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校長室から
479 適応できる?(24.9.25)
先週末頃から涼しい朝、そして心地よい秋風を感じるようになりました。昨日は迷って半袖にしましたが、今日は迷うことなく長袖シャツ。ポケットに忍ばせる汗拭きも、タオルからハンカチに切り替わっています。「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったもので、9月中旬まで真夏日が続いてうんざりしていたのが嘘のようです。この暑さは6月から3か月以上続きましたから、最高気温35℃と聞いても驚かなくなってしまったことに逆にビックリ。
年を経るごとに暑い日が多くなっている現在ですが、不思議なもので秋の彼岸にはちゃんと涼しさが戻ってくるのです。辻褄が合うようになっているみたいです。事もあろうに、妻は歳のとり方と重ね合わせて言うからびっくりです。曰く、季節の移ろいと同じように、50代から白髪が目立つ人も60代後半から急に白髪が増え出した人も、70歳にもなれば同じような割合でちゃんと白くなっているのだと。徐々に白いものが増えている現実をそんなふうに表現するかぁと達観した見方に感服です。
先日、近所のダイソーで塗料と刷毛をかごに入れてレジへ向かいました。いつの間にやらレジがセルフに変わっていました。バーコードを読ませるところがわからずもたもたしていると、店員が近づいてやさしく教えてくれました。スーパーもドラッグストアもセルフレジ化が急速に進んでいます。人件費削減、合理化・効率化の一つなのでしょうが、慣れない身には買い物自体が億劫になります。
先日は、百貨店の駐車場自動精算機の前で困っているお年寄りがいました。手伝っている間に、後ろに列ができていくのは大きなプレッシャーです。ガソリンスタンドもセルフが多くを占めるようになったためか、ブレーキランプなどの灯火類が切れたまま走っている車が増えてはいないでしょうか。タイヤの空気圧だっていつ点検したか覚えていないなんて言う人も…。以前ならサービスでやってくれていたことがなくなった弊害は少なくないのかもしれません。
便利ではあっても、簡単には適応できない人がいたり、逆に課題が生まれたりすることも忘れないでいたいものです。
478 愛着ある者たち(24.9.24)
先週金曜日は、私用で休みをもらいました。出かけるまでの間、大リーグ中継を見ていると、偶然にも大谷翔平選手の50本塁打・50盗塁達成という場面に遭遇。不思議と近しい人の活躍を見るような気分に浸ってしまいました。
巣立った子供たちが残していったぬいぐるみは、みな優に成人(?)年齢に達し、大谷選手と同年代ばかりです。そして、一つ一つに名前がついています。例えば、犬のぬいぐるみ。ワンポ・ワンワン・ワン太郎・ワンの助・ワン次郎・ワン太・ワン吉…など覚えきれません。また、北海道でお土産に買った手のひらサイズのキタキツネに、プーちゃんと名付けて特別大事にしていた息子。日光江戸村で買った印籠をあげたら、その中に入れて持ち歩いては時々覗くほどのお気に入りでした。ある日、印籠に入れてポケットにしまったまま洗濯に出したからさぁ大変!プーちゃんは、目が取れたり毛が抜けたりして無残な姿になってしまったのです。大泣きして、しばらくショックから立ち直れなかったことが思い出されます。それほど大好きだったプーちゃんの2代目がやってきたのはそれから数何年後。単に名前があるかないかだけなのに、親しみや愛着に違いを感じてしまうのが不思議です。
8月終わりに、和室の障子を張り替えました。何年張り替えていなかったかなんて恥ずかしくて書けません。ただ、張り替えを決心して障子紙を買ったのは2か月以上前のこと。一念発起、頑張りました。糊張りだったので、まず古い紙を剥がすだけで大変。たった4枚にもかかわらず、何時間かかったのでしょう。剥がされた古い障子紙は、まるでわら半紙(懐かしい響き)のような色に日焼けしていたので、張り替え後の白さは部屋の明るさで一目瞭然。和室に暮らすぬいぐるみもひと際鮮やかに見えます。労力に見合った感動でした。にもかかわらず、3週間経った先日、障子戸に目をやると、角がペラっと剥がれているではありませんか。アイロン張りの弱さか、再度アイロンをかけてもダメだったので液体のりで補修。
