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校長室から
520 できることは増える(24.11.25)
1週間前に1,2年生の算数科授業研究会を行いました。事前授業も含め、全員が1回は展開をしています。講師の先生からは、「今日の授業を通して何が見えるようになったか」を意識することで学びが深まるという話に首肯しています。これは、必ずしも授業だけではないかもしれません。視野を広げたり、着眼点が明らかになったり、新たな気づきが生まれたりするのは、学級や家庭での声かけ次第ともいえそうです。
この日、「たし算九九」や「ひき算九九」があることを初めて知りました。「かけ算九九」は当たり前でしたが、私たちはこれらを知らず知らずに暗記して、数の感覚として身につけ、暗算しているなんて凄いと思いませんか。
さて、我が子たちが幼かったころのビデオ映像をDVDに編集したのに、どんな機器を使っても再生されずに諦めて20年くらい過ぎるでしょうか。でも、これを蘇らせてくれた業者がありました。約5時間にもわたる宝物ともいえる映像が、DVD3本に記録されて手元にやってきたのです。早速再生です。さすがに30年以上も前の機器による撮影ですから、映像は現在のような鮮明さに及ぶはずもなく、粗いの一言。でも、新米パパと新米ママの若さだけではなく、様々な想いがぎっしりと詰まって見えます。映画でも2時間あると飽きてしまう場合がありますが、そういった気持ちは全然起こりません。子供たちが獲得していく芸を、何とか記録に残そうと必死になっていることが窺えるから笑えます。半年とか1年とかいう長いスパンではなく、わずかの間にできることがどんどん増えていることがわかります。それを楽しみ愛おしく思う私たち夫婦。
小学校に入学したての1年生から卒業間近の6年生まで、変化の幅に差はあっても、一人一人の変容にきちんと気づいて喜べる大人でありたいと思います。特に、「心」「気持ち」「意欲」といった目には見えにくい部分こそ気づいてあげられるように…。
519 谷川俊太郎さんを偲ぶ(24.11.22)
娘の家から引越してきたクリスマスツリーを押入れから出して、新しいオーナメントを飾りつけました。ショッピングセンターもクリスマスと正月が一緒にやってきた賑やかさです。家でも外出先でも、大人も子供も、見ているだけでワクワクする気持ちになるから不思議です。逆に、カレンダーを眺めていると落ち着かない気持ちになってしまう時季です。
先週末は、膝痛がだいぶよくなって、ウォーキングしようという気持ちになりました。色づく木々や色とりどりの花を見ながら、歩くという当たり前の行為が普通にできる悦びに改めて気づかされました。そこで、先日亡くなった谷川俊太郎さんを偲び、詩『生きる』風に表現してみました。
膝が痛くないこと いま普通に歩けるということ
それは、立ったままズボンや靴下が
履けるということ
便座に尻もちをつくような状態で
座らなくてもよいということ
膝が痛くないこと いま普通に歩けるということ
それは、点滅を気にせず横断歩道を
わたりきることができるということ
グーグルマップの示す予想時間内に
目的地まで行けるということ
膝が痛くないこと いま普通に歩けるということ
それは、手に取りたいものに近づいて
すぐに手の中に入れられるということ
手すりやエスカレーターの有難みを
忘れてもよいということ
そもそも、外出しようという
気持ちにさせるということ
膝が痛くないこと いま普通に歩けるということ
それは、自分の足で歩くことの尊さに
気づくということ
校外学習の引率ができるということ
3階の教室にも足を運んで、
子供たちを見られるということ
膝が痛くないこと いま普通に歩けるということ
それは、あなたにもっと近づけるということ
今日は授業参観。担任と保護者の気持ちが、子供を中心にもっと近づけるチャンスかも。来週は4,5年生の校外学習やたんぽぽ学級の合同学習発表会が予定されています。そして…11月が終わればカレンダーはあと1枚きりに。
518 その言葉、大丈夫?(24.11.21)
病院に設置された血圧計で計測をすると、日時が記録されてプリントアウトされます。整形外科を受診した際に打ち出された記録用紙を見て、思わずスマホを取り出してしまいました。だって、ポッキーの日(11月11日)の11時11分ではありませんか。勝手に特別感を抱き、きっとよいことがあるはずだという幻想にとらわれてしまうのは悪い癖!
