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校長室から

314 ゴボウ(23.11.22)

 豚汁、もつ煮、きんぴら、煮物、けんちん汁などに使われる食材といったら「ゴボウ」。八百屋やスーパーで目にするゴボウは根菜です。大根や蕪も根菜ですが、これらのように葉が付いているのを見たことがありません。先日新聞を読んでいると、“ゴボウという植物はアザミに似ていて、とげとげした見た目の花を咲かせる”とあります。早速検索してみると、写真とともに「高さ3mにもなる二年草。キク科ゴボウ属で、根を食用にするほか果実を薬用とする」と説明があります。ついでに生産量を調べてみると、青森県が国内の3分の1以上であることがわかります。

 このゴボウは中国から薬草として渡来し、平安時代には宮廷料理の食材として利用されていたようです。ゴボウを日常的に食すのは日本だけらしく、第二次世界大戦中にはアメリカ人捕虜に食事として出したといわれます。でも「木の根を食べさせた」として、戦後の裁判で死刑になったという悲しい話もあるくらいです。

 また、ゴボウは夏にアザミに似た紫色の花を咲かせるといい、ヨーロッパでは根よりも花のほうが有名です。その花言葉は、「私に触らないで」「しつこくせがむ」だといいますから、ゴボウの花は見なくてもよさそうです。ちなみに、アザミの花言葉にも「触れないで」がありますが、ほかに「厳格」「気品」「権威」「復讐」「報復」と怖い言葉も並びます。やっぱりあの鋭いトゲに由来するのかもしれません。

 一般的にゴボウの旬は11月から2月頃の寒い時期です。気温が下がってきて汁物や煮物、鍋物がおいしく感じられます。様々な料理においてゴボウはバイプレイヤーではありますが、これからも存在感ある味を楽しませてくれるはず。さて今晩の食卓に、ゴボウは登場するでしょうか?

313 あなたは今幸せですか?(23.11.21)

 ドラマ『フィクサー』を観ていたら、なるほどとうなずける主人公のセリフがありました。「自分で決められることを幸せと呼ぶんだ!」と言います。どんなにお金持ちでも地位が高い者でも、自分の意志の外に決定権があったり従わざるを得ない状況にあったりすれば本意ではないはずです。たとえうまくいかなかったとしても、束縛されることなく自分の意志で選択できることはとても大きな幸せと考えてよさそうです。子供だって親の管理下にはありますが、自己決定の場面が多数あります。欲しいものが手に入らないことを、不幸せだと嘆くことではないと思ったのでした。

 こんなことを考えながら、戦闘が絶えず犠牲が拡大している世界の状況を目にすると、いたたまれない気持ちになります。自分で決めて一歩踏み出すことができる私たちにできること、まずは他人事として自分から切り離してしまわないことかな。

 さて、ある期間、寝起きで腰が痛くて堪らない日が続きました。辛いときはベッドから起き上がるまでに時間がかかります。肩も痛くて、快眠とはほど遠い。十数年使っているマットレスのへたりが原因かもしれないと思い、購入を検討しました。○○ウィーヴとかトゥルー○○など見聞きしますが、高価です。そこで「お、ねだん以上」の店に行って寝比べすること3~40分。あれこれ悩んで決めました!後日納品された以降、腰痛に悩むことがなくなりました。

 自分で決めたマットレスでぐっすり眠れて、幸せ~。

312 知らないだろうなぁ~(23.11.20)

 子供心に「これさえあればどこにでも行ける」と思わせてくれた道具(乗り物)が自転車。小学校高学年の時、幼馴染と二人で印旛沼や成田まで冒険の旅に出かけたことは以前書いたとおり。自転車を中心にした漫画といえば、最近では『弱虫ペダル』が有名ですが、半世紀前大好きだったのが『サイクル野郎』(荘司としお 作)です。主人公の輪太郎は中学3年生で、日本一周の自転車旅行を決意するというもの。荷台やその両脇に荷物を積んで走る自転車がとても魅力的だったことを覚えています。

 自転車に後方確認用のミラーを付けていたのも当時の主流。そのミラーの位置をどこにすれば格好よく見えるか工夫もしました。だから自転車の改造もしました。難しいことや違法なことをするわけではなく、他人と違った自分だけの自転車に仕上げたかったのです。今でも年配の男性の乗る自転車にバックミラーが付いているのを見かけますし、その位置が前輪の脇のフレームだったりすると、「おぬしも好きよの~」と思ってしまいます。

 また、鉛筆や木を削るのに便利で学校にも携行していたのが「ボンナイフ」。カッターナイフが普及するまでは、昭和の小学生の筆箱に必ず入っていたともいえる文具の一つ。両刃カミソリに似てよく切れてコンパクト。しかも30円くらい。鉛筆の削り方も先生がみんなに教えていた時代です。これを携えて笹やぶに分け入って、奥まったところの笹を根元から切り、自分だけの空間を作って遊んだものです。

 ボンナイフがわかれば、アメリカンクラッカーと聞いてきっと現物が目に浮かぶ人も多いはず。マブチモーターが販売していた水中モーターを模型などに取り付けて、風呂で遊んだ経験もあるかもしれません。舵とスクリューが一体となった赤白のデザインで、当時絶大な人気を誇りました。こんな昭和を代表するような懐かしい品が集まる博物館へ行きたい!

 週替わりで学級閉鎖が続いています。今一度健康管理と手洗い・うがいの励行を!!

311 非日常を楽しもう!(23.11.17)

 今日もキャンプ・ネタにお付き合いください。

 20数年前まで好んで出かけたファミリーキャンプ。ずっと以前のアウトドアブームの頃だったかもしれません。専らオートキャンプ場を利用しましたが、様々な経験をしました。例えば、真夏の勝浦。アリが大量にテントに侵入してきたことと、とにかく暑くて一睡もできないまま朝を迎えたこと。只々子供たちにうちわで風を送り続けていた夜でした。翌日の海の水がなんと気持ちよかったことか。別のキャンプ場では雷雨の洗礼を受けました。雨だけのうちはよかったのですが、稲光がひどくなって近づいてくるのです。テント内は危険だと判断して、車に避難して一晩を過ごしました。あるときは、暴走族の集会のようなものが始まりました。あれはどこだったでしょうか。もしかすると道の駅で車中泊をしたときかも…。

 家族は虫が苦手です。ですから、当時のキャンプ場のトイレはいけません。今ほどきれいではないうえに、そこかしこに蛾が張りついています。安心して用を足せないと言いますし、夜中のトイレは必ずと言ってよいほど同行のために起こされます。懐中電灯を片手に真っ暗な道を、トイレの灯りを目指して歩くわけです。

 キャンプに行ったらBBQといった固定観念もありました。「こうあるべき」という思いから脱しきれずに、料理も一から始めます。今のように家で仕込んでいくとか、簡単に済ませられるメニューにするとかいう発想がないわけですから、妻が大変です。キャンプ場でも調理に精を出し、家に帰れば使った食器類を洗い、シュラフを天日干しするなど、疲れて帰ったのにさらに仕事が待っているという始末。そんなこんなで縁遠くなった気がします。だから、「整えなければいけない」といった考えを捨て去って、ゆったりした時間を楽しんでいる今のキャンパーはさすがです。

 家とは違った環境で生活したり役割を与えられたりする経験・体験は、必ずしもキャンプだけではありません。非日常で思わぬ一面に出会えることも期待できそうです。今日は冷たい雨が降っていますが、週末は青空が広がりそう!それだけでワクワクしませんか?

310 お詫びと謝罪(23.11.16)

 寄せ植えにしたビオラが凛と花を咲かせています。赤門脇のプランターに植えられたビオラだって霜や雪などに耐えて来春まで目を楽しませてくれる優等生。

 「お詫びはするけど、謝罪ではない」と新聞にありました。「お詫び」と「謝罪」は違うんだぁと言いながらググります。「謝罪」とは、罪や過ちを犯したとき、損害や危害を与えてしまったときに謝ることであり、「お詫び」は、相手が憤慨しているときなどにただ謝ることだといいます。グループ行動をしていた一人がはぐれてしまって、心配をかけたような場面で謝る行為は「お詫び」ということになります。また、「お詫び」は「謝罪」を包含するような広い意味を持つといいます。

 テレビの会見で、カメラを前に深く頭を下げる場面を目にしますが、罪や過ちを認めての行為なのか、お騒がせしたことを謝っているだけなのか、語られる言葉も含めて見極めることが必要みたい。普段から言葉が相手にどう伝わるかを意識していたいものです。

 さて、10月末の授業参観やひらたっ子まつりへの意見や感想を取りまとめてもらいました。授業参観に関しては、「よかった」85%、「あまりよくなかった」3%でした。「中まで入れず様子がわからなかった」という声のほか、「ドアを外していたので廊下からも見られた」「奥まで入るように先生が声をかけてくれて有難かった」などがありました。なお、「吹奏楽部の発表の機会がなかった」点については、児童を対象に2学期終業式で演奏する場面を設けます。

 一方、ひらたっ子まつりについては、「よかった」87%、「あまりよくなかった」2%という結果です。様々なご意見は、今年度担当された方々と共有して、次年度の企画に生かしたいと思います。お詫びや謝罪ではなく、アンケートに回答いただいた「お礼」です。ありがとうございました。

309 七五三(23.11.15)

 先週、大リーグの大谷翔平選手が、ジュニア用野球グローブを日本の全小学校に3個ずつ寄贈すると発表しました。「野球を通じて元気に楽しく過ごしてもらいたい」という想いを込めてのことだそうです。さあ、このグローブをどうしましょ?発表翌日には、「校長先生、私に頂戴!」と何人もの子におねだりされました。お披露目のあと、玄関のショーケースに大切に保管するという手もありますが、それでは大谷選手の想いをキャッチできません。全児童とキャッチボールでもしましょうか。左利き用も1個あるというからその配慮には恐れ入ります。使い方について何かよいアイディアがあったら教えてください。グローブが届くまでにまだ十分時間がありそうですから…。

 さて、今日は七五三。七五三といえば千歳飴。千歳飴といえば不二家。不二家といったらペコちゃん。ペコちゃんといったらミルキー。そのミルキーの「ミニ千歳飴」を、口さみしさに負けて舌の上に放り込みました。とても懐かしい味のような、ちょっと違うような?昔食べた棒状の千歳飴は、そのまま舐めているには長すぎますが、適当に折って兄弟で分けるには上手に等分できませんし、小さな欠片がパラパラと散ります。それを指先に唾をつけて兄弟で奪い合い。子供たちの健康と成長を祝う伝統行事における千歳飴には、健やかな成長への願いが込められています。ただ、千歳飴を手にする景色は廃れていく傾向はないでしょうか。不二家の店先で、ペコちゃんとポコちゃんが晴れ着姿にもかかわらず寂しがっているように見えてきます。

 家庭の休みに合わせて晴れ着姿の子供を見る日は様々です。天気にも左右されますから大変です。写真も前撮りができるようですから、必ずしも参拝の際に晴れ着とは限りません。おっ、そういえばうちの孫も3歳だけど男の子。孫娘は4歳なので既に終わっていました

 ちなみに、「七五三」を名字にする人もいます。「しめ」と読みます。神社などに見られる「しめ縄」を「注連縄」あるいは「七五三縄」と書くのです。

308 秋キャンプ(23.11.14)

 今日から1泊の予定で計画されていた修学旅行が、インフルエンザの蔓延により延期にせざるを得なくなりました。同時に、6年生は明日まで学年閉鎖に。年が改まる前も含めて期日の調整中です。

 ある日、学校の来客用玄関に1足の靴があります。来客でしょうか。脱いだままの向きですし、揃っているわけでもありません。でも子供用ではないようです。急いでいたのかもしれません。でも、不特定多数が出入りする場所ですから、誰であっても気づかいは必要だと思うのです。

 10月終わりのひらたっ子まつりでは、屋内外を出たり入ったりする子供の姿がありました。お目当てのコーナーにできるだけ早く行きたいと思うのは誰もが同じかもしれません。でも、昇降口の散らばった靴の数々を目にすると、やはり「きちんと揃えてほしいなぁ」と思うのです。日頃の行動がそのまま表れてしまいますから、今後恥ずかしい思いをすることがあるかもしれないと思うと心配です。そんなふうに心が揺れてしまうのは心が狭いからなのでしょうか?