この「しょうじ君」たちは、いつまで色白で張りのある肌を保てるのでしょう。
477 Don’t miss the signs(24.9.20)
会議室にある住宅地図を貼り合わせた学区地図を刷新しました。まだ外環自動車道が書かれていなかったので、把握しづらい部分がありました。着任して2年半も手もつけずにいたので、模様替えのつもりで…。地図をつなぎ合わせて学区を赤ペンで囲んでいくと、地図の足らない部分があることに気づいたり、「ここまで平田小学区なんだぁ」と改めて知ったり。なかなか学区を端から端まで見て回ることは叶いませんが、地図上で歩いて確認できたような気分になりました。
さて、もう6~7年も前に新聞に掲載された小学1年生の詩を読んで、改めて考えされられました。
きょうは あさ はやくから
べんきょうをした。 / みんな やった。
これは きっと ほめられると / おもった。
どんなに ほめられるのかなと / おもった。
ほめられたら いいのになあと / おもった。
にこにこして、おかあさんに / 見せたら
おかあさんは、ほめてくれなかった。
「土よう日の ぶんも しなさい。」
と はんたいに おこった。
わたしは なきました。
様々な状況があるので一概には言えませんが、大人の都合や大人の尺度で褒めたり叱ったりしてしまうことがあるような気がします。致し方ないにしても、忙しさを理由に場面を見逃したり、送られるサインを見落としていたりすることもきっとあるはずです。褒めてほしいのは、1年生でも6年生でも同じ。この歳になった私だって、褒められたら嬉しい気持ちになりますし、誰に褒められるか、どんな言葉で褒められるかで嬉しさも違うものです。褒められるために頑張る子にしてはいけない、調子に乗せたらダメ、なんていう人もいるかもしれませんが、500人の子供たちを預かる中で、寄り添いながらサインを見落とさず勇気に変換できる言葉をかけてあげられる大人でありたいと思うのです。
明日から今月2度目の三連休。子供も大人も嬉しいことがたくさんありますように!
476 コロッケ(24.9.19)
休みの日の昼前に買い物に行って、「お昼ご飯はどうする?」と尋ねられます。特に、長期休業や連休中は考えるのも億劫な感じ。蕎麦やパスタ、ローリングストックのカップ麺、外食などの選択肢の中にあるのがコロッケパン。総菜コーナーでコロッケやメンチカツを買って、食パンやコッペパンに挟むだけ。千切りキャベツがあれば、なおよし。(自分ではやらないくせに偉そう!)
胸を張れることではありませんが、自分で料理ができない者にとって、コロッケを作る大変さはわからないものです。だから、私が簡単にリクエストでもしようものなら嫌~な顔をされますが、子や孫のためならホイホイと作れるみたいです。一般的な作り方を見てみると、ジャガイモの皮を剥いて、茹でて潰します。玉ねぎのみじん切りとひき肉を炒めて、ジャガイモと混ぜます。小判型・俵型などに整形して衣をつけて揚げたら完成。火を使う、茹でる・炒める・揚げるといった3工程を含めて、何工程もあって面倒くさそうであることだけは理解しました。コロッケはスーパーなどで買うものと決めている家庭があってもうなずけます。
来週最終回を迎えるドラマ『海のはじまり』にもコロッケのシーンがありました。主人公(目黒蓮)の娘が知っているコロッケは、スーパーで安くなった時だけ買ってくるもの。家でコロッケを作る姿を見て、「コロッケって家でも作れるの?」と驚くのです。これに対して「家で作るのはとても大変なんだよ」と優しく話す有村架純。そして、出来上がったコロッケを食べたその子は、「スーパーのみたい!おいしい」と感激するというもの。コロッケの味の基準がスーパーの総菜というのは、忙しい家庭では普通のことなのかもしれません。
