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校長室から

094 言葉遊び(10/20)

 いつものように道の駅へ足を運ぶと、棚に陳列される野菜なども秋に変わりました。生落花生のおおまさりや葉付きの大根、カブ、すだち、サツマイモなどなど。すだちは別として、根菜と葉物の季節の到来です。マスクをとって深呼吸すると、何やらかぐわしい匂いが…。ん?lこれは金木犀。今シーズン2度目の開花です。平田小でも咲いています。そして今朝は、久しぶりに青空が広がる晴天。

 さて、先週の読売新聞に言葉遊びが載っていました。ある四字熟語が「愛しき体、愛しき命」と読めるそうです。その熟語が「絶体絶命」。漢字を分解すると、確かに「糸(いと)色(しき)体(からだ)、糸(いと)色(しき)命(いのち)」になり、熟語の意味とも結びついて感心してしまいました。

 こうした言葉遊びは、言語活動を豊かにするとも言われます。一般的にはしりとりや早口言葉がありますが、「折り句づくり」も面白いですね。例えば、行の最初の言葉に「あ・い・う・え・お」を折り込んで意味のある文章を作ります。最初の文字は変えずに、文字数を1つずつ増やしていく「言葉の階段」も頭を使います。“あり”“あしか”“あめりか”…といった感じ。「回文づくり」も頭脳フル回転まちがいなし!学級レク、家族が集まった時、渋滞した車の中など機会はいろいろ。テーマやルールを絞っていくとレベルアップが図れます。下降線をたどる私の脳にもよい刺激を与えてくれそうな期待が…。

 何十年ぶりと伝えられる円高。ドル建の保険が恨めしく、好ましくない刺激になって血圧も上昇~。

093 昔の市川駅周辺(10/19)

 よく耳にする話に、「『聞く』には耳しかないが、『聴く』には耳も目も心も入っている。目を見て、耳を傾け、心で受ける傾聴を心がけましょう」と。

 『忙しい』という字は、心を亡くすと書きますし、『辛い』にあと一本足せば「幸せ」になります。逆に、『幸せ』な状態から一つでも手を抜けば『辛く』なります。

 安心すれば呼吸は深くなり、不安だと浅くなります。だから、「自分の心は『息(呼吸)』に表れる」という見方があります。大人向けには、「『愛』は真心(真ん中に心がある)、『恋』は下心」と言ってうんうんとうなずく場面もあるでしょう。漢字ってよく考えてみると面白いものです。小学校で習う漢字を使って、子供と一緒に言葉遊びをしてみるのもよいかもしれません。  先週、本校の用務員さんからまた短歌をもらいました。

   ありし日の 島村の味 懐かしむ 桃のようかん 真間の継橋

 市川駅北口にあった菓子店「しまむら」を詠んだものです。今は銀行になっていますが、贈答用に菓子を買った人も多いのではないでしょうか。そのすぐ近くにすき焼きなどを食べさせてくれる「鍋せん」があって、若かりし頃先輩に連れて行ってもらいました。ジャンボ餃子で有名な「ひさご亭」もありました。

 南口にはツインタワーなんてあるわけもなく、右側にはショッピングセンターのアーケード、正面にはパチンコ屋の2階に「磯ぜん」という名の居酒屋。大きな行事のあとはよく飲みに行きました。当時は車通勤をしていましたので、そんなときしか立ち寄りませんでしたが、そんな市川駅は結婚する前のクリスマスに妻と待ち合わせた場所でもあります。時間を間違えて何時間も待たせて不安な思いにさせた苦い思い出があります。あの時帰られていたらきっと…。

 何十年も前には、永遠だと思っていた「青春」。文字をよく見ると、ちゃんと「月日」があるのですね。

092 恥ずかしい(10/18)

 毎月下旬頃にチェックのために学年だよりの原稿が回ってきます。9月下旬も、すでに教務主任や教頭の目を通っていますから気になる部分は多くはありません。そんな中で、月行事予定欄に朱で訂正が加えられていました。「スポーツの日」を「体育の日」と記載する学年がとても多かったようです。「名称が変わったのはいつからだっけ?」と、日記帳を1年前、2年前とめくってみました。昨年は東京オリンピックイヤーでしたから7月23日がスポーツの日。その前は、本来開催予定だった令和2(2020)年。どうもこの年に改称されたようです。

 そして10月に入ったある日、自分で書いている校長室の行事黒板を見て恥ずかしくなりました。だって、10月10日の欄に「体育の日」と赤く書いてあるではありませんか。9月下旬に10月行事を書いていましたから、多くの職員・来客に見られていたことになります。まぁ、誰も気づかなかっただろうとさらっと流して、「スポーツの日」と書き換えたのでした。

