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校長室から
119 相手を傷つけない(11/30)
すごい雨風の一晩でした。家の前には飛ばされ、流されてきた枯れ葉が集まっています。
さて、芸能人の格付けランキングをする番組が好きで欠かさず見ます。「一流芸能人」「二流~」に始まり「映す価値なし」までの格付け。バラエティー番組ですが、Gacktさんの連勝記録の裏にある努力を知って益々楽しみになったほどです。ただ、これによって人格が否定されたり相手を不安な気持ちにさせたりすることはないので安心して見ていられます。
もし、人物ランク付けノートなるものが存在したらどうでしょう?営業やテストの成績、運動能力、容姿やファッションセンス、友人の数、音楽的センス、性格など勝手に採点されていたら嫌な気持ちになります。疑心暗鬼にとらわれ、他人の目を気にしすぎるようになるはずです。頑張りたいのに頑張ることができなくなるかもしれません。先の番組の場合、その場限りで笑ってやり過ごせる安心感があるから楽しいのです。ユーモアあるけど「相手を傷つけない」「不安な気持ちにさせない」を大前提とした社会・学校・学級でありたいと願います。
話は変わりますが、少し前にふりかけの「ゆかり」と「ひろし」について書きました。すると、職員から「ひろしは美味しいですか?」尋ねられたり「ほかの種類もあるんですよ」と写真を見せてもらったりするなど、結構反響があります。そこで、改めて三島食品のふりかけを検索してみるとあるではないですかぁ。「かおり(青じそふりかけ)」や「あかり(ピリ辛たらこ)」、「うめこ(カリカリ梅)」、「かつお」など兄弟姉妹がいます。 さらに、「ひろし」と「うめこ」が結婚して「ひろこ」が生まれています。こういう遊び心が好きです。先週給食で手作りふりかけが出ました。たらことちりめんと胡麻。名づけて「ちりこ」。家庭でも作ることがあるでしょうから、ぜひ粋な命名を!
118 これまで50年、この先50年
デリカとは、コンビニやスーパーで売られる惣菜や弁当などを指し、デリカテッセンが転じたものです。一方、三菱にはデリカという名前の車がありますが、「デリバリーカー(荷物を運ぶクルマ)」に由来することを初めて知りました。大切な家族や仲間と過ごす空間としての比重が大きくなっているような気もします。
さて、自動車のナンバープレートも変化してきました。学校近辺では、陸運局のある「習志野」ナンバーが主流でしたが、ご当地ナンバー「市川」「松戸」を多く見るようになっています。その隣の分類番号は1桁から2桁になり、現在は3桁ですが、希望ナンバーが多いせいかアルファベットが登場しています。このアルファベットは26個全部が使われるのかと思いきや、「A・C・F・H・K・L・M・P・X・Y」の10種類のようです。視認性を考慮し、誤解しやすいものを省いたといいます。市川ナンバーにアルファベットが見られるようになるのはまだ先のことでしょうが、アルファベット導入によりこの先50年はもつと想定されています。
この先50年の真逆のジーンズのお話。私たち世代にとってジーンズメーカーといえば、「エドウィン」「リーバイス」「ラングラー」「ボブソン」「ビッグジョン」が代表格ですし、それ以外はユニクロしか知らない私。今では、様々なブランドから続々と新商品が投入されていますが、バックポケットに「W」の刺繍を見てラングラーだと思ったり、「503」と聞いてとエドウィンを想像したりするのは、やはり昭和の親父だからでしょうか。「ジーンズ」と「デニム」を混同して使うことも多くありますが、ジーンズはパンツの種類であり、デニムはジーンズを形成する生地のことを指すとのこと。専門的に携わる人には違和感があるといいます。
いずれにしても、「ジーンズは安くなった」というのが昭和の親父の率直な感想です。また、昭和の親父はダメージの古着をわざわざ購入もしません。
117 笑顔(11/28)
小池都知事が「ウォームビズ」を採用しました。電力需給ひっ迫への対策です。暖かいと表情筋が緩みますが、懐まで温かいとよいのですが…。一方、昨晩のコスタリカ戦の結果には表情がこわばります。
6年生の進学先は様々です。受験等によって公印を必要とする書類がある場合には、個別に面談をしています。堅苦しいものではなく、人柄を知りたいと思うからです。話をしていると意外な発見というか気づきがあります。中学校でやりたいことや興味のあることなど、「そうなんだぁ」と思わせてくれるとともに、応援してあげたいという気持ちになります。
コロナ以前は、12月頃から3月初旬にかけて6年生と校長室で給食の会食をしていました。4~6人くらいでやってきてもらいます。私の都合が学校の行事もあって飛び石となることもしばしばですが、話をすることで個々に素とともに意外性にも出会えるのです。こういうことをすることで、卒業証書の手渡しが感慨深いものになります。子供たちと話して笑い合ったり、一緒に給食を食べたりすることができるときが早く戻ることを待ち望みます。