数日後、足を引きずるようにして横断歩道を渡る際、普段なら余裕で渡れるのに、渡り終わらないうちに歩行者用信号が点滅しているではありませんか。歩くのが遅いお年寄りを見かけますが、焦る心境がわかる気がしました。「足を引きずるように」という部分を、「びっこを引きながら」と書こうと思って躊躇いました。差別語かもしれないと思ったからです。調べると、一般的には差別語とされているようです。
日本語は、世界でも豊かで美しい言語であると言われますから、元々の言葉自体に差別語はないと言ってよいのでしょう。要は使うときの問題。相手を疎外する意味で使えば、その言葉が差別語となりますし、相手が嫌な気持ちを抱く場合は、不快語と言えばよいのでしょうか。日常生活で使われるうちに知らず知らずと刷り込まれた用語も多くあります。心身や病気に関する用語に限ってみると、「めくら」「おし」「つんぼ」「かたわ」「気ちがい」「ちんば」など色々。令和の時代には聞かないものばかりでしょうが、私はよく耳にしていました。差別語の中に、「片手落ち」「手短か」等が見られますから注意が必要です。また、性別に関する差別語は、現在のジェンダーに通ずるものが多くみられます。
そういえば昔は、左利き(サウスポー)を「ぎっちょ」と言っていたのを知る世代は少ないでしょうが、これも差別語なのかもしれません。そんなことばかり考えてしまうと、慎重にならざるを得ず、何も言えなくなってしまいそう。でも、無意識ほど怖いものはありませんから…。
517 植物の秋(24.1.20)
近隣の田舎道を走ると、家の周りに色とりどりの小菊が咲いています。キク科の花は、空気をきれいにして悪いエネルギーを浄化したり、その場所のエネルギーを活性化させたりもする縁起のよい花だと考えられています。また、天皇の御紋に使われるほどの品格を備えた高貴な花で、不老長寿の意味をもつ菊は、おめでたい正月にピッタリと言えそうです。菊を飾ると「福が来る」「よい子が育つ」ともいわれるそうですから、小菊を摘んで小さな花瓶に生けるのもよいかも…。
急に気温が下がった昨日、朝の安全指導を兼ねて久しぶりに学校の周りをゴミ拾いして回りました。体育館奥の外環側の歩道は、2年前ほどではないものの弁当などのゴミがあちこちに散らばっています。背丈の伸びた草の中に足を踏み入れて、プラ容器やペットボトル、吸い殻などを袋の中へ。
ひと通り拾い上げて、戦利品ともいえるいっぱいに膨らんだゴミ袋に満足しながらズボンの裾に目をやると、1cmほどのシャーペンの芯状の種がびっしりとくっついています。草むらを見ればと、コセンダングサが生えています。「やっちまったぁ」と心の中で呟きます。ヘッツキ虫と呼ぶものの一種で、花が終わったばかりの時に摘んで、友達の服を的に見立てて投げて遊ぶ植物です。昨日に限って、スボンもジャケットも毛を多く含む暖かい素材だったのに不注意以外の何ものでもありません。手で払っただけでは落ちないので、部屋に戻ってゴミ箱を脇に侍らせ、一つ一つ摘まんではポイ!それにしても植物の仕組みって凄いと、感心しながら手を洗ったのです。
いま平田小では、風に飛ばされるプラタナスの枯れ葉に頭を悩ませます。きれいに色づかないまま茶色く枯れて、なかよし広場一面に広がるわ、歩道で吹き溜まりを作るわ。大きなままでかさばるし、掃いても掃いてもキリがありません。はて、どうしたものか。
516 合唱大好き(24.11.19)
先週行われた市川市児童生徒音楽会を見に行きました。2日間の午前・午後で、4部制による開催でした。文化会館のステージで歌う姿と聞こえてくる声は、学校の体育館に響いた歌声を遥かに超える、自信が感じられるものでした。透き通った声と人に伝えたいという想いをひしひしと感じたのです。他校が2曲発表する中、『HEIWAの鐘』というパワフルな1曲に絞った潔さもよかったのかもしれません。卒業式でまた子供たちの歌声を聴けると思うと期待感がムクムク。同時に、涙がこぼれてしまいそうな予感が…。そんなことを思いながら、音楽的センスに欠ける私が、14校の合唱を聴いた感想を偉そうに書きたいと思います。
まず、どの学校もピアノの伴奏が児童・生徒です。家で相当練習したのでしょう。歌う側は「伴奏は途切れない」ことが前提で、その信頼の上で成り立っていると思います。ですから、伴奏者のプレッシャーたるや半端ではないと勝手に想像し、尊敬の念を抱きます。伴奏者もさることながら、指揮者も全体のコーディネーターであり、エンターテイナーともいえそうです。ある中学校の指揮をした女子生徒は、クラスに一体感を生み出しているように見えましたし、とても楽しそうでした。
