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校長室から
479 適応できる?(24.9.25)
先週末頃から涼しい朝、そして心地よい秋風を感じるようになりました。昨日は迷って半袖にしましたが、今日は迷うことなく長袖シャツ。ポケットに忍ばせる汗拭きも、タオルからハンカチに切り替わっています。「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったもので、9月中旬まで真夏日が続いてうんざりしていたのが嘘のようです。この暑さは6月から3か月以上続きましたから、最高気温35℃と聞いても驚かなくなってしまったことに逆にビックリ。
年を経るごとに暑い日が多くなっている現在ですが、不思議なもので秋の彼岸にはちゃんと涼しさが戻ってくるのです。辻褄が合うようになっているみたいです。事もあろうに、妻は歳のとり方と重ね合わせて言うからびっくりです。曰く、季節の移ろいと同じように、50代から白髪が目立つ人も60代後半から急に白髪が増え出した人も、70歳にもなれば同じような割合でちゃんと白くなっているのだと。徐々に白いものが増えている現実をそんなふうに表現するかぁと達観した見方に感服です。
先日、近所のダイソーで塗料と刷毛をかごに入れてレジへ向かいました。いつの間にやらレジがセルフに変わっていました。バーコードを読ませるところがわからずもたもたしていると、店員が近づいてやさしく教えてくれました。スーパーもドラッグストアもセルフレジ化が急速に進んでいます。人件費削減、合理化・効率化の一つなのでしょうが、慣れない身には買い物自体が億劫になります。
先日は、百貨店の駐車場自動精算機の前で困っているお年寄りがいました。手伝っている間に、後ろに列ができていくのは大きなプレッシャーです。ガソリンスタンドもセルフが多くを占めるようになったためか、ブレーキランプなどの灯火類が切れたまま走っている車が増えてはいないでしょうか。タイヤの空気圧だっていつ点検したか覚えていないなんて言う人も…。以前ならサービスでやってくれていたことがなくなった弊害は少なくないのかもしれません。
便利ではあっても、簡単には適応できない人がいたり、逆に課題が生まれたりすることも忘れないでいたいものです。
478 愛着ある者たち(24.9.24)
先週金曜日は、私用で休みをもらいました。出かけるまでの間、大リーグ中継を見ていると、偶然にも大谷翔平選手の50本塁打・50盗塁達成という場面に遭遇。不思議と近しい人の活躍を見るような気分に浸ってしまいました。
巣立った子供たちが残していったぬいぐるみは、みな優に成人(?)年齢に達し、大谷選手と同年代ばかりです。そして、一つ一つに名前がついています。例えば、犬のぬいぐるみ。ワンポ・ワンワン・ワン太郎・ワンの助・ワン次郎・ワン太・ワン吉…など覚えきれません。また、北海道でお土産に買った手のひらサイズのキタキツネに、プーちゃんと名付けて特別大事にしていた息子。日光江戸村で買った印籠をあげたら、その中に入れて持ち歩いては時々覗くほどのお気に入りでした。ある日、印籠に入れてポケットにしまったまま洗濯に出したからさぁ大変!プーちゃんは、目が取れたり毛が抜けたりして無残な姿になってしまったのです。大泣きして、しばらくショックから立ち直れなかったことが思い出されます。それほど大好きだったプーちゃんの2代目がやってきたのはそれから数何年後。単に名前があるかないかだけなのに、親しみや愛着に違いを感じてしまうのが不思議です。
8月終わりに、和室の障子を張り替えました。何年張り替えていなかったかなんて恥ずかしくて書けません。ただ、張り替えを決心して障子紙を買ったのは2か月以上前のこと。一念発起、頑張りました。糊張りだったので、まず古い紙を剥がすだけで大変。たった4枚にもかかわらず、何時間かかったのでしょう。剥がされた古い障子紙は、まるでわら半紙(懐かしい響き)のような色に日焼けしていたので、張り替え後の白さは部屋の明るさで一目瞭然。和室に暮らすぬいぐるみもひと際鮮やかに見えます。労力に見合った感動でした。にもかかわらず、3週間経った先日、障子戸に目をやると、角がペラっと剥がれているではありませんか。アイロン張りの弱さか、再度アイロンをかけてもダメだったので液体のりで補修。
この「しょうじ君」たちは、いつまで色白で張りのある肌を保てるのでしょう。
477 Don’t miss the signs(24.9.20)
会議室にある住宅地図を貼り合わせた学区地図を刷新しました。まだ外環自動車道が書かれていなかったので、把握しづらい部分がありました。着任して2年半も手もつけずにいたので、模様替えのつもりで…。地図をつなぎ合わせて学区を赤ペンで囲んでいくと、地図の足らない部分があることに気づいたり、「ここまで平田小学区なんだぁ」と改めて知ったり。なかなか学区を端から端まで見て回ることは叶いませんが、地図上で歩いて確認できたような気分になりました。
さて、もう6~7年も前に新聞に掲載された小学1年生の詩を読んで、改めて考えされられました。
きょうは あさ はやくから
べんきょうをした。 / みんな やった。
これは きっと ほめられると / おもった。
どんなに ほめられるのかなと / おもった。
ほめられたら いいのになあと / おもった。
にこにこして、おかあさんに / 見せたら
おかあさんは、ほめてくれなかった。
「土よう日の ぶんも しなさい。」
と はんたいに おこった。
わたしは なきました。
様々な状況があるので一概には言えませんが、大人の都合や大人の尺度で褒めたり叱ったりしてしまうことがあるような気がします。致し方ないにしても、忙しさを理由に場面を見逃したり、送られるサインを見落としていたりすることもきっとあるはずです。褒めてほしいのは、1年生でも6年生でも同じ。この歳になった私だって、褒められたら嬉しい気持ちになりますし、誰に褒められるか、どんな言葉で褒められるかで嬉しさも違うものです。褒められるために頑張る子にしてはいけない、調子に乗せたらダメ、なんていう人もいるかもしれませんが、500人の子供たちを預かる中で、寄り添いながらサインを見落とさず勇気に変換できる言葉をかけてあげられる大人でありたいと思うのです。
明日から今月2度目の三連休。子供も大人も嬉しいことがたくさんありますように!
