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校長室から
189 出会いと別れ(3/24)
54年にわたりタラちゃんの声を担当していた故 貴家堂子さんに代わり、2代目タラちゃんは声優の愛河里花子さん。「初代タラちゃんの声は今日で最後だよ」と言われたのに番組を見逃したのはいつだったか。そのあとちらりと見ましたが、代わったことに気づきませんし、新しい出会いに違和感がありません。『サザエさん』一家は、徐々に声優交代がされてきましたが、すぐにその声が当たり前に感じられるようになります。慣れって怖い!ちなみに、サザエさんには日本一有名といっても過言ではないペットが登場します。「タマ」です。この声をエンディングで探しますが出てきません。数十年にわたって変わらぬ声で鳴き続けているように聞こえますから、まさにミステリー?
つい最近まで観ていた広瀬すず・永瀬廉主演のドラマ『夕暮れに手をつなぐ』で、「Don’t remember days. Remember moments」というコレクションテーマがありました。訳すと、「日々ではなく、瞬間を思い出して」となるでしょうか。多くの人と私の出会いは、面や線、流れの中ではなく、瞬間や点、瞬きであり、その時々の集合体の中で自分が生かされてきたのではないかと思ってしまいます。
今日は、今年度末をもって退職あるいは異動する多くの職員の離任式があります。異動先を含めて、本日発行の学校だより(HP掲載なし)では写真入りでお伝えします。たとえ1年間であっても一緒に力を合わせた人との別れは寂しいものがあります。「出会いは偶然、別れは必然」という言葉がありますが、私たちは「縁」で結びつながっています。子供たちも同じ。あの日あの瞬間を思い出し、ほっこりした気持ちになれる時間を共有したいと思います。
さて、WBC日本代表の「ペッパーミル・パフォーマンス」を選抜高校野球に出場したチームが喜びの表現としてやったところ、審判から注意を受けました。高野連もそれを尊重しています。歯止めが利かなくなる恐れはありますが、受け止める度量や柔軟さも忘れないでいたいものです…なんて、勝手気ままに綴ってきたこのページも今日でおしまい。1年間ありがとうございました。
188 世界で一番(3/23)
緑門で登校時の挨拶をしていると、歩道橋を下りて真っ直ぐこちらへ向かってくる下学年女児がいます。私の前にきて止まったと思うと帽子を脱いでお辞儀をしてくれます。まるで修身の教科書をみるようですが嬉しくなります。
嬉しいといえば、WBCの優勝!最終回は大谷選手がマウンドに上がりましたし、準決勝のメキシコ戦の9回裏逆転サヨナラも強烈なインパクトを与えてくれました。
さて、話は逸れますが、以下は海外の求人広告です。多少言葉を変えて紹介しますが、どんな職種でしょう?
職 種:Director of Operation(現場総監督)
勤務時間:基本24時間(135時間以上/週7日) いつ呼び出されても対応可能であること
休 憩:ほとんどなし(食事や睡眠の時間を確保できない時もあり)
必須能力:交際力・交渉力・医学・栄養学・金融学・忍耐力
特 徴:①複数のプロジェクトを担う ②立ち仕事で体力を使う仕事が多い ③常に周囲に注意を払う必要がある
給 与:0円(完全無給のボランティア的感じ) 職に就いた最初の年は、年収3千万円相当に匹敵する仕事量
そ の 他:①休日やクリスマス、正月は仕事が増える ②この条件で仕事を経験した人は、数十億人いる
これは、「世界で一番過酷な仕事」と書かれた求人広告の内容で、ビデオチャット面接を実施した様子が動画になっています。実は、グリーティングカードのメーカーが撮影するために設けたフェイクの面接。語られる労働条件に呆れる人ばかりですが、その仕事が「お母さん」だと知ったときの表情が印象的です。 私自身、母に対して、そして口喧嘩をしても弁当を持たせてくれる妻に、改めて感謝の気持ちです。「母の日」にだけ感謝の言葉や花を贈るのではなく、今年度の「ありがとう」を、今この瞬間の「ありがとう」の気持ちをきちんと伝え合いたいとは思いませんか。
187 バタフライ効果(3/22)
「風が吹けば桶屋が儲かる」という諺があります。あることによって、直接因果関係がなさそうな意外なところに影響が出ること、つまり当てにできそうにないことを期待するたとえに使用されます。
風が吹けば埃が立つ ⇒ 埃が目に入って失明する人が現れる ⇒ 眼が見えなくなったので三味線で生計を立てる ⇒ 三味線を作るための猫の皮が必要になる ⇒ 猫が減ってネズミが増える ⇒ 増えたネズミが桶をかじる ⇒ 桶の需要が高くなって桶屋が儲かる、という流れだったように思います。こじつけというか強引な感じがしますが、一見関係ないことでも物事が連鎖して、思いもしないところに波及することを言い伝えています。
これに近いものに「バタフライ効果」があります。ブラジルでの蝶の羽ばたきが、遠方のテキサスに竜巻を引き起こすかという気象学者の演題に由来するようです。「些細な出来事が、のちの大きな出来事のきっかけになる」という意味で使われますので、先の諺とは多少ニュアンスが異なりますが…。「自分一人では何もできない」と悲観するより、ちっぽけだと思われる個人の力でも、もしかしたら自治体や国家を変えることができるかもしれないと受け止めるくらいの気概を持ちたいものです。そこまで壮大でなくても、「自分が行動することで、周囲も変わっていくはずだ」と思い続けたいと思います。ふと「先ず隗より始めよ」なんて言葉を思い出しました。あれは高校の漢文だったか古文だったか?
