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校長室から
009 決断(5/2)
5月になってクールビズの始まりです。首元の解放感がうれしい。
千葉ロッテマリーンズの佐々木朗希投手が、28年ぶりに完全試合を達成したのは4月10日のこと。そして、次の登板でも8回終了まで一人も塁に出さない、2試合連続の完全試合達成目前。でも監督は最終回を投げさせませんでした。投手の肩肘を守ることも大事。でも、プロ野球史上で過去に十数回しかない偉業ですし、狙って達成できるものでもありません。ましてや、今後そんなチャンスがあるかすらわかりません。そうした中での監督の苦悩・決断はどんなだったでしょうか。
学校・学級経営も程度の差こそあれ、決断を迫られる場面が多々あります。真剣に考え、説明できることが求められます。たとえそうであっても、決めたことに対する是非は分かれます。100%の支持はありえません。
子供たちも様々なスポーツ等に親しんでいます。校庭や体育館で黙々と練習に取り組むサッカーやミニバスの選手に自然と目が行きます。吹奏楽部も制約ある中で頑張っています。初任のころから指導してきたサッカー部。指導者がいないということで任されたミニバスケットボール部。休みの日も部活動一色でした。でも楽しかった思い出でいっぱいです。記録を残せる人なんて一握り。ただ、自分の記憶に残せる取り組みは、どれだけ熱心に打ち込んだかで決まるような気がします。
スポーツのみならず、目標を見据えて場面場面で自己決定できるように子供たちを応援していきます!
008 5月といえば…(4/28)
♪柱~のき~ず~は おととし~の~♪
童謡『背くらべ』の冒頭です。この歌詞は、端午の節句に背丈を測ってもらった子供目線ですが、柱を背に身長を測る風習も薄れましたし、歌われることもほとんどなくなりましたし。もう無くなって2年経ちますが、実家の柱に私や弟、孫たちの身長が、爪の先で書かれていたのを懐かしく思い出します。ところで、私の額に刻まれた縦と横の深い皴はいつからなのでしょう?「おととしの~」なんていう次元ではありません。気になるからセロテープで留めて寝たら少しは…?
5月が近づくと、田園風景が続く中に鯉のぼりをいくつも見かけたのは、今は昔。最近ではほとんど目にしなくなりました。何mもあるポールを立てロープで支えるということは難しい住宅事情です。私が子供のころは、近所の職人が設置してくれ、悠々と泳ぐ鯉のぼりは春の風物詩でした。先日通りかかった東国分中学校そばの遊水地には、横に張ったロープにたくさんの鯉のぼりが風になびいていました。似たような風景を見て、「風に吹かれて、鯉のぼりが大きくなったのがきれいだった」とテレビから聞こえてくる子供の声が新鮮です。
「柱の傷」「鯉のぼり」など、失われていくものは少なくありません。昭和のじじぃには懐かしいものばかりですが、新しい風物詩も生まれていると思いたいものです。というわけで、「5月といえば○○」の○○を埋める設問があったら何と書きますか?5月の田んぼが大好きな私は、畦道などに生えるヨモギを使った「ヨモギ団子!」かな。
さぁ、明日からGWがスタート。何かに夢中になるが故に注意散漫で事故に遭うことがないように願っています。
007 わらびは何処へ(4/27)
毎週のように出かける道の駅、野菜コーナーに「わらび」が並んでいました。片手で軽くつかめる量が270円。お手頃な値段とは言えません。わらびは、おひたしや煮物、味噌汁などになって我が家の食卓に登場していた半世紀以上前。そのわらびだって、近所の雑木林から採ってきたもの。たくさん採っては祖母に褒められて鼻高々だった少年時代。だから、今も雑木林があるとわらびを探したくなりますし、笹やぶを見ると足を踏み入れて秘密基地を作りたくなる、そんなノスタルジックな気持ちに浸れる場所といえます。
ノビルやイナゴも自給でした。イナゴの足にある棘が頬っぺたの内側に刺さったことまで思い出します。大人になって、プランター菜園もやってみましたが物足りず、畑を借りて野菜作りに挑戦したもののすぐに挫折したのは数年前。