先日、卒業アルバム用の職員集合写真と6年生の授業風景の撮影がありました。私自身、カメラを向けられて笑えるようになったのはいつ頃からでしょうか。口角をあげて穏やかな表情になります。昔あるドラマで、埠頭を俳優の松田優作さんが何も語らず恋人の前を歩くシーンがありました。その姿に憧れ、学生の頃はなるべく寡黙を貫きましたし、滅多なことで笑わないように努めました。でも、「笑った写真のほうがいいよ」「幸せが逃げちゃうよ」と言われて笑ってみると、温かみのある写真に変わるから不思議です。今は自然と笑顔になります。周囲を幸せな気持ちにさせる笑顔でいられる爺さんになれるようにします。
学校では、受験を控える子もそうでない子も笑顔いっぱいの残り4カ月になるように、私たちができることを精一杯やっていきたいと思います。
116 地図帳で遊ぼう(11/25)
昨朝の朝日新聞。自宅で見た新聞と学校に配達された新聞の違いを感じます。サッカーW杯ドイツ戦について記載された1面。『8強の夢 若武者に託す』という結果を待たず印刷された紙面と『日本 金星発進』という午前0時過ぎに印刷された紙面。我が家は柏、ここは市川で同じ県北西部なのにとても不思議な出来事でした。
さて、40年近く前に教育実習に行った私は、子供に問われて困ったことがあります。それは、「先生の専門は何ですか?」というもの。私は、国語科でも算数科といった教科ではなく、教育学専攻だったからです。子供に「教育学」と言っても理解されるはずもなく、かといって嘘もつけず…。
教員になって数年してから社会科の面白さに目覚めて、好んで研修しました。様々な分野でネタ探しをしたり取材旅行に行ったりして授業を組み立てたのです。
さて、3年生で配付される地図帳を見たことがあるでしょうか?教科書はペラペラめくることがあっても、地図帳を開く機会は皆無に等しいのではないかと思います。今日はいつになく、まじめな話題です。 教科書同様、地図帳も改訂が進み、使いやすさやわかりやすさを追求しています。小学生が、あるいは担任が利用しやすいことを念頭に置いていることがよくわかります。楽しく情報の読み取りができる工夫も目立ちます。
ところで、「ロコ・ソラーレ」と聞けばカーリングのチームを思い起こします。拠点は常呂町(北海道)です。地図帳にもカーリングのイラストが記されています。授業でも取り組むといいますが、どうしてこの地で盛んになったのでしょう。どうも「気候」に関係があるようです。北海道のスポーツといえばスキーを連想しますが、年間降水量が少ないオホーツク沿岸の町にはスキー文化がないようです。このようにスケートも含めて、気候とスポーツの関係は深いことがわかってきます。
現在使用されている地図帳には、QRコードを読み取ってタブレットでデジタル化されたデータや写真、イラストなどを閲覧できます。地図記号や都道府県名に関するクイズもあって十分楽しめます。子供たちも指示がなければ地図帳を開くことがないのかもしれませんが、学校での隙間時間や家庭学習に使ってみると意外な発見があるかもしれません。「えっ、こんなこともできるんだぁ」と、大人も子供も、まずは知ることが大事なのだと思います。家にあったら、今日開いてみてはいいかがでしょうか?
115 脳内シナプス(11/24)
少し前HPのトップに、「1年生だってこんなにキレイ!」と題して、整頓された靴箱の写真をアップしました。これに刺激されたわけではないでしょうが、どの学年昇降口に行ってもきれいに整っているではありませんか。何だかうれしい気分になります。うれしいといえば、昨晩のサッカーW杯ドイツ戦。劇的な逆転勝利に、夜中2度も大声をあげてしまいました。午前零時までテレビの前にかじりついていたのもいつぶりだろう?
さて、昨日は冷たい雨が降り、日中にかけて気温が下がっていきました。冬に近づいていますが、道の駅の野菜コーナーも様変わりしてきました。葉物や根菜の占めるスペースが増えています。泥ネギも出始めました。また、これは何だろうと思う珍しい野菜もあります。スーパーで見かけたのが「ロマネスコ」です。カリフラワーとブロッコリーの間に生まれた野菜のようで、「カリッコリー」とも呼ばれるそうです。野菜に限らず、新製品や新商品が登場すると、名前をだんだん覚えられなくなりそうで不安…。
そういえばここ最近、いや?随分前からですが、人やモノの名前がすぐに出てこないことが多いのです。例えば、「ほら、あの番組に出ていた人さぁ…」「えっ、どの番組よ」「背が高くて、弟も俳優でさぁ…」「男の人?女の人?」みたいな会話が続きます。頭の中では映像が出来上がっているのですが、名前が言葉になりません。まるで、昔NHKでやっていた『連想ゲーム』でヒントを出し合う場面のようです。どうも脳内シナプスが所々断線している?テレビの主人公の名前が出てこない時は、「最初が“か”、最後が“な”」なんてヒントを提供してくれます。ここでスマホ検索はいけません。思い出す努力が脳の活性化につながるそうです。しばらく思案して、「川口春奈!」と正解にたどり着き、シナプスの修復に成功したわけです。
観ていた番組は、そう!『silent』。ミーハーです。今どき「ミーハー」なんて言葉自体が死語かぁ?
