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校長室から

459 見立て(24.8.7)

 9月までお休みのつもりでしたが、夏休みの半分近くが終わり、学校は明日から閉庁期間に入るのでちょっとだけ。

 前夜に剃髪して、頭だけは住職よりお坊さんらしい出で立ちとなって、つい先日母の一周忌の法要に臨みました。終わってから日本橋まで足を延ばして、ミニチュア写真家・田中達也展『みたてのくみたて』を見に行きました。毎日SNSを更新する方なので、田中氏を知る人は決して少なくないはずです。パセリは木々、丸メガネは自転車、ソフトクリームが女性のドレス、iPhoneのカメラレンズが電磁調理台といった具合に、身の回りにある物を別の物に見立てたアートがたくさん展示されていました。

 “見立てはものまねに似ています。みんなが知っているものを、みんなが知っているものに変換するからこそ面白さが伝わる”と田中氏は言います。見慣れた家や教室の中、地域も普段と視点を変えて観察すると、新鮮な発見があるかもしれません。そんな想像(創造)力を子供たちが発揮できるようにするためにはどうしたらよいのだろうと思案します。やっぱり、やりたいことを実践してみることのできる自由度のある環境って大事なのではないかなぁ。そしてこの夏休みは、そうした絶好の機会と考えたいものです。

 少し前になりますが、利根川べりを車で走っていると、たくさんの人が外で待っている鰻屋があります。店の看板を見ると、蕎麦屋の暖簾のような文字が書かれています。この文字は「変体仮名」というのだそうです。「生蕎麦」という文字は、「幾」(いくつか・量)、「楚」(ほっそりとした様子・鮮やかな様子)、「者」(台上にしばを積み、火を炊く者)の3文字が変体仮名になったもの。一方、鰻屋の文字はというと、走りながら横目で追っただけですが、私の見立てでは「きのどく」と読めるのです。鰻屋「さかた」さん、ごめんなさい!

 まだ半分以上、夏休みが残っています。お盆休みに入り、家族での時間も増えるでしょう。Spend fun summer vacation!

458 安全に夏を過ごす(24.7.19)

 キッチンでメロンの皮を捨てながら、「貧乏クセー」という声が繰り返し聞こえます。「ほら、こんなに厚みが違う」と食べ終わった皮を見せてきます。スイカも同じで、実の色がなくなるまでスプーンでほじくります。赤い部分が残ったもう一方の皿を見て、「まだ食べられるじゃん!」と手を伸ばそうとすると嫌~な顔をされて取り上げられます。

 よく野球やアメフトの選手が、目の下を黒く塗ったりテープを貼ったりして、太陽や球場の照明の眩しさを軽減させている場合を見かけます。ヒーローインタビューを受けていたジャイアンツの丸佳浩選手は、シールタイプを愛用しているようです。これはアイブラックと呼ばれるもので、パンダやアライグマの目の周りが黒いのも同じであるとされる説もあります。夏場の日差しが強い日に貼って、子供の前に登場したらどんな反応を示すだろうと興味津々。

 呼吸するのも苦しくなるような猛暑日が、これからも予想されます。強烈な日差しから守るために「日傘を差しなさい」と妻に言われるものの、「男子たるものに日傘など…」という抵抗感が根強く残っている私。まさにジェンダーど真ん中を突く問題発言です。でも、世間ではメンズ日傘が市民権を得始めているといいます。日陰がない場所での効果は絶大なようで、体感温度が明らかに違うらしいのです。日傘使用に9割以上が支持していても、実際に使っているのは1割強という少数。でも、周りの目より実用性を優先させるべきなのでしょう。頭を日差しから守るものがない私には、悩みどころです。

 そんな中、天気予報で「大雨警戒レベル5」が最近頻繁にあります。山下智久さん主演ドラマ『ブルーモーメント』以降、「命の危険、緊急安全確保」を躊躇うことなく発令しているような気がするのは私だけでしょうか。でも、台風・落雷・大雨・熱中症等、危険を察知して適切な行動で元気に9月を迎えたいと願うのは、決して私だけではないはずです。

457 遠い地を想う(24.7.18)

 朝、主なニュースの見出しがいくつも映し出されます。その中にあった「5つ星ホテルで6人死亡 タイ」というタイトルに、「7人亡くなると新記録かぁ?」とボケるのは、いささか不謹慎です。逆に、そんなことが言える平和な日常、子供が安心して遊べる社会が保証されているのが日本であるとも言えそうです。ただし、こうした平凡なことが、戦争や紛争で苦しむ人々にとっては切なる願い。パレスチナのガザ地区では、先日も学校がロケット弾の攻撃対象となって、多くの子供が犠牲になっています。医療機関も攻撃の矛先となり、双方の一般市民が巻き添えになっている姿には目を覆いたくなります。

 イスラエルとパレスチナの紛争は、元々は中東の土地を巡る争いです。遡ると、パレスチナという地域にイスラエルという国を76年前に建国したユダヤ人と、土地を奪われる形となったイスラム教を信仰するパレスチナ人が対立するようになった歴史があります。

 さて、パレスチナの少年がイスラエル兵に撃たれて脳死となり、その心臓が敵国イスラエルの少女に移植された話を綴った、鎌田實さんが書いた『アハメドくんのいのちのリレー』が7月に平田小の図書室に入ったので、早速手に取って読みました。少年アハメドくんの紹介に始まり、著者がこの父親と会い、臓器提供者を訪ね歩く過程で見たり感じたりしたことが丁寧に綴られています。決して難しくはありませんから、高学年の児童には是非読んでほしいと思います。自分の足元を見つめることもできます。子供たちが何を感じ、考えたかをメモにして渡してくれたら、別の機会に紹介したいと思います。

 憎しみの連鎖は、必ずしも戦争・紛争とは限りません。人間関係の中にも垣間見られることがないでしょうか。アハメドくんのお父さんは、自分の息子が殺されました。にもかかわらず、敵国であっても病気の子を助けようとしました。この「にもかかわらず」を、鎌田氏は「その生き方はかっこいい」「これをできるのが人間のすごさだ」「“にもかかわらず”には力がある」と語っています。「いのちのバトン」「平和のバトン」「やさしさのバトン」等について、考えられる教材として授業でも使えそうです。

 明後日から43日間の夏休み。学校のないこの期間は、子供の昼食や居場所など働く保護者にとっての悩みの種かもしれません。ただ、特別なイベントなんかなくても、平凡でも、心穏やかに過ごせる夏休みであってほしいと思います。

456 3年目にして初(24.7.17)

 先週、市川市教委・教育長が来校してお話しする機会がありました。その中で、「平田小のベランダは、どうしてギザギザしているのですか?」と問われましたが、何のことやら皆目見当がつきません。校舎内を案内しながら、学童側の校舎の2階ベランダに出てみると、確かにベランダが一直線ではなく、カクカクした造形であることに初めて気づいたのです。普段ベランダに出ることがありませんし、外から眺めた時にはカラフルな塀の方ばかりに目を奪われて、ベランダの形にまで意識が行っていませんでした。写真の赤線を引いた箇所の床線の流れを見るとわかりやすいかもしれませんが、どうして?という疑問がふつふつと…。効果というか意味を知りたいと思ったのでした。

 これまた先週、平田保育園の中に入って、第八中学校ブロックの校長先生で保育参観をしました。こんなに近くにあるのに初めてのこと。3歳児クラスを廊下から見ていると、興味津々の表情。怖いもの見たさに近づく子を驚かすと、逃げながら喜んでいます。そして、仲間を増やしてまた近づきます。幼稚園に通う孫を相手にしているような気分。5歳児クラスは遊戯室でゲームをしていましたが、しばらくすると質問タイム。さらにました。平田小に兄弟がいる子もいれば、他校へ入学予定の子など様々でしたが、帰り際には歌を2曲披露してくれてハイタッチしながら部屋を去りました。保育園の先生方の苦労や心配りを間近に見たり随所に感じたりしながら園を後にしました。なんだか幸せな気分。保育園や幼稚園で働いたりボランティアしたりするのもいいなぁ…なんて。

 今日は、たんぽぽ学級のお楽しみ会があります。育てた夏野菜を使ってピザを焼くようです。招待状にある“おいしいピザとぼくたちが待っています”という嬉しい言葉に心躍る私です。

455 ハラスメント(24.7.16)

 最近、焼肉というものを食べていないような?カルビ以上にハラミが好き!内臓系のハラミは、適度な脂肪分で比較的あっさりした味わいです。鮭にもハラミがあり、お腹の骨がある部分を指します。一方、骨のない部分はハラスと呼ばれますが、これもまた大好きです。

 話は変わりますが、「フキハラ」という言葉を聞いて、何を思うでしょう?「不謹慎な発言ハラスメント」とか「きれいにテーブルを拭き取らないことへの不快感」とか?「腹」のことではないと思いながら、「不機嫌ハラスメント」のことと知ってビックリ!

 ハラスメントとは、相手の嫌がることをして不快感を覚えさせる行為全般を意味しますが、最初に社会問題として取り上げられたのが「セクハラ」(セクシャル・ハラスメント)だったように思います。21世紀になって「パワハラ」が登場し、その後「アカハラ」「マタハラ」「カスハラ」などが認知されます。このほかにも、望まない飲酒関連で「アルコール・ハラスメント」や性別に関わる「ジェンダー・ハラスメント」、年齢や世代間のギャップに起因する「エイジング・ハラスメント」など何でもあり状態!

 そして、今回の不機嫌ハラスメント。フキハラとは、不機嫌な態度をとることで相手を不快にしたり、過剰に気を遣わせたりするなど、精神的な苦痛を与えることだと説明しています。これは、本人の意図の有無に関わらず起こるわけですから厄介です。上司であれ同僚であれ、はたまた家族であっても、不機嫌な時はありますし、それがハラスメントとされたらたまったものではありません。言ったもん勝ち、泣いたもん勝ち?対等あるいは均衡がとれた関係が基準となって、そのバランスを一方的に崩す行為に対する不快感であれば理解できますが…。不機嫌さを出すことすら禁じられたら、逆にそれが不快で病んでしまいそうです。「逆ハラ」だぁ。もしかすると、寒くてつまらない冗談を聞かされて不快だったと、「サムハラ」「ジョウハラ」なんていう裁定が下るのでしょうか。難しい世の中です。

454 ついてますよ(24.7.12)

 暑い日は、午前中は頑張って庭作業などするものの、午後には全身に疲れが出て外に出たくなくなります。座布団を二つ折りにして枕代わりで昼寝です。元気だったころの父が、寝そべってテレビを見ていた姿と重なります。

 熱中症警戒アラートが、午前中の早い時間から発令されると、教育活動や遊びに影響が出ます。水の中とはいえ、水泳指導を中止と判断することも多くなります。必然的に、教室で過ごさざるを得ない時間も増えることになります。そして、どの教室もエアコンがフル稼働です。でも、校舎2階と3階では暑さが違いますし、棟によっても違いがあったり、部屋によって効きが悪かったりする場合もあります。そんな状況において、学校評価に次のような意見がありました。

*熱中症警戒がニュースで言われているような日でも、教室の冷房がついていないなど、暑さ対策の基準が時代遅れのように思う。

*冷房を入れる基準の温度をこれまでより低くするなど、早々の対応を望む。

 まず言えるのは、エアコンの冷房を入れるための基準はないということです。先に触れたように、教室によって体感温度が違います。また、その時だけでなく、前後の活動内容や実態も違いますから、ほぼ稼働させた状態であるといえます。子供の健康が第一。ただし、25度設定でも十分涼しく感じる部屋もあれば、18度にしても効きが悪いときがありますから、冷房がついていないと勘違いしてしまう子がいても不思議ではありません。特別教室へ移動して学習している学級もたまにあるくらいです。芸人 とにかく明るい安村さんのネタのように、「エアコン?安心してください。ついてますよ」と笑って言えればよいのですが…。

 今日、5年生の林間学校2日目を迎えました。雨の中であっても、笑顔で帰ってくるのを楽しみにしています。そして、キャンプファイヤーに登場した火の女神様の印象を尋ねてみます。

453 今日の天気は?(24.7.11)

 朝起きて、カーテンを開けると青空が見える日はうれしい気持ちになります。反面、外出が躊躇われますが、出勤しなくては…。外に出て涼しく感じる日はよいですが、6時半でアチ~という日は徹底して日陰に沿うように歩きます。陽が高くなるにしたがって日陰がなくなっていきます。だから、午後に出張がある日はげんなりした気分。でも外回りや屋外の仕事の人、学級担任など、暑かろうが寒かろうが関係ありませんから、文句を言ってはいけません。

 昔は夕立があって虹が立つことがよくありました。夕立は、土臭いにおいも一緒に運んできました。でも現在は、夕立なんて生易しいものではありません。線状降水帯の発生が河川の氾濫にもつながって、私たちの生活を脅かします。だから、梅雨や台風、秋の長雨の時期になると気が気でない人も多くいると思われます。市川市にも江戸川をはじめ、国分川、真間川、大柏川、春木川など河川が流れています。何十年も前には、床上浸水などで舟が出た地域だってあります。

 こうした川が「一級河川」「二級河川」と呼ばれますが、違いは何なのでしょう。川の大きさ、あるいは水質の善し悪しのランクのようなイメージを持っていましたが、実際は災害レベルにより分けられていると知りました。洪水や高潮などの災害が発生したときに想定される人命や資財などの被害が大きく、経済や国土保全の視点から重要であると指定されたものを「一級水系」。この一級水系に関係ある河川のうち、国土交通大臣が指定した河川が一級河川と呼ばれるそうです。一方「二級河川」は、「二級水系」のうち都道府県知事が指定した河川を指すといいます。まるで用水路のような川に一級河川の看板が掲げられている理由がやっとわかりました。

 さて、今日から一泊で、5年生が河口湖方面への林間学校に出かけました。6時半という朝早い集合でしたが、誰一人体調を崩すことなく、貴重で楽しい体験をしてきてほしいと思います。そして、活動しやすい天気であることを願います。

452 夏の定番(24.7.10)

 キャッチコピー「日本の夏 金鳥の夏」と謳うように、渦巻き型の蚊取り線香の匂いを嗅ぐと夏を感じる昭和世代。でも、娘や息子は嫌いだったようです。「金鳥の渦巻」が誕生したのは、1902年といいますから明治時代です。ただ、パッケージデザインはほとんど変化していないようで、シンボルである鶏の絵の下方に創業者の名字「上山」とあること、知っていました?

