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校長室から

596 悩みは尽きず(25.3.28 最終回)

 いつだったか、頼まれて百均の毛糸売り場をはしごしたときのこと。お目当ての品がないというより、棚に毛糸玉がほとんどありません。編み物が若者中心に人気らしく、どこも品薄が続いていると知りました。「編み物カフェ」まで登場といいますから、嵌った人には人の目や声に悩まされることなく没頭できて最高かも…。

 さて、深刻になりがちな親の悩みの一つが、「宿題をやらない」「家で勉強しない」というもの。やるべきことをやっていない場面に遭遇すると怒りの感情が沸々と…なんてことも?そして、その原因を「やる気ないから」と断じてしまいがちです。ただ、「やる気スイッチ」は、なかなか自分で操作できるものではありませんから、心の持ちようを持ち出されても解決には至りそうもありません。

 そんなとき、原因を「置かれている環境」で説明してみるとよいかもしれません。宿題をやらないのは、「難しすぎるから」「やっても誰も見てくれないから」などと言い直すことで、原因特定につながるとともに宿題をやるための手立てが見えてきそうです。この場合、宿題の難易度を下げたり終わった課題を家族に見てもらったりするなど環境を変えればよさそうだと気づけます。理由や原因を特定するのは簡単ではないが故に、「やる気」や「根性」といった精神論で一括りにしてしまわないようにしたいものです。結局、行き着くところは個人攻撃となり、自己肯定感の低下を招いてしまいますから。

 会社でも、なかなか業績が上がらない社員に対して、「やる気」「根性」を持ち出して責め立てれば、ハラスメントと言われかねないのと同じです。仕事の中身を見直したり部署を移ったりすることで大きな力を発揮するかもしれないのに、個人の問題にすり替えられていることも…。ただ、言うは易し行うは難し。やっぱり悩みは尽きません。

 そうであっても、4月からも一緒に考えて解決に向かって手を携え合える教職員・保護者でありたいと考えています。いつかまたどこかで。

 超久しぶりに口唇ヘルペスが出た!疲れ?ストレス?早く治さなきゃ。

595 あんこ(25.3.27)

 駅のホームに立って、ビルの屋上の看板に目をやると、「はみ出せ、うみ出せ、旭化成」というキャッチコピーが目に飛び込んできます。韻を踏む感じで好きです。旭化成は別にして、「はみ出せ」や「うみ出せ」は、子供たちに願うところ。人と違うことを嫌ったり出る杭になることを怖れたりして、無難な道を選ぶより、はみ出すことを怖がらず新しいものをうみ出す意気込みと勇気をもった人であってほしいと思います。

 さて、春の訪れを感じる一つが和菓子という人がいるかもしれません。彼岸のぼた餅(おはぎ)は、私の記憶に刻まれる和菓子の代表格です。家で母が作っている懐かしい光景が、今でも目に浮かびます。あんこの他にきな粉やゴマもあって、弟と競って食べたりつまみ食いしたり…。妻があんこをおいしいと思えるようになったのも、母のぼた餅を食べてからだと言います。以後、春と秋には必ずぼた餅(おはぎ)が我が家の食卓に乗るようになりました。

 桜餅やかしわ餅が好きな人も多いと思います。最近ようやく食べられるようになりましたが、私は桜餅の塩漬けの葉が苦手でしたから、専らかしわ餅派です。でもそれ以上と言えるのが草餅。ヨモギの風味が何とも言えません。田んぼのあぜ道で摘んだヨモギで、子供たちが団子やパンを作ったこともあります。草餅とあんこの組み合わせは最強です。

 大福もいい!春はいちご大福が店頭に並びますが、やっぱり豆大福でしょうか。これは大人になってから。豆のかたさや塩辛さが餅やあんこと調和します。たい焼きも捨て難い!餡は様々で、気分で選べますが、やっぱりスタンダードな粒あんが好きかな。尻尾からかぶりつく私ですが、頭と尻尾でアンケートを取りたい気分です。

 あぁ食べたい。季節関係なく、甘いものをちょっとだけでも食べたくなる意志の弱さ。いかんいかん!

