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校長室から
044 切り取られた場面(6/24)
どこかでこんな話を読みました。
< 中学生の時のことです。授業中に隣の女の子がおしっこを漏らしていました。女の子は一番後ろの席の端だったので、僕以外は誰も気づいていない様子でした。僕はおもむろに席を立ち、無言で廊下に向かいました。何事かと、先生が後から慌てて追いかけてきました。僕は無視をして手洗い場でバケツに水を汲むと、そのまま教室に戻りました。そして、その女の子にバケツの水をぶっかけました。教室中が大騒ぎになったのは想像に難くないと思います。
その日のうちに、両方の親が学校へ呼ばれました。うちの親は、相手の親に平謝りでした。「なぜそんなことをしたのか」と何度も問い詰められましたが、僕は最後まで理由を言いませんでした。でも、家に帰る途中で女の子は親に事のいきさつを話したようです。その後、お礼を言いに女の子と親が家まで来てくれました。
時は過ぎて今、その女の子は僕の奥さんです。 >
どこの国の話なのかはわかりませんが、なんか素敵です。
ただ、ここでふと考えます。私たちは往々にして男の子が女の子に水をかけた行為・場面だけしか見ずに、物事を判断してしまうことってないでしょうか。私も家で、ある事象だけをとらえて怒ったり小言を口にしたりして嫌な顔をされます。切り取られた場面だけに目をやることなく、その前後の行動や裏に隠された心の動きなども忘れないようでありたいと思います。時に、事実を捉え違えて誤解を生み憶測で判断し、ひいては相手を悲しませることになりかねません。信頼関係が音を立てて崩れていく様子が見えるようです。いろいろと反省することの多い話でもありました。
043 △婚式(6/23)
コロナの影響で、結婚式を予定していたのにできなかったカップルは少なくないはず。息子夫婦も断念グループですから。感染者がある程度まで減少したこれからの数か月はねらい目なのでしょうか。
教員の場合、結婚式を夏休みに挙げる例が多くみられます。我が家も夏休みに入ってすぐに35年目に突入!「珊瑚婚式」というそうです。金婚式や銀婚式はよく知られていますが、そのほかにも呼び名がちゃんとあるようです。
結婚式を1年目とすると、2年目が「藁婚式」、3年目は「革婚式」、4年目が「花婚式」、5年目が「木婚式」と続きます。さらに、「鉄婚式」(6年目)、「銅婚式」(7年目)、「ゴム婚式」(8年目)、「陶器婚式」(9年目)、「錫婚式」(10年目)、「鋼鉄婚式」(11年目)、「絹婚式」(12年目)、「レース婚式」(13年目)、「象牙婚式」(14年目)、「水晶婚式」(15年目)、「磁器婚式」(20年目)、「銀婚式」(25年目)、「真珠婚式」(30年目)、「ルビー婚式」(40年目)、「サファイア婚式」(45年目)、「金婚式」(50年目)、「エメラルド婚式」(55年目)、「ダイヤモンド婚式」(60年目)です。挙式の有無にかかわらず、一番近いのは何婚式でしょう?お父さんやお母さん、おじいちゃんやおばあちゃんの若い頃の話を子供と是非してほしいと思います。
私の部屋には、結婚式の写真がパネルで立ててあり、家族のアルバムも山のようにあります。35年前の私は若い!髪だってふさふさ。怖いもの知らずだった頃です。今はどう見えているのでしょう。
042 バナナン バナナン バ~ナ~ナ♪(6/22)
好きな食べ物を問われると、迷わず「トウモロコシ」「バナナ」「スイカ」と答えます。もうしばらくするとトウモロコシとスイカの最盛期の到来です。
さて、一年中安価で売られているのがバナナ。スーパーの入口周辺には、必ずバナナコーナーがあります。私は、百円未満で且つまだ青さが残っているものをセレクト。昔高級だった栄養価の高いバナナは、今は庶民の味方です。そんなバナナも値上げされそうな気配が…。生産や輸送にかかるコストが上昇し、生産者を圧迫しているようで、フィリピン側からバナナ価格引き上げの理解を求める申し入れが日本にあったといいます。店頭価格が20年以上にわたってほとんど変わっていないバナナは、卵と並んで「物価の優等生」と呼ばれるそうですが、厳しい状況に。
小学生のころ、バナナ丸ごと1本が給食で配膳されました。今はせいぜい半分ですから寂しい気がします。丸ごと1本だったときは、1か所だけ皮を剥いて、先割れスプーンですくいバナナボートにして食べました。当時はおしゃれな食べ方に思えたのです。茶色くなり始めたバナナをラップに包んで冷凍して食べるのも楽しみでした。また、ドロドロのバナナジュースも…。
