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校長室から
279 水を飲むとバテる?(23.10.2)
EV(電気自動車)が主流になろうという時代、純ガソリン車をずっと乗り続けたいというのは無理なのでしょうか。自動車メーカーでは、経営方針の変更を打ち出したり達成目標を掲げたりしています。古いものを大事にしながら長く乗り続けることは悪いことなのでしょうか。税制だって弱い者いじめのような感じがしてなりません。
気候がよくなってきましたので、まさにスポーツの秋となっていきます。車がガソリンを飲んで走ると同じように、人間が走ったり運動したりする際の水分補給は欠かせません。マラソンや駅伝の給水のほか、競技を中断して給水タイムを確保することなど当たり前になっています。数十年前では考えられないことです。
私たちの世代では、「部活動中に水を飲むな!」「水を飲むとバテる!」と教えられてきましたが、どうしてだったのでしょう。多くは根性論が根底を占めていたと思われます。練習は、厳しくしんどいのが当たり前で、それを克服することで上達すると信じられてきたのかもしれません。また、スポーツは根性で立ち向かうという風潮でしたから、具合が悪くなって倒れたとしても「根性が足りない!」と一蹴されていたのかもしれません。また、水を飲めばお腹にたまって体が重くなるとか、体温を下げるのでその分エネルギーを必要とするからとか様々かも…。
非科学的な理論といえば、「突き指をしたら、引っ張れば治る」というものがありました。みんなやっていましたが、絶対だめですよね。妙なことが信じられていましたが、そうしたことが正された時期やきっかけはわかりません。
278 栗(23.9.29)
平田小周辺では目にすることはないのですが、我が家の近くには栗林があちこちに点在します。今の季節はきみどり色のイガ(「毬」と書くそうです)や口を開けた茶色のイガが枝にたわわについています。目を地面に移すと、ここにも中に栗の実を抱えたイガイガ…がいっぱいです。栗拾いというものをしたことがありませんが、追いかけ玉入れのかごを背負って、汚物ばさみのようなものを持って拾い集める光景が目に浮かびます。
この栗って、食べられるようにするまでが大変です。調理をほとんどしない私の場合、「剥くのが大変」と言うことすらはばかられます。だから、スーパーなどで篭に乗った栗の山を見ても、買い物かごに入れることはしません。それでも、半分に切られた栗をスプーンですくって食べたり栗ごはんとして食べたりした思い出が懐かしく蘇ります。イガに入った茶色の実が「栗!」で、きれいに剥かれた黄色の粒は「マロン~」と感じるのは私だけ?10月には給食で芋栗ごはんとして提供される日があるようなので楽しみにしています。
この時期になると、洋菓子店に「和栗モンブラン」が並びます。7~8百円もすると手を出せません。数年前までシャ○○○ゼで売っていた和栗モンブランが大好きでした。「今年もそろそろ店頭に並ぶかな?」とワクワクしていた数年前、これまでと製法が変わったのかまるっきり別物になってしまっていて残念な思いをしたことを思い出します。同じ思いを抱く人はきっといるはずです。そういえば、「マロングラッセ」というものに憧れを抱いていたのはいつのことでしょう?
ところで、栗の花がどうやってあのイガをもった栗になるのか、その変身する様を見てみたい。そんな好奇心が湧きおこってきます。だって不思議じゃないですかぁ。
277 気持ちよく(23.9.28)
5年生が英語の学習で取材をして回っています。私のもとに来たある子から「Can you play ukulele?」と質問されました。だから元気よく「Yes,I can」と笑顔で回答したのです。質問に「well」でもついていようものなら…。その5年生の歌声が音楽室から下の階まできれいに響いてくるので、思わず覗きに行きました。高音が美しく、何より表情がよい!
