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校長室から

219 疑問から実験・調査へ(23.5.23)

 運動会は生憎の天気の中でしたが、応援ありがとうございました。体調を崩した子や教職員がいないかどうかが心配です。

 さて、街中に点在する公園。遊具がたくさんある場所もあれば、ベンチとまたがって揺らす遊具だけと割り切った箇所もあります。このまたがるタイプの遊具の中にエビフライにしか見えないものがあります。実は冒険好きなミツバチをイメージしてデザインされたとか。名称は「ハニー」。他にも青いカブトムシやピンクの蝶、緑のバッタがあるといいますが、エビフライ遊具の数が圧倒的に多いというのが私の勝手な見解。平田学区の公園にはどんな遊具が多いか、足を使って調べ統計をとってみたいと素朴な疑問というかくだらない考えが沸き上がってきます。3年生が国語の学習で「ひみつを調べる」ために、タブレットを使って検索する姿を見ましたが、3年生なりの素朴な疑問をいくつも目にしました。

 例年、田植えが終わった水田の水面が黄緑色に濁って見えることがあります。2~3ミリの水草が広がって浮かんでいるからです。この水草を採集して理科の実験に使うことが以前ありました。植物の成長の条件を調べるためです。発芽条件は、温度・空気・水の3つですが、成長には肥料や光を含めて必要な要素があるか確かめるためです。カップに水草を入れて、液体肥料の有無で成長具合を観察します。水草は分裂して増えるので個体数を数えればよいことになります。でも、そううまくはいかないのです。肥料を入れたほうが枯れるなんてことも…。同じように理科では、予備実験を事前に行いますが、なかなかの曲者!授業になると、白となるはずの結果が子供が試すと黒になってしまうなど、「あれっ?」と何度つぶやいたことか。

 家でイチゴを育てていることは少し前に書きました。このイチゴ、最初の一粒の収穫を最後に実が大きくならず変色して枯れてしまいます。たくさん花を咲かせたので、収穫を大いに期待していたのに不思議でなりません。ある日枯れた葉にハサミを入れると株がぐらつき、スポッと抜けてしまいました。鉢から土を出してみると、憎きコガネムシの幼虫が根を全部食べていました。でも、うまくすれば再生するのではないかと期待半分、鋭意実験・観察中!

218 運動会だよ!全員集合(23.5.20)

 テレビドラマを見ていると、同じ俳優が同時期に別の番組でも見ることがあります。「あれ?ここにも出演している」と思いながら、ほかの番組ではどんな役だったかすぐに出てきません。例えば野間口徹さん。嫌な役もおかしなキャラクターもなんでもござれ!売れっ子のバイプレーヤーです。

 今日は運動会。天気が心配で朝早くから詰めています。運動会といえば、梅田俊作さんが書いた絵本『よーいどんけついっとうしょう』が思い浮かびます。“きょうは運動会。いよいよ、ぼくたちの50メートル競走だ。むねがドキドキ。なんだ、おしっこにいきたくなっちゃった…!”で始まる心温まるお話。トイレに向かう途中で、けがをして一人で泣いている小さな子を発見。放っておけず…。あとはぜひ読んでみてください。

 コロナ前のように全体で実施できるのは、私自身は4年ぶり。校庭の広さや児童数によっては実施できた学校もありますが、決して多くはありません。全体練習では、450人が校庭に並ぶだけで一苦労。毎年実施できていれば低学年以外は勝手知ったという感じでしょうが、経験がないとなれば自ずと時間がかかります。児童の係も同様ですから、予定していた時間よりオーバーすることも想定内です。指導する立場の先生だって片手の人数は未経験者の部類。手際より経験を積むことが大事です。練習でも準備でも、先輩教員が随所で指導・アドバイスする姿が見られるなど、今日まで全員で創ってきました。

 学校における運動会は一大イベント。それを計画・運営する体育主任は花形とも言えます。以前、運動会前日には有志で前夜祭を行って体育主任のこれまでの苦労を労いました。そして運動会当日の打ち上げは、「体育主任が全員を労う場」と言われて何十年も過ごしました。今年は終わった後、全校で実施できたことを皆で喜び合いたいと思います。

 リレーがないのは少し寂しいですが、火曜日以降、運動会の絵や作文に取り組む子供たちの姿を楽しみにしたいと思います。まずは、今日の子供たちの精一杯を目に焼き付けます!

217 小銭(23.5.19)

 新型コロナによる黙食の見直しが昨年度末にあり、有志の子供プロジェクトチームで話し合って全校に周知したのは次のこと。①前向きでの食事の継続、②必要な時だけすぐそばの人との会話は可、③声は相手にだけ聞こえる大きさ、④マイアクリル板を作成したり会話時のマスク着用したりしてもよい。これは、新年度になって2類から5類に移行するまでは継続することを教職員でも共有してきましたが、この先給食時間を子供たちはどんなふうに過ごしたいと思っているのでしょう。

 5類となっても電車内のマスク着用者はほとんど減っていない状況です。そんな中で、人の持ち物にふと目が行くことがあります。紙袋に社名が書いてあったりビニル袋から菓子箱の商品名が見えたり。週明けなどに「ずんだ」とか「萩の月」なんていう文字を見ると、仙台方面に出張か旅行で行ったのだなと一人合点してしまいます。

 さて、還暦を過ぎた今でも、時々見る夢があります。道を歩いていると、百円玉が落ちているのを発見します。拾い上げると、その近くに十円や百円がいくつも見えます。こうするうちに、両手が硬貨でいっぱいになるのですが、不思議と誰も気づかないという夢。こんな場合、夢判断ではなんと出るのでしょう?

