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校長室から

359 呼称(24.2.9)

 昨日は雪の呼称について触れましたが、そうしているとき、ふとくだらないことを思いついてしまいました。くだらなすぎて、逆に誰かに話したい衝動にかられてしまったのが次。我が家ではゴキブリのことを「G」と呼びますが、たぶん一般的なのでしょう。でも逆に、ゴキブリから見たら人間は「N」?やっぱり人間とゴキブリは「共演NG」の関係なんじゃないかぁ…なんて。

 先日、松たか子さんのエッセイを新聞で読みました。その中に、母になって面白かったことが記されていました。それは「名前がなくなること」だといいます。「○○ちゃんのお母さん」と呼ばれることばかりで、それが逆に新鮮だったと。確かにそうしたことが多くあります。例えば、子供が生まれた後の父母の呼称。父母を、いつの間にか私自身が「おじいちゃん」「おばあちゃん」呼ばわりするようになります。妻を呼ぶときも「○○ちゃん」から「お母さん」へ変わり、今では「おかん」です。「私はあなたのお母さんではありません!」なんて野暮なことを言うことなく、自然と受け入れてしまえるもの。呼称はどうあれ、親が子を、子が親を想う気持ちは変わらないはず。

 管理職も同様です。「○○先生」だったのが、「教頭・校長」と役職で皆から呼ばれます。固有名詞が忘れられてしまうのは会社も一緒かも…。個人的にはちょっと悲しい響き。ただ、以前も書きましたが、相手の名前をド忘れしても「先生!」と呼んでいれば話が進むので、その点だけはよいなぁ。

 気をつけたいのは、目の前にいる子供の名前が出て来ずに「○○さんの弟」「○○さんのお姉さん」などと声かけしてしまうこと。誰しも自分の名前で呼ばれたいものですから。

358 雪 Part2(24.2.8)

 雨混じりの雪を霙(みぞれ)と呼びます。先日の雪も最初は湿った雪でした。暗くなるにしたがって落ちるスピードが緩やかになり、街灯に照らされながら舞い落ちる雪がきれいでした。こうして降ってくる雪には種類というか名前があります。霰(あられ)や雹(ひょう)に始まり、玉雪、粉雪、綿雪、淡雪、泡雪、細雪、餅雪、べた雪、灰雪、氷雪、吹雪ほかまだまだあるようです。一つ一つ解説はしませんが、一言で「雪」と括ってしまわずに言葉の雰囲気を感じられるようでありたいものです。また、積もった雪にも呼び名があります。新雪、深雪、薄雪、ふすま雪、しまり雪、ざらめ雪、ドカ雪、万年雪など耳にしたことがあるかもしれません。スキーやスノボをよくやる人には、きっと好ましい雪質があるのだろうと思います。

 さて、雪が降った日のことや雪遊びをしたことを作文や俳句にする子がいます。そうしたときの語彙が豊かであるようにしたいものです。雪の降り方を子供たちはどんな言葉で表すでしょうか。「はらはら」や「ちらちら」という言葉だって使わないかもしれません。まさか「ぽたぽた」?あまりにも情緒がなさすぎです。一方、情景を思い描けるような多彩な表現を大人が使えなければ、子供たちには伝わっていくはずもありません。古くは「こんこん」とか「しんしん」というのが一般的だったように思います。このほかにも「綿々(めんめん:長く降り続く様子)」「霏霏(ひひ:絶え間なく降り続く様子)」「蕭蕭(しょうしょう:もの寂しげに降る様子)」という言葉もあるようです。ドラマを見ていると、「六花(りっか)」という名前の人物が登場することがあります。雪の結晶が6弁の花に似た六角形に結晶することに由来する「六花」は、雪の異称なのだと初めて知りました。

 霙が降った日に、「♪ミ・ソ・レ♪~」とたどたどしく音階を声にすると、強引にカップ氷菓に話題をすり替えられました。写真の「みぞれ」は、1968年に能代で誕生したようで、実になつかしい!なつかしいといえば、家でカップアイスの「デリカ」と「ルーキー」の話になったのですが、私の記憶には全く存在しません。するとすかさず、「田舎だったから売っていなかったのよ、きっと」と鼻で笑われました。ご存じでした?