476 コロッケ(24.9.19)
休みの日の昼前に買い物に行って、「お昼ご飯はどうする?」と尋ねられます。特に、長期休業や連休中は考えるのも億劫な感じ。蕎麦やパスタ、ローリングストックのカップ麺、外食などの選択肢の中にあるのがコロッケパン。総菜コーナーでコロッケやメンチカツを買って、食パンやコッペパンに挟むだけ。千切りキャベツがあれば、なおよし。(自分ではやらないくせに偉そう!)
胸を張れることではありませんが、自分で料理ができない者にとって、コロッケを作る大変さはわからないものです。だから、私が簡単にリクエストでもしようものなら嫌~な顔をされますが、子や孫のためならホイホイと作れるみたいです。一般的な作り方を見てみると、ジャガイモの皮を剥いて、茹でて潰します。玉ねぎのみじん切りとひき肉を炒めて、ジャガイモと混ぜます。小判型・俵型などに整形して衣をつけて揚げたら完成。火を使う、茹でる・炒める・揚げるといった3工程を含めて、何工程もあって面倒くさそうであることだけは理解しました。コロッケはスーパーなどで買うものと決めている家庭があってもうなずけます。
来週最終回を迎えるドラマ『海のはじまり』にもコロッケのシーンがありました。主人公(目黒蓮)の娘が知っているコロッケは、スーパーで安くなった時だけ買ってくるもの。家でコロッケを作る姿を見て、「コロッケって家でも作れるの?」と驚くのです。これに対して「家で作るのはとても大変なんだよ」と優しく話す有村架純。そして、出来上がったコロッケを食べたその子は、「スーパーのみたい!おいしい」と感激するというもの。コロッケの味の基準がスーパーの総菜というのは、忙しい家庭では普通のことなのかもしれません。
そういう意味で、恵まれているとしか言いようのない私は、亡き母の作ってくれた俵型コロッケが基準。夏暑く、冬寒い台所で山のように積まれるくらい揚げていた後ろ姿を思い出します。今もそれを引き継ぐように作ってくれる人がそばにいることに感謝以外ありません。
475 世は歌につれ(24.9.18)
3年生が国語の学習で手紙を書いたそうです。敬老の日が近かったせいもあって、祖父母に宛てたものが多かったといいます。3年生くらいの子には、封筒に貼る切手自体が珍しく映るようで、シールと勘違いして貼り直そうとしたり、うまく貼れたことに驚いた顔をしたりする子がいるなど、担任にも驚きだったようです。
LINEミュージックからのお知らせを開いてみると、「あの頃私たちが夢中だった曲」と題され、自分の生まれた年を入力できる欄があります。試しにやってみると、13歳のときに流行った歌が表示されました。「なみだの操」(殿さまキングス)、「うそ」(中条きよし)、「くちなしの花」(渡哲也)とあり、再生も可能です。画面をスクロールすると、14歳の3曲に「年下の男の子」(キャンディーズ)、「私鉄沿線」(野口五郎)、「ロマンス」(岩崎宏美)、その翌年には「およげ!たいやきくん」と続きます。高校生の頃は、ピンク・レディーの「渚のシンドバッド」「UFO」などを歌いながら教室で踊っていたことまで思い出されます。
こんなことをS先生に話しながら時代を辿っていると、急に「あっ、私の生まれた年です」と言うではありませんか。それなら、とS先生の生年を入力すると…。中学生の頃の代表曲は「浪漫飛行」「真夏の果実」「ラブ・ストーリーは突然に」「愛は勝つ」「I LOVE YOU」など。まだまだ若い!敬老の日に、孫から「いつまでも元気でね」とメッセージをもらう者とはさすがに違います。
474 瞑想と迷走(24.9.17)
今日は仲秋の名月。でも満月は明日ですが、きれいな月が見られると穏やかな気持ちになれそうです。
「めいげつ」ならず、「めいそう」と聞くとイメージする文字は「瞑想」「迷走」のどちら?専ら私は「迷走」の方かも。自分の迷走もさることながら、学校や人が迷走しないように何ができるかを考えます。もう一方の「瞑想」には、集中力を高めたり創造力を引き出したりする効果があり、トップアスリートも多く実践していると聞きます。
そうは言っても、瞑想はヨガ教室や寺など特別な場での行いのような気がしますが、日常生活では「今やっていることを意識する」といったシンプルな活動でよいといいます。食事の時には、食べ物の味や香りだけでなく、その形や舌ざわりなどを丁寧に感じながら食べるのだそうです。ゆっくりした食事により、これまで以上に美味しく感じられるようです。歯磨きだって同じ。一本一本の歯の形や表面などをイメージしながら磨くのがよいと、歯科医も推奨しています。洗顔やうがい、手洗いなどでも、目の前のことに集中する時間を作ると、新たな発見や興味を生み出すかもしれませんから実践してみる価値がありそうです。
