今日の給食

今日の給食

5月20日(火)の給食

献立は、ご飯、牛乳、キャベツメンチカツ、和風サラダ、沢煮椀、です。

 今日は「メンチカツ」を取り上げます。

メンチカツの発祥国はどこでしょうか?

そう、日本です!いつもながら日本の食文化には驚かされます。

調べてみると、諸説あります。しかしながら日本生まれであることは間違いはないようです。

では、なぜ「メンチ」なのか?メンチという言葉はおそらくないですよね。

調べてみると、ひき肉を英語で言うとminced meat(ミンストミート)であり、これがミンスとなり、メンチに転じた説。また西日本ではひき肉をミンチ肉といいますが、それがメンチに転じたという説。

どちらもありそうですね。

ちなみにメンチカツを使って町おこしをしているところもあります。

例えば「茅ケ崎メンチ」や「亀有メンチ」があります。千葉県にも「館山メンチ」があるようです。是非食べてみたいですね。

今日はキャベツを使ってヘルシーでありながら、お肉のおいしさを十分に味わえるキャベツメンチカツとなっています。

運動会に向けてしっかりと食べて、「元気」に運動会を迎えてほしいです。

5月19日(月)の給食

献立は、麦ご飯、牛乳、あぶたま丼、大豆のカリカリ揚げ、甘夏、です。

今日は「あぶたま丼」を取り上げます。

あぶたま丼の名前の由来は、油揚げの「あぶ」と、卵の「たま」からきています。

これは、親子丼の鶏肉が油揚げに替わったメニューとなります。

 京都府が発祥で、「衣笠丼」とも呼ばれています(関西地方では「きつね丼」と呼ぶこともあるようですが)。

理由は、このメニューを盛りつけた形が京都の金閣寺のそばにある衣笠山という山に似ているからだそうです(平安時代の天皇が「真夏に雪景色を見たい」と所望し、山に白絹を掛けたという故事にちなみ、油揚げと卵とじを乗せた姿が、その衣笠山に似ていることから)。

出汁を吸った油揚げの風味がやさしく、口当たりも良い丼物で、京都府民にも愛されているご当地食です。

曽谷小学校のあぶたま丼には、油揚げと卵の他に、玉ねぎ、人参、みつばが入っていておいしいです。

5月16日(金)の給食

献立は、ご飯、牛乳、鯖の味噌煮、ごま酢和え、けんちん汁、です。

今日は「鯖」に注目してみます。

漢字で「鯖」は魚へんに青と書いて「鯖」(旧字体では月を円と書いた)。漁の際、上から見ると青色がきれいなところからこの漢字となったようです。

栄養面では、鯖は鉄分を多くとれる魚です。日本人の食生活では、鉄分は不足しがちとよく言われますので貴重です。

また、鯖はたいへん腐りやすいので味噌煮などにして食べたというのも食文化、昔の人の知恵ですね。

ちなみに、スタジオジブリ「風立ちぬ」で、主人公が食堂にて、今日の給食でも提供された鯖の味噌煮を食べる場面が出てきますね。

鯖の骨を見て、「曲線が美しい」と表現しているのが印象的です(今日の給食では、骨はほとんど見当たりませんでしたが)。

主人公の二郎は戦闘機の開発を担当していて、強度と軽量化を兼ね備えた骨組みをどうしても作る必要があり、その生きた見本が、鯖の骨だったというわけです。

子どもたちには、日本人が不足しやすい鉄分豊富な鯖をしっかり食べて、「元気」に過ごしてほしいです。

5月15日(木)の給食

献立は、ご飯、牛乳、筍ハンバーグ、コーンサラダ、わかめの味噌汁、お茶めな大豆、です。

今日は「お茶めな大豆」に注目します。

これを読んでいる皆さんは「お茶めな大豆」をご存じでしょうか?

「お茶めな大豆?」「何だこれは?」と思われた方が多いのではないかと思います。私もそうでしたので調べてみました。

これは、カリッと香ばしい国産大豆を、鹿児島県産の抹茶ときび糖でコーティングした豆菓子の商品名となります。

抹茶ときび糖のほろ苦さと甘さが特徴で、人気があるようです。抹茶を使っているのでネーミングが、「お茶」めなのですね。

給食ではよく出るそうですが、私は見るのは初めてでした。給食でよく出るのであれば、一般の方は手に入りにくいのかと思いましたが、インターネットサイトでも販売されているようでした。

口コミには「『給食で出ておいしかったから探して買ってほしい』と言われて購入した」、「給食で出るお茶めな大豆が食べたいと言うので探した」など、知るきっかけは、やはり学校給食の人が多いようです。

食べてみると、確かにおいしい!

お菓子なのに栄養も満点、しっかり食べて「元気」に過ごしてほしいです。

5月14日(水)の給食

献立は、焼うどん、牛乳、ひじきとツナの炒め物、バナナケーキ、です。

今日は「焼きうどん」に注目してみます。

焼きうどんは焼きそばよりも歴史が新しいと考え、調べてみました。すると、発祥は福岡県北九州市小倉とのこと、発祥のお店までわかっています。

時は戦後直後の食糧難の時代。

焼きそばを作ろうにもそば玉が手に入らず、どうしようかと悩んでいると、目に前に干しうどんがあった。うどんを焼くということはあまりなかったが、「同じ麺類だから試しにそばの代わりにとりあえず使ってみるか」と、うどんを焼いて提供した。

すると「美味しい」と瞬く間に評判となり、メニュー化をすることになった。

と、概要はこんな感じのようです。

発明というものには、かなりの割合で偶然の賜物ということがありますね。この焼きうどんも、絶対においしいという確信のもとに作ったのではなく、必要に迫られて試しに作ったという偶然から生まれています。

焼きうどんを食べて元気いっぱいの曽谷っ子であることを願います。