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校長室から

219 疑問から実験・調査へ(23.5.23)

 運動会は生憎の天気の中でしたが、応援ありがとうございました。体調を崩した子や教職員がいないかどうかが心配です。

 さて、街中に点在する公園。遊具がたくさんある場所もあれば、ベンチとまたがって揺らす遊具だけと割り切った箇所もあります。このまたがるタイプの遊具の中にエビフライにしか見えないものがあります。実は冒険好きなミツバチをイメージしてデザインされたとか。名称は「ハニー」。他にも青いカブトムシやピンクの蝶、緑のバッタがあるといいますが、エビフライ遊具の数が圧倒的に多いというのが私の勝手な見解。平田学区の公園にはどんな遊具が多いか、足を使って調べ統計をとってみたいと素朴な疑問というかくだらない考えが沸き上がってきます。3年生が国語の学習で「ひみつを調べる」ために、タブレットを使って検索する姿を見ましたが、3年生なりの素朴な疑問をいくつも目にしました。

 例年、田植えが終わった水田の水面が黄緑色に濁って見えることがあります。2~3ミリの水草が広がって浮かんでいるからです。この水草を採集して理科の実験に使うことが以前ありました。植物の成長の条件を調べるためです。発芽条件は、温度・空気・水の3つですが、成長には肥料や光を含めて必要な要素があるか確かめるためです。カップに水草を入れて、液体肥料の有無で成長具合を観察します。水草は分裂して増えるので個体数を数えればよいことになります。でも、そううまくはいかないのです。肥料を入れたほうが枯れるなんてことも…。同じように理科では、予備実験を事前に行いますが、なかなかの曲者!授業になると、白となるはずの結果が子供が試すと黒になってしまうなど、「あれっ?」と何度つぶやいたことか。

 家でイチゴを育てていることは少し前に書きました。このイチゴ、最初の一粒の収穫を最後に実が大きくならず変色して枯れてしまいます。たくさん花を咲かせたので、収穫を大いに期待していたのに不思議でなりません。ある日枯れた葉にハサミを入れると株がぐらつき、スポッと抜けてしまいました。鉢から土を出してみると、憎きコガネムシの幼虫が根を全部食べていました。でも、うまくすれば再生するのではないかと期待半分、鋭意実験・観察中!

218 運動会だよ!全員集合(23.5.20)

 テレビドラマを見ていると、同じ俳優が同時期に別の番組でも見ることがあります。「あれ?ここにも出演している」と思いながら、ほかの番組ではどんな役だったかすぐに出てきません。例えば野間口徹さん。嫌な役もおかしなキャラクターもなんでもござれ!売れっ子のバイプレーヤーです。

 今日は運動会。天気が心配で朝早くから詰めています。運動会といえば、梅田俊作さんが書いた絵本『よーいどんけついっとうしょう』が思い浮かびます。“きょうは運動会。いよいよ、ぼくたちの50メートル競走だ。むねがドキドキ。なんだ、おしっこにいきたくなっちゃった…!”で始まる心温まるお話。トイレに向かう途中で、けがをして一人で泣いている小さな子を発見。放っておけず…。あとはぜひ読んでみてください。

 コロナ前のように全体で実施できるのは、私自身は4年ぶり。校庭の広さや児童数によっては実施できた学校もありますが、決して多くはありません。全体練習では、450人が校庭に並ぶだけで一苦労。毎年実施できていれば低学年以外は勝手知ったという感じでしょうが、経験がないとなれば自ずと時間がかかります。児童の係も同様ですから、予定していた時間よりオーバーすることも想定内です。指導する立場の先生だって片手の人数は未経験者の部類。手際より経験を積むことが大事です。練習でも準備でも、先輩教員が随所で指導・アドバイスする姿が見られるなど、今日まで全員で創ってきました。

 学校における運動会は一大イベント。それを計画・運営する体育主任は花形とも言えます。以前、運動会前日には有志で前夜祭を行って体育主任のこれまでの苦労を労いました。そして運動会当日の打ち上げは、「体育主任が全員を労う場」と言われて何十年も過ごしました。今年は終わった後、全校で実施できたことを皆で喜び合いたいと思います。

 リレーがないのは少し寂しいですが、火曜日以降、運動会の絵や作文に取り組む子供たちの姿を楽しみにしたいと思います。まずは、今日の子供たちの精一杯を目に焼き付けます!

217 小銭(23.5.19)

 新型コロナによる黙食の見直しが昨年度末にあり、有志の子供プロジェクトチームで話し合って全校に周知したのは次のこと。①前向きでの食事の継続、②必要な時だけすぐそばの人との会話は可、③声は相手にだけ聞こえる大きさ、④マイアクリル板を作成したり会話時のマスク着用したりしてもよい。これは、新年度になって2類から5類に移行するまでは継続することを教職員でも共有してきましたが、この先給食時間を子供たちはどんなふうに過ごしたいと思っているのでしょう。

 5類となっても電車内のマスク着用者はほとんど減っていない状況です。そんな中で、人の持ち物にふと目が行くことがあります。紙袋に社名が書いてあったりビニル袋から菓子箱の商品名が見えたり。週明けなどに「ずんだ」とか「萩の月」なんていう文字を見ると、仙台方面に出張か旅行で行ったのだなと一人合点してしまいます。

 さて、還暦を過ぎた今でも、時々見る夢があります。道を歩いていると、百円玉が落ちているのを発見します。拾い上げると、その近くに十円や百円がいくつも見えます。こうするうちに、両手が硬貨でいっぱいになるのですが、不思議と誰も気づかないという夢。こんな場合、夢判断ではなんと出るのでしょう?

 以前は、自動販売機の下に硬貨が落ちていることがよくありました。拾ったお金を交番に届けたこともあります。でも、電子マネーが普及した現在、小銭を持ち歩く習慣がなくなったようです。背広やズボンのポケットからジャラジャラと小銭登場~なんていう場面は皆無といってよいでしょう。ある調査では、五十円硬貨以下の小額貨幣の需要が低下していると伝えています。駅構内で飲料水を買うのも簡単ですし、電車やバスの自動改札やコンビニの支払いなどの煩雑さがなくなり、利便性の高さが窺われます。

 一方で、暗算力に影響はないでしょうか。子供がまだ低学年だったころでしょうか、車の中で待っているような隙間時間に「タクシー屋さん」をやりました。私が運転手で、子供がお客さん。目的地について支払いの段になり「料金は1870円です」と金額を伝えます。そして「2000円お預かりします。おつりはいくらお返しすればよいですか?」と暗算させます。計算が苦手な娘は、この遊びが嫌いだったようです。将来的に算数の文章題に、切符を買ったり店舗で硬貨による支払いをしたりする場面が消えているのではないかと思ってしまいます。

216 正しいのは?(23.5.18)

 どちらが正しい?

 「キヤノンとキャノン」、「シヤチハタとシャチハタ」、「ビックカメラとビッグカメラ」、「キユーピーとキューピー」、「ブルドックソースとブルドッグソース」、「バーミヤンとバーミアン」「サイゼリヤとサイゼリア」などいろいろ。耳で聞いた音をそのまま正しいと勘違いして表記を誤るケースは少なくありません。(正式表記はすべて前者)

 また、漢字を見ただけでは判別しにくいものもあります。例えば苗字。「角田」さんと書いた場合、「かくた」なのか「つのだ」なのか「かどた」なのか、はたまた「すみだ」や「すみた」なのか悩みます。清音濁音もまたしかり。「はちすが」さんと呼ばれることに慣れてしまいましたが、本当は「はちすか」です。子供たちだって正しく呼んでほしいはず。フリガナ入りの全校児童名簿をきちんとチェックするように努めます。でも間違えていたら優しく指摘してください。

 さて、伝説的サッカー選手と言ったら、ディエゴ・マラドーナ(アルゼンチン)・ヨハン・クライフ(オランダ)・ジダン(フランス)・ロナウド・ロナウジーニョ(ともにブラジル)・ベッケンバウアー(ドイツ)などが挙げられますが、だれもが認めるのはやはりブラジルの英雄・ペレを除いていないでしょう。昨年12月に亡くなりましたが、様々な功績を称えてブラジルの辞書に追加されたと聞きます。「別格の」とか「無比の」といった意味で、比類のない人物を表す「形容詞」だそうです。日本でも、現代用語辞典などに新語が登場します。ただ、形容詞としてどんな使い方をするのかと思って示された例文を見てみると、「彼はバスケットボールのペレだ」とあります。「彼はバスケットボール界における無比なプレーヤーだ」ということでしょうが、違和感があります。まぁ、使わないので正しさを追及する必要もないでしょうが…。

 土曜日の雨マーク。明日の午前中には運動会実施・順延の判断が求められます。

215 超能力(23.5.17)

 週末の天気が気になります。雨に降られない、暑くない、そんな日だといいなぁ。

 さて、学校では4月から様々な検診・検査が続いています。遺伝性難聴の私は、大人になってから聴力検査が大嫌い。ヘッドホンをして遮音室に入っても、聞こえる音が機械から流している音なのか雑音や耳鳴りなのか判別できません。また、検査員が調節ボタンを回しているようなのですが、一向に音が聞こえてこず反応できない自分が恥ずかしく…。人間ドックの聴力や胃部X線検査では、「私はほとんど聞こえません」とか「指示を聞きとれないかも」と最初に申告するようにしています。こんな人間ドックですから、心的ストレスはマックス。待合にいてどの検査部屋から呼ばれるかわからないので、全神経を呼ぶ声に集中させなければなりません。テレビの音と話し声が氾濫する中から呼ぶ声を聞き分けなくてはいけません。時には小さかったり高かったりと、わざと聞こえづらいように意地悪しているのかと疑ってしまいます。終わったころには、疲れがどっと出ています。だから何らかの障害を抱える人の不安に気づける社会であってほしいと願います。

 先の聴力検査にかわいい笑い話があります。子供が家に帰って、耳の検査があったことを家族に報告する場面。「耳の検査、なんていうんだっけ?ちょう…ちょう…」。聴力検査という言葉が出てこない様子。「あっ、超能力検査!」と言ってしまったのです。私も普通に聞こえる超能力が欲しいです。

 話は変わりますが、給食用の先割れスプーンを1本とると、波打つ感じに変形したスプーンに当たることがよくありました。1970年代の超能力ブームの真っ只中。誰もがスプーンの柄の根元をさすって、「念力」と言って必死に曲げようとしていた頃。全然曲がらないので、机の下で力任せに曲げてみたり…。今でも忘れないユリ・ゲラーの登場。「さぁ、皆さんも手元にスプーンをご用意ください」と言う司会者の声に促されて台所にスプーンを探しに立ち、ブラウン管の中から送られる念力で手元のスプーンも曲げようと唸っていた私。自分と同じくらいの年齢の清田少年があれよあれよとスプーン曲げを披露する場面も思い出します。ただ、念力だけでなく透視やUFO、ネッシーなどに人々が熱狂した時代。特集番組が数々放映されるなど社会現象にもなりました。今思うと、日本中がどうかしていたのかもしれません。超えられない壁に不安を募らせ、超常現象や超能力、未知の生命体の存在に希望を見出していたのかもしれません。

 自然災害や戦争などが絶えない世界に再び超能力ブームがやってくるかもしれません。いや、ブームの到来より戦争終結を念じます。

214 手作り(23.5.16)

 イングリッシュラベンダーの苗を数株買って鉢植えにしました。作業しながら漂うラベンダーの香りを楽しみます。心落ち着くいい香り~。ラベンダーというと、トイレの芳香剤や入浴剤をはじめアロマオイルに至るまで様々なところで使われます。花の盛期に剪定して束にして、ドライフラワーにすると一味違った楽しみ方ができます。富良野に代表されるようなラベンダー畑を見たいのですが、タイミングが合わずに足を運べていません。だから、小さな鉢植えでひっそり楽しみます。ドライフラワーといえば、アジサイも立派なものが出来上がります。種類によって向き不向きがあるようですが、家に飾られたアナベルのドライフラワーは自慢です。

 さて、秋におまつりが予定される学校はたくさんあります。的当てやヨーヨー釣りなどがあったり焼きそばや野菜販売がされたりして、まるで縁日のようなにぎわいをみせる場面もコロナ前には見かけました。総合的な学習が始まってすぐのころ、モノづくりと価格決定、販売などを学ぶために学年でまつりに出店したこともあります。売上金を募金するためのパンフレットや看板を作って、交代で呼び込みを行いました。大人が子供を楽しませる、あるいは大人と子供の交流をするなど目的は様々ですが、おまつりを学びの場にすることも工夫次第です。あるときは、有志の子供たちが開会式を演出しました。空気砲を作ってパフォーマンスをしたり協力団体や保護者に出店内容の30秒アピールをしてもらったり…。子供たちが創り出すことももっと行われてよいと考えています。

 例えば、昨年度人気だったバザー。でも今の時代、新品の提供品を相当数集めるのはとても難しいと思います。だったらフリマという形にすることも考えられます。子供たちが出店することだってできます。値段交渉したり、集まったお金を何に使うか事前に検討して目標を設定したり。フリマなら無理がなく、まさにSDGs?食べ物を扱うことや子供にお金を持参の可否を考えるより先に、その必要性を検討することも大事だと思うのです。ドライフラワーだって校庭の草花の押し花だって、きっと欲しい人がいるのでは?

213 休みなく働く(23.5.15)

 朝刊2紙が毎朝、校長室のテーブルに届けられます。見やすいような配慮をしてくれる男児もいます。外で安全指導をやって戻るとすでに届けられた後なので、なかなか新聞委員会の児童に会えません。学校に届けられる新聞は、市川市新聞協会の好意で無償配付してくださっているのです。ですから、隅から隅までというわけにはいきませんが時間があるときに目を走らせます。教室でも有効に活用してほしい学習材です。

 新聞は、土日もGWも正月も関係なく配達されます。月1回の休刊日以外ほぼ休みはありません。しかも朝早く、台風だろうが大雪だろうが配達されます。遅れたり届かなかったりすれば販売店に苦情が舞い込みます。大変な仕事だとつくづく感じます。この新聞が大幅な値上げです。これを機にやめようと考える家庭もあるかもしれません。

 9日の新聞に富里スイカの出荷が始まったとありました。ここ数年では最高の出来なのだとか。スーパーでは熊本産スイカを3千円程度で売っていますが、まだまだ手を出せる金額ではありません。もうしばらくの我慢です。だって、富里市でスイカ農家を営む友達がいて、毎年お中元の時期になると、スイカとトウモロコシを送ってくれるからです。これを毎年自分にとっての「初もの」にしています。例年より出荷が早いような気がしますので、もしかすると届くのが早まるかも…。ウシシシシ。

 5年生の社会科で米作り農家や野菜作り農家について苦労や工夫を学びます。3年生では梨作りについて学習します。こうした農家の仕事も1年中休みがありません。そして、よりよいものを作るための準備や工夫も怠らないはず。だから、昨年のような雹害ほか自然災害などの被害に見舞われないよう祈る日々なのかもしれません。

 学校職員の長時間労働や教員不足も話題になります。様々な業務改善を、各学校であるいは行政主導で行っていますが、子供たちを第一に考えると「これで大丈夫」といった線引きはなかなか難しいことがあります。実際、「もっと」「もうちょっとだけ」となりがち。気づくと22時、23時なんてことがあるようです。極度な心身疲労によりその人を取り巻く多の者が悲しむ事態にならないように気配り・目配りは欠かせません。保護者や地域の方々にも、教職員の勤務時間に関してご理解・ご協力を今一度お願いする次第です。

 みんなが忙しいにもかかわらず、校内のアジサイの無駄な枝などを剪定して回った先週。今年は雹にやられることなく、多くの人の心に潤いを与えてほしいなぁと思いながら。そんな今日は休刊日!

212 脚本家(23.5.12)

 4K、8Kの映像はビューティフォー!さらにこれが大型画面に映し出されると圧巻!そういう意味で大型電気店のテレビコーナーは魅力的です。ただ、とても小さな画面かつ粗い画質であっても、白黒テレビがカラーテレビになったときの喜びには及びません。

 さて、春の新ドラマが始まってひと月が経ちます。正直、ワクワクする番組は決して多くありませんが、時々「これはいいなぁ」と思ってエンディングまで見ていると、決まって知った脚本家の名前が登場します。過去に遡ると、「このドラマも、この人の脚本だったんだぁ」と思うこともあります。

 私の好きな脚本家は、例えば森下佳子さん。『義母と娘のブルース』『仁』『世界の中心で愛を叫ぶ』で有名ですが、25年のNHK大河ドラマ『べらぼう』を担当するようです。そして、中園ミホさんは『Doctor-X』『七人の秘書』『ハケンの品格』などで知られ、岡田惠和さんの作品には『虹色カルテ』『ひよっこ』『ビーチボーイズ』などがあります。最近では『ブラッシュアップライフ』などを手がけたバカリズムさんも好んで観ます。

 『大豆田とわ子と三人の元夫』『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』、古くは『東京ラブストーリー』などを手がけた坂元裕二さんが、春の褒章受章者に名を連ねていました。自分でも「『月9』、つまり月曜九時のドラマに鍛えられて育った」と語っています。今もトレンディードラマの作り手としての誇りをもって、新しいものを生み出すために挑戦を続けているそうです。

 

 2年前の日曜劇場『TOKYO MER~走る救急救命室~』も毎週観ていました。重大事故や災害・事件の現場に駆けつける大型のERカーも格好よいのです。GW前から映画が公開されていますが、映画では横浜ERカーも登場します。これが街中を走っていたらすごいだろうなぁと思っていると、6年生の子が「竹下通りで走っているのを見ました」と教えてくれました。羨まし~。というか、竹下通りなんて歩いたことのない私は田舎者?

211 おコメ(23.5.11)

 ランニングコースにある田圃に水が張られ始めました。代かきをしている水田もあり、もう少しすると田植えの季節です。風に吹かれて波立つ水面や苗など、これからの季節は素敵な風景が見放題です。

 二人だけの生活になると、時々買う米は5kg入りで十分です。好んで買うのが「ゆめぴりか」や「ミルキィクイーン」でしょうか。前者は、粘りが強く柔らかい食感が特徴で、ピリカはアイヌ語で「美しい」という意味。後者は、粘りが強くモチモチ感があって味や甘みが強い品種です。悲しいかな、私の舌では判別できません。日本で登録されている米の品種は、およそ900種類といわれ、そのうち食卓に並ぶような白米用に作られているのが約300種類なのだそうです。千葉県独自の品種では、「ふさこがね」や「ふさおとめ」、「粒すけ」が店頭に並んでいます。

 さて、落語家さんの名前に「米」の字が入った人がどれだけいるか調べてみると、名人と言われた桂米朝師匠ほか数名しか見当たりません。以前から落語家さんの噺を、演芸場に足を運んで生で聴いてみたいと思いながらも足が向きません。落語のテンポに耳がついていって聞き取れるかどうかが心配のタネだからです。聞こえなければ面白さは半減どころではありません。これは漫才も同様。ある日の新聞に、上方落語の桂文珍師匠の記事が載っていました。様々な新作落語に挑戦しているといいますが、「対話型AI」に関心を持って作品化へ動き出したとあります。「○○という古典落語を演じるための台本を書いて!」と話すと、数秒で文字が出てきたといいます。でも面白くもなんともなかったそうです。IT企業がこぞって力を注ぐ「チャットGPT」ですが、人間味がまだまだ描けないようです。そういった意味で学校は知識や情報をため込むだけの場ではなく、その使い方や想い、違いなどを人とのかかわりの中で大事に育てていく絶好の場なのだと考えます。

 今年度も算数科を通して、校内で研究を進めていきますが、友達や先生、自分との「対話」を大事にしながら学びを深めていきます。米作りに関しても、AIの進歩による品種改良や機械化ほか人の知恵を寄せ合って、もっとおいしくなっていくことを期待する食いしん坊です。

210 体を洗う(23.5.10)

 GWに入る前日の退勤後、駅に着くころになって水筒を忘れてきたことに気づきました。中には少量ですがお茶が残っていましたが、叱られる覚悟でそのまま帰宅。6日後の出勤時すぐにしたことは、お茶を捨てて水筒をすすぐことだったのは言うまでもありません。

 これから暑くなるにしたがって、水筒1本では水分が足りなくなるこれからの時期、楽しみなのが晴れた休日のお風呂タイムです。2階に風呂があってその外に坪庭が塀で囲まれています。人の目を気にする必要がないので、夕方の明るい時間に湯船に浸ると、窓を全開にします。窓から真っ青な空が見え、清々しい空気が入ってきて幸せな気分になります。ある日、体を洗うボディタオルが新品に変わっていました。これまで使っていたものが古くなってみすぼらしくなったからですが、新旧大きさの違いにびっくり!新品が110cm×25cmであるのに対し、使い古したものをごみ箱から拾って測ると75cm×12cmと、貧乏性丸出しです。当然泡立ちも柔らかさも全然違います。

 子供のころに風呂で使っていた「へちま」をふと思い出しました。使い始めは繊維が硬くてやすりのよう。皮膚に傷がつきそうでそ~っとこすります。使い進めていくうちにちょうどよい硬さになります。これで背中を洗ってあげたりもらったり…。理科の観察・実験では、現在はゴーヤを育てますが、一昔前はへちまでした。家でもへちまを育てて、手間暇かけてボディたわしにまでしていったことを思い出します。このへちま、アマゾンでは5百円から千円で買えるようです。今も愛用者がいる証拠です。

 親子が一緒に風呂に入っていられるのはほんの短い期間。だからこそ、背中を洗ったり湯船で泡をぶくぶくさせたり、おしゃべりしたりと今しかできないことをぜひ。

209 イチゴミルク(23.5.9)

 GW初日は、家族みんなが集まって自宅の駐車場でBBQ。天気がよくて暖かくて、昼間のビールは格別です。誕生日プレゼントをもらって嬉しい一日でした。孫二人は目が離せないので、小さなテントの中で放し飼い~。幼稚園に入園したばかりの孫からもプレゼントをもらいました。それは「風邪」。夕方頃には鼻水がひどく、翌日から2日間は微熱と咳によりベッドでゴロゴロ。折角の晴天がぁ…。

 さて、ジャム用の小粒が出回り、そろそろイチゴのシーズンも終わりを感じます。そしてこれからが家で栽培するイチゴが実る時期。花が終わって徐々に実が大きくなって、先日最初の一粒をいただきました。イチゴの苗を買うときに、「パックで買ったほうが安上がりだよ」と言われましたが、自分で育てたものを口にする喜びを味わうために丹精込めて…。低学年で育てるミニトマトだってきっと同じ。

 このイチゴ、先日は器の中でスプーンを使ってつぶして食べ、その翌日は練乳をかけていただきました。子供のころを思い出します。つぶしたイチゴに牛乳を混ぜ、最後に飲むイチゴミルクは格別でした。そういえば、イチゴをつぶすためのスプーンを全然見かけなくなりました。一方、食品をしっかり固定できたり、つぶしやすい形状だったりすることが支持されて、介護の現場や離乳食で利用されていると聞きます。給食だって先割れスプーンの時代は遠くなり、ほとんど箸になっています。

 あっ!ふと目をやると、校長室の棚に椀と箸が残ったままです。昨年度末、調理実習のお裾分けをもらったまま返却のタイミングを逃し…。もう一度洗って、こっそり家庭科室に戻しておくことにしましょうか。いや、こそこそせず…。

208 よい失敗、悪い失敗(23.5.8)

 連休最後の2日間が、台風並みの風と叩きつける雨で締めくくりとは…。そして一週間の始まりも大雨~。

 源孝志さんの小説『グレースの履歴』がドラマ化されて放映され、昨日最終回を迎えました。とても素敵な物語でした。その中で林遣都さん演ずる若者が、サミュエル・ベケットの名言を主人公に向けて送る場面があります。

 試してみた / 失敗した 

 それがどうしたというんだ 

 もう一度試せばいい! 

 もう一度失敗して 

 でも今度は、もっと上手に失敗するのだ

 勇気をもらえる言葉です。様々な要因が組み合わさって起きる失敗。落ち込んだり自分を責めてしまったり誰かのせいにしてみたり…。でも、そんな心をちょっと癒してくれる言葉はたくさんあるものです。「間違えたことのない人間は、何も新しいことをしなかった人間だ」(アルベルト・アインシュタイン)とか「成功することを学ぶには、まず失敗することを学ばねばならない」(マイケル・ジョーダン)、「失敗は回り道。行き止まりではない」(ジグ・ジグラー)など。

 日本の宇宙ベンチャーによる、民間初の月面着陸への挑戦が残念ながら失敗に終わりました。昨年の打ち上げから約4か月半。月面に到達する前に燃料切れで落下して、月面に衝突したらしいと報じられました。さぞかし落胆しているだろうと思いきや、来年以降にも予定している月着陸船打ち上げを見据えて、会見で代表が「データを獲得できているのは非常に大きな達成。成熟度を上げる作業に入る大きな一歩になった」と話しています。失敗により企業の株価が下がったと報じられますが、チャレンジャーとしての意欲の高まりとゴールを見据えた自信を感じました。

 さて、警視庁がまとめた「自転車乗車中の児童生徒の死傷者数」のグラフを目にしました。2018~22年の5年間の合計を見ると、6月が突出しています。これは小・中・高別にみても同様です。学校や通学に慣れた時期に、運転や意識が疎かになっていると言えそうです。自転車ヘルメット着用が努力義務となったことはここでも取り上げましたが、努力義務とは「被らなくてもよい」ということではありません。高校生や通勤の大人の着用者が確実に増えていることを感じます。恰好が悪いとか髪型が乱れるとかあるでしょうが、命には代えられません。自転車等の運転中の「失敗」はあってはならないものですし、「うまく失敗する」なんてあり得ません!

