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校長室から
547 B級(25.1.15)
全国高校サッカー大会決勝は、110分戦い終えてPK戦にまでもつれ込みました。両校優勝でもよいのではないかと思うほど白熱した戦い。残念ながら千葉県代表の流通経済大柏は涙を飲みましたが、翌日のニュースで「PK合戦で決着をつけた決勝戦には敗者はいない。いるのは、勝者と勇者だけだ」という素敵な言葉を聞いて、改めてその戦いを振り返ったのです。
この大会初戦、帝京高校OBの木梨憲武さんと名将・古沼元監督が一緒に観戦・応援したことが報じられました。その時に、木梨さんが「根性とレモンスライスの私たちの時代は終わった!」という言葉とともにエールを送ったといいます。このレモンスライスは、スポーツ選手にとって強い味方でした。少年サッカーの試合では、ハーフタイムにスライスしたレモンのハチミツ漬けを食べることがよくありました。エネルギー源となり、疲労回復の効果が期待できたのです。
さて、モノが上等でも下等でもなく、中程度のレベルにあることを表す俗語に「B級」というワードがあります。野菜売り場に並ぶキュウリや枝豆、カボチャなどの袋に貼られた「B級品」シールは、そういう扱いでしょうし、「B級映画」なんて言葉もあります。つまり、一級品には及ばないという蔑む意味合いも感じ取れます。一方、高品質で高価なA級品に比べると少しは程度が落ちるものの、個性を感じるモノとして取り上げられる場合も少なくありません。「B級グルメ」がまさにそれ!贅沢ではなく、庶民的で気軽に食べられる料理として、また町おこしの意味も込められてスポットが当たったのは20年近く前からでしょうか。
そういう意味では、レモンスライスは選手にとってのB級だったのかもしれません。こんなことを書きながら、大会で優勝すると子供たちと食べに行った「優勝ラーメン」の味は、歓喜というスパイスが効いたA級だったことを思い出しました。
546 いいニュースを作ろう(25.1.14)
フランス人と日本人が、第三国で裁判にかけられ、ともに終身刑を言い渡されます。ある日、看守が「10年ごとに望みを一つ叶えてやる」と言いました。日本人は「10年読めるだけの本を差し入れてほしい」と言い、フランス人は「10年分のワイン」を希望しました。その10年後、再び看守が二人の望みを尋ねると、日本人は「10年前と同じでよい」と答え、フランス人は「ワインオープナー」と言ったという悲しくなるようなジョークがあります。
新学期が始まってあっという間の1週間。時の流れの速さを思いながら、ふと今日から修了式までの残りを数えてみると、10週間です。もっと言うと71日。でも登校するのは、そのうちの48日だけ。時間に直すと1152時間=69120分=4147200秒となります。○週間とか○日と考えると、まだまだ十分な時間が残されているように思えますが、秒単位で表すと今この一瞬の大切さを感じずにはいられません。6年生が教室に掲げる卒業までのカウントダウンカレンダーも、「あと○日」に添えて、「あと○分」とか「あと○秒」と書いてみたらどうでしょう。何もしなくても1秒ずつ削られていくわけですから勿体ない時間を過ごすわけにはいきません。そう考えると、開栓できないまま過ごした10年という収監期間は、まさに時間の垂れ流しでしかありません。
ドラマ大好きの私は、元日恒例の『相棒スペシャル』を観ました。高嶋政伸さん扮する人気ニュースキャスターが、「いいニュースを作ろう。誰もがそういう気持ちで過ごしていれば、毎日はきっと明るい出来事であふれるようになる」と語ります。これは、様々な場面で通じることだと思ってメモをしました。学校や教室のいいニュース、家族のいいニュース、これらを作ろうと一瞬一瞬を大事にすれば、今年度の残りの日々が笑顔いっぱいになりそうです。だから、正門脇の掲示板に私の書き初め作品を貼ってみました。新しい1週間の始まりです。
545 難解な日本語(25.1.10)
正月を迎える前に、実家では仏壇や神棚の金属仏具をピカピカに磨くのが慣例で、いつの頃からか私の仕事だったことは随分前に触れた気がします。神棚のしめ縄も新しいものに交換します。このしめ縄には、いくつかの表記があります。知った時に驚いたのが「七五三縄」。「七五三」を「しめ」と読むなんて日本語が難解な所以ですが、これを苗字にする人、例えば「七五三掛」さんは実在します。しめ縄は、「注連縄」「標縄」と書くこともあります。領有の場所、あるいは出入り禁止を示す標を意味するのが「注連」であり、神聖な区域とその外とを区分する意味があるようです。神社や御神木でも見ることがあります。昔から商いをしている家は別にして、最近では神棚のある家はほとんどないのではないでしょうか。
また、日本語の助数詞も外国語に比べたらとても複雑だと思います。人は「1人」、本は「1冊」、ペンは「1本」、車は「1台」と数えます。箸も片方だけなら「1本」で済んでも、2本になればたちまち「1膳」と呼ばれます。紙も単数は「1枚」なのに、複数枚をホチキスなどで束ねれば「1部」に大変身。かけそばなら「1杯」だけど、ざるそばなら「1枚」というのは、器で数え方が変わるということ?逆に、文字は同じなのに難しいのが、生き物の数え方。「1頭」と数える動物には、牛や馬のほかに蝶が入るのはなぜでしょう?鳥は「1羽」、ウサギも「1羽」。でも、ほかの動物同様、「1匹」だって間違えではありません。このほか、キャベツもメロンも、生麺も同じ「1玉」。拳銃やナイフのほか、豆腐も「1丁」。「パンツ1丁」もあれば、注文して出来上がったラーメンも「はい、ラーメン1丁!お待ちど~」となるわけです。外国人ならずとも私たち日本人も、よくよく考えると混乱しそうです。だから、サッと流すことにします!
明日は、お供えしていた鏡餅を下ろし、無病息災を願って食べる「鏡開き」。そこで、給食では1日早いですが、白玉小豆が出されます。
544 語るのは…(25.1.9)
日本三大名城といったら名古屋城・姫路城・熊本城。現存する最古の天守をもつ城は、愛知県の犬山城といいますが、残念ながらその美しさを感じる視点を持ち合わせていません。だから、正月番組に「日本最強の城SP」の文字を見つけて、意気揚々と録画しようとすると、「リアルタイムで見るならいいけど、録画してまで見ることはあなたに限って絶対ない」と言われて素直に断念。私のことを私以上に知る人の言葉は、時に真であることが多いのです。
城好き芸能人は多いようで、「笑点」大喜利の司会を務める春風亭昇太さんは誰もが認める城マニアです。安住紳一郎アナウンサーもその一人といいます。雲海に浮かぶ幻想的な「天空の城」竹田城(兵庫県)などを目にしたら、もしかすると城好き仲間になれるかも?でも、亥鼻城や大多喜城のほかシンデレラ城くらいしか行ったことがない者が城を語るのはおこがましい気がします。
さて、昨日から待望の給食が始まりました。初日はカレー、今日は鶏の唐揚げと豚汁といったメニュー。ただニュースを見ると、取材先の八百屋でキャベツ1玉が千円で売られていてビックリです。今年の前半は、食品分野の値上げラッシュがある見通しで、物価高は止まりそうもありません。当然、給食も直撃です。以前も触れましたが、1食当たりの基準単価と必要栄養価が決まっている中で美味しいものを提供しなければなりません。学校栄養職員の腕の見せ所という見方もあるでしょうが、現実はそんな生易しいものではなく、献立作成と食材のやりくりに頭を悩ませる姿を見ます。飲食店も家庭も悲鳴を上げる現状ですから…。
そうした中、12月の学校評価に「給食が以前に比べて質素」「無償化の弊害」「揚げパンは体に悪い」「デザートは不要。糖尿病になる」という指摘がありましたが…。
543 ゆく年くる年(25.1.8)
例年より紅白歌合戦をしっかり見ていた気がする大晦日でした。西田敏行さんに捧げる『もしもピアノが弾けたなら』を、武田鉄矢さんほか親交があった4人が歌いました。1981年の紅白で歌われた曲といいますから43年も前。なんと大学入学の年ですが、いまだに歌詞を覚えています。逆に、ミセスの『ライラック』を聴きながら「こんな歌詞だったのね」と一人合点する私でした。
年末・年始と天気のよい日が続きました。傘の出番がないので、玄関外に置いてある素焼きの傘立てが、この時期は泥ネギや大根、ゴボウの保管庫に様変わりします。そんな寒さの中、肩をすくめて俯きがちになりますが、目線を上げれば空気が澄んできれいな空が見えるのもこの時期の特徴かもしれません。真っ先に見つけたオリオン座からたどる冬の大三角形がきれいです。一方、部屋のカレンダーは「お月くん」にかわり、月齢を確かめることができます。今晩は月齢8.2。来る14日の満月(ウルフムーン)に向けてふくよかになっていきます。
さて、ある日の我が家の夕飯のおかずは唐揚げ。レモン汁を切らしていたのか、「ちょっと外へ行って、レモンを1個採ってきて」というお言葉。「さみぃ~」と言いながら渋々収穫しましたが、もしかしたらこれって幸せな瞬間なのかもって気づいたのです。ある校長先生は、完全リタイヤしたら田舎にログハウスを建てて、畑をやって暮らしたいと熱く語ります。一部自給自足の生活も好きな人には最高なのでしょう。でも私は、プランター菜園程度で十分。自宅から歩いて行ける範囲で必要なものが揃う今の生活を手放す勇気はありません。
542 ねっこ(25.1.7)
12月下旬、北九州のファストフード店で中学生殺傷事件があり、その数日後には我が家に近いところで高齢夫婦刺殺と8棟の火事が起こりました。犯人は近くに住む人間だったり知人だったりと、他人事とは思えなくなります。
さて、年末まで放映されていたドラマ『海に眠るダイヤモンド』は興味深く、King Gnuの主題歌に涙誘われる最終話でした。1916年に日本初の鉄筋コンクリート造りの高層集合住宅が建設されたのが端島(軍艦島)でした。回を重ねると、およその入坑の仕方を知ることができますが、驚き以外の何物でもありません。まず、準備を終えた鉱員は、持ち物チェックを受けた後、ケージと呼ばれる壁もドアもないトロッコに乗ります。それは秒速8mというスピードで、スカイツリー1本分の高さを急降下して地下600mに到着します。そこからトロッコ列車(人車)のある場所まで4~500m移動して、斜度20度もある人車に後ろ向きで乗るのです。採炭現場の入口に着くと、8人くらいのグループでさらに移動したといわれます。海底1000mを超えた場所ですから、いかに過酷であったか想像はすれども理解など到底できるものではありません。
長崎市の端島は、10年前に世界文化遺産に登録された明治時代の遺産ともいえる構造物です。岩礁の周りを埋め立てて造られた人工島で、今年で閉山から半世紀が経ちました。遮るものなく風雨にさらされ、建物は倒壊の恐れに瀕しています。土台となる護岸にも穴が開いて浸食が進んでいるようで、現在、海面下では保全工事が進んでいるといいますが、こちらの作業も機械化が進んだとはいえ、気の遠くなる作業なのではないでしょうか。でも、一度は足を運んでみたい場所の一つです。
