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2023年4月の記事一覧

205 定食(23.4.28)

 運動会に向けた取り組みが少しずつ始まりました。今年度は組体操を取り入れる6年生は、体育館で技の説明やイメージづくり。使われる曲も紹介されていましたが、聞いたことのない曲。ただずっと昔、組体操を同僚と夜遅くまで話し合って構想していたころを懐かしく思い出します。使用する曲も車の中から何枚ものCDを持ち出して選曲。互いに折り合いをつけながら完成していく過程が楽しみでした。いざ練習になると、マイクを持って歌いながら…。職員室に戻ると、当時の教頭先生から下手くそな歌を褒められて(?)気をよくしていました。今思うと、そんな歌で演技する子供たちを褒めたのだろうと思い至り、恥ずかしさがこみ上げます。そう、今更です!

 さて、近隣のショッピングモールの鮮魚店には食事ができるコーナーがあり、休日は11時ころから行列ができます。刺身定食や煮つけ定食、焼き魚定食など様々。ボリュームがありそうですし食べてみたい気がします。このほかにも飲食店では、生姜焼き定食とか肉野菜炒め定食といったように「定食」を持ちます。私たちが色々な食べ物を楽しめると同時に、店側も食材の仕入れを安定させるためにも有効というか合理的なのでしょう。定食の始まりは江戸時代で、参勤交代の武士のために生まれたと言われます。ごはんと汁物、主菜、漬物がセットになったもので、現在と大差ないように思えます。

 何気なく使っている「定食」って?広辞苑には「食堂や料理屋などで、一定の献立によっていくつかの料理を取り合わせた食事」としかなく、略語であることはどこにも触れられていません。実は、「一定+食事献立」が略されて「定食」となったそうです。海外のコース料理とは異なる日本ならではの文化のようです。

 こんなふうに私たちが普段使う言葉の中には、実は略語が定着しているものは少なくありません。今書いているブログは、「ウェブログ」の略ですし、普段子供たちが使う教科書は「教科用図書」。切手が「切符手形」、軍手が「軍用手袋」、経済は「経世済民」であることはなかなか知られていません。まさか演歌が「演説歌」だなんて…。そのほか、オムニバス=バス、電動客車=電車、お鳴らし=おなら、クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ=ピアノなのだそうな。4月が終わります。

204 顔も見たくない(23.4.27)

 家の前で植物の手入れをしていると、一回りほど年の離れた男性から声をかけられました。「蜂須賀さん?」と尋ねるので、「はい」と答えると、「私もなんです」と言います。もしかすると、以前近所の医院の中待合で一緒になった人かもしれません。その方は近隣の団地にお住まいらしいのですが、少し前まで両隣が中川さんと齋藤さんだったと教えてくれました。偶然ですが、我が家も中川さんと齋藤さんに挟まれているので二人で驚いて、しばらく立ち話をしてしまいました。またお会いしましょう!通りすがりの人にでも挨拶すると、次からは会話が生まれてきます。

 逆に、どこであっても会いたくないのがG!家の中にG(ゴキブリ)を発見しようものなら大騒ぎ!「ギャー」「ヒェー」と叫びながら私を呼ぶ声が、補聴器がなくても耳にはっきりと届きます。自分で殺虫剤をかけたとしても、最後の始末は私の仕事。家の中で発生するのではなく、どうも屋外から侵入するようです。だから、玄関ドアやサッシを開けっ放しにすることを嫌がります。

 家でも学校でもブラックキャップのゴキブリ駆除品を見かけますが、元祖は家の形になった紙箱の『ゴキブリホイホイ』でしょう。手軽さが好評で高度成長期にヒットした商品ですが、今年で50年だといいます。発案者は、昔セミを捕獲するために粘着性のある樹皮などを使っていたことからヒントを得て試作品を作ったといいます。最初はうまくいきませんでしたが、ある社員がゴキブリの触角が粘着剤に触れることがないように、入口に傾斜を作って上らせることを提案したのです。これが市販化となります。ちなみに、当初は『ゴキブラー』という名称で発売予定だったようです。

 先日は昼過ぎにSOSメールを受信。玄関を出たすぐ先に大きな蛾がいて外に出られないと。夕方帰宅すると、薄いエメラルドグリーンできれいだけど手のひらサイズ!塵とりにお乗せして遠くへ行ってもらいました。

