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校長室から

369 ブーム(24.2.27)

 2月中旬に「チーフス2年連続3度目の栄誉」というスーパーボウルの報道がありました。全米が熱狂するアメリカンフットボールのチャンピオンカップですが、日本ではどちらかというとマイナーなスポーツ。とはいえ、日大アメフト部の悪質タックル問題に始まり、一連の大麻使用問題などから廃部報道がありましたから、そうした事件によりアメフトというものの存在を知った人も少なくないはずです。

 私が小中学生の頃は、「爆発的」といっても過言ではないようなアメフト・ブームが巻き起こりました。決して休み時間にアメフトをやって遊んだとか、ゲーム観戦に夢中になったとかではありません。逆に、試合を見たことのある子はわずかだったと思います。では、何がブームだったのか?それは、文具や学用品関連のアメフトグッズ!グルービーケース(調べてください)やノート、下敷き、消しゴム、筆箱など、ランドセルの中が小さなアメフトの世界だったのです。ヘルメットに描かれた各チームのロゴがいろいろなものにプリントされていたのです。ヤフオクやメルカリでグルービーケースを探すと、数万円の値で出品されているからびっくり。ただ、振り返るとあれは何だったのだろうと思うような、男子特有の摩訶不思議なブームでした。

 ブームといえば、スーパーカーブームも忘れられません。フェラーリやランボルギーニ等、欧米のハイパフォーマンス・スポーツカーが大人気となったのです。子供たちは、スーパーカー消しゴムに夢中になりました。休み時間には机の上でノック式ボールペンのノック部の反動で消しゴムを飛ばしてレースをしたことが思い出されます。当時、「必要のないものは持ってこないように」と言われた覚えはありません。でも、ブームはあっという間に消え去りました。そういう意味では、アメリカンクラッカーも同じでしょうか。いつの時代も何かしらブームがあるものです。プロフィール帳に夢中になった親世代もいるはず。

 Jリーグの開幕試合をテレビで観たのは本当に久しぶりです。16年ぶりにJ1に復帰した東京ヴェルディが、31年前のJリーグ開幕カードと同じ横浜Fマリノスと対戦したのもノスタルジーを感じます。民放での試合中継がほどんどない現在ですが、代表戦以外でも盛り上がりたいと今も思っています。

368 漢字(24.2.26)

 天皇誕生日(2/23)は、語呂合わせで「富士山の日」にもなっているようです。昨年、実行委員会は、世界遺産登録十周年を迎える富士山の標高にちなんで、3776個のおにぎりを山梨・静岡両県の地域住民や観光客に無料で配付するイベントを開催したといいます。昨日は、学校を会場に平田町会の餅つきが4~5年ぶりに行われました。こういった機会で、大人も子供も顔見知りになれたら最高です!

 さて、あちらこちらで白やピンクの梅が咲いています。にもかかわらず、平田小正門(通称 赤門)を入ってすぐ右側の梅が今年は全く咲きませんし、つぼみすら見当たりません。一昨年は梅の実をたわわにつけて収穫するのが大変でした。昨年はほとんど実をつけず、今年は花すら咲かない状態。夏の暑さにやられて枯死してしまったのでしょうか。

 先週には千葉県立高校の入試が行われ、3.4万人が受験しました。その1日目の国語の問題。漢字の読みは中学校で習う漢字でしたが、書き取り4問は全て小学校で学ぶ常用漢字でした。「束ねる」は4年生、「染まる」は6年生、「往来」は5・2年生、「(一日)千秋」は1・2年生という具合に…。日ごろからドリルなどで繰り返し練習をしているかもしれませんが、小学校段階の漢字は高校入試でも登場するのです。そればかりか、大人になっても日常で頻繁に使用します。「高度なワープロソフトが勝手に変換してくれるから大丈夫」と思う人もいるでしょうが、使い方によっては相手に与える印象が大きく変わります。誤字脱字にも気をつけないと恥ずかしい思いをします。

 先日の天声人語に、段駄羅という言葉遊びについて触れられていました。「わたしといてよ」と記せば、「私と居てよ」とも「渡しといてよ」とも受け取れます。以前書いた「ごきぶり」が「五期ぶり」なのか「ゴキブリ」なのか迷うというのと同じです。「よきしなかった」はどういう変換を脳内でしているでしょう?「予期しなかった」なのか「良き品買った」なのか。「能登・金沢で」を「のどかな沢で」と遊ぶ段駄羅に妙に興味を覚えてしまったのでした。ユーモアや独創性を大切にして、大人も子供も学び続いていきたいものです。まずは今の足元を固めることから…。

367 いたずら(24.2.22)

 いろいろな場面でいたずら心がムズムズと頭をもたげます。例えば、道端でオナモミやセンダングサを摘んで、気づかれないように背中にくっつけます。家のぬいぐるみを見えない場所に忍ばせて、宝探しをせざるを得なくします。身体測定で体重計に乗った子に気づかれないように足や手で測定器を押して、「あれっ?」と思わせます。でもこれは、現在のように被測定者に数値が見えない状況ではおもしろ味がありません。ラーメンやカレー、野菜炒めに入れる人参を星形や手裏剣、パックマンのように切って、それぞれに得点を決めて、自分の「あたり」は何点かを食べながら楽しむなんてこともよくしました。そうしたことを楽しんだりできる関係であってこそ許されていたずらかもしれません。

 さて、鉢植えや地植えを問わず、我が家の庭には植物との相性があるらしいのです。相性が悪いのはチューリップ。球根を植えても育った例がありません。水仙も同様です。放っておいても毎年花を咲かせるくらい強いのになぜなのでしょう。今を盛りと咲くサクラソウも…。そんな中で鉢植えのヒヤシンスが、土を持ち上げて頭を出してきました。濃青の花が楽しみです。ムスカリは水栽培にしてみました。柔らかい白い根が日に日に伸びていく様は、観察していて飽きません。青色のつぼみが数を増やしています。水色や白色も庭にはあるので時期を違えて楽しませてくれます。絵筆を持って絵手紙でも描けたら素敵だろうなぁ。

 2月だというのに、県内で夏日を記録した火曜日。でも昨日からまた冬が戻ってきて、日曜日には雪マークまで見られます。そうであっても、校庭の樹木や植物に目を移すと春の息吹をあちこちに感じられるはずです。一鉢栽培の植物だけでなく、視野を広げる中で見つけた小さな発見を楽しんでほしいと思います。廊下を歩いていると、低学年の男児が「先生~、花粉症になっちゃったぁ」と報告してくれました。教室にはマイ・ティッシュケースが机の上に鎮座していました。スギ花粉だってれっきとした春の訪れであるとともに、季節のいたずらととらえれば少しは許せる?

366 まずは一歩(24.2.21)

 昨日との気温差が10℃以上となる予報で、血管が縮こまりそうです。

 子供たちに根強い人気があるうんこドリル。これとコラボして、小学生向けの環境学習用教材を県気候変動適応センターがデジタル版で制作したといいます。タイトルは「地球温暖化問題と二つの対策」です。無料公開(https//world.unkogakuen.com/lesson/ondanka)されているのでスマホで確認してみましたが、うんこと絡めて出題されていて面白そうです。やけくそになって取り組むのもよいかもしれません。塾や習い事で忙しい子供たちも少なくありません。でも、そうしたことも含めて自分が興味あることを進んで学ぶことはとても大事です。宿題ではない「家庭学習」を10分でも20分でも生活の中に位置づけることができたら、知識以外の何かが着実に積み上げられていくはずです。リサイクル倉庫脇に掲示されている「家庭学習コーナー」が新しいものに切り替えられていく頻度が増えていったらよいなぁと思いながら眺めています。

 さて、大相撲初場所で、横綱と優勝決定戦に臨んだ琴ノ若関は、松戸市の出身。小学生の頃は、柏相撲少年団で稽古に励んだといいます。3月の春場所には「大関 琴ノ若」として土俵に立ち、5月の夏場所から「琴桜」を襲名する予定です。活躍が期待されます。

 春場所では、一人横綱と四大関になることが予想されますが、病院で時々見られる番付表には横綱は4人(?)揃っています。行司名を「高コレステロール血症之助」とする『食改善に関する番付表』です。番付上位を紹介すると、控えたい食品の東の筆頭横綱が「鶏卵」で、張出横綱は「卵黄」となっています。大関「うなぎ蒲焼」、関脇「鶏レバー」と続きます。一方摂りたい食品である西の横綱は「豆腐」です。張出に「卵白」、大関「赤身マグロ」、関脇「鶏ささみ」、小結「納豆」というそうそうたるメンバー。私の好きな「筋子」や「いかの塩辛」、「牛モツ」は、控えたい食品の前頭に名を連ねているではありませんか。コレステロールを多く含む食品を食べ過ぎないように、日頃の食事メニューの参考にしてくださいと注釈があります。こうやって番付全体を見渡すと、給食って「摂りたい食品」の多くを網羅しているようで、ありがたいと改めて感じます。

 そういえば、家庭学習コーナーには家で作った料理について紹介されたものがありました。好きなことを、好きな時に、好きなだけ、自分でできるやり方で、まずは一歩踏み出すことから!

365 緑の指(24.2.20)

 NHK出版『趣味の園芸』(Eテレ放送)という雑誌があります。季節を感じる素敵な植物や室内グリーン、庭づくりのヒントなどをレクチャーしてくれます。その中に、稲垣吾郎さんの「グリーンサムへの12か月」というコーナーがあって、園芸名人へと変貌するため様々な挑戦を毎年人をかえながら紹介しています。

 ホームセンターなどの園芸コーナーへ足を運ぶと、色鮮やかで賑やかさに溢れ、見て回るだけで気分がウキウキしてきます。店頭だけではありません。第八中に向かう側道脇の家では河津桜と思われる桜が、今まさに花開こうかといった状態を見かけました。暖かい日が続くので、きっともう咲いたかもしれません。来客が予定されていた先日は、校長室に水仙を5~6本摘んで生けました。芳香を放ちますが、どうも糞尿のような臭いにも感じられ顔を背けたくなります。しばらくして、水仙の種類が違うことが判明。改めて摘み直して飾ったことは言うまでもありません。同じ日、敷地内では造園業者が樹木の剪定を行っていました。学校職員では対応できない樹木を2年に一度の頻度で整えてくれます。3月の桜開花に向けて花芽を膨らませる枝を伐られてしまわないように、事前にお願いしておきました。

 さて、「緑の指」ってわかりますか?「園芸上手」を指す言葉だといいます。植物を育てる才能を、イギリスでは「green fingers(緑の指を持っている)」と記し、アメリカでは「green thumbs」と表記します。これが、稲垣吾郎さんの「グリーンサム~」がまさにコレ!「thumbs」は親指なので、広大な庭仕事に精を出して植物の色に染まった親指をイメージしているのかもしれません。そんな私は、今にも咲きそうなミモザの枝を1本ずつ手に取って害虫カイガラムシを1匹ずつ潰して退治!気の遠くなる作業でした。その指は、ネバネバした虫の体液で茶と黄ともつかない複雑な色に染まり…。

 モーリス・ドリュオン作、安東次男訳『みどりのゆび』(岩波書店)には、枯れかけた植物を蘇らせたり見事な花を咲かせたりする、不思議な指を持つ少年が登場します。自分の頭で考えること、自ら行動すること、自分にできるやり方で周りに希望を与えることなど、生きるうえで大切なことを思い出させてくれる物語です。

364 芸術点(24.2.19)

 今年はパリオリンピックの年です。マラソンや卓球などの代表が決まっていきます。一方、冬季オリンピックは、2026年にミラノで開催されますから選考はまだでしょうが、スケートやスノボ、スキーなどの結果が次々と耳に届きます。

 柔道や陸上競技、水泳等は、勝ち負けや代表選考が誰にもわかる客観性をもっています。同じ土俵で勝負するので、順位付けが明確だからです。一方、「採点型競技」では曖昧さが介在するような気がします。例えば、フィギュアスケートやスキージャンプです。「芸術点」というような演技の芸術性を比較するって、スポーツとしてどうなのだろうと考えてしまうわけです。回転数やルッツ・フリップ・ループ・サルコウ・トウループに順位づけされれば得点は一目瞭然となりますが、それも興ざめです。ブレークダンスもオリンピック競技となるようですが、芸術という範疇で捉えるなら社交ダンスも加えてはダメでしょうか?

