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Bee's Cafe

056_かもしれない(25.7.3)

 柏井小の子供ってすごい!と感心すること。雨の日に細い道に車がやってきたとわかると、道の端に避けるだけでなく、それまで差していた傘をすぼめて車とぶつからないようにするのです。そうした所作が身についている子が一人や二人ではないことに驚きます。

 逆に、どこの学校でも同じですが、挨拶をしても視線すら合わせない子がいることは残念です。私は透明人間なのかなと疑ってしまうほどです。旗当番や見守りボランティアの方の嘆きもわかります。ほんの一握りであっても、それが全体かのように強く印象付けられることもありますからもったいない。

 ある日、学校から帰ると、テーブルの上にリンゴが乗っている。でも、「もしかしたら、これはりんごじゃないのかもしれない」「大きなサクランボの一部かもしれない」「何かの卵かもしれない」と妄想が広がっていく主人公の想像力を描いた絵本『りんごかもしれない』は絵本作家ヨシタケシンスケさんのデビュー作です。

 この「かもしれない」という想像力・発想力は、危機管理にも応用できそうです。車の発進時や左折時などに、死角に入った幼児・児童がはねられる事故が相次いでいます。運転者は、「子供がいるかもしれない」と考えるべきですし、子供は「気づかれていないかもしれない」「歩行者用信号機は青だけど、車が止まらないかもしれない」などと最悪を想定することで事故を回避することができます。地域では、「このブロック塀が地震で倒れてくるかもしれない」「あの暗がりに人が潜んでいるかもしれない」と想像豊かにすることは自分を守ることにつながります。昨日、1年生と3年生が交通安全教室を受講しましたが、知識と実践は自分の身を守ります。ただ、必要以上にネガティブならない程度に。

 AIに依存しすぎることなければ、物は使いよう。そして、自分の頭も使いよう。

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055_ようせい(25.7.2)

 今日から6年生の卒業アルバム用の写真撮影が始まります。授業場面や委員会の写真、集合写真などいろいろです。私自身、撮影がある日に合わせて剃髪する日を決めます。誰も気にしないし気づかないと言われても、2日目の髪が丁度よいと決め込んでいるのです。

 ある日、前任校の同僚の先生からラインが届きました。今、ChatGPTでの画像作成に嵌っていると言うのです。さらに、卒業アルバム用に撮影された私の写真を加工したものが添付されます。「この写真を蜂の妖精にして!」とお願いしたそうです。さすが妖精!ジジイに似ず、可愛くてなかなかの好印象ではありませんか。しばらくの間スマホの壁紙にしています。

 さてここ最近、頓(とみ)に人の名前が思い出せないことが増えたような気がします。ドラマに出る有名な俳優も同様で、「○○というドラマに出て○○の役だった、ほらっ、あの人だよ~」といった感じ。先生の名前もそう。毎日顔を合わせているのに、肝心な時にド忘れしてしまうわけです。顔は思い浮かぶけれど、名前が出て来ないことは日常茶飯事です。きっと名前を覚えるシナプスがブチブチに切れているのかもしれません。残念なことに子供の名前も、覚えた翌日に「あれっ?」なんてこともしばしば。そんな時は、記名された上履きや名札をカンニング。

 ただ、「先生」というワードに関しては超便利。医者・議員・教員なら、「先生」と発しておけば苗字なんか二の次。名前を思い出せなくても、問題なく会話が成立。そしてとんでもない時に、突然その名を思い出すのです。

 「今朝のおかずは何だっけ?」「今朝、ご飯食べたっけ?」とならない頭に養成しなければ!

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054_半夏生(25.7.1)

 昨日の給食にあった「夏越(なごし)」の厄除けは、恥ずかしながら初めて知りましたし、京都では古くから6月の最後の日に「水無月」(和菓子)を食べる習慣があって、一年の半分の穢れを落とし、残り半分の厄払いをするということも少し前に聞きました。

 さて、今日は「半夏生(はんげしょう)」という、節分や彼岸、八十八夜などと同じ雑節。この半夏生は、夏至から数えて11日目(一般的に7月2日)から七夕までの5日間を指し、この頃に「天から毒が降り、地から毒が生える」という言い伝えがあったため、農家は半夏生までに田植えを終わらせるという習慣まであったといいます。