114 季節は冬へ(11/22)
今日は、二十四節気の「小雪(しょうせつ)」で、年末まであと39日!夜空を見上げてオリオン座がくっきり見られるようになったら、私の中では冬。そんなオリオン座は見つけやすくて観察に適しています。ちなみに、来週27日から28日にかけてオリオン座流星群が観測できるそうです。
12月の声を聞く頃から豪華なクリスマスイルミネーションが始まる家が数件あります。夕方からランニングをしながら、そうした家々を見に行くのも楽しみの一つです。クリスマスシーズンの歌にも「イルミネーション」は結構登場します。私自身も好きなので、電気代のかからないソーラーのイルミネーションを設置して通年で楽しんでいます。
日が暮れるのが早くなりました。サザエさんの磯野家では、冬場も明るいうちに波平さんやマスオさんが帰宅しますが、「いやいや、無理でしょう」と独り思いながら、家が近づくとどこからともなく石鹸のよいにおいが漂ってきます。不思議と落ち着いた気持ちになるのはなぜでしょう。もしかすると、石鹸の香りが子供のころの記憶と結びついて何らかの作用があるのかもしれません。そのあと、湯船に浸って足を伸ばしたときは幸せ~。
「ねぇ、ちゃんと風呂入った?」なんていう子ども同士の会話をふと思い出します。「うん」と答えれば、「姉ちゃんと風呂入っているんだぁ~」と言われるし、否定すれば、「風呂入ってないなんて汚ねぇ~」となるし…。「パン作ったことある?」も同じ!でも今どきはそんな会話は園児でもしないのかもしれませんが…。
そんな言葉遊びは、国語の勉強にもなります。どこに句読点を打つかで意味が変わります。
「刑事は血まみれになって逃げる強盗を追いかけた」(血まみれはどっち?)
「彼女は恐いと言った」(恐いのは?)
「今日は雨が降る天気ではない」(今日は雨が降るの?降らないの?)
113 深まる秋の夜は(11/21)
サッカーW杯カタール大会が昨日開幕しました。日本は、ドイツ(11/23)・コスタリカ(11/27)・スペイン(12/2)と対戦しますが、カタールとは6時間の時差があるため、夕方以降の試合は日本では深夜になってしまいます。4年に一度の祭典ですから観たいけれど、寝不足はつらいし…。こう言うと「ニュースで結果がわかるじゃん」と言われてしまいますが、ダイジェストの結果もさることながら試合展開が気になるのです。
今朝電車内の電子ニュースで見たカタールVSエクアドルの試合結果に「バレンシア(13)選手がPKを…」といった文章が添えられています。「えっ、13歳でワールドカップに出場かぁ」と思って調べると、「13」は背番号のようです。
さて、私の通うレッスン教室主催で、プロのウクレレ奏者を招いてミニライブをやるというので聴きに行きました。世界Jrコンクールで優勝をしている17歳の女性です。数曲披露してくれましたが、ジャズというかボサノバというか、夜に照明を落として聴いたらすてきだなぁと思う曲もありました。
そんなこともあり、安直な私は最近自宅から最寄り駅までの往復の時間に、スマホでジャズ曲を再生して聴いています。(電車の中では聴かない理由は、補聴器から音を出しているので、音楽再生用イヤホンと違って周囲に駄々洩れらしいからです)
そうした曲を聴きながら、『Night Birds』を代表曲とするShakatak(シャカタク)を思い出しました。大学生のころ、カルチャーショックを受けた気持ちで聴きまくりました。当然カセットテープも野比のび太!また、軽音でバンドをしていた友達の影響もあってインストゥルメンタルなる、歌のない楽器だけで演奏される曲がたくさんあることも初めて知ったあの頃。
さてと、今宵はジャズかインストかサッカー観戦か…。
112 わたしんち(11/18)
週末であっても6時には起き出して活動開始します。寝坊した日は一日が短くなったようで損した気持ちになるから不思議です。そんなある日の朝食がホットドッグ。テーブルにはマスタードのチューブとケチャップが用意されています。「あっ、そうだ」と言って冷蔵庫から改めてケチャップの小袋を出しながら妻が尋ねます。「ねぇ、2019年9月が賞味期限だけどいい?」と。弁当用に買ってあったものらしいのですが、冷蔵庫保管とはいえ3年ぶりの登場にはさすがに遠慮です。
3年ぶりといえば、11月に入って益子に出かけました。春と秋に陶器市が開催されるのです。コロナで開催が見合されていましたが、今年のGWから再開されました。春は行かなかったので、全体の様子が少し変わって見えましたが、感染対策は丁寧でした。ただ、人出は相変わらず。娘も同じ日に出かけていましたが、会うことは困難だと思っていました。何といっても、携帯の電波が悪すぎます。LINEはすぐには届きませんし電話もつながらない。あるポイントにいる時だけ受信できる感じですから…。にもかかわらず会えたのは奇跡?
