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校長室から

013 日進月歩(5/11)

 「旗日(はたび)」って死語ですか?祝日を指しますが。私が小学生の頃は、祝日には玄関脇に国旗を掲げてお祝いする慣習がありました。今も時々見かけますが、きっとお年寄りがいるのだと思います。

 さて、庭で育てるアジサイに花芽がたくさん見られます。様々な種類が咲き揃う時季が今から楽しみです。目に留まるのは、名の知れた植物ばかりではありません。時に、道端で人知れずに咲く花もありますし、「この植物の名前は何だろう」と知りたくなる時もあります。最近、草花等を写すと診断確率のメーターが上がって名前の特定に至るという、便利なアプリに出会いました。「凄い」の一言!

 また、技術の進歩あるいは働き方改革を感じるのは、AI自動音声がニュースを読み上げているとき。男声と女声を交互に使い分けているのは、本物のアナウンサーがしゃべっているようですし、何よりも機械感を感じない。ウクライナにドニプロペトロウシクという州がありますが、早口言葉にしたら言いにくいでしょうし、大相撲の新関脇 若隆景(わかたかかげ)もアナウンサー泣かせ?でも、AIだと事もなげにすらすらと読み上げるのだろうなぁ。

 アメリカでは、野球で機械がストライクやボールを判定して球審に伝えるという「ロボット審判」がすでに3Aで採用されているといいます。メジャー導入も時間の問題かもしれません。誤審防止や審判の負担軽減から「歓迎」となるでしょうか?

 では学校の未来、いや10年後の学校はどうなっているのだろう?

012 紡ぐ(5/10)

 先日、校内で声をかけてくださった保護者の方は、35年以上前の隣のクラスにいてサッカー部で指導をした子の奥様でした。前任校でも、以前サッカー部だった子が保護者として会いに来てくれました。やはり隣のクラスだった女の子は素敵なお母さんになって、手紙を何度もくださいました。人の縁って不思議ですし、どこでどう繋がっているかわかりません。まさに「紡がれる」という感じがします。平田小に着任したのも何かの縁です。これを大切にしたいと、一月経って感じています。

 さて、この「紡(つむ)ぐ」という言葉は、「綿または繭を糸縒車にかけ、その繊維を引き出し、撚(よ)りをかけて糸にする」と広辞苑にはあります。それが転じて、「言葉を紡ぐ」とか「歴史や未来を紡ぐ」のような表現で用いられています。

 「紡ぐ」に似た言葉には、「結ぶ」「織る」「編む」「縫う」などがあり、思いつくものはどれも糸偏です。中島みゆきさんの『糸』の歌詞の最後に、“縦の糸はあなた 横の糸は私 逢うべき糸に 出逢えることを 人は仕合わせと呼びます”とあります。細くても短くても、目の前の糸を織りながら温かくて幸せな気持ちに浸れる学級・学年・学校でありたいと願います。ブログを毎日読んでくだっているという保護者の方から声をかけていただきました。感想を耳にする場面もしあわせです。

 ちなみに、つい最近からウクレレのソロ練習曲にしているのも『糸』です。まだ、すぐに途中で切れてしまう糸ですが…。

011 1~気の遠くなる数値まで(5/9)

 飛び石でもGWの最終日夕方は寂しさがつのります。そして、サザエさんのエンディングを聴くと「終わった感」が増すのは私だけではないはずです。それでも、子供たちはGWを楽しめたかなぁ?尋ねてみようと思います。

 前任の市川小学校の学校番号は「1」。だから、「市内で一番といわれる学校をつくろう」と高学年に呼びかけてきました。ここ平田小学校は「11」。「一番の学校」というより、「いい学校」でありたいと思います。5年生や6年生が考える「いい学校」って具体的にどんな学校でしょうか。そんなことを学級や学年で話し合い、提案したり実践へのプロセスを思い描いたりしてほしいと思う連休明け。

 さて、小学校では、算数で「おおきなかず」を学習します。最初は百までの数に始まり、百を超える数へ。そして4年生で位取りを確認しながら一億以上へ。数の概念がどんどん膨らんでいくのです。