357 雪 Part1(24.2.7)

 月曜日の朝は、せわしなく時間が過ぎました。先週末にインフルを含めた欠席者がある学級で増えたため、月曜の朝6時に健康観察メールを流して6時半までに回答してもらいました。7時まで待ちましたが、4分の1の家庭から回答がないまま、学級閉鎖を判断せざるを得ない状況。ほかの学級でも相当数の欠席者があり、その報告を受けながら降雪・積雪への事前対応も考える、まさの頭の体操。平スコップや塩カルの準備、作業の範囲やタイミングなど考えることはいっぱいあります。忙しいと思える時間は楽しい時間。リア充なのです!

 昨年は、雪がたくさん降ると言われた日に外環道に架かる歩道橋に塩カルを撒いてくれた人がいました。残念ながら不発に終わったものですから、逆にこの塩カルの粒々で階段を降りるときに滑って転ぶ子が。ですから、箒と塵取りを持って数人でせっせと掃除をしたのを思い出しました。一昨日はそうならないように、児童の下校時刻頃から歩道橋や昇降口、門扉周辺などに塩カルを撒きました。それを見る子が口々に「それは何?」「何をしているの?」尋ねます。雪に濡れながら、同じ回答を何度返したことか。

 さて、大人になるといつの間にか雪は厄介者になってしまいます。交通機関が乱れる、車や自転車が滑って事故の危険性がある、凍った雪に足を取られる、受験日に限って雪が降るなど、生活を直撃です。不便さもそうですが、何より寒くて体にこたえます。それでも、いつもより時間に余裕をもって家を出ます。昨日は学校に到着した時すでに、職員による雪かきがほぼ終了していて、子供たちが安全に昇降口から入れるようになっていました。ありがたいことです。

 雪がたくさん降ると、家でも学校でも雪かきをします。降雪の予報があると、ホームセンターでは雪かきスコップがよく売れますが今回はどうだったのでしょう。大雪警報が出た翌朝でしたから、子供たちはどれだけ積もっているかとウキウキして登校したと思いますが、ベチョベチョで地面が見える様子に残念そう。それでも校庭には小さな泥雪だるまが何体か出来上がっていました。

 夜しんしんと音もなく揺れるように落ちてくる雪には、趣きがあります。それを屋内から眺めている時間は、厄介者が小さな天使に見えてきます。さぁて、今年はあと何回雪が降るのでしょう?

356 頻繁に手を洗おう(24.2.6)

 どんな話をしていた時だったのかは思い出せませんが、急に「オー・チン・チン」(ハニーナイツ)の歌を口ずさんでいました。まだ小学校低学年の頃に流行った曲。歌詞が覚束ないので検索して聴いてみました。今の時代では放送NGワードが何度も登場する中、2番、3番…と続く歌に「こんな歌詞だったんだぁ」と笑いがこみ上げます。雪の上でオシッコして、薄黄色の穴ぼこを開けることなんて今はしないのかもしれません。だからといって、校庭に積もった雪の上にはしないで。

 管理学校医の清水先生とお話しする機会がありました。今回は学校保健委員会の児童向け講演の事前撮影のために来校いただきましたが、テーマは「手洗い」です。昨日、ヘルシー委員会の児童がシナリオに沿って手洗いの重要性を全校に訴えました。その最後に、学校医の話という展開の動画です。

 さて、子供の手洗いを見ていて感じるのは、洗ったつもりになっていること。手洗い後に、外遊びした服やズボンに手をこすりつけていること。ブラックライトで汚れを見えるようにする機械がありますが、学校でやってみると「ヤバい」と実感するかも。仮に、手洗いを促したとすると「さっき洗ったよ」なんていう答えが返ってくることだってあります。いろいろ活動した後の今が大事だと思っても、子供は無頓着。ウィルスや細菌が付いていると思われる手で口元や鼻を触ったり目をこすったりする場面はよくあるもの。感染症を患うのもうなずけます。だから大人が意識して注意喚起することが大事。そんな私も、実は手で口元を触れる癖があるのです。

 ある医療機関では、いろいろなものに触れる手を肩より上に上げないことを徹底していると聞きました。また、ハンバーガーショップで会計を済ませ、お釣りを受け取った手でバーガーやポテトを食べるのは危険極まりない。誰が触れたともわからない小銭などを手にしたなら、必ず食べる直前に手を洗いましょうと、前出の校医さんは話してくれました。