40年前に卒業した大学の友達の一人は、栃木で僧侶をしています。実家が寺なのに教育学部に入学し、3年次の夏休みは京都でずっと修業漬けでした。ある寺の住職は、精神医学を学びたくて医学部に進学し、6年間医師として働いた後、寺を継いだといいます。大学で学んだ心理療法の一つでもあるマインドフルネスで経を極め、禅を身近に感じられるようにしているそうです。大学時代の友人の彼は今、どんな住職になっているのでしょう。
8月上旬に京都・東本願寺で得度式(とくどしき)が行われ、9歳の小学生28人も剃刀の儀を受けて僧侶になったという報道を見ました。子供たちが描く未来の自分の姿に、「僧侶」を挙げる子に未だ一度も出会ったことがありません。でも、実家が寺であるかどうかは関係なく、これだって立派な職業の一つ。瞑想や法話などをきっかけとして、仏道に目覚めることだって…?!
473 割り切る(24.9.13)
修学旅行は特に天気の心配をすることなく、笑顔で元気に帰って来られたという当たり前のことに胸をなでおろします。でも、何事もなく帰り着くのは、その裏側に様々な支援や配慮があるからに他なりません。自ずと担任の緊張感や責任感は、管理職とはまた別物。泊数が増えれば、それに比例するようにプレッシャーは増大します。だから、担任として引率していたころは、たくさんの出迎えの保護者から感謝の言葉をいただくだけで報われた気がしたのです。
さて、泊を伴う学習があると、大きいバッグを持って電車に乗ります。ずっと手に下げたり肩にかけたりしているのは疲れますから、たとえ座れても網棚(今は荷棚という?)に載せてしまいます。ただ最近は、荷棚に荷物やカバンが載っているのを見かけることは稀です。大きなドラムバッグを足元に置く人を見かけますが、必然的に足を開く形になりますから、他者からは迷惑行為と映る場面も少なくないわけです。
数年前に約500人に行った、「通勤電車で荷棚(網棚)を利用しますか」というアンケートでは、「基本的に利用しない」と答えた人が56%でした。理由は、「忘れそう」「手元にないと不安」「高くて使いづらい」「落ちたら嫌」と続きます。昔より情報管理が厳しくなっていることもあって、カバンを置き忘れたらビジネスマンには致命傷です。また、昔は手提げカバン主流でしたが、今はリュックタイプ全盛期ですから、荷棚に載せる必要性もなくなっているからかもしれません。
修学旅行に戻りますが、いろは坂途中の明智平駐車場で子供たちのロープウェイ到着を待つ間、夫婦でドライブしていた方と立ち話に興じてしまいました。2人乗りのロードスターに乗っていて、別にもう1台所有していると言います。なぜなら、奥様に「買い物袋すら載せられない」と言われるくらい割り切った趣味グルマだから。でも、ある意味うらやましい。
割り切って電車の荷棚もなくしてしまえば、その空間は別の用途が見えてくるかもしれません。旅行の荷物だって割り切ってミニマムにすれば、スペースも取りませんし軽々とは思いますが…。
472 桃と西瓜と米と(24.9.12)
わかってはいるのに、昨日の奥日光の朝のヒンヤリした気持ちよさと比べてしまって恋しくなります。この暑さは、いつまで続くのでしょう。
8月後半から出回った「川中島白桃」。大玉で食べ応えのある食感が特徴です。また、皇室に献上される最高峰の桃として知られるのが「あかつき」。糖度が高いが値段も高い品種です。ともに、山梨・山形・長野・福島でシェアを分け合うように生産されています。ただ、旬を逃すと他の果物同様、なかなか口には入らなくなります。
そんな中、割と長く出回っているのがスイカ。熊本から富里、山形など、列島を縦断するように産地を変えながらスーパーに並びます。でも、蝉時雨を聞きながら縁側に腰かけてかぶりつき、種子を口から放り出す場所を気にすることなんてなかった光景は消えてしまいました。もしかすると、スイカの原型や冷蔵庫に入りきらないくらい大きいことを知らない子供もいるかもしれないと思ってしまいます。だって、スーパーやコンビニで売られるスイカは、すでに何等分かに切られていたり小さな破片となって容器に詰められたりしているのが当たり前となってしまっていますから…。
一方、7月下旬頃からコメが品薄になっています。スーパーの棚が空っぽだったり「一家族1袋まで」の貼紙があったり…。昨年の猛暑によるコメの不作と流通量の減少、災害に備えた買い占め、あるいはインバウンド需要が原因といわれますが、食卓と家計への影響は決して小さくありません。新米が出回るこの時期、量の少なさと店頭価格にみんな目を丸くしているのでは?