また、合唱ではスーパースターはいらないことを感じます。男声と女声の調和、声の厚みと深みなど、ハーモニーが聴く者にどのように届くかが大事。そういう意味で、今回6年生が何を感じたかを知りたいと思います。同じ小学生に、あるいは中学生の歌う姿に3年後に自分を重ねて、刺激を受けた子供たちがたくさんいたらうれしいです。
合唱大好き!歌う子供たちの表情を見ているのが大好き!というわけで、あっという間の2時間でした。
515 雪見だいふく(24.11.18)
林の中のナナカマドがきれいに色づいています。庭の万両や千両も赤みや黄色みが強くなってきて、深まる秋を感じながらの昨日の20℃超えにギャップを感じます。
朝食後に歯磨きをするために洗面所に行くと、少し間をおいて妻が「何?」と尋ねます。「いやいや、一言も発していないよ」「空耳じゃん?」と返してからふと気づきました。「ごちそうさま」を言い忘れていたことを。催促の「ん?」は、日常茶飯事。いばれることではありません。「阿吽の呼吸」とか「以心伝心」、「言わなくたって伝わっているはず」ではなく、きちんと声にすることを大事にしないと、家族という近しい関係だからこそ、崩れてしまって取り返しがつかなくなることだってあるかもしれません。ただ、言うは易し行うは難しデス。
さて最近、ロッテ『雪見だいふく』のテレビCMをよく見ます。この商品は、冬のイメージが強いせいでしょうか。1981年誕生といいますから、40年以上のロングセラーです。初代CM出演者は、伊藤つかささん(知らないだろうなぁ)。その後、中山美穂さんや榮倉奈々さん、土屋太鳳さんなども登場して、現在の森七菜さんに至ります。味も、最初の10年間はバニラだけでしたが、イチゴやチョコ、さらにマスカットやミルクティー、パンケーキ味まで出されているようです。子供のおやつとしての需要が減っていくにしたがって、ターゲット層を広げているようです。
そんな今日は、「雪見だいふくの日」です。11月は「いい」の語呂合わせで、18日である理由は、パッケージを開けた時のスティックと2つの大福で「18」に見えることからといいます。食べた人の心を包み、ほっこり真ん丸になりそうな雪見だいふくを今晩の食卓に乗せたら、一粒万倍日でもあるので、大きな「福」がやってくるかなぁ。
514 からだ元気かな?(24.11.15)
今月初めに休んだ後、6年生が廊下ですれ違いざまに、「体、大丈夫ですか?」と声をかけてくれました。気遣いができる人であることがうれしく思います。また、担任からも何らかの情報が伝わっていたのでしょうが、声にしてくれたことに感激です。こうした子供たちに囲まれているからこそ元気でいられるのかもしれません。
さて、足繁く通う図書館に行くと、カウンターのそばに「今年の漢字」一文字を募集する用紙が置かれています。来月9日までの公募で、12日に発表されるようです。AIによる概要欄には、不安定な世界情勢から平和を願う人が多いことから、「和」という文字を挙げています。
能登地震に始まった2024年。子供たち自身が、「自分の一年」を漢字で表すとしたら…。4年生以上の児童に理由も添えてアンケートをとってみたいと考えています。どれだけの回答があるかはわかりませんが、個々を振り返るよい機会になるかもしれませんし、大人側の発見や驚きなどを見つけられるかもしれません。
ちなみに私の場合、〈体〉という字が思い浮かびます。昨年末以降、ケガを含めて病院に何度行っただろうと指を折って数えます。健康であることの大切さや自分の体の管理の重要性を痛感する一年でした。毎朝飲む薬の数は、増えることはあっても減りそうもありませんし、来年になったら劇的に改善するというものでもありません。日々の努力あるいは不摂生は、確実に蓄積されて体にあらわれるのです。悲観的になりがちですが、ワクワクする毎日を希求する私の耳には、幼い娘が踊りながらよく歌ってくれた、ポンキッキで流れていたメロディーが聞こえてくるようです。
“♪からだ元気かな?みんな元気かな?…(略)…頭、おでこ、眉毛、目・目・目…、鼻、口、耳、頬、顎、顔、首、肩、オーライ!…♬”と。「大丈夫!」と胸を張って言えるように、今年の残った日々を頑張ります。
