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校長室から

499 自慢できること(24.10.24)

 業間や昼休みに校長室にやってきて雑談に興じる子がいます。ある日、急に尋ねられました。「さて、僕の好きなペットボトルのお茶、ベスト5は何でしょう?」と。「伊右衛門」「お~いお茶」「綾鷹」「爽健美茶」など思い浮かぶものを口にしますが、なかなか正解にはたどり着けず降参!すると、「生茶」「烏龍茶」「十六茶」「綾鷹ほうじ茶」…と、商品名を順位とともに教えてくれました。私にはどれも同じなのに、ペットボトル茶の味にこだわりがあるようで、敏感な舌(味覚)を持ち合わせているみたいです。ちなみに私は、血糖値の上昇を抑える「伊右衛門」の緑茶スティックを欠かさず飲んでいます。

 さて、バラエティ番組のインタビューだったでしょうか。大学生風の若者が住んでいる町の自慢をする企画です。ある若者は柏在住で、柏市は北西部の頂点だと言います。その理由が周りの街にあるみたいで、「終わっている町・松戸」「本当に田舎の我孫子」「何もない鎌ケ谷」「子育てしかしていない流山」とコケにした後に、「柏は、茨城県民曰く“ちばの渋谷”!」と言うから笑えます。

 では、平田小の子供たちはどんな市川自慢をするでしょうか。「梨しかない市川」なんて言わせない魅力をみつけてほしいと思います。市川ユネスコ協会が主催する「わたしの町のたからもの」絵画コンクールに、数名の児童が応募しました。残念ながら原画を見ていないのですが、学習等をきっかけに自慢できる宝物を増やしていきたいと思います。2年生の町探検もその一つ。意義性があったり、知れば知るほど好きになったりすることもあるのではないでしょうか。

 自分自身の魅力だって、気づきにくいだけ。だから、誰かがそっと光の下に出してあげることも必要かもしれません。ペットボトル茶の味が判別できることだって、尊敬に値します。

498 食欲の秋(24.10.23)

 最近は、高級ブドウをよく見かけるようになりましたが、先日スーパーで見つけたレッドグローブが安かったのでお買い上げ。種無しブドウに慣れ親しんだ私は、何も考えずに口に放り込みます。そして、思い切り噛んだ瞬間に失敗を悟ります。2つ3つの小さな種が、実に鬱陶しい。慣れというのは恐ろしいもので、種がなく皮を剥かずに食べられるのが当たり前となった現在、皮を剥いたり種を口から出したりすることを面倒くさく感じてしまいます。なんと贅沢になってしまったのでしょう。進化や便利さに、忘れてしまったり鈍ってしまったりする感覚もたくさんあるような気がします。

 ある日ふと、バームクーヘンを丸ごと食べたい!という衝動にかられました。ドイツのお菓子が、急に頭の中に浮かび上がってきたのです。ショートケーキやシフォンケーキ、カステラのようなふわふわ感とは正反対で、生地がぎゅっと結束しあう感じ。そうかといって硬いわけでもなく、しっとりとした舌ざわりと甘すぎない適度な甘さ。紅茶やコーヒーにも合いますし、牛乳でもよし。当然、日本茶でもおいしく食べられます。知らず知らずのうちに、口の中に唾が…。

 そんな気持ちが通じたのでしょうか。ある先生から、コンビニのバームクーヘンをおやつにいただきました。大きさは問題ではなく、ただただ嬉しく、タイミング(勤務時間外です)を見計らってパクリ!しあわせ~。こんなふうに、何の前触れもなく急に、○○が食べたいと思うことが時々あるのは私だけですか?

 庭のいちごポットに季節外れのいちごが、小粒ですが5つ実っています。食べる前にナメクジに先を越されるのが癪なので、現在観察中。それにしても可愛い。

497 ありがとうを口癖に(24.10.22)

 教員の意識調査にある「どのようなときにやりがいを感じるか」の問いに、「自分の仕事が評価されたとき」が6番目に登場します。また、「働きやすい職場はどのような職場ですか」に対しては、「上司から正当な評価がされること」という文字が見られます。

 次の作品は、新聞に掲載された小学2年生の詩です。

  じぶんのシューズあらいと / ぞうきんがけをしました

  シューズをあらったとき / お母さんがうれしそうに

  サイコーっていってくれました /

  お母さんのおてつだい / いつもやりたいです

 お母さんの言葉とそこに添えられる嬉しそうな表情が、この子をやる気にさせる評価であり、スイッチなのだと思います。同じ言葉であっても、トーンなどの違いで受ける印象が異なりますから、笑顔と一緒に感謝や称賛をちゃんと相手に伝えたいと思います。