 さて、先週行われた70周年記念行事と6年生を送る会ですが、文化会館で開催してよかったと改めて感じます。各学年の発表は、限られた時間の中で趣向を凝らし、何よりも子供たちの自信に満ちた表情がいい!卒業を目の前にした6年生やバトンを受ける5年生の歌声には感動を覚えます。そうした全部を4年ぶりに保護者にも見ていただけたことも嬉しいことでした。

 後半のサイエンスショーは最高の盛り上がり!空気砲やブーメラン、液体窒素による実験など身を乗り出すように見ていた子供たちでした。単に「あ~面白かった」で終わってほしくありません。空気砲やブーメランの作り方や遊び方を教えてもらったので、「空気砲の穴の形を丸以外にしたらどうか」「ブーメランをより遠くに飛ばすためにどうするか」「羽の枚数を増やしたらどうなるか」「手元に戻ってくる紙飛行機は作れるか」など、知ったことから問いをもち、確かめてみようとする子がいたらいいなぁと思いますし、みんなで取り組んでみようとする学級があったら最高です。開会式の挨拶でも述べましたが、指をくわえて未来を待っている人ではなく、自分から未来を掴みにいこうとする平田っ子であってほしいと強く願います。

 今日の子供たちの発表や準備段階での発想・発案は、勝ち負けをつけたり順位を競ったりするものではありません。それこそ「芸術点」の世界なのかもしれません。そこでは、子供の表情も加点の要素となるような気がしてなりません。だから、先日の平田っ子に満点をあげたいと思います。

363 おせっかい(24.2.16)

 今日は、市川市文化会館で創立70周年記念行事と6年生を送る会を行います。移動は4コースに分かれます。また、初めて文化会館を使うという児童も大勢いるとともに、タイトな時間の中でトイレや給水のタイミングの難しさがあります。係となっている保護者だけでなく、全員の協力のもとで素敵な時間を過ごしたいと考えます。

 さて、体調が悪くて布団に伏せっていた時に、なぜかしら童謡「おお牧場はみどり」が流れ始めました。そして青空の下で緑色の草が風になびく映像とともに歌詞が浮かんでくるのです。そして思います。これって、自然界の水の循環と植物の生長を歌っているのかなぁと。私が生まれたちょうどひと月前に当たる日にNHK『みんなのうた』第1回目の放送、しかも最初の歌として紹介されたといいます。元々は、スロバキアやチェコの農村地帯で古くから親しまれてきた民謡なのですが、どうしてこんな具合の悪い時に…?と不思議でした。

 具合が悪いといえば、一昨日の朝、本八幡駅改札を出てシャポー入口手前でしゃがみ込む人が左前方に見えます。まるでキース・へリングのイラスト『Radiant Baby』のように四つん這いで固まっています。通勤客がたくさん通り、誰もが視線をやって気にはしているようですが声をかける人はいません。おせっかいな私は、おもむろに近寄り声をかけました。予想に反するような甲高い声が返ってきたことに意表を突かれながらも状況を確認しました。駅員にもSOSを出して駅の医務室に運びました。この間、一緒に運んでくれた男性と声をかけてくれた女性の二人しか関わってくれませんでした。

 時間ギリギリで急いでいたかもしれませんし、関わりたくないと考えたかもしれません。自分が駆け寄らなくても誰かがきっと何とかするだろうと考えたかもしれません。でも、ちょっと考えてみたいのです。うずくまっていた男性の気持ちです。唯々辛かったのではないでしょうか。もしかすると、助けを待っている子供や大人がすぐそばにいるかもしれません。おせっかいでもよいのでは?

362 ティーボール(24.2.15)

 11月から12月頃だったでしょうか、体育で「ティーボール」に取り組む子供たちの姿がありました。単元としては「ボール運動《ベースボール型》」とされています。小・中・高の学習指導要領から「ソフトボール」が消えて40年以上が経ちます。活動しているのが投手と捕手、打者だけで、運動機会が全員に提供されていないというのが主な理由。それに代わるのがティーボールといえますが、学校で盛んに行われるようになったのはそんなに古くはありません。

 ティーボールは、投手のいない野球であり、ソフトボールです。ゲームは、ホームベース後方に置いたバッティングティーにボールを載せ、止まっているボールを打者が打つことで始まるのです。打球は、内野や外野に常に飛んでいきますから、打つ・捕る・投げる・走るといった基本動作を全員が経験し、楽しく学習できるのです。指導経験がない私は、日本ティーボール協会HP(以下、図とともに引用)で少し調べてみました。

①打者は、思いきりボールを打つ。

②打った後、バットをフープかコーンの中に入れて、一塁・二塁・三塁・本塁コーンの外周を全力で走る。

③守備側は、内野ライン上と外野ライン上でそれぞれが守る。

④守備者は「全員で」打球を追い、捕った後はそのボールを本塁プレート(コーン)の横にいる指導者に返球(中継も可)する。

⑤指導者はそのボールを捕り、本塁コーンの上にボールを載せる。

⑥指導者が、本塁コーンの上にボールを載せた時、打者走者が一塁を回っていたら1点、二塁なら2点…というように得点が入る。2周目を走ることもでき、その場合、一塁を回っていたら5点となる。

 ルールは、子供と一緒に作り上げたりアレンジしたりできそうです。今学校で行われているのは「日本式」らしく、海外でも親しまれているようです。もしかすると、十数年後にはオリンピック競技となる日が来るかもしれません。

361 本を身近に(24.2.14)

 「東京ボンバーズ」と聞いてわかる人はどれだけいるでしょう。1970年代前半に流行ったローラーゲームの番組に出ていた人気チーム名です。今や伝説のスポーツとも言えます。野球なら「読売巨人軍」であり、サッカーなら「ヴェルディ川崎」(現・東京ヴェルディ)かなぁ。確かにローラースケートで周回しながら、敵にぶつかり弾き飛ばす様は「爆撃機(bombers)」そのものでした。

 さて、蜂須賀という名字によって、「私は爆弾を抱えているようなもの」と家族に言われます。「えっ、爆弾はオレ?」と聞き返すと、きっぱりと「他に誰がいるの」と返されて黙り込んでしまいます。見張ってないと何をしでかすかわからないそうで、「子供や孫にまで迷惑をかけるんだからね!」と念を押されます。全く信用されていないのです。

 可愛い盛りともいえる3歳と4歳の孫が遊びに来ると、最近は必ずと言ってよいほど我が家に置いてある絵本を持って膝の上にやってきます。少し前までは、読んであげようとしてもじっとしていられなかったのに、大きな変化というか成長です。

 自分の子供たちが小さい頃には、毎日読み聞かせをしていました。寝る前も寝息をたてるまでずっと。登場人物によって声色を変えたり、歌うような場面では即興で口ずさんでみたり。小学生になってからは、音読の宿題の手本と称して面白おかしく読むこともしばしばありました。決して子供たちを本好きにしようとか感想を聞こうとかが目的ではなく、単に自分が楽しみたかったからという理由なのです。次の学校だより『稲穂』は、敢えて「本好きな子を育てる」という視点で書いています。また、昼の給食時の放送で、昔ばなしやとんち話の語り聞かせを不定期で始めました。義務感でも押し付けでもなく、自分が楽しいと思えることを大事にしたいと思っているだけ。ある意味、価値の押し付けですし、自己満足といわれても仕方ありませんが…。

360 ためる・ためない(24.2.13)

 冬の庭を眺めるのが好きです。春や秋の花の多い季節も素敵ですが、冬枯れにより全体がすっきり見渡せます。早咲きのクリスマスローズが白い花をつけ、カモミールが芽を出しています。今年もユキヤナギが一輪フライングで咲いていますし、ミモザは見事なほどに蕾をつけています。庭のあちらこちらに春の息吹を感じ、やる気が出ます。

 朝の見守りを終えて学校に戻ってから行うビオラやパンジーの花殻摘みが習慣になっています。霜柱が立っても雪が降っても、5月まできれいに咲かせ続けるためには欠かせません。日を置いてやると、数が多くて面倒になり、継続しないので毎日取り組みます。そうすることで逆に負担がなくなるわけです。雑草取りも同じ。一気にやろうとせずに欠かさずコツコツが大事です。似たようなことが普段の生活にたくさんあります。溜めてしまうことで億劫になり、嫌だなぁと思うこと。例えば洗濯?アイロンかけ?夏休みの宿題?といろいろです。面倒なことや嫌いなことを後回しにしてしまいがちの私は、ためずにコツコツを心がけてはいますが、言うは易し行うは難し!

 こちらは逆にためる方の話。1月下旬、「梨の花摘み」を市川市で緊急募集しているという記事がありました。「市川のなし」ブランドを掲げる梨農家が市内に200軒ほどあるそうですが、そのほとんどが授粉用の中国産花粉に頼っているといいます。ところが、中国で花粉を介した枯死の病気が発生したために輸入を停止しているようです。そこで、梨農家は開花期に花粉を採取する必要に迫られたというわけです。募集は当初、明日2月9日まででしたが、必要な人員の約3倍もの人手が集まったことにより先月末日で締め切られました。活動予定は3月下旬から4月上旬というので、梨街道を走りながらその様子を見てこようかなぁ。あちこちの梨畑で、一斉に授粉作業をしているボランティアの姿を想像するだけでたまんないなぁ~。

359 呼称(24.2.9)

 昨日は雪の呼称について触れましたが、そうしているとき、ふとくだらないことを思いついてしまいました。くだらなすぎて、逆に誰かに話したい衝動にかられてしまったのが次。我が家ではゴキブリのことを「G」と呼びますが、たぶん一般的なのでしょう。でも逆に、ゴキブリから見たら人間は「N」?やっぱり人間とゴキブリは「共演NG」の関係なんじゃないかぁ…なんて。

 先日、松たか子さんのエッセイを新聞で読みました。その中に、母になって面白かったことが記されていました。それは「名前がなくなること」だといいます。「○○ちゃんのお母さん」と呼ばれることばかりで、それが逆に新鮮だったと。確かにそうしたことが多くあります。例えば、子供が生まれた後の父母の呼称。父母を、いつの間にか私自身が「おじいちゃん」「おばあちゃん」呼ばわりするようになります。妻を呼ぶときも「○○ちゃん」から「お母さん」へ変わり、今では「おかん」です。「私はあなたのお母さんではありません!」なんて野暮なことを言うことなく、自然と受け入れてしまえるもの。呼称はどうあれ、親が子を、子が親を想う気持ちは変わらないはず。

 管理職も同様です。「○○先生」だったのが、「教頭・校長」と役職で皆から呼ばれます。固有名詞が忘れられてしまうのは会社も一緒かも…。個人的にはちょっと悲しい響き。ただ、以前も書きましたが、相手の名前をド忘れしても「先生!」と呼んでいれば話が進むので、その点だけはよいなぁ。

 気をつけたいのは、目の前にいる子供の名前が出て来ずに「○○さんの弟」「○○さんのお姉さん」などと声かけしてしまうこと。誰しも自分の名前で呼ばれたいものですから。

358 雪 Part2(24.2.8)

 雨混じりの雪を霙(みぞれ)と呼びます。先日の雪も最初は湿った雪でした。暗くなるにしたがって落ちるスピードが緩やかになり、街灯に照らされながら舞い落ちる雪がきれいでした。こうして降ってくる雪には種類というか名前があります。霰(あられ)や雹(ひょう)に始まり、玉雪、粉雪、綿雪、淡雪、泡雪、細雪、餅雪、べた雪、灰雪、氷雪、吹雪ほかまだまだあるようです。一つ一つ解説はしませんが、一言で「雪」と括ってしまわずに言葉の雰囲気を感じられるようでありたいものです。また、積もった雪にも呼び名があります。新雪、深雪、薄雪、ふすま雪、しまり雪、ざらめ雪、ドカ雪、万年雪など耳にしたことがあるかもしれません。スキーやスノボをよくやる人には、きっと好ましい雪質があるのだろうと思います。

 さて、雪が降った日のことや雪遊びをしたことを作文や俳句にする子がいます。そうしたときの語彙が豊かであるようにしたいものです。雪の降り方を子供たちはどんな言葉で表すでしょうか。「はらはら」や「ちらちら」という言葉だって使わないかもしれません。まさか「ぽたぽた」?あまりにも情緒がなさすぎです。一方、情景を思い描けるような多彩な表現を大人が使えなければ、子供たちには伝わっていくはずもありません。古くは「こんこん」とか「しんしん」というのが一般的だったように思います。このほかにも「綿々(めんめん:長く降り続く様子)」「霏霏(ひひ:絶え間なく降り続く様子)」「蕭蕭(しょうしょう:もの寂しげに降る様子)」という言葉もあるようです。ドラマを見ていると、「六花(りっか)」という名前の人物が登場することがあります。雪の結晶が6弁の花に似た六角形に結晶することに由来する「六花」は、雪の異称なのだと初めて知りました。

 霙が降った日に、「♪ミ・ソ・レ♪~」とたどたどしく音階を声にすると、強引にカップ氷菓に話題をすり替えられました。写真の「みぞれ」は、1968年に能代で誕生したようで、実になつかしい!なつかしいといえば、家でカップアイスの「デリカ」と「ルーキー」の話になったのですが、私の記憶には全く存在しません。するとすかさず、「田舎だったから売っていなかったのよ、きっと」と鼻で笑われました。ご存じでした?

