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校長室から
199 待つわ(23.4.20)
衆議院議員補欠選挙及び市川市議会議員選挙の投票日が迫り、街頭演説にも熱がはいります。対立候補の選挙カーがすれ違う時って、バチバチって火花が散る音でもするのでしょうか。それとも、ニアミスを避ける申し合わせがあるとか?そんな選挙カーはあちこちを走りますし、声が結構響きます。ですから、天候が急変した場合「洗濯物を外に干している皆様、雨が降ってまいりました」なんて知らせてくれたら粋じゃありません?一票につながるかどうかは別にして、そんな気遣いがあったらよいかも。
さて、新聞の紙面に、『行列に並びますか?』という見出しの記事がありました。コンサートやスポーツ・イベント会場、遊園地のアトラクションなど、様々なシチュエーションが考えられます。私も息子が小学生のころ、ワールドホビーフェアに何度も付き添わされて、幕張メッセなどで長蛇の列に並びました。やっと会場内に入れたと思うと、息子は好きなブースへどんどん進んでいきます。だから次の困苦は、人混みの中を見失わないように付いていくこと。おかげで帰るころにはどっと疲れ果てていた思い出しかありません。
人気の飲食店にも行列ができますが、私は並んでまで食べたいと思わず、比較的空いている店を探すタイプ。行列に耐えられる時間は「30分未満」が6割、「1時間未満」が3割弱。「3時間以上」と回答する人が4%もいることには驚きです。道路渋滞も遠回りであっても回避したくなります。前を走っていた車より先回りできた時には、心の中でガッツポーズ!プチ勝利の気分に浸る、度量の小さい私です。そうそう、ナビが「渋滞考慮オート・リルートを設定しました」という音声を、「おとりルート」と聞き違えた人は誰だったか。
候補者が開票作業を待つ時間も長く感じられるのでしょう。行列の待ち時間なんて比にもならない? ♪わたし待~つ~わ~♪
198 あれば便利、でも…(23.4.19)
中国大陸からの黄砂の情報が時々聞かれます。目のかゆみやアレルギー症状、気管支ぜんそくなど呼吸器疾患の悪化も心配されています。また日常生活では、洗濯物への付着や車に与える影響に注意喚起されます。大量の花粉が飛ぶ時期も車は黄色に塗り替えられたようになり、簡単な水洗いでは除去できないくらいにこびりつきます。ですから、クルマ好きの私は洗車傷を心配し、高圧洗浄機に接続して使える泡洗車用具の購入を真剣に検討。ただこれは、「あると便利」だけど「なくても困らない」ものに該当。つまり、物が増える原因になってしまい、不要なものを少しずつ減らしている我が家の流れに逆行なのです。う~ん、悩ましい。
さて、コロナ拡大以来、スマホでポチッと商品を注文することが多くなったような気がします。前述のようにクルマ関連の用品が多いのですが、夕方に注文しても翌日には配達されることもざらにあります。日ごろから宅配の運転手が荷物を抱えて走っている姿もよく目にしますし、遅い時間帯や祝休日にもかかわらず配達する姿には頭が下がります。実働何時間なのでしょうか。だから、再配達なんてことにならないように、期日・時間指定をするようにして協力しているつもりです。
物流における「2024年問題」が話題にされることがあります。働き方改革関連法により来年の4月以降、自動車運転業務の年間時間外労働時間の上限が制限されることによって引き起こされる問題のことで、宅配便など長時間労働の慢性化という課題解決のためです。しかし問題は、運送・物流業者の利益減少が挙げられ、ドライバーの収入減も懸念材料。これによって労働力不足に拍車がかかり、商品到着までの期間が延びるなんていうのは些細なことで、私たちの生活全体に様々な影響が出そうです。
なくても困らないものを増やさないことが、この社会問題に有効かどうかはわかりませんが、学校でも「あると便利」で購入した物が、資料室や準備室で梱包されたまま鎮座するなんて姿を目にすることもあります。下手すると、何年もそのままであること自体職員が知らないなどという場合だって…。
197 感性を磨く(23.4.18)