 先々週、補聴器を点検に出しました。オーバーホールするので1週間かかります。そこで代替器を借り受けて装着してびっくり。進化のスピードは加速度的に伸びているようで、突発音のほか風切り音が低減されています。強い風でもバリバリと割れる音がしないのです。車検や修理の際の代車に、新型車を借りた時の、軽快感・操舵感に驚くのと同じ感覚です。新旧補聴器の違いを実感した先週でしたが、買い換えを検討できる余裕なんかあるはずもなし。

 そういえば、病院の受付で大きな声で聞き返していたおじいさんの耳にも外れかけた補聴器が見えました。何年使っているかは不明ですが、未来の自分を見るようです。そのおじいさんが、看護師さんに大きな声で「ありがとう~」と発した響きは、決してうるさく感じないから不思議です。

496 尾頭付き(24.10.19)

 今日土曜日は、音楽会の参観とひらたっ子まつり。ワクワクします!

 ある日のニュースで、「地域を支えるヤブ医者」というタイトルが映りました。「えっ、どういうこと?」と思いながら見ていると、「ヤブ医者」とは本来名医を表す言葉で、現在言われるような下手な医者のことではないとのこと。兵庫県養父(やぶ)市のHPには、“ある名医が但馬の養父(やぶ)という所にひっそりと隠れるように住んでいて、土地の人に治療を行っていた。死にそうな病人を治すほどの治療を行うことも少なくなかった。その評判は広く各地に伝わり、多くの医者の卵が養父の名医の弟子となった。”とあります。そういう起源があったんだぁ、ガッテン!

 スーパーに並ぶサンマは、今年もスリムな体型です。そんな魚たちを眺めていて、ふと思います。子供たちはこうした魚を見て、名前を言えるのでしょうか。切り身や刺身しか目しない子にとって、鯛や金目はわかってもマグロもカツオもブリも同じに見えるかもしれません。でも魚にも顔があって、種類の見分けはつきます。開きになっても、アジなのかホッケなのかもわかります。

 一般的に、焼き魚として提供されるものの多くは尾頭付きのように思います。鯛やサンマ、目刺しまで…。私の場合、目刺しは頭から全部食べてしまいますが、妻は皿の隅に置いて口をつけません。美味しいのにと思って手を伸ばそうとすると叱られます。ですから、先日食べたサンマには頭がありませんでした。内臓もなかったので売り場に出される前にカットされたものだったのでしょうが、ちょっと寂しい。頭を食べるわけではないのになぜか寂しい。やっぱり、サンマがサンマであることの証が頭(顔)なのではないかなぁと思うのです。「養父」ならず「目黒」のサンマも、当然尾頭付きだったはず。

495 あの気持ちを再び(24.10.18)

 キンモクセイの甘い香りに淡い思い出が浮かびます。一方、味への感動は忘れて久しいように思います。自分で収入を得るようなると、自然と美味しいものを口にする機会が増えます。あれもこれも美味しいと味わっていくうちに、今なら何でもない味に感動したあの時、あの場面が蘇ります。大学生になったころから、新しく知る味がどんどん増えていきました。母の作る味がスタンダードでしたから、「世の中にこんなに美味しいものがあったんだ」というカルチャーショックはたびたびでした。例えば、大学の食堂で食べたサウザンドアイランドが、アルファルファのサラダ(今でいうスプラウト)を絶品に変身させてしまうような錯覚に陥りました。マヨネーズくらいしか知らない舌が、異世界を味わったような感覚。今思えば、たかがそんなことに?と馬鹿々々しくなりますが…。

 ユーチューブで、松山千春が歌う『旅立ち』をたまたま聴くことがあり、カラオケで歌ったことを思い出しました。70年代後半のリリースです。この頃のフォークソングは、自分が歌詞の中の主人公のような錯覚に陥ります。時代背景や生活環境が必ずしも合致しないのに、自分と重ねてしまった若かりし頃。

 70年代のヒット曲のリストから好きな曲を選んでもらうというアンケート結果を見ると、『なごり雪』『神田川』『心の旅』『22才の別れ』などフォークソングが上位を独占です。そのほかにも、不思議と別れや別れの予感を歌った曲がとても多いことに気づきます。自分の思いどおりにはならない心苦しさと傷つけあう姿を切々と詞にしています。逆に、人とのかかわりや思いが、歌の中に息づいているとも言えそうです。アンケート48位に見つけた、ハイファイセットの『フィーリング』も好きだなぁ。

 歌に自分を重ねて感傷に浸るなんてこともなくなったので、子供たちの歌声を楽しみにする今日は、明日に向けたリハーサル兼相互に見合う発表会です。

494 夢を見る(24.10.17)