さて、楽器販売の勢いが好調だと知りました。ある楽器チェーン店の昨年度下半期の売れ筋楽器がエレキギター。前年比173%で第1位。アンプやエフェクターといった中にベース、タンバリン、トランペットなどが順に並びます。
こうした楽器需要に火をつけるのがアニメ作品のようです。以前話題になっていたのが『けいおん!』です。『BanG Dream!(バンドリ)』とか『ぼっち・ざ・ろっく!』の影響もあると聞きますが、どれも読んだことはありませんからよくわかりません。昨年調査した、「趣味で始めたい楽器」のラインキングがありました。こちらでもエレキギターが7位、トランペットが9位でした。そして、第1位はピアノです。ウクレレはといえば5位と大健闘のようです。
小学生の頃、アニメ(?)に影響されて、「トランペットを吹きたい」と思った時がありました。サッカー選手だったかどうか記憶が曖昧ですが、海辺でトランペットを吹くシーンがあったのです。しかもブラジルから単身やってきた外国人という設定で、暮れかかる海に向かって高らかに演奏する姿には郷愁を感じるとともに、妙に格好よく見えた気がします。小学校初期の段階から楽器演奏でつまずいた私は、トランペットも例外ではありませんでした。マウスピースを咥えた唇がかゆくなって諦めました。だから、両手に複数本のバチを持ってマリンバを演奏する人を芸術鑑賞会などで見たときには、惚れ惚れと見つめてしまいます。
どんな楽器でも歌でも、気持ちよく演奏などできたら素敵です。虫の声は全然聞こえない私ですが、音楽室や教室から漏れてくる声や音に誘われて足を運ぶことが増えそうです。
276 ここには何が?(23.9.27)
国土交通省が7月1日時点での基準地価を発表しました。自分の居住市の一覧から近隣の地番を探します。高いのか安いのか、地価が上がったのか下がったのかすら想像もつかないまま、「ふ~ん」とつぶやきながらページをめくります。県内の平均変動率を見ると、住宅地では市川市が浦安市を大きく引き離して人気第1位。八幡1丁目や菅野2丁目辺りの地価が高いようです。
そういえば、最近めっきり家の売り出し広告やチラシを目にすることがなくなりました。以前は新聞の折り込みで建売住宅やマンションのチラシが入ってきました。でも、見るのは墓苑ばかりのような…。今はインターネットで検索して、資料請求・見学等に進む時代のようです。ですから、造成や建築が始まったころには既に売れてしまっているということです。そういえば、販売価格が書かれた「売り出し中」の看板だって久しく見ていません。
散歩をしていると久しぶりに通る道があるものです。変わらない景色もありますが、新しい建物などができていて驚くことも少なくありません。でも、「ここって元々何があったところだっけ?」と思い出せない経験はないでしょうか?よく見ていたつもりなのに、結構覚えていなかったり、記憶が曖昧だったりします。
いつも同じルートでは面白くないので、時々違うコースを走ったり歩いたりしてみると思わぬ発見がありそうです。暑さから解放された植物が、鮮やかに咲く庭を眺めることもできます。今日はひと駅手前で降りて家まで帰ってみましょうか。夕食前の運動にもなりますし…。
275 早めの点灯(23.9.26)
今月末まで、秋の交通安全運動が実施されています。毎朝、警察の方も見守ってくれています。今秋のスローガンは、「夕暮れの ライトは迷わず 早めから」が掲げられます。特に自転車のライト!無灯火走行が多くてヒヤリとする場面は少なくありません。自動車の前照灯と違って、自転車の存在を他者に知らせることが目的ですから、早めに点灯することが自分と相手の命を守ることにつながります。子供たちの乗る自転車に、まさかライトがついていない、整備不良なんてことはないと思いますが心配です。
自動車だって無灯火をよく見かけます。メーターパネルが明るいと、ライトを点けているかどうかがわからないのかもしれません。そんなこともあってか、新車は随分前からオートライトが義務付けられました。9月から新しくなった公用車も当然自動点灯します。そうそう、公用車が新しくなってうれしかったのが、オートロック機能。これまでの車は、4ドアすべてを手で解除していましたから…。
そういえば、本八幡駅のシャポーを抜けた先の横断歩道を青信号で渡るとき、自転車通勤する人が車両と同じ方向に走っていること。歩行者と交錯しますから、気をつけないと事故につながります。急いでいるという理由があっても、自転車は車両です!(怒)
話題は電車にかわりますが、車両と車両をつなぐ連結器の部分に、貫通幌と呼ばれる蛇腹の通路があります。鉄板が敷かれていて、それが大きく揺れるので立ち止まらないように注意書きがある場合もありました。最近の列車では貫通路がきれいなものも多く、個室感がなく別空間のようです。
祖母と電車に乗ったとき、尿意を催した私がそれを伝えると、「そこでしちゃいなさい!」と連結部に立たされて用を足したことを思い出します。暗いし揺れるので体を押さえてくれても、尿の行方は電車の揺れの思うまま。方向が定まらず、ズボンを濡らしてしまいます。今の時代、そんな場面を目にすることは皆無です。
