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校長室から

478 愛着ある者たち(24.9.24)

 先週金曜日は、私用で休みをもらいました。出かけるまでの間、大リーグ中継を見ていると、偶然にも大谷翔平選手の50本塁打・50盗塁達成という場面に遭遇。不思議と近しい人の活躍を見るような気分に浸ってしまいました。

 巣立った子供たちが残していったぬいぐるみは、みな優に成人(?)年齢に達し、大谷選手と同年代ばかりです。そして、一つ一つに名前がついています。例えば、犬のぬいぐるみ。ワンポ・ワンワン・ワン太郎・ワンの助・ワン次郎・ワン太・ワン吉…など覚えきれません。また、北海道でお土産に買った手のひらサイズのキタキツネに、プーちゃんと名付けて特別大事にしていた息子。日光江戸村で買った印籠をあげたら、その中に入れて持ち歩いては時々覗くほどのお気に入りでした。ある日、印籠に入れてポケットにしまったまま洗濯に出したからさぁ大変!プーちゃんは、目が取れたり毛が抜けたりして無残な姿になってしまったのです。大泣きして、しばらくショックから立ち直れなかったことが思い出されます。それほど大好きだったプーちゃんの2代目がやってきたのはそれから数何年後。単に名前があるかないかだけなのに、親しみや愛着に違いを感じてしまうのが不思議です。

 8月終わりに、和室の障子を張り替えました。何年張り替えていなかったかなんて恥ずかしくて書けません。ただ、張り替えを決心して障子紙を買ったのは2か月以上前のこと。一念発起、頑張りました。糊張りだったので、まず古い紙を剥がすだけで大変。たった4枚にもかかわらず、何時間かかったのでしょう。剥がされた古い障子紙は、まるでわら半紙(懐かしい響き)のような色に日焼けしていたので、張り替え後の白さは部屋の明るさで一目瞭然。和室に暮らすぬいぐるみもひと際鮮やかに見えます。労力に見合った感動でした。にもかかわらず、3週間経った先日、障子戸に目をやると、角がペラっと剥がれているではありませんか。アイロン張りの弱さか、再度アイロンをかけてもダメだったので液体のりで補修。

 この「しょうじ君」たちは、いつまで色白で張りのある肌を保てるのでしょう。

477 Don’t miss the signs(24.9.20)

 会議室にある住宅地図を貼り合わせた学区地図を刷新しました。まだ外環自動車道が書かれていなかったので、把握しづらい部分がありました。着任して2年半も手もつけずにいたので、模様替えのつもりで…。地図をつなぎ合わせて学区を赤ペンで囲んでいくと、地図の足らない部分があることに気づいたり、「ここまで平田小学区なんだぁ」と改めて知ったり。なかなか学区を端から端まで見て回ることは叶いませんが、地図上で歩いて確認できたような気分になりました。

 さて、もう6~7年も前に新聞に掲載された小学1年生の詩を読んで、改めて考えされられました。

  きょうは あさ はやくから 

  べんきょうをした。 / みんな やった。 

  これは きっと ほめられると / おもった。 

  どんなに ほめられるのかなと / おもった。 

  ほめられたら いいのになあと / おもった。

  にこにこして、おかあさんに / 見せたら 

  おかあさんは、ほめてくれなかった。

  「土よう日の ぶんも しなさい。」 

  と はんたいに おこった。 

  わたしは なきました。

 様々な状況があるので一概には言えませんが、大人の都合や大人の尺度で褒めたり叱ったりしてしまうことがあるような気がします。致し方ないにしても、忙しさを理由に場面を見逃したり、送られるサインを見落としていたりすることもきっとあるはずです。褒めてほしいのは、1年生でも6年生でも同じ。この歳になった私だって、褒められたら嬉しい気持ちになりますし、誰に褒められるか、どんな言葉で褒められるかで嬉しさも違うものです。褒められるために頑張る子にしてはいけない、調子に乗せたらダメ、なんていう人もいるかもしれませんが、500人の子供たちを預かる中で、寄り添いながらサインを見落とさず勇気に変換できる言葉をかけてあげられる大人でありたいと思うのです。

 明日から今月2度目の三連休。子供も大人も嬉しいことがたくさんありますように!

476 コロッケ(24.9.19)

 休みの日の昼前に買い物に行って、「お昼ご飯はどうする?」と尋ねられます。特に、長期休業や連休中は考えるのも億劫な感じ。蕎麦やパスタ、ローリングストックのカップ麺、外食などの選択肢の中にあるのがコロッケパン。総菜コーナーでコロッケやメンチカツを買って、食パンやコッペパンに挟むだけ。千切りキャベツがあれば、なおよし。(自分ではやらないくせに偉そう!)

