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校長室から

444 今日はこんな日(24.6.28)

 6月最終登校日の今日、「444号」になりました。これを縁起が悪いとみるか、三重のしあわせとみるか。ポジティブに行きましょう!

 さて、平田小「まるごと図書館」に集まっている本を、図書室の本などと区別するために、専用のシールを貼るとよいのではないかという職員のアイディアから、子供のイラスト原画を募集する手紙を配付したのが一昨日のこと。7月8日締め切りですので、多くの応募を担当者も願っています。9月頃から徐々にスタートして、子供や保護者、教職員で創り上げ、更新されながらずっと続いていくものにしたいと思います。

 学校だよりでも触れたとおり、ゆとろぎの部屋(スペシャルサポートルーム)に今日エアコンが入ります。エアコンは普通教室と使用頻度の高い特別教室には優先的に入りますが、ゆとろぎはその対象ではありません。しかしながら、担当者が常駐して教室以外の居場所となる教室が暑くてたまらなければ、行きたくても行けなくなってしまいます。だから、要望を形にしてくれた市教委の英断に感謝です。したがって、工事により今日はこの部屋の営業はできませんので、一時的にPC室をSSRとします。

 また、市政90周年を迎えたことを多くに知らせるために、第1校舎の屋上に横断幕設置の予定でしたが、雨天により来週になりました。この90周年関連行事の一つに、子供たちが作る「缶バッチ」もあります。平田小の順番は、10月初旬になっています。

 さらに、5,6年生は着衣泳を行う予定でした。暑くなるにしたがって、水の事故の報告が増えます。事故から身を守る、あるいは事故に遭ってしまったときに自他の命を守る術を、地域スポーツクラブの協力を得て学ぶのです。衣服を着たままだといかに水の抵抗が大きくて動きにくいかがよくわかります。また、助けが到着するまで衣服に空気を入れて浮いている方法やペットボトルを浮き輪にして漂う方法など、万が一を想定した危機意識を養い、緊急対応の術を身につける絶好の機会でしたが、こちらも雨により…。

 晴雨関係なく、6年生は卒業アルバム用の個人写真を撮影します。私も写真を撮ってもらうので、ネクタイと上着を用意して、髪もしっかり整えて臨みます。今日はオールバックの気分!

443 アウトレットモールにて(24.6.27)

 ユーチューブで「北欧暮らし」を観るのが日課になっている妻は、生活の中に北欧のエッセンスを取り入れようとしています。例えば、調度品を求めてイケアに行くことも。ムーミンのマグカップや皿に料理が盛られてテーブルに上るのもその一つでしょうか。現代的な北欧デザインのiittala(イッタラ)のグラスとともに買った、ARABIA(アラビア)というフィンランドのブランドです。時々新しい商品がないかと足を運びます。

 オープンスクールの振替休業日は真夏の暑さで、熱中症による救急搬送も多かったと聞きます。暑いし、平日で空いていそうなので、この日もアウトレットに朝から出かけて避暑&ウィンドウショッピングです。停め放題の駐車場からモール内に足を踏み入れて、最初に入ったのが、前回来た時にはなかったカプセルトイ専門店。今やアウトレットにまで進出する勢いです。ガシャポンの種類が豊富で、見て回るだけでわくわくします。私の好きな焼きトウモロコシの粒も指輪になっているではありませんか。その名も「コーン焼く指輪」など3~4種類あって、ユーモアたっぷりです。商品によってはその場で組み立てて、いくつかある専用の背景の中に置いて写真まで撮れるという企画もあります。池袋サンシャインシティにある「ガシャポンのデパート」には、なんとトイ機が三千台もあるというから驚きです。見て回ったり探したりするだけで疲れてしまいそう。テーマによって分類表示がしてあるとよいのにと思うことが時々あります。

 結局、Tシャツを買って昼には引き上げて、いざうなぎ屋へと車を走らせました。久しぶりの贅沢に笑顔がほころんだところに、「これっ、ひと月早い土用の丑の日の先取りね」という声。よく、うなぎ屋から立ち上る煙の匂いだけでご飯が食べられるなんていいますが、次に食べられるのはいつかなぁと思うだけで、しばらくは頑張れそうです。そうは言いながらも、チェックのために回ってきた7月の給食メニューに「うなぎ」の三文字を探そうとしている私。

442学校、そして子供の未来(24.6.26)

 先週土曜日のオープンスクールには、たくさんの参観者で教室が溢れるほどの盛況でした。ありがとうございます。また、家庭から図書類をマルチルームに運んでくださる方も多く見かけました。今後夏休みの面談やPTA活動など、何かのついでで構いませんので、引き続き「まるごと図書館」への本の寄付にご協力ください。

 授業参観後の4時間目に、除草作業もありました。なかよし広場や緑門周辺など見違えるほどきれいになりました。赤門脇の小山でも作業をしています。その時、ふと不安がよぎったのです。移植したクリスマスローズとスミレのことが…。作業終了後に確認しましたが、きれいになっていました。誰でもわかるように表示札を立てておかなかった自分のミスです。仕方ありません。根が生きていたり、こぼれダネから芽を出したりする生命力に期待です!

