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校長室から

109 版画(11/15)

 4年生の教室で木版画に取り組んでいたのは先週のこと。緑色の板、青い板、黒い板と色とりどり。担任に尋ねると、青いものは彫刻刀を使う練習用で、黒いものは一度試し刷りした子。緑色は今まさに彫り進めている子のようです。

 現在の版画板は、とにかく彫りやすく彫刻刀がきれいに進みます。同時に色板なので紙に印刷した時の色の出方をイメージしやすくなっています。昔は合板でしたが、木の芯があったり彫りにくい方向があったりして、彫った線がガサガサになったものです。そういえば、現在の彫刻刀にはケガから守る工夫もされています。

 彫ることに慣れると、切出しを使った浮彫りも上達しました。中学生のころに作った、父のフルネームの表札はそれから40年間、実家の玄関の軒下に掲げられていたのです。うれしいことです。

 版画とは違いますが、身の回りに木材がいろいろあって自由に使える環境だったようにも思います。家を建てる現場では、その場で木を切ったり鉋(かんな)で削ったりするのが当たり前でした。今のように工場で出来上がったものを現場で組み立てるという作業ではありません。当然、端切れや板材がたくさん出ます。これは絶好の制作材料、宝の山です。のこぎりで切ったり釘を打ったりして船やロボットなどを作ります。自然とのこぎりや金づちの使い方なども習得します。

 また、私は笹薮が好きです。今でも見つけると入り込みたくなります。それは、小学生時代に笹薮の中に秘密基地を作った思い出があるからです。ボンナイフなどを使って笹を切り、奥へ奥へと進みます。そして、人ひとりが入れる空間を作るのです。そこに大事なものを空き缶に入れて持ち込んで…。こうした様々な楽しみ方ができたのが私たちの時代です。遊びながら生活に必要な技術を身につけたのです。

 4年生の教室廊下に、刷り終わった版画の作品が続々と掲示されています。じっくり見て回ります。

108 初めて(11/14)

 職員玄関を入って正面に季節の植物が展示されます。ザクロや柿などありましたが、最近真っ赤なカラスウリがたくさん置かれています。職員に紹介したら、翌日には『カラスウリ』という本が添えられていました。こうしたちょっとした心遣いがうれしいのです。私はといえば、もうしばらくしたら種を採って財布に入れておこうかと狙っているところです。

 さて、先週は半日かけて校長室と会議室の掃除をしました。今日、県教委と市教委の学校訪問があるからです。担任は、3校時または4校時の授業を見てもらい、午後から指導をいただきます。当然、校長も学校経営について説明したり指導・助言をもらったり…。家庭でも同じですが、人を気持ちよく迎い入れるために準備を怠ることはできません。日本人特有のお・も・て・な・し!

 というわけで、校長室と会議室を仕切るパーテーションを初めて開けました。明るいし広い!執務用の椅子から見える景色も違います。廊下を通りかかった6年生が驚いていましたし、職員も「初めて見ました」というくらい。長机の配置も変えて中央にゼラニウムの切り花と綿の枝を飾ってみました。

 人それぞれに「初めて」が繰り返されます。何でもないことが急に思い出されることもあります。例えば、初めてカップヌードルを食べた日。中学生になって友達と遊んでいた途中、自販機で買ってお湯を注いでその場でチュルチュル…。初めて映画館で映画を観たのは高校生。『風と共に去りぬ』を立ち見で。彼女と一緒で緊張する中、長いし疲れるし、内容なんて全然入ってこなかったことだけ覚えています。そして、初めて行ったコンサートは、中学校の友達に誘われて…。ユーミンだったこと以外よく覚えていません。そのあと2度目は、なんと4年前のスキマスイッチ。それも娘が急遽行けなくなったため回ってきたチケットでした。

 人との出会いも「初めて」の連続。いくつになっても、よいめぐり逢いに期待します。さぁ、今日はどんな初めてがあるでしょうか?でも、忙しい!忙しい!