総じて私たちの生活は、「食」と切っても切り離すことができません。だから、「いただきます」「ごちそうさま」の言葉は、生産や流通に携わる人あるいは食材そのものへの感謝でもあると言われます。子供たちが学びを通して実感する努力や苦労、人の想いにより、食への意識が今以上に高まるといいなぁ。
471 洒落っ気(24.9.11)
福岡県にある会社が世に送り出す製品の名前がとてもユニークです。義理と人情を経営方針にする産業機械メーカーで、農林業や土木分野の作業車・運搬車を製造販売しています。自分たちが作った機械に愛着が持てるようにと考えられたネーミングは、「草刈機まさお」「安全湿地帯」「芝耕作」など、知っている人ならクスッと笑えます。顧客のニーズや心に潜む声を拾って開発されているので、使う人の身になっていて使い勝手が抜群だと評判なのだそうです。
一方、「殺気」(ころっけ)、「熱中症」(ね、チュウしよ?)、「姿」(じじょ)、「背中」(はいちゅう)、「小川」(ちいかわ)、「助手」(たすけて)、「ほうかごに友達と遊ぶ」(放火後)、「ゆでたまごを食べる」(茹でた孫)…。これらは、実際にあったテストの珍解答らしいです。洒落っ気や遊びゴコロが感じられます。採点者が赤ペンで添える粋なコメントがあれば、両者の距離感がぐんと縮まるような気もします。6年生の教室廊下に、漢字50問テストをわざと間違えた答にして貼ってみました。気づいてくれたようですが、意味の通じる誤解答ってすごく難しい!フル回転させた数十分でした。
さて、こんな小噺のような会話もあります。電車に乗っていると、おじさん二人が何やら話をしています。A「俺の会社、ブラックなんだよな~」 B「えっ?色があるだけいいじゃないか」 A「ああ、お前はむしょくか」というもの。実際これは困りものですが、日常の中の笑いは気持ちにゆとりを生み出すと思うのです。
シルバー川柳もユーモアがたっぷり。「改札を 通れずよく見りゃ 診察券」、「LED 使い切るまで 無い寿命」、「恋かなと 思っていたら 不整脈」。どれも笑えるけれど痛々しい?!
今日は修学旅行2日目。ホテルやバスの中、6年生が帰宅した家、そして平田小のどの学級でも、明るく笑いがあふれる一日でありますように!東照大権現様、よろしくお願いします。
470 本当に必要なこと(24.9.10)
パラリンピックが終わりました。車いすラグビーでは、悲願の金メダルとなりました。オリ・パラともに、柔道選手の活躍が記憶に新しいところですが、開催国のフランスも柔道大国として知られます。競技人口は日本の4倍以上で、小学校では柔道が必修科目となっている学校も多いそうです。そして、競技人口の4分の3が日本でいう小学校高学年の子供だというから驚きです。元サッカー選手のジダン氏やNBAフォーニエ選手なども、子供のころに柔道をやって、体の強さや転び方を覚え、専門種目に移っていくというように、独自の強化策となっています。また、道徳の一つとしても確立しているようで、様々な可能性を秘めた子供たちに本当に必要なことって何なのかを改めて考えさせられます。
小学4年生の時の担任は、今思い返すと社会科を専門にしていたようです。同窓会グループラインでは、社会科のレポートで苦しめられた思い出が語られました。様々な資料から仮説を立てたり証明をしたり、4年生には高すぎるハードルを越えるように求めていたようです。おそらくその先生が考える「将来必要となる学力」だったのかもしれません。だからか、NHK教養番組やドキュメンタリー番組を観ることも宿題でした。その一つが『明るい農村』。1963(昭和38)年にスタートして、22年間続いた番組。高度成長期真っ只中において抱える農業の課題や食の流通などが取り上げられて、視聴率15%以上もある朝の定番でした。でも毎朝視聴してから登校なんて、私には無理でした。
もう一つが『新日本紀行』です。こちらは月曜夜放送で、1963年から約19年続いた本格的な紀行番組だったようです。きちんと観ていなかったので、冨田勲さんのテーマ音楽くらいなら、聴けばおぼろげながら…。先生!全然身につきませんでした、ごめんなさい。
今日から1泊で日光修学旅行です。昨年は12月中旬にスライドしたため、どこも貸し切り状態でした。今年は紅葉にはまだまだ早いですが、東照宮など巡ってきます。子供たちの心に残る景色や場面は、教員の想うところとは少し違いそうです。それもまたよし!行ってきます。子供たちの様子は、写真でお伝えします。
469 レコーディング(24.9.9)
アメリカのロックバンド「TOTO」が来日した時、トイレの便器を見たときに感激したという随分昔の話を急に思い出しました。水洗トイレが当たり前となった現在、より清潔で快適な機能が求められているようで、「TOTO」と「INAX(リクシル)」の2大メーカーがしのぎを削ります。
