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校長室から

147 寒くない冬(1/23)

 天気のよい日は、屋外にいても日なたは心地よく感じます。逆に室内の方が足元からしんしんと冷えてくるようです。  今日は、「八甲田山の日」。120年ほど前の明治35年、八甲田山へ雪中行軍に出かけた兵士210名が遭難しました。映画あるいは書籍等でご存じの方もいるでしょう。冬の八甲田山は冬の重装備が必要です。スキーがまだ伝わっていない当時、雪中行軍のノウハウの無さや指導部の無謀さから、兵士は軽装のまま行軍を開始。その結果、猛吹雪の中で道を失い、寒さと空腹、疲労により遭難してしまいました。数日後、199名の凍死が確認されたのです。

 先週、ある天気アプリの週間予報を見ると、柏市の25日(水)とその翌日の最低気温が「-13℃」「-11℃」と表示されています。明らかに間違いだと思って問い合わせると、次のように丁寧な回答をもらいました。

 “予想気温につきましては不具合によるものではなく、強い寒気の流入を踏まえて予測された値でしたが、予測対象日まではまだ日にちがあり、予想気温がかなり低い値となっておりました。(略)”

 ここ何年もあまり寒くない冬が続きます。昔は首都圏でも結構雪が降ったような記憶がありますが、積雪は極めて少なくなりました。目に見えてわかる温暖化でしょうか。通勤通学にはありがたいのですが、雪遊びをしたい子供たちは残念かも。雪とともにほとんど見かけない景色になったのが「氷柱(つらら)」です。軒先にぶら下がった氷柱を折って舐めたこともありますが、「汚いからやめなさい」と叱られました。そうそう、雪も奥の方を食べました。霜柱を踏んで歩くのも楽しみでしたが、どれだけの子がそうしたことを経験しているのでしょう。

 明日以降、強い寒気団が流れ込む今週。気温が上がらなかったり最低気温がかなり低めだったりします。暖かくして出かけたいと思います。

146 平田ソファさんは52歳(1/20)

 先週からいつも朝の通勤電車で私の前に座る同年配の男性の顔が見えません。もしかすると感染症に罹ってしまったのかもしれません。いつもある景色が違うと少し不安になります。JRではベビーカーを押した男性が乗ってきました。その車輪を私の足の上に乗ったことに気づいて向きを変えましたが、「ごめんなさい」が言えない?イラっときましたがグッと我慢!

 さて、本校の「平田ソファさん」は52歳。運動不足も手伝ってか、年齢による肌荒れや痛みは隠せなくなってきました。日焼けによるシミも年齢相応かそれ以上かも!この方は、校長室の真ん中に鎮座するソファです。四角い座面の内側に3~4か所の裂け目があるのです。その傷を線で結ぶと正方形になるからあら不思議。座面を裏返すと、ちょうど傷になる辺りにボタン状の突起があるのです。きっとこれが原因です。備品シールには「昭和45年」とあったので年齢が判明しました。痛んできて当たり前。表面の弾力もなく、メンテを忘れたときの私の皮膚状態?!

 先日、このソファに座った子が、無意識で座面の裂け目に指を入れているではありませんか。こうして傷は広がっていくわけですが、指を入れたくなる気持ちもわからなくはありませんので見て見ないふり。ただ、これ以上広がらないようにするために座布団のようなものを置く必要がありそうです。どこかに不要となった応接セットはないものでしょうか?

 さて、書き初めの展示が来週23日から2週間、教室前にされます。昔、自分の子供たちに家で練習させたことを思い出します。形や勢い、筆の動きを「ドン、ス~、パッ」のように音で表して脇で見ていました。でもその指導は厳しかったようで、書き初めの練習は憂鬱だったと今更ながらに言います。横画では右上がりを意識すると形が整いますが、左利きには筆運びが大変です。息子がそうだったので、体育館で取り組む中にサウスポーを見かけると応援の声をかけたくなります。

 私も応接セットのテーブルにカレンダーの裏白を広げてお習字をしました。“「ありがとう」を口ぐせに”と書いて、掲示板にそっと貼っておきました。

145 もっともっと(1/19)

 朝、家を出るときの明るさが増して、明けるのが少しずつ早くなってきたことを感じます。

 ある曇り空の朝、「今日は寒そうだね」と言うと、「ヒィーテンナイシ~」と返ってきます。何語ですかと思うでしょうが、さすがに30数年一緒にいるとすぐにわかります。「今日は、陽(ひ)が照んないし、きっと寒いだろうね」と言っているのです。「家族だからこそ伝わる言葉」「その家独特の言い回し」がきっとあるのではないでしょうか。

 先日、新しいウクレレを買ってしまいました。3本目です。「手が2本しかないのに、ウクレレばかり増やしてどうするの!」と呆れられています。でも、現在所有するものとは違った響きに心浮き立ちます。まるで新しいおもちゃを買ってもらった子供のような気分とでも言いましょうか。

 最初1年半通ったウクレレ教室の先生は、私が初心者でしたから目標がわかるように指導してくれました。30分レッスンですから無駄なおしゃべりは一切ありませんし、質問できるような余地というか話しかけることすらできませんでした。「もっとコミュニケーションをとりながらやりたい」というのと「ソロ演奏に挑戦したい」という希望から、教室を変えて1年近く経ちます。現在は、疑問や希望を自由に口にできてそれに対して的確な回答がもらえます。でも、進むべき方向が示されず私次第といった感じです。「こうしたい」と言えばそれに寄り添ってくれますが、初心者を抜け出せない自分がもっとステップアップしていくためにどうしたらよいのかが見えてきません。費用は決して安くないからこそ、この先どうするか悩んでしまいます。

 学校や教室も似ていないでしょうか。程度の差こそあれ、もっとできるようになりたいと願う子供は少なくないはず。そうした願望を秘めた子供たちに指導方針や進む方向性が伝わるか否か、教職員と話がしやすいか否か、一緒に創り上げていく感覚を共有できるか否か、大事なポイントです。個に応じて適切な目標設定と支援・指導ができるように私たちも日々学び続けることが求められていると思います。

144 共通テストの日に(1/18)

 ずっと感じてきた素朴な疑問。

 それは、“どうして「理科」だけ「科」が標準装備なのだろう?”というもの。一般的に学校の教科に関しては、「科」を省いても成立します。国語・算数・社会・外国語・体育など。でも、「理科」だけは「理」だけではわかりません。必ず「科」とセット表記です。学習指導要領の教科名も、理科だけ「科」をつけています。いったいどうしてなのでしょう?

 『Yahoo知恵袋』の回答には、“「理科」は、物理・化学・生物・地学をまとめて縮小した「造語」だそうです。明治19(1886)年に制定された小学校令を作成する際に物理・化学・生物・地学の自然科学関係4教科をまとめて縮小した言葉として創られたのだそうです。よって、国語・算数などと同じように理科で一つの言葉なのです。”(ほぼ原文のまま)とあります。

 また、『教えて!goo』にはこれを補足するように、“実際、昭和初期の制度では、「理数科理科」「理数科数学」という言い方がありました。”(原文のまま)と書かれています。ただ一部には、「理科科」とする学校もあるようです。

 さて、先日「大学入学共通テスト」が行われました。千葉県内では29会場で2万4千人余りが頑張ったようです。昨年度から「大学入試センター試験」から名称を変更して実施。遡ると、1990年度に始まったセンター試験以前は、1978年度から11年間続いた「大学共通一次試験」でした。私が受けたのも共通一次の初期。そして、理科4分野で選択したのは、生物と地学!物理は苦手でした。

 共通テストが行われる当日、私の頭を悩ませたのが新聞にあった「漢字熟語クイズ」。虫食い状態の3~5文字熟語を完成させていきます。簡単そうに見えてもフル回転の脳みそです。例えば「○○高島○」という問題だと、何が思い浮かぶでしょう。懸命に考える私の脇で「大宮高島屋」とささやく輩。正解は「文金高島田」だったのです。また、完成すると「金茶金十郎」となる言葉があります。知らない人物ですし、本当にあるのかと思って調べると、“芸者屋などで大金を浪費することから転じて、「馬鹿者・たわけ者」を指す”とのこと。人物ではありませんでした。そういえば熟語問題だったわけです。もう試験とは縁遠くなりましたが、頭の体操は欠かさないようにしないと危ない!

 最近、朝電車に乗ると、受験生と思しき中学生の姿が目立つようになりました。中学受験をする児童もいます。体調を整えて悔いのないように臨んでもらいたいなぁ。プライスレスの応援しかできませんが…。

143 セーターになりたかった毛糸玉(1/17)

 セーターになりたいと憧れる10個の赤い毛糸玉たちが、おばあさんに買われていきます。でも、孫に編んだセーターは9個で完成。1個だけ残った毛糸玉は、赤い手袋となって孫にプレゼントされます。セーターにはなれなかったけれど手袋として幸せな日々をおくっていたのに、孫は手袋をどこかに置き忘れてしまうのです。犬に咥えられ、ネズミにボロボロにされるなど紆余曲折を経て、最後は猫のセーターになって幸せな毛糸玉を描いています。この本は、シャイだった?私が最初に妻にしたプレゼント。絵と話が素敵で自分好みだけど、ちゃんと読んでもらえるか自信がなくて…。

 さて、先週島根県の小学校敷地内で、昼休みに鬼ごっこをしていた児童2人が車に轢かれるという事故が発生しました。敷地内のアスファルト舗装部分が、小学校近くの民家と国道の抜け道となっていたといいます。信じられないことです。ただ、普段当たり前になってしまっている中に落とし穴があるものです。

 学校の門の前まで車で送ってくる場面を見かけますが、道路の反対側で降りて横断歩道を渡らずに横切っている子もいます。以前もかなり危ない時があって注意喚起をしましたが残念です。親の意識・指導の積み重ね、普段の行動はととても大事です。子供はよく見ていますし聞いています。

 子供たちも、毛糸玉以上に「なりたい自分」「夢」があるはずです。自分の内なるものや外的環境が障壁となって、なかなかうまくいかないことに気づかされる経験をするかもしれません。ただ、不注意などによる事故で夢がついえることのないようにしてほしいのです。

142 甘味(1/16)

 浅草へ初参りに行ったのが1週間前。菩提寺があるので事務手続きを兼ねて浅草寺などを詣でました。浅草へ行くと必ずと言ってよいほど足を運ぶのが、甘味処「梅園」です。あんみつ・みつ豆・豆かんなど持ち帰り品がいろいろありますが、毎回迷わず「あんみつ」一択。夕飯の後でも、すんなりおなかは受け付けてくれて、至福の喜び~。舟和の芋ようかんも捨てがたいですが…。

 みつまめは、茹でた赤エンドウマメとさいの目に切った寒天、求肥、白玉、ミカンやモモなどのフルーツなどを器に盛って黒蜜をかけたものを指し、餡をトッピングすればあんみつ!みつ豆であれ豆かんであれ、主役は赤エンドウマメと寒天。創業以来の製法で手間暇をかけて作られた寒天や豆は、しっかりした歯ごたえや味が自慢といえます。また、黒蜜や餡などとのバランスが最適だからこそ美味しいのだと思います。

 これって学級や会社組織などと同じかもしれません。どんなに美味しくても寒天だけとか豆だけでは成立しません。それを引き立てる役割があってこそ。場面によっては役割を変えながら生活をしているのだと思います。互いのよさや足りない部分を理解し、互いに尊重しあってこそ集団が伸びて美味しくなるのだと思うのです。

 11日の鏡開きには、給食で白玉小豆が出ました。小豆を大釜で煮るところから始めます。いくつもの回転窯で時間をかけて丁寧に煮込まれた小豆は濃厚で、適度な甘さから笑顔がほころびます。小中学校合わせて千食以上ですから、作業の大変さは想像以上でしょう。家では焼き餅でお汁粉を食べたい!

