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2023年6月の記事一覧
245 ジェンダー(23.6.29)
むか~し昔あるところに、おじいさんとおばあさんがいました。おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました。何でもない当たり前の昔話「桃太郎」にジェンダーの刷り込みが見え隠れします。「シンデレラ」では、貧しい女性が王子様に見初められて幸せになります。玉の輿です。「白雪姫」では、毒リンゴを食べた姫に王子様がやさしくキスすると、深い眠りから覚めます。穿った見方をすると、いずれも女性は男性の庇護のもとで幸せになる、男性優位を示唆しているようにも読めるから不思議です。
さて先日、新聞の投書欄にあった二つの声に目が留まりました。一つは、絵本を読み聞かせていると、さりげないジェンダーの刷り込みに気づくと書いています。「多様な在り方が当たり前に描かれた絵本が世の中にあふれる社会を願う」と締めくくります。でも逆に最近読んだ記事には、アメリカのある州では「子供たちを守る」という大義のもと、教室で行われる教育内容がLGBTQに少しでも触れると苦情が入り、教員免許のはく奪にまで至る可能性があるといった内容を見つけて驚きました。
もう一つは、中高と部活が一緒だった大好きな友達が、明るい声で自分は性と心が違っていたことをカミングアウトしてくれたという59歳の女性の投書。その親友は小学生の入学式の時から、赤いランドセルとワンピースが嫌で泣いていたといいます。本人がいつから違和感を覚えていたかはわからないものの、「知ってたよ、私たち」と温かく皆が受け入れていたことがわかります。
「朝日川柳」(2023.6.22)には、『ジェンダーレス 滅ぼしたきは 女偏』という句がありました。確かに眺めてみると違和感ある漢字も…?「汝」「婚」「姻」「嫁」「娘」「婿」「妖」「妨」「妄」「妙」「奴」「姿」「妥」など数ある中に女性差別はないでしょうか。
244 ユニバーサルデザイン(23.6.28)
牛乳の紙パックの屋根の部分にあたる上部にくぼみがあることをどれだけの人が気づいているでしょう。正式には、このくぼみは「切欠き」と呼ばれます。これは視覚障害者などが牛乳と他の飲料を区別するためのしるしだとか。ユニバーサルデザインの一例だといいます。開け口とそうでない方を区別するためのものかと思いもしましたが、あること自体知らなかったというのが本当のところ。
ユニバーサルデザインは、「あらゆる人に利用しやすいデザイン」であることを軸に、(1)誰にでも使えること、(2)使用するうえで柔軟性があること、(3)使い方が簡単で、直感的にわかること、(4)必要な情報がすぐにわかること、(5)簡単なミスが危険につながらないこと、(6)身体的負担が少ないこと、(7)利用しやすい十分なスペースが確保されていること、の7つの原則から構成されています。
絵文字も立派なユニバーサルデザインの代表選手。3年生の国語「くらしと絵文字」では、絵文字はくらしを便利で楽しくするだけでなく、人々が互いに分かり合いつながりを深め合うのにも役立つことを理解するとともに、絵文字(ピクトグラム)に対する興味関心を高めることを目標にしています。学習の発展として、自分たちで絵文字を作って発表し合う場面もよく目にすることがあります。
先の牛乳パックのように、身近にあっても気づきにくいユニバーサルデザインもあります。例えば、シャンプーとリンスの容器の突起がそれにあたります。あるメーカーの働きかけによって、現在ではどのメーカーでも容器の突起で判別できるようになっているらしいのです。まぁ、リンスに縁のない私は間違えようがありませんが…。
243 髪は長~い友だち(23.6.27)
先週、市川市芳澤ガーデンギャラリーで開催されている、坂崎千春さんの「ペンギンアパートメント」を見に行き、周年行事に係る話をしてきました。小さいながらも500点の原画が各コーナーに工夫して展示されていました。その人柄は、まさにペンギンをはじめとする様々なキャラクターの温かみを感じさせてくれるものでした。
さて、「今日似た人を見たよ。危なく声をかけそうになった」「後ろ姿がそっくりだったけど、ニセモノだった」など、家族や仲間から言われることが度々あります。30年間こんな頭ですが、ひと昔前は坊主頭の大人はあまりいませんでした。でも最近はあちこちでニセモノが出現するようです。
現代のメンズの髪型は種類もいろいろ。ベリーショートやツーブロック、アップバング、クラシックヘア、オールバックなど若者サラリーマンに人気なようです。50代にもなると、ナチュラルで渋めの髪型がもてはやされます。
そういう私も若いころは髪の毛がふさふさ。「キューティクル」「天使の輪」なんて言葉がテレビから流れていた当時、引っ張り強度を測ったら200MPaを優に超える硬さでした。当然まとまりが悪い。アイロンパーマやパンチパーマでなんとかやっと整えていたわけです。ひと月もすればボサボサに伸びるし、寝ぐせもひどい!そこで、床屋で角刈り。でも、自分でバリカンをかけた方が安上がりとなって、必然的にバリカン購入へ。しばらくすると、「もっと短く、もっと短く」という欲求が高まり、カミソリの使用に至るのも時間の問題でした。「自分で刈るの?」「後ろ側は誰かにやってもらうの?」など質問を受けますが、指先で剃り残しを確認しながら進めますので大丈夫!
