文字
背景
行間
校長室から
215 超能力(23.5.17)
週末の天気が気になります。雨に降られない、暑くない、そんな日だといいなぁ。
さて、学校では4月から様々な検診・検査が続いています。遺伝性難聴の私は、大人になってから聴力検査が大嫌い。ヘッドホンをして遮音室に入っても、聞こえる音が機械から流している音なのか雑音や耳鳴りなのか判別できません。また、検査員が調節ボタンを回しているようなのですが、一向に音が聞こえてこず反応できない自分が恥ずかしく…。人間ドックの聴力や胃部X線検査では、「私はほとんど聞こえません」とか「指示を聞きとれないかも」と最初に申告するようにしています。こんな人間ドックですから、心的ストレスはマックス。待合にいてどの検査部屋から呼ばれるかわからないので、全神経を呼ぶ声に集中させなければなりません。テレビの音と話し声が氾濫する中から呼ぶ声を聞き分けなくてはいけません。時には小さかったり高かったりと、わざと聞こえづらいように意地悪しているのかと疑ってしまいます。終わったころには、疲れがどっと出ています。だから何らかの障害を抱える人の不安に気づける社会であってほしいと願います。
先の聴力検査にかわいい笑い話があります。子供が家に帰って、耳の検査があったことを家族に報告する場面。「耳の検査、なんていうんだっけ?ちょう…ちょう…」。聴力検査という言葉が出てこない様子。「あっ、超能力検査!」と言ってしまったのです。私も普通に聞こえる超能力が欲しいです。
話は変わりますが、給食用の先割れスプーンを1本とると、波打つ感じに変形したスプーンに当たることがよくありました。1970年代の超能力ブームの真っ只中。誰もがスプーンの柄の根元をさすって、「念力」と言って必死に曲げようとしていた頃。全然曲がらないので、机の下で力任せに曲げてみたり…。今でも忘れないユリ・ゲラーの登場。「さぁ、皆さんも手元にスプーンをご用意ください」と言う司会者の声に促されて台所にスプーンを探しに立ち、ブラウン管の中から送られる念力で手元のスプーンも曲げようと唸っていた私。自分と同じくらいの年齢の清田少年があれよあれよとスプーン曲げを披露する場面も思い出します。ただ、念力だけでなく透視やUFO、ネッシーなどに人々が熱狂した時代。特集番組が数々放映されるなど社会現象にもなりました。今思うと、日本中がどうかしていたのかもしれません。超えられない壁に不安を募らせ、超常現象や超能力、未知の生命体の存在に希望を見出していたのかもしれません。
自然災害や戦争などが絶えない世界に再び超能力ブームがやってくるかもしれません。いや、ブームの到来より戦争終結を念じます。