 子供たちも大人も苦手な生きものがきっとあるはず。私は「カエル」。ずっと以前、理科でアフリカツメガエルの解剖をやったときは、指導とはいえ、よく頑張ったと思い返しています。

203 汗をぬぐう(23.4.26)

 今年のGWは、5月1日と2日を休みにすると9連休となります。そうでなくても、コロナ制限が緩やかになった今年の人出は多くなることが予想されています。私の場合、コロナ第9波に備えて、自宅や近隣での遊びに留めようかと思います。

 ずっと先の予定になりますが、11月に6年生が日光方面へ修学旅行に出かけますが、見学場所のメインは東照宮。多くの方が足を運んだと思いますが、陽明門をくぐる前やそのあとも直径10センチ大のゴロゴロした丸石がたくさん敷き詰められています。歩きにくく、足をくじきそうで怖い!この日光東照宮では、「栗石返し」と呼ばれる伝統的な境内の清掃が行われるそうです。コロナの関係で今回は4年ぶりと言っていましたが、箒や熊手ではうまくいかないので、敷き詰められた「栗石」という玉石を一つ一つ手で動かしながら間に溜まった杉の葉やごみを掃き出していきます。350年以上前から続くこの伝統行事におよそ3千人が参加したといいます。そうした手作業が、あの環境を生み出していると思うと驚きであるとともに、歩き方も変わってきそうです。

 いろいろな作業がしやすい季節でありますが、しばらくすると額に汗がにじみます。普段家から駅まで、あるいは学校までの徒歩10分で、数度ハンカチで拭うことも…。でもあと数日で首元を締め付けるネクタイともおさらば!半年間のクールビズがやってきます。

 ところで、手洗いの際にも使うハンカチのしまい場所どこ?バッグの中?ズボン等のポケット?私はもっぱらスボンの左サイド。でも尻ポケットから顔をのぞかせているハンカチも見かけますし、上着だったりYシャツの胸ポケットだったりする場合もあります。どこが一番多いか気になりますが、残念ながらそれを調べたデータは見つかりません。子供たちに聞いてみようかなぁ。

 先週、50m走のタイムを計測する1年生と一緒にスーツのまま走りました。1本走り終わると子供たちが集まってきて、結局2往復4本。終いにはさっきまで砂を弄っていた多くの手が黒いズボンに触れているではありませんか。走った汗より、嬉しいながらも白くなりゆくズボンが気になって冷や汗…。すかさず左ポケットからハンカチが登場!

202 チックタック(23.4.25)

 「ボーっと生きてんじゃねーよ!」とチコちゃんではなく奥さんによく叱られます。食後に飲む薬を自分で一錠出したあと、別の薬入れを私の目の前に置いてくれます。食べ終わってからその容器を元の場所にしまうと、「ちゃんと薬を出したの?」と聞かれます。数分の間にもう忘れていました。冒頭のセリフに続いて、「自分で考えて行動する力=C」という評価を4月開始早々にいただきました。情けない!

 朝食を食べ終わってそのまま歯磨きに向かうと、洗面所近くで「ん?」「はい?」といった声とも言えない声がします。ごちそうさまをまだ聞いていないという催促。学校では、挨拶を重点目標の一つにしているというのに…。やっぱり情けない!

 話は変わりますが、自分の部屋に4つの腕時計を陳列してあります。その一つが、ずっと昔にお揃いで買った妻のもの。自分のものは息子に貸し出したらしばらくしてどこかに置き忘れてきたようで…(怒)。そのお詫びというか使わなくなって、息子からもらい受けたGショックが二つめ。三つめは、亡くなった父の時計が壊れそうだったのでプレゼントしたもの。そして十数年前に妻にねだって買ってもらった超高級時計。電波時計なので、未だどれも正確に時を刻んでいます。ここ数年、寝ている間もスマートウォッチを着けているため、宝の持ち腐れ状態。「売っちゃえば?」と言われますが、なかなか踏ん切りがつきません。

 我が家で最も長く時を刻んでいるのが、リビングのカッコウ時計です。娘が誕生したお祝いに当時のサッカー部の保護者からいただいた品。三十数年、ほとんど狂うことなく動き続けているのです。根気強さ、正確さ、責任感といった評価項目があったら、間違いなく「A」です!