私も娘も焼き物が好きなのは妻の影響です。好みは全然違いますが…。同じように他者に影響されることは結構多いように思います。見かけによらず、雑貨やドライフラワーにも興味がある私。また、娘は私の影響でサッカー観戦が好きで、一緒に埼スタなどにも行きましたが、旦那と付き合いだしてからバスケの観戦に夢中になってしまいました(悲)。
平田小の子供たちもいろいろな体験をしたり、様々な人と関わったりして見方や感じ方を広げてほしいと願います。先入観や食わず嫌いはもったいないですから!では、よい週末を。
111 自業苦(11/17)
大学時代、教員養成課程の友達の実家は栃木のお寺。夏休みなどを利用して、京都で修業をしてきたという話も何度か聞きました。バイク好きだったので後ろに乗せてもらったり、実家へ寄ったりしたこともあります。教員の免許は取りながらも、教員にはならず地元に帰りました。その名も「青龍寺」くん! 苗字です。
さて、三途の川の「三途」は仏教の経典に記されています。文字を「三塗」と書いてありましたが、これは「地獄」「餓鬼」「畜生」の3つを指すのだそうです。また、「地獄」を「自業苦」と表すことも知りました。仏教では、自分の「業(行い)」が生み出す苦しみを「自業苦」と呼ぶそうです。この「業」には3通りあって、身業・口業・意業といわれます。
報道で目にする政治に携わる者の汚職や公務員の不正などは、自分で埋めておいてその地雷を自ら踏んでひどい目に遭っている姿は、身業の典型かもしれません。また、自分の口から出た言葉に己が縛られ苦しむこともあります。これが口業。先日、某大臣が考えられないような発言をして職を辞しましたが、まさにこれは自業苦!自業自得とは言いますが、その因果は曲げられませんから、「自業苦」から「地獄」へと堕ちていくことになるわけです。つまり、自分を苦しめるのは「あいつ」でも「こいつ」でもなく、自分の心なのでしょう。
コロナ感染者が東京都でまた1万人を超えました。また、八王子市の小学校でインフルエンザの流行による学級閉鎖が報告されました。感染防止対策が当たり前になっていることはよいことですが、慣れからくる油断により「自業苦」に陥らないように気を引き締めたいものです。
だからといって怖がって消極的になるのではなく、良いと判断したことは自信をもって押し進めていける心の強さも持ち合わせていられるようでありたいと思います。
110 テレホンカード(11/16)
久しぶりにまとまった雨が降ったように思います。今朝は寒いですね。
菩提寺の入り口に次のような掲示がありました。
自己肯定感って 「自分をすごい!」と思えることじゃなくて
できないことが沢山ある自分も 受け入れられるってことじゃないかな <高知 東生>
偉いお坊さんの言葉ではないところがよいのですが、タレントの高知東生(たかち のぼる)さんといえば、薬物依存症を含めてどん底を味わっている方です。「自己肯定感」を「自己受容」と言い換えれば気持ちが楽になりますし、自己評価も高まるような気がするのです。
さて、父や母の荷物から時々テレホンカードが見つかるときがあります。使用中の穴あきからまっさらなものまで合わせると10枚はあるのではないでしょうか。災害が起きた際の連絡手段として公衆電話は有効ですが、普段使いする機会はないので宝の持ち腐れ状態でしょうか。
ひところはこのテレカが記念品やノベルティの定番でした。40年前に発行・発売され、90年代中頃に最も利用された歴史があります。その後は下降線を描き、2019年秋にNTTによる私製デザインカードは終了するなど、目にする機会がなくなったように思います。今ではクオカードや図書カードに取って代わられていますが、公衆電話の設置が義務付けられていることもあって、少ないながらも今も生産は続けられているようです。ちなみに、コンビニで買えます!
コレクターアイテムとして希少価値があるものもあり、聞くところによると100万円超の高額プレミアカードも存在するとか。図柄が知りたいと思いますが、斉藤由貴や南野陽子、ジャッキーチェンなどもものによっては1万円以上するようです。
テレカ導入までは、公衆電話は硬貨を入れてその分だけ電話ができる方式のものしかありませんでした。色も赤、青、黄色とあり、黄電話タイプは100円硬貨が使えるのが魅力でした。10円玉を積んで通話が切れる前に追加投入する必要がなかったのですが、100円分を使い切らなくてもおつりは戻りませんでした。こうした背景があって登場したテレカだったわけです。
学校の事務室前にある緑電話。昔は忘れ物をした子が、名札から十円玉を出して受話器を握っていましたが、今ではそうした光景にお目にかかることはありません。収益(?)は、先月も0円!