これまで木々の新芽が芽吹き、新緑がきれいだと思うのは5月前後だったはず。時候の挨拶でよく使われる「新緑の候」は若葉がみずみずしい時候を表し、東京近郊では5月全般で使用されます。でも、今年は4月前半できれいな新緑が見られます。もしかすると5月には「深緑」かも。調べてみると、“「深緑」は6月中に使うのが正しく、夏の季語です”とあります。こんなことを1年間に当てはめてみると、時候の挨拶の活用時季の見直しが必要になってくるのではないかと思います。
さて、少し前に、重松清さんの『ひこばえ』を読みました。主人公とその父親との思い出の一つに、狭い湯船に二人で浸かっていた場面があります。父親が両手に持ったタオルをパラシュートのようにして空気を巻き込んで泡を発生させる様子が描かれます。私自身の風呂の記憶にも焼き付いています。ただ、やってもらったものか我が子にやっていたものかは定かではありません。また、ビールの王冠を使ってバッジを父親に作ってもらったことも書かれています。昔のビールの蓋の裏にはコルクがあって、それを丁寧に外して服の裏側から外したコルクを当て直すと王冠バッジの出来上がり!何種類かのビールの王冠を集めてバッジを作ったことが懐かしい。決して特別ではないことにわくわくしたものです。
ちなみに、瓶ビールの蓋には複数のひだがあります。このひだで栓を締めているのですが、その数は21個。しかも世界共通だとか。力学的には3の倍数で支えると安定するのだそうですが、21が弱すぎず強すぎず丁度よいので定着したといいます。初めて知りました。
たとえ季節の変化が早まっても、体中のすべてで受け止める感性を磨いたり、身の回りの様々なことに不思議を感じたりしながら、いつもワクワクしている大人でいたいと思います。そんな大人が、子供のワクワクを伸ばせるような気がしてなりません。
196 せんせい、あのね(23.4.17)
昨晩はすごい雷雨。眠っているはずのに、稲光のたびに瞼の裏がまぶしくて目を覚ましました。
さて、先週は身体計測が行われました。急に背が高くなった子、がっしりした体格になった子、緩やかに成長をしていく子など様々です。でも、昨年に比べて体重がガクンと減っているようだと要注意。私の場合、出勤前に着替えをしていると、上裸を見ながら「その倍くらいだなぁ」と呟く声。「自分のおなかのこと?」と聞き返すと、「ううん、大谷翔平君!幅も厚みも…」とのお答え。筋肉が削げ落ちてどんどん貧弱になっていくわが身にぐさりと刺さります。
先日、ふとしたことから教員になって4~5年目にクラスで取り組ませた自主学習ノートのことを思い出しました。「紙の塔」という名称でした。一日たった1ページであっても、毎日積み重ねていけばそれなりの厚みとなり高さになっていくから「めざせ!塔のレベル」と言いながら始めたものです。漢字や計算練習に始まり、日記や気になったことの調べ学習など多岐にわたりました。毎日提出する子もいれば1週間に一度のペースの子もいたように思います。その日に提出された内容にコメントを書いて、いいなぁと思うものを印刷して全員に配付。年度末には、それらを冊子にして作品集として渡しました。自宅の本棚に保管してありましたが、今は行方不明!改めて読み直してみたくなりました。
私が小学4年生の時の担任は、伊藤先生という女性。日記を毎日提出して、それを印刷して帰りの会で配ってくれたのです。半世紀以上前ですから印刷するのは簡単ではありません。私が教員になった頃ですら、刷り上げるまでに幾工程もあって時間がかかりました。今のように、休み時間にプリントを印刷するなんて夢のような時代でしたから…。この伊藤先生も子供たちが書いた作文を鉄筆などで書き写して、謄写版でわら半紙に印刷してくれたわけです。今思うと頭が下がります。
1年生は今日から給食が始まりますが、登校後の支度に個別対応でてんやわんや。でも、ひらがなの学習を終えたころになると、「せんせい、あのね」で始まる日記を綴ることがあります。初々しい子供たちの「あのね」に続く言葉が今から楽しみでなりません。そのほかの学年でも、自由学習ノートを作って家庭学習に取り組む子が少しでも増えてくれたらいいなぁ。もし「校長先生、あのね」帳で交換日記してくれる子がいたら、私も張り切っちゃいます。