「♪誰も気づかない ありふれた一輪でいい … ただ黙々とねっこ伸ばして あなたに見つかるのを待つの」切なくなるメロディが耳に残ります。子供たちも私たち大人も、誰に見えなくても強く根を張って生きていきたいものです。
541 へび(25.1.6)
あけましておめでとうございます。今朝のニュースで、川に転落して亡くなった小1女児の悲報を聞きました。ほかにも事故や事件が多く報道された中、無事始業式を迎えられることは、文字どおり「有難い」ことなのだと感じ、うれしく思います。今年は巳年、干支は「乙巳(きのと・み)」です。
干支とは、甲乙丙…で始まる十干と十二支の組み合わせで60通りあり、その42番目が乙巳なのです。「ヘビ」というと、気持ち悪い、怖いなどの理由で嫌われ者ですが、脱皮を繰り返して成長する姿や生命力の強さから、「長寿」「復活」などを象徴する縁起のよい生き物とされることもあります。
さて、過去の巳年を遡ってみると、36年前(1989)は昭和64年であり平成スタートの年でもありました。学校職員が疎い、バブル経済の絶頂期ということもできます。24年前(2001)には、USJやTDSが開園しました。12年前(2013)は、「倍返し」や林修さんの「今でしょ!」が流行った年であり、東京オリンピックの開催が決定したことで沸き立ちました。
今回の巳年は、どんな嬉しいことや試練が待ち受けているのでしょう。「鬼が出るか蛇が出るか」はわかりませんが、「ヘビに睨まれたカエル」の如く委縮して何もできなかったり、「竜頭蛇尾」に終わってしまったりすることのないよう気を引き締めたいものです。「蛇足」「藪蛇」と言われようとも、「長蛇を逸す」と言われても、様々なアプローチやアクションはきっと無駄にはならないはず。「灰吹きから蛇が出る」のたとえの如く、ちょっとしたことを大事にしていけば「瓢箪から駒が出る」ことだってあるかもしれません。
今年度はあと3か月ですが、まずはそこまで、ご協力を引き続きお願いします。
540 転機(24.12.23)
カッコよくて素敵な大人になりたいとずっと思ってきました。寡黙で簡単に笑わないことがカッコイイと思っていた高校・大学時代。群れない一匹狼にあこがれました。そのモデルが、俳優の故 松田優作さん。埠頭を彼女と歩く場面、タバコをふかして、ただ前を歩くだけなのにカッコよさが背中からにじみ出るように感じられたのです。だから、写真を撮られても笑わない!を決めていました。
でもある時、「笑っていないと幸せが逃げちゃうよ」と言われて、努めて笑顔を作るようになると、自然と笑えるようになりました。笑顔でいることは、自分だけではなく目の前の相手のことも幸せにできるのではないかと思うまでなったのです。
また、私はどちらかというと真面目だけど融通の利かないタイプでした。子供の前でも大人の前でも、面白おかしく演じたり羽目を外したりすることが大の苦手。そんなある年の忘年会、幹事グループの一員になりました。場を盛り上げようと皆が考えた計画で、バニーガール姿をする羽目になったのです。女性用の衣装と網タイツ、口紅までつけました。「どうにでもなれ」といったやけくそ。でも、不思議とみんなが大喜びしているのです。何かをするなら、文句を言いながらやるより楽しく活動した方が気分はよいし、人は笑顔になることを学びました。人生の転機は三度と言われますが、こんな小さな経験でも人は変わっていけるような気がします。
新年を迎えるこの時期も転機(チャンス)と言えそうです。「今年こそ」「今年なら」「今年も」など、新たな気持ち・目標をもって一歩踏み出すことが大事。そのために、教頭先生が教職員に不祥事ゼロを改めて訴えました。冬休み間近の放課後、悩んだ結果の作品です。
「ひ」 必死に働いた9か月
「ら」 楽になれる日がやってきます
「た」 たらふくお酒を飲むかもしれませんが
「しょ」しょうがないで済む不祥事はありません
「う」 ウキウキしても、子供の顔は忘れずに!
まさか、「私の転機は不祥事でした」なんて笑いの種にもなりません。というわけで、よい年をお迎えください。
539 餃子(24.12.20)
母が元気で台所に立って家事をしていたころ、実家に帰るとき、「食べたいものはある?」とよく聞かれたもの。息子は、必ずと言ってよいほど揚げ餃子をリクエストしたのです。我が家では作らないメニューだったからかもしれません。父が好まなかったから、実家の餃子にニラはなし。でも、ニラの有無にかかわらず、上から添える手作りトマトピューレとマッチしていたのです。
子供たちが家にいた頃に皿にのる餃子は7~80個ありました。息子とは大人げない競争です。最後の1個をとった者が勝ち名乗りを上げるような戦い!残り少なくなった頃合いをみて、茶碗や別の器の陰に餃子を1個隠します。そして、素知らぬ顔で大皿の上の餃子に箸をのばします。互いに最後の1個を食したと思わせておいて、茶碗から隠してあった最後の1個を出して口に放り込んで高笑いするわけです。やっぱり大人げない!
2人になった今では、慌てることなくゆっくり食べられます。少し前から、時々餃子を包む作業を手伝うようになりました。すると、妻の手際の良さに舌を巻きます。なかなかきれいにヒダが作れません。揃っていないと焼くときに大変だそうです。ゆっくり確実に…、次第に慣れてきた頃には、肉の餡もなくなっているのです。餃子のヒダは、皮が熱で膨らんだ際に破れないようにするためらしいのですが、ある番組で検証したら、ヒダがなくても剥がれなかったといいます。
さて、いざ食べる段階、酢は多め。テーブルにはラー油は2種類。一つはS&Bの一般的なもので、もう一つは山椒独特の味のもの。私は専ら後者ですが、醤油・酢・ラー油の配合も人それぞれで面白いものです。
餃子にも焼き餃子・揚げ餃子・水餃子とありますが、いま無性にひさご亭の餃子を食べたい!
538 シルバニアファミリー(24.12.19)
寒い一日となりそうですが、あと2週間もしないうちに、「辰」から「巳」へバトンタッチ。それにしても、「巳」「已」「己」の見分けがつきにくいですし、3画目の縦棒をどこから始めるかで、音も意味も変わってしまうのですからたちが悪い!ついついどの字を使うか迷ってしまいます。ちなみに、「已(すでに・のみ)」を読める人ってどれだけいるのでしょう。
竜や蛇といった生き物ではなく、こちらはウサギやリスなどの可愛らしい動物たち。そして、その人形などが生活するドールハウスといえば「シルバニアファミリー」。子供向けの人形遊びのシリーズで、発売からかれこれ40年。今ではその人形は、累計110種類以上というから驚きです。主要ターゲットは10歳以下の子供ですが、大人が魅了され、嵌って趣味になる場合も多いと聞きます。
かく言う我が家も10年前までは、「赤い屋根の家」などが2~3個あって、人形や調度品もたくさんでした。子供たちのためというより、自分たちが楽しむために集めていたのです。だから、埃が被らないようにまめに掃除もしていたように思います。ただ、手放す時期を考えていたら、以前勤務していた学校の先生が、自分の子供のために欲しいと立候補。めでたく全員おうちとともに里親のもとへ引き取られていったのです。
夏に放映されたドラマ『西園寺さんは家事をしない』でも、主人公のキャリアウーマンが秘密の部屋にシルバニアのコレクションを飾っていました。自分だけの自由な時間を満喫する空間であり、癒される瞬間を目にして、たくさんの共感が集まったのではないかと勝手に想像するのです。人それぞれにきっと癒しの空間があるのかもしれません。小学生の頃の私は、机の下の狭い空間が大好きでした。
537 「3010」運動(24.12.18)
道端の草や土に霜が降りる寒さとなり、タイツを履くタイミングを考えています。
「8020運動」といったら、80歳になっても自分の歯を20本以上残そうという歯科医師会等が提唱するスローガンであることはよく知られています。先日の就学時健診を終えて学校歯科医が、「園児や小学生段階までの口腔衛生は親の責任」というニュアンスの話をしてくれました。「永久歯に生え変わるのだから大丈夫」ではなく、8020は乳幼児の頃から始まっているのです。
では、「3010運動」なるものをご存じでしょうか?家でその話をしたら、しばらく考えて「30歳までに自分の歯を10本以上残そう、じゃ変だしなぁ」と、とぼけて言う隣の声にスルーを決め込んだ私。実はこれ、千葉市の飲食店で始めた、食品ロスのための呼びかけだそうです。
話は飛びますが、先日、旧知の友達夫婦と昼食会をしました。久しぶりに会ったので様々な話に花が咲きます。互いに車だったので、アルコールは飲まず、専らおいしい料理を堪能する時間となりました。同じようにこれからの時期は、復活した忘年会や新年会が開催されて、賑やかに会食する機会が増えます。乾杯の後すぐにビール瓶を持ってお酌して回り、おしゃべりに時間を割きます。先の「3010運動」は、この宴会の最初30分と最後の10分は自席で料理を楽しむように呼びかける内容だといいます。確かに、宴会料理にあまり手を付けないままお開きになるようなことも多く経験してきましたが、ここ数年は、司会が自席での食事を促すアナウンスを耳にするようになりました。
これからのシーズン、飲んだら乗るな!飲んでも食べろ!です。
536 友達?いや、友垣(24.12.17)
スペインから十数年ぶりに来日した親子が、日本では当たり前の光景に目を疑ったという記事を読みました。それは、自分の息子と同じ年齢の小中学生が、一人で電車・バスに乗っていることだといいます。首都マドリードでは、十代半ば頃まではあり得ないことで、親の送迎が当たり前。これにより自立がスポイルされそうですが、「世界平和度指数」の「社会の安全と治安」領域において、日本が世界7位という背景があってこそと考えると胸を張れそうです。ただ、夜のファストフード店で突然、知らない人に刺されるなんて事件があると、心配の種はどこでも同じなのかもしれません。
さて、市内音楽会や八中B地区別音楽会の最後に、集まった皆で『ふるさと』を歌いました。その時、60数年して初めて知ったこと2番の歌詞「♪つつがな~しや 友がき~」という部分。「友だち」だとずっと思い違いをしていたことに気づいたのです。あ~恥ずかしい。
「恙(つつが)ない」とは、最近では耳慣れない言葉です。手紙などで「つつがなくお過ごしでしょうか」と相手に問うこともあったのです。この言葉に似たのが、ツツガムシ(ダニの一種)です。昔から死に至る風土病として恐れられてきました。逆に、そのツツガムシに刺されて病気にならないことが「つつがなし」、つまり平穏無事であることを意味したのです。さらに「友がき」は、「友垣」とも書いて、垣根を建てるときに横に固く結んでいくことになぞらえて、友情で結ばれた仲を表すのだそうです。
どれもこれも初めて知ったことですが、勘違いに気づいて調べてみると新たな発見もたくさんあって面白いものです。
今日と明日、書き初めの練習をエアコンの入った体育館で行います。6年は「夢の実現」、5年は「世界の国」、4年は「美しい空」、3年は「友だち」で、「友がき」ではありません!