513 断捨離(24.11.14)
庭のアーチに這わせたLEDの電飾が寿命を迎えたため、新しいものに買い換えました。クリスマスシーズンには電飾屋敷が見られますが、我が家は一年中、電球色のライトがチラチラと瞬いています。なくても困らないものですが、あるとちょっとだけやさしい気持ちにさせてくれるような気がして…。防犯も兼ねた、庭の印象的な表情を演出します。近隣の小中学校のフェンスにも、先日大人や子供でソーラーイルミネーションの配線を施していました。自宅への道すがら、「おかえり」と迎えてもらっているような気分になります。
さて、やっと箪笥の衣替えをしました。とは言っても、クローゼットの衣装ケースにしまった冬物を引っ張り出して、箪笥内の半袖類と入れ替えるだけですから大した作業ではありません。でも、「あっ、そういえばこんな服を去年買ったっけ」なんて思い出す機会にもなります。
一方、クローゼットのアウターも増えるばかりです。通勤用のコートは5枚ありますし、ダウンやフリースジャケットほか、ワンシーズンでどれだけ手を通しただろうと思われるものも吊るされています。「新しいのを買うなら、着ないものを処分しないと入りきらなくなるよ」と言われますが、「いつか着るだろう」「まだ着られる」と決断が鈍ってしまう中、2着が息子のもとへ嫁いでいきました。
本棚の上や下にも商品が入っていたケースがいくつも置かれています。保証書や接続コードが収められていてなかなか捨てきれません。文庫本だって「また読むかもしれない」と思いながらも開いた例(ためし)はないわけで、まるごと図書館に寄贈されるタイミングを待っているような気がします。私の断捨離はいつ始まるのやら。
512 メンテナンス(24.11.13)
インドの首都ニューデリー周辺の大気汚染が深刻だという記事が、スモッグに覆われた街の写真とともに掲載されていました。呼吸器や耳鼻科系の不調を訴える人が増え、市民の平均寿命を10年以上短くしていると言われるほどだそうです。「雲一つない青空」は望むべくもなく、人口世界一の国は大気汚染でも中国を抜くという不名誉な状況。特に11月から1月という、今頃からの時期に悪化するといいます。
そんなことを考えながら、朝の肌寒さを感じながら思い切り吸い込む空気は、鼻が少しだけツンとして気持ちがよいものです。見上げた空が真っ青だと、自然と嬉しさがこみ上げます。ただ、寒くなったせいか、右足薬指に鈍痛があります。以前、放送室のスチール台に強打してひびが入ったと診断された場所。治ったはずなのにどうして?「冷え込む日は、古傷が痛むんだよね」と耳にすることがありますが、まさにそれかも。
そんなある日、膝痛で歩行困難な状態に…。手すりや壁につかまらないと階段の上り下りができません。どうしても電車で出かけなくてはいけない用事があった日曜日は、普段使わないエスカレーターやエレベーターをフル活用して、足を引きずるようにやっとの思いで目的地に赴き、家に帰り着いたのです。翌日病院では、筋損傷と診断をうけましたが、思い当たるフシはありません。老化のあらわれ?
気持ちよい澄んだ空気を思いきり吸い込んで、メンテナンスを兼ねて体の各部をきちんと動かし、油を差してあげないといけなさそうです。ただし、無理は禁物!これは、老いも若きも同じです。
511 短歌(24.11.12)
たまに新聞や雑誌などで名前を見ることのある歌人が木下龍也さん。学校に歌集を贈る活動をしたり、『あなたのための短歌集』を発行したりする気鋭の歌人だといいます。例えば、“教室を生き抜くための短歌をください”というリクエストに、〈違いとは間違いじゃない窓ひとつひとつに別の青空がある〉と返しています。高学年にもなると、ちょっと背中を押してもらえて、救われた気持ちになる子もいるかもしれません。航空大学校の卒業式で餞の詠(うた)にもなりそうなのが、〈思いきり翼をひろげきみはきみだけの空路を颯爽とゆく〉という作品。目の前に大きく広がる青空と未来が広がっている様子がうかがえます。
小学生も短歌を詠む機会があるかもしれません。俳句より難しいと思う人もいるかもしれません。でも、言葉を入れ替えたり、遠回りするような表現をすることで見えてくるものがあったり、自分を見つめ直すことができたりするのかもしれません。つまり短歌を作る時間は、ありのままの自分と向き合い、本当の自分に気づく時間になるのかもしれません。