195 心動く(23.4.14)
駅から学校へ向かう途中、ジャスミンの香りが漂ってきます。どこだどこだと人目を気にしながらキョロキョロ。見つけて気持ちが落ち着いた不思議な感覚です。
4月1日早朝から所用で仙台へ出かけました。常磐道で約4時間半。途中の福島県では、道路脇に放射線量を示す掲示板の数値や景色などに、原発事故がまだ終わっていないことを改めて感じました。仙台で1泊した翌日は、震災遺構に指定されている仙台市立荒浜小学校を訪ねました。100mも歩けば砂浜に出られるような場所にありますが、ここでは津波の怖さを実感しました。2階でも大人の膝近くまで浸った跡が残ります。屋上から周囲を見渡すと、未だ人の生活している様子は見られません。そして、流されなかった松の木がまばらに残っています。校舎内に設置された掲示には、次のようにありました。
地震発生時、1~3年生は下校途中で、4年生以上が校舎で授業中でした。地震がおさまってから、児童・教職員を4階に避難させました。1階昇降口で、地域の人に3,4階への避難を呼びかけていると、「すぐそこまで津波が来ている。早く上がれ!」という声をかけられ、急いで上階に逃げました。しばらくすると2階東側のドアからは、静かに水が流れてきました。そのうち、ガラスを破って瓦礫と一緒に水が勢いよく流れ込んできました。同じ頃、教職員の誘導によって、住民を屋上へ避難させました。当日は吹雪。落ち着いてきてから、3階や4階へ移動してもらい休んでもらいました。小学校への避難者数は、児童71人、地域住民233人、教職員16人の320人でした。17時30分頃、救助のヘリが来ました。(以下省略)
全員救助されたと結んでありますが、読んでいるうちにドキドキしてくるのが自分でもわかります。その後、津波が押し寄せた海岸まで足を運ぶと、信じられないくらい穏やかです。ただ途中、放置された鉄柵に書かれた、「親愛なる日常」という文字に目が釘付けになります。安穏としている心に突き刺さる文字。映像を見たり話を聞いたりすることも大切ですが、実際に目にすることで実感できること、心動くことってあります。そんな貴重な時間を学校でも子供たちに用意し、心を揺さぶる本物体験を…と考えています。
そう言いながらも、やっぱり牛タンをお土産に買って帰ればよかったと悔やむ私は、まだまだ未熟者!
194 ヘルメット(23.4.13)
我が家の近くに中学校があります。学区が広いので、自転車通学の生徒がたくさんいます。自転車置き場が整備され、生徒は避難訓練で使用するタイプの白ヘルメットを被ります。下校時には校門に立って安全指導をする職員の姿を見かけることもあります。田舎なのでしょうが、万一事故に遭ったときはヘルメットの有無が生死を分けますから…。そんな私も自分用のヘルメットを持っています。頭は天然ヘルメットのように見えますが、それではありません。クロスバイクに乗っていた時のもので、サドルに座った尻が痛くならないパッド付インナーパンツとともに必要不可欠なアイテムでした。
さて、今年4月1日から道路交通法の改正により、自転車に乗車する時のヘルメット着用が「努力義務化」されました。交通事故の発生件数自体は減少しているようですが、すべての交通事故における自転車事故が占める割合は年々増え続けているといいます。警視庁のデータでは、事故時のヘルメット未着用は着用していた人に比べて2.2倍の致死率であり、亡くなった人の6割が頭部損傷ということもわかっています。つい先日も、京都府のサイクリングロードで自転車同士が正面衝突して、ヘルメットを着用していなかった1名が亡くなっています。
ヘルメットを着ければ絶対に大丈夫というわけではありません。ルールを守り、危険回避が第一ですが、頭部を守るという意識は誰もが持ち合わせたいと思います。ヘルメットが普及するには、降車後の扱いが課題になりそうです。スポーツバイクに乗る人は収納場所のあるリュックを活用する場合があります。「これなら被ってもいいかな」と思えるような、SGマーク付帽子型のヘルメットもあるようです。少し前に学校近くで見かけた小学生は、ヘルメットを被って運転していました。「ひらたっ子の生活」の中にもヘルメット着用の下りがありますから、うちの子かなぁ?