 そういえば随分前になりますが、やはり別の医師と話をしたとき、「オシッコの後に手を洗うより、用を足す前に洗うべきだ」と言っていたのを思い出しました。陰部に細菌などを付着させないという意味だったように記憶していますが、手洗いは頻繁にしたいものです。

355 青信号(24.2.5)

 1960年代を象徴する流行語が「巨人・大鵬・卵焼き」。当時の子供が好きなものだったのです。私も例に洩れず、相撲は祖母と一緒に大鵬を応援し、野球はずっと巨人ファン。帽子もYGマークの野球帽。テレビでは巨人戦しかやっていませんから当然といえば当然のなりゆき。試合のある日は、ほぼどこかの局でナイター中継があった当時を思うと、地上波でナイターを観ることがなくなった今が信じられません。2月に入って各球団はキャンプインしました。その様子が日を追うごとに多く報じられるようになります。でも、多くの関心は海の向こうだったりして?!大谷選手から贈られたグローブをはめて、校長室でエア・キャッチボールを子供たちとしました。

 さて、車を運転していてイラっとする場面、それは礼儀知らずのドライバーに遭遇した時。一般的に、道を譲れば会釈などのお礼の反応などをします。にもかかわらず、まるで当たり前のようにすれ違う人、譲ってもらったことすら気づかない人がいます。こんなことで腹を立て、車の中で悪態をついて、「もう少し大人になりなさい!」と諭される始末です。

 自動車用、歩行者用を問わず、屋外に出れば信号機を目にしない日はないと言ってよさそうです。この交通信号が日本で登場したのは昭和5年といいますので、実に94年も前のことです。当時は「緑色信号」と呼ばれていたそうですが、現在は「青色の灯火」というように「青」と表わされます。その理由は諸説ありますが、日本では元来、「緑色」のものを「青」と呼ぶ習慣が根強く、それが定着に一役買っているのは間違いなさそうです。身の回りでは、「青葉」「青りんご」「青のり」などはその典型的な例でしょう。新緑を「青々とした」と表現しますし、「青汁」なんてまさに緑色以外の何物でもありません。ちなみに交通信号は「赤・黄・緑」を使いますが、航空信号は主に「白・青」なのだそうです。いっそのこと、交通信号も「緑色」から「青色」に変えてしまえばよいと思ってしまいがちですが、晴天の日は青空に紛れて危険。野球で高く上がったフライだって、昼間の曇天時にはボールが見えづらいだろうなぁ。

 暦の上では春!今日から学年ごとにグローブを回します。お手玉を使おうがエアだろうが、「野球しようぜ!」

354 守り続けたいもの(24.2.2)

 2年生、退治したい「心の中の鬼」を描いていました。私?敢えて言うなら「新しい物を欲しがる鬼」でしょうか。毎日の通勤に、手提げ革バッグ2つとトートバッグ2つ、ビジネスリュックを使い分けていますが、「欲しい欲しい病」発症の末に手にしたものばかり。欲しいものが高価なことも多く、鬼退治は喫緊の課題です。

 そういえば、スーツ姿にリュックを背負って通勤する人が増えた7~8年前から、ビジネスリュックの品揃えも豊富に。背負う・肩掛け・手提げを網羅したタイプも見かけます。男女問わず、毎朝毎晩駅などですれ違う人の半数以上がリュック型のような気がします。両手が空くという利便性も人気の理由なのでしょうが、混雑した電車に乗り込むときに前抱えにし直さないといけないのが面倒というか慣れないというか…。ただどんな鞄でも、姿勢よく颯爽と歩いていたいなぁと思うのです。

 さて、昭和のダメおやじ演ずる阿部サダヲさんが、令和にタイムスリップして不適切発言を繰り返すドラマ『不適切にもほどがある』を楽しく観ました。現在、人気ドラマのほとんどが漫画を原作にすることが多い中にあってオリジナルは貴重かも?このドラマの時代は1986年。私が教員になって2年目の年です。当時の職員室では喫煙は日常でしたし、ケツバット(金属バットでの尻叩き)や給水禁止の部活動が当たり前。極めつけに懐かしかったのが、カセットテープのくだり。ノーマルテープを買って帰ったら、「メタルかクロームって言ったじゃん!」と娘に怒られるシーン。カセットテープにグレードがあったことなんて久しく忘れていました。そんな時代から現代にタイムスリップすれば、白色のワイヤレスイヤホンは「耳から飛び出したうどん」に見えるでしょうし、なんでもハラスメントにされてしまうことに戸惑うのも当然。逆に、コンプライアンスに縛り付けられた現代への問題提起ともいえます。

