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校長室から

024 夢を売る人を育てる(5/26)

 夢を売るのがディズニーランドやシー。ミッキーマウスの登場は、きちんと時間を決めていて、世界で一体だけしか見られないというトリビアもあったほどです。40年近く前(1983年)の入場料は、大人3900円でした。20年後には5500円、30年後に6400円、そして昨年10月の料金改定で9400円。まさに夢のまた夢?

 開園時からの人気アトラクションの一つにスペースマウンテンがあります。ジェットコースター恐怖症の私が、初めて乗れたのがコレ。暗闇であることが、逆に視覚的恐怖を薄れさせてくれ、先頭に座れた際は、うっすらレールが見えて心の準備ができて落ち着けた記憶があります。現在のものは2024年に閉じて、2027年には全く新しいアトラクションとして建設しなおされるといいますが、さらに足を運べる金額ではなくなってしまうだろうことが残念です。

 以前、このディズニーランドの人材育成に関する書籍を読みました。ゲストにハピネスを提供することを目的に、様々なキャストが働いています。ほとんどのキャストは、わずか3日間の研修だけでデビューしますが、そこには「魔法の教え方」があるといいます。ディズニー流育成の特徴に、「ゴールを見せる」「感動を体験させる」「行動を見守る」を挙げています。学校での教職員育成のほかに、教育(指導)や子育てにもそのまま通じると思うのです。

 教員だって子供たちに夢を売る仕事、いや子供たちの夢を育てる仕事で、価値はプライスレス?!

023 やじろべぇ(5/25)

 低学年が粘土やドングリを使って伝統的な玩具「やじろべぇ」を作ることがあります。山田うどんのシンボルにもなっています。昨年度末、通知表の所見に「やじろべい」という表記を見つけて、念のため電子辞書で検索。えっ?この語源は『東海道中膝栗毛(十返舎一九)』に登場する「弥次さん」こと弥次郎兵衛に由来するなんて知りませんでした。元役者の喜多八とともに売れない絵師の弥次さんが旅するお話であることはご存じのとおりですが、荷物を天秤棒の両側に分けて担いだ形がもとになっているといいます。「えっ、知らなかったの?」なんて声が聞こえそうで怖い。

 子供は、いつの時代もいろいろなおもちゃで遊んできました。新しいものが登場する陰で徐々に忘れられていくもの、今もなお親しまれているものなど様々です。現在の遊びは頭を使います。一方、昔の遊びは自分で作ったり体を使ったりして創造性や協調性が育まれたように思います。建築現場から端材を拾ってきて鋸や釘で工作したり、二股に分かれた枝木でパチンコを作ったり、竹とんぼを作るために小刀で削ったり…。めんこやビー玉、ベーゴマもよくやりました。

 身近なパットボトルを使って、ビー玉落としや水鉄砲、けん玉なども作れます。ネットで検索すれば作り方まで解説される時代です。そんなワークショップがあったら楽しいだろうなぁ。例えば、ナイフは危険だから持たせないのではなく、危ない場面を具体的に教え、使いながら自然と身につけていくような場を提供したいと願うのです。童心に戻って、竹とんぼでも作ろうかなぁ。

022 マナー(5/24)

 毎日とはいきませんが、朝の挨拶&安全指導も兼ねて学校の周りのゴミ拾いをします。タバコの吸い殻の多いこと多いこと。そして、緑門近くの歩道橋支柱付近には、弁当の空き容器や飲み物のパック、菓子袋のほか、なぜか塗り箸までがあります。昨日はスイカの皮まで!それらを平気で散らしたままその場を去る神経が理解できません。

 さて、ある自治体ではコンビニに協力を仰いで、トイレを公共のために使用させてもらう動きが広がっているといいます。高齢者が外出を控える理由の一つに、公共トイレが身近に見つからないことがあるのでそうしたことへの対応といえます。亡くなった父と最後に旅行に出かけたときも、「トイレは大丈夫?」と尋ねながら頭の中はトイレを探していた覚えがあります。

 実際にコンビニの公共トイレを借りないといけない状況になったとき、どうするでしょうか?