そういう意味で、恵まれているとしか言いようのない私は、亡き母の作ってくれた俵型コロッケが基準。夏暑く、冬寒い台所で山のように積まれるくらい揚げていた後ろ姿を思い出します。今もそれを引き継ぐように作ってくれる人がそばにいることに感謝以外ありません。
475 世は歌につれ(24.9.18)
3年生が国語の学習で手紙を書いたそうです。敬老の日が近かったせいもあって、祖父母に宛てたものが多かったといいます。3年生くらいの子には、封筒に貼る切手自体が珍しく映るようで、シールと勘違いして貼り直そうとしたり、うまく貼れたことに驚いた顔をしたりする子がいるなど、担任にも驚きだったようです。
LINEミュージックからのお知らせを開いてみると、「あの頃私たちが夢中だった曲」と題され、自分の生まれた年を入力できる欄があります。試しにやってみると、13歳のときに流行った歌が表示されました。「なみだの操」(殿さまキングス)、「うそ」(中条きよし)、「くちなしの花」(渡哲也)とあり、再生も可能です。画面をスクロールすると、14歳の3曲に「年下の男の子」(キャンディーズ)、「私鉄沿線」(野口五郎)、「ロマンス」(岩崎宏美)、その翌年には「およげ!たいやきくん」と続きます。高校生の頃は、ピンク・レディーの「渚のシンドバッド」「UFO」などを歌いながら教室で踊っていたことまで思い出されます。
こんなことをS先生に話しながら時代を辿っていると、急に「あっ、私の生まれた年です」と言うではありませんか。それなら、とS先生の生年を入力すると…。中学生の頃の代表曲は「浪漫飛行」「真夏の果実」「ラブ・ストーリーは突然に」「愛は勝つ」「I LOVE YOU」など。まだまだ若い!敬老の日に、孫から「いつまでも元気でね」とメッセージをもらう者とはさすがに違います。
474 瞑想と迷走(24.9.17)
今日は仲秋の名月。でも満月は明日ですが、きれいな月が見られると穏やかな気持ちになれそうです。
「めいげつ」ならず、「めいそう」と聞くとイメージする文字は「瞑想」「迷走」のどちら?専ら私は「迷走」の方かも。自分の迷走もさることながら、学校や人が迷走しないように何ができるかを考えます。もう一方の「瞑想」には、集中力を高めたり創造力を引き出したりする効果があり、トップアスリートも多く実践していると聞きます。
そうは言っても、瞑想はヨガ教室や寺など特別な場での行いのような気がしますが、日常生活では「今やっていることを意識する」といったシンプルな活動でよいといいます。食事の時には、食べ物の味や香りだけでなく、その形や舌ざわりなどを丁寧に感じながら食べるのだそうです。ゆっくりした食事により、これまで以上に美味しく感じられるようです。歯磨きだって同じ。一本一本の歯の形や表面などをイメージしながら磨くのがよいと、歯科医も推奨しています。洗顔やうがい、手洗いなどでも、目の前のことに集中する時間を作ると、新たな発見や興味を生み出すかもしれませんから実践してみる価値がありそうです。
40年前に卒業した大学の友達の一人は、栃木で僧侶をしています。実家が寺なのに教育学部に入学し、3年次の夏休みは京都でずっと修業漬けでした。ある寺の住職は、精神医学を学びたくて医学部に進学し、6年間医師として働いた後、寺を継いだといいます。大学で学んだ心理療法の一つでもあるマインドフルネスで経を極め、禅を身近に感じられるようにしているそうです。大学時代の友人の彼は今、どんな住職になっているのでしょう。
8月上旬に京都・東本願寺で得度式(とくどしき)が行われ、9歳の小学生28人も剃刀の儀を受けて僧侶になったという報道を見ました。子供たちが描く未来の自分の姿に、「僧侶」を挙げる子に未だ一度も出会ったことがありません。でも、実家が寺であるかどうかは関係なく、これだって立派な職業の一つ。瞑想や法話などをきっかけとして、仏道に目覚めることだって…?!