WCとかお手洗い、便所、化粧室など、施設や店舗によって表示も様々なトイレ。表す言葉が、なんと千種類もあるというから驚きです。厠(川の上に板を渡して、その上で用を足していた時代の「川の上の小屋」「川屋」が転じた表現)、ご不浄(排泄物は不浄、つまり汚れたものとされることから)、憚(用を足す場所へ行く行為は恥ずかしいと捉えられ、人目をはばかる必要があるから)、雪隠(せっちん)といった古い響きを耳にしたことのある人はいるでしょうが、次の言い方は隠語であるといい、初めて聞きました。
その一つ目が「高野山」です。高野山の僧侶は、仏門に入るときに髪を剃ることから、「髪を落とす」が転じて「紙を落とす」となってトイレを表すのだそうです。もう一つが「レコーディング」。どういうことかと考えましたが、何のことはなく単なるダジャレ。レコーディングは録音をしますから、「音入れ=おトイレ」となると知って納得です。
海外のトイレにも特徴があります。中国には、ドアや壁がない「ニーハオトイレ」と呼ばれるトイレが今も残っているといいます。壁に背を向け、通路側に向かって屈んで利用するため相手の顔が見える状態ですから、かなり勇気がいりそう。夢の中で行くトイレも同じで、結局用を足せずに出てしまうのですが、それはそれでよいのかも…。
たくさん汗をかく夏場は、小用回数の減少が顕著です。ただ、アラートの出るような日のトイレは、暑すぎて入るのが憚られます。まさに、「憚(はばかり)」状態。さらに、座って用を足す場合、腰を上げる時にお尻が便座にくっついて、少し持ち上がるなんてことも。だから夏の快適機能もぜひご検討願います!2大メーカー様。
468 雷鳴が聞こえたら…(24.9.6)
集団での手遊びに「おちたおちた」があります。園児にもできますしキャンプファイヤーでも行われる簡単なゲームです。リーダーが言う言葉に合わせて、みんなが決まったポーズをして楽しむもの。落ちるものは「りんご」「かみなり」「ゲンコツ」の3つで、それぞれ手を出して受け取ったり、へそや頭を守ったりするという決められたポーズをとるのがルール。
でも現在、親や先生からゲンコツで頭を殴られれば虐待・体罰とされますからゲンコツが振り下ろされる場面を目にすることは滅多にないでしょう。また、雷鳴轟く日が少なくありませんが、雷が鳴っておへそを隠す子がどれだけいるでしょう。特に、雷鳴でへそ隠しする行為の意味を知る子はいないのでは?
諸説ありますが、雷が鳴ったりゲリラ豪雨がやってきたりするときは空気がひんやりします。雷を発生させる積乱雲から吹く冷たい風です。そこで、お腹を冷やさないように子供たちを戒めるため、「雷様がおへそを取りに来る」と昔の人は言ったのです。へそを取られては大変なので、シャツをズボンに入れて隠したり手で隠したりしたというわけです。
腹巻だって腹を冷やさない有効な手立てです。バカボンのパパやフーテンの寅さんはその代表的な存在です。私も寝ているときにお腹を冷やさないように、子供のころ腹巻をしていました。今でもパジャマの中にシャツの裾をインするのは、昭和の定番を引き継ぐ名残りかもしれません。でも、それを笑う妻!
昭和の定番といえば、旅行の思い出にお土産に買ったペナントもその一つ。二等辺三角形の旗は、どこの土産屋でも扱っていました。当然、修学旅行でも買い、部屋の壁に画鋲で飾ったのは言うまでもないこと。また、山へ行けば金属製のピンバッジを買って、帽子の横から後方までを囲むように取り付けました。引率して日光へ修学旅行に出かけたことは20回を下りませんが、記憶を遡っても土産物店でペナントなどを見かけたことはないと思います。
467 唐揚げとビール(24.9.5)
朝が過ごしやすくなった今週は、ずっと腰痛に悩まされています。左臀部や大腿部から腰にかけて痺れるような痛みも走ります。歩くには支障ありませんが、洗面やトイレでの着座、ズボンの着脱などに一苦労。靴下を履くだけでも優に1分はかかりますし、寝返りも慎重になります。修学旅行までには…。
さて、長期休業中の職員の飼育当番が私は嫌いでした。空腹からか人恋しさからかわかりませんが、ニワトリが狂暴になるからです。餌をもらえると思うや一気に集まって足を突きます。餌皿を地面に置こうとすると、「ちょっと待て!」という声を無視して、猛然と襲いかかるのですから恐怖以外何物でもありません。でも、金網越しに聞こえる幼子二人の「がんばって!」の声に勇敢な姿を見せようと必死だったのを思い出します。
家の近くの小学校には歩道沿いに鶏小屋があり、4羽のニワトリが飼育されています。この小屋の金網に、おやじの会をはじめ学校協力団体のポスターが何枚か貼ってありますが、その中に駅前の唐揚げ専門店のポスターもあるではないですか。鶏小屋に鶏唐揚げ店の宣伝って…、気になりだすと凄く複雑な心境です!
