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校長室から

271 花火(23.9.20)

 孫が幼稚園で作った赤トンボを貼り絵にした作品(ハガキ)が送られてきました。可愛らしく、できることがどんどん増えていくのをうれしく思います。でもよく考えたら、敬老の日に向けて「おじいちゃんやおばあちゃんに手紙を送りましょう」といった活動だったようです。だから、「ずっと元気でいてね」という言葉が添えられていたのかぁ。気づくのが遅い!すでに敬老の対象者なのだと思い知らされた悲しくもうれしい出来事でした。

 さて、8月はじめに母が亡くなりました。90歳、ろうそくの炎が消えるような最期でした。思い出はたくさん。西日に厳しい暑い台所で揚げ物をする後ろ姿。学校から帰るとミシンや編み機の前で何かを作っていた姿。布や糸で何にでも変身させてしまう魔法の手。家には近所の人が出入りして他愛ない話で笑っていた顔。わかっていたこととはいえ寂しくなります。

 通夜の日に、市川・松戸・流山などで花火大会がありました。葬儀が終わって駐車場から見える大輪は、手前に松戸、その向こうに市川の花火。親族で静かに眺めたのです。ですが自宅への帰途、花火帰りの渋滞にはまりました。普段なら40分もあれば帰れるのに、この日は2時間半。家に着いてどっと疲れが出たのは言うまでもありません。

 数年前、市川の花火大会をとある学校の屋上から眺めたことがあります。360度最高の眺望なので期待したのですが、大輪は数センチの大きさでしかありませんでした。だから、平田小からだったらきれいに見えるのではないかと秘かに期待していたのです。暑くても屋上より展望台の方がよいのではないかと…。残念ながら叶いませんでしたが、誰かに頼んで見てもらおうかと真剣に考えていたくらいです。

 最近は手持ち花火もしなくなりましたから、火薬のにおいが懐かしいです。その代わりと言っては何ですが、四十九日の法要を終えた今日も線香のにおいは絶えません。

270 節度、寛容、そして…(23.9.19)

 以前、子供の声がうるさいという住民からの苦情で公園が閉鎖されたニュースがありました。走り回れる場所がどんどんなくなっていく中で、元気に遊びたい子供たちと、静かに暮らしたい人たちがいます。共存するためにはどうしたらよいのでしょう。

 「△時までは外に遊びに行かないようにしているのです」と、保育園の先生から話を聞いた記憶があります。近隣の公園まで手をつないで歩く園児を時々見かけますが、「外」というのは公園の場合もありますし、園庭という場合だってありそうです。夏場に、暑いので音楽室の窓を開けて吹奏楽部員が練習をしていたら苦情電話が寄せられるケースもあります。体育館から響くバスケットボールの音もしかり。終いには飼育小屋で早朝から鳴くニワトリの声にも「何とかしてくれ!」と無理な要求をされることだってあります。

 生活のリズムは人ぞれぞれですから、昼夜関係なく配慮は必要です。でも、子供の遊ぶ声は騒音なのでしょうか。ややもすると、うるさいという意見ばかりが強調され、採りあげられるがゆえにその対応に追われるということもありそうです。明らかに迷惑をかける行為以外は許容されるべきという考えもありそうです。だって、誰もが子供だった頃があるのですから…。

 こうしたことの根底には、「顔が見えない」「相手を知らない」という関係性があるのかもしれません。ある人はこんな風に言っています。“うるさいとは、音の大きさだけでなく、自分の心理状態や相手との関係を通してフラストレーションを感じるかどうかだ”と。つまり、好きな音楽は大音量で聴いても心地よいが、興味のない音楽は騒音だと感じる人は少なくないはずです。結局は、「節度」と「寛容」、そして普段からの挨拶などを通したコミュニケーション。相手を思い浮かべ想像するだけで、聞こえ方に変化が起こるかもしれません。

 代表委員が朝の挨拶運動を始めて2週目になりました。こうしたあいさつを通して、「地域顔見知り計画」を進めていきたいと思うのです。大人と子供、大人同士など…。

269 無意識の思い込み(23.9.15)

 教室前の掲示板に、夏休みの思い出の作文が見られます。みんな色々なところに連れて行ってもらったようで楽しかった様子が行間からにじみ出ています。

 さて、ある研修会で講師の方から「アンコンシャスバイアス」について話を聞きました。ヒト・モノ・コト・自分に対する「無意識の思い込み」を指すそうです。過去の経験や見分に影響を受けて、ある事実に対する無意識の認知が本能的に働きます。それが言動となって表れ、相手や周囲に何らかの影響を及ぼすということは日常にあふれ、誰にでもあるのです。

 例えば、パイロットと聞けば男性を思い浮かべる、単身赴任といえば男性を思い浮かべるといったことはないでしょうか。逆に、客室乗務員と聞けば女性を思い浮かべてしまいます。少し前に歌手のブラザーコーンさんが乳がんを発表しましたが、これも女性だけの病気だと思い込みがちです。血液型がA型だと聞けば几帳面などという言葉でくくってしまうのも無意識の思い込み。こうした思い込みで話をすることで歪み(ひずみ・ゆがみ)や誤解などが生じ、ひいては人間関係や仕事に大きな支障が出ることだって考えられそうです。