207 バンザーイ(23.5.2)

 ほぼ定時に退勤した日の夕方の電車。始発駅の車内の座席が次々と埋まります。後期高齢者と思しき3人が目の前に座っています。一人が教えながらスマホの設定でもしているようにも見えます。その隣が一人分空いています。そこへ小学生男児が腰を下ろそうとしたら、後から来た初老の男性が無言でその子をどけて、さも当然の如く座りました。どうも先に座っていた3人の仲間のようですが、目を疑う光景です。反対側に座っていたほかの人も唖然として、追い払われた小学生の行方をちらちらと見ていました。「年寄りだから譲ってくれない?」くらいの言葉があってもよさそうなもの。これって老害?いろいろな人がいるものです。

 さて、4月は市川市で2度の選挙・投票があり、全国でも各種選挙で新聞等を賑わせました。翌日のニュース番組では、当選した候補者が万歳をする画が映し出されます。そして、ふと違和感にとらわれます。誰もが肘をまっすぐにして手のひらを内側に向けて真上に手を挙げているからです。肘が多少曲がって手のひらが正面を向いたのが、私の中にある万歳です。手を上げるポーズ自体には、降参とかお手上げのイメージがありますから正式なやり方があるのかもしれません。でも、深く追究したくはありません。

 久しぶりに思い出したのが、早稲田大学のサークル「バンザイ同盟」。約800種類ものバンザイをもち、勢いと楽しさがウリ。そしてもう一つ。森昌子さんや桜田淳子さん、山口百恵さん、石野真子さんなどを輩出した『スター誕生』です。合格者が発表されるとバンザイで祝う番組のエンディングでしたが、全員失格だった場合のセリフ「バンザーイ、なしよ」は、萩本欽一さんの代表的なギャグの1つでした。これを知る人がどのくらいいるかなぁ?

 さぁ明日から5連休&誕生日。何をしようかな。とりあえず子供ゴコロに戻って、バンザーイ。

206 アジサイ(23.5.1)

 GW谷間、電車は空いていますし、首元の締め付けからも解放されました。

 4月後半から多くの店舗で「母の日」を意識した展示がされています。子供のころ、母の日にカーネーションをプレゼントしたかどうか覚えていませんが、アクセサリー的な小物をあげたことは記憶の片隅にあります。最近は、カーネーションよりもアジサイが主流になってきた気がします。そういえば去年、咲き始めていた学校のアジサイが雹によって全滅したことを思い出します。

 アジサイというと梅雨をイメージし、雨とセットで連想されます。絵を描いたり季節のイラストを見たりすると必ず登場するのが雨粒。さらにそこにカタツムリも登場するとピッタリ、と勝手に決め込んでいます。でも、アジサイの葉には毒があるため食べることができず、実際はカタツムリが近づくことは少ないようです。

 このアジサイ、古くから魔除けの効果があると信じられ、さらには病気を防ぐという言い伝えもあって、「6」が付く日に自宅にアジサイを吊るす習慣があったそうです。そうしたことから、随分と先ですが6月6日は「アジサイの日」となっています。また、アジサイ寺と呼ばれる名所が各地にあります。松戸の本土寺や鎌倉では明月院、長谷寺などがすぐに思い浮かびます。その鎌倉は、若かりし頃のデートスポット?ほかにもアジサイがきれいに咲く寺院がたくさんあるのは、昔は梅雨の時期に流行病で亡くなる人が多く、死者に供える花として考えられていたからという説があります。

 以前バラに凝っていた我が家の庭も、今はアジサイだらけ。私はそこに住む住職。これからの季節、大人も子供も体調管理をしっかりしたいものです。供花とならないように。いやいや、縁起でもない!

205 定食(23.4.28)

 運動会に向けた取り組みが少しずつ始まりました。今年度は組体操を取り入れる6年生は、体育館で技の説明やイメージづくり。使われる曲も紹介されていましたが、聞いたことのない曲。ただずっと昔、組体操を同僚と夜遅くまで話し合って構想していたころを懐かしく思い出します。使用する曲も車の中から何枚ものCDを持ち出して選曲。互いに折り合いをつけながら完成していく過程が楽しみでした。いざ練習になると、マイクを持って歌いながら…。職員室に戻ると、当時の教頭先生から下手くそな歌を褒められて(?)気をよくしていました。今思うと、そんな歌で演技する子供たちを褒めたのだろうと思い至り、恥ずかしさがこみ上げます。そう、今更です!

 さて、近隣のショッピングモールの鮮魚店には食事ができるコーナーがあり、休日は11時ころから行列ができます。刺身定食や煮つけ定食、焼き魚定食など様々。ボリュームがありそうですし食べてみたい気がします。このほかにも飲食店では、生姜焼き定食とか肉野菜炒め定食といったように「定食」を持ちます。私たちが色々な食べ物を楽しめると同時に、店側も食材の仕入れを安定させるためにも有効というか合理的なのでしょう。定食の始まりは江戸時代で、参勤交代の武士のために生まれたと言われます。ごはんと汁物、主菜、漬物がセットになったもので、現在と大差ないように思えます。

 何気なく使っている「定食」って?広辞苑には「食堂や料理屋などで、一定の献立によっていくつかの料理を取り合わせた食事」としかなく、略語であることはどこにも触れられていません。実は、「一定+食事献立」が略されて「定食」となったそうです。海外のコース料理とは異なる日本ならではの文化のようです。

 こんなふうに私たちが普段使う言葉の中には、実は略語が定着しているものは少なくありません。今書いているブログは、「ウェブログ」の略ですし、普段子供たちが使う教科書は「教科用図書」。切手が「切符手形」、軍手が「軍用手袋」、経済は「経世済民」であることはなかなか知られていません。まさか演歌が「演説歌」だなんて…。そのほか、オムニバス=バス、電動客車=電車、お鳴らし=おなら、クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ=ピアノなのだそうな。4月が終わります。

204 顔も見たくない(23.4.27)

 家の前で植物の手入れをしていると、一回りほど年の離れた男性から声をかけられました。「蜂須賀さん?」と尋ねるので、「はい」と答えると、「私もなんです」と言います。もしかすると、以前近所の医院の中待合で一緒になった人かもしれません。その方は近隣の団地にお住まいらしいのですが、少し前まで両隣が中川さんと齋藤さんだったと教えてくれました。偶然ですが、我が家も中川さんと齋藤さんに挟まれているので二人で驚いて、しばらく立ち話をしてしまいました。またお会いしましょう!通りすがりの人にでも挨拶すると、次からは会話が生まれてきます。

 逆に、どこであっても会いたくないのがG!家の中にG(ゴキブリ)を発見しようものなら大騒ぎ!「ギャー」「ヒェー」と叫びながら私を呼ぶ声が、補聴器がなくても耳にはっきりと届きます。自分で殺虫剤をかけたとしても、最後の始末は私の仕事。家の中で発生するのではなく、どうも屋外から侵入するようです。だから、玄関ドアやサッシを開けっ放しにすることを嫌がります。

 家でも学校でもブラックキャップのゴキブリ駆除品を見かけますが、元祖は家の形になった紙箱の『ゴキブリホイホイ』でしょう。手軽さが好評で高度成長期にヒットした商品ですが、今年で50年だといいます。発案者は、昔セミを捕獲するために粘着性のある樹皮などを使っていたことからヒントを得て試作品を作ったといいます。最初はうまくいきませんでしたが、ある社員がゴキブリの触角が粘着剤に触れることがないように、入口に傾斜を作って上らせることを提案したのです。これが市販化となります。ちなみに、当初は『ゴキブラー』という名称で発売予定だったようです。

 先日は昼過ぎにSOSメールを受信。玄関を出たすぐ先に大きな蛾がいて外に出られないと。夕方帰宅すると、薄いエメラルドグリーンできれいだけど手のひらサイズ!塵とりにお乗せして遠くへ行ってもらいました。

 子供たちも大人も苦手な生きものがきっとあるはず。私は「カエル」。ずっと以前、理科でアフリカツメガエルの解剖をやったときは、指導とはいえ、よく頑張ったと思い返しています。

203 汗をぬぐう(23.4.26)

 今年のGWは、5月1日と2日を休みにすると9連休となります。そうでなくても、コロナ制限が緩やかになった今年の人出は多くなることが予想されています。私の場合、コロナ第9波に備えて、自宅や近隣での遊びに留めようかと思います。

 ずっと先の予定になりますが、11月に6年生が日光方面へ修学旅行に出かけますが、見学場所のメインは東照宮。多くの方が足を運んだと思いますが、陽明門をくぐる前やそのあとも直径10センチ大のゴロゴロした丸石がたくさん敷き詰められています。歩きにくく、足をくじきそうで怖い!この日光東照宮では、「栗石返し」と呼ばれる伝統的な境内の清掃が行われるそうです。コロナの関係で今回は4年ぶりと言っていましたが、箒や熊手ではうまくいかないので、敷き詰められた「栗石」という玉石を一つ一つ手で動かしながら間に溜まった杉の葉やごみを掃き出していきます。350年以上前から続くこの伝統行事におよそ3千人が参加したといいます。そうした手作業が、あの環境を生み出していると思うと驚きであるとともに、歩き方も変わってきそうです。

 いろいろな作業がしやすい季節でありますが、しばらくすると額に汗がにじみます。普段家から駅まで、あるいは学校までの徒歩10分で、数度ハンカチで拭うことも…。でもあと数日で首元を締め付けるネクタイともおさらば!半年間のクールビズがやってきます。

 ところで、手洗いの際にも使うハンカチのしまい場所どこ?バッグの中?ズボン等のポケット?私はもっぱらスボンの左サイド。でも尻ポケットから顔をのぞかせているハンカチも見かけますし、上着だったりYシャツの胸ポケットだったりする場合もあります。どこが一番多いか気になりますが、残念ながらそれを調べたデータは見つかりません。子供たちに聞いてみようかなぁ。

 先週、50m走のタイムを計測する1年生と一緒にスーツのまま走りました。1本走り終わると子供たちが集まってきて、結局2往復4本。終いにはさっきまで砂を弄っていた多くの手が黒いズボンに触れているではありませんか。走った汗より、嬉しいながらも白くなりゆくズボンが気になって冷や汗…。すかさず左ポケットからハンカチが登場!

202 チックタック(23.4.25)

 「ボーっと生きてんじゃねーよ!」とチコちゃんではなく奥さんによく叱られます。食後に飲む薬を自分で一錠出したあと、別の薬入れを私の目の前に置いてくれます。食べ終わってからその容器を元の場所にしまうと、「ちゃんと薬を出したの?」と聞かれます。数分の間にもう忘れていました。冒頭のセリフに続いて、「自分で考えて行動する力=C」という評価を4月開始早々にいただきました。情けない!

 朝食を食べ終わってそのまま歯磨きに向かうと、洗面所近くで「ん?」「はい?」といった声とも言えない声がします。ごちそうさまをまだ聞いていないという催促。学校では、挨拶を重点目標の一つにしているというのに…。やっぱり情けない!

 話は変わりますが、自分の部屋に4つの腕時計を陳列してあります。その一つが、ずっと昔にお揃いで買った妻のもの。自分のものは息子に貸し出したらしばらくしてどこかに置き忘れてきたようで…(怒)。そのお詫びというか使わなくなって、息子からもらい受けたGショックが二つめ。三つめは、亡くなった父の時計が壊れそうだったのでプレゼントしたもの。そして十数年前に妻にねだって買ってもらった超高級時計。電波時計なので、未だどれも正確に時を刻んでいます。ここ数年、寝ている間もスマートウォッチを着けているため、宝の持ち腐れ状態。「売っちゃえば?」と言われますが、なかなか踏ん切りがつきません。

 我が家で最も長く時を刻んでいるのが、リビングのカッコウ時計です。娘が誕生したお祝いに当時のサッカー部の保護者からいただいた品。三十数年、ほとんど狂うことなく動き続けているのです。根気強さ、正確さ、責任感といった評価項目があったら、間違いなく「A」です!

 学校でも家庭でも社会でも時計のない世界を想像できませんが、あこがれも…。

201 名曲オンパレード(23.4.24)

 自分専用のステレオを買ったのは高校生のころ。今のようなコンパクトなステレオではありません。部屋の一角にデンと居座る大きさですが、下段にレコードを立てて収納できました。最初に買ったのは甲斐バンドの『バス通り』が収録されたLP盤でした。新しいアルバムが出るとすぐに買うほど夢中になりました。歌詞カードとにらめっこしながら歌っていましたから、今でも空で歌える歌がたくさんあります。では、「NSP」「風」「ふきのとう」と聞いて何のことかわかる人はどれだけいるでしょう。「チューリップ」を加えれば…、そう70年代のフォークグループ。かつ私のレコード所有リストの一部です。その後1979年、『ひとり咲き』を収録したチャゲアスのアルバムにするか、『大都会』が大ヒットしたクリスタルキングにするか店内で迷いに迷った記憶があります。ともにデビュー曲でしたが、結局クリスタルキングに軍配は上がったのです。何十枚もあったLPは処分したのだっけ?その記憶すら曖昧になるほど年月が経ってしまいました。

 先日亡くなった坂本龍一さん。イエロー・マジック・オーケストラとしても個人でも有名でした。忌野清志郎さんと歌った『い・け・な・いルージュマジック』も懐かしい。これは、春の化粧品ソングとしてヒットした曲です。このほかにも『春先小紅』(矢野顕子)や『マイ・ピュア・レディ』(尾崎亜美)、『う、ふ、ふ、ふ』(EPO)、『Rock’n Rouge』(松田聖子)、『君は薔薇より美しい』(布施明)など有名な化粧品ソングはたくさんありますし、モデルも素敵でした。知っているかなぁ?知らないだろうなぁという曲が、ゴダイゴの『僕のサラダガール』。『モンキーマジック』や『銀河鉄道999』で一躍有名になりましたが、そのずっと前からアルバムを買って擦り切れるほど聴いたのがゴダイゴですし、この曲でした。

 親世代だって知らない人や興味のない人には、この語り尽くせない懐かしい気持ちは伝わらないことは百も承知。いやぁ満足満足、自己満足!ただ、子供たちって私が思う以上に昔の歌も知っているから不思議です。

200 そろそろ疲れが?(23.4.21)

 庭の入り口に立つと、上から憎きカメムシが1匹落ちてきました。即退治!ほかの植物に触れたようで、今度は足元に茶色の3~4cm大のイモムシがぽとり。もう終わりに近づいたビオラやユキヤナギの新芽に緑色のアブラムシが見られます。ヤマモミジの葉には黒っぽいアブラムシがびっしり付いているではありませんか。虫たちも活動を始めました。でも、このままにはしておけません。そんなアブラムシを横目に、「アブラムシの子供は7人の子~一人はノッポであとはチビ~♪」とキャンプファイヤーでお馴染みの歌が、いつもながら頭の中で流れます。少ししてから、アブラムシじゃなくて「アブラハム」であることに気づきました。声にしなくてよかったと胸をなでおろします。

 新学期が始まって2週間が過ぎます。新規採用者も含めて老若関係なく、子供たちを支えていくために一生懸命がんばっています。学年での話し合いも活発で、声をかけるのも躊躇してしまうくらいに。子供たちも同様で、もしかするとスタートから飛ばしすぎと思われる場面を見かけることはないでしょうか?子供も教職員も保護者も、まずはGWまでが一区切り。様々な出合(会)いを楽しいと思えることが大事。

 さて、ネット上で見つけた嘘のような本当の話にびっくり。1年前に教員になった先生が生徒から、「学校に来たくない」と相談を受けたそうです。すると、その生徒の目の前で「生徒に学校に来たくないと言われたら」と入力・検索をしたといいます。さらには、画面に表示された文字を生徒に向かって読み上げたとか。さすがにベテランの教員も黙っていられずに注意をすると、「ふざけているわけじゃなく、どうすればよいかわからないときに調べることのどこが悪いのですか」と逆ギレされたようです。

 ご安心ください。平田小にはそうした教職員はいませんし、困ったときにはお互い聞ける雰囲気が育っていますから。子供を取り巻く保護者や地域の方も、わからないことを直接尋ねられる学校・教職員でありたいと思います。

199 待つわ(23.4.20)

 衆議院議員補欠選挙及び市川市議会議員選挙の投票日が迫り、街頭演説にも熱がはいります。対立候補の選挙カーがすれ違う時って、バチバチって火花が散る音でもするのでしょうか。それとも、ニアミスを避ける申し合わせがあるとか?そんな選挙カーはあちこちを走りますし、声が結構響きます。ですから、天候が急変した場合「洗濯物を外に干している皆様、雨が降ってまいりました」なんて知らせてくれたら粋じゃありません?一票につながるかどうかは別にして、そんな気遣いがあったらよいかも。

 さて、新聞の紙面に、『行列に並びますか?』という見出しの記事がありました。コンサートやスポーツ・イベント会場、遊園地のアトラクションなど、様々なシチュエーションが考えられます。私も息子が小学生のころ、ワールドホビーフェアに何度も付き添わされて、幕張メッセなどで長蛇の列に並びました。やっと会場内に入れたと思うと、息子は好きなブースへどんどん進んでいきます。だから次の困苦は、人混みの中を見失わないように付いていくこと。おかげで帰るころにはどっと疲れ果てていた思い出しかありません。

 人気の飲食店にも行列ができますが、私は並んでまで食べたいと思わず、比較的空いている店を探すタイプ。行列に耐えられる時間は「30分未満」が6割、「1時間未満」が3割弱。「3時間以上」と回答する人が4%もいることには驚きです。道路渋滞も遠回りであっても回避したくなります。前を走っていた車より先回りできた時には、心の中でガッツポーズ!プチ勝利の気分に浸る、度量の小さい私です。そうそう、ナビが「渋滞考慮オート・リルートを設定しました」という音声を、「おとりルート」と聞き違えた人は誰だったか。

 候補者が開票作業を待つ時間も長く感じられるのでしょう。行列の待ち時間なんて比にもならない? ♪わたし待~つ~わ~♪

198 あれば便利、でも…(23.4.19)

 中国大陸からの黄砂の情報が時々聞かれます。目のかゆみやアレルギー症状、気管支ぜんそくなど呼吸器疾患の悪化も心配されています。また日常生活では、洗濯物への付着や車に与える影響に注意喚起されます。大量の花粉が飛ぶ時期も車は黄色に塗り替えられたようになり、簡単な水洗いでは除去できないくらいにこびりつきます。ですから、クルマ好きの私は洗車傷を心配し、高圧洗浄機に接続して使える泡洗車用具の購入を真剣に検討。ただこれは、「あると便利」だけど「なくても困らない」ものに該当。つまり、物が増える原因になってしまい、不要なものを少しずつ減らしている我が家の流れに逆行なのです。う~ん、悩ましい。

 さて、コロナ拡大以来、スマホでポチッと商品を注文することが多くなったような気がします。前述のようにクルマ関連の用品が多いのですが、夕方に注文しても翌日には配達されることもざらにあります。日ごろから宅配の運転手が荷物を抱えて走っている姿もよく目にしますし、遅い時間帯や祝休日にもかかわらず配達する姿には頭が下がります。実働何時間なのでしょうか。だから、再配達なんてことにならないように、期日・時間指定をするようにして協力しているつもりです。

 物流における「2024年問題」が話題にされることがあります。働き方改革関連法により来年の4月以降、自動車運転業務の年間時間外労働時間の上限が制限されることによって引き起こされる問題のことで、宅配便など長時間労働の慢性化という課題解決のためです。しかし問題は、運送・物流業者の利益減少が挙げられ、ドライバーの収入減も懸念材料。これによって労働力不足に拍車がかかり、商品到着までの期間が延びるなんていうのは些細なことで、私たちの生活全体に様々な影響が出そうです。

 なくても困らないものを増やさないことが、この社会問題に有効かどうかはわかりませんが、学校でも「あると便利」で購入した物が、資料室や準備室で梱包されたまま鎮座するなんて姿を目にすることもあります。下手すると、何年もそのままであること自体職員が知らないなどという場合だって…。

197 感性を磨く(23.4.18)

 これまで木々の新芽が芽吹き、新緑がきれいだと思うのは5月前後だったはず。時候の挨拶でよく使われる「新緑の候」は若葉がみずみずしい時候を表し、東京近郊では5月全般で使用されます。でも、今年は4月前半できれいな新緑が見られます。もしかすると5月には「深緑」かも。調べてみると、“「深緑」は6月中に使うのが正しく、夏の季語です”とあります。こんなことを1年間に当てはめてみると、時候の挨拶の活用時季の見直しが必要になってくるのではないかと思います。

 さて、少し前に、重松清さんの『ひこばえ』を読みました。主人公とその父親との思い出の一つに、狭い湯船に二人で浸かっていた場面があります。父親が両手に持ったタオルをパラシュートのようにして空気を巻き込んで泡を発生させる様子が描かれます。私自身の風呂の記憶にも焼き付いています。ただ、やってもらったものか我が子にやっていたものかは定かではありません。また、ビールの王冠を使ってバッジを父親に作ってもらったことも書かれています。昔のビールの蓋の裏にはコルクがあって、それを丁寧に外して服の裏側から外したコルクを当て直すと王冠バッジの出来上がり!何種類かのビールの王冠を集めてバッジを作ったことが懐かしい。決して特別ではないことにわくわくしたものです。

 ちなみに、瓶ビールの蓋には複数のひだがあります。このひだで栓を締めているのですが、その数は21個。しかも世界共通だとか。力学的には3の倍数で支えると安定するのだそうですが、21が弱すぎず強すぎず丁度よいので定着したといいます。初めて知りました。

 たとえ季節の変化が早まっても、体中のすべてで受け止める感性を磨いたり、身の回りの様々なことに不思議を感じたりしながら、いつもワクワクしている大人でいたいと思います。そんな大人が、子供のワクワクを伸ばせるような気がしてなりません。

196 せんせい、あのね(23.4.17)

 昨晩はすごい雷雨。眠っているはずのに、稲光のたびに瞼の裏がまぶしくて目を覚ましました。

 さて、先週は身体計測が行われました。急に背が高くなった子、がっしりした体格になった子、緩やかに成長をしていく子など様々です。でも、昨年に比べて体重がガクンと減っているようだと要注意。私の場合、出勤前に着替えをしていると、上裸を見ながら「その倍くらいだなぁ」と呟く声。「自分のおなかのこと?」と聞き返すと、「ううん、大谷翔平君!幅も厚みも…」とのお答え。筋肉が削げ落ちてどんどん貧弱になっていくわが身にぐさりと刺さります。

 先日、ふとしたことから教員になって4~5年目にクラスで取り組ませた自主学習ノートのことを思い出しました。「紙の塔」という名称でした。一日たった1ページであっても、毎日積み重ねていけばそれなりの厚みとなり高さになっていくから「めざせ!塔のレベル」と言いながら始めたものです。漢字や計算練習に始まり、日記や気になったことの調べ学習など多岐にわたりました。毎日提出する子もいれば1週間に一度のペースの子もいたように思います。その日に提出された内容にコメントを書いて、いいなぁと思うものを印刷して全員に配付。年度末には、それらを冊子にして作品集として渡しました。自宅の本棚に保管してありましたが、今は行方不明!改めて読み直してみたくなりました。

 私が小学4年生の時の担任は、伊藤先生という女性。日記を毎日提出して、それを印刷して帰りの会で配ってくれたのです。半世紀以上前ですから印刷するのは簡単ではありません。私が教員になった頃ですら、刷り上げるまでに幾工程もあって時間がかかりました。今のように、休み時間にプリントを印刷するなんて夢のような時代でしたから…。この伊藤先生も子供たちが書いた作文を鉄筆などで書き写して、謄写版でわら半紙に印刷してくれたわけです。今思うと頭が下がります。

 1年生は今日から給食が始まりますが、登校後の支度に個別対応でてんやわんや。でも、ひらがなの学習を終えたころになると、「せんせい、あのね」で始まる日記を綴ることがあります。初々しい子供たちの「あのね」に続く言葉が今から楽しみでなりません。そのほかの学年でも、自由学習ノートを作って家庭学習に取り組む子が少しでも増えてくれたらいいなぁ。もし「校長先生、あのね」帳で交換日記してくれる子がいたら、私も張り切っちゃいます。

195 心動く(23.4.14)

 駅から学校へ向かう途中、ジャスミンの香りが漂ってきます。どこだどこだと人目を気にしながらキョロキョロ。見つけて気持ちが落ち着いた不思議な感覚です。

 4月1日早朝から所用で仙台へ出かけました。常磐道で約4時間半。途中の福島県では、道路脇に放射線量を示す掲示板の数値や景色などに、原発事故がまだ終わっていないことを改めて感じました。仙台で1泊した翌日は、震災遺構に指定されている仙台市立荒浜小学校を訪ねました。100mも歩けば砂浜に出られるような場所にありますが、ここでは津波の怖さを実感しました。2階でも大人の膝近くまで浸った跡が残ります。屋上から周囲を見渡すと、未だ人の生活している様子は見られません。そして、流されなかった松の木がまばらに残っています。校舎内に設置された掲示には、次のようにありました。

 

 地震発生時、1~3年生は下校途中で、4年生以上が校舎で授業中でした。地震がおさまってから、児童・教職員を4階に避難させました。1階昇降口で、地域の人に3,4階への避難を呼びかけていると、「すぐそこまで津波が来ている。早く上がれ!」という声をかけられ、急いで上階に逃げました。しばらくすると2階東側のドアからは、静かに水が流れてきました。そのうち、ガラスを破って瓦礫と一緒に水が勢いよく流れ込んできました。同じ頃、教職員の誘導によって、住民を屋上へ避難させました。当日は吹雪。落ち着いてきてから、3階や4階へ移動してもらい休んでもらいました。小学校への避難者数は、児童71人、地域住民233人、教職員16人の320人でした。17時30分頃、救助のヘリが来ました。(以下省略)

 

 全員救助されたと結んでありますが、読んでいるうちにドキドキしてくるのが自分でもわかります。その後、津波が押し寄せた海岸まで足を運ぶと、信じられないくらい穏やかです。ただ途中、放置された鉄柵に書かれた、「親愛なる日常」という文字に目が釘付けになります。安穏としている心に突き刺さる文字。映像を見たり話を聞いたりすることも大切ですが、実際に目にすることで実感できること、心動くことってあります。そんな貴重な時間を学校でも子供たちに用意し、心を揺さぶる本物体験を…と考えています。

 そう言いながらも、やっぱり牛タンをお土産に買って帰ればよかったと悔やむ私は、まだまだ未熟者!