357 雪 Part1(24.2.7)

 月曜日の朝は、せわしなく時間が過ぎました。先週末にインフルを含めた欠席者がある学級で増えたため、月曜の朝6時に健康観察メールを流して6時半までに回答してもらいました。7時まで待ちましたが、4分の1の家庭から回答がないまま、学級閉鎖を判断せざるを得ない状況。ほかの学級でも相当数の欠席者があり、その報告を受けながら降雪・積雪への事前対応も考える、まさの頭の体操。平スコップや塩カルの準備、作業の範囲やタイミングなど考えることはいっぱいあります。忙しいと思える時間は楽しい時間。リア充なのです!

 昨年は、雪がたくさん降ると言われた日に外環道に架かる歩道橋に塩カルを撒いてくれた人がいました。残念ながら不発に終わったものですから、逆にこの塩カルの粒々で階段を降りるときに滑って転ぶ子が。ですから、箒と塵取りを持って数人でせっせと掃除をしたのを思い出しました。一昨日はそうならないように、児童の下校時刻頃から歩道橋や昇降口、門扉周辺などに塩カルを撒きました。それを見る子が口々に「それは何?」「何をしているの?」尋ねます。雪に濡れながら、同じ回答を何度返したことか。

 さて、大人になるといつの間にか雪は厄介者になってしまいます。交通機関が乱れる、車や自転車が滑って事故の危険性がある、凍った雪に足を取られる、受験日に限って雪が降るなど、生活を直撃です。不便さもそうですが、何より寒くて体にこたえます。それでも、いつもより時間に余裕をもって家を出ます。昨日は学校に到着した時すでに、職員による雪かきがほぼ終了していて、子供たちが安全に昇降口から入れるようになっていました。ありがたいことです。

 雪がたくさん降ると、家でも学校でも雪かきをします。降雪の予報があると、ホームセンターでは雪かきスコップがよく売れますが今回はどうだったのでしょう。大雪警報が出た翌朝でしたから、子供たちはどれだけ積もっているかとウキウキして登校したと思いますが、ベチョベチョで地面が見える様子に残念そう。それでも校庭には小さな泥雪だるまが何体か出来上がっていました。

 夜しんしんと音もなく揺れるように落ちてくる雪には、趣きがあります。それを屋内から眺めている時間は、厄介者が小さな天使に見えてきます。さぁて、今年はあと何回雪が降るのでしょう?

356 頻繁に手を洗おう(24.2.6)

 どんな話をしていた時だったのかは思い出せませんが、急に「オー・チン・チン」(ハニーナイツ)の歌を口ずさんでいました。まだ小学校低学年の頃に流行った曲。歌詞が覚束ないので検索して聴いてみました。今の時代では放送NGワードが何度も登場する中、2番、3番…と続く歌に「こんな歌詞だったんだぁ」と笑いがこみ上げます。雪の上でオシッコして、薄黄色の穴ぼこを開けることなんて今はしないのかもしれません。だからといって、校庭に積もった雪の上にはしないで。

 管理学校医の清水先生とお話しする機会がありました。今回は学校保健委員会の児童向け講演の事前撮影のために来校いただきましたが、テーマは「手洗い」です。昨日、ヘルシー委員会の児童がシナリオに沿って手洗いの重要性を全校に訴えました。その最後に、学校医の話という展開の動画です。

 さて、子供の手洗いを見ていて感じるのは、洗ったつもりになっていること。手洗い後に、外遊びした服やズボンに手をこすりつけていること。ブラックライトで汚れを見えるようにする機械がありますが、学校でやってみると「ヤバい」と実感するかも。仮に、手洗いを促したとすると「さっき洗ったよ」なんていう答えが返ってくることだってあります。いろいろ活動した後の今が大事だと思っても、子供は無頓着。ウィルスや細菌が付いていると思われる手で口元や鼻を触ったり目をこすったりする場面はよくあるもの。感染症を患うのもうなずけます。だから大人が意識して注意喚起することが大事。そんな私も、実は手で口元を触れる癖があるのです。

 ある医療機関では、いろいろなものに触れる手を肩より上に上げないことを徹底していると聞きました。また、ハンバーガーショップで会計を済ませ、お釣りを受け取った手でバーガーやポテトを食べるのは危険極まりない。誰が触れたともわからない小銭などを手にしたなら、必ず食べる直前に手を洗いましょうと、前出の校医さんは話してくれました。

 そういえば随分前になりますが、やはり別の医師と話をしたとき、「オシッコの後に手を洗うより、用を足す前に洗うべきだ」と言っていたのを思い出しました。陰部に細菌などを付着させないという意味だったように記憶していますが、手洗いは頻繁にしたいものです。

355 青信号(24.2.5)

 1960年代を象徴する流行語が「巨人・大鵬・卵焼き」。当時の子供が好きなものだったのです。私も例に洩れず、相撲は祖母と一緒に大鵬を応援し、野球はずっと巨人ファン。帽子もYGマークの野球帽。テレビでは巨人戦しかやっていませんから当然といえば当然のなりゆき。試合のある日は、ほぼどこかの局でナイター中継があった当時を思うと、地上波でナイターを観ることがなくなった今が信じられません。2月に入って各球団はキャンプインしました。その様子が日を追うごとに多く報じられるようになります。でも、多くの関心は海の向こうだったりして?!大谷選手から贈られたグローブをはめて、校長室でエア・キャッチボールを子供たちとしました。

 さて、車を運転していてイラっとする場面、それは礼儀知らずのドライバーに遭遇した時。一般的に、道を譲れば会釈などのお礼の反応などをします。にもかかわらず、まるで当たり前のようにすれ違う人、譲ってもらったことすら気づかない人がいます。こんなことで腹を立て、車の中で悪態をついて、「もう少し大人になりなさい!」と諭される始末です。

 自動車用、歩行者用を問わず、屋外に出れば信号機を目にしない日はないと言ってよさそうです。この交通信号が日本で登場したのは昭和5年といいますので、実に94年も前のことです。当時は「緑色信号」と呼ばれていたそうですが、現在は「青色の灯火」というように「青」と表わされます。その理由は諸説ありますが、日本では元来、「緑色」のものを「青」と呼ぶ習慣が根強く、それが定着に一役買っているのは間違いなさそうです。身の回りでは、「青葉」「青りんご」「青のり」などはその典型的な例でしょう。新緑を「青々とした」と表現しますし、「青汁」なんてまさに緑色以外の何物でもありません。ちなみに交通信号は「赤・黄・緑」を使いますが、航空信号は主に「白・青」なのだそうです。いっそのこと、交通信号も「緑色」から「青色」に変えてしまえばよいと思ってしまいがちですが、晴天の日は青空に紛れて危険。野球で高く上がったフライだって、昼間の曇天時にはボールが見えづらいだろうなぁ。

 暦の上では春!今日から学年ごとにグローブを回します。お手玉を使おうがエアだろうが、「野球しようぜ!」

354 守り続けたいもの(24.2.2)

 2年生、退治したい「心の中の鬼」を描いていました。私?敢えて言うなら「新しい物を欲しがる鬼」でしょうか。毎日の通勤に、手提げ革バッグ2つとトートバッグ2つ、ビジネスリュックを使い分けていますが、「欲しい欲しい病」発症の末に手にしたものばかり。欲しいものが高価なことも多く、鬼退治は喫緊の課題です。

 そういえば、スーツ姿にリュックを背負って通勤する人が増えた7~8年前から、ビジネスリュックの品揃えも豊富に。背負う・肩掛け・手提げを網羅したタイプも見かけます。男女問わず、毎朝毎晩駅などですれ違う人の半数以上がリュック型のような気がします。両手が空くという利便性も人気の理由なのでしょうが、混雑した電車に乗り込むときに前抱えにし直さないといけないのが面倒というか慣れないというか…。ただどんな鞄でも、姿勢よく颯爽と歩いていたいなぁと思うのです。

 さて、昭和のダメおやじ演ずる阿部サダヲさんが、令和にタイムスリップして不適切発言を繰り返すドラマ『不適切にもほどがある』を楽しく観ました。現在、人気ドラマのほとんどが漫画を原作にすることが多い中にあってオリジナルは貴重かも?このドラマの時代は1986年。私が教員になって2年目の年です。当時の職員室では喫煙は日常でしたし、ケツバット(金属バットでの尻叩き)や給水禁止の部活動が当たり前。極めつけに懐かしかったのが、カセットテープのくだり。ノーマルテープを買って帰ったら、「メタルかクロームって言ったじゃん!」と娘に怒られるシーン。カセットテープにグレードがあったことなんて久しく忘れていました。そんな時代から現代にタイムスリップすれば、白色のワイヤレスイヤホンは「耳から飛び出したうどん」に見えるでしょうし、なんでもハラスメントにされてしまうことに戸惑うのも当然。逆に、コンプライアンスに縛り付けられた現代への問題提起ともいえます。

 時代とともに変わってよいことと変わらずに守り続けたいことを見つめ直せそうな今後の展開に期待が膨らみます。今日はその第2話。

353 モヤモヤ(24.2.1)

 下の絵を6年生社会科の教科書で目にしたことのある人は少なくないと思います。明治19年に起きたノルマントン号事件の風刺画です。日本人乗客を乗せたイギリス貨物船が、紀伊半島沖で暴風雨により沈没しました。イギリス人船長以下、西欧人乗組員は全員救命ボートで脱出したものの、日本人乗客は全員船に取り残されて水死したという事件です。航海中の事故にもかかわらず、船長たちが乗客の救助義務を怠った件で裁判にかけられました。しかし、当時イギリスと締結していた不平等条約のため、船長他乗組員を日本の裁判で裁けず、無罪判決が下されたのです。これを機に「条約改正」を望む声が高まったというもの。「そういえば、あった!」と思い出した方がいるかもしれません。

 私が思い出したのは、医師 鎌田實氏の綴った新聞記事を目にしたときです。パレスチナの少年がイスラエル兵に撃たれて脳死となり、その心臓がイスラエルの少女に移植されたといいます。少年の父親はなぜ敵国ともいえる国の人に臓器提供の同意をしたのでしょうか。鎌田氏が投げかけたこの疑問に対して、その父親はこう語ります。「海で溺れている人がいたら、泳げる人間は飛び込んで助けようとする。溺れている人に、あなたの国はどこだ?あなたの宗教はなんだ?などと聞いたりしない。人として正しいことをしただけだ」と。そして、この話は『アハメドくんのいのちのリレー』という絵本で紹介されているといいます。(参考:2023.11.20 毎日新聞)

 戦闘が絶えない今、半沢直樹よろしく「倍返し」、いや何倍にもしてやり返すという負のスパイラルが続いているように感じられてなりません。「戦争に勝ち負けはない」「人として正しく行動する」を掲げ、「憎しみの連鎖」を断ち切ってほしいと願います。

 そう言いながら、勇気をもって手を差し伸べたり一歩踏み出したりできない自分がいるのも確か。モヤモヤする2月初日です。

352 ただ、とりとめもなく(24.1.31)

 大谷翔平選手からの寄贈のグローブが昨日届きました。まずはみんなに見てもらえるように、校長室前に展示しましたので、保護者の方も来校した際にご覧ください。「野球しようぜ」のメッセージを、これから形にします。

 ある日電車に乗ってドアの前に立つと、目の前の広告に「なんだろう?このドキドキ…」という文字が見えます。そして、「ちょっと動いただけで…。安静時や就寝前後にドキドキする。(以下省略)」と書かれています。動悸・息切れ・気つけに効果を発揮するとされる『救心』の広告です。発売されて110年。最近、「なんだろう?コレ」と思うことがあります。冬は心臓のドキドキが多い季節ですが、寒さのせいにして放っておいたら…?

 50年前のオイルショックを知る人の多くは今、動機・息切れを含めて、「老いるショック」を経験しているかも。私自身、「こんなはずじゃなかった」と思うことがたくさん。また、「あれっ?○○がない!」とあたふた探し物をすることもしばしば。その度に苦言をいただく始末です。

 一方、ウクレレのレッスンが行われる日の管理はきちんとできて、毎回忘れずに通っています。教室のある楽器店に行くと、誰かが電子ピアノの試し弾きをしています。そして、その曲が結構な頻度で『アイノカタチ』(MISIA)ですから不思議。結婚披露宴で使われそうですが、PVを何度も見返してしまうくらい好きなので、自分の葬儀の時に流してくれたらうれしいなぁなんて馬鹿なことも考えてしまいます。

 さて、夏と違って冬の天気がよくて空気が澄んだ日、さらに風が適度にあると、遠くに富士山がくっきり見えることが多くなります。父母が生活をしていた施設へ通う県境の橋からも見えた富士山。今日は見えるかなぁと期待半分で橋に差しかかります。ドーンという感じではなくても、富士山が見えると何かよいことがありそうな気持ちにさせてくれますから、やっぱり日本一!