ところで、「寿司テロ」とも言われる迷惑行為は今に始まったことではありませんが、SNS上に流して喜ぶ輩は後を絶ちません。また、線路に向かってパイロンをつなぐバーを投げて、「♯やり投げ大会」といって衆目を集める行為なども理解に苦しみますし、好き勝手なことをやっている姿を煽る人も少なくないのは残念でなりません。こうした負の連鎖が大きな事件や事故につながらないこと、平穏な生活への悪影響にならないことを祈ります。少なくともいま目の前にいる子供たちが今後、こうしたことを平然とやってのける人にならないように多くの目で見守り、声をかけていきたいと思います。
186 あっ、こんなところに(3/20)
父や私が収集していた切手帳の整理をしました。その切手帳に懐かしくも金銭的な価値はないものを2つ見つけたのです。今となっては捨てるのは忍びない。
その1つは、ロッテの板ガムの包み紙です。コーヒーガムやイヴ、ローラなど蒼々たるメンバーです。見たこともない種類があるかもしれません。最近は、「ガムを噛む」という習慣がほぼなくなりましたし、ガムは手軽に買えて、リフレッシュ効果だったり生活に潤いを与えてくれたりする代表格だったのは一昔前のこと。ここ20年でチューインガムの生産量は6割減にもなるといいます。粒ガム主流となったあとから、板ガムを目にすること自体なくなったように思います。そんな中、(株)明治がガム事業から撤退するようです。
眠気覚ましや口臭ケア等を謳ったガムもありましたが、「ガム離れ」が進んだ要因は何でしょうか。おそらく最大の欠点は、噛んだ後のゴミが口に残り、捨て場に困ることだと思います。だから、ガムに代わってタブレットやグミ、エナジードリンクに移行した人はきっと多いでしょう。包み紙やティッシュがないからとガムを路上に吐き捨てる人がいたのも事実。靴の裏にガムが付いた経験のある人だって少なくないはずです。そういえばここ何年も、ガムを踏んでしまって沈んだ気持ちになることはないような…。
そしてもう一つが切符と高校・大学の通学定期。切符に関しては、高尾登山電鉄や筑波山ロープウェーに始まり、「S50.1.1愛国駅から幸福ゆき」の切符ほか様々です。ただ「JR」ではなく「国鉄線」とあり、切符鋏が入れられていますから歴史を感じます。なんでこんな物をとっておいたのかはわかりませんが、個人的には希少価値いっぱい。
思いがけないところから懐かしいものを発見する機会に恵まれるのは、整理整頓をする年度替わりの今。そんなことを思っていたら、今年度のスケジュール帳の1ページ目に、4月に児童からプレゼントされた四つ葉のクローバーが貼られていたのを見つけて、改めて嬉しさが込み上げてきました。児童登校もあと4日!
185 卒業の朝に想う(3/17)
最近、にわかベースボールファンが我が家のテレビの前に陣取っています。ワールドベースボールクラシック(WBC)を観るためというか、大谷翔平選手を応援するためです。その大谷選手やダルビッシュ、村上宗隆選手、佐々木朗希選手など、話題性とともに活躍が期待される選手がたくさん登場します。予選は危なげのない試合ばかりでした。そんな中、ヌートバー選手が大活躍ですが、正直名前すら知りませんでした。カージナルス所属だそうですが、打ってよし守ってよし走ってよしの三拍子揃っているうえに愛嬌があって一躍注目を集めています。土日曜日に練習している野球少年少女も、いつも以上に気合が入っているように見えてしまいます。昨晩のイタリアとの準々決勝も楽しみ、勝利を喜んだのは言うまでもありません。大相撲も始まっています。さらに、今年はラグビーワールドカップも控えます。スポーツで日本が一つにまとまったり、スポーツが人々を元気にしたりする場面が増えそうです。ニューヒーローの誕生をみんなが待ち望んでいます。
さて、今日は卒業式。桜はもう1週間待つ必要がありそうですが、スポーツが日本を元気にするように、卒業生の笑顔や凛々しい姿は保護者や職員を元気にしてくれます。後輩にもよい刺激を与えます。だから、教職員全員で素敵な時間を共有できるように努めます。私自身、数えきれないほど6年生の担任をさせてもらい、校長としても何度も壇上で話をしてきましたが、一度たりと慣れることはありません。毎回新鮮で、そして緊張です。今日も何か失敗して無様な姿を見せてしまうかもしれないと考えると冷や冷やものです。ただ、私たちが卒業式を何度経験していても、子供たちにとっての小学校卒業式はただの一回限り。そのことを肝に銘じて臨みます。一人一人がヒーロー・ヒロインになれるように…。