194 ヘルメット(23.4.13)

 我が家の近くに中学校があります。学区が広いので、自転車通学の生徒がたくさんいます。自転車置き場が整備され、生徒は避難訓練で使用するタイプの白ヘルメットを被ります。下校時には校門に立って安全指導をする職員の姿を見かけることもあります。田舎なのでしょうが、万一事故に遭ったときはヘルメットの有無が生死を分けますから…。そんな私も自分用のヘルメットを持っています。頭は天然ヘルメットのように見えますが、それではありません。クロスバイクに乗っていた時のもので、サドルに座った尻が痛くならないパッド付インナーパンツとともに必要不可欠なアイテムでした。

 さて、今年4月1日から道路交通法の改正により、自転車に乗車する時のヘルメット着用が「努力義務化」されました。交通事故の発生件数自体は減少しているようですが、すべての交通事故における自転車事故が占める割合は年々増え続けているといいます。警視庁のデータでは、事故時のヘルメット未着用は着用していた人に比べて2.2倍の致死率であり、亡くなった人の6割が頭部損傷ということもわかっています。つい先日も、京都府のサイクリングロードで自転車同士が正面衝突して、ヘルメットを着用していなかった1名が亡くなっています。

 ヘルメットを着ければ絶対に大丈夫というわけではありません。ルールを守り、危険回避が第一ですが、頭部を守るという意識は誰もが持ち合わせたいと思います。ヘルメットが普及するには、降車後の扱いが課題になりそうです。スポーツバイクに乗る人は収納場所のあるリュックを活用する場合があります。「これなら被ってもいいかな」と思えるような、SGマーク付帽子型のヘルメットもあるようです。少し前に学校近くで見かけた小学生は、ヘルメットを被って運転していました。「ひらたっ子の生活」の中にもヘルメット着用の下りがありますから、うちの子かなぁ?

 ところで、仮面ライダーは仮面自体がヘルメット?だったらバッタの仮面を外すと、本郷猛や一文字隼人の顔がそこにはあるのでしょうか?

193 進学した「君」へ(23.4.12)

 マイカーの後部座席には、大きなスヌーピーが鎮座しています。安全のためにシートベルトもしっかり締めています。座高が足りず、そのままでは首にベルトが当たるので、クッションも敷いています。私自身、乗ったらすぐシートベルトを着用します。取り締まりがあるからとか警察官につかまるからといった理由ではなく、自動車に乗ったらシートベルトを締めるのが習慣に。数十年前の自分からは考えられないことです。逆に、シートベルトをしない子供が車内で動き回っていたり、助手席で親が乳幼児を抱きかかえていたりする姿を見ると心配になります。

 バスで校外学習に出かけるときも、子供たちは自然とベルトを締めています。だから、昔のように席を移動したり後ろの席を向いたりする姿を担任が頻繁に注意する場面はなくなったように思います。

 今日は、市川市公立中学校の入学式です。第八中学校にはメッセージを送りましたが、私立を含めて違う中学校へ進学した子供たちもいるので、この場を借りて掲載します。見てもらえて、少しでもこの想いが届いたらうれしいなぁ。

 1年生の皆さん、入学おめでとうございます。卒業式で皆さんに、「失敗する勇気」「間違う勇気」をもって挑戦してほしいと話しました。中学校では、これまで以上に活躍できる場面がたくさんあるはずです。だからこそ欲張らず、自分の気持ちに正直であってください。そして、間違えたと気づいたときは、「引き返す勇気」も必要です。

 さて、私が少し前からウクレレで練習している曲があります。難しいのでなかなか先に進みませんが、秦基博さんの『ひまわりの約束』という曲です。ドラえもんの映画『STAND BY ME』の主題歌でしたから、皆さんも耳にしたことがあると思います。歌詞の中には、「僕」と「君」が登場します。この「君」は、大切な友だちかも知れませんし、親、兄弟、恋人など、長く一緒にいる大切な存在なのかもしれません。また、日常を「ガラクタ」と、そしてその中で育まれる人間関係を「宝物」と表現しています。

 一人一人が鮮やかな毎日を過ごすために、大切な人・宝物を増やし、優しく温めていってください。そして、自分の思いをしっかりと「君」に届けられる大人になってほしいと願っています。今のあなたにとって『君』は誰ですか?皆さんの素敵な出会いを応援していますね。

  君に幸あれ!

192 スイッチON(23.4.11)

 今日は入学式です。75名の新入生がどんな姿を見せてくれるか楽しみです。明日から見守り等でお世話になる学校運営協議会の皆さんにも参加していただきます。昨年度は巻物にした絵を使って、「たんぽぽの根」の話をしました。1年生やたんぽぽ学級があった廊下に1年間貼っておいてくれました。今日は、梅田俊作さんの絵本『がまんだ がまんだ うんちっち』を読み聞かせする予定です。これについては、来週発行予定の学校だより第3号で触れたいと思います。

 さて、一昔前に個別指導の学習塾のCM。子供の頭上でやる気のスイッチが入る映像だったように記憶しています。この「やる気スイッチ」は勉強でもそれ以外でも大事にしたいもの。そこで先週の始業式では、東井義雄さんの『心のスイッチ』という詩を読みました。夢に向かってチャレンジしていくためのスイッチは誰かが押すこともできますが、自らスイッチを押してくださいと呼びかけました。そして、スイッチを入れたら次は自分の足で歩きだすこと、行動することが大事だと。焦らず、一歩一歩自分のペースで歩き続けてほしいと思います。一方私たち大人は、子供たちの無限の可能性を少しでも引き出すための支援を心がけていきたいと思います。子供の行動を先取りしてしまわず、我慢して待つことも大事です。先取りされると、子供は必ずこう言います。「あ~、今やろうと思ったのに~」と。私もその天邪鬼のひとり!単に反発したいだけなのですが…。

 1年生はいろいろな所にスイッチを隠しているかもしれません。見つけ出してあげること、気づかせてあげることは大人の役目。今日はそのスタートです!

191 願いを実現する政治(23.4.10)

 3月後半からテレビ番組再編成の時期です。今週から春の新ドラマが始まりますが、それまでの間、撮り貯めていた草薙剛さん主演『罠の戦争』を観ました。代議士の秘書が国会議員となっていく中で様々な陰謀や罠が張り巡らされます。何が本当なのかわからない、きれいとは言えない世界を垣間見たような思いです。実際の政治の世界もきっと似たようなものかもしれないと考えると悲しくなります。

 さて、昨日は千葉県議会議員選挙の投票日でした。有権者として夕方、一票を投じてきました。選挙のたびに投票率の低迷が取り沙汰されますが、今回はどうだったのでしょうか。2週間後には市議会議員選挙が控えます。街頭での演説が聞こえてきても、選挙区が違ったり市川市民でなかったりする私は、申し訳ない気持ちでスルー。ただ、選挙が近い時だけ駅前に立って手を振ったり政策をアピールしたりするのではなく、普段から身近に感じられる存在であってほしいと地域関係なく願っています。

 先日のニュースで、フィンランドの選挙候補者の1割が18~29歳であると報じていました。候補者の年齢層が高く、比較的若くても40代位という日本とは大違いです。また、議員の40%以上(日本は15%強)が女性だといいます。さらに、若者の政治参加と関心の高さには目を見張ります。

 先週、子ども家庭庁で行われた、13人の子ども記者(小6と中1)による政策担当相の記者会見。性別と制服の関係や賃金の性別格差是正、子ども家庭庁のPR方法などについて質疑が行われたといいます。昨日の天声人語によると、会見では「選挙のためのアピールでなく、私たちが大人になるまで続きますか」という鋭い質問もあったようです。

 今後、政治を身近にとらえられるような授業や取り組みが一層大事になります。社会や政治に携わる者の工夫もまた然り。私たちも子供たちも関心が自然と高まる試みをあちこちから!

190 失敗する勇気(23.4.7)

 3月下旬、某百貨店のトイレや高速道路のSAではジェットタオルが復活していることに気づきました。感染防止策として、一気に使用停止が進みましたが、ガイドラインにある「利用停止」の項目を経団連が削除したのは2年も前のこと。そもそも世界の主要国では、新型コロナ拡大後もジェットタオルを使用禁止にしてはいなかったようです。いずれにしても、これまでの3年間とは少し違った始業式を迎えられます。手洗いや換気はしっかり行いながら、令和5年度の教育活動を進めていきます。

 さて新年度のスタートは、子供も大人も新たな気持ちで臨むとともに緊張します。特に転入児童やその保護者、そして新しく平田小にやってきた職員も同じです。何回異動を経験しても慣れるものではありません。新規採用者にとってはなおさらです。完全アウェーの雰囲気の中に身を置きます。そんな時にさりげなく声をかけてもらえることがどれほど安心感につながることか。

 教室を見て回りましたが、学級の子供たちを迎え入れるための準備が整っていますし、温かなメッセージも見られます。子供たちの目の輝きが1年後にはもっと眩しく感じられるように、職員一同努めていきます。私自身、苦しい時や辛いときに助けてくださったのは保護者の方々でした。だから、教員を支え育て、学校を盛り立てていくのは、保護者や地域の方々のバックアップがあってこそ。挑戦をすれば、失敗することだってあります。それを論(あげつら)うか、見て見ぬふりをするか、克服のための方策を一緒に考えるか。

 昨年度、職員室前に掲示した2枚のメッセージ。今も貼ってあるのは「“ありがとう”を口ぐせに」ですが、その前には「失敗しなかった一日は、何もしなかった一日だ」という言葉。年度末に異動をした佐塚先生の言った「見逃し三振より、空振り三振」もやらずに悔やむより挑戦することに意義を見出しているものです。

 一日の終わりに、「今日は何かあったっけ?」なんて思い出せないような日がないように、今年度も学校に関わる皆さんの力強いバックアップを支えに前向きな挑戦をしていきます。よろしくお願いします。

189 出会いと別れ(3/24)

 54年にわたりタラちゃんの声を担当していた故 貴家堂子さんに代わり、2代目タラちゃんは声優の愛河里花子さん。「初代タラちゃんの声は今日で最後だよ」と言われたのに番組を見逃したのはいつだったか。そのあとちらりと見ましたが、代わったことに気づきませんし、新しい出会いに違和感がありません。『サザエさん』一家は、徐々に声優交代がされてきましたが、すぐにその声が当たり前に感じられるようになります。慣れって怖い!ちなみに、サザエさんには日本一有名といっても過言ではないペットが登場します。「タマ」です。この声をエンディングで探しますが出てきません。数十年にわたって変わらぬ声で鳴き続けているように聞こえますから、まさにミステリー?

 つい最近まで観ていた広瀬すず・永瀬廉主演のドラマ『夕暮れに手をつなぐ』で、「Don’t remember days. Remember moments」というコレクションテーマがありました。訳すと、「日々ではなく、瞬間を思い出して」となるでしょうか。多くの人と私の出会いは、面や線、流れの中ではなく、瞬間や点、瞬きであり、その時々の集合体の中で自分が生かされてきたのではないかと思ってしまいます。

 今日は、今年度末をもって退職あるいは異動する多くの職員の離任式があります。異動先を含めて、本日発行の学校だより(HP掲載なし)では写真入りでお伝えします。たとえ1年間であっても一緒に力を合わせた人との別れは寂しいものがあります。「出会いは偶然、別れは必然」という言葉がありますが、私たちは「縁」で結びつながっています。子供たちも同じ。あの日あの瞬間を思い出し、ほっこりした気持ちになれる時間を共有したいと思います。

 さて、WBC日本代表の「ペッパーミル・パフォーマンス」を選抜高校野球に出場したチームが喜びの表現としてやったところ、審判から注意を受けました。高野連もそれを尊重しています。歯止めが利かなくなる恐れはありますが、受け止める度量や柔軟さも忘れないでいたいものです…なんて、勝手気ままに綴ってきたこのページも今日でおしまい。1年間ありがとうございました。

188 世界で一番(3/23)

 緑門で登校時の挨拶をしていると、歩道橋を下りて真っ直ぐこちらへ向かってくる下学年女児がいます。私の前にきて止まったと思うと帽子を脱いでお辞儀をしてくれます。まるで修身の教科書をみるようですが嬉しくなります。

  嬉しいといえば、WBCの優勝!最終回は大谷選手がマウンドに上がりましたし、準決勝のメキシコ戦の9回裏逆転サヨナラも強烈なインパクトを与えてくれました。

 さて、話は逸れますが、以下は海外の求人広告です。多少言葉を変えて紹介しますが、どんな職種でしょう?

 職  種:Director of Operation(現場総監督)

 勤務時間:基本24時間(135時間以上/週7日) いつ呼び出されても対応可能であること

 休  憩:ほとんどなし(食事や睡眠の時間を確保できない時もあり)

 必須能力:交際力・交渉力・医学・栄養学・金融学・忍耐力

 特  徴:①複数のプロジェクトを担う ②立ち仕事で体力を使う仕事が多い  ③常に周囲に注意を払う必要がある

 給  与:0円(完全無給のボランティア的感じ) 職に就いた最初の年は、年収3千万円相当に匹敵する仕事量

 そ の 他:①休日やクリスマス、正月は仕事が増える ②この条件で仕事を経験した人は、数十億人いる

 これは、「世界で一番過酷な仕事」と書かれた求人広告の内容で、ビデオチャット面接を実施した様子が動画になっています。実は、グリーティングカードのメーカーが撮影するために設けたフェイクの面接。語られる労働条件に呆れる人ばかりですが、その仕事が「お母さん」だと知ったときの表情が印象的です。 私自身、母に対して、そして口喧嘩をしても弁当を持たせてくれる妻に、改めて感謝の気持ちです。「母の日」にだけ感謝の言葉や花を贈るのではなく、今年度の「ありがとう」を、今この瞬間の「ありがとう」の気持ちをきちんと伝え合いたいとは思いませんか。

187 バタフライ効果(3/22)

 「風が吹けば桶屋が儲かる」という諺があります。あることによって、直接因果関係がなさそうな意外なところに影響が出ること、つまり当てにできそうにないことを期待するたとえに使用されます。

 風が吹けば埃が立つ ⇒ 埃が目に入って失明する人が現れる ⇒ 眼が見えなくなったので三味線で生計を立てる ⇒ 三味線を作るための猫の皮が必要になる ⇒ 猫が減ってネズミが増える ⇒ 増えたネズミが桶をかじる ⇒ 桶の需要が高くなって桶屋が儲かる、という流れだったように思います。こじつけというか強引な感じがしますが、一見関係ないことでも物事が連鎖して、思いもしないところに波及することを言い伝えています。

 これに近いものに「バタフライ効果」があります。ブラジルでの蝶の羽ばたきが、遠方のテキサスに竜巻を引き起こすかという気象学者の演題に由来するようです。「些細な出来事が、のちの大きな出来事のきっかけになる」という意味で使われますので、先の諺とは多少ニュアンスが異なりますが…。「自分一人では何もできない」と悲観するより、ちっぽけだと思われる個人の力でも、もしかしたら自治体や国家を変えることができるかもしれないと受け止めるくらいの気概を持ちたいものです。そこまで壮大でなくても、「自分が行動することで、周囲も変わっていくはずだ」と思い続けたいと思います。ふと「先ず隗より始めよ」なんて言葉を思い出しました。あれは高校の漢文だったか古文だったか?

 ところで、「寿司テロ」とも言われる迷惑行為は今に始まったことではありませんが、SNS上に流して喜ぶ輩は後を絶ちません。また、線路に向かってパイロンをつなぐバーを投げて、「♯やり投げ大会」といって衆目を集める行為なども理解に苦しみますし、好き勝手なことをやっている姿を煽る人も少なくないのは残念でなりません。こうした負の連鎖が大きな事件や事故につながらないこと、平穏な生活への悪影響にならないことを祈ります。少なくともいま目の前にいる子供たちが今後、こうしたことを平然とやってのける人にならないように多くの目で見守り、声をかけていきたいと思います。

186 あっ、こんなところに(3/20)

 父や私が収集していた切手帳の整理をしました。その切手帳に懐かしくも金銭的な価値はないものを2つ見つけたのです。今となっては捨てるのは忍びない。

  その1つは、ロッテの板ガムの包み紙です。コーヒーガムやイヴ、ローラなど蒼々たるメンバーです。見たこともない種類があるかもしれません。最近は、「ガムを噛む」という習慣がほぼなくなりましたし、ガムは手軽に買えて、リフレッシュ効果だったり生活に潤いを与えてくれたりする代表格だったのは一昔前のこと。ここ20年でチューインガムの生産量は6割減にもなるといいます。粒ガム主流となったあとから、板ガムを目にすること自体なくなったように思います。そんな中、(株)明治がガム事業から撤退するようです。

 眠気覚ましや口臭ケア等を謳ったガムもありましたが、「ガム離れ」が進んだ要因は何でしょうか。おそらく最大の欠点は、噛んだ後のゴミが口に残り、捨て場に困ることだと思います。だから、ガムに代わってタブレットやグミ、エナジードリンクに移行した人はきっと多いでしょう。包み紙やティッシュがないからとガムを路上に吐き捨てる人がいたのも事実。靴の裏にガムが付いた経験のある人だって少なくないはずです。そういえばここ何年も、ガムを踏んでしまって沈んだ気持ちになることはないような…。

 そしてもう一つが切符と高校・大学の通学定期。切符に関しては、高尾登山電鉄や筑波山ロープウェーに始まり、「S50.1.1愛国駅から幸福ゆき」の切符ほか様々です。ただ「JR」ではなく「国鉄線」とあり、切符鋏が入れられていますから歴史を感じます。なんでこんな物をとっておいたのかはわかりませんが、個人的には希少価値いっぱい。

 思いがけないところから懐かしいものを発見する機会に恵まれるのは、整理整頓をする年度替わりの今。そんなことを思っていたら、今年度のスケジュール帳の1ページ目に、4月に児童からプレゼントされた四つ葉のクローバーが貼られていたのを見つけて、改めて嬉しさが込み上げてきました。児童登校もあと4日!

185 卒業の朝に想う(3/17)

 最近、にわかベースボールファンが我が家のテレビの前に陣取っています。ワールドベースボールクラシック(WBC)を観るためというか、大谷翔平選手を応援するためです。その大谷選手やダルビッシュ、村上宗隆選手、佐々木朗希選手など、話題性とともに活躍が期待される選手がたくさん登場します。予選は危なげのない試合ばかりでした。そんな中、ヌートバー選手が大活躍ですが、正直名前すら知りませんでした。カージナルス所属だそうですが、打ってよし守ってよし走ってよしの三拍子揃っているうえに愛嬌があって一躍注目を集めています。土日曜日に練習している野球少年少女も、いつも以上に気合が入っているように見えてしまいます。昨晩のイタリアとの準々決勝も楽しみ、勝利を喜んだのは言うまでもありません。大相撲も始まっています。さらに、今年はラグビーワールドカップも控えます。スポーツで日本が一つにまとまったり、スポーツが人々を元気にしたりする場面が増えそうです。ニューヒーローの誕生をみんなが待ち望んでいます。

 さて、今日は卒業式。桜はもう1週間待つ必要がありそうですが、スポーツが日本を元気にするように、卒業生の笑顔や凛々しい姿は保護者や職員を元気にしてくれます。後輩にもよい刺激を与えます。だから、教職員全員で素敵な時間を共有できるように努めます。私自身、数えきれないほど6年生の担任をさせてもらい、校長としても何度も壇上で話をしてきましたが、一度たりと慣れることはありません。毎回新鮮で、そして緊張です。今日も何か失敗して無様な姿を見せてしまうかもしれないと考えると冷や冷やものです。ただ、私たちが卒業式を何度経験していても、子供たちにとっての小学校卒業式はただの一回限り。そのことを肝に銘じて臨みます。一人一人がヒーロー・ヒロインになれるように…。

184 よりよいものを求めて(3/16)

  “おかげさまで50周年の▲▲。自然なおいしさを、いつまでも。”

 新聞掲載の広告にあった文面ですが、「▲▲」には何が入るでしょうか?ヒント!“▲▲は、素材をさらにシンプルに。ミルクと抹茶は、こだわり素材でよりおいしく。”と続きます。正解は「あずきバー」です。 50年前に「ぜんざいを凍らせたようなアイスが作れないか」という発想から誕生した商品。昨年度の年間販売本数は3億本を突破したといいます。砂糖の量や種類を見直し、添加物を使用していないあずきバーは、安全なアイスとして愛されてきました。節目に当たってリニューアルされたといいますからまた食べてみようと思います。冷凍庫から出してしばらく置いて、ほどよい硬さになったころに…。

 さて、毎週のように足を運ぶ道の駅ですが、今年で誕生から30年を迎える公共施設です。この道の駅が生まれる出発点は、ある街づくりの会合で「鉄道のように道路にも『駅』があっていいんじゃないか」という提案をしたことから。こちらも何気ない発想が原点になっています。そこから地域性を生かした多様な施設となり、最近では一日では遊び尽くせないような大型化傾向にあるようです。その数1198か所、千葉県内だけを眺めても29も…。中には温泉施設もあってそれぞれに特色があります。明治期に建立した廃校をリニューアルした、鋸南町の「保田小学校」は遊び心満載ですし、「発酵の里こうざき」は発酵食品に特化。南房総の「おおつの里 花倶楽部」は園芸好きにはたまらない場所かもしれません。一日かけて県内の道の駅巡りをするとか、夏休みの課題にガイドブックにまとめるとか、楽しみ方は色々です。そういえば4年生の社会科学習で千葉県の特色について学びますので一石二鳥?

 私が子供だった頃、家族旅行や遠足で立ち寄ったのはドライブイン。響きに古さを感じますが、今も修学旅行の昼食やお土産は日光市内のドライブイン的な場所です。一方、高速道路はサービスエリアが充実しました。「どこどこのSAに○○を食べに行く」という目的で車を走らせる人もいるようです。道の駅も含めて、立ち寄り先から目的地に変わっているようです。暖かくなってきました。名物ソフトクリームを食べに出かけたいのは何処?

183 備えあれば(3/15)

 昨日は、5年生も参加をして卒業式の予行でした。在校生が参加しなくなって3年目?の卒業証書授与式です。ですから、翌年度のために式の雰囲気や流れを知るとともに、一足早く6年生を祝福する意味もあっての見学です。卒業式やその練習になって初めて間近でマスクなしの顔を見るということがここ数年続いています。「マスクの下にそんな素敵な素顔を隠していたのね」と思うのですが、本番に備えてその顔がさらにまぶしく輝けるように取り組んでいます。

 さて、ある晩帰宅すると、寝室の様子が大きく様変わりしています。入口脇にあった大型スチールラックが隣の部屋に移動しているのです。漫画本置き場も変わっています。仮に大きな地震が起きたとすると、ラックが倒れて部屋の出入り口を塞いでしまう可能性があるからだとか。一人で2時間以上かけて様々なものを動かしてしまう行動力に脱帽です。2階のガラスなどが割れるとスリッパでの避難が危ないということで、クローゼットに普段履かない靴も忍ばせたといいます。

 南海トラフ巨大地震がひとたび発生すると、静岡から宮崎にかけての海沿いでは震度7となる可能性があるそうです。また、隣接する周辺の広い地域でも震度6前後の強い揺れになると想定されています。千葉県は比較的離れているように感じますが、他のプレートへの影響や首都直下型地震の可能性を考えれば決して安全圏とはいえません。正直怖いですが、最新かつ正しい情報を知ることが、自分の命・家族の命を守ることにつながります。使い古された言葉ですが、「備えあれば憂いなし」でありたいと願います。

 学校は、明後日の卒業証書授与式に向けて、教職員と在校生みんなが万全の想いで門出を演出します。同時に、学校や家庭、地域の防災も万全を期すことを忘れてはなりません。

182 拒否反応(3/14)

 カブトムシ、イモムシ、アリ、ハチ、バッタ、イナゴ、コオロギ、セミ、カメムシ、さなぎ、幼虫などに共通するものは何でしょう。そう、世界でよく食べられる昆虫類です。日本でもイナゴや蜂の子など伝統的に食していることはご存じのとおりです。私が子供の頃、昆虫網を手にイナゴをたくさん捕まえて、それを祖母が佃煮にしたのをよく食べました。後ろ足の棘みたいな部分が口の中に刺さるのは嫌でしたが、味はよいのです。

 昆虫は身近であるとともに、簡単に手に入れられるタンパク源で、栄養価が高くビタミンやミネラルも多く含むため、優れた食材として再びクローズアップされています。南極を除く世界百ヵ国近くに昆虫食文化があるといい、その数ざっと二千種類というから驚きです。

 こうした中、徳島県立高校の食物科でコオロギパウダーを使った給食を試食で出したところ、クレームが殺到したといいます。提供されたのは一口サイズのカボチャコロッケ170食。粉末の食用コオロギパウダーを練りこんだもので生徒からは好評だったそうで、コオロギの香ばしさが引き立ちカボチャがより甘く感じられたといいます。

 経験や前例のないことに取り組む場合、ハードルは高いはずです。できれば避けて通りたいと思う人もいるでしょうし、逆に前例を作れる絶好のチャンスだと考える人もいます。やらなければ可能性の広がりはありませんから、「よし、まずはやってみよう」と一歩を踏み出せる人に子供たちには育ってほしいと思うのです。日本の食材に限ると、タコや海苔、白子、ゴボウ、馬刺し、納豆、松茸などは、世界ではゲテモノ食なのかもしれません。ただ、それを最初に食べた人がいて、今に伝わっているのです。

  では、実際に小中学校の給食で昆虫食が提供されたときに、子供たちは柔軟に受け入れるでしょうか。それとも新しい食材への拒否反応を示すでしょうか。元の形が見えないものであれば、恐々と口に運ぶけれど、味に違和感がなければ子供は自然と受け入れて、不思議そうな表情がみるみるうちに笑顔へと変わっていく様子が目に見える気がします。

  今日のホワイトデーにイナゴの佃煮を贈ったらどんな反応が…。口をきいてくれなくなるかも?