ところで、仮面ライダーは仮面自体がヘルメット?だったらバッタの仮面を外すと、本郷猛や一文字隼人の顔がそこにはあるのでしょうか?
193 進学した「君」へ(23.4.12)
マイカーの後部座席には、大きなスヌーピーが鎮座しています。安全のためにシートベルトもしっかり締めています。座高が足りず、そのままでは首にベルトが当たるので、クッションも敷いています。私自身、乗ったらすぐシートベルトを着用します。取り締まりがあるからとか警察官につかまるからといった理由ではなく、自動車に乗ったらシートベルトを締めるのが習慣に。数十年前の自分からは考えられないことです。逆に、シートベルトをしない子供が車内で動き回っていたり、助手席で親が乳幼児を抱きかかえていたりする姿を見ると心配になります。
バスで校外学習に出かけるときも、子供たちは自然とベルトを締めています。だから、昔のように席を移動したり後ろの席を向いたりする姿を担任が頻繁に注意する場面はなくなったように思います。
今日は、市川市公立中学校の入学式です。第八中学校にはメッセージを送りましたが、私立を含めて違う中学校へ進学した子供たちもいるので、この場を借りて掲載します。見てもらえて、少しでもこの想いが届いたらうれしいなぁ。
1年生の皆さん、入学おめでとうございます。卒業式で皆さんに、「失敗する勇気」「間違う勇気」をもって挑戦してほしいと話しました。中学校では、これまで以上に活躍できる場面がたくさんあるはずです。だからこそ欲張らず、自分の気持ちに正直であってください。そして、間違えたと気づいたときは、「引き返す勇気」も必要です。
さて、私が少し前からウクレレで練習している曲があります。難しいのでなかなか先に進みませんが、秦基博さんの『ひまわりの約束』という曲です。ドラえもんの映画『STAND BY ME』の主題歌でしたから、皆さんも耳にしたことがあると思います。歌詞の中には、「僕」と「君」が登場します。この「君」は、大切な友だちかも知れませんし、親、兄弟、恋人など、長く一緒にいる大切な存在なのかもしれません。また、日常を「ガラクタ」と、そしてその中で育まれる人間関係を「宝物」と表現しています。
一人一人が鮮やかな毎日を過ごすために、大切な人・宝物を増やし、優しく温めていってください。そして、自分の思いをしっかりと「君」に届けられる大人になってほしいと願っています。今のあなたにとって『君』は誰ですか?皆さんの素敵な出会いを応援していますね。
君に幸あれ!
192 スイッチON(23.4.11)
今日は入学式です。75名の新入生がどんな姿を見せてくれるか楽しみです。明日から見守り等でお世話になる学校運営協議会の皆さんにも参加していただきます。昨年度は巻物にした絵を使って、「たんぽぽの根」の話をしました。1年生やたんぽぽ学級があった廊下に1年間貼っておいてくれました。今日は、梅田俊作さんの絵本『がまんだ がまんだ うんちっち』を読み聞かせする予定です。これについては、来週発行予定の学校だより第3号で触れたいと思います。
さて、一昔前に個別指導の学習塾のCM。子供の頭上でやる気のスイッチが入る映像だったように記憶しています。この「やる気スイッチ」は勉強でもそれ以外でも大事にしたいもの。そこで先週の始業式では、東井義雄さんの『心のスイッチ』という詩を読みました。夢に向かってチャレンジしていくためのスイッチは誰かが押すこともできますが、自らスイッチを押してくださいと呼びかけました。そして、スイッチを入れたら次は自分の足で歩きだすこと、行動することが大事だと。焦らず、一歩一歩自分のペースで歩き続けてほしいと思います。一方私たち大人は、子供たちの無限の可能性を少しでも引き出すための支援を心がけていきたいと思います。子供の行動を先取りしてしまわず、我慢して待つことも大事です。先取りされると、子供は必ずこう言います。「あ~、今やろうと思ったのに~」と。私もその天邪鬼のひとり!単に反発したいだけなのですが…。
1年生はいろいろな所にスイッチを隠しているかもしれません。見つけ出してあげること、気づかせてあげることは大人の役目。今日はそのスタートです!