 時代とともに変わってよいことと変わらずに守り続けたいことを見つめ直せそうな今後の展開に期待が膨らみます。今日はその第2話。

353 モヤモヤ(24.2.1)

 下の絵を6年生社会科の教科書で目にしたことのある人は少なくないと思います。明治19年に起きたノルマントン号事件の風刺画です。日本人乗客を乗せたイギリス貨物船が、紀伊半島沖で暴風雨により沈没しました。イギリス人船長以下、西欧人乗組員は全員救命ボートで脱出したものの、日本人乗客は全員船に取り残されて水死したという事件です。航海中の事故にもかかわらず、船長たちが乗客の救助義務を怠った件で裁判にかけられました。しかし、当時イギリスと締結していた不平等条約のため、船長他乗組員を日本の裁判で裁けず、無罪判決が下されたのです。これを機に「条約改正」を望む声が高まったというもの。「そういえば、あった!」と思い出した方がいるかもしれません。

 私が思い出したのは、医師 鎌田實氏の綴った新聞記事を目にしたときです。パレスチナの少年がイスラエル兵に撃たれて脳死となり、その心臓がイスラエルの少女に移植されたといいます。少年の父親はなぜ敵国ともいえる国の人に臓器提供の同意をしたのでしょうか。鎌田氏が投げかけたこの疑問に対して、その父親はこう語ります。「海で溺れている人がいたら、泳げる人間は飛び込んで助けようとする。溺れている人に、あなたの国はどこだ?あなたの宗教はなんだ?などと聞いたりしない。人として正しいことをしただけだ」と。そして、この話は『アハメドくんのいのちのリレー』という絵本で紹介されているといいます。(参考:2023.11.20 毎日新聞)

 戦闘が絶えない今、半沢直樹よろしく「倍返し」、いや何倍にもしてやり返すという負のスパイラルが続いているように感じられてなりません。「戦争に勝ち負けはない」「人として正しく行動する」を掲げ、「憎しみの連鎖」を断ち切ってほしいと願います。

 そう言いながら、勇気をもって手を差し伸べたり一歩踏み出したりできない自分がいるのも確か。モヤモヤする2月初日です。

352 ただ、とりとめもなく(24.1.31)

 大谷翔平選手からの寄贈のグローブが昨日届きました。まずはみんなに見てもらえるように、校長室前に展示しましたので、保護者の方も来校した際にご覧ください。「野球しようぜ」のメッセージを、これから形にします。

 ある日電車に乗ってドアの前に立つと、目の前の広告に「なんだろう?このドキドキ…」という文字が見えます。そして、「ちょっと動いただけで…。安静時や就寝前後にドキドキする。(以下省略)」と書かれています。動悸・息切れ・気つけに効果を発揮するとされる『救心』の広告です。発売されて110年。最近、「なんだろう?コレ」と思うことがあります。冬は心臓のドキドキが多い季節ですが、寒さのせいにして放っておいたら…?

 50年前のオイルショックを知る人の多くは今、動機・息切れを含めて、「老いるショック」を経験しているかも。私自身、「こんなはずじゃなかった」と思うことがたくさん。また、「あれっ?○○がない!」とあたふた探し物をすることもしばしば。その度に苦言をいただく始末です。

 一方、ウクレレのレッスンが行われる日の管理はきちんとできて、毎回忘れずに通っています。教室のある楽器店に行くと、誰かが電子ピアノの試し弾きをしています。そして、その曲が結構な頻度で『アイノカタチ』(MISIA)ですから不思議。結婚披露宴で使われそうですが、PVを何度も見返してしまうくらい好きなので、自分の葬儀の時に流してくれたらうれしいなぁなんて馬鹿なことも考えてしまいます。

 さて、夏と違って冬の天気がよくて空気が澄んだ日、さらに風が適度にあると、遠くに富士山がくっきり見えることが多くなります。父母が生活をしていた施設へ通う県境の橋からも見えた富士山。今日は見えるかなぁと期待半分で橋に差しかかります。ドーンという感じではなくても、富士山が見えると何かよいことがありそうな気持ちにさせてくれますから、やっぱり日本一!