141 成人(1/13)

 校長室にやってきた男児が、椅子の後ろに回って「今日は4日目?」と尋ねます。見事な観察力です。私が頭を剃ってから何日目かを見ただけで当てたのです。

 週末恒例の道の駅に行くと、青菜が旬であることがよくわかります。「見事」といえば、小松菜やホウレン草に並んで置かれているターサイのロゼットも見事です。段ボール札には「炒め物に最適」と書かれていますが、「被り物に最適」の間違いではないかと思うほどの大きさ・形です。

 

 さて、先の日曜日や月曜日に晴れ着や慣れないスーツ姿の若者をあちこちで見かけました。40年以上前の自分はどんなだったか思い出そうにも浮かんできません。ただ会場に来たゲストが高橋真梨子さんで、いい声で歌う姿を見ていたという記憶だけは…。

 そして、市行政で勤務していた十数年前の成人式は、防犯担当でした。穏やかに進行できるように客席に目を光らせ、いつでも動けるように身構えていました。ある年は、卒業させた教え子が成人を迎え、挨拶しに来てくれたこともありました。  市川市のHPには、“「成人」とは、心身ともに十分に成長した人のことを指します。一人前の「大人」として社会的にも認知されます。過去に遡ると、奈良時代には既に、成人になったことを示す通過儀礼として「元服の儀」が行われていました。今で言うと小学校高学年から高校生の間の頃で、年齢は一定ではなく、その時代によって変化していたようです。”とあります。成人の代表的な権利にあたる選挙権などについては、既に満18歳以上に引き下げられていますから、「成人」とは何か?「成人」になると何が変わるのか?「成人」に向けて自分自身がどうあるべきなのかを、今のうちから考えてみるのもよいかもしれません。

 今日は5年生が帰ってくる日です。活動の様子は、HPでご覧いただけたでしょうか?ホテルでゆったりした時間を共有することもできたようです。でも、子供たちの心の内側は写真では伝わり切りません。直接聞いてもらったり、個人新聞や作文などになって廊下などに掲示された作品を読んでもらったり…。

140 ぬいぐるみ(1/12)

 我が家には、大小を問わずぬいぐるみがやたらたくさん。数えてみると、寝室に3つ、妻の部屋に9つ、私の部屋に娘が残していったものを含めて20個、階段に2体、1階に9つ、車の中に8つ。校長室にも3つありますが、ほとんどに名前がついています。わが子は、同じように見えるぬいぐるみも判別してちゃんと名前で呼んでいましたし、大事にしすぎてぺちゃんこになっていたり表面が毛羽立っていたりします。家族旅行に行くときもリュックに忍ばせて連れていたくらいです。

 学校ではぬいぐるみや人形を大事にしていることを話したりそぶりを見せたりしない子も、家に帰ると呼びかけたり抱きかかえたりしているのかもしれません。薄汚れて、親にしてみれば「処分対象」であっても子供には大事な家族の一員かもしれません。

 さて、私が補聴器を購入する決め手になった一つに、その専門店の代表が補聴器の愛用者であったことが挙げられます。会話の中で、今何について話をしているのかわからなくなることがあります。聞き取れた言葉をつなぎ合わせて把握するのですが、会話の主導権を握ってしまえばよいと思い、聞くことよりも自分から話してしまって不安を解消するような場面があります。こんなことに、代表が「そうなんですよね」と言って聞こえないつらさに共感してくれたのです。自分が難聴だからこそ、利用する人の困り感に寄り添って軽減したいと直接話を聞くことができ、ここなら安心だと考えたのです。

 年末近くなったころ、「全国の公立小中学校の通常学級に、発達障害の可能性がある児童・生徒が8.8%いる」という文科省の調査結果が新聞に掲載されていました。こうした子供たちにとっても、わかってもらえたり、「そうかぁ」と言って頷いてくれたりする人が大事です。眼鏡をかけたり補聴器をしたりすると同じような支援が必要です。この支援はモノや機械ではなく周りの「ひと」なのだと思うのです。

 もしかすると、何も言わないぬいぐるみに自分のつらさや愚痴を吐露している子がいるのかもしれませんし、ホワイトスクールにぬいぐるみ同行なんて子だっていないとは限りません。

139 トイカプセル(1/11)

 5年生がホワイトスクールに出発しました。宿泊学習なのになぜ校長が学校にいるのかって?引率を教頭先生にお願いしたからです。ただ、学校留守番も大忙し。教頭・教務・養護教諭がいませんから、その役割は自然と私に回ってきます。現地でのけがや発熱がないことを願うとともに、学校も何事もないことを祈るばかり。

 正月2日に、映画『Dr.コトー診療所』を観に行ってきました。始まるまでに時間があったので、ショッピングセンター内にやたらと増えたガチャポンコーナーへ足を運びました。「合掌する犬」「釣りをする猫」「天プラモ丼」「カップみそ汁」など可愛らしいものばかり。同じシリーズを集める人もいるでしょう。5種類あったとすると、全部を揃えられたらいいなぁと思ってしまいます。 私のお目当てはクルマ、「ランクル70」です。以前やった時に出たのが白色だったので、残り3色のどれかが出ることを祈りながらレバーを回転させます。カプセルを開けると、そこに表れたのは前と同じ白。がっかりです。娘や息子に尋ねても「いらない」と素っ気ないLINEの返信。ショックに打ちひしがれる中、思いついたのは自分で塗ってしまうこと。アクリル絵の具を借りて、20時過ぎから一人黙々と作業を開始です。とにかく細かい部分が多いので息を止めるように慎重に筆を動かします。21時を過ぎてもまだ3分の1を残しているので作業終了。翌朝、乾かしてある青と白のランクルを見て笑いながら、「これ、飾りたくない」「やらないほうがよかったね」ときっぱり言われてしまうとさらに意地になってやってしまう性格なのです。

 「やればよかった」「やめとけばよかった」などと後悔することのないホワイト3日間を終えて、全員が笑顔で帰ってくることを願っています。

138 お気に入り(1/10)

 比較的暖かかった昨日と打って変わって、北風に襟を立てたくなる三連休明けです。

 コロナ感染時は、普段服用する薬にさらに加わって、その多さに辟易しました。テーブルに並べてしまうと、同じような大きさや色でどれが何の効果があるのかわからなくなります。サプリメントもその中の1つ。「いつまでも自分の力で歩き続けたい人」「ひざの痛みを気にせず運動したい人」など謳い文句が頭に浮かびます。飲み始めると、飲んでいるからこそ効果があると思って愛飲し続けるしかなくなってしまいます。

 子供のころは薬を飲むのが苦手でした。錠剤は1粒ずつじゃないと喉を通らないし、粉剤は吐きそうになって目を白黒させているものだから、オブラートに包んでくれました。でも、これが大きいと飲み込めない。面倒くさい子供でした。だから今、10錠の薬を一気に飲めるようになったなんて、大人になったと思ってしまいます。

 ところで、そんな子供の頃に愛用していたのは、ジャイアンツの野球帽でした。どこに行くにも被っていたような気がします。中学校では、今と違ってカツオ君が被るような校帽があるなど、帽子はやはり身近なものでした。ただ、高校生になった頃からは疎遠になります。教員になってからは、夏場の陽ざしをダイレクトに受ける頭を見ながら「帽子を被らなくて大丈夫ですか」と心配してくださる方がたくさん。逆に冬は、見ている者まで寒くなるようです。

 そんな私がまた帽子を被るようになったのは、ランニングを始めてから。流れる汗を堰き止めてくれますし、暗くなってからは反射材があるので少しは安心だからです。そうこうするうちに、娘が被るキャップを見て「いいかも」なんて思ったり、真冬はニット帽で武装したりするようになりました。毛がないので、今どきの若者のように似合いはしません。

 年末近くなって、別の帽子を探しました。「イスラム帽」と呼ばれるものです。というのも、亡くなった父も一年中愛用していたものがまだ手元に残っていることやALTの先生が着用していたのを毎回見ていたこともあります。こんな時、ネットショップは本当に便利。帽子屋やアウトドア店を探しても見つからないものが色々あるある!お試しで安価なものをポチりました。商品が届いて被ってみるとすっぽり頭部を守ってくれますが、鏡で見るとじじぃくさい!普通にしていても十分じいさんですが、それをさらに老けさせるようです。

 さて、自分が身に着けるお気に入りの物ってなんですか?持ち寄って紹介しあう懇親会なんて粋? 

137 年末年始(1/6)

 年末にコロナで隔離生活・外出禁止を余儀なくされたときのこと。今の仕事から解放されると、逆にできることには限界がありそうだと心配になってきました。片岡鶴太郎さんは夜11時ころに起きて朝5時くらいまでヨガをするとか…。そしてその後の一食で一日を過ごすといいますが、そんな仙人のような生活は私には無理。思いつくのは、読書・ウクレレ・庭仕事・ランニング・車いじり・テレビ視聴くらいしかありません。う~ん、時間がもたない。一日が長い。今仕事をさせてもらって、子供たちと関われることの幸せを改めて感じています。

 普段読めない本を一日1冊のペースで読破できました。眠れない日は、読んだ本の配役を勝手に俳優に置き換えて、声なども連想しながら眠くなるのを待ちました。また、補聴器から流れるSpotifyの音楽は気晴らしになりました。髭男『subtitle』もカラオケで歌うように歌詞がスマホに順に表示されます。昭和の歌謡とは大違い!字余りは当たり前ですし、「不条理」「一挙手一投足」「理論武装」「過剰包装」「不特定多数」など、およそ昔は使われることのなかった言葉がバンバン登場します。

 大晦日の紅白歌合戦も久しぶりにちゃんと見ました。でも、後半は眠くなってしまって録画。年が明けてから見る紅白って、炭酸の抜けたコーラみたいで感動というか大晦日の雰囲気が薄い。やっぱりリアルタイムで観てこその映像ってあるのです。

 年末年始は、体調が完全に戻ってはいなかったのでたまにウォーキングをしましたが、不思議なのがあまり人に出会わないこと。ましてや子供が道にも公園にもいない!ハーメルンの笛吹きに連れていかれたわけではないのに…。凧揚げしていた子供がいっぱいいた時代は遠くなりにけり。

 今日、子供たちの元気な姿を久しぶりに見て安心しました。学校は子供が主役であることを強く感じます。最後になりましたが、新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

136 うきうき(12/23)

 8日ぶりに外気を吸いました。玄関にあるモミジが見ない間にすっかり葉を落としています。駅へ歩いて心臓がバクバクします。胸を押さえながらこのまま倒れるのではないかと冗談ではなく思ったのです。引きこもり生活中、腕につけたウェラブルがしきりに「立って動きましょう」と促します。でも動く範囲は、十歩にも満たないトイレと洗面所だけ。終業式に間に合ってよかったと思っています。

 さて、娘の誕生日は1月中頃。クリスマス、正月、誕生日とイベントが続きます。「全部まとめて」なんてことはさすがにできません。そして、いよいよ明日はクリスマスイブ。山下達郎の曲がラジオなどから流れてきます。これが終わると、♪もう~い~くつ寝~る~と~お正~月~。年が改まる前のこの時期は、大人でも気分が高揚します。子供たちに至っては言わずもがな。

 年賀はがきを売り出されると、年賀状を今年は何枚買うかを毎年尋ねられます。この年賀状に「元旦」と書いて昔は出しましたが、「旦」の字は太陽が地平線からです様を表した漢字で、夜明けや朝を指すと言われてからは「元日」に変えました。でも、元日に届けてもらえるような日に投函できないルーズさは、今も昔も変わりません

 子供たちにとってのお楽しみは、なんといってもお年玉でしょう。これを入れる袋をポチ袋といいます。なぜ「ポチ」なのでしょう。どうも「ポチ」は関西の方言で、芸妓などに与える祝儀のことらしいのですが、「これぽっち」と言うように「ポチ」には「ほんの僅か」「小さな点」といった意味が込められているという説があります。あるいは、「タマ袋」では語弊があるので「ポチ袋」だとも…。

 そのほかにも調べてみました。初夢に見ると縁起がよいとされるのが「一富士二鷹三茄子」ですが、続きがあるようです。「四扇(しおうぎ)五煙草(ごたばこ)六座頭(ろくざとう)」というのは、初めて聞いたような…?富士は大きく明るい未来の象徴で、鷹は爪でしっかりモノをつかみ取る、茄子は「成す」に通じて、扇は末広がりで子孫繁栄を意味します。煙草は邪気を払うとともに煙が上に上がって縁起よし。座頭は剃髪していて「毛が無い(怪我無い)」となるのです。ということは、初夢に私が現れたら、座頭には到底及びませんが、少しくらいはよいことがあるかも?