バナナの和名は実芭蕉(ミバショウ)。食用ではなく観賞用だったそうです。松尾芭蕉のペンネームも庭に植えたバナナの木にちなんだものと知りました。10年以上前にバナナダイエットブームもありました。信長にも献上されたとされるバナナを買って帰ろうかなぁ。童謡『とんでったバナナ』(1962)を口ずさみながら、夕食前の空腹を満たすことにします。
041 怒りを笑いに…(6/21)
朝、家で朝日新聞に軽く目を通し、学校では読売新聞を広げます。昨日の朝刊に連載漫画『コボちゃん』がありません。紙面の下の方に、「作者の植田まさしさんが発熱による体調不良のため、しばらく休載します」と書かれています。植田さんは、『フリテン君』や『おとぼけ課長』、『かりあげクン』などの漫画で有名ですが、独特の作風、いたずら好きの登場人物、モノの見方の滑稽さに感心してしまいます。
コボちゃんは小学3年生ですが、私の小学生時代、「泥団子チャンピオン」と呼んでいた遊びがあります。粘土質の土を固めてビー玉大の団子を作ります。砂をかけたり磨き上げたりして何日もかけて黒光りするくらいになれば完成。地面に置いた相手の泥団子めがけて目の高さくらいから落下させ、相手の泥団子を割るのです。自分の玉が地面に落ちた衝撃で割れてしまうこともありますが、決着がつくまで交代して繰り返します。でも、子供ながらにあくどいことを考えます。泥団子の中に石を入れたり泥にセメントを混ぜたり…。
こんな遊びのほかに、公園の砂場ではビー玉のお店屋さん、その脇ではめんこ。取ったり取られたり。公園の前にある酒屋の裏に行っては一升瓶の酒蓋を集めます。栓はコルクなのでこれをきれいに取り払ったものを使って、相手をひっくり返せば自分のものになる遊びをします。珍しい酒蓋の収集も競い合ったものです。
ハイテクのゲーム機なんてありませんが、いろいろな場面・方法で友達と対戦。それも異年齢集団が大勢公園に集いますから、コミュニケーションしながら学んだこともたくさんありました。怒りや悔しさにいかに付き合うか、喜びを相手とどうやって共有するかなど、対人関係は知らず知らずに身につけたのかも入れません。
今子供たちを見ていると、上手に感情コントロールができない場面に出くわします。大人の煽り運転も然り。イライラや怒りの一因に、「○○すべき」という自分の価値観がある、と配付された資料にあります。自分の理想と現実が離れていくときに怒りを感じるという言葉にただただ納得。イライラするのは相手のせいではなく、自分の中にある価値観であると気づくと、自分の怒りと上手に付き合えるそうです。その方法の一つに「怒りを数値化する」とあります。車を運転中のイライラが多い私は、その度合を10段階で声にして自分を落ち着かせてみようかと思います。
今日は夏至ですね。
040 心に残る一冊との出合い(6/20)
ウォーキングを兼ねて近所の図書館へ本を探しに出かけました。しかし、出張所のような感じですから古びた本ばかり。しかも蔵書の入れ替えがほとんどないようで、日焼けした本が書架を占めているのを見てがっかりして帰宅しました。大きな図書館が歩ける範囲にあるならばどんどん利用しますが…。
子供たちはどの程度公共図書館を利用しているでしょう。大人が一緒でなければ足を運ぶこともないのかもしれません。学校の図書室も少ない予算の中で本の充実を図っていますが、好きな作者やシリーズ、分類を見つけるためにも、より多くの本を読み漁ることも大事です。メディアパークも徒歩圏内なのですから利用しない手はないと考えます。昨年度は、子供の読書週間に関する保護者評価があまり高くありませんでした。今年度はぜひ!
さて、「言葉を知る」という観点からも読書は有効です。私も読書を通じて普段使わない漢字の読みや新しく知る熟語などに出合うことが度々あります。例えば、「『きな臭い』というより『胡散臭い』の間違いじゃないの」という会話があったとします。すると、違いを説明できない自分に気づきます。『きな臭い』という言葉には、「紙や布などが焦げる匂いがする」「戦争などが起こりそうな気配がする」「なんとなく怪しい」といったかなり危ない意味で使うようです。一方『胡散臭い』は、「どことなく怪しい」「疑わしい」「油断ができない」といようにインチキ臭いといったイメージで使います。このように、知っているようで実は知らない言葉ってたくさんあるのです。
今日から7月1日までは「初夏の読書週間」です。通常2冊の貸し出しを4冊に増やしています(1年生は2冊)。おすすめの本の紹介・掲示や図書委員による紙芝居の映像読み聞かせを行います。図書室前廊下の掲示も一新して図書委員おすすめの本が紹介されています。この機会に校長室の本も3冊新しくしました。