感染して病院通いでした。新京成線に乗り換えて行った病院もあれば、成田山へ向かう道を歩いて通った病院もあります。澱のような感情を引きずる足取りは重く、一人寂しく電車を乗り継いで通院していました。

 何より人前で靴下を脱ぐのが一番嫌でした。小学校の水泳や中学校の剣道部は裸足です。高校の体育授業のレスリングでは、マットに四つん這いになって後ろから攻める態勢から始まるので、どうやって足裏を隠そうかとそっちにばかり気が奪われてしまうわけです。

 どんなにこまめに薬を塗ろうが何をしようが治らなかったのに、今の家のそばの皮膚科に通ったら完治です。飲み薬も服用しましたが、どうしてこんな変化が?ただ、心のつかえがとれたというか、気分が晴れたというか、裸足になることも厭わなくなりました。しっかり治療すれば治せる病気であることを感じました。今まさに悩んでいる子(人)がいたら、安心させてあげたい!大丈夫!

 日本皮膚科医会の調査では、皮膚科を受診した患者の16.6%が潜在罹患者だといいます。また、水虫にならないための留意点も上げています。バスマットなどを介して感染が広がりますが、感染成功まで1~2日かかるため、寝る前にタオルで足をぬぐうだけでも予防になるそうです。そういえば、コロナ前に通っていたジムの風呂に入っていたことがおそらく原因で、水虫をうつされたことを思い出しました。もうあんな肩身の狭い思いはまっぴらごめんです。

 いよいよ夏休み最後の一週間!晴れ晴れとした気持ちで9月を迎えるためにどうする?

460 まどろむ(24.8.19)

 テレビで管楽器の五重奏を横目で見ながら、画面に目が吸い込まれます。だって楽譜がタブレットなのです。時代を感じたワンシーンでした。

 さて、熱中症警戒アラートが連日発令される昨今は、暑すぎて屋外に出られず、必然的にウクレレの練習に割く時間が長くなります。毎日続けることで、上達を感じられるからうれしいものです。7月のとある日に、弦を張り替えるために教室のある楽器店に行きました。顔馴染みの店員さんが、「9月にサークルの発表会をショッピングセンターの広場で行うのですが、レッスンしている曲を発表してみませんか」とお誘いの言葉をいただきました。楽器店としてみれば、宣伝効果を期待してのことでしょうが、スマホに録音して聴いてみるとたどたどしくて人様に聴かせられるレベルではありません。ましてや、「間違えたらどうしよう」という緊張感は半端ではないはず。夜遅く奏でる音で妻がまどろむ程度の演奏が精一杯です。日頃から子供にも職員にも、「失敗して学ぶことがたくさんあるからチャレンジを!」と呼びかけている自分は、頑なに守りに徹していて情けない。

 「まどろむ」といえば、午後の会議などに講演などあろうものなら、睡魔との闘いにどう備えるかを考えてしまいます。運悪く最前列だったり講師から見えやすかったりすると、舟を漕がないよう、気絶しないように必死になった経験が一度はあるものです。

 ベッドに横になった途端に寝ていたなんていうこともきっとあるはず。寝つきがよいと思われがちですが、どうもそうではないようです。人間の大脳は大きいため、寝つくまでにおよそ10分程度かかるのが正常な睡眠リズムだといいます。だから、まどろむこともなくあっという間に寝ていたという状態は「気絶」なのだと聞いたことがあります。当然、良質の睡眠とは言えません。二度寝してしまうような場合や目覚めたともぼんやりしてしまう感覚が伴うときも、体が早寝を求めているサインと考えるとよさそうです。

 8月後半も、まだまだエアコンと扇風機を一晩中動かして眠りにつくような寝苦しい日が多そうです。夏休み残り3分の1が始まった今日を、お盆休みが明けた今日を、どう過ごしますか?