 亡くなった親の恩を今さらながら想い、感謝するときが多くなった気がします。きっと親はこんなことを考えていたのだろうと、相応の年齢になってやっと理解できるようになったみたいです。懐かしさや大変な思いをしたであろうことへの感謝などを伝えたいのに、できない今を後悔してしまいます。伝えられるうちに言葉に(声に)しませんか。

351 新聞投書から(24.1.30)

 朝の見守りをしながら声かけをしていると、子供から先に挨拶が聞けるようになってきたことを感じます。一方、下を見たまま顔を上げずにいたり、しかめっ面のままだったりなんていうことも…。「福が逃げちゃうよ」と声をかけたくなります。「笑顔は、自分にも相手にも幸せを呼ぶ」と信じているから!

 さて、ある日の高校生の新聞投書を目にしました。膝の手術後にコルセットを装着して松葉杖生活が1か月続いたそうです。毎日満員に近い電車の優先席付近に立っても、席を譲ってもらえたのは半分にも満たなかったといいます。ある日、途中の駅からお年寄りが乗って、松葉杖の自分の横に並びました。優先席に座っていた若者が立って、その人に席を譲ったそうです。それを見て驚いたそうです。若者であってもけがをして困っていたのです。時には、人にはわからない病気を抱えている場合もあります。最後に「あなたは誰に席を譲りますか」と結んでいますが、知らんぷりや寝たふりをせず、しっかり向き合いたいと思います。そもそも、疲れていたとしても優先席がある意味を考えられるようでありたいものです。

 もう一つ、「家事をしない父、共倒れの不安」と題された30代女性の投書です。両親は60代後半で、父親は家事をやらないといいます。外で父親が働き、母親は家事を担って家庭を守るという典型的な昭和世代。数年前に退職後も、家事の9割を行う母親はこれに納得し、夫婦仲もよいらしいのです。でも、娘は父が母の家事能力に頼り切っている現状を心配し、切ない気持ちで見守っています。共倒れの心配は、亡くなった私の両親への一番の心配でしたし、まるで自分の数年後を見ているようでもあり、危機感があります。子供たちに心配をかけないためにも自立が求められます。と考えながら行動が伴わない自分の弱さよ! (2024.1.16 朝日新聞「声」参考)

350 相撲(24.1.29)

 大相撲初場所は、優勝決定戦の結果、照ノ富士の優勝で幕を閉じました。巴戦になったらおもしろいけどなぁなんて淡い期待を抱きましたが…。そんな今場所は、行司も話題を多く提供してくれています。7日目に行われた大関・霧島と北勝富士の一番では、力士とぶつかりそうになった行司が激しく転倒し、烏帽子と草履の片方が脱げるという一幕がありました。同日の序二段同士の一戦では物言いがついて、協議の説明まで7分半という長い時間を要するという場面がありました。この時の行司は若干20歳で、緊張した表情が話題になりました。その装束を見ると足袋も草履もない裸足で、着物の裾は膝下まで。明らかに横綱や大関戦を仕切る立行司とは異なります。

 そして、今場所は約9年ぶりに行司最高位の木村庄之助(結びの一番のみを裁く)が土俵に立っています。昨年末の人事で、式守伊之助が昇進したといいます。立行司が身に着けているものを見ると、帯に短刀を携えています。これは「差し違い(間違った判定)」をした場合、切腹をして責任をとるという決意の表れだそうです。つまり、木村庄之助や式守伊之助を名乗る以上、差し違いは許されないということ。テレビでは際どい場面の映像を繰り返し流すことはあっても、VAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)など導入されそうもない相撲界ですから、その重圧たるや想像に難くありません。ちなみに、現在は「木村」「式守」しかいない行司に、かつては「岩井」「服部」「長瀬」「木瀬」「吉田司」などあったらしいです。

 さてコロナ禍以降、休会となって開催されていない市内相撲大会。来年度も再開の目途はたっていません。様々なハードルをクリアする必要があります。指導する際の安全面もその一つ。5年間も行っていませんから、指導の仕方だけでなくまわしの締め方など知る者がいない学校だってありそうです。思い出すのは20数年前に優勝した時の喜び。正直、サッカー大会で優勝した時よりうれかったのです。ぶつかり稽古で肋骨にひびが入ったことや砂場で「巨人の星」の歌を歌いながらうさぎ跳びをしたこと、「どすこい倶楽部」を編成して時々学校周辺の吸い殻拾いをしたこと。今でも頼まれたら、「喜んで!」なんて言ってしまいそう。

349 こけし(24.1.26)

 2日連続でそれぞれ違った研修に参加してきました。ともに特別支援教育に通ずる講演がありましたので、何かの機会にお伝えできればと思います。昨日の市川市特別支援教育振興大会は久しぶりの開催でした。毎回、手話通訳者と筆記通訳者がいます。特に筆記の大変さを感じます。語ることの要旨を簡潔に読みやすい文字で表記しなければならないからです。私の場合、メモをとるけれどスピードが追いつかないとか書いたはよいけれどあとから読み直すと解読できない文字があるなんていうことがあります。だから感心してチラ見してしまったのです。

 全く話題は変わりますが、問題です!鳴子(宮城)・遠刈田〈とおがった〉(宮城)・土湯(福島)といったら何の産地でしょう?日本三大名産地といわれます。正解は「こけし」。こけしが誕生したのは、江戸時代後期の東北の温泉地。余材を利用した子供のおもちゃとして始まった伝統品です。産地ごとに模様や形、技法などそれぞれに特徴があります。

 この「こけし」が実家の床の間に多数飾られていました。日焼けしたものから比較的きれいなものまで、大きさもまちまちでした。親戚の家は、大げさに言うと「こけし屋敷」と思うほど所狭し並んでいたのを思い出します。でも、我が家も含めて、現在こけしが飾られる家庭は珍しいのかもしれません。子供に問うても、こけし自体イメージできないなんていうことも?!

 お笑い芸人の川村エミコさんは、こけし70体と一緒に暮らしているといいます。若いころ10cmほどのこけしを持ち歩き、勇気づけられて以来、目が合ったこけしに胸がキュンとなるとお持ち帰りを繰り返したようです。一緒に旅行したり写真を撮ったりする「お供こけし」や季節ごとの推しの「こけし選考会」、出かける前に冷蔵庫に入れて帰ってきたときに迎えてもらう「忍ばせこけし」など、楽しみ方は人それぞれ。逆に怖いと感じる人もいて、見方や思いは違うわけです。

 冒頭の講演会を待つ空白の時間に目が行ったのが、前方に座る人の「つむじ」。女性はともかく、つむじを見つけやすい人とそうでない人がいます。言わずもがな、私は後者。こけしにつむじを描いていたずらしたのも私。日本海側は大雪。市川は今日も青空。でも連日、寒風がつむじ辺りを刺すようです。

348 家族で盛り上がろう(24.1.25)

 校長室にやって来た子供から「校長先生、もう届いたでしょ?」と問われます。何のことだかさっぱりわからず混乱する頭。よくよく聞くと、大谷翔平選手から贈られたグローブのこと。どうも私が隠しているというか、出し渋っているように疑われている様子です。1月中旬あたりに配送されるといった情報を得ていましたが、もうすぐ1月が終わる来週早々に南部地区で贈呈式が行われるようです。

 現在、通勤読書用の本が、『トヨトミの野望』(梶山三郎 著)という巨大自動車企業を舞台とした話。シリーズになっているので、面白かったらまた借りようかと…。そういえば某自動車会社が、安全確認試験で不正を働いていた問題が年末に大きく取り上げられていたのを思い出しました。モノづくりの基本思想に「1ミリ、1グラム、1円、1秒にこだわったクルマづくり」というスローガンを掲げる企業風土だったといいますが、顧客に寄り添うこだわりはどこで捻じれてしまったのでしょう。学校も児童生徒に寄り添い、学びや指導にこだわりを持って協働していますから不正や不祥事ゼロは当たり前ですし、当事者意識・切実感をもって臨んでいます。

 さて、昔はあんなに観ていたクイズ番組を、最近はほとんど観なくなりました。それでも『クイズ!あなたは小学5年生より賢いの?』『THE突破ファイル』『有吉クイズ』『チコちゃんに叱られる』などクイズバラエティー番組はまだまだ健在です。

 昭和世代に懐かしいのは、『クイズダービー』や『アップダウンクイズ』、『目方でドーン!』、『クイズタイムショック』、『マジカル頭脳パワー』、『世界丸ごとHOWマッチ!!』、『連想ゲーム』、『ぴったしカンカン』、『アメリカ横断ウルトラクイズ』などで、出演者の顔とともに映像が思い浮かびます。視聴者参加型もあり、まさに一家団らんの娯楽でした。でも時代とともに、個人視聴型のバラエティー化をたどっていきます。

 現在と昔のどちらがよいかを比較するものではありません。ただ、家族みんなが同じ話題で盛り上がるような場面が失われていなければよいなぁと思うばかり。ボールと言葉のキャッチボールはいかが?

347 心通うコトバ(24.1.24)

 人を前に話をしたり文字に残したりすることは少なくありません。コロナ以降、毎月の全校集会がほぼなくなってしまいましたが、そうした機会に話すことや入学式・卒業式の祝辞、卒業文集の原稿、校外学習の出発の会など、内容も話す長さもいろいろです。学校評価に、「入学や行事の際に聞く話は、子供たちを温かく見守りつつ芯の通った方針を感じて安心する」という声を見つけてうれしくなりました。

 文科省が示した「教職員向け生成AI利用に関するガイドライン」が暫定的に示されています。活用例の「挨拶文や式辞等の原稿のたたき台」という部分に目が留まりました。確かに儀式的行事における挨拶には頭を悩ませます。負担に感じる人もいるでしょう。園児の延長線上にある新1年生に何をどう伝えるか。6年間で成長をした卒業生が耳を傾けたくなる話し方とその内容をどうするか。当然、子供たちの後ろで保護者も聞いています。堅苦しい話ではなく、ちょっとでも記憶に残る話を心がけます。それでも、私の思いがどのくらい伝わるか人それぞれ。全員なんて大それたことは考えません。きちんと聴いて理解しようと思う人が5割もあれば十分。

 「校長先生の話はちょっと長いけど、おもしろいから好き。朝会が楽しみ」って言ってくれた中学年くらいの子がいました。だから、原稿の作成をAIに任せてよいとは思えません。肝心の子供たちを置き去りにしている罪悪感に苛まれますし、子供たちに真剣に向き合って話したいと考えます。教室で毎日・毎時間子供たちと触れ合う学級担任の何気ない話も、もしかすると「恩師の言葉」となって生き続けるかもしれません。日々真剣勝負だからこそ、そうあってほしいと願います。

 70周年記念式典や卒業式の校長挨拶の原稿、なかなか筆が進みません。まだ先のことだなんて思っていると、何もしないまま時間ばかりが過ぎていくことになるのが私の悪い癖なので。

346 実感伴う体験を(24.1.23)

 先週、給食にバナナが半分出されましたが、バナナの上半分と下半分どちらの方がお得?なんて考えているのは私だけかも。

 近所の知り合いに鳥のエサ台を作ってもらい、初めての冬を迎えました。冬場はエサが少なくなるので、ヒマワリの種やミカンの輪切りなどを置いておくと野鳥がたくさんやってきます。メジロやヒヨドリ、セキレイ、シジュウカラ、ジョウビタキなどに紛れてスズメもいます。10年位前には巣箱からシジュウカラが9羽巣立ちましたので、バードバスで水浴びする姿でも見られようものなら、「ウチの子」ではないかと勝手に思ってしまいます。

 春先のウグイスも含めて、野鳥の鳴き声が私の耳には届きませんから、バードウォッチングに出かけても楽しめないような気がします。でも、学校には様々な樹木がありますから、鳥を呼ぶこともできそうです。4年生が理科で「季節と生き物」の学習をしていましたが、子供たちが観察を続ける中で疑問を感じ、さらに実験・観察を続けるといったこともできます。校庭の「ひらた山」プチ改造?だって面白いかも…。タブレット端末に記録したり、観察日記をつけたり…。それを全校で共有することもできます。手がけてくれる人はいないかなぁ?