181 夜明け前が一番暗い(3/13)

 延期に次ぐ延期を繰り返したH3ロケット1号機の打ち上げが失敗しました。日本の宇宙開発の遅れが心配な一方、JAXAが13年ぶりに行った宇宙飛行士公募に手を挙げた小学2年生男児のコメントを見て、熱い想いを感じ取りました。謎のUFOを目撃した主人公とその弟が、「一緒に宇宙飛行士になろう」と誓い合う漫画『宇宙兄弟』に一時夢中になりましたが、先の小学2年生は応募資格を満たさないものの、宇宙兄弟と重なって見えてきます。

 今月初めの給食で、今年度最後の揚げパンが提供されました。揚げパンは、きな粉やココアが一般的ですが、うぐいすきな粉、シナモンシュガー、アーモンドなどいろいろな味のバリエーションがあります。ある時栄養士に、「いつもと違った味の揚げパンを出してほしい」と注文しました。それを受けてくれたのか初めての味が…。でも、口に入れたものの何の味かわからないままあれやこれやと考えます。知った味なのに何なのかが思い出せない、そんな経験が誰にもきっとあるはずです。先日は、まさにそのドツボにはまった状態。モヤモヤするので栄養士に尋ねてしまって「ガッテン」。キャラメル味でした!

 揚げパンの始まりは、今から70年ほど前。ある小学校の調理士が、硬くなったパンをどうしたら美味しく食べてもらえるか試行錯誤した結果生み出されたもので、病気で学校を休んだ児童の家に届けたことが最初みたいです。学校給食の主食が、パンよりごはんが主流となったのはいつ頃からかは思い出せませんが、たまに出される揚げパンやガーリックトーストなどには高揚感があります。

 さて、少し前にポケモンの新作アプリに関するニュースを目にしました。ポケモンGOでは「歩く」ことをテーマとしていましたが、今回は「睡眠」のエンターテイメント化。「朝起きるのが楽しみになるゲーム」という謳い文句で、寝る時間や休息時間に焦点を当てます。メディア視聴時間が長いがゆえに睡眠不足の子供や大人が少なくないので、自分の睡眠を計測して、その結果に応じてポケモンが増えるとか寝たポケモンを起こせるとかいう内容なら歓迎されるかもしれません。睡眠のリズムを整えることが楽しいと思えてゲームクリアが目指せるなら一石二鳥でしょうか。よく眠れたことによって朝食や給食をおいしく食べられるなら文句なし?!

 人は成功ばかりに目が行きがちですが、そこに至るまでは数えきれないほどの失敗があったはずです。「夜明け前が一番暗い」といいますから、今後の日本の宇宙開発に期待を寄せます。そして、子供たちも私たち大人も挑戦し続ける強い気持ちを持ち続けていきたいと思います。

180 プライスレス(3/10)

 今日は、ネットで見つけた心温まるステキなお話を紹介!残念ながらどこで見たのかすっかり忘れましたので、勝手に脚色を加えてあります。(長いですが、ぜひ最後まで)

 ある日、父親が疲れ切って仕事から家に帰ってきました。遅い時間なのに、5歳になる娘がリビングで待っていたのです。父親は驚いて言いました。

「まだ起きていたのか?遅いから寝なさい」

『お帰りなさい。あのね、一つ聞きたいことがあるの。パパは1時間にお金をいくら稼ぐの?』

「どうでもいいだろう、そんなこと。何でそんなことを聞くんだ?」と怒るように言いました。

『ただ知りたいだけよ!』

「決して給料はよくないよ。時給2千円くらいかな」

『ねぇパパ、私に千円貸してくれない?』 疲れていた父親は、叱るように言いました。

「お前たちが安心して暮らせるようにパパは働いているのに、帰るなりお金をねだるなんて…。早く寝なさい」

 娘は俯いて自分の部屋に戻りました。でも、父親は厳しく叱りすぎたことを少し後悔しました。これまでにこんなことを言うことはなかったし、きっと何か理由があるのだろうと思い直しながら、子供部屋のドアをそっと開けて声をかけました。  

「もう寝たかぃ?」

 『ううん』少し泣いているような声が返ってきました。  

「ごめんな。ちょっとイライラしていたんだ。望みどおり、千円をあげよう」  

 すると子供は布団から跳ね上がって言いました。『ありがとう、パパ』

 それから、棚の上の貯金箱から数枚の硬貨を取り出しました。  

「えっ、もうずいぶん貯まっていたじゃないか」  

『ううん、足りなかったの。でも、もう足りたよ』

 不思議に思う父親に、子供はさらにこう付け加えました。

『パパ、ここにパパの1時間分のお給料の2千円があるよ。これをパパにあげるから、明日は1時間早く帰ってきて!そして晩ご飯を一緒に食べよぅ?』

 父親は、子供を思いきり抱き締めながら涙が止まりませんでした。

 なんでもない時間、とりとめのない会話は、お金に代え難いものなのかもしれません。東日本大震災から12年もの年月が過ぎる今、命に向き合うとともに、「もっと話をしておけばよかった」などという後悔の念を抱くことのない毎日を過ごしたいと思うのです。今日は、放送集会で映像を交えながら東日本大震災ほかを振り返り、防災について考えます。ご家庭でも話題の一つにしてほしいと願います。

179 そこにいるだけで(3/9)

 気温20℃って初夏です。修了式には校庭の桜が見頃なんていうことも…。また、リクルートスーツに身を包んだフレッシュな社会人を多く目にする今日この頃。

 今日3月9日はレミオロメンの日?そんな日はありませんが、この日になると、好きな歌がいつも頭の中をエンドレスで流れ続けます。ドラマ『1リットルの涙』の中で歌われた曲です。「瞳を閉じた瞼の裏にあなたがいることで、私がどれだけ強くなれたことか」「あなたにとって私もそんな存在でありたい」という内容の藤巻さんの詞が素敵です。時期的に卒業ソングのように思われがちですが、結婚する幼馴染へのプレゼントとして書き上げた曲なのだそうです。相手や周りの人へのありがとう(サンキュー)の気持ちで3月9日に結婚するというから、その友達も素敵ではありませんか!

 本八幡シャポーの中を学校に向かって歩くと、エスカレーター手前に書店があり、朝7時過ぎに通るときにはもう開店しています。帰り際、ふと立ち寄りたくなるから不思議です。なんか面白いものがあるのではないか、発見があるのではないかとワクワクしてしまうのが本屋さん。ふらふらと見て回るだけでも楽しいのです。まるで「宝がぎっしり詰まった空間」のように思えてなりません。趣味の雑誌はあるし、心の栄養になる単行本や文庫が所狭し並びます。悲しいときは漫画で笑い、悩んだ時にはヒントを探します。そんな理屈は抜きにしても、そこに本屋があるというだけでうれしくなるのは私だけ?

 米米CLUBの歌にも「例えば君がいるだけで、心が強くなれること~」というフレーズがありますし、先のレミオロメンの歌のように、そこにいるだけで人を勇気づけられる、手を握ったり話をしたりするだけで気持ちが落ち着く、安心する、そんな人に私はなりたい!そう思いませんか?

178 おしゃれ(3/8)

 今日3月8日は「ミモザの日」。ミモザの花言葉は、「安全」や「愛」。日本では母の日にカーネーションを贈るように、欧州では母親をはじめとした女性にミモザを贈る習慣があるそうです。また、「優雅さ」や「優しさ」、「友情」を象徴する花としても浸透しています。我が家のアカシア・ミモザも写真に見てとれるようにフワフワの花をたくさんつけています。アカシアが好きで4種類育てていますが、花が開くとその周りが明るい雰囲気に包まれます。

 

 話は変わりますが、温かい真っ白なご飯に添えると、双方が引き立てあうものといえばなんでしょう。納豆を真っ先に思い浮かべる人もいれば、漬物が一番と考える人もいるでしょう。両者は、保存食としての日本の食文化を支えているといえそうです。特に、漬物は種類が豊富。浅漬け、ぬか漬け、酢漬け、味噌漬け、奈良漬け、わさび漬け、梅干しなど数え上げたらきりがありません。簡単に手に入るとともに、自分で作ることだってできます。材料もいろいろで、白菜・大根・きゅうり等々。食べ方だって、ご飯のお供以外にも、酒の肴やお茶漬けの具材にだってなります。昔、お茶うけとして食卓に上り、おやつ感覚でポリポリしていた記憶もよみがえります。そういえば、給食のカレーには真っ赤な福神漬けが欠かせないものでしたが、最近はまったく目にすることがなくなりました。

 さて、“中古の家の魅力”あるいは“賢く素敵な日本の暮らし”を提唱する「リノベる」代表の山下智弘さんは、「スタッフの採用には妥協しない」と言います。愛される・頼られる・おしゃれの3要素を兼ね備えていることが採用条件。この中の「おしゃれ」とは、機転の利く人であり、昨日とは違う今日を工夫できる人。そして自分なりのアイディアを持っている人を指すそうです。ある意味では、ミモザも漬物も愛され、頼られ、おしゃれな存在とは言えないでしょうか? 私たち教員も、山下さんの言うような「おしゃれ」を身につけていたいと思います。同時に、子供たちにも柔軟さと強さを育んでいってほしいと願います。

177 駄菓子屋(3/7)

 腕を頭上で回しながら、♪ブーメラン、ブーメラン、きっとあなたは戻ってくるだろう~♪と歌うのは、西城秀樹さんの『ブーメランストリート』の冒頭です。残念ながら、覚えているのはここまでです。ところで、「ブーメラン」と聞いてどんなものか想像がつく子供はどのくらいいるでしょう。

  ブーメランとは、狩猟やスポーツに使われる棍棒の一種。大型のものを除けば、手で投げて飛ばすことができ、ある程度の距離を飛行した後に手元に帰ってくるタイプが有名です。子供のころ、駄菓子屋でプラスチック製の「へ」の字型ブーメランがおもちゃとして売られていましたが、大好評でした。そうはいっても、まず手元に返ってくることはなく、飛んでいった先に走って拾いにいったというのが現実です。広い空き地がそこかしこにあった時代だからできた遊びなのかもしれません。また、パチンコも買ったり自作したりして的当てを楽しんだものです。

  そんな時代、よく足を運ぶ駄菓子屋がありました。オレンジガムやココアシガレット、ゴールドチョコが5円だったように記憶します。とりわけフーセンガムは人気。誰もがガムを噛み、プーっと膨らませながら歩いていました。駄菓子屋にあるのは食べ物ばかりとも限りません。「銀玉鉄砲」もその一つ。ジェンダー問題を気にせず言うなら、これを片手に多くの男の子が撃ち合いをして遊んだものです。くじ引きもありました。お目当ての商品を狙うも当たらないので、番号札を自作しておじさんに見せたらすぐにバレて叱られたことも…。

 平田小学区にも駄菓子屋があるらしいことを聞きました。子供の説明なので、いまいち場所がつかめませんが、足を運んでみたい気がします。店から天地真理さんの歌が流れ、懐かしいポスターでも貼られていようものなら…。

176 不易流行?温故知新?(3/6)

 小室用務員さんが『(復刻版)國民禮法』という本を貸してくれました。昭和16年に刊行されたものの復刻版ですが、戦前の「修身(現在の道徳)」の授業で用いられた小学生用教科書です。人々のたしなみ・礼法が、低学年の教科書の文字くらいの大きさで書かれています。普段から当たり前に言われていることも書かれていますし、戦前だからこそといった内容もありますが、不思議と新鮮な感覚で読めます。

  その中で、「傷痍(しょうい)軍人」という言葉を久しぶりに目にしました。戦争で手足を失ったり病気になったりした軍人を指しますが、子供のころ上野に行くと地下道や公園そばに包帯を脚に巻いてアコーディオンを弾いている人をよく見かけたものです。また、「ぜいたくは敵である」なんて言葉も、初等科第5学年「貯蓄報国」に登場します。この中からいくつかを紹介します。

■初等科第3学年 第9 お客様のお見送り 三  おかえりになると、すぐ戸をしめたり、笑ったりしてはならないこと。(カーディーラーの営業マンは、車が見えなくなるまでお辞儀をして見送ってくれます。)

■初等科第4学年 第3 神社の参拝  かしわ手は、落ちついて、よい音をたてるようにしましょう。それには、指をよくそろえ、手のひらを合わせたら、少しくぼめるようにして、右の手を少し手前にずらすとよいのです。(昔から年配の人は自然にやっていて、大きな音が響いていました。)

■初等科第5学年 第9 訪問 八  人の家を訪ねる時、外とう・えり巻等を着たままで案内をこい、上ってからぬぐ場合と、上る前にぬぐ場合とある。その時によって、どちらでもよいのである。(後者を正しいと思っていましたが、どちらでもよいのですか。)

■初等科第5学年 第13 物の受渡し 一  洋がさ・ステッキ等を渡す場合は、正面をさけて、柄が先方の右手に向かうようにし、先方が受けやすいように差出すがよい。(刃物の受渡しは、たとえ低学年でも身につけていたいことです。)

■初等科第6学年 第6 西洋料理の食卓作法 八  フォークは凹んだ方を下に向けて用いる。(今では当たり前ですが、戦前はナイフやフォークの使い方や置き方からスープのすくい方など20項目にわたって書かれています。初めてナイフとフォークで食事をした時を久しぶりに思い出しました。)

 到着を2列で並んで待っているところへホームへ滑り込む電車。乗客が下りたあと、なぜか後からきた人が我先に乗り込んで平然と座席に座ります。ムッとしながら、「公衆道徳」について記した箇所を読んで聞かせたくなりました。

 今日から卒業式の練習が始まります。儀式的行事の中で礼儀作法を学ぶ機会でもあります。

175 手がチンチンする(3/3)

 ここ数日の暖かさで花粉がたくさん飛んでいるのか、目がかゆい!

 2月、とある百貨店には展示販売されるお雛様がズラッと並んでいました。何年も前と比べて大きさの違いを実感します。非常にコンパクトになっていて、省スペース対応。昔のTVコマーシャルで「人形は顔が命」という文句がありましたが、お内裏様とお雛様の顔が昔ながらの顔立ちのものと可愛い系のものと様々であることに気づきます。好みが分かれるところです。

 さて、先週の吹奏楽部定期演奏会や学年児童が集まるような場面で体育館を使用する際に、寒い日は暖房が必須です。3台の開放型ストーブを点けても、足元はしんしんと冷えます。そんな場面では自然と足がストーブの前に向いてしまう私。手をこすりってストーブに翳したり脚をさすったり…。極寒の朝は、手袋をしていても指先が痛いといった感覚です。絵本『手ぶくろを買いに』(作:新美南吉)に登場する子ぎつねが「手がチンチンする」と言うシーンがありますが、濁点をつけて「ヂンヂン」といった感じ。こんな指先をすぐに温めてくれるストーブが恋しい!ちなみに、寒さによって指先の爪が痛むほど寒いことからから「爪痛い」という言葉を語源として「冷たい」になったという説があるようです。

 学校の灯油倉庫には、20ℓの赤いポリタンクが、給油ポンプと一緒にわんさかあり、2段重ねしないと収まりきらない時代がありました。児童が運べるように10ℓタンクもありました。でも、教室が遠いと大人でもしんどい。だから灯油配付日になると、廊下に点々と灯油のシミが見られたものです。

 昔の家庭用石油ストーブはファンヒーターではなく、真ん中の芯の部分に炎が見える反射型タイプ。着火用電池が入っていますが、マッチやライターで直接火をつけることも可能でした。ストーブの上にはやかんをのせれば加湿器代わりにもなりました。アルミホイルを置いて餅や干し芋を焼いて食べることもできました。つまり、単なる暖房器具ではなく1台何役もこなしていたのです。電気を使用しないので、停電しても安心。冬に被災するとどこの家も暖をとるための手段がほとんどゼロに等しくなる怖れがあるわけですから、備えも必要です。当然、学校の煙突型ストーブを知る人も少なくなっていきます。教室の上方にその面影を残す教室もありますし、屋上に上がれば排気用煙突となっていたところを目にすることができます。

 今日はひなまつり。2週間後の卒業式は、ストーブ設置の心配をすることのない暖かな陽気の中で門出を祝福したいというささやかな願いがあります。

174 長きにわたって(3/2)

 問題!「家庭の家電製品の中で、一番の長寿は何か答えなさい」

 我が家の場合は、トースターです。「00年製造」とシールが貼られていますから23歳。汚れはひどいですが、造りがシンプルなため壊れにくいのでしょうか。複雑な構造になればなるほど耐用年数は10年に満たないかもしれません。エアコン主流の中でも扇風機も活躍しますが、これも6年位を標準使用期間とする製品が多いようです。モーターなどからの発火事故が報告されますので、すべての電化製品について注意を怠らないようにしたいと思います。  市教委からタブレット使用中の発火に係る使用停止の連絡が2月下旬にきましたが、タブレット端末を活用した学習を予定していた学級・学年は、予定変更を余儀なくされています。

 さて、2月下旬に八幡南口町会の会合に出席しました。地域防犯パトロールを担当されている方々が集まっていらっしゃいました。平均年齢は私の年齢よりずっと上のようで、長年にわたって見守りを続けてくださっているようです。20年近く前に大和田小に4年間籍を置きましたが、その時もきっと力をお借りしていたと思うと感謝の気持ちでいっぱいです。 下校時の子供があいさつをしてくれたこと、振り向いたら手を振ってくれていたことを嬉しそうに話してくれます。逆に、下校時の解放感からか、道路の横断や広がって歩く姿などを見て危険を感じる場面もあるそうです。自転車の乗り方を含めて、親のマナーやルールも気になるとも言います。さらに、メンバーの高齢化が進んでいるので、時間のある時だけでも若い人に参加してほしいという希望も耳にしました。

 子供たちがいつどんな事件や事故に巻き込まれるか、あるいは思いもよらず加害者側に立ってしまうかわかりません。平田小に限らず、地域の宝である子供たちが今後も地域で活躍できるように、みんなで声をかけ見守っていただけると嬉しいです。ご協力よろしくお願いします。

173 験をかつぐ(3/1)

 いよいよ最終月に入りました。6年生の教室のあるカウントダウンカレンダーが「あと12日」になりました。来週からは卒業式練習が始まりますが、あっという間に卒業式当日を迎えそうです。現在は、新型コロナよりインフルエンザ罹患が心配されます。学級閉鎖などの心配をしなくて済むように、6年生以外も努めて手洗い・うがいを行ってほしいと思います。

  昨日そして今日と春の暖かさ。あぜ道を歩いたり空き地に目をやったりすると、オオイヌノフグリやホトケノザなどが花を咲かせています。植えっぱなしの球根植物の芽が大きくなっていますし、目線を上げれば紅や白の梅の花が咲き誇っています。三寒四温、春はもうすぐそこまで。よいことがありそうな予感がします。

 さて、写真の器を見て気づくことはないでしょうか。決して食べ残しを見せているわけではありません。そうです、平皿2枚に市川市のマークを見てとることができます。私の中では、椀を含めた3つの食器全部のマークが揃い、しかもそれが市川市マークだった場合は縁起がよいと験を担いでいるのです。この1年間で180食ほどいただきましたが、未だ揃ったことがありません。そして今回、2枚がそろって「リーチ」。ドキドキしながら煮物の椀の具をよけてみると、果たして中からは、「梨の坊や」が顔を出しました。残念!

 我が家でも似たようなことがあります。線香を二つ折りにして仏壇に捧げるのですが、折った長さがほぼ揃うと「よっしゃー!」という気分になるのです。この単純さは、自分の良いところだと勝手な解釈をしていますが、験かつぎや運勢を気にしてしまうことってないでしょうか。3月は、これまでよりもっとよい月となりますように!

172 中華まん(2/28)

 今日で2月が終わります。日曜日に市内のハーブガーデンに立ち寄った後、学校に本を運んできました。『ダレン・シャン』11冊と『Lord Loss』7冊。ともに、ダレン・シャン作で、娘が夢中になって読んだシリーズ作品です。高学年なら楽しめるはず。ただ、『銭天堂』が5冊も返ってきていない状況では、貸出簿作成を考えざるを得ません。信用貸し出しを続けたいのだけどなぁ。

 さて、寒さの中を立ち上がる湯気には何か趣があります。湯気で思い出したのが、中華まん!いきなりですが、「肉まん」と「あんまん」、どちらが好きですか?私は専ら肉まん派。3千人弱にアンケートをとった結果を見ると、76%が肉まんです。理由には、「肉と生地のコンビネーション」「肉がジューシー」「ごはん代わりになる」など。ある休みの日の昼食、簡単に済ませるために肉まんが1個だけ食卓に乗るときがあります。カレーまん、ピザまん、角煮まんなどコンビニでも買えますが、思い出すのは高校の部活帰り。厳しい寒さに見舞われる冬、小腹を満たすためにあったかい中華まんかたい焼きのいずれかを選択!だから、立ち上る湯気を見るたびにノスタルジックな気分に浸ります。

 中華まんの起源は、三国志の時代の中国といわれ、日本への伝来は14世紀。『肉食が一般的でなかったため羊肉の代わりに小豆が使われ、あんまんじゅうとなった。肉まんが広まるのは(略)明治以降のことだという。』(朝日新聞Be2/11より引用)とあります。中華まんにハフハフ言いながら、めったに行くことのない中華街を歩いてみたくなりました。

 中華まんの肉汁やあんまんのこし餡で舌をやけどするときがあります。同じように肉汁でやけどしたのが、ケンタッキーフライドチキンを初めて食べた高校生の時。よく知らないでかぶりついた時に口の中に広がった熱々のあぶら。店内なので口から出そうにも出せない状況。果たして何日も上顎の皮と舌先が痛かったのです。でもそれ以降、あれほど熱いチキンに巡りあったことがありません。初めての印象は、後々まで消えないようです。だから、子供にとっての初めての出会いを、学習でも生活でも上手に演出したいと思います。

171 言霊(2/27)

 土日の間に、遂にアクセス総数100万件を突破しました。びっくりです!

 さて、先週22日は、にゃんにゃんにゃんで「ネコの日」であることは言われていますが、いじめ反対を呼びかける「ピンクシャツデー」でもあったことをあとから知りました。15年ほど前のカナダで、ピンク色のシャツを着た少年がいじめられたため、仲間たちみんなでピンクの服装で登校したらいじめがなくなったという実話に基づいて生まれたいじめ反対運動の一環だといいます。仙台市の幼稚園では、この日に「言われてうれしい言葉」を発表しあったそうです。「好きな言葉を教えてください」という質問に対して、「ありがとう」「大好きって言われたらうれしい!」などの声が上がります。

 この「ありがとう」「大好き」の言葉が聞かれたのが、先週2年生の授業参観。各教室で『自分発見、発表会』が展開されましたが、参観する家族に対して子供たちの思い思いの言葉を、卒業式の呼びかけに似せて発せられました。子供の成長に思いを馳せながら、思いがけない呼びかけに驚きと同時に目がウルウルした人は少なくなかったはずです。翌日には、たくさんの方から連絡帳にお礼の言葉が届いたのを目にしました。

 「言葉は言霊(ことだま)」と言われます。古代日本で、言葉が持っていると信じられた神秘的な霊力のことを言霊と言いました。発した言葉どおりの結果が表れる力があると考えられていたのです。つまり、ネガティブになって「できない」と言ってしまえば「できない」ことになってしまうけれど、「きっとできる!」と発することでその言葉に力が宿り、それが自分に向かっていきます。結果、様々なことが「できる」にすべてが向かって動き出すのではないかと考えます。ですから、先の家族に向けられた「ありがとう」や「大好き」という言葉は、きっと相手に大きな喜びと力を与え、形を変えながら自分に返ってくるのではないでしょうか。まるでブーメラン。

 ブーメランは、「天に唾を吐く」の諺どおり、悪いことも戻ってきます。失言が自分に突き刺さったことが何度あったことか!言葉を今以上に大事にします。

170 マスク(2/24)

 寒い日が続くと、早くポカポカ陽気の春がやってくることを心待ちにします。先週末はまさに春を感じさせてくれる陽気でした。そんなワクワク感の反面、「春なんて来なければいいのに!」なんて思っている自分がいるのも否定できません。そうです、花粉症の人にとっては、これからGW前後までの季節が辛い時季ですから。目のかゆみ、止まらない鼻水、連続くしゃみ、そして呼吸困難に陥る鼻づまりの4大症状。今はまだしもコロナが拡大しているころ、電車の中でくしゃみをしようものなら一斉に視線が集まりました。鼻水が止まらないときには、ティッシュを千切って両鼻に栓をする姿は、決して人に見せられたものではありません。ティッシュの繊維が鼻をくすぐるのか、かえって酷くなることもあります。だから、潤いティッシュが登場した時には救世主登場といった感じでした。

 今春の花粉飛散量は、過去10年で最大になると予想されています。先日見た寺院の杉の大木は、梢をオレンジ色に染めていました。きっと飛ぶのを待つ花粉だと思います。見ているだけでも花がムズムズし始めそうです。ですから、コロナやインフルエンザ関係なく、マスクはまだまだ必須アイテムです。卒業式に花粉症による涙目なんてことにならないことを祈るばかりです。

 そんな折、来月13日からは、屋内外を問わずマスクを着用しなくてもよいことになりそうです。個人の判断にゆだねられるわけですが、どれだけの人が制限のある場所を除いてマスクを外すでしょう?