459 見立て(24.8.7)

 9月までお休みのつもりでしたが、夏休みの半分近くが終わり、学校は明日から閉庁期間に入るのでちょっとだけ。

 前夜に剃髪して、頭だけは住職よりお坊さんらしい出で立ちとなって、つい先日母の一周忌の法要に臨みました。終わってから日本橋まで足を延ばして、ミニチュア写真家・田中達也展『みたてのくみたて』を見に行きました。毎日SNSを更新する方なので、田中氏を知る人は決して少なくないはずです。パセリは木々、丸メガネは自転車、ソフトクリームが女性のドレス、iPhoneのカメラレンズが電磁調理台といった具合に、身の回りにある物を別の物に見立てたアートがたくさん展示されていました。

 “見立てはものまねに似ています。みんなが知っているものを、みんなが知っているものに変換するからこそ面白さが伝わる”と田中氏は言います。見慣れた家や教室の中、地域も普段と視点を変えて観察すると、新鮮な発見があるかもしれません。そんな想像(創造)力を子供たちが発揮できるようにするためにはどうしたらよいのだろうと思案します。やっぱり、やりたいことを実践してみることのできる自由度のある環境って大事なのではないかなぁ。そしてこの夏休みは、そうした絶好の機会と考えたいものです。

 少し前になりますが、利根川べりを車で走っていると、たくさんの人が外で待っている鰻屋があります。店の看板を見ると、蕎麦屋の暖簾のような文字が書かれています。この文字は「変体仮名」というのだそうです。「生蕎麦」という文字は、「幾」(いくつか・量)、「楚」(ほっそりとした様子・鮮やかな様子)、「者」(台上にしばを積み、火を炊く者)の3文字が変体仮名になったもの。一方、鰻屋の文字はというと、走りながら横目で追っただけですが、私の見立てでは「きのどく」と読めるのです。鰻屋「さかた」さん、ごめんなさい!

 まだ半分以上、夏休みが残っています。お盆休みに入り、家族での時間も増えるでしょう。Spend fun summer vacation!

458 安全に夏を過ごす(24.7.19)

 キッチンでメロンの皮を捨てながら、「貧乏クセー」という声が繰り返し聞こえます。「ほら、こんなに厚みが違う」と食べ終わった皮を見せてきます。スイカも同じで、実の色がなくなるまでスプーンでほじくります。赤い部分が残ったもう一方の皿を見て、「まだ食べられるじゃん!」と手を伸ばそうとすると嫌~な顔をされて取り上げられます。

 よく野球やアメフトの選手が、目の下を黒く塗ったりテープを貼ったりして、太陽や球場の照明の眩しさを軽減させている場合を見かけます。ヒーローインタビューを受けていたジャイアンツの丸佳浩選手は、シールタイプを愛用しているようです。これはアイブラックと呼ばれるもので、パンダやアライグマの目の周りが黒いのも同じであるとされる説もあります。夏場の日差しが強い日に貼って、子供の前に登場したらどんな反応を示すだろうと興味津々。

 呼吸するのも苦しくなるような猛暑日が、これからも予想されます。強烈な日差しから守るために「日傘を差しなさい」と妻に言われるものの、「男子たるものに日傘など…」という抵抗感が根強く残っている私。まさにジェンダーど真ん中を突く問題発言です。でも、世間ではメンズ日傘が市民権を得始めているといいます。日陰がない場所での効果は絶大なようで、体感温度が明らかに違うらしいのです。日傘使用に9割以上が支持していても、実際に使っているのは1割強という少数。でも、周りの目より実用性を優先させるべきなのでしょう。頭を日差しから守るものがない私には、悩みどころです。

 そんな中、天気予報で「大雨警戒レベル5」が最近頻繁にあります。山下智久さん主演ドラマ『ブルーモーメント』以降、「命の危険、緊急安全確保」を躊躇うことなく発令しているような気がするのは私だけでしょうか。でも、台風・落雷・大雨・熱中症等、危険を察知して適切な行動で元気に9月を迎えたいと願うのは、決して私だけではないはずです。

457 遠い地を想う(24.7.18)

 朝、主なニュースの見出しがいくつも映し出されます。その中にあった「5つ星ホテルで6人死亡 タイ」というタイトルに、「7人亡くなると新記録かぁ?」とボケるのは、いささか不謹慎です。逆に、そんなことが言える平和な日常、子供が安心して遊べる社会が保証されているのが日本であるとも言えそうです。ただし、こうした平凡なことが、戦争や紛争で苦しむ人々にとっては切なる願い。パレスチナのガザ地区では、先日も学校がロケット弾の攻撃対象となって、多くの子供が犠牲になっています。医療機関も攻撃の矛先となり、双方の一般市民が巻き添えになっている姿には目を覆いたくなります。

