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校長室から

159 健康のために(2/8)

 電動歯ブラシが、私の口腔ケアに欠かせない存在になっています。3機種目になりますが、歯並びの悪い私には、痒い所に手が届く一品。最初は「カバの歯磨き」と言ってバカにしていた妻も、いつの間にか使用するようになっています。

 健康のためにといえば、現在使っているスマートウォッチも必需品かもしれません。最初は万歩計代わりでしたが、スマホと連携して着信が手首でわかるものがあると知って交代。さらに睡眠の質を計測できると知って交代。今のものは、これらに加えてGPS機能があるので、スマホを持たなくてもランニングの距離や時間、速度などを測ってくれるのでとっても便利。一方、睡眠計測機能は最初よく使いましたが、今ではごくたまにしか確認しなくなってしまいました。

 2月5日の朝日新聞に、児童生徒の睡眠に関する記事がありました。江戸川区のある小中学校で希望者の協力で睡眠を計測したそうです。データの収集とともに、子供本人と保護者が睡眠の質を知り、睡眠に関する知識を増やしてもらうことを狙ったといいます。実際、睡眠時間が短かったり、就寝時刻が遅かったりする結果がみられますが、多くの児童生徒が寝る時刻と起きる時刻を意識して、生活リズムを見直すきっかけになったそうです。

 よい睡眠のために、生活習慣を整えることは言うまでもありませんが、日中の適度な運動、朝日を浴びて朝食をとること、夜食は控えること、布団の中でスマホやゲームはしないことなど、「平田っ子生活習慣チェック表」から振り返り、できることから始めて続けることが大事だと思います。

 また同日の記事には、「給食モグモグ…」と題した記事もありました。大阪府の小学校6年生を対象に、デジタルヘルス機器を利用して、食事中の噛む回数や姿勢などをデータ化するのだそうです。本校では、保健委員会が中心となって全校に訴えかける健康テーマも「姿勢」。学校医の渡邊先生のお話も動画撮影します。そして、3度の食事に欠かせないのが「噛む」という行為。よく噛んで食べることには、歯周病等を防いだり肥満を防止したり、脳の発達を活発にしたりする効果があることはよく知られています。

 様々なフィルターを通して、自分の健康に関心を持ち、よりよい行動・選択ができる子供たちに育ってほしいと思います。

158 夢は広がる(2/7)

 孫が立派なキッチンキットで遊ぶ姿を、インスタのストーリーで見ることがあります。遊び道具も本格的になって、ごっこ遊びも様変わりしています。

 「サラリーマン川柳」から「サラっと一句!わたしの川柳」に名称がリニューアルされて最初のコンクール優秀100作品が1月下旬に発表されました。そして現在、ベスト10を決めるための投票が行われています。100句には、新型コロナが流行して3年が経つ今の世相を反映させるような作品や「二刀流」の文字が並びます。そんな中に、『我が娘 お店ごっこが セルフレジ』(北鎌倉人さん)や『現金か ペイペイですか おままごと』(大和の雨蛙さん)といった句を発見!幼児の遊び方までが変わっていくのかもしれません。

 さて子供のころ、自分の夢を広げ、どこまでも行けそうな気にさせてくれた夢の遊び道具、それが自転車でした。自分の行動範囲とワクワク感を掻き立てる立派なおもちゃです。ハンドル中央のボルトに「G」マークを黒マジックで書いたのは、マッハ号のハンドルに見立てて…。でも名前は「流星号」。そして、小学校高学年では、フラッシャー付き自転車(写真参考)を買ってもらいました。八千代から印旛沼や成田まで、近所の友達と小旅行というか冒険の旅に出かけました。大人になってマウンテンバイクを通勤手段にした時もあります。クロスバイクを安く譲ってもらって、ヘルメットや手袋を揃えて週末に20kmくらい走ることもありました。2本足より行動範囲がぐんと広がると、「今日はこっちへ行ってみよう」と思うままにペダルを漕ぐのです。だから一時期、もっと速く、もっと遠くへという気持ちが膨らんで、ロードバイクを手に入れる計画を練ったこともありました。

 子供用自転車の補助輪を外すタイミングが、偉大なおもちゃに変身する瞬間なのかもしれません。「ちゃんと支えているから大丈夫だよ~」と安心させて、荷台から軽く手を放してみると、自分でスルスルと走り出す子。まだ支えてもらっていると勘違いしながら…。何かができるようになる時ってこんなもの。人材育成においても、その人がまるで自分の力で成し遂げたような気持ちにさせられたなら最高だなと思うのです。

157 卒業生(2/6)

 「ともぞう」「ともちん」「ともちゃん」「びちお」「あぶらん」「あぶらちゃん」「あぶら」「半平太」…。さて何のことでしょう?実は、家での私の呼び名!現在、我が子からは専ら「ともぞう」と呼ばれています。「お父さん」なんて言われていたのは小学生までかもしれません。「ともぞう」は『ちびまる子ちゃん』のおじいちゃん発祥ですし、「あぶら」は頭に触れると脂が付きそうだから。「半平太」は昔の漫画『グーグーがんも』からきていますが、「びちお」は何だったか思い出せません。また、家族みんなそれぞれに呼び名があります。妻は「おかこ」ですし、娘は「しりこ」、息子は「ポチ」。変な家族です。平田小の子供たちはみんな、家では名前で呼ばれているのかなぁ。