535 メインスポンサー(24.12.16)
小学校6年間で学ぶ漢字は、現在1026字。都道府県名で使われるちょっと難しい漢字20字を加えて、4年生で学習するようになったのは2020年度の学習指導要領からです。なかなか難しい文字もありますし、それ以上に普段はほとんど使わない漢字があります。その筆頭が岐阜の「阜」ではないかと思うのです。普段の生活場面でお目にかかることは皆無といっても過言ではないはずの唯一無二の存在感。そのほかにも栃木の「栃」、埼玉の「埼」、新潟の「潟」、滋賀の「滋」、愛媛の「媛」、茨城の「茨」なども使用が限定的な気がします。思いつくのは、栃の実・山埼さん・干潟・滋養・才媛・野茨といったところです。1026文字が一堂に会したら、様々な不公平感が聞こえてくるのではないかと想像してしまいます。
綾瀬はるかさんは広島出身、鈴木亮平さんは兵庫出身。この二人を起用した「アリナミン」のCMをよく目にします。お疲れの人が多いのは今も昔も変わりはないようです。そのCMを見ながら、「♪タケダタケダタケダ~」と急に歌いだす輩がいます。現在の販売元はアリナミン製薬ですが、以前はアリナミンといえば武田製薬でした。そんなわけで懐かしいメロディーを口ずさんでいたのです!
昭和の時代には、テレビ番組にメインスポンサーがついたテレビ番組が多くありました。時代劇『水戸黄門』はナショナルの提供で、「♪明る~いナショナ~ル」と歌われ、『クイズダービー』はロート製薬でしたから、「♪ロートロートロート~」と番組が始まる前に流さたのです。番組メインスポンサーとは違いますが、「♪チョッコレイト、チョコレートは明治~」は耳慣れた音楽でした。今思うと、インパクトあったなぁ。
各都道府県それぞれにローカルCMがあるようですが、『秘密のケンミンSHOW』が取り上げるような県民に親しまれる歌や映像ってあるのでしょうか?
534 スター誕生(24.12.13)
年の瀬28日に全国高校サッカー選手権大会の開会式と開幕戦が行われます。国立競技場で決勝戦が行われる1月13日まで長丁場です。千葉県代表の流通経済大柏高校は、大晦日に佐賀東高校と初戦を戦います。繰り広げられる熱戦の中に、これから応援したくなる私のスターを見つけたいと考えています。
サッカーに疎くても、「♪う~つくむなよ~ふり向くなよ~/君は!美しい~/戦いに敗れても~/君は美しい~♪」という歌詞を聞けば、大会歌であることに気づく人はいるはずです。だって、かれこれ半世紀近く演奏されてきましたから…。高校野球でいえば、『栄光は君に輝く』みたいな存在でしょうか。この『ふり向くな君は美しい』(ザ・バーズ)のメロディーはサッカー好きには堪らなく、まさに王道のような音楽なのです。(あくまでも私見)
この曲は、作詞が阿久悠さんで作曲が三木たかしさんという、昔懐かしいタレントスカウト番組『スター誕生』の審査員だった二人の作品です。当時の審査員といえば、現文化庁長官の都倉俊一さんもいました。この番組は、ピンクレディーや山口百恵、桜田淳子、森昌子、中森明菜、小泉今日子、石野真子の共通点でもあるのです。そして、彼女らとともに私も歳をとったわけですから、こんな話に共感できない人は少なくないと知っていながら…。
今日6年生は、アスリート(元バレーボール・ビーチバレー選手)の黄秀京(ファンスギョン)氏を迎えて学ぶ機会を得ました。どんな話が聞けるか、どんなことに子供たちが反応するかが楽しみ!
533 もういくつ寝るとクリスマス~(24.12.12)
明けていく東の空がオレンジ色になっていくのもきれいですが、見通しのよい場所で眺める日没後の西の空は、グラデーションがとっても鮮やか。秋冬の変化していく空の様子は、ずっと見ていても飽きず、逆に引き込まれそう。まさに「マジックアワー」です。
クリスマスはまだなのに、そろそろ新年を迎える準備に気が行ってしまいます。部屋の24時間換気をする数か所の換気扇のフィルターの交換、雨戸やサッシの汚れ落としなど、大掃除の計画で気が重くなるなんて言おうものなら怒られそうです。そんな中、鏡餅をどうしようかという話になりました。毎年、切り餅入りの簡単な組み立て式鏡餅を買って備えていましたが、買い替える無駄のない置物にしようと意見がまとまりました。陶器やガラス、木など結構あるものです。縁起物でもありますから、気に入ったガラス細工の商品をチョイス。でもクリスマスツリーがまだ主役ですから、箱の中で首を長くして出番が来るのを待っているようです。
さて、クリスマスが近づけば、クリスマスソングがあちらこちらから聞こえてきます。どの曲が自分の一番のお気に入りだろうと考えます。『白い恋人たち』(桑田佳祐)や『サイレント・イヴ』(辛島美登里)、『恋人がサンタクロース』(松任谷由実)、『ラスト・クリスマス』(ワム)や『All Want For Christmas Is You』(マライア・キャリー)など浮かびますが、やはり『クリスマス・イブ』(山下達郎)ではないかと思うのです。深津絵里さんや牧瀬里穂さんが起用されたJR東海のCMで使われたことも影響しています。だって、携帯電話の普及していない時代の淡く切ない想いが歌とぴったりで、結婚したての自分たちと重ねて錯覚するには十分なインパクトだったのです。
今の十代・二十代なら『クリスマスソング』(back number)を選ぶでしょうか?♪聞こえるまで何度だって言うよ、君が好きだ~♪って?!
532 人間ウォッチング(24.12.11)
ホームで電車を待つ間、ビルの屋上に設置されたライブボードに目が行くことがよくあります。すると、アニメのキャラクターの誕生日を映し出しています。ドラえもん(9/3)やちびまる子ちゃん(5/8)など一部のキャラクターの誕生日は知っていても、なかなか覚える機会はありません。ましてや、誕生日を設定する意味があるのかという疑問まで沸き起こります。でも、ネット上にキャラの誕生日一覧表が存在するくらいですから、アニメ好きには外せない重要事項なのかもしれません。
通勤時は、最寄り駅始発の電車を利用します。ゆっくり座って読書ができるからです。必然的に見知った顔の人それぞれが座る場所が決まってきます。7人掛けの右端が私の定位置で、不可侵がお互いの暗黙の了解。足は閉じて慎ましく座ります。いつも正面に座る男性は、顔の割にマスクが小さい。斜め向かいの席の女性は、十二単が似合いそうな髪型。逆を見ると、くたびれて艶をなくした革靴がちょっと気になります。
端の席は、途中から乗った人も狙う場所ですが、混雑してきたときに時折イラっとすることもある場所。ドアの脇に立つ人の髪やダウンのフードがその一つですが、今日は高校生のカバンに下がったサンタの衣装のウサギさん。ブラブラして頭に当たりますが、本人は気づく由もなく…。手で振り払いたいのをじっと我慢して、頭の位置をずらすとまたそこに。乗り換えたあとの電車は朝のラッシュ。ここでも、テニスラケット状のものをリュックに入れて背負ったまま乗り込んだ高校生は、自分の鞄が迷惑になっていることに気づかない様子。園児・学童の段階に、他者へのマナーや周りを意識する習慣を教えていくことは、きっと損にならないと思うのです。
531 選挙活動(24.12.10)
新聞のコラムに、万葉集にある『貧窮問答歌』(山上憶良)の文字を見て、とても懐かしい気持ちになりました。“ 風まじへ 雨の降る夜の 雨まじへ 雪降る夜は すべもなく 寒くしあれば 堅塩(かたしお)を とりつづしろひ~(略)~かまどには 火気(ほけ)ふき立てず 甑(こしき)には 蜘蛛の巣かきて 飯炊(いいかし)く ことも忘れて~ ”と続きます。氷雨の夜の寒さに震え、麻で作られた夜具で耐え忍ぶ姿や火の気のない竈、蜘蛛の巣を張った調理具などから奈良時代の農民の貧しい生活の様相が余すことなく伝わるようです。はて、この歌を題材に授業をしたのは社会科だったか?真剣に教材研究していた頃を思い出します。
さて、政党を組織し、公約を作って発表、そして投票を終えた6年生のある教室で、開票作業が行われていたのが先週末。クラスごとに複数の党があって、学年全員と授業参観にいらした保護者が1票ずつ投票をしました。子供たちは、録画された他クラスの演説も聞いて、その学級にも票を投じました。この日の学級では、116票中37票を獲得した「水党(すいとう)」がトップ当選。各学級のトップの党が、次は校長室にやってきて説明をして実現を訴えるようです。ちなみに、この学級には次のような党がありました。
①水党 → 衛生面・環境面の改善!水道水の温度調節と自動化を図ります!
②SIT党 → 学習環境を快適に!
③電波党 → タブレットを使った快適な学習を!体育館や音楽室などにもWi-Fiを設置します!
④NEW屋上自由党 →皆が自由に出入りできる屋上を作ります!リラックスできるように芝生を敷いたり、椅子やハンモックを設置します。さらに床面を黒板にして、自由に書けるようにします。
⑤ピカピカ党 → 掃除機とモップを使って、ピカピカにします!
⑥カメラ党 → 防犯カメラを設置して、安全・安心な学校に!監視だけでない防犯を!
子供たちに政治をより身近に感じてほしい、1票の大切さを考えさせたいなど、歴史学習を中断しても実施したい強い思いがあったのだと思います。だからこそ、子供にも指導者にも残るものは少なくないはず。
530 枯らさないように(24.12.9)
現行の保険証の新規発行は、先週2日から停止され、マイナンバーカードにどんどん移行されていきます。10月末現在の保有率は、人口の75%強といわれ、年が改まった3月には運転免許証との一体化も進められていきます。
保険証との紐づけや公共料金支払いなど、個人的にやってはきましたが、なかなかカードの登場機会はありません。少し前に薬局に設置された機械にマイナカードを翳したあと、顔認証を求められたものの本人を識別してくれません。マスクが原因かと思って外してもなお考え中?パスワードはうろ覚えだし、困りながら何度も顔を枠の中に入れていたら、やっと認めてくれました。傍から見たら変なおじさん。でも、すべての個人情報が内蔵チップに記録されていると思うと、携帯が怖くなります。
しばらく天気のよい日が続く中、昨日から急に冬の寒さになり、ダウン系のアウターに切り替わりました。雨が降らない日が続くと、鉢植えの植物が知らぬ間に水切れを起こします。夏場の乾燥は想定内なので、朝晩2回は水やりを欠かしませんが、この時期は気温が高くないから大丈夫だろうと高を括っているとあら大変!葉色が悪くなってパラパラと落ちているものが見られます。学校全体や教室内でも、子供たちの様子をきちんと観察し、水やりしたり肥料を与えたりしないと、気づかない間に心が枯れ始めている子が現れないとも限りません。人も肥料の量やタイミングに要注意です!
校長室の窓際で観葉植物のウンベラータが、手のひらより大きな葉を13枚広げています。学校に着いてカーテンを開け、こちらも水切れさせないように管理しながら3か月余り。根元から40㎝の高さになりました。元々は邪魔な茎を剪定して、枝から育ててきたもの。この度よりよい環境を求めて、来客用玄関の靴箱のわきに移動。成長が楽しみなのは、これまた子供たちと一緒!
