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校長室から
299 蓮根和風ハンバーグ(23.10.31)
10月も最終日。ハロウィンパーティーを計画しているクラスもあるようです。我が家もポストの前をそれらしくカラスウリで飾ってみました。
朝、駅に向かっていると、若い女性がぬいぐるみを抱えて前から歩いてきます。近づいてくると、それがプルートであることに気づきます。結構大きい!単にぬいぐるみ好きかなとも思いましたが、どこかへ向かっている様子。さすがに近くの小中学校の教職員ではないでしょう。もしかして、ぬいぐるみに見せかけた別のものではないかと思案を巡らせます。大きめの物入れ?前で抱えるバッグ?どうもしっくりしません。聞くわけにもいかずそのまますれ違いましたが、二度目会うことはないでしょう。あ~、何だったのだろう。ただ、朝から脳が目覚め、活性化につながりました。
先週水曜日だったでしょうか、午後になって妻からメッセージが届きました。「今日は、レンコンのハンバーグをおろし大根で食べようと思っていたのに、まさかの給食丸かぶりだわ」とあります。昼過ぎにHPの給食のページを見て、慌てて送信してきたようです。献立表を家に持ち帰っていませんから、たまに昼と夜が連続でカレーなんてことも起こります。でも、味が全然違いますからあまり気になりません。でも、さすがにレンコンハンバーグ、しかもソースまで同じとなると…。
果たして帰宅後の夕飯は、レンコンも挽肉も使われたもの。挽肉とレンコンのはさみ焼き、そしてピーマンの肉詰めです。からし醤油もしくはおろしポン酢、好きなほうで食べられるようになっています。使う食材は同じでもアイディア次第で別のものに生まれ変わります。料理がからっきしダメな私からすると、魔法使いに見えます。尊敬のまなざし!きっと脳内が活発な刺激で満ちているのだろうと思うのです。
今晩のおかずは何だろう?
298 米菓(23.10.28)
先週電車に乗ったら、車両のどこに目をやっても『サク山チョコ次郎』の広告で溢れていました。中吊りや動画など、チョコとビスケットの間にミルククリームの入った菓子のコマーシャルだらけ。チョコ側の面には、チョコジローのいろいろな表情29種類が浮き彫りになっており、ビスケット面にはおしゃべりする言葉が96種類。それぞれにシークレットがあるようです。「組み合わせは、何通りでしょう?」と投げかければ、6年生の算数の問題にもなります。似たような菓子がこれまでもあったように思いますが、これほど大々的な宣伝は初めてかもしれません。でも、その日以降は一度も見かけません。あの日だけの広告だったのか、あるいはその車両だけだったのか不明です。ただ、甘いものが欲しくなる季節です。手元に置こうものならすぐに1袋食べ切って、罪悪感に苛(さいな)まれそうです。
一方、米菓の代表といったら柿の種と答える人も少なくないはず。一粒ずつ食べる人もいるでしょうが、私の場合は手のひらに少量出してそのまま口へ入れるものだから、容器に出して一緒に食べる場面では「一粒ずつ食べなさい」と、毎回指導が入ります。あっ、チョコでコーティングされた柿ピー食べたい!
さて、スーパーなどでいろいろな品種の新米が並ぶ季節になりました。食の多様化によって、一人が一日に食べる米の量は明らかに少なくなっています。でも、やはり日本人として生まれた以上、コメの味を楽しまないというのはとても残念なこと。大事な主食であることに変わりはありません。自宅近隣の田んぼは、ほぼ刈り取りが終わった跡が広がります。
そういう私の場合、米の味の違いが正直ほとんどわかりません。「やっぱりこのおコメは美味しい」と言われると、硬さ以外はどれも同じように感じてしまうこの舌が恨めしい。恥ずかしい話、朝食がパンかご飯かで昼までの腹持ちが違うことにしか関心が向きません。
来週7日に5年生が、田植えからかかわった稲の刈り取りと脱穀を体験します。集まった白米は、調理してみんなで食べるといいますから、たくさん収穫できるといいなぁ。
今日の授業参観とひらたっ子まつり、よろしくお願いします。
297 食いしん坊万歳(23.10.27)
朝晩の冷え込みと寒暖差による体調不良が気になるところです。少し寒くなると、たちどころにパジャマや夜具に反映されます。長袖を着て、靴下のほかフリースの上着まで登場した先日は笑われました。布団だって「重み」が大事。羽毛布団の暖かさはよいのですが、軽いのはいけません!ずっしり包まれている感が好きな私は、やっぱり古い人間なのでしょう。
さて、教員になりたての頃は自宅から車で通勤していました。朝に弱い私は、車の中で母が作ってくれたおにぎりを頬張っていたのです。3つあれば、それぞれに具材が違いました。「最後に食べたのが○○だったら、今日はよい一日になる」などと縁起を担いでいた20代。