109 版画(11/15)
4年生の教室で木版画に取り組んでいたのは先週のこと。緑色の板、青い板、黒い板と色とりどり。担任に尋ねると、青いものは彫刻刀を使う練習用で、黒いものは一度試し刷りした子。緑色は今まさに彫り進めている子のようです。
現在の版画板は、とにかく彫りやすく彫刻刀がきれいに進みます。同時に色板なので紙に印刷した時の色の出方をイメージしやすくなっています。昔は合板でしたが、木の芯があったり彫りにくい方向があったりして、彫った線がガサガサになったものです。そういえば、現在の彫刻刀にはケガから守る工夫もされています。
彫ることに慣れると、切出しを使った浮彫りも上達しました。中学生のころに作った、父のフルネームの表札はそれから40年間、実家の玄関の軒下に掲げられていたのです。うれしいことです。
版画とは違いますが、身の回りに木材がいろいろあって自由に使える環境だったようにも思います。家を建てる現場では、その場で木を切ったり鉋(かんな)で削ったりするのが当たり前でした。今のように工場で出来上がったものを現場で組み立てるという作業ではありません。当然、端切れや板材がたくさん出ます。これは絶好の制作材料、宝の山です。のこぎりで切ったり釘を打ったりして船やロボットなどを作ります。自然とのこぎりや金づちの使い方なども習得します。
また、私は笹薮が好きです。今でも見つけると入り込みたくなります。それは、小学生時代に笹薮の中に秘密基地を作った思い出があるからです。ボンナイフなどを使って笹を切り、奥へ奥へと進みます。そして、人ひとりが入れる空間を作るのです。そこに大事なものを空き缶に入れて持ち込んで…。こうした様々な楽しみ方ができたのが私たちの時代です。遊びながら生活に必要な技術を身につけたのです。
4年生の教室廊下に、刷り終わった版画の作品が続々と掲示されています。じっくり見て回ります。
108 初めて(11/14)
職員玄関を入って正面に季節の植物が展示されます。ザクロや柿などありましたが、最近真っ赤なカラスウリがたくさん置かれています。職員に紹介したら、翌日には『カラスウリ』という本が添えられていました。こうしたちょっとした心遣いがうれしいのです。私はといえば、もうしばらくしたら種を採って財布に入れておこうかと狙っているところです。
さて、先週は半日かけて校長室と会議室の掃除をしました。今日、県教委と市教委の学校訪問があるからです。担任は、3校時または4校時の授業を見てもらい、午後から指導をいただきます。当然、校長も学校経営について説明したり指導・助言をもらったり…。家庭でも同じですが、人を気持ちよく迎い入れるために準備を怠ることはできません。日本人特有のお・も・て・な・し!
というわけで、校長室と会議室を仕切るパーテーションを初めて開けました。明るいし広い!執務用の椅子から見える景色も違います。廊下を通りかかった6年生が驚いていましたし、職員も「初めて見ました」というくらい。長机の配置も変えて中央にゼラニウムの切り花と綿の枝を飾ってみました。
人それぞれに「初めて」が繰り返されます。何でもないことが急に思い出されることもあります。例えば、初めてカップヌードルを食べた日。中学生になって友達と遊んでいた途中、自販機で買ってお湯を注いでその場でチュルチュル…。初めて映画館で映画を観たのは高校生。『風と共に去りぬ』を立ち見で。彼女と一緒で緊張する中、長いし疲れるし、内容なんて全然入ってこなかったことだけ覚えています。そして、初めて行ったコンサートは、中学校の友達に誘われて…。ユーミンだったこと以外よく覚えていません。そのあと2度目は、なんと4年前のスキマスイッチ。それも娘が急遽行けなくなったため回ってきたチケットでした。
人との出会いも「初めて」の連続。いくつになっても、よいめぐり逢いに期待します。さぁ、今日はどんな初めてがあるでしょうか?でも、忙しい!忙しい!
107 修学旅行を終えて(11/11)
シャポーの装飾が、いつの間にかクリスマスに切り替わっています。
10月が終わろうとするころ、韓国ソウルの繁華街・梨泰院の路上ではハロウィーンを前に集まった若者が狭い坂道で折り重なるように倒れた雑踏事故が発生。150人以上の死者を出しました。一方インドでは、百年以上の歴史があって人気観光地としても有名なつり橋が崩落して130人を超える死者が報告されていました。
宿泊学習で100人もの子供たちを引率する際、担任を含め全員がその職責を重く感じながら行動します。元気に帰ってくるのが当たり前。そして、「楽しかったぁ」と思い出を語る子供たちを親は待っているからです。誰一人けがすることもなく無事学校に到着すると肩の荷が下りてどっと疲れが出るのですが、それも心地よいものです。ただ、翌日が休みだったら…という思いはあります。
今回、私自身3年ぶりの修学旅行に引率して、以前と随分変わったことを感じました。その一つが子供たちの荷物。宿までバスのトランクに入れられている大きなリュックに替わって「ガラガラ」が目立ちます。その割合は4分の1程度でしょうか。2つ目が職員同士で連絡を取り合う手段。それこそ何十年も前はトランシーバー持参でしたが、携帯電話で必要事項を伝える方法になりました。でも、今回も含め校外学習では、ライングループを使って情報共有しています。現状が手に取るようにわかって便利であることを実感。
また、シートベルト着用も当たり前となりましたから、席を立って歩く子は皆無です。バスレク係がなくなってDVD鑑賞時間が長いわけですが、今回も3本観ました。ただ私にとっては無声映画なのです。画面を見ながらストーリーを自分なりに作り上げています。健聴者は、あの音で聞こえるのだと改めて驚きです。いずれにせよ、晴天かつ心配な事案もなく幸せな2日間でした。
さて、今日は1のゾロ目であることもあって、「ポッキーの日」「下駄の日」「鮭の日」「西陣の日」「鏡の日」「折り紙の日」「麺の日」「乾電池の日」「靴下の日」「サッカーの日」「チーズの日」「ピーナッツの日」「もやしの日」ほか記念日のオンパレード!
