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校長室から

430 メンテナンス(24.6.10)

 学校へ向かうJR高架脇をボーっとしながら歩くことがあります。すれ違う人の顔を見ているわけでもなく、かといって何か思案しているわけでもなく。そんな時に限って、誰から挨拶をされたような?我に返って挨拶を返そうにも時すでに遅し。保護者の方かも。ごめんなさい。

 そんな今日は「時の記念日」です。日本で初めて時計装置が使われた日を記念して、1920年に制定されたとのこと。この日を前に先週、放送で時間について考えたり、時間の不思議を感じたりできる本を5冊紹介しました。

①『とけいのおうさま』(こすぎさなえ PHP研究所)

②『ライフタイム~いきものたちの一生と数字~』(ローラ・M・シェファー ポプラ社)

③『ふしぎな時間割』(岡田淳 偕成社)

④『タイムストーリー(シリーズ本)』(日本児童文学者協会 偕成社)

⑤『モモ~時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語~』(ミヒャエル・エンデ 岩波少年文庫)

 ②は校長室前に展示中です。岡田淳『二分間の冒険』も含めて、ぜひ手に取ってほしいです。

 さて、最近とみに股関節が痛い!腿や膝の後ろ側が張っている!以前にも増して体が硬くなったような気がする!なんとかしなくては!カチカチカラダの改善を試みるため、休みの日にやってみようとインスタの動画を保存しています。その数…?保存した動画が溜まるだけで一向に実行に移せない意志の弱さに自己嫌悪。ただ、これまで55万時間使った体にガタがきているのは厳然たる事実。メンテナンスと使い方を真剣に考えなくてはいけません。

 一方、自宅も15年経って、あちこちにガタがきています。上下動する窓サッシが途中で止まらない。室内灯の一部が電球を換えても点かない。ずっと換えていない障子紙が薄汚れて見える。最たるものは、先日キッチンシンクのパイプ交換をしてもらった際に見せられた排水管の油汚れ。まるで自分の血管内部を見るかのような気分です。血管なら血栓が飛んだり詰まったりして、大事に至っても不思議ではない状況です。家屋も劣化が進みますから、定期的な修繕やメンテナンスは欠かせないようです。

429 身勝手(24.6.7)

 6月になって1週間。梅雨入りはもう少し先のようで、隣の工業高校グランドからは野球部の声とボールの音が響く朝。学校のスピーカーからは、今月の歌『にじ』が流れ、「♪きっと明日はいい天気~♪」と歌います。今は雲が多いけれど、いい天気になるかなぁ。

 この「今日はいい天気だ」といった時の「いい天気」は、歌の中では晴天を指すのでしょう。でも、必ずしも晴れとは限らないのかもしれないとふと思ったのです。立場や状況が変われば、雨や雪も「いい天気」になります。恵みの雨に対しては「いい雨」「慈雨」という表現が使われるでしょう。一方で、同じ雨を見て「いやな雨だ」「酷雨」と感じる人もいます。また、「いい人」という言い方もあります。性格を指す場合もあるでしょうし、穿った見方をすれば自分にとって「都合のいい人」と言うことだってできます。「いい天気」であれ、「いい雨」であれ、「いい人」であれ、どれもみんな私中心のとらえ方のように思えてしまうのはなぜ?

 月が改まって、キッチンとダイニングをつなぐカウンターに敷かれた手ぬぐいの柄が変わりました。先日までパンダ柄だったものが、水色地にてるてる坊主がたくさん描かれています。その中に紛れるように、丸眼鏡のてるてる坊主が点在します。まるで、私がいたずらで描いた似顔絵のようにも見えます。

 このてるてる坊主は、地域によって呼ばれ方が違うそうで、「照る照る法師」「ひより坊主」などあるようです。その由来は「生首」とされる説があります。昔、長く雨が続いて人々が苦しんでいた時に、一人のお坊さんが雨を止ますためにお経を唱えたそうです。でも、一向に雨が止まないと見るや、嘘つき扱いされたお坊さんの首を見せしめに布で包んで吊るしたところ、翌日は晴れたという言い伝えが残されているのです。

 「♪てるてる坊主 てる坊主 あ~した天気にしておくれ~」という童謡の一節がありますが、3番の歌詞には「♪それでも曇って泣いたなら そなたの首を チョンと切るぞ~」と残酷なフレーズが…。まさに、先のお坊さんの生首のそのもの。そういえば、童話「さるかに合戦」の歌『さるかに』でも、早く芽を出せ、あるいは早く実をならせとせっついて、そうでなければ「ハサミでちょん切るぞ~」と脅します。昔ながらの童謡も、自分中心で身勝手なようです。

428 マネキン(24.6.6)

 6月6日といえば、『かわいいコックさん』のフレーズを思い浮かべる人もいるでしょう。「♪棒が1本あったとさ 葉っぱかな 葉っぱじゃないよ カエルだよ カエルじゃないよ アヒルだよ…♪」という絵描き歌。同じ歌なのに、描き手が違うとコックさん一人一人違った表情を見せてくれるから不思議です。コックさん以上に、「つるニハ○○ムシ」「つるサンハ○○ムシ」と言いながら描いた顔の出来映えは、人それぞれで表情豊かです。そんな今日は、コックさんの日。ヨーヨーの日でもあり、補聴器の日でもあります。もう一つ、怒りを鎮める6秒ルールをもじって、アンガーマネジメントの日ともされています。どれも関係ないかぁ~。