 夏の定番の一つは、かき氷やアイス類。名糖ホームランバーとメロンボールのシャーベットを懐かしく思うのは私だけではないと思いますが、最近登場した北海道ヤギミルク、バナナ豆乳、宮崎マンゴー、あまおういちごと聞いて、アイスの商品名がわかる人がいたら凄いと言わざるを得ません。実はコレ、愛犬用アイス「ワンワン君」なのです。ペットの栄養管理し監修のもと、味づくりに多くのワンちゃんに協力してもらったという、「ガリガリ君」で有名な赤城乳業アイスドリーム研究所が開発した商品です。アイスを通じて日常をもっと豊かにしたいという理念が、遂にペットの領域にまで及んでいるのです。こんな「あそびましょ」という企業スローガンを、学校の中にも生かしたいと思います。そのためには、豊かな発想を声にできることが大事です。

 一方、夏の音の代表といえば、セミと風鈴を思い浮かべます。残念ながらどちらも私の耳には届きません。風鈴市や風鈴祭りが開催される地域は、全国各地にあるようです。目にも耳にも涼やかな風鈴は、猛暑・酷暑の夏を少しでも快適に過ごすための先人の知恵といえます。娘が数年前に行ったという川越・氷川神社の境内には、約1500個もの色鮮やかな江戸風鈴が飾られるといいます。縁結び風鈴と呼ばれるのは、風鈴を鳴らす風が人の想いを運んでくれるからなのでしょう。

 ある日の新聞投書欄に、風鈴の音が苦手な人の思いが綴られていました。風鈴独特の音に心臓がバクバクして頭が割れそうになるといいます。ネット上には同じような悩みの書き込みも見られるようです。多くの人にはよい匂いである石鹸や柔軟剤などの香りが、一部の人は不快と感じてしまい、体調不良を起こす「化学物質過敏症」がありますが、風鈴の音もこれと似ています。だから、涼やかな音色に苦痛を感じる人もいるということを知っていることが大事だと思うのです。

451 鮮明に…(24.7.9)

 何歳の時に観たテレビ映画だったか、『小さな恋のメロディー』には、憧れにも似た不思議な感覚が今も淡く記憶の底に残っています。様々な映画やドラマを見て、いろいろな経験を積んでも、思いもかけないことからある記憶だけが鮮明に浮き彫りにされる瞬間があります。

 同じように、何の因果関係もなく突然思い出すことというものがあります。例えば、体毛が生え始めて恥ずかしかったころのこと。中学校に進学してからの僅かな期間を剣道部に在籍していました。剣道着の袴から出た脛に毛が生えているのが見えて恥ずかしかった思いが蘇ります。腕はさほど濃くありませんが、脛毛は黒々としていきます。自分が思うほど人は気にもしていないのですが、やはり思春期ですから…。腋も同じ。半袖のシャツの袖の奥に視線が集まっているようで…。ただ脛毛は、脱毛せずともジャージで擦れたのかどんどん消えていった20代。今ではお情け程度に残っているだけで、つるつるすべすべ。

 暑くなってTシャツや短パンのお世話になるようになると、毛むくじゃらの腕や脚の男性を見かけるようになります。私の父は濃かったので、毛ガニみたいでした。先日も自転車に乗る男性の腕が、刺青と見間違うような体毛に覆われていました。それを目で追いながら、最近では体毛豊かな人を見ることが少なくなったことを感じます。以前なら考えられなかった男性の脱毛、メンズエステ。髭の濃い先生が、子供に「髭ジョリ攻撃」と言って頬ずりしていた光景は、今では体罰・セクハラなど指導が不適切だと言われかねません。

 日本の場合、髭を剃る=身だしなみを整える、という考え方がありますが、イスラム文化の国では髭の考え方が異なります。髭を生やすことは、イスラム教徒の生活規範であり、ある意味義務ととらえられています。スポーツを観戦していると、中東の選手は全員といってよいほど立派な髭を蓄えていることがわかります。当然、腕だろうが脛だろうが脱毛なんて無縁なのでしょう。

 ちなみに、「ひげ」を漢字変換すると、文字が3つ表れます。「髭」は口ひげ、「鬚」は顎ひげ、「髯」は頬ひげというように、ある程度形よく整えられたものに対して使い分けるようです。へぇ~。

450 電車(24.7.8)

 放送機器にぶつけて痛めた足指は、未だに腫れが残っています。足をケガしていることに最初に気づいた子は、今でもその部位に目をやりながら「治った?」と心配そうに尋ねてくれます。独自の感性に驚きと期待感が大!

 期待感といえば、本校卒業生でサッカーで活躍する木村誠二選手が、パリ五輪代表メンバーに選ばれました。大会前は難しければ報告会でもよいので、学校に招いて話をしてもらう場を設けたいものです。

 先日、車のコーティング・メンテナンスのために、予約した店舗に出かけました。カウンターで店員を待っていると、立てかけてあった割引サービスに目が行きます。シニア割引という文字に吸い寄せられて説明を読むと、60歳以上とあるではありませんか。艶が濃くなったボディを見ながら、年取ることは悪いことばかりでないと、ささやかな幸せを感じたのでした。

 自宅の最寄り駅近くの踏切で通過電車を待っていると、普段と形の違う特急電車がゆっくり走り去ります。特急電車が走る路線ではないので、ホームに停まっている目新しい車両を改めて確認して、見間違いでないことを知ります。すぐに、スマホで情報を検索しましたがヒットなし。何だったのだろうと、今も不可解でなりません。

 ところで、家族と話をしている中で「E電」というワードが登場しました。聞いたような気がしますが、その詳細が思い出されません。日本国有鉄道(国鉄)時代に「国電」という略称がありましたが、1987年の民営化に伴ってJR東日本が決めた国電に代わる愛称だったようです。響きがよく、親しみやすいという理由で、公募20位だったにもかかわらず「E電」が採用されたようです。しかし、浸透せずにいつの間にか使われなくなってしまいましたから、その言葉すら知らない人は多いはずです。

 似たようなことが、現在の都営大江戸線でもありました。一旦は「東京環状線」とされ、「ゆめもぐら」の愛称まで決まったけれど最終的には採用に至りませんでした。また、私が乗る東武鉄道も10年前、船橋駅から大宮駅までの路線で「アーバンパークライン」という愛称が導入されていますが、口から出るのは相変わらず「野田線」ばかり。定着?それとも消滅?

449 星に願いを(24.7.5)

 大谷翔平選手30歳の誕生日の今日、6年生は国会・科学技術館見学に出かけます。東京タワーでは、約600段のオープンエア外階段を上る子もいるようです。東京の景色を眺め、心地よい風に吹かれて上る15分弱といいますが、ただひたすら速く上ることに傾注して、大人が思うほど景色を楽しむ意識はないのでは?引率は、6年生の書写授業を担当する島野教頭にお願いして、私は大きく手を振りながらバス3台をお見送り~。

 明後日は七夕。こども百科には、“昔、中国から日本に伝わった星祭り。彦星と織姫という男女が、天の川を挟んで向かい合っていて、1年に一度、7月7日にだけ会えるという言い伝えから祭りが始まった”とあります。今の時期、20時ころに東の空を見上げると3つの明るい星が見られます。「夏の大三角」です。そのうちのベガが織姫であり、アルタイルが彦星にあたります。天気がよい日に、星空の観察をするのもよいと思います。5年生の林間学校では、キャンプファイヤーの前後にきれいな星空が見られるはずです。

 さて、リサイクル倉庫前に置かれた3本の笹竹に、短冊を飾るために休み時間のたびに子供たちがやってきます。書かれる内容は二分されるような気がします。一つは自分自身に関すること。試験や成績に関する内容に紛れるように、「あがり症がなくなりますように」という願い事。発表会などが近いのかもしれません。「好きな人と両想いになれますように」と書かれた短冊は高学年女児ではないかと推察します。「凄いこと、起きてください」の凄いことが、喜ばしいことだと嬉しいですが、「大地震が起きませんように」というような災害であってほしくありません。

 もう一つの傾向は、家族への思いがこもった願い事です。「弟がすくすく育ちますように」「お兄ちゃんが大学に行けますように」「おばあちゃんが元気になりますように」と愛情溢れるメッセージがたくさん。「ママとパパがいつまでも生きていますように」というのは子供の切なる願いでしょう。親の私は、自分たちより早く子の命の火が消えることのないように願うばかりです。

 熱中症で具合の悪くなる子が出ませんように!今日6年生全員が無事笑顔で戻って来ますように!直近の願いです。

448 髪(24.7.4)

 その昔、「抜け始めてわかる、髪は長~い友達」というCMで、「髪」という文字の右上3本の払いが徐々に抜けていき、「長」と「友」の文字になる映像は、なぜか未だに映像として頭の中に残っています。だから、まだ習ってもいない「髪」という漢字を覚えられたような気がします。

 俳優の野村周平さんが起用された、美容クリニックのCMポスターを電車で目にしました。「20代の額のM字」という文字に敏感に反応してしまいました。だって、高校生くらいから剃りを入れなくても十分ツッパリに見えた私です。先生になってからも「Mっパゲ」なんて子供との掛け合いの中で言われました。ポスターを見ながら「そうかぁ、M字部分が拡大して全体に広がって、薄毛が進行していくんだぁ」と他人事のように思ってしまいます。40代になって悩む野村さんが、タイムトラベルして20代の自分に忠告するTVCMがあるそうなので、見てみたい気持ちが膨らみます。ただ、専ら録画による番組視聴なので、いつCMに出会えるかは定かではありません。

 ある日、3年生の英語会話学習を見に行った時、「色」について勉強しているところでした。「Blue」と言われたら自分の持ち物で青色のものを探します。赤、緑、黄色と続き、「Black」が示されました。思い思いのものを掲げたり指さしたりしている中、先生は両手を頭に手を置いて「ほらっ、ここにも」と気づかせようとします。そして、一瞬の間をおいてから、後ろで見ている私と目が合って爆笑しながら謝っています。謝られても困ります!私の頭だって一本一本見たらちゃんとブラックですが、やさしい3年生はすぐさま励まし(禿げ増し?)の言葉をかけてくれました。そんな中、黒混じりのベージュをブラックだと勘違いする子が現れなければよいのですが…。

447 アナグラム(24.7.3)

 スーパーの一角にオロナミンCが特売品として積まれています。その価格表示の上に小さく「7/3はオロナミンCの日」とあります。「元気ハツラツ!」というメッセージのもと登場したのが1965年。2011年に累計販売本数三百億本を突破したのを記念して、製品名にちなんで「(オロ)ナミ(ン)の日」で今日7月3日を申請・登録したといいます。どうでもよい雑学です。

 さて、「しんぶんし」や「たけやぶやけた」は上から読んでも下から読んでも同じ文句になる「回文」という言葉遊び。これに対して、ある言葉や単語の文字を並び替えることで、別の意味を持つ言葉や単語を作る言葉遊びが「アナグラム」と呼ばれます。「ある日」を「アヒル」、「コインだ」を「大根」という感じで読み替えるわけです。五十音を使ったいろは歌は、日本でもっとも有名なアナグラムであり、最高傑作といえそうです。

 先日の読売新聞『編集手帳』を見ていたら、松尾芭蕉の「古池や 蛙とびこむ 水の音」を並び替えた、「わずか見む ふやけ男の ビイトルズ」という川柳が載っていました。その翌日の朝日新聞『天声人語』には、「田中角栄」を「内閣変えた」としたアナグラムが掲載されていて、偶然とはいえびっくり。また、新聞投稿欄にも時々見られるアナグラム。これを考える人の頭って、どういう構造をしているのだろうと思ってしまいます。長短関係なく、固い頭には難しいことこの上なし!そこで、頭の体操だと思って、「①押すな!」「②うそ、若い!」「③本来、真夏!」(“あそトピ・AsoPPA”より)の3つに挑戦してみてください。