 夏日が続いていたのに急に寒くなった休日を利用して、娘夫婦とキャンプに行ってきました。21世紀になって初めてですから20年ぶり以上。空気が冷たく感じられる晩秋、防寒対策は必須ですが、焚火の炎って身体だけでなく、視覚的にも暖かさを演出してくれるような気がします。炎を見つめているだけで楽しくて童心に戻れます。

 薪ストーブも魅力的です。家にあったら、その前を何時間も離れることなく居座れそうです。窓から見えるチロチロと揺らぐ炎がとにかくよい!また、それに手を翳すのが何とも言えない趣きと喜びがあるのです。石油ストーブにも通じる感覚です。現代の暖房はエアコンや床暖房主流ですが、屋外から帰ってストーブの前に直行するあの感じを忘れたくはありません。時々アウトドアコーナーに行くと、レトロ感たっぷりのだるま型石油ストーブが置いてあります。アラジン製の商品の値段を見てびっくり!曲線を帯びたデザインは素敵ですが、とてもでないけど手が出ません。にもかかわらず、娘たちのテントの前室に据えられていました。羨まし~。

 焚火の前を離れて小さなレンタルテントに入ったとき、きちんと履物を揃えました。だって夜中、真っ暗な中をトイレに行きたくなることだってありそうでしたから…。

307 長い時を経て(23.11.13)

 昨日今日と寒い。ついに暖房の登場とともに、アンダーウェアも暖かいタイプに切り替えのタイミングです。

 顔は判別できるのに名前が出てこない。俳優の名前は特に強く感じます。「ほらっ、あの番組に出ていた人!」といいながら肝心な番組名も出てこない。「三文字の苗字でさぁ…」なんて会話がなんて多いことか!一緒に働いていた先生の名前だって、すぐにど忘れしてしまいます。その時は出てこない名前が、何か別のことをしているときにふと思い出すのです。ただ、教員ってつくづく得な職業だと思います。だって、誰に対しても一応「先生」って呼べば、名前をド忘れしていたとしても会話がちゃんと続きますし、間違いがありませんから…。

 さて、阪神タイガースが38年ぶりの日本一と報道されているのは知っていましたが、先日の天声人語を読んで、前回の日本シリーズ制覇が自分の教員人生スタートの年なのだと改めてわかったのです。そして、JRがまだ国鉄と呼ばれていたころで、電電公社が民営化されてNTTに、日本専売公社がJTと名称変更して発足した年だといいます。また、日航ジャンボ機墜落や新幹線上野駅開業があり、「8時だヨ!全員集合」が終わったのです。確かにそうだった、かも?

 こう考えると、平田小創立からの70年間を振り返ると数多の出来事があるわけです。平田小の先輩、坂崎千春さんからもお祝いのイラストをいただきました。1階の「平田小のあゆみ」掲示板に飾ってあります。貴重な作品ですから、ぜひご覧ください。そして、学校の歴史と同じように年齢を重ねてきた人が身の回りにいることにも気づくべきです。過去に学び、人を敬い、自らを高めようとする子供たちであるための一歩となります。阪神タイガースの日本一だって、「ダメ虎」と呼ばれていた時代も含めて、長~い年月をかけてチームが円熟してきた証し。阪神ファンの皆さん、遅ればせながらおめでとうございます。

306 ご縁がありますように(23.11.10)

 少し前に『アルルカンと道化師』(池井戸潤 著)の文庫本を買いました。単行本で読んだような気がするのですが自信がありません。しかも、ビニルカバーがされていますからページを手繰って記憶を呼び覚ますこともできません。背面の作品紹介の短文を読んでも記憶はあやふやなまま。本屋に行くたびに買うかどうかを悩んだ末、購入に至ったという次第。にもかかわらず、少し読み始めたら聞き覚えのある名前と場面設定。んん?読んだことある!もったいないので、今読んでいる本を読み終えたら、改めて読み始めます。これも何かのご縁ですから…。

 さて、日本テレビ系列で12日(日)まで「カラダWEEK」というキャンペーンを開催しています。カラダを整え、キモチを整え、イキイキとしたウェルネスな毎日を過ごせるようなきっかけを発信しています。第八中学校ブロック4校で一昨日、児童生徒や教職員等の健康やけがの防止などを目的に合同研修会を行いました。講話を聴きながら実際に体を動かして理解を深めました。「姿勢の改善」が中心でしたが、骨盤を動かすことって難しい!こうして得た知識を子供たちあるいは家庭に広めていけたらと思いますが、まずはもう一度自分で確認しないと…。だって、もう体験したことの半分は忘れていますから!

 この研修のもう一つの目的は、同じブロック内の小中学校教職員の顔見知り計画!同じ学校内の狭い人間関係にとどまらずに、話したり一緒に体を動かしたりする時間を共有することで、今後も相談しあえる関係を広げることが大事だと思います。管理職や教務主任、事務職員などは頻繁に顔を合わせて情報交換していますが、学級担任にはなかなかその機会がありません。ましてや顔も名前も知らなければ、声すらかけられません。せっかくだから少しでもお近づきになれたら…縁を結べたら…、そう思うのです。

305 大人の秘密基地(23.11.9)

 富里に住む友達の家を久しぶりに訪問しました。以前父母の住まいだった隣接する土地に、息子夫婦の家を建てる準備がされていました。家の周囲が畑や林に囲まれ、遠くに落花生を収穫した後の「ぼっち」が点在するような田舎の風景の中にあります。行ったときは、ユンボで木の根っこを掘り返していましたが、作業着は似合っても元校長。とにかく所有する機具類が都市部と全然違いますし、買い物は車がなければ行けません。広大な敷地には大木が茂り、我が家の周辺では見られない様々な植物が当たり前にあります。何十年ぶりに自生したアケビを目にしました。高枝バサミでチョキチョキして、手のひらに熟したこぶし大のアケビを乗せます。白い中心部を指先でつまんで口の中に入れると、スイカの甘さにも似たねっとり感が広がります。種を地面にペッと吐き出しますが、スイカの種飛ばしどころではありません。だって種ばかりだからですから、実を食べるというより舌先で味わうといった方が正しいかも。

 この友達とは家族ぐるみのおつきあいが、子供が生まれたころから続いていますからすでに35年になるでしょうか。夏は、目の前に生えた真竹を切って節を抜いて何本もつなぎ合わせた手作りの流しそうめん。近くの田圃へ行って、ドジョウを捕まえたりクレソンを採ったり。子供たちもいろいろな材料を使って、裏の敷地に小屋(子供たちにとっては家)を作りましたし、その脇にテントを張って寝させてもらいました。大人にとっても子供にとっても秘密基地のような場所だったのです。だから、自然に恵まれたその地は、今も大人の遊び空間といえます。

 ただそれは、そこに住まう者でないから言えること。木を切らなければ繁茂し、雑草を抜いても抜いても減らない。今の時期は落ち葉もすごいらしいですから、一日くらい作業しても何も変わらないようです。旅行するには北海道は素敵な場所であっても、簡単に住めないと言われますが、それと同じかもしれません。だから、仕事を辞めたら週1~2回足を運んで、腰を痛めない程度に庭仕事や畑仕事に精を出そうと企んでいる私。その日の晩酌は格別だろうなぁ。

304 潔く!(23.11.8)

 11月なのに桜が咲くなど、夏日が続いたある日の昼休み、「ザクロを食べますか?」と尋ねられました。校庭のザクロを収穫して冷やしたものが職員室にあります。まるで透明感を増したルビーのような輝きです。甘酸っぱさが口に広がります。種がなかったら最高なのにと自分勝手なことを考えてしまいます。

 ある日10時ピッタリに百貨店に入り、目的の場所へ足を運びました。店舗の奥まった場所にあるため、途中にあるテナントの店員が、前を通りかかる度に恭しくお辞儀をしてくれます。右、左、右、左…というように順番に頭が垂れますからちょっと恥ずかしい!こちらもお辞儀を返さなきゃいけないかと、律儀な?私は考えてしまいます。一方で、どこかの社長にでもなったかのようで気分は上々?!目的の店舗に近づいたころ、時間にして1~2分のことですが、店内に流れる音に変化がありました。すると、それぞれのテナント前に立っていた店員さんは、何事もなかったかのようにそそくさとその場を離れていきます。その潔さがまた面白く映りました。

 柏の百貨店では三連休中、出店しているレモンケーキ専門店がありました。あれっ、駅に近い高架脇の小さなお店じゃない?バイヤーが声をかけるほど有名みたいです。店の名前も覚えていませんし、買ったことはありませんが…。その高架下を歩いてくると、必ず目に入る看板があります。「平田っ子 二つある道 よい道へ」と書かれた標語です。ここに子供たちの3つの姿が見えてきます。1つは、道が二つあるいは複数あることに気づくということ。これがベースにあって、どの道を行くか根拠を持って判断すること。最後に、選んだ道を歩むという行動に移すこと。さらに言えば、どのように歩いていくかという行動の質も大事です。

 「~だったらいいなぁ」と思うことがあれば、その時点で道は最低でも2つあるわけです。理想形を追うことと従来通りに甘んじること。願いを叶えるためには、計画を練って手だてを講じる必要があります。そして行動化。まさに「したい人1000人、始める人100人 続ける人1人」といった感じ。

 立冬なのに暖かく、潔さのない今日のようなお話になってしまいました。

303 教科担任制(23.11.7)

 大笑いした新聞投書がありました。

 5歳になる孫に、「バァバ、お母さんごっこをしよう」と誘われたそうです。「私がお母さんをやるから、バァバは犬でも猫でもいいよ」と言います。たまに、「ご飯でもくれ、ワン!」などと言っていればよいだろうと考えて、楽そうな犬をやることにしたのだそうです。すると孫は、いきなりおもちゃを遠くに投げて言ったのです。「取って来い!」と。ごっこ遊びも様変わり中?

 さて、毎朝家や学校で新聞に目を通しますが、必ずといってよいほど四コマ漫画を読みます。読売新聞は『コボちゃん』、朝日新聞は『ののちゃん』です。ののちゃんは小学3年生で、苗字は「山田」。’91年秋から『となりのやまだ君』で連載がスタートし、’97年4月から主人公を変更して改題・掲載されていて今日に至ります。最近気づいたのですが、ののちゃんの学年は一部教科担任制なのです。体育はタブチ先生、図工はヤスダ先生が教えています。担任が藤原先生なので3クラス編制なのでしょう。

 本校でも、5学年と6学年で一部教科担任制を行っています。学級数が違ったり、教科による週指導時数が違ったりするので、組み合わせと時間割編成は想像以上に大変です。ミシン縫いによるエプロンやナップザック制作では、午前中4コマ全部家庭科室で同じ教員が指導をしている姿がありますが、指導者にとって或いは児童にとってのメリットや効果を検証する必要がありそうです。

 昨日から24日まで平田小の読書週間ですし、全国的には9日までが読書週間。『私のペースでしおりは進む』が今回全国の標語らしいです。平田小のテーマは、学校だよりでお知らせしたとおりですが、学校図書館や公共図書館を積極的に利用して、とっておきの1冊に出会ったり、読書の幅を広げたりできるといいなぁ。

302 土曜日って(23.11.6)

 朝の電車で爆睡中の高校生や社会人を時々見かけます。遅くまで仕事だったのか、夜更かしをしたのか。極限まで睡眠時間を削らざるを得なかった頃、吊革につかまりながら寸暇を惜しんで寝ていたことを思い出します。ですから金曜の夜はうれしくてたまりませんでした。

 そんな土曜日と日曜日の朝のNHKニュース。キャスターの一人は井上次郎アナウンサーです。上手ですが、何より安心する顔立ちなのです。朝から見たくない顔や聞きたくない声があると同じように、癒される顔や声もあるようです。

 また、土曜日の新聞別刷りに、様々なタイプのクロスワードパズルが掲載されますが、必ず鉛筆を持ち出して取りかかります。朝から脳が活性化するのを感じます。でも、数独の場合はスルー。好きじゃないから…。最後に残った文字を並べ替えて出来上がりという懸賞問題もあります。ある人は、「ロ」「イ」「ウ」「ン」「ハ」「-」の6文字を見て、閃きます。嬉々として、「ウーロンハイ」と書いて応募したそうです。でも正解は「ハロウィーン」だったとか。

 土曜日には特別感があります。一日が終わっても、もう一日休みという「おまけ」があることの喜び。何をしようかと高揚感に溢れます。先週は金曜日が祝日でしたから、さらにお得感!逆に日曜日の夕方以降は、気持ちは沈滞。多くの人が折り合いをつけて月曜日からの仕事や学業に臨みます。私たち教員の場合、子供の顔を見て声を聞くと、自然と気持ちが盛り上がるからこれまた不思議!