 今日のオンラインによる冬休みを迎える会では、あまり正月には関係のない『極楽と地獄』について映像を交えて話をします。どんな内容かはお子さんから聞いてください。それでは、良い年をお迎えください。1月からもどうぞよろしくお願いします。

135 鍋料理(12/22)

 学校用務員の小室さんから「機会があったら使ってください」と2句を預かりました。

   1 わが書斎 珍客来たる かまどうま

   2 コロナ禍で 消えゆく仕事 鍋奉行

 「カマドウマ」とは、昔の台所にあったかまどに良く出現した昆虫で、背中が丸まって馬の背に似ていることからついた名前。 家の便所の近くでよく見られたので、「ベンジョコオロギ」と言った方がわかるかもしれません。

 そして、寒い季節に多い料理といえば熱々の鍋物です。小室さんに作品を手渡されたときに「一番好きな鍋料理は?」と尋ねました。少し間をおいて、「すき焼きですかねぇ」と。我が家はすき焼きに苦い思い出があって、せいぜい年に1~2回あるかないかです。おでん、寄せ鍋、豆乳鍋、チゲ鍋、もつ鍋、ちゃんこ鍋、トマト鍋やカレー鍋、はたまたすっぽん鍋といろいろですが、シンプルに水炊きもよいです。こうした料理を引き立てるのが、柚子胡椒やネギ、大根おろしの薬味だったり、柚子の皮だったり…。

 「鍋奉行」とあるように、家族で食卓を囲んでこの時とばかりに父親(お爺ちゃん)が菜箸やお玉片手に取り仕切った姿は昔のことなのでしょうか?今では「お一人様」用のセットがスーパーで売られているのを見かけますが、やっぱり多くでわいわい言いながら箸でつついて食べたいのが鍋ではないでしょうか。最後の〆も大事です。ごはんでおじやにするか、麵を入れるか、餅にするか、その日の気分次第。

 ミツカンがHPで紹介している鍋の歴史を見ました。江戸時代は、狭い長屋で七輪を使って鍋を煮込みながら食べるスタイルが登場したようです。当時の主流は一人鍋。これって、旅館の夕食で膳にのった小さな鍋もののような感じかもしれません。明治の時代になって登場したのが牛鍋で、東京や横浜に多くの牛鍋屋が開店したといいます。  隔離生活、お一人様料理が終わる明日以降、「年内中にすき焼き食べたい!」。

134 漬物(12/21)

 アンチョビの入ったピザやポテトグラタンなど大好きです。このほかにも、パスタや炒め物、サラダほかアンチョビを使ったレシピが様々紹介されています。アンチョビは、カタクチイワシに似た小魚を塩漬けにして熟成させ、発酵させたものにオリーブオイルを合わせて作られるイタリアやスペイン料理でおなじみの食材です。

 そんな漬物で世界を見渡してみるといろいろ存在することがわかります。例えば「搾菜(ザーサイ)」はお隣中国の幅広く使われる万能漬物。日本で人気の「キムチ」も韓国を代表する漬物の一つです。タイの「パッカドーン」やインドの「アチャール」、欧米の「ピクルス」、ドイツビールの添え物「ザワークラフト」ほか、東南アジア随一の漬物王国ミャンマーの「ラペソー」などなど。

 漬物は、保存食としての側面が大きく、ある意味生命を支えてきたと言っても過言ではないと思います。漬物は手軽に野菜の栄養分を摂れるご飯のお供として、日本の食卓には欠かせない食べ物です。ですから、いぶりがっこや奈良漬け、鉄砲漬け、べったら漬け、たくあんなど土地土地で有名なものがたくさんあります。でも、普通のぬか漬けに勝るものはないような気もするのです。母が毎日ぬか床をかき混ぜていた姿を思い出します。独特なぬかのにおいは好きになれませんでしたが、季節の野菜類がいつも食卓に上りました。赤い部分を少し残して食べ終わったスイカだってぬか漬けにされてなかなかおいしかったなぁ。ただ、思い出の中のものは美味しかったりきれいだったりするもの。今食べたら…?

 ちなみに、毎月21日は漬物の日だそうです。

133 「お」をつける?(12/20)

 お醤油、お砂糖、お茶、お風呂、お菓子、お箸、おみくじなど、幼少の頃から当たり前に「お」を付けてきた言葉がたくさんあります。また、孫には「お手々を拭こうね」なんて言ったりもします。一方、「おビール」「おたばこ」「お車」のような言い回しは、相手と微妙な距離というか壁を感じます。

 「お」を付ける言葉に違和感を覚えるかどうかは、育ってきた環境に左右されそうです。妻は、「おみかん」「おやかん」と言いますが、「蜜柑や薬缶でよくない?」と突っ込みたくなります。私のように、「お酢」というものが正式名であるとずっと勘違いしてきた人間もいますので、「お薬缶」もアリだと思うようにしています。

 ちなみに、外来語や複合語には「お」は付けないといったルールがあるようです。ですから、前出の「おビール」は本来間違いといえますし、「おコーヒー」とも言わないわけです。また、「おスマホ」とも言いませんが、「お携帯電話」もあり得ません。「携帯」+「電話」だからです。

 こうした接頭語としての「お」は主に敬語表現だったり美化語だったりするわけですが、省いてしまうと逆に変な感じがする場合もあります。おでん、おかず、おこわ、お辞儀などは、「お」が付くことでひとつの言葉として成り立っています。「お」を取ってしまうと言葉として成り立ちません。また、おしゃれ、おはじき、おしぼり、おにぎりなどの場合は、「お」を取ると別の意味の言葉になってしまいます。日本語は難しい。だから、自分にとって聞きなれない「お」の用法があったとき、イラっとせずに違和感の正体を考えてみるのも楽しいかもしれません。

 もうすぐ「お正月」。「お年玉」を楽しみにしている「お子さん」もたくさんいます。「お神酒」を飲んで「お雑煮」や「おせち料理」を食べた後、「お賽銭」をポケットに忍ばせて、「お寺」や「お宮」へ行き、「おみくじ」を引きましょうか。冬だからといって油断せず、「お茶」も忘れずに持参して水分補給を!

132 月は手の届くところに(12/19)

 コロナに感染してしまいました。22日まで自宅待機で、何とか終業式には間に合います。校長室にやってきて、私の顔をじっとのぞき込んでしわの本数をご丁寧に数える子やいろいろな話を聞かせてくれる子などがいますが、3学期までは出禁ですね。

 さて、日本の民間宇宙ベンチャー「アイスペース」が月面着陸船を打ち上げ、月に向かって出発して1週間。来年の4月末頃に着陸を予定しているといいます。でも、ここで疑問符が…。「なんで月まで4か月半もかかるの?」と思いませんか。どうも、宇宙の力をうまく利用した軌道で向かうため、遠回りして時間はかかるものの燃料は節約できるようです。新聞に示された図に紐を当てて測ってみると、地球から月までの直線距離が1.5cmですが、実際のルートは25cm。何と16倍もの遠回り!他社の月面着陸機が相次いで打ち上げられるそうなので、「民間初の月面着陸」を追い越される可能性があります。それでも最適なルートとして選択したのでしょう。16倍の距離のほうが効率よいということも含めて、宇宙はわからないことばかりです。  人類が初めて月面に降り立ったのは1969年のこと。アポロ11号が月面着陸に成功し、船長のアームストロングが最初の一歩を踏み出した様子やはためかない星条旗の映像を思い出します。そして、かの有名な「これは一人の人間にとっては小さな一歩にすぎないが、人類にとっては偉大な飛躍である」という言葉を残したのです。漫画『20世紀少年』にも描かれています。あれから半世紀以上です。  1年前、国際宇宙ステーションに日本の民間人で初めて滞在をしたZOZO創業者の前澤友作さんが、今度はチームで宇宙船に乗り込むことを計画してメンバーを発表しています。また、アイスペースCEOの袴田武史さんは、「2040年代には千人の人が月に住み、年間1万人が地球との間を行き来する時代になる」と予測しています。もう月は眺めて愛でるだけのものではなくなりそうです。かぐや姫を探すツアーだって現れそうなくらい近くなりますよ。

131 つらい歯痛(12/16)

 ズキン!痛い!歯が痛いなんて長いことなかったこと。しかも下の犬歯かその隣の前歯。歯茎の下から押し上げる鈍痛は神経かも?たまらずに市販の痛み止めを飲むとともに、歯科医院に電話をして翌日に予約を取りました。そして当日午前、歯医者から電話がありました。院長がコロナに感染して休診とのこと。薬が切れて痛みに顔を歪めているときにその連絡です。仕方なく、最近できたばかりの歯医者に電話をして夕方に飛び込ませてもらいました。その後、頬は腫れるし全然薬が効かないし…。気休めのように冷却材を当てて痛みに耐える時間はつらすぎです。床に入ってからも寝られない夜を過ごしました。翌朝、改めて歯医者に電話して通院しました。痛みがまたいつ来るか、今回は薬が効くのか、不安を抱えながらの生活です。

 さて、小泉今日子さんの歌に『あなたに会えてよかった』という曲があります。90年代最初にミリオンセラーとなっています。ドラマ「パパとなっちゃん」の主題歌だったので、今も印象に残っています。田村正和さんと小泉今日子さんの共演で、娘が嫁ぐ日までの親子関係を描いたホームコメディーです。先日、何かの折に知ったのですが、小泉今日子さんの作詞だったのです。当時、がんで入院中だった父親を思って書いたといいます。ラブソングだとばかり思っていましたが、これを知って読み返してみると、印象が変わってほろ苦く感じます。

 人との出会いの中にも「印象」はついて回ります。第一印象を左右するのは、見た目や声の大きさ、明るさが優先されます。第二印象の段階では、会話の内容や受け答えの際の仕草など。そして第三印象では、長い付き合いによる行動や結果をもとに判断されるというのが一般的な見解です。  まずは第一印象のために自然な笑顔でいたいとは思いますが、どこか痛いところがあると笑顔にはなれません。

 ♪いま心から言える 歯医者が開いていて よかったね きっと私~♪(by 大泉明日子)

130 おやつ(12/15)

 小川糸さんの小説『ライオンのおやつ』を原作としたNHKドラマを以前視聴しました。余命宣告された若い主人公の女性が、島のホスピスでやさしく流れる時間を過ごす物語。人との出会いや人生の価値などを描いています。この話の中で、3時のおやつの時間があります。居住者がリクエストした思い出のおやつが出てきます。おやつとそれにまつわるエピソードで、リクエストした人の想いを共有するのです。

 では、自分の思い出のおやつって何だろう?と考えます。タケノコの皮に梅干しを包んでチューチュー吸って食べたのは半世紀以上前のこと。缶ミカンを凍らせてスプーンでガリガリほじって食べたし、文明堂のカステラと牛乳は黄金コンビ。正月が終わった後、鏡餅を割って天日干しして油で揚げたかき餅は、いつもビニール袋を抱えて食べたおやつの一つ。先日給食で出されたふかし芋や夏のトウモロコシもうれしかったなぁ。

 

 おやつではありませんが、リンゴが出回る時期になると思い出すのが「すりおろしリンゴ」です。風邪をひいたりして臥せっていると小さな器に盛られたそれが出てきたのです。弟が具合悪いときに出してもらうと、自分も具合が悪くなりたいと思ったものです。時間が経つとどんどん茶色く変色してしまうのが残念でしたが…。

 妻に尋ねると、自分で市販の素で作った「プリン」、アイスの素を水で溶いて作る「シャービック」だといいます。同じ年代でも全然違うものです。さて何十年か経って、子供たちが思い出して懐かしさを感じるおやつって何なのか、気になりませんか?

