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校長室から

355 青信号(24.2.5)

 1960年代を象徴する流行語が「巨人・大鵬・卵焼き」。当時の子供が好きなものだったのです。私も例に洩れず、相撲は祖母と一緒に大鵬を応援し、野球はずっと巨人ファン。帽子もYGマークの野球帽。テレビでは巨人戦しかやっていませんから当然といえば当然のなりゆき。試合のある日は、ほぼどこかの局でナイター中継があった当時を思うと、地上波でナイターを観ることがなくなった今が信じられません。2月に入って各球団はキャンプインしました。その様子が日を追うごとに多く報じられるようになります。でも、多くの関心は海の向こうだったりして?!大谷選手から贈られたグローブをはめて、校長室でエア・キャッチボールを子供たちとしました。

 さて、車を運転していてイラっとする場面、それは礼儀知らずのドライバーに遭遇した時。一般的に、道を譲れば会釈などのお礼の反応などをします。にもかかわらず、まるで当たり前のようにすれ違う人、譲ってもらったことすら気づかない人がいます。こんなことで腹を立て、車の中で悪態をついて、「もう少し大人になりなさい!」と諭される始末です。

 自動車用、歩行者用を問わず、屋外に出れば信号機を目にしない日はないと言ってよさそうです。この交通信号が日本で登場したのは昭和5年といいますので、実に94年も前のことです。当時は「緑色信号」と呼ばれていたそうですが、現在は「青色の灯火」というように「青」と表わされます。その理由は諸説ありますが、日本では元来、「緑色」のものを「青」と呼ぶ習慣が根強く、それが定着に一役買っているのは間違いなさそうです。身の回りでは、「青葉」「青りんご」「青のり」などはその典型的な例でしょう。新緑を「青々とした」と表現しますし、「青汁」なんてまさに緑色以外の何物でもありません。ちなみに交通信号は「赤・黄・緑」を使いますが、航空信号は主に「白・青」なのだそうです。いっそのこと、交通信号も「緑色」から「青色」に変えてしまえばよいと思ってしまいがちですが、晴天の日は青空に紛れて危険。野球で高く上がったフライだって、昼間の曇天時にはボールが見えづらいだろうなぁ。

 暦の上では春!今日から学年ごとにグローブを回します。お手玉を使おうがエアだろうが、「野球しようぜ!」

354 守り続けたいもの(24.2.2)

 2年生、退治したい「心の中の鬼」を描いていました。私?敢えて言うなら「新しい物を欲しがる鬼」でしょうか。毎日の通勤に、手提げ革バッグ2つとトートバッグ2つ、ビジネスリュックを使い分けていますが、「欲しい欲しい病」発症の末に手にしたものばかり。欲しいものが高価なことも多く、鬼退治は喫緊の課題です。

 そういえば、スーツ姿にリュックを背負って通勤する人が増えた7~8年前から、ビジネスリュックの品揃えも豊富に。背負う・肩掛け・手提げを網羅したタイプも見かけます。男女問わず、毎朝毎晩駅などですれ違う人の半数以上がリュック型のような気がします。両手が空くという利便性も人気の理由なのでしょうが、混雑した電車に乗り込むときに前抱えにし直さないといけないのが面倒というか慣れないというか…。ただどんな鞄でも、姿勢よく颯爽と歩いていたいなぁと思うのです。

 さて、昭和のダメおやじ演ずる阿部サダヲさんが、令和にタイムスリップして不適切発言を繰り返すドラマ『不適切にもほどがある』を楽しく観ました。現在、人気ドラマのほとんどが漫画を原作にすることが多い中にあってオリジナルは貴重かも?このドラマの時代は1986年。私が教員になって2年目の年です。当時の職員室では喫煙は日常でしたし、ケツバット(金属バットでの尻叩き)や給水禁止の部活動が当たり前。極めつけに懐かしかったのが、カセットテープのくだり。ノーマルテープを買って帰ったら、「メタルかクロームって言ったじゃん!」と娘に怒られるシーン。カセットテープにグレードがあったことなんて久しく忘れていました。そんな時代から現代にタイムスリップすれば、白色のワイヤレスイヤホンは「耳から飛び出したうどん」に見えるでしょうし、なんでもハラスメントにされてしまうことに戸惑うのも当然。逆に、コンプライアンスに縛り付けられた現代への問題提起ともいえます。

 時代とともに変わってよいことと変わらずに守り続けたいことを見つめ直せそうな今後の展開に期待が膨らみます。今日はその第2話。

353 モヤモヤ(24.2.1)

 下の絵を6年生社会科の教科書で目にしたことのある人は少なくないと思います。明治19年に起きたノルマントン号事件の風刺画です。日本人乗客を乗せたイギリス貨物船が、紀伊半島沖で暴風雨により沈没しました。イギリス人船長以下、西欧人乗組員は全員救命ボートで脱出したものの、日本人乗客は全員船に取り残されて水死したという事件です。航海中の事故にもかかわらず、船長たちが乗客の救助義務を怠った件で裁判にかけられました。しかし、当時イギリスと締結していた不平等条約のため、船長他乗組員を日本の裁判で裁けず、無罪判決が下されたのです。これを機に「条約改正」を望む声が高まったというもの。「そういえば、あった!」と思い出した方がいるかもしれません。

 私が思い出したのは、医師 鎌田實氏の綴った新聞記事を目にしたときです。パレスチナの少年がイスラエル兵に撃たれて脳死となり、その心臓がイスラエルの少女に移植されたといいます。少年の父親はなぜ敵国ともいえる国の人に臓器提供の同意をしたのでしょうか。鎌田氏が投げかけたこの疑問に対して、その父親はこう語ります。「海で溺れている人がいたら、泳げる人間は飛び込んで助けようとする。溺れている人に、あなたの国はどこだ?あなたの宗教はなんだ?などと聞いたりしない。人として正しいことをしただけだ」と。そして、この話は『アハメドくんのいのちのリレー』という絵本で紹介されているといいます。(参考:2023.11.20 毎日新聞)

 戦闘が絶えない今、半沢直樹よろしく「倍返し」、いや何倍にもしてやり返すという負のスパイラルが続いているように感じられてなりません。「戦争に勝ち負けはない」「人として正しく行動する」を掲げ、「憎しみの連鎖」を断ち切ってほしいと願います。

 そう言いながら、勇気をもって手を差し伸べたり一歩踏み出したりできない自分がいるのも確か。モヤモヤする2月初日です。

352 ただ、とりとめもなく(24.1.31)

 大谷翔平選手からの寄贈のグローブが昨日届きました。まずはみんなに見てもらえるように、校長室前に展示しましたので、保護者の方も来校した際にご覧ください。「野球しようぜ」のメッセージを、これから形にします。

 ある日電車に乗ってドアの前に立つと、目の前の広告に「なんだろう?このドキドキ…」という文字が見えます。そして、「ちょっと動いただけで…。安静時や就寝前後にドキドキする。(以下省略)」と書かれています。動悸・息切れ・気つけに効果を発揮するとされる『救心』の広告です。発売されて110年。最近、「なんだろう?コレ」と思うことがあります。冬は心臓のドキドキが多い季節ですが、寒さのせいにして放っておいたら…?

 50年前のオイルショックを知る人の多くは今、動機・息切れを含めて、「老いるショック」を経験しているかも。私自身、「こんなはずじゃなかった」と思うことがたくさん。また、「あれっ?○○がない!」とあたふた探し物をすることもしばしば。その度に苦言をいただく始末です。

 一方、ウクレレのレッスンが行われる日の管理はきちんとできて、毎回忘れずに通っています。教室のある楽器店に行くと、誰かが電子ピアノの試し弾きをしています。そして、その曲が結構な頻度で『アイノカタチ』(MISIA)ですから不思議。結婚披露宴で使われそうですが、PVを何度も見返してしまうくらい好きなので、自分の葬儀の時に流してくれたらうれしいなぁなんて馬鹿なことも考えてしまいます。

 さて、夏と違って冬の天気がよくて空気が澄んだ日、さらに風が適度にあると、遠くに富士山がくっきり見えることが多くなります。父母が生活をしていた施設へ通う県境の橋からも見えた富士山。今日は見えるかなぁと期待半分で橋に差しかかります。ドーンという感じではなくても、富士山が見えると何かよいことがありそうな気持ちにさせてくれますから、やっぱり日本一!

 亡くなった親の恩を今さらながら想い、感謝するときが多くなった気がします。きっと親はこんなことを考えていたのだろうと、相応の年齢になってやっと理解できるようになったみたいです。懐かしさや大変な思いをしたであろうことへの感謝などを伝えたいのに、できない今を後悔してしまいます。伝えられるうちに言葉に(声に)しませんか。

351 新聞投書から(24.1.30)

 朝の見守りをしながら声かけをしていると、子供から先に挨拶が聞けるようになってきたことを感じます。一方、下を見たまま顔を上げずにいたり、しかめっ面のままだったりなんていうことも…。「福が逃げちゃうよ」と声をかけたくなります。「笑顔は、自分にも相手にも幸せを呼ぶ」と信じているから!

 さて、ある日の高校生の新聞投書を目にしました。膝の手術後にコルセットを装着して松葉杖生活が1か月続いたそうです。毎日満員に近い電車の優先席付近に立っても、席を譲ってもらえたのは半分にも満たなかったといいます。ある日、途中の駅からお年寄りが乗って、松葉杖の自分の横に並びました。優先席に座っていた若者が立って、その人に席を譲ったそうです。それを見て驚いたそうです。若者であってもけがをして困っていたのです。時には、人にはわからない病気を抱えている場合もあります。最後に「あなたは誰に席を譲りますか」と結んでいますが、知らんぷりや寝たふりをせず、しっかり向き合いたいと思います。そもそも、疲れていたとしても優先席がある意味を考えられるようでありたいものです。

 もう一つ、「家事をしない父、共倒れの不安」と題された30代女性の投書です。両親は60代後半で、父親は家事をやらないといいます。外で父親が働き、母親は家事を担って家庭を守るという典型的な昭和世代。数年前に退職後も、家事の9割を行う母親はこれに納得し、夫婦仲もよいらしいのです。でも、娘は父が母の家事能力に頼り切っている現状を心配し、切ない気持ちで見守っています。共倒れの心配は、亡くなった私の両親への一番の心配でしたし、まるで自分の数年後を見ているようでもあり、危機感があります。子供たちに心配をかけないためにも自立が求められます。と考えながら行動が伴わない自分の弱さよ! (2024.1.16 朝日新聞「声」参考)

350 相撲(24.1.29)

 大相撲初場所は、優勝決定戦の結果、照ノ富士の優勝で幕を閉じました。巴戦になったらおもしろいけどなぁなんて淡い期待を抱きましたが…。そんな今場所は、行司も話題を多く提供してくれています。7日目に行われた大関・霧島と北勝富士の一番では、力士とぶつかりそうになった行司が激しく転倒し、烏帽子と草履の片方が脱げるという一幕がありました。同日の序二段同士の一戦では物言いがついて、協議の説明まで7分半という長い時間を要するという場面がありました。この時の行司は若干20歳で、緊張した表情が話題になりました。その装束を見ると足袋も草履もない裸足で、着物の裾は膝下まで。明らかに横綱や大関戦を仕切る立行司とは異なります。

 そして、今場所は約9年ぶりに行司最高位の木村庄之助(結びの一番のみを裁く)が土俵に立っています。昨年末の人事で、式守伊之助が昇進したといいます。立行司が身に着けているものを見ると、帯に短刀を携えています。これは「差し違い(間違った判定)」をした場合、切腹をして責任をとるという決意の表れだそうです。つまり、木村庄之助や式守伊之助を名乗る以上、差し違いは許されないということ。テレビでは際どい場面の映像を繰り返し流すことはあっても、VAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)など導入されそうもない相撲界ですから、その重圧たるや想像に難くありません。ちなみに、現在は「木村」「式守」しかいない行司に、かつては「岩井」「服部」「長瀬」「木瀬」「吉田司」などあったらしいです。

 さてコロナ禍以降、休会となって開催されていない市内相撲大会。来年度も再開の目途はたっていません。様々なハードルをクリアする必要があります。指導する際の安全面もその一つ。5年間も行っていませんから、指導の仕方だけでなくまわしの締め方など知る者がいない学校だってありそうです。思い出すのは20数年前に優勝した時の喜び。正直、サッカー大会で優勝した時よりうれかったのです。ぶつかり稽古で肋骨にひびが入ったことや砂場で「巨人の星」の歌を歌いながらうさぎ跳びをしたこと、「どすこい倶楽部」を編成して時々学校周辺の吸い殻拾いをしたこと。今でも頼まれたら、「喜んで!」なんて言ってしまいそう。

349 こけし(24.1.26)

 2日連続でそれぞれ違った研修に参加してきました。ともに特別支援教育に通ずる講演がありましたので、何かの機会にお伝えできればと思います。昨日の市川市特別支援教育振興大会は久しぶりの開催でした。毎回、手話通訳者と筆記通訳者がいます。特に筆記の大変さを感じます。語ることの要旨を簡潔に読みやすい文字で表記しなければならないからです。私の場合、メモをとるけれどスピードが追いつかないとか書いたはよいけれどあとから読み直すと解読できない文字があるなんていうことがあります。だから感心してチラ見してしまったのです。

 全く話題は変わりますが、問題です!鳴子(宮城)・遠刈田〈とおがった〉(宮城)・土湯(福島)といったら何の産地でしょう?日本三大名産地といわれます。正解は「こけし」。こけしが誕生したのは、江戸時代後期の東北の温泉地。余材を利用した子供のおもちゃとして始まった伝統品です。産地ごとに模様や形、技法などそれぞれに特徴があります。

 この「こけし」が実家の床の間に多数飾られていました。日焼けしたものから比較的きれいなものまで、大きさもまちまちでした。親戚の家は、大げさに言うと「こけし屋敷」と思うほど所狭し並んでいたのを思い出します。でも、我が家も含めて、現在こけしが飾られる家庭は珍しいのかもしれません。子供に問うても、こけし自体イメージできないなんていうことも?!

 お笑い芸人の川村エミコさんは、こけし70体と一緒に暮らしているといいます。若いころ10cmほどのこけしを持ち歩き、勇気づけられて以来、目が合ったこけしに胸がキュンとなるとお持ち帰りを繰り返したようです。一緒に旅行したり写真を撮ったりする「お供こけし」や季節ごとの推しの「こけし選考会」、出かける前に冷蔵庫に入れて帰ってきたときに迎えてもらう「忍ばせこけし」など、楽しみ方は人それぞれ。逆に怖いと感じる人もいて、見方や思いは違うわけです。

 冒頭の講演会を待つ空白の時間に目が行ったのが、前方に座る人の「つむじ」。女性はともかく、つむじを見つけやすい人とそうでない人がいます。言わずもがな、私は後者。こけしにつむじを描いていたずらしたのも私。日本海側は大雪。市川は今日も青空。でも連日、寒風がつむじ辺りを刺すようです。

348 家族で盛り上がろう(24.1.25)

 校長室にやって来た子供から「校長先生、もう届いたでしょ?」と問われます。何のことだかさっぱりわからず混乱する頭。よくよく聞くと、大谷翔平選手から贈られたグローブのこと。どうも私が隠しているというか、出し渋っているように疑われている様子です。1月中旬あたりに配送されるといった情報を得ていましたが、もうすぐ1月が終わる来週早々に南部地区で贈呈式が行われるようです。

 現在、通勤読書用の本が、『トヨトミの野望』(梶山三郎 著)という巨大自動車企業を舞台とした話。シリーズになっているので、面白かったらまた借りようかと…。そういえば某自動車会社が、安全確認試験で不正を働いていた問題が年末に大きく取り上げられていたのを思い出しました。モノづくりの基本思想に「1ミリ、1グラム、1円、1秒にこだわったクルマづくり」というスローガンを掲げる企業風土だったといいますが、顧客に寄り添うこだわりはどこで捻じれてしまったのでしょう。学校も児童生徒に寄り添い、学びや指導にこだわりを持って協働していますから不正や不祥事ゼロは当たり前ですし、当事者意識・切実感をもって臨んでいます。

 さて、昔はあんなに観ていたクイズ番組を、最近はほとんど観なくなりました。それでも『クイズ!あなたは小学5年生より賢いの?』『THE突破ファイル』『有吉クイズ』『チコちゃんに叱られる』などクイズバラエティー番組はまだまだ健在です。

 昭和世代に懐かしいのは、『クイズダービー』や『アップダウンクイズ』、『目方でドーン!』、『クイズタイムショック』、『マジカル頭脳パワー』、『世界丸ごとHOWマッチ!!』、『連想ゲーム』、『ぴったしカンカン』、『アメリカ横断ウルトラクイズ』などで、出演者の顔とともに映像が思い浮かびます。視聴者参加型もあり、まさに一家団らんの娯楽でした。でも時代とともに、個人視聴型のバラエティー化をたどっていきます。

 現在と昔のどちらがよいかを比較するものではありません。ただ、家族みんなが同じ話題で盛り上がるような場面が失われていなければよいなぁと思うばかり。ボールと言葉のキャッチボールはいかが?

347 心通うコトバ(24.1.24)

 人を前に話をしたり文字に残したりすることは少なくありません。コロナ以降、毎月の全校集会がほぼなくなってしまいましたが、そうした機会に話すことや入学式・卒業式の祝辞、卒業文集の原稿、校外学習の出発の会など、内容も話す長さもいろいろです。学校評価に、「入学や行事の際に聞く話は、子供たちを温かく見守りつつ芯の通った方針を感じて安心する」という声を見つけてうれしくなりました。

 文科省が示した「教職員向け生成AI利用に関するガイドライン」が暫定的に示されています。活用例の「挨拶文や式辞等の原稿のたたき台」という部分に目が留まりました。確かに儀式的行事における挨拶には頭を悩ませます。負担に感じる人もいるでしょう。園児の延長線上にある新1年生に何をどう伝えるか。6年間で成長をした卒業生が耳を傾けたくなる話し方とその内容をどうするか。当然、子供たちの後ろで保護者も聞いています。堅苦しい話ではなく、ちょっとでも記憶に残る話を心がけます。それでも、私の思いがどのくらい伝わるか人それぞれ。全員なんて大それたことは考えません。きちんと聴いて理解しようと思う人が5割もあれば十分。

 「校長先生の話はちょっと長いけど、おもしろいから好き。朝会が楽しみ」って言ってくれた中学年くらいの子がいました。だから、原稿の作成をAIに任せてよいとは思えません。肝心の子供たちを置き去りにしている罪悪感に苛まれますし、子供たちに真剣に向き合って話したいと考えます。教室で毎日・毎時間子供たちと触れ合う学級担任の何気ない話も、もしかすると「恩師の言葉」となって生き続けるかもしれません。日々真剣勝負だからこそ、そうあってほしいと願います。

 70周年記念式典や卒業式の校長挨拶の原稿、なかなか筆が進みません。まだ先のことだなんて思っていると、何もしないまま時間ばかりが過ぎていくことになるのが私の悪い癖なので。

346 実感伴う体験を(24.1.23)

 先週、給食にバナナが半分出されましたが、バナナの上半分と下半分どちらの方がお得?なんて考えているのは私だけかも。

 近所の知り合いに鳥のエサ台を作ってもらい、初めての冬を迎えました。冬場はエサが少なくなるので、ヒマワリの種やミカンの輪切りなどを置いておくと野鳥がたくさんやってきます。メジロやヒヨドリ、セキレイ、シジュウカラ、ジョウビタキなどに紛れてスズメもいます。10年位前には巣箱からシジュウカラが9羽巣立ちましたので、バードバスで水浴びする姿でも見られようものなら、「ウチの子」ではないかと勝手に思ってしまいます。

 春先のウグイスも含めて、野鳥の鳴き声が私の耳には届きませんから、バードウォッチングに出かけても楽しめないような気がします。でも、学校には様々な樹木がありますから、鳥を呼ぶこともできそうです。4年生が理科で「季節と生き物」の学習をしていましたが、子供たちが観察を続ける中で疑問を感じ、さらに実験・観察を続けるといったこともできます。校庭の「ひらた山」プチ改造?だって面白いかも…。タブレット端末に記録したり、観察日記をつけたり…。それを全校で共有することもできます。手がけてくれる人はいないかなぁ?

 学校の実験や工作で教材キットを使うことが多くなりました。家庭科のエプロンづくりでは、以前は、布を買うところから始めたこともありますし、型紙を作ってチャコペンで布に線を引いたものです。今はそうした手間が簡略化されます。教材作りから始めていた理科も、キット導入により実験の誤差が少なくなった気がします。でも、味気ない部分もあります。時間に余裕さえあれば、Y字型の木の枝にゴムを張ってパチンコを作って、体験する中で動力としてのゴムの性質を実感させるなんていうこともできますし。

 最近気になっているのが、綾瀬はるかさんが出演するドコモの「味覚共有スプーン」のCM。スプーン型デバイスは、近未来には登場するのでしょう。でも味気ない。本物を知り実感してこそ、本当に「わかった」につながると思うから。実体験は心を動かします。デジタル化が進んでいる今だからこそ価値があるのではないかと考えます。デジタルでは再現・表現できない匂いや音、感触、空気感など、自然を感じ取る力をもっと育みたいと考えます。古いのかなぁ?

345 消せないから(24.1.22)

 給食室側階段の側面の壁に、11月の人権週間に考えたクラス代表の標語が掲示されています。風景の一部と化して、なかなか気づかれないと思うとちょっと残念です。その中から数作品紹介します。

   みんなの心 大じにしよう いい気もち(1年 S)

   一人じゃない みんないっしょ うれしいな(2年 K)

   友達と ちがう所も いい所(5年 I)

   大切に 人ぞれぞれの 価値観を(5年 U)

   僕の色 みんなの色も 守ろうよ(6年 A)

 学年が上がるにしたがって、老若男女、肌の色や人種、宗教や文化など、違いを認めて尊重しあおうという思いがあふれてきます。これが単なる言葉遊びで終わってしまわないことを願います。

 さて、子供たちが書く手紙やメッセージ、年賀状などのほとんどが鉛筆書きです。きっとこれは、間違えてしまうであろうことを前提にしているからかもしれません。鉛筆であれば、消しゴムで簡単に消せますから。そして、消した跡の残る作品をよく見かけます。

 消しゴムを使ってはいけないと先生に言われて、緊張しまくって文字を書いた経験が小学校低学年のときにありました。市の展覧会に出す視写の作品。2年生の廊下に貼ってあった「きつねのおきゃくさま」の書き方の時間の作品と同じです。出品候補者がもう一人いて、いずれかの作品を出すといいます。間違えて消しゴムを使った時点で万事休す。相手は和泉澤さんという学級委員の女の子。負けないように一文字一文字丁寧に書き進みました。あと少しというところで「あっ」と声が出てしまいました。一文字飛ばしてしまったからです。半世紀以上も前の出来事なのになぜか鮮明に思い出せます。

 こうした鉛筆の文字と違って消せないものは何でしょう。ボールペンやマジックペンであっても書き直せばよいだけの話。多分、「言葉」じゃないかと思うのです。失言、不用意あるいは不適切な発言の類は、気づいた時には時すでに遅し!取り返しのつかないことにだってなりかねません。子供たち同士の会話の中でも時々気になります。文字に残らないからこそ慎重さも大切であること、消せると思ったら大間違いであることを子供たちにも場をとらえて伝えたいと思います。これも人権教育。

344 シフトアップ(24.1.19)

 明日は祖母の命日。享年92歳。父が93歳、母も90歳でしたから長寿の家系なのかもしれません。そう考えると、私にはあと30年も残されていることになります。若いときは30年先なんて考えもしませんが、健康そのもので希望に満ち溢れたものであるイメージだけはあったと思います。でも、今想像するこの先30年は不安だらけ!