 社会科の授業が始まる時間、他校からの参観者が数名確認できます。でも、子供は7~8名くらいしか教室に戻っていません。どうしたのか心配しながら、仕方なく授業を始めます。グラフを読み取って考えさせようと思っていたにもかかわらず、その資料が教科書のどこにも載っていないことに気づいて焦ります。手元にも印刷資料を用意していません。ふと教室全体に目をやると、子供たちは授業に関係ないものを振り回してやりたい放題。授業は進まず、板書は未だなし。そんな状況を目の当たりにして、参観者がこそこそと話し始めているのが横目でわかります。居たたまれない気持ちになる中、目が覚めました。担任ではない年月が、担任をしていた時代を大きく上回っているにもかかわらず、未だに準備不足の授業場面の夢を時々見るのです。

 賞状書士の資格をとってみようかと、通信講座に申し込んだのは何十年前のことだったか。筆などは別にして、手本や道具が一式揃い、取り組んで添削を受けたのは2回くらいでした。時間がないわけではありませんが、一人で黙々と続ける根気に欠ける私。ウクレレが続いているのは、独学ではなく、定期的に先生に習いに行っているからにほかなりません。

 似顔絵の通信講座受講を考えた時もありました。特徴をとらえた絵は、何かの役に立つのではないか、描いている時間も楽しいのではないかと思いめぐらせたのですが、申し込みには至りませんでした。好きだったのが、先日亡くなったイラストレーター・山藤章二さんの風刺画。例えば、岸田劉生の『麗子像』を模して描いた大平正芳元首相などの作品はユーモアたっぷり。特徴をとらえた似顔絵が描けたら、全校児童をモデルにできるのにと叶わない夢を見ます。現実は、ワンパターンの自分の似顔絵が限界なのに。

493 あおとあか(24.10.16)

 晴れた日の真っ青な空が、高く見えて秋らしさを感じさせます。「水色」「空色」など、様々な表現がありますが、ざっくりまとめれば「青」系です。でも、「蒼」「碧」「藍」を使う場面も見受けられ、文字から伝わる印象や微妙なグラデーションも人それぞれのはず。

 「あお」は、空の高みの澄み渡る色でもあり、海の深さを表現する色でもあります。朝靄の中に広がっていく始まりの色であり、夜の闇に見つける懐かしい光なのかもしれません。ある人は悲しみあるいは透明感を感じ、またある人は希望を見出します。名前にも使われる文字という点で、「緑」「翠」「碧」とも似かよっている気がして、なんとも不思議です。「これってポエムっぽいぞ」と思って検索すると、『名前の詩』(三戸隆正)に「あお」を発見!

 「あ」かるく楽しみながら 「お」おきな夢を叶える

 秋は、実りの季節でもあります。おいしい果物が出回ります。梨が終わって、同じバラ科のリンゴが店先にたくさん並んでいます。梨といったら、昔は「長十郎」一択だったように思いますが、幸水・豊水・あきづき・かおり・王秋など、次々と新しい品種が登場しています。これはリンゴも一緒。甘み重視で蜜の入った「ふじ」が人気ですが、私の推しは「紅玉」。酸味の利いた昔ながらの味です。その甘酸っぱさからアップルパイや焼きリンゴといったお菓子の材料として活躍する品種です。今は、赤系では「陸奥」「ジョナゴールド」「シナノスイート」「秋映」「サンふじ」、黄系は「シナノゴールド」「王林」などが有名でしょうか。ここ数年、我が家では信州のリンゴ農家から箱で取り寄せて、アラカルトを楽しんでいます。

 「あ」りのままに 「か」ちまけよりも 自分らしい味になれ(by蜂須賀)

492 宝物(24.10.15)

 30歳を過ぎたわが子二人が幼かった頃、ビデオカメラを構えて記録するのが楽しみでした。小さめのVHSテープが溜まってきたので、デッキを2台並べてDVDに編集しました。「老後の楽しみだ」と言って、何時間もかけて納得のいくものにしたはずなのに、しばらくして確認した時には、DVDプレーヤーでもPCにも映りません。何度やっても同じなので、諦めて放置したままでしたが、先日、娘がテープのほうを業者に出して再編集してくれました。幼稚園の発表会や運動会、小学校の入学式などを再び目にすることができました。記憶が刺激されて涙がこぼれます。「子は3歳までに親に恩返ししている」と言われますが、どんなに大きくなっても可愛くて仕方ない宝物です。

 近くの公園や林、先日のアンデルセン公園などの路上にシイやクヌギの実が落ちていることを見かける季節。総じてどんぐりを、木に生っていた時と同じように帽子を被せて並べてあげれば、ちょっとした秋の置物に変身です。たくさん落ちていますから、発芽してもよさそうなものですが、そういう所にはなかなかお目にかかれません。芽を出すためには様々な壁があるようです。例えば、公園など人が立ち入る場所の地面は踏み固められて、水分を吸いづらいとか、そうでない場所でも、落ち葉に邪魔されたり、動物に食べられたりしてします。水が吸えても、周りの木が日光を遮って育たないということも多くあります。発芽まで生きられる割合は、なんと1%にも満たないといいます。

