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校長室から

354 守り続けたいもの(24.2.2)

 2年生、退治したい「心の中の鬼」を描いていました。私?敢えて言うなら「新しい物を欲しがる鬼」でしょうか。毎日の通勤に、手提げ革バッグ2つとトートバッグ2つ、ビジネスリュックを使い分けていますが、「欲しい欲しい病」発症の末に手にしたものばかり。欲しいものが高価なことも多く、鬼退治は喫緊の課題です。

 そういえば、スーツ姿にリュックを背負って通勤する人が増えた7~8年前から、ビジネスリュックの品揃えも豊富に。背負う・肩掛け・手提げを網羅したタイプも見かけます。男女問わず、毎朝毎晩駅などですれ違う人の半数以上がリュック型のような気がします。両手が空くという利便性も人気の理由なのでしょうが、混雑した電車に乗り込むときに前抱えにし直さないといけないのが面倒というか慣れないというか…。ただどんな鞄でも、姿勢よく颯爽と歩いていたいなぁと思うのです。

 さて、昭和のダメおやじ演ずる阿部サダヲさんが、令和にタイムスリップして不適切発言を繰り返すドラマ『不適切にもほどがある』を楽しく観ました。現在、人気ドラマのほとんどが漫画を原作にすることが多い中にあってオリジナルは貴重かも?このドラマの時代は1986年。私が教員になって2年目の年です。当時の職員室では喫煙は日常でしたし、ケツバット(金属バットでの尻叩き)や給水禁止の部活動が当たり前。極めつけに懐かしかったのが、カセットテープのくだり。ノーマルテープを買って帰ったら、「メタルかクロームって言ったじゃん!」と娘に怒られるシーン。カセットテープにグレードがあったことなんて久しく忘れていました。そんな時代から現代にタイムスリップすれば、白色のワイヤレスイヤホンは「耳から飛び出したうどん」に見えるでしょうし、なんでもハラスメントにされてしまうことに戸惑うのも当然。逆に、コンプライアンスに縛り付けられた現代への問題提起ともいえます。

 時代とともに変わってよいことと変わらずに守り続けたいことを見つめ直せそうな今後の展開に期待が膨らみます。今日はその第2話。

353 モヤモヤ(24.2.1)

 下の絵を6年生社会科の教科書で目にしたことのある人は少なくないと思います。明治19年に起きたノルマントン号事件の風刺画です。日本人乗客を乗せたイギリス貨物船が、紀伊半島沖で暴風雨により沈没しました。イギリス人船長以下、西欧人乗組員は全員救命ボートで脱出したものの、日本人乗客は全員船に取り残されて水死したという事件です。航海中の事故にもかかわらず、船長たちが乗客の救助義務を怠った件で裁判にかけられました。しかし、当時イギリスと締結していた不平等条約のため、船長他乗組員を日本の裁判で裁けず、無罪判決が下されたのです。これを機に「条約改正」を望む声が高まったというもの。「そういえば、あった!」と思い出した方がいるかもしれません。

 私が思い出したのは、医師 鎌田實氏の綴った新聞記事を目にしたときです。パレスチナの少年がイスラエル兵に撃たれて脳死となり、その心臓がイスラエルの少女に移植されたといいます。少年の父親はなぜ敵国ともいえる国の人に臓器提供の同意をしたのでしょうか。鎌田氏が投げかけたこの疑問に対して、その父親はこう語ります。「海で溺れている人がいたら、泳げる人間は飛び込んで助けようとする。溺れている人に、あなたの国はどこだ?あなたの宗教はなんだ?などと聞いたりしない。人として正しいことをしただけだ」と。そして、この話は『アハメドくんのいのちのリレー』という絵本で紹介されているといいます。(参考:2023.11.20 毎日新聞)

 戦闘が絶えない今、半沢直樹よろしく「倍返し」、いや何倍にもしてやり返すという負のスパイラルが続いているように感じられてなりません。「戦争に勝ち負けはない」「人として正しく行動する」を掲げ、「憎しみの連鎖」を断ち切ってほしいと願います。

 そう言いながら、勇気をもって手を差し伸べたり一歩踏み出したりできない自分がいるのも確か。モヤモヤする2月初日です。

352 ただ、とりとめもなく(24.1.31)

 大谷翔平選手からの寄贈のグローブが昨日届きました。まずはみんなに見てもらえるように、校長室前に展示しましたので、保護者の方も来校した際にご覧ください。「野球しようぜ」のメッセージを、これから形にします。

 ある日電車に乗ってドアの前に立つと、目の前の広告に「なんだろう?このドキドキ…」という文字が見えます。そして、「ちょっと動いただけで…。安静時や就寝前後にドキドキする。(以下省略)」と書かれています。動悸・息切れ・気つけに効果を発揮するとされる『救心』の広告です。発売されて110年。最近、「なんだろう?コレ」と思うことがあります。冬は心臓のドキドキが多い季節ですが、寒さのせいにして放っておいたら…?