473 割り切る(24.9.13)
修学旅行は特に天気の心配をすることなく、笑顔で元気に帰って来られたという当たり前のことに胸をなでおろします。でも、何事もなく帰り着くのは、その裏側に様々な支援や配慮があるからに他なりません。自ずと担任の緊張感や責任感は、管理職とはまた別物。泊数が増えれば、それに比例するようにプレッシャーは増大します。だから、担任として引率していたころは、たくさんの出迎えの保護者から感謝の言葉をいただくだけで報われた気がしたのです。
さて、泊を伴う学習があると、大きいバッグを持って電車に乗ります。ずっと手に下げたり肩にかけたりしているのは疲れますから、たとえ座れても網棚(今は荷棚という?)に載せてしまいます。ただ最近は、荷棚に荷物やカバンが載っているのを見かけることは稀です。大きなドラムバッグを足元に置く人を見かけますが、必然的に足を開く形になりますから、他者からは迷惑行為と映る場面も少なくないわけです。
数年前に約500人に行った、「通勤電車で荷棚(網棚)を利用しますか」というアンケートでは、「基本的に利用しない」と答えた人が56%でした。理由は、「忘れそう」「手元にないと不安」「高くて使いづらい」「落ちたら嫌」と続きます。昔より情報管理が厳しくなっていることもあって、カバンを置き忘れたらビジネスマンには致命傷です。また、昔は手提げカバン主流でしたが、今はリュックタイプ全盛期ですから、荷棚に載せる必要性もなくなっているからかもしれません。
修学旅行に戻りますが、いろは坂途中の明智平駐車場で子供たちのロープウェイ到着を待つ間、夫婦でドライブしていた方と立ち話に興じてしまいました。2人乗りのロードスターに乗っていて、別にもう1台所有していると言います。なぜなら、奥様に「買い物袋すら載せられない」と言われるくらい割り切った趣味グルマだから。でも、ある意味うらやましい。
割り切って電車の荷棚もなくしてしまえば、その空間は別の用途が見えてくるかもしれません。旅行の荷物だって割り切ってミニマムにすれば、スペースも取りませんし軽々とは思いますが…。
472 桃と西瓜と米と(24.9.12)
わかってはいるのに、昨日の奥日光の朝のヒンヤリした気持ちよさと比べてしまって恋しくなります。この暑さは、いつまで続くのでしょう。
8月後半から出回った「川中島白桃」。大玉で食べ応えのある食感が特徴です。また、皇室に献上される最高峰の桃として知られるのが「あかつき」。糖度が高いが値段も高い品種です。ともに、山梨・山形・長野・福島でシェアを分け合うように生産されています。ただ、旬を逃すと他の果物同様、なかなか口には入らなくなります。
そんな中、割と長く出回っているのがスイカ。熊本から富里、山形など、列島を縦断するように産地を変えながらスーパーに並びます。でも、蝉時雨を聞きながら縁側に腰かけてかぶりつき、種子を口から放り出す場所を気にすることなんてなかった光景は消えてしまいました。もしかすると、スイカの原型や冷蔵庫に入りきらないくらい大きいことを知らない子供もいるかもしれないと思ってしまいます。だって、スーパーやコンビニで売られるスイカは、すでに何等分かに切られていたり小さな破片となって容器に詰められたりしているのが当たり前となってしまっていますから…。
一方、7月下旬頃からコメが品薄になっています。スーパーの棚が空っぽだったり「一家族1袋まで」の貼紙があったり…。昨年の猛暑によるコメの不作と流通量の減少、災害に備えた買い占め、あるいはインバウンド需要が原因といわれますが、食卓と家計への影響は決して小さくありません。新米が出回るこの時期、量の少なさと店頭価格にみんな目を丸くしているのでは?