 イスラエルとパレスチナの紛争は、元々は中東の土地を巡る争いです。遡ると、パレスチナという地域にイスラエルという国を76年前に建国したユダヤ人と、土地を奪われる形となったイスラム教を信仰するパレスチナ人が対立するようになった歴史があります。

 さて、パレスチナの少年がイスラエル兵に撃たれて脳死となり、その心臓が敵国イスラエルの少女に移植された話を綴った、鎌田實さんが書いた『アハメドくんのいのちのリレー』が7月に平田小の図書室に入ったので、早速手に取って読みました。少年アハメドくんの紹介に始まり、著者がこの父親と会い、臓器提供者を訪ね歩く過程で見たり感じたりしたことが丁寧に綴られています。決して難しくはありませんから、高学年の児童には是非読んでほしいと思います。自分の足元を見つめることもできます。子供たちが何を感じ、考えたかをメモにして渡してくれたら、別の機会に紹介したいと思います。

 憎しみの連鎖は、必ずしも戦争・紛争とは限りません。人間関係の中にも垣間見られることがないでしょうか。アハメドくんのお父さんは、自分の息子が殺されました。にもかかわらず、敵国であっても病気の子を助けようとしました。この「にもかかわらず」を、鎌田氏は「その生き方はかっこいい」「これをできるのが人間のすごさだ」「“にもかかわらず”には力がある」と語っています。「いのちのバトン」「平和のバトン」「やさしさのバトン」等について、考えられる教材として授業でも使えそうです。

 明後日から43日間の夏休み。学校のないこの期間は、子供の昼食や居場所など働く保護者にとっての悩みの種かもしれません。ただ、特別なイベントなんかなくても、平凡でも、心穏やかに過ごせる夏休みであってほしいと思います。

456 3年目にして初(24.7.17)

 先週、市川市教委・教育長が来校してお話しする機会がありました。その中で、「平田小のベランダは、どうしてギザギザしているのですか?」と問われましたが、何のことやら皆目見当がつきません。校舎内を案内しながら、学童側の校舎の2階ベランダに出てみると、確かにベランダが一直線ではなく、カクカクした造形であることに初めて気づいたのです。普段ベランダに出ることがありませんし、外から眺めた時にはカラフルな塀の方ばかりに目を奪われて、ベランダの形にまで意識が行っていませんでした。写真の赤線を引いた箇所の床線の流れを見るとわかりやすいかもしれませんが、どうして?という疑問がふつふつと…。効果というか意味を知りたいと思ったのでした。

 これまた先週、平田保育園の中に入って、第八中学校ブロックの校長先生で保育参観をしました。こんなに近くにあるのに初めてのこと。3歳児クラスを廊下から見ていると、興味津々の表情。怖いもの見たさに近づく子を驚かすと、逃げながら喜んでいます。そして、仲間を増やしてまた近づきます。幼稚園に通う孫を相手にしているような気分。5歳児クラスは遊戯室でゲームをしていましたが、しばらくすると質問タイム。さらにました。平田小に兄弟がいる子もいれば、他校へ入学予定の子など様々でしたが、帰り際には歌を2曲披露してくれてハイタッチしながら部屋を去りました。保育園の先生方の苦労や心配りを間近に見たり随所に感じたりしながら園を後にしました。なんだか幸せな気分。保育園や幼稚園で働いたりボランティアしたりするのもいいなぁ…なんて。

 今日は、たんぽぽ学級のお楽しみ会があります。育てた夏野菜を使ってピザを焼くようです。招待状にある“おいしいピザとぼくたちが待っています”という嬉しい言葉に心躍る私です。

455 ハラスメント(24.7.16)

 最近、焼肉というものを食べていないような?カルビ以上にハラミが好き!内臓系のハラミは、適度な脂肪分で比較的あっさりした味わいです。鮭にもハラミがあり、お腹の骨がある部分を指します。一方、骨のない部分はハラスと呼ばれますが、これもまた大好きです。

 話は変わりますが、「フキハラ」という言葉を聞いて、何を思うでしょう?「不謹慎な発言ハラスメント」とか「きれいにテーブルを拭き取らないことへの不快感」とか?「腹」のことではないと思いながら、「不機嫌ハラスメント」のことと知ってビックリ!