 学校でも家庭でも社会でも時計のない世界を想像できませんが、あこがれも…。

201 名曲オンパレード(23.4.24)

 自分専用のステレオを買ったのは高校生のころ。今のようなコンパクトなステレオではありません。部屋の一角にデンと居座る大きさですが、下段にレコードを立てて収納できました。最初に買ったのは甲斐バンドの『バス通り』が収録されたLP盤でした。新しいアルバムが出るとすぐに買うほど夢中になりました。歌詞カードとにらめっこしながら歌っていましたから、今でも空で歌える歌がたくさんあります。では、「NSP」「風」「ふきのとう」と聞いて何のことかわかる人はどれだけいるでしょう。「チューリップ」を加えれば…、そう70年代のフォークグループ。かつ私のレコード所有リストの一部です。その後1979年、『ひとり咲き』を収録したチャゲアスのアルバムにするか、『大都会』が大ヒットしたクリスタルキングにするか店内で迷いに迷った記憶があります。ともにデビュー曲でしたが、結局クリスタルキングに軍配は上がったのです。何十枚もあったLPは処分したのだっけ?その記憶すら曖昧になるほど年月が経ってしまいました。

 先日亡くなった坂本龍一さん。イエロー・マジック・オーケストラとしても個人でも有名でした。忌野清志郎さんと歌った『い・け・な・いルージュマジック』も懐かしい。これは、春の化粧品ソングとしてヒットした曲です。このほかにも『春先小紅』(矢野顕子)や『マイ・ピュア・レディ』(尾崎亜美)、『う、ふ、ふ、ふ』(EPO)、『Rock’n Rouge』(松田聖子)、『君は薔薇より美しい』(布施明)など有名な化粧品ソングはたくさんありますし、モデルも素敵でした。知っているかなぁ?知らないだろうなぁという曲が、ゴダイゴの『僕のサラダガール』。『モンキーマジック』や『銀河鉄道999』で一躍有名になりましたが、そのずっと前からアルバムを買って擦り切れるほど聴いたのがゴダイゴですし、この曲でした。

 親世代だって知らない人や興味のない人には、この語り尽くせない懐かしい気持ちは伝わらないことは百も承知。いやぁ満足満足、自己満足!ただ、子供たちって私が思う以上に昔の歌も知っているから不思議です。

200 そろそろ疲れが?(23.4.21)

 庭の入り口に立つと、上から憎きカメムシが1匹落ちてきました。即退治!ほかの植物に触れたようで、今度は足元に茶色の3~4cm大のイモムシがぽとり。もう終わりに近づいたビオラやユキヤナギの新芽に緑色のアブラムシが見られます。ヤマモミジの葉には黒っぽいアブラムシがびっしり付いているではありませんか。虫たちも活動を始めました。でも、このままにはしておけません。そんなアブラムシを横目に、「アブラムシの子供は7人の子~一人はノッポであとはチビ~♪」とキャンプファイヤーでお馴染みの歌が、いつもながら頭の中で流れます。少ししてから、アブラムシじゃなくて「アブラハム」であることに気づきました。声にしなくてよかったと胸をなでおろします。

 新学期が始まって2週間が過ぎます。新規採用者も含めて老若関係なく、子供たちを支えていくために一生懸命がんばっています。学年での話し合いも活発で、声をかけるのも躊躇してしまうくらいに。子供たちも同様で、もしかするとスタートから飛ばしすぎと思われる場面を見かけることはないでしょうか?子供も教職員も保護者も、まずはGWまでが一区切り。様々な出合(会)いを楽しいと思えることが大事。

 さて、ネット上で見つけた嘘のような本当の話にびっくり。1年前に教員になった先生が生徒から、「学校に来たくない」と相談を受けたそうです。すると、その生徒の目の前で「生徒に学校に来たくないと言われたら」と入力・検索をしたといいます。さらには、画面に表示された文字を生徒に向かって読み上げたとか。さすがにベテランの教員も黙っていられずに注意をすると、「ふざけているわけじゃなく、どうすればよいかわからないときに調べることのどこが悪いのですか」と逆ギレされたようです。