唐揚げに合うのが夏のビールで、最高においしい!何杯でもいけそうですが、身体と家計がそれを許しません。たまに自分へのご褒美と称して飲む「SPRING VALLEY サマークラフトエール」が特にいい!夏限定で、トロピカルフルーツのような香り。ちょっとお高いですが、このシリーズは裏切りません。(※どれも個人の感想です)
ところで、家で飲むビールが瓶だったのはいつまででしょう。近所の酒屋からケースで配達でした。1980年代前半の缶ビールの比率は一桁台でしたが、1995年には瓶を逆転しています。その頃からなのか缶に切り替えたことで、空き瓶ケースのスペースを心配しなくてよくなりました。先日の懇親会で、久しぶりに瓶ビールを持ってお酌してまわりました。そういえば、別の日にある店の冷蔵ケースに瓶のコカ・コーラを見つけたときも不思議と嬉しい気持ちになりました。
466 傘(24.9.4)
夏休みに人間ドックを受診しました。ここ数年、市の集団検診で済ませてきましたが、病気の巣窟みたいな体なのでしっかり診てもらわないということで…。以前の病院とは異なるからなのか、時代の流れなのかは不明ですが、着替えるとタブレットを渡されます。空いている検査室へ誘導してくれて、呼び出しもタブレット上に表示されます。前はどこの検査室から呼ばれるかわかりませんし、難聴の私は名前を呼ばれたことを聞き逃さないように、神経をすり減らす数時間でした。でも、今回はストレスフリー!また、内視鏡検査(胃カメラ)を初体験。不安で押し潰されそうだったにもかかわらず、終わったことすら気づかない有様。鎮静剤投与しさえすれば、バリウム検査より絶対オススメかも。
さて、雨の日に人がすれ違う時は、双方が傘をさして自然とぶつからないような所作をするものです。一方、日光を遮るために日傘を目深にさす人を見かけますが、これが厄介!紫外線を少しでも避けようと目深に差すので前方がよく見えないためか、顔の脇を傘の端が擦るように通ったり、肩にぶつかったりすることもあります。自動車・自転車の運転同様、前・後方の確認は怠らないようにしてほしいものです。
こうした傘は、平安時代ころに中国から伝来しました。高価だったので権力の象徴でもあり、貴族や高僧のために従者が日除け・魔除けのために差し掛けていたのです。また、開いたままで閉じることができない仕組みでした。日本で最も古いものは、民話『かさじぞう』でお地蔵さんの頭に被らせて雨雪を凌いだ「笠」かもしれません。ただ、和傘に至っては、「番傘」や北原白秋の『あめふり』で歌われる「蛇の目傘」、「端折傘」が広く知られていますが、雨傘として一般の人々に広まったのは、江戸時代中期とされています。香取市佐原地区で製作される「佐原傘」は千葉県の伝統工芸品になっています。
ビニール傘が登場したのは1958年。その数年後の東京オリンピック観戦のために来日していた外国のバイヤーの目に留まり、ニューヨークでヒットして世界に広がりました。そして現在!来客用玄関には十本近くあって、どれが誰のものかわからない状態ですし、強い雨風の後は、路上に無残な姿で置き去られる様が痛々しく不憫です。
465 ごはんのおかず(24.9.3)
車で出かけて、遥か彼方であっても水平線や白い波が見えると「あっ、海だ!」と、自然と声が漏れてしまいます。周囲を山で囲まれた道を走れば旅行気分に浸れるのと同じように、海が見えると泳ぐわけでもないのに高揚感に包まれるのが不思議です。あぁ、最後に水着を着たのはいつだろう?もう海で泳ぐことなんてないのだろうなぁと思うと一抹の寂しさが…。
たまに行くラーメンチェーン店は早くて安いので、簡単にお腹を満たすならちょうどよいのです。でも、ある日その前を通りかかると、内装が取り壊されている最中。結構客が入っていたように思いましたが、つぶれてしまったようです。最近はロボットが料理を運んでいました。人件費削減とはいえ、人間が行うサービスは期待できなくなります。無機質で充足感がありませんから、安いだけなら「ここじゃなくてもいいか」と心満たされず客足が遠のく原因になったのかもしれません。2か月後の今週末、やっぱりそこにはラーメン店が開店。
さて、ごはんやパンの主食に、「おかず」がテーブルに副えられます。この「おかず」ってどういう意味か考えたこともありませんでしたが、ある時、ふと疑問を抱いたのです。「おかず」とは、副食や惣菜のことで、食事の献立の中で主に米飯の主食に付け合わせて食べる料理全般を指す言葉と説明があります。主食の周りを囲むようにして置かれて、古くは「御回り」「御巡り」と呼ばれたことからもイメージできるように、「おかず」は主食を囲む程度の品数が必要になります。つまり、「数を取りそろえる」を語源として、漢字では「御数」と書くようです。「おでん」「おから」「おはぎ」「おじや」「おかき」「おこわ」「おむすび」などと同様、室町時代に使われた言葉だそうです。
昨日の始業式では、涼しい体育館で「いのち」「今ここにいるだけで素晴らしいこと」について、画像や詩を交えて話しました。そんなかけがえのない存在である子供たちが一生懸命取り組んだ夏休みの作品が、校内のあちこちで見られるようになります。数ある力作を「おかず」にしながら、子供たちの2学期のスタートをしっかり目に焼き付けるべく校内を「御巡り」します。
464 オリンピック精神(24.9.2)
ある日、翌日の天気予報をスマホで確認すると、居住市の最高気温が40℃と表示されています。こんな数字を初めてです。そんな酷暑の夏休みは、様々なスポーツの熱い戦いに始まり、そしてパリオリンピックや甲子園大会の余韻、パラリンピック開幕の中終わったような気がします。特に、8月の声を聞くと駆け足に時間が過ぎていき、宿題はないものの気持ちが焦るのは大人も子供も関係ないようです。
高校野球千葉県大会決勝は、タイブレークの延長10回の攻防にモヤモヤを残した試合でした。五輪開幕前に行われたサッカー予選は3連勝。続く準々決勝のオフサイド判定には様々な意見が飛び交いました。それでも木村選手は大活躍。日本最初の金メダルは、柔道48キロ級の角田夏実選手。八千代市出身なのでLineのグループメールでは大いに盛り上がりました。一方、2連覇を果たした阿部一二三選手を、将棋の加藤一二三棋士の愛称「ひふみん」と呼ぶ者がそばにいるから紛らわしい!