106 違和感の正体は?(11/10)
11月4日夕方時点では、HPアクセス数90万本のわずか手前でしたが、修学旅行を明けて見てみると90万を5千も超えているではありませんか。80万達成をここに記したのは7月5日でしたから、4か月で10万件といった計算になります。多くの方に見ていただけていることを嬉しく思います。このままいくと、単純計算で3月初旬に100万件を突破します。
一昨晩は、歴史的な天体ショーでした。その一つである「皆既月食」はとてもきれいでした。欠けていく姿、逆に元に戻っていく様子は神秘的。同時に、月が天王星を隠す「天王星食」も起こっていたようですが肉眼ではよくわかりません。日本では442年ぶり(1580年7月の土星食以来)で、同時観測される次の機会は322年後(2344年7月の土星食)だそうです。まぁ、誰も見ることは叶いませんが…。
さて、そんな欠けていく月を眺めながら電車を待ち、修学旅行帰りの重い荷物を持って乗った電車の中でのこと。西船橋駅から乗ってくる客が多くて車内が混みあいます。最後に乗ってきた人を見たときに、何かしら違和感を覚えたのです。それが何なのかよくわかりません。しばらく経って、その正体が判明。マスクをせずにいるため顔全体が見えていることです。マスク生活が当たり前になると、マスクを着用していないことが違和感の原因になるなんて…。今年の新語・流行語大賞にノミネートされている言葉の中に「顔パンツ」がありますが、電車の中での出来事はまさにそれ!何か事情があったのでしょうが、全国の感染者数がまた増えている中にあって顔パンツは、まだまだ手放せません。
これからの季節には寒さ除けにもなりますが、目深にニットハットを被りマスクする私の姿は、それはそれで違和感の対象なのかもしれません。
105 “ゆかり”と“ひろし”(11/9)
昨日、修学旅行から帰りました。秋晴れの清々しい天気で、東照宮周辺の燃えるような紅葉は見事でした。一方、奥日光は裸になった木々。家康ゆかりの東照宮には、時期的なこともあって学校数は少なめで、集合し写真を余裕で撮れました。また、日本広しといえども、華厳の滝・龍頭の滝・湯滝という三名瀑を一気に見られるのは日光だけかもしれません。子供たちは、家で何を話したのか気になります。
さて、先日、広島菜を使ったふりかけがキッチンに置いてあるのを見かけました。黄緑色のパッケージに「青菜ごはん用」と書かれ、「ひろし」という名称です。「広島だから?」と思っていると、もう一つの紫色のパッケージのふりかけが並びます。「しそごはん用」と書かれていますが、ご存じの「ゆかり」です。そうなんです、「ゆかり」と「ひろし」といった男女ペアにしたかったようです。なかなか粋な命名です。
休日の朝、鏡をじっと見ていると、瞼の周辺にシミを発見!これもむかし日焼けを、頑張った「勲章」だと思っていた「代償」です。だって腕にも背中にもあちこちに…。そして、ひろしは数え唄を口ずさみます。
♪一つ 人よりシミがある 二つ ふたつもシミがある すると、ゆかりも一緒になって歌いだします。
♪三つ 三日月シミがある 四つ 横にもシミがある
♪五つ いつでもシミがある 六つ 向こうにシミがある
♪七つ 斜めにシミがある 八つ やっぱりシミがある
♪九つ ここにもシミがある 十で とうとうしみったれ
我が家のしみったれ「ひろし」と「ゆかり」は、まるで打ち合わせでもしたかのように寸分違わず歌えるのでした。めでたし、めでたし。
104 新品を身に着けて(11/4)
明後日6日は「アパート記念日」。1910(明治43)年、上野に初の木造アパートが完成した日といいます。5階建て70室の賃貸で、洗面所と浴槽、電話は共同だったそうです。私が結婚してすぐに暮らし始めたのも菅野周辺の2階建てのアパートでした。
最近、4年生のグリーンスクールと2年生の千葉市動物公園に引率しました。ありのみコースでは、いつの間にかシーソー型回転遊具担当のおじさんになっていました。でも、「楽しかったぁ」という一言がやけに嬉しくて…。一方、動物公園では何人もの子供たちが動物科学館の中を案内してくれるなどいっぱい話ができました。
さて、週明けの月曜日から一泊で日光修学旅行に行きます。教員になってから何度目の日光修学旅行でしょう。20回は下らないことは確かなのですが…。東照宮の見学ポイントあるいはいろは坂・中禅寺湖周辺で聞くバスガイドさんの案内、華厳の滝や龍頭の滝の視点など尋ねられれば答えてあげられそうです。奥日光は10月下旬に初雪が降ったと聞きました。きっと宿周辺の朝は氷点下だと思いますが、週間予報を確認すると、去年のような豪雨に見舞われることはなさそうです。
修学旅行をはじめ、宿泊があるときは下着を新調してくれます。もし風呂に入るときなどに古びた下着を身に着けていると恥ずかしい思いをするだろうからという配慮。脱臼癖のある私は、何年も前のある夏の朝ベッドから起きようとして左肩脱臼!救急車を呼んで病院で治療してもらいましたが、家に帰る段になって首の伸びたヨレヨレのTシャツ姿であることに気づきます。恥ずかしくて電車に乗れる恰好ではないので、義父に車で迎えに来てもらったとことを思い出します。
宿泊学習につきものなのが忘れ物。名前のないタオルや下着、片方だけの靴下…。名前があっても自分のものだと気づかない子がいるのは今も昔も変わらないような…。 というわけで、来週2日間はブログ休載。その代わり、「学校・児童の様子」には、できるだけリアルタイムで写真を掲載する予定です。そうそう、これまでの校外学習でも、子供たちの様子を写真付きで掲載していましたが、ご覧いただいていますぅ?