 また、「バラ色の回顧」という言葉も聞きました。私自身のあるあるです。過去のことを実際よりも肯定的に記憶したり思い返したりしたくなる傾向のことです。「昔はよかった発言」は私だけではないはずですし、その逆に「今はいいよね。昔はさぁ…」と、いかに自分は大変だったかを声高に語りそうな自分が怖いです。

 2学期は5年生を対象にした介護に関する授業を外部講師が行ってくれますが、介護の対象を老人と決め込んではいませんか?いずれにしても、様々なパターンで存在するアンコンシャスバイアスに気づこうとし、対応することが大切だと思います。自分を見つめ直すよいきっかけになりました。

 きっと家庭や地域にも思い込みは潜んでいるはず。

268 今、この一瞬を(23.9.14)

 ふと思います。平田小学校の焼却炉は、以前どこにあったのでしょう?小型焼却炉からのダイオキシン類の発生が不安視されるとして、21世紀を前に廃止・撤去されました。

 掃除の時間になると、教室からごみ箱を持って屋外の焼却炉に燃やすごみを持っていきます。用務員さんが待ち構えていて、次々と炉の中に投入していきます。時々下部の蓋を開けて、燃え残りがないようにしていました。学期末になると、燃やしたいごみが山のように集まります。順番待ちになりますが、燃やしているのが大好きな私は一気に引き受けて、焼却炉を操る花形となるのです。自分では焚火というかキャンプファイヤーの火の管理をしているくらいの楽しさだったことを思い出します。溜まった灰を掻き出すなどしていると、あっという間に時間が過ぎていったのです。そんな焼却炉が姿を消してからごみの分別や減量が叫ばれるようになったわけです。

 話は変わりますが、今年度は久しぶりに市内陸上競技大会が10月13日に開催されます。体育の授業の延長線上に位置づけ、種目などを絞って半日開催となります。対象児童は5,6年生のみで、百m走・走り幅跳び・走り高跳びの3つです。保護者の中にも、かつて国府台スポーツセンター陸上競技場で走ったり跳んだりした経験のある人が多いでしょうから寂しく感じるかもしれません。今日は説明会をして部員募集です。私たち世代の教員は、相撲部や水泳部、陸上部を学校対抗の季節行事ととらえていましたから気合を入れて臨んだものです。働き方改革が叫ばれる一方で、一抹の寂しさがあるというのが正直な気持ちです。

 これまであったものが消え去ったり、形を変えて生まれ変わったりすることが繰り返されます。今ある姿が2~3年後に必ずあるとは言えません。諸行無常の響きあり~。

267 むかしむかし(23.9.13)

 昨日の朝、正門から工業高校のグランドの方に向かって物凄いスピードで動く動物が…。旗当番の方と「あの尻尾はタヌキ?」と言葉を交わしました。まだまだ朝から暑いですが、早朝の車のルーフやボンネットにはうっすらと露が下りています。季節は確実に秋に向かっています。

 さて、5年生の林間学校はもう2か月も前のこと。時の流れの速さに驚いてしまいます。河口湖近くでロープウェイに乗って天上山から雨に煙った富士山を眺めました。この天上山には、昔話の「カチカチ山」伝説があるようです。展望台そばに設置させた看板の記載をそのまま紹介します。どんな話だったか思い出してみてください。

 昔々ある日のこと、おじいさんは畑でいたずら好きのタヌキを捕まえました。おじいさんは家に帰り、おばあさんにタヌキ汁を作ってくれるように頼むと、再び畑に出かけました。ところがその隙にタヌキはおばあさんを騙して殺し、ばばあ汁を作りました。おじいさんはタヌキに騙され、ばばあ汁を食べてしまいます。

 そうと知ったおじいさんは、おいおいと泣きました。それを見かねたウサギがやってきて、おばあさんの仇討ちを始めるのです。タヌキの背負った薪に火をつけて大火傷を負わせ、火傷の跡に辛子を塗り、舟遊びに誘ってすぐに沈む泥船に乗せて溺死させ、おばあさんの仇討ちを果たすというお話です。

 この昔話の舞台と言われているのがここの天上山です。(中略)背中に火をつけられたタヌキが「あちち」と叫びながら駆け下りたのがロープウェイの眼下に見えた崖、泥船に乗ったタヌキが沈んでいったのが河口湖と言われています。それにしても昔話「カチカチ山」…ちょっと残酷な話です。

 こう考えると、「赤ずきん」も最後にオオカミのお腹を切り裂いておばあさんと赤ずきんを助けて、代わりに石を詰め込んで…と終ります。シンデレラや白雪姫も原作では、私たちが知らない怖い終わり方をしているようですが、様々な地域に伝説としての語り継がれる怖い話、悲しい話、心温まる話などを求めて旅するのもいいなぁ。ちなみに平田・新田・菅野の地域に昔から言い伝えられる話はあるのでしょうか?