529 サツマイモ(24.12.6)
辺りが暗くなったころに、ラッパの音がして「石焼~き~芋~、お芋~」と言いながら屋台を引くおじさんが時々現れた昔が懐かしい。今では、そんな声を聞くこともなくなりましたが、スーパーの入口では常時袋入りのサツマイモが買ってくれるのを今か今かと待っています。
野菜売り場にもサツマイモがズラッと並ぶ季節です。紅はるか・シルクスイート・紅あずま・安納芋・栗かぐや等々、種類が豊富で、国内で流通しているものだけで50種類前後あるといわれます。ホクホク系からねっとり系まで、好みが分かれそうな反面、「芋なんてどれも一緒でしょ」という人だっているはず。我が家ではカボチャ同様、ホクホクした品種しか選ばれませんが、口の中の水分をどんどん奪うタイプは、どうも苦手です。
給食では、秋になってサツマイモの天ぷらや芋栗ごはんが出ましたが、その他にも大学芋や芋けんぴ、干し芋、スイートポテトとおいしいものばかり。先月末に行われた町会の防災訓練では、焼き芋が振舞われたといいます。また、サツマイモの餡に栗の甘露煮を入れた栗きんとんをお節料理に出す家庭もあるでしょう。
ところで、「新じゃが」「新タマネギ」とは言うのに、「新サツマイモ」というのは耳にしません。ただ、耳慣れないだけであるようです。一般的に出回るサツマイモは、温度・湿度管理をして2~3か月貯蔵して、糖化を進めてから出荷します。一方の新サツマイモは、収穫後すぐに出荷するので水分が多めで、糖度はあまり高くないものの爽やかな食味と言われます。その特徴を生かした料理も紹介されています。
喩えは悪いですが、子供たちを芋に置き換えると、どれ(どの子)も同じではありません。熟成させたほうがよい芋(子)もあれば、早く調理してあげたほうがよい味を出す芋(子)もあります。調理(指導・支援等)の仕方で、よりよい味を出すこともあります。可能性を伸ばし、自信を育む意味でも、その見極めは複数の目で様々な角度からしていきたいものです。
528 肌ケア(24.12.5)
11月頃から、さまぁ~ずの二人を起用したサントリーのスキンケアCMをよく目にするようになりました。照れてしまうようなやりとりも自然体で好きです。もしかすると、スキンケアチャレンジに躊躇していた男性の背中を押しているかもしれません。かくいう私も、乾燥の季節突入なので、これまで2種類だった液体・クリームを4種類にして万全の態勢を敷いています。朝の洗顔でその違いを実感中!
今日は、来年度入学の園児を対象とした就学時健康診断が行われます。全校職員で子供たちやその保護者を迎えます。初めて小学校に入学させる家庭は、どのくらいあるでしょう。例年7~8割程度ですが今年は?
自分の子供たちが小学校に入学した四半世紀以上前を思い出してみると、保護者として初めての学校には不安がいっぱいでした。見聞きすることも少なく、圧倒的な情報不足からくるものと言わざるを得ません。また、どんな先生だろう?友達とうまくやっていけるだろうか?と考えてしまいますし、登下校の事故も頭をよぎります。だから、子供が自らの言葉で話す出来事が新鮮かつ喜びだった記憶があります。
今は受け入れる側として、新入学かどうかを問わず、見える・話せる学校であることが、保護者の不安を少しでも小さくできると思っています。だから、「もっとこうだったらいいな」と思う建設的な意見を、保護者・学校評価の自由記載欄に見ることができたらうれしいです。
校長も少しでも若く見えて、はつらつとしているほうが多少は安心感が増すかもしれないと思いながら、日々のエイジングケアに勤しむ日々!?
527 NOW(24.12.4)
今年の流行語大賞は、「ふてほど」だそうです。ドラマ『不適切にもほどがある』を観ていましたが、一度も口にしたことはありませんでした。授賞式で阿部サダヲさんも似たことを…。それよりも驚いたのが、学童保育に入れない待機児童数が千葉県は全国4位。市町村別にみると、船橋市が輝ける(?)ワースト1、市川市も18位という多さという報道。本校には学童が4室、前任校には5室もあり、これ以上の拡張は無理です。それでも「小1の壁」「小3の壁」が厳然と立ちはだかっているといいます。逆に、学校では教室不足から配置に頭を悩ませます。
さて、半世紀前に高視聴率をとった夕方の生放送バラエティ番組『ぎんざNOW』をふと思い出してしまいました。司会のせんだみつおさんが一躍人気となり、お笑いタレントを数々生み出しました。その人気コーナーが「しろうとコメディアン道場」。関根勤さんや小堺一機さん、竹中直人さんなどがデビューするきっかけにもなったのです。クイーンやキッス、ヴァン・ヘイレンなどの大物アーティストも出演しましたが、ノーギャラだったとも噂されます。
この「ナウ(NOW)」は、英語では、現在・たった今の意を表す単語ですが、広辞苑には、「昭和の流行語」「今風であるさま、現代の好みに合いスマートなさま」とあります。当初は「ナウな○○」的に使われ、先の番組につながっていました。80年代になると、少し形を変えて「ナウい」と表現し、「新しい、現代的だ」という意味で使われました。さらに2000年代末には、SNSなどの投稿の末尾に用いて、自分が現在いる場所や置かれた状況を表すために使用されたのは誰もが知るところ。ただ、今では「もう古い」と言う人もいます。
同じ「ナウ(NOW)」ではありますが、時代とともに使われ方が変わっていくなんて、言語文化は面白いものです。次はどんな形で「ナウ」が登場するのでしょう?
526 折り紙(24.12.3)
冬至に向かって、日出時刻がどんどん遅くなっていきます。一方、日没は今がピークで、午後4時半を待たずに日が暮れ、すぐに真っ暗になります。帰宅時に電車に揺られて、吊革につかまりながら流れる景色を眺めていると、ガラス窓に映った自分と目が合います。額に刻まれた3本以上ある深い皺を見て、消せなくなってしまったのはいつからだろうと考えます。両手で伸ばそうが引っ張ろうが、形状記憶の皺はたちまち元通りに。遮ることなく全身で太陽光を浴び続け、肌のケアもおざなりだった私がぼやこうものなら、「それは必然!」「何を今更言っているの」と一蹴されてしまいます。笑うとできる目尻の皺も、校長室に来た子が「1,2,3,4…」と指差し点呼しながら教えてくれます。あ~嫌だ、嫌だ。
11月のある日、たんぽぽ学級の男児が、教室で一生懸命折っていた折り鶴を校長室に届けてくれました。丁寧な作業が窺われ、ロッカーの上に飾ってあります。折り紙は、脳トレにもよいみたい?
その折り紙の歴史は古いようで、7世紀に和紙が生まれて以降、供物や贈り物をする際に包みを美しく折って飾るようになった頃が始まりとされます。年月が経つうちに、折り方そのものを楽しむ折り紙が生まれます。江戸時代に一層親しまれ、明治時代には幼稚園や小学校で教えるほど盛んになっていった歴史があります。
最近のニュースで、学生アカデミー賞のアニメーション部門で日本作品が初めて銀賞に輝いたと報じられました。作品名は「Origami」。正方形の紙が、様々な生き物に折られていき、生命の息吹を感じる美しいCGアニメです。まさに日本の伝統と先端技術の融合といった感じです。ただし、どんなにきれいでもCGはあくまでもCG。手作りに敵うものではないと考えるのは古い?
525 やめられない、とまらない♪(24.12.2)
11月下旬から新聞にズワイガニやタラバガニの早割キャンペーンの広告がでかでかと掲載されるようになりました。割安感はありますが、年末年始まで冷蔵庫を占領することになりますし、キャパの確保ができません。正月に照準を定めて、時機をみてスーパーでの購入となりそうです。
一方のエビ、といってもカルビー「かっぱえびせん」の話。この菓子は誰もが知る長寿商品。先日、孫がオレオに牛乳をつけて嬉しそうに食べていましたが、かっぱえびせんの牛乳がけも決して邪道ではないようです。むしろ、シリアル風でおススメという人もいるので、まずは数本からやってみようかと…。
「かっぱえびせん」は今年60周年を迎えたようで、その記念企画として、日常の「やめられない、とまらない」事をテーマに川柳募集がされたようです。大人でも子供でも、わかってはいてもついついやめられない習慣などがあるもの。応募総数3.2万超の句の最優秀に輝いたのが、“走り出す 十八歳の 好奇心” でした。「あるある!」と強くうなずけた作品が “タイトルは どこまで続く Re:Re:Re:Re:Re” と “犯人が 見つかりそうで 午前2時” の秀作2つ。また、キッズコースもあって、こちらも勝手に3作品を選んでみました。
①生えかわり グラグラした歯 ベロで押す
②今日もまた ママに言われる 水筒出した?
③地面みて 白だけあるく ほかはだめ
誰もが経験してきた道のようで、クスッと笑みがこぼれます。
524 ブラックフライデー(24.11.29)
「イスラエルとレバノンが停戦合意」の速報がスマホに飛び込んだのが水曜日。昨日の新聞第1面でも報じられました。一昨日は、前夜の雨があがって20℃超えの晴天でしたし、昨日も暖かな秋晴れの一日。これらを示唆しているように思えてしまいました。つながりを実感することが少ない両国ですが、覆われた重い靄を振り払い、不思議と気持ちが軽くなった気がします。ロシアとウクライナの争いも収束に向かうことを願うしかできませんが、想うことも大事。
さて、日本ではなかなか定着しない感があるのが「ブラックフライデー」。アメリカでは、毎年11月の第4木曜日に「感謝祭」が催され、祝日となります。木曜日と土日曜日に挟まれた感謝祭翌日の金曜日をブラックフライデーと呼んで、感謝祭のプレゼントの売れ残り一掃のために安売りセールが実施されます。買い物客が殺到するといい、日本でも年末商戦を控えて売り上げが伸び悩む11月は同じですから、8年前くらいから大手企業が始めた経緯があり、広まりつつあります。そして今日がその日。
それにしても、ブラックにはあまりよいイメージがないのになぜ黒なのでしょう。どうも小売業者が儲かって「黒字になること」、あるいは店舗などが混みあって「黒山の人だかりができること」をイメージした「ブラック」だといわれます。意訳するなら黒字の金曜日といったところでしょうか。
来週から師走。12月は記念日やクリスマス、年が明ければ子供の誕生日と続くため、自ずと家計がひっ迫します。それに先立つ出費を、今は控えたいというのが我が家の実情。だからもう少し我慢がまん。
523 元気でいれば…(24.11.28)
週刊誌の見出しに、「マイコプラズマ・コロナとのトリプル流行が招く最凶インフル 年明け1週間で222万人感染」とあります。本校では、10月中旬から下旬にかけてインフルエンザ罹患が多くありましたが、市内学校では11月入って以降だいぶ増えている様子。改めて手洗いやうがいの励行をはじめ、マスク着用を心がけた方がよさそうです。
先週末、前々任校で社会科の公開研究会があり、社会科部会に所属する私は参観してきました。市内でも若い先生が社会科の面白さを知って、学びながらそれぞれが授業を展開していることをうれしく思うとともに、一生懸命教材開発に力を入れていた頃を懐かしく思い出します。
3年生以上の学級が2クラスずつ授業展開をしましたが、まず足を運んだのが6年生の教室。当該校勤務最終年に入学した子供たちが6年生になっていたからです。授業が始まる少し前に行ってみると、どのクラスの子も一瞬「ん?」という表情をした後、会釈する子や小さく手を振る子が増えていくではありませんか。覚えていてくれたのだと思うと感激です。元気で子供たちとかかわり続けていれば、成長した多くの子供たちの姿を見ることができるのです。まるで孫の成長を喜ぶじぃじそのもの。平田小の子供たちもいつまで覚えていてくれるのだろう。
話は変わりますが、スポーツ吹矢という競技に以前から興味を持っています。5~10m離れた円形の的をめがけて、腹式呼吸法を用いて矢を放ち、得点を競うスポーツです。日本スポーツ吹き矢協会では、段や級の認定を行っており、武道のような「型」もあるそうです。モットーは「礼に始まり礼に終わる」であるといいますから、弓道に近い感じでしょうか。
健康にもよいとされるので、お年寄りも取り組んでいます。肺機能や胸筋・腹筋の強化、血行促進などの効果が期待され、集中力も高まりそうです。やってみたいけれど、平日に活動するサークルばかりで残念!