594 ふりかけ(25.3.26)

 ミモザやユーカリを切って、妻がスワッグを作って娘にあげていました。スワッグとは、ドライフラワーなどの花や植物を束ねて作る飾りで、部屋や玄関、リビングに飾るとナチュラルな雰囲気が出ます。ただ、この聞き慣れないスワッグとウィッグとが混同してしまって…。

 熱々のご飯に卵の白身だけをかけて混ぜた後、残った黄身をのせて醤油麹で味を調えると、最高の卵かけご飯の出来上がり!同じようにパラパラとふりかけるだけで、ご飯をペロッと食べられてしまうふりかけもまた優れものです。今、家ではパリパリした食感の「花がつお」というふりかけを時々食べています。

 焼肉味やポテチ風味のものなど、進化のスピードは凄まじいものがありますが、やっぱりふりかけと言ったら「のりたま」が原点のような気がします。これまでの胡麻塩というモノクロームの世界から、袋から広がる小さな花を散らしたような黄色の粒と黒や緑のアクセントが加わったカラフルな世界の幕開けでした。のりたまに限らず、かけすぎて怒られるのは今も昔も変わりません。丸美屋の「のりたま」は1960年発売といいますから65歳になるわけです。永谷園の「お茶づけ海苔」もお世話になりました。鮭や梅、わさびに加え、「おとなのふりかけ」が登場して優に30年は過ぎています。

 ただ、ご飯にふりかけという組み合わせは、「出された料理では満足できない」という気持ちの裏返しにも思われ、決してよいイメージではなかったことは確かです。そうであっても、不足する栄養を補う食べ物として現在まで確実に地位を築いてきたのは誰もが認めるところだと思います。

 給食の手作りふりかけも好きなので、異動先での給食が今から楽しみなどと思いながら、今日も書いている私。

593 感謝(25.3.25)

 先日のW杯アジア最終予選のバーレーン戦を観ながら、ふと体が右や左に傾いていることに気づきます。パスを展開している場面やシュートが決まりそうな場面に限られます。どうも力が入ると体がボールと一緒に動いているようです。

 自宅周辺の公園や駅に、シェアサイクルのステーションがあります。「いつでもどこでも気軽に、自由に」を合言葉に利用促進を図っているようです。市川市にも現在76の拠点があるようです。シェアサイクルの導入により、近隣への買い物や通勤・通学といった利便性のほか、来訪者の観光やレジャーといった回遊性の向上をねらっているわけです。

 登録しておけば安価で利用でき、スマホ上で支払い完了できるシステムで便利そう。でも雨ざらし、夏場は直射日光を浴び、シートもハンドルも劣化します。電動アシスト付き自転車なので充電はどうしているのか不思議でなりません。実際、私が使う場面を考えてみますが全然思い描けませんので、台数を増やすことが本当に必要なのかどうか…。

 さて、平田小で勤務した3年間も終わりに近づき、修了式を迎えます。勝手気ままに綴った「校長の部屋」も通算600に近づきました。「こんな考えもあるんだぁ」とか「へぇ~」程度に流していただけたことに感謝します。1年間ありがとうございました。

 ところで今日の修了式や離任式で話すことをまだ考えていないことに気づきました。朝の見守りもせず、短い時間で仕上げます!

592 愚痴です(25.3.24)

 彼岸の墓参りで拝もうとしていると、見知った姿に目が留まりました。小中学校の同級生。こんな偶然にびっくり!

 令和8年度以降の宿泊学習に係る業者選定の大詰めです。子供たちの生活経験を増やし、学びが生まれ、友達や学級・学年の団結力が育まれる活動や場所、時期を大切にした計画・実施でありたいと考えます。同時に保護者の経済的負担もできるだけ抑えたい思いは言うまでもありません。

 さて、以前こんな話を耳にしたことがあります。普段から親が働いているある子は、家の鍵を持って登下校しています。昔は「かぎっ子」と言われたものですが、最近は当たり前すぎて耳にすることもありません。宿泊学習の日、保護者は紛失が心配で子供に鍵を持たせなかったといいます。学校にバスが戻ってくるタイミングで、学校にその保護者から電話がありました。「仕事を終わらせて17時半に迎えに行くので、それまで学校に置いておいてほしい」と言うのです。少し身勝手ではないでしょうか。

 宿泊学習は、担任にとってはその期間中、ずっと緊張を強いられます。安全で何事もなく帰るのが当たり前。ですから、夜もわずかな睡眠で朝を迎えます。泊数が増えればさらに大変ですから、学校に帰着して子供を帰した時には、肩の荷が下りてどっと疲れが出ます。にもかかわらず、退勤時刻を大幅に過ぎてなお、保護者の都合で勤務を強いる形になります。ただ、私が思うほど、その保護者に感じる部分はないのかもしれません。「頼めばやってくれる。やってくれて当然。だって私は働いているのだから」と言うかもしれません。

 教職員にも自身の生活があり、そして働いているのです。たとえ子供たちのためという強い想いや使命感はあっても、決してボランティアではありません。ですから、双方が気持ちよく互いを思いやれる学校だったら、「ありがとう」「どういたしまして」が自然に飛び交うのではないかと思います。

 この事例の場合の解決の一案。見送りのタイミングで学校職員に鍵を預けるというのはいかが?