 学校の実験や工作で教材キットを使うことが多くなりました。家庭科のエプロンづくりでは、以前は、布を買うところから始めたこともありますし、型紙を作ってチャコペンで布に線を引いたものです。今はそうした手間が簡略化されます。教材作りから始めていた理科も、キット導入により実験の誤差が少なくなった気がします。でも、味気ない部分もあります。時間に余裕さえあれば、Y字型の木の枝にゴムを張ってパチンコを作って、体験する中で動力としてのゴムの性質を実感させるなんていうこともできますし。

 最近気になっているのが、綾瀬はるかさんが出演するドコモの「味覚共有スプーン」のCM。スプーン型デバイスは、近未来には登場するのでしょう。でも味気ない。本物を知り実感してこそ、本当に「わかった」につながると思うから。実体験は心を動かします。デジタル化が進んでいる今だからこそ価値があるのではないかと考えます。デジタルでは再現・表現できない匂いや音、感触、空気感など、自然を感じ取る力をもっと育みたいと考えます。古いのかなぁ?

345 消せないから(24.1.22)

 給食室側階段の側面の壁に、11月の人権週間に考えたクラス代表の標語が掲示されています。風景の一部と化して、なかなか気づかれないと思うとちょっと残念です。その中から数作品紹介します。

   みんなの心 大じにしよう いい気もち(1年 S)

   一人じゃない みんないっしょ うれしいな(2年 K)

   友達と ちがう所も いい所(5年 I)

   大切に 人ぞれぞれの 価値観を(5年 U)

   僕の色 みんなの色も 守ろうよ(6年 A)

 学年が上がるにしたがって、老若男女、肌の色や人種、宗教や文化など、違いを認めて尊重しあおうという思いがあふれてきます。これが単なる言葉遊びで終わってしまわないことを願います。

 さて、子供たちが書く手紙やメッセージ、年賀状などのほとんどが鉛筆書きです。きっとこれは、間違えてしまうであろうことを前提にしているからかもしれません。鉛筆であれば、消しゴムで簡単に消せますから。そして、消した跡の残る作品をよく見かけます。

 消しゴムを使ってはいけないと先生に言われて、緊張しまくって文字を書いた経験が小学校低学年のときにありました。市の展覧会に出す視写の作品。2年生の廊下に貼ってあった「きつねのおきゃくさま」の書き方の時間の作品と同じです。出品候補者がもう一人いて、いずれかの作品を出すといいます。間違えて消しゴムを使った時点で万事休す。相手は和泉澤さんという学級委員の女の子。負けないように一文字一文字丁寧に書き進みました。あと少しというところで「あっ」と声が出てしまいました。一文字飛ばしてしまったからです。半世紀以上も前の出来事なのになぜか鮮明に思い出せます。

 こうした鉛筆の文字と違って消せないものは何でしょう。ボールペンやマジックペンであっても書き直せばよいだけの話。多分、「言葉」じゃないかと思うのです。失言、不用意あるいは不適切な発言の類は、気づいた時には時すでに遅し!取り返しのつかないことにだってなりかねません。子供たち同士の会話の中でも時々気になります。文字に残らないからこそ慎重さも大切であること、消せると思ったら大間違いであることを子供たちにも場をとらえて伝えたいと思います。これも人権教育。

344 シフトアップ(24.1.19)

 明日は祖母の命日。享年92歳。父が93歳、母も90歳でしたから長寿の家系なのかもしれません。そう考えると、私にはあと30年も残されていることになります。若いときは30年先なんて考えもしませんが、健康そのもので希望に満ち溢れたものであるイメージだけはあったと思います。でも、今想像するこの先30年は不安だらけ!

 先週、市内にある某企業の柔道部鏡開き会に招かれて、夕方足を運んだ立派な柔道場。鏡開き自体は、コロナの影響で4年ぶりだそうです。この道場で稽古をしている平田小の児童がいるのでその姿を見たいと思ったのですが、会場に足を踏み入れ、来賓紹介を聞くとビックリです。講道館館長や柔道連盟会長、県警署長、有名大学柔道部監督などがずらっと並んでいるではありませんか。選手を見ると、すれ違いざまに肩でもぶつかろうものなら吹っ飛ばされそうな体躯をした青年部員。圧倒されっぱなしでしたが、小学生部員がこちらを見て、恥ずかしくも嬉しそうにしていた姿を見ると、自然に心が少し落ち着いていったのです。

 さて、家をテーマとしたドラマ『魔法のリノベ』を以前楽しく観て、最近では『正直不動産』を毎週録画しています。不動産は、人生の縮図と言う人がいます。就学や結婚、相続など、人生で3回は不動産屋にお世話になるからだそうですが、確かに私も結婚、住み替え、相続とすでに3回はお世話になっています。

 この不動産業に欠かせない資格が「宅地建物取引士(宅建)」。合格率17%という難関です。なんとこの試験に小学4年生が初挑戦で合格したというから驚きです。これまで12歳が最年少記録でしたが、これを塗り替えたのです。「新しい知識を増やすのが楽しい」という小学生。決して特別ではなく、スポーツや楽器演奏を楽しみ、極めたいと思う感覚と同じなのではないかと想像します。きっと好きなことや夢中になれることを見つけると、内に秘めた力で人は大きく変わることの一例なのでしょう。

 子供たちには、柔道やサッカー、野球、ピアノ、珠算、ダンスほか、もう一段階上を目指してギヤを上げて取り組んでほしいなぁ。輝く未来に向けて…。

343 辰年に想う(24.1.18)

 昨日、阪神淡路大震災から丸29年。そして今、能登半島地震で被災された方が悲しみ苦しんでいます。災害の怖さと備えの重要さを改めて想うとともに、一日も早い復興を祈ります。

 今更ながらですが、今年は辰年。年始の職員による昼食会で、以前はよく「年男・年女の方から一言もらう」場面がありました。これって年齢がバレバレですから、今はハラスメントととらえられかねません。年頭の挨拶でつい言ってしまいそうになってお口にチャック。危ない、危ない!

 この「辰」、一般的には「竜」ですが、この文字が含まれる四字熟語がどのくらいあるのか調べてみたところ、百以上あることを知りました。耳慣れないものばかりですが、比較的よいイメージの言葉が並びます。そんな中に見つけた「竜頭蛇尾」。最初は勢い盛んだったものが、最後はすっかり勢いをなくしている様を意味し、尻すぼみや期待外れの結果といった意味合いで用いられることが多い気がします。同じように竜と比べられる動物に、猪や虎、蛙がいます。「一竜一猪」は「イチリョウ-イッチョ」と読みますが、ここで言う「竜」は成功した賢者の例えで、「猪」は無恥な愚人の例え。努力して学ぶ人と怠けて学ばない人との間には大きな差ができることを意味するそうです。

 さて、昨年末にスティック掃除機を購入しました。これまで使用していたキャニスター型は、コンセントの差し替えや階段で持ったまま掃除しなければいけないことなどが不便だったから。AI搭載のロボット掃除機もありますが、掃除機の進化は目覚ましいものがあります。3年生の社会科で、「昔のくらし」を学びますが、畳や床掃除に箒や雑巾を使用していた肉体労働から解放した鉄製の電気掃除機も登場します。その後プラスチックで軽量化を図られ、西洋化の影響によりカーペットが広まってからはヘッドやブラシの改良が進みます。さらに形状や集塵の仕方が多様化していきます。まさに、努力して学ぶ「竜」なる先人がいたからこそ今の便利な生活があるということを、小学生なりに考えるわけです。ロボット掃除機は万能ではありませんが、未来に向けて「これ以上どんな進化を遂げるの?」と思ってしまう私は、成長することをやめた「猪=愚人」なのかもしれません。いけない、いけない!

342 がんばれ、受験生(24.1.17)

 大学入学共通テストが先の土日に行われ、翌日の新聞には問題と解答が掲載されていました。やってみたのは国語の漢字だけ。流石にこれだけはできましたが、あとは見ること自体、目が拒否!

 そんな漢字について。「相手の事情や周囲の状況を思い巡らせ、気遣う」「配慮する」「相手の気持ちを察する」といった意味で「忖度」という言葉を使うことがありますが、政治や権力がらみで使われる場面があることからよい印象がありません。これを「慮(おもんぱか)る」と言えば、プラスイメージがぐんとアップします。ただ知らないと読めない文字かもしれません。私の言うことを半分疑ってかかる妻は、スマホで読み方を調べ始めます。すると「おもんぱか-る」というように、送り仮名をハイフンで切り分けて表示されます。これを見て、「おもんぱか~る?」とケラケラ笑いながら一言、「当たっていたわ」と。いやいや、クイズじゃありません!我が家では最近、意味ない場面でも「おもんぱか~る」というかけ声が響きます。

 さて、娘が小学校高学年だった時の夏休みの自由研究で、様々な場所のマンホールの図柄を題材にしたことがあります。このマンホールが丸いのは、ズレても落下しないことが理由ですが、雪が降ってもマンホールの上だけ雪が積もっていないことを見たことがあると思います。マンホールの下には家庭や工場からの比較的温かい排水が流れます。その下水の熱が空気を伝って鉄製の蓋を温めるので、雪を融かしてしまうといいます。

 ですから、このマンホールをカードにしてお守りにした自治体があります。雪が積もらないので「滑らない」とか蓋を傾けても「落ちない」、あるいは形状が「すべてマル」ということから合格祈願用とされています。雪を融かすことにあやかって、どんな問題も「解ける」なんていうのもアリでしょうか。「人(man)」が入れるような「穴(hole)」という意味ですが、受験生が希望の学校に合格するだけでなく、すべてのひらたっ子の願いが受け入れられるように、「忖度」ではなく「慮れる」地域や学校にしたいと考えます。

 今朝は、駅に中学生の姿がたくさんありました。受験でしょうか?一方、石川県では中学生の集団避難が開始されました。戦中の集団疎開を想起させます。不安がいっぱいにもかかわらず、取材に対して穏やかに受け答えしていた表情に勇気をもらった気持ちです。みんな頑張ろう!

341 自助・共助(24.1.16)

 朝から隣の席ではスマホを見ながらケラケラと声を上げて笑っています。何事かと思って尋ねると、カピバラの映像に癒されているのだとか。動物や赤ちゃんは人を癒しますが、人が笑う姿は、それを見る者を幸せな気持ちにする効果がありそうです。

 さて、報じられる能登地震の情報は、日が経つにつれて甚大な被害の様子が増すようです。また、正月2日の滑走路上での飛行機同士の衝突も痛ましいものがありました。日航機、海保機、管制それぞれのミスが指摘されますが、379人の乗員乗客全員が無事脱出できたことを「18分間の奇跡」と海外でも称え報道しています。本当に奇跡かどうかは別にして、計画的で緻密な訓練があっての生還だと思います。一刻を争う場面において、パニックコントロールをし、状況を正しく把握・決断するなどということは簡単ではありません。聞くところによると、搭乗していたCAの約半数は23年春採用の新人だったとか。その正確な判断と機転に驚きを隠せません。

 また、奇跡の要因の一つに、乗客全員が勝手な行動をとらず、冷静に乗務員の指示に従ったことが挙げられています。「日本人がとったこの行動は、海外では当たり前とは言えない」という感動の声があるほどです。

 学校においても、地震や火災、不審者侵入、実験・実習中の事故などが考えられます。子供たちの感情と行動をコントロールし、正しく誘導等できるか。関係機関との迅速な連携が図れるか。私を含めた一人一人の職員が、何をすべきか瞬時に判断し機転を利かせた行動をとれるか。正月の大地震や事故を対岸の火事にしてはいけないと強く感じています。

 今週土曜日には、市川市の総合防災訓練が行われます。平田小学校でも担当者が集まりますが、この地域に住まう中高生や将来を担う小学生は、非常変災時の大事な戦力だと考えます。先日の新聞に、避難所生活をする人々に向けて、壁新聞でメッセージや励ましを送った小学校が取り上げられていました。「してもらう」といった受け身の姿勢から、人のために「今できることをする」という能動的意識を段階的に育てていくことが「自助」「共助」につながるように思います。

340 正月気分が抜けて…(24.1.15)

 子供のころ、正月三が日の朝、台所から母親の声が響きます。「お餅、いくつ~?」に「4つ!」などと眠い目をこすって答えていたことを思い出します。雑煮ではなく磯辺巻きにすると、4つ5つなんてペロンと食べられました。今では、「炭水化物をそんなに食べてはダメ!」「がまんしなさい!」と諭されるコドモ大人の私は、小さく「は~ぃ」と返事をします。

 神棚などに飾った丸餅は、鏡開きの日にお汁粉にして食べました。この鏡開き、家族の無病息災を願うものですが、元々は正月の終わりという区切りであり、仕事始めの日だったといわれます。一方、のし餅については、乾燥させてから細かく砕いて油で揚げておやつにしてくれました。揚げ餅が入った袋を抱えて食べていた1月後半。ポテチもそうですが、最後に残ったカスを袋持ち上げ、口に流し込むのが好きでした。

 年末放送していた『イチケイのカラス』を映画とともにまとめ撮りして、年明けに観ました。学校だより『稲穂』20号で子供のウソについて長々と書いてしまいましたが、ドラマの中でも「ウソ」がテーマとなっている話がありました。裁判官を演じる黒木華さんが、9種類のウソについて述べています。挙げると、①悪事のためのウソ、②方便としてのウソ、③優しいウソ、④言い訳や言い逃れ、⑤自己保身、⑥自分をよく見せようとするウソ、⑦守れない約束、⑧冗談、⑨悪意のないウソ、というものです。これらが複雑に入り組んで口から発されるのかもしれませんが、そこ言葉は自分次第で毒にもなるし愛にもなります。ただ、自分の言に責任を持ち、自分の気持ちに正直な子供たちに育ってほしいと願います。

 今日15日は小正月であり、旧成人の日(1999年まで)。早いもので、1月も後半に入ります!

