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校長室から

140 ぬいぐるみ(1/12)

 我が家には、大小を問わずぬいぐるみがやたらたくさん。数えてみると、寝室に3つ、妻の部屋に9つ、私の部屋に娘が残していったものを含めて20個、階段に2体、1階に9つ、車の中に8つ。校長室にも3つありますが、ほとんどに名前がついています。わが子は、同じように見えるぬいぐるみも判別してちゃんと名前で呼んでいましたし、大事にしすぎてぺちゃんこになっていたり表面が毛羽立っていたりします。家族旅行に行くときもリュックに忍ばせて連れていたくらいです。

 学校ではぬいぐるみや人形を大事にしていることを話したりそぶりを見せたりしない子も、家に帰ると呼びかけたり抱きかかえたりしているのかもしれません。薄汚れて、親にしてみれば「処分対象」であっても子供には大事な家族の一員かもしれません。

 さて、私が補聴器を購入する決め手になった一つに、その専門店の代表が補聴器の愛用者であったことが挙げられます。会話の中で、今何について話をしているのかわからなくなることがあります。聞き取れた言葉をつなぎ合わせて把握するのですが、会話の主導権を握ってしまえばよいと思い、聞くことよりも自分から話してしまって不安を解消するような場面があります。こんなことに、代表が「そうなんですよね」と言って聞こえないつらさに共感してくれたのです。自分が難聴だからこそ、利用する人の困り感に寄り添って軽減したいと直接話を聞くことができ、ここなら安心だと考えたのです。

 年末近くなったころ、「全国の公立小中学校の通常学級に、発達障害の可能性がある児童・生徒が8.8%いる」という文科省の調査結果が新聞に掲載されていました。こうした子供たちにとっても、わかってもらえたり、「そうかぁ」と言って頷いてくれたりする人が大事です。眼鏡をかけたり補聴器をしたりすると同じような支援が必要です。この支援はモノや機械ではなく周りの「ひと」なのだと思うのです。

 もしかすると、何も言わないぬいぐるみに自分のつらさや愚痴を吐露している子がいるのかもしれませんし、ホワイトスクールにぬいぐるみ同行なんて子だっていないとは限りません。

139 トイカプセル(1/11)

 5年生がホワイトスクールに出発しました。宿泊学習なのになぜ校長が学校にいるのかって?引率を教頭先生にお願いしたからです。ただ、学校留守番も大忙し。教頭・教務・養護教諭がいませんから、その役割は自然と私に回ってきます。現地でのけがや発熱がないことを願うとともに、学校も何事もないことを祈るばかり。

 正月2日に、映画『Dr.コトー診療所』を観に行ってきました。始まるまでに時間があったので、ショッピングセンター内にやたらと増えたガチャポンコーナーへ足を運びました。「合掌する犬」「釣りをする猫」「天プラモ丼」「カップみそ汁」など可愛らしいものばかり。同じシリーズを集める人もいるでしょう。5種類あったとすると、全部を揃えられたらいいなぁと思ってしまいます。 私のお目当てはクルマ、「ランクル70」です。以前やった時に出たのが白色だったので、残り3色のどれかが出ることを祈りながらレバーを回転させます。カプセルを開けると、そこに表れたのは前と同じ白。がっかりです。娘や息子に尋ねても「いらない」と素っ気ないLINEの返信。ショックに打ちひしがれる中、思いついたのは自分で塗ってしまうこと。アクリル絵の具を借りて、20時過ぎから一人黙々と作業を開始です。とにかく細かい部分が多いので息を止めるように慎重に筆を動かします。21時を過ぎてもまだ3分の1を残しているので作業終了。翌朝、乾かしてある青と白のランクルを見て笑いながら、「これ、飾りたくない」「やらないほうがよかったね」ときっぱり言われてしまうとさらに意地になってやってしまう性格なのです。

 「やればよかった」「やめとけばよかった」などと後悔することのないホワイト3日間を終えて、全員が笑顔で帰ってくることを願っています。

138 お気に入り(1/10)

 比較的暖かかった昨日と打って変わって、北風に襟を立てたくなる三連休明けです。

 コロナ感染時は、普段服用する薬にさらに加わって、その多さに辟易しました。テーブルに並べてしまうと、同じような大きさや色でどれが何の効果があるのかわからなくなります。サプリメントもその中の1つ。「いつまでも自分の力で歩き続けたい人」「ひざの痛みを気にせず運動したい人」など謳い文句が頭に浮かびます。飲み始めると、飲んでいるからこそ効果があると思って愛飲し続けるしかなくなってしまいます。

 子供のころは薬を飲むのが苦手でした。錠剤は1粒ずつじゃないと喉を通らないし、粉剤は吐きそうになって目を白黒させているものだから、オブラートに包んでくれました。でも、これが大きいと飲み込めない。面倒くさい子供でした。だから今、10錠の薬を一気に飲めるようになったなんて、大人になったと思ってしまいます。

 ところで、そんな子供の頃に愛用していたのは、ジャイアンツの野球帽でした。どこに行くにも被っていたような気がします。中学校では、今と違ってカツオ君が被るような校帽があるなど、帽子はやはり身近なものでした。ただ、高校生になった頃からは疎遠になります。教員になってからは、夏場の陽ざしをダイレクトに受ける頭を見ながら「帽子を被らなくて大丈夫ですか」と心配してくださる方がたくさん。逆に冬は、見ている者まで寒くなるようです。