 4月中旬のある日、新聞の見出しに「地球から135億光年離れた銀河候補を観測」とありました。また、ネットニュースでは「巨大な彗星、2031年に地球に最接近!」という見出し。ともに、本文を読むうちに身近な数値とあまりにもかけ離れ過ぎていて数量感覚が失われていく気がします。

 彗星には、中心部が氷や塵でできた汚れた雪玉のような核があるそうです。一般的にはその核が数キロ程度であるに比べて、今回観測された彗星の核は、直径約137キロ(東京~静岡の距離が143キロ)で、楕円の軌道を描いて300万年かけて周回するといいます。現在、太陽からの距離は約32億キロだとか。さらには、NASAの探査機ボイジャーが太陽系の果てにある場所にたどり着くまでに300年かかるとか、通過するまでに3万年とか…。気が遠くなるなんてものではありません。

 ちなみに、この彗星は太陽から16億キロの圏内に近づくことはなく、地球が危険に晒されることはないそうです。映画「アルマゲドン」を想像してしまいましたが、ホッとしました。

010 ICTを上手に使って(5/6)

 ジャスミンの香りが漂っています。クチナシの花の甘い香りもそろそろです。

 NTTドコモ関連の研究所が、15~79歳のスマートフォン所有率の推移を発表しています。2010年には4%強でしたが、2011年に21%、2015年に51%と伸び、2022年になんと94%に達したといいます。驚きの反面、電車内などで見る乗客の様子から自然と納得。

 ひと昔前は、スマホなんてドラえもんのお話の世界だったような気がします。スマホのほかにも、個人所有のタブレットなどが授業や会議でフル活用されている様子を見ると、気後れしてしまう自分が情けない!子供たちに配付されているタブレットも同様で、習得の速さには目を見張ります。操作スキルの向上だけでなく、どの場面でどのように活用するかを考えたり、利用時間をセルフコントロールしたりする能力も高めていきたいと思います。

 教室にある大型提示装置。まるで65型のテレビ!これと書画カメラ(実物投影機)やPC類などをうまく使って子どもたちの理解を深める取り組みを日々行っています。でも、ICT機器を使うことが目的ではなく、ねらい達成に向けた手段であり補助であることを忘れないようにしなくてはいけません。アナログ的要素と上手に組み合わせて効果を最大限まで高めたいものです。

 4年生もタブレットを毎日持ち帰りするようになりました。家庭での活用を推進していくとともに、家庭とオンラインでやり取りができることを確かめるために、5月2日の6時間目には自宅と学校をつないでホームルームを行いました。

009 決断(5/2)

 5月になってクールビズの始まりです。首元の解放感がうれしい。

 千葉ロッテマリーンズの佐々木朗希投手が、28年ぶりに完全試合を達成したのは4月10日のこと。そして、次の登板でも8回終了まで一人も塁に出さない、2試合連続の完全試合達成目前。でも監督は最終回を投げさせませんでした。投手の肩肘を守ることも大事。でも、プロ野球史上で過去に十数回しかない偉業ですし、狙って達成できるものでもありません。ましてや、今後そんなチャンスがあるかすらわかりません。そうした中での監督の苦悩・決断はどんなだったでしょうか。

 学校・学級経営も程度の差こそあれ、決断を迫られる場面が多々あります。真剣に考え、説明できることが求められます。たとえそうであっても、決めたことに対する是非は分かれます。100%の支持はありえません。

 子供たちも様々なスポーツ等に親しんでいます。校庭や体育館で黙々と練習に取り組むサッカーやミニバスの選手に自然と目が行きます。吹奏楽部も制約ある中で頑張っています。初任のころから指導してきたサッカー部。指導者がいないということで任されたミニバスケットボール部。休みの日も部活動一色でした。でも楽しかった思い出でいっぱいです。記録を残せる人なんて一握り。ただ、自分の記憶に残せる取り組みは、どれだけ熱心に打ち込んだかで決まるような気がします。

 スポーツのみならず、目標を見据えて場面場面で自己決定できるように子供たちを応援していきます!