新聞に投稿された現代短歌を、プロの選者が講評を交えて作品を紹介するコーナーを目にしますが、私はやっぱり俵万智さんの選んだ作品に親しみを感じてしまいます。好みは人それぞれです。
熱があって具合の悪かったある日の夕方、ウトウトしながら夢とうつつを行ったり来たり。ふと、「食べた食器、洗ったまま!」という妻の声が夢の中で聞こえます。キッチンの洗いかごに洗った食器を立てかけたままだったことを思い出して、慌ててベッドから起きだして拭いて食器棚にしまったのは言うまでもありません。いやだいやだ、その場にいない人間の声に動かされるなんて。それ以上に、いつも言われているのにできない自分もいやだ。こうした心の機微というか動きも短歌なら楽しく表現できそうな気がします。
510 シブがき隊(24.11.11)
10月下旬、プロ野球ドラフト会議が行われました。即戦力や将来性など様々な思惑やチーム事情が反映されます。このドラフト会議は、1965年の第1回から数えて60回目を迎えたそうで、これまでいろいろな事件やドラマがあシブがき隊りました。
半世紀近く前、作新学院で「怪物」と言われた江川卓さんは、指名球団への入団を拒否し、翌年のドラフト前日に巨人と電撃契約。他球団や世論から大バッシングでした。また、PL学園のチームメイトだった桑田真澄さんと清原和博さんもドラフトに翻弄された感じです。
今年も歓喜の姿が報道され、指名選手が続々と入団発表をすると思いますが、10年後にユニフォームを着ている保証はどこにもありません。それほどの生存率の低さに、栄光と挫折が交錯する厳しい世界ですが、それは野球界ばかりではありません。ちなみに、今回広島5位指名の菊地選手は鶴指小→第八中の出身だとか。
さて、6年生を対象に「シブがき隊」を結成しました。体育館外環側に生る柿の実を干し柿にして食べようというのが目的です。そこで先週、高枝ばさみを使って収穫。今日は、皮むきと紐で結わえる作業を家庭科室で14時半から1時間程度行いますが、ヘルプお願いできる方いらっしゃいませんか?
滅多にできないことを体験できる学校って楽しいと思うのです。これを機に毎年のイベントなると嬉しいなぁ。10年後も続いる保証はありませんが…。ちなみに、配付した募集用紙に、やっくん(薬丸裕英)・もっくん(本木雅弘)・ふっくん(布川敏和)3人の写真を入れたら、「写真の3人は誰ですか?」と尋ねられました。「昔のアイドルグループに、シブがき隊ってあったんだよ」と教えましたが、関心なさそう。募集のネーミングに粋を感じているのは私だけかもしれません。
509 恐怖漫画(24.11.8)
ユーキャン新語・流行語大賞にノミネートされた30語が発表されました。12月にはトップ10が発表されますが、流行ったと思われるほどのものは見つけられません。しかも、半分は今回初めて目にした言葉。不作なのか、私のアンテナの低さなのか?!
さて、漫画家の楳図かずお氏が亡くなりました。無邪気でパワフルな幼稚園児が主人公のギャグ漫画『まことちゃん』は大人気でした。手をパーの状態から中指と小指の2本だけを折るポーズと「グワシ!」というセリフは一世を風靡しました。このポーズ、未だに薬指まで動いてしまい、うまくできない私。でも、楳図作品といえば『漂流教室』に軍配を上げたくなります。元々ホラー漫画の旗手だった楳図氏が描く世界観は、小学生の私には怖いもの見たさ以外の何物でもありませんでした。床屋で一人順番待ちをしながらページをめくる店内に、ちあきなおみさんの『四つのお願い』が流れていたことまで思い出されます。おかげで、この歌まで怖いイメージがつきまといます。
一方、恐怖漫画というか心霊漫画の第一人者といえば、私の中ではつのだじろう氏です。『恐怖新聞』『うしろの百太郎』など大好きでしたし、心霊研究家としても活躍しました。怖いもの見たさ・聞きたさは、好奇心旺盛と言い換えればよく聞こえますが、「ぼっとん便所」に引きずり込まれるかもしれないと、行くのを躊躇ったあの頃…。そうそう、『インベーダー』という映画?の中では、「手を開いた状態で、小指だけを曲げられるのはインベーダー(侵略者)だ」と言われていたそうです。ご存じでした?
ところで、表題とした「恐怖漫画」を入力・変換すると、なんと「今日不満が」と表れました。入力ミスかと一瞬思いましたが…。決して不満はございません!