 大きな房州びわがスーパーに並んでいる時期がありました。おいしいけれど高価。ただ、食べると口の中や喉がイガイガしたり痒みや腫れが出たりすることがあるそうで、花粉症とも関係があるアレルギーだといいます。ほとんどの場合、時間とともに消失しますが、稀にアナフィラキシーを起こすこともあるというので知っておくに越したことはありません。少し前に、山梨の小中学校で給食に提供されたびわで、百人以上にアレルギー反応が出たといいます。こうした報道のあと、献立に採用されなくなってしまうのがちょっと残念かな。

 というわけで、先ほどの問題の解答ですが、「①素直」「②かわいそう!」「③つまらない本」となります。もしかすると、違う言葉にもなることも考えられるかなぁ。

446 落語(24.7.2)

 4年生は、ちょうど今国語科で『ぞろぞろ』という教材を通して、落語の面白さを感じ取ったり落語に親しんだりする学習を始めました。子供たちが小さな落語家となって、皆の前で落語を上演することもあります。平田小では、林家のん平師匠が卒業生ということもあって、例年講師としてお招きしてきました。

 少し前の給食の放送では、落語の内容を語って聞かせました。『死神』という話。掃除の時間に、「今日の話、面白かったです」と、笑顔で言ってくれた高学年の子がいます。一方で、「オチがよくわかりませんでした」という声もあります。確かに、語りによって情景を思い浮かべられるようにしたかったのですが、うまくいかなかったようで残念です。そこで、敢えて前回も落語に挑戦しました。演目は『寝床』。すると、「○○のところでドッと笑いが起こりました」と、すぐに子供が教えてくれました。

 このように、落語は見るものというより、聞くもの・想像するものです。話し手の言葉やしぐさから、自分の頭の中に映像を描く格好の教材。話し言葉は一瞬で消えてしまいます。ですから、聞き手はその言葉を逃さず正確に聞かなければなりません。そうすることで、自然と聞く態度も身につくといえそうです。落語を楽しみながら聞き上手になれるというわけ。

 ただ、放送での語りの場合、身振り手振りや表情、目線なども大事にする寄席の落語とは違って、声の抑揚と間の取り方だけで、子供のイメージを膨らませ、頭の中に絵を描かせなければなりません。こう考えると、非常に難しいことに挑戦していることに気づきます。だからこそ、「面白かった」と言ってもらえることは最高のご褒美であり、私自身の成功体験だといえそうです。

 初夏の読書週間は6月で終わりましたが、これをきっかけに落語の本を手に取ってくれる子がいたらうれしいです。寄付してもらった本の中にも、子供向けの落語の本を見つけました。今後4年生の教室を覗くと、堂々と落語を演じる場面に出会えるかもしれません。

445 半夏生(24.7.1)

 島野教頭が、先日ぼそりとつぶやいた一言。「着任した当初は、7月を迎えられるなんて思えなかった」と。あまりの忙しさと終わらない仕事に、このまま永遠に4月が続くように感じられたのでしょう。今年度着任した教職員も、まずは運動会まで全力疾走して息を整え、改めてそれぞれの山を今登っている最中。5年生は来週、林間学校に出かけますから、1学期のピークといえます。誰も疲れがたまってきますが、子供に向ける笑顔だけは輝きを失わないようでありたいと思います。

 ところで、1年で昼間が一番長いのが夏至(先週21日)です。この日から七夕頃までの約2週間が「夏至の期間」とされ、夏至から数えて11日目の7月2日頃からの5日間を「半夏生」と呼びます。諸説がありますが、農作業の大切な目安として、田植えは夏至のあと半夏生に入る前までに終わらせるのが良いとされました。そして、無事に田植えが終われば田の神様に感謝をする行事を行うのです。

 そんな夏至の頃に食べるとよいとされる食べ物に、関西ではタコという風習があります。「稲の根が、タコの足のように四方八方にしっかり根付きますように」とか「稲穂がタコの吸盤のように豊かに実りますように」との願いが込められているわけです。京都では「水無月」という和菓子が好まれ、6月30日に食べるそうです。これによって、残り半年間の無病息災を祈願するのです。このほか、香川の「うどん」や福井の「焼き鯖」、三重の「みょうが」などがあるのです。恥ずかしながら、数年前に「水無月」を食べて、こうした風習を知った次第です。

 半夏生も数ある雑節の一つ。馴染みのある雑節といえば、節分・彼岸・八十八夜・入梅・土用などがありますが、知らず知らずのうちに生活に深く根づいています。これを機に半夏生について理解を深めるのもよいと思います。今年の半夏生は、今日7月1日。タウリン豊富なタコで疲労回復といきましょうか?夕飯はタコ料理をリクエストして、平田小の校章やOB会名に使用される「稲穂」の豊かな実りを祈願!

444 今日はこんな日(24.6.28)

 6月最終登校日の今日、「444号」になりました。これを縁起が悪いとみるか、三重のしあわせとみるか。ポジティブに行きましょう!

 さて、平田小「まるごと図書館」に集まっている本を、図書室の本などと区別するために、専用のシールを貼るとよいのではないかという職員のアイディアから、子供のイラスト原画を募集する手紙を配付したのが一昨日のこと。7月8日締め切りですので、多くの応募を担当者も願っています。9月頃から徐々にスタートして、子供や保護者、教職員で創り上げ、更新されながらずっと続いていくものにしたいと思います。

 学校だよりでも触れたとおり、ゆとろぎの部屋(スペシャルサポートルーム)に今日エアコンが入ります。エアコンは普通教室と使用頻度の高い特別教室には優先的に入りますが、ゆとろぎはその対象ではありません。しかしながら、担当者が常駐して教室以外の居場所となる教室が暑くてたまらなければ、行きたくても行けなくなってしまいます。だから、要望を形にしてくれた市教委の英断に感謝です。したがって、工事により今日はこの部屋の営業はできませんので、一時的にPC室をSSRとします。

 また、市政90周年を迎えたことを多くに知らせるために、第1校舎の屋上に横断幕設置の予定でしたが、雨天により来週になりました。この90周年関連行事の一つに、子供たちが作る「缶バッチ」もあります。平田小の順番は、10月初旬になっています。

 さらに、5,6年生は着衣泳を行う予定でした。暑くなるにしたがって、水の事故の報告が増えます。事故から身を守る、あるいは事故に遭ってしまったときに自他の命を守る術を、地域スポーツクラブの協力を得て学ぶのです。衣服を着たままだといかに水の抵抗が大きくて動きにくいかがよくわかります。また、助けが到着するまで衣服に空気を入れて浮いている方法やペットボトルを浮き輪にして漂う方法など、万が一を想定した危機意識を養い、緊急対応の術を身につける絶好の機会でしたが、こちらも雨により…。

 晴雨関係なく、6年生は卒業アルバム用の個人写真を撮影します。私も写真を撮ってもらうので、ネクタイと上着を用意して、髪もしっかり整えて臨みます。今日はオールバックの気分!

443 アウトレットモールにて(24.6.27)

 ユーチューブで「北欧暮らし」を観るのが日課になっている妻は、生活の中に北欧のエッセンスを取り入れようとしています。例えば、調度品を求めてイケアに行くことも。ムーミンのマグカップや皿に料理が盛られてテーブルに上るのもその一つでしょうか。現代的な北欧デザインのiittala(イッタラ)のグラスとともに買った、ARABIA(アラビア)というフィンランドのブランドです。時々新しい商品がないかと足を運びます。

 オープンスクールの振替休業日は真夏の暑さで、熱中症による救急搬送も多かったと聞きます。暑いし、平日で空いていそうなので、この日もアウトレットに朝から出かけて避暑&ウィンドウショッピングです。停め放題の駐車場からモール内に足を踏み入れて、最初に入ったのが、前回来た時にはなかったカプセルトイ専門店。今やアウトレットにまで進出する勢いです。ガシャポンの種類が豊富で、見て回るだけでわくわくします。私の好きな焼きトウモロコシの粒も指輪になっているではありませんか。その名も「コーン焼く指輪」など3~4種類あって、ユーモアたっぷりです。商品によってはその場で組み立てて、いくつかある専用の背景の中に置いて写真まで撮れるという企画もあります。池袋サンシャインシティにある「ガシャポンのデパート」には、なんとトイ機が三千台もあるというから驚きです。見て回ったり探したりするだけで疲れてしまいそう。テーマによって分類表示がしてあるとよいのにと思うことが時々あります。

 結局、Tシャツを買って昼には引き上げて、いざうなぎ屋へと車を走らせました。久しぶりの贅沢に笑顔がほころんだところに、「これっ、ひと月早い土用の丑の日の先取りね」という声。よく、うなぎ屋から立ち上る煙の匂いだけでご飯が食べられるなんていいますが、次に食べられるのはいつかなぁと思うだけで、しばらくは頑張れそうです。そうは言いながらも、チェックのために回ってきた7月の給食メニューに「うなぎ」の三文字を探そうとしている私。

442学校、そして子供の未来(24.6.26)

 先週土曜日のオープンスクールには、たくさんの参観者で教室が溢れるほどの盛況でした。ありがとうございます。また、家庭から図書類をマルチルームに運んでくださる方も多く見かけました。今後夏休みの面談やPTA活動など、何かのついでで構いませんので、引き続き「まるごと図書館」への本の寄付にご協力ください。

 授業参観後の4時間目に、除草作業もありました。なかよし広場や緑門周辺など見違えるほどきれいになりました。赤門脇の小山でも作業をしています。その時、ふと不安がよぎったのです。移植したクリスマスローズとスミレのことが…。作業終了後に確認しましたが、きれいになっていました。誰でもわかるように表示札を立てておかなかった自分のミスです。仕方ありません。根が生きていたり、こぼれダネから芽を出したりする生命力に期待です!

 雨が降った翌日は、朝から市川工業高校のグランドで野球部が水溜まりの整備をしている姿を見かけます。トンボで均したりスポンジで水を吸い取ったり…。小学校のグランドは、ダストなので水はけがよいですが、運動会前やサッカーの試合前には、ちぎれたマットレスや雑巾、バケツを持ってみんなで作業したことを思い出しました。

 さて、学習教材として実物に勝るものはありません。学級担任として、できるだけそうした実体験を通して、問題意識を膨らませて学習を組み立てるようにしたつもりです。実物が無理なら模型。場合によっては、映像や写真資料です。今では書画カメラやタブレットで子供のノートも小さな写真も大きく映し出して、みんなで共有します。プロジェクターだって当たり前ですが、昔はスライド写真を使ったり、16ミリ映写機で見せたり…。この映写機を使うには免許のようなものが必要でした。そして、オーバーヘッドプロジェクター(OHP)も大活躍でした。透明シートにカラーペンで文字などを書き、教室備え付けのロール・スクリーンに映し出すのです。拡大コピー機などありませんから、手作りの資料を大きく映して授業を展開するには有効な機器でした。

 これから先、子供たちが古い記憶を紐解いたときに、コロナで制限されたことだって「そんなことがあったね」と言って懐かしむことになるはずです。そんな十年後、二十年後といった子供たちの未来が楽しみです。

441 ご注意を!(24.6.25)

 先週の給食中の放送を終えて、マイクの前から去ろうとした際、放送室にある機器の脚に右足薬指を強打!放送室は上履きを脱いで入るので、痛いのなんのって…。足を引きずるように校長室へ戻りました。しばらくしも痛みが引かないので、靴下を脱いで見てみると青黒く変色しています。ズキズキと痛むので、保健室まで湿布薬をもらいにいくのも回転いすに座って片足で漕ぐように移動。念のため帰宅途中に病院を受診しましたが、受付から受診まで2時間半は長かった!家でも足指をぶつけることはよくありますが、要注意です。

 ヒビが入っていて、革靴を履いて歩くと患部に痛みが走ります。したがって変な歩き方で速度もゆっくり。駅から家まで普段の倍の時間がかかり、年配のおばあちゃんにも追い抜かれる始末。歩みがゆっくりなお年寄りの気持ちになれましたし、「もう歩きたくない」と幼児のようなわがままを言いたい気分にもなったのでした。翌日から右足にサンダルを履いて、2日間だけ汗知らずの快適マイカー通勤となりました。

 さて、暑い日に限って、鞄に扇子を入れ忘れます。駅に着いて額や首、頭頂などあらゆる場所から噴き出る汗をぬぐいながら、改めて扇子忘れを後悔するのです。携帯扇風機を首から下げたり手に持ったりしている高校生を見て羨ましくなります。

 そんなある日、何気なくインスタを見ていると、現役消防士が電気機器の火災の危険性について呼びかける動画がありました。モバイルバッテリーと携帯用扇風機に使用される充電式バッテリーに注意が必要だといいます。通常使用では問題ないものの、地面に落としてしまったり衝撃を与えてしまったりしたものは、爆発の可能性があって大変危険なようです。過充電についても警鐘を鳴らしています。便利さの中に潜む危険が、身の回りにはたくさんありそうです。