坂崎さんのペンギンは、どれも黒々とした毛並み。抜け落ちることなんか考えられませんが、私の頭は白いものがたくさん混じってきました。でも、誰も気づきようがありません!
242 ターニングポイント(23.6.24)
20代の頃は、機会は多くないまでもワインといえば飲みやすい「白」を選んだものです。今は「赤」一本で、たま~に白を飲むことも。ただ様々な種類あれども味の違いはよくわかりません。だから高級ワインだろうか廉価品だろうが飲めることがうれしいだけ…。
そういう意味で、各分野のソムリエは尊敬に値します。ワインに関していえば、その第一人者は日本ソムリエ協会の田崎真也会長でしょう。1995年には世界最優秀ソムリエコンクールでも優勝しており、5月に行われたG7広島サミットの飲酒を監修しました。
この田崎さんは、興味を持ったことにはまっしぐらだったといいます。小学校では昆虫学、中学校では海洋研究に夢中で、工業高校に進学したものの海への夢を捨てきれずに船乗りを目指しました。海員学校時代のアルバイトで作ったナポリタンを食べた客から「ありがとう」「ごちそうさま」と言われた時の気持ちが忘れられず、料理人を目指すターニングポイントになったそうです。フランス料理の世界でもう一つ夢中になったのがワインで、勉強のために単身フランスに渡ったのが第2のターニングポイントです。釣り歴50年以上で、魚を愛してやまないワインソムリエであり料理人。単に成功の上に立つ人のように思ってしまいますが、いろいろなことに興味関心を持ち、熱中して全力を注いできたからこそ今があるのだとあらためて思い知らされます。
人それぞれにターニングポイントがあり、選択を迫られます。ある新聞には、やくざから弁護士になった人の取材記事がありました。この人にも転機があったわけですが、選択肢を増やすためは最低限の知識や技量、そして一歩踏み出す勇気が必要です。私たちが学ぶ意味は、「新たな力を身につけ、身につけたその力によって新しい世界を広げること」だと思います。「自分の今ある力を使ってアクションを起こし、そのことで人が喜ぶ姿を喜べるようにすること」と言い換えることもできそうです。ターニングポイントなんて仰々しいものではなく、日々の気の持ちようなのかもしれません。よって今がその転換点かも…。
今日はオープンスクール。といっても2コマの授業参観です。これに先立って2時間目の時間帯にPTAによる除草作業があります。先日はプール掃除にも力を貸してくださった方がいらっしゃいます。今日もよろしくお願いします。
241 とりとめもないこと(23.6.23)
朝の安全指導を終えて戻る際、校庭にある「ひらた山」近くのネットに沿うようにヤマモモの木があることに今頃気づきました。しかも雌木ですからたわわに実をつけています。一つ摘んで口に放り込むと甘酸っぱさが広がります。熟しているので手にも赤紫色の果汁が垂れています。昼休みに、数人の子供たちに勧めると、びっくりした顔。「本当に食べられるの?」と半信半疑な様子です。でも食べてしまえば「うんま~」なんて声も出るくらい。まさに今が旬!ある子には、サルビアの花の蜜を吸うことができることも教えてあげました。まさかアレルギー反応はないですよね。
1年生のひらがな練習プリントを見る機会がありました。一文字ずつ例があって練習します。「や」の場合、「やさい」「やきとり」など。「やかん」という文字と絵がありますが、「やかんって何?」と尋ねられました。薬缶がない家庭も多いのでしょう。ましてやお茶を淹れて飲む習慣がなければ、急須なんて見たこともないかもしれません。知らないことがいっぱい。だからこそ、知ることで自分の世界が広がるのだと思います。知らないからといってバッサリと切り捨ててしまうような子供にはなってほしくありません。
ある日、低学年が虫取り網を持ってバッタなどを追いかけています。やっと捕まえたトンボでしたが、手で捕まえられず助けを求めます。やっと虫かごに入れて得意満面で教室へ戻りました。次の日、「トンボは虫かごでは生きられないでしょ。だから逃がしてあげたんだよ」と、その子がそっと教えてくれました。
そしてプール開きの日に驚いたこと。高学年が水慣れを始める前に、ラッシュガードを着けている子を数えてみると、男子40人中28人(70%)、女子33人中29人(88%)です。
何でもないことの中にも、驚きや発見が隠されている新鮮な毎日です。