103 キャッシュレス(11/2)
金融教育を推進するある研究会が、中学3年生を対象にした「キャッシュレス決済を利用しているかどうか」を調査した結果が公表されていました。その利用率は約62%に驚かされます。交通系の電子マネー(PASMO・SUICAなど)は5割弱、ペイペイやラインペイなどで20%以上です。スマホ決済が1割弱いますし、クレジットカードを利用する生徒も4.4%と決して少なくありません。
確かに、「現金を持ち歩かなくてよい」「支払いがすぐ完了する」「おつりがなくてよい」などメリットはあります。一方で、自分の支払い能力を超える買い物ができてしまう怖さがあります。修学旅行などへ行ってお土産を買う際に、品物の値段をたし算して手持ちの金額を考えながら折り合いをつけるのもよい経験です。ブレーキのないキャッシュレスだったら百害以外の何物でもないようにも思います。
キャッシュレス全盛になると、PASMOなどを持っていないときに電車に乗るために現金で切符一枚買うのも大変になってしまいますし、買い物の支払いでお札ばかり出して、財布が小銭だらけになるなんてことも考えられそうです。ただ、ペイペイの支払い方法だって様々なため、躊躇してしまう人は少なくないと思うのです。
紙幣に目をやると、肖像が時代とともにかわります。千円札の場合、聖徳太子や伊藤博文が今は使われていないのはわかりますが、現在出回っているのは野口英世?夏目漱石?色合いが似ているので、新旧の見分けがすぐにつきません。2年後には北里柴三郎になりますから、ますますわからなくなりそうです。
そういえば、私は中学生の頃から数年間、古銭集めに熱中しました。今も大事にとってありますが、「昭和○年の○円玉は製造枚数が少ないので貴重だ」と知ると、財布の中の硬貨を広げました。十円玉も「縁にギザギザがあるものは玉数が少ない」と言われ、「ギザ十」集めをしました。穴がない五円玉、逆に穴のある五十円玉なども含め、ストックブックに保管したのです。これからを買い取ってくれる店もありますが、二束三文というか百円はやはり百円程度なのだろうと期待はしていません。
キャッシュレスではこんな楽しみ方も薄れてしまいます。
102 乱れてる?(11/1)
ワイシャツの襟元にはネクタイが締められます。今日から11月。気持ちも引き締まります。最近、穏やかな天候が続いていましたが、朝の挨拶&見守りのために通学路に立つことがなかなかできていません。寒くなって横着しているわけではなく、出勤後から何故かせわしないのです。また、校外学習があれば引率したり見送ったり…。今日も2年生の校外学習に同行させてもらいます。
さて、24日の朝日新聞に、文化庁の21年度国語世論調査に関する記事がありました。「姑息(こそく)」の意味を「卑怯な」と回答した人が約74%、「割愛(かつあい)」を「不必要なものを切り捨てる」と回答した人が65%だったといいます。ともに本来の意味とは違い、前者は「一時しのぎ」で後者は「惜しいと思うものを手放す」という意味が正しいそうです。知らずに使っていました。 20年度は「がぜん」や「破天荒」、「すべからく」が調査問題でした。その前年は「手をこまねく」「敷居が高い」「浮足立つ」が調査対象となっていました。このほかにも、「気になる言葉」なども取り上げられます。 そういえば先日、ドラマである場所の映像を見て、「あっ、タワーレコードだ」と言ったら、「やめてよ。お願いだからタワレコって言って!」と家族に頼まれました。「いやいや、なんでも縮めるのはよそうよ」と思いながらも自分勝手な簡略言葉を発して皆に馬鹿にされそうな気がします。 ところで、タレント&歌手のDAIGOさんがある言葉をアルファベットで表現することがあります。例えば「平田っ子まつり」なら「HTM」のように…。あれを即興でできるならすごい能力だと思っています。
それでは、ITK! 行ってきま~す!