 さて、職員室でおしゃべりしていたときに平田小卒業生の話になりました。「Suica」のペンギンの生みの親であり、千葉県のマスコットキャラクター「チーバくん」、ヤマト運輸の「クロネコ」ほか「ちびゴジラ」などを手がけたイラストレーター・絵本作家の坂崎千春さんが、本校の卒業生だという噂があるというのです。年齢から卒業年を割り出して卒業アルバムをめくってみました。2冊目の5組(当時は6組までありました)の集合写真でビンゴ!面影がありますが、同姓同名ということも…。そして、職員集合写真には懐かしいお顔がちらほらみられました。

 ただ、当時は文集がありませんので、どんなことに感動しどんな夢を持っていたかは推し量れません。きっとあだ名で呼び合うことだってあったでしょう。色々話を聞いてみたくなります。例えば70周年記念に招くことだって考えられそうです。アルバムに住所を載せていた時代ですから検索すると当時の家の場所がわかります。今もどなたかが住んでいるのでしょうか?こんなことを考えているとワクワクして時間がどんどん過ぎてしまいます。星野道夫さんの時もそうでしたが、いけない いけない!

156 福は~内(2/3)

 庭に置いた寄せ植えのビオラが、毎朝首を垂れ、縮こまっています。土に触れると寒さで凍っているではありませんか。厳しい寒さに耐える生命力はすごいの一言です。

 さて、私は20歳まで祖母と父母、弟の5人暮らしでした。幼少のころ、2月3日夜は父が帰宅するのを待って豆まきすることが恒例でした。それまで閉まっていた雨戸を開けては「福は~内、鬼は~外」と大きな声を父と祖母が響かせます。庭や道路に向けて豆を撒きます。子供ながらに恥ずかしかったことを思い出します。門扉には柊やめざしが結わえ付けられ、翌朝の道路には豆が散らばっているような時代だったのです。こうした風習が身に沁みついた私が子供をもってからの節分は、大声ではないにしても「福は~内、鬼は~外」の声とともに豆をまきました。妻か娘か忘れましたが、玄関扉の取っ手をつかんで「早くして!」と急かす声を聞きながらのパラッパラッパラ。寒いからは早く閉めたかったのではなく、恥ずかしいから早く入ってほしかったのです。

 食卓には必ずめざしが何尾も並べられました。苦くて好きではなかっためざしを、今では頭から丸ごとガブッ…。福豆を口にするときも、「歳の数だけね」と言われ、祖母が羨ましかった思い出がありますが、さすがに今は十分な数を食べられます。ただ最近は、節分につきものの声も聞こえませんし、翌日の道路に豆を踏んだ跡もありません。我が家も子供たちが家を出てからは、自分の口の中に「福は~内、鬼は~外」と小声で囁きながら豆を放り込むだけになりました。

 給食の時間だって、教室の中で豆まきをする姿は皆無。当然、年度末の大掃除で背面ロッカーの裏側から無数の大豆がゴロゴロ発見されるなんてこともありません。まぁ地震対策でロッカーも固定されているから動かすことすらできませんから…。

 今日の放送朝会でも「節分」について触れました。以前調べたときに、再来年の節分は2月2日になることを知りました。また、新しい年が春から始まると考えられていたずっと昔は、「立春」は1年始まりであり、「節分」は大晦日に当たる日だったわけです。そんな大事な日に、今年度あと2か月の「絶対にこれだけは頑張る」という具体的な目標を立てて取り組んでほしいとお願いする予定です。ちなみに、今日の給食は大豆入りご飯と鰯フライ。福豆・目刺しをイメージして…。

155 幸せってなんだろう(2/2)

 キッコーマンのポン酢醤油のコマーシャルで、明石家さんまさんが「♪しあわせって、何だっけ何だっけ…」と歌っていたTVCMはもう40年近く前のこと。10数年前も再登場したので記憶にある人もいるでしょう。

 そんな「幸せ」をどんな時に感じるのでしょう。以前、お母さん方が集まる会で、幸せを感じるときってどんなときか挙げてもらったことがあります。「忙しく作った簡単なご飯でも、おいしいと言って食べてくれる時」「暖かい布団に入った時」「つまらない冗談を言っても、子供にうけた時」など。ちなみに、私が子供たちに話した幸せを感じる瞬間は次のとおりです。

  1 冬のまだ寒い時期に、植物の新しい芽や小さな花のつぼみを見つけた時

  2 よく晴れた真っ青な空の向こうに、雪をかぶった富士山がくっきり見えた時

  3 夕日が沈んだ後、紫色にオレンジ色を混ぜたようなきれいなグラデーションの空が見えた時

 わかる人にはわかるはず!特に、2の場合なぜか手を合わせて拝みたくなってしまうのです。寒い冬の間に育っている小さな命や季節の変化に目を向けられる子供たちであってほしいと願います。

