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校長室から
489 手書き文字(24.10.9)
新番組が続々とはじまる秋ですが、テレビ欄を見ていると、正時(00分)に始まる番組の少なさを今更のように感じます。逆に言うと、番組開始時間が中途半端なものだらけとなります。テレビ欄にNHKから7局が並びますが、横罫が4局つながるのが最大です。正午ぴったりに始まるのだって3局しかありません。こんな風になったのはいつ頃からなのでしょう。特に、夕方のニュース番組をみると、日テレは3:50、テレ朝は4:48、TBSが3:49、フジが3:45と、競い合うようにスタートラインが前に前に動いていったことが窺えます。こうした手法を「フライングスタート」と呼ぶそうです。他局より数分でも早く始めることで、視聴者を引き込もうとするわけです。過去にも似たような開始時間の前倒しはありましたが、視聴率至上主義の最たるもの。ずっと昔は、どの局も基本、正時に番組が開始され、視聴者にとっては時報の役割も兼ねていたといってもよいものでした。推理ドラマのアリバイにも利用されたりして…。
若い先生方の研修のために、今も現役で子供たちに国語の授業を毎日行う大先輩に来ていただきました。15年ぶりにお会いしましたが、授業への情熱は全く失われていないことに尊敬のまなざし。板書は当然、配付するプリントも手書きにこだわっています。実際、いただいた資料20枚すべてに手書き文字とイラストが並んで、温かみがあります。
ここ数十年、パソコンやスマホが筆記用具の代わりを果たしてくれますから、手書きの機会は激減しました。右手中指にできたペンだこも小さくなっています。今更ながら、普段どんなときにペンを持つか挙げてみました。①日記、②備忘録へのメモ、③先生の週記録へのコメント、④スケジュール帳への記載、⑤先生への連絡事項を記す付箋紙、⑥検食簿への記録、と数えるほどしかありません。お気に入りの万年筆も、使わないとインクの出が悪くなるので、努めてそんな時に使用しています。
先日配付した通知表に見つけた「福倉部長」にはニンマリ。手書きだったらこんなこともなく、ちゃんと「副クラブ長」と書けるのに。
488 ジャンパー(24.10.8)
今朝、本八幡高架脇を歩いているときにどなたかに挨拶をされたのに、気づいたときは時すでに遅し!すいません。
だいぶ前になりますが、教頭先生がいただき物の缶サイダーに私の似顔絵を描いて、冷蔵庫に入れておいてくれました。ある日それを思い出して、プルタブを開けて飲み始めてふと気づいたこと。口をつけるたびに自分の顔を舐めているではありませんか。これは意図的犯行?
さて、店の衣料品はすっかり秋冬物になりました。半袖が長袖に、生地が厚手になるだけでなく、色合いも夏と秋冬では大きく違います。「トレーナーを買おうかな」と言うと、「スウェットよ!」とたしなめられます。マネキンが身に着けるスタジャンを眺めていると、「あなたには似合わない!」と釣れないお言葉。懐かしさを感じながらも、今だからこそ上手く着こなせるのではないかという妄想が、その一声で萎れていきます。
ちなみに、ジャンパーかジャンバーかで悩んで、語尾を適当に濁すのは私だけ?英語表記から正しいのはジャンパーのようですが、紛らわしいのでフランス語のブルゾンを使うほうがよいのかも…。
ところで、スタジャンとは「スタジアムジャンパー」の略で和製英語。発祥はアメリカのベースボールと言われ、大学生のスポーツチームが着用していたジャケットのことです。特徴は、胸のワッペンでしょうか。日本では1980年台にブームが到来して、アメカジの代表アイテムともいえるものでした。胸ワッペンや背中のデザインが特徴的で格好よかったので、大学生の頃の一張羅のアウターでした。
これに似た、一文字違いのスカジャン。何の略かと思ってググると、横須賀ジャンパーの略称とあります。横須賀駐留のアメリカ軍人が、自分のジャケットに派手な和風の刺繍を入れてお土産にしたことから定着したらしいのです。
そういえば、サントリーの缶コーヒー『BOSS』で、ボスジャンが当たるというキャンペーンがあったことを思い出しました。ヤフオクにも商品が多数見られます。今はもうキャンペーンをやっていないだろうと思って検索すると、「役満ボスジャン~オリジナル麻雀牌デザイン~」が自販機にタッチで当たるようです。応募締め切りは来年2月。でも、さすがにこのデザインは奇抜すぎでダンディにはなれません。
487 オーエス(24.10.7)
朝の天気予報で雨雲の動きをチェックして、「今日は雨が降る心配がないな」とか「折りたたみ傘を忍ばせておく必要があるな」とか、日本地図の中の千葉県を中心に見ながら確認する毎日。すると、千葉県がいつの間にか正統なチーバくんの姿にしか見えなくなってくるから不思議です。それほど浸透している証拠ともいえそうです。
さて、秋は幼稚園や保育園の運動会シーズンです。というわけで、今年も孫の運動会を見に行ってきました。年中の綱引きで、「オーエス、オーエス」のかけ声を久しぶりに聞きました。ところで、この「オーエス」って何?という疑問。昔、西船橋に劇場があったなぁなんて話をすると、お叱りを受けそうなので真面目に調べました!