4年生校外学習が行われる今日は、「いい(11)ふきや(28)の日」らしいですよ。
522 漢字テスト受験(24.11.27)
テレビのニュースで、事件についてアナウンサーが神妙な顔で伝えています。「容疑者は62才の男。事件当夜…」と聞きながら、ふと自分と同世代であることに気づくのです。交通事故を起こした人も、殺人犯もみんな似たような年齢であることを知る度に複雑な心境になります。
6年生の男児がふらっと校長室にやってきて、漢字50問テスト用紙を手渡してきました。多くを語りませんが、どうも解答してほしい様子です。遡ること数か月前、6年生の教室前廊下に置かれたテスト用紙を1枚手に取って、部屋に戻って取り組みました。天邪鬼な私は、普通に答えても面白くないと考えて、敢えて間違えた答えを書いたのです。間違えた解答にも意味を持たせる必要があると思うと、これまたなかなか難しい。先の男児は、その時と同じような解答を求めているようでした。
手強かったのは、例えば「ちゅう返りをする」という問題。「宙」が正解は百も承知ですが、「ちゅう」と読む漢字は数々あれど、「中」「忠」「注」「虫」「昼」「柱」などどれも「返り」とマッチしないのです。結局「鼠(ねずみ→チュー)返り」と書いたわけです。さらに、如何ともしがたかったのが「垂れる」と書く問題。電子辞書まで引っ張り出してもよい答えを見つけられず、その文字を使って液が垂れているような絵文字にして提出しました。どれもこれも、コチコチになり始めた頭の体操にはうってつけ!気に入ってくれたかな?
担任に尋ねると、先生が「持って行ってみれば!?」と後押ししたわけではなく、自分で面白そうだと考えて校長室に足が向いたようです。こんな爺さんに親近感を抱いてくれているなら嬉しいことです。
521 面白いと思えば…(24.11.26)
「ゲップ」といっても、お腹いっぱいで口から溢れ出すガスではありません。現在は「ローン」「分割払い」と言いますが、昔は「月賦」という言葉を使っていたこと急にを思い出しました。懐かしい響きです。“このテレビは月賦で買った”“車の代金を月賦で支払う”などと言われてきたのが、たぶん平成を境に死語になったかもしれません。ドラマ『海に眠るダイヤモンド』は、70年近く前と現在とが交互に映し出されますが、まさにそうした時代の言葉として語られているのです。
少し前になりますが、JR総武線の改札機が新調されました。大きな変化がないので気づきにくいのですが、ICカードを翳す面の角度が若干利用者側に傾いていることがわかります。この微妙な傾き具合は、きっとタッチミスや読み取りミスを減らすために、計算・検証し尽くされた結果の産物、努力の結晶なのだと、改札を通過しながら思う毎日です。
よりよい生活のためのリニューアルは、家庭でも学級でも工夫次第のような気がします。校長室前の廊下に、体育館のステージ袖から長椅子を1脚運んできて、本などを読めるリラックススペースを設置したことはHPで紹介しました。掲示したクイズに頭をひねる場所など使い方は様々ですが、ここも「まるごと図書館」のワンコーナーのつもり。どれだけの利用があるかは、これからの工夫次第!教頭先生も職員室に本を置いて、「島野図書館」を作ったので、教育書を数冊寄贈しました。面白いと思えば、あれこれ考えすぎずにまずやってみることも大事です。
6年生の社会科が、一時的に政治に戻って学んでいます。先の衆議院議員選挙で、改めて興味を持った様子。政党を結成し、公約や実現したい政策を身近に見つけて演説・投票など模擬体験するそうです。関心をもって進める活動には、相応の学びがあります。振り返りの感想も知りたいなぁ!
520 できることは増える(24.11.25)
1週間前に1,2年生の算数科授業研究会を行いました。事前授業も含め、全員が1回は展開をしています。講師の先生からは、「今日の授業を通して何が見えるようになったか」を意識することで学びが深まるという話に首肯しています。これは、必ずしも授業だけではないかもしれません。視野を広げたり、着眼点が明らかになったり、新たな気づきが生まれたりするのは、学級や家庭での声かけ次第ともいえそうです。
この日、「たし算九九」や「ひき算九九」があることを初めて知りました。「かけ算九九」は当たり前でしたが、私たちはこれらを知らず知らずに暗記して、数の感覚として身につけ、暗算しているなんて凄いと思いませんか。
さて、我が子たちが幼かったころのビデオ映像をDVDに編集したのに、どんな機器を使っても再生されずに諦めて20年くらい過ぎるでしょうか。でも、これを蘇らせてくれた業者がありました。約5時間にもわたる宝物ともいえる映像が、DVD3本に記録されて手元にやってきたのです。早速再生です。さすがに30年以上も前の機器による撮影ですから、映像は現在のような鮮明さに及ぶはずもなく、粗いの一言。でも、新米パパと新米ママの若さだけではなく、様々な想いがぎっしりと詰まって見えます。映画でも2時間あると飽きてしまう場合がありますが、そういった気持ちは全然起こりません。子供たちが獲得していく芸を、何とか記録に残そうと必死になっていることが窺えるから笑えます。半年とか1年とかいう長いスパンではなく、わずかの間にできることがどんどん増えていることがわかります。それを楽しみ愛おしく思う私たち夫婦。
小学校に入学したての1年生から卒業間近の6年生まで、変化の幅に差はあっても、一人一人の変容にきちんと気づいて喜べる大人でありたいと思います。特に、「心」「気持ち」「意欲」といった目には見えにくい部分こそ気づいてあげられるように…。
519 谷川俊太郎さんを偲ぶ(24.11.22)
娘の家から引越してきたクリスマスツリーを押入れから出して、新しいオーナメントを飾りつけました。ショッピングセンターもクリスマスと正月が一緒にやってきた賑やかさです。家でも外出先でも、大人も子供も、見ているだけでワクワクする気持ちになるから不思議です。逆に、カレンダーを眺めていると落ち着かない気持ちになってしまう時季です。
先週末は、膝痛がだいぶよくなって、ウォーキングしようという気持ちになりました。色づく木々や色とりどりの花を見ながら、歩くという当たり前の行為が普通にできる悦びに改めて気づかされました。そこで、先日亡くなった谷川俊太郎さんを偲び、詩『生きる』風に表現してみました。
膝が痛くないこと いま普通に歩けるということ
それは、立ったままズボンや靴下が
履けるということ
便座に尻もちをつくような状態で
座らなくてもよいということ
膝が痛くないこと いま普通に歩けるということ
それは、点滅を気にせず横断歩道を
わたりきることができるということ
グーグルマップの示す予想時間内に
目的地まで行けるということ
膝が痛くないこと いま普通に歩けるということ
それは、手に取りたいものに近づいて
すぐに手の中に入れられるということ
手すりやエスカレーターの有難みを
忘れてもよいということ
そもそも、外出しようという
気持ちにさせるということ
膝が痛くないこと いま普通に歩けるということ
それは、自分の足で歩くことの尊さに
気づくということ
校外学習の引率ができるということ
3階の教室にも足を運んで、
子供たちを見られるということ
膝が痛くないこと いま普通に歩けるということ
それは、あなたにもっと近づけるということ
今日は授業参観。担任と保護者の気持ちが、子供を中心にもっと近づけるチャンスかも。来週は4,5年生の校外学習やたんぽぽ学級の合同学習発表会が予定されています。そして…11月が終わればカレンダーはあと1枚きりに。
518 その言葉、大丈夫?(24.11.21)
病院に設置された血圧計で計測をすると、日時が記録されてプリントアウトされます。整形外科を受診した際に打ち出された記録用紙を見て、思わずスマホを取り出してしまいました。だって、ポッキーの日(11月11日)の11時11分ではありませんか。勝手に特別感を抱き、きっとよいことがあるはずだという幻想にとらわれてしまうのは悪い癖!