 さて、表情や顔といえば、四半世紀ほど前にテレビ放送された『Oh!Mikey(オー!マイキー)』をふと思い出しました。出演するすべてがマネキン人形なのです。その主人公のマイキーは、インターナショナルスクールの3年生。パパは、アメリカから東京に転勤になったサラリーマンという設定で、1話3分の短編。ブラックユーモア含む内容と常に明るい表情が好きでした。

 マネキンは、店頭で各種商品の販売促進にあたる販売員を指す場合もありましたが、一般的には衣服展示に使われる等身大の人形の呼称の方が主流のような気がします。でも最近では、リアルマネキンの人形を見なくなったような気がします。頭部がのっぺらぼうのものや首だけがないヘッドレスマネキン、腰から下の下半身マネキンばかりです。こんなことを考えながら、昨日の帰りの電車の貴重な読書タイムに、『オー!マイキー』をYouTubeでチラッと見てしまいました。そういえば、洋裁が趣味だった母の部屋にあったものも首から腰辺りまでの人形でした。「ジンダイ」と呼んでいましたが、「人台」という字でよいのかどうか。ちなみに、マネキンの日は3月24日でした。

427 チンプンカンプン(24.6.5)

 5月中旬に、D・サンボーンさんが亡くなったと報道されました。ジャズ界の大物サックス奏者です。すかさず家族から依頼されて、古いアルバムCDを購入しました。昔好きだったフュージョン系の懐かしい音楽が流れ、幸せな気分になります。

 日本を代表するサックス奏者と言えば、「ナベサダ」こと渡辺貞夫さんでしょう。アニメ『赤き血のイレブン』でサントス選手が海岸で故郷を思って吹くトランペットも憧れでしたが、ダイナミックに動きながら演奏するサックスは別格に見えたものです。だから、アルトやテナーサックスの形が好き!ウクレレではなくて、サックスにしておけばよかったかと思いながらも、楽器音痴で譜面がチンプンカンプンの私には高嶺の花であり、高望み以外の何物でもありません。音も相当響くでしょうから、家で練習するのは近所迷惑になること必至。畑の中に車を停めて、窓を閉め切ってサックスの練習をする人をたまに見かけますが、そうするしかないのかもしれません。そういう意味で、ウクレレなら夜だって練習できます。こう考えると、吹奏楽部の子供たちの練習機会は、きっと学校しかないのだろうと思い至ったのでした。

 やはり5月のある日、読売新聞掲載の『コボちゃん』(植田まさし作)を見ていて、数十年ぶりに思い出したことがあります。コボちゃんが一番風呂に入る前に、「湯かき棒」で風呂の湯をかき混ぜる場面がまさにソレ!草津温泉の湯もみではありませんが、上と下とで温度が全然違ったため、私世代はこの棒で湯をかき回して湯温を均一にしてから入ったものです。全自動が一般的になった現代、風呂上がりのように綺麗さっぱりと忘れていました。

 「赤き血のイレブン」とか「湯かき棒」なんて、きっとチンプンカンプン?いや、この「チンプンカンプン」なんて言葉すら使わないか。

426 思いを馳せる(24.6.4)

 一昨日の日曜日、前任の市川小創立150周年を記念して行われた、学校の歴史をたどる回遊展に足を運びました。祝賀会だけでは声をかける範囲が限定されてしまうので、それとは別にできるだけ多くの人と一緒に祝したいという同窓会の皆さんの思いから生まれたようです。会場となった体育館というか講堂には、様々な展示がされており、老いも若きもが懐かしそうに見て回っていました。妻も創立100周年の時に6年生だったことから一緒に出かけました。久しぶりに見る学校のシンボルであるプラタナスが「こんなに大きかったっけ?」と思うほどの大きさで校庭にそびえ立っていました。その反対に校庭の狭さは…。思い出すのは、掃いても掃いても落ちてくるプラタナスの落ち葉に閉口したこと。そしてそれが終わる頃、すぐそばにある銀杏の大樹の下が黄金の絨毯を敷き詰めたように染まること。そんな巨木に護られて、コロナに振り回される中であっても、多くの人の支えあって2年間を過ごすことができました。お礼も碌にできないまま異動しましたので、今回久しぶりにお世話になった方々にお会いして話をすることができ、有意義な時間でした。そして、平田小が100周年となったときに思いを馳せる私がいます。29年後ということは…。

 さて、その市川小に向かう時短ルートをナビの案内で走っていた時、「鮮魚街道」と表示がありました。よく見かける文字で、ずっと「せんぎょかいどう」とばかり思っていました。でも、「右折して、〈なまかいどう〉に入ります」というナビの音声案内に、「えっ、そうだったの?」とびっくり。目からウロコ!

 江戸時代、夕方に銚子港に揚がった魚を利根川の水運で布佐(我孫子)まで運び、翌朝そこで馬に積み替えて松戸まで陸送し、再び船で行徳を経て夕方以降に日本橋の河岸まで運んだといいます。これは、魚の鮮度を保つための時間短縮の知恵であり、使用された陸路が「なまかいどう」とか「なまみち」と呼ばれたそうです。「森」という文字の「木」をすべて「魚」に換えた文字「鱻」を「なま」「せん」と読ませる場合もあるようです。いずれにせよ、自分の住む身近に経済的に重要な経路があったという事実を、ナビ様のお声によって知った一日でもありました。

 学校や地域の歴史って、やっぱりおもしろい!