107 修学旅行を終えて(11/11)

 シャポーの装飾が、いつの間にかクリスマスに切り替わっています。

 10月が終わろうとするころ、韓国ソウルの繁華街・梨泰院の路上ではハロウィーンを前に集まった若者が狭い坂道で折り重なるように倒れた雑踏事故が発生。150人以上の死者を出しました。一方インドでは、百年以上の歴史があって人気観光地としても有名なつり橋が崩落して130人を超える死者が報告されていました。

 宿泊学習で100人もの子供たちを引率する際、担任を含め全員がその職責を重く感じながら行動します。元気に帰ってくるのが当たり前。そして、「楽しかったぁ」と思い出を語る子供たちを親は待っているからです。誰一人けがすることもなく無事学校に到着すると肩の荷が下りてどっと疲れが出るのですが、それも心地よいものです。ただ、翌日が休みだったら…という思いはあります。

 今回、私自身3年ぶりの修学旅行に引率して、以前と随分変わったことを感じました。その一つが子供たちの荷物。宿までバスのトランクに入れられている大きなリュックに替わって「ガラガラ」が目立ちます。その割合は4分の1程度でしょうか。2つ目が職員同士で連絡を取り合う手段。それこそ何十年も前はトランシーバー持参でしたが、携帯電話で必要事項を伝える方法になりました。でも、今回も含め校外学習では、ライングループを使って情報共有しています。現状が手に取るようにわかって便利であることを実感。

 また、シートベルト着用も当たり前となりましたから、席を立って歩く子は皆無です。バスレク係がなくなってDVD鑑賞時間が長いわけですが、今回も3本観ました。ただ私にとっては無声映画なのです。画面を見ながらストーリーを自分なりに作り上げています。健聴者は、あの音で聞こえるのだと改めて驚きです。いずれにせよ、晴天かつ心配な事案もなく幸せな2日間でした。

 さて、今日は1のゾロ目であることもあって、「ポッキーの日」「下駄の日」「鮭の日」「西陣の日」「鏡の日」「折り紙の日」「麺の日」「乾電池の日」「靴下の日」「サッカーの日」「チーズの日」「ピーナッツの日」「もやしの日」ほか記念日のオンパレード!

106 違和感の正体は?(11/10)

 11月4日夕方時点では、HPアクセス数90万本のわずか手前でしたが、修学旅行を明けて見てみると90万を5千も超えているではありませんか。80万達成をここに記したのは7月5日でしたから、4か月で10万件といった計算になります。多くの方に見ていただけていることを嬉しく思います。このままいくと、単純計算で3月初旬に100万件を突破します。

 一昨晩は、歴史的な天体ショーでした。その一つである「皆既月食」はとてもきれいでした。欠けていく姿、逆に元に戻っていく様子は神秘的。同時に、月が天王星を隠す「天王星食」も起こっていたようですが肉眼ではよくわかりません。日本では442年ぶり(1580年7月の土星食以来)で、同時観測される次の機会は322年後(2344年7月の土星食)だそうです。まぁ、誰も見ることは叶いませんが…。

 さて、そんな欠けていく月を眺めながら電車を待ち、修学旅行帰りの重い荷物を持って乗った電車の中でのこと。西船橋駅から乗ってくる客が多くて車内が混みあいます。最後に乗ってきた人を見たときに、何かしら違和感を覚えたのです。それが何なのかよくわかりません。しばらく経って、その正体が判明。マスクをせずにいるため顔全体が見えていることです。マスク生活が当たり前になると、マスクを着用していないことが違和感の原因になるなんて…。今年の新語・流行語大賞にノミネートされている言葉の中に「顔パンツ」がありますが、電車の中での出来事はまさにそれ!何か事情があったのでしょうが、全国の感染者数がまた増えている中にあって顔パンツは、まだまだ手放せません。

 これからの季節には寒さ除けにもなりますが、目深にニットハットを被りマスクする私の姿は、それはそれで違和感の対象なのかもしれません。

105 “ゆかり”と“ひろし”(11/9)

 昨日、修学旅行から帰りました。秋晴れの清々しい天気で、東照宮周辺の燃えるような紅葉は見事でした。一方、奥日光は裸になった木々。家康ゆかりの東照宮には、時期的なこともあって学校数は少なめで、集合し写真を余裕で撮れました。また、日本広しといえども、華厳の滝・龍頭の滝・湯滝という三名瀑を一気に見られるのは日光だけかもしれません。子供たちは、家で何を話したのか気になります。