 以前は、自動販売機の下に硬貨が落ちていることがよくありました。拾ったお金を交番に届けたこともあります。でも、電子マネーが普及した現在、小銭を持ち歩く習慣がなくなったようです。背広やズボンのポケットからジャラジャラと小銭登場~なんていう場面は皆無といってよいでしょう。ある調査では、五十円硬貨以下の小額貨幣の需要が低下していると伝えています。駅構内で飲料水を買うのも簡単ですし、電車やバスの自動改札やコンビニの支払いなどの煩雑さがなくなり、利便性の高さが窺われます。

 一方で、暗算力に影響はないでしょうか。子供がまだ低学年だったころでしょうか、車の中で待っているような隙間時間に「タクシー屋さん」をやりました。私が運転手で、子供がお客さん。目的地について支払いの段になり「料金は1870円です」と金額を伝えます。そして「2000円お預かりします。おつりはいくらお返しすればよいですか?」と暗算させます。計算が苦手な娘は、この遊びが嫌いだったようです。将来的に算数の文章題に、切符を買ったり店舗で硬貨による支払いをしたりする場面が消えているのではないかと思ってしまいます。

216 正しいのは?(23.5.18)

 どちらが正しい?

 「キヤノンとキャノン」、「シヤチハタとシャチハタ」、「ビックカメラとビッグカメラ」、「キユーピーとキューピー」、「ブルドックソースとブルドッグソース」、「バーミヤンとバーミアン」「サイゼリヤとサイゼリア」などいろいろ。耳で聞いた音をそのまま正しいと勘違いして表記を誤るケースは少なくありません。(正式表記はすべて前者)

 また、漢字を見ただけでは判別しにくいものもあります。例えば苗字。「角田」さんと書いた場合、「かくた」なのか「つのだ」なのか「かどた」なのか、はたまた「すみだ」や「すみた」なのか悩みます。清音濁音もまたしかり。「はちすが」さんと呼ばれることに慣れてしまいましたが、本当は「はちすか」です。子供たちだって正しく呼んでほしいはず。フリガナ入りの全校児童名簿をきちんとチェックするように努めます。でも間違えていたら優しく指摘してください。

 さて、伝説的サッカー選手と言ったら、ディエゴ・マラドーナ(アルゼンチン)・ヨハン・クライフ(オランダ)・ジダン(フランス)・ロナウド・ロナウジーニョ(ともにブラジル)・ベッケンバウアー(ドイツ)などが挙げられますが、だれもが認めるのはやはりブラジルの英雄・ペレを除いていないでしょう。昨年12月に亡くなりましたが、様々な功績を称えてブラジルの辞書に追加されたと聞きます。「別格の」とか「無比の」といった意味で、比類のない人物を表す「形容詞」だそうです。日本でも、現代用語辞典などに新語が登場します。ただ、形容詞としてどんな使い方をするのかと思って示された例文を見てみると、「彼はバスケットボールのペレだ」とあります。「彼はバスケットボール界における無比なプレーヤーだ」ということでしょうが、違和感があります。まぁ、使わないので正しさを追及する必要もないでしょうが…。

 土曜日の雨マーク。明日の午前中には運動会実施・順延の判断が求められます。

215 超能力(23.5.17)

 週末の天気が気になります。雨に降られない、暑くない、そんな日だといいなぁ。

 さて、学校では4月から様々な検診・検査が続いています。遺伝性難聴の私は、大人になってから聴力検査が大嫌い。ヘッドホンをして遮音室に入っても、聞こえる音が機械から流している音なのか雑音や耳鳴りなのか判別できません。また、検査員が調節ボタンを回しているようなのですが、一向に音が聞こえてこず反応できない自分が恥ずかしく…。人間ドックの聴力や胃部X線検査では、「私はほとんど聞こえません」とか「指示を聞きとれないかも」と最初に申告するようにしています。こんな人間ドックですから、心的ストレスはマックス。待合にいてどの検査部屋から呼ばれるかわからないので、全神経を呼ぶ声に集中させなければなりません。テレビの音と話し声が氾濫する中から呼ぶ声を聞き分けなくてはいけません。時には小さかったり高かったりと、わざと聞こえづらいように意地悪しているのかと疑ってしまいます。終わったころには、疲れがどっと出ています。だから何らかの障害を抱える人の不安に気づける社会であってほしいと願います。

 先の聴力検査にかわいい笑い話があります。子供が家に帰って、耳の検査があったことを家族に報告する場面。「耳の検査、なんていうんだっけ?ちょう…ちょう…」。聴力検査という言葉が出てこない様子。「あっ、超能力検査!」と言ってしまったのです。私も普通に聞こえる超能力が欲しいです。

 話は変わりますが、給食用の先割れスプーンを1本とると、波打つ感じに変形したスプーンに当たることがよくありました。1970年代の超能力ブームの真っ只中。誰もがスプーンの柄の根元をさすって、「念力」と言って必死に曲げようとしていた頃。全然曲がらないので、机の下で力任せに曲げてみたり…。今でも忘れないユリ・ゲラーの登場。「さぁ、皆さんも手元にスプーンをご用意ください」と言う司会者の声に促されて台所にスプーンを探しに立ち、ブラウン管の中から送られる念力で手元のスプーンも曲げようと唸っていた私。自分と同じくらいの年齢の清田少年があれよあれよとスプーン曲げを披露する場面も思い出します。ただ、念力だけでなく透視やUFO、ネッシーなどに人々が熱狂した時代。特集番組が数々放映されるなど社会現象にもなりました。今思うと、日本中がどうかしていたのかもしれません。超えられない壁に不安を募らせ、超常現象や超能力、未知の生命体の存在に希望を見出していたのかもしれません。

 自然災害や戦争などが絶えない世界に再び超能力ブームがやってくるかもしれません。いや、ブームの到来より戦争終結を念じます。