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校長室から

426 思いを馳せる(24.6.4)

 一昨日の日曜日、前任の市川小創立150周年を記念して行われた、学校の歴史をたどる回遊展に足を運びました。祝賀会だけでは声をかける範囲が限定されてしまうので、それとは別にできるだけ多くの人と一緒に祝したいという同窓会の皆さんの思いから生まれたようです。会場となった体育館というか講堂には、様々な展示がされており、老いも若きもが懐かしそうに見て回っていました。妻も創立100周年の時に6年生だったことから一緒に出かけました。久しぶりに見る学校のシンボルであるプラタナスが「こんなに大きかったっけ?」と思うほどの大きさで校庭にそびえ立っていました。その反対に校庭の狭さは…。思い出すのは、掃いても掃いても落ちてくるプラタナスの落ち葉に閉口したこと。そしてそれが終わる頃、すぐそばにある銀杏の大樹の下が黄金の絨毯を敷き詰めたように染まること。そんな巨木に護られて、コロナに振り回される中であっても、多くの人の支えあって2年間を過ごすことができました。お礼も碌にできないまま異動しましたので、今回久しぶりにお世話になった方々にお会いして話をすることができ、有意義な時間でした。そして、平田小が100周年となったときに思いを馳せる私がいます。29年後ということは…。

 さて、その市川小に向かう時短ルートをナビの案内で走っていた時、「鮮魚街道」と表示がありました。よく見かける文字で、ずっと「せんぎょかいどう」とばかり思っていました。でも、「右折して、〈なまかいどう〉に入ります」というナビの音声案内に、「えっ、そうだったの?」とびっくり。目からウロコ!

 江戸時代、夕方に銚子港に揚がった魚を利根川の水運で布佐(我孫子)まで運び、翌朝そこで馬に積み替えて松戸まで陸送し、再び船で行徳を経て夕方以降に日本橋の河岸まで運んだといいます。これは、魚の鮮度を保つための時間短縮の知恵であり、使用された陸路が「なまかいどう」とか「なまみち」と呼ばれたそうです。「森」という文字の「木」をすべて「魚」に換えた文字「鱻」を「なま」「せん」と読ませる場合もあるようです。いずれにせよ、自分の住む身近に経済的に重要な経路があったという事実を、ナビ様のお声によって知った一日でもありました。

 学校や地域の歴史って、やっぱりおもしろい!