 さて、およそ3週間の通勤読書+αで『アキラとあきら』を読み終えました。常に問題が勃発し、ドキドキ感が止まらない展開は読みごたえがあり、まさに池井戸作品でした。企業や銀行員、工場などで働く人々がたくさん登場しますが、「誠実・正直であること」、「状況を見極め、その分析・判断をしっかり行うこと」、「多面的な視点を持つとともに我慢も必要であること」など、人の生き方や考え方が凝縮されていました。さらには、人とのつながりの大切さと信頼を改めて考えることもできました。結局のところ、会社であれ自営業であれ学校であれ、「ひと」が活き、「ひと」を育てる経営が大事なのだと改めて思います。誰か一人が頑張っても駄目ですし、誰か一人が手を抜いても駄目なのです。かといって横並びというわけでもありません。様々な声に耳を傾け、人が人を育て、人と人が伸びあう平田小であるために今できることは何かを考え、少しずつであっても実践を重ねています。幸せを願って…。

154 どれにしようかな(2/1)

 コロナ禍でいつのまにか閉じた店舗もあれば、ここへきて新規開店する店もあります。ショッピングセンター内テナントやコンビニの淘汰があちらこちらで見られます。でも、新しい店が開店する前になると、なんだかワクワクします。

 ランニングしていると、近所で小売店舗建築の予告が貼られています。見るとクスリ屋なので驚きです。だって、自宅から1キロ圏内に林立しているからです。Wが4軒、Sが2軒、Mが3軒、Kが1軒あるにもかかわらずさらにCですから、5チェーン11店舗になります。コンビニより歯医者のほうが多いと言われるらしいですが、クスリ屋も負けていません。きっと売り上げを伸ばし、生き残るための戦略が常に展開されているのでしょう。ただ、それぞれの店でポイントカードを用意して囲い込みをしていますから、あちこちで購入するメリットはあまりないはず…。そんなことを思っていたら、1月末のヤフーニュースに「100m以内に乱立!ドラッグストア戦国時代」といった感じの記事を発見!記事として取り上げられるほどなのだと、一人納得したのです。

 話は変わりますが、今年になって浅草に行ったとき、雷おこし販売店に入りました。祖母が浅草に行くと必ずと言ってよいほど、仏壇に雷おこしが供えられていたものです。ただし今は、昔よく食べたものとは味も形も違います。様々な味のキューブ状おこしが容器に入って食べ比べできます。こうした試食品は、コロナ以前スーパーマーケットなどで多く見られましたが、ここでは健在です。コロナ前は、よくつまみ食いをして妻に叱られました。果物だったりウインナーだったり…。おこしも蓋を開けて食べたくなりましたが、さすがにやめておきました。

 でも選択肢が多いということはある意味、消費者には嬉しいことだと思います。

153 創立70周年を控えて(1/31)

 (ビフォーアフター風に)なんということでしょう~。もう1月が終わります。歳をとるに従って、一日、ひと月、一年が過ぎるのがスピードを増すような気がします。

 大相撲初場所は、大関・貴景勝の優勝で幕を閉じましたが、途中まで優勝争いをしていた力士のしこ名が読めませんし、何度聞いても覚えられません。「阿武咲」をどう読むと「おうのしょう」になるのでしょう。「大野小」と聞こえます。祖母が相撲好きだったので、小さなころからよく観ていました。物心ついたころの相撲ヒーローは第48代横綱の大鵬。「巨人・大鵬・卵焼き」と並べ称えられた時代です。その後、現在の第73代照ノ富士まで様々な横綱が生まれましたが、ダントツに格好良かったのがウルフこと「千代の富士」。筋骨隆々の肉体は、今の力士には見ることができないような気がします。

 さて、昭和28年4月に在位していた横綱は、第40代から第42代の東富士・千代の山・鏡里という3名ですが、その年に平田小学校が誕生しました。来年度70周年を迎えます。どんな企画でお祝いしようかとPTA会長さん方と検討を始めました。来年度になってから、周年行事のためのPTA委員も募集されますので、方向性と土台づくりはしておきたいと思います。例えば、校庭に人文字を作って航空写真の撮影。業者サンプルを見ると、春に撮影した場合と秋以降とでは、影のでき方が違って鮮明度が違うことがわかりますし、記念誌編纂に関する他校の事例も見ました。デザイン等は、今年度内に児童から募っておくことで来年度当初はスムーズに作業ができるのではないでしょうか。来年度になってから始めても時間的余裕がある取り組みもあります。だから、学校にかかわる多くの人のアイディアを生かした70周年記念行事にするために、計画的に進めていきたいと思います。ご協力よろしくお願いします。

152 技術は進歩しても…(1/30)

 6年生の卒業アルバムのゲラが出来上がったので見せてもらう機会がありました。個人写真はみんなよい表情をしています。私の時代は集合写真だけでした。学習場面や運動会、修学旅行、ホワイトスクールなどの行事のページもあります。担任は、「どの子が何回写っているか」をチェックして不公平感を生まないように配慮しますが、これが結構大変な作業です。でも話を聞くと、去年と違ってAIが顔認証で写真全体の中に登場する回数をカウントしてくれるようになったといいます。加速度的な技術の進歩に驚きを隠せません。