数日後、足を引きずるようにして横断歩道を渡る際、普段なら余裕で渡れるのに、渡り終わらないうちに歩行者用信号が点滅しているではありませんか。歩くのが遅いお年寄りを見かけますが、焦る心境がわかる気がしました。「足を引きずるように」という部分を、「びっこを引きながら」と書こうと思って躊躇いました。差別語かもしれないと思ったからです。調べると、一般的には差別語とされているようです。
日本語は、世界でも豊かで美しい言語であると言われますから、元々の言葉自体に差別語はないと言ってよいのでしょう。要は使うときの問題。相手を疎外する意味で使えば、その言葉が差別語となりますし、相手が嫌な気持ちを抱く場合は、不快語と言えばよいのでしょうか。日常生活で使われるうちに知らず知らずと刷り込まれた用語も多くあります。心身や病気に関する用語に限ってみると、「めくら」「おし」「つんぼ」「かたわ」「気ちがい」「ちんば」など色々。令和の時代には聞かないものばかりでしょうが、私はよく耳にしていました。差別語の中に、「片手落ち」「手短か」等が見られますから注意が必要です。また、性別に関する差別語は、現在のジェンダーに通ずるものが多くみられます。
そういえば昔は、左利き(サウスポー)を「ぎっちょ」と言っていたのを知る世代は少ないでしょうが、これも差別語なのかもしれません。そんなことばかり考えてしまうと、慎重にならざるを得ず、何も言えなくなってしまいそう。でも、無意識ほど怖いものはありませんから…。
517 植物の秋(24.1.20)
近隣の田舎道を走ると、家の周りに色とりどりの小菊が咲いています。キク科の花は、空気をきれいにして悪いエネルギーを浄化したり、その場所のエネルギーを活性化させたりもする縁起のよい花だと考えられています。また、天皇の御紋に使われるほどの品格を備えた高貴な花で、不老長寿の意味をもつ菊は、おめでたい正月にピッタリと言えそうです。菊を飾ると「福が来る」「よい子が育つ」ともいわれるそうですから、小菊を摘んで小さな花瓶に生けるのもよいかも…。
急に気温が下がった昨日、朝の安全指導を兼ねて久しぶりに学校の周りをゴミ拾いして回りました。体育館奥の外環側の歩道は、2年前ほどではないものの弁当などのゴミがあちこちに散らばっています。背丈の伸びた草の中に足を踏み入れて、プラ容器やペットボトル、吸い殻などを袋の中へ。
ひと通り拾い上げて、戦利品ともいえるいっぱいに膨らんだゴミ袋に満足しながらズボンの裾に目をやると、1cmほどのシャーペンの芯状の種がびっしりとくっついています。草むらを見ればと、コセンダングサが生えています。「やっちまったぁ」と心の中で呟きます。ヘッツキ虫と呼ぶものの一種で、花が終わったばかりの時に摘んで、友達の服を的に見立てて投げて遊ぶ植物です。昨日に限って、スボンもジャケットも毛を多く含む暖かい素材だったのに不注意以外の何ものでもありません。手で払っただけでは落ちないので、部屋に戻ってゴミ箱を脇に侍らせ、一つ一つ摘まんではポイ!それにしても植物の仕組みって凄いと、感心しながら手を洗ったのです。
いま平田小では、風に飛ばされるプラタナスの枯れ葉に頭を悩ませます。きれいに色づかないまま茶色く枯れて、なかよし広場一面に広がるわ、歩道で吹き溜まりを作るわ。大きなままでかさばるし、掃いても掃いてもキリがありません。はて、どうしたものか。
516 合唱大好き(24.11.19)
先週行われた市川市児童生徒音楽会を見に行きました。2日間の午前・午後で、4部制による開催でした。文化会館のステージで歌う姿と聞こえてくる声は、学校の体育館に響いた歌声を遥かに超える、自信が感じられるものでした。透き通った声と人に伝えたいという想いをひしひしと感じたのです。他校が2曲発表する中、『HEIWAの鐘』というパワフルな1曲に絞った潔さもよかったのかもしれません。卒業式でまた子供たちの歌声を聴けると思うと期待感がムクムク。同時に、涙がこぼれてしまいそうな予感が…。そんなことを思いながら、音楽的センスに欠ける私が、14校の合唱を聴いた感想を偉そうに書きたいと思います。
まず、どの学校もピアノの伴奏が児童・生徒です。家で相当練習したのでしょう。歌う側は「伴奏は途切れない」ことが前提で、その信頼の上で成り立っていると思います。ですから、伴奏者のプレッシャーたるや半端ではないと勝手に想像し、尊敬の念を抱きます。伴奏者もさることながら、指揮者も全体のコーディネーターであり、エンターテイナーともいえそうです。ある中学校の指揮をした女子生徒は、クラスに一体感を生み出しているように見えましたし、とても楽しそうでした。
また、合唱ではスーパースターはいらないことを感じます。男声と女声の調和、声の厚みと深みなど、ハーモニーが聴く者にどのように届くかが大事。そういう意味で、今回6年生が何を感じたかを知りたいと思います。同じ小学生に、あるいは中学生の歌う姿に3年後に自分を重ねて、刺激を受けた子供たちがたくさんいたらうれしいです。
合唱大好き!歌う子供たちの表情を見ているのが大好き!というわけで、あっという間の2時間でした。
515 雪見だいふく(24.11.18)
林の中のナナカマドがきれいに色づいています。庭の万両や千両も赤みや黄色みが強くなってきて、深まる秋を感じながらの昨日の20℃超えにギャップを感じます。
朝食後に歯磨きをするために洗面所に行くと、少し間をおいて妻が「何?」と尋ねます。「いやいや、一言も発していないよ」「空耳じゃん?」と返してからふと気づきました。「ごちそうさま」を言い忘れていたことを。催促の「ん?」は、日常茶飯事。いばれることではありません。「阿吽の呼吸」とか「以心伝心」、「言わなくたって伝わっているはず」ではなく、きちんと声にすることを大事にしないと、家族という近しい関係だからこそ、崩れてしまって取り返しがつかなくなることだってあるかもしれません。ただ、言うは易し行うは難しデス。
さて最近、ロッテ『雪見だいふく』のテレビCMをよく見ます。この商品は、冬のイメージが強いせいでしょうか。1981年誕生といいますから、40年以上のロングセラーです。初代CM出演者は、伊藤つかささん(知らないだろうなぁ)。その後、中山美穂さんや榮倉奈々さん、土屋太鳳さんなども登場して、現在の森七菜さんに至ります。味も、最初の10年間はバニラだけでしたが、イチゴやチョコ、さらにマスカットやミルクティー、パンケーキ味まで出されているようです。子供のおやつとしての需要が減っていくにしたがって、ターゲット層を広げているようです。
そんな今日は、「雪見だいふくの日」です。11月は「いい」の語呂合わせで、18日である理由は、パッケージを開けた時のスティックと2つの大福で「18」に見えることからといいます。食べた人の心を包み、ほっこり真ん丸になりそうな雪見だいふくを今晩の食卓に乗せたら、一粒万倍日でもあるので、大きな「福」がやってくるかなぁ。
514 からだ元気かな?(24.11.15)
今月初めに休んだ後、6年生が廊下ですれ違いざまに、「体、大丈夫ですか?」と声をかけてくれました。気遣いができる人であることがうれしく思います。また、担任からも何らかの情報が伝わっていたのでしょうが、声にしてくれたことに感激です。こうした子供たちに囲まれているからこそ元気でいられるのかもしれません。
さて、足繁く通う図書館に行くと、カウンターのそばに「今年の漢字」一文字を募集する用紙が置かれています。来月9日までの公募で、12日に発表されるようです。AIによる概要欄には、不安定な世界情勢から平和を願う人が多いことから、「和」という文字を挙げています。
能登地震に始まった2024年。子供たち自身が、「自分の一年」を漢字で表すとしたら…。4年生以上の児童に理由も添えてアンケートをとってみたいと考えています。どれだけの回答があるかはわかりませんが、個々を振り返るよい機会になるかもしれませんし、大人側の発見や驚きなどを見つけられるかもしれません。
ちなみに私の場合、〈体〉という字が思い浮かびます。昨年末以降、ケガを含めて病院に何度行っただろうと指を折って数えます。健康であることの大切さや自分の体の管理の重要性を痛感する一年でした。毎朝飲む薬の数は、増えることはあっても減りそうもありませんし、来年になったら劇的に改善するというものでもありません。日々の努力あるいは不摂生は、確実に蓄積されて体にあらわれるのです。悲観的になりがちですが、ワクワクする毎日を希求する私の耳には、幼い娘が踊りながらよく歌ってくれた、ポンキッキで流れていたメロディーが聞こえてくるようです。
“♪からだ元気かな?みんな元気かな?…(略)…頭、おでこ、眉毛、目・目・目…、鼻、口、耳、頬、顎、顔、首、肩、オーライ!…♬”と。「大丈夫!」と胸を張って言えるように、今年の残った日々を頑張ります。
513 断捨離(24.11.14)
庭のアーチに這わせたLEDの電飾が寿命を迎えたため、新しいものに買い換えました。クリスマスシーズンには電飾屋敷が見られますが、我が家は一年中、電球色のライトがチラチラと瞬いています。なくても困らないものですが、あるとちょっとだけやさしい気持ちにさせてくれるような気がして…。防犯も兼ねた、庭の印象的な表情を演出します。近隣の小中学校のフェンスにも、先日大人や子供でソーラーイルミネーションの配線を施していました。自宅への道すがら、「おかえり」と迎えてもらっているような気分になります。
さて、やっと箪笥の衣替えをしました。とは言っても、クローゼットの衣装ケースにしまった冬物を引っ張り出して、箪笥内の半袖類と入れ替えるだけですから大した作業ではありません。でも、「あっ、そういえばこんな服を去年買ったっけ」なんて思い出す機会にもなります。
一方、クローゼットのアウターも増えるばかりです。通勤用のコートは5枚ありますし、ダウンやフリースジャケットほか、ワンシーズンでどれだけ手を通しただろうと思われるものも吊るされています。「新しいのを買うなら、着ないものを処分しないと入りきらなくなるよ」と言われますが、「いつか着るだろう」「まだ着られる」と決断が鈍ってしまう中、2着が息子のもとへ嫁いでいきました。
本棚の上や下にも商品が入っていたケースがいくつも置かれています。保証書や接続コードが収められていてなかなか捨てきれません。文庫本だって「また読むかもしれない」と思いながらも開いた例(ためし)はないわけで、まるごと図書館に寄贈されるタイミングを待っているような気がします。私の断捨離はいつ始まるのやら。
512 メンテナンス(24.11.13)
インドの首都ニューデリー周辺の大気汚染が深刻だという記事が、スモッグに覆われた街の写真とともに掲載されていました。呼吸器や耳鼻科系の不調を訴える人が増え、市民の平均寿命を10年以上短くしていると言われるほどだそうです。「雲一つない青空」は望むべくもなく、人口世界一の国は大気汚染でも中国を抜くという不名誉な状況。特に11月から1月という、今頃からの時期に悪化するといいます。
そんなことを考えながら、朝の肌寒さを感じながら思い切り吸い込む空気は、鼻が少しだけツンとして気持ちがよいものです。見上げた空が真っ青だと、自然と嬉しさがこみ上げます。ただ、寒くなったせいか、右足薬指に鈍痛があります。以前、放送室のスチール台に強打してひびが入ったと診断された場所。治ったはずなのにどうして?「冷え込む日は、古傷が痛むんだよね」と耳にすることがありますが、まさにそれかも。
そんなある日、膝痛で歩行困難な状態に…。手すりや壁につかまらないと階段の上り下りができません。どうしても電車で出かけなくてはいけない用事があった日曜日は、普段使わないエスカレーターやエレベーターをフル活用して、足を引きずるようにやっとの思いで目的地に赴き、家に帰り着いたのです。翌日病院では、筋損傷と診断をうけましたが、思い当たるフシはありません。老化のあらわれ?
気持ちよい澄んだ空気を思いきり吸い込んで、メンテナンスを兼ねて体の各部をきちんと動かし、油を差してあげないといけなさそうです。ただし、無理は禁物!これは、老いも若きも同じです。
511 短歌(24.11.12)
たまに新聞や雑誌などで名前を見ることのある歌人が木下龍也さん。学校に歌集を贈る活動をしたり、『あなたのための短歌集』を発行したりする気鋭の歌人だといいます。例えば、“教室を生き抜くための短歌をください”というリクエストに、〈違いとは間違いじゃない窓ひとつひとつに別の青空がある〉と返しています。高学年にもなると、ちょっと背中を押してもらえて、救われた気持ちになる子もいるかもしれません。航空大学校の卒業式で餞の詠(うた)にもなりそうなのが、〈思いきり翼をひろげきみはきみだけの空路を颯爽とゆく〉という作品。目の前に大きく広がる青空と未来が広がっている様子がうかがえます。
小学生も短歌を詠む機会があるかもしれません。俳句より難しいと思う人もいるかもしれません。でも、言葉を入れ替えたり、遠回りするような表現をすることで見えてくるものがあったり、自分を見つめ直すことができたりするのかもしれません。つまり短歌を作る時間は、ありのままの自分と向き合い、本当の自分に気づく時間になるのかもしれません。
新聞に投稿された現代短歌を、プロの選者が講評を交えて作品を紹介するコーナーを目にしますが、私はやっぱり俵万智さんの選んだ作品に親しみを感じてしまいます。好みは人それぞれです。
熱があって具合の悪かったある日の夕方、ウトウトしながら夢とうつつを行ったり来たり。ふと、「食べた食器、洗ったまま!」という妻の声が夢の中で聞こえます。キッチンの洗いかごに洗った食器を立てかけたままだったことを思い出して、慌ててベッドから起きだして拭いて食器棚にしまったのは言うまでもありません。いやだいやだ、その場にいない人間の声に動かされるなんて。それ以上に、いつも言われているのにできない自分もいやだ。こうした心の機微というか動きも短歌なら楽しく表現できそうな気がします。
510 シブがき隊(24.11.11)
10月下旬、プロ野球ドラフト会議が行われました。即戦力や将来性など様々な思惑やチーム事情が反映されます。このドラフト会議は、1965年の第1回から数えて60回目を迎えたそうで、これまでいろいろな事件やドラマがあシブがき隊りました。
半世紀近く前、作新学院で「怪物」と言われた江川卓さんは、指名球団への入団を拒否し、翌年のドラフト前日に巨人と電撃契約。他球団や世論から大バッシングでした。また、PL学園のチームメイトだった桑田真澄さんと清原和博さんもドラフトに翻弄された感じです。
今年も歓喜の姿が報道され、指名選手が続々と入団発表をすると思いますが、10年後にユニフォームを着ている保証はどこにもありません。それほどの生存率の低さに、栄光と挫折が交錯する厳しい世界ですが、それは野球界ばかりではありません。ちなみに、今回広島5位指名の菊地選手は鶴指小→第八中の出身だとか。
さて、6年生を対象に「シブがき隊」を結成しました。体育館外環側に生る柿の実を干し柿にして食べようというのが目的です。そこで先週、高枝ばさみを使って収穫。今日は、皮むきと紐で結わえる作業を家庭科室で14時半から1時間程度行いますが、ヘルプお願いできる方いらっしゃいませんか?
