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校長室から

485 才と歳(24.10.3)

 HPへのアクセスが、いつの間にか200万件突破しました。驚きと感謝!

 ある日、開店と同時に船橋東武のエスカレーターを上がって奥の街区にある目的の店まで歩きました。わかっていることでも、左右交互に「おはようございます」「いらっしゃいませ」の無機質な声のシャワーが、私一人に延々と注がれる状況はどう対応したらよいものか悩みます。しかもどこも婦人服売り場ときていますから、私は入るわけのない客。だから、ロボットが動いているだけと思って、ひたすら前だけ向いて歩きます。あ~小っ恥ずかしい!

 さて、自分の年齢を書いたとき、専ら「歳」を好んで使います。なんだか格好よく見えるからという単純な理由です。どちらも同じ読みで、年齢を表記する際に使われる漢字ですが、使い分けの必要性はあるのでしょうか。調べると、「歳」は年月や数を表し、「才」は生まれ育った才能や資質などの意味をもつとあります。つまり、年齢を示す漢字は「歳」が正式であるといえそうです。

 「才」は、小学2年生で学ぶ160の漢字の中に見つけることができます。一方、「歳」は中学校で習う常用漢字ですから、画数が少なくて小学校の早い段階で書けるようになる「才」を年齢の表記で使われるようになったのかもしれません。

 「才」を使うことにより、単なる年月のたし算ではなく、その人間が身に着けた知恵や知識の量、つまり人の内面にまで目を向けているようにも思えてきます。生まれながらにして持っている人は「天才」ですし、たくさんの才能を持っている人は「多才」と呼びます。だから10才の子は、365日間で身につける知恵を10個分持っていることになるわけです。こう考えると、「才」もなかなかよいではありませんか。ただ、自分を振り返った時に、60数個分の知恵を本当に身につけているかどうかは、はなはだ疑問です。年齢に応じて身につけた力を発揮できるように、私たち大人も知恵を出し合って日々努めます。

 今日は定時に退勤して、また百貨店の婦人服売り場を横目に目的の場所を目指します。