339 過信しない(24.1.12)

 102回を迎えた全国高校サッカー選手権大会は、青森山田高校の優勝で幕を閉じました。そして、第100回の記念大会だった東京箱根間往復大学駅伝競走(正式名称)は、例年よりテレビの前にいた時間が長かったような気がします。それというのも年末に観た、箱根駅伝の裏側を明かす特集番組のせい。年取って涙腺が緩くなっているのか、涙が何度も流れます。そして、大会が終わってしばらくした日に放送された、今大会の陰の場面を観てまた涙。普段スポットが当たらない部分を知ることで新たな興味が湧きます。ちょっとしたことがきっかけになって、勉強もスポーツも音楽も面白さや意欲がアップします。ただ、それが何かは一人一人違うから難しい。ちなみに、前回の箱根駅伝以降大きな大会をすべて制してきた駒澤大を抑えて青学大が優勝。王者に過信はなかったでしょうか。

 さて、暮れも押し迫った30日、シャッター4枚を高圧洗浄機とブラシでせっせときれいにしていました。仕上げのふき取りを脚立に乗って行っていた時、少しバランスを崩しました。それを立て直そうとするうちに体が倒れていきます。右には痛そうなソテツの葉っぱ。そっちはダメ!まるでスローモーションです。結局、倒れる場所が定まらずに後ろにあったアジサイの枝の中にドサッ!晩秋くらいから脚立で転倒する危険性を新聞やテレビで観ていたのに、「自分は大丈夫」という過信があったのは確かです。でも思った以上に体は言うことをきかないようです。腫れがあった左手を休日当番医でレントゲンを撮ってもらいましたが異常なしで一安心。「あ~、来年このアジサイは咲くかなぁ?」って、私とアジサイ両方の心配する声が耳に届きます。気分はビミョー?!

 始業式の日も腕を固定して登校した児童がいました。骨折だそうです。大人でも子供でも思わぬけがや事故に遭います。「注意1秒、ケガ一生」とはよく言ったものです。後悔はしたくありませんね。

338 知ってる?(24.1.11)

 12月下旬の新聞に“安全な道「伊達直人さん」のお陰”という見出しがありました。歩行者や子供の安全を願って、道路側溝の蓋の穴を埋めるための寄付を10年以上続けている、特定できていない人物の表彰の記事です。「伊達直人」の文字で、アニメ『タイガーマスク』を瞬時に思い浮かべ、主人公が自ら育った孤児院へ素性を隠して寄付を行うという内容がわかる人は少ないはずです。「タイガーマスク現象」とも呼ばれ、ランドセルが施設に匿名で寄贈されたニュースを見聞きしたことはあると思います。それでも何のことかわからないことはあるものです。

 お恥ずかしいことですが、トイレで小用するときにズボンの前チャックが開いていたことに気づくことがあります。いつから開いていたのか記憶を辿りますが、思い出せないくらいの時間が経っていたのかもしれません。必然的に相当数の人に対応していたということです。気づいた人もいたのではないかなぁ。教えてほしかったなぁ。そんなことを思いつつ、「社会の窓」は死語となってしまったのか疑問が…。「社会問題の裏側を探る」「普段見られない部分が見える」といった意味合いから、ズボンのファスナーが開いていることを「社会の窓」と言うようになったとのこと(マイナビニュースより一部引用)子供に「社会の窓が開いているよ」と言っても、きっと手はズボンのチャック確認のために動かないのだろうなぁ?

 もう一つ。4年生の習字を指導したとき、筆を洗い忘れてカチンカチンになって字が書けないので困っている子がいました。箱にしまったままの墨を取り出して、硯の上で筆をしごきます。徐々に筆らしくなっていく様子を見ていた他の子が、「それって、そうやって使うんだぁ」と呟くのです。いえいえ、これは墨と言って、水を入れた硯の上で摺って使うものですよ~。墨汁を使って墨を摺る習慣がないのに、習字セットには必ずと言ってよいほど墨が入っていますが無駄では?そういえば、書道がユネスコの無形文化遺産に提案されるといいます。知ってる?

337 年賀状(24.1.10)

 昨日久しぶりにホームページを開いてアクセスカウンターを見ると、なんと150万を超えていました。以前100万を超えたと書いたのはいつだったのでしょう。学校のことを知ってもらったり身近に感じてもらったりするために他愛ないことを綴ってきましたが、目にとめてくださることに喜びと感謝です。

 今朝は、歌手の八代亜紀さんが亡くなったことを多く報じていました。スポーツでは、皇帝ベッケンバウワーの死去のニュース。サッカー少年の憧れでした。にもかかわらず、話を振ったら「ドッペルゲンガー?」と声が返ってきます。知らない人には興味ないかぁ。

 さて、年末の賀状作成がない喪中の年末はゆったりでした。そんな折、郵便料金が来秋値上げされるニュースに様々な思いが浮かびます。ハガキは7年ぶりで63円から85円に、定形郵便封書は84円から110円へという、こちらは30年ぶりの大幅な値上げといいます。逆に30年も据え置きだったことにびっくり!57年前(1966年の改定)にはハガキが7円、手紙が15円だったことを知る者としては苦笑するしかありません。ハガキや手紙離れが言われて久しいですが、年賀状など今以上に出さなくなることが目に見えるようです。

 子供のころ、元日の午前中に届く年賀状がとても楽しみでした。フライングしてポストを見に行って、まだ入っていなかったときのがっかり感。そして、輪ゴムで止められたハガキの束を持った時の高揚感。ただ、自分に届く年賀状の枚数は僅かですから、父や母が羨ましかったことも思い出します。

 学校に目を向けると、創立70周年記念関係の諸々がどんどん形になっていくことを感じます。70年前の開校当初と現在の学校や家庭生活を様々な角度から比較して紹介するようなことができたら、子供たちは目がテンになるかも。そうそう、記念の横断幕が出来上がりました。子供たちから募集したイメージデッサンや標語が、素敵な作品となっていますので、2月16日の式典の際には紹介します。この1月から各学年で子供たちのステージ発表(6年生を送る会)に向けて始動します。そのために、職員は今日、文化会館大ホールや経路を夕方下見してきます。

336 「アレ」といえば(24.1.9)

 元日から能登地震・JAL機と海保機の衝突炎上という衝撃的で悲しい始まりとなりました。知り合いに被災された方がいらっしゃるかもしれません。そうであっても新しい1年の始まりには変わりありません。

 さて、新年を迎えて生活用品が新品に入れ替わることもあります。洗面所や浴室で毎日使用する「アレ」もタイミングさえ合えばその一つかも。液体石鹸です。ボトルに入った液体が、フォーム(泡)となって出てくるものと液状のままのものとがありますが、どんな仕組みで一瞬のうちに泡に変わるのか、今さらですが知りたくなります。上部の細かいメッシュを通過することで、空気と合わさって泡になるらしいのですが、ヨシタケシンスケさん風に考えるとボトルの中に小人がたくさんいて、液体石鹸を繊維の上でゴシゴシこすって外へ送り出している絵が描けそうです。

 また、以前、大型トラックのフロントガラス上のルーフにあった「アレ」もふと思い出しました。対向する車などにトラックのスピードを知らせ、注意喚起をしていた緑の3連ランプです。一つ点灯で40キロ未満、三つ点灯すると60キロ以上を意味します。そこでも小人がせっせと操作をしていたはずです。ただ、道路のインフラ整備が進み、2001年以降点灯義務が廃止されていますから、すでに20年以上が経ちます。その小人たちは今…。

 さらに、年末年始恒例といえば、業者の挨拶まわり。来校して持参するのは決まって「アレ」。そう、会社名入りのでっかいカレンダーですが、昨年末にいただいたものを見ると時代の流れを感じます。どこも卓上カレンダーが主流になったようです。あまり邪魔にならず置く場所を選びません。刺繍入りの布製カレンダーもあった数年前までは、カレンダーを筒状にして段ボールに立てた脇に「ほしい方はどうぞ」と書かれている光景を目にしました。あのカレンダーの裏紙は字を書いて掲示したり集会で見せたりするのにちょうどよかったのになぁ。

 それでも、部屋のカレンダーが真新しいと背筋もピンと伸びます。そんな新鮮な気持ちを大事にしながら、今年もよろしくお願いします。

335 今こそ、今から、今しか(23.12.22)

 観光バスに乗っていると視点が高いので、普段見えなかったり気にならなかったりするものまで視野に入ってきます。外環道の三郷JCT近くを通過するとき、路面に白くペイントされた文字と矢印に目が行きました。単に「首都高」と書かれているだけですが、「首都高等学校」と間違うことはないだろうなぁとバカな疑問が頭をよぎります。

 そんな修学旅行2日目のブログに見守りボランティアの田中さんについて触れました。翌朝、学校の前で保護者の方から情報をいただきました。さらにその2時間後に田中さんが校長室に足を運んでくだり、20年続けられたボランティア引退の話をいただきました。20年といえばお世話になった人がたくさんいるはず。今日の終業式でお礼について投げかけ、メッセージ用紙を校長室前に置きます。子供、保護者、知り合いを問いませんので、必要な方はお持ち帰りください。年明け16日(火)までお待ちしています。

 話題は変わりますが、必ず死ぬと書いて「必死」と読みます。この言葉を私たちは気軽に使っていますが、意味を知るとすごいことだとわかります。つまり、必死というのは「今しかない」ということだからです。人は必ず死にますし、死はある日突然やってきます。未来はこうだったらいいなぁと考えている私たちを急にさらっていくこともあります。だからこそ、「今しかない」と感じることはとても大事なのかもしれません。決して切羽詰まったイメージではなく、何か新しいことを始めたり何かを変えたりするとき、「いつか」ではなく、思い立った時がベストタイミングだと思うのです。新しい年を迎える今しかないことはないでしょうか。そんな話も終業式で全校にする予定です。

 来年も(は)よい年になりますように!よい年をお迎えください。

334 紅白歌合戦(23.12.21)

 夜、布団に入って足元が冷たいとなかなか寝つけません。湯たんぽや電気あんかが重宝される理由です。こうしたもののほか、使い捨てカイロや電気毛布といった製品使用時の低温やけどが毎年話題に上ります。温水洗浄便座に長時間座っていたことが原因で、太ももの裏などに低温やけどを負ったという事故も発生しているというからびっくり。

 寒い朝は、通勤電車のシートヒーターがうれしくなりますが、たまに座面の熱や座席下から吹き出す温風で腿の裏やふくらはぎが熱くてたまらなくなることがあります。乗り継ぎ駅到着まで20分。これがもう少し長かったら、間違いなくやけどしていそう。足を浮かしたり投げ出したりしていれば耐えられるかもしれませんが、混雑する車内でそんなわけにはいきません。隣に座る人は無表情ですが、やっぱり熱いのではないかなぁ?