274 キャリア教育(23.9.25)
秋分の日を境に朝晩の涼しさを感じる気持ちよい季節です。
つい最近まで、テレビで放映されていたドラマ『シッコウ~犬と私と執行官~』を興味深く観ていました。裁判所の判決を(強制)執行していく話ですが、その職は国家公務員なのに報酬は歩合制で、執行により債権回収した額で決まるといいます。私たちにとって馴染みのない職業ですが、執行官という職業を通して、日本のいろいろな側面が見えてくるドラマでした。
大人ですらよく知らない職業はたくさんあります。ましてや小学生であれば知らないことだらけのはず。だから、どんな仕事があって、仕事ってどのくらいの数あるのかなど知ることで選択の幅や思いが広がるのではないかと思います。高校生の職業教育とは違って、「働く」ということに興味を膨らませることができることが小学校段階では大切です。そんな思いでキャリア教育を様々な教科や場面で行っています。
10月には、高学年で外部からゲストを招いて一緒に考えます。例えば介護に携わる職、例えば獣医師など、馴染みの薄い仕事を身近に感じられるように計画しています。また、6年生ではこれとは別に、「働く」を考えるワークショップも計画しています。働くことに対してポジティブな目を向け、自らが責任をもって進む道を決めることの大切さを伝えていきたいと思います。
さて、先週の新聞に「教員志願 止まらぬ減少」という見出しがありました。千葉県も例外ではなく、志願者数が前年度より350人以上減っています。教員の長時間労働などの問題から敬遠されるとともに、他業種の採用拡大が大きな理由と言われますが、前者に関しては一部を切り取ったり偏ったりした情報が大きく取り上げられているように思えてなりません。
子供たちが普段目にする職業人は教職員です。高校まで数えたら12年間常に見続けていることになります。教員・事務職員・栄養士・養護教諭ほかいろいろな立場の人間がいます。それらを身近に見て、魅力を感じられるようでありたいと思います。そして、卒業生から多くの教員等が誕生することを今から願っています。
273 忘れないように(23.9.22)
毎朝忘れ物がないかを確認する4点。それは「ハンカチ」「財布」「定期券」「スマホ」で、ズボンを叩いたり指差し点検したりしています。これに加えて、補聴器と扇子も忘れてはならないもの。補聴器のつけ忘れは頻繁に指摘されます。玄関を出る直前に「耳は?」という声に慌てて部屋へ戻るという始末。入浴前に外すと、一部消音されたような感覚に陥ります。特に、バックの時に注意を促すクルマの電子音の聞こえ方は明らかに違います。また、扇子もまだ手放せません。 駅に着いたときには汗びっしょりですから、ハンカチで汗をぬぐって扇子で火照った顔に風を送ります。だから、忘れたことに気づいた時のショックは…。
さて、夏休み明けに2年生の男児が校長室にやってきました。お母さんからの手紙と「なぞかけ」の作品を受け取りました。「稲穂9号」に掲載した内容に応えてくれたもので、家族で学んだようです。“「新学期の平田小学校」とかけて、「コロナ規制解除後のスポーツ観戦」ととく。その心は「賑やかな声が戻ってきました」”と難しい漢字も使われています。ありがとう!
また、今週初めに3年生の女児が、担任に付き添われて私のもとにやってきました。夏休みに取り組んだ絵画を新聞に投稿したら掲載されたという報告です。話をしながらも嬉しそうにしていますし、自信にもなっているようにも見受けます。早速印刷して校長室前に掲示しました。また、新しい作品ができたら見せてくれるようで楽しみ!
また、3年生全員に配付できるように、今年作られた「市川かるた」が学校に届いています。これを使って遊ぶこともできますし、学校周辺や市川市全体を社会科で学ぶ3年生だからこそオリジナルの札を作ることもできるのではないかと秘かに期待しています。グループやクラスで協力して、平田小バージョンができたら全校に紹介しますよ。忘れなければ…。
272 死語(23.9.21)
来週25日から10月10日までの2週間を、平田小の「人権週間」としています。違いを認め、互いを尊重する心を育むことをねらいとします。図書の時間に全校同じ絵本を読み聞かせから、意見の交流をします。各学年数名の感想を掲示する予定です。
さて、小学校では、「朝の会」「帰りの会」ですが、中学や高校では「ホームルーム」といいます。急に大人になったような気持ちに浸れて、この響きが魅力的だったことを思い出します。この小学校の「帰りの会」は、半世紀前には「反省会」と呼んでいました。一日の学校生活で嫌なことがあると、「反省会で言ってやろ~」といったセリフになります。そういえば、いたずらなど場面を目撃した時に、「い~けないんだ、いけないんだぁ、せ~んせぃに言ってやろ~」とリズムに乗せて相手に言うのも昭和の子供でした。こんな言葉、もう何十年も聞いたことがありません。