508 かわらけ(24.11.7)
6年生の歴史学習の導入で、市川市考古博物館学芸員さんにお願いして、今年も出前授業をしていただいたことは以前紹介しました。コロナ前は、貝塚の学習を兼ねて縄文土器を使ってアサリ汁を食べたこともあります。この縄文式土器が、人の生活の変化とともに弥生式土器へと変わっていくことも学びます。恒例の漢字クイズをしていたら、読めない漢字がありました。「土器」です。「どき」ではなく、4文字のふりがながある設定になっています。「かわらけ」と読むそうです。平安末期から江戸時代にかけて製作・使用された素焼きの土器のことで、主に椀や皿などを指します。
そういえば、茨城県稲敷市に大杉神社という場所があります。「悪縁切り」で有名で、一度行きました。心の中でまじないを唱え、土器(かわらけ)を御神石に向かって投げて叩き割ることで、悪い縁を断ち切るという神事です。でも何度投げても割れず、4~5回拾って戻っては繰り返す妻をゲラゲラと笑ってみていたのを思い出します。
今年最後の三連休最終日は、8割くらい体調が戻ったので、晴天に誘われるように茨城県笠間市へ車を走らせました。目的は秋の陶器市を見て回ること。これまでは益子ばかりでしたので、違った雰囲気を味わうために今回は笠間に。もう一つの目的はモンブラン。栗で有名な町なので、土産に買って帰ろうと考えたのです。でも、残念なことに持ち帰り用モンブランを見つけられず、かといってその場で食すために長蛇の列に並ぶのもはばかられ、焼き栗を一袋買っただけで…。
焼き物の産地は全国各地にあり、色鮮やかなものから素朴な色合いのものまで様々ですが、土の色や粒子感が感じられ、素焼きに近い飾らない陶器が私は好きです。立冬の今朝、買ったばかりのコーヒーカップのお披露目です。
507 子ども目線(24.11.6)
10年務めた幼稚園からこども園に異動して5年目の娘は、保育士としてベテランの域に入ろうとしています。今見ている年長のクラスでは、将棋が流行っているらしいのです。オセロでは負けない娘も、将棋になると勝手が違うようで、どの駒がどこへ動けるのか何度やってもさっぱりわからないと言います。ましてや裏返って赤い字が現れるとなおさらだとか。藤井聡太名人に触発された子もいるかもしれない中、適当に指してごまかそうとして子供に怒られる始末。本気でやっているかどうか肌で感じるようで、お見通しといった感じ?まるで、私と息子のカードゲーム対戦のようです。
さて、4歳と5歳の孫の姉弟を半日預かりました。近所の公園で追いかけっこや遊具遊びをしたあと、ドングリや松ぼっくり拾いに興じました。「小さい穴が開いていると、虫が入っているから拾わないようにしようね」と言うと、1つ1つ確認しながら「これはオッケー」と呟きながら小さな掌におさめます。そんな活動が延々と続きます。1時間も経ったでしょうか。遊び疲れて家に戻る途中、3歳前後の女の子が手を振りながら追いかけてきます。それを見て、「かわいいね」と言うのです。我々から見ると、「どっちもどっち」「ドングリの背比べ」なのに、小さな子には小さな子なりの世界観ととらえ方があるのだと新たな発見でした。
小学校で生活する子は6歳から12歳までいます。「まだ1年生だから」「もう6年生だから」と勝手に決めつけてコントロールしようとしたり、大人目線で物事を見て判断したりしがちですが、常に子供の目線に立って、正面から見つめること、信じることを忘れないようにしたいと思ったのです。
506 雨戸(24.11.5)
「しゃっくりを1秒で止める方法」という文字をSNSに発見。興味津々で読むと、“肛門を刺激します。指を肛門に入れて直腸をマッサージすると、迷走神経が刺激されて止まります。マジで効きます”と図解付きです。しゃっくりが何日も止まらずに困る人もいるようですから、試してみる価値はあるのでしょうが、私はノーサンキュー!
話は変わりますが、今は無き実家は平屋で、玄関以外に人が侵入できる場所が5か所もありました。闇バイトによる強盗事件が多発する現在なら、おちおち寛いでいられない造りです。当然、夜になると雨戸を閉めました。現在のようなシャッターではありません。戸袋(コブクロではありません)という何枚も雨戸が収まっているところに手を入れ、1枚ずつ引き出してはレールの上を滑らせて戸締りをします。最後の1枚にはカンヌキのようなものが設えられていて、木のレールに掘られた溝にそれを落とす仕組みです。8枚を閉める場所が1つ、4枚建てつけられている箇所が2つ、2枚建てつけが1つ。レールの滑りが悪くなったり、建付けが悪くなっていたりするとなかなか閉められません。温度や湿度などによる、雨戸のその日の機嫌にも左右されますから、結構重労働だったのです。
最近の新しい家は、電動シャッターが取り付けられています。音が静かで、力いらず。防犯性も高く、開け閉めの際に虫が侵入する心配もないといった利点ばかりです。我が家も交換したいなぁと思いつつ、「高価だし、まだまだ使える」と踏みとどまっています。ご近所には、夜でもシャッターを全く降ろさない家もあれば、昼間でもシャッターをほとんど開けていることを見ない家もあって、どちらも勝手な心配をしています。
505 ズルい(24.11.1)
一昨日から週末を含めて6連休となり、「いいなぁ」「ズルいなぁ」と声が聞こえてきそうです。大人子供関係なく、「○○でズルいよな~」なんて思うことがあります。羨ましいの裏返しで使うこともありますが、一般的に「ズルい」は自分を有利にするために、ごまかしたりだましたり、はたまた汚い手段を使ったりする様をいう言葉です。「こすい(狡い)」という言葉を昭和人は使いますが、悪賢いとかケチといった意味合いがあります。さらに、「あざとい」(浅はかでこざかしい・抜け目なく貪欲・あくどいの意)が使われることもあります。いずれにしても、相手を批判的にみる言葉であることに違いはありません。
でも近年は、「あざと可愛い」とか「可愛くてズルい」というような使われ方を耳にします。決して相手を非難するわけではなく、「不公平だよなぁ」「いいなぁ」という思いを持ちながら相手を褒めているわけです。
さて、今年も日テレの「カラダウィーク」が来週3日から始まります。これに関連して、情報番組内で「カラダ年齢チェック」をやっていました。バランスを取りながら、靴下を両足何秒で脱いで履けるかを計測するものです。HPに紹介されていますのでトライしてみては?用意するのは靴下だけ!