 人気歌手のAdoさんが、年末の紅白歌合戦に出場することが確実視されています。その裏で、顔出しするのか、場所や演出はどうなるのか盛り上がっています。昨年の紅白では、映画『ワンピース』のウタというキャラクターの歌唱パートを務めたといいますが、単独ライブでも顔出ししない徹底ぶりとか。ほかにも、ヨルシカ、ずっと真夜中でいいのに、GReeeeN…など顔出ししない歌手は結構いるようです。誹謗中傷のターゲットに被害側がされ、自宅や顔がSNS上に晒される事例もたくさんあがる中、顔出ししない(されない)ことで神聖化されていることはないでしょうか。

 半世紀以上前の紅白歌合戦の平均視聴率は80%前後という国民的番組。でも最近では40%を下回りますから試行錯誤の真っ只中なのかも?さぁて、今年は見ようかどうしようか。それ以上に、何を飲みながら食べながら夜を過ごそうか思案中。

333 様変わりする(23.12.20)

 ホームセンターで電源延長用のコードリールを購入しました。支払いを済ませてテープを貼ってもらい、店舗を出ると後ろから呼び止められていたようです。気づかないでいると店員さんが走ってきました。防犯タグが付いたままゲートを通過したのでアラームが鳴ったようです。でも、それも聞こえなかった私は、傍から見ると制止を振り切る万引き犯?補聴器を着けたからといって、完全に聴こえるようになるものではないのです。

 嫌~な気分のまま車のラジオから流れる声に耳を傾けます。60年前と現在を比べると、コメの消費量が半分になっているとか…。食生活の変化を如実に物語っていますが、コメ農家にとっては打撃以外の何物でもないはずです。

 食生活の変化だけではなく、気候変動によってとれる地域や量が大きく変わってきているものもあります。気温上昇がもたらす現象は恩恵がある一方、農業では深刻な問題にもなります。例えば果物!リンゴやミカン、桃、アボカドなど栽培適地が北上しているといわれます。

 また、魚に関しても同様です。日本では、正月のサケやブリといった魚が縁起物として親しまれてきました。いわゆる「年取り魚」です。このブリ、2年前の漁獲量ランキングを見ると、北海道が第1位。次いで千葉県、長崎県となっています。でも、10年前は島根県・鳥取県・長崎県の順でした。専門家は「海洋熱波」の影響を指摘しています。サンマの不漁・高騰なども同様であるとされます。もしかすると、10年後には食卓に上る魚の種類だけでなく、社会科副読本「わたしたちの市川」で取り上げる「漁業の盛んな銚子市」や5年生の教科書に載る「水産業の盛んな地域」が大きく様変わりしていることだって考えられそうです。

332 おせち料理(23.12.19)

 例によって録画で観ていた『下剋上球児』。選手や監督が苦難を乗り越えて頑張る姿が涙を誘います。先日最終回を迎え、「下剋上ロス」に陥った我が家でした。

 一方、土曜の夕方放送の『満点青空レストラン』、「今日の食材は何だろう」と毎週興味津々。1年間番組で紹介した各地の最高食材を使って、豪華なおせち料理が作られるのも毎年恒例になり、随分前に放送されました。“壱の重”から“参の重”までこれでもかというような品がぎっしりと詰め込まれています。味わってみたいと思うものの価格を見るとほぼ6万円。手が出ませんし、違うお金の使い方を考えたくなります。何個販売するのかは知りませんが、12月の声を聞いた時点に「抽選販売の受付は終了しました」とありますから、申込み多数で抽選に漏れた人もいたのかもしれません。どんな人が買うの?

 昔は3月3日や5月5日というような節句の料理を「おせち」と呼んでいたそうです。毎日家事に忙しい(主に)お母さんたちがせめて正月三が日くらいは料理をしないで済むように、保存のきく料理を作ったことに始まります。このおせち料理は、日本懐石同様に祝い肴・口取り・焼き物・酢の物・煮物の5種類で構成され、それぞれにおめでたい意味やいわれがあります。重箱に詰めるのも、幸せを重ねるという意味が込められていますが、家族が二人だけになると食べたいものだけの必要最小限になり、手間のかかるものは敬遠されがちです。今年テーブルに乗りそうなものは、松前漬けと黒豆、田作り、なます…?

 こうした料理をする匂いが家中に広がるころ、なぜかしら焦りだす私です。

331 虫の目 鳥の目 魚の目(23.12.18)

 修学旅行1日目に行った日光江戸村。フラッと花魁の芝居小屋に入り、「お大尽」に指名されて舞台に上がる羽目に…。子供に見られなくてよかったと胸をなでおろしました。また、地獄寺というお化け屋敷に似た一画、入口の「以下の方はご入場出来ません」と掲げられた最初の一つに「60歳以上の方」とあります。気にしないで前進!

 4年生と行った伊能忠敬旧宅。ここでも石に刻まれた忠敬の家訓を目にしました。<第一> 偽りをせず正直たるべし、<第二> 身下の人でも教訓異見あらば用いるべし、<第三> 言語進退を寛容に諸事へりくだって人と争うべからず、1791年9月21日と。今だからこそ改めて心に刻みたいと思いながらすぐに忘れてしまう愚か者が、急に思い出したのが物事を見る心得、「虫の目」「鳥の目」「魚の目」です。虫は複眼ですから様々な角度から物事を見ます。鳥の目は、高い位置から全体を俯瞰します。魚は潮の干満や流れを読みます。

 さて、少し前まで枝の先端に真っ赤な赤い実をたわわにつけた南天をあちらこちらで目にしました。「難を転ずる」という意味から、縁起を担いで南天を植える家庭は少なくありません。我が家にも鉢植えの南天の木がありましたが、いつも花は咲けども実をつけません。木は立派になっていきますが、結実しないので処分してしまったのが今秋のこと。オタフクナンテンだけが残してあります。

 赤い実は鳥の目を引くようで、食べられて糞として捨てられたあと、空き地などで発芽して大きく育ったものを見かけます。南天もその一つですが、センリョウ(千両)やマンリョウ(万両)も同様です。ともに庭で真っ赤な実をつけています。ヒヨドリがこっそりやってきてついばむ季節なので、無粋ながら鳥避けネットを被せてしまいました。だって赤と黄の2色あるセンリョウは、仏壇や部屋に飾るのに最適ですから守らなくては…。

 今学期も今週でおしまい。来年を見据える今、多角的な視点や分析をもって次の有効な一手を繰り出していけるようでありたいと思ったのです。

330 ケーキ(23.12.15)

 一度できてしまうと、長い期間やっていなくても体が覚えていることはたくさんあります。自転車はいつでも乗れますし、逆上がりは今もできます。自動車の運転だって、マニュアル車全盛時に取得していますから、今も少し走ればすぐに勘を取り戻します。

 逆に、昔できたのに今はできなくなってしまったこともあります。必ずしも加齢によるものではなさそうです。例えば「口笛」。今はかすれた音しかしませんし、吸った方が音になるくらいです。その他にも自転車の「両手放し」や縄跳びの「はやぶさ」など。まだまだありそうです。

 さて、誕生日でもなく結婚記念日でもない、別の記念日もありそうです。そんな特別の日、帰りにケーキを買って帰りましたが、昨年も同じ店のチョコレートケーキを買ったようです。最近ケーキは、ずっと値上げの煽りを受けている商品の一つ。昨年買った時は3段階のサイズ展開で、以前よりも買い求めやすい値段設定になっていましたが、今年は4段階に!2人家族なので、小さい方から2番目をチョイス。

 今の時季、ケーキといえばクリスマスケーキ。すでに注文した家庭もあることでしょうし、手作りする家もあるでしょう。我が家は後者。ありがたいことに誕生日も含めてオリジナルケーキがテーブルを飾ります。先日娘が、「シフォンケーキの作り方を教えて!」と言ってきたといいます。スマホでやり取りしながら出来上がったケーキ。その写真や動画を報告がてら送ってきましたが、自分で作る楽しさは格別のようです。そして、それを「おいし~」と言いながら喜んで食べる姿を目にすればうれしい気持ちで満ち溢れます。さらに、ホールのケーキは、今日食べても明日も食べられるという喜びがあります。

 ケーキや菓子作りは、一度できるようになると病みつきになるのかもしれません。

329 気をつけます!(23.12.14)

 12月の日光は、平田小の貸し切り!思った以上にスイスイ、集合写真も他を気にせず撮れました。

 修学旅行等に多大な影響を及ぼした新型コロナ感染症の拡大初期、疫病除け妖怪「アマビエ」が、世間に広く知れ渡るようになったことを急に思い出しました。「アマビエ」を知らない私は、「アマエビ」だとばかり思い込んでいたのです。アマビエの画像を見ても「どう見てもアマエビには見えないのに、どうして注目されるの?」と不思議でなりませんでした。同じ4文字の配列であることが思い込みにつながったのでしょう。

 もう一つ。作成文書に「市川市教育員会」と打ち損じを見つけることがあります。「委(市川市教育委員会)」が足りない!不注意で、さらっと流して読みがちです。これに似たものが下!

こんちには みさなん おんげき ですか? わしたは げんき です。

この ぶんょしう は いりぎす の ケブンッリジ だがいく の けゅきんう の けっか

にんんげ は もじ を にしんき する とき その さしいょ と さいご の もさじえ あいてっれば

じばんゅん は めくちちゃゃ でも ちんゃと よめる という けゅきんう に もづいとて

わざと もじの じんばゅん を いかれえて あまりす。

 読めてしまうのが不思議です。文章中のいくつかの単語で最初と最後の文字以外の順番が入れ替わっても正しく読めてしまう現象をタイポグリセミア(Typoglycemia)というのだそうです。ただ、途中がデタラメでよいかというと決してそうでもないのですが…。

 学校発の文書では、誤字脱字がないように最低でも3名以上で確認をしています。ただ、このブログに関しては自分で何度か読み返すのみ。アップの前に修正を加えると、その部分に間違いが生じてしまうこともあります。迂闊にも、私設検閲担当から指摘されて慌てて直すことだって。

328 ごめんなさい(23.12.13)

 ずっと心の中に居座るモヤモヤで、修学旅行2日目の朝は目を覚ましました。

 白門で毎朝見守りをしてくださっていた千葉さんの引退を紹介したり、子供たちからのメッセージを綴じてプレゼントしたりしましたが、赤門を左へ出て菅野駅方面に向かった先の国道14号、その横断歩道で黄緑色のベストを着た男性(田中剛之さん)も子供たちを見守ってくださっていたお一人。

 千葉さんに手紙を手渡したと同じ頃、お礼を伝えるため何度かその場を見に行きましたが会えません。子供に聞くと最近はずっと見ていないとのこと。できるだけ朝は学校付近で子供たちの安全指導とあいさつをしてきましたが、少し離れると足を運ばないままになっていました。多くの方々に支えられて、今の学校や子供たちがあるわけです。それを忘れて任せっぱなしに…。引退されたと小耳にはさみましたが、お元気だとよいのですが。

 気持ちを切り替えて、2日目がスタートします。

327 行ってきま~す(23.12.12)

 「♪じ~んせいは ワンツーパンチ、汗かき べそかき 歩こう~よ~…ワンツー ワンツー 休まないで歩け~♪」は、水前寺清子さんの『365歩のマーチ』。12月12日なので、ふと思い出しました。

 今日から一泊で日光修学旅行に出かけます。当初の計画では先月中旬でしたが、インフルエンザが広がり延期を余儀なくされ、ひと月遅れとなりました。10月下旬でも奥日光の朝は氷点下まで気温が下がります。それが12月ですから…。昼間の寒さが想像できないので、防寒対策はしっかりするように伝えてありますがちょっと不安!昨年は、ホテル前から一人で朝の散歩をしましたが、その時に野生のシカと至近距離でバッタリ出会いました。しばらく見つめあったことを思い出しますが、今年はどうでしょう?

 11月案では中禅寺湖の遊覧船に乗ったり、戦場ヶ原をガイドと一緒に散策したりする計画がありましたが、12月にもなると遊覧船は運航せず、戦場ヶ原も入れません。必然的に活動が制約されます。ですから、今日は日光江戸村で遊ぶことと日光彫体験がメイン行事です。江戸村で木刀をお土産に買う子が絶対にいるはず。それ以上に、ホテルでの自由時間が十分確保されていますから、子供たちには一番うれしいことなのかもしれません。明日は、日光東照宮を見学後、その周辺散策をグループごとに行います。初めての試みですが、地図を見ながらいろいろと見て回って、へとへとになって集合場所に戻ってくるのではないでしょうか。

 HPの「学校・児童の様子」に随時活動の様子を掲載する予定ですので、写真で師走の日光をお楽しみください。生憎の雨ですが、行ってきま~す!