101 秋の実Part2(10/31)
今頃の時期になるとオレンジ色から赤色に変化して、熟した果実をつるからぶら下げるカラスウリを山野で見かけます。木の実は有名ですが、日が暮れると開花して朝には閉じてしまうという一夜花が見たくて裏庭で育てましたが、蕾すらできません。当然実をつけることはなく、毎年肩を落とします。
そこで、秘密の場所から蔓ごと採ってきて、庭木の枝にぶら下げるとオレンジ色が映えて格好の飾りになるのです。長いこと庭のアクセントになり、薄茶色になった頃には種が採れます。この種がまた特徴的です。その形状が大黒様のお腹のようで縁起がよいとか、打ち出の小槌のようだからという理由で財布に入れておく人がいるそうです。金運アップのアイテムとして…。ちなみに、赤く完熟したカラスウリの実はシロップやハチミツ漬けにして食べられるらしいです。
また、秋の実で思い出すのがヨウシュヤマゴボウ。きっと一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。ブドウを小さくしたような濃い紫色の実をたくさん房につけます。花瓶に生けるだけでも絵になりますし、熟したこの実を潰して水に溶かせば赤ワイン色になって、色水遊びをしたり絵を描くためのインクにしたり…。低学年の生活科でも活躍する場面が見られます。
先週、4年生は大町方面へ出かけて自然と触れ合いました。もしかすると、数珠玉やひっつき虫のオナモミ、カラスウリなど、秋の実をあちこちで見ることができました。ありのみコースにはどんぐりがいっぱい落ちていました。普段、「どんぐり」と一括りにしてしまいますが、いろいろな種類があります。一般的に細長いのがマテバシイかコナラ、小さかったらシラカシ、太っちょな奴はクヌギです。マテバシイならどんぐり笛が作れますし、クヌギはどっしりとしたどんぐり独楽に最適です。そういえば先日、1年生は独楽を作っていました。オナモミ・ダーツなんてものも楽しそう。
100 ねんどの神さま(10/28)
昨日、5年生の「夢の教室」(児童の様子ブログ参照)で来校した元サッカー選手の波戸康広さんは、現役を退いて10年以上が経ちますが相変わらず格好いい!短い時間でしたが、温かで包容力を感じる人柄でした。
さて、読書週間に向けて「先生方のおすすめの本」の紹介用紙をもらっています。何にしようか考えて、好きな絵本というかお話を紹介しようと思いました。残念ながら図書室には置いていないというので、別の本にかえますが、ちょっとだけ知っておいてほしいと思って、あらすじを記そうと思います。「ずっこけ三人組」シリーズで有名な那須正幹さんが書き、黒を基調とした絵も重々しい雰囲気を醸しています。
“太平洋戦争が終わって、ちょうど一年がすぎた9月のことだった。”という文で始まります。主人公の健一は、戦争を起こす人間をこらしめるねんど細工の神さまを学校で作ります。健一の親はみんな戦争で亡くなって、戦争を憎んでいるからです。校長先生は、“この作品は、子どもの戦争に対する素直な憎しみが表現されている。”と言ってひどく気に入り、校長室に飾ったのです。何年かして学校は廃校。ねんどの神さまも倉庫に長い間忘れられたままでいました。
それから40年以上が経ち、健一の作ったねんどの神さまが、身長100mを超えるような巨大な怪物になって突然山村に現れます。自衛隊や様々な兵器で攻撃されますが、びくともしないどころか、どんどん東京へ近づきます。そして、怪物はあるビルの一室に目的の人物を見つけます。それは、兵器会社の社長になっていた健一だったのです。
殺されることを覚悟した健一に怪物は、“ぼくは、ケンちゃんのつくった神さまなんだよ。ぼくにケンちゃんを殺せるわけないじゃないか。ぼくはね、ケンちゃんに教えてもらいたくって、やってきたんだよ。ねえ、ケンちゃん。もう、ぼくは、いなくなったほうがいいのかなあ。ケンちゃんは、昔みたいに戦争がきらいじゃないみたいだからね。”と尋ねます。これに対して、“わたしは、子どものころとかわりないよ。(中略)わたしの事業は、平和のための事業なんだよ。”と健一は返します。
最後は、自分の意志で小さなねんど細工に戻った神さまを健一が破壊します。そして、“これで、いい。この数十年、心のすみにひっかかっていたトゲのようなものが、きれいになくなってしまった。”と言い、晴れ晴れした気持ちになるというストーリーなのです。
切なさの中に、何かもどかしさを含んだラストシーンです。ただ、日本だっていつ戦争が起こっても不思議ではないことを示唆する作品にも思えるのです。大人も考えさせられますし、読み聞かせもありだと思うのです。ぜひ!