129 愉しさの扉を開けて(12/14)

 サッカー日本代表を指揮した森保監督の去就が話題に上りますが、試合中に小さなノートにメモしている姿は多くが見ています。ドイツやスペイン、コスタリカといった強豪ひしめくこのグループは「死の組」と呼ばれましたが、驚きの1位通過でした。こうしたこともあってか、海外では森保監督愛用のノートを「デスノート」と呼んで恐れているといいます。書かれた内容を読んでみたい気がします。ちなみに、監督が使用するノートはキャンパスノートらしいです。

 ノートではありませんが、最近発売されたあるクルマのカタログにあったコマーシャルメッセージ。

   いつもの毎日から、一歩踏み出してみる。ただそれだけで、

   愉しさがどんどん広がっていく。このクルマがそばにいると、

   「やってみたい」が「やってみよう」に変わり、気付けば走り出している。

   好奇心が満たされるたびに、自分をもっともっと好きになっていく。

   このクルマには、そんな力がある。○○○○(車名)と駆ける。

   新たな世界へ。愉しさの扉は、いつだって開かれている。(原文のまま)

 「クルマ」の部分を「先生」に変換してみると、私たちの役割のように読めてくるから不思議です。子供たちの可能性を引き出せる存在であるために、自分をブラッシュアップし続けたいと思います。学校評価項目「お子さんは、わからないことを自分から調べるなど、いろいろなことに興味を持って学習に取り組んでいる」「学校は、特色ある取り組みや教育を進めている」「家庭では、お子さんの自己肯定感や自信を育むために、褒めたりよさに気づかせたりすることを心がけている」に通じるようにも思うのです。

 今年度2回目の学校評価をお願いして1週間が過ぎました。まだご回答いただいていない方は、紙媒体でお配りした別紙資料も参考にしながらWebでの評価にご協力をお願いします。

128 歌うのをやめて~(12/13)

 またまた登場、『Dr.コトー診療所』。このドラマでタケヒロ君という子が、本土へ行くときの送別会で歌われた曲が「Believe」。♪たとえば君が傷ついて~♪という歌い出しで、学校の今月の歌や音楽会などに選曲される素敵な曲です。この中のあるフレーズがファンモンのある曲とよく似ているように思うのです。ただ、ネットを調べてもそんな声はどこにも見つかりません。

 さて、映画『すずめの戸締り』で流れた曲の大半が昭和の歌謡曲だといいます。調べてみると、「ギザギザハートの子守唄(チェッカーズ)」「銀河鉄道999(ゴダイゴ)」「2億4千万の瞳 -エキゾチック・ジャパン-(郷ひろみ)」「卒業(斉藤由貴)」「バレンタイン・キッス(国生さゆりwithおニャン子クラブ)」「俺ら東京さ行くだ(吉幾三)」「糸(中島みゆき)」「男と女のラブゲーム(日野美歌、葵司朗)」「ルージュの伝言(荒井由実)」「SWEET MEMORIES(松田聖子)」「夢の中へ(井上陽水)」「けんかをやめて(河合奈保子)」と12曲もあります。

 そういえばカラオケというものを何年やっていないでしょう。10年は経つような…。他人にとってはた迷惑でも、自分が気持ちよければいいと思ってよく歌った思い出があります。お世辞でも褒めてもらうとうれしくて…。ただ家族には「下手なんだから歌わないで!」と言われます。ウクレレを弾きながら小さい声でも歌い出した途端に、「鶏が首を絞められているみたい」と苦情がきます。「けんかをやめて」のメロディに合わせて聞こえる、♪歌うのをやめて~ 音楽を止めて~ 私のため~に~ もうこれ~以上~♪ これは空耳?

 さて、時々新聞などに掲載されているクロスワードパズルに取り組みます。先日のものはヒントがないタイプでした。「ワガママ」「クイイジ」「オウヘイ」…??マスが埋まるたびに自分のことを言われている気がします。「オンチ」や「ヘタクソ」がなかっただけ良しとしましょうか。

127 おなかいっぱい食べたい!(12/12)

 12月12日という数字の並びを見ると、♪ワンツーワンツー♪という水前寺清子さんの『365歩のマーチ』を思い出します。古すぎます。

 さて、我が家の玄関先には素焼きの傘立てがあります。この時期になると、泥ねぎ置き場に変身です。寒い屋外で新聞紙に巻いて保管すれば、必要な時にすぐ使えます。決して格好よくはありませんが的を射た使い方といえます。今朝はその隣に大根までお目見え!スーパーでは、12月の声を聞いてとすぐにカニが陳列され出しました。数の子とともに鮮魚コーナーを占有するのももうすぐです。

 グルメドラマとして金字塔を打ち立てているのが『孤独のグルメ』ですが、10周年を迎えたといいます。俳優の松重豊さんが豪快に食べて語られる心の声が人気を博す理由なのかもしれません。主人公の井之頭五郎が、営業先で見つけた飲食店にふらりと立ち寄り、実際にあるメニューを自由に注文してたべますが、終いには「えっ、そんなに食べるの?」と思ってしまうくらいの食べっぷりです。撮影の前日から食事抜きで臨んでいるとはいえ、59歳にしてはカロリーオーバーでは?と心配する反面、うらやましくもあるのです。

 

 毎朝、血圧測定をしています。少し高めなのですが、時に血圧以外の表示「心拍数150」なんて表示を見ると、機械に向かって「まるでランニングしているみたいじゃん」と突っ込みをいれます。健康管理のためには給食はうってつけです。給食がなかったらどうなっていただろうと考えてしまうくらいです。その給食をHPにあげていますが、どうも気の利いたコメントを書けません。たまに教頭先生が検食を代わってくれますが、その時のほうがお上手。さすがです。つまり、私には食リポや松重さんのような役は無理。まぁ、そんな機会が絶対巡って来ることはありませんが…。

126 中島みゆき(12/9)

 今年最後の満月が、昨晩はとてもきれいでした。今朝も西の空に真ん丸の白いお月様がくっきりと見えます。

 将棋の最高棋戦 竜王七番勝負で初防衛を果たした藤井聡太さんが記者会見で掲げた色紙には、「千思万考」と書かれていました。6年生の学年目標と一緒です。

 若い藤井竜王は、何時間座りっぱなしでも集中して痛みもないのでしょうが、私はというと少し前までは何ということのなかった動きに痛みを感じるようになっています。ここ数か月は右手の人差し指付け根が痛くて、腰に手を置くような動作が辛いですし、ペンで文字を書くことすら嫌になるときがあります。年齢的なものでしょうか。機械なら交換すればよいのですが、人間の体ではそうもいきません。この先を考えると憂鬱な気分です。

 中島みゆきさんの20年位前の歌に『傾斜』という曲があります。「上りの傾斜は険しくなるばかり」とあるように無理がきかなくなってきます。「こんなはずじゃなかったのに」と思う回数が増えてきます。でも、「歳をとるのは素敵なことです」「忘れっぽいのは素敵なことです」と歌われ、♪そうじゃないですか~♪と問いかけられ、耳にこびりつきます。

 このほかにも、「3年B組金八先生」で生徒が警察に逮捕・連行される場面の挿入歌だった『世情』、ドラマ「家なき子」の主題歌『空と君のあいだに』、「プロジェクトX」で使われた『地上の星』『ヘッドライト・テールライト』など、記憶に刻まれている名曲が数々あります。

 そして、『銀の龍の背に乗って』も大好きです。「Dr.コトー診療所」の主題歌にもなりました。元々は漫画で、私自身25巻まで持っていますが休載して長く経ちます。ドラマ放送が終了して16年といいますが、今月中旬に映画で戻ってきます。主人公のコトー先生(吉岡秀隆)は白髪になり、ヒロインの星野絢香(柴咲コウ)は名字が「五島」になっているようです。16日からロードショウ!観に行かなきゃ。

125 視点を変えて(12/8)

 いつの頃だったでしょう。フォトビジョンが流行った時期があります。某社で携帯電話契約の際にもれなくついてきたものが、今も我が家では現役です。通信を解約しても機器としては問題なく使えます。その画面に映し出される子供たちの小さかった頃の写真。双方の父母がまだ若い写真など。SDカードのデータを更新すれば新しい写真もスライドショーで映し出されます。
 学校でも家庭でも、様々な機会に写真を撮ります。最近はスマホで撮ることが多く、データは機器に保存されます。見たいときにいつでも見られるのはよいのですが、膨大な量の中から探し出すのは一苦労です。やはりプリントアウトして、みんなでワイワイ言いながらめくれるアルバムの方が好き。ただ嵩張るので増えていくと置き場所に困るのが難点なのですが。
 さて、少し前からとんと目にすることのなくなったのが、高い建物の屋上に揚げられた巨大風船とその下の垂れ幕。そう、アドバルーン(広告気球)です。デパートやパチンコ屋の新規開店などを遠くにいる人にも見えて知らせることができるとともに、アドバルーンを目印にすれば目的地に到着できます。戦前も含め、昭和の時代が全盛期でした。周囲に高層ビルが建ち並ぶようになるとともに、屋外広告の規制が厳しくなったことが衰勢の理由なのではないかと思います。

 
 そんなアドバルーンを防災に活用しようというプロジェクトがあるようです。東日本大震災の教訓から、逃げ遅れによる津波犠牲者を減らそうと、仙台の大学院生が避難ビルの屋上にアドバルーンを揚げて周囲に周知しようという取り組みのようです。観光客など土地勘のない人々にとっても有効かもしれません。1分1秒でも早く知らせるために、どんなシステムを考えているのかさらに知りたくなります。
 古くからあるものを新しい目で見直すことで別の利活用を図れるかもしれません。フォトビジョンも違う使い方があるのかも。

124 はみがき(12/7)

 冷え込みの厳しい朝、近所の畑には霜が降りていました。曇る眼鏡に映る車のライトには輪がかかって見えます。

 ライオン・サンスター・花王・小林製薬・第一三共ヘルスケア・アース製薬と並ぶと何を連想するでしょう?実は、歯磨き用品の人気上位ブランドです。歯磨き粉は「粉」と呼ばれるように昔は粉体。私たち世代も少しだけお世話になりました。現在一般的に使用されるタイプは、チューブ入りペーストの練歯磨きや液体歯磨きです。

 この「歯磨き」という行為の歴史は、紀元前まで遡るようです。また、日本で庶民に浸透し始めたのは江戸時代と言われ、丁字屋喜佐衛門という商人が朝鮮人に教えてもらったのが歯磨き粉の始まりです。それ以前は、焼き塩・米糠などを使っていたというから驚きです。江戸時代の女性は、歯並びがよくて白い歯の男性を好んだそうです。ですから、男性も白い歯にこだわり、房楊枝というものを使って歯磨きに精を出していました。この房楊枝屋が浅草あたりでは軒を並べていたという繁盛ぶりだったようです。

 歯並びが悪い私は、朝昼晩の歯磨きは欠かせません。普通の歯ブラシで大まかに磨いた後、電動歯ブラシで2~3分仕上げをします。ずっと横動きの電動歯ブラシを使っていて、回転式に換えたのが5年ほど前。回転式のほうが歯垢除去の効果がありそうだったからですが、つい最近、さらに上位機種に買い換えました。口腔内での振動を通じて、確実な技術進歩とキレイになった歯を感じています。 これまで使用していたものもまだまだ使えそうですから、まだ電動歯ブラシデビューをしていない娘夫婦のもとに嫁ぐ準備をしています。嫌がられないように、きれいに洗って除菌して…。

 80歳まで自分の歯を20本残しましょうという「8020運動」があります。永久歯に生え変わり、生え揃っていく小学生。「乳歯だから」「どうせ抜ける歯だから」「今さら」などと思わず、丁寧な歯磨き・ケアを心がけてほしいと願います。今から!当然大人も…。

123 温故知新(12/6)

 2日午前4時からのW杯スペイン戦も逆転勝ちでした。早朝から大声を出してしまいました。そして、今日6日午前零時キックオフのクロアチア戦。観たいのはやまやま。でもさすがにこの時刻から2時間は仕事に影響しそう。結局、2時間ほどの仮眠のあと観戦しました。悔しい結果となりましたが、日本中が勇気をもらったような気がします。

 さて、11月末に3年生の市内巡りに同行し、久しぶりに市川市歴史博物館に行きました。歴博周辺の道路が変わってしまって驚きでしたが、館内は多少のレイアウト変更等がありますが概ね以前のままです。2階では、「昔のくらし」を企画展示しています。3年生の社会科学習を意識してなのかもしれません。そこには懐かしい電化製品や生活用具がたくさん見られます。室内の中央に鎮座した2層式の洗濯機は、学校の家庭科室でも見られます。比較的新しそうなものと並べられていますので稼働はしていないようです。またミシンの中には、20年以上前に購入したものが現役です。先日ニュースで見たインドの縫製工場では、古~い蛇の目ミシンが使用されていました。

 

 歴博には、豆炭あんかも見られました。暖をとるために祖母が使用していたベンジン注入タイプのカイロが押し入れにあったことも懐かしく思い出されます。来春には、電気料金がさらに3~4割値上がりしますから、まだ使える古い物への回帰といった生活様式の見直しもされるかもしれません。いずれにしても、古い道具などが実家や倉庫などにあって、子供たちの学習に使えそうだと思われたら、処分する前にお声かけください。学習に役立てます。

 古いものを大事に使うことが尊重されない場面もあります。例えば自動車。十数年過ぎると税率が高くなります。旧車をきれいに乗っている人を見ると素敵だと思うのですが、EV主流となりそうなこの先、ガソリン車が迫害(?)を受けないとも限りません。冷や冷やものです。「あなたが冷や冷やする必要ないんじゃない?」という声は、空耳?