 さて、先週の昼休みに「校長先生に相談したいことがあります」と言って訪ねてきた5年生の児童がいたので、校長室のソファに座って話を聞きました。なかよし広場には昔、今よりももっと遊具があって楽しかったそうです。だからまた、以前のように遊具を増設してほしいという訴えです。「僕は筋力がないので、楽しく遊びながら力をつけたい」ともつけ加えてくれました。吟味する価値がありますが、変な期待を抱かせてはいけないので、具体例を挙げながら難しいかもしれないことも伝えました。ただ、単身で校長室へ要望を伝えに来た勇気は大いに称賛に値すると話したのです。

 また、その数日後に4年生4人から「聞いてほしいことがあります」と声をかけられました。インターネット上で放映される企画に応募したいので、その計画書を見てほしいから時間のもらえる日はあるかを問われましたので翌日の昼休みを設定。一通りの説明を受けて、クリアしなければならない課題を3~4つ提示しました。ハードルは高いかもしれませんが、食いついていこうとする表情がとても素敵です。

 たった二例ですが、とても嬉しく思います。思っても行動できない、ましてや目上で立場ある人間にそれを訴えるなんて並大抵の覚悟ではできません。勇気をもって行動に移したそのこと自体に価値があり学びがあるのだと私は思いますし、そんな子たちがたくさんいて、私が悲鳴を上げるようになることをある意味期待しているのです。

 この子たちが来年度の高学年です。様々なアイディアを秘めている子もいるでしょうからとても楽しみです。卒業アルバムだって、今以上に自分たちの思いが反映されるかもしれませんし、写真選びや写っている回数のカウントを自分たちでやってしまうかもしれません。

151 失敗を恐れず(1/27)

 先週、5年生が家庭科でお茶の淹れ方の実習をしていました。ガスや沸騰した湯などを扱うため、火傷には十分注意をしながら進めなければなりません。子供は予期しないような行動をとることがあるからです。順序だてて水や茶葉の量、濃さを均等にして注ぐことなど指示して、いよいよお茶を飲む段階です。ん?茶碗に鼻を寄せて匂いを嗅いでいる子がいる!あらら?苦くて顔をしかめている子があちらこちらにいる!そういう子に尋ねてみると、普段から日本茶を飲みなれていないようです。もしかすると、家には急須(土瓶)といったものがなく、お茶を飲む習慣がないのかもしれません。あるいは、湯を沸かしたり、茶葉を保管したり、淹れた後のいらない茶葉を捨てたりする手間を考えるなら、ペットボトルで十分と考えるかもしれません。ペットボトル茶は万人向けですから苦みは抑えられていますから。ずっと昔、ペットボトルのお茶や水が売り出されたときには、「売れるわけがない」と高をくくっていましたが、今や清涼飲料水より売り上げは上位を占めますからびっくりです。

 さて、教頭先生から借りた本の中に、こんな一節がありました。

 私たち指導者の役目は「失敗しないように導く」のではありません。失敗を恐れず踏み出せる子、失敗を糧にできる子を育てること。なるほどねと耳を傾けられる大人たちがいる空間を、人材育成の現場でつくり上げていく。(略)

 学校教育でも大事にしたいことです。児童生徒の指導のベースには、対等な関係性の中で多様性を認め合える教職員がいてこそなのだと思います。

 お茶を淹れたり包丁を握って料理をしたり、洗濯したり畳んだり、子供が家庭でできることは様々です。でも、教えすぎたり、危ないからといってやらせなかったりすることはないでしょうか。失敗イコール事故やケガとは限りません。野菜の切り方がちょっと変でも服のたたみ方が自分のやり方とは違っていても、やろうとしたことや実践したことを認めてあげられる安心な空間を家庭にも学校にも作りたいと思います。自分への反省を込めて…。

150 開花、結実を待つ(1/26)

 手袋をしているのに指先に痛みを伴う感覚の今朝の寒さ!久しぶりです。

 先週、大和田小で5時間目に授業公開があるというので出かけていきました。学校に戻るときに1年生とすれ違います。コートを着た私が手を振るとキョトンとして、しばらく経ってから気づきます。「えっ、何で?」と問われもします。校外を校長が歩いているなんて思いもしないのでしょう。もしかすると、校長は学校に住みついていると考えている子がいないとも限りません。

 さて、何年も前に野菜作りのために畑を借りたことがあります。ナスやキュウリ、オクラなど何種類かの苗を植えて育てました。自宅から車を使わないと行けない場所だったので、頻繁に足を運べません。しかも、元雑草地だったため土壌があまりよくなかったことも手伝って、ほとんど収穫がないまま契約を解除しました。

 だから、自宅で育てる野菜や果樹は成長が手に取るようにわかって楽しい。ただ、今年はレモンの実りが芳しくありません。柑橘類は隔年で豊凶が繰り返されるようで、今年は「凶作」の年回り。数種類あるうちの1つは超小ぶりですし、別種は4個しか実りませんでした。そうはいっても、自分で育て収穫した果樹が食卓に乗るのは格別です。キンカンも甘くておいしいようで、鳥と共生しています。先日は、学校で実った柿をベランダで干して作った干し柿をいただきました。比較的小さめでしたが、素朴な甘さがあり、手作り感を味わえました。