 また、関西では半夏生の頃に、豊作を祈ってタコを食べる習慣があります。これは、作物がタコの足のように大地にしっかり根を張ることを祈願するという意味が込められているのです。タコにはタウリン(ファイト~、イッパ~ツ!)が豊富に含まれるため、蒸し暑さなどから疲れが増すこの季節に食べるのは理にかなっているようです。讃岐では半夏生にうどんを食べる習慣があるといい、7月2日を「タコの日」あるいは「うどんの日」としている地域があるのです。

 気が付くと今年も後半戦。新年度から数えても4か月目です。振り返ってみたときに「何をしただろう」「成果と呼べるものは何だろう」と焦りを覚えます。できることを「自分から積極的に楽しむ」という姿勢を、残り半年貫いていくための振り返り地点だと思います。そんな気持ちが、時間とともに薄れてしまわないように気を引き締めます。

 相変わらず高値が続いているタコ。「タコの日」に限らず、誰かが口に入れてくれるタコなら刺身でもたこ焼きでも遠慮なくいただきます。

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053_モヤモヤ(25.6.30)

 以前住んでいたマンションは、約20年前に最初の大規模修繕工事を行いました。管理組合の理事長を務めていた流れで、修繕委員長も引き受けることになったのですが、業者選定に始まり修繕工事内容ほか、委員・住人の方と何度も協議を繰り返しました。80世帯と規模は大きくありませんが、やり遂げた感があったことはよく覚えています。その後、修繕が行われているのを見ないので、居住者の理解や修繕費の高騰など、難しいことが立ちはだかっているのだろうと、要らぬ心配をしてしまいます。

 住宅ローン完済の見通しが立たず、手放さざるを得なくなった同世代の会社員の記事も目を引きます。マンションの管理費等の値上げ、私学に通う子供の学費、リーマンショック、病気の治療費など、当初の予定をはるかに上回ることになり、二進も三進もいかなくなったといいます。身につまされます。

 また、「定年延長で同じ仕事 給料減なぜ」という見出しの新聞投書を、朝からうなずきながら読みました。高校の先生で、4月から定年延長の1年目突入。実際に給与明細を見て、給与30%削減の現実を突きつけられたといいます。仕事があって恵まれていると思う一方で、これまでとスキルが大幅に下がったわけでもなく、何一つ変わらない労働に対して、給与削減はモヤモヤが残ると記しています。

 ある先生は私を、「コスパ最強の校長」と称えてくれましたが、若返る校長会の平均年齢を爆上げする老害と言われないように、今だからこそできることに恐れずチャレンジです。

 そうは思いながらも、ボーナスの明細書を見るのは辛い!

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052_心戒十訓(25.6.27)

 本土最大の地上戦となった沖縄。日米合わせて20万人が犠牲になったその日から80年。追悼式典で、小学6年の「おばあちゃんの歌」という作文の朗読があったと報道されました。新聞掲載された全文を読む中で、改めて沖縄戦体験者の苦しみと散らした命、そして命のつながりを実感しました。さらに翌日、作文にあった言葉を引用して、“胸迫る「艦砲射撃の食べ残し」(佐藤隆治作)”と朝日川柳に投稿がありました。

 にもかかわらず、世界に目を向けると、ロシアとウクライナ、イランとイスラエルの戦争に終わりが見えません。報道されない紛争がほかにもたくさんある中で、私たちは何ができるのでしょう。決して他人事ではなく、危機感を覚えてしまいます。

 私たちは、人間関係で支えられていると言ってもよいのではないでしょうか。だからこそ、大人も子供もその人間関係が悩みの種となって苦しむことがあります。この人間関係のベースとなるのは、相手との信頼関係。そのために必要なことを、故 渡辺博史氏は『心戒十訓』(10個の自戒の言葉)として残しています。「人間関係は、相手の長所と付き合うもの」「人に何をしてもらえるかより、自分に何ができるか」とあります。その裏には、相手を変えるのではなく、自分の思いや行動を変えてみる。つまり、互いの信頼関係を築くのは自分の出方次第と読み取れます。これらは、外交にも通じそうです。

 「挨拶はされるものでなく、するもの」「分かるだけが勉強ではない、できることこそ勉強」「いい人生は、いい準備から始まる」という言葉もうなずけます。今から始めても早すぎ(遅すぎ)るということはないはず!

 さて、5年生は友達や自分の良さを発見して、ちょっと成長して帰ってくるかな?

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