 雨が降った翌日は、朝から市川工業高校のグランドで野球部が水溜まりの整備をしている姿を見かけます。トンボで均したりスポンジで水を吸い取ったり…。小学校のグランドは、ダストなので水はけがよいですが、運動会前やサッカーの試合前には、ちぎれたマットレスや雑巾、バケツを持ってみんなで作業したことを思い出しました。

 さて、学習教材として実物に勝るものはありません。学級担任として、できるだけそうした実体験を通して、問題意識を膨らませて学習を組み立てるようにしたつもりです。実物が無理なら模型。場合によっては、映像や写真資料です。今では書画カメラやタブレットで子供のノートも小さな写真も大きく映し出して、みんなで共有します。プロジェクターだって当たり前ですが、昔はスライド写真を使ったり、16ミリ映写機で見せたり…。この映写機を使うには免許のようなものが必要でした。そして、オーバーヘッドプロジェクター(OHP)も大活躍でした。透明シートにカラーペンで文字などを書き、教室備え付けのロール・スクリーンに映し出すのです。拡大コピー機などありませんから、手作りの資料を大きく映して授業を展開するには有効な機器でした。

 これから先、子供たちが古い記憶を紐解いたときに、コロナで制限されたことだって「そんなことがあったね」と言って懐かしむことになるはずです。そんな十年後、二十年後といった子供たちの未来が楽しみです。

441 ご注意を!(24.6.25)

 先週の給食中の放送を終えて、マイクの前から去ろうとした際、放送室にある機器の脚に右足薬指を強打!放送室は上履きを脱いで入るので、痛いのなんのって…。足を引きずるように校長室へ戻りました。しばらくしも痛みが引かないので、靴下を脱いで見てみると青黒く変色しています。ズキズキと痛むので、保健室まで湿布薬をもらいにいくのも回転いすに座って片足で漕ぐように移動。念のため帰宅途中に病院を受診しましたが、受付から受診まで2時間半は長かった!家でも足指をぶつけることはよくありますが、要注意です。

 ヒビが入っていて、革靴を履いて歩くと患部に痛みが走ります。したがって変な歩き方で速度もゆっくり。駅から家まで普段の倍の時間がかかり、年配のおばあちゃんにも追い抜かれる始末。歩みがゆっくりなお年寄りの気持ちになれましたし、「もう歩きたくない」と幼児のようなわがままを言いたい気分にもなったのでした。翌日から右足にサンダルを履いて、2日間だけ汗知らずの快適マイカー通勤となりました。

 さて、暑い日に限って、鞄に扇子を入れ忘れます。駅に着いて額や首、頭頂などあらゆる場所から噴き出る汗をぬぐいながら、改めて扇子忘れを後悔するのです。携帯扇風機を首から下げたり手に持ったりしている高校生を見て羨ましくなります。

 そんなある日、何気なくインスタを見ていると、現役消防士が電気機器の火災の危険性について呼びかける動画がありました。モバイルバッテリーと携帯用扇風機に使用される充電式バッテリーに注意が必要だといいます。通常使用では問題ないものの、地面に落としてしまったり衝撃を与えてしまったりしたものは、爆発の可能性があって大変危険なようです。過充電についても警鐘を鳴らしています。便利さの中に潜む危険が、身の回りにはたくさんありそうです。

440 変わる学校(24.6.22)

 教員採用試験を前倒ししたり、選考方法や優遇措置を設けたりして教員の確保に躍起となる教育委員会。私が教員になった40年前は、逆に先生になりたいけれどなれない人が多かった時代。「久しぶりの新採」と言われて、戦力外の私を皆がかわいがってくれた時代。当時、土曜日も毎週午前中授業で、午後からは部活動をガンガンにやりました。その後、1992年秋から第2土曜日が休みになり、3年後には隔週土曜日が休業に。毎土曜日が休みになったのは2002年。早いものでそれから22年です。

 この間、学校での印刷は大きく変わりました。今では全校児童分のプリントであってもほんの数分で終わります。でも、昭和の印刷といえば謄写版(ガリ版)です。原稿は、蝋塗りの原紙に鉄筆で文字や絵をかきます。わら半紙の上に原紙を置いて、その上にインクを付けたローラーを転がすと、鉄筆で削ったところにインクが滲み通って印刷されるのです。この原理を利用して大量の部数を短時間で印刷できたのが「輪転機」。40年前は、ボールペン原紙を機械に取り付けてハンドルで回して刷るタイプでした。別に「青焼き」という機械もありました。どちらも大変時間がかかります。機械が1~2台しかありませんから、誰かが印刷していると次に印刷できるのはいつになるかわからないのでした。ワープロやパソコン、タブレットの登場により劇的な進化しました。「進歩は不便から」を痛感します。家庭に普及した「プリントゴッコ」だって、似たような昔話の世界。

 先日の同窓会の会場に、持ち込まれた思い出の品の中に文集がありました。小3のときのクラス全員の詩を綴った中に私の書いた詩を見つけました。結構な厚みですが、全部先生が時間をかけて印刷していたことに敬意を表します。子供を思ってこその為業です。ただ残念なことに、先生が愛情を注ぐほど子供は受け止めてはいません。子供が書いたりまとめたりする力を育てるために、卒論と題した原稿用紙百枚以上の調べ学習の課題が、6年生の別のクラスであったといいますが、担任の悪口以外聞かれませんでした。

 今日のオープンスクールでは、昔と今の学校の違いを探してみるのも面白いかもしれません。