008 5月といえば…(4/28)

 ♪柱~のき~ず~は おととし~の~♪

 童謡『背くらべ』の冒頭です。この歌詞は、端午の節句に背丈を測ってもらった子供目線ですが、柱を背に身長を測る風習も薄れましたし、歌われることもほとんどなくなりましたし。もう無くなって2年経ちますが、実家の柱に私や弟、孫たちの身長が、爪の先で書かれていたのを懐かしく思い出します。ところで、私の額に刻まれた縦と横の深い皴はいつからなのでしょう?「おととしの~」なんていう次元ではありません。気になるからセロテープで留めて寝たら少しは…?

 5月が近づくと、田園風景が続く中に鯉のぼりをいくつも見かけたのは、今は昔。最近ではほとんど目にしなくなりました。何mもあるポールを立てロープで支えるということは難しい住宅事情です。私が子供のころは、近所の職人が設置してくれ、悠々と泳ぐ鯉のぼりは春の風物詩でした。先日通りかかった東国分中学校そばの遊水地には、横に張ったロープにたくさんの鯉のぼりが風になびいていました。似たような風景を見て、「風に吹かれて、鯉のぼりが大きくなったのがきれいだった」とテレビから聞こえてくる子供の声が新鮮です。

 「柱の傷」「鯉のぼり」など、失われていくものは少なくありません。昭和のじじぃには懐かしいものばかりですが、新しい風物詩も生まれていると思いたいものです。というわけで、「5月といえば○○」の○○を埋める設問があったら何と書きますか?5月の田んぼが大好きな私は、畦道などに生えるヨモギを使った「ヨモギ団子!」かな。

 さぁ、明日からGWがスタート。何かに夢中になるが故に注意散漫で事故に遭うことがないように願っています。

007 わらびは何処へ(4/27)

 毎週のように出かける道の駅、野菜コーナーに「わらび」が並んでいました。片手で軽くつかめる量が270円。お手頃な値段とは言えません。わらびは、おひたしや煮物、味噌汁などになって我が家の食卓に登場していた半世紀以上前。そのわらびだって、近所の雑木林から採ってきたもの。たくさん採っては祖母に褒められて鼻高々だった少年時代。だから、今も雑木林があるとわらびを探したくなりますし、笹やぶを見ると足を踏み入れて秘密基地を作りたくなる、そんなノスタルジックな気持ちに浸れる場所といえます。

 

 ノビルやイナゴも自給でした。イナゴの足にある棘が頬っぺたの内側に刺さったことまで思い出します。大人になって、プランター菜園もやってみましたが物足りず、畑を借りて野菜作りに挑戦したもののすぐに挫折したのは数年前。

 生活科や理科、総合でミニトマトやオクラ、ナス、トウモロコシ、枝豆、サツマイモ、稲、じゃがいもなどを育てる活動があります。自分あるいは自分たちの作物ですから、「大切に育てたい」「たくさん収穫したい」という思いが膨らみます。観察や世話にも余念がありません。ある子は、苗に名前をつけて愛しそうにしています。野菜の成長や変化、自分とのかかわりについてたくさんの気づきが生まれることを期待しています。

006 体が硬直!(4/26)

 先週土曜日は、校庭で少年野球、体育館でミニバスの練習試合、校舎内で吹奏楽部の練習を見せてもらいました。みんなよい顔をしています。そして、吹奏楽部の子からは入部を勧められました。

 さて、日課にしている週末ランニング。春先は花粉との闘い!しっかりマスクをすると呼吸困難に陥りますが、着用しないと鼻がグシュグシュになってしまいます。そして、走る前には入念なストレッチ。ただ最近は、可動域がめっきり狭くなって痛みが出るのです。普段の生活でも時々膝の屈伸運動やアキレス腱伸ばしをしなければなりません。校内で情けない姿を目撃されていないか冷や冷やものです。

 子供たちは今月、「運動器検診」を実施しました。前後屈や片足立ち、しゃがみこみといった内容ですが、留意事項に書かれた言葉に目がいきます。「前後屈:(後ろにゆっくり反らしたとき)腰がイタタタとならないか注意する」、「しゃがみこみ:踵を浮かさないようにしてしゃがむ」などとあります。膝屈伸すると踵が浮いてしまいますし、片足立ちだって時々ふらつきます。全然後ろに反り返らない後屈、肩を回せば骨の音だけがやけにリズミカルです。