 家のカーテン越しに陽光を浴びたセントポーリアがもうすぐ咲きそうです。トイレの窓辺のシクラメンも蕾をピンク色に染めています。子供たちが育てている秋植えの球根は、土から顔を出し始めようかといった段階。「昨日雨が降ったから、今日は水をあげなくてもいいんだよ」と教えてくれた1年生。丹精込めて育てた植物が芽を出し、花を咲かせたときの嬉しさは、果樹の収穫にも劣らないくらい嬉しいはず。寒さが厳しい時期に土の中で育っていく球根を慈しむ子供たちのように、私たちもまだ芽が見えなくても子供たちは着実に育っていると信じて水やりを続けていきます。

149 始める、そして続ける(1/25)

 今朝、学校近くの高架脇を歩く私は身長4m以上!そう、影の長さです。キンキンに冷えた朝も、朝陽がまぶしいというだけで気分は上々。不思議です。

 最近、インスタグラムを見ているとリアルな色鉛筆画が登場します。ポテトチップなどのパッケージが本物と見間違うほどの精度で紙に描かれています。上から見るとまさにそこにあるように見えますが、その上に鉛筆を転がすと平面であることが確認できます。フェイクの画像や映像が氾濫していますので、本物かどうかは定かではありませんが、「色鉛筆でリアルな絵を描きたい」と思ったのは本当!娘が残していった入門書のような書籍を引っ張り出してぺらぺらとめくってみました。ただ、ここからが自分らしいというか最大の欠点なのですが、描きたいと思って本まで手元に置き、目の前に24色の色鉛筆があるのに、放っておいて行動に移せない!

 少し前まで校長室前廊下に掲示しておいた、「したい人1000人、始める人100人、続ける人1人」という言葉があります。う~ん、始める百人にもなれない自分が嫌になります。でも、ウクレレは続いているからいいかぁ、と言い訳するのも悪い癖。

 さて先週1月17日、「阪神淡路大震災」から28年が経ちました。つまり30歳未満の人は全く記憶にないわけです。「東日本大震災」からもまもなく12年です。これまた、小学生以下は経験していません。戦争に関しては80歳でも記憶がない過去の事実と化しています。自然災害や戦争などを経験して教訓を得ても、それらが実感を伴って継承されない限りは風化の一途。6年生が聞いた戦争被爆体験者の話や4年生以上が社会科で学ぶ内容、3月の市川市防災の日における学校での取り組みなどを通して、思いを伝え続けていくことが大事です。

 色鉛筆画は「始める」前に挫折しても、戦争や災害の悲惨さ、そこから立ち上がってきた人間の営みを伝え、考えていくことは「続けて」いきます。戦争や災害は過去の出来事ではなく、私たちの目の前に突き付けられている現実なのですから。

148 いつか思い出す(1/24)

 この場を借りて食べたいものをつぶやくと、準備してくれることが2回続きました。年末の「そろそろすき焼き食べたい」の一言は、1月2日に実現しました。ただし、新年早々「今年はこれが最後ね!」と念押しの一言が添えられたのは言うまでもありません。そして、鏡開きの日に書いた「焼き餅を入れたお汁粉を食べたい」に至っては、その日のうちに食卓に上りました。茶碗に盛られたご飯の量が少ないなぁと思っていたら、最後に出てきたのです。我が家の女神様に見えました。これに味を占めた私は、次は何をつぶやこうかと画策中!

 さて、今日から30日まで「学校給食週間」となっており、学校ではそれにちなんだメニューが提供されます。その由来は、1947(昭和22)年12月24日まで遡ります。まだ戦争の足跡を残す当時、東京都内の小学校でアメリカからの給食用物資の贈呈がありました。この日から東京都・神奈川県・千葉県で、試験的に給食が始められました。よってこの日が「学校給食記念日」となりました。でも、冬休みに入ってしまうため、この1か月後の1週間が「学校給食週間」となったのです。私の場合、教室にある煙突式のだるまストーブの上に水を張ったたらいを乗せて、ビン牛乳を温めて飲んだことは冬の懐かしい思い出。先生が持ってきてくれた干し芋も温めて食べた記憶。古き良き時代を懐かしみます。

 懐かしいといえば、日曜ドラマ『ブラッシュアップライフ』の第2話にそんな場面がありました。1997年頃、女の子の多くが持っていた「シール帳」が登場します。フエルトシールなどを交換する姿が、当時担任をしていた子供たちと重なります。またその数年後、「プロフィール帳」が流行りました。クラス内で交換しあったり先生に持って行ってお願いしたりする姿があちこちで見られたものです。娘の姿ともかぶってしまう一場面でした。

 今流行っているものだって、全然違うものに変わって懐かしく思う時がくるのです。ちなみに、それが何なのかがわからないので、聞いてみることにします。もしかすると、1周回って昔のものがリバイバルなんてことも?