 今日は4年生が房総のむらなどに校外学習です。昨日同様寒い一日になりそう…。

122 ○○フライデー、○○マンデー(12/5)

 3年ぶりの合同学習発表会が開催されました。残念ながら関係者以外の参観はできませんでしたが、改修後初めて市川文化会館に足を踏み入れた私。大きな会場、素晴らしい舞台照明や音響。たんぽぽの子供たちのやる気もMAXでした。

 さて、アマゾンも楽天もトイザらスも、クリスマス商戦前の11月に「ブラックフライデー」と称してショッピングセールが展開されます。アメリカの主要な休日である感謝祭(11月最後の木曜日)の日は、家族に感謝の意を表し、ごちそうで食卓をいっぱいにして家族との時間を過ごす大事な一日です。日本の盆や正月のような感じでしょうか。この感謝祭翌日がブラックフライデー。

 でも、なんで「ブラック」なのでしょう。イメージがよくありません。実は、翌土曜日のフットボールの試合に先立ち大勢の観客や買い物客が街に殺到して渋滞や犯罪を引き起こし、警察官は治安を守るために多忙で休みを取れないなど、混乱の一日だったようです。セールの概念として使われだして60年以上の歴史があるのです。

 一方、プレミアムフライデーという言葉をめっきり聞かなくなりました。こちらは経産省や経団連が提唱したので、働き方改革とも併せて「月末金曜日は15時に仕事を終えて飲食や買い物などを楽しみましょう」といった趣旨のキャンペーンのこと。制度としては継続されていると聞きます。

 ○○マンデーという言い方もあります。ブラックフライデーの3日後の月曜日がサイバーマンデー。12月第2週の月曜日はグリーンマンデー。ともにセール期間といった認識でよいみたいです。これとは違って、サザエさん症候群の言い換えがブルーマンデー。  最後のブルーマンデーは別にして、流行る言葉やイベントの裏側には経済的な狙いを感じることがたくさんあります。でも、消費者である私たちにとっては商品を安く手に入れるチャンスとも言えます。うまく活用することが大事です。

 12月に入りましたから年末に向けて買い物計画を立てる時期。私の一番の悩みはプレゼント選び。サプライズは素敵ですが、不器用な私はそうしたことが苦手です。各家庭でも子供に探りを入れたりして…?ちなみに今日12月5日は別の記念日なのです。さてどうしましょう。今頃…。

121 ジェンダー(12/2)

 師走になりました。年末恒例のNHK紅白歌合戦の出演者が発表されたのは11月中旬。初出演が9組、最多は石川さゆりの45回目。いずれにせよ、顔触れが数年前と大きく変化しました。そして、今年は氷川きよしが紅白どちらでもない特別枠での出場といい、活動休止前のラストステージだそうです。ジェンダーについて常に違和感をおぼえていたと話した氷川さんはジェンダーレス。つまり、「男女の社会的・文化的な区別がないこと、あるいはなくそうとする考え方」のことで、性別にとらわれないでファッションやメイクを自由に楽しむ人といったカテゴリー。

 ジェンダーレスは、レスビアン(女性同性愛者)やゲイ(男性同性愛者)、バイセクシャル(両性愛者)、トランスジェンダー(身体と心の性が一致しない)の頭文字4つをとった総称のLGBTとは異なりますが、長く人にも言えずに悩んできた点では同じでしょう。

 学校にも、自分の性に違和感をもつ子がいるかもしれません。「なんか違う」程度で、まだ明確になっていないだけかもしれません。教職員にだって悩んでいる人がいるかもしれません。要は多様な人と一緒に生活をしていることを認め、受け入れる意識が大切なのだと思うのです。同じ兄弟あるいは姉妹でも、「男らしさ」「女らしさ」を一様に求めることは、「わかってもらいたいのに、理解されない」「相談しても無理」といった失望につながりかねません。私たちはまず、目の前の子供・人をありのままにみつめることが大事なのだと考えます。

 ここ数年、中学校や高校の制服見直しが進んでいますが、これをすぐにLGBTと結びつけてしまうのはあまりにも短絡的です。制服に関しては、多様性だけではなく、機能性や経済性などといった観点も大事にしているからです。身の回りの人にきっと何らかの困り感があるのではないかと考えながら生活することが求められているのかもしれません。

120 きれいに使う、次のために(12/1)

 サッカーW杯が始まって10日が過ぎました。ドイツに歴史的な逆転劇を展開し、コスタリカには惜しくも敗れ、明朝(4:00kick off)のスペイン戦にかける思いは選手もサポーターも一緒です。

 さて、激戦の地、カタールでの日本人らしいふるまい、あるいは精神が話題になっています。多くのサポーターが去った客席で、日本のユニフォームを着たサポーターがビニル袋を持ってごみを拾い集めている姿が話題になっているというもの。それも一人や二人でないという点や負けた試合でも行われるといった点に驚きの声があがっています。日本人サポーターのごみ拾いは、大会のたびに話題になる行為です。試合会場だけにとどまらず、ロッカールームをキレイにして去る選手についても、様々なスポーツで称賛の声が世界から集まります。

 もしかすると、義務教育課程で毎日掃除の時間があることが関係あるかもしれません。昼休みや授業後に掃除をすることに何の疑問も持たない私たち日本人ですが、海外の学校では校内の掃除は清掃員の仕事といいます。つまり、「作業」であり「職業」といえます。ある調査では、清掃を清掃員に任せる国は約6割あるようです。日本の場合、掃除は「教育」「人の道」に通じると考えられています。そして、シンガポールでも、日本や台湾に倣って学校清掃を導入したと聞きます。

 ところで、兵庫県にある寺の参拝者用トイレが撤去されるというニュースがありました。境内のトイレは、9割方ハイカーが利用するといい、登山コースに入る最後のトイレスポットでガイドブックには「トイレはここで済ませておきましょう」と紹介されているようです。でも、男女を問わず汚してもそのままだったり、トイレが汚いとSNSで文句を言われたり、トイレットペーパーがないと怒鳴られたり、水栓を壊されたり…。気持ちよく使ってもらえるように管理をしても報われず、やむなく撤去を決意したとのこと。

 心無い一部の人の行為とはいえ、先のサポーターの行為と正反対。私自身の普段の行為の針はどっちに振れるだろうと自問しています。

119 相手を傷つけない(11/30)

 すごい雨風の一晩でした。家の前には飛ばされ、流されてきた枯れ葉が集まっています。

 さて、芸能人の格付けランキングをする番組が好きで欠かさず見ます。「一流芸能人」「二流~」に始まり「映す価値なし」までの格付け。バラエティー番組ですが、Gacktさんの連勝記録の裏にある努力を知って益々楽しみになったほどです。ただ、これによって人格が否定されたり相手を不安な気持ちにさせたりすることはないので安心して見ていられます。

 もし、人物ランク付けノートなるものが存在したらどうでしょう?営業やテストの成績、運動能力、容姿やファッションセンス、友人の数、音楽的センス、性格など勝手に採点されていたら嫌な気持ちになります。疑心暗鬼にとらわれ、他人の目を気にしすぎるようになるはずです。頑張りたいのに頑張ることができなくなるかもしれません。先の番組の場合、その場限りで笑ってやり過ごせる安心感があるから楽しいのです。ユーモアあるけど「相手を傷つけない」「不安な気持ちにさせない」を大前提とした社会・学校・学級でありたいと願います。

 話は変わりますが、少し前にふりかけの「ゆかり」と「ひろし」について書きました。すると、職員から「ひろしは美味しいですか?」尋ねられたり「ほかの種類もあるんですよ」と写真を見せてもらったりするなど、結構反響があります。そこで、改めて三島食品のふりかけを検索してみるとあるではないですかぁ。「かおり(青じそふりかけ)」や「あかり(ピリ辛たらこ)」、「うめこ(カリカリ梅)」、「かつお」など兄弟姉妹がいます。 さらに、「ひろし」と「うめこ」が結婚して「ひろこ」が生まれています。こういう遊び心が好きです。先週給食で手作りふりかけが出ました。たらことちりめんと胡麻。名づけて「ちりこ」。家庭でも作ることがあるでしょうから、ぜひ粋な命名を!

118 これまで50年、この先50年

 デリカとは、コンビニやスーパーで売られる惣菜や弁当などを指し、デリカテッセンが転じたものです。一方、三菱にはデリカという名前の車がありますが、「デリバリーカー(荷物を運ぶクルマ)」に由来することを初めて知りました。大切な家族や仲間と過ごす空間としての比重が大きくなっているような気もします。

 さて、自動車のナンバープレートも変化してきました。学校近辺では、陸運局のある「習志野」ナンバーが主流でしたが、ご当地ナンバー「市川」「松戸」を多く見るようになっています。その隣の分類番号は1桁から2桁になり、現在は3桁ですが、希望ナンバーが多いせいかアルファベットが登場しています。このアルファベットは26個全部が使われるのかと思いきや、「A・C・F・H・K・L・M・P・X・Y」の10種類のようです。視認性を考慮し、誤解しやすいものを省いたといいます。市川ナンバーにアルファベットが見られるようになるのはまだ先のことでしょうが、アルファベット導入によりこの先50年はもつと想定されています。

 この先50年の真逆のジーンズのお話。私たち世代にとってジーンズメーカーといえば、「エドウィン」「リーバイス」「ラングラー」「ボブソン」「ビッグジョン」が代表格ですし、それ以外はユニクロしか知らない私。今では、様々なブランドから続々と新商品が投入されていますが、バックポケットに「W」の刺繍を見てラングラーだと思ったり、「503」と聞いてとエドウィンを想像したりするのは、やはり昭和の親父だからでしょうか。「ジーンズ」と「デニム」を混同して使うことも多くありますが、ジーンズはパンツの種類であり、デニムはジーンズを形成する生地のことを指すとのこと。専門的に携わる人には違和感があるといいます。

 いずれにしても、「ジーンズは安くなった」というのが昭和の親父の率直な感想です。また、昭和の親父はダメージの古着をわざわざ購入もしません。

117 笑顔(11/28)

 小池都知事が「ウォームビズ」を採用しました。電力需給ひっ迫への対策です。暖かいと表情筋が緩みますが、懐まで温かいとよいのですが…。一方、昨晩のコスタリカ戦の結果には表情がこわばります。

 6年生の進学先は様々です。受験等によって公印を必要とする書類がある場合には、個別に面談をしています。堅苦しいものではなく、人柄を知りたいと思うからです。話をしていると意外な発見というか気づきがあります。中学校でやりたいことや興味のあることなど、「そうなんだぁ」と思わせてくれるとともに、応援してあげたいという気持ちになります。

 コロナ以前は、12月頃から3月初旬にかけて6年生と校長室で給食の会食をしていました。4~6人くらいでやってきてもらいます。私の都合が学校の行事もあって飛び石となることもしばしばですが、話をすることで個々に素とともに意外性にも出会えるのです。こういうことをすることで、卒業証書の手渡しが感慨深いものになります。子供たちと話して笑い合ったり、一緒に給食を食べたりすることができるときが早く戻ることを待ち望みます。

 先日、卒業アルバム用の職員集合写真と6年生の授業風景の撮影がありました。私自身、カメラを向けられて笑えるようになったのはいつ頃からでしょうか。口角をあげて穏やかな表情になります。昔あるドラマで、埠頭を俳優の松田優作さんが何も語らず恋人の前を歩くシーンがありました。その姿に憧れ、学生の頃はなるべく寡黙を貫きましたし、滅多なことで笑わないように努めました。でも、「笑った写真のほうがいいよ」「幸せが逃げちゃうよ」と言われて笑ってみると、温かみのある写真に変わるから不思議です。今は自然と笑顔になります。周囲を幸せな気持ちにさせる笑顔でいられる爺さんになれるようにします。

 学校では、受験を控える子もそうでない子も笑顔いっぱいの残り4カ月になるように、私たちができることを精一杯やっていきたいと思います。

116 地図帳で遊ぼう(11/25)

 昨朝の朝日新聞。自宅で見た新聞と学校に配達された新聞の違いを感じます。サッカーW杯ドイツ戦について記載された1面。『8強の夢 若武者に託す』という結果を待たず印刷された紙面と『日本 金星発進』という午前0時過ぎに印刷された紙面。我が家は柏、ここは市川で同じ県北西部なのにとても不思議な出来事でした。

 さて、40年近く前に教育実習に行った私は、子供に問われて困ったことがあります。それは、「先生の専門は何ですか?」というもの。私は、国語科でも算数科といった教科ではなく、教育学専攻だったからです。子供に「教育学」と言っても理解されるはずもなく、かといって嘘もつけず…。

 教員になって数年してから社会科の面白さに目覚めて、好んで研修しました。様々な分野でネタ探しをしたり取材旅行に行ったりして授業を組み立てたのです。

 さて、3年生で配付される地図帳を見たことがあるでしょうか?教科書はペラペラめくることがあっても、地図帳を開く機会は皆無に等しいのではないかと思います。今日はいつになく、まじめな話題です。  教科書同様、地図帳も改訂が進み、使いやすさやわかりやすさを追求しています。小学生が、あるいは担任が利用しやすいことを念頭に置いていることがよくわかります。楽しく情報の読み取りができる工夫も目立ちます。

 ところで、「ロコ・ソラーレ」と聞けばカーリングのチームを思い起こします。拠点は常呂町(北海道)です。地図帳にもカーリングのイラストが記されています。授業でも取り組むといいますが、どうしてこの地で盛んになったのでしょう。どうも「気候」に関係があるようです。北海道のスポーツといえばスキーを連想しますが、年間降水量が少ないオホーツク沿岸の町にはスキー文化がないようです。このようにスケートも含めて、気候とスポーツの関係は深いことがわかってきます。

 現在使用されている地図帳には、QRコードを読み取ってタブレットでデジタル化されたデータや写真、イラストなどを閲覧できます。地図記号や都道府県名に関するクイズもあって十分楽しめます。子供たちも指示がなければ地図帳を開くことがないのかもしれませんが、学校での隙間時間や家庭学習に使ってみると意外な発見があるかもしれません。「えっ、こんなこともできるんだぁ」と、大人も子供も、まずは知ることが大事なのだと思います。家にあったら、今日開いてみてはいいかがでしょうか?