さて、岸本佐知子さんの著した『ねにもつタイプ』という本に、「裏五輪」と題したエッセイがあります。いきなり“オリンピックが嫌いだ”で始まります。朝から晩までオリンピックばかりになることやメダルの獲得数に固執することを理由に挙げ、“そもそもスポーツが嫌いだ”と言うのです。例えば、レスリング競技を“互いの体の臭い部分を無理やり嗅がせあった”のが起源に違いないとする発想には笑いがこぼれます。
オリンピックが始まる前のメダル獲得への期待と結果のギャップは、報道の取り上げ方に顕著に表れます。メダルを取った選手はヒーロー・ヒロインとなってTV画面に連日映し出されます。マイナーな競技にもスポットが当たります。逆に結果が伴わないと、「芸能人格付けランキング」よろしく、映す価値がないかのように存在自体亡き者にされがちです。胴上げしておいて手を放したようなもので、失礼な感じ。ぜひとも、メダルにこだわりすぎた番組構成はやめにしてほしいと思います。
だから、冒頭の岸本さんが提唱する“メダルも金・銀・銅はやめにして、一位どんぐり、二位煮干し、三位セミの脱け殻とかにする”意見に大賛成!そうすれば、勝ち負けにこだわること自体馬鹿げて思えて、「参加することに意義がある」というむか~しのオリンピック精神に立ち戻れるのでは…。
さて、2学期スタートの今日は予想に反してよい天気。子供たちの胸にどんぐりや煮干し、セミの脱け殻を見つけようと思います。
463 夏の終わりに(24.8.30)
お盆明けの夜、急に雷鳴がとどろいたかと思うと大粒の雨が降り出しました。雨戸を叩く音でわかります。暗い廊下の窓越しに見える閃光は、まさしくホーンテッドマンションです!半世紀前は、雷が落ちるとよく停電しました。だから長めのロウソクは家庭の必需品でした。今は、お寺ですら電気でチラチラ動く偽ロウソクを使っているほどですから、ロウソクやマッチがない家庭ばかりかも。だから災害に備えて、ドラッグストアのロウソクセットは売り切れでした。
児童文学作家の矢玉四郎さんが80歳で亡くなりました。『はれときどきぶた』など、著書を手に取ったことがあるかもしれません。図書室にあった4冊を拝借して校長室前に展示してみました。懐かしくて、1冊読んでみました。“ぼくは、畠山則安。三年三組。あだ名は、十円やす”というお決まりの文句から始まります。新学期は、何かと配付物が多くあるので、職員室前に取りにくる子がたくさんいます。横目で見るだけでもよいので気づいてくれたらうれしいです。手に取って読んでくれたらもっとうれしい!