 マスク着脱に関して話題になったのが将棋の世界。過去何度も鼻マスクを注意されて、従わないがゆえにその都度反則負けを喫している棋士がいます。でも、これからは鼻マスクでも構わないわけですから、ある日を境に将棋に関係のない外的要因により勝敗が変わるというのはどうなのでしょう。どこか釈然としない思いが残ります。

 以前はティッシュボックスを抱えていたいくらい花粉症がひどかった私も、飲み薬を服用することで落ち着いています。まだ服薬を試していない方は、ぜひ病院で処方してもらうことをおすすめします。

169 漫画好き(2/22)

 漫画家の松本零士さんが亡くなったと一昨日報じられました。『宇宙戦艦ヤマト』『銀河鉄道999』『宇宙海賊キャプテンハーロック』『男おいどん』など、独特の画風も魅力でした。宇宙戦艦ヤマトは毎週ドキドキして観ました。波動砲の威力に目を見張り、沖田艦長がなくなるシーンは涙涙。スリーナインは全巻読み、鉄郎やメーテル以上に車掌さんが好きでした。ゴダイゴが主題歌を歌うTVアニメが流行ったのはしばらくしてからのこと。

 『おれは鉄兵』『キャプテン』『あしたのジョー』を代表作とするちばてつやさんも同年代。締め切りに追われ、松本さんと同じ旅館に机を並べて仕事したこともあるといいます。ちばさんの漫画本もいろいろ読みましたが、今読んだらあの頃に一瞬でも戻れるのではないかと妙な気持ちになります。

 さて、私が10歳になるころまでの懐かしいTVアニメを思いつくままに挙げてみると、『宇宙少年ソラン』『チキチキマシン猛レース』『鉄人28号』『狼少年ケン』『おばけのQ太郎』『スーパージェッター』『魔法使いサリー』『サイボーグ009』『マッハGoGoGo』『ひみつのアッコちゃん』『ウメ星デンカ』『怪物くん』『アタックNo.1』…。まだあるはずなのに、13個で力尽きた感じ?この中の『チキチキマシン』はアメリカTVアニメ。11台の個性的なレーシングカーとドライバーたちが、バラエティ富んだコースで様々なレースを繰り広げます。毎回どの車が優勝するか予想しながら観たものです。ケンケンの笑い声はよく真似したなぁ。高校生になってからも、友達と分担でサンデーやマガジン、チャンピオンを買って読み回したことも懐かしい思い出。

 校長室には今、『20世紀少年』と『Dr.コトー診療所』『クロサギ』を数冊置いてあります。さすがに全巻一気に持ってこられないので、気が向いたときに少しずつ運んでいます。休み時間にソファで読んでいる子もいます。ブックオフに売ってしまってもよいのですが、子供たちに楽しく読んでもらった方が漫画本も本望だと思うのです。「校長室に漫画本?」なんて声があるかもしれませんが、15分くらい緊張から解き放たれてもよいのです。目標は違いますが、国語の教科書にだって漫画を題材にした単元があるくらいですし…。

 今朝の総武線車内の数分間もスマホで漫画を読んでいましたが、懐かしい漫画の名前に嬉々とされる方がいる一方で、あまり縁のない方にはごめんなさい!

168 昔の遊び(2/21)

 授業参観でできるようになったことを発表するために、1年生がみんなの前でコマを回すなどする姿を先週ドア越しに垣間見ることができました。どの子もよい表情です。2年生では自分の成長を振り返る活動が展開されるようです。

  大みそかの紅白歌合戦では、演歌歌手の三山ひろしさんがけん玉に挑戦するシーンは毎年の恒例になっていますが、昔の遊びといえば、先のコマのほか、メンコ・お手玉・竹馬・ビー玉・ベーゴマ・おはじきなど様々です。ただ、親世代がやらないと子供が自分から取り組むことはまずなさそうです。だから、今日の子供たちの姿を見て、ぜひ一緒に楽しむ時間をつくってほしいと思います。

  私自身、小学生のときに好きだったのがメンコとビー玉。そういう時代ですから、放課後は公園に集まって対戦です。コレクションを取ったり取られたり…。泥団子づくりにも夢中になりました。なぜか中学生になって目覚めたのがベーゴマ。1999年に登場したベイブレードは現在版ベーゴマといえます。パーツを交換するなどできますが、ベーゴマのカスタマイズは原始的です。鉄やすりを持ってヘリを削って攻撃力を増したり、中心の尖った部分をさらに鋭利にして回転力を増したりするのです。こうして、樽に張った布の上でまさに火花を散らした戦いの火蓋が切って落とされるわけです。普通の独楽より紐の巻き方が難しいので、遊びの人口は極めて少なめ。ちなみに、ひと月後の3月21日は、「3・2・1」で「ゴーシュート(ベイブレード)の日」らしいですよ。

 そういえば、鉱石ラジオで遊んだ時もあります。ロケット型のものを買って、金属端子をブランコの鉄製支柱に当てて電波を受信したこともありましたし、中学校の技術の時間に自作したこともありました。決して感度の良いものではなかったのですが、その機械から音が少しでも聞こえることが妙にうれしかったことを覚えています。

 さて、教職員と面談をする中で「思いもよらぬ怪我の場面が多い」という話を聞きました。物や人によくぶつかる、なんでもない場所でよく転ぶというのです。コロナが長いため、動き回る際に子供の視野が狭くなったり、距離の取り方がわからなくなったりするのでしょうか。学校での遊びの時間確保や遊び方など検討の余地がありますが、家庭や地域で「えっ?」と思う場面はありませんか?

167 本当の学びに(2/20)

 札幌市の小学校で、低学年児童が配膳用ワゴンを押して運搬中に、防火扉とワゴンの間に指を挟んで切断するという事故が発生しています。本校でも起こりうるととらえて指導・見守りをしていきます。

 黙食見直し子どもプロジェクトチームが集まって、給食時の会話について話し合いを重ねています。長縄練習や百人一首、保健委員会の発表準備など、ロング昼休みはいろいろなことが集中します。ですから集まれる人数は決して多くありませんが、よく考えられた意見が聞かれます。写真のように、百均のハードケース3枚をつなぎ合わせて吸盤で机に固定する、Myアクリル板で飛沫を防ぐアイディアを家族と一緒に考えてきた子。黙食継続派と緩和派双方のことを考えて、メリットやデメリットを発表する子など様々で、感心してしまいます。

 

 自分たちだけで考えるのではなく、広くアイディアを募ってみたいというので、そのための準備も自分たちの力で進めました。今日全校に放送で周知して、アンケート用紙を各階に置き、自作の回収箱に入れてもらいます。全員を巻き込んで、皆が自分事として考えることを意図しているようです。今週末を締め切りにしたので、来週は集まった回答を見ながらさらに話し合います。「そんなことをしていたら、給食が終わってしまう」と思う人もいるかもしれませんが、児童自らが考えて行動することが一番のねらいですから構いません。できることをやりきった、自分たちの考えが形になったという達成感や成就感は何物にも代えがたいものだと思います。

 また、上学年のあるクラスでは、ユーチューブの番組企画に出演したいという有志が、私のもとに企画書を提示しに来ました。学習した百人一首をその番組の中でやってはどうかというアイディアには感心します。学級でも話し合いをしたり保護者への説明・同意書を作成したりしています。顔見せNGの子や参加への承諾が得られない場合なども想定し、その対応も考えたうえで応募したいと言います。相手があることですので採用されるかわかりませんが、子供たちの学びはきっと大きいはず。目を輝やかせた姿がうれしくてなりません。責任をもって応援をしていくつもりです。

166 フル回転(2/17)

 4年生昇降口そばの白門を入った右側にある日時計をご存じですか?昭和44年3月卒業生と刻印にはあります。北極星の方角のほか日本や世界の主要都市の方向もわかります。でも、ほとんど気づかれることなくひっそりと時を刻んでいるように見えます。昭和55年度以降の卒業記念品については、HP「学校紹介」から見ることができます。校内にある様々な物品・環境の歴史をなぞることができて楽しいのです。一方、私が卒業した学校にはどんなものを残してきたのか、頭をフル回転させても思い出せそうにありません。ちなみに6年生の教室では、自分への記念品としてオルゴールボックスを作る姿がありました。きっと来週の懇談会では教室前などに展示されているのではないかと思います。

 

 さて、自動車の運転免許を取って早42年。道路地図を広げれば、知らない道だって日本全国どこへでも行けました。たまに路肩に停車して確認をしたり、曲がる場所を教えるのが遅れたことに腹を立て助手席のナビゲーターと口げんかして嫌な雰囲気になったり…。ナビ役の妻が案内するときは、道路地図帳が顔の前で回転をしていました。進む方向が上にないとわからないからです。

 カーナビが普及し始めたのが1990年代。最初に購入したのが25年ほど前の京都旅行前でした。ある寺院の手前で横道を案内するその指示に従っていくと、進めないしバックでしか戻れないどん詰まり!高級品でしたが、今ほど精度は高くなかったようです。でも、ナビが当たり前になり精度を増すにしたがって、車内の口喧嘩は姿を消しました。一方、道を覚えなくなったことを感じます。以前なら頭の中の地図網がピピピっと反応したのに、頭をフル回転させますが道はつながりません。脳内細胞の死滅でしょうか?

 走っていても、車を運転していても、「この道はどこにつながっているのだろう」とついつい脇道に逸れてしまいます。新しい発見にわくわくしてしまう気持ちは今も昔も変わりません。話が脇道によく逸れるのもそのせいなのかもしれません。

165 あきらめない(2/16)

 身近なだけに逆によく知らない、気づかないものの代表に「ねじ」が挙げられます。様々な製品や機械類に使用されていますし、ホームセンターへ行けば木工用のねじからコンクリート用ほか、目的に応じて形状や大きさなどを選べます。工場で自動車を組み立てる際には、「お(雄)ねじ」と「め(雌)ねじ」を使用します。馴染みのない言葉ですが、「おねじ」はいわゆる一般的なねじ、ボルトのことです。そして「めねじ」はナット類を指すそうです。先日読んでいた池井戸作品にもねじ工場が登場しましたが、一個一個の単価は低いものの、職人はプライドを持って仕事をしています。

 あるテレビ番組で、このねじ職人が取材を受けていました。総理官邸などで使われる、締まるけど開けられない手裏剣ねじやモバイル関係で使用される特殊ねじ等が紹介されました。驚きの連続でした。日本ではプラスねじが主流ですが、昭和40年代からマイナスねじを駆逐していったことも知りました。あんなに小さいのに、私たちの生活を様々な場面で支えていると考えると偉大です。そういえば3年生と秋に現代産業科学館に行ったときに、企画展『ネジる ツナガる -モノ×ネジ×ヒト-』をやっていたのを思い出しました。橋に使用される巨大ねじや火縄銃に使用されたねじもあったようです。じっくり見ておけばよかったと後悔です。

 また、ハエで家畜の糞尿を肥料にすることを研究している人をニュースで知りました。ハエの交配を繰り返して、サラブレッド・ハエを生み出すために20年もの歳月を費やしています。一つのことを追い続けることは並大抵の覚悟ではできそうもありません。さらには、イチゴ栽培でミツバチの代わりにハエを使うことが始まっています。いずれの場合も、ハエのマイナス印象を払拭することが先決でしょうか。

 先週パラアスリートから、普段心がけていることを直接聞く機会がありました。「面倒だからやりたくないこと」と「できないこと」を一緒にしないということだと言います。ねじ職人にも研究者にも大きな壁が立ちはだかることがあったでしょうが、できる方法をなんとかして見つけようとする強い思いがまさった結果が成果となって表れているのではないでしょうか。小学生であっても、「あきらめない」カッコよさを追求してほしいと思います。

164 珍しいかもしれない?(2/15)

 ニュースを見ていると、「蜂須賀君が…」というアナウンサーの声がしたような気がします。いつもの聞き違いだと思ってみていると、広島県の高校の相撲部が神社の拝殿で寒稽古する様子が報じられています。その中で蜂須賀君が取材に応じている姿を見て、空耳でないことが確認できました。

 今放映されている、吉高由里子さんと北村匠海さん主演のドラマ『星降る夜に』でも、産婦人科看護師として蜂須賀志信が登場します。また、2021年には『ドクターX』で野村萬斎さん演じる蜂須賀隆太郎は記憶に新しいところ。さらに遡って、山下智久さん主演の『アルジャーノンに花束を』(2015)でも石丸幹二さんが蜂須賀大吾の役を演じ、『ハンマーセッション』(2010)では速水もこみちさんが…。最近読んだ本にも登場するなど結構あるのです。

 これは、何年か前にどこかに書いたことですが、個人医院で蜂須賀さんに偶然出会いました。親戚ではありません。受付を済ませて待合室で座っていると、看護師さんが「蜂須賀さ~ん」と呼びます。「はい」と返事をすると、中待合からも同じように返事をする男性の声。私が中待合に入ると、年配の男性から「おたくも蜂須賀さん?」と親しく話しかけられました。仲間意識というか連帯感というか、不思議な気持ちが生まれます。

 さて、今では珍しくなったものはたくさんありますが、「灰皿」はその典型かもしれません。学校にも来客用にアルミの灰皿が何枚も湯沸かし室にありました。校長室にもガラス製の重たい灰皿が用意されていたものです。いったいどこへ消えたのでしょうか。町でも店でも喫煙所は至る所にありましたが、今はそれを探すのが大変な時代。一方、それに反比例するようにたばこ代はうなぎ上り。大学生のころ200円だったセブンスターが、今では560円もするようですから…。喫煙者は肩身が狭い?

163 餃子(2/14)

 ホームページの屋上からの風景を追加・更新しようと、先週展望台や屋上へ行って写真を撮りました。第1校舎屋上ではフェンスが邪魔でうまく写真が撮れません。フェンスの外側に出てフォトスポットになりそうな場所へ行こうとフェンス扉を開けて一歩踏み出しました。高所恐怖症の私、怖くて尻の穴周辺がモゾモゾします。すぐにあきらめました。でもその近くで「ど根性サボテン」を2か所に発見!弱々しいですが、不定期にでも観察してみたい気がします。

 

 話は変わって、ラーメン屋や中華料理店で食べる餃子。店ぞれぞれの味を持っていて楽しみがあります。以前、市川駅北口にあった「ひさご亭」が大野店だけになって久しいですが、あのジャンボ餃子の味が懐かしい。習志野にある(あった?)ホワイト餃子が好きな人もきっといるはず。ただ、大きさに関係なく何皿も食べたいものではありません。一方、家庭で作る餃子は不思議と箸が進みます。気づけば何十個も食べています。息子がいた頃は、競い合って食べたり相手にわからないように1個キープしておいて、息子が食べ終わった時に取り出して「あ~おいし~」と大人げないことをしたり…。具に入れるものだって、ニラや白菜、キャベツ、玉ねぎなど家庭ごとに違うことでしょう。冷凍餃子で楽をしたいときもあれば、親子で話をしながら餃子を包む時間も楽しいひとときだと思います。

 さて、総務省が行った家計調査で、ギョーザの1世帯(2人以上)当たりの年間購入額1位が宮崎市であったことが発表されました。2年連続だそうですが、餃子の町として知られる宇都宮市や浜松市を抑えての堂々1位です。調査は、スーパーなどで購入した持ち帰り生餃子と焼き餃子が対象で、外食と冷凍食品は含まないといいます。もし外食まで含むと、やはり宇都宮市に栄冠が輝くのでしょうか。また、家庭で手作り餃子を食べることの多い都市のランキングだったらどんな結果になるか興味津々です。

162 バレンタインデー(2/13)

 足指4か所にできた霜焼けは痒くはないのですが、革靴に当たってちょこっと痛い!

 さて、明日はバレンタインデー。日本では愛の表現として、男性に女性がチョコレートを贈る日として定着しているので、デパートやスーパーでは多種多様なチョコレート菓子が山積み。昨日のあるデパートでは、開店前から目的のチョコを買うための長蛇の列ができていました。ただ、この女性が男性にチョコレートを贈るという習慣は日本独自のもので、戦前にモロゾフ製菓が英字新聞に掲載した広告が始まりとされる説と、戦後数年経った頃のメリーチョコレートがデパートで行ったセールが始まりであるという説に分かれるようです。後者の場合、セール3日間で3枚しか売れなかったという話が残っています。チョコは別にしても、バレンタインデーの歴史はローマ帝国時代まで遡るとされるようです。

 担任時代は、子供たちがバレンタインデーにチョコレートを持参してプレゼントすることが流行りました。それを禁ずるとこっそり手渡していた場面も…。そして、手作りが主流でした。そんなバレンタインデーも様変わりしているのかもしれません。

 先週、第八中学校を訪問した際に見た1年生の学級新聞。トップ記事はアンケート結果でしたが、「今、つきあっている相手・好きな人は?」という設問に対して、「いない」が半数。「いる」が2人であとは「秘密」という内容。さらに、「理想の結婚年齢は?」に対して8割弱が20代、2割弱が独身、10代と30代が1人ずつ。紙面の下方には、「クリスマス、だれと過ごした?」といった内容も…。中1らしい?だから、次の学級新聞はきっとバレンタイン&好きな先輩の特集ではないかと勝手に予想しています。

161 今できることに挑戦(2/10)

 三浦知良選手がポルトガル2部チームへ移籍。55歳、プロ38年目のシーズンになります。前例などなく、不安も小さくないはずですが、常に前を向いた挑戦は続きます。

 長年頑張っているといえば、市川市クリーンセンターも同じ。1994年から稼働開始しましたので28年経ちます。「なんだ、まだ28年じゃないか」と感じるかもしれませんが、市川市ではクリーンセンターが1か所だけですから、負担や稼働率は極めて大きいはず。建て替え計画もありますが、その費用も莫大。世界の国別ごみ焼却割合をみると、ダントツで日本が一番!OECDヨーロッパ全体の平均が25%に比べ、80%に届こうかという勢いです。

 そんな日本にあって、徳島県上勝町ではごみを徹底して45分別して、リサイクル率は81%という“ごみゼロの町”を目指しています。東京は24%といいますから驚異的な数字です。約20年前に、全国で初めてリサイクル率100%を目指す“ごみゼロ”宣言をした町です。丁寧に分別して無駄な税金を使わないように努めているといいます。生ごみは自宅処理。45分別についても、都心から移住した人は、「東京はごみ収集の曜日が決まっているし、何時までに出さなくてはいけないとか制限がある。ここでは、自分の好きなタイミングで捨てに来られるから、慣れればこっちのほうが楽」と言います。小さな町だからできるのではなく、皆が納得して取り組んでいるからこそ成果を上げているのだと思います。ただ、課題は高齢化対応だとか。1か所しかない集積所に持ち込めないお年寄りのための収集などです。

 4年生の社会科「健康なくらし」という大単元で、「ごみの処理と利用」「くらしと水」について学びます。最後には、再利用や無駄を極力なくすことなど、自分たち一人一人にできることを考えるのです。その時の自分の思いが時間とともに萎んでいかないでほしいと願います。前向きな挑戦をぜひ学校と家庭から!

160 ニヤニヤ(2/9)

 昨日の朝、飼育していた2羽のウサギの死を悼む放送と黙とうが行われました。手を合わせて拝む場所をつくり、写真などを設置しました。

 放送といえば、1月から始まった新番組がたくさんあります。面白そうだと思うと、手あたり次第録画。でも、観られる時間には限りがありますから、あれよあれよという間に溜まっていきます。一晩に2本観ないと消化できなくなるほどで、「これっ、つまんなさそうだから消すよ」と、主観というか先入観というかを前面に出して一度も観ないうちに危うく消去されそうになります。ただあまり強く否定できません。なんたって1年近く経っても見ていない番組が残っていたくらいですから。

 ある日、何十冊もあるアルバムから1冊を眺めながらニヤニヤしていました。娘が2歳になった日の誕生会の家族集合写真です。両方の両親を家に招いてみんなでお祝いしたのです。私も若いけれど、両親も若い!数えてみると、その時の父の年齢が今の私よりも少しだけ若い計算になります。ということは、私自身が写真の中の父のように見えているということ?まだまだ若いと思っているのは、自分だけのようです。

 校長室で子供と話をしながら、昼食代が話題になりました。「会社員と学校の先生とでは、1年間の昼食代が10万円くらい違う計算になる」と試算した結果を話してくれます。順序だてて説明する姿に聞き入ってしまいました。確かに、1食ワンコインの500円とした場合、月20日食べると1万円。仮に700円だったら月1.4万円の支出です。学校給食は月5千円計算ですから、差額は少なく見積もって月5千~9千円。1年で6万~11万円にもなります。給食は栄養バランスがよく、適量ですから健康にもよいわけで、以前にも書きましたが私は給食で40年近く生かしてもらっているのです。

 話があちこちに飛びましたが、今日の献立にすき焼き煮とかマカロニサラダという文字を見つけて、ニヤニヤしながら「ありがたや~」と心の中で唱えています。

159 健康のために(2/8)

 電動歯ブラシが、私の口腔ケアに欠かせない存在になっています。3機種目になりますが、歯並びの悪い私には、痒い所に手が届く一品。最初は「カバの歯磨き」と言ってバカにしていた妻も、いつの間にか使用するようになっています。

 健康のためにといえば、現在使っているスマートウォッチも必需品かもしれません。最初は万歩計代わりでしたが、スマホと連携して着信が手首でわかるものがあると知って交代。さらに睡眠の質を計測できると知って交代。今のものは、これらに加えてGPS機能があるので、スマホを持たなくてもランニングの距離や時間、速度などを測ってくれるのでとっても便利。一方、睡眠計測機能は最初よく使いましたが、今ではごくたまにしか確認しなくなってしまいました。

 2月5日の朝日新聞に、児童生徒の睡眠に関する記事がありました。江戸川区のある小中学校で希望者の協力で睡眠を計測したそうです。データの収集とともに、子供本人と保護者が睡眠の質を知り、睡眠に関する知識を増やしてもらうことを狙ったといいます。実際、睡眠時間が短かったり、就寝時刻が遅かったりする結果がみられますが、多くの児童生徒が寝る時刻と起きる時刻を意識して、生活リズムを見直すきっかけになったそうです。

 よい睡眠のために、生活習慣を整えることは言うまでもありませんが、日中の適度な運動、朝日を浴びて朝食をとること、夜食は控えること、布団の中でスマホやゲームはしないことなど、「平田っ子生活習慣チェック表」から振り返り、できることから始めて続けることが大事だと思います。

 また同日の記事には、「給食モグモグ…」と題した記事もありました。大阪府の小学校6年生を対象に、デジタルヘルス機器を利用して、食事中の噛む回数や姿勢などをデータ化するのだそうです。本校では、保健委員会が中心となって全校に訴えかける健康テーマも「姿勢」。学校医の渡邊先生のお話も動画撮影します。そして、3度の食事に欠かせないのが「噛む」という行為。よく噛んで食べることには、歯周病等を防いだり肥満を防止したり、脳の発達を活発にしたりする効果があることはよく知られています。

 様々なフィルターを通して、自分の健康に関心を持ち、よりよい行動・選択ができる子供たちに育ってほしいと思います。

158 夢は広がる(2/7)

 孫が立派なキッチンキットで遊ぶ姿を、インスタのストーリーで見ることがあります。遊び道具も本格的になって、ごっこ遊びも様変わりしています。

 「サラリーマン川柳」から「サラっと一句!わたしの川柳」に名称がリニューアルされて最初のコンクール優秀100作品が1月下旬に発表されました。そして現在、ベスト10を決めるための投票が行われています。100句には、新型コロナが流行して3年が経つ今の世相を反映させるような作品や「二刀流」の文字が並びます。そんな中に、『我が娘 お店ごっこが セルフレジ』(北鎌倉人さん)や『現金か ペイペイですか おままごと』(大和の雨蛙さん)といった句を発見!幼児の遊び方までが変わっていくのかもしれません。

 さて子供のころ、自分の夢を広げ、どこまでも行けそうな気にさせてくれた夢の遊び道具、それが自転車でした。自分の行動範囲とワクワク感を掻き立てる立派なおもちゃです。ハンドル中央のボルトに「G」マークを黒マジックで書いたのは、マッハ号のハンドルに見立てて…。でも名前は「流星号」。そして、小学校高学年では、フラッシャー付き自転車(写真参考)を買ってもらいました。八千代から印旛沼や成田まで、近所の友達と小旅行というか冒険の旅に出かけました。大人になってマウンテンバイクを通勤手段にした時もあります。クロスバイクを安く譲ってもらって、ヘルメットや手袋を揃えて週末に20kmくらい走ることもありました。2本足より行動範囲がぐんと広がると、「今日はこっちへ行ってみよう」と思うままにペダルを漕ぐのです。だから一時期、もっと速く、もっと遠くへという気持ちが膨らんで、ロードバイクを手に入れる計画を練ったこともありました。

 子供用自転車の補助輪を外すタイミングが、偉大なおもちゃに変身する瞬間なのかもしれません。「ちゃんと支えているから大丈夫だよ~」と安心させて、荷台から軽く手を放してみると、自分でスルスルと走り出す子。まだ支えてもらっていると勘違いしながら…。何かができるようになる時ってこんなもの。人材育成においても、その人がまるで自分の力で成し遂げたような気持ちにさせられたなら最高だなと思うのです。

157 卒業生(2/6)

 「ともぞう」「ともちん」「ともちゃん」「びちお」「あぶらん」「あぶらちゃん」「あぶら」「半平太」…。さて何のことでしょう?実は、家での私の呼び名!現在、我が子からは専ら「ともぞう」と呼ばれています。「お父さん」なんて言われていたのは小学生までかもしれません。「ともぞう」は『ちびまる子ちゃん』のおじいちゃん発祥ですし、「あぶら」は頭に触れると脂が付きそうだから。「半平太」は昔の漫画『グーグーがんも』からきていますが、「びちお」は何だったか思い出せません。また、家族みんなそれぞれに呼び名があります。妻は「おかこ」ですし、娘は「しりこ」、息子は「ポチ」。変な家族です。平田小の子供たちはみんな、家では名前で呼ばれているのかなぁ。

 さて、職員室でおしゃべりしていたときに平田小卒業生の話になりました。「Suica」のペンギンの生みの親であり、千葉県のマスコットキャラクター「チーバくん」、ヤマト運輸の「クロネコ」ほか「ちびゴジラ」などを手がけたイラストレーター・絵本作家の坂崎千春さんが、本校の卒業生だという噂があるというのです。年齢から卒業年を割り出して卒業アルバムをめくってみました。2冊目の5組(当時は6組までありました)の集合写真でビンゴ!面影がありますが、同姓同名ということも…。そして、職員集合写真には懐かしいお顔がちらほらみられました。

 ただ、当時は文集がありませんので、どんなことに感動しどんな夢を持っていたかは推し量れません。きっとあだ名で呼び合うことだってあったでしょう。色々話を聞いてみたくなります。例えば70周年記念に招くことだって考えられそうです。アルバムに住所を載せていた時代ですから検索すると当時の家の場所がわかります。今もどなたかが住んでいるのでしょうか?こんなことを考えているとワクワクして時間がどんどん過ぎてしまいます。星野道夫さんの時もそうでしたが、いけない いけない!