 先週、市内にある某企業の柔道部鏡開き会に招かれて、夕方足を運んだ立派な柔道場。鏡開き自体は、コロナの影響で4年ぶりだそうです。この道場で稽古をしている平田小の児童がいるのでその姿を見たいと思ったのですが、会場に足を踏み入れ、来賓紹介を聞くとビックリです。講道館館長や柔道連盟会長、県警署長、有名大学柔道部監督などがずらっと並んでいるではありませんか。選手を見ると、すれ違いざまに肩でもぶつかろうものなら吹っ飛ばされそうな体躯をした青年部員。圧倒されっぱなしでしたが、小学生部員がこちらを見て、恥ずかしくも嬉しそうにしていた姿を見ると、自然に心が少し落ち着いていったのです。

 さて、家をテーマとしたドラマ『魔法のリノベ』を以前楽しく観て、最近では『正直不動産』を毎週録画しています。不動産は、人生の縮図と言う人がいます。就学や結婚、相続など、人生で3回は不動産屋にお世話になるからだそうですが、確かに私も結婚、住み替え、相続とすでに3回はお世話になっています。

 この不動産業に欠かせない資格が「宅地建物取引士(宅建)」。合格率17%という難関です。なんとこの試験に小学4年生が初挑戦で合格したというから驚きです。これまで12歳が最年少記録でしたが、これを塗り替えたのです。「新しい知識を増やすのが楽しい」という小学生。決して特別ではなく、スポーツや楽器演奏を楽しみ、極めたいと思う感覚と同じなのではないかと想像します。きっと好きなことや夢中になれることを見つけると、内に秘めた力で人は大きく変わることの一例なのでしょう。

 子供たちには、柔道やサッカー、野球、ピアノ、珠算、ダンスほか、もう一段階上を目指してギヤを上げて取り組んでほしいなぁ。輝く未来に向けて…。

343 辰年に想う(24.1.18)

 昨日、阪神淡路大震災から丸29年。そして今、能登半島地震で被災された方が悲しみ苦しんでいます。災害の怖さと備えの重要さを改めて想うとともに、一日も早い復興を祈ります。

 今更ながらですが、今年は辰年。年始の職員による昼食会で、以前はよく「年男・年女の方から一言もらう」場面がありました。これって年齢がバレバレですから、今はハラスメントととらえられかねません。年頭の挨拶でつい言ってしまいそうになってお口にチャック。危ない、危ない!

 この「辰」、一般的には「竜」ですが、この文字が含まれる四字熟語がどのくらいあるのか調べてみたところ、百以上あることを知りました。耳慣れないものばかりですが、比較的よいイメージの言葉が並びます。そんな中に見つけた「竜頭蛇尾」。最初は勢い盛んだったものが、最後はすっかり勢いをなくしている様を意味し、尻すぼみや期待外れの結果といった意味合いで用いられることが多い気がします。同じように竜と比べられる動物に、猪や虎、蛙がいます。「一竜一猪」は「イチリョウ-イッチョ」と読みますが、ここで言う「竜」は成功した賢者の例えで、「猪」は無恥な愚人の例え。努力して学ぶ人と怠けて学ばない人との間には大きな差ができることを意味するそうです。

 さて、昨年末にスティック掃除機を購入しました。これまで使用していたキャニスター型は、コンセントの差し替えや階段で持ったまま掃除しなければいけないことなどが不便だったから。AI搭載のロボット掃除機もありますが、掃除機の進化は目覚ましいものがあります。3年生の社会科で、「昔のくらし」を学びますが、畳や床掃除に箒や雑巾を使用していた肉体労働から解放した鉄製の電気掃除機も登場します。その後プラスチックで軽量化を図られ、西洋化の影響によりカーペットが広まってからはヘッドやブラシの改良が進みます。さらに形状や集塵の仕方が多様化していきます。まさに、努力して学ぶ「竜」なる先人がいたからこそ今の便利な生活があるということを、小学生なりに考えるわけです。ロボット掃除機は万能ではありませんが、未来に向けて「これ以上どんな進化を遂げるの?」と思ってしまう私は、成長することをやめた「猪=愚人」なのかもしれません。いけない、いけない!

342 がんばれ、受験生(24.1.17)

 大学入学共通テストが先の土日に行われ、翌日の新聞には問題と解答が掲載されていました。やってみたのは国語の漢字だけ。流石にこれだけはできましたが、あとは見ること自体、目が拒否!

 そんな漢字について。「相手の事情や周囲の状況を思い巡らせ、気遣う」「配慮する」「相手の気持ちを察する」といった意味で「忖度」という言葉を使うことがありますが、政治や権力がらみで使われる場面があることからよい印象がありません。これを「慮(おもんぱか)る」と言えば、プラスイメージがぐんとアップします。ただ知らないと読めない文字かもしれません。私の言うことを半分疑ってかかる妻は、スマホで読み方を調べ始めます。すると「おもんぱか-る」というように、送り仮名をハイフンで切り分けて表示されます。これを見て、「おもんぱか~る?」とケラケラ笑いながら一言、「当たっていたわ」と。いやいや、クイズじゃありません!我が家では最近、意味ない場面でも「おもんぱか~る」というかけ声が響きます。

 さて、娘が小学校高学年だった時の夏休みの自由研究で、様々な場所のマンホールの図柄を題材にしたことがあります。このマンホールが丸いのは、ズレても落下しないことが理由ですが、雪が降ってもマンホールの上だけ雪が積もっていないことを見たことがあると思います。マンホールの下には家庭や工場からの比較的温かい排水が流れます。その下水の熱が空気を伝って鉄製の蓋を温めるので、雪を融かしてしまうといいます。

 ですから、このマンホールをカードにしてお守りにした自治体があります。雪が積もらないので「滑らない」とか蓋を傾けても「落ちない」、あるいは形状が「すべてマル」ということから合格祈願用とされています。雪を融かすことにあやかって、どんな問題も「解ける」なんていうのもアリでしょうか。「人(man)」が入れるような「穴(hole)」という意味ですが、受験生が希望の学校に合格するだけでなく、すべてのひらたっ子の願いが受け入れられるように、「忖度」ではなく「慮れる」地域や学校にしたいと考えます。

 今朝は、駅に中学生の姿がたくさんありました。受験でしょうか?一方、石川県では中学生の集団避難が開始されました。戦中の集団疎開を想起させます。不安がいっぱいにもかかわらず、取材に対して穏やかに受け答えしていた表情に勇気をもらった気持ちです。みんな頑張ろう!

341 自助・共助(24.1.16)

 朝から隣の席ではスマホを見ながらケラケラと声を上げて笑っています。何事かと思って尋ねると、カピバラの映像に癒されているのだとか。動物や赤ちゃんは人を癒しますが、人が笑う姿は、それを見る者を幸せな気持ちにする効果がありそうです。

 さて、報じられる能登地震の情報は、日が経つにつれて甚大な被害の様子が増すようです。また、正月2日の滑走路上での飛行機同士の衝突も痛ましいものがありました。日航機、海保機、管制それぞれのミスが指摘されますが、379人の乗員乗客全員が無事脱出できたことを「18分間の奇跡」と海外でも称え報道しています。本当に奇跡かどうかは別にして、計画的で緻密な訓練があっての生還だと思います。一刻を争う場面において、パニックコントロールをし、状況を正しく把握・決断するなどということは簡単ではありません。聞くところによると、搭乗していたCAの約半数は23年春採用の新人だったとか。その正確な判断と機転に驚きを隠せません。

 また、奇跡の要因の一つに、乗客全員が勝手な行動をとらず、冷静に乗務員の指示に従ったことが挙げられています。「日本人がとったこの行動は、海外では当たり前とは言えない」という感動の声があるほどです。

 学校においても、地震や火災、不審者侵入、実験・実習中の事故などが考えられます。子供たちの感情と行動をコントロールし、正しく誘導等できるか。関係機関との迅速な連携が図れるか。私を含めた一人一人の職員が、何をすべきか瞬時に判断し機転を利かせた行動をとれるか。正月の大地震や事故を対岸の火事にしてはいけないと強く感じています。

 今週土曜日には、市川市の総合防災訓練が行われます。平田小学校でも担当者が集まりますが、この地域に住まう中高生や将来を担う小学生は、非常変災時の大事な戦力だと考えます。先日の新聞に、避難所生活をする人々に向けて、壁新聞でメッセージや励ましを送った小学校が取り上げられていました。「してもらう」といった受け身の姿勢から、人のために「今できることをする」という能動的意識を段階的に育てていくことが「自助」「共助」につながるように思います。

340 正月気分が抜けて…(24.1.15)

 子供のころ、正月三が日の朝、台所から母親の声が響きます。「お餅、いくつ~?」に「4つ!」などと眠い目をこすって答えていたことを思い出します。雑煮ではなく磯辺巻きにすると、4つ5つなんてペロンと食べられました。今では、「炭水化物をそんなに食べてはダメ!」「がまんしなさい!」と諭されるコドモ大人の私は、小さく「は~ぃ」と返事をします。

 神棚などに飾った丸餅は、鏡開きの日にお汁粉にして食べました。この鏡開き、家族の無病息災を願うものですが、元々は正月の終わりという区切りであり、仕事始めの日だったといわれます。一方、のし餅については、乾燥させてから細かく砕いて油で揚げておやつにしてくれました。揚げ餅が入った袋を抱えて食べていた1月後半。ポテチもそうですが、最後に残ったカスを袋持ち上げ、口に流し込むのが好きでした。

 年末放送していた『イチケイのカラス』を映画とともにまとめ撮りして、年明けに観ました。学校だより『稲穂』20号で子供のウソについて長々と書いてしまいましたが、ドラマの中でも「ウソ」がテーマとなっている話がありました。裁判官を演じる黒木華さんが、9種類のウソについて述べています。挙げると、①悪事のためのウソ、②方便としてのウソ、③優しいウソ、④言い訳や言い逃れ、⑤自己保身、⑥自分をよく見せようとするウソ、⑦守れない約束、⑧冗談、⑨悪意のないウソ、というものです。これらが複雑に入り組んで口から発されるのかもしれませんが、そこ言葉は自分次第で毒にもなるし愛にもなります。ただ、自分の言に責任を持ち、自分の気持ちに正直な子供たちに育ってほしいと願います。

 今日15日は小正月であり、旧成人の日(1999年まで)。早いもので、1月も後半に入ります!

339 過信しない(24.1.12)

 102回を迎えた全国高校サッカー選手権大会は、青森山田高校の優勝で幕を閉じました。そして、第100回の記念大会だった東京箱根間往復大学駅伝競走(正式名称)は、例年よりテレビの前にいた時間が長かったような気がします。それというのも年末に観た、箱根駅伝の裏側を明かす特集番組のせい。年取って涙腺が緩くなっているのか、涙が何度も流れます。そして、大会が終わってしばらくした日に放送された、今大会の陰の場面を観てまた涙。普段スポットが当たらない部分を知ることで新たな興味が湧きます。ちょっとしたことがきっかけになって、勉強もスポーツも音楽も面白さや意欲がアップします。ただ、それが何かは一人一人違うから難しい。ちなみに、前回の箱根駅伝以降大きな大会をすべて制してきた駒澤大を抑えて青学大が優勝。王者に過信はなかったでしょうか。

 さて、暮れも押し迫った30日、シャッター4枚を高圧洗浄機とブラシでせっせときれいにしていました。仕上げのふき取りを脚立に乗って行っていた時、少しバランスを崩しました。それを立て直そうとするうちに体が倒れていきます。右には痛そうなソテツの葉っぱ。そっちはダメ!まるでスローモーションです。結局、倒れる場所が定まらずに後ろにあったアジサイの枝の中にドサッ!晩秋くらいから脚立で転倒する危険性を新聞やテレビで観ていたのに、「自分は大丈夫」という過信があったのは確かです。でも思った以上に体は言うことをきかないようです。腫れがあった左手を休日当番医でレントゲンを撮ってもらいましたが異常なしで一安心。「あ~、来年このアジサイは咲くかなぁ?」って、私とアジサイ両方の心配する声が耳に届きます。気分はビミョー?!

 始業式の日も腕を固定して登校した児童がいました。骨折だそうです。大人でも子供でも思わぬけがや事故に遭います。「注意1秒、ケガ一生」とはよく言ったものです。後悔はしたくありませんね。

338 知ってる?(24.1.11)

 12月下旬の新聞に“安全な道「伊達直人さん」のお陰”という見出しがありました。歩行者や子供の安全を願って、道路側溝の蓋の穴を埋めるための寄付を10年以上続けている、特定できていない人物の表彰の記事です。「伊達直人」の文字で、アニメ『タイガーマスク』を瞬時に思い浮かべ、主人公が自ら育った孤児院へ素性を隠して寄付を行うという内容がわかる人は少ないはずです。「タイガーマスク現象」とも呼ばれ、ランドセルが施設に匿名で寄贈されたニュースを見聞きしたことはあると思います。それでも何のことかわからないことはあるものです。

 お恥ずかしいことですが、トイレで小用するときにズボンの前チャックが開いていたことに気づくことがあります。いつから開いていたのか記憶を辿りますが、思い出せないくらいの時間が経っていたのかもしれません。必然的に相当数の人に対応していたということです。気づいた人もいたのではないかなぁ。教えてほしかったなぁ。そんなことを思いつつ、「社会の窓」は死語となってしまったのか疑問が…。「社会問題の裏側を探る」「普段見られない部分が見える」といった意味合いから、ズボンのファスナーが開いていることを「社会の窓」と言うようになったとのこと(マイナビニュースより一部引用)子供に「社会の窓が開いているよ」と言っても、きっと手はズボンのチャック確認のために動かないのだろうなぁ?

 もう一つ。4年生の習字を指導したとき、筆を洗い忘れてカチンカチンになって字が書けないので困っている子がいました。箱にしまったままの墨を取り出して、硯の上で筆をしごきます。徐々に筆らしくなっていく様子を見ていた他の子が、「それって、そうやって使うんだぁ」と呟くのです。いえいえ、これは墨と言って、水を入れた硯の上で摺って使うものですよ~。墨汁を使って墨を摺る習慣がないのに、習字セットには必ずと言ってよいほど墨が入っていますが無駄では?そういえば、書道がユネスコの無形文化遺産に提案されるといいます。知ってる?

337 年賀状(24.1.10)

 昨日久しぶりにホームページを開いてアクセスカウンターを見ると、なんと150万を超えていました。以前100万を超えたと書いたのはいつだったのでしょう。学校のことを知ってもらったり身近に感じてもらったりするために他愛ないことを綴ってきましたが、目にとめてくださることに喜びと感謝です。

 今朝は、歌手の八代亜紀さんが亡くなったことを多く報じていました。スポーツでは、皇帝ベッケンバウワーの死去のニュース。サッカー少年の憧れでした。にもかかわらず、話を振ったら「ドッペルゲンガー?」と声が返ってきます。知らない人には興味ないかぁ。

 さて、年末の賀状作成がない喪中の年末はゆったりでした。そんな折、郵便料金が来秋値上げされるニュースに様々な思いが浮かびます。ハガキは7年ぶりで63円から85円に、定形郵便封書は84円から110円へという、こちらは30年ぶりの大幅な値上げといいます。逆に30年も据え置きだったことにびっくり!57年前(1966年の改定)にはハガキが7円、手紙が15円だったことを知る者としては苦笑するしかありません。ハガキや手紙離れが言われて久しいですが、年賀状など今以上に出さなくなることが目に見えるようです。

 子供のころ、元日の午前中に届く年賀状がとても楽しみでした。フライングしてポストを見に行って、まだ入っていなかったときのがっかり感。そして、輪ゴムで止められたハガキの束を持った時の高揚感。ただ、自分に届く年賀状の枚数は僅かですから、父や母が羨ましかったことも思い出します。

 学校に目を向けると、創立70周年記念関係の諸々がどんどん形になっていくことを感じます。70年前の開校当初と現在の学校や家庭生活を様々な角度から比較して紹介するようなことができたら、子供たちは目がテンになるかも。そうそう、記念の横断幕が出来上がりました。子供たちから募集したイメージデッサンや標語が、素敵な作品となっていますので、2月16日の式典の際には紹介します。この1月から各学年で子供たちのステージ発表(6年生を送る会)に向けて始動します。そのために、職員は今日、文化会館大ホールや経路を夕方下見してきます。

336 「アレ」といえば(24.1.9)

 元日から能登地震・JAL機と海保機の衝突炎上という衝撃的で悲しい始まりとなりました。知り合いに被災された方がいらっしゃるかもしれません。そうであっても新しい1年の始まりには変わりありません。

 さて、新年を迎えて生活用品が新品に入れ替わることもあります。洗面所や浴室で毎日使用する「アレ」もタイミングさえ合えばその一つかも。液体石鹸です。ボトルに入った液体が、フォーム(泡)となって出てくるものと液状のままのものとがありますが、どんな仕組みで一瞬のうちに泡に変わるのか、今さらですが知りたくなります。上部の細かいメッシュを通過することで、空気と合わさって泡になるらしいのですが、ヨシタケシンスケさん風に考えるとボトルの中に小人がたくさんいて、液体石鹸を繊維の上でゴシゴシこすって外へ送り出している絵が描けそうです。

 また、以前、大型トラックのフロントガラス上のルーフにあった「アレ」もふと思い出しました。対向する車などにトラックのスピードを知らせ、注意喚起をしていた緑の3連ランプです。一つ点灯で40キロ未満、三つ点灯すると60キロ以上を意味します。そこでも小人がせっせと操作をしていたはずです。ただ、道路のインフラ整備が進み、2001年以降点灯義務が廃止されていますから、すでに20年以上が経ちます。その小人たちは今…。

 さらに、年末年始恒例といえば、業者の挨拶まわり。来校して持参するのは決まって「アレ」。そう、会社名入りのでっかいカレンダーですが、昨年末にいただいたものを見ると時代の流れを感じます。どこも卓上カレンダーが主流になったようです。あまり邪魔にならず置く場所を選びません。刺繍入りの布製カレンダーもあった数年前までは、カレンダーを筒状にして段ボールに立てた脇に「ほしい方はどうぞ」と書かれている光景を目にしました。あのカレンダーの裏紙は字を書いて掲示したり集会で見せたりするのにちょうどよかったのになぁ。

 それでも、部屋のカレンダーが真新しいと背筋もピンと伸びます。そんな新鮮な気持ちを大事にしながら、今年もよろしくお願いします。

335 今こそ、今から、今しか(23.12.22)

 観光バスに乗っていると視点が高いので、普段見えなかったり気にならなかったりするものまで視野に入ってきます。外環道の三郷JCT近くを通過するとき、路面に白くペイントされた文字と矢印に目が行きました。単に「首都高」と書かれているだけですが、「首都高等学校」と間違うことはないだろうなぁとバカな疑問が頭をよぎります。

 そんな修学旅行2日目のブログに見守りボランティアの田中さんについて触れました。翌朝、学校の前で保護者の方から情報をいただきました。さらにその2時間後に田中さんが校長室に足を運んでくだり、20年続けられたボランティア引退の話をいただきました。20年といえばお世話になった人がたくさんいるはず。今日の終業式でお礼について投げかけ、メッセージ用紙を校長室前に置きます。子供、保護者、知り合いを問いませんので、必要な方はお持ち帰りください。年明け16日(火)までお待ちしています。

 話題は変わりますが、必ず死ぬと書いて「必死」と読みます。この言葉を私たちは気軽に使っていますが、意味を知るとすごいことだとわかります。つまり、必死というのは「今しかない」ということだからです。人は必ず死にますし、死はある日突然やってきます。未来はこうだったらいいなぁと考えている私たちを急にさらっていくこともあります。だからこそ、「今しかない」と感じることはとても大事なのかもしれません。決して切羽詰まったイメージではなく、何か新しいことを始めたり何かを変えたりするとき、「いつか」ではなく、思い立った時がベストタイミングだと思うのです。新しい年を迎える今しかないことはないでしょうか。そんな話も終業式で全校にする予定です。

 来年も(は)よい年になりますように!よい年をお迎えください。

334 紅白歌合戦(23.12.21)

 夜、布団に入って足元が冷たいとなかなか寝つけません。湯たんぽや電気あんかが重宝される理由です。こうしたもののほか、使い捨てカイロや電気毛布といった製品使用時の低温やけどが毎年話題に上ります。温水洗浄便座に長時間座っていたことが原因で、太ももの裏などに低温やけどを負ったという事故も発生しているというからびっくり。

 寒い朝は、通勤電車のシートヒーターがうれしくなりますが、たまに座面の熱や座席下から吹き出す温風で腿の裏やふくらはぎが熱くてたまらなくなることがあります。乗り継ぎ駅到着まで20分。これがもう少し長かったら、間違いなくやけどしていそう。足を浮かしたり投げ出したりしていれば耐えられるかもしれませんが、混雑する車内でそんなわけにはいきません。隣に座る人は無表情ですが、やっぱり熱いのではないかなぁ?

 人気歌手のAdoさんが、年末の紅白歌合戦に出場することが確実視されています。その裏で、顔出しするのか、場所や演出はどうなるのか盛り上がっています。昨年の紅白では、映画『ワンピース』のウタというキャラクターの歌唱パートを務めたといいますが、単独ライブでも顔出ししない徹底ぶりとか。ほかにも、ヨルシカ、ずっと真夜中でいいのに、GReeeeN…など顔出ししない歌手は結構いるようです。誹謗中傷のターゲットに被害側がされ、自宅や顔がSNS上に晒される事例もたくさんあがる中、顔出ししない(されない)ことで神聖化されていることはないでしょうか。

 半世紀以上前の紅白歌合戦の平均視聴率は80%前後という国民的番組。でも最近では40%を下回りますから試行錯誤の真っ只中なのかも?さぁて、今年は見ようかどうしようか。それ以上に、何を飲みながら食べながら夜を過ごそうか思案中。

333 様変わりする(23.12.20)

 ホームセンターで電源延長用のコードリールを購入しました。支払いを済ませてテープを貼ってもらい、店舗を出ると後ろから呼び止められていたようです。気づかないでいると店員さんが走ってきました。防犯タグが付いたままゲートを通過したのでアラームが鳴ったようです。でも、それも聞こえなかった私は、傍から見ると制止を振り切る万引き犯?補聴器を着けたからといって、完全に聴こえるようになるものではないのです。

 嫌~な気分のまま車のラジオから流れる声に耳を傾けます。60年前と現在を比べると、コメの消費量が半分になっているとか…。食生活の変化を如実に物語っていますが、コメ農家にとっては打撃以外の何物でもないはずです。

 食生活の変化だけではなく、気候変動によってとれる地域や量が大きく変わってきているものもあります。気温上昇がもたらす現象は恩恵がある一方、農業では深刻な問題にもなります。例えば果物!リンゴやミカン、桃、アボカドなど栽培適地が北上しているといわれます。

 また、魚に関しても同様です。日本では、正月のサケやブリといった魚が縁起物として親しまれてきました。いわゆる「年取り魚」です。このブリ、2年前の漁獲量ランキングを見ると、北海道が第1位。次いで千葉県、長崎県となっています。でも、10年前は島根県・鳥取県・長崎県の順でした。専門家は「海洋熱波」の影響を指摘しています。サンマの不漁・高騰なども同様であるとされます。もしかすると、10年後には食卓に上る魚の種類だけでなく、社会科副読本「わたしたちの市川」で取り上げる「漁業の盛んな銚子市」や5年生の教科書に載る「水産業の盛んな地域」が大きく様変わりしていることだって考えられそうです。

332 おせち料理(23.12.19)

 例によって録画で観ていた『下剋上球児』。選手や監督が苦難を乗り越えて頑張る姿が涙を誘います。先日最終回を迎え、「下剋上ロス」に陥った我が家でした。

 一方、土曜の夕方放送の『満点青空レストラン』、「今日の食材は何だろう」と毎週興味津々。1年間番組で紹介した各地の最高食材を使って、豪華なおせち料理が作られるのも毎年恒例になり、随分前に放送されました。“壱の重”から“参の重”までこれでもかというような品がぎっしりと詰め込まれています。味わってみたいと思うものの価格を見るとほぼ6万円。手が出ませんし、違うお金の使い方を考えたくなります。何個販売するのかは知りませんが、12月の声を聞いた時点に「抽選販売の受付は終了しました」とありますから、申込み多数で抽選に漏れた人もいたのかもしれません。どんな人が買うの?