301 あやかる(23.11.2)

 10月29日から今日までの約1週間は、我が家の「命日週間」なのです。なんということでしょう!2日おきに義母、父、義父と続きます。ですから初日に3人分のお墓参りを済ませました。そして今日11月2日は「いい字」の語呂合わせで「習字の日」だといいます。

 さて、年末に、ボクシングの井上尚弥選手(バンタム級4階級制覇・スーパーバンタム級2団体王座)が、世界スーパーバンタム級4団体統一戦に臨みます。圧倒的な強さから「モンスター」の異名をもちますが楽しみでなりません。

 過去の日本人ボクサーで特に印象が強いのが、やはり具志堅用高さん。試合のたびにテレビにかじりついて観たほどです。そのほか、輪島功一さんやガッツ石松さんの試合も魅力的でした。影響されやすい質の私は、家でシャドウボクシングもどきをやって汗をかいたこともあります。近くにボクシングジムがあれば通っていたのではないかと思うくらいです。これは、きっと漫画『あしたのジョー』や『がんばれ元気』の影響があったに違いありません。

 活躍するスポーツ選手などにあやかってつけられた子供の名前、つまり「あやかり名」は少なくないはずです。「由伸」とあれば、ジャイアンツファンで高橋由伸にあやかったなと思ってしまいます。日本シリーズ第1戦で投げたオリックスの山本由伸選手はきっと…?大リーグで活躍する大谷翔平選手や佐々木朗希選手に名前をもらった子もいるでしょうし、「裕次郎」なんて俳優名(古っ!)もありました。2023年の赤ちゃんの名前ランキングでは、ドラマ『silent』の影響で、「紬」「湊斗」「想」がランクアップしたとか…。

 先月26日にはプロ野球ドラフト会議がありました。1位指名をもらって歓喜の選手、最後まで名前が上がらずに悔し顔の選手だっています。ただ、ドラフト上位に名前を連ねることが目的ではなく、あくまでもスタートラインに立っただけ。ドラフト外の選手が大活躍することだって、野球界以外でもざらにあります。子供たちには、自分の名前を「あやかり名」にするぞというくらいの気概をもって、様々な方面で挑戦してほしいものです。

 そういえば、昨朝白門に立つ千葉さんをお見かけしました。健康のために朝日を浴びながら歩いてきたとのこと。子供たちとも笑顔で会話を交わしていました。もうすぐプレゼント用のメッセージ綴りが完成します。

300 ジャパン・モビリティ・ショー(23.11.1)

 早くも11月に突入です。校長室の行事黒板は、校内外のイベントなどでびっしりです。

 校内に自動車メーカー「スバル」のクルマが大好きな男児がいます。自分で車をデザインして見せてくれたりそのメーカーに特化した書籍を持ってきたり…。さらに、国語や図工、家庭科と学習の中にも想いが表れ、その徹底ぶりに感心してしまいます。

 そのスバル社が、空を移動できるエア・モビリティを目玉にした出展がされたと、新聞で報じられました。長く親しまれた「東京モーターショー」から、名称を「ジャパン・モビリティ・ショー」に改め、4年ぶりに開催する大規模な展示会の記事。先の土曜日から一般公開が始まりました。海外からの出展はわずかですが、これまで以上に未来を展望した姿・技術を感じる展示が見られます。

 何を隠そう、自動車好きの私は振替休業日に足を運んで、一人で見てきました。前回行ったのは、確か10年前。息子と一緒に行きましたが、人で溢れていてブースによっては近寄れない所もあったように思います。今回は平日ですからさほど混雑しないだろうと思いましたが、いやいや「月曜日なのに、皆さん休んでいていいの?」と思うくらいビッグサイトの中は混雑していました。かといって、展示された車に近寄れないほどではありません。

 この10年間で大きく変化したと思うことが2つあります。まずは、乗用車からトラック・バスに至るまでEVが多いこと。だから、ダイハツのブースに旧車ミゼットやシャレードを見かけたときには、懐かしいとともにホッとしたほど。そしてもう一つの変化は、見て回った身体の疲れ具合。高々1時間半見て回っただけなのに、家に帰って疲労度マックス!グッタリでした。

 さて冒頭の男児、同じ日に会場にいたそうです。午前9時から午後7時まで隈なく見て回ったといいますから驚きです。むしろ、引率したお母さんの疲労度は、私の比ではないはず。本当にお疲れさま。ただ、子供のためならできてしまうのだから、親ってすごいと思います!

299 蓮根和風ハンバーグ(23.10.31)

 10月も最終日。ハロウィンパーティーを計画しているクラスもあるようです。我が家もポストの前をそれらしくカラスウリで飾ってみました。

 朝、駅に向かっていると、若い女性がぬいぐるみを抱えて前から歩いてきます。近づいてくると、それがプルートであることに気づきます。結構大きい!単にぬいぐるみ好きかなとも思いましたが、どこかへ向かっている様子。さすがに近くの小中学校の教職員ではないでしょう。もしかして、ぬいぐるみに見せかけた別のものではないかと思案を巡らせます。大きめの物入れ?前で抱えるバッグ?どうもしっくりしません。聞くわけにもいかずそのまますれ違いましたが、二度目会うことはないでしょう。あ~、何だったのだろう。ただ、朝から脳が目覚め、活性化につながりました。

 先週水曜日だったでしょうか、午後になって妻からメッセージが届きました。「今日は、レンコンのハンバーグをおろし大根で食べようと思っていたのに、まさかの給食丸かぶりだわ」とあります。昼過ぎにHPの給食のページを見て、慌てて送信してきたようです。献立表を家に持ち帰っていませんから、たまに昼と夜が連続でカレーなんてことも起こります。でも、味が全然違いますからあまり気になりません。でも、さすがにレンコンハンバーグ、しかもソースまで同じとなると…。

 果たして帰宅後の夕飯は、レンコンも挽肉も使われたもの。挽肉とレンコンのはさみ焼き、そしてピーマンの肉詰めです。からし醤油もしくはおろしポン酢、好きなほうで食べられるようになっています。使う食材は同じでもアイディア次第で別のものに生まれ変わります。料理がからっきしダメな私からすると、魔法使いに見えます。尊敬のまなざし!きっと脳内が活発な刺激で満ちているのだろうと思うのです。

 今晩のおかずは何だろう?

298 米菓(23.10.28)

 先週電車に乗ったら、車両のどこに目をやっても『サク山チョコ次郎』の広告で溢れていました。中吊りや動画など、チョコとビスケットの間にミルククリームの入った菓子のコマーシャルだらけ。チョコ側の面には、チョコジローのいろいろな表情29種類が浮き彫りになっており、ビスケット面にはおしゃべりする言葉が96種類。それぞれにシークレットがあるようです。「組み合わせは、何通りでしょう?」と投げかければ、6年生の算数の問題にもなります。似たような菓子がこれまでもあったように思いますが、これほど大々的な宣伝は初めてかもしれません。でも、その日以降は一度も見かけません。あの日だけの広告だったのか、あるいはその車両だけだったのか不明です。ただ、甘いものが欲しくなる季節です。手元に置こうものならすぐに1袋食べ切って、罪悪感に苛(さいな)まれそうです。

 一方、米菓の代表といったら柿の種と答える人も少なくないはず。一粒ずつ食べる人もいるでしょうが、私の場合は手のひらに少量出してそのまま口へ入れるものだから、容器に出して一緒に食べる場面では「一粒ずつ食べなさい」と、毎回指導が入ります。あっ、チョコでコーティングされた柿ピー食べたい!

 さて、スーパーなどでいろいろな品種の新米が並ぶ季節になりました。食の多様化によって、一人が一日に食べる米の量は明らかに少なくなっています。でも、やはり日本人として生まれた以上、コメの味を楽しまないというのはとても残念なこと。大事な主食であることに変わりはありません。自宅近隣の田んぼは、ほぼ刈り取りが終わった跡が広がります。

 そういう私の場合、米の味の違いが正直ほとんどわかりません。「やっぱりこのおコメは美味しい」と言われると、硬さ以外はどれも同じように感じてしまうこの舌が恨めしい。恥ずかしい話、朝食がパンかご飯かで昼までの腹持ちが違うことにしか関心が向きません。

 来週7日に5年生が、田植えからかかわった稲の刈り取りと脱穀を体験します。集まった白米は、調理してみんなで食べるといいますから、たくさん収穫できるといいなぁ。

 今日の授業参観とひらたっ子まつり、よろしくお願いします。

297 食いしん坊万歳(23.10.27)

 朝晩の冷え込みと寒暖差による体調不良が気になるところです。少し寒くなると、たちどころにパジャマや夜具に反映されます。長袖を着て、靴下のほかフリースの上着まで登場した先日は笑われました。布団だって「重み」が大事。羽毛布団の暖かさはよいのですが、軽いのはいけません!ずっしり包まれている感が好きな私は、やっぱり古い人間なのでしょう。

 さて、教員になりたての頃は自宅から車で通勤していました。朝に弱い私は、車の中で母が作ってくれたおにぎりを頬張っていたのです。3つあれば、それぞれに具材が違いました。「最後に食べたのが○○だったら、今日はよい一日になる」などと縁起を担いでいた20代。

 子供たちが好きなおにぎりの具は何でしょう?同じ質問に、多くの人がシャケを一番に挙げています。2位以下梅干し、昆布、おかか、たらこと続きます。手軽に作れて手軽に食べられるのが人気のおにぎりですから、おにぎりバーといった専門店もあるくらいです。

 先日、我が家では珍しくツナマヨのおにぎりが出てきました。海苔無しでしたが、温かいご飯に入ったツナマヨもなかなかよいものです。ふと、「ツナマヨを具にしたとき、おにぎりで食べたいか、手巻きずしで食べたいか」という問いが浮かびました。酢飯で食べるのもいいしなぁ。選ばせようとすること自体愚問なのかもしれません。

 愚問ついでに、もう一つ。私が見るインスタに、最近やたらと「千葉の知られざる名店・名所」の類が現れます。先日何気なく見ていたら、厚切りロースかつ定食を提供する本八幡の店が紹介されているではありませんか。その店の前を歩くこともよくあり、昼前から列ができているのを見たこともあります。食べに行きたいと思って妻に話すと、「その値段なら、私はう・な・ぎ!」ときっぱり言われました。価値観の問題ですが、仮に同じ3千円を出すなら、とんかつ?それとも鰻?私にとっては究極の選択。

 食べ物がおいしく感じる季節は、危ない危ない…。

296 新聞(23.10.26)

 「字違い句」と聞き慣れない言葉が、読売新聞の編集手帳にありました。「なごり雪と名古屋行き」は一字違い。「三連休とせんねん灸」は二字違い、といった言葉遊びです。違いがないものならば、「5期ぶりとゴキブリ」がすぐに思い浮かびます。

 こんな遊びもあります。てんし(天使)→てんき(天気)→たんき(短期)→あんき(暗記)→あんじ(暗示)→あくじ(悪事)→あくま(悪魔)→あたま(頭)→ふたま(二間)・・・というように、1文字ずつ変えて別の言葉を作るといったもの。隙間時間に一人で頭の体操をしたり、渋滞した車の中で家族が順番に言い合ってイライラを解消したりできそうです。

 今月11日の定例研では、4年1組が「新聞を学習にどのように用いるか」という提案授業を公開しました。そのあと教室に足を運ぶと、壁新聞づくりをしています。紙面には、社会科学習の発展で、「千葉県の魅力」を読者に伝える内容がぎっしり書かれるとともに、新聞の切り抜きが貼られています。グループ内で分担はあるものの、紙面を構成していく上で協議・検討がされたことが窺えます。掲示された際には多くの人に読んでほしいと思います。

 さて、先週19日の新聞に楽譜の一部が掲載された一面広告がありました。『新聞で紡ぐ希望のうた』というものです。全国の73の新聞にそれぞれ異なる楽譜が掲載されています。つなぎ合わせると一つの曲になり、「いきものがかり」が歌うといいます。明るいニュースばかりを取り上げるわけにはいかないが、それでもどこかに希望を見つけて、明日もまた前を向いて生きてほしいという想いが込められた歌です。23日夜、楽曲が公開されました。『新聞で紡ぐ…』で検索すると6分の動画と『誰か』という素敵な歌が聴けます。高学年で歌わないかなぁ?