156 福は~内(2/3)

 庭に置いた寄せ植えのビオラが、毎朝首を垂れ、縮こまっています。土に触れると寒さで凍っているではありませんか。厳しい寒さに耐える生命力はすごいの一言です。

 さて、私は20歳まで祖母と父母、弟の5人暮らしでした。幼少のころ、2月3日夜は父が帰宅するのを待って豆まきすることが恒例でした。それまで閉まっていた雨戸を開けては「福は~内、鬼は~外」と大きな声を父と祖母が響かせます。庭や道路に向けて豆を撒きます。子供ながらに恥ずかしかったことを思い出します。門扉には柊やめざしが結わえ付けられ、翌朝の道路には豆が散らばっているような時代だったのです。こうした風習が身に沁みついた私が子供をもってからの節分は、大声ではないにしても「福は~内、鬼は~外」の声とともに豆をまきました。妻か娘か忘れましたが、玄関扉の取っ手をつかんで「早くして!」と急かす声を聞きながらのパラッパラッパラ。寒いからは早く閉めたかったのではなく、恥ずかしいから早く入ってほしかったのです。

 食卓には必ずめざしが何尾も並べられました。苦くて好きではなかっためざしを、今では頭から丸ごとガブッ…。福豆を口にするときも、「歳の数だけね」と言われ、祖母が羨ましかった思い出がありますが、さすがに今は十分な数を食べられます。ただ最近は、節分につきものの声も聞こえませんし、翌日の道路に豆を踏んだ跡もありません。我が家も子供たちが家を出てからは、自分の口の中に「福は~内、鬼は~外」と小声で囁きながら豆を放り込むだけになりました。

 給食の時間だって、教室の中で豆まきをする姿は皆無。当然、年度末の大掃除で背面ロッカーの裏側から無数の大豆がゴロゴロ発見されるなんてこともありません。まぁ地震対策でロッカーも固定されているから動かすことすらできませんから…。

 今日の放送朝会でも「節分」について触れました。以前調べたときに、再来年の節分は2月2日になることを知りました。また、新しい年が春から始まると考えられていたずっと昔は、「立春」は1年始まりであり、「節分」は大晦日に当たる日だったわけです。そんな大事な日に、今年度あと2か月の「絶対にこれだけは頑張る」という具体的な目標を立てて取り組んでほしいとお願いする予定です。ちなみに、今日の給食は大豆入りご飯と鰯フライ。福豆・目刺しをイメージして…。

155 幸せってなんだろう(2/2)

 キッコーマンのポン酢醤油のコマーシャルで、明石家さんまさんが「♪しあわせって、何だっけ何だっけ…」と歌っていたTVCMはもう40年近く前のこと。10数年前も再登場したので記憶にある人もいるでしょう。

 そんな「幸せ」をどんな時に感じるのでしょう。以前、お母さん方が集まる会で、幸せを感じるときってどんなときか挙げてもらったことがあります。「忙しく作った簡単なご飯でも、おいしいと言って食べてくれる時」「暖かい布団に入った時」「つまらない冗談を言っても、子供にうけた時」など。ちなみに、私が子供たちに話した幸せを感じる瞬間は次のとおりです。

  1 冬のまだ寒い時期に、植物の新しい芽や小さな花のつぼみを見つけた時

  2 よく晴れた真っ青な空の向こうに、雪をかぶった富士山がくっきり見えた時

  3 夕日が沈んだ後、紫色にオレンジ色を混ぜたようなきれいなグラデーションの空が見えた時

 わかる人にはわかるはず!特に、2の場合なぜか手を合わせて拝みたくなってしまうのです。寒い冬の間に育っている小さな命や季節の変化に目を向けられる子供たちであってほしいと願います。

 さて、およそ3週間の通勤読書+αで『アキラとあきら』を読み終えました。常に問題が勃発し、ドキドキ感が止まらない展開は読みごたえがあり、まさに池井戸作品でした。企業や銀行員、工場などで働く人々がたくさん登場しますが、「誠実・正直であること」、「状況を見極め、その分析・判断をしっかり行うこと」、「多面的な視点を持つとともに我慢も必要であること」など、人の生き方や考え方が凝縮されていました。さらには、人とのつながりの大切さと信頼を改めて考えることもできました。結局のところ、会社であれ自営業であれ学校であれ、「ひと」が活き、「ひと」を育てる経営が大事なのだと改めて思います。誰か一人が頑張っても駄目ですし、誰か一人が手を抜いても駄目なのです。かといって横並びというわけでもありません。様々な声に耳を傾け、人が人を育て、人と人が伸びあう平田小であるために今できることは何かを考え、少しずつであっても実践を重ねています。幸せを願って…。

154 どれにしようかな(2/1)

 コロナ禍でいつのまにか閉じた店舗もあれば、ここへきて新規開店する店もあります。ショッピングセンター内テナントやコンビニの淘汰があちらこちらで見られます。でも、新しい店が開店する前になると、なんだかワクワクします。

 ランニングしていると、近所で小売店舗建築の予告が貼られています。見るとクスリ屋なので驚きです。だって、自宅から1キロ圏内に林立しているからです。Wが4軒、Sが2軒、Mが3軒、Kが1軒あるにもかかわらずさらにCですから、5チェーン11店舗になります。コンビニより歯医者のほうが多いと言われるらしいですが、クスリ屋も負けていません。きっと売り上げを伸ばし、生き残るための戦略が常に展開されているのでしょう。ただ、それぞれの店でポイントカードを用意して囲い込みをしていますから、あちこちで購入するメリットはあまりないはず…。そんなことを思っていたら、1月末のヤフーニュースに「100m以内に乱立!ドラッグストア戦国時代」といった感じの記事を発見!記事として取り上げられるほどなのだと、一人納得したのです。

 話は変わりますが、今年になって浅草に行ったとき、雷おこし販売店に入りました。祖母が浅草に行くと必ずと言ってよいほど、仏壇に雷おこしが供えられていたものです。ただし今は、昔よく食べたものとは味も形も違います。様々な味のキューブ状おこしが容器に入って食べ比べできます。こうした試食品は、コロナ以前スーパーマーケットなどで多く見られましたが、ここでは健在です。コロナ前は、よくつまみ食いをして妻に叱られました。果物だったりウインナーだったり…。おこしも蓋を開けて食べたくなりましたが、さすがにやめておきました。

 でも選択肢が多いということはある意味、消費者には嬉しいことだと思います。

153 創立70周年を控えて(1/31)

 (ビフォーアフター風に)なんということでしょう~。もう1月が終わります。歳をとるに従って、一日、ひと月、一年が過ぎるのがスピードを増すような気がします。

 大相撲初場所は、大関・貴景勝の優勝で幕を閉じましたが、途中まで優勝争いをしていた力士のしこ名が読めませんし、何度聞いても覚えられません。「阿武咲」をどう読むと「おうのしょう」になるのでしょう。「大野小」と聞こえます。祖母が相撲好きだったので、小さなころからよく観ていました。物心ついたころの相撲ヒーローは第48代横綱の大鵬。「巨人・大鵬・卵焼き」と並べ称えられた時代です。その後、現在の第73代照ノ富士まで様々な横綱が生まれましたが、ダントツに格好良かったのがウルフこと「千代の富士」。筋骨隆々の肉体は、今の力士には見ることができないような気がします。

 さて、昭和28年4月に在位していた横綱は、第40代から第42代の東富士・千代の山・鏡里という3名ですが、その年に平田小学校が誕生しました。来年度70周年を迎えます。どんな企画でお祝いしようかとPTA会長さん方と検討を始めました。来年度になってから、周年行事のためのPTA委員も募集されますので、方向性と土台づくりはしておきたいと思います。例えば、校庭に人文字を作って航空写真の撮影。業者サンプルを見ると、春に撮影した場合と秋以降とでは、影のでき方が違って鮮明度が違うことがわかりますし、記念誌編纂に関する他校の事例も見ました。デザイン等は、今年度内に児童から募っておくことで来年度当初はスムーズに作業ができるのではないでしょうか。来年度になってから始めても時間的余裕がある取り組みもあります。だから、学校にかかわる多くの人のアイディアを生かした70周年記念行事にするために、計画的に進めていきたいと思います。ご協力よろしくお願いします。

152 技術は進歩しても…(1/30)

 6年生の卒業アルバムのゲラが出来上がったので見せてもらう機会がありました。個人写真はみんなよい表情をしています。私の時代は集合写真だけでした。学習場面や運動会、修学旅行、ホワイトスクールなどの行事のページもあります。担任は、「どの子が何回写っているか」をチェックして不公平感を生まないように配慮しますが、これが結構大変な作業です。でも話を聞くと、去年と違ってAIが顔認証で写真全体の中に登場する回数をカウントしてくれるようになったといいます。加速度的な技術の進歩に驚きを隠せません。

 さて、先週の昼休みに「校長先生に相談したいことがあります」と言って訪ねてきた5年生の児童がいたので、校長室のソファに座って話を聞きました。なかよし広場には昔、今よりももっと遊具があって楽しかったそうです。だからまた、以前のように遊具を増設してほしいという訴えです。「僕は筋力がないので、楽しく遊びながら力をつけたい」ともつけ加えてくれました。吟味する価値がありますが、変な期待を抱かせてはいけないので、具体例を挙げながら難しいかもしれないことも伝えました。ただ、単身で校長室へ要望を伝えに来た勇気は大いに称賛に値すると話したのです。

 また、その数日後に4年生4人から「聞いてほしいことがあります」と声をかけられました。インターネット上で放映される企画に応募したいので、その計画書を見てほしいから時間のもらえる日はあるかを問われましたので翌日の昼休みを設定。一通りの説明を受けて、クリアしなければならない課題を3~4つ提示しました。ハードルは高いかもしれませんが、食いついていこうとする表情がとても素敵です。

 たった二例ですが、とても嬉しく思います。思っても行動できない、ましてや目上で立場ある人間にそれを訴えるなんて並大抵の覚悟ではできません。勇気をもって行動に移したそのこと自体に価値があり学びがあるのだと私は思いますし、そんな子たちがたくさんいて、私が悲鳴を上げるようになることをある意味期待しているのです。

 この子たちが来年度の高学年です。様々なアイディアを秘めている子もいるでしょうからとても楽しみです。卒業アルバムだって、今以上に自分たちの思いが反映されるかもしれませんし、写真選びや写っている回数のカウントを自分たちでやってしまうかもしれません。

151 失敗を恐れず(1/27)

 先週、5年生が家庭科でお茶の淹れ方の実習をしていました。ガスや沸騰した湯などを扱うため、火傷には十分注意をしながら進めなければなりません。子供は予期しないような行動をとることがあるからです。順序だてて水や茶葉の量、濃さを均等にして注ぐことなど指示して、いよいよお茶を飲む段階です。ん?茶碗に鼻を寄せて匂いを嗅いでいる子がいる!あらら?苦くて顔をしかめている子があちらこちらにいる!そういう子に尋ねてみると、普段から日本茶を飲みなれていないようです。もしかすると、家には急須(土瓶)といったものがなく、お茶を飲む習慣がないのかもしれません。あるいは、湯を沸かしたり、茶葉を保管したり、淹れた後のいらない茶葉を捨てたりする手間を考えるなら、ペットボトルで十分と考えるかもしれません。ペットボトル茶は万人向けですから苦みは抑えられていますから。ずっと昔、ペットボトルのお茶や水が売り出されたときには、「売れるわけがない」と高をくくっていましたが、今や清涼飲料水より売り上げは上位を占めますからびっくりです。

 さて、教頭先生から借りた本の中に、こんな一節がありました。

 私たち指導者の役目は「失敗しないように導く」のではありません。失敗を恐れず踏み出せる子、失敗を糧にできる子を育てること。なるほどねと耳を傾けられる大人たちがいる空間を、人材育成の現場でつくり上げていく。(略)

 学校教育でも大事にしたいことです。児童生徒の指導のベースには、対等な関係性の中で多様性を認め合える教職員がいてこそなのだと思います。

 お茶を淹れたり包丁を握って料理をしたり、洗濯したり畳んだり、子供が家庭でできることは様々です。でも、教えすぎたり、危ないからといってやらせなかったりすることはないでしょうか。失敗イコール事故やケガとは限りません。野菜の切り方がちょっと変でも服のたたみ方が自分のやり方とは違っていても、やろうとしたことや実践したことを認めてあげられる安心な空間を家庭にも学校にも作りたいと思います。自分への反省を込めて…。

150 開花、結実を待つ(1/26)

 手袋をしているのに指先に痛みを伴う感覚の今朝の寒さ!久しぶりです。

 先週、大和田小で5時間目に授業公開があるというので出かけていきました。学校に戻るときに1年生とすれ違います。コートを着た私が手を振るとキョトンとして、しばらく経ってから気づきます。「えっ、何で?」と問われもします。校外を校長が歩いているなんて思いもしないのでしょう。もしかすると、校長は学校に住みついていると考えている子がいないとも限りません。

 さて、何年も前に野菜作りのために畑を借りたことがあります。ナスやキュウリ、オクラなど何種類かの苗を植えて育てました。自宅から車を使わないと行けない場所だったので、頻繁に足を運べません。しかも、元雑草地だったため土壌があまりよくなかったことも手伝って、ほとんど収穫がないまま契約を解除しました。

 だから、自宅で育てる野菜や果樹は成長が手に取るようにわかって楽しい。ただ、今年はレモンの実りが芳しくありません。柑橘類は隔年で豊凶が繰り返されるようで、今年は「凶作」の年回り。数種類あるうちの1つは超小ぶりですし、別種は4個しか実りませんでした。そうはいっても、自分で育て収穫した果樹が食卓に乗るのは格別です。キンカンも甘くておいしいようで、鳥と共生しています。先日は、学校で実った柿をベランダで干して作った干し柿をいただきました。比較的小さめでしたが、素朴な甘さがあり、手作り感を味わえました。

 家のカーテン越しに陽光を浴びたセントポーリアがもうすぐ咲きそうです。トイレの窓辺のシクラメンも蕾をピンク色に染めています。子供たちが育てている秋植えの球根は、土から顔を出し始めようかといった段階。「昨日雨が降ったから、今日は水をあげなくてもいいんだよ」と教えてくれた1年生。丹精込めて育てた植物が芽を出し、花を咲かせたときの嬉しさは、果樹の収穫にも劣らないくらい嬉しいはず。寒さが厳しい時期に土の中で育っていく球根を慈しむ子供たちのように、私たちもまだ芽が見えなくても子供たちは着実に育っていると信じて水やりを続けていきます。

149 始める、そして続ける(1/25)

 今朝、学校近くの高架脇を歩く私は身長4m以上!そう、影の長さです。キンキンに冷えた朝も、朝陽がまぶしいというだけで気分は上々。不思議です。

 最近、インスタグラムを見ているとリアルな色鉛筆画が登場します。ポテトチップなどのパッケージが本物と見間違うほどの精度で紙に描かれています。上から見るとまさにそこにあるように見えますが、その上に鉛筆を転がすと平面であることが確認できます。フェイクの画像や映像が氾濫していますので、本物かどうかは定かではありませんが、「色鉛筆でリアルな絵を描きたい」と思ったのは本当!娘が残していった入門書のような書籍を引っ張り出してぺらぺらとめくってみました。ただ、ここからが自分らしいというか最大の欠点なのですが、描きたいと思って本まで手元に置き、目の前に24色の色鉛筆があるのに、放っておいて行動に移せない!

 少し前まで校長室前廊下に掲示しておいた、「したい人1000人、始める人100人、続ける人1人」という言葉があります。う~ん、始める百人にもなれない自分が嫌になります。でも、ウクレレは続いているからいいかぁ、と言い訳するのも悪い癖。

 さて先週1月17日、「阪神淡路大震災」から28年が経ちました。つまり30歳未満の人は全く記憶にないわけです。「東日本大震災」からもまもなく12年です。これまた、小学生以下は経験していません。戦争に関しては80歳でも記憶がない過去の事実と化しています。自然災害や戦争などを経験して教訓を得ても、それらが実感を伴って継承されない限りは風化の一途。6年生が聞いた戦争被爆体験者の話や4年生以上が社会科で学ぶ内容、3月の市川市防災の日における学校での取り組みなどを通して、思いを伝え続けていくことが大事です。

 色鉛筆画は「始める」前に挫折しても、戦争や災害の悲惨さ、そこから立ち上がってきた人間の営みを伝え、考えていくことは「続けて」いきます。戦争や災害は過去の出来事ではなく、私たちの目の前に突き付けられている現実なのですから。

148 いつか思い出す(1/24)

 この場を借りて食べたいものをつぶやくと、準備してくれることが2回続きました。年末の「そろそろすき焼き食べたい」の一言は、1月2日に実現しました。ただし、新年早々「今年はこれが最後ね!」と念押しの一言が添えられたのは言うまでもありません。そして、鏡開きの日に書いた「焼き餅を入れたお汁粉を食べたい」に至っては、その日のうちに食卓に上りました。茶碗に盛られたご飯の量が少ないなぁと思っていたら、最後に出てきたのです。我が家の女神様に見えました。これに味を占めた私は、次は何をつぶやこうかと画策中!

 さて、今日から30日まで「学校給食週間」となっており、学校ではそれにちなんだメニューが提供されます。その由来は、1947(昭和22)年12月24日まで遡ります。まだ戦争の足跡を残す当時、東京都内の小学校でアメリカからの給食用物資の贈呈がありました。この日から東京都・神奈川県・千葉県で、試験的に給食が始められました。よってこの日が「学校給食記念日」となりました。でも、冬休みに入ってしまうため、この1か月後の1週間が「学校給食週間」となったのです。私の場合、教室にある煙突式のだるまストーブの上に水を張ったたらいを乗せて、ビン牛乳を温めて飲んだことは冬の懐かしい思い出。先生が持ってきてくれた干し芋も温めて食べた記憶。古き良き時代を懐かしみます。

 懐かしいといえば、日曜ドラマ『ブラッシュアップライフ』の第2話にそんな場面がありました。1997年頃、女の子の多くが持っていた「シール帳」が登場します。フエルトシールなどを交換する姿が、当時担任をしていた子供たちと重なります。またその数年後、「プロフィール帳」が流行りました。クラス内で交換しあったり先生に持って行ってお願いしたりする姿があちこちで見られたものです。娘の姿ともかぶってしまう一場面でした。

 今流行っているものだって、全然違うものに変わって懐かしく思う時がくるのです。ちなみに、それが何なのかがわからないので、聞いてみることにします。もしかすると、1周回って昔のものがリバイバルなんてことも?

147 寒くない冬(1/23)

 天気のよい日は、屋外にいても日なたは心地よく感じます。逆に室内の方が足元からしんしんと冷えてくるようです。  今日は、「八甲田山の日」。120年ほど前の明治35年、八甲田山へ雪中行軍に出かけた兵士210名が遭難しました。映画あるいは書籍等でご存じの方もいるでしょう。冬の八甲田山は冬の重装備が必要です。スキーがまだ伝わっていない当時、雪中行軍のノウハウの無さや指導部の無謀さから、兵士は軽装のまま行軍を開始。その結果、猛吹雪の中で道を失い、寒さと空腹、疲労により遭難してしまいました。数日後、199名の凍死が確認されたのです。

 先週、ある天気アプリの週間予報を見ると、柏市の25日(水)とその翌日の最低気温が「-13℃」「-11℃」と表示されています。明らかに間違いだと思って問い合わせると、次のように丁寧な回答をもらいました。

 “予想気温につきましては不具合によるものではなく、強い寒気の流入を踏まえて予測された値でしたが、予測対象日まではまだ日にちがあり、予想気温がかなり低い値となっておりました。(略)”

 ここ何年もあまり寒くない冬が続きます。昔は首都圏でも結構雪が降ったような記憶がありますが、積雪は極めて少なくなりました。目に見えてわかる温暖化でしょうか。通勤通学にはありがたいのですが、雪遊びをしたい子供たちは残念かも。雪とともにほとんど見かけない景色になったのが「氷柱(つらら)」です。軒先にぶら下がった氷柱を折って舐めたこともありますが、「汚いからやめなさい」と叱られました。そうそう、雪も奥の方を食べました。霜柱を踏んで歩くのも楽しみでしたが、どれだけの子がそうしたことを経験しているのでしょう。

 明日以降、強い寒気団が流れ込む今週。気温が上がらなかったり最低気温がかなり低めだったりします。暖かくして出かけたいと思います。

146 平田ソファさんは52歳(1/20)

 先週からいつも朝の通勤電車で私の前に座る同年配の男性の顔が見えません。もしかすると感染症に罹ってしまったのかもしれません。いつもある景色が違うと少し不安になります。JRではベビーカーを押した男性が乗ってきました。その車輪を私の足の上に乗ったことに気づいて向きを変えましたが、「ごめんなさい」が言えない?イラっときましたがグッと我慢!

 さて、本校の「平田ソファさん」は52歳。運動不足も手伝ってか、年齢による肌荒れや痛みは隠せなくなってきました。日焼けによるシミも年齢相応かそれ以上かも!この方は、校長室の真ん中に鎮座するソファです。四角い座面の内側に3~4か所の裂け目があるのです。その傷を線で結ぶと正方形になるからあら不思議。座面を裏返すと、ちょうど傷になる辺りにボタン状の突起があるのです。きっとこれが原因です。備品シールには「昭和45年」とあったので年齢が判明しました。痛んできて当たり前。表面の弾力もなく、メンテを忘れたときの私の皮膚状態?!

 先日、このソファに座った子が、無意識で座面の裂け目に指を入れているではありませんか。こうして傷は広がっていくわけですが、指を入れたくなる気持ちもわからなくはありませんので見て見ないふり。ただ、これ以上広がらないようにするために座布団のようなものを置く必要がありそうです。どこかに不要となった応接セットはないものでしょうか?