①両足に靴下を履き、気をつけの状態でスタンバイ。
②スタートの合図で、左足で片足立ち。右足の靴下を脱ぎ、靴下と両手で床にタッチ。再び右足の靴下を履く。
③今度は右足で片足立ち。左足と同じように、脱いで床タッチしてまた履く。
④両足立ちになり、気をつけの姿勢に戻って時間を計測する。
自分のかかった時間を選んで、診断をクリックすると、「30代後半」「50代前半」のように診断され、さらにおすすめの運動を動画で教えてくれるというもの。
毎朝の靴下を履く動作で、バランスを崩してケンケンしてしまうこともあります。そうならないように、ベッドのへりにもたれてフラフラしないようにしていますが、これこそズルい!
504 顔(24.10.31)
今週は自宅療養を医師から命じられ、髭も剃らないまま顔だけ洗って朝食です。何事もなき平和な一日であることを、ベッドの上から願っています。
やっと秋らしくなりました。昨日は体調が悪くて、病院まで暖房をつけて車を走らせました。それでもエアコンなしで車に乗れるようになったので、燃費が格段によくなりました。ある日、踏切でアイドリングストップが作動。上り下りの電車が交互にやってきても止まったまま。でも、さすがに耐えきれなくなったようで、急にエンジンが始動しました。すると助手席から、「ねぇ、地震!電車が行ったのにまだ揺れている」という声。エンジンがかかった振動を地震だと勘違いしたようです。平和です!(少し前も書いたような気が…?)
さて、そんな車のフロントマスクには表情があります。VWのある車種は、カールおじさんに見えますし、カエルや昆虫ほか、癒し系、怒り顔などに見えてしまいます。人間の心理現象の一つだともいわれ、「顔のパレイドリア現象」と呼ぶようです。車全体の印象に直結しますから、デザイナーの腕の見せどころでもありそうです。
ちなみに、踏切ですれ違った白のテスラ・モデル3。EVなので正面の外気導入のグリルがありません。それが私には、映画『犬神家の一族』の顔面に包帯を巻いた佐清(スケキヨ)さんに見えてしまうのです。そういう目で見て、もしよろしければ「あっ、スケキヨさんだ」と声にしてみてください。 最後に、白門に立って登校する児童を見守る朝の顔といったら、昨年度一度引退された千葉さん。今年度復帰して元気な声を響かせていらっしゃいましたが、寄る年波には勝てないとのことで、今日をもって勇退されます。全校には昨日放送で紹介しました。ありがとうございました。お元気で!