 そんな私がまた帽子を被るようになったのは、ランニングを始めてから。流れる汗を堰き止めてくれますし、暗くなってからは反射材があるので少しは安心だからです。そうこうするうちに、娘が被るキャップを見て「いいかも」なんて思ったり、真冬はニット帽で武装したりするようになりました。毛がないので、今どきの若者のように似合いはしません。

 年末近くなって、別の帽子を探しました。「イスラム帽」と呼ばれるものです。というのも、亡くなった父も一年中愛用していたものがまだ手元に残っていることやALTの先生が着用していたのを毎回見ていたこともあります。こんな時、ネットショップは本当に便利。帽子屋やアウトドア店を探しても見つからないものが色々あるある!お試しで安価なものをポチりました。商品が届いて被ってみるとすっぽり頭部を守ってくれますが、鏡で見るとじじぃくさい!普通にしていても十分じいさんですが、それをさらに老けさせるようです。

 さて、自分が身に着けるお気に入りの物ってなんですか?持ち寄って紹介しあう懇親会なんて粋? 

137 年末年始(1/6)

 年末にコロナで隔離生活・外出禁止を余儀なくされたときのこと。今の仕事から解放されると、逆にできることには限界がありそうだと心配になってきました。片岡鶴太郎さんは夜11時ころに起きて朝5時くらいまでヨガをするとか…。そしてその後の一食で一日を過ごすといいますが、そんな仙人のような生活は私には無理。思いつくのは、読書・ウクレレ・庭仕事・ランニング・車いじり・テレビ視聴くらいしかありません。う~ん、時間がもたない。一日が長い。今仕事をさせてもらって、子供たちと関われることの幸せを改めて感じています。

 普段読めない本を一日1冊のペースで読破できました。眠れない日は、読んだ本の配役を勝手に俳優に置き換えて、声なども連想しながら眠くなるのを待ちました。また、補聴器から流れるSpotifyの音楽は気晴らしになりました。髭男『subtitle』もカラオケで歌うように歌詞がスマホに順に表示されます。昭和の歌謡とは大違い!字余りは当たり前ですし、「不条理」「一挙手一投足」「理論武装」「過剰包装」「不特定多数」など、およそ昔は使われることのなかった言葉がバンバン登場します。

 大晦日の紅白歌合戦も久しぶりにちゃんと見ました。でも、後半は眠くなってしまって録画。年が明けてから見る紅白って、炭酸の抜けたコーラみたいで感動というか大晦日の雰囲気が薄い。やっぱりリアルタイムで観てこその映像ってあるのです。

 年末年始は、体調が完全に戻ってはいなかったのでたまにウォーキングをしましたが、不思議なのがあまり人に出会わないこと。ましてや子供が道にも公園にもいない!ハーメルンの笛吹きに連れていかれたわけではないのに…。凧揚げしていた子供がいっぱいいた時代は遠くなりにけり。

 今日、子供たちの元気な姿を久しぶりに見て安心しました。学校は子供が主役であることを強く感じます。最後になりましたが、新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

136 うきうき(12/23)

 8日ぶりに外気を吸いました。玄関にあるモミジが見ない間にすっかり葉を落としています。駅へ歩いて心臓がバクバクします。胸を押さえながらこのまま倒れるのではないかと冗談ではなく思ったのです。引きこもり生活中、腕につけたウェラブルがしきりに「立って動きましょう」と促します。でも動く範囲は、十歩にも満たないトイレと洗面所だけ。終業式に間に合ってよかったと思っています。

 さて、娘の誕生日は1月中頃。クリスマス、正月、誕生日とイベントが続きます。「全部まとめて」なんてことはさすがにできません。そして、いよいよ明日はクリスマスイブ。山下達郎の曲がラジオなどから流れてきます。これが終わると、♪もう~い~くつ寝~る~と~お正~月~。年が改まる前のこの時期は、大人でも気分が高揚します。子供たちに至っては言わずもがな。

 年賀はがきを売り出されると、年賀状を今年は何枚買うかを毎年尋ねられます。この年賀状に「元旦」と書いて昔は出しましたが、「旦」の字は太陽が地平線からです様を表した漢字で、夜明けや朝を指すと言われてからは「元日」に変えました。でも、元日に届けてもらえるような日に投函できないルーズさは、今も昔も変わりません

 子供たちにとってのお楽しみは、なんといってもお年玉でしょう。これを入れる袋をポチ袋といいます。なぜ「ポチ」なのでしょう。どうも「ポチ」は関西の方言で、芸妓などに与える祝儀のことらしいのですが、「これぽっち」と言うように「ポチ」には「ほんの僅か」「小さな点」といった意味が込められているという説があります。あるいは、「タマ袋」では語弊があるので「ポチ袋」だとも…。

 そのほかにも調べてみました。初夢に見ると縁起がよいとされるのが「一富士二鷹三茄子」ですが、続きがあるようです。「四扇(しおうぎ)五煙草(ごたばこ)六座頭(ろくざとう)」というのは、初めて聞いたような…?富士は大きく明るい未来の象徴で、鷹は爪でしっかりモノをつかみ取る、茄子は「成す」に通じて、扇は末広がりで子孫繁栄を意味します。煙草は邪気を払うとともに煙が上に上がって縁起よし。座頭は剃髪していて「毛が無い(怪我無い)」となるのです。ということは、初夢に私が現れたら、座頭には到底及びませんが、少しくらいはよいことがあるかも?

 今日のオンラインによる冬休みを迎える会では、あまり正月には関係のない『極楽と地獄』について映像を交えて話をします。どんな内容かはお子さんから聞いてください。それでは、良い年をお迎えください。1月からもどうぞよろしくお願いします。