 ①公共トイレであっても、店員に断ってトイレを借りる

 ②トイレを借りた後、お礼に何か買う

 ③公共トイレに指定されているので、断りもしないしお礼の言葉も言わない

 公共化に協力することで、水道代やペーパーなどの消耗品代がかかりますし、何よりも清掃が大変だそうです。「公共トイレなんだからいいでしょ!」とマナーお構いなしの人がいれば、善意のコンビニオーナーはたまったものではありませんし、モヤモヤするはず。

 自分のものは大切かつ丁寧に使うけれど、人様のものは粗末に扱うというのでは人間性が疑われるように思います。学校も同じ。大人子供関係なく、みんなが使うことを考えて使いたいものです。

021 発想の豊かさ(5/23)

 4月も終わろうとするある日、ネットニュースに『カラオケボックスでミシンを貸出』という見出しをみて興味津々。じっくり読んでしまいました。家での使用頻度が少ないので購入までは至らないこと、広い部屋で快適に使えること、好きな音楽も聴けることなどが人気の理由といいます。

 コロナ禍でカラオケ業界は大きな打撃を受けているため、歌以外の用途で使ってもらえるようにプランを練ったそうです。このほかにも、映画やアニメの鑑賞プラン、ウェブ会議もできるテレワークプラン、楽器・歌練習プランなど、音響設備が整った個室であるがゆえに有効な活用法を検討したのです。反響も大きく需要もあるようです。こうした発想の転換、柔軟さは学校現場にも取り入れたいことです。

 話は変わりますが、運動会で各学年の表現運動に使う曲名を見ると、知らない曲ばかり。単に疎いだけ?また、コロナの影響やけがの防止の観点から組体操のやり方や技もずいぶんと変わりました。それでも、子供たちの一生懸命が凝縮した、集団による表現運動は見る者の心をつかみます。全校で5・6年生のダイナミックな演技が見られたらいいのに。

 ただ、今のところ雨マークはありませんが、週末の天気が一番気になるところ。私にとっては平田小で初めての運動会。コロナ禍であっても、天気がどうあってもわくわく感は変わりません。

020 自信につなげるひと言(5/20)

 先週、保育園の園長先生が、マスクによって園児は目だけで相手の表情を読み取らなければならないと言っていました。顔の多くがマスクで覆われるため、言語の発達や成長の遅れを懸念する危機感を感じている保育士は決して少なくないようですし、ある調査では、保育士のマスク着用で乳児クラスに何らかの変化を感じている人は65%にのぼったとされます。幼児にあっては、いろいろなことがわかり始め、相手を意識し出す頃からマスク生活への転換だったわけです。これは、小学生も同様。早い終息を望みます。

 マスクとは無縁だった、中学生の頃に少しだけかじったフォークギター。最初にやったのはアルペジオで、井上陽水『心もよう』でした。でも、コードに指が届かない、押さえきれないという理由ですぐに脱落。そんな私が、弦が2本減ればなんとかなるかもと始めたウクレレ。“ウクレレといったら高木ブーさん”というイメージしか持たなかった私がほぼ毎週のようにレッスンに通って、毎日の練習も欠かさないでいることを我ながら褒めてあげたいと思います。今まで使っていた物は「ド」より下の音が出ないため、「ソ」の1オクターブ下まで音が鳴る弦に張り替えてもらうことにしました。そして、最近になってYouTubeでウクレレレッスンを見る機会も増えました。

 すると、どうでしょう。今までやってきた弾き方などを根底から覆すようなアドバイスが、画面から聞こえるではないですか。素直にそれを実践すると、“逆に指が動かない”“間違える”の繰り返し。早速、先生に相談すると、「大丈夫ですよ」「~のように考えてください」と優しいお言葉。ドツボにはまった時の何気ない、でも的確な助言は自信を取り戻す神の声!クラスで担任のアドバイスをそんな風に聞いている子もきっといるはずです。逆に、そういう軽く背中を押してあげられるような指導を目指したいと思います。