 さて、書き初めの展示が来週23日から2週間、教室前にされます。昔、自分の子供たちに家で練習させたことを思い出します。形や勢い、筆の動きを「ドン、ス~、パッ」のように音で表して脇で見ていました。でもその指導は厳しかったようで、書き初めの練習は憂鬱だったと今更ながらに言います。横画では右上がりを意識すると形が整いますが、左利きには筆運びが大変です。息子がそうだったので、体育館で取り組む中にサウスポーを見かけると応援の声をかけたくなります。

 私も応接セットのテーブルにカレンダーの裏白を広げてお習字をしました。“「ありがとう」を口ぐせに”と書いて、掲示板にそっと貼っておきました。

145 もっともっと(1/19)

 朝、家を出るときの明るさが増して、明けるのが少しずつ早くなってきたことを感じます。

 ある曇り空の朝、「今日は寒そうだね」と言うと、「ヒィーテンナイシ~」と返ってきます。何語ですかと思うでしょうが、さすがに30数年一緒にいるとすぐにわかります。「今日は、陽(ひ)が照んないし、きっと寒いだろうね」と言っているのです。「家族だからこそ伝わる言葉」「その家独特の言い回し」がきっとあるのではないでしょうか。

 先日、新しいウクレレを買ってしまいました。3本目です。「手が2本しかないのに、ウクレレばかり増やしてどうするの!」と呆れられています。でも、現在所有するものとは違った響きに心浮き立ちます。まるで新しいおもちゃを買ってもらった子供のような気分とでも言いましょうか。

 最初1年半通ったウクレレ教室の先生は、私が初心者でしたから目標がわかるように指導してくれました。30分レッスンですから無駄なおしゃべりは一切ありませんし、質問できるような余地というか話しかけることすらできませんでした。「もっとコミュニケーションをとりながらやりたい」というのと「ソロ演奏に挑戦したい」という希望から、教室を変えて1年近く経ちます。現在は、疑問や希望を自由に口にできてそれに対して的確な回答がもらえます。でも、進むべき方向が示されず私次第といった感じです。「こうしたい」と言えばそれに寄り添ってくれますが、初心者を抜け出せない自分がもっとステップアップしていくためにどうしたらよいのかが見えてきません。費用は決して安くないからこそ、この先どうするか悩んでしまいます。

 学校や教室も似ていないでしょうか。程度の差こそあれ、もっとできるようになりたいと願う子供は少なくないはず。そうした願望を秘めた子供たちに指導方針や進む方向性が伝わるか否か、教職員と話がしやすいか否か、一緒に創り上げていく感覚を共有できるか否か、大事なポイントです。個に応じて適切な目標設定と支援・指導ができるように私たちも日々学び続けることが求められていると思います。

144 共通テストの日に(1/18)

 ずっと感じてきた素朴な疑問。

 それは、“どうして「理科」だけ「科」が標準装備なのだろう?”というもの。一般的に学校の教科に関しては、「科」を省いても成立します。国語・算数・社会・外国語・体育など。でも、「理科」だけは「理」だけではわかりません。必ず「科」とセット表記です。学習指導要領の教科名も、理科だけ「科」をつけています。いったいどうしてなのでしょう?

 『Yahoo知恵袋』の回答には、“「理科」は、物理・化学・生物・地学をまとめて縮小した「造語」だそうです。明治19(1886)年に制定された小学校令を作成する際に物理・化学・生物・地学の自然科学関係4教科をまとめて縮小した言葉として創られたのだそうです。よって、国語・算数などと同じように理科で一つの言葉なのです。”(ほぼ原文のまま)とあります。

 また、『教えて!goo』にはこれを補足するように、“実際、昭和初期の制度では、「理数科理科」「理数科数学」という言い方がありました。”(原文のまま)と書かれています。ただ一部には、「理科科」とする学校もあるようです。

 さて、先日「大学入学共通テスト」が行われました。千葉県内では29会場で2万4千人余りが頑張ったようです。昨年度から「大学入試センター試験」から名称を変更して実施。遡ると、1990年度に始まったセンター試験以前は、1978年度から11年間続いた「大学共通一次試験」でした。私が受けたのも共通一次の初期。そして、理科4分野で選択したのは、生物と地学!物理は苦手でした。

 共通テストが行われる当日、私の頭を悩ませたのが新聞にあった「漢字熟語クイズ」。虫食い状態の3~5文字熟語を完成させていきます。簡単そうに見えてもフル回転の脳みそです。例えば「○○高島○」という問題だと、何が思い浮かぶでしょう。懸命に考える私の脇で「大宮高島屋」とささやく輩。正解は「文金高島田」だったのです。また、完成すると「金茶金十郎」となる言葉があります。知らない人物ですし、本当にあるのかと思って調べると、“芸者屋などで大金を浪費することから転じて、「馬鹿者・たわけ者」を指す”とのこと。人物ではありませんでした。そういえば熟語問題だったわけです。もう試験とは縁遠くなりましたが、頭の体操は欠かさないようにしないと危ない!

 最近、朝電車に乗ると、受験生と思しき中学生の姿が目立つようになりました。中学受験をする児童もいます。体調を整えて悔いのないように臨んでもらいたいなぁ。プライスレスの応援しかできませんが…。

143 セーターになりたかった毛糸玉(1/17)

 セーターになりたいと憧れる10個の赤い毛糸玉たちが、おばあさんに買われていきます。でも、孫に編んだセーターは9個で完成。1個だけ残った毛糸玉は、赤い手袋となって孫にプレゼントされます。セーターにはなれなかったけれど手袋として幸せな日々をおくっていたのに、孫は手袋をどこかに置き忘れてしまうのです。犬に咥えられ、ネズミにボロボロにされるなど紆余曲折を経て、最後は猫のセーターになって幸せな毛糸玉を描いています。この本は、シャイだった?私が最初に妻にしたプレゼント。絵と話が素敵で自分好みだけど、ちゃんと読んでもらえるか自信がなくて…。

 さて、先週島根県の小学校敷地内で、昼休みに鬼ごっこをしていた児童2人が車に轢かれるという事故が発生しました。敷地内のアスファルト舗装部分が、小学校近くの民家と国道の抜け道となっていたといいます。信じられないことです。ただ、普段当たり前になってしまっている中に落とし穴があるものです。

 学校の門の前まで車で送ってくる場面を見かけますが、道路の反対側で降りて横断歩道を渡らずに横切っている子もいます。以前もかなり危ない時があって注意喚起をしましたが残念です。親の意識・指導の積み重ね、普段の行動はととても大事です。子供はよく見ていますし聞いています。

 子供たちも、毛糸玉以上に「なりたい自分」「夢」があるはずです。自分の内なるものや外的環境が障壁となって、なかなかうまくいかないことに気づかされる経験をするかもしれません。ただ、不注意などによる事故で夢がついえることのないようにしてほしいのです。

142 甘味(1/16)

 浅草へ初参りに行ったのが1週間前。菩提寺があるので事務手続きを兼ねて浅草寺などを詣でました。浅草へ行くと必ずと言ってよいほど足を運ぶのが、甘味処「梅園」です。あんみつ・みつ豆・豆かんなど持ち帰り品がいろいろありますが、毎回迷わず「あんみつ」一択。夕飯の後でも、すんなりおなかは受け付けてくれて、至福の喜び~。舟和の芋ようかんも捨てがたいですが…。

 みつまめは、茹でた赤エンドウマメとさいの目に切った寒天、求肥、白玉、ミカンやモモなどのフルーツなどを器に盛って黒蜜をかけたものを指し、餡をトッピングすればあんみつ!みつ豆であれ豆かんであれ、主役は赤エンドウマメと寒天。創業以来の製法で手間暇をかけて作られた寒天や豆は、しっかりした歯ごたえや味が自慢といえます。また、黒蜜や餡などとのバランスが最適だからこそ美味しいのだと思います。

 これって学級や会社組織などと同じかもしれません。どんなに美味しくても寒天だけとか豆だけでは成立しません。それを引き立てる役割があってこそ。場面によっては役割を変えながら生活をしているのだと思います。互いのよさや足りない部分を理解し、互いに尊重しあってこそ集団が伸びて美味しくなるのだと思うのです。

 11日の鏡開きには、給食で白玉小豆が出ました。小豆を大釜で煮るところから始めます。いくつもの回転窯で時間をかけて丁寧に煮込まれた小豆は濃厚で、適度な甘さから笑顔がほころびます。小中学校合わせて千食以上ですから、作業の大変さは想像以上でしょう。家では焼き餅でお汁粉を食べたい!

141 成人(1/13)

 校長室にやってきた男児が、椅子の後ろに回って「今日は4日目?」と尋ねます。見事な観察力です。私が頭を剃ってから何日目かを見ただけで当てたのです。

 週末恒例の道の駅に行くと、青菜が旬であることがよくわかります。「見事」といえば、小松菜やホウレン草に並んで置かれているターサイのロゼットも見事です。段ボール札には「炒め物に最適」と書かれていますが、「被り物に最適」の間違いではないかと思うほどの大きさ・形です。

 

 さて、先の日曜日や月曜日に晴れ着や慣れないスーツ姿の若者をあちこちで見かけました。40年以上前の自分はどんなだったか思い出そうにも浮かんできません。ただ会場に来たゲストが高橋真梨子さんで、いい声で歌う姿を見ていたという記憶だけは…。

 そして、市行政で勤務していた十数年前の成人式は、防犯担当でした。穏やかに進行できるように客席に目を光らせ、いつでも動けるように身構えていました。ある年は、卒業させた教え子が成人を迎え、挨拶しに来てくれたこともありました。  市川市のHPには、“「成人」とは、心身ともに十分に成長した人のことを指します。一人前の「大人」として社会的にも認知されます。過去に遡ると、奈良時代には既に、成人になったことを示す通過儀礼として「元服の儀」が行われていました。今で言うと小学校高学年から高校生の間の頃で、年齢は一定ではなく、その時代によって変化していたようです。”とあります。成人の代表的な権利にあたる選挙権などについては、既に満18歳以上に引き下げられていますから、「成人」とは何か?「成人」になると何が変わるのか?「成人」に向けて自分自身がどうあるべきなのかを、今のうちから考えてみるのもよいかもしれません。

 今日は5年生が帰ってくる日です。活動の様子は、HPでご覧いただけたでしょうか?ホテルでゆったりした時間を共有することもできたようです。でも、子供たちの心の内側は写真では伝わり切りません。直接聞いてもらったり、個人新聞や作文などになって廊下などに掲示された作品を読んでもらったり…。

140 ぬいぐるみ(1/12)

 我が家には、大小を問わずぬいぐるみがやたらたくさん。数えてみると、寝室に3つ、妻の部屋に9つ、私の部屋に娘が残していったものを含めて20個、階段に2体、1階に9つ、車の中に8つ。校長室にも3つありますが、ほとんどに名前がついています。わが子は、同じように見えるぬいぐるみも判別してちゃんと名前で呼んでいましたし、大事にしすぎてぺちゃんこになっていたり表面が毛羽立っていたりします。家族旅行に行くときもリュックに忍ばせて連れていたくらいです。

 学校ではぬいぐるみや人形を大事にしていることを話したりそぶりを見せたりしない子も、家に帰ると呼びかけたり抱きかかえたりしているのかもしれません。薄汚れて、親にしてみれば「処分対象」であっても子供には大事な家族の一員かもしれません。

 さて、私が補聴器を購入する決め手になった一つに、その専門店の代表が補聴器の愛用者であったことが挙げられます。会話の中で、今何について話をしているのかわからなくなることがあります。聞き取れた言葉をつなぎ合わせて把握するのですが、会話の主導権を握ってしまえばよいと思い、聞くことよりも自分から話してしまって不安を解消するような場面があります。こんなことに、代表が「そうなんですよね」と言って聞こえないつらさに共感してくれたのです。自分が難聴だからこそ、利用する人の困り感に寄り添って軽減したいと直接話を聞くことができ、ここなら安心だと考えたのです。

 年末近くなったころ、「全国の公立小中学校の通常学級に、発達障害の可能性がある児童・生徒が8.8%いる」という文科省の調査結果が新聞に掲載されていました。こうした子供たちにとっても、わかってもらえたり、「そうかぁ」と言って頷いてくれたりする人が大事です。眼鏡をかけたり補聴器をしたりすると同じような支援が必要です。この支援はモノや機械ではなく周りの「ひと」なのだと思うのです。

 もしかすると、何も言わないぬいぐるみに自分のつらさや愚痴を吐露している子がいるのかもしれませんし、ホワイトスクールにぬいぐるみ同行なんて子だっていないとは限りません。

139 トイカプセル(1/11)

 5年生がホワイトスクールに出発しました。宿泊学習なのになぜ校長が学校にいるのかって?引率を教頭先生にお願いしたからです。ただ、学校留守番も大忙し。教頭・教務・養護教諭がいませんから、その役割は自然と私に回ってきます。現地でのけがや発熱がないことを願うとともに、学校も何事もないことを祈るばかり。

 正月2日に、映画『Dr.コトー診療所』を観に行ってきました。始まるまでに時間があったので、ショッピングセンター内にやたらと増えたガチャポンコーナーへ足を運びました。「合掌する犬」「釣りをする猫」「天プラモ丼」「カップみそ汁」など可愛らしいものばかり。同じシリーズを集める人もいるでしょう。5種類あったとすると、全部を揃えられたらいいなぁと思ってしまいます。 私のお目当てはクルマ、「ランクル70」です。以前やった時に出たのが白色だったので、残り3色のどれかが出ることを祈りながらレバーを回転させます。カプセルを開けると、そこに表れたのは前と同じ白。がっかりです。娘や息子に尋ねても「いらない」と素っ気ないLINEの返信。ショックに打ちひしがれる中、思いついたのは自分で塗ってしまうこと。アクリル絵の具を借りて、20時過ぎから一人黙々と作業を開始です。とにかく細かい部分が多いので息を止めるように慎重に筆を動かします。21時を過ぎてもまだ3分の1を残しているので作業終了。翌朝、乾かしてある青と白のランクルを見て笑いながら、「これ、飾りたくない」「やらないほうがよかったね」ときっぱり言われてしまうとさらに意地になってやってしまう性格なのです。

 「やればよかった」「やめとけばよかった」などと後悔することのないホワイト3日間を終えて、全員が笑顔で帰ってくることを願っています。

138 お気に入り(1/10)

 比較的暖かかった昨日と打って変わって、北風に襟を立てたくなる三連休明けです。

 コロナ感染時は、普段服用する薬にさらに加わって、その多さに辟易しました。テーブルに並べてしまうと、同じような大きさや色でどれが何の効果があるのかわからなくなります。サプリメントもその中の1つ。「いつまでも自分の力で歩き続けたい人」「ひざの痛みを気にせず運動したい人」など謳い文句が頭に浮かびます。飲み始めると、飲んでいるからこそ効果があると思って愛飲し続けるしかなくなってしまいます。

 子供のころは薬を飲むのが苦手でした。錠剤は1粒ずつじゃないと喉を通らないし、粉剤は吐きそうになって目を白黒させているものだから、オブラートに包んでくれました。でも、これが大きいと飲み込めない。面倒くさい子供でした。だから今、10錠の薬を一気に飲めるようになったなんて、大人になったと思ってしまいます。

 ところで、そんな子供の頃に愛用していたのは、ジャイアンツの野球帽でした。どこに行くにも被っていたような気がします。中学校では、今と違ってカツオ君が被るような校帽があるなど、帽子はやはり身近なものでした。ただ、高校生になった頃からは疎遠になります。教員になってからは、夏場の陽ざしをダイレクトに受ける頭を見ながら「帽子を被らなくて大丈夫ですか」と心配してくださる方がたくさん。逆に冬は、見ている者まで寒くなるようです。

 そんな私がまた帽子を被るようになったのは、ランニングを始めてから。流れる汗を堰き止めてくれますし、暗くなってからは反射材があるので少しは安心だからです。そうこうするうちに、娘が被るキャップを見て「いいかも」なんて思ったり、真冬はニット帽で武装したりするようになりました。毛がないので、今どきの若者のように似合いはしません。

 年末近くなって、別の帽子を探しました。「イスラム帽」と呼ばれるものです。というのも、亡くなった父も一年中愛用していたものがまだ手元に残っていることやALTの先生が着用していたのを毎回見ていたこともあります。こんな時、ネットショップは本当に便利。帽子屋やアウトドア店を探しても見つからないものが色々あるある!お試しで安価なものをポチりました。商品が届いて被ってみるとすっぽり頭部を守ってくれますが、鏡で見るとじじぃくさい!普通にしていても十分じいさんですが、それをさらに老けさせるようです。

 さて、自分が身に着けるお気に入りの物ってなんですか?持ち寄って紹介しあう懇親会なんて粋? 

137 年末年始(1/6)

 年末にコロナで隔離生活・外出禁止を余儀なくされたときのこと。今の仕事から解放されると、逆にできることには限界がありそうだと心配になってきました。片岡鶴太郎さんは夜11時ころに起きて朝5時くらいまでヨガをするとか…。そしてその後の一食で一日を過ごすといいますが、そんな仙人のような生活は私には無理。思いつくのは、読書・ウクレレ・庭仕事・ランニング・車いじり・テレビ視聴くらいしかありません。う~ん、時間がもたない。一日が長い。今仕事をさせてもらって、子供たちと関われることの幸せを改めて感じています。

 普段読めない本を一日1冊のペースで読破できました。眠れない日は、読んだ本の配役を勝手に俳優に置き換えて、声なども連想しながら眠くなるのを待ちました。また、補聴器から流れるSpotifyの音楽は気晴らしになりました。髭男『subtitle』もカラオケで歌うように歌詞がスマホに順に表示されます。昭和の歌謡とは大違い!字余りは当たり前ですし、「不条理」「一挙手一投足」「理論武装」「過剰包装」「不特定多数」など、およそ昔は使われることのなかった言葉がバンバン登場します。

 大晦日の紅白歌合戦も久しぶりにちゃんと見ました。でも、後半は眠くなってしまって録画。年が明けてから見る紅白って、炭酸の抜けたコーラみたいで感動というか大晦日の雰囲気が薄い。やっぱりリアルタイムで観てこその映像ってあるのです。

 年末年始は、体調が完全に戻ってはいなかったのでたまにウォーキングをしましたが、不思議なのがあまり人に出会わないこと。ましてや子供が道にも公園にもいない!ハーメルンの笛吹きに連れていかれたわけではないのに…。凧揚げしていた子供がいっぱいいた時代は遠くなりにけり。

 今日、子供たちの元気な姿を久しぶりに見て安心しました。学校は子供が主役であることを強く感じます。最後になりましたが、新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

136 うきうき(12/23)

 8日ぶりに外気を吸いました。玄関にあるモミジが見ない間にすっかり葉を落としています。駅へ歩いて心臓がバクバクします。胸を押さえながらこのまま倒れるのではないかと冗談ではなく思ったのです。引きこもり生活中、腕につけたウェラブルがしきりに「立って動きましょう」と促します。でも動く範囲は、十歩にも満たないトイレと洗面所だけ。終業式に間に合ってよかったと思っています。

 さて、娘の誕生日は1月中頃。クリスマス、正月、誕生日とイベントが続きます。「全部まとめて」なんてことはさすがにできません。そして、いよいよ明日はクリスマスイブ。山下達郎の曲がラジオなどから流れてきます。これが終わると、♪もう~い~くつ寝~る~と~お正~月~。年が改まる前のこの時期は、大人でも気分が高揚します。子供たちに至っては言わずもがな。

 年賀はがきを売り出されると、年賀状を今年は何枚買うかを毎年尋ねられます。この年賀状に「元旦」と書いて昔は出しましたが、「旦」の字は太陽が地平線からです様を表した漢字で、夜明けや朝を指すと言われてからは「元日」に変えました。でも、元日に届けてもらえるような日に投函できないルーズさは、今も昔も変わりません

 子供たちにとってのお楽しみは、なんといってもお年玉でしょう。これを入れる袋をポチ袋といいます。なぜ「ポチ」なのでしょう。どうも「ポチ」は関西の方言で、芸妓などに与える祝儀のことらしいのですが、「これぽっち」と言うように「ポチ」には「ほんの僅か」「小さな点」といった意味が込められているという説があります。あるいは、「タマ袋」では語弊があるので「ポチ袋」だとも…。

 そのほかにも調べてみました。初夢に見ると縁起がよいとされるのが「一富士二鷹三茄子」ですが、続きがあるようです。「四扇(しおうぎ)五煙草(ごたばこ)六座頭(ろくざとう)」というのは、初めて聞いたような…?富士は大きく明るい未来の象徴で、鷹は爪でしっかりモノをつかみ取る、茄子は「成す」に通じて、扇は末広がりで子孫繁栄を意味します。煙草は邪気を払うとともに煙が上に上がって縁起よし。座頭は剃髪していて「毛が無い(怪我無い)」となるのです。ということは、初夢に私が現れたら、座頭には到底及びませんが、少しくらいはよいことがあるかも?

 今日のオンラインによる冬休みを迎える会では、あまり正月には関係のない『極楽と地獄』について映像を交えて話をします。どんな内容かはお子さんから聞いてください。それでは、良い年をお迎えください。1月からもどうぞよろしくお願いします。

135 鍋料理(12/22)

 学校用務員の小室さんから「機会があったら使ってください」と2句を預かりました。

   1 わが書斎 珍客来たる かまどうま

   2 コロナ禍で 消えゆく仕事 鍋奉行

 「カマドウマ」とは、昔の台所にあったかまどに良く出現した昆虫で、背中が丸まって馬の背に似ていることからついた名前。 家の便所の近くでよく見られたので、「ベンジョコオロギ」と言った方がわかるかもしれません。

 そして、寒い季節に多い料理といえば熱々の鍋物です。小室さんに作品を手渡されたときに「一番好きな鍋料理は?」と尋ねました。少し間をおいて、「すき焼きですかねぇ」と。我が家はすき焼きに苦い思い出があって、せいぜい年に1~2回あるかないかです。おでん、寄せ鍋、豆乳鍋、チゲ鍋、もつ鍋、ちゃんこ鍋、トマト鍋やカレー鍋、はたまたすっぽん鍋といろいろですが、シンプルに水炊きもよいです。こうした料理を引き立てるのが、柚子胡椒やネギ、大根おろしの薬味だったり、柚子の皮だったり…。

 「鍋奉行」とあるように、家族で食卓を囲んでこの時とばかりに父親(お爺ちゃん)が菜箸やお玉片手に取り仕切った姿は昔のことなのでしょうか?今では「お一人様」用のセットがスーパーで売られているのを見かけますが、やっぱり多くでわいわい言いながら箸でつついて食べたいのが鍋ではないでしょうか。最後の〆も大事です。ごはんでおじやにするか、麵を入れるか、餅にするか、その日の気分次第。

 ミツカンがHPで紹介している鍋の歴史を見ました。江戸時代は、狭い長屋で七輪を使って鍋を煮込みながら食べるスタイルが登場したようです。当時の主流は一人鍋。これって、旅館の夕食で膳にのった小さな鍋もののような感じかもしれません。明治の時代になって登場したのが牛鍋で、東京や横浜に多くの牛鍋屋が開店したといいます。  隔離生活、お一人様料理が終わる明日以降、「年内中にすき焼き食べたい!」。

134 漬物(12/21)

 アンチョビの入ったピザやポテトグラタンなど大好きです。このほかにも、パスタや炒め物、サラダほかアンチョビを使ったレシピが様々紹介されています。アンチョビは、カタクチイワシに似た小魚を塩漬けにして熟成させ、発酵させたものにオリーブオイルを合わせて作られるイタリアやスペイン料理でおなじみの食材です。

 そんな漬物で世界を見渡してみるといろいろ存在することがわかります。例えば「搾菜(ザーサイ)」はお隣中国の幅広く使われる万能漬物。日本で人気の「キムチ」も韓国を代表する漬物の一つです。タイの「パッカドーン」やインドの「アチャール」、欧米の「ピクルス」、ドイツビールの添え物「ザワークラフト」ほか、東南アジア随一の漬物王国ミャンマーの「ラペソー」などなど。

 漬物は、保存食としての側面が大きく、ある意味生命を支えてきたと言っても過言ではないと思います。漬物は手軽に野菜の栄養分を摂れるご飯のお供として、日本の食卓には欠かせない食べ物です。ですから、いぶりがっこや奈良漬け、鉄砲漬け、べったら漬け、たくあんなど土地土地で有名なものがたくさんあります。でも、普通のぬか漬けに勝るものはないような気もするのです。母が毎日ぬか床をかき混ぜていた姿を思い出します。独特なぬかのにおいは好きになれませんでしたが、季節の野菜類がいつも食卓に上りました。赤い部分を少し残して食べ終わったスイカだってぬか漬けにされてなかなかおいしかったなぁ。ただ、思い出の中のものは美味しかったりきれいだったりするもの。今食べたら…?

 ちなみに、毎月21日は漬物の日だそうです。

133 「お」をつける?(12/20)

 お醤油、お砂糖、お茶、お風呂、お菓子、お箸、おみくじなど、幼少の頃から当たり前に「お」を付けてきた言葉がたくさんあります。また、孫には「お手々を拭こうね」なんて言ったりもします。一方、「おビール」「おたばこ」「お車」のような言い回しは、相手と微妙な距離というか壁を感じます。

 「お」を付ける言葉に違和感を覚えるかどうかは、育ってきた環境に左右されそうです。妻は、「おみかん」「おやかん」と言いますが、「蜜柑や薬缶でよくない?」と突っ込みたくなります。私のように、「お酢」というものが正式名であるとずっと勘違いしてきた人間もいますので、「お薬缶」もアリだと思うようにしています。

 ちなみに、外来語や複合語には「お」は付けないといったルールがあるようです。ですから、前出の「おビール」は本来間違いといえますし、「おコーヒー」とも言わないわけです。また、「おスマホ」とも言いませんが、「お携帯電話」もあり得ません。「携帯」+「電話」だからです。

 こうした接頭語としての「お」は主に敬語表現だったり美化語だったりするわけですが、省いてしまうと逆に変な感じがする場合もあります。おでん、おかず、おこわ、お辞儀などは、「お」が付くことでひとつの言葉として成り立っています。「お」を取ってしまうと言葉として成り立ちません。また、おしゃれ、おはじき、おしぼり、おにぎりなどの場合は、「お」を取ると別の意味の言葉になってしまいます。日本語は難しい。だから、自分にとって聞きなれない「お」の用法があったとき、イラっとせずに違和感の正体を考えてみるのも楽しいかもしれません。

 もうすぐ「お正月」。「お年玉」を楽しみにしている「お子さん」もたくさんいます。「お神酒」を飲んで「お雑煮」や「おせち料理」を食べた後、「お賽銭」をポケットに忍ばせて、「お寺」や「お宮」へ行き、「おみくじ」を引きましょうか。冬だからといって油断せず、「お茶」も忘れずに持参して水分補給を!