滅多にできないことを体験できる学校って楽しいと思うのです。これを機に毎年のイベントなると嬉しいなぁ。10年後も続いる保証はありませんが…。ちなみに、配付した募集用紙に、やっくん(薬丸裕英)・もっくん(本木雅弘)・ふっくん(布川敏和)3人の写真を入れたら、「写真の3人は誰ですか?」と尋ねられました。「昔のアイドルグループに、シブがき隊ってあったんだよ」と教えましたが、関心なさそう。募集のネーミングに粋を感じているのは私だけかもしれません。
509 恐怖漫画(24.11.8)
ユーキャン新語・流行語大賞にノミネートされた30語が発表されました。12月にはトップ10が発表されますが、流行ったと思われるほどのものは見つけられません。しかも、半分は今回初めて目にした言葉。不作なのか、私のアンテナの低さなのか?!
さて、漫画家の楳図かずお氏が亡くなりました。無邪気でパワフルな幼稚園児が主人公のギャグ漫画『まことちゃん』は大人気でした。手をパーの状態から中指と小指の2本だけを折るポーズと「グワシ!」というセリフは一世を風靡しました。このポーズ、未だに薬指まで動いてしまい、うまくできない私。でも、楳図作品といえば『漂流教室』に軍配を上げたくなります。元々ホラー漫画の旗手だった楳図氏が描く世界観は、小学生の私には怖いもの見たさ以外の何物でもありませんでした。床屋で一人順番待ちをしながらページをめくる店内に、ちあきなおみさんの『四つのお願い』が流れていたことまで思い出されます。おかげで、この歌まで怖いイメージがつきまといます。
一方、恐怖漫画というか心霊漫画の第一人者といえば、私の中ではつのだじろう氏です。『恐怖新聞』『うしろの百太郎』など大好きでしたし、心霊研究家としても活躍しました。怖いもの見たさ・聞きたさは、好奇心旺盛と言い換えればよく聞こえますが、「ぼっとん便所」に引きずり込まれるかもしれないと、行くのを躊躇ったあの頃…。そうそう、『インベーダー』という映画?の中では、「手を開いた状態で、小指だけを曲げられるのはインベーダー(侵略者)だ」と言われていたそうです。ご存じでした?
ところで、表題とした「恐怖漫画」を入力・変換すると、なんと「今日不満が」と表れました。入力ミスかと一瞬思いましたが…。決して不満はございません!
508 かわらけ(24.11.7)
6年生の歴史学習の導入で、市川市考古博物館学芸員さんにお願いして、今年も出前授業をしていただいたことは以前紹介しました。コロナ前は、貝塚の学習を兼ねて縄文土器を使ってアサリ汁を食べたこともあります。この縄文式土器が、人の生活の変化とともに弥生式土器へと変わっていくことも学びます。恒例の漢字クイズをしていたら、読めない漢字がありました。「土器」です。「どき」ではなく、4文字のふりがながある設定になっています。「かわらけ」と読むそうです。平安末期から江戸時代にかけて製作・使用された素焼きの土器のことで、主に椀や皿などを指します。
そういえば、茨城県稲敷市に大杉神社という場所があります。「悪縁切り」で有名で、一度行きました。心の中でまじないを唱え、土器(かわらけ)を御神石に向かって投げて叩き割ることで、悪い縁を断ち切るという神事です。でも何度投げても割れず、4~5回拾って戻っては繰り返す妻をゲラゲラと笑ってみていたのを思い出します。
今年最後の三連休最終日は、8割くらい体調が戻ったので、晴天に誘われるように茨城県笠間市へ車を走らせました。目的は秋の陶器市を見て回ること。これまでは益子ばかりでしたので、違った雰囲気を味わうために今回は笠間に。もう一つの目的はモンブラン。栗で有名な町なので、土産に買って帰ろうと考えたのです。でも、残念なことに持ち帰り用モンブランを見つけられず、かといってその場で食すために長蛇の列に並ぶのもはばかられ、焼き栗を一袋買っただけで…。
焼き物の産地は全国各地にあり、色鮮やかなものから素朴な色合いのものまで様々ですが、土の色や粒子感が感じられ、素焼きに近い飾らない陶器が私は好きです。立冬の今朝、買ったばかりのコーヒーカップのお披露目です。
507 子ども目線(24.11.6)
10年務めた幼稚園からこども園に異動して5年目の娘は、保育士としてベテランの域に入ろうとしています。今見ている年長のクラスでは、将棋が流行っているらしいのです。オセロでは負けない娘も、将棋になると勝手が違うようで、どの駒がどこへ動けるのか何度やってもさっぱりわからないと言います。ましてや裏返って赤い字が現れるとなおさらだとか。藤井聡太名人に触発された子もいるかもしれない中、適当に指してごまかそうとして子供に怒られる始末。本気でやっているかどうか肌で感じるようで、お見通しといった感じ?まるで、私と息子のカードゲーム対戦のようです。
さて、4歳と5歳の孫の姉弟を半日預かりました。近所の公園で追いかけっこや遊具遊びをしたあと、ドングリや松ぼっくり拾いに興じました。「小さい穴が開いていると、虫が入っているから拾わないようにしようね」と言うと、1つ1つ確認しながら「これはオッケー」と呟きながら小さな掌におさめます。そんな活動が延々と続きます。1時間も経ったでしょうか。遊び疲れて家に戻る途中、3歳前後の女の子が手を振りながら追いかけてきます。それを見て、「かわいいね」と言うのです。我々から見ると、「どっちもどっち」「ドングリの背比べ」なのに、小さな子には小さな子なりの世界観ととらえ方があるのだと新たな発見でした。
小学校で生活する子は6歳から12歳までいます。「まだ1年生だから」「もう6年生だから」と勝手に決めつけてコントロールしようとしたり、大人目線で物事を見て判断したりしがちですが、常に子供の目線に立って、正面から見つめること、信じることを忘れないようにしたいと思ったのです。
506 雨戸(24.11.5)
「しゃっくりを1秒で止める方法」という文字をSNSに発見。興味津々で読むと、“肛門を刺激します。指を肛門に入れて直腸をマッサージすると、迷走神経が刺激されて止まります。マジで効きます”と図解付きです。しゃっくりが何日も止まらずに困る人もいるようですから、試してみる価値はあるのでしょうが、私はノーサンキュー!
話は変わりますが、今は無き実家は平屋で、玄関以外に人が侵入できる場所が5か所もありました。闇バイトによる強盗事件が多発する現在なら、おちおち寛いでいられない造りです。当然、夜になると雨戸を閉めました。現在のようなシャッターではありません。戸袋(コブクロではありません)という何枚も雨戸が収まっているところに手を入れ、1枚ずつ引き出してはレールの上を滑らせて戸締りをします。最後の1枚にはカンヌキのようなものが設えられていて、木のレールに掘られた溝にそれを落とす仕組みです。8枚を閉める場所が1つ、4枚建てつけられている箇所が2つ、2枚建てつけが1つ。レールの滑りが悪くなったり、建付けが悪くなっていたりするとなかなか閉められません。温度や湿度などによる、雨戸のその日の機嫌にも左右されますから、結構重労働だったのです。
最近の新しい家は、電動シャッターが取り付けられています。音が静かで、力いらず。防犯性も高く、開け閉めの際に虫が侵入する心配もないといった利点ばかりです。我が家も交換したいなぁと思いつつ、「高価だし、まだまだ使える」と踏みとどまっています。ご近所には、夜でもシャッターを全く降ろさない家もあれば、昼間でもシャッターをほとんど開けていることを見ない家もあって、どちらも勝手な心配をしています。
505 ズルい(24.11.1)
一昨日から週末を含めて6連休となり、「いいなぁ」「ズルいなぁ」と声が聞こえてきそうです。大人子供関係なく、「○○でズルいよな~」なんて思うことがあります。羨ましいの裏返しで使うこともありますが、一般的に「ズルい」は自分を有利にするために、ごまかしたりだましたり、はたまた汚い手段を使ったりする様をいう言葉です。「こすい(狡い)」という言葉を昭和人は使いますが、悪賢いとかケチといった意味合いがあります。さらに、「あざとい」(浅はかでこざかしい・抜け目なく貪欲・あくどいの意)が使われることもあります。いずれにしても、相手を批判的にみる言葉であることに違いはありません。
でも近年は、「あざと可愛い」とか「可愛くてズルい」というような使われ方を耳にします。決して相手を非難するわけではなく、「不公平だよなぁ」「いいなぁ」という思いを持ちながら相手を褒めているわけです。
さて、今年も日テレの「カラダウィーク」が来週3日から始まります。これに関連して、情報番組内で「カラダ年齢チェック」をやっていました。バランスを取りながら、靴下を両足何秒で脱いで履けるかを計測するものです。HPに紹介されていますのでトライしてみては?用意するのは靴下だけ!
①両足に靴下を履き、気をつけの状態でスタンバイ。
②スタートの合図で、左足で片足立ち。右足の靴下を脱ぎ、靴下と両手で床にタッチ。再び右足の靴下を履く。
③今度は右足で片足立ち。左足と同じように、脱いで床タッチしてまた履く。
④両足立ちになり、気をつけの姿勢に戻って時間を計測する。
自分のかかった時間を選んで、診断をクリックすると、「30代後半」「50代前半」のように診断され、さらにおすすめの運動を動画で教えてくれるというもの。
毎朝の靴下を履く動作で、バランスを崩してケンケンしてしまうこともあります。そうならないように、ベッドのへりにもたれてフラフラしないようにしていますが、これこそズルい!
504 顔(24.10.31)
今週は自宅療養を医師から命じられ、髭も剃らないまま顔だけ洗って朝食です。何事もなき平和な一日であることを、ベッドの上から願っています。
やっと秋らしくなりました。昨日は体調が悪くて、病院まで暖房をつけて車を走らせました。それでもエアコンなしで車に乗れるようになったので、燃費が格段によくなりました。ある日、踏切でアイドリングストップが作動。上り下りの電車が交互にやってきても止まったまま。でも、さすがに耐えきれなくなったようで、急にエンジンが始動しました。すると助手席から、「ねぇ、地震!電車が行ったのにまだ揺れている」という声。エンジンがかかった振動を地震だと勘違いしたようです。平和です!(少し前も書いたような気が…?)