115 脳内シナプス(11/24)

 少し前HPのトップに、「1年生だってこんなにキレイ!」と題して、整頓された靴箱の写真をアップしました。これに刺激されたわけではないでしょうが、どの学年昇降口に行ってもきれいに整っているではありませんか。何だかうれしい気分になります。うれしいといえば、昨晩のサッカーW杯ドイツ戦。劇的な逆転勝利に、夜中2度も大声をあげてしまいました。午前零時までテレビの前にかじりついていたのもいつぶりだろう?

 さて、昨日は冷たい雨が降り、日中にかけて気温が下がっていきました。冬に近づいていますが、道の駅の野菜コーナーも様変わりしてきました。葉物や根菜の占めるスペースが増えています。泥ネギも出始めました。また、これは何だろうと思う珍しい野菜もあります。スーパーで見かけたのが「ロマネスコ」です。カリフラワーとブロッコリーの間に生まれた野菜のようで、「カリッコリー」とも呼ばれるそうです。野菜に限らず、新製品や新商品が登場すると、名前をだんだん覚えられなくなりそうで不安…。

 そういえばここ最近、いや?随分前からですが、人やモノの名前がすぐに出てこないことが多いのです。例えば、「ほら、あの番組に出ていた人さぁ…」「えっ、どの番組よ」「背が高くて、弟も俳優でさぁ…」「男の人?女の人?」みたいな会話が続きます。頭の中では映像が出来上がっているのですが、名前が言葉になりません。まるで、昔NHKでやっていた『連想ゲーム』でヒントを出し合う場面のようです。どうも脳内シナプスが所々断線している?テレビの主人公の名前が出てこない時は、「最初が“か”、最後が“な”」なんてヒントを提供してくれます。ここでスマホ検索はいけません。思い出す努力が脳の活性化につながるそうです。しばらく思案して、「川口春奈!」と正解にたどり着き、シナプスの修復に成功したわけです。

 観ていた番組は、そう!『silent』。ミーハーです。今どき「ミーハー」なんて言葉自体が死語かぁ?

114 季節は冬へ(11/22)

 今日は、二十四節気の「小雪(しょうせつ)」で、年末まであと39日!夜空を見上げてオリオン座がくっきり見られるようになったら、私の中では冬。そんなオリオン座は見つけやすくて観察に適しています。ちなみに、来週27日から28日にかけてオリオン座流星群が観測できるそうです。

 12月の声を聞く頃から豪華なクリスマスイルミネーションが始まる家が数件あります。夕方からランニングをしながら、そうした家々を見に行くのも楽しみの一つです。クリスマスシーズンの歌にも「イルミネーション」は結構登場します。私自身も好きなので、電気代のかからないソーラーのイルミネーションを設置して通年で楽しんでいます。

 日が暮れるのが早くなりました。サザエさんの磯野家では、冬場も明るいうちに波平さんやマスオさんが帰宅しますが、「いやいや、無理でしょう」と独り思いながら、家が近づくとどこからともなく石鹸のよいにおいが漂ってきます。不思議と落ち着いた気持ちになるのはなぜでしょう。もしかすると、石鹸の香りが子供のころの記憶と結びついて何らかの作用があるのかもしれません。そのあと、湯船に浸って足を伸ばしたときは幸せ~。

 「ねぇ、ちゃんと風呂入った?」なんていう子ども同士の会話をふと思い出します。「うん」と答えれば、「姉ちゃんと風呂入っているんだぁ~」と言われるし、否定すれば、「風呂入ってないなんて汚ねぇ~」となるし…。「パン作ったことある?」も同じ!でも今どきはそんな会話は園児でもしないのかもしれませんが…。

 そんな言葉遊びは、国語の勉強にもなります。どこに句読点を打つかで意味が変わります。

 「刑事は血まみれになって逃げる強盗を追いかけた」(血まみれはどっち?)

 「彼女は恐いと言った」(恐いのは?)

 「今日は雨が降る天気ではない」(今日は雨が降るの?降らないの?)

113 深まる秋の夜は(11/21)

 サッカーW杯カタール大会が昨日開幕しました。日本は、ドイツ(11/23)・コスタリカ(11/27)・スペイン(12/2)と対戦しますが、カタールとは6時間の時差があるため、夕方以降の試合は日本では深夜になってしまいます。4年に一度の祭典ですから観たいけれど、寝不足はつらいし…。こう言うと「ニュースで結果がわかるじゃん」と言われてしまいますが、ダイジェストの結果もさることながら試合展開が気になるのです。

 今朝電車内の電子ニュースで見たカタールVSエクアドルの試合結果に「バレンシア(13)選手がPKを…」といった文章が添えられています。「えっ、13歳でワールドカップに出場かぁ」と思って調べると、「13」は背番号のようです。 

 さて、私の通うレッスン教室主催で、プロのウクレレ奏者を招いてミニライブをやるというので聴きに行きました。世界Jrコンクールで優勝をしている17歳の女性です。数曲披露してくれましたが、ジャズというかボサノバというか、夜に照明を落として聴いたらすてきだなぁと思う曲もありました。

 そんなこともあり、安直な私は最近自宅から最寄り駅までの往復の時間に、スマホでジャズ曲を再生して聴いています。(電車の中では聴かない理由は、補聴器から音を出しているので、音楽再生用イヤホンと違って周囲に駄々洩れらしいからです)

 そうした曲を聴きながら、『Night Birds』を代表曲とするShakatak(シャカタク)を思い出しました。大学生のころ、カルチャーショックを受けた気持ちで聴きまくりました。当然カセットテープも野比のび太!また、軽音でバンドをしていた友達の影響もあってインストゥルメンタルなる、歌のない楽器だけで演奏される曲がたくさんあることも初めて知ったあの頃。

 さてと、今宵はジャズかインストかサッカー観戦か…。

112 わたしんち(11/18)

 週末であっても6時には起き出して活動開始します。寝坊した日は一日が短くなったようで損した気持ちになるから不思議です。そんなある日の朝食がホットドッグ。テーブルにはマスタードのチューブとケチャップが用意されています。「あっ、そうだ」と言って冷蔵庫から改めてケチャップの小袋を出しながら妻が尋ねます。「ねぇ、2019年9月が賞味期限だけどいい?」と。弁当用に買ってあったものらしいのですが、冷蔵庫保管とはいえ3年ぶりの登場にはさすがに遠慮です。

 3年ぶりといえば、11月に入って益子に出かけました。春と秋に陶器市が開催されるのです。コロナで開催が見合されていましたが、今年のGWから再開されました。春は行かなかったので、全体の様子が少し変わって見えましたが、感染対策は丁寧でした。ただ、人出は相変わらず。娘も同じ日に出かけていましたが、会うことは困難だと思っていました。何といっても、携帯の電波が悪すぎます。LINEはすぐには届きませんし電話もつながらない。あるポイントにいる時だけ受信できる感じですから…。にもかかわらず会えたのは奇跡?

 私も娘も焼き物が好きなのは妻の影響です。好みは全然違いますが…。同じように他者に影響されることは結構多いように思います。見かけによらず、雑貨やドライフラワーにも興味がある私。また、娘は私の影響でサッカー観戦が好きで、一緒に埼スタなどにも行きましたが、旦那と付き合いだしてからバスケの観戦に夢中になってしまいました(悲)。

 平田小の子供たちもいろいろな体験をしたり、様々な人と関わったりして見方や感じ方を広げてほしいと願います。先入観や食わず嫌いはもったいないですから!では、よい週末を。

111 自業苦(11/17)

 大学時代、教員養成課程の友達の実家は栃木のお寺。夏休みなどを利用して、京都で修業をしてきたという話も何度か聞きました。バイク好きだったので後ろに乗せてもらったり、実家へ寄ったりしたこともあります。教員の免許は取りながらも、教員にはならず地元に帰りました。その名も「青龍寺」くん! 苗字です。

 さて、三途の川の「三途」は仏教の経典に記されています。文字を「三塗」と書いてありましたが、これは「地獄」「餓鬼」「畜生」の3つを指すのだそうです。また、「地獄」を「自業苦」と表すことも知りました。仏教では、自分の「業(行い)」が生み出す苦しみを「自業苦」と呼ぶそうです。この「業」には3通りあって、身業・口業・意業といわれます。

 報道で目にする政治に携わる者の汚職や公務員の不正などは、自分で埋めておいてその地雷を自ら踏んでひどい目に遭っている姿は、身業の典型かもしれません。また、自分の口から出た言葉に己が縛られ苦しむこともあります。これが口業。先日、某大臣が考えられないような発言をして職を辞しましたが、まさにこれは自業苦!自業自得とは言いますが、その因果は曲げられませんから、「自業苦」から「地獄」へと堕ちていくことになるわけです。つまり、自分を苦しめるのは「あいつ」でも「こいつ」でもなく、自分の心なのでしょう。

 コロナ感染者が東京都でまた1万人を超えました。また、八王子市の小学校でインフルエンザの流行による学級閉鎖が報告されました。感染防止対策が当たり前になっていることはよいことですが、慣れからくる油断により「自業苦」に陥らないように気を引き締めたいものです。

 だからといって怖がって消極的になるのではなく、良いと判断したことは自信をもって押し進めていける心の強さも持ち合わせていられるようでありたいと思います。

110 テレホンカード(11/16)

 久しぶりにまとまった雨が降ったように思います。今朝は寒いですね。

 菩提寺の入り口に次のような掲示がありました。
   自己肯定感って 「自分をすごい!」と思えることじゃなくて
   できないことが沢山ある自分も 受け入れられるってことじゃないかな <高知 東生>
 偉いお坊さんの言葉ではないところがよいのですが、タレントの高知東生(たかち のぼる)さんといえば、薬物依存症を含めてどん底を味わっている方です。「自己肯定感」を「自己受容」と言い換えれば気持ちが楽になりますし、自己評価も高まるような気がするのです。
 さて、父や母の荷物から時々テレホンカードが見つかるときがあります。使用中の穴あきからまっさらなものまで合わせると10枚はあるのではないでしょうか。災害が起きた際の連絡手段として公衆電話は有効ですが、普段使いする機会はないので宝の持ち腐れ状態でしょうか。
 ひところはこのテレカが記念品やノベルティの定番でした。40年前に発行・発売され、90年代中頃に最も利用された歴史があります。その後は下降線を描き、2019年秋にNTTによる私製デザインカードは終了するなど、目にする機会がなくなったように思います。今ではクオカードや図書カードに取って代わられていますが、公衆電話の設置が義務付けられていることもあって、少ないながらも今も生産は続けられているようです。ちなみに、コンビニで買えます!
 コレクターアイテムとして希少価値があるものもあり、聞くところによると100万円超の高額プレミアカードも存在するとか。図柄が知りたいと思いますが、斉藤由貴や南野陽子、ジャッキーチェンなどもものによっては1万円以上するようです。
 テレカ導入までは、公衆電話は硬貨を入れてその分だけ電話ができる方式のものしかありませんでした。色も赤、青、黄色とあり、黄電話タイプは100円硬貨が使えるのが魅力でした。10円玉を積んで通話が切れる前に追加投入する必要がなかったのですが、100円分を使い切らなくてもおつりは戻りませんでした。こうした背景があって登場したテレカだったわけです。
 学校の事務室前にある緑電話。昔は忘れ物をした子が、名札から十円玉を出して受話器を握っていましたが、今ではそうした光景にお目にかかることはありません。収益(?)は、先月も0円!

