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592 愚痴です(25.3.24)
彼岸の墓参りで拝もうとしていると、見知った姿に目が留まりました。小中学校の同級生。こんな偶然にびっくり!
令和8年度以降の宿泊学習に係る業者選定の大詰めです。子供たちの生活経験を増やし、学びが生まれ、友達や学級・学年の団結力が育まれる活動や場所、時期を大切にした計画・実施でありたいと考えます。同時に保護者の経済的負担もできるだけ抑えたい思いは言うまでもありません。
さて、以前こんな話を耳にしたことがあります。普段から親が働いているある子は、家の鍵を持って登下校しています。昔は「かぎっ子」と言われたものですが、最近は当たり前すぎて耳にすることもありません。宿泊学習の日、保護者は紛失が心配で子供に鍵を持たせなかったといいます。学校にバスが戻ってくるタイミングで、学校にその保護者から電話がありました。「仕事を終わらせて17時半に迎えに行くので、それまで学校に置いておいてほしい」と言うのです。少し身勝手ではないでしょうか。
宿泊学習は、担任にとってはその期間中、ずっと緊張を強いられます。安全で何事もなく帰るのが当たり前。ですから、夜もわずかな睡眠で朝を迎えます。泊数が増えればさらに大変ですから、学校に帰着して子供を帰した時には、肩の荷が下りてどっと疲れが出ます。にもかかわらず、退勤時刻を大幅に過ぎてなお、保護者の都合で勤務を強いる形になります。ただ、私が思うほど、その保護者に感じる部分はないのかもしれません。「頼めばやってくれる。やってくれて当然。だって私は働いているのだから」と言うかもしれません。
教職員にも自身の生活があり、そして働いているのです。たとえ子供たちのためという強い想いや使命感はあっても、決してボランティアではありません。ですから、双方が気持ちよく互いを思いやれる学校だったら、「ありがとう」「どういたしまして」が自然に飛び交うのではないかと思います。
この事例の場合の解決の一案。見送りのタイミングで学校職員に鍵を預けるというのはいかが?