 ご安心ください。平田小にはそうした教職員はいませんし、困ったときにはお互い聞ける雰囲気が育っていますから。子供を取り巻く保護者や地域の方も、わからないことを直接尋ねられる学校・教職員でありたいと思います。

199 待つわ(23.4.20)

 衆議院議員補欠選挙及び市川市議会議員選挙の投票日が迫り、街頭演説にも熱がはいります。対立候補の選挙カーがすれ違う時って、バチバチって火花が散る音でもするのでしょうか。それとも、ニアミスを避ける申し合わせがあるとか?そんな選挙カーはあちこちを走りますし、声が結構響きます。ですから、天候が急変した場合「洗濯物を外に干している皆様、雨が降ってまいりました」なんて知らせてくれたら粋じゃありません?一票につながるかどうかは別にして、そんな気遣いがあったらよいかも。

 さて、新聞の紙面に、『行列に並びますか?』という見出しの記事がありました。コンサートやスポーツ・イベント会場、遊園地のアトラクションなど、様々なシチュエーションが考えられます。私も息子が小学生のころ、ワールドホビーフェアに何度も付き添わされて、幕張メッセなどで長蛇の列に並びました。やっと会場内に入れたと思うと、息子は好きなブースへどんどん進んでいきます。だから次の困苦は、人混みの中を見失わないように付いていくこと。おかげで帰るころにはどっと疲れ果てていた思い出しかありません。

 人気の飲食店にも行列ができますが、私は並んでまで食べたいと思わず、比較的空いている店を探すタイプ。行列に耐えられる時間は「30分未満」が6割、「1時間未満」が3割弱。「3時間以上」と回答する人が4%もいることには驚きです。道路渋滞も遠回りであっても回避したくなります。前を走っていた車より先回りできた時には、心の中でガッツポーズ!プチ勝利の気分に浸る、度量の小さい私です。そうそう、ナビが「渋滞考慮オート・リルートを設定しました」という音声を、「おとりルート」と聞き違えた人は誰だったか。

 候補者が開票作業を待つ時間も長く感じられるのでしょう。行列の待ち時間なんて比にもならない? ♪わたし待~つ~わ~♪

198 あれば便利、でも…(23.4.19)

 中国大陸からの黄砂の情報が時々聞かれます。目のかゆみやアレルギー症状、気管支ぜんそくなど呼吸器疾患の悪化も心配されています。また日常生活では、洗濯物への付着や車に与える影響に注意喚起されます。大量の花粉が飛ぶ時期も車は黄色に塗り替えられたようになり、簡単な水洗いでは除去できないくらいにこびりつきます。ですから、クルマ好きの私は洗車傷を心配し、高圧洗浄機に接続して使える泡洗車用具の購入を真剣に検討。ただこれは、「あると便利」だけど「なくても困らない」ものに該当。つまり、物が増える原因になってしまい、不要なものを少しずつ減らしている我が家の流れに逆行なのです。う~ん、悩ましい。

 さて、コロナ拡大以来、スマホでポチッと商品を注文することが多くなったような気がします。前述のようにクルマ関連の用品が多いのですが、夕方に注文しても翌日には配達されることもざらにあります。日ごろから宅配の運転手が荷物を抱えて走っている姿もよく目にしますし、遅い時間帯や祝休日にもかかわらず配達する姿には頭が下がります。実働何時間なのでしょうか。だから、再配達なんてことにならないように、期日・時間指定をするようにして協力しているつもりです。

 物流における「2024年問題」が話題にされることがあります。働き方改革関連法により来年の4月以降、自動車運転業務の年間時間外労働時間の上限が制限されることによって引き起こされる問題のことで、宅配便など長時間労働の慢性化という課題解決のためです。しかし問題は、運送・物流業者の利益減少が挙げられ、ドライバーの収入減も懸念材料。これによって労働力不足に拍車がかかり、商品到着までの期間が延びるなんていうのは些細なことで、私たちの生活全体に様々な影響が出そうです。

 なくても困らないものを増やさないことが、この社会問題に有効かどうかはわかりませんが、学校でも「あると便利」で購入した物が、資料室や準備室で梱包されたまま鎮座するなんて姿を目にすることもあります。下手すると、何年もそのままであること自体職員が知らないなどという場合だって…。

197 感性を磨く(23.4.18)