109 版画(11/15)

 4年生の教室で木版画に取り組んでいたのは先週のこと。緑色の板、青い板、黒い板と色とりどり。担任に尋ねると、青いものは彫刻刀を使う練習用で、黒いものは一度試し刷りした子。緑色は今まさに彫り進めている子のようです。

 現在の版画板は、とにかく彫りやすく彫刻刀がきれいに進みます。同時に色板なので紙に印刷した時の色の出方をイメージしやすくなっています。昔は合板でしたが、木の芯があったり彫りにくい方向があったりして、彫った線がガサガサになったものです。そういえば、現在の彫刻刀にはケガから守る工夫もされています。

 彫ることに慣れると、切出しを使った浮彫りも上達しました。中学生のころに作った、父のフルネームの表札はそれから40年間、実家の玄関の軒下に掲げられていたのです。うれしいことです。

 版画とは違いますが、身の回りに木材がいろいろあって自由に使える環境だったようにも思います。家を建てる現場では、その場で木を切ったり鉋(かんな)で削ったりするのが当たり前でした。今のように工場で出来上がったものを現場で組み立てるという作業ではありません。当然、端切れや板材がたくさん出ます。これは絶好の制作材料、宝の山です。のこぎりで切ったり釘を打ったりして船やロボットなどを作ります。自然とのこぎりや金づちの使い方なども習得します。

 また、私は笹薮が好きです。今でも見つけると入り込みたくなります。それは、小学生時代に笹薮の中に秘密基地を作った思い出があるからです。ボンナイフなどを使って笹を切り、奥へ奥へと進みます。そして、人ひとりが入れる空間を作るのです。そこに大事なものを空き缶に入れて持ち込んで…。こうした様々な楽しみ方ができたのが私たちの時代です。遊びながら生活に必要な技術を身につけたのです。

 4年生の教室廊下に、刷り終わった版画の作品が続々と掲示されています。じっくり見て回ります。

108 初めて(11/14)

 職員玄関を入って正面に季節の植物が展示されます。ザクロや柿などありましたが、最近真っ赤なカラスウリがたくさん置かれています。職員に紹介したら、翌日には『カラスウリ』という本が添えられていました。こうしたちょっとした心遣いがうれしいのです。私はといえば、もうしばらくしたら種を採って財布に入れておこうかと狙っているところです。

 さて、先週は半日かけて校長室と会議室の掃除をしました。今日、県教委と市教委の学校訪問があるからです。担任は、3校時または4校時の授業を見てもらい、午後から指導をいただきます。当然、校長も学校経営について説明したり指導・助言をもらったり…。家庭でも同じですが、人を気持ちよく迎い入れるために準備を怠ることはできません。日本人特有のお・も・て・な・し!

 というわけで、校長室と会議室を仕切るパーテーションを初めて開けました。明るいし広い!執務用の椅子から見える景色も違います。廊下を通りかかった6年生が驚いていましたし、職員も「初めて見ました」というくらい。長机の配置も変えて中央にゼラニウムの切り花と綿の枝を飾ってみました。

 人それぞれに「初めて」が繰り返されます。何でもないことが急に思い出されることもあります。例えば、初めてカップヌードルを食べた日。中学生になって友達と遊んでいた途中、自販機で買ってお湯を注いでその場でチュルチュル…。初めて映画館で映画を観たのは高校生。『風と共に去りぬ』を立ち見で。彼女と一緒で緊張する中、長いし疲れるし、内容なんて全然入ってこなかったことだけ覚えています。そして、初めて行ったコンサートは、中学校の友達に誘われて…。ユーミンだったこと以外よく覚えていません。そのあと2度目は、なんと4年前のスキマスイッチ。それも娘が急遽行けなくなったため回ってきたチケットでした。

 人との出会いも「初めて」の連続。いくつになっても、よいめぐり逢いに期待します。さぁ、今日はどんな初めてがあるでしょうか?でも、忙しい!忙しい!

107 修学旅行を終えて(11/11)

 シャポーの装飾が、いつの間にかクリスマスに切り替わっています。

 10月が終わろうとするころ、韓国ソウルの繁華街・梨泰院の路上ではハロウィーンを前に集まった若者が狭い坂道で折り重なるように倒れた雑踏事故が発生。150人以上の死者を出しました。一方インドでは、百年以上の歴史があって人気観光地としても有名なつり橋が崩落して130人を超える死者が報告されていました。

 宿泊学習で100人もの子供たちを引率する際、担任を含め全員がその職責を重く感じながら行動します。元気に帰ってくるのが当たり前。そして、「楽しかったぁ」と思い出を語る子供たちを親は待っているからです。誰一人けがすることもなく無事学校に到着すると肩の荷が下りてどっと疲れが出るのですが、それも心地よいものです。ただ、翌日が休みだったら…という思いはあります。

 今回、私自身3年ぶりの修学旅行に引率して、以前と随分変わったことを感じました。その一つが子供たちの荷物。宿までバスのトランクに入れられている大きなリュックに替わって「ガラガラ」が目立ちます。その割合は4分の1程度でしょうか。2つ目が職員同士で連絡を取り合う手段。それこそ何十年も前はトランシーバー持参でしたが、携帯電話で必要事項を伝える方法になりました。でも、今回も含め校外学習では、ライングループを使って情報共有しています。現状が手に取るようにわかって便利であることを実感。

 また、シートベルト着用も当たり前となりましたから、席を立って歩く子は皆無です。バスレク係がなくなってDVD鑑賞時間が長いわけですが、今回も3本観ました。ただ私にとっては無声映画なのです。画面を見ながらストーリーを自分なりに作り上げています。健聴者は、あの音で聞こえるのだと改めて驚きです。いずれにせよ、晴天かつ心配な事案もなく幸せな2日間でした。

 さて、今日は1のゾロ目であることもあって、「ポッキーの日」「下駄の日」「鮭の日」「西陣の日」「鏡の日」「折り紙の日」「麺の日」「乾電池の日」「靴下の日」「サッカーの日」「チーズの日」「ピーナッツの日」「もやしの日」ほか記念日のオンパレード!

106 違和感の正体は?(11/10)

 11月4日夕方時点では、HPアクセス数90万本のわずか手前でしたが、修学旅行を明けて見てみると90万を5千も超えているではありませんか。80万達成をここに記したのは7月5日でしたから、4か月で10万件といった計算になります。多くの方に見ていただけていることを嬉しく思います。このままいくと、単純計算で3月初旬に100万件を突破します。

 一昨晩は、歴史的な天体ショーでした。その一つである「皆既月食」はとてもきれいでした。欠けていく姿、逆に元に戻っていく様子は神秘的。同時に、月が天王星を隠す「天王星食」も起こっていたようですが肉眼ではよくわかりません。日本では442年ぶり(1580年7月の土星食以来)で、同時観測される次の機会は322年後(2344年7月の土星食)だそうです。まぁ、誰も見ることは叶いませんが…。

 さて、そんな欠けていく月を眺めながら電車を待ち、修学旅行帰りの重い荷物を持って乗った電車の中でのこと。西船橋駅から乗ってくる客が多くて車内が混みあいます。最後に乗ってきた人を見たときに、何かしら違和感を覚えたのです。それが何なのかよくわかりません。しばらく経って、その正体が判明。マスクをせずにいるため顔全体が見えていることです。マスク生活が当たり前になると、マスクを着用していないことが違和感の原因になるなんて…。今年の新語・流行語大賞にノミネートされている言葉の中に「顔パンツ」がありますが、電車の中での出来事はまさにそれ!何か事情があったのでしょうが、全国の感染者数がまた増えている中にあって顔パンツは、まだまだ手放せません。

 これからの季節には寒さ除けにもなりますが、目深にニットハットを被りマスクする私の姿は、それはそれで違和感の対象なのかもしれません。

105 “ゆかり”と“ひろし”(11/9)

 昨日、修学旅行から帰りました。秋晴れの清々しい天気で、東照宮周辺の燃えるような紅葉は見事でした。一方、奥日光は裸になった木々。家康ゆかりの東照宮には、時期的なこともあって学校数は少なめで、集合し写真を余裕で撮れました。また、日本広しといえども、華厳の滝・龍頭の滝・湯滝という三名瀑を一気に見られるのは日光だけかもしれません。子供たちは、家で何を話したのか気になります。

 さて、先日、広島菜を使ったふりかけがキッチンに置いてあるのを見かけました。黄緑色のパッケージに「青菜ごはん用」と書かれ、「ひろし」という名称です。「広島だから?」と思っていると、もう一つの紫色のパッケージのふりかけが並びます。「しそごはん用」と書かれていますが、ご存じの「ゆかり」です。そうなんです、「ゆかり」と「ひろし」といった男女ペアにしたかったようです。なかなか粋な命名です。

 休日の朝、鏡をじっと見ていると、瞼の周辺にシミを発見!これもむかし日焼けを、頑張った「勲章」だと思っていた「代償」です。だって腕にも背中にもあちこちに…。そして、ひろしは数え唄を口ずさみます。

  ♪一つ 人よりシミがある   二つ ふたつもシミがある  すると、ゆかりも一緒になって歌いだします。

  ♪三つ 三日月シミがある   四つ 横にもシミがある  

  ♪五つ いつでもシミがある  六つ 向こうにシミがある

  ♪七つ 斜めにシミがある   八つ やっぱりシミがある

  ♪九つ ここにもシミがある  十で とうとうしみったれ

 我が家のしみったれ「ひろし」と「ゆかり」は、まるで打ち合わせでもしたかのように寸分違わず歌えるのでした。めでたし、めでたし。

104 新品を身に着けて(11/4)

 明後日6日は「アパート記念日」。1910(明治43)年、上野に初の木造アパートが完成した日といいます。5階建て70室の賃貸で、洗面所と浴槽、電話は共同だったそうです。私が結婚してすぐに暮らし始めたのも菅野周辺の2階建てのアパートでした。

 最近、4年生のグリーンスクールと2年生の千葉市動物公園に引率しました。ありのみコースでは、いつの間にかシーソー型回転遊具担当のおじさんになっていました。でも、「楽しかったぁ」という一言がやけに嬉しくて…。一方、動物公園では何人もの子供たちが動物科学館の中を案内してくれるなどいっぱい話ができました。

 さて、週明けの月曜日から一泊で日光修学旅行に行きます。教員になってから何度目の日光修学旅行でしょう。20回は下らないことは確かなのですが…。東照宮の見学ポイントあるいはいろは坂・中禅寺湖周辺で聞くバスガイドさんの案内、華厳の滝や龍頭の滝の視点など尋ねられれば答えてあげられそうです。奥日光は10月下旬に初雪が降ったと聞きました。きっと宿周辺の朝は氷点下だと思いますが、週間予報を確認すると、去年のような豪雨に見舞われることはなさそうです。

 修学旅行をはじめ、宿泊があるときは下着を新調してくれます。もし風呂に入るときなどに古びた下着を身に着けていると恥ずかしい思いをするだろうからという配慮。脱臼癖のある私は、何年も前のある夏の朝ベッドから起きようとして左肩脱臼!救急車を呼んで病院で治療してもらいましたが、家に帰る段になって首の伸びたヨレヨレのTシャツ姿であることに気づきます。恥ずかしくて電車に乗れる恰好ではないので、義父に車で迎えに来てもらったとことを思い出します。

 宿泊学習につきものなのが忘れ物。名前のないタオルや下着、片方だけの靴下…。名前があっても自分のものだと気づかない子がいるのは今も昔も変わらないような…。 というわけで、来週2日間はブログ休載。その代わり、「学校・児童の様子」には、できるだけリアルタイムで写真を掲載する予定です。そうそう、これまでの校外学習でも、子供たちの様子を写真付きで掲載していましたが、ご覧いただいていますぅ?