 ハラスメントとは、相手の嫌がることをして不快感を覚えさせる行為全般を意味しますが、最初に社会問題として取り上げられたのが「セクハラ」(セクシャル・ハラスメント)だったように思います。21世紀になって「パワハラ」が登場し、その後「アカハラ」「マタハラ」「カスハラ」などが認知されます。このほかにも、望まない飲酒関連で「アルコール・ハラスメント」や性別に関わる「ジェンダー・ハラスメント」、年齢や世代間のギャップに起因する「エイジング・ハラスメント」など何でもあり状態!

 そして、今回の不機嫌ハラスメント。フキハラとは、不機嫌な態度をとることで相手を不快にしたり、過剰に気を遣わせたりするなど、精神的な苦痛を与えることだと説明しています。これは、本人の意図の有無に関わらず起こるわけですから厄介です。上司であれ同僚であれ、はたまた家族であっても、不機嫌な時はありますし、それがハラスメントとされたらたまったものではありません。言ったもん勝ち、泣いたもん勝ち?対等あるいは均衡がとれた関係が基準となって、そのバランスを一方的に崩す行為に対する不快感であれば理解できますが…。不機嫌さを出すことすら禁じられたら、逆にそれが不快で病んでしまいそうです。「逆ハラ」だぁ。もしかすると、寒くてつまらない冗談を聞かされて不快だったと、「サムハラ」「ジョウハラ」なんていう裁定が下るのでしょうか。難しい世の中です。

454 ついてますよ(24.7.12)

 暑い日は、午前中は頑張って庭作業などするものの、午後には全身に疲れが出て外に出たくなくなります。座布団を二つ折りにして枕代わりで昼寝です。元気だったころの父が、寝そべってテレビを見ていた姿と重なります。

 熱中症警戒アラートが、午前中の早い時間から発令されると、教育活動や遊びに影響が出ます。水の中とはいえ、水泳指導を中止と判断することも多くなります。必然的に、教室で過ごさざるを得ない時間も増えることになります。そして、どの教室もエアコンがフル稼働です。でも、校舎2階と3階では暑さが違いますし、棟によっても違いがあったり、部屋によって効きが悪かったりする場合もあります。そんな状況において、学校評価に次のような意見がありました。

*熱中症警戒がニュースで言われているような日でも、教室の冷房がついていないなど、暑さ対策の基準が時代遅れのように思う。

*冷房を入れる基準の温度をこれまでより低くするなど、早々の対応を望む。

 まず言えるのは、エアコンの冷房を入れるための基準はないということです。先に触れたように、教室によって体感温度が違います。また、その時だけでなく、前後の活動内容や実態も違いますから、ほぼ稼働させた状態であるといえます。子供の健康が第一。ただし、25度設定でも十分涼しく感じる部屋もあれば、18度にしても効きが悪いときがありますから、冷房がついていないと勘違いしてしまう子がいても不思議ではありません。特別教室へ移動して学習している学級もたまにあるくらいです。芸人 とにかく明るい安村さんのネタのように、「エアコン?安心してください。ついてますよ」と笑って言えればよいのですが…。

 今日、5年生の林間学校2日目を迎えました。雨の中であっても、笑顔で帰ってくるのを楽しみにしています。そして、キャンプファイヤーに登場した火の女神様の印象を尋ねてみます。

453 今日の天気は?(24.7.11)

 朝起きて、カーテンを開けると青空が見える日はうれしい気持ちになります。反面、外出が躊躇われますが、出勤しなくては…。外に出て涼しく感じる日はよいですが、6時半でアチ~という日は徹底して日陰に沿うように歩きます。陽が高くなるにしたがって日陰がなくなっていきます。だから、午後に出張がある日はげんなりした気分。でも外回りや屋外の仕事の人、学級担任など、暑かろうが寒かろうが関係ありませんから、文句を言ってはいけません。