 亡くなった親の恩を今さらながら想い、感謝するときが多くなった気がします。きっと親はこんなことを考えていたのだろうと、相応の年齢になってやっと理解できるようになったみたいです。懐かしさや大変な思いをしたであろうことへの感謝などを伝えたいのに、できない今を後悔してしまいます。伝えられるうちに言葉に(声に)しませんか。

351 新聞投書から(24.1.30)

 朝の見守りをしながら声かけをしていると、子供から先に挨拶が聞けるようになってきたことを感じます。一方、下を見たまま顔を上げずにいたり、しかめっ面のままだったりなんていうことも…。「福が逃げちゃうよ」と声をかけたくなります。「笑顔は、自分にも相手にも幸せを呼ぶ」と信じているから!

 さて、ある日の高校生の新聞投書を目にしました。膝の手術後にコルセットを装着して松葉杖生活が1か月続いたそうです。毎日満員に近い電車の優先席付近に立っても、席を譲ってもらえたのは半分にも満たなかったといいます。ある日、途中の駅からお年寄りが乗って、松葉杖の自分の横に並びました。優先席に座っていた若者が立って、その人に席を譲ったそうです。それを見て驚いたそうです。若者であってもけがをして困っていたのです。時には、人にはわからない病気を抱えている場合もあります。最後に「あなたは誰に席を譲りますか」と結んでいますが、知らんぷりや寝たふりをせず、しっかり向き合いたいと思います。そもそも、疲れていたとしても優先席がある意味を考えられるようでありたいものです。

 もう一つ、「家事をしない父、共倒れの不安」と題された30代女性の投書です。両親は60代後半で、父親は家事をやらないといいます。外で父親が働き、母親は家事を担って家庭を守るという典型的な昭和世代。数年前に退職後も、家事の9割を行う母親はこれに納得し、夫婦仲もよいらしいのです。でも、娘は父が母の家事能力に頼り切っている現状を心配し、切ない気持ちで見守っています。共倒れの心配は、亡くなった私の両親への一番の心配でしたし、まるで自分の数年後を見ているようでもあり、危機感があります。子供たちに心配をかけないためにも自立が求められます。と考えながら行動が伴わない自分の弱さよ! (2024.1.16 朝日新聞「声」参考)

350 相撲(24.1.29)

 大相撲初場所は、優勝決定戦の結果、照ノ富士の優勝で幕を閉じました。巴戦になったらおもしろいけどなぁなんて淡い期待を抱きましたが…。そんな今場所は、行司も話題を多く提供してくれています。7日目に行われた大関・霧島と北勝富士の一番では、力士とぶつかりそうになった行司が激しく転倒し、烏帽子と草履の片方が脱げるという一幕がありました。同日の序二段同士の一戦では物言いがついて、協議の説明まで7分半という長い時間を要するという場面がありました。この時の行司は若干20歳で、緊張した表情が話題になりました。その装束を見ると足袋も草履もない裸足で、着物の裾は膝下まで。明らかに横綱や大関戦を仕切る立行司とは異なります。

 そして、今場所は約9年ぶりに行司最高位の木村庄之助(結びの一番のみを裁く)が土俵に立っています。昨年末の人事で、式守伊之助が昇進したといいます。立行司が身に着けているものを見ると、帯に短刀を携えています。これは「差し違い(間違った判定)」をした場合、切腹をして責任をとるという決意の表れだそうです。つまり、木村庄之助や式守伊之助を名乗る以上、差し違いは許されないということ。テレビでは際どい場面の映像を繰り返し流すことはあっても、VAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)など導入されそうもない相撲界ですから、その重圧たるや想像に難くありません。ちなみに、現在は「木村」「式守」しかいない行司に、かつては「岩井」「服部」「長瀬」「木瀬」「吉田司」などあったらしいです。

 さてコロナ禍以降、休会となって開催されていない市内相撲大会。来年度も再開の目途はたっていません。様々なハードルをクリアする必要があります。指導する際の安全面もその一つ。5年間も行っていませんから、指導の仕方だけでなくまわしの締め方など知る者がいない学校だってありそうです。思い出すのは20数年前に優勝した時の喜び。正直、サッカー大会で優勝した時よりうれかったのです。ぶつかり稽古で肋骨にひびが入ったことや砂場で「巨人の星」の歌を歌いながらうさぎ跳びをしたこと、「どすこい倶楽部」を編成して時々学校周辺の吸い殻拾いをしたこと。今でも頼まれたら、「喜んで!」なんて言ってしまいそう。