さて、そんな車のフロントマスクには表情があります。VWのある車種は、カールおじさんに見えますし、カエルや昆虫ほか、癒し系、怒り顔などに見えてしまいます。人間の心理現象の一つだともいわれ、「顔のパレイドリア現象」と呼ぶようです。車全体の印象に直結しますから、デザイナーの腕の見せどころでもありそうです。
ちなみに、踏切ですれ違った白のテスラ・モデル3。EVなので正面の外気導入のグリルがありません。それが私には、映画『犬神家の一族』の顔面に包帯を巻いた佐清(スケキヨ)さんに見えてしまうのです。そういう目で見て、もしよろしければ「あっ、スケキヨさんだ」と声にしてみてください。 最後に、白門に立って登校する児童を見守る朝の顔といったら、昨年度一度引退された千葉さん。今年度復帰して元気な声を響かせていらっしゃいましたが、寄る年波には勝てないとのことで、今日をもって勇退されます。全校には昨日放送で紹介しました。ありがとうございました。お元気で!
503 ちびくろ・さんぼ(24.10.30)
妻が先週末に具合が悪かったので、夕飯づくりです。一人でできるメニューは限定されるので、それ以外になると指導者を侍らせなければなりません。作ったのはマカロニグラタン!人生初で、ホワイトソースまで頑張りました。ただ、ナビの指示どおりに目的地に行くと道を覚えないのと同様、指示に従っているだけだと次に作れるかどうか…。でもスマホアプリという強い味方もいますから。
風邪がうつったみたいで、昨日から発熱。インフルじゃないといいけど。「おおきなかぶ」をもじるなら、私は妻からうつされて、妻は孫からうつされて、孫は幼稚園でうつされて…。ウントコショ・ドッコイショ、じじぃは元気ありません。
さて、マルチルームに集まって、仕分けされている図書の中に『ちびくろ・さんぼ』を見つけました。日本では昔、教科書にまで採用されるほど世界でも人気の絵本でした。しかしある時、黒人差別を助長するという理由で絶版となりました。日本でも1988年から復刻されるまで十数年を要したという歴史があります。
先の見つけた本に『ちびくろ・さんぼ2』があるではないですか。初めてみました。〈さんぼ〉に二人の弟〈うーふ〉と〈むーふ〉が生まれます。でも、サルに高いヤシの木の上にさらわれます。そこへ大きなワシがやってきて助けてくれたのです。ワシへのお礼に、なんと羊のあしを2本あげたというからリアルでビックリです。一方、さんぼの家では羊肉をあげてしまったので、ホットケーキをいっぱい作ったという、1巻とつながるような展開でした。校長室前に2冊とも置きましたので、ぜひ手に取って読んでほしいものです。
学校で読み聞かせをしたら、子供たちは肌の色に反応を示すのかなぁ。多様性が叫ばれる時代に…。
502 本格的な秋へ(24.10.29)
暑かったり寒かったりが繰り返されるので、半袖の服やパジャマをまだ仕舞えずにいます。逆に、タンスやクローゼットの衣替えのタイミングがなかなかつかめません。先週もスーツの上着を着るか否かで迷う毎朝でした。さすがにクールビズがあと3日で終了して、ネクタイ生活に移行です。
それでも朝晩はだいぶ冷えてきたので、鍋物がそろそろ解禁です。水炊き・寄せ鍋・もつ鍋・ちゃんこ鍋・おでん・しゃぶしゃぶなど様々です。鍋に投入する食材も多岐にわたりますが、白菜や豆腐は多くに使われる王道的存在。我が家も先日は、チゲ鍋風のおかずが器に盛られました。美味しかったのですが、食べ終わってから歯間に詰まったニラとエノキに閉口です。さらに、サツマイモご飯にかけた黒ゴマまで飛び入り参加です。歳をとるにしたがってスポットが拡大しているのか、とても気になります。したがって、歯磨きも入念に行うようになりました。
先週のことです。「今日、“ミンオー”やるよ。録画予約しておいた」「本を読んだっけ?」と尋ねられました。それって、もしかして“タミオウ(民王)”のことですか?正しいことを何度伝えても、ミンオー沼から抜け出せないようです。
池井戸潤さんの作品といえば、半沢直樹シリーズや『下町ロケット』などが有名ですが、本屋でまだ平積みされている『俺たちの箱根駅伝』も気になっています。上下巻あるので、買わずに公共図書館に並ぶのを心待ちにしている最中です。
ところで、箱根駅伝といえば、今月中旬に予選会が行われました。本選出場に1秒差で涙をのんだ東農大ほか、ドラマがたくさんあったはず。43校参加の上位は常連校ばかりが名を連ねますが、下へたどると母校の名前を発見。「えっ」という声にならない声が漏れます。
いつかゆったりできる時間がとれたら、箱根駅伝を沿道で応援して、温泉に入って、その後に食べる郷土料理や鍋物なんて魅力的だなぁ。
501 デジタル時代に(24.10.28)
リビングにはWi-Fiが入るのに、すぐ脇のダイニングや和室だと4Gの表示になってしまう不思議。学校の場合、タブレット導入の初期には同じ教室で全員が同時に使うとつながりにくくなるので、部屋を分けて使用することもありましたが、今は隣の教室で皆が使っていても問題がないようです。でも、校長室も含めてWi-Fi環境の整っていない部屋は数ヵ所あるのが現状です。あと10年もすれば、学校もスマートキーを使用し、音声認識・顔認証などで様々なものを動かせる時代になるのかもしれません。
ファミレスなどでは、タブレットでの注文が一般的になっています。場所によっては、ロボットが配膳をして、店員は案内や会計、片付けに限定されそうです。教室でもタブレットに触れる機会が、昨年度以上に増えたように思います。2年生でもローマ字入力を素早くこなしているではありませんか。ローマ字の学習は3年生ですが、必要がなくなりそうです。ただ、タブレット端末に向き合う時間は、静かでコミュニケーションがなくなります。そんな中で、授業とは無関係な画像や動画を見ている子もいて、近づくと慌てるなんてことも…。
さて、教科書を含めたデジタル教材先進国のスウェーデンでは、脱デジタルへの舵切りを始めたようです。紙媒体の教科書を使い、ノートなどに書く活動を増やすことで、集中力や考える力が伸びたことを実感しているといいます。現在では、端末を効果的な場面に限定しており、子供からも好評を得ているそうです。日本は10年以上後ろを追いかけている感じですが、ICT活用が目的ではありませんから、ツールとしての最大限の効果と深い学びのために、アナログとデジタルが両輪で機能するようにしたいものです。
500 ひねるとジャー(24.10.25)
世界には約二百の国や地域が存在しますが、安全に水道水が飲める国の割合は10%前後と言われています。つまり、ほとんどの国では安全に飲むことができないということです。言い換えると、蛇口をひねれば流れ出る日本の水道水の品質・安全性は極めて高く、世界でも稀であると言えそうです。
一般的に、水道水を飲まない人が多いと指摘されることがあります。ミネラルウォーターを飲み慣れているからなのか、「おいしくない」「ぬるい」ということを理由にするようですが、果たしてそうなのでしょうか。笑い話のような投書があります。“家族はペットボトルの水を飲む。水道水とは味が違うらしい。でも家族は気づいていない。ペットボトルのミネラルウォーターが少なくなったら、私が水道水を補充していることを”とあります。まさに知らぬが仏です。
こんな声もあります。“風呂・洗濯・洗車・プールetc、使った後の汚れた水を再生する大変さを考えている人がどのくらいいるだろうか”“自分では水を作れない。貴重で大切なものだと周知させ、意識改革するべきだと思う”など。(朝日新聞 beより引用)
さて、4年生の社会科「くらしと水」では、私たちの健康な暮らしを支える貴重な水がどのように確保され、各家庭に提供されるのかなどを追究していきながら、生活の仕方を今一度見直します。学習後に誰もが、水を大切にしようとか節水の必要性などを記します。でも、それをどれだけ実践できているのかは甚だ疑問ですし、そういう私も例外ではありません。
499 自慢できること(24.10.24)
業間や昼休みに校長室にやってきて雑談に興じる子がいます。ある日、急に尋ねられました。「さて、僕の好きなペットボトルのお茶、ベスト5は何でしょう?」と。「伊右衛門」「お~いお茶」「綾鷹」「爽健美茶」など思い浮かぶものを口にしますが、なかなか正解にはたどり着けず降参!すると、「生茶」「烏龍茶」「十六茶」「綾鷹ほうじ茶」…と、商品名を順位とともに教えてくれました。私にはどれも同じなのに、ペットボトル茶の味にこだわりがあるようで、敏感な舌(味覚)を持ち合わせているみたいです。ちなみに私は、血糖値の上昇を抑える「伊右衛門」の緑茶スティックを欠かさず飲んでいます。
さて、バラエティ番組のインタビューだったでしょうか。大学生風の若者が住んでいる町の自慢をする企画です。ある若者は柏在住で、柏市は北西部の頂点だと言います。その理由が周りの街にあるみたいで、「終わっている町・松戸」「本当に田舎の我孫子」「何もない鎌ケ谷」「子育てしかしていない流山」とコケにした後に、「柏は、茨城県民曰く“ちばの渋谷”!」と言うから笑えます。
では、平田小の子供たちはどんな市川自慢をするでしょうか。「梨しかない市川」なんて言わせない魅力をみつけてほしいと思います。市川ユネスコ協会が主催する「わたしの町のたからもの」絵画コンクールに、数名の児童が応募しました。残念ながら原画を見ていないのですが、学習等をきっかけに自慢できる宝物を増やしていきたいと思います。2年生の町探検もその一つ。意義性があったり、知れば知るほど好きになったりすることもあるのではないでしょうか。
自分自身の魅力だって、気づきにくいだけ。だから、誰かがそっと光の下に出してあげることも必要かもしれません。ペットボトル茶の味が判別できることだって、尊敬に値します。
498 食欲の秋(24.10.23)
最近は、高級ブドウをよく見かけるようになりましたが、先日スーパーで見つけたレッドグローブが安かったのでお買い上げ。種無しブドウに慣れ親しんだ私は、何も考えずに口に放り込みます。そして、思い切り噛んだ瞬間に失敗を悟ります。2つ3つの小さな種が、実に鬱陶しい。慣れというのは恐ろしいもので、種がなく皮を剥かずに食べられるのが当たり前となった現在、皮を剥いたり種を口から出したりすることを面倒くさく感じてしまいます。なんと贅沢になってしまったのでしょう。進化や便利さに、忘れてしまったり鈍ってしまったりする感覚もたくさんあるような気がします。
ある日ふと、バームクーヘンを丸ごと食べたい!という衝動にかられました。ドイツのお菓子が、急に頭の中に浮かび上がってきたのです。ショートケーキやシフォンケーキ、カステラのようなふわふわ感とは正反対で、生地がぎゅっと結束しあう感じ。そうかといって硬いわけでもなく、しっとりとした舌ざわりと甘すぎない適度な甘さ。紅茶やコーヒーにも合いますし、牛乳でもよし。当然、日本茶でもおいしく食べられます。知らず知らずのうちに、口の中に唾が…。
そんな気持ちが通じたのでしょうか。ある先生から、コンビニのバームクーヘンをおやつにいただきました。大きさは問題ではなく、ただただ嬉しく、タイミング(勤務時間外です)を見計らってパクリ!しあわせ~。こんなふうに、何の前触れもなく急に、○○が食べたいと思うことが時々あるのは私だけですか?
庭のいちごポットに季節外れのいちごが、小粒ですが5つ実っています。食べる前にナメクジに先を越されるのが癪なので、現在観察中。それにしても可愛い。