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校長室から
451 鮮明に…(24.7.9)
何歳の時に観たテレビ映画だったか、『小さな恋のメロディー』には、憧れにも似た不思議な感覚が今も淡く記憶の底に残っています。様々な映画やドラマを見て、いろいろな経験を積んでも、思いもかけないことからある記憶だけが鮮明に浮き彫りにされる瞬間があります。
同じように、何の因果関係もなく突然思い出すことというものがあります。例えば、体毛が生え始めて恥ずかしかったころのこと。中学校に進学してからの僅かな期間を剣道部に在籍していました。剣道着の袴から出た脛に毛が生えているのが見えて恥ずかしかった思いが蘇ります。腕はさほど濃くありませんが、脛毛は黒々としていきます。自分が思うほど人は気にもしていないのですが、やはり思春期ですから…。腋も同じ。半袖のシャツの袖の奥に視線が集まっているようで…。ただ脛毛は、脱毛せずともジャージで擦れたのかどんどん消えていった20代。今ではお情け程度に残っているだけで、つるつるすべすべ。
暑くなってTシャツや短パンのお世話になるようになると、毛むくじゃらの腕や脚の男性を見かけるようになります。私の父は濃かったので、毛ガニみたいでした。先日も自転車に乗る男性の腕が、刺青と見間違うような体毛に覆われていました。それを目で追いながら、最近では体毛豊かな人を見ることが少なくなったことを感じます。以前なら考えられなかった男性の脱毛、メンズエステ。髭の濃い先生が、子供に「髭ジョリ攻撃」と言って頬ずりしていた光景は、今では体罰・セクハラなど指導が不適切だと言われかねません。
日本の場合、髭を剃る=身だしなみを整える、という考え方がありますが、イスラム文化の国では髭の考え方が異なります。髭を生やすことは、イスラム教徒の生活規範であり、ある意味義務ととらえられています。スポーツを観戦していると、中東の選手は全員といってよいほど立派な髭を蓄えていることがわかります。当然、腕だろうが脛だろうが脱毛なんて無縁なのでしょう。
ちなみに、「ひげ」を漢字変換すると、文字が3つ表れます。「髭」は口ひげ、「鬚」は顎ひげ、「髯」は頬ひげというように、ある程度形よく整えられたものに対して使い分けるようです。へぇ~。