 昔は3月3日や5月5日というような節句の料理を「おせち」と呼んでいたそうです。毎日家事に忙しい(主に)お母さんたちがせめて正月三が日くらいは料理をしないで済むように、保存のきく料理を作ったことに始まります。このおせち料理は、日本懐石同様に祝い肴・口取り・焼き物・酢の物・煮物の5種類で構成され、それぞれにおめでたい意味やいわれがあります。重箱に詰めるのも、幸せを重ねるという意味が込められていますが、家族が二人だけになると食べたいものだけの必要最小限になり、手間のかかるものは敬遠されがちです。今年テーブルに乗りそうなものは、松前漬けと黒豆、田作り、なます…?

 こうした料理をする匂いが家中に広がるころ、なぜかしら焦りだす私です。

331 虫の目 鳥の目 魚の目(23.12.18)

 修学旅行1日目に行った日光江戸村。フラッと花魁の芝居小屋に入り、「お大尽」に指名されて舞台に上がる羽目に…。子供に見られなくてよかったと胸をなでおろしました。また、地獄寺というお化け屋敷に似た一画、入口の「以下の方はご入場出来ません」と掲げられた最初の一つに「60歳以上の方」とあります。気にしないで前進!

 4年生と行った伊能忠敬旧宅。ここでも石に刻まれた忠敬の家訓を目にしました。<第一> 偽りをせず正直たるべし、<第二> 身下の人でも教訓異見あらば用いるべし、<第三> 言語進退を寛容に諸事へりくだって人と争うべからず、1791年9月21日と。今だからこそ改めて心に刻みたいと思いながらすぐに忘れてしまう愚か者が、急に思い出したのが物事を見る心得、「虫の目」「鳥の目」「魚の目」です。虫は複眼ですから様々な角度から物事を見ます。鳥の目は、高い位置から全体を俯瞰します。魚は潮の干満や流れを読みます。

 さて、少し前まで枝の先端に真っ赤な赤い実をたわわにつけた南天をあちらこちらで目にしました。「難を転ずる」という意味から、縁起を担いで南天を植える家庭は少なくありません。我が家にも鉢植えの南天の木がありましたが、いつも花は咲けども実をつけません。木は立派になっていきますが、結実しないので処分してしまったのが今秋のこと。オタフクナンテンだけが残してあります。

 赤い実は鳥の目を引くようで、食べられて糞として捨てられたあと、空き地などで発芽して大きく育ったものを見かけます。南天もその一つですが、センリョウ(千両)やマンリョウ(万両)も同様です。ともに庭で真っ赤な実をつけています。ヒヨドリがこっそりやってきてついばむ季節なので、無粋ながら鳥避けネットを被せてしまいました。だって赤と黄の2色あるセンリョウは、仏壇や部屋に飾るのに最適ですから守らなくては…。

 今学期も今週でおしまい。来年を見据える今、多角的な視点や分析をもって次の有効な一手を繰り出していけるようでありたいと思ったのです。

330 ケーキ(23.12.15)

 一度できてしまうと、長い期間やっていなくても体が覚えていることはたくさんあります。自転車はいつでも乗れますし、逆上がりは今もできます。自動車の運転だって、マニュアル車全盛時に取得していますから、今も少し走ればすぐに勘を取り戻します。

 逆に、昔できたのに今はできなくなってしまったこともあります。必ずしも加齢によるものではなさそうです。例えば「口笛」。今はかすれた音しかしませんし、吸った方が音になるくらいです。その他にも自転車の「両手放し」や縄跳びの「はやぶさ」など。まだまだありそうです。

 さて、誕生日でもなく結婚記念日でもない、別の記念日もありそうです。そんな特別の日、帰りにケーキを買って帰りましたが、昨年も同じ店のチョコレートケーキを買ったようです。最近ケーキは、ずっと値上げの煽りを受けている商品の一つ。昨年買った時は3段階のサイズ展開で、以前よりも買い求めやすい値段設定になっていましたが、今年は4段階に!2人家族なので、小さい方から2番目をチョイス。

 今の時季、ケーキといえばクリスマスケーキ。すでに注文した家庭もあることでしょうし、手作りする家もあるでしょう。我が家は後者。ありがたいことに誕生日も含めてオリジナルケーキがテーブルを飾ります。先日娘が、「シフォンケーキの作り方を教えて!」と言ってきたといいます。スマホでやり取りしながら出来上がったケーキ。その写真や動画を報告がてら送ってきましたが、自分で作る楽しさは格別のようです。そして、それを「おいし~」と言いながら喜んで食べる姿を目にすればうれしい気持ちで満ち溢れます。さらに、ホールのケーキは、今日食べても明日も食べられるという喜びがあります。

 ケーキや菓子作りは、一度できるようになると病みつきになるのかもしれません。

329 気をつけます!(23.12.14)

 12月の日光は、平田小の貸し切り!思った以上にスイスイ、集合写真も他を気にせず撮れました。

 修学旅行等に多大な影響を及ぼした新型コロナ感染症の拡大初期、疫病除け妖怪「アマビエ」が、世間に広く知れ渡るようになったことを急に思い出しました。「アマビエ」を知らない私は、「アマエビ」だとばかり思い込んでいたのです。アマビエの画像を見ても「どう見てもアマエビには見えないのに、どうして注目されるの?」と不思議でなりませんでした。同じ4文字の配列であることが思い込みにつながったのでしょう。

 もう一つ。作成文書に「市川市教育員会」と打ち損じを見つけることがあります。「委(市川市教育委員会)」が足りない!不注意で、さらっと流して読みがちです。これに似たものが下!

こんちには みさなん おんげき ですか? わしたは げんき です。

この ぶんょしう は いりぎす の ケブンッリジ だがいく の けゅきんう の けっか

にんんげ は もじ を にしんき する とき その さしいょ と さいご の もさじえ あいてっれば

じばんゅん は めくちちゃゃ でも ちんゃと よめる という けゅきんう に もづいとて

わざと もじの じんばゅん を いかれえて あまりす。

 読めてしまうのが不思議です。文章中のいくつかの単語で最初と最後の文字以外の順番が入れ替わっても正しく読めてしまう現象をタイポグリセミア(Typoglycemia)というのだそうです。ただ、途中がデタラメでよいかというと決してそうでもないのですが…。

 学校発の文書では、誤字脱字がないように最低でも3名以上で確認をしています。ただ、このブログに関しては自分で何度か読み返すのみ。アップの前に修正を加えると、その部分に間違いが生じてしまうこともあります。迂闊にも、私設検閲担当から指摘されて慌てて直すことだって。

328 ごめんなさい(23.12.13)

 ずっと心の中に居座るモヤモヤで、修学旅行2日目の朝は目を覚ましました。

 白門で毎朝見守りをしてくださっていた千葉さんの引退を紹介したり、子供たちからのメッセージを綴じてプレゼントしたりしましたが、赤門を左へ出て菅野駅方面に向かった先の国道14号、その横断歩道で黄緑色のベストを着た男性(田中剛之さん)も子供たちを見守ってくださっていたお一人。

 千葉さんに手紙を手渡したと同じ頃、お礼を伝えるため何度かその場を見に行きましたが会えません。子供に聞くと最近はずっと見ていないとのこと。できるだけ朝は学校付近で子供たちの安全指導とあいさつをしてきましたが、少し離れると足を運ばないままになっていました。多くの方々に支えられて、今の学校や子供たちがあるわけです。それを忘れて任せっぱなしに…。引退されたと小耳にはさみましたが、お元気だとよいのですが。

 気持ちを切り替えて、2日目がスタートします。

327 行ってきま~す(23.12.12)

 「♪じ~んせいは ワンツーパンチ、汗かき べそかき 歩こう~よ~…ワンツー ワンツー 休まないで歩け~♪」は、水前寺清子さんの『365歩のマーチ』。12月12日なので、ふと思い出しました。

 今日から一泊で日光修学旅行に出かけます。当初の計画では先月中旬でしたが、インフルエンザが広がり延期を余儀なくされ、ひと月遅れとなりました。10月下旬でも奥日光の朝は氷点下まで気温が下がります。それが12月ですから…。昼間の寒さが想像できないので、防寒対策はしっかりするように伝えてありますがちょっと不安!昨年は、ホテル前から一人で朝の散歩をしましたが、その時に野生のシカと至近距離でバッタリ出会いました。しばらく見つめあったことを思い出しますが、今年はどうでしょう?

 11月案では中禅寺湖の遊覧船に乗ったり、戦場ヶ原をガイドと一緒に散策したりする計画がありましたが、12月にもなると遊覧船は運航せず、戦場ヶ原も入れません。必然的に活動が制約されます。ですから、今日は日光江戸村で遊ぶことと日光彫体験がメイン行事です。江戸村で木刀をお土産に買う子が絶対にいるはず。それ以上に、ホテルでの自由時間が十分確保されていますから、子供たちには一番うれしいことなのかもしれません。明日は、日光東照宮を見学後、その周辺散策をグループごとに行います。初めての試みですが、地図を見ながらいろいろと見て回って、へとへとになって集合場所に戻ってくるのではないでしょうか。

 HPの「学校・児童の様子」に随時活動の様子を掲載する予定ですので、写真で師走の日光をお楽しみください。生憎の雨ですが、行ってきま~す!

326 ナンバープレート(23.12.11)

 某アウトレットモールに行きました。クリスマスムードが漂い、各店舗の賑やかさを肌で感じるだけでも顔がほころびます。プレゼントをもらう側がうれしいのは当然ですが、誰に何にしようかと思い悩み、相手の喜ぶ顔を想像してあれこれ選ぶ時間もまた楽しいもの。ただ、うち家族の場合、「○○プレゼントの前借り」的な買い物が多くなっているような気が…。

 さて、自動車につけられているナンバープレート。数年前に「市川ナンバー」が登場しました。ご当地ナンバーとなって、梨と江戸川の図柄入りもたくさん見かけるようになりました。このナンバープレートの数字に拘る場合があります。誕生日や記念日という場合もありますし、語呂合わせから「703(なおみ)」「841(やよい)」「310(佐藤)」「510(後藤)」「1173(いい波)」「2983(肉屋さん)」「3150(最高)」など様々です。富士山ナンバーに「3776(標高)」を付けた車も見たことがあります。「1122(いい夫婦)」もやたら多い!また、風水で最高に縁起が良いのは「168(イロハ)」なのだそうです。エンジェルナンバーなるものもあります。「810」を「ハート」と読んで、かわいらしさをアピールしたい時にも使えそうです。

 このほか、「358」も縁起が良い数字といいます。旧約聖書にも登場する聖なる数字として知られているらしいですし、江戸幕府の初代将軍徳川家康を別にして、一般的に知られる3代家光、5代綱吉、8代吉宗からくるという理由もあるようです。諸説ありますが、このナンバーを付けた車をあまりにもよく見かけるので、我が家では「サンゴッパチ族」と呼んでいます。もし、付けている人がいたらごめんなさい。決して馬鹿にしているわけではありません。

 そう言う我が家の車は、「オーナー様の誕生日」を番号に!運転免許を持っていないオーナーは、専ら移動手段は徒歩と電車ですが、我が家の財政管理者。当然、助手席は専用。たとえ名義は私でも、借りた車を運転しているわけで、一人で出かけるときには「クルマに傷をつけないでね!」と言われて送り出される始末です。

 あれっ?前を走る車、「110」は伊藤さん?それとも警察関係の方ですか?

325 口ぐせ(23.12.8)

 脚本家の山田太一さんが亡くなりました。オープニングの主題歌もヒットしたドラマ『ふぞろいな林檎たち』は、山田さんの作品中で私の一番です。大学生だった当時、中井貴一さんや柳沢慎吾さん、手塚里美さんら出演者の多くはみんな私と同世代だったからかもしれません。そうした中、ドラマやCMに限らずテレビでお目にかからなくなった人がいると、「生きていたっけ?」などと不謹慎な発言になりがち。植物同様、土の中にいて見えなくたって、様々な形で頑張っているのです。

 さて、人それぞれ口ぐせというか、つい声となって出てしまう言葉や音声ってあります。以前、家族から「なんか鬱陶しい!」と言われたのが、自席から立ち上がる時に発する「よし!」というかけ声です。自分では切り替えのために何気なく言っているようですが、聞いている者にとっては耳障りなことも多いようです。そういえば、職員室の椅子から校長室に移動する時にも知らず知らず言っているかもしれません。隣の教頭も耳障りに思っているかも?

 昔、学級担任をしていた頃のことです。授業中に、何やら子供たちのクスクスッとした笑いが頻繁に起こるのです。何かと思いつつも授業を終えました。休み時間にある女児が教卓に近づいてきて、「54回だったよ」と報告するのです。私は???です。よく聞いてみると、授業中に「ね」と言った回数だったのです。話す中で「~でね、これはね~」と繰り返していたらしいのです。そのあとの授業では、言わないようにすることばかり意識して気疲れしてしまったことを思い出します。

 ある言葉が気になりだすと、そこばかりが聞こえてしまうことがあります。講演会などで「え~、それは、え~」というように、話の合間に「え~」が頻繁に聞かれることがあります。逆にそうした言葉がないと滑らかでとても聞きやすく、話上手に思えてきます。自分ではわからないことってたくさんありますから、気づかせてくれたことに感謝。そうは言うもののいまだに癖は治りません。

 自分では気づかない癖・口癖を指摘されたことってありますか?

324 はい!チーズ(23.12.7)

 12月に入って、朝、校庭に流れる曲が変わりました。今月の歌『ジングルベル』が軽やかに青空の下に流れていると、不思議とウキウキした気分になるのは大人も子供も一緒。「今年の漢字」の発表ももうすぐですが、勝手に「冠」か「暑」を予想している私。藤井棋士の八冠達成やWBC優勝、阪神タイガースの日本一、車いすテニスの小田選手など栄冠を獲得する場面が数々ありました。12日が楽しみ~。

 さて、一昨日4年生の校外学習に引率した際、クラスで集合写真を撮りました。来週の修学旅行でも数か所で撮影が予定されています。寒い中なので表情も固まってしまいがち。でも、やっぱり硬直した表情より笑顔のほうが断然素敵です。だから、シャッターを押す前に「はいっ、チーズ」「イチたすイチは~?」など定番の合図があるわけです。

 そもそも、写真を撮るときに「なぜチーズなの?」「いつ頃から?」など疑問に思います。英語圏では「Say cheese(セイ・チーズ)」が使われるそうです。撮られる側が“チーズ”の「チー」と発音するときに顔が笑顔の形になるとか、英語では「ズ」で口をすぼめず口角が上がるとかいう理由でかけ声として始まったとされます。「チーズ」でなければならないということはありませんが、言葉の親しみやすさや覚えやすさ、発音のしやすさなどがあるようです。ちなみに、韓国では「キムチ」、中国では「茄子」、メキシコでは「ウィスキー」、スウェーデンでは「オムレツ」などが使われます。日本では雪印乳業のCMがきっかけらしく、50年前にまで遡ります。ガッテン!

 11月末にインフルエンザの予防接種をしましたが、そういえば昔は予防接種の後は入浴ができなかったことを思い出しました。なぜだったのでしょう。そして、いつからお風呂に入ってもよくなったのでしょう。スタンダードって、時代とともに変わっていきます!

323 きちんと把握している?(23.12.6)

 千葉県北西部に「震度5弱」以上の地震が発生した場合、登校前であれば「自宅待機」、在校中の場合は「引き渡し実施」と本校の非常変災時学校対応ガイドラインに示していますが、ご確認いただけているでしょうか?ところで、この地震計測震度で「5弱」といったとき、震度5より少し強い揺れなのかと思っていましたが、震度4.5以上5.0未満をいうのだそうです。あぁ勘違い!

 最近、新聞で似たような勘違いに関する記事がありました。例えば、「今回のアンケートの回答率は7割弱でした」という言い方をしたとき、若い人は「弱」を「少し多い」と解釈している人が結構いるようなのです。一般的に「7割弱」は65~69%、「7割強」は70~75%と考えますが、あまり使われない表現であるために間違った解釈があるのかもしれません。

 「9時10分前」についても8時50分を指しますが、9時8~9分頃ととらえる若い人もいるといいます。「一両日中に」と言ったとき、それが明日までなのか明後日までなのか悩みます。「インフルエンザで10日まで来ない」と言ったときも、10日は来るの?来ないの?と微妙です。いずれにしても、話す相手を意識しながら具体的な表現あるいは補足するに越したことはなさそうです。

 ところで、家にいるときに遠くで消防車のサイレンが響くことがあります。空気が乾燥する季節ですから火の用心です。ところで、その消防車はどこから来るのでしょう。4年生の社会科では、消防の働きや連携について学びますから、学校に近い消防署見学に行くこともありました。避難訓練を計画すれば消防署に連絡もします。よって、市川市内の消防署の場所は把握しています。にもかかわらず、自宅そばの消防署はどこにあるのかわからない!市境に住むため、隣接市の消防署の前をよく通ることはあっても、「うちの市のほうは多分あの辺にあったよなぁ」程度。調べてみると、近隣に分署が2つあります。交番とともに、あまりお世話になりたくはないけれど、知っておかねばならないと思った今日この頃。

322 学びは人の数だけ(23.12.5)

 ある日、3年生の教室前を通ると、国語で「こそあど言葉」の学習をしています。覗いてみると、活発な発言が聞かれました。阪神タイガースの岡田監督の「アレ(A.R.E)」は、今年の流行語大賞に輝きましたが、コレをネタにしない手はないよなぁ。「こそあど言葉」ばかりで会話する私は、そんなことを思いながら扉を閉めました。算数では2年生の九九の暗唱が佳境を迎えます。パパっと暗算ができる「おみやげ算」という計算方法もあるようです。

 実際の生活場面でも、簡単に計算ができると重宝します。例えば、4個入り510円と6個770円のチョコの箱が並んでいたとします。どっちがお得か考える場面は結構あるものです。「510÷4」と「770÷6」は、暗算をすぐにできそうもありませんのでスマホを取り出したくなります。でも、個数の4と6の最小公倍数12で比べると簡単です。1箱510円の方は12個にするためには3箱分で、「510×3=1530」となります。1箱770円の方は「770×2=1540」となりますから、4個セットのほうが若干お得という結果が導き出されます。私の場合、スーパーの酒売り場で、ビールをケースで買ったほうが得か特価表示の6缶パックが得か、おもむろにスマホを取り出してしまいます。みんながわり算で解を求める中に、上の方法など独自の解法にたどり着く子がいたら大いに認め褒めてあげます。

 さて、今日は4年生の校外学習。佐原に始まり、野田へ行って醤油づくりを見学します。結構な移動距離ですから出発も早い。でも、どんな驚きや発見をするのか楽しみです。伊能忠敬の制作した地図の精巧さなのか、醤油工場の独特の匂いなのか。感じたことを自分の言葉で考えへと高めてほしいと思います。そういえば、私も小学生の時に行った醤油工場でその匂いに「うっ」となった一人ですが、小さな醤油瓶をもらってうれしかったことばかり思い出してしまいます。

321 和食(23.12.4)

 新聞の見開きの全部がかに、カニ、蟹…。生やボイルしたズワイガニやタラバガニの通販広告です。う~ん、魅力的!11月末日締め切りかぁ。悩んだ挙句、私はどうしたでしょうか?年末商戦に突入です。

 さて、山口百恵さんが歌った『秋桜』(さだまさし作詞作曲)に「♪こんな小春日和の~穏やかな日は~」という歌詞があります。この「小春日和」は、春のような穏やかで暖かい初冬の陽気を指します。だいたい11月初旬から12月初旬ころの秋から冬へと季節が移ろう時期を言います。

 外国でも秋の終わりから初冬にかけての季節の変わり目の暖かな日を表す表現があることを知りました。例えば、英語では「インディアン・サマー」、ドイツ語では「老婦人の夏」、中国語では「秋老虎(秋のトラ)」という言い方をするのだそうです。日本では、もうそろそろ小春日和を使える季節ではなくなり、本格的な冬の始まりとなりますが、移ろいに敏感でありたいと思います。

 話は変わりますが、先日講演を聞いて、和食がユネスコ無形文化遺産に登録されていることを知ったような思い出したような…。今日は登録されて10年目を迎える日だそうです。四季が明確な日本において、豊かな自然を尊び、そこで生まれた習わしが日本伝統の食文化として認められたわけです。その特徴として、「1多様で新鮮な食材とその持ち味の尊重」、一汁三菜を基本とする「2健康的な食生活を支える栄養バランス」、添え物や器などを工夫して「3自然の美しさや季節の移ろいの表現」、そして「4正月などの年中行事との密接なかかわり」を挙げています。毎日の食卓や給食の中にも、こうした思いがたくさん込められているはず。その意識があるかないかで楽しみ方も違ってきそうです。

320 百人に聞きました(23.12.1)

 リンゴをかじる画を想像すると、なぜかしら「白雪姫」を思い浮かべてしまいます。ある日、リンゴ農家の人が収穫したリンゴを皮ごと丸かじりする映像がテレビから流れます。隣で見ていた若いリポーターの女性が驚いたような表情をつくります。スタジオのアナウンサーが「歯が丈夫でないとできませんね」と言っています。もしかすると、今はリンゴを丸ごとかぶりつく習慣がなくなっているのかもしれないと思い至りました。皮を剥いて何等分かに切り分けて食べることが多くなりましたから、皮を耳に見立ててウサギのようにした切ったリンゴだって見かけることがなくなりました。一緒にテレビを観ながら隣で、「昔のリンゴは比較的小さかったしね」という言葉もあながち間違っていなさそうです。リンゴを丸かじりした経験のある人を全校450人に聞いたら何割いるのでしょう?

 そういえばずっと昔、『クイズ100人に聞きました』なんて番組がありました。司会の関口宏さんが、回答者席のカウンターに体を寄りかからせるポーズを思い出します。ルールは簡単!2つの家族チームから代表者が1人ずつ前に出て早押しで回答するもの。答えが複数あるので、より上位(数が多い回答)の答えを当てると、次の回答権も与えられるというものでした。

 例えば、「スイミングスクールに通う小学生100人に聞きました。一番のごちそうと言ったら何?」という問題。この100人が「丸の内のOL」だったり「幼稚園児」だったり「市川のおまわりさん」だったりするわけです。

 それでは問題!「すてきな女性(男性)がじっとこちらを見つめていたら?」。お辞儀をする?声をかける?もじもじする?見つめ返す?目をそらす?自分の後ろに誰かがいるのかもしれないと思って振り向く?それとも、逃げる?

 12月、日々の逃げ足の速さを加速度的に実感する時季です。

319 鉄道(23.11.30)

 休み時間など、自由帳に電車の絵を描いて青やオレンジのラインを塗っている子を時々見かけます。覗き込むと “これは京浜東北線で、こっちが湘南新宿ライン” と教えてくれます。今日の就学時健診に来る子供たちの中にも、電車大好きっ子がきっといるでしょう。こうした鉄道好きを、「乗り鉄」「撮り鉄」などと分類する言葉はよく耳にします。このほかにも、「時刻表鉄」「廃線鉄」「車両鉄」「模型鉄」などたくさんあるそうですが、「駅弁鉄」って何かよい響き。人気アニメ『スラムダンク』のオープニングシーンに登場する江ノ電の踏切は、バックに広がる湘南の海や夕日も含めて聖地となっています。その一方で、ルール無視の人々が迷惑をかける様子も報じられていますが、こうした輩はさすがに撮り鉄の範疇には入らないでしょう。ちなみに、冒頭の児童は「絵描き鉄」?

