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552 桃と先生(25.1.22)
読売巨人軍の丸選手が、新年早々に今年の漢字を問われて「挑」という文字を色紙に書いていました。様々なことに挑んでいく充実した一年にしたいのでしょう。ただ、この文字の「てへん」が「きへん」にも見えてしまって、「桃?」なんてボケてみせます。でも、「桃顔(とうがん)」、「桃源郷」、「桜梅桃李(おうばいとうり)」、など、「桃」を含む熟語にはよい意味が多いので、こっちでもよいかもと思ってしまうのです。一方、『男はつらいよ』シリーズから広まった、「驚き、桃の木、山椒の木」の桃には何の意味もなく、『タイムボカン』シリーズでも頻繁に使われたことまで思い出します。
話は変わりますが、「先生」の定義とは何でしょう。毎日慌ただしい中にあって、じっくり考えたことなどありません。若い世代は日々の授業で精いっぱいですから尚更のこと。広辞苑には、「①先に生まれた人」「②学徳の優れた人。自分が師事する人」とあります。一方、漫画の登場人物が語るには、「良くも悪くも、人の人生に大きな影響を与える人間だけが先生と呼ばれることを許される」「医者に教師に…政治家はもっぱら悪い影響の方だが…」「先生と呼ばれる身になるなら、よき影響を与えてそう呼ばれろ!」と。
さぁて、教師になった頃の私は…?20年前は…?事の大小は問わず、子供たちにどんな影響を与えたのでしょうか。怖くなります。今はどうでしょう?子供だけでなく教職員や保護者に、何らかの影響を与えているのでしょうか。それがよい影響でありたいと願いますが、自信はありません。また親として、私は子供たちにどんな影響を与えたのかも疑問です。反面教師でないことだけを祈ります。
ただ、こうして立ち止まって振り返ることは、決して無駄な時間ではないような気がします。あらぬ方向に向かいがちな自分の軌道修正にもなるので、時々立ち止まって振り返る習慣を大事にしようと思います。個々の行動や状況が、集団全体に影響を及ぼすことを警告する「一桃腐りて百桃損ず」という諺もありますから…。