子供たちが好きなおにぎりの具は何でしょう?同じ質問に、多くの人がシャケを一番に挙げています。2位以下梅干し、昆布、おかか、たらこと続きます。手軽に作れて手軽に食べられるのが人気のおにぎりですから、おにぎりバーといった専門店もあるくらいです。
先日、我が家では珍しくツナマヨのおにぎりが出てきました。海苔無しでしたが、温かいご飯に入ったツナマヨもなかなかよいものです。ふと、「ツナマヨを具にしたとき、おにぎりで食べたいか、手巻きずしで食べたいか」という問いが浮かびました。酢飯で食べるのもいいしなぁ。選ばせようとすること自体愚問なのかもしれません。
愚問ついでに、もう一つ。私が見るインスタに、最近やたらと「千葉の知られざる名店・名所」の類が現れます。先日何気なく見ていたら、厚切りロースかつ定食を提供する本八幡の店が紹介されているではありませんか。その店の前を歩くこともよくあり、昼前から列ができているのを見たこともあります。食べに行きたいと思って妻に話すと、「その値段なら、私はう・な・ぎ!」ときっぱり言われました。価値観の問題ですが、仮に同じ3千円を出すなら、とんかつ?それとも鰻?私にとっては究極の選択。
食べ物がおいしく感じる季節は、危ない危ない…。
296 新聞(23.10.26)
「字違い句」と聞き慣れない言葉が、読売新聞の編集手帳にありました。「なごり雪と名古屋行き」は一字違い。「三連休とせんねん灸」は二字違い、といった言葉遊びです。違いがないものならば、「5期ぶりとゴキブリ」がすぐに思い浮かびます。
こんな遊びもあります。てんし(天使)→てんき(天気)→たんき(短期)→あんき(暗記)→あんじ(暗示)→あくじ(悪事)→あくま(悪魔)→あたま(頭)→ふたま(二間)・・・というように、1文字ずつ変えて別の言葉を作るといったもの。隙間時間に一人で頭の体操をしたり、渋滞した車の中で家族が順番に言い合ってイライラを解消したりできそうです。
今月11日の定例研では、4年1組が「新聞を学習にどのように用いるか」という提案授業を公開しました。そのあと教室に足を運ぶと、壁新聞づくりをしています。紙面には、社会科学習の発展で、「千葉県の魅力」を読者に伝える内容がぎっしり書かれるとともに、新聞の切り抜きが貼られています。グループ内で分担はあるものの、紙面を構成していく上で協議・検討がされたことが窺えます。掲示された際には多くの人に読んでほしいと思います。
さて、先週19日の新聞に楽譜の一部が掲載された一面広告がありました。『新聞で紡ぐ希望のうた』というものです。全国の73の新聞にそれぞれ異なる楽譜が掲載されています。つなぎ合わせると一つの曲になり、「いきものがかり」が歌うといいます。明るいニュースばかりを取り上げるわけにはいかないが、それでもどこかに希望を見つけて、明日もまた前を向いて生きてほしいという想いが込められた歌です。23日夜、楽曲が公開されました。『新聞で紡ぐ…』で検索すると6分の動画と『誰か』という素敵な歌が聴けます。高学年で歌わないかなぁ?
校長室に届く新聞も、読後の有効活用がされています。例えば、習字の作品を1枚ずつ挟むホルダーとして…。
295 成長曲線(23.10.25)
足繁く通う道の駅で先日、車から自転車を下ろしている人を見かけましたが、これ自体はよくあること。でも横顔が知り合いの校長先生に似ているのです。食い入るように見つめていると、やっぱりそうです。確信して駆け寄り、声をかけました。たまたま寄ったのだそうですから、まさに偶然!こんなふうに思わぬところで意外な人に会うことはあるものです。ずっと以前、九十九里に子供を連れて海水浴に行ったときも市内の先生とバッタリ。ある人は、ハワイの海で声をかけられたとか…。どこで誰に会うかわかったものではありません。知り合いの知り合いなんて関係もありますから言動は慎重に!悪いことはできません。
さて、今日は孫の話。4月から幼稚園に通い始めて、おしゃべりする内容も行動も会うたびにレベルアップ。成長曲線は右肩上がりです。毎朝幼稚園に行くときに会う近所の方が、いつも母子に元気な挨拶をしてくれるのだそうです。孫が母親に「誰かなぁ、お友達?」と尋ねたので、「ご近所さんだよ」って教えたといいます。翌朝、会ったとたんに「ママ見て!見て!ママの金魚さんだよ~」と大きな声で言ったのを聞き、母親は赤面したといいます。なんともかわいい孫です。
その孫の運動会があるというので見に行きました。小学校のグランドを借りています。園児でしかも年少ですから、勝ち負けなんか考えていません。ゴールで待つ担任の先生に向かってみんなまっしぐら。玉入れは父親と一緒に参加しましたが、1個も入らずに半べそ状態。何に対しても一生懸命な姿は健気です。
我が子の時もそうですが、小学校の運動会に祖父母が見に来ることは、コロナ前は当たり前でした。孫を見るまなざしは優しさに満ちています。そして、その成長のスピードをうれしく思うのです。たとえ成長とともに健気さは変化していったとしても…。週末の授業参観やおまつりで、成長真っ只中の子供たちを見てください。