440 変わる学校(24.6.22)

 教員採用試験を前倒ししたり、選考方法や優遇措置を設けたりして教員の確保に躍起となる教育委員会。私が教員になった40年前は、逆に先生になりたいけれどなれない人が多かった時代。「久しぶりの新採」と言われて、戦力外の私を皆がかわいがってくれた時代。当時、土曜日も毎週午前中授業で、午後からは部活動をガンガンにやりました。その後、1992年秋から第2土曜日が休みになり、3年後には隔週土曜日が休業に。毎土曜日が休みになったのは2002年。早いものでそれから22年です。

 この間、学校での印刷は大きく変わりました。今では全校児童分のプリントであってもほんの数分で終わります。でも、昭和の印刷といえば謄写版(ガリ版)です。原稿は、蝋塗りの原紙に鉄筆で文字や絵をかきます。わら半紙の上に原紙を置いて、その上にインクを付けたローラーを転がすと、鉄筆で削ったところにインクが滲み通って印刷されるのです。この原理を利用して大量の部数を短時間で印刷できたのが「輪転機」。40年前は、ボールペン原紙を機械に取り付けてハンドルで回して刷るタイプでした。別に「青焼き」という機械もありました。どちらも大変時間がかかります。機械が1~2台しかありませんから、誰かが印刷していると次に印刷できるのはいつになるかわからないのでした。ワープロやパソコン、タブレットの登場により劇的な進化しました。「進歩は不便から」を痛感します。家庭に普及した「プリントゴッコ」だって、似たような昔話の世界。

 先日の同窓会の会場に、持ち込まれた思い出の品の中に文集がありました。小3のときのクラス全員の詩を綴った中に私の書いた詩を見つけました。結構な厚みですが、全部先生が時間をかけて印刷していたことに敬意を表します。子供を思ってこその為業です。ただ残念なことに、先生が愛情を注ぐほど子供は受け止めてはいません。子供が書いたりまとめたりする力を育てるために、卒論と題した原稿用紙百枚以上の調べ学習の課題が、6年生の別のクラスであったといいますが、担任の悪口以外聞かれませんでした。

 今日のオープンスクールでは、昔と今の学校の違いを探してみるのも面白いかもしれません。

439 ショッピング(24.6.21)

 今年度もリサイクルステーションの壁面に、家庭学習コーナーが登場しました。3年生以上のノートが紹介されています。オープンスクールでは、ぜひご覧になってください。その中に「全国ご当地ベア」に関して調べたことが掲示されています。「へぇ~」と思いながら検索してみると、本当にいろいろあるから驚きです。ちなみに千葉県のご当地ベアは4種類。落花生を抱えたものや特産の枇杷や梨にちなんだもの、千葉ロッテマリーンズのユニフォームを着たマー君!北海道エリアは18種類、東京は10種類もあります。最近登場した「鹿児島・西郷隆盛ベア」はインパクトあります。こうした仲間たちは、各地の駅・空港・高速道路などのほか、ホテルや観光地の土産店で購入できるというので、意識して探してみます。

 

 さて、以前よりネットで買い物をすることが増えた気がします。ポイントが付くことも多いので、店舗で実勢価格を調べてからネットでの検索。割安感は有利に働きます。ネットオークションもたまに利用します。ただ、どういう購入手段をとっても物流サービスとは切っても切り離せません。ヤマトや佐川、JPなどの車やバイクが運んでくれます。日時指定が定着し、恐縮しながら再配達を依頼する手間がなくなりました。また、最近の家は荷物用ポストが最初からあるので、荷物を受け取る側とドライバー双方にとって便利この上ない。我が家の場合は「置き配」指定することも時々あり、配達員の負担軽減に努めているつもりです。ただし、先のご当地ベアはネットではなく、やはり実際にその地へ行って手に入れてこそ価値があると思う考えはもう古い?

 先日初めてネット上のフリマに出品しました。相場を調べて、それよりも安く価格設定したせいか、買い手がすぐに見つかりました。送る段になって、ふと「どこへ送ればよいの?」と不安がよぎります。スマホ画面をよ~く見ると、配送業者へ持って行って二次元コードを提示すればよいことがわかります。そうすることで、配送用カードがプリントされて出てきます。「よく箱に貼ってあるのはこれかぁ」と感心することしきり。こんなに簡単なら、ほかにも出品できるものはないかと探してしまいました。

 

438 ト~モロコシ(24.6.20)

 新聞広告にでかでかと掲載されていた、アサヒ「未来のレモンサワー」を飲んでみました。何が未来なのか?!まず、従来のプルタブではなくて全開するフタ。開缶の音とともにゆっくりと浮かび上がる本物のレモンスライス。これは面白いし、快感!さらに、味はどうかというと、普段飲む100円の缶チューハイとは一線を画す味わいで、爽やかかつ凄くおいしい。でも価格は2.5倍。そうは言っても、居酒屋で飲むことを考えれば、さほどの贅沢とも思いません。

 夏といったらビールが定番!そのビールだってクラフト系がたくさん出回ります。どれも特徴あっておいしいのですが、一気に飲み干したい暑い日は、比較的安価なもので十分。ビールから始めるか、はたまた未来のレモンサワーから始めてみるか、悩みどころです。どちらにしても、枝豆やそら豆を添えて…。

 もう一つ、夏といえばスイカ?いや、私はトウモロコシ!アンケートによくある質問が「好きな食べ物」です。寿司や焼肉が挙げられますが、私の場合は季節を問わずトウモロコシです。だからコーン缶詰も好きです。それでも、旬に勝るものはありません。積まれた中から粒ぞろいのものを買い物かごに入れたくなります。子供のころは、蒸したトウモロコシが最高のおやつ。夏場は、スイカとともに双璧ですが、どちらか一方を選ぶなら迷わずトウモロコシです。炭火で焼いて醤油を塗ったトウモロコシは絶品。あぁ、思い出すだけでも…。富里でスイカ農家を営む知り合いから送られるスイカとトウモロコシを待って、今シーズンの「初」にします。楽しみだなぁ~。

 さて、静岡県西部の山間地にある売店前に、午前5時前から行列ができるといいます。前日の夜から並ぶ人もいるほどのお目当ては、「森のとうもろこし」という品種。黄色と白が混じった品種で、週末には3万本が売れるほどの人気だそうで、人気の理由は糖度。メロンやマンゴーなどより高い20度という甘さを、トウモロコシでも体験してみたい!こうした糖度の高いトウモロコシを使ったプリンやラテ、かき氷が登場するようなトウモロコシブームの到来なるか?!

437 ホームドア(24.6.19)

 本八幡駅にホームドアが設置され、7月5日の稼働に向けて調整中のようです。

 ところで、TDRの最寄り駅である舞浜駅では、ディズニーの楽曲を発車メロディーにしてちょうど20年。新鎌ヶ谷駅では「ファイターズ讃歌」が15年前から採用されているなど、乗降客をご当地ソングで楽しませてくれます。今回、西武・清瀬駅百周年を記念して、清瀬市出身の中森明菜さんの曲が選ばれたといいます。朝の上りは利用客が多いことから、テンポがよくて元気が出る『DESIRE』に決まり、下りは『セカンド・ラブ』とのことです。でも、「真っ逆さま~に~堕ちてディザイア~」って歌詞に、ホームからの転落を連想してしまいます。縁起でもない!

 さて、以前同じ学校に勤務した先生と研究会で一緒になりました。帰り際に、「クラスの子も自分の子も、『さしすせそ』を大事にしています!」と言います。最初、「危機管理のさしすせそ」を思い浮かべましたが、「さしすせそにありがとう」のことだとわかって苦笑い。平田小でも2年前に学校だよりで紹介しました。

 親子の会話では、「だって…」「でも…」「どうせ…」といったネガティブな言葉が飛び出しがちです。だからこそ、ポジティブワードの「さしすせそにありがとう」を大切にしたいといった内容。「さ」は「さすが!」、「し」は「幸せ!」、「す」は「素晴らしい!」、「せ」は「世界一!」、「そ」は「そうだね!」、「に」は「にっこり」、そして「ありがとう」という肯定や承認の言葉たちです。受ける側だけでなく、言葉を発する側もうれしい気持ちになります。最初は恥ずかしくてなかなか使えないかもしれませんが、意識して口にするうちに気持ちが前向きになっていくのが感じられるかもしれません。

 家族で互いの長所に目を向ける練習をしたり、最初はわざとらしくても徹底して相手を褒めたりしてみることで、相手の美点が実体化してくるような気がするのです。こうした積み重ねが「自信」となり「自他のリスペクト」につながるのではないかと思います。「素晴らしい!」とか「さすが!」、「そうだね!」という声が教室や学校でたくさん聞こえ、「ありがとう」が口癖になったら、一人一人の背中を押してくれることになり、社会や集団からこぼれ落ちることを防ぐ安全装置(ホームドア)になること間違いなし!

 私は今日の夕食で、「おいしい~」「料理の天才!」を連発します。

436 同窓会(24.6.18)

 20年ぶりの新紙幣発行まであと2週間となりました。金融機関やATM、小売店のレジなど改修が進んでいるはずです。家には聖徳太子や伊藤博文が保管されていますが、今の福沢諭吉や野口英世も使われながら淘汰されていくのでしょう。でもどうやって調整しているのやら。千円札から順に、北里柴三郎、津田梅子、渋沢栄一3名の肖像画が使われますが、財布の中もしばらくは混乱しそうです。そういえば二千円札ってほとんど流通しないまま立ち消えになってしまったような気がします。表に沖縄の守礼門、裏に紫式部と源氏物語絵巻。調べれば画像も出てきますが、なじみが薄くてかわいそう。

 さて、小学校時代の同窓会が、地元八千代で行われました。卒業して50年以上が経って初めてのイベントです。仲の良かった友達もいれば、話をしたことも名前も思い出せない人もいます。卒業の時、自分が何組だったかすら覚えていないくらいですから。同窓会を前に、卒業アルバムで予習(復習?)をしようかと思いましたが、実家を壊したときに処分されてしまいました。「もう見ることなどない」と思ったのですが、こんな形で必要になろうとは…。

 そういうわけで、当時の正門前に集合です。ここは以前記した、ヒヨコが売られていた場所。なにやら高齢者の人だかりができています。「誰?」と訝しむような反応もあれば、「蜂須賀君?」と近づく者も。けれど、あなたはだぁれ?名前を聞いてもわからないので「ニャンニャンニャニャン」と、犬のおまわりさんよろしく、泣きたい気持ちになります。それでも、当時の面影そのままの人もいます。私も髪形を除けばわかりやすいようです。こうして凍っていた記憶の塊が徐々に解けていくようでもありましたが、次にまた会ったときにわかるかどうかは別の問題。

 1クラス50人近くいた時代。6クラスまであったと思っていたのに4組までだったとか、自分で信じていた出来事が、実は間違っていたとかあって、記憶の書き換えや修正が行われた数時間でした。そんな中でわかったこと。それは、哀しいかなその頃の私って「人に興味(執着?)がなかったのだろう」ということ。

 子供たちには、人とたくさん関わって今を思いきり楽しんでほしいと思います。こんな私だって、子供の聖地だったある公園で友達と遊んだ記憶は、今も鮮明です。

 あっ、忙しくて放っておいたグループLINEの受信数が150を超えている!先日の楽しかった思い出を栄養にして1週間、ひと月、そして1年と…。みんな頑張っているようです。

435 日本語って難しい(24.6.17)

 今日はプール開きの予定です。きれいな水がぬるまっているとよいのですが…。

 発行前の学級だより原稿が回ってきます。チェックしながら、普段自分が使っている言葉が正しかったのかどうか疑問に…。ご飯を器に盛ることを、私は「よそう」と言うのですが、「よそる」と書かれています。朱で訂正しながらも自信が揺らぎます。

 調べると、あるアンケート結果では「よそう」を使用する人が59%、「よそる」が13%とあります。また、別のデータには、東京や千葉、関西では「よそう」、それ以外の関東で「よそる」、東北以北では「盛る」、中国・四国以南で「つぐ」と、呼び方に地域性があるとされています。

 納得いかず、広辞苑の登場です。結論から言うと、「装(よそ)う」が正しく、「支度をする」「身なりを整える」ということから、「飲食物を整え、用意する」転じて「飲食物を救って器に盛る」と変化した千年以上の歴史のある言葉とされます。他方の「装る」は、「よそう」と「もる」との混交した語と注釈がつき、比較的新しい言い方らしいのです。そうは言っても、百年以上の歴史があるので誤用とはいえません。

 ほかにも、日本語の難しさを感じる場面は多々あります。覚えられずその都度調べ直すのが、「編成」と「編制」の使い分け。また、「制作」と「製作」。混同しがちなのは、「おざなり」と「なおざり」。そして、家族からよく注意されるのが、「とんでもございません」と言ってしまったとき。自分では丁寧あるいはへりくだって言ったつもりが、誤用(文化審議会の指針では、現在では問題ないと考えられている)と指摘されるわけです。それは、「とんでも+ない」ではなく、「とんでもない」で一つの形容詞だから。つまり、「とんでもないことです」と言えば済むこと。では「とんでもないことでございます」と言ったら、より丁寧なの?否!あなたからの褒めや賞賛はとんでもないことだ、という意味にも受け取られるおそれがあるというから厄介です。では、正しいのはどっち?