103 キャッシュレス(11/2)

 金融教育を推進するある研究会が、中学3年生を対象にした「キャッシュレス決済を利用しているかどうか」を調査した結果が公表されていました。その利用率は約62%に驚かされます。交通系の電子マネー(PASMO・SUICAなど)は5割弱、ペイペイやラインペイなどで20%以上です。スマホ決済が1割弱いますし、クレジットカードを利用する生徒も4.4%と決して少なくありません。

 確かに、「現金を持ち歩かなくてよい」「支払いがすぐ完了する」「おつりがなくてよい」などメリットはあります。一方で、自分の支払い能力を超える買い物ができてしまう怖さがあります。修学旅行などへ行ってお土産を買う際に、品物の値段をたし算して手持ちの金額を考えながら折り合いをつけるのもよい経験です。ブレーキのないキャッシュレスだったら百害以外の何物でもないようにも思います。

 キャッシュレス全盛になると、PASMOなどを持っていないときに電車に乗るために現金で切符一枚買うのも大変になってしまいますし、買い物の支払いでお札ばかり出して、財布が小銭だらけになるなんてことも考えられそうです。ただ、ペイペイの支払い方法だって様々なため、躊躇してしまう人は少なくないと思うのです。

 紙幣に目をやると、肖像が時代とともにかわります。千円札の場合、聖徳太子や伊藤博文が今は使われていないのはわかりますが、現在出回っているのは野口英世?夏目漱石?色合いが似ているので、新旧の見分けがすぐにつきません。2年後には北里柴三郎になりますから、ますますわからなくなりそうです。

 そういえば、私は中学生の頃から数年間、古銭集めに熱中しました。今も大事にとってありますが、「昭和○年の○円玉は製造枚数が少ないので貴重だ」と知ると、財布の中の硬貨を広げました。十円玉も「縁にギザギザがあるものは玉数が少ない」と言われ、「ギザ十」集めをしました。穴がない五円玉、逆に穴のある五十円玉なども含め、ストックブックに保管したのです。これからを買い取ってくれる店もありますが、二束三文というか百円はやはり百円程度なのだろうと期待はしていません。

 キャッシュレスではこんな楽しみ方も薄れてしまいます。

102 乱れてる?(11/1)

 ワイシャツの襟元にはネクタイが締められます。今日から11月。気持ちも引き締まります。最近、穏やかな天候が続いていましたが、朝の挨拶&見守りのために通学路に立つことがなかなかできていません。寒くなって横着しているわけではなく、出勤後から何故かせわしないのです。また、校外学習があれば引率したり見送ったり…。今日も2年生の校外学習に同行させてもらいます。

 さて、24日の朝日新聞に、文化庁の21年度国語世論調査に関する記事がありました。「姑息(こそく)」の意味を「卑怯な」と回答した人が約74%、「割愛(かつあい)」を「不必要なものを切り捨てる」と回答した人が65%だったといいます。ともに本来の意味とは違い、前者は「一時しのぎ」で後者は「惜しいと思うものを手放す」という意味が正しいそうです。知らずに使っていました。  20年度は「がぜん」や「破天荒」、「すべからく」が調査問題でした。その前年は「手をこまねく」「敷居が高い」「浮足立つ」が調査対象となっていました。このほかにも、「気になる言葉」なども取り上げられます。 そういえば先日、ドラマである場所の映像を見て、「あっ、タワーレコードだ」と言ったら、「やめてよ。お願いだからタワレコって言って!」と家族に頼まれました。「いやいや、なんでも縮めるのはよそうよ」と思いながらも自分勝手な簡略言葉を発して皆に馬鹿にされそうな気がします。 ところで、タレント&歌手のDAIGOさんがある言葉をアルファベットで表現することがあります。例えば「平田っ子まつり」なら「HTM」のように…。あれを即興でできるならすごい能力だと思っています。

 それでは、ITK! 行ってきま~す!

101 秋の実Part2(10/31)

 今頃の時期になるとオレンジ色から赤色に変化して、熟した果実をつるからぶら下げるカラスウリを山野で見かけます。木の実は有名ですが、日が暮れると開花して朝には閉じてしまうという一夜花が見たくて裏庭で育てましたが、蕾すらできません。当然実をつけることはなく、毎年肩を落とします。

 そこで、秘密の場所から蔓ごと採ってきて、庭木の枝にぶら下げるとオレンジ色が映えて格好の飾りになるのです。長いこと庭のアクセントになり、薄茶色になった頃には種が採れます。この種がまた特徴的です。その形状が大黒様のお腹のようで縁起がよいとか、打ち出の小槌のようだからという理由で財布に入れておく人がいるそうです。金運アップのアイテムとして…。ちなみに、赤く完熟したカラスウリの実はシロップやハチミツ漬けにして食べられるらしいです。

 また、秋の実で思い出すのがヨウシュヤマゴボウ。きっと一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。ブドウを小さくしたような濃い紫色の実をたくさん房につけます。花瓶に生けるだけでも絵になりますし、熟したこの実を潰して水に溶かせば赤ワイン色になって、色水遊びをしたり絵を描くためのインクにしたり…。低学年の生活科でも活躍する場面が見られます。

 先週、4年生は大町方面へ出かけて自然と触れ合いました。もしかすると、数珠玉やひっつき虫のオナモミ、カラスウリなど、秋の実をあちこちで見ることができました。ありのみコースにはどんぐりがいっぱい落ちていました。普段、「どんぐり」と一括りにしてしまいますが、いろいろな種類があります。一般的に細長いのがマテバシイかコナラ、小さかったらシラカシ、太っちょな奴はクヌギです。マテバシイならどんぐり笛が作れますし、クヌギはどっしりとしたどんぐり独楽に最適です。そういえば先日、1年生は独楽を作っていました。オナモミ・ダーツなんてものも楽しそう。

100 ねんどの神さま(10/28)

 昨日、5年生の「夢の教室」(児童の様子ブログ参照)で来校した元サッカー選手の波戸康広さんは、現役を退いて10年以上が経ちますが相変わらず格好いい!短い時間でしたが、温かで包容力を感じる人柄でした。

 さて、読書週間に向けて「先生方のおすすめの本」の紹介用紙をもらっています。何にしようか考えて、好きな絵本というかお話を紹介しようと思いました。残念ながら図書室には置いていないというので、別の本にかえますが、ちょっとだけ知っておいてほしいと思って、あらすじを記そうと思います。「ずっこけ三人組」シリーズで有名な那須正幹さんが書き、黒を基調とした絵も重々しい雰囲気を醸しています。

 

 “太平洋戦争が終わって、ちょうど一年がすぎた9月のことだった。”という文で始まります。主人公の健一は、戦争を起こす人間をこらしめるねんど細工の神さまを学校で作ります。健一の親はみんな戦争で亡くなって、戦争を憎んでいるからです。校長先生は、“この作品は、子どもの戦争に対する素直な憎しみが表現されている。”と言ってひどく気に入り、校長室に飾ったのです。何年かして学校は廃校。ねんどの神さまも倉庫に長い間忘れられたままでいました。

 それから40年以上が経ち、健一の作ったねんどの神さまが、身長100mを超えるような巨大な怪物になって突然山村に現れます。自衛隊や様々な兵器で攻撃されますが、びくともしないどころか、どんどん東京へ近づきます。そして、怪物はあるビルの一室に目的の人物を見つけます。それは、兵器会社の社長になっていた健一だったのです。

 殺されることを覚悟した健一に怪物は、“ぼくは、ケンちゃんのつくった神さまなんだよ。ぼくにケンちゃんを殺せるわけないじゃないか。ぼくはね、ケンちゃんに教えてもらいたくって、やってきたんだよ。ねえ、ケンちゃん。もう、ぼくは、いなくなったほうがいいのかなあ。ケンちゃんは、昔みたいに戦争がきらいじゃないみたいだからね。”と尋ねます。これに対して、“わたしは、子どものころとかわりないよ。(中略)わたしの事業は、平和のための事業なんだよ。”と健一は返します。

 最後は、自分の意志で小さなねんど細工に戻った神さまを健一が破壊します。そして、“これで、いい。この数十年、心のすみにひっかかっていたトゲのようなものが、きれいになくなってしまった。”と言い、晴れ晴れした気持ちになるというストーリーなのです。

 切なさの中に、何かもどかしさを含んだラストシーンです。ただ、日本だっていつ戦争が起こっても不思議ではないことを示唆する作品にも思えるのです。大人も考えさせられますし、読み聞かせもありだと思うのです。ぜひ!

099 秋の実Part1

 プラタナスは、葉が大きな落葉樹であるため、夏は木陰をつくり、冬は陽を遮りません。また、虫がつきにくいなどの特徴もあって街路樹に適すようで街中でよく見られるとともに、平田小の校庭にもあります。でも、大きな葉は枯れて落ちてもそのままなのでかさばるのです。風が吹くと、そのままの大きさで道路や近隣住居に侵入して迷惑をかけます。ですから、これからの季節の掃除は大変。前任の市川小のシンボルツリーがこのプラタナスでした。プラタナスの葉が落ち始める季節から銀杏の落葉が終わるまでの期間、美化委員会の児童が毎朝校庭の掃き掃除をしているのではないかと思います。

 

 このプラタナスは、スズカケ(鈴懸)と別名があるように、硬くてイガイガで真ん丸の実をつけます。長い柄が付いているので、軽く振り回して相手の頭のポコって殴るなんていたずらもしたなぁ。痛いのなんのって…。

 学校の敷地内を見て回ると、発見がたくさんあります。プールの脇には、キウイが小さいながらも数個なっています。4年生の昇降口そばにはザクロ。体育館奥には柿が熟してきたみたいです。そこで、一つ採って検食してみましたので報告します。

 まずキウイ。包丁で切るだけで硬いことはわかりますが、フォークがなかなか刺さらないほど。小粒であるからなのか、もいだばかりだからなのかは不明ですが、青臭くてダメ!もう1個あるので、机上で熟成させてみます。

 次にザクロ。少し前に用務員さんが収穫して事務室前に展示してくれました。小さな粒々を口に入れるとおいしいではありませんか。今年は雹害で落ちてしまったものもあり、現在は手の届かないところにあと1個。

 最後に柿。こちらは渋柿ではないと聞いていましたが、干し柿にするという職員もいるので真偽が定かではありません。一人貧乏くじを引くのは嫌なので、二人に声をかけ合図とともに同時に歯を立ててみると…。うん、食べられる!キウイ同様もう少し置いておくともっと甘くなるかもしれません。

 敷地の外にもムラサキシキブや数珠玉が自生しています。安全にも気を付けながらいろいろなものに気づく目も大事にしてほしいと思います。ところで、プラタナスって食用部分はないのかなぁ?

098 値上げ(10/26)

  庭の照明は、時刻をセットしておけば自動で点いて自動で消えてくれるのですが、少し前にいじったら点かなくなってしまいました。だから直すまでは帰宅時に手動で点灯させます。玄関を開けると、「点灯虫、おかえり」と奥から声が聞こえる毎日。

 さて、今年は食品等の値上げが何度も行われるような渦の中です。スーパーの棚に並ぶアルコール類を見て感じていましたが、先日は自分事として実感した2例がこちら。1つめは、紀文の3個入り肉まんのパックを見たとき。寒くなると恋しくなる食べ物の一つです。高校生の頃、冬の部活帰り。駅前で仲間と食べた肉まんやカレーまん、ピザまんの美味しかった記憶がどうも美化されているようです。これまでは、スーパーの広告の品として298円で売り出されていたこの肉まんが、先日セール品で358円でした。恥ずかしながらこの60円に…。そしてもう1つが、カンロ飴。数種類あって口が寂しくなった時の友達ですが、パッケージが少し変わって登場したので期待して口に放り込むと、一回り小さい!「わかるの?」と思うかもしれませんが、それを感じられるほど食べていますから…。

 また、サラミ味・ソース味・カレー味の3種類で43年前に誕生した「うまい棒」は当初からずっと10円で販売されてきました。子供たちの小遣いで選ぶ楽しさを感じてもらえるように1本10円という価格にこだわり続けてきましたが、残念ながら春から2円値上げされています。こんなふうに、「やむを得ず」が身の回りにはいっぱいです。11月は、牛乳やヨーグルトまで波が押し寄せてきます。

 電気代も同様です。家庭で節電をしているでしょうが、学校はどうでしょう。市内全校の電気料金は市の負担ですから、値上げに伴う支出増は他の予算削減という形で跳ね返ってこないとも限りません。明るい日の廊下や階段、誰もいない教室などこまめに消灯する習慣が、職員・子供を問わず必要だと思います。そんなわけで、「点灯虫」ではなく「消灯虫」として校内を回ってきます。