 さて、先日、広島菜を使ったふりかけがキッチンに置いてあるのを見かけました。黄緑色のパッケージに「青菜ごはん用」と書かれ、「ひろし」という名称です。「広島だから?」と思っていると、もう一つの紫色のパッケージのふりかけが並びます。「しそごはん用」と書かれていますが、ご存じの「ゆかり」です。そうなんです、「ゆかり」と「ひろし」といった男女ペアにしたかったようです。なかなか粋な命名です。

 休日の朝、鏡をじっと見ていると、瞼の周辺にシミを発見!これもむかし日焼けを、頑張った「勲章」だと思っていた「代償」です。だって腕にも背中にもあちこちに…。そして、ひろしは数え唄を口ずさみます。

  ♪一つ 人よりシミがある   二つ ふたつもシミがある  すると、ゆかりも一緒になって歌いだします。

  ♪三つ 三日月シミがある   四つ 横にもシミがある  

  ♪五つ いつでもシミがある  六つ 向こうにシミがある

  ♪七つ 斜めにシミがある   八つ やっぱりシミがある

  ♪九つ ここにもシミがある  十で とうとうしみったれ

 我が家のしみったれ「ひろし」と「ゆかり」は、まるで打ち合わせでもしたかのように寸分違わず歌えるのでした。めでたし、めでたし。

104 新品を身に着けて(11/4)

 明後日6日は「アパート記念日」。1910(明治43)年、上野に初の木造アパートが完成した日といいます。5階建て70室の賃貸で、洗面所と浴槽、電話は共同だったそうです。私が結婚してすぐに暮らし始めたのも菅野周辺の2階建てのアパートでした。

 最近、4年生のグリーンスクールと2年生の千葉市動物公園に引率しました。ありのみコースでは、いつの間にかシーソー型回転遊具担当のおじさんになっていました。でも、「楽しかったぁ」という一言がやけに嬉しくて…。一方、動物公園では何人もの子供たちが動物科学館の中を案内してくれるなどいっぱい話ができました。

 さて、週明けの月曜日から一泊で日光修学旅行に行きます。教員になってから何度目の日光修学旅行でしょう。20回は下らないことは確かなのですが…。東照宮の見学ポイントあるいはいろは坂・中禅寺湖周辺で聞くバスガイドさんの案内、華厳の滝や龍頭の滝の視点など尋ねられれば答えてあげられそうです。奥日光は10月下旬に初雪が降ったと聞きました。きっと宿周辺の朝は氷点下だと思いますが、週間予報を確認すると、去年のような豪雨に見舞われることはなさそうです。

 修学旅行をはじめ、宿泊があるときは下着を新調してくれます。もし風呂に入るときなどに古びた下着を身に着けていると恥ずかしい思いをするだろうからという配慮。脱臼癖のある私は、何年も前のある夏の朝ベッドから起きようとして左肩脱臼!救急車を呼んで病院で治療してもらいましたが、家に帰る段になって首の伸びたヨレヨレのTシャツ姿であることに気づきます。恥ずかしくて電車に乗れる恰好ではないので、義父に車で迎えに来てもらったとことを思い出します。

 宿泊学習につきものなのが忘れ物。名前のないタオルや下着、片方だけの靴下…。名前があっても自分のものだと気づかない子がいるのは今も昔も変わらないような…。 というわけで、来週2日間はブログ休載。その代わり、「学校・児童の様子」には、できるだけリアルタイムで写真を掲載する予定です。そうそう、これまでの校外学習でも、子供たちの様子を写真付きで掲載していましたが、ご覧いただいていますぅ?