132 月は手の届くところに(12/19)

 コロナに感染してしまいました。22日まで自宅待機で、何とか終業式には間に合います。校長室にやってきて、私の顔をじっとのぞき込んでしわの本数をご丁寧に数える子やいろいろな話を聞かせてくれる子などがいますが、3学期までは出禁ですね。

 さて、日本の民間宇宙ベンチャー「アイスペース」が月面着陸船を打ち上げ、月に向かって出発して1週間。来年の4月末頃に着陸を予定しているといいます。でも、ここで疑問符が…。「なんで月まで4か月半もかかるの?」と思いませんか。どうも、宇宙の力をうまく利用した軌道で向かうため、遠回りして時間はかかるものの燃料は節約できるようです。新聞に示された図に紐を当てて測ってみると、地球から月までの直線距離が1.5cmですが、実際のルートは25cm。何と16倍もの遠回り!他社の月面着陸機が相次いで打ち上げられるそうなので、「民間初の月面着陸」を追い越される可能性があります。それでも最適なルートとして選択したのでしょう。16倍の距離のほうが効率よいということも含めて、宇宙はわからないことばかりです。  人類が初めて月面に降り立ったのは1969年のこと。アポロ11号が月面着陸に成功し、船長のアームストロングが最初の一歩を踏み出した様子やはためかない星条旗の映像を思い出します。そして、かの有名な「これは一人の人間にとっては小さな一歩にすぎないが、人類にとっては偉大な飛躍である」という言葉を残したのです。漫画『20世紀少年』にも描かれています。あれから半世紀以上です。  1年前、国際宇宙ステーションに日本の民間人で初めて滞在をしたZOZO創業者の前澤友作さんが、今度はチームで宇宙船に乗り込むことを計画してメンバーを発表しています。また、アイスペースCEOの袴田武史さんは、「2040年代には千人の人が月に住み、年間1万人が地球との間を行き来する時代になる」と予測しています。もう月は眺めて愛でるだけのものではなくなりそうです。かぐや姫を探すツアーだって現れそうなくらい近くなりますよ。

131 つらい歯痛(12/16)

 ズキン!痛い!歯が痛いなんて長いことなかったこと。しかも下の犬歯かその隣の前歯。歯茎の下から押し上げる鈍痛は神経かも?たまらずに市販の痛み止めを飲むとともに、歯科医院に電話をして翌日に予約を取りました。そして当日午前、歯医者から電話がありました。院長がコロナに感染して休診とのこと。薬が切れて痛みに顔を歪めているときにその連絡です。仕方なく、最近できたばかりの歯医者に電話をして夕方に飛び込ませてもらいました。その後、頬は腫れるし全然薬が効かないし…。気休めのように冷却材を当てて痛みに耐える時間はつらすぎです。床に入ってからも寝られない夜を過ごしました。翌朝、改めて歯医者に電話して通院しました。痛みがまたいつ来るか、今回は薬が効くのか、不安を抱えながらの生活です。

 さて、小泉今日子さんの歌に『あなたに会えてよかった』という曲があります。90年代最初にミリオンセラーとなっています。ドラマ「パパとなっちゃん」の主題歌だったので、今も印象に残っています。田村正和さんと小泉今日子さんの共演で、娘が嫁ぐ日までの親子関係を描いたホームコメディーです。先日、何かの折に知ったのですが、小泉今日子さんの作詞だったのです。当時、がんで入院中だった父親を思って書いたといいます。ラブソングだとばかり思っていましたが、これを知って読み返してみると、印象が変わってほろ苦く感じます。

 人との出会いの中にも「印象」はついて回ります。第一印象を左右するのは、見た目や声の大きさ、明るさが優先されます。第二印象の段階では、会話の内容や受け答えの際の仕草など。そして第三印象では、長い付き合いによる行動や結果をもとに判断されるというのが一般的な見解です。  まずは第一印象のために自然な笑顔でいたいとは思いますが、どこか痛いところがあると笑顔にはなれません。

 ♪いま心から言える 歯医者が開いていて よかったね きっと私~♪(by 大泉明日子)

130 おやつ(12/15)

 小川糸さんの小説『ライオンのおやつ』を原作としたNHKドラマを以前視聴しました。余命宣告された若い主人公の女性が、島のホスピスでやさしく流れる時間を過ごす物語。人との出会いや人生の価値などを描いています。この話の中で、3時のおやつの時間があります。居住者がリクエストした思い出のおやつが出てきます。おやつとそれにまつわるエピソードで、リクエストした人の想いを共有するのです。

 では、自分の思い出のおやつって何だろう?と考えます。タケノコの皮に梅干しを包んでチューチュー吸って食べたのは半世紀以上前のこと。缶ミカンを凍らせてスプーンでガリガリほじって食べたし、文明堂のカステラと牛乳は黄金コンビ。正月が終わった後、鏡餅を割って天日干しして油で揚げたかき餅は、いつもビニール袋を抱えて食べたおやつの一つ。先日給食で出されたふかし芋や夏のトウモロコシもうれしかったなぁ。

 

 おやつではありませんが、リンゴが出回る時期になると思い出すのが「すりおろしリンゴ」です。風邪をひいたりして臥せっていると小さな器に盛られたそれが出てきたのです。弟が具合悪いときに出してもらうと、自分も具合が悪くなりたいと思ったものです。時間が経つとどんどん茶色く変色してしまうのが残念でしたが…。

 妻に尋ねると、自分で市販の素で作った「プリン」、アイスの素を水で溶いて作る「シャービック」だといいます。同じ年代でも全然違うものです。さて何十年か経って、子供たちが思い出して懐かしさを感じるおやつって何なのか、気になりませんか?

129 愉しさの扉を開けて(12/14)

 サッカー日本代表を指揮した森保監督の去就が話題に上りますが、試合中に小さなノートにメモしている姿は多くが見ています。ドイツやスペイン、コスタリカといった強豪ひしめくこのグループは「死の組」と呼ばれましたが、驚きの1位通過でした。こうしたこともあってか、海外では森保監督愛用のノートを「デスノート」と呼んで恐れているといいます。書かれた内容を読んでみたい気がします。ちなみに、監督が使用するノートはキャンパスノートらしいです。

 ノートではありませんが、最近発売されたあるクルマのカタログにあったコマーシャルメッセージ。

   いつもの毎日から、一歩踏み出してみる。ただそれだけで、

   愉しさがどんどん広がっていく。このクルマがそばにいると、

   「やってみたい」が「やってみよう」に変わり、気付けば走り出している。

   好奇心が満たされるたびに、自分をもっともっと好きになっていく。

   このクルマには、そんな力がある。○○○○(車名)と駆ける。

   新たな世界へ。愉しさの扉は、いつだって開かれている。(原文のまま)

 「クルマ」の部分を「先生」に変換してみると、私たちの役割のように読めてくるから不思議です。子供たちの可能性を引き出せる存在であるために、自分をブラッシュアップし続けたいと思います。学校評価項目「お子さんは、わからないことを自分から調べるなど、いろいろなことに興味を持って学習に取り組んでいる」「学校は、特色ある取り組みや教育を進めている」「家庭では、お子さんの自己肯定感や自信を育むために、褒めたりよさに気づかせたりすることを心がけている」に通じるようにも思うのです。

 今年度2回目の学校評価をお願いして1週間が過ぎました。まだご回答いただいていない方は、紙媒体でお配りした別紙資料も参考にしながらWebでの評価にご協力をお願いします。

128 歌うのをやめて~(12/13)

 またまた登場、『Dr.コトー診療所』。このドラマでタケヒロ君という子が、本土へ行くときの送別会で歌われた曲が「Believe」。♪たとえば君が傷ついて~♪という歌い出しで、学校の今月の歌や音楽会などに選曲される素敵な曲です。この中のあるフレーズがファンモンのある曲とよく似ているように思うのです。ただ、ネットを調べてもそんな声はどこにも見つかりません。

 さて、映画『すずめの戸締り』で流れた曲の大半が昭和の歌謡曲だといいます。調べてみると、「ギザギザハートの子守唄(チェッカーズ)」「銀河鉄道999(ゴダイゴ)」「2億4千万の瞳 -エキゾチック・ジャパン-(郷ひろみ)」「卒業(斉藤由貴)」「バレンタイン・キッス(国生さゆりwithおニャン子クラブ)」「俺ら東京さ行くだ(吉幾三)」「糸(中島みゆき)」「男と女のラブゲーム(日野美歌、葵司朗)」「ルージュの伝言(荒井由実)」「SWEET MEMORIES(松田聖子)」「夢の中へ(井上陽水)」「けんかをやめて(河合奈保子)」と12曲もあります。

 そういえばカラオケというものを何年やっていないでしょう。10年は経つような…。他人にとってはた迷惑でも、自分が気持ちよければいいと思ってよく歌った思い出があります。お世辞でも褒めてもらうとうれしくて…。ただ家族には「下手なんだから歌わないで!」と言われます。ウクレレを弾きながら小さい声でも歌い出した途端に、「鶏が首を絞められているみたい」と苦情がきます。「けんかをやめて」のメロディに合わせて聞こえる、♪歌うのをやめて~ 音楽を止めて~ 私のため~に~ もうこれ~以上~♪ これは空耳?

 さて、時々新聞などに掲載されているクロスワードパズルに取り組みます。先日のものはヒントがないタイプでした。「ワガママ」「クイイジ」「オウヘイ」…??マスが埋まるたびに自分のことを言われている気がします。「オンチ」や「ヘタクソ」がなかっただけ良しとしましょうか。

127 おなかいっぱい食べたい!(12/12)

 12月12日という数字の並びを見ると、♪ワンツーワンツー♪という水前寺清子さんの『365歩のマーチ』を思い出します。古すぎます。

 さて、我が家の玄関先には素焼きの傘立てがあります。この時期になると、泥ねぎ置き場に変身です。寒い屋外で新聞紙に巻いて保管すれば、必要な時にすぐ使えます。決して格好よくはありませんが的を射た使い方といえます。今朝はその隣に大根までお目見え!スーパーでは、12月の声を聞いてとすぐにカニが陳列され出しました。数の子とともに鮮魚コーナーを占有するのももうすぐです。

 グルメドラマとして金字塔を打ち立てているのが『孤独のグルメ』ですが、10周年を迎えたといいます。俳優の松重豊さんが豪快に食べて語られる心の声が人気を博す理由なのかもしれません。主人公の井之頭五郎が、営業先で見つけた飲食店にふらりと立ち寄り、実際にあるメニューを自由に注文してたべますが、終いには「えっ、そんなに食べるの?」と思ってしまうくらいの食べっぷりです。撮影の前日から食事抜きで臨んでいるとはいえ、59歳にしてはカロリーオーバーでは?と心配する反面、うらやましくもあるのです。

 

 毎朝、血圧測定をしています。少し高めなのですが、時に血圧以外の表示「心拍数150」なんて表示を見ると、機械に向かって「まるでランニングしているみたいじゃん」と突っ込みをいれます。健康管理のためには給食はうってつけです。給食がなかったらどうなっていただろうと考えてしまうくらいです。その給食をHPにあげていますが、どうも気の利いたコメントを書けません。たまに教頭先生が検食を代わってくれますが、その時のほうがお上手。さすがです。つまり、私には食リポや松重さんのような役は無理。まぁ、そんな機会が絶対巡って来ることはありませんが…。

126 中島みゆき(12/9)

 今年最後の満月が、昨晩はとてもきれいでした。今朝も西の空に真ん丸の白いお月様がくっきりと見えます。

 将棋の最高棋戦 竜王七番勝負で初防衛を果たした藤井聡太さんが記者会見で掲げた色紙には、「千思万考」と書かれていました。6年生の学年目標と一緒です。

 若い藤井竜王は、何時間座りっぱなしでも集中して痛みもないのでしょうが、私はというと少し前までは何ということのなかった動きに痛みを感じるようになっています。ここ数か月は右手の人差し指付け根が痛くて、腰に手を置くような動作が辛いですし、ペンで文字を書くことすら嫌になるときがあります。年齢的なものでしょうか。機械なら交換すればよいのですが、人間の体ではそうもいきません。この先を考えると憂鬱な気分です。

 中島みゆきさんの20年位前の歌に『傾斜』という曲があります。「上りの傾斜は険しくなるばかり」とあるように無理がきかなくなってきます。「こんなはずじゃなかったのに」と思う回数が増えてきます。でも、「歳をとるのは素敵なことです」「忘れっぽいのは素敵なことです」と歌われ、♪そうじゃないですか~♪と問いかけられ、耳にこびりつきます。

 このほかにも、「3年B組金八先生」で生徒が警察に逮捕・連行される場面の挿入歌だった『世情』、ドラマ「家なき子」の主題歌『空と君のあいだに』、「プロジェクトX」で使われた『地上の星』『ヘッドライト・テールライト』など、記憶に刻まれている名曲が数々あります。

 そして、『銀の龍の背に乗って』も大好きです。「Dr.コトー診療所」の主題歌にもなりました。元々は漫画で、私自身25巻まで持っていますが休載して長く経ちます。ドラマ放送が終了して16年といいますが、今月中旬に映画で戻ってきます。主人公のコトー先生(吉岡秀隆)は白髪になり、ヒロインの星野絢香(柴咲コウ)は名字が「五島」になっているようです。16日からロードショウ!観に行かなきゃ。

125 視点を変えて(12/8)

 いつの頃だったでしょう。フォトビジョンが流行った時期があります。某社で携帯電話契約の際にもれなくついてきたものが、今も我が家では現役です。通信を解約しても機器としては問題なく使えます。その画面に映し出される子供たちの小さかった頃の写真。双方の父母がまだ若い写真など。SDカードのデータを更新すれば新しい写真もスライドショーで映し出されます。
 学校でも家庭でも、様々な機会に写真を撮ります。最近はスマホで撮ることが多く、データは機器に保存されます。見たいときにいつでも見られるのはよいのですが、膨大な量の中から探し出すのは一苦労です。やはりプリントアウトして、みんなでワイワイ言いながらめくれるアルバムの方が好き。ただ嵩張るので増えていくと置き場所に困るのが難点なのですが。
 さて、少し前からとんと目にすることのなくなったのが、高い建物の屋上に揚げられた巨大風船とその下の垂れ幕。そう、アドバルーン(広告気球)です。デパートやパチンコ屋の新規開店などを遠くにいる人にも見えて知らせることができるとともに、アドバルーンを目印にすれば目的地に到着できます。戦前も含め、昭和の時代が全盛期でした。周囲に高層ビルが建ち並ぶようになるとともに、屋外広告の規制が厳しくなったことが衰勢の理由なのではないかと思います。

 
 そんなアドバルーンを防災に活用しようというプロジェクトがあるようです。東日本大震災の教訓から、逃げ遅れによる津波犠牲者を減らそうと、仙台の大学院生が避難ビルの屋上にアドバルーンを揚げて周囲に周知しようという取り組みのようです。観光客など土地勘のない人々にとっても有効かもしれません。1分1秒でも早く知らせるために、どんなシステムを考えているのかさらに知りたくなります。
 古くからあるものを新しい目で見直すことで別の利活用を図れるかもしれません。フォトビジョンも違う使い方があるのかも。

124 はみがき(12/7)

 冷え込みの厳しい朝、近所の畑には霜が降りていました。曇る眼鏡に映る車のライトには輪がかかって見えます。

 ライオン・サンスター・花王・小林製薬・第一三共ヘルスケア・アース製薬と並ぶと何を連想するでしょう?実は、歯磨き用品の人気上位ブランドです。歯磨き粉は「粉」と呼ばれるように昔は粉体。私たち世代も少しだけお世話になりました。現在一般的に使用されるタイプは、チューブ入りペーストの練歯磨きや液体歯磨きです。

 この「歯磨き」という行為の歴史は、紀元前まで遡るようです。また、日本で庶民に浸透し始めたのは江戸時代と言われ、丁字屋喜佐衛門という商人が朝鮮人に教えてもらったのが歯磨き粉の始まりです。それ以前は、焼き塩・米糠などを使っていたというから驚きです。江戸時代の女性は、歯並びがよくて白い歯の男性を好んだそうです。ですから、男性も白い歯にこだわり、房楊枝というものを使って歯磨きに精を出していました。この房楊枝屋が浅草あたりでは軒を並べていたという繁盛ぶりだったようです。

 歯並びが悪い私は、朝昼晩の歯磨きは欠かせません。普通の歯ブラシで大まかに磨いた後、電動歯ブラシで2~3分仕上げをします。ずっと横動きの電動歯ブラシを使っていて、回転式に換えたのが5年ほど前。回転式のほうが歯垢除去の効果がありそうだったからですが、つい最近、さらに上位機種に買い換えました。口腔内での振動を通じて、確実な技術進歩とキレイになった歯を感じています。 これまで使用していたものもまだまだ使えそうですから、まだ電動歯ブラシデビューをしていない娘夫婦のもとに嫁ぐ準備をしています。嫌がられないように、きれいに洗って除菌して…。

 80歳まで自分の歯を20本残しましょうという「8020運動」があります。永久歯に生え変わり、生え揃っていく小学生。「乳歯だから」「どうせ抜ける歯だから」「今さら」などと思わず、丁寧な歯磨き・ケアを心がけてほしいと願います。今から!当然大人も…。

123 温故知新(12/6)

 2日午前4時からのW杯スペイン戦も逆転勝ちでした。早朝から大声を出してしまいました。そして、今日6日午前零時キックオフのクロアチア戦。観たいのはやまやま。でもさすがにこの時刻から2時間は仕事に影響しそう。結局、2時間ほどの仮眠のあと観戦しました。悔しい結果となりましたが、日本中が勇気をもらったような気がします。

 さて、11月末に3年生の市内巡りに同行し、久しぶりに市川市歴史博物館に行きました。歴博周辺の道路が変わってしまって驚きでしたが、館内は多少のレイアウト変更等がありますが概ね以前のままです。2階では、「昔のくらし」を企画展示しています。3年生の社会科学習を意識してなのかもしれません。そこには懐かしい電化製品や生活用具がたくさん見られます。室内の中央に鎮座した2層式の洗濯機は、学校の家庭科室でも見られます。比較的新しそうなものと並べられていますので稼働はしていないようです。またミシンの中には、20年以上前に購入したものが現役です。先日ニュースで見たインドの縫製工場では、古~い蛇の目ミシンが使用されていました。

 

 歴博には、豆炭あんかも見られました。暖をとるために祖母が使用していたベンジン注入タイプのカイロが押し入れにあったことも懐かしく思い出されます。来春には、電気料金がさらに3~4割値上がりしますから、まだ使える古い物への回帰といった生活様式の見直しもされるかもしれません。いずれにしても、古い道具などが実家や倉庫などにあって、子供たちの学習に使えそうだと思われたら、処分する前にお声かけください。学習に役立てます。

 古いものを大事に使うことが尊重されない場面もあります。例えば自動車。十数年過ぎると税率が高くなります。旧車をきれいに乗っている人を見ると素敵だと思うのですが、EV主流となりそうなこの先、ガソリン車が迫害(?)を受けないとも限りません。冷や冷やものです。「あなたが冷や冷やする必要ないんじゃない?」という声は、空耳?

 今日は4年生が房総のむらなどに校外学習です。昨日同様寒い一日になりそう…。

122 ○○フライデー、○○マンデー(12/5)

 3年ぶりの合同学習発表会が開催されました。残念ながら関係者以外の参観はできませんでしたが、改修後初めて市川文化会館に足を踏み入れた私。大きな会場、素晴らしい舞台照明や音響。たんぽぽの子供たちのやる気もMAXでした。

 さて、アマゾンも楽天もトイザらスも、クリスマス商戦前の11月に「ブラックフライデー」と称してショッピングセールが展開されます。アメリカの主要な休日である感謝祭(11月最後の木曜日)の日は、家族に感謝の意を表し、ごちそうで食卓をいっぱいにして家族との時間を過ごす大事な一日です。日本の盆や正月のような感じでしょうか。この感謝祭翌日がブラックフライデー。

 でも、なんで「ブラック」なのでしょう。イメージがよくありません。実は、翌土曜日のフットボールの試合に先立ち大勢の観客や買い物客が街に殺到して渋滞や犯罪を引き起こし、警察官は治安を守るために多忙で休みを取れないなど、混乱の一日だったようです。セールの概念として使われだして60年以上の歴史があるのです。

 一方、プレミアムフライデーという言葉をめっきり聞かなくなりました。こちらは経産省や経団連が提唱したので、働き方改革とも併せて「月末金曜日は15時に仕事を終えて飲食や買い物などを楽しみましょう」といった趣旨のキャンペーンのこと。制度としては継続されていると聞きます。

 ○○マンデーという言い方もあります。ブラックフライデーの3日後の月曜日がサイバーマンデー。12月第2週の月曜日はグリーンマンデー。ともにセール期間といった認識でよいみたいです。これとは違って、サザエさん症候群の言い換えがブルーマンデー。  最後のブルーマンデーは別にして、流行る言葉やイベントの裏側には経済的な狙いを感じることがたくさんあります。でも、消費者である私たちにとっては商品を安く手に入れるチャンスとも言えます。うまく活用することが大事です。

 12月に入りましたから年末に向けて買い物計画を立てる時期。私の一番の悩みはプレゼント選び。サプライズは素敵ですが、不器用な私はそうしたことが苦手です。各家庭でも子供に探りを入れたりして…?ちなみに今日12月5日は別の記念日なのです。さてどうしましょう。今頃…。

121 ジェンダー(12/2)

 師走になりました。年末恒例のNHK紅白歌合戦の出演者が発表されたのは11月中旬。初出演が9組、最多は石川さゆりの45回目。いずれにせよ、顔触れが数年前と大きく変化しました。そして、今年は氷川きよしが紅白どちらでもない特別枠での出場といい、活動休止前のラストステージだそうです。ジェンダーについて常に違和感をおぼえていたと話した氷川さんはジェンダーレス。つまり、「男女の社会的・文化的な区別がないこと、あるいはなくそうとする考え方」のことで、性別にとらわれないでファッションやメイクを自由に楽しむ人といったカテゴリー。

 ジェンダーレスは、レスビアン(女性同性愛者)やゲイ(男性同性愛者)、バイセクシャル(両性愛者)、トランスジェンダー(身体と心の性が一致しない)の頭文字4つをとった総称のLGBTとは異なりますが、長く人にも言えずに悩んできた点では同じでしょう。

 学校にも、自分の性に違和感をもつ子がいるかもしれません。「なんか違う」程度で、まだ明確になっていないだけかもしれません。教職員にだって悩んでいる人がいるかもしれません。要は多様な人と一緒に生活をしていることを認め、受け入れる意識が大切なのだと思うのです。同じ兄弟あるいは姉妹でも、「男らしさ」「女らしさ」を一様に求めることは、「わかってもらいたいのに、理解されない」「相談しても無理」といった失望につながりかねません。私たちはまず、目の前の子供・人をありのままにみつめることが大事なのだと考えます。

 ここ数年、中学校や高校の制服見直しが進んでいますが、これをすぐにLGBTと結びつけてしまうのはあまりにも短絡的です。制服に関しては、多様性だけではなく、機能性や経済性などといった観点も大事にしているからです。身の回りの人にきっと何らかの困り感があるのではないかと考えながら生活することが求められているのかもしれません。

120 きれいに使う、次のために(12/1)

 サッカーW杯が始まって10日が過ぎました。ドイツに歴史的な逆転劇を展開し、コスタリカには惜しくも敗れ、明朝(4:00kick off)のスペイン戦にかける思いは選手もサポーターも一緒です。

 さて、激戦の地、カタールでの日本人らしいふるまい、あるいは精神が話題になっています。多くのサポーターが去った客席で、日本のユニフォームを着たサポーターがビニル袋を持ってごみを拾い集めている姿が話題になっているというもの。それも一人や二人でないという点や負けた試合でも行われるといった点に驚きの声があがっています。日本人サポーターのごみ拾いは、大会のたびに話題になる行為です。試合会場だけにとどまらず、ロッカールームをキレイにして去る選手についても、様々なスポーツで称賛の声が世界から集まります。

 もしかすると、義務教育課程で毎日掃除の時間があることが関係あるかもしれません。昼休みや授業後に掃除をすることに何の疑問も持たない私たち日本人ですが、海外の学校では校内の掃除は清掃員の仕事といいます。つまり、「作業」であり「職業」といえます。ある調査では、清掃を清掃員に任せる国は約6割あるようです。日本の場合、掃除は「教育」「人の道」に通じると考えられています。そして、シンガポールでも、日本や台湾に倣って学校清掃を導入したと聞きます。

 ところで、兵庫県にある寺の参拝者用トイレが撤去されるというニュースがありました。境内のトイレは、9割方ハイカーが利用するといい、登山コースに入る最後のトイレスポットでガイドブックには「トイレはここで済ませておきましょう」と紹介されているようです。でも、男女を問わず汚してもそのままだったり、トイレが汚いとSNSで文句を言われたり、トイレットペーパーがないと怒鳴られたり、水栓を壊されたり…。気持ちよく使ってもらえるように管理をしても報われず、やむなく撤去を決意したとのこと。

 心無い一部の人の行為とはいえ、先のサポーターの行為と正反対。私自身の普段の行為の針はどっちに振れるだろうと自問しています。