 これまで木々の新芽が芽吹き、新緑がきれいだと思うのは5月前後だったはず。時候の挨拶でよく使われる「新緑の候」は若葉がみずみずしい時候を表し、東京近郊では5月全般で使用されます。でも、今年は4月前半できれいな新緑が見られます。もしかすると5月には「深緑」かも。調べてみると、“「深緑」は6月中に使うのが正しく、夏の季語です”とあります。こんなことを1年間に当てはめてみると、時候の挨拶の活用時季の見直しが必要になってくるのではないかと思います。

 さて、少し前に、重松清さんの『ひこばえ』を読みました。主人公とその父親との思い出の一つに、狭い湯船に二人で浸かっていた場面があります。父親が両手に持ったタオルをパラシュートのようにして空気を巻き込んで泡を発生させる様子が描かれます。私自身の風呂の記憶にも焼き付いています。ただ、やってもらったものか我が子にやっていたものかは定かではありません。また、ビールの王冠を使ってバッジを父親に作ってもらったことも書かれています。昔のビールの蓋の裏にはコルクがあって、それを丁寧に外して服の裏側から外したコルクを当て直すと王冠バッジの出来上がり!何種類かのビールの王冠を集めてバッジを作ったことが懐かしい。決して特別ではないことにわくわくしたものです。

 ちなみに、瓶ビールの蓋には複数のひだがあります。このひだで栓を締めているのですが、その数は21個。しかも世界共通だとか。力学的には3の倍数で支えると安定するのだそうですが、21が弱すぎず強すぎず丁度よいので定着したといいます。初めて知りました。

 たとえ季節の変化が早まっても、体中のすべてで受け止める感性を磨いたり、身の回りの様々なことに不思議を感じたりしながら、いつもワクワクしている大人でいたいと思います。そんな大人が、子供のワクワクを伸ばせるような気がしてなりません。

196 せんせい、あのね(23.4.17)

 昨晩はすごい雷雨。眠っているはずのに、稲光のたびに瞼の裏がまぶしくて目を覚ましました。

 さて、先週は身体計測が行われました。急に背が高くなった子、がっしりした体格になった子、緩やかに成長をしていく子など様々です。でも、昨年に比べて体重がガクンと減っているようだと要注意。私の場合、出勤前に着替えをしていると、上裸を見ながら「その倍くらいだなぁ」と呟く声。「自分のおなかのこと?」と聞き返すと、「ううん、大谷翔平君!幅も厚みも…」とのお答え。筋肉が削げ落ちてどんどん貧弱になっていくわが身にぐさりと刺さります。

 先日、ふとしたことから教員になって4~5年目にクラスで取り組ませた自主学習ノートのことを思い出しました。「紙の塔」という名称でした。一日たった1ページであっても、毎日積み重ねていけばそれなりの厚みとなり高さになっていくから「めざせ!塔のレベル」と言いながら始めたものです。漢字や計算練習に始まり、日記や気になったことの調べ学習など多岐にわたりました。毎日提出する子もいれば1週間に一度のペースの子もいたように思います。その日に提出された内容にコメントを書いて、いいなぁと思うものを印刷して全員に配付。年度末には、それらを冊子にして作品集として渡しました。自宅の本棚に保管してありましたが、今は行方不明!改めて読み直してみたくなりました。

 私が小学4年生の時の担任は、伊藤先生という女性。日記を毎日提出して、それを印刷して帰りの会で配ってくれたのです。半世紀以上前ですから印刷するのは簡単ではありません。私が教員になった頃ですら、刷り上げるまでに幾工程もあって時間がかかりました。今のように、休み時間にプリントを印刷するなんて夢のような時代でしたから…。この伊藤先生も子供たちが書いた作文を鉄筆などで書き写して、謄写版でわら半紙に印刷してくれたわけです。今思うと頭が下がります。

 1年生は今日から給食が始まりますが、登校後の支度に個別対応でてんやわんや。でも、ひらがなの学習を終えたころになると、「せんせい、あのね」で始まる日記を綴ることがあります。初々しい子供たちの「あのね」に続く言葉が今から楽しみでなりません。そのほかの学年でも、自由学習ノートを作って家庭学習に取り組む子が少しでも増えてくれたらいいなぁ。もし「校長先生、あのね」帳で交換日記してくれる子がいたら、私も張り切っちゃいます。