 【第1問】①汚名を返上する、②汚名を挽回する

 【第2問】①二の舞を演ずる、②二の舞を踏む

 ともに①で、「名誉挽回」「二の足を踏む」と勘違いしてしまいそうな言葉です。こうして文章を綴る中にもきっと、思い込みや間違いがたくさんあるのかもしれません。

434 想像力をもって(24.6.14)

 「風が吹けば桶屋が儲かる」は、一見何の関係もないようなところから思いもかけない部分に影響が出ることを表す慣用句です。風が吹けば砂埃が立って目に入って失明する人が増える。盲人が増えると、三味線で生計を立てるのでその需要が増える。三味線を作るためには、胴を張る猫の皮が必要なので猫が乱獲される。これによって猫が減る。その分、ネズミが増えて桶をかじるので桶が使い物にならなくなる。必然的に桶屋が儲かって喜ぶという図式です。

 蝶の羽ばたきが、やがて竜巻に変わるといったように、ほんの些細な出来事でもやがて大きな変化につながるかもしれないといった予測困難を表す「バタフライエフェクト」と言葉もあります。「風が吹けば…」に、想像力を広げていく点においては似ていますが、ちょっとニュアンスが違うようです。つまり、「桶屋」には、当てにならないことに期待するという意味でも使われることがあるからです。

 買い物をするたびに、ため息が出そうになるほどの物価高が続いています。こうした状況にも、因果関係が想像できる新聞記事がありました。「戦争が起こるとケーキに手を出せなくなる」というものです。ロシアのウクライナ侵攻により穀物が品薄になるとともに、原油価格の高騰が起こりました。輸入飼料が高騰し輸送コストも上昇することで、乳牛向けの餌代が高くなります。すると、ケーキの材料の生乳などの原材料をはじめ包材、電気代、人件費すべてが値上がりしてケーキ代に反映されるというもの。洋菓子店に千円近いケーキがズラッと並ぶとなれば、財布の紐がかたくなるのは必然。

一昨日、『国境なき医師団』事務局の方の話を聞く機会がありましたが、上述も含めて、身の回りや社会の様々な事象・現象に想像力を持つことの大切さを改めて認識しました。紛争や飢餓による他者の苦難に無関心にならないこと。世界で起きていることが自分とどう関係するのかを想像してみること。ややもすると他人事で片づけてしまいがちですが、できることの第一歩は「知ること」「関心をもつこと」なのだと思うのです。新聞やニュースを見ないといった家もありますが、情報ソースはどこに?

433 千葉県(24.6.13)

 4年生が社会科で、千葉県の特色ある地域や特産品を学びます。県特産の「房州びわ」について、調べてまとめる児童もいます。先日、皇室献上品とする選果式の様子が報道されました。学校のびわもよい色に色づいてきています。先日、たまたま立ち寄った「道の駅いちかわ」の農産物販売所に、びわが袋に入って売られていました。でも、明らかに自宅の木から収穫したと思われるもの。果肉より種の割合が多いのではないかと思う、シャインマスカット大の実に目がテン。庭先に置いて「ご自由に持ち帰りを」でもよいのではと勝手なことを思います。

 さて、平田小出身の坂崎千春さんデザインの「チーバくん」が誕生したのは2007年のこと。2010年に開催される「ゆめ半島千葉国体」のマスコットキャラクターとして生まれました。説明には次のようにあります。“千葉県に住む不思議な生き物。好奇心旺盛で、いろいろなことに挑戦するのが大好き。未知のものに立ち向かうときほど勇気と情熱がわき、体が赤く輝く。横から見ると千葉県の形をしている”と。(作者HPより抜粋)

 お披露目となった2010年「ゆめ半島千葉国体」で、市川市はハンドボールの会場となり、多くの選手と観客が集まりました。当時行政勤務でしたので、大会期間中は国体スタッフとして連日、国府台スポーツセンターで働いていました。その中で様々な人と知り合いになれたのは大きな収穫。補助の方と一緒に歩くチーバくんも眼前に見ることができました。本当は、着ぐるみの中に入りたかった!

 先日、新聞(スポーツ面)を開くと、ハンドボール日本リーグの結果が写真とともに紹介されていました。宙を舞うようなシュートの写真が2コマもあります。映像で見ると、豪快だったりトリッキーだったりするプレーは際立ち、思わず「格好いい」と心の中で呟いてしまうくらいです。本校にも、市内の某有名校でハンドボールをやっていた先生がいるのです。能ある鷹は…。かたや爪も尻も隠せない私。

432 声優(24.6.12)

 先々週観た『ちびまる子ちゃん』のワンシーン。家族みんながこたつに入って鍋を囲んでいます。サザエさんは季節感があるのに…と違和感を覚えたのです。

 ところで、『パーマン』のパー子、『天才バカボン』のバカボンのママ、『一休さん』の伊予の局、『キューティーハニー』の如月ハニー、『ルパン三世』の峰不二子の共通点といったら何でしょう?逆に、「それって誰?」と問い返されそうで怖い!どれも古いアニメですから、知らない人のほうが多いかもしれません。共通するのは、声優の増山江威子さん。5月に亡くなっていたと報じられました。少し前にはまる子ちゃんのTARAKOさん、もっと前にはタラちゃんを演じた貴家堂子さんが亡くなっています。ルパン三世の場合、山田康雄さんが主人公の声を担当し、その物まねをしていた栗田貫一さんが山田さん亡き跡を継ぐなどしています。どのアニメも世代交代を繰り返しながら続いていきます。

 この声優という職業は、声を使って演技をする仕事といえます。代表的なのは、アニメや洋画の吹き替えが挙げられますが、最近ではゲームやアプリのキャラクターも演じるほか、活躍の場がたくさんあるようです。日本昔ばなしを子供とよく見ていた私は、常田富士男(ときたふじお)さんや市原悦子さんの独特の語りを真似して、本を片手に「むかし~あるところに~おったぁ」と子供に読み聞かせしたことが思い出されます。

 アニメを見る機会は相応にありますが、登場人物が見た目のわりに意外と若いといったキャラは結構いるようです。明るく朗らかなサザエさんが24歳であることは広く知られていますが、波平さんはああ見えて54歳。マスオさんの同僚の穴子さんに至っては27歳。バカボンのパパ41歳、まる子ちゃんの父・ひろし40歳で、のび太の父・のび助36歳といった感じです。驚いたのがルパン三世に登場する銭形警部。実は29歳だといいます。ちなみに、こち亀の両津勘吉は35歳だそうです。こうしたことを知って視聴すると、また違った面白さがあるというか、つっこみもしやすいかもしれません。

 一方で、小学生の目から見た他人の年齢ほどあてにならないものはありません。私の歳だって、40代前半から70代後半と幅広く言ってくれます。だから、目撃した不審者等の年齢を小学生(特に低学年)に尋ねるのは、危険だと思うのです。

431 進化(24.6.11)

 ひらた山裏のヤマモモが、今年も甘酸っぱい実をつける時季になりました。

 3週に一度は通う図書館の隣に広い公園があって、桜のころは芝生広場にたくさんの家族が集まります。たまたま寄った時に、大道芸を披露している若者がいました。見ている者はパラパラといった状態。丸い筒に置いた板の上に立って、バランスを取りながらジャグリングなどをするのです。ハラハラさせるパフォーマンスと巧みな話術に引き込まれるように足が自然とそちらへ近づき、しっかり見入ってしまいました。最後は、お決まりのハットが登場して投げ銭ですが、夢の世界にいるような幸せな気持ちで折り畳めるお金を…。その彼が、柏の駅前デッキをステージに大道芸をやっていたと家族から写真付きの目撃情報が届いたのはつい先日のこと。頑張っているようです。

 41年前に、多くの人に幸せと夢を届けるためにオープンしたのが東京ディズニーランド。2001年には、日本にしかないディズニーシーが誕生して、冒険と体験のスペシャルな時間を提供してきました。そして6月6日、新エリア「ファンタジースプリングス」という心ときめくファンタジーの始まりが、新聞見開き+1面の広告で宣言されました。進化はまだまだ続くようです。ただ私は、自然豊かで広大な公園でお弁当を食べたり散歩をしたりしてのんびり過ごしたい派!

 さて、たまたま観ていた番組で流れたCMの映像が気になりました。旧車から未来の自動車への進化、黒電話や公衆電話からスマホへの変遷、VRや二足歩行ロボットに至るまで、半導体の進化について伝えています。小さくて脚のついたブラウン管テレビの時代に生まれ、それがカラー化され、現在の大型かつ薄型テレビがどの家庭にもある時代にいま私は生きています。ビデオデッキがテレビ台の下に設置されていた時代から内臓、外付けを経て、多チャンネル化、動画配信サービスの充実など、レンタルしなくても見放題となりました。大画面でおうちシアターです。こんな進化の裏でデッキなどの機器に積もる埃は厚くなっていきますが、あと何年もすると3年生で学習する「昔のくらし」で扱われる貴重な品になるわけです。

430 メンテナンス(24.6.10)

 学校へ向かうJR高架脇をボーっとしながら歩くことがあります。すれ違う人の顔を見ているわけでもなく、かといって何か思案しているわけでもなく。そんな時に限って、誰から挨拶をされたような?我に返って挨拶を返そうにも時すでに遅し。保護者の方かも。ごめんなさい。

 そんな今日は「時の記念日」です。日本で初めて時計装置が使われた日を記念して、1920年に制定されたとのこと。この日を前に先週、放送で時間について考えたり、時間の不思議を感じたりできる本を5冊紹介しました。

①『とけいのおうさま』(こすぎさなえ PHP研究所)

②『ライフタイム~いきものたちの一生と数字~』(ローラ・M・シェファー ポプラ社)

③『ふしぎな時間割』(岡田淳 偕成社)

④『タイムストーリー(シリーズ本)』(日本児童文学者協会 偕成社)

⑤『モモ~時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語~』(ミヒャエル・エンデ 岩波少年文庫)

 ②は校長室前に展示中です。岡田淳『二分間の冒険』も含めて、ぜひ手に取ってほしいです。

 さて、最近とみに股関節が痛い!腿や膝の後ろ側が張っている!以前にも増して体が硬くなったような気がする!なんとかしなくては!カチカチカラダの改善を試みるため、休みの日にやってみようとインスタの動画を保存しています。その数…?保存した動画が溜まるだけで一向に実行に移せない意志の弱さに自己嫌悪。ただ、これまで55万時間使った体にガタがきているのは厳然たる事実。メンテナンスと使い方を真剣に考えなくてはいけません。

 一方、自宅も15年経って、あちこちにガタがきています。上下動する窓サッシが途中で止まらない。室内灯の一部が電球を換えても点かない。ずっと換えていない障子紙が薄汚れて見える。最たるものは、先日キッチンシンクのパイプ交換をしてもらった際に見せられた排水管の油汚れ。まるで自分の血管内部を見るかのような気分です。血管なら血栓が飛んだり詰まったりして、大事に至っても不思議ではない状況です。家屋も劣化が進みますから、定期的な修繕やメンテナンスは欠かせないようです。

429 身勝手(24.6.7)

 6月になって1週間。梅雨入りはもう少し先のようで、隣の工業高校グランドからは野球部の声とボールの音が響く朝。学校のスピーカーからは、今月の歌『にじ』が流れ、「♪きっと明日はいい天気~♪」と歌います。今は雲が多いけれど、いい天気になるかなぁ。

 この「今日はいい天気だ」といった時の「いい天気」は、歌の中では晴天を指すのでしょう。でも、必ずしも晴れとは限らないのかもしれないとふと思ったのです。立場や状況が変われば、雨や雪も「いい天気」になります。恵みの雨に対しては「いい雨」「慈雨」という表現が使われるでしょう。一方で、同じ雨を見て「いやな雨だ」「酷雨」と感じる人もいます。また、「いい人」という言い方もあります。性格を指す場合もあるでしょうし、穿った見方をすれば自分にとって「都合のいい人」と言うことだってできます。「いい天気」であれ、「いい雨」であれ、「いい人」であれ、どれもみんな私中心のとらえ方のように思えてしまうのはなぜ?