 校長室に届く新聞も、読後の有効活用がされています。例えば、習字の作品を1枚ずつ挟むホルダーとして…。

295 成長曲線(23.10.25)

 足繁く通う道の駅で先日、車から自転車を下ろしている人を見かけましたが、これ自体はよくあること。でも横顔が知り合いの校長先生に似ているのです。食い入るように見つめていると、やっぱりそうです。確信して駆け寄り、声をかけました。たまたま寄ったのだそうですから、まさに偶然!こんなふうに思わぬところで意外な人に会うことはあるものです。ずっと以前、九十九里に子供を連れて海水浴に行ったときも市内の先生とバッタリ。ある人は、ハワイの海で声をかけられたとか…。どこで誰に会うかわかったものではありません。知り合いの知り合いなんて関係もありますから言動は慎重に!悪いことはできません。

 さて、今日は孫の話。4月から幼稚園に通い始めて、おしゃべりする内容も行動も会うたびにレベルアップ。成長曲線は右肩上がりです。毎朝幼稚園に行くときに会う近所の方が、いつも母子に元気な挨拶をしてくれるのだそうです。孫が母親に「誰かなぁ、お友達?」と尋ねたので、「ご近所さんだよ」って教えたといいます。翌朝、会ったとたんに「ママ見て!見て!ママの金魚さんだよ~」と大きな声で言ったのを聞き、母親は赤面したといいます。なんともかわいい孫です。

 その孫の運動会があるというので見に行きました。小学校のグランドを借りています。園児でしかも年少ですから、勝ち負けなんか考えていません。ゴールで待つ担任の先生に向かってみんなまっしぐら。玉入れは父親と一緒に参加しましたが、1個も入らずに半べそ状態。何に対しても一生懸命な姿は健気です。

 我が子の時もそうですが、小学校の運動会に祖父母が見に来ることは、コロナ前は当たり前でした。孫を見るまなざしは優しさに満ちています。そして、その成長のスピードをうれしく思うのです。たとえ成長とともに健気さは変化していったとしても…。週末の授業参観やおまつりで、成長真っ只中の子供たちを見てください。

294 土台づくり(23.10.24)

 歯医者は嫌いだ!とにかく怖い!痛みのあるなしに関係なく、診察台に座って背もたれが倒れるや否やまな板の上のコイ。両手をお腹の辺りで組んで来るべき様々な刺激に備えます。また、口の中に異物が入ると唾液がボワーっと湧き出てくる感じ。特に、脱脂綿のようなものを奥歯に挟んで強く噛んだ時の味がダメ。歯のかぶせ物や詰め物が取れた日からは悪夢のような治療期間が始まるのです。一方、娘も息子も歯医者とは縁のない生活を30年以上送っています。うらやましいのですが、歯が生え始めた乳幼児期からの親の口腔管理が実を結んだ結果であると、勝手に胸を張っています。

 さて先週、ある学年の習字の授業をやらせてもらいました。サポートではなく自分で指導するのは実に十年ぶり!楽しかったなぁ。タブレットや電子黒板をうまく操作できないので、完全アナログですが、投げかけた言葉が取り組む姿勢になっていることを感じ、うれしく思いました。

 私自身、書道教室に通ったのは小学校の6年間。少人数でしたから、基礎からしっかり教えてもらいました。父も達筆でしたから、字形のとり方をアドバイスしてもらったこともあります。テレビで『ばらかもん』を観ていましたが、書家と呼ばれる人だって基本が身について初めて次のステージへと上がっていったのだと思います。また、高校書道部の巨大な作品を見る機会がありますが、学んだことの上に立って、自分たちの思いをどんな言葉でどのように表現したら相手に伝わるか、そうした願いがぎっしり詰まっているように感じます。だから、感動するのかもしれません。

 高層の建造物だって何だって基礎が大事。子供たちの未来も、現在の土台づくりの上に成り立つと思うとたった45分の授業も手が抜けません。明日は清書。上手と思われる文字より、その人らしさが滲み出る「よい字」「よい作品」を目指します。

293 お~い、老い(23.10.23)

 トイレで手を洗うために蛇口を一ひねり。しばらくすると、どこからか甲高い声のような音が響きます。誰かが廊下で叫び声をあげている様子。何事だろう?と思って、廊下に出るために蛇口を戻すと、音がピタッと止みました。一瞬でも「あの子かな?」と思ってしまったこと、ごめんなさい!

 蛇口は経年劣化ですが、人間が歳をとるのは経験の積み上げで素敵なことはたくさんあります。でも、今までできていたことができなくなったり一人では無理だったりすることが増えていき、老いを感じてさみしくなることもあります。父母を見てきて、高齢になればなるほど顕著になっていくことを感じました。

 千葉県の事業の一環で、5年生が介護について学ぶ機会がありました。導入で「お年寄りへの尊敬」「老いるということ」「介護の仕事とは?」の3点について簡単に説明があり、そのあとデイケアセンター長が「介護の未来案内人」として現場での仕事を紹介してくれました。介護職は、相手を笑顔にできる仕事のプロであり、ヒーローあるいは助っ人であると胸を張って教えてくれましたが、全力で人を笑顔にするという点では、教員も負けてはいないと自負しているのは私だけではないと思います。また、「ありがとう」「みんなが待っています」という言葉に勇気づけられるとも言います。要介護者が生活をする施設においては、さらに厳しさを伴うことが予想されます。ただ、一生懸命頑張る人だからこそ、何気ない一言に力が湧いたり気持ちが沈んだりするのだと思います。だから、どんな仕事であっても言葉のキャッチボールは大事にしたいと改めて思います。

 家族間でも相手への尊敬の念と言葉のキャッチボール、忘れずにいたいと思います。

292 火の見櫓(23.10.20)

 庭仕事をしながら補聴器から鳴る音楽を聴いていると、「よくそんなのでずっと聴いていられるね」と言われます。「BGMじゃん!」と言うと、「GGMでしょ?」と切り返されました。どうもじじぃミュージックらしい。

 そのGGは、最近ランニングよりも専らウォーキングです。家から少し離れた「火の見下」という交差点を通過したとき、ここに火の見櫓があったことを思い出しました。当然のことながらもう使われてはいませんでしたが。上方に半鐘があったのを記憶しています。でも見渡せどそれらしきものが見当たりません。いつ撤去されてしまったのでしょう。市川市では、行徳の旧道周辺に残っているような気がするのですが…。

 この火の見櫓の役割は、火事が近くであることを知らせるもので、天辺にある鐘を続けざまに打ち鳴らして人々の安全を守りました。江戸時代から人々の暮らしを見守ってきた火の見櫓は、町や村のシンボルとして集落ごとに立っていたといわれます。これを中心に、住民は自分たちの手で町や村を守ろうとする郷土愛があったのです。そう考えると、先の火の見櫓もお役御免になったとはいえ、地域の文化遺産が消えてしまったことに一抹の寂しさを感じます。存在するときは何とも思わないのに、無くなってから惜しみ懐かしむことってよくあることです。

 年末が近づいて寒くなると、拍子木を打ちながら「火の用心」の声が冴えて聞こえてくる地域もあります。自治会等の自警団の活動に安心して眠りにつく家庭は少なくないのかもしれません。

291 秋を満喫しよう(23.10.19)

 通勤届は市川工業高校の正門前をぐるっと廻る経路で申請していますが、JR高架下を使わせてもらって通勤する毎日。この高架下にミズヒキやヨウシュヤマゴボウが見られます。ミズヒキを鉢栽培したことがありますが、穂先に付いた赤い種が飛んで、翌年あちこちで発芽するほど生育力旺盛な植物。一方ヨウシュヤマゴボウは、低学年の生活科で色水づくりをして遊ぶために用いられることがあります。そろそろ摘んで活動しようかと思っていた矢先に、誰かに刈られてしまったなんて話を聞くこともあります。

 平田小ではキンモクセイが鮮やかなオレンジと芳香な香りを振りまいています。白門脇でそびえる木は、子供たちを迎え、なかよし広場で遊ぶ姿を見守っているように見えます。校庭沿いにも植えられているので、もうしばらくすると辺りはオレンジ色の絨毯になります。また、2・4年生の昇降口から出て目線を上げると、ザクロが実っているのが見えます。食べてみたい子はいるかなぁ。

 我が家では、季節外れのライラックが咲いています。銀葉アカシアの花芽も見事です。鉢植えの他3種のうちの一つは、これまで一度も花を咲かせたことのないブルーブッシュという種類。今春に仙台へ行った際に、「特殊肥料」に分類されるたい肥を買ってきました。というのも、花が咲かないことを相談した園芸店の方が太鼓判を押したように勧めてくれたからです。通常のたい肥の何倍もする値段でしたが効果は抜群!来年の2月から3月にかけての開花が今から楽しみでなりません。

 穏やかな天候が続く今日、4年生は大町自然観察園に行きます。学芸員の方の話にしっかり耳を傾け、平田小学区では味わえない自然のよさや新たな発見をしてほしいと願います。見ようとする気持ちがなければ見えないものはたくさんありますから…。青空の下で食べるお弁当もきっと格別なはず!

290 優しさの連鎖(23.10.18)

 先の日曜日は、雨もあって寒い一日でした。フリースを着込んだり車内では今シーズン初めての暖房を入れたり…。翌日にはまた25度くらいに戻りましたから体がついていきません。

 陸上大会が行われた日も秋晴れの清々しい天気。前の晩に頭を剃っていたので、帽子を忘れたことを後悔しました。陸上競技場の走り高跳びは、スタンドから離れた場所で展開されます。ですから、現在のバーの高さは何センチなのかを知らせるためのボードがあります。これが登場したのはそれほど昔のことではありません。実はこれ(写真)を見ると、ガソリンスタンドのガソリンや軽油の価格ボードに見えてしまうのは私だけ?国府台スポーツセンターへ引率・応援に行ってこんな写真を撮っているのも私だけなのでしょう。

 ある日船橋駅から電車に乗って、空いていた座席に腰を下ろしました。発車前に後期高齢者と思しき男性が乗り込んできました。座れる場所を探している様子。優先席は?若者が占領して動く気配なし。近くにいる人も気づいているのかいないのか誰も譲りません。少し離れて座っていた私が声をかけ、座ってもらいました。昔話だと、家に帰ったおじいさんは、おばあさんから「よいことをしましたなぁ、じぃさんや!」と声をかけられる感じ?そんな私も62!