 昔は夕立があって虹が立つことがよくありました。夕立は、土臭いにおいも一緒に運んできました。でも現在は、夕立なんて生易しいものではありません。線状降水帯の発生が河川の氾濫にもつながって、私たちの生活を脅かします。だから、梅雨や台風、秋の長雨の時期になると気が気でない人も多くいると思われます。市川市にも江戸川をはじめ、国分川、真間川、大柏川、春木川など河川が流れています。何十年も前には、床上浸水などで舟が出た地域だってあります。

 こうした川が「一級河川」「二級河川」と呼ばれますが、違いは何なのでしょう。川の大きさ、あるいは水質の善し悪しのランクのようなイメージを持っていましたが、実際は災害レベルにより分けられていると知りました。洪水や高潮などの災害が発生したときに想定される人命や資財などの被害が大きく、経済や国土保全の視点から重要であると指定されたものを「一級水系」。この一級水系に関係ある河川のうち、国土交通大臣が指定した河川が一級河川と呼ばれるそうです。一方「二級河川」は、「二級水系」のうち都道府県知事が指定した河川を指すといいます。まるで用水路のような川に一級河川の看板が掲げられている理由がやっとわかりました。

 さて、今日から一泊で、5年生が河口湖方面への林間学校に出かけました。6時半という朝早い集合でしたが、誰一人体調を崩すことなく、貴重で楽しい体験をしてきてほしいと思います。そして、活動しやすい天気であることを願います。

452 夏の定番(24.7.10)

 キャッチコピー「日本の夏 金鳥の夏」と謳うように、渦巻き型の蚊取り線香の匂いを嗅ぐと夏を感じる昭和世代。でも、娘や息子は嫌いだったようです。「金鳥の渦巻」が誕生したのは、1902年といいますから明治時代です。ただ、パッケージデザインはほとんど変化していないようで、シンボルである鶏の絵の下方に創業者の名字「上山」とあること、知っていました?

 夏の定番の一つは、かき氷やアイス類。名糖ホームランバーとメロンボールのシャーベットを懐かしく思うのは私だけではないと思いますが、最近登場した北海道ヤギミルク、バナナ豆乳、宮崎マンゴー、あまおういちごと聞いて、アイスの商品名がわかる人がいたら凄いと言わざるを得ません。実はコレ、愛犬用アイス「ワンワン君」なのです。ペットの栄養管理し監修のもと、味づくりに多くのワンちゃんに協力してもらったという、「ガリガリ君」で有名な赤城乳業アイスドリーム研究所が開発した商品です。アイスを通じて日常をもっと豊かにしたいという理念が、遂にペットの領域にまで及んでいるのです。こんな「あそびましょ」という企業スローガンを、学校の中にも生かしたいと思います。そのためには、豊かな発想を声にできることが大事です。

 一方、夏の音の代表といえば、セミと風鈴を思い浮かべます。残念ながらどちらも私の耳には届きません。風鈴市や風鈴祭りが開催される地域は、全国各地にあるようです。目にも耳にも涼やかな風鈴は、猛暑・酷暑の夏を少しでも快適に過ごすための先人の知恵といえます。娘が数年前に行ったという川越・氷川神社の境内には、約1500個もの色鮮やかな江戸風鈴が飾られるといいます。縁結び風鈴と呼ばれるのは、風鈴を鳴らす風が人の想いを運んでくれるからなのでしょう。

 ある日の新聞投書欄に、風鈴の音が苦手な人の思いが綴られていました。風鈴独特の音に心臓がバクバクして頭が割れそうになるといいます。ネット上には同じような悩みの書き込みも見られるようです。多くの人にはよい匂いである石鹸や柔軟剤などの香りが、一部の人は不快と感じてしまい、体調不良を起こす「化学物質過敏症」がありますが、風鈴の音もこれと似ています。だから、涼やかな音色に苦痛を感じる人もいるということを知っていることが大事だと思うのです。

451 鮮明に…(24.7.9)