綱引き自体は、平安時代からあって、神事として開催されていたといいます。これが明治時代になって他国との交流が盛んになり、海外のチームとも交流戦が行われました。その頃には、神事というよりスポーツとして楽しんでいたようです。イギリス人の指導の下で発せられたかけ声は「oh hisse(オーイス)」。でも、日本人の耳には「オーエス」と聞こえたというのが始まりなのです。「せーの」でも「よいしょ」でもよいわけで、要は力を込めて引くタイミングを揃えるためのかけ声ですから、独自のものを作り出してもよいわけです。実際、力自慢集まる綱引き競技では、「オーエス」なんて悠長なリズムでは勝てそうもありません。
5月の運動会でも、5・6年生が「お助け綱引き」をしました。ある学校では、綱を2本使用して十字に組んで、その中心の位置によって勝敗を決する競技方法をとっていました。いろいろなやり方がありますので、高学年ならある程度アイディアを子供たちに委ねてみるのもよいかもしれません。
486 うらら(24.10.4)
自民党・石破茂氏が新総裁となって新内閣が発足しました。この102代首相、時代劇で「おぬしも悪よのぉ~」とお代官様を演じたらよくお似合いでは?なんて、失礼千万!27日には衆議院解散・総選挙なので、その後すぐに内閣の顔ぶれがまた変わる可能性もあります。とりあえず、教育に携わる者として文部科学大臣の名前くらいは知っておかなければと、新聞の束から数日前の朝刊を引っ張り出しました。「阿部俊子文部科学大臣ね!」と顔と年齢をチェックして思います。「ついこの前までは誰だっけ?」と。盛山正仁氏だそうですが、記憶にございません。
内閣改造・総選挙などで、文科大臣だけみても目まぐるしく入れ替わります。令和になってすでに6人目ですから、毎年変わっている計算。よって覚えられるはずがないと言い訳。また、防衛費や少子化対策費、災害復興費、社会保障関係費などは取沙汰されますが、教育費が話題に上る場面にとんとお目にかからない気がします。すぐに首を挿(す)げ替えられるとなれば、じっくり腰を落ち着けて政策を強く進める余裕なんてないのかも。
さて、ある日の新聞に「秋うらら」という言葉を見つけました。「秋麗」と書いてもよいそうですが、これだとビールの銘柄にしか見えません。そういえば、「春うらら」という歌があったことを思い出して調べてみると、ありました、ありました。48年前に田山雅充さんが歌っています。前奏は、まさに昭和歌謡。ちなみに山本リンダさんは、「♪ウララ ウララ ウラウラで~♪」と『狙いうち』を歌っていました。
この「麗らか」とは、「空が明るく晴れて日がのどかに照っているさま」「心にわだかまりがなく、晴れ晴れと明るいさま」と辞書にはあり、春の季語だそうです。でも、秋の麗らかさは春とだいぶ違う気がします。春の場合、草木の芽吹きや咲き始めた花が暖かな陽光を浴びて、人々の和んだ表情まで想像できます。一方、秋の場合、風はなく、穏やかな赤・黄・オレンジ色の空気に包まれた、心とろける日差しの中にあるイメージを描きます。
夕方の富士山がきれいに見え始めるのも秋口からです。『夕焼け小焼け』の音楽が流れると家が恋しくなる季節。『先生と子どもたちが詠んだ学校俳句歳時記』の中に、「何ごとも なき日の下校 秋うらら」という作品が掲載されているといいます。これって私たち教職員の願いであり、ホッと肩の力を抜く瞬間をよくとらえています。
前期終了の今日も平穏な一日でありますように。
485 才と歳(24.10.3)
HPへのアクセスが、いつの間にか200万件突破しました。驚きと感謝!
ある日、開店と同時に船橋東武のエスカレーターを上がって奥の街区にある目的の店まで歩きました。わかっていることでも、左右交互に「おはようございます」「いらっしゃいませ」の無機質な声のシャワーが、私一人に延々と注がれる状況はどう対応したらよいものか悩みます。しかもどこも婦人服売り場ときていますから、私は入るわけのない客。だから、ロボットが動いているだけと思って、ひたすら前だけ向いて歩きます。あ~小っ恥ずかしい!
さて、自分の年齢を書いたとき、専ら「歳」を好んで使います。なんだか格好よく見えるからという単純な理由です。どちらも同じ読みで、年齢を表記する際に使われる漢字ですが、使い分けの必要性はあるのでしょうか。調べると、「歳」は年月や数を表し、「才」は生まれ育った才能や資質などの意味をもつとあります。つまり、年齢を示す漢字は「歳」が正式であるといえそうです。
「才」は、小学2年生で学ぶ160の漢字の中に見つけることができます。一方、「歳」は中学校で習う常用漢字ですから、画数が少なくて小学校の早い段階で書けるようになる「才」を年齢の表記で使われるようになったのかもしれません。
「才」を使うことにより、単なる年月のたし算ではなく、その人間が身に着けた知恵や知識の量、つまり人の内面にまで目を向けているようにも思えてきます。生まれながらにして持っている人は「天才」ですし、たくさんの才能を持っている人は「多才」と呼びます。だから10才の子は、365日間で身につける知恵を10個分持っていることになるわけです。こう考えると、「才」もなかなかよいではありませんか。ただ、自分を振り返った時に、60数個分の知恵を本当に身につけているかどうかは、はなはだ疑問です。年齢に応じて身につけた力を発揮できるように、私たち大人も知恵を出し合って日々努めます。
今日は定時に退勤して、また百貨店の婦人服売り場を横目に目的の場所を目指します。