147 寒くない冬(1/23)

 天気のよい日は、屋外にいても日なたは心地よく感じます。逆に室内の方が足元からしんしんと冷えてくるようです。  今日は、「八甲田山の日」。120年ほど前の明治35年、八甲田山へ雪中行軍に出かけた兵士210名が遭難しました。映画あるいは書籍等でご存じの方もいるでしょう。冬の八甲田山は冬の重装備が必要です。スキーがまだ伝わっていない当時、雪中行軍のノウハウの無さや指導部の無謀さから、兵士は軽装のまま行軍を開始。その結果、猛吹雪の中で道を失い、寒さと空腹、疲労により遭難してしまいました。数日後、199名の凍死が確認されたのです。

 先週、ある天気アプリの週間予報を見ると、柏市の25日(水)とその翌日の最低気温が「-13℃」「-11℃」と表示されています。明らかに間違いだと思って問い合わせると、次のように丁寧な回答をもらいました。

 “予想気温につきましては不具合によるものではなく、強い寒気の流入を踏まえて予測された値でしたが、予測対象日まではまだ日にちがあり、予想気温がかなり低い値となっておりました。(略)”

 ここ何年もあまり寒くない冬が続きます。昔は首都圏でも結構雪が降ったような記憶がありますが、積雪は極めて少なくなりました。目に見えてわかる温暖化でしょうか。通勤通学にはありがたいのですが、雪遊びをしたい子供たちは残念かも。雪とともにほとんど見かけない景色になったのが「氷柱(つらら)」です。軒先にぶら下がった氷柱を折って舐めたこともありますが、「汚いからやめなさい」と叱られました。そうそう、雪も奥の方を食べました。霜柱を踏んで歩くのも楽しみでしたが、どれだけの子がそうしたことを経験しているのでしょう。

 明日以降、強い寒気団が流れ込む今週。気温が上がらなかったり最低気温がかなり低めだったりします。暖かくして出かけたいと思います。

146 平田ソファさんは52歳(1/20)

 先週からいつも朝の通勤電車で私の前に座る同年配の男性の顔が見えません。もしかすると感染症に罹ってしまったのかもしれません。いつもある景色が違うと少し不安になります。JRではベビーカーを押した男性が乗ってきました。その車輪を私の足の上に乗ったことに気づいて向きを変えましたが、「ごめんなさい」が言えない?イラっときましたがグッと我慢!

 さて、本校の「平田ソファさん」は52歳。運動不足も手伝ってか、年齢による肌荒れや痛みは隠せなくなってきました。日焼けによるシミも年齢相応かそれ以上かも!この方は、校長室の真ん中に鎮座するソファです。四角い座面の内側に3~4か所の裂け目があるのです。その傷を線で結ぶと正方形になるからあら不思議。座面を裏返すと、ちょうど傷になる辺りにボタン状の突起があるのです。きっとこれが原因です。備品シールには「昭和45年」とあったので年齢が判明しました。痛んできて当たり前。表面の弾力もなく、メンテを忘れたときの私の皮膚状態?!

 先日、このソファに座った子が、無意識で座面の裂け目に指を入れているではありませんか。こうして傷は広がっていくわけですが、指を入れたくなる気持ちもわからなくはありませんので見て見ないふり。ただ、これ以上広がらないようにするために座布団のようなものを置く必要がありそうです。どこかに不要となった応接セットはないものでしょうか?

 さて、書き初めの展示が来週23日から2週間、教室前にされます。昔、自分の子供たちに家で練習させたことを思い出します。形や勢い、筆の動きを「ドン、ス~、パッ」のように音で表して脇で見ていました。でもその指導は厳しかったようで、書き初めの練習は憂鬱だったと今更ながらに言います。横画では右上がりを意識すると形が整いますが、左利きには筆運びが大変です。息子がそうだったので、体育館で取り組む中にサウスポーを見かけると応援の声をかけたくなります。

 私も応接セットのテーブルにカレンダーの裏白を広げてお習字をしました。“「ありがとう」を口ぐせに”と書いて、掲示板にそっと貼っておきました。

145 もっともっと(1/19)

 朝、家を出るときの明るさが増して、明けるのが少しずつ早くなってきたことを感じます。

 ある曇り空の朝、「今日は寒そうだね」と言うと、「ヒィーテンナイシ~」と返ってきます。何語ですかと思うでしょうが、さすがに30数年一緒にいるとすぐにわかります。「今日は、陽(ひ)が照んないし、きっと寒いだろうね」と言っているのです。「家族だからこそ伝わる言葉」「その家独特の言い回し」がきっとあるのではないでしょうか。

 先日、新しいウクレレを買ってしまいました。3本目です。「手が2本しかないのに、ウクレレばかり増やしてどうするの!」と呆れられています。でも、現在所有するものとは違った響きに心浮き立ちます。まるで新しいおもちゃを買ってもらった子供のような気分とでも言いましょうか。

 最初1年半通ったウクレレ教室の先生は、私が初心者でしたから目標がわかるように指導してくれました。30分レッスンですから無駄なおしゃべりは一切ありませんし、質問できるような余地というか話しかけることすらできませんでした。「もっとコミュニケーションをとりながらやりたい」というのと「ソロ演奏に挑戦したい」という希望から、教室を変えて1年近く経ちます。現在は、疑問や希望を自由に口にできてそれに対して的確な回答がもらえます。でも、進むべき方向が示されず私次第といった感じです。「こうしたい」と言えばそれに寄り添ってくれますが、初心者を抜け出せない自分がもっとステップアップしていくためにどうしたらよいのかが見えてきません。費用は決して安くないからこそ、この先どうするか悩んでしまいます。

 学校や教室も似ていないでしょうか。程度の差こそあれ、もっとできるようになりたいと願う子供は少なくないはず。そうした願望を秘めた子供たちに指導方針や進む方向性が伝わるか否か、教職員と話がしやすいか否か、一緒に創り上げていく感覚を共有できるか否か、大事なポイントです。個に応じて適切な目標設定と支援・指導ができるように私たちも日々学び続けることが求められていると思います。

144 共通テストの日に(1/18)

 ずっと感じてきた素朴な疑問。

 それは、“どうして「理科」だけ「科」が標準装備なのだろう?”というもの。一般的に学校の教科に関しては、「科」を省いても成立します。国語・算数・社会・外国語・体育など。でも、「理科」だけは「理」だけではわかりません。必ず「科」とセット表記です。学習指導要領の教科名も、理科だけ「科」をつけています。いったいどうしてなのでしょう?