 私が毎日使う東武アーバンパークラインに、11月から新色が登場しました。鮮やかなオレンジ色の帯と濃いベージュのツートーン。でも、車両自体は払い下げ車両のような古さです。8000型で唯一の原型顔として動態保存されていた8111編成が一般営業に就いたらしいのです。どうも珍しい車両のようで、最寄り駅付近の踏切に撮り鉄が集まっていました。ただ素朴な疑問も…。この色の電車がいつここを通過するか、何を調べてわかったのでしょう。

 そんな電車に乗りながらよく思うこと。7人掛けのシートが尻型や手すりなどで3対4に分かれていないとき、座った人の感覚次第で微妙なズレが生じます。ある人はある程度余裕のある6人で座ろうと腰を下ろします。でもある人は7人掛けを律義に守ろうとします。すると、6人座った後に園児なら座れそうな狭~い空間が生まれるのです。後から乗ってきた人がこの隙間に座ろうかどうか、一瞬の迷いが感じとれます。時には、そこに申し訳なさそうにお尻を差し込む人がいいます。両側に座る人が少し左右にズレれば済むのですが、一方の人だけが詰めると座り方に不公平感が見えてきてしまうのです。わかりますぅ~?こんなどうでもよいことに心が乱れる…。

318 新聞を開いて(23.11.29)

 先日市川市小・中学生新聞感想文コンクールの受賞者が発表された記事を見ました。市川市新聞組合の好意で3年生以上の全学級に2紙が毎日届けられます。全く開かないまま積み上げられているということがないことを祈ります。

 その新聞に作家の堂場瞬一さんのインタービューが掲載されていました。小説家になろうと思ったのは、字が読めるようになってすぐのことで、小学校の図書室の本は片っ端から読み、高学年で星新一のSFの世界に夢中になったそうです。意識して小説を書き始めたのは大学生のころだと言いますが、発想の源は新聞にあるようです。“新聞って何でも載っていて興味のないところまでつい読むじゃない。それが意外と記憶に残っている。”と語るように、紙面をめくると様々な情報がどんどん飛び込んできます。好む好まざるにかかわらず目に触れるわけです。これがインターネット情報との大きな違い。難しいことは考えずに、まずは教室に配られた新聞を手元に置いて、眺めてみようとする子供たちが増えてくれるといいなぁと思います。だって、新聞をとっていない家庭がとても多い現代ですから…。家にあるならなおさら!

 給食でABCスープが提供された翌日、タブレットを抱えて校長室にやってきた男児の作品が写真のとおり!思わず笑ってしまいます。汁の中から必要なアルファベットマカロニを見つけ出して並べたようです。数字もありますし、車の形はマカロニを千切って並べたようです。もしかすると、「誰か『S』が入っている人いない?」なんて声があったのかも…。どんなに車好きであっても、その行動力と発想、根気に感心です。

317 届け!笑顔(23.11.28)

 高いところが怖い!吊り橋を渡るような場所や断崖絶壁の先端部に近づこうものなら、心拍数が上がってお尻の穴がムズムズと痒くなります。頑強な柵や床があって危険がないとわかっていても、本能的な恐怖が理性を抑えきれない感じです。だから、居所を高層階に置くなんて、どんなに眺望がよかったとしても無理~。

 山の頂などに設置された「絶景ブランコ」と呼ばれる施設が名物になっている観光地もあります。体が放り出される感覚が苦手な私は、写真を見ただけお断りしたい遊具です。また、先日は岐阜県のアスレチック施設で、林間に張られたワイヤーを滑り降りるジップラインの滑車が外れて7m落下して大けがしたという事故がありました。スリルを楽しむ体験遊具ですが、やっぱり無理~。

 さて、年末調整の書類作成に必要なため、妻の給与明細書を預かったとき、下欄に書かれている「接遇ワンポイント」の文字に目に留まったので、いくつか紹介します。

■笑顔はホルモン分泌を盛んにし、相手の意欲に働きかけることができます。素敵な笑顔をたくさん届けてください。

■相手に手のひらが見えるように、両手で受け渡しすると優しく丁寧な印象が届きます。

■物を置く際の音、扉の開閉の音など、精神的な環境配慮でもあります。優しく丁寧な所作で、大きな音をたてないように心がけましょう。

■明るく響く声のトーンは、人に心地よさを届けます。背筋を伸ばして笑顔で声を出しましょう。

■物事を先に伝えておけば「説明」です。しかし、トラブル等の後に伝えれば同じ内容でも「言い訳」です。しっかり事前の説明をしましょう。

■「あなたにお願いしたい」、そう思っていただける存在価値を、仕事やコミュニケーションで提供しましょう。

 学校、教室、仕事場、家庭、すべてに通じるものがあります。だから、今日も気持ちよく過ごせるように、恐怖に引き攣った顔ではなく、目尻に皴をいっぱいためた笑顔で対応します。今週もよろしくお願いします。

316 よい姿勢で(23.11.27)

 先週25日に開催された合同学習発表会。6年生の市内音楽会もそうでしたが、たんぽぽ学級33名の子供たちが一生懸命取り組む姿から自然と喜びの笑みがこぼれます。決してこの日だけのために練習したものではありません。4月からの学習をアレンジして、一つにまとめられています。そうした積み重ねを自信にした、やり切ったという表情が素敵でした。これからも応援しています。明後日は就学時健康診断が計画されています。約百名の園児等がやってきます。小学校入学に胸を膨らませることができるような時間・空間にできるように、随所で心配りをしています。

 さて、「体幹を鍛える」といったことはよく言われます。体幹トレーニングを取り入れて、より速く、より強くあることを目指すわけです。我が家の本棚にも2~3冊飾られていますが、成長期にある小学生のころから、そうしたトレーニングが必要なのか疑問です。スポーツクラブなどでは、練習の中にうまく組み込んでいるようですが、体幹トレーニングというより、動きをスムーズにするための骨盤運動のようです。関節が硬いことはけがの温床となるため、体全体の姿勢をよくすることがとても大事です。よい姿勢を保ち、その状態で背骨をいかに思うように、かつスムーズに動かすことができるかが大きなポイントで、パフォーマンス向上・けが予防に役立ちます。八中ブロック教職員研修を思い出します。

 ただ、単に「姿勢をよくしなさい」と言っても、子供はなかなか聞こうとしません。ですから、スポーツ選手などの動画を姿勢に注目して見せたり、食事や読書、勉強といった日常の具体的場面での姿勢を意識する時間を設けたりすることが第一歩だと思います。

 寒くなって背中が丸くなる季節。よい姿勢は大人世代の腰痛予防にも効果があります。今よりちょっとだけ胸を反らせてみませんか。

315 今からでも遅くない!(23.11.24)

 ある対談番組で、アーティストのGACKTさんが語った言葉に「なるほどそうだよなぁ」と納得する私。GACKTさん自身、50歳になりましたが、「20~40代の若い人が、歳をとるのは嫌だなあと思うのは、イケてる年配者がいないからですよね」と言うのです。お腹が出っ張ったり姿勢が悪かったりして、運動や服装などにも無頓着な姿を目にする機会が多ければ、目標やモデルの対象ではなくなってしまいます。さすがにGACKTさんのような容姿にはどう足掻いたってなれませんが、こうだといいなぁ、あんなふうでありたいと思えるはつらつとした年配者は目指せます。そのために何から手をつけましょうか。

 加齢による筋肉量の減り具合は、女性より男性のほうが大きいといいます。また、骨密度に関しては、女性の場合、成長期の運動と相関関係があるようですが、男性の場合は現在の運動が影響するとされます。逆に考えると、現在の運動習慣によっては骨密度や筋量などを維持できる可能性が高いといえるわけです。

 さて、先日19日は『国際男性デー』でしたが、恥ずかしながら初めて聞きました。肌も男女で違うようです。男性は、女性に比べて老化が早いといいます。肌の老化は40代から目立ち始めますので、その対策は必須です。一般的な健康対策に似ていますが、バランスのとれた食事、十分な睡眠、喫煙・飲酒を控えること。ほかに、紫外線対策と保湿は重要なようで、屋外スポーツなどではスキンケアが欠かせません。帽子やサングラス、日焼け止め、こまめな水分補給など、私が縁遠かったものばかり!そのツケが今回ってきています。

 いやっ、今からでも遅くない。鏡を見ながら風呂上がりと朝の洗顔後の保湿…。体だけでなく、ほかの誰でもない自分に心躍らせ、自分を楽しむことができれば、イケてる60代になれるかもしれないと思うのです。

  《参考:朝日新聞2023.11.19》

314 ゴボウ(23.11.22)

 豚汁、もつ煮、きんぴら、煮物、けんちん汁などに使われる食材といったら「ゴボウ」。八百屋やスーパーで目にするゴボウは根菜です。大根や蕪も根菜ですが、これらのように葉が付いているのを見たことがありません。先日新聞を読んでいると、“ゴボウという植物はアザミに似ていて、とげとげした見た目の花を咲かせる”とあります。早速検索してみると、写真とともに「高さ3mにもなる二年草。キク科ゴボウ属で、根を食用にするほか果実を薬用とする」と説明があります。ついでに生産量を調べてみると、青森県が国内の3分の1以上であることがわかります。

 このゴボウは中国から薬草として渡来し、平安時代には宮廷料理の食材として利用されていたようです。ゴボウを日常的に食すのは日本だけらしく、第二次世界大戦中にはアメリカ人捕虜に食事として出したといわれます。でも「木の根を食べさせた」として、戦後の裁判で死刑になったという悲しい話もあるくらいです。

 また、ゴボウは夏にアザミに似た紫色の花を咲かせるといい、ヨーロッパでは根よりも花のほうが有名です。その花言葉は、「私に触らないで」「しつこくせがむ」だといいますから、ゴボウの花は見なくてもよさそうです。ちなみに、アザミの花言葉にも「触れないで」がありますが、ほかに「厳格」「気品」「権威」「復讐」「報復」と怖い言葉も並びます。やっぱりあの鋭いトゲに由来するのかもしれません。

 一般的にゴボウの旬は11月から2月頃の寒い時期です。気温が下がってきて汁物や煮物、鍋物がおいしく感じられます。様々な料理においてゴボウはバイプレイヤーではありますが、これからも存在感ある味を楽しませてくれるはず。さて今晩の食卓に、ゴボウは登場するでしょうか?

313 あなたは今幸せですか?(23.11.21)

 ドラマ『フィクサー』を観ていたら、なるほどとうなずける主人公のセリフがありました。「自分で決められることを幸せと呼ぶんだ!」と言います。どんなにお金持ちでも地位が高い者でも、自分の意志の外に決定権があったり従わざるを得ない状況にあったりすれば本意ではないはずです。たとえうまくいかなかったとしても、束縛されることなく自分の意志で選択できることはとても大きな幸せと考えてよさそうです。子供だって親の管理下にはありますが、自己決定の場面が多数あります。欲しいものが手に入らないことを、不幸せだと嘆くことではないと思ったのでした。

 こんなことを考えながら、戦闘が絶えず犠牲が拡大している世界の状況を目にすると、いたたまれない気持ちになります。自分で決めて一歩踏み出すことができる私たちにできること、まずは他人事として自分から切り離してしまわないことかな。

 さて、ある期間、寝起きで腰が痛くて堪らない日が続きました。辛いときはベッドから起き上がるまでに時間がかかります。肩も痛くて、快眠とはほど遠い。十数年使っているマットレスのへたりが原因かもしれないと思い、購入を検討しました。○○ウィーヴとかトゥルー○○など見聞きしますが、高価です。そこで「お、ねだん以上」の店に行って寝比べすること3~40分。あれこれ悩んで決めました!後日納品された以降、腰痛に悩むことがなくなりました。

 自分で決めたマットレスでぐっすり眠れて、幸せ~。

312 知らないだろうなぁ~(23.11.20)

 子供心に「これさえあればどこにでも行ける」と思わせてくれた道具(乗り物)が自転車。小学校高学年の時、幼馴染と二人で印旛沼や成田まで冒険の旅に出かけたことは以前書いたとおり。自転車を中心にした漫画といえば、最近では『弱虫ペダル』が有名ですが、半世紀前大好きだったのが『サイクル野郎』(荘司としお 作)です。主人公の輪太郎は中学3年生で、日本一周の自転車旅行を決意するというもの。荷台やその両脇に荷物を積んで走る自転車がとても魅力的だったことを覚えています。

 自転車に後方確認用のミラーを付けていたのも当時の主流。そのミラーの位置をどこにすれば格好よく見えるか工夫もしました。だから自転車の改造もしました。難しいことや違法なことをするわけではなく、他人と違った自分だけの自転車に仕上げたかったのです。今でも年配の男性の乗る自転車にバックミラーが付いているのを見かけますし、その位置が前輪の脇のフレームだったりすると、「おぬしも好きよの~」と思ってしまいます。

 また、鉛筆や木を削るのに便利で学校にも携行していたのが「ボンナイフ」。カッターナイフが普及するまでは、昭和の小学生の筆箱に必ず入っていたともいえる文具の一つ。両刃カミソリに似てよく切れてコンパクト。しかも30円くらい。鉛筆の削り方も先生がみんなに教えていた時代です。これを携えて笹やぶに分け入って、奥まったところの笹を根元から切り、自分だけの空間を作って遊んだものです。

 ボンナイフがわかれば、アメリカンクラッカーと聞いてきっと現物が目に浮かぶ人も多いはず。マブチモーターが販売していた水中モーターを模型などに取り付けて、風呂で遊んだ経験もあるかもしれません。舵とスクリューが一体となった赤白のデザインで、当時絶大な人気を誇りました。こんな昭和を代表するような懐かしい品が集まる博物館へ行きたい!

 週替わりで学級閉鎖が続いています。今一度健康管理と手洗い・うがいの励行を!!

311 非日常を楽しもう!(23.11.17)

 今日もキャンプ・ネタにお付き合いください。

 20数年前まで好んで出かけたファミリーキャンプ。ずっと以前のアウトドアブームの頃だったかもしれません。専らオートキャンプ場を利用しましたが、様々な経験をしました。例えば、真夏の勝浦。アリが大量にテントに侵入してきたことと、とにかく暑くて一睡もできないまま朝を迎えたこと。只々子供たちにうちわで風を送り続けていた夜でした。翌日の海の水がなんと気持ちよかったことか。別のキャンプ場では雷雨の洗礼を受けました。雨だけのうちはよかったのですが、稲光がひどくなって近づいてくるのです。テント内は危険だと判断して、車に避難して一晩を過ごしました。あるときは、暴走族の集会のようなものが始まりました。あれはどこだったでしょうか。もしかすると道の駅で車中泊をしたときかも…。

 家族は虫が苦手です。ですから、当時のキャンプ場のトイレはいけません。今ほどきれいではないうえに、そこかしこに蛾が張りついています。安心して用を足せないと言いますし、夜中のトイレは必ずと言ってよいほど同行のために起こされます。懐中電灯を片手に真っ暗な道を、トイレの灯りを目指して歩くわけです。

 キャンプに行ったらBBQといった固定観念もありました。「こうあるべき」という思いから脱しきれずに、料理も一から始めます。今のように家で仕込んでいくとか、簡単に済ませられるメニューにするとかいう発想がないわけですから、妻が大変です。キャンプ場でも調理に精を出し、家に帰れば使った食器類を洗い、シュラフを天日干しするなど、疲れて帰ったのにさらに仕事が待っているという始末。そんなこんなで縁遠くなった気がします。だから、「整えなければいけない」といった考えを捨て去って、ゆったりした時間を楽しんでいる今のキャンパーはさすがです。

 家とは違った環境で生活したり役割を与えられたりする経験・体験は、必ずしもキャンプだけではありません。非日常で思わぬ一面に出会えることも期待できそうです。今日は冷たい雨が降っていますが、週末は青空が広がりそう!それだけでワクワクしませんか?

310 お詫びと謝罪(23.11.16)

 寄せ植えにしたビオラが凛と花を咲かせています。赤門脇のプランターに植えられたビオラだって霜や雪などに耐えて来春まで目を楽しませてくれる優等生。

 「お詫びはするけど、謝罪ではない」と新聞にありました。「お詫び」と「謝罪」は違うんだぁと言いながらググります。「謝罪」とは、罪や過ちを犯したとき、損害や危害を与えてしまったときに謝ることであり、「お詫び」は、相手が憤慨しているときなどにただ謝ることだといいます。グループ行動をしていた一人がはぐれてしまって、心配をかけたような場面で謝る行為は「お詫び」ということになります。また、「お詫び」は「謝罪」を包含するような広い意味を持つといいます。

 テレビの会見で、カメラを前に深く頭を下げる場面を目にしますが、罪や過ちを認めての行為なのか、お騒がせしたことを謝っているだけなのか、語られる言葉も含めて見極めることが必要みたい。普段から言葉が相手にどう伝わるかを意識していたいものです。

 さて、10月末の授業参観やひらたっ子まつりへの意見や感想を取りまとめてもらいました。授業参観に関しては、「よかった」85%、「あまりよくなかった」3%でした。「中まで入れず様子がわからなかった」という声のほか、「ドアを外していたので廊下からも見られた」「奥まで入るように先生が声をかけてくれて有難かった」などがありました。なお、「吹奏楽部の発表の機会がなかった」点については、児童を対象に2学期終業式で演奏する場面を設けます。

 一方、ひらたっ子まつりについては、「よかった」87%、「あまりよくなかった」2%という結果です。様々なご意見は、今年度担当された方々と共有して、次年度の企画に生かしたいと思います。お詫びや謝罪ではなく、アンケートに回答いただいた「お礼」です。ありがとうございました。

309 七五三(23.11.15)

 先週、大リーグの大谷翔平選手が、ジュニア用野球グローブを日本の全小学校に3個ずつ寄贈すると発表しました。「野球を通じて元気に楽しく過ごしてもらいたい」という想いを込めてのことだそうです。さあ、このグローブをどうしましょ?発表翌日には、「校長先生、私に頂戴!」と何人もの子におねだりされました。お披露目のあと、玄関のショーケースに大切に保管するという手もありますが、それでは大谷選手の想いをキャッチできません。全児童とキャッチボールでもしましょうか。左利き用も1個あるというからその配慮には恐れ入ります。使い方について何かよいアイディアがあったら教えてください。グローブが届くまでにまだ十分時間がありそうですから…。

 さて、今日は七五三。七五三といえば千歳飴。千歳飴といえば不二家。不二家といったらペコちゃん。ペコちゃんといったらミルキー。そのミルキーの「ミニ千歳飴」を、口さみしさに負けて舌の上に放り込みました。とても懐かしい味のような、ちょっと違うような?昔食べた棒状の千歳飴は、そのまま舐めているには長すぎますが、適当に折って兄弟で分けるには上手に等分できませんし、小さな欠片がパラパラと散ります。それを指先に唾をつけて兄弟で奪い合い。子供たちの健康と成長を祝う伝統行事における千歳飴には、健やかな成長への願いが込められています。ただ、千歳飴を手にする景色は廃れていく傾向はないでしょうか。不二家の店先で、ペコちゃんとポコちゃんが晴れ着姿にもかかわらず寂しがっているように見えてきます。

 家庭の休みに合わせて晴れ着姿の子供を見る日は様々です。天気にも左右されますから大変です。写真も前撮りができるようですから、必ずしも参拝の際に晴れ着とは限りません。おっ、そういえばうちの孫も3歳だけど男の子。孫娘は4歳なので既に終わっていました

 ちなみに、「七五三」を名字にする人もいます。「しめ」と読みます。神社などに見られる「しめ縄」を「注連縄」あるいは「七五三縄」と書くのです。

308 秋キャンプ(23.11.14)

 今日から1泊の予定で計画されていた修学旅行が、インフルエンザの蔓延により延期にせざるを得なくなりました。同時に、6年生は明日まで学年閉鎖に。年が改まる前も含めて期日の調整中です。

 ある日、学校の来客用玄関に1足の靴があります。来客でしょうか。脱いだままの向きですし、揃っているわけでもありません。でも子供用ではないようです。急いでいたのかもしれません。でも、不特定多数が出入りする場所ですから、誰であっても気づかいは必要だと思うのです。

 10月終わりのひらたっ子まつりでは、屋内外を出たり入ったりする子供の姿がありました。お目当てのコーナーにできるだけ早く行きたいと思うのは誰もが同じかもしれません。でも、昇降口の散らばった靴の数々を目にすると、やはり「きちんと揃えてほしいなぁ」と思うのです。日頃の行動がそのまま表れてしまいますから、今後恥ずかしい思いをすることがあるかもしれないと思うと心配です。そんなふうに心が揺れてしまうのは心が狭いからなのでしょうか?

 夏日が続いていたのに急に寒くなった休日を利用して、娘夫婦とキャンプに行ってきました。21世紀になって初めてですから20年ぶり以上。空気が冷たく感じられる晩秋、防寒対策は必須ですが、焚火の炎って身体だけでなく、視覚的にも暖かさを演出してくれるような気がします。炎を見つめているだけで楽しくて童心に戻れます。

 薪ストーブも魅力的です。家にあったら、その前を何時間も離れることなく居座れそうです。窓から見えるチロチロと揺らぐ炎がとにかくよい!また、それに手を翳すのが何とも言えない趣きと喜びがあるのです。石油ストーブにも通じる感覚です。現代の暖房はエアコンや床暖房主流ですが、屋外から帰ってストーブの前に直行するあの感じを忘れたくはありません。時々アウトドアコーナーに行くと、レトロ感たっぷりのだるま型石油ストーブが置いてあります。アラジン製の商品の値段を見てびっくり!曲線を帯びたデザインは素敵ですが、とてもでないけど手が出ません。にもかかわらず、娘たちのテントの前室に据えられていました。羨まし~。

 焚火の前を離れて小さなレンタルテントに入ったとき、きちんと履物を揃えました。だって夜中、真っ暗な中をトイレに行きたくなることだってありそうでしたから…。

307 長い時を経て(23.11.13)

 昨日今日と寒い。ついに暖房の登場とともに、アンダーウェアも暖かいタイプに切り替えのタイミングです。

 顔は判別できるのに名前が出てこない。俳優の名前は特に強く感じます。「ほらっ、あの番組に出ていた人!」といいながら肝心な番組名も出てこない。「三文字の苗字でさぁ…」なんて会話がなんて多いことか!一緒に働いていた先生の名前だって、すぐにど忘れしてしまいます。その時は出てこない名前が、何か別のことをしているときにふと思い出すのです。ただ、教員ってつくづく得な職業だと思います。だって、誰に対しても一応「先生」って呼べば、名前をド忘れしていたとしても会話がちゃんと続きますし、間違いがありませんから…。

 さて、阪神タイガースが38年ぶりの日本一と報道されているのは知っていましたが、先日の天声人語を読んで、前回の日本シリーズ制覇が自分の教員人生スタートの年なのだと改めてわかったのです。そして、JRがまだ国鉄と呼ばれていたころで、電電公社が民営化されてNTTに、日本専売公社がJTと名称変更して発足した年だといいます。また、日航ジャンボ機墜落や新幹線上野駅開業があり、「8時だヨ!全員集合」が終わったのです。確かにそうだった、かも?

 こう考えると、平田小創立からの70年間を振り返ると数多の出来事があるわけです。平田小の先輩、坂崎千春さんからもお祝いのイラストをいただきました。1階の「平田小のあゆみ」掲示板に飾ってあります。貴重な作品ですから、ぜひご覧ください。そして、学校の歴史と同じように年齢を重ねてきた人が身の回りにいることにも気づくべきです。過去に学び、人を敬い、自らを高めようとする子供たちであるための一歩となります。阪神タイガースの日本一だって、「ダメ虎」と呼ばれていた時代も含めて、長~い年月をかけてチームが円熟してきた証し。阪神ファンの皆さん、遅ればせながらおめでとうございます。

306 ご縁がありますように(23.11.10)

 少し前に『アルルカンと道化師』(池井戸潤 著)の文庫本を買いました。単行本で読んだような気がするのですが自信がありません。しかも、ビニルカバーがされていますからページを手繰って記憶を呼び覚ますこともできません。背面の作品紹介の短文を読んでも記憶はあやふやなまま。本屋に行くたびに買うかどうかを悩んだ末、購入に至ったという次第。にもかかわらず、少し読み始めたら聞き覚えのある名前と場面設定。んん?読んだことある!もったいないので、今読んでいる本を読み終えたら、改めて読み始めます。これも何かのご縁ですから…。

 さて、日本テレビ系列で12日(日)まで「カラダWEEK」というキャンペーンを開催しています。カラダを整え、キモチを整え、イキイキとしたウェルネスな毎日を過ごせるようなきっかけを発信しています。第八中学校ブロック4校で一昨日、児童生徒や教職員等の健康やけがの防止などを目的に合同研修会を行いました。講話を聴きながら実際に体を動かして理解を深めました。「姿勢の改善」が中心でしたが、骨盤を動かすことって難しい!こうして得た知識を子供たちあるいは家庭に広めていけたらと思いますが、まずはもう一度自分で確認しないと…。だって、もう体験したことの半分は忘れていますから!