 月が改まって、キッチンとダイニングをつなぐカウンターに敷かれた手ぬぐいの柄が変わりました。先日までパンダ柄だったものが、水色地にてるてる坊主がたくさん描かれています。その中に紛れるように、丸眼鏡のてるてる坊主が点在します。まるで、私がいたずらで描いた似顔絵のようにも見えます。

 このてるてる坊主は、地域によって呼ばれ方が違うそうで、「照る照る法師」「ひより坊主」などあるようです。その由来は「生首」とされる説があります。昔、長く雨が続いて人々が苦しんでいた時に、一人のお坊さんが雨を止ますためにお経を唱えたそうです。でも、一向に雨が止まないと見るや、嘘つき扱いされたお坊さんの首を見せしめに布で包んで吊るしたところ、翌日は晴れたという言い伝えが残されているのです。

 「♪てるてる坊主 てる坊主 あ~した天気にしておくれ~」という童謡の一節がありますが、3番の歌詞には「♪それでも曇って泣いたなら そなたの首を チョンと切るぞ~」と残酷なフレーズが…。まさに、先のお坊さんの生首のそのもの。そういえば、童話「さるかに合戦」の歌『さるかに』でも、早く芽を出せ、あるいは早く実をならせとせっついて、そうでなければ「ハサミでちょん切るぞ~」と脅します。昔ながらの童謡も、自分中心で身勝手なようです。

428 マネキン(24.6.6)

 6月6日といえば、『かわいいコックさん』のフレーズを思い浮かべる人もいるでしょう。「♪棒が1本あったとさ 葉っぱかな 葉っぱじゃないよ カエルだよ カエルじゃないよ アヒルだよ…♪」という絵描き歌。同じ歌なのに、描き手が違うとコックさん一人一人違った表情を見せてくれるから不思議です。コックさん以上に、「つるニハ○○ムシ」「つるサンハ○○ムシ」と言いながら描いた顔の出来映えは、人それぞれで表情豊かです。そんな今日は、コックさんの日。ヨーヨーの日でもあり、補聴器の日でもあります。もう一つ、怒りを鎮める6秒ルールをもじって、アンガーマネジメントの日ともされています。どれも関係ないかぁ~。

 さて、表情や顔といえば、四半世紀ほど前にテレビ放送された『Oh!Mikey(オー!マイキー)』をふと思い出しました。出演するすべてがマネキン人形なのです。その主人公のマイキーは、インターナショナルスクールの3年生。パパは、アメリカから東京に転勤になったサラリーマンという設定で、1話3分の短編。ブラックユーモア含む内容と常に明るい表情が好きでした。

 マネキンは、店頭で各種商品の販売促進にあたる販売員を指す場合もありましたが、一般的には衣服展示に使われる等身大の人形の呼称の方が主流のような気がします。でも最近では、リアルマネキンの人形を見なくなったような気がします。頭部がのっぺらぼうのものや首だけがないヘッドレスマネキン、腰から下の下半身マネキンばかりです。こんなことを考えながら、昨日の帰りの電車の貴重な読書タイムに、『オー!マイキー』をYouTubeでチラッと見てしまいました。そういえば、洋裁が趣味だった母の部屋にあったものも首から腰辺りまでの人形でした。「ジンダイ」と呼んでいましたが、「人台」という字でよいのかどうか。ちなみに、マネキンの日は3月24日でした。

427 チンプンカンプン(24.6.5)

 5月中旬に、D・サンボーンさんが亡くなったと報道されました。ジャズ界の大物サックス奏者です。すかさず家族から依頼されて、古いアルバムCDを購入しました。昔好きだったフュージョン系の懐かしい音楽が流れ、幸せな気分になります。

 日本を代表するサックス奏者と言えば、「ナベサダ」こと渡辺貞夫さんでしょう。アニメ『赤き血のイレブン』でサントス選手が海岸で故郷を思って吹くトランペットも憧れでしたが、ダイナミックに動きながら演奏するサックスは別格に見えたものです。だから、アルトやテナーサックスの形が好き!ウクレレではなくて、サックスにしておけばよかったかと思いながらも、楽器音痴で譜面がチンプンカンプンの私には高嶺の花であり、高望み以外の何物でもありません。音も相当響くでしょうから、家で練習するのは近所迷惑になること必至。畑の中に車を停めて、窓を閉め切ってサックスの練習をする人をたまに見かけますが、そうするしかないのかもしれません。そういう意味で、ウクレレなら夜だって練習できます。こう考えると、吹奏楽部の子供たちの練習機会は、きっと学校しかないのだろうと思い至ったのでした。

 やはり5月のある日、読売新聞掲載の『コボちゃん』(植田まさし作)を見ていて、数十年ぶりに思い出したことがあります。コボちゃんが一番風呂に入る前に、「湯かき棒」で風呂の湯をかき混ぜる場面がまさにソレ!草津温泉の湯もみではありませんが、上と下とで温度が全然違ったため、私世代はこの棒で湯をかき回して湯温を均一にしてから入ったものです。全自動が一般的になった現代、風呂上がりのように綺麗さっぱりと忘れていました。

 「赤き血のイレブン」とか「湯かき棒」なんて、きっとチンプンカンプン?いや、この「チンプンカンプン」なんて言葉すら使わないか。

426 思いを馳せる(24.6.4)

 一昨日の日曜日、前任の市川小創立150周年を記念して行われた、学校の歴史をたどる回遊展に足を運びました。祝賀会だけでは声をかける範囲が限定されてしまうので、それとは別にできるだけ多くの人と一緒に祝したいという同窓会の皆さんの思いから生まれたようです。会場となった体育館というか講堂には、様々な展示がされており、老いも若きもが懐かしそうに見て回っていました。妻も創立100周年の時に6年生だったことから一緒に出かけました。久しぶりに見る学校のシンボルであるプラタナスが「こんなに大きかったっけ?」と思うほどの大きさで校庭にそびえ立っていました。その反対に校庭の狭さは…。思い出すのは、掃いても掃いても落ちてくるプラタナスの落ち葉に閉口したこと。そしてそれが終わる頃、すぐそばにある銀杏の大樹の下が黄金の絨毯を敷き詰めたように染まること。そんな巨木に護られて、コロナに振り回される中であっても、多くの人の支えあって2年間を過ごすことができました。お礼も碌にできないまま異動しましたので、今回久しぶりにお世話になった方々にお会いして話をすることができ、有意義な時間でした。そして、平田小が100周年となったときに思いを馳せる私がいます。29年後ということは…。

 さて、その市川小に向かう時短ルートをナビの案内で走っていた時、「鮮魚街道」と表示がありました。よく見かける文字で、ずっと「せんぎょかいどう」とばかり思っていました。でも、「右折して、〈なまかいどう〉に入ります」というナビの音声案内に、「えっ、そうだったの?」とびっくり。目からウロコ!

 江戸時代、夕方に銚子港に揚がった魚を利根川の水運で布佐(我孫子)まで運び、翌朝そこで馬に積み替えて松戸まで陸送し、再び船で行徳を経て夕方以降に日本橋の河岸まで運んだといいます。これは、魚の鮮度を保つための時間短縮の知恵であり、使用された陸路が「なまかいどう」とか「なまみち」と呼ばれたそうです。「森」という文字の「木」をすべて「魚」に換えた文字「鱻」を「なま」「せん」と読ませる場合もあるようです。いずれにせよ、自分の住む身近に経済的に重要な経路があったという事実を、ナビ様のお声によって知った一日でもありました。

 学校や地域の歴史って、やっぱりおもしろい!

425 トトロ(24.6.3)

 庭に緑と黒茶2種類のカメムシを発見しては退治する週末。報道によると、全国30の都府県で大量発生するカメムシ注意報が出されています。カメムシをおびき寄せて捕獲する器具もあるそうですが、私の場合はカメムシ退治に特化したスプレー剤。家族が言うには、ゴキブリ用だと瞬殺に近いとか。まだまだ格闘が続きます。

 虫といえば、3年生男児2人が校長室に来て、「アゲハの幼虫はいませんか?」と尋ねます。急な訪問に驚きましたが、レモンの葉につく卵や幼虫を「今度持ってきてあげるね」と返すと喜んで去っていきました。すると翌日、「持ってきてくれたぁ?」と朝一番に問われました。「ごめん!休みの日にしか捕まえる時間がないんだ」と答えましたが、カメムシを持ってきたら喜ぶかなぁ?

 5月のカンヌ映画祭で、スタジオジブリが名誉パルムドールに選ばれ、表彰会場は総立ちとなって祝福される場面がテレビに映し出されました。『となりのトトロ』は大好きですが、それ以上に宮崎駿&高畑勲コンビが手がけた『パンダコパンダ』が好きです。日本がパンダに沸いていた1972年公開ですから、ジブリという会社設立前かもしれません。天真爛漫な主人公の女の子とパンダ父子の不思議でユーモラスな生活が描かれています。初期の作品ですから、ストーリー性より娘や息子と一緒になって「かわいい」と言いながら観ていたこと自体が好きだったのかもしれません。

 不思議なキャラクターのトトロとサツキ・メイの姉妹の心温まる交流を描いたアニメ『となりのトトロ』が、36年の年月を経て舞台化され、海外公演でとても人気だといいます。あの不思議な世界観を舞台で表現するのは、役者も大道具も大変だと想像しますが、ニュースで目にした「まっくろくろすけ」の動く様には感嘆の声を漏れそうでした。

 大トトロ・中トトロ・小トトロがなんとも愛らしいアニメですが、初期の段階で大トトロは「ミミンズク」と名付けられ、1302歳といいます。ちなみに中トトロは「ズク」で679歳、小トトロは「ミン」で109歳の設定らしいのです。「ミミンズク」という呼称から連想するのは「ミミズク」。それがトトロのモデルかなと思いながらも、似ても似つかないような気が…。

 なかよし広場でチョウを追うことも林間学校で富士の大自然に浸る時間も、都心の子供たちには有意義で貴重な体験だと思います。

424 所作(24.5.31)

 今日行われる将棋の「叡王戦」の第4局に注目しています。藤井八冠が1勝2敗とリードされ、負けると伊藤七段にタイトルを獲られてしまうからです。「黄信号」と報道されますが、ここからの巻き返しも期待できます。

 一方、先日の「名人戦」では、豊島九段との対局でした。4勝1敗で藤井棋士が初防衛を果たしましたが、将棋盤上で駒をさばく際の澄んだ駒音が好きという人も少なくないようです。NHK『美の壺』でも「駒と盤」が取り上げられたことがあるほどです。

 なぜこんな話を始めたかというと、駅の自動改札でSUICAやPASMOなどのICカードをタッチさせる際に、「パチン!」という音を立てる人を時々見るからです。どうもタッチの仕方に性格あるいは気分が表れるような気がします。翳すだけで通過する人もいれば、私のように静かに面タッチする人もいます。極たまにですが、「これでもか!」という具合に強く叩きつける人もいます。時には反応せずに赤く点滅する改札機に、イライラを隠そうともせずにバシバシ押し付ける場面も。それが、なぜかしら将棋の「王手!」のような駒音に聞こえるのです。

 さて、所作が美しいと好感がもたれ、魅力的に見えるものです。所作とは、立ち振る舞いや身のこなしですが、椅子に座ったり物を取ったり歩いたりするすべての動作に通じます。私たち日本人は、そうしたことに敏感であるともいわれます。少し意識するだけで周りの印象を変えることができるなら、子供にあっても大切にしてほしいものです。

 そういう目で藤井名人の一挙手一投足を見てみるのも面白いかもしれません。

423 歯磨き(24.5.30)

 一日のうちで、「今」に意識を集中している時間、「今」を感じている時間はどのくらいあるのでしょう。そうした間には、物事のマイナス面(後悔や不安、心配事など)が頭の中に入り込む余地がなくなるといいます。例えば、スマホから離れて「ながら行為」をしない時間は、不安などから解放されるとともに、聴覚・嗅覚・視覚・触覚が研ぎ澄まされるといわれます。

 さて、昭和の腹痛薬といえば、ラッパのマークの「正露丸」というのが、私の中の既成概念?!真っ黒で丸々して、まるで消しゴムのかすを丸めたような錠剤です。主成分がクレオソートというものなので、そのまま呼ぶ人もいるみたいです。手の上に出して飲むと、しばらくは掌が正露丸臭になります。これを歯に詰めて歯痛を抑える使い方もあったのです。幾度となく歯に詰められて、苦虫を潰したような顔になっていた経験は、知る人のみぞ知るといった感じ。一時的に痛みが治まる効果はあるようですが、治療薬ではありません。

 先週、偶数学年の歯科検診が行われました。6年生女児2名が「健歯児童」に選ばれて、虫歯予防大会の審査に臨みます。虫歯や歯周病がなく、歯並びがキレイで汚れがないなんて、正露丸にお世話になった者としては羨ましい限り。一方、歯磨きを疎かにして歯垢が目立つ子も少なくないようです。「ながら歯磨き」ではないにしても、上の空で歯ブラシを咥えているだけ、動かしているだけという姿も想像できそうです。ブラシの先が歯のどこに当たっているのかをイメージしながら歯磨きすることが大事であると学校歯科医は話してくれました。そのためには、歯ブラシの持ち方を「鉛筆持ち」にすることが望ましいといいます。

 『ノンタンのはみがき』という幼児向け絵本があります。「はみがきハ~ミ~、シュコシュコシュッシュ」と、子供が小学2年生くらいまで歌いながら仕上げの歯磨きをしていたのを思い出します。学校歯科医の先生曰く、8歳くらいまでは、親が子の歯磨きに気を配る必要があるとのこと。一生使う歯だからこそ、親も子も口腔衛生に関心を持ってほしいと思います。さぁ今日は、奇数学年の歯科検診です。