もう1冊は、『こころってなんだろう』(細川貂々 著)です。心はいつどうやって生まれるのか、どうして揺れ動くのか、そうした葛藤に対する気づきが大人にも子供にもきっとあるはずです。
来週からの新学期に合わせるかのようにゆっくりと近づく台風。その影響がとても心配です。最新の情報を収集しながら、新たなスタートにも余念なく…。そして、それぞれの心の動きにも敏感でありたいと思います。
462 感動(24.8.28)
台風10号が自転車並みの遅さで近づいています。先週後半、鴨川市の棚田で稲刈りをする家族集団がいくつも見られました。その一つである大山千枚田は、黄金色に染まってとてもきれい。途中、小湊鉄道の踏切を何度か渡りましたが、教科書にあった『加代の四季』の「春は線路からやってくる」という一節を思い出しました。線路や枕木の周りに鬱蒼と草が生い茂る様は、ジブリアニメの世界ようでちょっと感動でした。
時同じくして、高校野球甲子園大会の決勝戦が行われました。決勝史上初の延長タイブレークの末、京都国際高校が初優勝。校歌斉唱の時に、準優勝校・関東第一のアルプススタンドから手拍子が送られ、相手へのリスペクトが感じられました。実はこの手拍子、大社高校の大応援団が、準決勝の勝者・神村学園に送ったことが始まり。その後、関東第一に敗れた神村学園にのバトンとなり、決勝後の関東第一へと受け継がれていったのです。まさに青春!様々な思いが凝縮された一場面に感動です。いくつになっても、純粋さを失わないでいたいと思います。
今大会は、韓国語の校歌や決勝戦のタイブレークに様々な意見が聞かれましたが、次のような素敵な提案もあり、これには大賛成!「甲子園では、負けたチームを讃えて校歌斉唱をする」というもの。こうすれば全校の校歌が甲子園に流れます。決勝では、両校の校歌が歌われれば全校歌の制覇です。よいアイディアだと思ったのですが、きれい事だと切り捨てられてしまうでしょうか。
スポーツでも音楽でもなんでも、真剣に取り組む姿に感動して鳥肌が立つこと、時に涙がこぼれることがあります。平田っ子のそんな姿がたくさん見られる秋冬でありたいと願っています。
461 嫌~な虫(24.8.26)
スズメバチや蚊、カメムシ、カミキリムシ、コガネムシなど、夏場の嫌な虫は数々ありますが、これ以上のものはないというのが水虫!しかも季節は関係なく寄生されるからタチが悪い。そんな水虫に、現在も悩んでいる大人や子供は少なくないはずです。
何を隠そう、私も小学生のころから20年近くお付き合いしました。足にできて痒くなる場合もあれば、爪が侵されたり皮膚がボロボロと剥けたりするのです。終いには、左手にまで感染して病院通いでした。新京成線に乗り換えて行った病院もあれば、成田山へ向かう道を歩いて通った病院もあります。澱のような感情を引きずる足取りは重く、一人寂しく電車を乗り継いで通院していました。
何より人前で靴下を脱ぐのが一番嫌でした。小学校の水泳や中学校の剣道部は裸足です。高校の体育授業のレスリングでは、マットに四つん這いになって後ろから攻める態勢から始まるので、どうやって足裏を隠そうかとそっちにばかり気が奪われてしまうわけです。
どんなにこまめに薬を塗ろうが何をしようが治らなかったのに、今の家のそばの皮膚科に通ったら完治です。飲み薬も服用しましたが、どうしてこんな変化が?ただ、心のつかえがとれたというか、気分が晴れたというか、裸足になることも厭わなくなりました。しっかり治療すれば治せる病気であることを感じました。今まさに悩んでいる子(人)がいたら、安心させてあげたい!大丈夫!
日本皮膚科医会の調査では、皮膚科を受診した患者の16.6%が潜在罹患者だといいます。また、水虫にならないための留意点も上げています。バスマットなどを介して感染が広がりますが、感染成功まで1~2日かかるため、寝る前にタオルで足をぬぐうだけでも予防になるそうです。そういえば、コロナ前に通っていたジムの風呂に入っていたことがおそらく原因で、水虫をうつされたことを思い出しました。もうあんな肩身の狭い思いはまっぴらごめんです。
いよいよ夏休み最後の一週間!晴れ晴れとした気持ちで9月を迎えるためにどうする?
460 まどろむ(24.8.19)
テレビで管楽器の五重奏を横目で見ながら、画面に目が吸い込まれます。だって楽譜がタブレットなのです。時代を感じたワンシーンでした。
さて、熱中症警戒アラートが連日発令される昨今は、暑すぎて屋外に出られず、必然的にウクレレの練習に割く時間が長くなります。毎日続けることで、上達を感じられるからうれしいものです。7月のとある日に、弦を張り替えるために教室のある楽器店に行きました。顔馴染みの店員さんが、「9月にサークルの発表会をショッピングセンターの広場で行うのですが、レッスンしている曲を発表してみませんか」とお誘いの言葉をいただきました。楽器店としてみれば、宣伝効果を期待してのことでしょうが、スマホに録音して聴いてみるとたどたどしくて人様に聴かせられるレベルではありません。ましてや、「間違えたらどうしよう」という緊張感は半端ではないはず。夜遅く奏でる音で妻がまどろむ程度の演奏が精一杯です。日頃から子供にも職員にも、「失敗して学ぶことがたくさんあるからチャレンジを!」と呼びかけている自分は、頑なに守りに徹していて情けない。
「まどろむ」といえば、午後の会議などに講演などあろうものなら、睡魔との闘いにどう備えるかを考えてしまいます。運悪く最前列だったり講師から見えやすかったりすると、舟を漕がないよう、気絶しないように必死になった経験が一度はあるものです。
ベッドに横になった途端に寝ていたなんていうこともきっとあるはず。寝つきがよいと思われがちですが、どうもそうではないようです。人間の大脳は大きいため、寝つくまでにおよそ10分程度かかるのが正常な睡眠リズムだといいます。だから、まどろむこともなくあっという間に寝ていたという状態は「気絶」なのだと聞いたことがあります。当然、良質の睡眠とは言えません。二度寝してしまうような場合や目覚めたともぼんやりしてしまう感覚が伴うときも、体が早寝を求めているサインと考えるとよさそうです。
8月後半も、まだまだエアコンと扇風機を一晩中動かして眠りにつくような寝苦しい日が多そうです。夏休み残り3分の1が始まった今日を、お盆休みが明けた今日を、どう過ごしますか?