 この研修のもう一つの目的は、同じブロック内の小中学校教職員の顔見知り計画!同じ学校内の狭い人間関係にとどまらずに、話したり一緒に体を動かしたりする時間を共有することで、今後も相談しあえる関係を広げることが大事だと思います。管理職や教務主任、事務職員などは頻繁に顔を合わせて情報交換していますが、学級担任にはなかなかその機会がありません。ましてや顔も名前も知らなければ、声すらかけられません。せっかくだから少しでもお近づきになれたら…縁を結べたら…、そう思うのです。

305 大人の秘密基地(23.11.9)

 富里に住む友達の家を久しぶりに訪問しました。以前父母の住まいだった隣接する土地に、息子夫婦の家を建てる準備がされていました。家の周囲が畑や林に囲まれ、遠くに落花生を収穫した後の「ぼっち」が点在するような田舎の風景の中にあります。行ったときは、ユンボで木の根っこを掘り返していましたが、作業着は似合っても元校長。とにかく所有する機具類が都市部と全然違いますし、買い物は車がなければ行けません。広大な敷地には大木が茂り、我が家の周辺では見られない様々な植物が当たり前にあります。何十年ぶりに自生したアケビを目にしました。高枝バサミでチョキチョキして、手のひらに熟したこぶし大のアケビを乗せます。白い中心部を指先でつまんで口の中に入れると、スイカの甘さにも似たねっとり感が広がります。種を地面にペッと吐き出しますが、スイカの種飛ばしどころではありません。だって種ばかりだからですから、実を食べるというより舌先で味わうといった方が正しいかも。

 この友達とは家族ぐるみのおつきあいが、子供が生まれたころから続いていますからすでに35年になるでしょうか。夏は、目の前に生えた真竹を切って節を抜いて何本もつなぎ合わせた手作りの流しそうめん。近くの田圃へ行って、ドジョウを捕まえたりクレソンを採ったり。子供たちもいろいろな材料を使って、裏の敷地に小屋(子供たちにとっては家)を作りましたし、その脇にテントを張って寝させてもらいました。大人にとっても子供にとっても秘密基地のような場所だったのです。だから、自然に恵まれたその地は、今も大人の遊び空間といえます。

 ただそれは、そこに住まう者でないから言えること。木を切らなければ繁茂し、雑草を抜いても抜いても減らない。今の時期は落ち葉もすごいらしいですから、一日くらい作業しても何も変わらないようです。旅行するには北海道は素敵な場所であっても、簡単に住めないと言われますが、それと同じかもしれません。だから、仕事を辞めたら週1~2回足を運んで、腰を痛めない程度に庭仕事や畑仕事に精を出そうと企んでいる私。その日の晩酌は格別だろうなぁ。

304 潔く!(23.11.8)

 11月なのに桜が咲くなど、夏日が続いたある日の昼休み、「ザクロを食べますか?」と尋ねられました。校庭のザクロを収穫して冷やしたものが職員室にあります。まるで透明感を増したルビーのような輝きです。甘酸っぱさが口に広がります。種がなかったら最高なのにと自分勝手なことを考えてしまいます。

 ある日10時ピッタリに百貨店に入り、目的の場所へ足を運びました。店舗の奥まった場所にあるため、途中にあるテナントの店員が、前を通りかかる度に恭しくお辞儀をしてくれます。右、左、右、左…というように順番に頭が垂れますからちょっと恥ずかしい!こちらもお辞儀を返さなきゃいけないかと、律儀な?私は考えてしまいます。一方で、どこかの社長にでもなったかのようで気分は上々?!目的の店舗に近づいたころ、時間にして1~2分のことですが、店内に流れる音に変化がありました。すると、それぞれのテナント前に立っていた店員さんは、何事もなかったかのようにそそくさとその場を離れていきます。その潔さがまた面白く映りました。

 柏の百貨店では三連休中、出店しているレモンケーキ専門店がありました。あれっ、駅に近い高架脇の小さなお店じゃない?バイヤーが声をかけるほど有名みたいです。店の名前も覚えていませんし、買ったことはありませんが…。その高架下を歩いてくると、必ず目に入る看板があります。「平田っ子 二つある道 よい道へ」と書かれた標語です。ここに子供たちの3つの姿が見えてきます。1つは、道が二つあるいは複数あることに気づくということ。これがベースにあって、どの道を行くか根拠を持って判断すること。最後に、選んだ道を歩むという行動に移すこと。さらに言えば、どのように歩いていくかという行動の質も大事です。

 「~だったらいいなぁ」と思うことがあれば、その時点で道は最低でも2つあるわけです。理想形を追うことと従来通りに甘んじること。願いを叶えるためには、計画を練って手だてを講じる必要があります。そして行動化。まさに「したい人1000人、始める人100人 続ける人1人」といった感じ。

 立冬なのに暖かく、潔さのない今日のようなお話になってしまいました。

303 教科担任制(23.11.7)

 大笑いした新聞投書がありました。

 5歳になる孫に、「バァバ、お母さんごっこをしよう」と誘われたそうです。「私がお母さんをやるから、バァバは犬でも猫でもいいよ」と言います。たまに、「ご飯でもくれ、ワン!」などと言っていればよいだろうと考えて、楽そうな犬をやることにしたのだそうです。すると孫は、いきなりおもちゃを遠くに投げて言ったのです。「取って来い!」と。ごっこ遊びも様変わり中?

 さて、毎朝家や学校で新聞に目を通しますが、必ずといってよいほど四コマ漫画を読みます。読売新聞は『コボちゃん』、朝日新聞は『ののちゃん』です。ののちゃんは小学3年生で、苗字は「山田」。’91年秋から『となりのやまだ君』で連載がスタートし、’97年4月から主人公を変更して改題・掲載されていて今日に至ります。最近気づいたのですが、ののちゃんの学年は一部教科担任制なのです。体育はタブチ先生、図工はヤスダ先生が教えています。担任が藤原先生なので3クラス編制なのでしょう。

 本校でも、5学年と6学年で一部教科担任制を行っています。学級数が違ったり、教科による週指導時数が違ったりするので、組み合わせと時間割編成は想像以上に大変です。ミシン縫いによるエプロンやナップザック制作では、午前中4コマ全部家庭科室で同じ教員が指導をしている姿がありますが、指導者にとって或いは児童にとってのメリットや効果を検証する必要がありそうです。

 昨日から24日まで平田小の読書週間ですし、全国的には9日までが読書週間。『私のペースでしおりは進む』が今回全国の標語らしいです。平田小のテーマは、学校だよりでお知らせしたとおりですが、学校図書館や公共図書館を積極的に利用して、とっておきの1冊に出会ったり、読書の幅を広げたりできるといいなぁ。

302 土曜日って(23.11.6)

 朝の電車で爆睡中の高校生や社会人を時々見かけます。遅くまで仕事だったのか、夜更かしをしたのか。極限まで睡眠時間を削らざるを得なかった頃、吊革につかまりながら寸暇を惜しんで寝ていたことを思い出します。ですから金曜の夜はうれしくてたまりませんでした。

 そんな土曜日と日曜日の朝のNHKニュース。キャスターの一人は井上次郎アナウンサーです。上手ですが、何より安心する顔立ちなのです。朝から見たくない顔や聞きたくない声があると同じように、癒される顔や声もあるようです。

 また、土曜日の新聞別刷りに、様々なタイプのクロスワードパズルが掲載されますが、必ず鉛筆を持ち出して取りかかります。朝から脳が活性化するのを感じます。でも、数独の場合はスルー。好きじゃないから…。最後に残った文字を並べ替えて出来上がりという懸賞問題もあります。ある人は、「ロ」「イ」「ウ」「ン」「ハ」「-」の6文字を見て、閃きます。嬉々として、「ウーロンハイ」と書いて応募したそうです。でも正解は「ハロウィーン」だったとか。

 土曜日には特別感があります。一日が終わっても、もう一日休みという「おまけ」があることの喜び。何をしようかと高揚感に溢れます。先週は金曜日が祝日でしたから、さらにお得感!逆に日曜日の夕方以降は、気持ちは沈滞。多くの人が折り合いをつけて月曜日からの仕事や学業に臨みます。私たち教員の場合、子供の顔を見て声を聞くと、自然と気持ちが盛り上がるからこれまた不思議!

301 あやかる(23.11.2)

 10月29日から今日までの約1週間は、我が家の「命日週間」なのです。なんということでしょう!2日おきに義母、父、義父と続きます。ですから初日に3人分のお墓参りを済ませました。そして今日11月2日は「いい字」の語呂合わせで「習字の日」だといいます。

 さて、年末に、ボクシングの井上尚弥選手(バンタム級4階級制覇・スーパーバンタム級2団体王座)が、世界スーパーバンタム級4団体統一戦に臨みます。圧倒的な強さから「モンスター」の異名をもちますが楽しみでなりません。

 過去の日本人ボクサーで特に印象が強いのが、やはり具志堅用高さん。試合のたびにテレビにかじりついて観たほどです。そのほか、輪島功一さんやガッツ石松さんの試合も魅力的でした。影響されやすい質の私は、家でシャドウボクシングもどきをやって汗をかいたこともあります。近くにボクシングジムがあれば通っていたのではないかと思うくらいです。これは、きっと漫画『あしたのジョー』や『がんばれ元気』の影響があったに違いありません。

 活躍するスポーツ選手などにあやかってつけられた子供の名前、つまり「あやかり名」は少なくないはずです。「由伸」とあれば、ジャイアンツファンで高橋由伸にあやかったなと思ってしまいます。日本シリーズ第1戦で投げたオリックスの山本由伸選手はきっと…?大リーグで活躍する大谷翔平選手や佐々木朗希選手に名前をもらった子もいるでしょうし、「裕次郎」なんて俳優名(古っ!)もありました。2023年の赤ちゃんの名前ランキングでは、ドラマ『silent』の影響で、「紬」「湊斗」「想」がランクアップしたとか…。

 先月26日にはプロ野球ドラフト会議がありました。1位指名をもらって歓喜の選手、最後まで名前が上がらずに悔し顔の選手だっています。ただ、ドラフト上位に名前を連ねることが目的ではなく、あくまでもスタートラインに立っただけ。ドラフト外の選手が大活躍することだって、野球界以外でもざらにあります。子供たちには、自分の名前を「あやかり名」にするぞというくらいの気概をもって、様々な方面で挑戦してほしいものです。

 そういえば、昨朝白門に立つ千葉さんをお見かけしました。健康のために朝日を浴びながら歩いてきたとのこと。子供たちとも笑顔で会話を交わしていました。もうすぐプレゼント用のメッセージ綴りが完成します。

300 ジャパン・モビリティ・ショー(23.11.1)

 早くも11月に突入です。校長室の行事黒板は、校内外のイベントなどでびっしりです。

 校内に自動車メーカー「スバル」のクルマが大好きな男児がいます。自分で車をデザインして見せてくれたりそのメーカーに特化した書籍を持ってきたり…。さらに、国語や図工、家庭科と学習の中にも想いが表れ、その徹底ぶりに感心してしまいます。

 そのスバル社が、空を移動できるエア・モビリティを目玉にした出展がされたと、新聞で報じられました。長く親しまれた「東京モーターショー」から、名称を「ジャパン・モビリティ・ショー」に改め、4年ぶりに開催する大規模な展示会の記事。先の土曜日から一般公開が始まりました。海外からの出展はわずかですが、これまで以上に未来を展望した姿・技術を感じる展示が見られます。

 何を隠そう、自動車好きの私は振替休業日に足を運んで、一人で見てきました。前回行ったのは、確か10年前。息子と一緒に行きましたが、人で溢れていてブースによっては近寄れない所もあったように思います。今回は平日ですからさほど混雑しないだろうと思いましたが、いやいや「月曜日なのに、皆さん休んでいていいの?」と思うくらいビッグサイトの中は混雑していました。かといって、展示された車に近寄れないほどではありません。

 この10年間で大きく変化したと思うことが2つあります。まずは、乗用車からトラック・バスに至るまでEVが多いこと。だから、ダイハツのブースに旧車ミゼットやシャレードを見かけたときには、懐かしいとともにホッとしたほど。そしてもう一つの変化は、見て回った身体の疲れ具合。高々1時間半見て回っただけなのに、家に帰って疲労度マックス!グッタリでした。

 さて冒頭の男児、同じ日に会場にいたそうです。午前9時から午後7時まで隈なく見て回ったといいますから驚きです。むしろ、引率したお母さんの疲労度は、私の比ではないはず。本当にお疲れさま。ただ、子供のためならできてしまうのだから、親ってすごいと思います!

299 蓮根和風ハンバーグ(23.10.31)

 10月も最終日。ハロウィンパーティーを計画しているクラスもあるようです。我が家もポストの前をそれらしくカラスウリで飾ってみました。

 朝、駅に向かっていると、若い女性がぬいぐるみを抱えて前から歩いてきます。近づいてくると、それがプルートであることに気づきます。結構大きい!単にぬいぐるみ好きかなとも思いましたが、どこかへ向かっている様子。さすがに近くの小中学校の教職員ではないでしょう。もしかして、ぬいぐるみに見せかけた別のものではないかと思案を巡らせます。大きめの物入れ?前で抱えるバッグ?どうもしっくりしません。聞くわけにもいかずそのまますれ違いましたが、二度目会うことはないでしょう。あ~、何だったのだろう。ただ、朝から脳が目覚め、活性化につながりました。

 先週水曜日だったでしょうか、午後になって妻からメッセージが届きました。「今日は、レンコンのハンバーグをおろし大根で食べようと思っていたのに、まさかの給食丸かぶりだわ」とあります。昼過ぎにHPの給食のページを見て、慌てて送信してきたようです。献立表を家に持ち帰っていませんから、たまに昼と夜が連続でカレーなんてことも起こります。でも、味が全然違いますからあまり気になりません。でも、さすがにレンコンハンバーグ、しかもソースまで同じとなると…。

 果たして帰宅後の夕飯は、レンコンも挽肉も使われたもの。挽肉とレンコンのはさみ焼き、そしてピーマンの肉詰めです。からし醤油もしくはおろしポン酢、好きなほうで食べられるようになっています。使う食材は同じでもアイディア次第で別のものに生まれ変わります。料理がからっきしダメな私からすると、魔法使いに見えます。尊敬のまなざし!きっと脳内が活発な刺激で満ちているのだろうと思うのです。

 今晩のおかずは何だろう?

298 米菓(23.10.28)

 先週電車に乗ったら、車両のどこに目をやっても『サク山チョコ次郎』の広告で溢れていました。中吊りや動画など、チョコとビスケットの間にミルククリームの入った菓子のコマーシャルだらけ。チョコ側の面には、チョコジローのいろいろな表情29種類が浮き彫りになっており、ビスケット面にはおしゃべりする言葉が96種類。それぞれにシークレットがあるようです。「組み合わせは、何通りでしょう?」と投げかければ、6年生の算数の問題にもなります。似たような菓子がこれまでもあったように思いますが、これほど大々的な宣伝は初めてかもしれません。でも、その日以降は一度も見かけません。あの日だけの広告だったのか、あるいはその車両だけだったのか不明です。ただ、甘いものが欲しくなる季節です。手元に置こうものならすぐに1袋食べ切って、罪悪感に苛(さいな)まれそうです。

 一方、米菓の代表といったら柿の種と答える人も少なくないはず。一粒ずつ食べる人もいるでしょうが、私の場合は手のひらに少量出してそのまま口へ入れるものだから、容器に出して一緒に食べる場面では「一粒ずつ食べなさい」と、毎回指導が入ります。あっ、チョコでコーティングされた柿ピー食べたい!

 さて、スーパーなどでいろいろな品種の新米が並ぶ季節になりました。食の多様化によって、一人が一日に食べる米の量は明らかに少なくなっています。でも、やはり日本人として生まれた以上、コメの味を楽しまないというのはとても残念なこと。大事な主食であることに変わりはありません。自宅近隣の田んぼは、ほぼ刈り取りが終わった跡が広がります。

 そういう私の場合、米の味の違いが正直ほとんどわかりません。「やっぱりこのおコメは美味しい」と言われると、硬さ以外はどれも同じように感じてしまうこの舌が恨めしい。恥ずかしい話、朝食がパンかご飯かで昼までの腹持ちが違うことにしか関心が向きません。

 来週7日に5年生が、田植えからかかわった稲の刈り取りと脱穀を体験します。集まった白米は、調理してみんなで食べるといいますから、たくさん収穫できるといいなぁ。

 今日の授業参観とひらたっ子まつり、よろしくお願いします。

297 食いしん坊万歳(23.10.27)

 朝晩の冷え込みと寒暖差による体調不良が気になるところです。少し寒くなると、たちどころにパジャマや夜具に反映されます。長袖を着て、靴下のほかフリースの上着まで登場した先日は笑われました。布団だって「重み」が大事。羽毛布団の暖かさはよいのですが、軽いのはいけません!ずっしり包まれている感が好きな私は、やっぱり古い人間なのでしょう。

 さて、教員になりたての頃は自宅から車で通勤していました。朝に弱い私は、車の中で母が作ってくれたおにぎりを頬張っていたのです。3つあれば、それぞれに具材が違いました。「最後に食べたのが○○だったら、今日はよい一日になる」などと縁起を担いでいた20代。

 子供たちが好きなおにぎりの具は何でしょう?同じ質問に、多くの人がシャケを一番に挙げています。2位以下梅干し、昆布、おかか、たらこと続きます。手軽に作れて手軽に食べられるのが人気のおにぎりですから、おにぎりバーといった専門店もあるくらいです。

 先日、我が家では珍しくツナマヨのおにぎりが出てきました。海苔無しでしたが、温かいご飯に入ったツナマヨもなかなかよいものです。ふと、「ツナマヨを具にしたとき、おにぎりで食べたいか、手巻きずしで食べたいか」という問いが浮かびました。酢飯で食べるのもいいしなぁ。選ばせようとすること自体愚問なのかもしれません。

 愚問ついでに、もう一つ。私が見るインスタに、最近やたらと「千葉の知られざる名店・名所」の類が現れます。先日何気なく見ていたら、厚切りロースかつ定食を提供する本八幡の店が紹介されているではありませんか。その店の前を歩くこともよくあり、昼前から列ができているのを見たこともあります。食べに行きたいと思って妻に話すと、「その値段なら、私はう・な・ぎ!」ときっぱり言われました。価値観の問題ですが、仮に同じ3千円を出すなら、とんかつ?それとも鰻?私にとっては究極の選択。

 食べ物がおいしく感じる季節は、危ない危ない…。

296 新聞(23.10.26)

 「字違い句」と聞き慣れない言葉が、読売新聞の編集手帳にありました。「なごり雪と名古屋行き」は一字違い。「三連休とせんねん灸」は二字違い、といった言葉遊びです。違いがないものならば、「5期ぶりとゴキブリ」がすぐに思い浮かびます。

 こんな遊びもあります。てんし(天使)→てんき(天気)→たんき(短期)→あんき(暗記)→あんじ(暗示)→あくじ(悪事)→あくま(悪魔)→あたま(頭)→ふたま(二間)・・・というように、1文字ずつ変えて別の言葉を作るといったもの。隙間時間に一人で頭の体操をしたり、渋滞した車の中で家族が順番に言い合ってイライラを解消したりできそうです。

 今月11日の定例研では、4年1組が「新聞を学習にどのように用いるか」という提案授業を公開しました。そのあと教室に足を運ぶと、壁新聞づくりをしています。紙面には、社会科学習の発展で、「千葉県の魅力」を読者に伝える内容がぎっしり書かれるとともに、新聞の切り抜きが貼られています。グループ内で分担はあるものの、紙面を構成していく上で協議・検討がされたことが窺えます。掲示された際には多くの人に読んでほしいと思います。

 さて、先週19日の新聞に楽譜の一部が掲載された一面広告がありました。『新聞で紡ぐ希望のうた』というものです。全国の73の新聞にそれぞれ異なる楽譜が掲載されています。つなぎ合わせると一つの曲になり、「いきものがかり」が歌うといいます。明るいニュースばかりを取り上げるわけにはいかないが、それでもどこかに希望を見つけて、明日もまた前を向いて生きてほしいという想いが込められた歌です。23日夜、楽曲が公開されました。『新聞で紡ぐ…』で検索すると6分の動画と『誰か』という素敵な歌が聴けます。高学年で歌わないかなぁ?

 校長室に届く新聞も、読後の有効活用がされています。例えば、習字の作品を1枚ずつ挟むホルダーとして…。

295 成長曲線(23.10.25)

 足繁く通う道の駅で先日、車から自転車を下ろしている人を見かけましたが、これ自体はよくあること。でも横顔が知り合いの校長先生に似ているのです。食い入るように見つめていると、やっぱりそうです。確信して駆け寄り、声をかけました。たまたま寄ったのだそうですから、まさに偶然!こんなふうに思わぬところで意外な人に会うことはあるものです。ずっと以前、九十九里に子供を連れて海水浴に行ったときも市内の先生とバッタリ。ある人は、ハワイの海で声をかけられたとか…。どこで誰に会うかわかったものではありません。知り合いの知り合いなんて関係もありますから言動は慎重に!悪いことはできません。

 さて、今日は孫の話。4月から幼稚園に通い始めて、おしゃべりする内容も行動も会うたびにレベルアップ。成長曲線は右肩上がりです。毎朝幼稚園に行くときに会う近所の方が、いつも母子に元気な挨拶をしてくれるのだそうです。孫が母親に「誰かなぁ、お友達?」と尋ねたので、「ご近所さんだよ」って教えたといいます。翌朝、会ったとたんに「ママ見て!見て!ママの金魚さんだよ~」と大きな声で言ったのを聞き、母親は赤面したといいます。なんともかわいい孫です。

 その孫の運動会があるというので見に行きました。小学校のグランドを借りています。園児でしかも年少ですから、勝ち負けなんか考えていません。ゴールで待つ担任の先生に向かってみんなまっしぐら。玉入れは父親と一緒に参加しましたが、1個も入らずに半べそ状態。何に対しても一生懸命な姿は健気です。

 我が子の時もそうですが、小学校の運動会に祖父母が見に来ることは、コロナ前は当たり前でした。孫を見るまなざしは優しさに満ちています。そして、その成長のスピードをうれしく思うのです。たとえ成長とともに健気さは変化していったとしても…。週末の授業参観やおまつりで、成長真っ只中の子供たちを見てください。

294 土台づくり(23.10.24)

 歯医者は嫌いだ!とにかく怖い!痛みのあるなしに関係なく、診察台に座って背もたれが倒れるや否やまな板の上のコイ。両手をお腹の辺りで組んで来るべき様々な刺激に備えます。また、口の中に異物が入ると唾液がボワーっと湧き出てくる感じ。特に、脱脂綿のようなものを奥歯に挟んで強く噛んだ時の味がダメ。歯のかぶせ物や詰め物が取れた日からは悪夢のような治療期間が始まるのです。一方、娘も息子も歯医者とは縁のない生活を30年以上送っています。うらやましいのですが、歯が生え始めた乳幼児期からの親の口腔管理が実を結んだ結果であると、勝手に胸を張っています。

 さて先週、ある学年の習字の授業をやらせてもらいました。サポートではなく自分で指導するのは実に十年ぶり!楽しかったなぁ。タブレットや電子黒板をうまく操作できないので、完全アナログですが、投げかけた言葉が取り組む姿勢になっていることを感じ、うれしく思いました。

 私自身、書道教室に通ったのは小学校の6年間。少人数でしたから、基礎からしっかり教えてもらいました。父も達筆でしたから、字形のとり方をアドバイスしてもらったこともあります。テレビで『ばらかもん』を観ていましたが、書家と呼ばれる人だって基本が身について初めて次のステージへと上がっていったのだと思います。また、高校書道部の巨大な作品を見る機会がありますが、学んだことの上に立って、自分たちの思いをどんな言葉でどのように表現したら相手に伝わるか、そうした願いがぎっしり詰まっているように感じます。だから、感動するのかもしれません。

 高層の建造物だって何だって基礎が大事。子供たちの未来も、現在の土台づくりの上に成り立つと思うとたった45分の授業も手が抜けません。明日は清書。上手と思われる文字より、その人らしさが滲み出る「よい字」「よい作品」を目指します。

293 お~い、老い(23.10.23)

 トイレで手を洗うために蛇口を一ひねり。しばらくすると、どこからか甲高い声のような音が響きます。誰かが廊下で叫び声をあげている様子。何事だろう?と思って、廊下に出るために蛇口を戻すと、音がピタッと止みました。一瞬でも「あの子かな?」と思ってしまったこと、ごめんなさい!