422 初夏(24.5.29)

 シャポーの花屋の前に「紫陽花」「芍薬」という文字が、少し前まで見られました。学校のアジサイは徐々に色づき始めてこれからが楽しみです。蕾で買ってきたシャクヤクも見事です。花弁の多さと繊細さには驚かされます。終わりに近づくと、その花びらが小さな塊になって落ちます。テーブルに重なる花弁は、まるで薄く小さく剥いた玉ねぎのよう。

 1ドルが160円を超えたときにはビックリ。30数年ぶりの円安とも言われます。では、30年前と今とでどれだけ違うのかを比較してみました。消費税(3%→10%)、ディズニーランド(4,800円→最大10,900円)、ビッグマック(210円→480円)、セブンスター220円→600円)、郵便はがき(50円→63円→85円)と、ざっと挙げただけでも驚異的な物価上昇率です。学校給食も例に漏れません。決められた金額の中で必要な栄養価を維持し、品数や見た目、味にもこだわりたいはず。これを担う栄養士にとって物価高は胃が痛くなる社会現象以外の何物でもありません。

 キャベツも高い!スーパーでは一玉300円強。気軽に使える金額ではありません。キャベツの千切りやご飯のお替り自由のとんかつ屋がありますが、お詫びの貼り紙だってありそうな気がします。

 運動会前にはたくさん生っていた平田小のサクランボは、食べる前に全部落ちてしまったようです。一方、スーパーではアメリカンチェリーが出始めました。その一角に「佐藤錦」と書かれた、握りこぶし程度の量かつ高価なサクランボが数パック。必然的に色が濃くて安価な方が買い物かごに入れられます。そして、ヨーグルトに数粒入れて食べるという経済的な食し方になってしまいます。最近の果物は種無しばかりになっています。チェリーと同じくらいの大きさのブドウもそうですから、種を出すのを忘れそうです。ある時、手の上に乗せた錠剤を、チェリーの種と間違えてごみ袋に捨てそうになったことも。あぶねぇ~。

 子供たちの目には、今の季節がどんなふうに映っているのでしょう。花でも野菜でも果物でもよいのです。大人になっても感覚として思い出すような豊かな感性をはぐくんでほしいと願います。

421 color(24.5.28)

 自宅近くに栗林が点在します。細長く花を咲かせて、独特の匂いを振りまきます。特に、今日のような雨の日は…。近づいてその花をじっくりと見てみましたが、花の季節が終わると、黄緑色の実をつける頃まで関心が失せてしまいます。だから、どうやってあのイガイガトゲトゲの栗の実になるのだろうと不思議でなりません。先日、栗の花を接写してきました。1週間ごとに写真に収めて、実になるまでを観察記録にまとめようかと思ったくらいです。

 さて、栗にも和栗と洋栗があるようで、晩秋になると和栗を使ったケーキが出回ります。そんな「和」「洋」ある中で、「わしょく」という響きは、頭の中で「和食」という文字に一瞬で漢字変換されます。ワープロ変換も和食一択です。しかし、「和色」という言葉が存在することを、ひょんなことから知りました。日本の伝統的な色の名前とカラーコードが一目でわかる色見本『和色大辞典』なるものがあるのです。そこには、桜色に始まり暗黒色までの465色の名前が載っています。さらに、原色として140色、洋色には285色が取り上げられています。

 先の栗の花の色を和色で例えるなら、「蒸栗色」「女郎花」「枯草色」「淡黄」あたりかと…。どれも聞き慣れない色言葉ですから、栗の花を知らない人にはイメージできないかもしれません。ただ、歴史の流れの中で名づけられた和の色の名称は、どれも美しく風雅です。

 昨日、プール脇の道路沿いにビワの実を見つけました。オレンジ色のビワがたくさん生っていることに気づいたのです。体育館脇のサクランボを食べ損ねた私は、ビワとザクロ、そしてヤマモモの実を食すことを今楽しみにしています。このビワをオレンジ色と表現しましたが、洋色だとほかに「マンダリンオレンジ」「マリーゴールド」が近いかもしれません。和色では「金茶」「蜜柑色」「黄赤」「黄丹色」あたりかと思いますが、自然の作り出す色を表現することは、和・洋の言葉でも絵の具でもとても難しいものです。

 初土俵から7場所目という最速優勝を果たした大の里関にあっては、どんな色の相撲を見せてくれるでしょうか。

420 卒業生(24.5.27)

 3月に卒業した中学生2人が、ひょっこり校長室に訪ねてきました。「あ~、ここなんだか好きなんだよねぇ」とソファに腰掛けて中学校生活について語りだします。そして、カバンから『さがしもの』(角田光代著)という1冊の文庫本を取り出します。漢字の書き取りは苦手でも、本を読むのは好きなのだそうです。「これ、貸してあげる」と気前よく置いて行ってくれました。

 短編集の中のお気に入りの話も教えてくれたので読んでみました。その中の登場人物が言う「いつだってできごとより、考えのほうが何倍もこわい」という言葉に、なるほどと首肯します。死ぬことより死ぬのを想像するのが怖いし、彼氏彼女にふられるよりふられるかもしれないと思うことのほうが怖い。試験の合否より、不合格になるのではないかとネガティブに考えている時のほうがよっぽど怖い。確かにその通りだと思ってしまいます。できごとは、起こってしまえばただのできごとでしかないのですから。だから、本を貸してくれた中学生も変に考え過ぎず、自分の思うままに突き進んで、失敗も成功も笑い飛ばせるようであってほしいなぁと願います。

 また、中学生になった別の生徒からは手紙と写真が封書で届きました。卒業式4月以降の写真と近況が添えられています。ありがたいことに、お母さまからの手紙もあります。数人で業間、昼休み、下校後に校長室へやってきた中の一人。野球部に入部した綴られた箇所には、その意外さに驚きましたが、始終笑って読み終えました。最後に、自分たちが卒業したあと、「校長室の新しいお客さんができたか」と尋ねます。残念ながら、まだまだ敷居が高いのでしょう。でも、校長室前のクイズに頭を悩ませ、「わかった!!」と言いながらドアをノックする子や廊下を歩きながら手を振ってくれる子ならいますよ。

 今日、第八中学校は体育祭の振替休業日。初めての体育祭は盛り上がったかなぁ。

419 ためになる人、ダメになる人(24.5.24)

 代休日に、娘が結婚式を挙げた場所にある素敵なカフェでランチと洒落こみました。雰囲気はよいし、平日なので昼前に入れば空いています。正午の時報とともにどんどん席が埋まるのを横目に、おいしい食事でお腹も心も満たされました。

 実は、この2週間ほど前にもSNSで見た食堂に妻と行っています。舟盛の揚げ物が安価で食べられると紹介されていたからですが、見ただけでお腹が膨れてしまい、3分の1は持ち帰った次第です。妻の横顔は、「もうこんなところは嫌だ」と言っているかのようで、今回もチキン南蛮定食が人気の店を提案しましたが、即却下!そうした経緯があって、カフェになったのでした。

 さて、時々「ハチスガさん」と呼ばれることがあります。気にせず返事をしますが、濁らない「ハチスカ」が正しい。「須賀」だけなら「スガ」と読むからかもしれません。でも、名字を清濁どちらで読むか悩む場面はちょくちょくあります。「崎」「島」「原」「田」「沢」が付くと、例えば「ヤマサキ」なのか「ヤマザキ」なのか…。

 少し前の読売新聞のコラムに、「世の中は澄むと濁るで大違い」と始まる狂歌の言葉遊びがあることを紹介していました。清濁の違いだけで全く反対の意味になってしまうわけで、うまいなぁと感心しながら検索してみました。どうもこんな風に続くようです。

 「刷毛(はけ)に毛があり、禿(はげ)に毛が無し。福に徳あり、ふぐに毒あり。人は茶を飲む、蛇(じゃ)は人を飲む。意思が濁ると意地になり、口が濁ると愚痴になり、徳が濁ると毒になる。」といった感じ。

 学校も「害」ではなく、「怪」でもなく、「快」でありたいと思います。そして、そこに集う人々は、「ダメになる人」ではなく「ためになる人」であり、「怒る保護者に驕る校長」といった関係図にならないように気を引き締めたいものです。いろいろ考えたら脳疲労!

418 カギ(24.5.23)

 前を走る車のリヤウィンドウに何枚もシールが貼ってあります。ステッカーではなく、何かのキャラクターシール。ポケモンにも見えましたが違ったようです。そういえば、ポケモンシールを貼ってある車が以前よくありました。そういう私も「カラカラ」「ゼニガメ」「コダック」を貼っていたような…。今でも某製パン会社はポケモンパンを販売し、デコキャラシールも健在のようです。

 自動車のエンジンは、プッシュ式スターターに変わり、スマートキーが一般的になっています。それでも、公用車のようにキーホールに鍵を差し込んで回すタイプはまだまだ健在ですが、どんどん便利になっていきます。

 最近では、「錠前」なんて言葉が通じない世代も多いはず。「錠」と「鍵」の違いもあやふやだったりして…。家の場合、扉についていて「鍵」を用いて開けるのが「錠前・錠」です。その鍵などが真鍮製だったりしたのは今は昔。それでも円筒錠は長い間、変遷しながら使用されてきました。最近の新築住宅ではカードをかざしたり暗証番号を入力したりスマホによるスマートロックだったりと様々です。そんな鍵メーカーで真っ先に思いつくのが「美和ロック」。「ゴール」や「アルファ」もよく見かけます。南京錠からスマートロックまで100年以上もの間システム開発を続けてきたと、アルファの新聞広告がありました。

 学校を見渡してみると、ガラス窓はフック状のものを使っていますし、部屋の扉は長短入り混じりますが一般的な鍵。時々、ねじを締めるような古いタイプが現れることもあります。たまに行う校内の戸締りの際には、たくさんの鍵の束をジャラジャラさせながらの巡回です。同じ錠なのに鍵が合わなくて、別のものに何度も差し替えるなんてこともざらにあって、さすがにイライラなんて場面も…。だから、鍵ごとにキャラクターでもぶら下げておけば迷わずに済むかも。ただ、下がるキャラが多すぎて鍵の喧嘩が始まりそう。

 時々学校の落とし物箱に家の鍵を見かけます。ずっと以前に息子が鍵を紛失したときに、錠まで全交換するほど大変だったことを思い出します。お出かけの際の戸締りと鍵の紛失にはご注意を!

417 おからダ(24.5.22)

 おからが体によいのは多くが知る事実ですが、実際その栄養価はどうなのでしょう。食物繊維や大豆イソフラボンをはじめとする、健康体をサポートする栄養豊富な食品です。

 おからは、大豆を原料とする豆腐や豆乳の製造過程で発生する副産物であり、搾りかすの意味です。お茶殻の「がら」などと同じ使い方で、丁寧語の「御」をつけたわけです。その色が今頃から花を咲かせるウツギという花に似ていることから「卯の花」とも呼ばれています。

 でも、驚くのがおからの食用での利用率。おからの年間発生量が70万トンある中、何と1%しかないというのです。ほとんどが、豆腐屋から農業・牧畜業者に無償で引き渡されるらしいのです。そして、5~9%は産業廃棄物として、代金を支払って処分といいますから勿体ない。食品ロスの最たるものと言えなくありません。

 そうはいっても、おからを食べる家庭は激減傾向でしょうか。昔は、近所の豆腐屋に店頭に積まれたおからを買って調理していましたし、ラッパを吹いて豆腐屋が売りに来ていました。でも、豆腐屋自体が見られない昨今、おからも見かけなくなっているかもしれません。子供のころに食卓に乗ったおからは、決して好きな食べ物ではありませんでした。むしろ、避けて通れるなら食べないで済ませたいと思ったくらいです。

 何十年も歳を重ねると嗜好が大きく変わります。最近では、道の駅で100円(700g程度)で買い求めています。量があって劣化も早いので、冷凍しながら何度かに分けて調理してくれます。学校給食でも、おからあるいはおからパウダーを使ったハンバーグやケーキが登場することもあります。おからレシピはいろいろあるので、試してみるときっと大きな発見が…。

 ちなみに、PCに「おから」と入力すると、変換候補の4番目に「お体ご自愛下さい」と表れました。「おからを食べて健康になって!」というメッセージ・優しい心遣いでしょうか?

416 今日もよい一日を(24.5.21)

 今年の運動会は、伝えたいことだけを事前に伝え、あとは体育主任と教頭先生に任せました。すると、子どもたちのもとに行って声をかけたり一緒に何かしたりたくさんすることができました。ただ、昨年も書いたかもしれませんが、この日まで子供と一緒に考え、指導し、汗を流してきた担任の大変さには及びませんし、達成感もきっと違います。それでも、子供たちのはじける笑顔やノリノリ・キレキレダンス、悔し涙や感極まって流す涙を間近で見られたのは喜ばしいことです。また、昨年からの成長を感じる行動も嬉しさの一つ。まだまだ成長の過程。さらに健康で丈夫な体づくりを意識してほしいと思いながら、まだ運動会の余韻に浸っています。

 さて、ウォーレン・バフェットという人のこんな言葉があります。

  あなたが車を1台持っていて、一生でその車にしか乗れないとしよう。

  だとしたら、あなたはその車をどんなふうに扱いますか?