503 ちびくろ・さんぼ(24.10.30)
妻が先週末に具合が悪かったので、夕飯づくりです。一人でできるメニューは限定されるので、それ以外になると指導者を侍らせなければなりません。作ったのはマカロニグラタン!人生初で、ホワイトソースまで頑張りました。ただ、ナビの指示どおりに目的地に行くと道を覚えないのと同様、指示に従っているだけだと次に作れるかどうか…。でもスマホアプリという強い味方もいますから。
風邪がうつったみたいで、昨日から発熱。インフルじゃないといいけど。「おおきなかぶ」をもじるなら、私は妻からうつされて、妻は孫からうつされて、孫は幼稚園でうつされて…。ウントコショ・ドッコイショ、じじぃは元気ありません。
さて、マルチルームに集まって、仕分けされている図書の中に『ちびくろ・さんぼ』を見つけました。日本では昔、教科書にまで採用されるほど世界でも人気の絵本でした。しかしある時、黒人差別を助長するという理由で絶版となりました。日本でも1988年から復刻されるまで十数年を要したという歴史があります。
先の見つけた本に『ちびくろ・さんぼ2』があるではないですか。初めてみました。〈さんぼ〉に二人の弟〈うーふ〉と〈むーふ〉が生まれます。でも、サルに高いヤシの木の上にさらわれます。そこへ大きなワシがやってきて助けてくれたのです。ワシへのお礼に、なんと羊のあしを2本あげたというからリアルでビックリです。一方、さんぼの家では羊肉をあげてしまったので、ホットケーキをいっぱい作ったという、1巻とつながるような展開でした。校長室前に2冊とも置きましたので、ぜひ手に取って読んでほしいものです。
学校で読み聞かせをしたら、子供たちは肌の色に反応を示すのかなぁ。多様性が叫ばれる時代に…。
502 本格的な秋へ(24.10.29)
暑かったり寒かったりが繰り返されるので、半袖の服やパジャマをまだ仕舞えずにいます。逆に、タンスやクローゼットの衣替えのタイミングがなかなかつかめません。先週もスーツの上着を着るか否かで迷う毎朝でした。さすがにクールビズがあと3日で終了して、ネクタイ生活に移行です。
それでも朝晩はだいぶ冷えてきたので、鍋物がそろそろ解禁です。水炊き・寄せ鍋・もつ鍋・ちゃんこ鍋・おでん・しゃぶしゃぶなど様々です。鍋に投入する食材も多岐にわたりますが、白菜や豆腐は多くに使われる王道的存在。我が家も先日は、チゲ鍋風のおかずが器に盛られました。美味しかったのですが、食べ終わってから歯間に詰まったニラとエノキに閉口です。さらに、サツマイモご飯にかけた黒ゴマまで飛び入り参加です。歳をとるにしたがってスポットが拡大しているのか、とても気になります。したがって、歯磨きも入念に行うようになりました。
先週のことです。「今日、“ミンオー”やるよ。録画予約しておいた」「本を読んだっけ?」と尋ねられました。それって、もしかして“タミオウ(民王)”のことですか?正しいことを何度伝えても、ミンオー沼から抜け出せないようです。
池井戸潤さんの作品といえば、半沢直樹シリーズや『下町ロケット』などが有名ですが、本屋でまだ平積みされている『俺たちの箱根駅伝』も気になっています。上下巻あるので、買わずに公共図書館に並ぶのを心待ちにしている最中です。
ところで、箱根駅伝といえば、今月中旬に予選会が行われました。本選出場に1秒差で涙をのんだ東農大ほか、ドラマがたくさんあったはず。43校参加の上位は常連校ばかりが名を連ねますが、下へたどると母校の名前を発見。「えっ」という声にならない声が漏れます。
いつかゆったりできる時間がとれたら、箱根駅伝を沿道で応援して、温泉に入って、その後に食べる郷土料理や鍋物なんて魅力的だなぁ。
501 デジタル時代に(24.10.28)
リビングにはWi-Fiが入るのに、すぐ脇のダイニングや和室だと4Gの表示になってしまう不思議。学校の場合、タブレット導入の初期には同じ教室で全員が同時に使うとつながりにくくなるので、部屋を分けて使用することもありましたが、今は隣の教室で皆が使っていても問題がないようです。でも、校長室も含めてWi-Fi環境の整っていない部屋は数ヵ所あるのが現状です。あと10年もすれば、学校もスマートキーを使用し、音声認識・顔認証などで様々なものを動かせる時代になるのかもしれません。
ファミレスなどでは、タブレットでの注文が一般的になっています。場所によっては、ロボットが配膳をして、店員は案内や会計、片付けに限定されそうです。教室でもタブレットに触れる機会が、昨年度以上に増えたように思います。2年生でもローマ字入力を素早くこなしているではありませんか。ローマ字の学習は3年生ですが、必要がなくなりそうです。ただ、タブレット端末に向き合う時間は、静かでコミュニケーションがなくなります。そんな中で、授業とは無関係な画像や動画を見ている子もいて、近づくと慌てるなんてことも…。
さて、教科書を含めたデジタル教材先進国のスウェーデンでは、脱デジタルへの舵切りを始めたようです。紙媒体の教科書を使い、ノートなどに書く活動を増やすことで、集中力や考える力が伸びたことを実感しているといいます。現在では、端末を効果的な場面に限定しており、子供からも好評を得ているそうです。日本は10年以上後ろを追いかけている感じですが、ICT活用が目的ではありませんから、ツールとしての最大限の効果と深い学びのために、アナログとデジタルが両輪で機能するようにしたいものです。