 胸を張れることではありませんが、自分で料理ができない者にとって、コロッケを作る大変さはわからないものです。だから、私が簡単にリクエストでもしようものなら嫌~な顔をされますが、子や孫のためならホイホイと作れるみたいです。一般的な作り方を見てみると、ジャガイモの皮を剥いて、茹でて潰します。玉ねぎのみじん切りとひき肉を炒めて、ジャガイモと混ぜます。小判型・俵型などに整形して衣をつけて揚げたら完成。火を使う、茹でる・炒める・揚げるといった3工程を含めて、何工程もあって面倒くさそうであることだけは理解しました。コロッケはスーパーなどで買うものと決めている家庭があってもうなずけます。

 来週最終回を迎えるドラマ『海のはじまり』にもコロッケのシーンがありました。主人公(目黒蓮)の娘が知っているコロッケは、スーパーで安くなった時だけ買ってくるもの。家でコロッケを作る姿を見て、「コロッケって家でも作れるの?」と驚くのです。これに対して「家で作るのはとても大変なんだよ」と優しく話す有村架純。そして、出来上がったコロッケを食べたその子は、「スーパーのみたい!おいしい」と感激するというもの。コロッケの味の基準がスーパーの総菜というのは、忙しい家庭では普通のことなのかもしれません。

 そういう意味で、恵まれているとしか言いようのない私は、亡き母の作ってくれた俵型コロッケが基準。夏暑く、冬寒い台所で山のように積まれるくらい揚げていた後ろ姿を思い出します。今もそれを引き継ぐように作ってくれる人がそばにいることに感謝以外ありません。

475 世は歌につれ(24.9.18)

 3年生が国語の学習で手紙を書いたそうです。敬老の日が近かったせいもあって、祖父母に宛てたものが多かったといいます。3年生くらいの子には、封筒に貼る切手自体が珍しく映るようで、シールと勘違いして貼り直そうとしたり、うまく貼れたことに驚いた顔をしたりする子がいるなど、担任にも驚きだったようです。

 LINEミュージックからのお知らせを開いてみると、「あの頃私たちが夢中だった曲」と題され、自分の生まれた年を入力できる欄があります。試しにやってみると、13歳のときに流行った歌が表示されました。「なみだの操」(殿さまキングス)、「うそ」(中条きよし)、「くちなしの花」(渡哲也)とあり、再生も可能です。画面をスクロールすると、14歳の3曲に「年下の男の子」(キャンディーズ)、「私鉄沿線」(野口五郎)、「ロマンス」(岩崎宏美)、その翌年には「およげ!たいやきくん」と続きます。高校生の頃は、ピンク・レディーの「渚のシンドバッド」「UFO」などを歌いながら教室で踊っていたことまで思い出されます。

 こんなことをS先生に話しながら時代を辿っていると、急に「あっ、私の生まれた年です」と言うではありませんか。それなら、とS先生の生年を入力すると…。中学生の頃の代表曲は「浪漫飛行」「真夏の果実」「ラブ・ストーリーは突然に」「愛は勝つ」「I LOVE YOU」など。まだまだ若い!敬老の日に、孫から「いつまでも元気でね」とメッセージをもらう者とはさすがに違います。

474 瞑想と迷走(24.9.17)

 今日は仲秋の名月。でも満月は明日ですが、きれいな月が見られると穏やかな気持ちになれそうです。

 「めいげつ」ならず、「めいそう」と聞くとイメージする文字は「瞑想」「迷走」のどちら?専ら私は「迷走」の方かも。自分の迷走もさることながら、学校や人が迷走しないように何ができるかを考えます。もう一方の「瞑想」には、集中力を高めたり創造力を引き出したりする効果があり、トップアスリートも多く実践していると聞きます。

 そうは言っても、瞑想はヨガ教室や寺など特別な場での行いのような気がしますが、日常生活では「今やっていることを意識する」といったシンプルな活動でよいといいます。食事の時には、食べ物の味や香りだけでなく、その形や舌ざわりなどを丁寧に感じながら食べるのだそうです。ゆっくりした食事により、これまで以上に美味しく感じられるようです。歯磨きだって同じ。一本一本の歯の形や表面などをイメージしながら磨くのがよいと、歯科医も推奨しています。洗顔やうがい、手洗いなどでも、目の前のことに集中する時間を作ると、新たな発見や興味を生み出すかもしれませんから実践してみる価値がありそうです。

 40年前に卒業した大学の友達の一人は、栃木で僧侶をしています。実家が寺なのに教育学部に入学し、3年次の夏休みは京都でずっと修業漬けでした。ある寺の住職は、精神医学を学びたくて医学部に進学し、6年間医師として働いた後、寺を継いだといいます。大学で学んだ心理療法の一つでもあるマインドフルネスで経を極め、禅を身近に感じられるようにしているそうです。大学時代の友人の彼は今、どんな住職になっているのでしょう。

 8月上旬に京都・東本願寺で得度式(とくどしき)が行われ、9歳の小学生28人も剃刀の儀を受けて僧侶になったという報道を見ました。子供たちが描く未来の自分の姿に、「僧侶」を挙げる子に未だ一度も出会ったことがありません。でも、実家が寺であるかどうかは関係なく、これだって立派な職業の一つ。瞑想や法話などをきっかけとして、仏道に目覚めることだって…?!