 「優しさの連鎖」という投稿動画を見ることがあります。思いやりある行動を目にしたほかの人が、別の場面で別の人に思いやりのある別の行動をとります。それを見た別の人は違うところで…といった連鎖ですが、子供たち同士でも優しさの連鎖がたくさん見られたらいいなぁ。でも、願うだけではだめ!意図的に仕組んでいくこと。そこは大人の、担任の腕の見せ所ではないかと思うのです。

289 気持ちでは負けないように(10/17)

 校長同士が顔を合わせる機会は結構あるものです。9月以降は、インフルやコロナの校内での感染状況があいさつ代わりになっている気がします。平田小も若干名の罹患者はいますが、拡大を心配するような状況ではありませんが、「○年生が○日まで学級閉鎖なんですよ~」といった声に意識を高く持つことの必要性を感じます。また、年齢高めの教職員が話し始めると、病気自慢に発展しないとも限りません。ただ、明日は我が身といった感じで互いを案じているのです。

 晩酌はもっぱらビール党の私。それでも平日は350ml缶1本でおしまい!時々ご褒美で酎ハイを二人でもう1本というときはうれしいもの。このご褒美が、ご当地ビールだったり味や香りが芳醇なクラフトビールだったりする場合もあります。350ml缶で300円近くしますからなかなか手を出せません。にもかかわらず、最近飲み始めた薬1錠がこれとほぼ同じ値段なのです。朝晩飲む薬の量も増えたので「晩酌をやめる?」と尋ねたら、「あなただけね」とつれない返事。

 さて、日本中がその快挙を称えるかのような藤井聡太棋士の「八冠」達成。将棋を知らない人でも藤井ブームに巻き込まれていると感じます。でもまだ21歳。14歳でプロデビューして7年での快挙です。タイトルをとることを目標とすることなく、常に研究を続け、目の前の対戦を大事にしていることが偉業につながっていると思います。

 また、先日目にした紙面にはスケートボーダーが数多く紹介されていました。男女とも世界ランク上位者に日本人が名を連ね、10代から20代前半の若者ばかりです。サッカーやスノボ、ボルダリング、ゴルフなど各方面で怪物といわれるような活躍が見られます。

 何かの拍子に腰痛や膝痛に悩まされる60代ですが、気持ちだけは小学生に負けないようでありたいと思うのです。

288 食べたい!(23.10.16)

 先週金曜日に、金木犀の香りを鼻が感知。昨年よりだいぶ遅れたようですが、その後あちらこちらが芳しい匂いに包まれています。

 小学校高学年のときの誕生会だったか、友達の池本君の家の広い庭で食べた焼肉は、これまで食べたことのない味。何より焼肉のタレが美味しかったのをいまだに覚えています。この肉が羊肉であったのだろうとわかったのは大人になってからのこと。そして、虜になったジンギスカンのタレ。十何年ぶりに見つけた時は「君だったのかぁ」と懐かしさが込み上げてきたくらいです。この生の羊肉に最近はお目にかかれません。例年なら今頃の季節になるとスーパーで売っているはずなのに…。

 大人になってというかおじさんになってから知ったのがモツ鍋の美味しさ。こってりした脂たっぷりのモツをたくさんは食べられませんが、野菜と一緒に鷹の爪をたっぷり入れて食すのが好きです。リクエストに応えてもらえるのは年2~3回程度。今回の入院を経て、これがきっと限りなくゼロになるのだろうと思うと切ない!

 さらに、教員になって先輩と一緒に出かけたのが、市川駅前にあった餃子で有名な「ひさご亭」です。家で食べる餃子の3倍はあろうかという大きさもさることながら、皮の厚さと餡の何とも言えない甘さの虜になりました。店で食べられないときはお土産で持ち帰って家族で食べました。市川大野店だけになってからも数度足を運びましたが、ここ十年以上足が遠ざかってしまっています。それでも、「ひさごの餃子、食べた~い」と時々声に出しています。言うは易し、叶うのは難し?いつ行けることやら。

 ところで、何かの理由で「明日がやってこない」と知ったとき、最後に食べたいものは何でしょう?「あったかいおにぎり」と隣でつぶやく声がしますが、皆さんは?池本君はどうですか?

287 どっこいしょ(23.10.13)

 「13日の金曜日」と言って忌み嫌うことが、最近はなくなったようです。子供に聞いても「何それ?」という反応。ホラー映画の主人公ジェイソン登場からすでに40年以上が経過しているのですから…。そんな今日は、4年ぶりの市内陸上競技大会。種目等が限定されましたから、参加者はMax20名。補欠や応援部員は連れていけません。天気も上々ですし、それぞれの精一杯が見られると思います。

 さて、学校の玄関で靴を脱いだり履いたりするとき、腰が痛いときには床に置いた靴を拾ったり靴箱から取り出した靴を床に置いたりするのに一苦労。履くときにはふらついてしまいます。靴下を履くときも同じで、何かに寄りかかっている自分にふと気がつきます。

 学校には年配の方も来校されますが、玄関に手すりがないことがとても不便に感じます。座って履けるわけでもありませんから、渡り板の上に靴を置いて、シューズロッカーに触りながら履くことを勧めることもあります。

 幼稚園や保育園では運動会シーズン。自宅そばの小学校でも9月末に運動会でした。妻に「平田小でも何とかソーランっていうやつ、やったの?」と聞かれました。「自分たちの頃もソーラン節とかやったのと同じだよ」と言いながら、今の踊り方を口頭で説明。「伸脚運動の体勢で綱を引っ張るポーズを左右繰り返して…」と言いながらやってみることを促しますがよく伝わらない様子。そこで自分でやって見せました。ん?すでに伸脚ポーズが辛い!さらに、右から左に移るとき前に手を着かないと動けない!思わず「どっこいしょ」と呟く!あれっ?子供たちも「どっこいしょ~どっこいしょ」とかけ声をかけていたなぁ。でもかけ声の意味が違うけど…。つまり、今更ながらに5年生が演じたソーランの運動量とあのリズムで動き続ける体力に驚いたのです。

286 運動してる?(23.10.12)

 私の出身高校は、少し特異な体育の授業をしていたのだと知ったのは、卒業したあといろいろな人と話をする中で気づかされたのです。

 まずラグビー部があったためか、授業もラグビーが取り入れられました。ヘッドギアをつけてスクラムを組みました。ふざけることは大けがのもと。脊髄損傷だってあり得ますから、みんな真剣です。楕円のボールをうまく回転させながらパスをする技術も自然と身につきます。だから、ラグビーの代表戦は楽しく観ることができます。時々聞きなれない反則があっても、画面上に解説があらわれるので納得です。でも、隣で画面を眺める者にとってはサッカー以上にルールがわからないので、「つまんない!」を連発する始末。

 次に、レスリング場があったので、レスリングも必修でした。柔剣道は部活のみという感じです。衣服をつかむこともせず、体同士がぶつかりあい、技を掛け合うシンプルな競技です。相手を組み伏せて、両肩をマットに押し付ければ勝ち!相手のバックをとれればポイント!といったルールです。

 最後は、陸上競技。それだけでは普通ですが、指導者が故 小出義男先生となれば別。のちにQちゃんこと、高橋尚子選手の恩師となった小出監督です。当時は有名ではありませんでしたが、秋から行われる授業では、毎回校外に出て10km走をしました。途中ショートカットして林の中で休憩したりアケビを食べたり…。

 コロナでできなかった市内陸上大会が再開した今年度、1000m走や1500m走が種目から姿を消しました。学校のマラソン大会もなくなって久しい感じです。普段の生活や学校生活で長い距離を自分のペースで走るという機会は失われつつあります。運動するにはちょうどよい季節。景色を見ながら走ったりウォーキングしたりすることが習慣になるといいなぁ。江戸川の土手もよいコースかもしれません。

285 初めての入院(23.1011)

 先の三連休にかかる日程で病院でのお泊まり会。その前に検査結果を聞きに行ったとき。16時から16時半で予約したので、いつもながら少し早めに到着しました。受付番号99って悪くない!診察室前の電子画面には、「○番の方、お入りください。△・□・○は、この次にお呼びします」と示されています。待つこと1時間以上、17時を過ぎても画面にそれらしい番号が表れません。隣のおじいさんも随分待っていたらしく、自分の番号が出た時にはホッとした表情でした。時刻は17時10分。次に呼ばれる番号が「95,96,97」になりました。いよいよ来るぞという期待を嘲笑うかのように、97の次に表示されたのがなんと81、さらに85。あらっ?79に下がっちゃったよ!どれだけ待ったことか、いよいよ98が出た時には、小さくガッツポーズ!その次に99番が表れたときにはひときわ輝いて見えたのです。結局、診察に入ったのは17時45分でした。その後、医師からの説明でまさかのお泊まり会の参加が決まったのでした。

 さて、お泊り会当日。初めての経験ですから、不安いっぱいでドキドキです。4人部屋の空きがないらしく個室です。いびきやおなら、トイレなどに悩むことがないのでよしということで。これまで父母の入院に付き添って、点滴を持って移動する姿を目にしましたが、まさか自分がという思いでいっぱい。術後は、挿管部の痛みと枕の硬さ、看護師さんの回診でほとんど眠れないまま朝を迎えましたが、幸いなことに一泊で病院をあとにすることができました。めでたしめでたし。

 年に1回の人間ドックを妄信しないことが大事だとつくづく思ったのでした。

284 おまん、誰じゃ?(23.10.10)

 HPのトップに家庭学習コーナーを紹介しています。その後、どれだけの子供や保護者がリサイクル倉庫前に立ち止まって読んでくれたでしょうか。ある子はハンバーグを丸めて、焼いて、完成したものを食べた記録を写真入りで紹介しています。またある子は、地球や星座、宇宙について気になったことを書いています。そしてある子は、新聞の投書を要約してみたり言葉の意味を調べたりして感想を述べています。中には、『中秋の名月と耳うさぎ』と題したお話を書いています。とても興味深く読ませてもらいました。知識を獲得できる作品でもあり、一読の価値があります。

 こんな中に、『読めそうで読めない漢字』の食べ物編を見つけました。「心太」「玉蜀黍」「御手洗団子」「馬鈴薯」と続く中に、「鹿尾菜」という文字が…。これにはお手上げ!さらに、字形が違うので別の子なのでしょうが、『難しい漢字』動物編もあります。「膃肭臍」はまだしも、「樹懶」「飯匙倩」など読めません。そうなんだぁと解答を見て思いますが、次にまた登場してもやっぱり読めそうもありません。

 大事なのは、楽しんで取り組むこと!やらされる学習からやりたい学びへ昇華させることで長続きするのだと思います。人の目を意識して、「もっと驚かせたい」「喜んでほしい!」といった動機だってアリです!