  きっと誰も、一生に1台しかないとしたら、長く乗れるように大切にするでしょう。

  ここで考えてほしいのは、あなたが一生に一つの心と一つの体しか持てないということです。

  あなたの体は、一生お世話になる魂の乗り物なのです。

  今からでも間に合います。大切にしてあげてください。

  何をやめて、何を始めますか?ほんの少しでも、できることをやっておこう!

 誰に向けた言葉かはわかりませんが、子供にも大人にも当てはめられそうです。運動会が終わって一区切りがつきました。次の一歩を踏み出すよいタイミング。今日も、そして明日もよい一日であるために、できることに精一杯力を注いでほしいと思います。

415 運動会だよ!全員集合(24.5.18)

 小学校の同窓会を前に、グループLINEにあがった集合写真が十数枚。全く思い出せない人が多い中、顔を見て名前まで言える人も数人います。遊びの聖地だった公園の今の様子も知らせてくれます。その中の小3か小4のクラス写真にも自分がいます。娘や息子に、大人数の中から親を探し当てられるか試したところ、「楽勝!」「わかりやす過ぎる」という反応です。どうも目が特徴的なようで、当時の自分がえらく濃い顔に見えます。髪がない50数年後の自分でも面影はあるのでしょうか?

 今日は運動会。天気上々、気分も上々!熱中症対策は欠かせません。運動会実施を知らせる花火の空砲が鳴り響くことはありませんが、体育館前のスペースには、万国旗の代わりに鯉のぼりが泳ぎます。倉庫に十数匹の鯉のぼりが保管されていたのを用務員さんが見つけてくれたのはGW後。その大きさは半端ではありません。3年目にして初めて知りましたが、せいぜい4~5匹を泳がせるのがやっとです。でも、時季遅れの鯉のぼりの登場に子供たちが喜んで、演技や競技を頑張ってくれたらうれしいです。

 自分の小学生時代の写真の中に、運動会の応援席で撮られた写真もありました。やはりリレーの選手は花形でした。中学年くらいまでは選手になれていたように思いますが、高学年になると補欠が精いっぱい。悔しさが蘇ります。今はない騎馬戦や中学校での棒倒しも白熱した思い出です。

 地域の運動会も中学校のグランドで秋に開催されていました。町会・自治会対抗で様々な競技がありました。その頃は、小学校でも地域でも景品があったものです。もしかすると、学校名が金字で刻印された鉛筆を持つ人もいるのではないでしょうか。

 今日の運動会を何年経って思い出すくらい、スペシャルな一日にしたいものです。暑さに負けない、熱い応援をお願いします。

414 宇宙人(24.5.17)

 「宇宙人はいると思いますか」というアンケートに2500人以上が回答して、4人に3人は「いる」と答えています。記述による回答者の年齢層は、60代から80代ばかり。確かにUFOブームや宇宙人・未知の生命体への関心が高かった記憶がある我々の世代。日本にUFOブームを巻き起こし、今もなお研究家として活動している矢追純一さんを知る人は、きっと私と同じ年代でしょう。その矢追さんが88歳というから驚きです。

 スピルバーグ監督の『未知との遭遇』は、壮大かつ衝撃的でした。そんな影響もあってか、地球以外に生命体があることは間違いないとずっと思っています。この地球に私たち人類という宇宙人がいるのですから、広大な宇宙に知的生命体が住むのは地球だけとは考えられません。『宇宙戦艦ヤマト』では、沖田十三艦長が亡くなるシーンに涙したことも思い出します。

 そういえば、6年生を担任していた頃の国語の教科書に『人類よ、宇宙人になれ』という教材がありました。人類にとって宇宙とはなんなのか、宇宙はどんな場でありうるのかを読者に問い、人類進化のとるべき道は、地球人から宇宙人へとなることであると結論付けていたのを思い出します。そこには「宇宙船地球号」というワードがあったように記憶します。

 さて、あるお話の世界ですが、一人の男性の告白で平凡な家族が激震に見舞われます。彼は、23年間も一家の四兄妹の次男として家族になりすましてきた宇宙人で、しかも地球を離れるまでに残された時間は、なんとあと3日間。限られた時間の中で人間としてやり残したことに奮闘するというストーリーです。これは、中村倫也さん主演でちょうど1年前に封切られた、家族愛をコミカルに描いた『宇宙人のあいつ』という映画。Primeビデオなら観られるかなぁ。

 もしかすると、目の前にいる見慣れた人は宇宙人かも。だって、そうでないという保証はどこにもありません。時々喉を震わせながら、「ワレワレハ ウチュウジンデアル!」なんて言っていませんか?

413 食に関する雑感(24.5.16)

 野菜売り場に「新」の付く食べ物が並びます。先日は「新にんにく」と「新にんにくの芽」を目にしました。新玉ねぎやらっきょうなど土の下は賑やかです。柿の葉っぱも鮮やかな新緑のライムグリーンが眩しいくらいです。それがいつの間にか深緑の分厚い葉になっていきます。運動会前の子供たちも、旬の「新ひらたっ子」なのかもしれません。

 宮城県内の小中学校の給食で提供された牛乳を飲んで七百人近くの児童生徒が、腹痛や嘔吐を訴えたという報道がGW前にありました。こうした事件があると、「校長は検食で気づかなかったのか」という疑問の声が家族からもあがります。毎日の検食で味の濃淡を感じることがあっても、提供30分前の段階では変更はできません。ただし、味がおかしいと感じれば、提供をひとまず停止して原因等の究明を始めます。しかし、異物が混入するような場面は、検食として提供されたトレイ上のものには乗ってこないことの方が多いかもしれません。今回の牛乳にしても、検食用の牛乳には異状なかったと言わざるを得ません。事実、残った牛乳を調べても何ら問題はなかったといいます。

 低学年の児童から「校長先生の仕事は何ですか」といった質問を受けると、検食について触れることがあります。単に先に給食を食べているだけではないことを訴えます。何百人もの命がわが舌にかかっていると思うと責任重大です。一方で11時半ころの給食に体が慣れてしまって、お腹が空くのが早い気がします。

 オーブンが不調で、入れ替え完了までの1学期いっぱいは焼物メニューが基本、献立から姿を消しています。これは栄養士にとっては一大事なわけですが、今日のメニューは「鶏の香味焼き」。朝の時点で「蒸し」にでもなってしまうのでしょうか?さらに追い打ちをかけるように、点検等のために工事業者が給食室の電源を落としたら、冷蔵庫の電源が入らなくなってしまう大事件発生。次から次へと難題が降りかかります。呪われし給食室?なんて縁起でもない!知恵と多くの人の努力・協力で乗り切っていきます。

412 パラドックス(24.5.15)

 今日5月15日は、セブンイレブンの1号店が豊洲に開店した日。1974年というのでちょうど50周年という記念すべき日のようです。

 さて漫画を読んでいると、「『アキレスと亀』のパラドックス」について触れていました。例えば、タイムパラドックスで有名なのが「親殺しのパラドックス」でしょう。自分が生まれる前の過去に行って、母親を殺してしまったとすると、自分が生まれてこないことになって母親も殺せなくなるというものです。以前テレビで『たて×ほこ』という各分野の対決番組がありました。どんなものでも突き刺してしまう矛(ほこ)と絶対に突き通すことのできない盾(たて)のような矛盾・ジレンマに発想を得た企画でした。こうしたことを慣用句に探してみると、「急がば回れ」とか「負けるが勝ち」などが挙げられるかもしれません。

 「私は嘘つきである」という発言は何の変哲もないような気がしますが、よく考えると矛盾していることに気づきます。私は嘘つきが真であれば、嘘つきであるという発言も嘘になり、私は正直者となってしまいます。逆に、私が正直者と仮定したときも同様の矛盾が生じます。「頭がこんがらがって面倒だ」なんて言わないで、パラドックスの不思議な世界と面白さを知り、考えることの面白さを子供たちにも感じてほしいと思います。

 これに似たパラドックスですが、次の場合あなたはどうしますか?

 あなたは今、2つある分かれ道に立っています。一方は「天国」で、もう一方は「地獄」へつながる道です。あなたには、どちらが天国への道なのかはわかりません。目の前の分岐点には、2人の天使がいて、どちらも天国に通じる道を知っています。天使Aは正直者で、Bは嘘つきですが、あなたにはどちらが正直者なのかはわかりません。あなたが天国に続く道がどちらなのかを知るために、一度だけ天使たちに質問をすることができます。ただし、天使は「YES」または「NO」としか返事をしません。

 超難解なクイズのようです。給食を食べながら頭を悩ませましたが、お手上げ!解答だけ載せますので、その理由は考えてみてください。

 “(どちらかの道を指さしながら)「この道が天国につながる道ですか?」という質問に対して、あなたはYESと答えますか?”と問いかけるとよいのです

411 甘味(24.5.14)

 昨日、運動会のプログラムが児童と保護者に配付されました。今年度のスローガンは『全力で 楽しみつくせ ひらたっ子!!』に決まり、プログラムの表紙や挿絵に多くの児童の作品が採用されています。私がひょっこり体操服を着て登場する絵も児童作品です。

 少し前になりますが、1年生のN学級の学級だよりを目にしました。イラストたっぷりで、ほのぼのとした感じです。自分でササっと描いてしまうというからすごい!うらやましい!文は少なめに抑えて、子供の活動をイラストで紹介したり、子供のつぶやきや様子を手書きで添えたりしたら、子供たちにも好評だろうなぁと勝手に想像してしまいます。

 さて、だんご三兄弟という歌が流行った時がありますが、串団子は4つが一般的です。串に刺す団子は、鎌倉・室町時代からあったそうで、江戸の頃には忙しい庶民が合間に食べられるファストフード、というかフィンガーフードとして受け入れられたようです。元々は5玉だったものが、新しい通貨が発行された後に4玉で落ち着いたとされます。

 団子が入ったパックに、みたらしと餡子があったら少し悩んで、餡子から先に手を出す私。みたらしの甘辛餡を横目に見ながら、パクリと食らいついて水平に串を引くわけです。抜かれまいとする団子の必死の抵抗の甲斐もなく、白い痕跡を串に残したまま数が減っていきます。春先は、摘んだばかりのようなよい匂いがするヨモギ団子がおいしい季節です。GW後半に入る前日に、昼の放送で「しょうぶ湯」の言われ話をしました。触れると体が溶けてしまうため、鬼が忌避するのが菖蒲とヨモギなのだそうです。

 近隣の和菓子店の路上ではためく幟旗が季節によって変わります。GWまではかしわ餅だったような?これからは水羊羹?通りかかるたびに「○○食べてぇ~」と呟くと、スルーされるか「却下!」の一声。日記にイラストでも描いて食べた気になるか、テーブルに描いたイラストを置いて「食べたい光線」を浴びせるか、思案中です。

410 腹は立てず…(24.5.13)

 新らっきょうが出回る時期になりました。初物を買って帰って、皮をむいて醤油漬けにしました。ただ、風呂上がりでも指のらっきょう臭が消えないことには閉口しますが、数日後には味が染みておいしくなっています。なくなる頃にまた袋詰めを買ってこようと思っています。

 月曜朝の雨は、気分が降下気味。学校へ向かう高架脇は傘傾げ(江戸しぐさ)が基本ですが、真ん中を歩いてぶつかってきた輩にイラッ。そういえば最近、通勤時に歩く相手と肩や腕をぶつけることがあります。駅のホームで乗降客がごった返す場面や改札を出たあと改札へ向かう流れと交錯する場面などです。暖流と寒流がぶつかり合う潮目みたいな感じ?でも、向こうから歩く人を見ていると、隙あれば(?)相手にボディーチャージをしようという明らかな気配漂う人がいるのは確か。普通に歩いている(はず)のに、なぜかしらドン!となります。こちらは受け身ですから態勢が不安定になりますが、あちら様は攻撃態勢を整え、心の準備もできていますから平然としたもの。いつものようにイラっとしながらも、「よし、体幹を鍛えねば!」と一瞬思う私。ただ、階段やホームで弾き飛ばされたら、命を落とすことにだってなりかねませんから怖い!

 天気のよい日に墓参りに行きました。水場で作業する男性を見て、私と見間違えたと妻が言います。頭がテカテカだったからです。でも、会話すると口調はとても穏やかで私とは正反対とか。人伝に聞くと、お坊さんだそうです。ガッテン!「心は丸く、気は長く、腹は立てずに、己は小さく、人は大きく、謙虚に」を体現した御仁に見えたのもうなずけます。宮沢賢治ではありませんが、「体当たりや口撃にイライラすることなく、広い心の持ち主に私はなりたい」と思います。思うだけではだめなのもよくわかっていますが…。