 蛇口は経年劣化ですが、人間が歳をとるのは経験の積み上げで素敵なことはたくさんあります。でも、今までできていたことができなくなったり一人では無理だったりすることが増えていき、老いを感じてさみしくなることもあります。父母を見てきて、高齢になればなるほど顕著になっていくことを感じました。

 千葉県の事業の一環で、5年生が介護について学ぶ機会がありました。導入で「お年寄りへの尊敬」「老いるということ」「介護の仕事とは?」の3点について簡単に説明があり、そのあとデイケアセンター長が「介護の未来案内人」として現場での仕事を紹介してくれました。介護職は、相手を笑顔にできる仕事のプロであり、ヒーローあるいは助っ人であると胸を張って教えてくれましたが、全力で人を笑顔にするという点では、教員も負けてはいないと自負しているのは私だけではないと思います。また、「ありがとう」「みんなが待っています」という言葉に勇気づけられるとも言います。要介護者が生活をする施設においては、さらに厳しさを伴うことが予想されます。ただ、一生懸命頑張る人だからこそ、何気ない一言に力が湧いたり気持ちが沈んだりするのだと思います。だから、どんな仕事であっても言葉のキャッチボールは大事にしたいと改めて思います。

 家族間でも相手への尊敬の念と言葉のキャッチボール、忘れずにいたいと思います。

292 火の見櫓(23.10.20)

 庭仕事をしながら補聴器から鳴る音楽を聴いていると、「よくそんなのでずっと聴いていられるね」と言われます。「BGMじゃん!」と言うと、「GGMでしょ?」と切り返されました。どうもじじぃミュージックらしい。

 そのGGは、最近ランニングよりも専らウォーキングです。家から少し離れた「火の見下」という交差点を通過したとき、ここに火の見櫓があったことを思い出しました。当然のことながらもう使われてはいませんでしたが。上方に半鐘があったのを記憶しています。でも見渡せどそれらしきものが見当たりません。いつ撤去されてしまったのでしょう。市川市では、行徳の旧道周辺に残っているような気がするのですが…。

 この火の見櫓の役割は、火事が近くであることを知らせるもので、天辺にある鐘を続けざまに打ち鳴らして人々の安全を守りました。江戸時代から人々の暮らしを見守ってきた火の見櫓は、町や村のシンボルとして集落ごとに立っていたといわれます。これを中心に、住民は自分たちの手で町や村を守ろうとする郷土愛があったのです。そう考えると、先の火の見櫓もお役御免になったとはいえ、地域の文化遺産が消えてしまったことに一抹の寂しさを感じます。存在するときは何とも思わないのに、無くなってから惜しみ懐かしむことってよくあることです。

 年末が近づいて寒くなると、拍子木を打ちながら「火の用心」の声が冴えて聞こえてくる地域もあります。自治会等の自警団の活動に安心して眠りにつく家庭は少なくないのかもしれません。

291 秋を満喫しよう(23.10.19)

 通勤届は市川工業高校の正門前をぐるっと廻る経路で申請していますが、JR高架下を使わせてもらって通勤する毎日。この高架下にミズヒキやヨウシュヤマゴボウが見られます。ミズヒキを鉢栽培したことがありますが、穂先に付いた赤い種が飛んで、翌年あちこちで発芽するほど生育力旺盛な植物。一方ヨウシュヤマゴボウは、低学年の生活科で色水づくりをして遊ぶために用いられることがあります。そろそろ摘んで活動しようかと思っていた矢先に、誰かに刈られてしまったなんて話を聞くこともあります。

 平田小ではキンモクセイが鮮やかなオレンジと芳香な香りを振りまいています。白門脇でそびえる木は、子供たちを迎え、なかよし広場で遊ぶ姿を見守っているように見えます。校庭沿いにも植えられているので、もうしばらくすると辺りはオレンジ色の絨毯になります。また、2・4年生の昇降口から出て目線を上げると、ザクロが実っているのが見えます。食べてみたい子はいるかなぁ。

 我が家では、季節外れのライラックが咲いています。銀葉アカシアの花芽も見事です。鉢植えの他3種のうちの一つは、これまで一度も花を咲かせたことのないブルーブッシュという種類。今春に仙台へ行った際に、「特殊肥料」に分類されるたい肥を買ってきました。というのも、花が咲かないことを相談した園芸店の方が太鼓判を押したように勧めてくれたからです。通常のたい肥の何倍もする値段でしたが効果は抜群!来年の2月から3月にかけての開花が今から楽しみでなりません。

 穏やかな天候が続く今日、4年生は大町自然観察園に行きます。学芸員の方の話にしっかり耳を傾け、平田小学区では味わえない自然のよさや新たな発見をしてほしいと願います。見ようとする気持ちがなければ見えないものはたくさんありますから…。青空の下で食べるお弁当もきっと格別なはず!

290 優しさの連鎖(23.10.18)

 先の日曜日は、雨もあって寒い一日でした。フリースを着込んだり車内では今シーズン初めての暖房を入れたり…。翌日にはまた25度くらいに戻りましたから体がついていきません。

 陸上大会が行われた日も秋晴れの清々しい天気。前の晩に頭を剃っていたので、帽子を忘れたことを後悔しました。陸上競技場の走り高跳びは、スタンドから離れた場所で展開されます。ですから、現在のバーの高さは何センチなのかを知らせるためのボードがあります。これが登場したのはそれほど昔のことではありません。実はこれ(写真)を見ると、ガソリンスタンドのガソリンや軽油の価格ボードに見えてしまうのは私だけ?国府台スポーツセンターへ引率・応援に行ってこんな写真を撮っているのも私だけなのでしょう。

 ある日船橋駅から電車に乗って、空いていた座席に腰を下ろしました。発車前に後期高齢者と思しき男性が乗り込んできました。座れる場所を探している様子。優先席は?若者が占領して動く気配なし。近くにいる人も気づいているのかいないのか誰も譲りません。少し離れて座っていた私が声をかけ、座ってもらいました。昔話だと、家に帰ったおじいさんは、おばあさんから「よいことをしましたなぁ、じぃさんや!」と声をかけられる感じ?そんな私も62!

 「優しさの連鎖」という投稿動画を見ることがあります。思いやりある行動を目にしたほかの人が、別の場面で別の人に思いやりのある別の行動をとります。それを見た別の人は違うところで…といった連鎖ですが、子供たち同士でも優しさの連鎖がたくさん見られたらいいなぁ。でも、願うだけではだめ!意図的に仕組んでいくこと。そこは大人の、担任の腕の見せ所ではないかと思うのです。

289 気持ちでは負けないように(10/17)

 校長同士が顔を合わせる機会は結構あるものです。9月以降は、インフルやコロナの校内での感染状況があいさつ代わりになっている気がします。平田小も若干名の罹患者はいますが、拡大を心配するような状況ではありませんが、「○年生が○日まで学級閉鎖なんですよ~」といった声に意識を高く持つことの必要性を感じます。また、年齢高めの教職員が話し始めると、病気自慢に発展しないとも限りません。ただ、明日は我が身といった感じで互いを案じているのです。

 晩酌はもっぱらビール党の私。それでも平日は350ml缶1本でおしまい!時々ご褒美で酎ハイを二人でもう1本というときはうれしいもの。このご褒美が、ご当地ビールだったり味や香りが芳醇なクラフトビールだったりする場合もあります。350ml缶で300円近くしますからなかなか手を出せません。にもかかわらず、最近飲み始めた薬1錠がこれとほぼ同じ値段なのです。朝晩飲む薬の量も増えたので「晩酌をやめる?」と尋ねたら、「あなただけね」とつれない返事。

 さて、日本中がその快挙を称えるかのような藤井聡太棋士の「八冠」達成。将棋を知らない人でも藤井ブームに巻き込まれていると感じます。でもまだ21歳。14歳でプロデビューして7年での快挙です。タイトルをとることを目標とすることなく、常に研究を続け、目の前の対戦を大事にしていることが偉業につながっていると思います。

 また、先日目にした紙面にはスケートボーダーが数多く紹介されていました。男女とも世界ランク上位者に日本人が名を連ね、10代から20代前半の若者ばかりです。サッカーやスノボ、ボルダリング、ゴルフなど各方面で怪物といわれるような活躍が見られます。

 何かの拍子に腰痛や膝痛に悩まされる60代ですが、気持ちだけは小学生に負けないようでありたいと思うのです。

288 食べたい!(23.10.16)

 先週金曜日に、金木犀の香りを鼻が感知。昨年よりだいぶ遅れたようですが、その後あちらこちらが芳しい匂いに包まれています。

 小学校高学年のときの誕生会だったか、友達の池本君の家の広い庭で食べた焼肉は、これまで食べたことのない味。何より焼肉のタレが美味しかったのをいまだに覚えています。この肉が羊肉であったのだろうとわかったのは大人になってからのこと。そして、虜になったジンギスカンのタレ。十何年ぶりに見つけた時は「君だったのかぁ」と懐かしさが込み上げてきたくらいです。この生の羊肉に最近はお目にかかれません。例年なら今頃の季節になるとスーパーで売っているはずなのに…。

 大人になってというかおじさんになってから知ったのがモツ鍋の美味しさ。こってりした脂たっぷりのモツをたくさんは食べられませんが、野菜と一緒に鷹の爪をたっぷり入れて食すのが好きです。リクエストに応えてもらえるのは年2~3回程度。今回の入院を経て、これがきっと限りなくゼロになるのだろうと思うと切ない!

 さらに、教員になって先輩と一緒に出かけたのが、市川駅前にあった餃子で有名な「ひさご亭」です。家で食べる餃子の3倍はあろうかという大きさもさることながら、皮の厚さと餡の何とも言えない甘さの虜になりました。店で食べられないときはお土産で持ち帰って家族で食べました。市川大野店だけになってからも数度足を運びましたが、ここ十年以上足が遠ざかってしまっています。それでも、「ひさごの餃子、食べた~い」と時々声に出しています。言うは易し、叶うのは難し?いつ行けることやら。

 ところで、何かの理由で「明日がやってこない」と知ったとき、最後に食べたいものは何でしょう?「あったかいおにぎり」と隣でつぶやく声がしますが、皆さんは?池本君はどうですか?

287 どっこいしょ(23.10.13)

 「13日の金曜日」と言って忌み嫌うことが、最近はなくなったようです。子供に聞いても「何それ?」という反応。ホラー映画の主人公ジェイソン登場からすでに40年以上が経過しているのですから…。そんな今日は、4年ぶりの市内陸上競技大会。種目等が限定されましたから、参加者はMax20名。補欠や応援部員は連れていけません。天気も上々ですし、それぞれの精一杯が見られると思います。

 さて、学校の玄関で靴を脱いだり履いたりするとき、腰が痛いときには床に置いた靴を拾ったり靴箱から取り出した靴を床に置いたりするのに一苦労。履くときにはふらついてしまいます。靴下を履くときも同じで、何かに寄りかかっている自分にふと気がつきます。

 学校には年配の方も来校されますが、玄関に手すりがないことがとても不便に感じます。座って履けるわけでもありませんから、渡り板の上に靴を置いて、シューズロッカーに触りながら履くことを勧めることもあります。

 幼稚園や保育園では運動会シーズン。自宅そばの小学校でも9月末に運動会でした。妻に「平田小でも何とかソーランっていうやつ、やったの?」と聞かれました。「自分たちの頃もソーラン節とかやったのと同じだよ」と言いながら、今の踊り方を口頭で説明。「伸脚運動の体勢で綱を引っ張るポーズを左右繰り返して…」と言いながらやってみることを促しますがよく伝わらない様子。そこで自分でやって見せました。ん?すでに伸脚ポーズが辛い!さらに、右から左に移るとき前に手を着かないと動けない!思わず「どっこいしょ」と呟く!あれっ?子供たちも「どっこいしょ~どっこいしょ」とかけ声をかけていたなぁ。でもかけ声の意味が違うけど…。つまり、今更ながらに5年生が演じたソーランの運動量とあのリズムで動き続ける体力に驚いたのです。

286 運動してる?(23.10.12)

 私の出身高校は、少し特異な体育の授業をしていたのだと知ったのは、卒業したあといろいろな人と話をする中で気づかされたのです。

 まずラグビー部があったためか、授業もラグビーが取り入れられました。ヘッドギアをつけてスクラムを組みました。ふざけることは大けがのもと。脊髄損傷だってあり得ますから、みんな真剣です。楕円のボールをうまく回転させながらパスをする技術も自然と身につきます。だから、ラグビーの代表戦は楽しく観ることができます。時々聞きなれない反則があっても、画面上に解説があらわれるので納得です。でも、隣で画面を眺める者にとってはサッカー以上にルールがわからないので、「つまんない!」を連発する始末。

 次に、レスリング場があったので、レスリングも必修でした。柔剣道は部活のみという感じです。衣服をつかむこともせず、体同士がぶつかりあい、技を掛け合うシンプルな競技です。相手を組み伏せて、両肩をマットに押し付ければ勝ち!相手のバックをとれればポイント!といったルールです。

 最後は、陸上競技。それだけでは普通ですが、指導者が故 小出義男先生となれば別。のちにQちゃんこと、高橋尚子選手の恩師となった小出監督です。当時は有名ではありませんでしたが、秋から行われる授業では、毎回校外に出て10km走をしました。途中ショートカットして林の中で休憩したりアケビを食べたり…。

 コロナでできなかった市内陸上大会が再開した今年度、1000m走や1500m走が種目から姿を消しました。学校のマラソン大会もなくなって久しい感じです。普段の生活や学校生活で長い距離を自分のペースで走るという機会は失われつつあります。運動するにはちょうどよい季節。景色を見ながら走ったりウォーキングしたりすることが習慣になるといいなぁ。江戸川の土手もよいコースかもしれません。

285 初めての入院(23.1011)

 先の三連休にかかる日程で病院でのお泊まり会。その前に検査結果を聞きに行ったとき。16時から16時半で予約したので、いつもながら少し早めに到着しました。受付番号99って悪くない!診察室前の電子画面には、「○番の方、お入りください。△・□・○は、この次にお呼びします」と示されています。待つこと1時間以上、17時を過ぎても画面にそれらしい番号が表れません。隣のおじいさんも随分待っていたらしく、自分の番号が出た時にはホッとした表情でした。時刻は17時10分。次に呼ばれる番号が「95,96,97」になりました。いよいよ来るぞという期待を嘲笑うかのように、97の次に表示されたのがなんと81、さらに85。あらっ?79に下がっちゃったよ!どれだけ待ったことか、いよいよ98が出た時には、小さくガッツポーズ!その次に99番が表れたときにはひときわ輝いて見えたのです。結局、診察に入ったのは17時45分でした。その後、医師からの説明でまさかのお泊まり会の参加が決まったのでした。

 さて、お泊り会当日。初めての経験ですから、不安いっぱいでドキドキです。4人部屋の空きがないらしく個室です。いびきやおなら、トイレなどに悩むことがないのでよしということで。これまで父母の入院に付き添って、点滴を持って移動する姿を目にしましたが、まさか自分がという思いでいっぱい。術後は、挿管部の痛みと枕の硬さ、看護師さんの回診でほとんど眠れないまま朝を迎えましたが、幸いなことに一泊で病院をあとにすることができました。めでたしめでたし。

 年に1回の人間ドックを妄信しないことが大事だとつくづく思ったのでした。

284 おまん、誰じゃ?(23.10.10)

 HPのトップに家庭学習コーナーを紹介しています。その後、どれだけの子供や保護者がリサイクル倉庫前に立ち止まって読んでくれたでしょうか。ある子はハンバーグを丸めて、焼いて、完成したものを食べた記録を写真入りで紹介しています。またある子は、地球や星座、宇宙について気になったことを書いています。そしてある子は、新聞の投書を要約してみたり言葉の意味を調べたりして感想を述べています。中には、『中秋の名月と耳うさぎ』と題したお話を書いています。とても興味深く読ませてもらいました。知識を獲得できる作品でもあり、一読の価値があります。

 こんな中に、『読めそうで読めない漢字』の食べ物編を見つけました。「心太」「玉蜀黍」「御手洗団子」「馬鈴薯」と続く中に、「鹿尾菜」という文字が…。これにはお手上げ!さらに、字形が違うので別の子なのでしょうが、『難しい漢字』動物編もあります。「膃肭臍」はまだしも、「樹懶」「飯匙倩」など読めません。そうなんだぁと解答を見て思いますが、次にまた登場してもやっぱり読めそうもありません。

 大事なのは、楽しんで取り組むこと!やらされる学習からやりたい学びへ昇華させることで長続きするのだと思います。人の目を意識して、「もっと驚かせたい」「喜んでほしい!」といった動機だってアリです!

 今日から後期が始まりますが、先週の終業式は全校が体育館に集まった中でスクリーンに画像を映して、秋山教頭先生に話をしてもらいました。そのうちの一つに、クリアファイルの下方に切れ目がある理由。普段よく見ている割には気づいていないし考えてもいませんが、頻繁に開いたり閉じたりするので破れにくくするためといいます。こうしたことを含め、家庭学習のヒントなんて身の回りにたくさんあります。まずはよく見たり聞いたり手に取ったりすることが始まりなのではないでしょうか。

 NHKの朝のドラマ『らんまん』を土曜日のダイジェストだけ見ていましたが、主人公の「おまん、誰じゃ?」という問いかけが学びに向かう力になるのだと思うのです。

283 図書室の先生(23.10.6)

 今年度の折り返し地点、前期の終了の日にもかかわらず、私的事情で休まざるを得ないのは残念です。

 さて、学級担任をしていたころ、学校司書の方には様々なお願いをしてきました。学校図書館は、図書の時間での利用より教科指導で活躍する場所でした。社会科授業で使う資料を提供してもらったり、国語の物語文の著者が書いたほかの本を市内の公共図書館や学校から一気に集めてもらったり…。調べ学習の基地になっていたのも学校図書館でした。PCが導入され始めた前後でしたが、インターネットで膨大な量から資料を検索するより、まずは図書の利用です。背表紙だけで使えるかどうか判断するのではなく、目次を追いながら選択していきます。よく文章やグラフを丸写しする子供を見かけますが、大事なのはある事実を自分がどう解釈したか。それをノートに記す子供がどんどん増えていきました。

 こんなことに担任とともに二人三脚で付き合ってくれる学校司書に私は恵まれました。でも、先日の新聞を読むと、小中高に学校司書が配置されているのは6割にとどまるといいます。学校図書館に欠かせない存在ですが、それが現実。関西のある地域では、一人の学校司書が小中5校を兼務しているといいます。掃除や本の整理に追われて、授業に参加する機会がないと嘆いています。また有償ボランティアに依存する地域もあります。幸いなことに市川市では全校に配置されて、子供たちや担任を支えてくれています。今ある形が、必ずしも当たり前ではないことを知っておく必要があると思います。

 私が知る限り、司書の誰もが得意なことやこだわりを持ち、いろいろな工夫を凝らして学校図書館の経営をしています。予算が限られるため蔵書は満足できるほどの充実ぶりではありませんが、それでも子供たちや教員のニーズを大切にして頑張ってくれているのです。

 学校評価を見ると、『お子さんは進んで読書活動に親しんでいる』という項目が毎回6割前後で変化しません。「親の前で本を読んでいるかどうか」ではなく、普段は見えない部分にも目をやってほしいと思います。来月には秋の読書月間がやってきます。学校それぞれで独自の活動が繰り広げられます。そろそろ学校司書や司書教諭の頭の中で、今年度の計画が出来上がってくるのではないでしょうか。

282 できることをやってみる(23.10.5)

 先週末、ラグビーW杯のサモア戦を朝食中に見ていました。タックルしたりされたりする場面で思わず、体を傾け右肩を前に出して力をこめる自分に気づきます。ノーサイドの瞬間、肩の力がやっと抜けるのです。8日は決勝トーナメントをかけてアルゼンチンとの試合。肩が右に傾いた格好で応援です。

 さて、暑い日、寒い日、雨の日も関係なく、予定がない限りは毎朝白門に立ち、見守り隊のジャケットや帽子を被って元気な声を響かせていた、地域の千葉正彦さんを知る方は少なくないはずです。名前は知らなくても、子供たちを見守る姿があるだけで安心できました。

 しかし、9月初旬から姿を見かけなくなり心配をしていました。先日、久しぶりに校長室までやってきてくださりお話できました。「引退させてください」とおっしゃいます。前任の大塚校長の頃から3年半にもわたり力を尽くしてくださったので寂しくなりますが、今度は朝の散歩中の顔を時々見られることを楽しみにしています。

 我が家の近所でも、児童生徒の通学時間帯にいつも同じ場所で見守りをしている女性がいます。子供はすでに小中学校に在籍していないと思います。気持ちさえあればできることはたくさんありそうです。私も引退したなら、そんな部分で地域と関わりたいと思っています。

 話は戻りますが、気持ちのある子供たちに千葉さんへのメッセージを書いてもらえるように、すでに準備は整っています。よろしければ保護者の皆様もご一緒に…。

281 アイドル気分(23.10.4)

 体に気になる所があったので、一昨日一日お休みをもらって病院のはしごをしました。月曜日だったせいもあってか、午前中は9時から11時半までかかり、午後は紹介状を持って別の病院で13時半から18時過ぎまで。待ち時間のほうが長いですから尻が痛くなりました。

 病院に一日いると、私より年上の人がいかに多いか痛感します。特に個人病院では、待合の椅子に座っているほぼ全員が高齢者。中には、電子体温計を振っている人がいるではありませんか。「水銀式の体温計ではないですよ」と突っ込みたくなりましたが、そこに登場するのが世話好きな女性。隣に寄って丁寧に教え、エラー表示には一緒に悩んでいました。ところで、水銀式の体温計がわかる世代ってどのあたりなのでしょうか。棒温度計の類だって、理科の時間にしか登場しませんし…。

 9月のある日、外国語活動の終わりの場面に3年生の教室にお邪魔しました。入るや否や、英語でどんな果物が好きか尋ねられた気がしたので、Lemonと答えました。答えたあとにサインをねだられます。授業の内容もわからず、なぜサインなのか、ことの成り行きが不明で戸惑っていると、紙片やファイルを持った子に取り囲まれました。最初は似顔絵、そのうちサイン会になっています。結構書いたはずなのにまだ十数人が列を作っています。最後まで、なぜこういうことになったのかわからないまま、アイドル気分で校長室へ戻ってきたのです。そんな3年生の教室の黒板には、私が描いた似顔絵が消されずに残っています。ほんのいたずらの気持ちで放課後に描き残したものが人気なのですから不思議です。似顔絵も以前と少し変わっていきます。上向きの鼻とほうれい線を加えることでちゃんと歳をとります。