 今日から後期が始まりますが、先週の終業式は全校が体育館に集まった中でスクリーンに画像を映して、秋山教頭先生に話をしてもらいました。そのうちの一つに、クリアファイルの下方に切れ目がある理由。普段よく見ている割には気づいていないし考えてもいませんが、頻繁に開いたり閉じたりするので破れにくくするためといいます。こうしたことを含め、家庭学習のヒントなんて身の回りにたくさんあります。まずはよく見たり聞いたり手に取ったりすることが始まりなのではないでしょうか。

 NHKの朝のドラマ『らんまん』を土曜日のダイジェストだけ見ていましたが、主人公の「おまん、誰じゃ?」という問いかけが学びに向かう力になるのだと思うのです。

283 図書室の先生(23.10.6)

 今年度の折り返し地点、前期の終了の日にもかかわらず、私的事情で休まざるを得ないのは残念です。

 さて、学級担任をしていたころ、学校司書の方には様々なお願いをしてきました。学校図書館は、図書の時間での利用より教科指導で活躍する場所でした。社会科授業で使う資料を提供してもらったり、国語の物語文の著者が書いたほかの本を市内の公共図書館や学校から一気に集めてもらったり…。調べ学習の基地になっていたのも学校図書館でした。PCが導入され始めた前後でしたが、インターネットで膨大な量から資料を検索するより、まずは図書の利用です。背表紙だけで使えるかどうか判断するのではなく、目次を追いながら選択していきます。よく文章やグラフを丸写しする子供を見かけますが、大事なのはある事実を自分がどう解釈したか。それをノートに記す子供がどんどん増えていきました。

 こんなことに担任とともに二人三脚で付き合ってくれる学校司書に私は恵まれました。でも、先日の新聞を読むと、小中高に学校司書が配置されているのは6割にとどまるといいます。学校図書館に欠かせない存在ですが、それが現実。関西のある地域では、一人の学校司書が小中5校を兼務しているといいます。掃除や本の整理に追われて、授業に参加する機会がないと嘆いています。また有償ボランティアに依存する地域もあります。幸いなことに市川市では全校に配置されて、子供たちや担任を支えてくれています。今ある形が、必ずしも当たり前ではないことを知っておく必要があると思います。

 私が知る限り、司書の誰もが得意なことやこだわりを持ち、いろいろな工夫を凝らして学校図書館の経営をしています。予算が限られるため蔵書は満足できるほどの充実ぶりではありませんが、それでも子供たちや教員のニーズを大切にして頑張ってくれているのです。

 学校評価を見ると、『お子さんは進んで読書活動に親しんでいる』という項目が毎回6割前後で変化しません。「親の前で本を読んでいるかどうか」ではなく、普段は見えない部分にも目をやってほしいと思います。来月には秋の読書月間がやってきます。学校それぞれで独自の活動が繰り広げられます。そろそろ学校司書や司書教諭の頭の中で、今年度の計画が出来上がってくるのではないでしょうか。

282 できることをやってみる(23.10.5)

 先週末、ラグビーW杯のサモア戦を朝食中に見ていました。タックルしたりされたりする場面で思わず、体を傾け右肩を前に出して力をこめる自分に気づきます。ノーサイドの瞬間、肩の力がやっと抜けるのです。8日は決勝トーナメントをかけてアルゼンチンとの試合。肩が右に傾いた格好で応援です。

 さて、暑い日、寒い日、雨の日も関係なく、予定がない限りは毎朝白門に立ち、見守り隊のジャケットや帽子を被って元気な声を響かせていた、地域の千葉正彦さんを知る方は少なくないはずです。名前は知らなくても、子供たちを見守る姿があるだけで安心できました。

 しかし、9月初旬から姿を見かけなくなり心配をしていました。先日、久しぶりに校長室までやってきてくださりお話できました。「引退させてください」とおっしゃいます。前任の大塚校長の頃から3年半にもわたり力を尽くしてくださったので寂しくなりますが、今度は朝の散歩中の顔を時々見られることを楽しみにしています。

 我が家の近所でも、児童生徒の通学時間帯にいつも同じ場所で見守りをしている女性がいます。子供はすでに小中学校に在籍していないと思います。気持ちさえあればできることはたくさんありそうです。私も引退したなら、そんな部分で地域と関わりたいと思っています。

 話は戻りますが、気持ちのある子供たちに千葉さんへのメッセージを書いてもらえるように、すでに準備は整っています。よろしければ保護者の皆様もご一緒に…。

281 アイドル気分(23.10.4)

 体に気になる所があったので、一昨日一日お休みをもらって病院のはしごをしました。月曜日だったせいもあってか、午前中は9時から11時半までかかり、午後は紹介状を持って別の病院で13時半から18時過ぎまで。待ち時間のほうが長いですから尻が痛くなりました。

 病院に一日いると、私より年上の人がいかに多いか痛感します。特に個人病院では、待合の椅子に座っているほぼ全員が高齢者。中には、電子体温計を振っている人がいるではありませんか。「水銀式の体温計ではないですよ」と突っ込みたくなりましたが、そこに登場するのが世話好きな女性。隣に寄って丁寧に教え、エラー表示には一緒に悩んでいました。ところで、水銀式の体温計がわかる世代ってどのあたりなのでしょうか。棒温度計の類だって、理科の時間にしか登場しませんし…。

 9月のある日、外国語活動の終わりの場面に3年生の教室にお邪魔しました。入るや否や、英語でどんな果物が好きか尋ねられた気がしたので、Lemonと答えました。答えたあとにサインをねだられます。授業の内容もわからず、なぜサインなのか、ことの成り行きが不明で戸惑っていると、紙片やファイルを持った子に取り囲まれました。最初は似顔絵、そのうちサイン会になっています。結構書いたはずなのにまだ十数人が列を作っています。最後まで、なぜこういうことになったのかわからないまま、アイドル気分で校長室へ戻ってきたのです。そんな3年生の教室の黒板には、私が描いた似顔絵が消されずに残っています。ほんのいたずらの気持ちで放課後に描き残したものが人気なのですから不思議です。似顔絵も以前と少し変わっていきます。上向きの鼻とほうれい線を加えることでちゃんと歳をとります。

280 秋の自然に出合う(23.10.3)

 福岡の河川公園で真っ青な空の下、真っ赤な彼岸花の映像を見ました。別名「曼殊沙華」とも呼ばれます。鮮やかな赤だけではなく、白や黄色の花も時々見ることがあります。球根部分に強い毒をもち、雑草対策で田んぼの畦道などに植えられていることが多いような気がします。気温が20度くらいに下がると突然現れます。葉が花の後に育つので、咲く姿は目立つと同時に不思議な雰囲気を醸し出します。

 一方、マザー牧場ではコキアが色づいてきれいだといいます。また、栃木県真岡市では純白の綿花の摘み取りが本格化したとあります。校長室には、昨年平田小で栽培されていた綿が、はじけた枝のまま白さを保っています。

 この時期は、一般的に「雑草」と呼ばれる植物が繁茂しています。校地内も例外ではありません。放っておけば種が飛び散り、いずれ収拾がつかなくなる事態を招きます。だから、用務員さんが操作する草刈り機にエンジン音が連日校庭に響き渡ります。

 さて、ホームセンターの植物販売所が、そろそろ気持ちが浮き立つ場所になっていきます。色鮮やかな秋の草花がたくさん出回ります。庭に地植えするのはもうお腹一杯ですから、寄せ植えしかありません。

 19日には、4年生が大町の自然観察園へ出かけます。きっと数珠玉やノブドウ、カラスウリ、ミゾソバ、ドングリ類などが見られるはずです。暑い夏を乗り切ったカワセミにだって出会えます。でも、関心がなければ通り過ぎるだけで終わってしまい、もったいない。自然博物館の学芸員さんの説明にも聞く耳を持つこと。これらは普段の生活でもいえること。「見ようとする目や聞こうとする耳、知ろうとする意識」が大事。4年生と一緒に出かけて、そんな姿や場面にたくさん出会えることを楽しみにしています。

279 水を飲むとバテる?(23.10.2)

 EV(電気自動車)が主流になろうという時代、純ガソリン車をずっと乗り続けたいというのは無理なのでしょうか。自動車メーカーでは、経営方針の変更を打ち出したり達成目標を掲げたりしています。古いものを大事にしながら長く乗り続けることは悪いことなのでしょうか。税制だって弱い者いじめのような感じがしてなりません。

 気候がよくなってきましたので、まさにスポーツの秋となっていきます。車がガソリンを飲んで走ると同じように、人間が走ったり運動したりする際の水分補給は欠かせません。マラソンや駅伝の給水のほか、競技を中断して給水タイムを確保することなど当たり前になっています。数十年前では考えられないことです。

 私たちの世代では、「部活動中に水を飲むな!」「水を飲むとバテる!」と教えられてきましたが、どうしてだったのでしょう。多くは根性論が根底を占めていたと思われます。練習は、厳しくしんどいのが当たり前で、それを克服することで上達すると信じられてきたのかもしれません。また、スポーツは根性で立ち向かうという風潮でしたから、具合が悪くなって倒れたとしても「根性が足りない!」と一蹴されていたのかもしれません。また、水を飲めばお腹にたまって体が重くなるとか、体温を下げるのでその分エネルギーを必要とするからとか様々かも…。

 非科学的な理論といえば、「突き指をしたら、引っ張れば治る」というものがありました。みんなやっていましたが、絶対だめですよね。妙なことが信じられていましたが、そうしたことが正された時期やきっかけはわかりません。

278 栗(23.9.29)

 平田小周辺では目にすることはないのですが、我が家の近くには栗林があちこちに点在します。今の季節はきみどり色のイガ(「毬」と書くそうです)や口を開けた茶色のイガが枝にたわわについています。目を地面に移すと、ここにも中に栗の実を抱えたイガイガ…がいっぱいです。栗拾いというものをしたことがありませんが、追いかけ玉入れのかごを背負って、汚物ばさみのようなものを持って拾い集める光景が目に浮かびます。

 この栗って、食べられるようにするまでが大変です。調理をほとんどしない私の場合、「剥くのが大変」と言うことすらはばかられます。だから、スーパーなどで篭に乗った栗の山を見ても、買い物かごに入れることはしません。それでも、半分に切られた栗をスプーンですくって食べたり栗ごはんとして食べたりした思い出が懐かしく蘇ります。イガに入った茶色の実が「栗!」で、きれいに剥かれた黄色の粒は「マロン~」と感じるのは私だけ?10月には給食で芋栗ごはんとして提供される日があるようなので楽しみにしています。

 この時期になると、洋菓子店に「和栗モンブラン」が並びます。7~8百円もすると手を出せません。数年前までシャ○○○ゼで売っていた和栗モンブランが大好きでした。「今年もそろそろ店頭に並ぶかな?」とワクワクしていた数年前、これまでと製法が変わったのかまるっきり別物になってしまっていて残念な思いをしたことを思い出します。同じ思いを抱く人はきっといるはずです。そういえば、「マロングラッセ」というものに憧れを抱いていたのはいつのことでしょう?

 ところで、栗の花がどうやってあのイガをもった栗になるのか、その変身する様を見てみたい。そんな好奇心が湧きおこってきます。だって不思議じゃないですかぁ。

277 気持ちよく(23.9.28)

 5年生が英語の学習で取材をして回っています。私のもとに来たある子から「Can you play ukulele?」と質問されました。だから元気よく「Yes,I can」と笑顔で回答したのです。質問に「well」でもついていようものなら…。その5年生の歌声が音楽室から下の階まできれいに響いてくるので、思わず覗きに行きました。高音が美しく、何より表情がよい!