 『Yahoo知恵袋』の回答には、“「理科」は、物理・化学・生物・地学をまとめて縮小した「造語」だそうです。明治19(1886)年に制定された小学校令を作成する際に物理・化学・生物・地学の自然科学関係4教科をまとめて縮小した言葉として創られたのだそうです。よって、国語・算数などと同じように理科で一つの言葉なのです。”(ほぼ原文のまま)とあります。

 また、『教えて!goo』にはこれを補足するように、“実際、昭和初期の制度では、「理数科理科」「理数科数学」という言い方がありました。”(原文のまま)と書かれています。ただ一部には、「理科科」とする学校もあるようです。

 さて、先日「大学入学共通テスト」が行われました。千葉県内では29会場で2万4千人余りが頑張ったようです。昨年度から「大学入試センター試験」から名称を変更して実施。遡ると、1990年度に始まったセンター試験以前は、1978年度から11年間続いた「大学共通一次試験」でした。私が受けたのも共通一次の初期。そして、理科4分野で選択したのは、生物と地学!物理は苦手でした。

 共通テストが行われる当日、私の頭を悩ませたのが新聞にあった「漢字熟語クイズ」。虫食い状態の3~5文字熟語を完成させていきます。簡単そうに見えてもフル回転の脳みそです。例えば「○○高島○」という問題だと、何が思い浮かぶでしょう。懸命に考える私の脇で「大宮高島屋」とささやく輩。正解は「文金高島田」だったのです。また、完成すると「金茶金十郎」となる言葉があります。知らない人物ですし、本当にあるのかと思って調べると、“芸者屋などで大金を浪費することから転じて、「馬鹿者・たわけ者」を指す”とのこと。人物ではありませんでした。そういえば熟語問題だったわけです。もう試験とは縁遠くなりましたが、頭の体操は欠かさないようにしないと危ない!

 最近、朝電車に乗ると、受験生と思しき中学生の姿が目立つようになりました。中学受験をする児童もいます。体調を整えて悔いのないように臨んでもらいたいなぁ。プライスレスの応援しかできませんが…。

143 セーターになりたかった毛糸玉(1/17)

 セーターになりたいと憧れる10個の赤い毛糸玉たちが、おばあさんに買われていきます。でも、孫に編んだセーターは9個で完成。1個だけ残った毛糸玉は、赤い手袋となって孫にプレゼントされます。セーターにはなれなかったけれど手袋として幸せな日々をおくっていたのに、孫は手袋をどこかに置き忘れてしまうのです。犬に咥えられ、ネズミにボロボロにされるなど紆余曲折を経て、最後は猫のセーターになって幸せな毛糸玉を描いています。この本は、シャイだった?私が最初に妻にしたプレゼント。絵と話が素敵で自分好みだけど、ちゃんと読んでもらえるか自信がなくて…。

 さて、先週島根県の小学校敷地内で、昼休みに鬼ごっこをしていた児童2人が車に轢かれるという事故が発生しました。敷地内のアスファルト舗装部分が、小学校近くの民家と国道の抜け道となっていたといいます。信じられないことです。ただ、普段当たり前になってしまっている中に落とし穴があるものです。

 学校の門の前まで車で送ってくる場面を見かけますが、道路の反対側で降りて横断歩道を渡らずに横切っている子もいます。以前もかなり危ない時があって注意喚起をしましたが残念です。親の意識・指導の積み重ね、普段の行動はととても大事です。子供はよく見ていますし聞いています。

 子供たちも、毛糸玉以上に「なりたい自分」「夢」があるはずです。自分の内なるものや外的環境が障壁となって、なかなかうまくいかないことに気づかされる経験をするかもしれません。ただ、不注意などによる事故で夢がついえることのないようにしてほしいのです。

142 甘味(1/16)

 浅草へ初参りに行ったのが1週間前。菩提寺があるので事務手続きを兼ねて浅草寺などを詣でました。浅草へ行くと必ずと言ってよいほど足を運ぶのが、甘味処「梅園」です。あんみつ・みつ豆・豆かんなど持ち帰り品がいろいろありますが、毎回迷わず「あんみつ」一択。夕飯の後でも、すんなりおなかは受け付けてくれて、至福の喜び~。舟和の芋ようかんも捨てがたいですが…。