生活科や理科、総合でミニトマトやオクラ、ナス、トウモロコシ、枝豆、サツマイモ、稲、じゃがいもなどを育てる活動があります。自分あるいは自分たちの作物ですから、「大切に育てたい」「たくさん収穫したい」という思いが膨らみます。観察や世話にも余念がありません。ある子は、苗に名前をつけて愛しそうにしています。野菜の成長や変化、自分とのかかわりについてたくさんの気づきが生まれることを期待しています。
006 体が硬直!(4/26)
先週土曜日は、校庭で少年野球、体育館でミニバスの練習試合、校舎内で吹奏楽部の練習を見せてもらいました。みんなよい顔をしています。そして、吹奏楽部の子からは入部を勧められました。
さて、日課にしている週末ランニング。春先は花粉との闘い!しっかりマスクをすると呼吸困難に陥りますが、着用しないと鼻がグシュグシュになってしまいます。そして、走る前には入念なストレッチ。ただ最近は、可動域がめっきり狭くなって痛みが出るのです。普段の生活でも時々膝の屈伸運動やアキレス腱伸ばしをしなければなりません。校内で情けない姿を目撃されていないか冷や冷やものです。
子供たちは今月、「運動器検診」を実施しました。前後屈や片足立ち、しゃがみこみといった内容ですが、留意事項に書かれた言葉に目がいきます。「前後屈:(後ろにゆっくり反らしたとき)腰がイタタタとならないか注意する」、「しゃがみこみ:踵を浮かさないようにしてしゃがむ」などとあります。膝屈伸すると踵が浮いてしまいますし、片足立ちだって時々ふらつきます。全然後ろに反り返らない後屈、肩を回せば骨の音だけがやけにリズミカルです。
でも、休み時間に校庭で子供たちが元気に走り回っている姿を目にすると、なぜかじじぃも頑張ろうという気持ちを奮い立つのが不思議です。
005 困った子?いえ、困っている子です(4/25)
南門脇のつつじが咲いて鮮やかです。
私は柏住民です。最寄駅から船橋へ出て学校へ向かいます。前任校の場合は、船橋駅から快速で一駅でした。平田小へはその一つ手前。本八幡駅が最寄りとなる勤務場所も何度かありましたが、残念に思うことが1つ!それは、帰宅時にタッチの差で前の電車が発車して、次が「西船橋」行きだったとき。些細なことですが、そんな気持ちになるときってないでしょうか。
私自身についてもう少し話をします。私は遺伝性の難聴で、「聞こえ」に関する様々な困難を抱えています。聞こえない音に、電子音・ホイッスル・鳥の声・蝉の声、内緒話などがあり、高音域は全く反応できません。少年サッカーの指導に長く携わってきましたが、笛の音が聞こえませんから、吹いている様子や審判・選手の動きを見ながら笛が鳴ったことを知りました。もしプレーヤーだったら、ホイッスルを吹かれてもプレーをやめないためイエローカードの対象です。ですから、人との会話は大きなストレス。特に、周りに様々な音が混じっている部屋で協議をするような場面が苦手なのです。それでも相手の口元を注意深く見て頭をフル回転させて会話に参加しましたが、今はいけません。コロナでマスク着用の上にアクリル板が設置されようものなら逃げ出したい気持ちになります。当然のことながら、テレビ視聴には字幕が欠かせません。
これはほかの障害についても言えます。HSCや化学物質過敏症、起立性調節障害、吃音ほか。一見「普通」に見えるかもしれませんが、本人の中にある困り感は半端なものではないことが予想されます。発達障害も同様です。得意・不得意の特性と、人とのかかわりのミスマッチから様々な困難が発生します。これもまた、外見からは分かりにくく症状は十人十色なので、「自分勝手でわがまま」「なまけ」「親のしつけが悪い」などと捉えられ、「困った子」のレッテルを貼られたり批判されたりすることも少なくありません。
その困り感を周囲に伝えることができたり、周りが気づいてあげたり、個性や思いを理解したりしてサポートすることができればどんなにか重苦しい気持ちから解放されることか。二次障害も防げます。もしかすると、教室の中などにカミングアウトできずに困っている人がいるかもしれません。「困った子」ではなく、「困っている子」という認識で対応することが大事だと考えます。