総じて私たちの生活は、「食」と切っても切り離すことができません。だから、「いただきます」「ごちそうさま」の言葉は、生産や流通に携わる人あるいは食材そのものへの感謝でもあると言われます。子供たちが学びを通して実感する努力や苦労、人の想いにより、食への意識が今以上に高まるといいなぁ。
471 洒落っ気(24.9.11)
福岡県にある会社が世に送り出す製品の名前がとてもユニークです。義理と人情を経営方針にする産業機械メーカーで、農林業や土木分野の作業車・運搬車を製造販売しています。自分たちが作った機械に愛着が持てるようにと考えられたネーミングは、「草刈機まさお」「安全湿地帯」「芝耕作」など、知っている人ならクスッと笑えます。顧客のニーズや心に潜む声を拾って開発されているので、使う人の身になっていて使い勝手が抜群だと評判なのだそうです。
一方、「殺気」(ころっけ)、「熱中症」(ね、チュウしよ?)、「姿」(じじょ)、「背中」(はいちゅう)、「小川」(ちいかわ)、「助手」(たすけて)、「ほうかごに友達と遊ぶ」(放火後)、「ゆでたまごを食べる」(茹でた孫)…。これらは、実際にあったテストの珍解答らしいです。洒落っ気や遊びゴコロが感じられます。採点者が赤ペンで添える粋なコメントがあれば、両者の距離感がぐんと縮まるような気もします。6年生の教室廊下に、漢字50問テストをわざと間違えた答にして貼ってみました。気づいてくれたようですが、意味の通じる誤解答ってすごく難しい!フル回転させた数十分でした。
さて、こんな小噺のような会話もあります。電車に乗っていると、おじさん二人が何やら話をしています。A「俺の会社、ブラックなんだよな~」 B「えっ?色があるだけいいじゃないか」 A「ああ、お前はむしょくか」というもの。実際これは困りものですが、日常の中の笑いは気持ちにゆとりを生み出すと思うのです。
シルバー川柳もユーモアがたっぷり。「改札を 通れずよく見りゃ 診察券」、「LED 使い切るまで 無い寿命」、「恋かなと 思っていたら 不整脈」。どれも笑えるけれど痛々しい?!
今日は修学旅行2日目。ホテルやバスの中、6年生が帰宅した家、そして平田小のどの学級でも、明るく笑いがあふれる一日でありますように!東照大権現様、よろしくお願いします。
470 本当に必要なこと(24.9.10)
パラリンピックが終わりました。車いすラグビーでは、悲願の金メダルとなりました。オリ・パラともに、柔道選手の活躍が記憶に新しいところですが、開催国のフランスも柔道大国として知られます。競技人口は日本の4倍以上で、小学校では柔道が必修科目となっている学校も多いそうです。そして、競技人口の4分の3が日本でいう小学校高学年の子供だというから驚きです。元サッカー選手のジダン氏やNBAフォーニエ選手なども、子供のころに柔道をやって、体の強さや転び方を覚え、専門種目に移っていくというように、独自の強化策となっています。また、道徳の一つとしても確立しているようで、様々な可能性を秘めた子供たちに本当に必要なことって何なのかを改めて考えさせられます。
小学4年生の時の担任は、今思い返すと社会科を専門にしていたようです。同窓会グループラインでは、社会科のレポートで苦しめられた思い出が語られました。様々な資料から仮説を立てたり証明をしたり、4年生には高すぎるハードルを越えるように求めていたようです。おそらくその先生が考える「将来必要となる学力」だったのかもしれません。だからか、NHK教養番組やドキュメンタリー番組を観ることも宿題でした。その一つが『明るい農村』。1963(昭和38)年にスタートして、22年間続いた番組。高度成長期真っ只中において抱える農業の課題や食の流通などが取り上げられて、視聴率15%以上もある朝の定番でした。でも毎朝視聴してから登校なんて、私には無理でした。
もう一つが『新日本紀行』です。こちらは月曜夜放送で、1963年から約19年続いた本格的な紀行番組だったようです。きちんと観ていなかったので、冨田勲さんのテーマ音楽くらいなら、聴けばおぼろげながら…。先生!全然身につきませんでした、ごめんなさい。
今日から1泊で日光修学旅行です。昨年は12月中旬にスライドしたため、どこも貸し切り状態でした。今年は紅葉にはまだまだ早いですが、東照宮など巡ってきます。子供たちの心に残る景色や場面は、教員の想うところとは少し違いそうです。それもまたよし!行ってきます。子供たちの様子は、写真でお伝えします。