280 秋の自然に出合う(23.10.3)

 福岡の河川公園で真っ青な空の下、真っ赤な彼岸花の映像を見ました。別名「曼殊沙華」とも呼ばれます。鮮やかな赤だけではなく、白や黄色の花も時々見ることがあります。球根部分に強い毒をもち、雑草対策で田んぼの畦道などに植えられていることが多いような気がします。気温が20度くらいに下がると突然現れます。葉が花の後に育つので、咲く姿は目立つと同時に不思議な雰囲気を醸し出します。

 一方、マザー牧場ではコキアが色づいてきれいだといいます。また、栃木県真岡市では純白の綿花の摘み取りが本格化したとあります。校長室には、昨年平田小で栽培されていた綿が、はじけた枝のまま白さを保っています。

 この時期は、一般的に「雑草」と呼ばれる植物が繁茂しています。校地内も例外ではありません。放っておけば種が飛び散り、いずれ収拾がつかなくなる事態を招きます。だから、用務員さんが操作する草刈り機にエンジン音が連日校庭に響き渡ります。

 さて、ホームセンターの植物販売所が、そろそろ気持ちが浮き立つ場所になっていきます。色鮮やかな秋の草花がたくさん出回ります。庭に地植えするのはもうお腹一杯ですから、寄せ植えしかありません。

 19日には、4年生が大町の自然観察園へ出かけます。きっと数珠玉やノブドウ、カラスウリ、ミゾソバ、ドングリ類などが見られるはずです。暑い夏を乗り切ったカワセミにだって出会えます。でも、関心がなければ通り過ぎるだけで終わってしまい、もったいない。自然博物館の学芸員さんの説明にも聞く耳を持つこと。これらは普段の生活でもいえること。「見ようとする目や聞こうとする耳、知ろうとする意識」が大事。4年生と一緒に出かけて、そんな姿や場面にたくさん出会えることを楽しみにしています。

279 水を飲むとバテる?(23.10.2)

 EV(電気自動車)が主流になろうという時代、純ガソリン車をずっと乗り続けたいというのは無理なのでしょうか。自動車メーカーでは、経営方針の変更を打ち出したり達成目標を掲げたりしています。古いものを大事にしながら長く乗り続けることは悪いことなのでしょうか。税制だって弱い者いじめのような感じがしてなりません。

 気候がよくなってきましたので、まさにスポーツの秋となっていきます。車がガソリンを飲んで走ると同じように、人間が走ったり運動したりする際の水分補給は欠かせません。マラソンや駅伝の給水のほか、競技を中断して給水タイムを確保することなど当たり前になっています。数十年前では考えられないことです。

 私たちの世代では、「部活動中に水を飲むな!」「水を飲むとバテる!」と教えられてきましたが、どうしてだったのでしょう。多くは根性論が根底を占めていたと思われます。練習は、厳しくしんどいのが当たり前で、それを克服することで上達すると信じられてきたのかもしれません。また、スポーツは根性で立ち向かうという風潮でしたから、具合が悪くなって倒れたとしても「根性が足りない!」と一蹴されていたのかもしれません。また、水を飲めばお腹にたまって体が重くなるとか、体温を下げるのでその分エネルギーを必要とするからとか様々かも…。

 非科学的な理論といえば、「突き指をしたら、引っ張れば治る」というものがありました。みんなやっていましたが、絶対だめですよね。妙なことが信じられていましたが、そうしたことが正された時期やきっかけはわかりません。

278 栗(23.9.29)

 平田小周辺では目にすることはないのですが、我が家の近くには栗林があちこちに点在します。今の季節はきみどり色のイガ(「毬」と書くそうです)や口を開けた茶色のイガが枝にたわわについています。目を地面に移すと、ここにも中に栗の実を抱えたイガイガ…がいっぱいです。栗拾いというものをしたことがありませんが、追いかけ玉入れのかごを背負って、汚物ばさみのようなものを持って拾い集める光景が目に浮かびます。

 この栗って、食べられるようにするまでが大変です。調理をほとんどしない私の場合、「剥くのが大変」と言うことすらはばかられます。だから、スーパーなどで篭に乗った栗の山を見ても、買い物かごに入れることはしません。それでも、半分に切られた栗をスプーンですくって食べたり栗ごはんとして食べたりした思い出が懐かしく蘇ります。イガに入った茶色の実が「栗!」で、きれいに剥かれた黄色の粒は「マロン~」と感じるのは私だけ?10月には給食で芋栗ごはんとして提供される日があるようなので楽しみにしています。

 この時期になると、洋菓子店に「和栗モンブラン」が並びます。7~8百円もすると手を出せません。数年前までシャ○○○ゼで売っていた和栗モンブランが大好きでした。「今年もそろそろ店頭に並ぶかな?」とワクワクしていた数年前、これまでと製法が変わったのかまるっきり別物になってしまっていて残念な思いをしたことを思い出します。同じ思いを抱く人はきっといるはずです。そういえば、「マロングラッセ」というものに憧れを抱いていたのはいつのことでしょう?

 ところで、栗の花がどうやってあのイガをもった栗になるのか、その変身する様を見てみたい。そんな好奇心が湧きおこってきます。だって不思議じゃないですかぁ。

277 気持ちよく(23.9.28)

 5年生が英語の学習で取材をして回っています。私のもとに来たある子から「Can you play ukulele?」と質問されました。だから元気よく「Yes,I can」と笑顔で回答したのです。質問に「well」でもついていようものなら…。その5年生の歌声が音楽室から下の階まできれいに響いてくるので、思わず覗きに行きました。高音が美しく、何より表情がよい!

 さて、楽器販売の勢いが好調だと知りました。ある楽器チェーン店の昨年度下半期の売れ筋楽器がエレキギター。前年比173%で第1位。アンプやエフェクターといった中にベース、タンバリン、トランペットなどが順に並びます。

 こうした楽器需要に火をつけるのがアニメ作品のようです。以前話題になっていたのが『けいおん!』です。『BanG Dream!(バンドリ)』とか『ぼっち・ざ・ろっく!』の影響もあると聞きますが、どれも読んだことはありませんからよくわかりません。昨年調査した、「趣味で始めたい楽器」のラインキングがありました。こちらでもエレキギターが7位、トランペットが9位でした。そして、第1位はピアノです。ウクレレはといえば5位と大健闘のようです。

 小学生の頃、アニメ(?)に影響されて、「トランペットを吹きたい」と思った時がありました。サッカー選手だったかどうか記憶が曖昧ですが、海辺でトランペットを吹くシーンがあったのです。しかもブラジルから単身やってきた外国人という設定で、暮れかかる海に向かって高らかに演奏する姿には郷愁を感じるとともに、妙に格好よく見えた気がします。小学校初期の段階から楽器演奏でつまずいた私は、トランペットも例外ではありませんでした。マウスピースを咥えた唇がかゆくなって諦めました。だから、両手に複数本のバチを持ってマリンバを演奏する人を芸術鑑賞会などで見たときには、惚れ惚れと見つめてしまいます。

 どんな楽器でも歌でも、気持ちよく演奏などできたら素敵です。虫の声は全然聞こえない私ですが、音楽室や教室から漏れてくる声や音に誘われて足を運ぶことが増えそうです。

276 ここには何が?(23.9.27)

 国土交通省が7月1日時点での基準地価を発表しました。自分の居住市の一覧から近隣の地番を探します。高いのか安いのか、地価が上がったのか下がったのかすら想像もつかないまま、「ふ~ん」とつぶやきながらページをめくります。県内の平均変動率を見ると、住宅地では市川市が浦安市を大きく引き離して人気第1位。八幡1丁目や菅野2丁目辺りの地価が高いようです。

 そういえば、最近めっきり家の売り出し広告やチラシを目にすることがなくなりました。以前は新聞の折り込みで建売住宅やマンションのチラシが入ってきました。でも、見るのは墓苑ばかりのような…。今はインターネットで検索して、資料請求・見学等に進む時代のようです。ですから、造成や建築が始まったころには既に売れてしまっているということです。そういえば、販売価格が書かれた「売り出し中」の看板だって久しく見ていません。

 散歩をしていると久しぶりに通る道があるものです。変わらない景色もありますが、新しい建物などができていて驚くことも少なくありません。でも、「ここって元々何があったところだっけ?」と思い出せない経験はないでしょうか?よく見ていたつもりなのに、結構覚えていなかったり、記憶が曖昧だったりします。

 いつも同じルートでは面白くないので、時々違うコースを走ったり歩いたりしてみると思わぬ発見がありそうです。暑さから解放された植物が、鮮やかに咲く庭を眺めることもできます。今日はひと駅手前で降りて家まで帰ってみましょうか。夕食前の運動にもなりますし…。

275 早めの点灯(23.9.26)

 今月末まで、秋の交通安全運動が実施されています。毎朝、警察の方も見守ってくれています。今秋のスローガンは、「夕暮れの ライトは迷わず 早めから」が掲げられます。特に自転車のライト!無灯火走行が多くてヒヤリとする場面は少なくありません。自動車の前照灯と違って、自転車の存在を他者に知らせることが目的ですから、早めに点灯することが自分と相手の命を守ることにつながります。子供たちの乗る自転車に、まさかライトがついていない、整備不良なんてことはないと思いますが心配です。

 自動車だって無灯火をよく見かけます。メーターパネルが明るいと、ライトを点けているかどうかがわからないのかもしれません。そんなこともあってか、新車は随分前からオートライトが義務付けられました。9月から新しくなった公用車も当然自動点灯します。そうそう、公用車が新しくなってうれしかったのが、オートロック機能。これまでの車は、4ドアすべてを手で解除していましたから…。

 そういえば、本八幡駅のシャポーを抜けた先の横断歩道を青信号で渡るとき、自転車通勤する人が車両と同じ方向に走っていること。歩行者と交錯しますから、気をつけないと事故につながります。急いでいるという理由があっても、自転車は車両です!(怒)

 話題は電車にかわりますが、車両と車両をつなぐ連結器の部分に、貫通幌と呼ばれる蛇腹の通路があります。鉄板が敷かれていて、それが大きく揺れるので立ち止まらないように注意書きがある場合もありました。最近の列車では貫通路がきれいなものも多く、個室感がなく別空間のようです。

 祖母と電車に乗ったとき、尿意を催した私がそれを伝えると、「そこでしちゃいなさい!」と連結部に立たされて用を足したことを思い出します。暗いし揺れるので体を押さえてくれても、尿の行方は電車の揺れの思うまま。方向が定まらず、ズボンを濡らしてしまいます。今の時代、そんな場面を目にすることは皆無です。

274 キャリア教育(23.9.25)

 秋分の日を境に朝晩の涼しさを感じる気持ちよい季節です。

 つい最近まで、テレビで放映されていたドラマ『シッコウ~犬と私と執行官~』を興味深く観ていました。裁判所の判決を(強制)執行していく話ですが、その職は国家公務員なのに報酬は歩合制で、執行により債権回収した額で決まるといいます。私たちにとって馴染みのない職業ですが、執行官という職業を通して、日本のいろいろな側面が見えてくるドラマでした。

 大人ですらよく知らない職業はたくさんあります。ましてや小学生であれば知らないことだらけのはず。だから、どんな仕事があって、仕事ってどのくらいの数あるのかなど知ることで選択の幅や思いが広がるのではないかと思います。高校生の職業教育とは違って、「働く」ということに興味を膨らませることができることが小学校段階では大切です。そんな思いでキャリア教育を様々な教科や場面で行っています。

 10月には、高学年で外部からゲストを招いて一緒に考えます。例えば介護に携わる職、例えば獣医師など、馴染みの薄い仕事を身近に感じられるように計画しています。また、6年生ではこれとは別に、「働く」を考えるワークショップも計画しています。働くことに対してポジティブな目を向け、自らが責任をもって進む道を決めることの大切さを伝えていきたいと思います。

 さて、先週の新聞に「教員志願 止まらぬ減少」という見出しがありました。千葉県も例外ではなく、志願者数が前年度より350人以上減っています。教員の長時間労働などの問題から敬遠されるとともに、他業種の採用拡大が大きな理由と言われますが、前者に関しては一部を切り取ったり偏ったりした情報が大きく取り上げられているように思えてなりません。

 子供たちが普段目にする職業人は教職員です。高校まで数えたら12年間常に見続けていることになります。教員・事務職員・栄養士・養護教諭ほかいろいろな立場の人間がいます。それらを身近に見て、魅力を感じられるようでありたいと思います。そして、卒業生から多くの教員等が誕生することを今から願っています。

273 忘れないように(23.9.22)

 毎朝忘れ物がないかを確認する4点。それは「ハンカチ」「財布」「定期券」「スマホ」で、ズボンを叩いたり指差し点検したりしています。これに加えて、補聴器と扇子も忘れてはならないもの。補聴器のつけ忘れは頻繁に指摘されます。玄関を出る直前に「耳は?」という声に慌てて部屋へ戻るという始末。入浴前に外すと、一部消音されたような感覚に陥ります。特に、バックの時に注意を促すクルマの電子音の聞こえ方は明らかに違います。また、扇子もまだ手放せません。 駅に着いたときには汗びっしょりですから、ハンカチで汗をぬぐって扇子で火照った顔に風を送ります。だから、忘れたことに気づいた時のショックは…。

 さて、夏休み明けに2年生の男児が校長室にやってきました。お母さんからの手紙と「なぞかけ」の作品を受け取りました。「稲穂9号」に掲載した内容に応えてくれたもので、家族で学んだようです。“「新学期の平田小学校」とかけて、「コロナ規制解除後のスポーツ観戦」ととく。その心は「賑やかな声が戻ってきました」”と難しい漢字も使われています。ありがとう!

 また、今週初めに3年生の女児が、担任に付き添われて私のもとにやってきました。夏休みに取り組んだ絵画を新聞に投稿したら掲載されたという報告です。話をしながらも嬉しそうにしていますし、自信にもなっているようにも見受けます。早速印刷して校長室前に掲示しました。また、新しい作品ができたら見せてくれるようで楽しみ!

 また、3年生全員に配付できるように、今年作られた「市川かるた」が学校に届いています。これを使って遊ぶこともできますし、学校周辺や市川市全体を社会科で学ぶ3年生だからこそオリジナルの札を作ることもできるのではないかと秘かに期待しています。グループやクラスで協力して、平田小バージョンができたら全校に紹介しますよ。忘れなければ…。

272 死語(23.9.21)

 来週25日から10月10日までの2週間を、平田小の「人権週間」としています。違いを認め、互いを尊重する心を育むことをねらいとします。図書の時間に全校同じ絵本を読み聞かせから、意見の交流をします。各学年数名の感想を掲示する予定です。

 さて、小学校では、「朝の会」「帰りの会」ですが、中学や高校では「ホームルーム」といいます。急に大人になったような気持ちに浸れて、この響きが魅力的だったことを思い出します。この小学校の「帰りの会」は、半世紀前には「反省会」と呼んでいました。一日の学校生活で嫌なことがあると、「反省会で言ってやろ~」といったセリフになります。そういえば、いたずらなど場面を目撃した時に、「い~けないんだ、いけないんだぁ、せ~んせぃに言ってやろ~」とリズムに乗せて相手に言うのも昭和の子供でした。こんな言葉、もう何十年も聞いたことがありません。

 「かつては使用されていたが、今は使用されなくなってしまった言葉」を「死語」と呼びますが、今風の言い回しを私が理解できないように、私世代が使う言葉もある年齢を境に通じないと思います。例えば、立ち上がったり腰掛けたりするときなど力を入れる場面で、「よっこいしょ」と言うことがあります。この言葉、戦後四半世紀以上過ぎてグアム島で発見された残留日本兵の横井庄一さんに掛けて「よっこいしょういち」なんて言ったものです。恥ずかしいのですが、今でも口から出てしまいます。「男女の二人連れ」を「アベック」と言いました。現在でもスポーツ界では「アベックホームラン」「アベック優勝」などというように使われます。この「アベック」はフランス語由来で、英語の「with」と同じらしいです。また、「若者」は「ヤング」と。漫画本に「ヤングマガジン」や「ヤングジャンプ」などまだ名残りがあります。「チャンネルを回して~」「10チャンネルにして!」などとついつい口にしてしまうのも気をつけないと…。

271 花火(23.9.20)

 孫が幼稚園で作った赤トンボを貼り絵にした作品(ハガキ)が送られてきました。可愛らしく、できることがどんどん増えていくのをうれしく思います。でもよく考えたら、敬老の日に向けて「おじいちゃんやおばあちゃんに手紙を送りましょう」といった活動だったようです。だから、「ずっと元気でいてね」という言葉が添えられていたのかぁ。気づくのが遅い!すでに敬老の対象者なのだと思い知らされた悲しくもうれしい出来事でした。

 さて、8月はじめに母が亡くなりました。90歳、ろうそくの炎が消えるような最期でした。思い出はたくさん。西日に厳しい暑い台所で揚げ物をする後ろ姿。学校から帰るとミシンや編み機の前で何かを作っていた姿。布や糸で何にでも変身させてしまう魔法の手。家には近所の人が出入りして他愛ない話で笑っていた顔。わかっていたこととはいえ寂しくなります。

 通夜の日に、市川・松戸・流山などで花火大会がありました。葬儀が終わって駐車場から見える大輪は、手前に松戸、その向こうに市川の花火。親族で静かに眺めたのです。ですが自宅への帰途、花火帰りの渋滞にはまりました。普段なら40分もあれば帰れるのに、この日は2時間半。家に着いてどっと疲れが出たのは言うまでもありません。

 数年前、市川の花火大会をとある学校の屋上から眺めたことがあります。360度最高の眺望なので期待したのですが、大輪は数センチの大きさでしかありませんでした。だから、平田小からだったらきれいに見えるのではないかと秘かに期待していたのです。暑くても屋上より展望台の方がよいのではないかと…。残念ながら叶いませんでしたが、誰かに頼んで見てもらおうかと真剣に考えていたくらいです。

 最近は手持ち花火もしなくなりましたから、火薬のにおいが懐かしいです。その代わりと言っては何ですが、四十九日の法要を終えた今日も線香のにおいは絶えません。

270 節度、寛容、そして…(23.9.19)

 以前、子供の声がうるさいという住民からの苦情で公園が閉鎖されたニュースがありました。走り回れる場所がどんどんなくなっていく中で、元気に遊びたい子供たちと、静かに暮らしたい人たちがいます。共存するためにはどうしたらよいのでしょう。

 「△時までは外に遊びに行かないようにしているのです」と、保育園の先生から話を聞いた記憶があります。近隣の公園まで手をつないで歩く園児を時々見かけますが、「外」というのは公園の場合もありますし、園庭という場合だってありそうです。夏場に、暑いので音楽室の窓を開けて吹奏楽部員が練習をしていたら苦情電話が寄せられるケースもあります。体育館から響くバスケットボールの音もしかり。終いには飼育小屋で早朝から鳴くニワトリの声にも「何とかしてくれ!」と無理な要求をされることだってあります。

 生活のリズムは人ぞれぞれですから、昼夜関係なく配慮は必要です。でも、子供の遊ぶ声は騒音なのでしょうか。ややもすると、うるさいという意見ばかりが強調され、採りあげられるがゆえにその対応に追われるということもありそうです。明らかに迷惑をかける行為以外は許容されるべきという考えもありそうです。だって、誰もが子供だった頃があるのですから…。

 こうしたことの根底には、「顔が見えない」「相手を知らない」という関係性があるのかもしれません。ある人はこんな風に言っています。“うるさいとは、音の大きさだけでなく、自分の心理状態や相手との関係を通してフラストレーションを感じるかどうかだ”と。つまり、好きな音楽は大音量で聴いても心地よいが、興味のない音楽は騒音だと感じる人は少なくないはずです。結局は、「節度」と「寛容」、そして普段からの挨拶などを通したコミュニケーション。相手を思い浮かべ想像するだけで、聞こえ方に変化が起こるかもしれません。

 代表委員が朝の挨拶運動を始めて2週目になりました。こうしたあいさつを通して、「地域顔見知り計画」を進めていきたいと思うのです。大人と子供、大人同士など…。

269 無意識の思い込み(23.9.15)

 教室前の掲示板に、夏休みの思い出の作文が見られます。みんな色々なところに連れて行ってもらったようで楽しかった様子が行間からにじみ出ています。

 さて、ある研修会で講師の方から「アンコンシャスバイアス」について話を聞きました。ヒト・モノ・コト・自分に対する「無意識の思い込み」を指すそうです。過去の経験や見分に影響を受けて、ある事実に対する無意識の認知が本能的に働きます。それが言動となって表れ、相手や周囲に何らかの影響を及ぼすということは日常にあふれ、誰にでもあるのです。

 例えば、パイロットと聞けば男性を思い浮かべる、単身赴任といえば男性を思い浮かべるといったことはないでしょうか。逆に、客室乗務員と聞けば女性を思い浮かべてしまいます。少し前に歌手のブラザーコーンさんが乳がんを発表しましたが、これも女性だけの病気だと思い込みがちです。血液型がA型だと聞けば几帳面などという言葉でくくってしまうのも無意識の思い込み。こうした思い込みで話をすることで歪み(ひずみ・ゆがみ)や誤解などが生じ、ひいては人間関係や仕事に大きな支障が出ることだって考えられそうです。

 また、「バラ色の回顧」という言葉も聞きました。私自身のあるあるです。過去のことを実際よりも肯定的に記憶したり思い返したりしたくなる傾向のことです。「昔はよかった発言」は私だけではないはずですし、その逆に「今はいいよね。昔はさぁ…」と、いかに自分は大変だったかを声高に語りそうな自分が怖いです。

 2学期は5年生を対象にした介護に関する授業を外部講師が行ってくれますが、介護の対象を老人と決め込んではいませんか?いずれにしても、様々なパターンで存在するアンコンシャスバイアスに気づこうとし、対応することが大切だと思います。自分を見つめ直すよいきっかけになりました。

 きっと家庭や地域にも思い込みは潜んでいるはず。

268 今、この一瞬を(23.9.14)

 ふと思います。平田小学校の焼却炉は、以前どこにあったのでしょう?小型焼却炉からのダイオキシン類の発生が不安視されるとして、21世紀を前に廃止・撤去されました。

 掃除の時間になると、教室からごみ箱を持って屋外の焼却炉に燃やすごみを持っていきます。用務員さんが待ち構えていて、次々と炉の中に投入していきます。時々下部の蓋を開けて、燃え残りがないようにしていました。学期末になると、燃やしたいごみが山のように集まります。順番待ちになりますが、燃やしているのが大好きな私は一気に引き受けて、焼却炉を操る花形となるのです。自分では焚火というかキャンプファイヤーの火の管理をしているくらいの楽しさだったことを思い出します。溜まった灰を掻き出すなどしていると、あっという間に時間が過ぎていったのです。そんな焼却炉が姿を消してからごみの分別や減量が叫ばれるようになったわけです。

 話は変わりますが、今年度は久しぶりに市内陸上競技大会が10月13日に開催されます。体育の授業の延長線上に位置づけ、種目などを絞って半日開催となります。対象児童は5,6年生のみで、百m走・走り幅跳び・走り高跳びの3つです。保護者の中にも、かつて国府台スポーツセンター陸上競技場で走ったり跳んだりした経験のある人が多いでしょうから寂しく感じるかもしれません。今日は説明会をして部員募集です。私たち世代の教員は、相撲部や水泳部、陸上部を学校対抗の季節行事ととらえていましたから気合を入れて臨んだものです。働き方改革が叫ばれる一方で、一抹の寂しさがあるというのが正直な気持ちです。

 これまであったものが消え去ったり、形を変えて生まれ変わったりすることが繰り返されます。今ある姿が2~3年後に必ずあるとは言えません。諸行無常の響きあり~。

267 むかしむかし(23.9.13)

 昨日の朝、正門から工業高校のグランドの方に向かって物凄いスピードで動く動物が…。旗当番の方と「あの尻尾はタヌキ?」と言葉を交わしました。まだまだ朝から暑いですが、早朝の車のルーフやボンネットにはうっすらと露が下りています。季節は確実に秋に向かっています。

 さて、5年生の林間学校はもう2か月も前のこと。時の流れの速さに驚いてしまいます。河口湖近くでロープウェイに乗って天上山から雨に煙った富士山を眺めました。この天上山には、昔話の「カチカチ山」伝説があるようです。展望台そばに設置させた看板の記載をそのまま紹介します。どんな話だったか思い出してみてください。

 昔々ある日のこと、おじいさんは畑でいたずら好きのタヌキを捕まえました。おじいさんは家に帰り、おばあさんにタヌキ汁を作ってくれるように頼むと、再び畑に出かけました。ところがその隙にタヌキはおばあさんを騙して殺し、ばばあ汁を作りました。おじいさんはタヌキに騙され、ばばあ汁を食べてしまいます。

 そうと知ったおじいさんは、おいおいと泣きました。それを見かねたウサギがやってきて、おばあさんの仇討ちを始めるのです。タヌキの背負った薪に火をつけて大火傷を負わせ、火傷の跡に辛子を塗り、舟遊びに誘ってすぐに沈む泥船に乗せて溺死させ、おばあさんの仇討ちを果たすというお話です。

 この昔話の舞台と言われているのがここの天上山です。(中略)背中に火をつけられたタヌキが「あちち」と叫びながら駆け下りたのがロープウェイの眼下に見えた崖、泥船に乗ったタヌキが沈んでいったのが河口湖と言われています。それにしても昔話「カチカチ山」…ちょっと残酷な話です。

 こう考えると、「赤ずきん」も最後にオオカミのお腹を切り裂いておばあさんと赤ずきんを助けて、代わりに石を詰め込んで…と終ります。シンデレラや白雪姫も原作では、私たちが知らない怖い終わり方をしているようですが、様々な地域に伝説としての語り継がれる怖い話、悲しい話、心温まる話などを求めて旅するのもいいなぁ。ちなみに平田・新田・菅野の地域に昔から言い伝えられる話はあるのでしょうか?