 道端に落ちているどんぐりを、まるで宝物のように大事にポケットにしまう子がいます。でも、忘れられたどんぐりが洗濯機の中を泳ぎ回って怒られた、あるいは怒ったなんて経験もあるはず。

491 何派?(24.10.11)

 納豆をかき回しながら、ふと思います。なぜ納豆のパックって3つなのだろうと。2つや4つの方が使いやすいのに…。我が家は二人家族ですから、パックの1つが必ず余る計算です。いつも同じ納豆を買うわけではないので、2つ置かれた納豆のタレの味や豆の大きさが違う日があることになります。こうした疑問は誰もが感じるようで、スマホで検索すればそれらしい答えにヒットします。

 ①夫婦2人と子供1人の家族が増えたためとする説。②4人家族だと3個入りパックを2つ買うため利益が上がるとする説。③ヨーグルトは4個入りが多い中、納豆を4パックにすると購入価格が上がって売れにくくなるとする説。④冷蔵庫での収納や売り場での場所確保にちょうどよいサイズであるとする説。どれももっともらしい。ちなみに、納豆をご飯にのせて食べる派かそのまま食べる派か、どちらが多いのかと新たな疑問が…。ということで、表題は宗教・宗派を問うたものではありません。

 では、インドア派かアウトドア派かを問われたら、間髪入れずアウトドア派と答える私。家の中でじっとしているより、やることがあれば屋外で作業しているほうが好きなので、外に出たと思ったらいつまでも家の中に戻らないこともしばしばあって呆れられています。

 昭和の子供はみんなアウトドア派かもしれないという決めつけはよくありませんが、私にとって屋外活動に欠かせなかった遊び道具がナイフ。時間と材料さえあれば一人で黙々とナイフを携えて工作三昧でした。当然のことながら、たまにケガもしますから、どうすれば止血できるかなど体験的に学んだ気がします。

 今日は1年生とアンデルセン公園へ出かけます。何回も校外学習の引率はしてきましたが、実はアンデルセン公園は初めて。巡りあわせというかタイミングの問題なのですが…。だから、子供たちと一緒に屋外での活動を楽しんできます。そして三連休…。

490 よくわからない(24.10.10)

 テレビ放送された『踊る大捜査線 ザ・ムービー』を録画して観ました。1998年上映ですから、製作は四半世紀以上前となります。当然、様々なことが今と大違い。車は古いし、パソコンが分厚い。職場でタバコをぷかぷか吸っています。シートベルトを閉めずに車を運転していたり、腹部を刺された青島刑事を室井さんが支えながら外に連れ出したり。大怪我しているのに歩かせちゃダメでしょ。あらっ、重傷者を警察車両に乗せちゃったよ、とツッコミどころ満載でした。でも、みんな若くて懐かしい。

 さて、最近よくわからなくなっていくものがあります。例えば、「今年はなに年だっけ?」と干支を問われて、返答に困ることはないでしょうか。これは年老いたせい?いやいや記憶力の問題ではないはず。年男・年女でもない限り、干支を気にすることがなくなったからかもしれません。自分の干支から数え直して、「どうも辰年のようだ」という結論に落ち着くといった感じです。

 ほかには、俳優の岡田准一さんが、V6だったことは覚えていても、他のメンバーをそらんじることができないなんてことも…。TOKIO、嵐、NEWSもごちゃごちゃで、誰がどこに属していたかわからなくなります。新しめのSnow Manだって8人なのか9人組なのか?辛うじてSMAPだけはわかると思っていたら、結成当時は「スケートボーイズ」というグループ名で12人もいたとか!途中脱退した森且行さんを含めた6人だったことすら知らない世代が多くなりましたが、「へー」といった感じ。妻にでも話そうものなら「だから何?」と素っ気ない返事間違いなし!

 さらに、人顔認知機能!これはシチュエーションと深く結びついています。学校外で私と会った子供の多くが「えっ、何でここに?」という表情をします。時には、校長であることを認識せず(気づかないフリ?)に素通りという場面もあります。大人も同様。自転車に乗って出かける女性を、学校近くで毎朝見かけますが、異なる時間あるいは違う場所ですれ違うと、見たことがあるけれど誰だっけ?顔見知りなのか保護者なのか、自分なりの答えを見つけるまでかなりの時間を要します。

 きっと誰もが同じだと思いたくなる今日は、1999年まで33年間「体育の日」だった日です。