 さて、楽器販売の勢いが好調だと知りました。ある楽器チェーン店の昨年度下半期の売れ筋楽器がエレキギター。前年比173%で第1位。アンプやエフェクターといった中にベース、タンバリン、トランペットなどが順に並びます。

 こうした楽器需要に火をつけるのがアニメ作品のようです。以前話題になっていたのが『けいおん!』です。『BanG Dream!(バンドリ)』とか『ぼっち・ざ・ろっく!』の影響もあると聞きますが、どれも読んだことはありませんからよくわかりません。昨年調査した、「趣味で始めたい楽器」のラインキングがありました。こちらでもエレキギターが7位、トランペットが9位でした。そして、第1位はピアノです。ウクレレはといえば5位と大健闘のようです。

 小学生の頃、アニメ(?)に影響されて、「トランペットを吹きたい」と思った時がありました。サッカー選手だったかどうか記憶が曖昧ですが、海辺でトランペットを吹くシーンがあったのです。しかもブラジルから単身やってきた外国人という設定で、暮れかかる海に向かって高らかに演奏する姿には郷愁を感じるとともに、妙に格好よく見えた気がします。小学校初期の段階から楽器演奏でつまずいた私は、トランペットも例外ではありませんでした。マウスピースを咥えた唇がかゆくなって諦めました。だから、両手に複数本のバチを持ってマリンバを演奏する人を芸術鑑賞会などで見たときには、惚れ惚れと見つめてしまいます。

 どんな楽器でも歌でも、気持ちよく演奏などできたら素敵です。虫の声は全然聞こえない私ですが、音楽室や教室から漏れてくる声や音に誘われて足を運ぶことが増えそうです。

276 ここには何が?(23.9.27)

 国土交通省が7月1日時点での基準地価を発表しました。自分の居住市の一覧から近隣の地番を探します。高いのか安いのか、地価が上がったのか下がったのかすら想像もつかないまま、「ふ~ん」とつぶやきながらページをめくります。県内の平均変動率を見ると、住宅地では市川市が浦安市を大きく引き離して人気第1位。八幡1丁目や菅野2丁目辺りの地価が高いようです。

 そういえば、最近めっきり家の売り出し広告やチラシを目にすることがなくなりました。以前は新聞の折り込みで建売住宅やマンションのチラシが入ってきました。でも、見るのは墓苑ばかりのような…。今はインターネットで検索して、資料請求・見学等に進む時代のようです。ですから、造成や建築が始まったころには既に売れてしまっているということです。そういえば、販売価格が書かれた「売り出し中」の看板だって久しく見ていません。

 散歩をしていると久しぶりに通る道があるものです。変わらない景色もありますが、新しい建物などができていて驚くことも少なくありません。でも、「ここって元々何があったところだっけ?」と思い出せない経験はないでしょうか?よく見ていたつもりなのに、結構覚えていなかったり、記憶が曖昧だったりします。

 いつも同じルートでは面白くないので、時々違うコースを走ったり歩いたりしてみると思わぬ発見がありそうです。暑さから解放された植物が、鮮やかに咲く庭を眺めることもできます。今日はひと駅手前で降りて家まで帰ってみましょうか。夕食前の運動にもなりますし…。

275 早めの点灯(23.9.26)

 今月末まで、秋の交通安全運動が実施されています。毎朝、警察の方も見守ってくれています。今秋のスローガンは、「夕暮れの ライトは迷わず 早めから」が掲げられます。特に自転車のライト!無灯火走行が多くてヒヤリとする場面は少なくありません。自動車の前照灯と違って、自転車の存在を他者に知らせることが目的ですから、早めに点灯することが自分と相手の命を守ることにつながります。子供たちの乗る自転車に、まさかライトがついていない、整備不良なんてことはないと思いますが心配です。

 自動車だって無灯火をよく見かけます。メーターパネルが明るいと、ライトを点けているかどうかがわからないのかもしれません。そんなこともあってか、新車は随分前からオートライトが義務付けられました。9月から新しくなった公用車も当然自動点灯します。そうそう、公用車が新しくなってうれしかったのが、オートロック機能。これまでの車は、4ドアすべてを手で解除していましたから…。

 そういえば、本八幡駅のシャポーを抜けた先の横断歩道を青信号で渡るとき、自転車通勤する人が車両と同じ方向に走っていること。歩行者と交錯しますから、気をつけないと事故につながります。急いでいるという理由があっても、自転車は車両です!(怒)

 話題は電車にかわりますが、車両と車両をつなぐ連結器の部分に、貫通幌と呼ばれる蛇腹の通路があります。鉄板が敷かれていて、それが大きく揺れるので立ち止まらないように注意書きがある場合もありました。最近の列車では貫通路がきれいなものも多く、個室感がなく別空間のようです。

 祖母と電車に乗ったとき、尿意を催した私がそれを伝えると、「そこでしちゃいなさい!」と連結部に立たされて用を足したことを思い出します。暗いし揺れるので体を押さえてくれても、尿の行方は電車の揺れの思うまま。方向が定まらず、ズボンを濡らしてしまいます。今の時代、そんな場面を目にすることは皆無です。

274 キャリア教育(23.9.25)

 秋分の日を境に朝晩の涼しさを感じる気持ちよい季節です。

 つい最近まで、テレビで放映されていたドラマ『シッコウ~犬と私と執行官~』を興味深く観ていました。裁判所の判決を(強制)執行していく話ですが、その職は国家公務員なのに報酬は歩合制で、執行により債権回収した額で決まるといいます。私たちにとって馴染みのない職業ですが、執行官という職業を通して、日本のいろいろな側面が見えてくるドラマでした。

 大人ですらよく知らない職業はたくさんあります。ましてや小学生であれば知らないことだらけのはず。だから、どんな仕事があって、仕事ってどのくらいの数あるのかなど知ることで選択の幅や思いが広がるのではないかと思います。高校生の職業教育とは違って、「働く」ということに興味を膨らませることができることが小学校段階では大切です。そんな思いでキャリア教育を様々な教科や場面で行っています。

 10月には、高学年で外部からゲストを招いて一緒に考えます。例えば介護に携わる職、例えば獣医師など、馴染みの薄い仕事を身近に感じられるように計画しています。また、6年生ではこれとは別に、「働く」を考えるワークショップも計画しています。働くことに対してポジティブな目を向け、自らが責任をもって進む道を決めることの大切さを伝えていきたいと思います。

 さて、先週の新聞に「教員志願 止まらぬ減少」という見出しがありました。千葉県も例外ではなく、志願者数が前年度より350人以上減っています。教員の長時間労働などの問題から敬遠されるとともに、他業種の採用拡大が大きな理由と言われますが、前者に関しては一部を切り取ったり偏ったりした情報が大きく取り上げられているように思えてなりません。

 子供たちが普段目にする職業人は教職員です。高校まで数えたら12年間常に見続けていることになります。教員・事務職員・栄養士・養護教諭ほかいろいろな立場の人間がいます。それらを身近に見て、魅力を感じられるようでありたいと思います。そして、卒業生から多くの教員等が誕生することを今から願っています。

273 忘れないように(23.9.22)

 毎朝忘れ物がないかを確認する4点。それは「ハンカチ」「財布」「定期券」「スマホ」で、ズボンを叩いたり指差し点検したりしています。これに加えて、補聴器と扇子も忘れてはならないもの。補聴器のつけ忘れは頻繁に指摘されます。玄関を出る直前に「耳は?」という声に慌てて部屋へ戻るという始末。入浴前に外すと、一部消音されたような感覚に陥ります。特に、バックの時に注意を促すクルマの電子音の聞こえ方は明らかに違います。また、扇子もまだ手放せません。 駅に着いたときには汗びっしょりですから、ハンカチで汗をぬぐって扇子で火照った顔に風を送ります。だから、忘れたことに気づいた時のショックは…。

 さて、夏休み明けに2年生の男児が校長室にやってきました。お母さんからの手紙と「なぞかけ」の作品を受け取りました。「稲穂9号」に掲載した内容に応えてくれたもので、家族で学んだようです。“「新学期の平田小学校」とかけて、「コロナ規制解除後のスポーツ観戦」ととく。その心は「賑やかな声が戻ってきました」”と難しい漢字も使われています。ありがとう!

 また、今週初めに3年生の女児が、担任に付き添われて私のもとにやってきました。夏休みに取り組んだ絵画を新聞に投稿したら掲載されたという報告です。話をしながらも嬉しそうにしていますし、自信にもなっているようにも見受けます。早速印刷して校長室前に掲示しました。また、新しい作品ができたら見せてくれるようで楽しみ!

 また、3年生全員に配付できるように、今年作られた「市川かるた」が学校に届いています。これを使って遊ぶこともできますし、学校周辺や市川市全体を社会科で学ぶ3年生だからこそオリジナルの札を作ることもできるのではないかと秘かに期待しています。グループやクラスで協力して、平田小バージョンができたら全校に紹介しますよ。忘れなければ…。

272 死語(23.9.21)

 来週25日から10月10日までの2週間を、平田小の「人権週間」としています。違いを認め、互いを尊重する心を育むことをねらいとします。図書の時間に全校同じ絵本を読み聞かせから、意見の交流をします。各学年数名の感想を掲示する予定です。

 さて、小学校では、「朝の会」「帰りの会」ですが、中学や高校では「ホームルーム」といいます。急に大人になったような気持ちに浸れて、この響きが魅力的だったことを思い出します。この小学校の「帰りの会」は、半世紀前には「反省会」と呼んでいました。一日の学校生活で嫌なことがあると、「反省会で言ってやろ~」といったセリフになります。そういえば、いたずらなど場面を目撃した時に、「い~けないんだ、いけないんだぁ、せ~んせぃに言ってやろ~」とリズムに乗せて相手に言うのも昭和の子供でした。こんな言葉、もう何十年も聞いたことがありません。

 「かつては使用されていたが、今は使用されなくなってしまった言葉」を「死語」と呼びますが、今風の言い回しを私が理解できないように、私世代が使う言葉もある年齢を境に通じないと思います。例えば、立ち上がったり腰掛けたりするときなど力を入れる場面で、「よっこいしょ」と言うことがあります。この言葉、戦後四半世紀以上過ぎてグアム島で発見された残留日本兵の横井庄一さんに掛けて「よっこいしょういち」なんて言ったものです。恥ずかしいのですが、今でも口から出てしまいます。「男女の二人連れ」を「アベック」と言いました。現在でもスポーツ界では「アベックホームラン」「アベック優勝」などというように使われます。この「アベック」はフランス語由来で、英語の「with」と同じらしいです。また、「若者」は「ヤング」と。漫画本に「ヤングマガジン」や「ヤングジャンプ」などまだ名残りがあります。「チャンネルを回して~」「10チャンネルにして!」などとついつい口にしてしまうのも気をつけないと…。

271 花火(23.9.20)

 孫が幼稚園で作った赤トンボを貼り絵にした作品(ハガキ)が送られてきました。可愛らしく、できることがどんどん増えていくのをうれしく思います。でもよく考えたら、敬老の日に向けて「おじいちゃんやおばあちゃんに手紙を送りましょう」といった活動だったようです。だから、「ずっと元気でいてね」という言葉が添えられていたのかぁ。気づくのが遅い!すでに敬老の対象者なのだと思い知らされた悲しくもうれしい出来事でした。

 さて、8月はじめに母が亡くなりました。90歳、ろうそくの炎が消えるような最期でした。思い出はたくさん。西日に厳しい暑い台所で揚げ物をする後ろ姿。学校から帰るとミシンや編み機の前で何かを作っていた姿。布や糸で何にでも変身させてしまう魔法の手。家には近所の人が出入りして他愛ない話で笑っていた顔。わかっていたこととはいえ寂しくなります。

 通夜の日に、市川・松戸・流山などで花火大会がありました。葬儀が終わって駐車場から見える大輪は、手前に松戸、その向こうに市川の花火。親族で静かに眺めたのです。ですが自宅への帰途、花火帰りの渋滞にはまりました。普段なら40分もあれば帰れるのに、この日は2時間半。家に着いてどっと疲れが出たのは言うまでもありません。

 数年前、市川の花火大会をとある学校の屋上から眺めたことがあります。360度最高の眺望なので期待したのですが、大輪は数センチの大きさでしかありませんでした。だから、平田小からだったらきれいに見えるのではないかと秘かに期待していたのです。暑くても屋上より展望台の方がよいのではないかと…。残念ながら叶いませんでしたが、誰かに頼んで見てもらおうかと真剣に考えていたくらいです。

 最近は手持ち花火もしなくなりましたから、火薬のにおいが懐かしいです。その代わりと言っては何ですが、四十九日の法要を終えた今日も線香のにおいは絶えません。

270 節度、寛容、そして…(23.9.19)

 以前、子供の声がうるさいという住民からの苦情で公園が閉鎖されたニュースがありました。走り回れる場所がどんどんなくなっていく中で、元気に遊びたい子供たちと、静かに暮らしたい人たちがいます。共存するためにはどうしたらよいのでしょう。