 50年前のオイルショックを知る人の多くは今、動機・息切れを含めて、「老いるショック」を経験しているかも。私自身、「こんなはずじゃなかった」と思うことがたくさん。また、「あれっ?○○がない!」とあたふた探し物をすることもしばしば。その度に苦言をいただく始末です。

 一方、ウクレレのレッスンが行われる日の管理はきちんとできて、毎回忘れずに通っています。教室のある楽器店に行くと、誰かが電子ピアノの試し弾きをしています。そして、その曲が結構な頻度で『アイノカタチ』(MISIA)ですから不思議。結婚披露宴で使われそうですが、PVを何度も見返してしまうくらい好きなので、自分の葬儀の時に流してくれたらうれしいなぁなんて馬鹿なことも考えてしまいます。

 さて、夏と違って冬の天気がよくて空気が澄んだ日、さらに風が適度にあると、遠くに富士山がくっきり見えることが多くなります。父母が生活をしていた施設へ通う県境の橋からも見えた富士山。今日は見えるかなぁと期待半分で橋に差しかかります。ドーンという感じではなくても、富士山が見えると何かよいことがありそうな気持ちにさせてくれますから、やっぱり日本一!

 亡くなった親の恩を今さらながら想い、感謝するときが多くなった気がします。きっと親はこんなことを考えていたのだろうと、相応の年齢になってやっと理解できるようになったみたいです。懐かしさや大変な思いをしたであろうことへの感謝などを伝えたいのに、できない今を後悔してしまいます。伝えられるうちに言葉に(声に)しませんか。

351 新聞投書から(24.1.30)

 朝の見守りをしながら声かけをしていると、子供から先に挨拶が聞けるようになってきたことを感じます。一方、下を見たまま顔を上げずにいたり、しかめっ面のままだったりなんていうことも…。「福が逃げちゃうよ」と声をかけたくなります。「笑顔は、自分にも相手にも幸せを呼ぶ」と信じているから!

 さて、ある日の高校生の新聞投書を目にしました。膝の手術後にコルセットを装着して松葉杖生活が1か月続いたそうです。毎日満員に近い電車の優先席付近に立っても、席を譲ってもらえたのは半分にも満たなかったといいます。ある日、途中の駅からお年寄りが乗って、松葉杖の自分の横に並びました。優先席に座っていた若者が立って、その人に席を譲ったそうです。それを見て驚いたそうです。若者であってもけがをして困っていたのです。時には、人にはわからない病気を抱えている場合もあります。最後に「あなたは誰に席を譲りますか」と結んでいますが、知らんぷりや寝たふりをせず、しっかり向き合いたいと思います。そもそも、疲れていたとしても優先席がある意味を考えられるようでありたいものです。

 もう一つ、「家事をしない父、共倒れの不安」と題された30代女性の投書です。両親は60代後半で、父親は家事をやらないといいます。外で父親が働き、母親は家事を担って家庭を守るという典型的な昭和世代。数年前に退職後も、家事の9割を行う母親はこれに納得し、夫婦仲もよいらしいのです。でも、娘は父が母の家事能力に頼り切っている現状を心配し、切ない気持ちで見守っています。共倒れの心配は、亡くなった私の両親への一番の心配でしたし、まるで自分の数年後を見ているようでもあり、危機感があります。子供たちに心配をかけないためにも自立が求められます。と考えながら行動が伴わない自分の弱さよ! (2024.1.16 朝日新聞「声」参考)

350 相撲(24.1.29)

 大相撲初場所は、優勝決定戦の結果、照ノ富士の優勝で幕を閉じました。巴戦になったらおもしろいけどなぁなんて淡い期待を抱きましたが…。そんな今場所は、行司も話題を多く提供してくれています。7日目に行われた大関・霧島と北勝富士の一番では、力士とぶつかりそうになった行司が激しく転倒し、烏帽子と草履の片方が脱げるという一幕がありました。同日の序二段同士の一戦では物言いがついて、協議の説明まで7分半という長い時間を要するという場面がありました。この時の行司は若干20歳で、緊張した表情が話題になりました。その装束を見ると足袋も草履もない裸足で、着物の裾は膝下まで。明らかに横綱や大関戦を仕切る立行司とは異なります。

 そして、今場所は約9年ぶりに行司最高位の木村庄之助(結びの一番のみを裁く)が土俵に立っています。昨年末の人事で、式守伊之助が昇進したといいます。立行司が身に着けているものを見ると、帯に短刀を携えています。これは「差し違い(間違った判定)」をした場合、切腹をして責任をとるという決意の表れだそうです。つまり、木村庄之助や式守伊之助を名乗る以上、差し違いは許されないということ。テレビでは際どい場面の映像を繰り返し流すことはあっても、VAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)など導入されそうもない相撲界ですから、その重圧たるや想像に難くありません。ちなみに、現在は「木村」「式守」しかいない行司に、かつては「岩井」「服部」「長瀬」「木瀬」「吉田司」などあったらしいです。

 さてコロナ禍以降、休会となって開催されていない市内相撲大会。来年度も再開の目途はたっていません。様々なハードルをクリアする必要があります。指導する際の安全面もその一つ。5年間も行っていませんから、指導の仕方だけでなくまわしの締め方など知る者がいない学校だってありそうです。思い出すのは20数年前に優勝した時の喜び。正直、サッカー大会で優勝した時よりうれかったのです。ぶつかり稽古で肋骨にひびが入ったことや砂場で「巨人の星」の歌を歌いながらうさぎ跳びをしたこと、「どすこい倶楽部」を編成して時々学校周辺の吸い殻拾いをしたこと。今でも頼まれたら、「喜んで!」なんて言ってしまいそう。