 何歳の時に観たテレビ映画だったか、『小さな恋のメロディー』には、憧れにも似た不思議な感覚が今も淡く記憶の底に残っています。様々な映画やドラマを見て、いろいろな経験を積んでも、思いもかけないことからある記憶だけが鮮明に浮き彫りにされる瞬間があります。

 同じように、何の因果関係もなく突然思い出すことというものがあります。例えば、体毛が生え始めて恥ずかしかったころのこと。中学校に進学してからの僅かな期間を剣道部に在籍していました。剣道着の袴から出た脛に毛が生えているのが見えて恥ずかしかった思いが蘇ります。腕はさほど濃くありませんが、脛毛は黒々としていきます。自分が思うほど人は気にもしていないのですが、やはり思春期ですから…。腋も同じ。半袖のシャツの袖の奥に視線が集まっているようで…。ただ脛毛は、脱毛せずともジャージで擦れたのかどんどん消えていった20代。今ではお情け程度に残っているだけで、つるつるすべすべ。

 暑くなってTシャツや短パンのお世話になるようになると、毛むくじゃらの腕や脚の男性を見かけるようになります。私の父は濃かったので、毛ガニみたいでした。先日も自転車に乗る男性の腕が、刺青と見間違うような体毛に覆われていました。それを目で追いながら、最近では体毛豊かな人を見ることが少なくなったことを感じます。以前なら考えられなかった男性の脱毛、メンズエステ。髭の濃い先生が、子供に「髭ジョリ攻撃」と言って頬ずりしていた光景は、今では体罰・セクハラなど指導が不適切だと言われかねません。

 日本の場合、髭を剃る=身だしなみを整える、という考え方がありますが、イスラム文化の国では髭の考え方が異なります。髭を生やすことは、イスラム教徒の生活規範であり、ある意味義務ととらえられています。スポーツを観戦していると、中東の選手は全員といってよいほど立派な髭を蓄えていることがわかります。当然、腕だろうが脛だろうが脱毛なんて無縁なのでしょう。

 ちなみに、「ひげ」を漢字変換すると、文字が3つ表れます。「髭」は口ひげ、「鬚」は顎ひげ、「髯」は頬ひげというように、ある程度形よく整えられたものに対して使い分けるようです。へぇ~。

450 電車(24.7.8)

 放送機器にぶつけて痛めた足指は、未だに腫れが残っています。足をケガしていることに最初に気づいた子は、今でもその部位に目をやりながら「治った?」と心配そうに尋ねてくれます。独自の感性に驚きと期待感が大!

 期待感といえば、本校卒業生でサッカーで活躍する木村誠二選手が、パリ五輪代表メンバーに選ばれました。大会前は難しければ報告会でもよいので、学校に招いて話をしてもらう場を設けたいものです。

 先日、車のコーティング・メンテナンスのために、予約した店舗に出かけました。カウンターで店員を待っていると、立てかけてあった割引サービスに目が行きます。シニア割引という文字に吸い寄せられて説明を読むと、60歳以上とあるではありませんか。艶が濃くなったボディを見ながら、年取ることは悪いことばかりでないと、ささやかな幸せを感じたのでした。

 自宅の最寄り駅近くの踏切で通過電車を待っていると、普段と形の違う特急電車がゆっくり走り去ります。特急電車が走る路線ではないので、ホームに停まっている目新しい車両を改めて確認して、見間違いでないことを知ります。すぐに、スマホで情報を検索しましたがヒットなし。何だったのだろうと、今も不可解でなりません。

 ところで、家族と話をしている中で「E電」というワードが登場しました。聞いたような気がしますが、その詳細が思い出されません。日本国有鉄道(国鉄)時代に「国電」という略称がありましたが、1987年の民営化に伴ってJR東日本が決めた国電に代わる愛称だったようです。響きがよく、親しみやすいという理由で、公募20位だったにもかかわらず「E電」が採用されたようです。しかし、浸透せずにいつの間にか使われなくなってしまいましたから、その言葉すら知らない人は多いはずです。

 似たようなことが、現在の都営大江戸線でもありました。一旦は「東京環状線」とされ、「ゆめもぐら」の愛称まで決まったけれど最終的には採用に至りませんでした。また、私が乗る東武鉄道も10年前、船橋駅から大宮駅までの路線で「アーバンパークライン」という愛称が導入されていますが、口から出るのは相変わらず「野田線」ばかり。定着?それとも消滅?