 「△時までは外に遊びに行かないようにしているのです」と、保育園の先生から話を聞いた記憶があります。近隣の公園まで手をつないで歩く園児を時々見かけますが、「外」というのは公園の場合もありますし、園庭という場合だってありそうです。夏場に、暑いので音楽室の窓を開けて吹奏楽部員が練習をしていたら苦情電話が寄せられるケースもあります。体育館から響くバスケットボールの音もしかり。終いには飼育小屋で早朝から鳴くニワトリの声にも「何とかしてくれ!」と無理な要求をされることだってあります。

 生活のリズムは人ぞれぞれですから、昼夜関係なく配慮は必要です。でも、子供の遊ぶ声は騒音なのでしょうか。ややもすると、うるさいという意見ばかりが強調され、採りあげられるがゆえにその対応に追われるということもありそうです。明らかに迷惑をかける行為以外は許容されるべきという考えもありそうです。だって、誰もが子供だった頃があるのですから…。

 こうしたことの根底には、「顔が見えない」「相手を知らない」という関係性があるのかもしれません。ある人はこんな風に言っています。“うるさいとは、音の大きさだけでなく、自分の心理状態や相手との関係を通してフラストレーションを感じるかどうかだ”と。つまり、好きな音楽は大音量で聴いても心地よいが、興味のない音楽は騒音だと感じる人は少なくないはずです。結局は、「節度」と「寛容」、そして普段からの挨拶などを通したコミュニケーション。相手を思い浮かべ想像するだけで、聞こえ方に変化が起こるかもしれません。

 代表委員が朝の挨拶運動を始めて2週目になりました。こうしたあいさつを通して、「地域顔見知り計画」を進めていきたいと思うのです。大人と子供、大人同士など…。

269 無意識の思い込み(23.9.15)

 教室前の掲示板に、夏休みの思い出の作文が見られます。みんな色々なところに連れて行ってもらったようで楽しかった様子が行間からにじみ出ています。

 さて、ある研修会で講師の方から「アンコンシャスバイアス」について話を聞きました。ヒト・モノ・コト・自分に対する「無意識の思い込み」を指すそうです。過去の経験や見分に影響を受けて、ある事実に対する無意識の認知が本能的に働きます。それが言動となって表れ、相手や周囲に何らかの影響を及ぼすということは日常にあふれ、誰にでもあるのです。

 例えば、パイロットと聞けば男性を思い浮かべる、単身赴任といえば男性を思い浮かべるといったことはないでしょうか。逆に、客室乗務員と聞けば女性を思い浮かべてしまいます。少し前に歌手のブラザーコーンさんが乳がんを発表しましたが、これも女性だけの病気だと思い込みがちです。血液型がA型だと聞けば几帳面などという言葉でくくってしまうのも無意識の思い込み。こうした思い込みで話をすることで歪み(ひずみ・ゆがみ)や誤解などが生じ、ひいては人間関係や仕事に大きな支障が出ることだって考えられそうです。

 また、「バラ色の回顧」という言葉も聞きました。私自身のあるあるです。過去のことを実際よりも肯定的に記憶したり思い返したりしたくなる傾向のことです。「昔はよかった発言」は私だけではないはずですし、その逆に「今はいいよね。昔はさぁ…」と、いかに自分は大変だったかを声高に語りそうな自分が怖いです。

 2学期は5年生を対象にした介護に関する授業を外部講師が行ってくれますが、介護の対象を老人と決め込んではいませんか?いずれにしても、様々なパターンで存在するアンコンシャスバイアスに気づこうとし、対応することが大切だと思います。自分を見つめ直すよいきっかけになりました。

 きっと家庭や地域にも思い込みは潜んでいるはず。

268 今、この一瞬を(23.9.14)

 ふと思います。平田小学校の焼却炉は、以前どこにあったのでしょう?小型焼却炉からのダイオキシン類の発生が不安視されるとして、21世紀を前に廃止・撤去されました。

 掃除の時間になると、教室からごみ箱を持って屋外の焼却炉に燃やすごみを持っていきます。用務員さんが待ち構えていて、次々と炉の中に投入していきます。時々下部の蓋を開けて、燃え残りがないようにしていました。学期末になると、燃やしたいごみが山のように集まります。順番待ちになりますが、燃やしているのが大好きな私は一気に引き受けて、焼却炉を操る花形となるのです。自分では焚火というかキャンプファイヤーの火の管理をしているくらいの楽しさだったことを思い出します。溜まった灰を掻き出すなどしていると、あっという間に時間が過ぎていったのです。そんな焼却炉が姿を消してからごみの分別や減量が叫ばれるようになったわけです。

 話は変わりますが、今年度は久しぶりに市内陸上競技大会が10月13日に開催されます。体育の授業の延長線上に位置づけ、種目などを絞って半日開催となります。対象児童は5,6年生のみで、百m走・走り幅跳び・走り高跳びの3つです。保護者の中にも、かつて国府台スポーツセンター陸上競技場で走ったり跳んだりした経験のある人が多いでしょうから寂しく感じるかもしれません。今日は説明会をして部員募集です。私たち世代の教員は、相撲部や水泳部、陸上部を学校対抗の季節行事ととらえていましたから気合を入れて臨んだものです。働き方改革が叫ばれる一方で、一抹の寂しさがあるというのが正直な気持ちです。

 これまであったものが消え去ったり、形を変えて生まれ変わったりすることが繰り返されます。今ある姿が2~3年後に必ずあるとは言えません。諸行無常の響きあり~。

267 むかしむかし(23.9.13)

 昨日の朝、正門から工業高校のグランドの方に向かって物凄いスピードで動く動物が…。旗当番の方と「あの尻尾はタヌキ?」と言葉を交わしました。まだまだ朝から暑いですが、早朝の車のルーフやボンネットにはうっすらと露が下りています。季節は確実に秋に向かっています。

 さて、5年生の林間学校はもう2か月も前のこと。時の流れの速さに驚いてしまいます。河口湖近くでロープウェイに乗って天上山から雨に煙った富士山を眺めました。この天上山には、昔話の「カチカチ山」伝説があるようです。展望台そばに設置させた看板の記載をそのまま紹介します。どんな話だったか思い出してみてください。

 昔々ある日のこと、おじいさんは畑でいたずら好きのタヌキを捕まえました。おじいさんは家に帰り、おばあさんにタヌキ汁を作ってくれるように頼むと、再び畑に出かけました。ところがその隙にタヌキはおばあさんを騙して殺し、ばばあ汁を作りました。おじいさんはタヌキに騙され、ばばあ汁を食べてしまいます。

 そうと知ったおじいさんは、おいおいと泣きました。それを見かねたウサギがやってきて、おばあさんの仇討ちを始めるのです。タヌキの背負った薪に火をつけて大火傷を負わせ、火傷の跡に辛子を塗り、舟遊びに誘ってすぐに沈む泥船に乗せて溺死させ、おばあさんの仇討ちを果たすというお話です。

 この昔話の舞台と言われているのがここの天上山です。(中略)背中に火をつけられたタヌキが「あちち」と叫びながら駆け下りたのがロープウェイの眼下に見えた崖、泥船に乗ったタヌキが沈んでいったのが河口湖と言われています。それにしても昔話「カチカチ山」…ちょっと残酷な話です。

 こう考えると、「赤ずきん」も最後にオオカミのお腹を切り裂いておばあさんと赤ずきんを助けて、代わりに石を詰め込んで…と終ります。シンデレラや白雪姫も原作では、私たちが知らない怖い終わり方をしているようですが、様々な地域に伝説としての語り継がれる怖い話、悲しい話、心温まる話などを求めて旅するのもいいなぁ。ちなみに平田・新田・菅野の地域に昔から言い伝えられる話はあるのでしょうか?

266 あなたの心はどこにある?(9/12)

 「♪ぼくのせんせいは~(フィーバー)」で始まる『熱中時代』。水谷豊さん扮する先生が、体当たりで挑む学園ドラマでした。小学校教師を主人公にしたドラマを見たことがなかったので、毎週楽しみに視聴した高校時代。当時の最高視聴率が46%以上というから人気の高さがうかがえます。もしかすると、私が学校の先生を選んだのはこのドラマの影響があったのかもしれないと、今更ながらに思います。70歳を過ぎても『相棒シリーズ』などで活躍する水谷さんですが、『太陽にほえろ』第1回では犯人役でした。そして『傷だらけの天使』では、「兄貴ぃー」と萩原健一さんに呼びかける独特のセリフが人気でした。

 昨年11~12月に、現役中高生千七百人強に尋ねた「なりたい職業や興味ある業界」で、男女ともに「教師・教員・大学教授」が第1位だったといいます。興味ある業界でも「教育」が1位、2位の最上位にランクイン。ブラック扱いされ、志願者が減っている教員ですが、子供たちの前に毎日立つ私たちが、何よりも働きがいややりがいを大事にしている姿を見せていかなければならないと思ったのです。

 7月の終わりに、全国を飛び回って法話をしている薬師寺・大谷徹奘 師の講演を聞く機会がありました。奈良・薬師寺は墓を持たず葬儀も行わない寺だそうですが、話の巧みさに引き込まれ、あっという間の時間でした。その中で、“幸せとは身近な人と笑いながらご飯を食べることなのです” “最近は多様性という言葉が言われますが、相手を大切に思って話をすることこそ多様性ではないでしょうか” “自分の在り様をよく観て自分と対話する、自分の命をどう使うか”など印象的な言葉がいくつもありました。和尚のように頭を丸めて参加した講演会でしたが、人の話を聞けなくなったり謙虚さをなくしていたりしてはいないか、子供たちの前に初めて立った時の気持ちを忘れてはいないかなど、この歳にして改めて見つめ直す機会をもらった気がしたのです。

265 スポーツの秋(23.9.11)

 「バレー男子日本代表が46年ぶりに世界大会で表彰台」というニュースが夏休みに入ってすぐの新聞に掲載されました。世界のトップ16チームによるバレーボール最強国決定戦、ネーションズリーグ男子大会のことです。

 小学生のときに熱狂したバレーボール。『サインはV』や『アタックNo.1』がそのきっかけでした。そして、1972年のミュンヘンオリンピックに向けて取り組むチームを描いたドキュメントアニメ『ミュンヘンへの道』でさらに夢中になり、五輪の優勝により中学校ではバレー部に入ろうかと本気で思った私。松平監督のもと、セッター猫田のトス回しや大古の強烈なスパイクにわくわくし、ネットよりはるか高い位置でブロックを決めてガッツポーズしていた夢の中の自分を思い出します。川合俊一選手や中垣内祐一選手らよりずっと前の時代。最近では、『ハイキュー!!』が面白かったです。『2.43清陰高校男子バレー部』という漫画もあるらしいので、さわりだけでも読んでみたい。

 さて、教員なったころは教職員の親睦行事としてバレーボール大会が毎年行われていました。中学校の体育館を会場に学校対抗戦です。特別時程を組んで、午後から行われていました。頑張りすぎてアキレス腱を痛め、翌日には松葉杖をついているなんていうこともよく耳にしました。学生時代にバレーボール部に所属していた先生がスパイクを打つときは、まるで空中で止まってコートの空いているところを探してるように見えたものです。自分ではそこそこにできるつもりでいても、そんな先生には敵うはずもありません。

 秋には教職員陸上大会もありました。二人三脚や砲丸投げ、パン喰い走など分担してエントリーしましたが、若いからと出された100m走は、思う以上に辛いものがありました。子供たちの陸上大会に向けて指導はしましたが、自分が走るとなると100mって長い!遠い!50mから先にあると足がもつれる!これまた、早く走れるつもりでいたのにそんな妄想は木っ端みじん。他人の背中が遠くなって追いつかないわけです。

 決して時間に余裕があったわけではありませんが、こうした交流が今はないのがさみしい気がするとともに、古き良き時代として懐かしく思い出されます。