103 キャッシュレス(11/2)

 金融教育を推進するある研究会が、中学3年生を対象にした「キャッシュレス決済を利用しているかどうか」を調査した結果が公表されていました。その利用率は約62%に驚かされます。交通系の電子マネー(PASMO・SUICAなど)は5割弱、ペイペイやラインペイなどで20%以上です。スマホ決済が1割弱いますし、クレジットカードを利用する生徒も4.4%と決して少なくありません。

 確かに、「現金を持ち歩かなくてよい」「支払いがすぐ完了する」「おつりがなくてよい」などメリットはあります。一方で、自分の支払い能力を超える買い物ができてしまう怖さがあります。修学旅行などへ行ってお土産を買う際に、品物の値段をたし算して手持ちの金額を考えながら折り合いをつけるのもよい経験です。ブレーキのないキャッシュレスだったら百害以外の何物でもないようにも思います。

 キャッシュレス全盛になると、PASMOなどを持っていないときに電車に乗るために現金で切符一枚買うのも大変になってしまいますし、買い物の支払いでお札ばかり出して、財布が小銭だらけになるなんてことも考えられそうです。ただ、ペイペイの支払い方法だって様々なため、躊躇してしまう人は少なくないと思うのです。

 紙幣に目をやると、肖像が時代とともにかわります。千円札の場合、聖徳太子や伊藤博文が今は使われていないのはわかりますが、現在出回っているのは野口英世?夏目漱石?色合いが似ているので、新旧の見分けがすぐにつきません。2年後には北里柴三郎になりますから、ますますわからなくなりそうです。

 そういえば、私は中学生の頃から数年間、古銭集めに熱中しました。今も大事にとってありますが、「昭和○年の○円玉は製造枚数が少ないので貴重だ」と知ると、財布の中の硬貨を広げました。十円玉も「縁にギザギザがあるものは玉数が少ない」と言われ、「ギザ十」集めをしました。穴がない五円玉、逆に穴のある五十円玉なども含め、ストックブックに保管したのです。これからを買い取ってくれる店もありますが、二束三文というか百円はやはり百円程度なのだろうと期待はしていません。

 キャッシュレスではこんな楽しみ方も薄れてしまいます。

102 乱れてる?(11/1)

 ワイシャツの襟元にはネクタイが締められます。今日から11月。気持ちも引き締まります。最近、穏やかな天候が続いていましたが、朝の挨拶&見守りのために通学路に立つことがなかなかできていません。寒くなって横着しているわけではなく、出勤後から何故かせわしないのです。また、校外学習があれば引率したり見送ったり…。今日も2年生の校外学習に同行させてもらいます。

 さて、24日の朝日新聞に、文化庁の21年度国語世論調査に関する記事がありました。「姑息(こそく)」の意味を「卑怯な」と回答した人が約74%、「割愛(かつあい)」を「不必要なものを切り捨てる」と回答した人が65%だったといいます。ともに本来の意味とは違い、前者は「一時しのぎ」で後者は「惜しいと思うものを手放す」という意味が正しいそうです。知らずに使っていました。  20年度は「がぜん」や「破天荒」、「すべからく」が調査問題でした。その前年は「手をこまねく」「敷居が高い」「浮足立つ」が調査対象となっていました。このほかにも、「気になる言葉」なども取り上げられます。 そういえば先日、ドラマである場所の映像を見て、「あっ、タワーレコードだ」と言ったら、「やめてよ。お願いだからタワレコって言って!」と家族に頼まれました。「いやいや、なんでも縮めるのはよそうよ」と思いながらも自分勝手な簡略言葉を発して皆に馬鹿にされそうな気がします。 ところで、タレント&歌手のDAIGOさんがある言葉をアルファベットで表現することがあります。例えば「平田っ子まつり」なら「HTM」のように…。あれを即興でできるならすごい能力だと思っています。

 それでは、ITK! 行ってきま~す!