 みつまめは、茹でた赤エンドウマメとさいの目に切った寒天、求肥、白玉、ミカンやモモなどのフルーツなどを器に盛って黒蜜をかけたものを指し、餡をトッピングすればあんみつ!みつ豆であれ豆かんであれ、主役は赤エンドウマメと寒天。創業以来の製法で手間暇をかけて作られた寒天や豆は、しっかりした歯ごたえや味が自慢といえます。また、黒蜜や餡などとのバランスが最適だからこそ美味しいのだと思います。

 これって学級や会社組織などと同じかもしれません。どんなに美味しくても寒天だけとか豆だけでは成立しません。それを引き立てる役割があってこそ。場面によっては役割を変えながら生活をしているのだと思います。互いのよさや足りない部分を理解し、互いに尊重しあってこそ集団が伸びて美味しくなるのだと思うのです。

 11日の鏡開きには、給食で白玉小豆が出ました。小豆を大釜で煮るところから始めます。いくつもの回転窯で時間をかけて丁寧に煮込まれた小豆は濃厚で、適度な甘さから笑顔がほころびます。小中学校合わせて千食以上ですから、作業の大変さは想像以上でしょう。家では焼き餅でお汁粉を食べたい!

141 成人(1/13)

 校長室にやってきた男児が、椅子の後ろに回って「今日は4日目?」と尋ねます。見事な観察力です。私が頭を剃ってから何日目かを見ただけで当てたのです。

 週末恒例の道の駅に行くと、青菜が旬であることがよくわかります。「見事」といえば、小松菜やホウレン草に並んで置かれているターサイのロゼットも見事です。段ボール札には「炒め物に最適」と書かれていますが、「被り物に最適」の間違いではないかと思うほどの大きさ・形です。

 

 さて、先の日曜日や月曜日に晴れ着や慣れないスーツ姿の若者をあちこちで見かけました。40年以上前の自分はどんなだったか思い出そうにも浮かんできません。ただ会場に来たゲストが高橋真梨子さんで、いい声で歌う姿を見ていたという記憶だけは…。

 そして、市行政で勤務していた十数年前の成人式は、防犯担当でした。穏やかに進行できるように客席に目を光らせ、いつでも動けるように身構えていました。ある年は、卒業させた教え子が成人を迎え、挨拶しに来てくれたこともありました。  市川市のHPには、“「成人」とは、心身ともに十分に成長した人のことを指します。一人前の「大人」として社会的にも認知されます。過去に遡ると、奈良時代には既に、成人になったことを示す通過儀礼として「元服の儀」が行われていました。今で言うと小学校高学年から高校生の間の頃で、年齢は一定ではなく、その時代によって変化していたようです。”とあります。成人の代表的な権利にあたる選挙権などについては、既に満18歳以上に引き下げられていますから、「成人」とは何か?「成人」になると何が変わるのか?「成人」に向けて自分自身がどうあるべきなのかを、今のうちから考えてみるのもよいかもしれません。

 今日は5年生が帰ってくる日です。活動の様子は、HPでご覧いただけたでしょうか?ホテルでゆったりした時間を共有することもできたようです。でも、子供たちの心の内側は写真では伝わり切りません。直接聞いてもらったり、個人新聞や作文などになって廊下などに掲示された作品を読んでもらったり…。

140 ぬいぐるみ(1/12)

 我が家には、大小を問わずぬいぐるみがやたらたくさん。数えてみると、寝室に3つ、妻の部屋に9つ、私の部屋に娘が残していったものを含めて20個、階段に2体、1階に9つ、車の中に8つ。校長室にも3つありますが、ほとんどに名前がついています。わが子は、同じように見えるぬいぐるみも判別してちゃんと名前で呼んでいましたし、大事にしすぎてぺちゃんこになっていたり表面が毛羽立っていたりします。家族旅行に行くときもリュックに忍ばせて連れていたくらいです。

 学校ではぬいぐるみや人形を大事にしていることを話したりそぶりを見せたりしない子も、家に帰ると呼びかけたり抱きかかえたりしているのかもしれません。薄汚れて、親にしてみれば「処分対象」であっても子供には大事な家族の一員かもしれません。

 さて、私が補聴器を購入する決め手になった一つに、その専門店の代表が補聴器の愛用者であったことが挙げられます。会話の中で、今何について話をしているのかわからなくなることがあります。聞き取れた言葉をつなぎ合わせて把握するのですが、会話の主導権を握ってしまえばよいと思い、聞くことよりも自分から話してしまって不安を解消するような場面があります。こんなことに、代表が「そうなんですよね」と言って聞こえないつらさに共感してくれたのです。自分が難聴だからこそ、利用する人の困り感に寄り添って軽減したいと直接話を聞くことができ、ここなら安心だと考えたのです。

 年末近くなったころ、「全国の公立小中学校の通常学級に、発達障害の可能性がある児童・生徒が8.8%いる」という文科省の調査結果が新聞に掲載されていました。こうした子供たちにとっても、わかってもらえたり、「そうかぁ」と言って頷いてくれたりする人が大事です。眼鏡をかけたり補聴器をしたりすると同じような支援が必要です。この支援はモノや機械ではなく周りの「ひと」なのだと思うのです。

 もしかすると、何も言わないぬいぐるみに自分のつらさや愚痴を吐露している子がいるのかもしれませんし、ホワイトスクールにぬいぐるみ同行なんて子だっていないとは限りません。