266 あなたの心はどこにある?(9/12)

 「♪ぼくのせんせいは~(フィーバー)」で始まる『熱中時代』。水谷豊さん扮する先生が、体当たりで挑む学園ドラマでした。小学校教師を主人公にしたドラマを見たことがなかったので、毎週楽しみに視聴した高校時代。当時の最高視聴率が46%以上というから人気の高さがうかがえます。もしかすると、私が学校の先生を選んだのはこのドラマの影響があったのかもしれないと、今更ながらに思います。70歳を過ぎても『相棒シリーズ』などで活躍する水谷さんですが、『太陽にほえろ』第1回では犯人役でした。そして『傷だらけの天使』では、「兄貴ぃー」と萩原健一さんに呼びかける独特のセリフが人気でした。

 昨年11~12月に、現役中高生千七百人強に尋ねた「なりたい職業や興味ある業界」で、男女ともに「教師・教員・大学教授」が第1位だったといいます。興味ある業界でも「教育」が1位、2位の最上位にランクイン。ブラック扱いされ、志願者が減っている教員ですが、子供たちの前に毎日立つ私たちが、何よりも働きがいややりがいを大事にしている姿を見せていかなければならないと思ったのです。

 7月の終わりに、全国を飛び回って法話をしている薬師寺・大谷徹奘 師の講演を聞く機会がありました。奈良・薬師寺は墓を持たず葬儀も行わない寺だそうですが、話の巧みさに引き込まれ、あっという間の時間でした。その中で、“幸せとは身近な人と笑いながらご飯を食べることなのです” “最近は多様性という言葉が言われますが、相手を大切に思って話をすることこそ多様性ではないでしょうか” “自分の在り様をよく観て自分と対話する、自分の命をどう使うか”など印象的な言葉がいくつもありました。和尚のように頭を丸めて参加した講演会でしたが、人の話を聞けなくなったり謙虚さをなくしていたりしてはいないか、子供たちの前に初めて立った時の気持ちを忘れてはいないかなど、この歳にして改めて見つめ直す機会をもらった気がしたのです。

265 スポーツの秋(23.9.11)

 「バレー男子日本代表が46年ぶりに世界大会で表彰台」というニュースが夏休みに入ってすぐの新聞に掲載されました。世界のトップ16チームによるバレーボール最強国決定戦、ネーションズリーグ男子大会のことです。

 小学生のときに熱狂したバレーボール。『サインはV』や『アタックNo.1』がそのきっかけでした。そして、1972年のミュンヘンオリンピックに向けて取り組むチームを描いたドキュメントアニメ『ミュンヘンへの道』でさらに夢中になり、五輪の優勝により中学校ではバレー部に入ろうかと本気で思った私。松平監督のもと、セッター猫田のトス回しや大古の強烈なスパイクにわくわくし、ネットよりはるか高い位置でブロックを決めてガッツポーズしていた夢の中の自分を思い出します。川合俊一選手や中垣内祐一選手らよりずっと前の時代。最近では、『ハイキュー!!』が面白かったです。『2.43清陰高校男子バレー部』という漫画もあるらしいので、さわりだけでも読んでみたい。

 さて、教員なったころは教職員の親睦行事としてバレーボール大会が毎年行われていました。中学校の体育館を会場に学校対抗戦です。特別時程を組んで、午後から行われていました。頑張りすぎてアキレス腱を痛め、翌日には松葉杖をついているなんていうこともよく耳にしました。学生時代にバレーボール部に所属していた先生がスパイクを打つときは、まるで空中で止まってコートの空いているところを探してるように見えたものです。自分ではそこそこにできるつもりでいても、そんな先生には敵うはずもありません。

 秋には教職員陸上大会もありました。二人三脚や砲丸投げ、パン喰い走など分担してエントリーしましたが、若いからと出された100m走は、思う以上に辛いものがありました。子供たちの陸上大会に向けて指導はしましたが、自分が走るとなると100mって長い!遠い!50mから先にあると足がもつれる!これまた、早く走れるつもりでいたのにそんな妄想は木っ端みじん。他人の背中が遠くなって追いつかないわけです。

 決して時間に余裕があったわけではありませんが、こうした交流が今はないのがさみしい気がするとともに、古き良き時代として懐かしく思い出されます。

264 なぜ二才?(23.9.8)

 夏が終わりに近づくと、ビール缶が秋色の装いに身を包み、菓子のパッケージには栗や芋のイラストが多くみられるようになります。そして9月を境に、よく行くスーパーからアイス「白くまくん」が姿を消しました。残念!

 さて、校長室の入り口そばに、子供たちが見られるようにクイズを掲示して頻繁に更新するようにしています。時々見てくれて、ドアをノックして解答を言ってくれる子もいます。新学期に備えて、夏休みに入る直前に新しい問題に交換しました。すると夏休み中のある日、用務員さんが問題の中にある言葉に触れながら、「今の子供たちは『青二才』なんて言う言葉を知っているのでしょうか」と疑問を投げかけてきました。確かに使う場面はほとんどありません。時折、漫画やSNSで見かける程度でしょうか。経験不足の若者を表す慣用句ですが、そもそもどうして「二才」なのか不思議です。ですから、もう少し掘り下げてみることにしました。

 すると、「年が若く、経験が不足している物事に未熟な男性のこと」を指すそうです。そうした男性を生意気だと見下す意味のほか、謙遜したり叱咤激励したりする場面で用いられることもあります。でも男性を指す言葉だと知り、言葉が生まれた頃の時代背景を考えてしまいます。「青」が似たような意味で使われる言葉には「青春」や「青臭い」などがあります。一方、「二才」というのはなぜでしょう。ブリやスズキ、ボラなどの出世魚では、生まれて2年目の幼魚を、成長途中で経験が未熟な魚として「二才魚」「二才」と呼ぶことからくるという説ほかがあるようです。

 こうして改めて考えてみると、慣用句「一か八か」もなぜ「1」と「8」という組み合わせなのでしょう?語源は賭博にあり!また、うそを数多くつくことや全くのデタラメを「嘘八百」と言いますが、この「800」は数が極めて多いという意味で、「八百万の神」「八百八町」などでも使われています。ドラマ『ハヤブサ消防団』の舞台も八百万町という山間集落です。

 年はとっても、小さなことにもハテナを感じる心や頭をいつまでも大事にしたいと思います。青二才ならなおさらのこと…。

263 今ふりかえる(23.9.7)

 自己満足の典型ともいえる校長ブログを始めたのは前任校だった3年前の5月11日。始めたのは新型コロナによる休校の真っ只中。その後分散登校となっていきますが、制限だらけで保護者・地域が学校や学級、担任を見たり話したりする機会激減への苦肉の策でした。着任した校長がどんな顔でどんなことを考えているかを知る術がありません。だったら丸のままの自分をさらけ出して知ってもらおうと考えたのです。初年度は206回更新しました。翌年度は199回。そして、平田小では昨年度から今日まで263回を数えます。始めて2日目は、『めぐる縁2020/5/12』という表題で次のように綴っていました。

 私の初任校は中国分小学校です。36年前になります。当時5年生を担任し、サッカー部を担当しました。学級経営や学習指導は、今考えると最悪だったと思います。だから子供たちや保護者の方、教職員にたくさんの迷惑をかけてきました。ただ、その時は自分にその認識はありませんでしたから、たちが悪いといえます。そうした自分を包み込むようにみんなに育てていただいて今があります。

 そして、縁あってここに着任しました。着任後すぐにある男性が学校に訪ねてきてくれました。初任のころのほかのクラスの5年生でサッカー部だった子です。思いがけないことに嬉しくて嬉しくて…。

 また、先日の保護者連絡日には、中国分小サッカー部だった子の奥さまや当時担任した学年の子が素敵なお母さんとなって声をかけてくださいました。巡り巡る縁に感謝するとともに、背筋がピンと伸びる思いがします。

  話は変わりますが、2年生のH君が私の似顔絵を描いて担任に提出してくれた作品を預かりました。たった一人だとしても、投げたボールを返してくれたことに感激しました。直接伝えられませんが、ありがとう!校長室入口の掲示板に貼らせてもらっていますよ。

 

 子供たちが登校するようになったときに出会う様々な場面、笑顔を楽しみにして、今しばらく頑張っていきます。

 1年目は端的にまとめていたようですが、徐々に欲というか色気が出てきます。そうなることで、考えや思いの押し付けになっていないかどうか反省しながらも、「自分が楽しいと思えることが一番」だと割り切っています。子供たちにも、人に迷惑をかけたり不快にしたりしない範囲で、楽しいと思えることに力を傾けられるようあってほしいと願っています。

262 夏休みの目標は…(23.9.6)

 理科室のテーブルに並んだ夏休みの自由研究(科学論文や工作、標本)を一つ一つ見せてもらいました。スイカの大きさと種の数、一人分にした時の種の割合を調べた研究は根気がいります。だって種の数が千個を超えています。弟の断乳の観察記録もあります。お母さんにつきっきりで細かく見ていた跡が窺えますし、何より目のつけどころが面白い。大きな段ボールは、水の性質を利用して作ったクレーンゲームです。試したかったのですが壊したら大変ですからやめました。菓子袋を折りたたんで捨てる際の変形の仕方3種の実物もあります。1枚の方眼紙に貼り付けた脇に8月30日と日付が書かれ、クスリと笑みがこぼれます。標本も含め、楽しめました。

 さて、毎年夏休み前に自分の目標を公言するようにしています。「40日間で100km以上ランニングをする」と宣言した年もありましたが、お盆休み以外は出勤・出張ばかりで決して時間的な余裕はありません。しかも朝夕でも暑い、いや暑すぎるので走ることで倒れてしまっては元も子もありません。また、「ウクレレの上達」を目標にしたときは、一人で黙々と取り組むことに限界を感じてしまうとともに、「上達」ということ自体に具体性が乏しいため、達成できたのかどうか判断がつかないもどかしさがありました。「3回は、食事を自分で作って妻に食べてもらう」という目標もありました。

 今年は路線変更してインドア運動に!筋トレも以前挫折したことがあるので、「毎日30分、ストレッチに取り組む」としました。というのも、少し前に買ったストレッチの図解入り本を買って安心してしまったようで、実践していないことに反省したからです。仕事の日も基本定時退勤できそうですから、入浴前後の隙間時間に。果たして、そこそこにストレッチには取り組んだのですが、30分という縛りがいけません。さらに腰痛を理由に手を抜いて、終わってみれば全然できていなかったと言わざるを得ない結果。「30秒にしておけばよかった」と思う意志の弱さには、ほとほと情けなくなります。

 「今年の目標は達成できましたか?」と敢えて問わない職員の心遣いに感謝。いやいや、単に覚えていないだけ!と思ったら尋ねたくてウズウズしていた方もいたようです。

261 大胆に(23.9.5)

 7月下旬の新聞を見てびっくり!なんと『チョコぬいじゃった!きのこの山』が発売されたというニュースです。きのこの山のクラッカー部分だけの商品です。かなり大胆で思い切った選択です。だって、「チョコがあってこそおいしいのでしょ?」と考えるのは硬くなった頭だからでしょうか。どうもクラッカー部分にアイスを乗せたり牛乳に浸したりチーズをつけたりすることなどいろいろな食べ方ができることを提案している様子です。様々なアレンジに挑戦してみるのもよいかもしれません。

 さて、現在所属する国際教育部会の研究大会を8月下旬に開催しました。グリーンスタジオを会場に、第1部では杉原千畝氏のお孫さんでいらっしゃる杉原まどか氏をお招きして「21世紀の平和と共存」について、映像を交え講演していただきました。とても興味深い話で、聴衆約160名が前のめりで耳を傾けました。第2部では、市川市の国際教育の取り組みを紹介しました。7月21日から8月1日まで中学生数名がドイツ・ローゼンハイムの現地中学生と交流をしてきましたが、そうした取り組みにも関わりながら生徒の学びを振り返る報告がありました。長い歴史のある交流事業ですから、実際に参加した生徒が今、市川市の教員となって活躍しているというケースも思った以上にあると聞きます。

 世界に目を向けると、日本での当たり前が通用しない場面が多々あります。学校教育も同様。固定観念を取り払ってみると違った景色が見えてくることだってあるかもしれません。リスクを承知でチョコを脱いじゃうくらいの大胆さ・冒険心を持ち合わせていたいと思うのです。

260 自然体験(23.9.4)

 夏休みに入る前々日の4時間目は大掃除でした。午後は、教職員が改めて児童トイレの掃除を行ってくれたのできれいなまま9月を迎えられそうです。『トイレもきれいな学校』を目指すために担当者が企画し、教職員が快く行動してくれた結果です。その最中に、私は敷地内のアジサイの剪定を行いました。校庭に面した場所のアジサイは砂ぼこりにまみれていましたが、来年もっときれいに、もっとたくさん花を咲かせてくれることを願って作業に集中です。

 子供のころやった、草花や葉っぱなどを使った遊びを思い出します。笹舟を水の流れに乗せたり、マサキの葉を丸めて笛を作ったり、オオバコの茎で引っ張り合ったオオバコ相撲をやったり…。エノコログサ(猫じゃらし)を手の中に収めて小さく握ったり開いたりを繰り返すと毛虫が出入りするように見えます。ナズナ(ペンペングサ)を振れば音が鳴ります。春にはシロツメクサで髪飾りを作っていた子もいるのでしょう。秋にはシイやカシの実がたくさん採れます。それを使ってどんぐりゴマやヤジロベー、どんぐり笛、動物人形を作ることもできます。オナモミを相手の衣服に投げてくっつけるのも面白い遊びです。

 こうした経験をたくさんさせたいと思うのですが、どのくらいの世代までが知っているのでしょう。もしかすると、夏休みで貴重な自然体験を積んだ親子がいるかもしれません。親や教員が知らなければ体験する土壌がないわけですし、知る者が率先して伝えていくことが必要かもしれません。自然体験教室といったワークショップ開催も面白いかも…。10月中旬に4年生が実施するグリーンスクールの主目的は、普段できない「自然体験」です。

 

259 どんな夏休みでしたか?(23.9.1)

 8月後半、校庭に櫓が建てられて平田町会の盆踊りが開催されました。4年ぶりの開催にワクワク感を隠せない子供たち、そして忙しいながらも笑顔いっぱいの大人が溢れていたことが印象的でした。何より人と人の絆や横のつながりが強くなっていくはずです。今月23日(土)には、おやじの会主催の『学校キャンプ』があります。約60名の申し込みがあると聞きます。これまでできなかった催しが徐々に再開していくことに喜びが湧きあがります。

 さて、7月で水泳の学習は終わりましたが、ひと昔前くらいまでは9月の中旬まで泳いでいました。夏休みには水泳部が活動し、水泳大会も開催されていました。こんな真夏の風物詩は時代とともに変わってきています。以前書いたようにラッシュガード着用が大半を占めます。日焼けは夏の象徴?というのは時代錯誤も甚だしいようです。ゴーグルも全員が使用します。昔は、「水に顔をつけて水中で目が開けられる」ことが指導目標の一つでしたからゴーグルには否定的でした。プールの前後のルーティーンも大きく変化しました。プール入り口で足洗槽に入って、シャワーを浴びた後は体洗池(腰洗い槽)で股を開いてテンカウント。でも今はシャワーのみ。水泳学習が終われば、まず目を洗ったものですが、今は角膜を傷つける恐れがあるということから廃止に…。

 さぁ、2学期の始まりです。昔とは夏休みの過ごし方が変わってきたかもしれませんが、子供たちから様々な思い出話が聞けるだろうと思うとわくわくします。自分から求めて、何かに夢中になれる2学期にしたいと思います。

258 Have a nice summer vacation!(23.7.20)

 高校野球千葉県大会も大詰めを迎えます。そんな中、こんなことがありました。2回戦で娘と息子の母校対決です!結果、娘が卒業した高校が僅差で勝利をおさめました。それにとどまらず、3回戦は勝ち進んだ娘の学校と私の出身校が対戦。滅多にあることではありません。残念ながら、妻の学校は統廃合でなくなってしまいましたから、これ以上の奇跡は起こりませんでしたが…。グランドで頑張る選手とスタンドで応援する生徒にエールを送ります。一方、プロ野球に目をやると、昨日今日とオールスターゲームですが、大リーグに比べて盛り上がりに欠けます。企画の問題なのか国民性なのか。

 さて、18日(火)に5年生と6年生が着衣泳を実施しました。衣服や靴などを身に着けたまま入水します。水を吸った衣服の重さ、思うように動いたり泳いだりできない不自由さを体感することが目的の第一です。そのうえで、①「岸にたどり着くため焦ってジタバタせず、浮いて助けを待つ」ためにどうしたらよいかを学びます。衣服のお腹の部分に空気を取り入れたり、ペットボトルをラッコのように抱いて浮かんだりする方法です。一方、発見者になった場合についても触れることがあります。子供が流されたのを助けに行った大人や友人が溺死してしまったと報じられることは決して珍しいことではありません。ですから、②「泳いで助けに行くことをせず、すぐに119番通報をする」ことが大事です。ロープや長い竿などがある場合は、それを使うことも考えられますが、その時も立ったまま引っ張ることはせず身を低くした体勢で対応しないと、必死にもがく相手に水の中に引きずり込まれてしまいます。1~4年生にも上の①②を知っていてほしいと思います。

 それでは、子供の事故を防ぐための保護者の注意点は何でしょうか。身近あるいは慣れ親しんだ川や海であっても危険は潜んでいます。だから、「目を離さない」ことが重要!そのために、「子供と一緒に遊ぶこと」、そして「親が、川や海の側に立つこと」がポイントです。

 また、自転車事故も防ぎたい一つ。市川市では、ヘルメット購入補助を実施しています。年度末までの期間ですのでこの機会にどうでしょう。また、『ぶたはしゃべる』という日常点検の合言葉をご存じでしょうか。「ブレーキ」「タイヤ」「反射器材」「車体」「ベル」のチェックですが、備えあればなんとやら…。自分の命を守るため、家族の命を守るため、最悪を想定した予防行動を大人子供関係なくとれるようでありたいものです。

 Have a nice summer vacation!

257 林間学校を終えて(23.7.19)

 始発の電車が、冷房でキンキンに冷えているときは嬉しい一日の始まりです。そして夜。キンキンに冷えたグラスとこれまた冷え冷えのビール。一日の疲れを忘れさせてくれる最高のご褒美。

 さすがに林間学校でビールの登場はありませんが、熱中症の心配をすることなく、全員元気に2日間を過ごすことができました。友達とたくさん話をしたり力を合わせたりしながら集団やグループので成し遂げる楽しさを味わうことができたように思います。やることすべてが楽しかったようです。キャンプファイヤーの火の神は、前任校をもって最後だと思っていたのですが今回もやりました。予定の時間帯には雨が降り出しそうなので、急遽早めてまだまだ明るい5時過ぎ。火の神装束を身に着けることなく、火の神が私に憑依したのです。

 2日目の樹海散策も興味深いものでした。大人には入れない洞穴の中にも子供は入れます。ずっと昔は、樹海では携帯電話のアンテナが立たないとか圏外だとかいうことがありましたが、今はそんなこともなくHPの更新もできてしまうのです。そんな樹海の中、ある男児が前日に作ったバードコールを使おうとリュックを探していると、中から握力を鍛えるためのハンドグリッパーが出てきたのです。なぜ持ち歩いているの?みんなで笑い合いました。

 ホテルの夕飯はバイキング。食品ロスをなくすために、自分で取ったものは全部食べることを実践する場になりました。2日間で4回の食事でしたが、食べる量や食べ方、そして片付けることへの意識の違いが見えてきます。普段からいろいろなことをやってもらうことに慣れてしまっているせいか、やりっ放しだったり感謝の気持ちを表せなかったりする場面もありました。課題です。

 私の場合、トイレのペーパーがダブルだったことに戸惑いを感じました。シングルを使い慣れているので適量がわからないのです。また、家に帰って並べたお土産のほうとうのパッケージが一つだけ異なることに気づいたのです。新旧2種類あるのかと思いきや、単に裏表の違いでした。いや~、情けない。

 この林間学校で培った力や課題が、2学期の学校生活にどう生かされるのか楽しみです。

256 大きくなぁれ(23.7.18)

 枝豆がたくさん出回るようになりました。これから8月にかけて、「湯上り娘」「味風香」など様々な品種が続々と登場します。甘みや食感は、居酒屋で出される冷凍の枝豆とは全く別物です。

 枝豆は、未成熟な大豆のことで豆の種類ではないことはご存じだと思います。そういうわけで、大豆と枝豆の違いは、1つは収穫時期。もう一つは分類学上、「大豆は豆類」で「枝豆は野菜類」であることでしょうか。

 以前、居酒屋で枝豆のホイル焼きを食べましたが、旨味が濃厚だったことを思い出します。山形県の郷土料理「だし」にいれても美味しいですし、枝豆をすりつぶした「ずんだ」を使ったシェイクや餅などは仙台名物です。手近なところでは、ヤオコーで売られているずんだおはぎが好きです。新田店にもありますか?

 そうそう、校長室で育てていたビワが発芽しました。何気なく窓辺に置いた鉢に目をやると葉っぱが見えます。一瞬何を植えたか思い出すのにタイムラグがありましたが、ちゃんと育っていたのです。発芽したら次に必要なのは、水と日光と栄養。観葉植物だと思って管理します。

 一方、1年生が育てるアサガオは毎日のように花を咲かせています。「ぼくのアサガオを見て!」と話しかけてくれる子もいますが、水が足りなくて葉をシナシナにしながら種の保存のために花をつけていそうな鉢もちらほら。赤門近くは日当たりがよくて、保護者に持ち帰ってもらうにはよい場所なのですが、なにせ1年生の昇降口からは遠いのが難点です。

夏休みまで今日を含めて3日になりました。植物と一緒で、子供たちも一回り大きくなる夏です。