「かつては使用されていたが、今は使用されなくなってしまった言葉」を「死語」と呼びますが、今風の言い回しを私が理解できないように、私世代が使う言葉もある年齢を境に通じないと思います。例えば、立ち上がったり腰掛けたりするときなど力を入れる場面で、「よっこいしょ」と言うことがあります。この言葉、戦後四半世紀以上過ぎてグアム島で発見された残留日本兵の横井庄一さんに掛けて「よっこいしょういち」なんて言ったものです。恥ずかしいのですが、今でも口から出てしまいます。「男女の二人連れ」を「アベック」と言いました。現在でもスポーツ界では「アベックホームラン」「アベック優勝」などというように使われます。この「アベック」はフランス語由来で、英語の「with」と同じらしいです。また、「若者」は「ヤング」と。漫画本に「ヤングマガジン」や「ヤングジャンプ」などまだ名残りがあります。「チャンネルを回して~」「10チャンネルにして!」などとついつい口にしてしまうのも気をつけないと…。
271 花火(23.9.20)
孫が幼稚園で作った赤トンボを貼り絵にした作品(ハガキ)が送られてきました。可愛らしく、できることがどんどん増えていくのをうれしく思います。でもよく考えたら、敬老の日に向けて「おじいちゃんやおばあちゃんに手紙を送りましょう」といった活動だったようです。だから、「ずっと元気でいてね」という言葉が添えられていたのかぁ。気づくのが遅い!すでに敬老の対象者なのだと思い知らされた悲しくもうれしい出来事でした。
さて、8月はじめに母が亡くなりました。90歳、ろうそくの炎が消えるような最期でした。思い出はたくさん。西日に厳しい暑い台所で揚げ物をする後ろ姿。学校から帰るとミシンや編み機の前で何かを作っていた姿。布や糸で何にでも変身させてしまう魔法の手。家には近所の人が出入りして他愛ない話で笑っていた顔。わかっていたこととはいえ寂しくなります。
通夜の日に、市川・松戸・流山などで花火大会がありました。葬儀が終わって駐車場から見える大輪は、手前に松戸、その向こうに市川の花火。親族で静かに眺めたのです。ですが自宅への帰途、花火帰りの渋滞にはまりました。普段なら40分もあれば帰れるのに、この日は2時間半。家に着いてどっと疲れが出たのは言うまでもありません。
数年前、市川の花火大会をとある学校の屋上から眺めたことがあります。360度最高の眺望なので期待したのですが、大輪は数センチの大きさでしかありませんでした。だから、平田小からだったらきれいに見えるのではないかと秘かに期待していたのです。暑くても屋上より展望台の方がよいのではないかと…。残念ながら叶いませんでしたが、誰かに頼んで見てもらおうかと真剣に考えていたくらいです。
最近は手持ち花火もしなくなりましたから、火薬のにおいが懐かしいです。その代わりと言っては何ですが、四十九日の法要を終えた今日も線香のにおいは絶えません。
270 節度、寛容、そして…(23.9.19)
以前、子供の声がうるさいという住民からの苦情で公園が閉鎖されたニュースがありました。走り回れる場所がどんどんなくなっていく中で、元気に遊びたい子供たちと、静かに暮らしたい人たちがいます。共存するためにはどうしたらよいのでしょう。
「△時までは外に遊びに行かないようにしているのです」と、保育園の先生から話を聞いた記憶があります。近隣の公園まで手をつないで歩く園児を時々見かけますが、「外」というのは公園の場合もありますし、園庭という場合だってありそうです。夏場に、暑いので音楽室の窓を開けて吹奏楽部員が練習をしていたら苦情電話が寄せられるケースもあります。体育館から響くバスケットボールの音もしかり。終いには飼育小屋で早朝から鳴くニワトリの声にも「何とかしてくれ!」と無理な要求をされることだってあります。
生活のリズムは人ぞれぞれですから、昼夜関係なく配慮は必要です。でも、子供の遊ぶ声は騒音なのでしょうか。ややもすると、うるさいという意見ばかりが強調され、採りあげられるがゆえにその対応に追われるということもありそうです。明らかに迷惑をかける行為以外は許容されるべきという考えもありそうです。だって、誰もが子供だった頃があるのですから…。
こうしたことの根底には、「顔が見えない」「相手を知らない」という関係性があるのかもしれません。ある人はこんな風に言っています。“うるさいとは、音の大きさだけでなく、自分の心理状態や相手との関係を通してフラストレーションを感じるかどうかだ”と。つまり、好きな音楽は大音量で聴いても心地よいが、興味のない音楽は騒音だと感じる人は少なくないはずです。結局は、「節度」と「寛容」、そして普段からの挨拶などを通したコミュニケーション。相手を思い浮かべ想像するだけで、聞こえ方に変化が起こるかもしれません。
代表委員が朝の挨拶運動を始めて2週目になりました。こうしたあいさつを通して、「地域顔見知り計画」を進めていきたいと思うのです。大人と子供、大人同士など…。