449 星に願いを(24.7.5)

 大谷翔平選手30歳の誕生日の今日、6年生は国会・科学技術館見学に出かけます。東京タワーでは、約600段のオープンエア外階段を上る子もいるようです。東京の景色を眺め、心地よい風に吹かれて上る15分弱といいますが、ただひたすら速く上ることに傾注して、大人が思うほど景色を楽しむ意識はないのでは?引率は、6年生の書写授業を担当する島野教頭にお願いして、私は大きく手を振りながらバス3台をお見送り~。

 明後日は七夕。こども百科には、“昔、中国から日本に伝わった星祭り。彦星と織姫という男女が、天の川を挟んで向かい合っていて、1年に一度、7月7日にだけ会えるという言い伝えから祭りが始まった”とあります。今の時期、20時ころに東の空を見上げると3つの明るい星が見られます。「夏の大三角」です。そのうちのベガが織姫であり、アルタイルが彦星にあたります。天気がよい日に、星空の観察をするのもよいと思います。5年生の林間学校では、キャンプファイヤーの前後にきれいな星空が見られるはずです。

 さて、リサイクル倉庫前に置かれた3本の笹竹に、短冊を飾るために休み時間のたびに子供たちがやってきます。書かれる内容は二分されるような気がします。一つは自分自身に関すること。試験や成績に関する内容に紛れるように、「あがり症がなくなりますように」という願い事。発表会などが近いのかもしれません。「好きな人と両想いになれますように」と書かれた短冊は高学年女児ではないかと推察します。「凄いこと、起きてください」の凄いことが、喜ばしいことだと嬉しいですが、「大地震が起きませんように」というような災害であってほしくありません。

 もう一つの傾向は、家族への思いがこもった願い事です。「弟がすくすく育ちますように」「お兄ちゃんが大学に行けますように」「おばあちゃんが元気になりますように」と愛情溢れるメッセージがたくさん。「ママとパパがいつまでも生きていますように」というのは子供の切なる願いでしょう。親の私は、自分たちより早く子の命の火が消えることのないように願うばかりです。

 熱中症で具合の悪くなる子が出ませんように!今日6年生全員が無事笑顔で戻って来ますように!直近の願いです。

448 髪(24.7.4)

 その昔、「抜け始めてわかる、髪は長~い友達」というCMで、「髪」という文字の右上3本の払いが徐々に抜けていき、「長」と「友」の文字になる映像は、なぜか未だに映像として頭の中に残っています。だから、まだ習ってもいない「髪」という漢字を覚えられたような気がします。

 俳優の野村周平さんが起用された、美容クリニックのCMポスターを電車で目にしました。「20代の額のM字」という文字に敏感に反応してしまいました。だって、高校生くらいから剃りを入れなくても十分ツッパリに見えた私です。先生になってからも「Mっパゲ」なんて子供との掛け合いの中で言われました。ポスターを見ながら「そうかぁ、M字部分が拡大して全体に広がって、薄毛が進行していくんだぁ」と他人事のように思ってしまいます。40代になって悩む野村さんが、タイムトラベルして20代の自分に忠告するTVCMがあるそうなので、見てみたい気持ちが膨らみます。ただ、専ら録画による番組視聴なので、いつCMに出会えるかは定かではありません。

 ある日、3年生の英語会話学習を見に行った時、「色」について勉強しているところでした。「Blue」と言われたら自分の持ち物で青色のものを探します。赤、緑、黄色と続き、「Black」が示されました。思い思いのものを掲げたり指さしたりしている中、先生は両手を頭に手を置いて「ほらっ、ここにも」と気づかせようとします。そして、一瞬の間をおいてから、後ろで見ている私と目が合って爆笑しながら謝っています。謝られても困ります!私の頭だって一本一本見たらちゃんとブラックですが、やさしい3年生はすぐさま励まし(禿げ増し?)の言葉をかけてくれました。そんな中、黒混じりのベージュをブラックだと勘違いする子が現れなければよいのですが…。