191 願いを実現する政治(23.4.10)
3月後半からテレビ番組再編成の時期です。今週から春の新ドラマが始まりますが、それまでの間、撮り貯めていた草薙剛さん主演『罠の戦争』を観ました。代議士の秘書が国会議員となっていく中で様々な陰謀や罠が張り巡らされます。何が本当なのかわからない、きれいとは言えない世界を垣間見たような思いです。実際の政治の世界もきっと似たようなものかもしれないと考えると悲しくなります。
さて、昨日は千葉県議会議員選挙の投票日でした。有権者として夕方、一票を投じてきました。選挙のたびに投票率の低迷が取り沙汰されますが、今回はどうだったのでしょうか。2週間後には市議会議員選挙が控えます。街頭での演説が聞こえてきても、選挙区が違ったり市川市民でなかったりする私は、申し訳ない気持ちでスルー。ただ、選挙が近い時だけ駅前に立って手を振ったり政策をアピールしたりするのではなく、普段から身近に感じられる存在であってほしいと地域関係なく願っています。
先日のニュースで、フィンランドの選挙候補者の1割が18~29歳であると報じていました。候補者の年齢層が高く、比較的若くても40代位という日本とは大違いです。また、議員の40%以上(日本は15%強)が女性だといいます。さらに、若者の政治参加と関心の高さには目を見張ります。
先週、子ども家庭庁で行われた、13人の子ども記者(小6と中1)による政策担当相の記者会見。性別と制服の関係や賃金の性別格差是正、子ども家庭庁のPR方法などについて質疑が行われたといいます。昨日の天声人語によると、会見では「選挙のためのアピールでなく、私たちが大人になるまで続きますか」という鋭い質問もあったようです。
今後、政治を身近にとらえられるような授業や取り組みが一層大事になります。社会や政治に携わる者の工夫もまた然り。私たちも子供たちも関心が自然と高まる試みをあちこちから!
190 失敗する勇気(23.4.7)
3月下旬、某百貨店のトイレや高速道路のSAではジェットタオルが復活していることに気づきました。感染防止策として、一気に使用停止が進みましたが、ガイドラインにある「利用停止」の項目を経団連が削除したのは2年も前のこと。そもそも世界の主要国では、新型コロナ拡大後もジェットタオルを使用禁止にしてはいなかったようです。いずれにしても、これまでの3年間とは少し違った始業式を迎えられます。手洗いや換気はしっかり行いながら、令和5年度の教育活動を進めていきます。
さて新年度のスタートは、子供も大人も新たな気持ちで臨むとともに緊張します。特に転入児童やその保護者、そして新しく平田小にやってきた職員も同じです。何回異動を経験しても慣れるものではありません。新規採用者にとってはなおさらです。完全アウェーの雰囲気の中に身を置きます。そんな時にさりげなく声をかけてもらえることがどれほど安心感につながることか。
教室を見て回りましたが、学級の子供たちを迎え入れるための準備が整っていますし、温かなメッセージも見られます。子供たちの目の輝きが1年後にはもっと眩しく感じられるように、職員一同努めていきます。私自身、苦しい時や辛いときに助けてくださったのは保護者の方々でした。だから、教員を支え育て、学校を盛り立てていくのは、保護者や地域の方々のバックアップがあってこそ。挑戦をすれば、失敗することだってあります。それを論(あげつら)うか、見て見ぬふりをするか、克服のための方策を一緒に考えるか。
昨年度、職員室前に掲示した2枚のメッセージ。今も貼ってあるのは「“ありがとう”を口ぐせに」ですが、その前には「失敗しなかった一日は、何もしなかった一日だ」という言葉。年度末に異動をした佐塚先生の言った「見逃し三振より、空振り三振」もやらずに悔やむより挑戦することに意義を見出しているものです。
一日の終わりに、「今日は何かあったっけ?」なんて思い出せないような日がないように、今年度も学校に関わる皆さんの力強いバックアップを支えに前向きな挑戦をしていきます。よろしくお願いします。