326 ナンバープレート(23.12.11)

 某アウトレットモールに行きました。クリスマスムードが漂い、各店舗の賑やかさを肌で感じるだけでも顔がほころびます。プレゼントをもらう側がうれしいのは当然ですが、誰に何にしようかと思い悩み、相手の喜ぶ顔を想像してあれこれ選ぶ時間もまた楽しいもの。ただ、うち家族の場合、「○○プレゼントの前借り」的な買い物が多くなっているような気が…。

 さて、自動車につけられているナンバープレート。数年前に「市川ナンバー」が登場しました。ご当地ナンバーとなって、梨と江戸川の図柄入りもたくさん見かけるようになりました。このナンバープレートの数字に拘る場合があります。誕生日や記念日という場合もありますし、語呂合わせから「703(なおみ)」「841(やよい)」「310(佐藤)」「510(後藤)」「1173(いい波)」「2983(肉屋さん)」「3150(最高)」など様々です。富士山ナンバーに「3776(標高)」を付けた車も見たことがあります。「1122(いい夫婦)」もやたら多い!また、風水で最高に縁起が良いのは「168(イロハ)」なのだそうです。エンジェルナンバーなるものもあります。「810」を「ハート」と読んで、かわいらしさをアピールしたい時にも使えそうです。

 このほか、「358」も縁起が良い数字といいます。旧約聖書にも登場する聖なる数字として知られているらしいですし、江戸幕府の初代将軍徳川家康を別にして、一般的に知られる3代家光、5代綱吉、8代吉宗からくるという理由もあるようです。諸説ありますが、このナンバーを付けた車をあまりにもよく見かけるので、我が家では「サンゴッパチ族」と呼んでいます。もし、付けている人がいたらごめんなさい。決して馬鹿にしているわけではありません。

 そう言う我が家の車は、「オーナー様の誕生日」を番号に!運転免許を持っていないオーナーは、専ら移動手段は徒歩と電車ですが、我が家の財政管理者。当然、助手席は専用。たとえ名義は私でも、借りた車を運転しているわけで、一人で出かけるときには「クルマに傷をつけないでね!」と言われて送り出される始末です。

 あれっ?前を走る車、「110」は伊藤さん?それとも警察関係の方ですか?

325 口ぐせ(23.12.8)

 脚本家の山田太一さんが亡くなりました。オープニングの主題歌もヒットしたドラマ『ふぞろいな林檎たち』は、山田さんの作品中で私の一番です。大学生だった当時、中井貴一さんや柳沢慎吾さん、手塚里美さんら出演者の多くはみんな私と同世代だったからかもしれません。そうした中、ドラマやCMに限らずテレビでお目にかからなくなった人がいると、「生きていたっけ?」などと不謹慎な発言になりがち。植物同様、土の中にいて見えなくたって、様々な形で頑張っているのです。

 さて、人それぞれ口ぐせというか、つい声となって出てしまう言葉や音声ってあります。以前、家族から「なんか鬱陶しい!」と言われたのが、自席から立ち上がる時に発する「よし!」というかけ声です。自分では切り替えのために何気なく言っているようですが、聞いている者にとっては耳障りなことも多いようです。そういえば、職員室の椅子から校長室に移動する時にも知らず知らず言っているかもしれません。隣の教頭も耳障りに思っているかも?

 昔、学級担任をしていた頃のことです。授業中に、何やら子供たちのクスクスッとした笑いが頻繁に起こるのです。何かと思いつつも授業を終えました。休み時間にある女児が教卓に近づいてきて、「54回だったよ」と報告するのです。私は???です。よく聞いてみると、授業中に「ね」と言った回数だったのです。話す中で「~でね、これはね~」と繰り返していたらしいのです。そのあとの授業では、言わないようにすることばかり意識して気疲れしてしまったことを思い出します。

 ある言葉が気になりだすと、そこばかりが聞こえてしまうことがあります。講演会などで「え~、それは、え~」というように、話の合間に「え~」が頻繁に聞かれることがあります。逆にそうした言葉がないと滑らかでとても聞きやすく、話上手に思えてきます。自分ではわからないことってたくさんありますから、気づかせてくれたことに感謝。そうは言うもののいまだに癖は治りません。

 自分では気づかない癖・口癖を指摘されたことってありますか?

324 はい!チーズ(23.12.7)

 12月に入って、朝、校庭に流れる曲が変わりました。今月の歌『ジングルベル』が軽やかに青空の下に流れていると、不思議とウキウキした気分になるのは大人も子供も一緒。「今年の漢字」の発表ももうすぐですが、勝手に「冠」か「暑」を予想している私。藤井棋士の八冠達成やWBC優勝、阪神タイガースの日本一、車いすテニスの小田選手など栄冠を獲得する場面が数々ありました。12日が楽しみ~。

 さて、一昨日4年生の校外学習に引率した際、クラスで集合写真を撮りました。来週の修学旅行でも数か所で撮影が予定されています。寒い中なので表情も固まってしまいがち。でも、やっぱり硬直した表情より笑顔のほうが断然素敵です。だから、シャッターを押す前に「はいっ、チーズ」「イチたすイチは~?」など定番の合図があるわけです。

 そもそも、写真を撮るときに「なぜチーズなの?」「いつ頃から?」など疑問に思います。英語圏では「Say cheese(セイ・チーズ)」が使われるそうです。撮られる側が“チーズ”の「チー」と発音するときに顔が笑顔の形になるとか、英語では「ズ」で口をすぼめず口角が上がるとかいう理由でかけ声として始まったとされます。「チーズ」でなければならないということはありませんが、言葉の親しみやすさや覚えやすさ、発音のしやすさなどがあるようです。ちなみに、韓国では「キムチ」、中国では「茄子」、メキシコでは「ウィスキー」、スウェーデンでは「オムレツ」などが使われます。日本では雪印乳業のCMがきっかけらしく、50年前にまで遡ります。ガッテン!

 11月末にインフルエンザの予防接種をしましたが、そういえば昔は予防接種の後は入浴ができなかったことを思い出しました。なぜだったのでしょう。そして、いつからお風呂に入ってもよくなったのでしょう。スタンダードって、時代とともに変わっていきます!

323 きちんと把握している?(23.12.6)

 千葉県北西部に「震度5弱」以上の地震が発生した場合、登校前であれば「自宅待機」、在校中の場合は「引き渡し実施」と本校の非常変災時学校対応ガイドラインに示していますが、ご確認いただけているでしょうか?ところで、この地震計測震度で「5弱」といったとき、震度5より少し強い揺れなのかと思っていましたが、震度4.5以上5.0未満をいうのだそうです。あぁ勘違い!

 最近、新聞で似たような勘違いに関する記事がありました。例えば、「今回のアンケートの回答率は7割弱でした」という言い方をしたとき、若い人は「弱」を「少し多い」と解釈している人が結構いるようなのです。一般的に「7割弱」は65~69%、「7割強」は70~75%と考えますが、あまり使われない表現であるために間違った解釈があるのかもしれません。

 「9時10分前」についても8時50分を指しますが、9時8~9分頃ととらえる若い人もいるといいます。「一両日中に」と言ったとき、それが明日までなのか明後日までなのか悩みます。「インフルエンザで10日まで来ない」と言ったときも、10日は来るの?来ないの?と微妙です。いずれにしても、話す相手を意識しながら具体的な表現あるいは補足するに越したことはなさそうです。

 ところで、家にいるときに遠くで消防車のサイレンが響くことがあります。空気が乾燥する季節ですから火の用心です。ところで、その消防車はどこから来るのでしょう。4年生の社会科では、消防の働きや連携について学びますから、学校に近い消防署見学に行くこともありました。避難訓練を計画すれば消防署に連絡もします。よって、市川市内の消防署の場所は把握しています。にもかかわらず、自宅そばの消防署はどこにあるのかわからない!市境に住むため、隣接市の消防署の前をよく通ることはあっても、「うちの市のほうは多分あの辺にあったよなぁ」程度。調べてみると、近隣に分署が2つあります。交番とともに、あまりお世話になりたくはないけれど、知っておかねばならないと思った今日この頃。

322 学びは人の数だけ(23.12.5)

 ある日、3年生の教室前を通ると、国語で「こそあど言葉」の学習をしています。覗いてみると、活発な発言が聞かれました。阪神タイガースの岡田監督の「アレ(A.R.E)」は、今年の流行語大賞に輝きましたが、コレをネタにしない手はないよなぁ。「こそあど言葉」ばかりで会話する私は、そんなことを思いながら扉を閉めました。算数では2年生の九九の暗唱が佳境を迎えます。パパっと暗算ができる「おみやげ算」という計算方法もあるようです。

 実際の生活場面でも、簡単に計算ができると重宝します。例えば、4個入り510円と6個770円のチョコの箱が並んでいたとします。どっちがお得か考える場面は結構あるものです。「510÷4」と「770÷6」は、暗算をすぐにできそうもありませんのでスマホを取り出したくなります。でも、個数の4と6の最小公倍数12で比べると簡単です。1箱510円の方は12個にするためには3箱分で、「510×3=1530」となります。1箱770円の方は「770×2=1540」となりますから、4個セットのほうが若干お得という結果が導き出されます。私の場合、スーパーの酒売り場で、ビールをケースで買ったほうが得か特価表示の6缶パックが得か、おもむろにスマホを取り出してしまいます。みんながわり算で解を求める中に、上の方法など独自の解法にたどり着く子がいたら大いに認め褒めてあげます。

 さて、今日は4年生の校外学習。佐原に始まり、野田へ行って醤油づくりを見学します。結構な移動距離ですから出発も早い。でも、どんな驚きや発見をするのか楽しみです。伊能忠敬の制作した地図の精巧さなのか、醤油工場の独特の匂いなのか。感じたことを自分の言葉で考えへと高めてほしいと思います。そういえば、私も小学生の時に行った醤油工場でその匂いに「うっ」となった一人ですが、小さな醤油瓶をもらってうれしかったことばかり思い出してしまいます。

321 和食(23.12.4)

 新聞の見開きの全部がかに、カニ、蟹…。生やボイルしたズワイガニやタラバガニの通販広告です。う~ん、魅力的!11月末日締め切りかぁ。悩んだ挙句、私はどうしたでしょうか?年末商戦に突入です。

 さて、山口百恵さんが歌った『秋桜』(さだまさし作詞作曲)に「♪こんな小春日和の~穏やかな日は~」という歌詞があります。この「小春日和」は、春のような穏やかで暖かい初冬の陽気を指します。だいたい11月初旬から12月初旬ころの秋から冬へと季節が移ろう時期を言います。

 外国でも秋の終わりから初冬にかけての季節の変わり目の暖かな日を表す表現があることを知りました。例えば、英語では「インディアン・サマー」、ドイツ語では「老婦人の夏」、中国語では「秋老虎(秋のトラ)」という言い方をするのだそうです。日本では、もうそろそろ小春日和を使える季節ではなくなり、本格的な冬の始まりとなりますが、移ろいに敏感でありたいと思います。

 話は変わりますが、先日講演を聞いて、和食がユネスコ無形文化遺産に登録されていることを知ったような思い出したような…。今日は登録されて10年目を迎える日だそうです。四季が明確な日本において、豊かな自然を尊び、そこで生まれた習わしが日本伝統の食文化として認められたわけです。その特徴として、「1多様で新鮮な食材とその持ち味の尊重」、一汁三菜を基本とする「2健康的な食生活を支える栄養バランス」、添え物や器などを工夫して「3自然の美しさや季節の移ろいの表現」、そして「4正月などの年中行事との密接なかかわり」を挙げています。毎日の食卓や給食の中にも、こうした思いがたくさん込められているはず。その意識があるかないかで楽しみ方も違ってきそうです。

320 百人に聞きました(23.12.1)

 リンゴをかじる画を想像すると、なぜかしら「白雪姫」を思い浮かべてしまいます。ある日、リンゴ農家の人が収穫したリンゴを皮ごと丸かじりする映像がテレビから流れます。隣で見ていた若いリポーターの女性が驚いたような表情をつくります。スタジオのアナウンサーが「歯が丈夫でないとできませんね」と言っています。もしかすると、今はリンゴを丸ごとかぶりつく習慣がなくなっているのかもしれないと思い至りました。皮を剥いて何等分かに切り分けて食べることが多くなりましたから、皮を耳に見立ててウサギのようにした切ったリンゴだって見かけることがなくなりました。一緒にテレビを観ながら隣で、「昔のリンゴは比較的小さかったしね」という言葉もあながち間違っていなさそうです。リンゴを丸かじりした経験のある人を全校450人に聞いたら何割いるのでしょう?

 そういえばずっと昔、『クイズ100人に聞きました』なんて番組がありました。司会の関口宏さんが、回答者席のカウンターに体を寄りかからせるポーズを思い出します。ルールは簡単!2つの家族チームから代表者が1人ずつ前に出て早押しで回答するもの。答えが複数あるので、より上位(数が多い回答)の答えを当てると、次の回答権も与えられるというものでした。

 例えば、「スイミングスクールに通う小学生100人に聞きました。一番のごちそうと言ったら何?」という問題。この100人が「丸の内のOL」だったり「幼稚園児」だったり「市川のおまわりさん」だったりするわけです。

 それでは問題!「すてきな女性(男性)がじっとこちらを見つめていたら?」。お辞儀をする?声をかける?もじもじする?見つめ返す?目をそらす?自分の後ろに誰かがいるのかもしれないと思って振り向く?それとも、逃げる?

 12月、日々の逃げ足の速さを加速度的に実感する時季です。