 でも、休み時間に校庭で子供たちが元気に走り回っている姿を目にすると、なぜかじじぃも頑張ろうという気持ちを奮い立つのが不思議です。

005 困った子?いえ、困っている子です(4/25)

 南門脇のつつじが咲いて鮮やかです。

 私は柏住民です。最寄駅から船橋へ出て学校へ向かいます。前任校の場合は、船橋駅から快速で一駅でした。平田小へはその一つ手前。本八幡駅が最寄りとなる勤務場所も何度かありましたが、残念に思うことが1つ!それは、帰宅時にタッチの差で前の電車が発車して、次が「西船橋」行きだったとき。些細なことですが、そんな気持ちになるときってないでしょうか。

 私自身についてもう少し話をします。私は遺伝性の難聴で、「聞こえ」に関する様々な困難を抱えています。聞こえない音に、電子音・ホイッスル・鳥の声・蝉の声、内緒話などがあり、高音域は全く反応できません。少年サッカーの指導に長く携わってきましたが、笛の音が聞こえませんから、吹いている様子や審判・選手の動きを見ながら笛が鳴ったことを知りました。もしプレーヤーだったら、ホイッスルを吹かれてもプレーをやめないためイエローカードの対象です。ですから、人との会話は大きなストレス。特に、周りに様々な音が混じっている部屋で協議をするような場面が苦手なのです。それでも相手の口元を注意深く見て頭をフル回転させて会話に参加しましたが、今はいけません。コロナでマスク着用の上にアクリル板が設置されようものなら逃げ出したい気持ちになります。当然のことながら、テレビ視聴には字幕が欠かせません。

 これはほかの障害についても言えます。HSCや化学物質過敏症、起立性調節障害、吃音ほか。一見「普通」に見えるかもしれませんが、本人の中にある困り感は半端なものではないことが予想されます。発達障害も同様です。得意・不得意の特性と、人とのかかわりのミスマッチから様々な困難が発生します。これもまた、外見からは分かりにくく症状は十人十色なので、「自分勝手でわがまま」「なまけ」「親のしつけが悪い」などと捉えられ、「困った子」のレッテルを貼られたり批判されたりすることも少なくありません。

 その困り感を周囲に伝えることができたり、周りが気づいてあげたり、個性や思いを理解したりしてサポートすることができればどんなにか重苦しい気持ちから解放されることか。二次障害も防げます。もしかすると、教室の中などにカミングアウトできずに困っている人がいるかもしれません。「困った子」ではなく、「困っている子」という認識で対応することが大事だと考えます。

004 敷居は低く(4/22)

 1年生も給食が始まって1週間。配膳や片付けに手間取りますが、全員前を向いての黙食をどんな風に感じているのでしょう。食材等の値上げによる学校給食への影響も少なくないようです。学校栄養職員も大変です。

 さて、校長の大事な仕事の一つに「検食」があります。いわゆる「毒見」ですが、教室に配膳される30分前には校長室に届きます。味や異物混入などを確認して大丈夫と判断すると作業が進んでいきます。4時間目の終わりから逆算して11時半過ぎに食べ始めるというのが日課。不思議とそうしたリズムに体が慣れ切っているのを感じるのは、給食が提供されない期間や土日休み。昼前から空腹感が脳内を占領してしまうのです。毎日の給食画像もHPに掲載していますのでご覧ください。

 ところで、校長室に児童や保護者が足を踏み入れる機会は限られています。実際私も、小学生の頃の校長室なんて記憶の片隅にもなく、教員になってからも敷居が高く緊張を強いられる場所でした。でも、私はウェルカム。副校長のオラン先生がコート掛けから見下ろし、ソファにゴリン守衛が座します。私物の絵本もあれば、『ふしぎ駄菓子屋・銭天堂』も数巻待機しています。私の動静がわかる掲示板も作成しましたので、在室の時は声をかけてください。ちなみに、毎日のように本を借りに来てくれる常連さんができました!