 話は変わりますが、普段使う私の便利商品はバッグハンガーです。鞄を床に置いておきたくない場所では、テーブルに引っ掛けて吊るしておけますし、普段は鞄の持ち手に掛けておくだけ。校長室でもプリンター台に掛けてあります。身なりや持ち物で人の印象が左右されることも少なくありません。そういう意味でも、目立たないけどいざという時に便利なグッズ、快適に使用できるアイテムって結構たくさんありそうです。私も、使いそうな物をポーチに入れて持ち歩きますが、整理されていないのでカバンがかさばります。ミンティア、爪切り、頭痛薬、リップクリーム、日焼け止めクリーム、鼻炎用噴霧薬、目薬…とあるわあるわ。半年以上使ってないものもあって、見られたら恥ずかしい!使用期限の過ぎた薬は処分します。

091 変わること、変わらないこと(10/17)

 先日、地域の方からうれしい電話を頂戴しました。“新田2丁目の狭い路地ですれ違おうとしたときに、さしていた傘をすぼめてくれた子が二人いました。とても立派な行為です”と。5月の学校だよりで「江戸しぐさ」について記しましたが、「傘かしげ」と同じ。「よりよく生きるマナー」を子供たちがちゃんと実践できることを考えると、年齢には関係ないことを改めて思います。

 さて、9月下旬、4年生対象に落語教室が行われましたが、その中で座布団にも前後ろがあるという話を初めて耳にしました。縫い目のない方が前で、お客さんとの縁が切れないようにという思いが引き継がれているのだそうです。

 そうこうするうち、10月に入って三遊亭圓楽師匠が亡くなりました。50年以上の歴史がある『笑点』を長く支えてきた一人です。現在の最古参は、林家木久扇(元 木久蔵)師匠です。座布団運びの山田隆夫さんも長いのですが6代目。その山田隆夫さんがバンド「すうとるび」のメンバーだったことを知る人は数えるほどになってしまったのかもしれません。

 9日の朝日新聞日曜版に食品用ラップに関する記事がありました。日本でラップが初めて登場したのが1960年で、「クレラップ」と「サランラップ」といいますから60年以上の長寿商品です。最初はさっぱり売れなかったのが、冷蔵庫の登場とともに売り上げを伸ばしたといいます。ただ、このラップのルーツが軍需品だったとは…。第2次世界大戦下のジャングルにおいて、靴の中敷きにして水虫防止にしたり、弾丸や火器を湿気から守ったりするために重宝されたと知りました。

 そういう目で台所、いやキッチンの抽斗を開けてラップを取り出します。「NEW」クレラップとして売り出したのが30年以上前なのに、パッケージには相変わらず「NEW」の文字?実は、常に目にはつかない改良・調整を地道に加えて今に至るようですので、「NEW」もまんざら嘘ではありません。最近では災害時にも役立つ必須アイテムにも数えられているラップが、急に偉く見えてきました。

090 鉄道開業150年(10/1)

 NHKが、隙間時間で鉄道の歩みを映像で見せてくれるときがあります。遠い昔だけど懐かしさがこみ上げてきます。渋谷駅から三軒茶屋方面へ走っていた緑色の路面電車を芋虫電車と呼んでいたのは今は昔。

 今日は鉄道開業150年目という節目の日です。明治5(1872)年の今日、新橋や横浜(現桜木町)の停車場で開業式が行われ、翌日から旅客列車の運転が始まりました。当然、蒸気機関車です。煙を噴き上げながら走る様子は、まさに文明開化の象徴だったはずです。それから150年が経つのです。各地、あるいは鉄道会社、テレビなどで様々な催しがあります。

 私が育った八千代市の足は京成電車・バスオンリー。ストライキや悪天候などで運休すると、陸の孤島と化すのです。そんな京成電車の車両の色も今のステンレスカラーとは違った2色編成。ベージュと赤を中心にした車両とくすんだ深緑というかグレーというか不思議な色の車両の2つ。後者は行商列車としても使われていました。

 祖母と一緒に出かけると、祖母は草履を脱いで窓のほうを向いてシートに正座をするのです。そして、外をじっと眺めて時々話しかけてくれたのを不思議な気持ちで見ていました。車窓からの景色を単に楽しんでいたのかどうかは不明ですが、家が少ない時代ですから遥か遠くまでが見晴らすことができたのです。

 

 切符も改札で駅員さんが鋏で切ってくれます。この駅員さんグッズのようなおもちゃを買ってもらって弟と駅員ごっこをしたことも思い出されます。また、中学生のころに「幸福ゆき」の切符が大ブームになったことがありました。今も抽斗の中で静かに眠っています。

 石橋正次さん歌う♪夜明けの停車場に~降る雨は冷たい~♪というフレーズを思い出しました。こんな歌や『いい日旅立ち』(山口百恵)を口ずさみながらの寝台特急の旅なんてものもいいなぁ~。