101 秋の実Part2(10/31)

 今頃の時期になるとオレンジ色から赤色に変化して、熟した果実をつるからぶら下げるカラスウリを山野で見かけます。木の実は有名ですが、日が暮れると開花して朝には閉じてしまうという一夜花が見たくて裏庭で育てましたが、蕾すらできません。当然実をつけることはなく、毎年肩を落とします。

 そこで、秘密の場所から蔓ごと採ってきて、庭木の枝にぶら下げるとオレンジ色が映えて格好の飾りになるのです。長いこと庭のアクセントになり、薄茶色になった頃には種が採れます。この種がまた特徴的です。その形状が大黒様のお腹のようで縁起がよいとか、打ち出の小槌のようだからという理由で財布に入れておく人がいるそうです。金運アップのアイテムとして…。ちなみに、赤く完熟したカラスウリの実はシロップやハチミツ漬けにして食べられるらしいです。

 また、秋の実で思い出すのがヨウシュヤマゴボウ。きっと一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。ブドウを小さくしたような濃い紫色の実をたくさん房につけます。花瓶に生けるだけでも絵になりますし、熟したこの実を潰して水に溶かせば赤ワイン色になって、色水遊びをしたり絵を描くためのインクにしたり…。低学年の生活科でも活躍する場面が見られます。

 先週、4年生は大町方面へ出かけて自然と触れ合いました。もしかすると、数珠玉やひっつき虫のオナモミ、カラスウリなど、秋の実をあちこちで見ることができました。ありのみコースにはどんぐりがいっぱい落ちていました。普段、「どんぐり」と一括りにしてしまいますが、いろいろな種類があります。一般的に細長いのがマテバシイかコナラ、小さかったらシラカシ、太っちょな奴はクヌギです。マテバシイならどんぐり笛が作れますし、クヌギはどっしりとしたどんぐり独楽に最適です。そういえば先日、1年生は独楽を作っていました。オナモミ・ダーツなんてものも楽しそう。

100 ねんどの神さま(10/28)

 昨日、5年生の「夢の教室」(児童の様子ブログ参照)で来校した元サッカー選手の波戸康広さんは、現役を退いて10年以上が経ちますが相変わらず格好いい!短い時間でしたが、温かで包容力を感じる人柄でした。

 さて、読書週間に向けて「先生方のおすすめの本」の紹介用紙をもらっています。何にしようか考えて、好きな絵本というかお話を紹介しようと思いました。残念ながら図書室には置いていないというので、別の本にかえますが、ちょっとだけ知っておいてほしいと思って、あらすじを記そうと思います。「ずっこけ三人組」シリーズで有名な那須正幹さんが書き、黒を基調とした絵も重々しい雰囲気を醸しています。

 

 “太平洋戦争が終わって、ちょうど一年がすぎた9月のことだった。”という文で始まります。主人公の健一は、戦争を起こす人間をこらしめるねんど細工の神さまを学校で作ります。健一の親はみんな戦争で亡くなって、戦争を憎んでいるからです。校長先生は、“この作品は、子どもの戦争に対する素直な憎しみが表現されている。”と言ってひどく気に入り、校長室に飾ったのです。何年かして学校は廃校。ねんどの神さまも倉庫に長い間忘れられたままでいました。

 それから40年以上が経ち、健一の作ったねんどの神さまが、身長100mを超えるような巨大な怪物になって突然山村に現れます。自衛隊や様々な兵器で攻撃されますが、びくともしないどころか、どんどん東京へ近づきます。そして、怪物はあるビルの一室に目的の人物を見つけます。それは、兵器会社の社長になっていた健一だったのです。

 殺されることを覚悟した健一に怪物は、“ぼくは、ケンちゃんのつくった神さまなんだよ。ぼくにケンちゃんを殺せるわけないじゃないか。ぼくはね、ケンちゃんに教えてもらいたくって、やってきたんだよ。ねえ、ケンちゃん。もう、ぼくは、いなくなったほうがいいのかなあ。ケンちゃんは、昔みたいに戦争がきらいじゃないみたいだからね。”と尋ねます。これに対して、“わたしは、子どものころとかわりないよ。(中略)わたしの事業は、平和のための事業なんだよ。”と健一は返します。

 最後は、自分の意志で小さなねんど細工に戻った神さまを健一が破壊します。そして、“これで、いい。この数十年、心のすみにひっかかっていたトゲのようなものが、きれいになくなってしまった。”と言い、晴れ晴れした気持ちになるというストーリーなのです。

 切なさの中に、何かもどかしさを含んだラストシーンです。ただ、日本だっていつ戦争が起こっても不思議ではないことを示唆する作品にも思えるのです。大人も考えさせられますし、読み聞かせもありだと思うのです。ぜひ!