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2023年6月の記事一覧

230 種をまいて耕す(23.6.7)

 鉢植えのクチナシが花を開かせました。花弁はフェルトのような優しい風合い。沈丁花や金木犀とは違った懐かしさを感じる甘~い香りで、うっとりしてしまいます。ただ、渡哲也さんの歌が頭に流れてしまうのが残念!

 少し前、風呂に入っていたら揺れを感じました。地震です。何がまずいかって、真っ裸!早く下着を身につけなければと戸を開けて体を簡単に拭きました。その頃には揺れが収まり一安心。そして最近、通勤用カバンに入っているもの、それは携帯用ミニトイレ。地震を含め、自然災害がひとたび発生すると、電車やエレベーターが停まることがあります。そこに閉じ込められることだって想定しなければなりません。そういう時に限って尿意をもよおすなんてことがあるわけです。最悪を想定することは大事です。持っていればいざという時に安心という御守り感覚です。

 さて、大学は少子化などにより全入時代に突入しそうな勢いです。そんな中、実践力も身につきそうなユニークな学部・学科があります。例えば、城西国際大学には観光学部ウェルネスツーリズム学科があります。「観光ビジネス」や「観光まちづくり」といった分野で人材を育成するようです。國學院大學にも昨年度、文字どおり観光まちづくり学部が開設されました。そのほか、日本大学・危機管理学部、京都精華大学・マンガ学部、明海大学・不動産学部、東京未来大学・モチベーション行動科学部など目白押し。国士舘大学・21世紀アジア学部というのは、アジア諸国との相互理解・共存を学ぶのでしょうか。幼稚園が特色をアピールして園児を募集することに共通しているような?そんな中、「恐竜学部」が創設されるとニュースにありました。国内有数の化石の産地である福井県の県立大学で、令和7年度に恐竜に特化した学部が誕生するというものです。

 どこの大学へ行ったか、卒業したかという時代から、大学で何を学んだかが今まで以上に重視される時流なのかもしれません。小学校・中学校・高校と進む中で、多様性や柔軟さ、創造力など、人とのかかわりの中でいっぱい吸収してほしいと願います。地震大国ニッポンにおける防災関係、あるいは朝ドラ『らんまん』の主人公のように植物学のエキスパートなど、子供たちの前には無数の道が広がっています。あとはきっかけという種まき?!

229 郷土愛(23.6.6)

 「棒が一本あっとさ、葉っぱかな♪」で始まる『かわいいコックさん』。元々は「6月6日に、雨ざあざあ降ってきて」の部分が、「6月6日の参観日…」だったとか。さすがに幼児にはわかりにくいと考えて、今の歌詞が採用になったようです。というわけで、今日はコックさんの日。

 さて、『秋田県民歌』が多くの場面で歌われ、県民に親しまれていることを知りました。若者から年寄りまでが口ずさみ、スポーツ観戦の場面や卒業式などの学校行事、はたまたカラオケや風呂場でも歌われるといいます。「秀麗無比なる鳥海山よ 狂爛吼え立つ男鹿半島よ」という歌いだしの秋田県民歌。調査では、「歌える」人は半数を超え、「知っている」を含めると9割以上という結果です。

 「雲白く海青し 豊かなる光に満ちて さち多し伸びる房総…」というのは千葉県民歌。昭和39年12月に発表され、3番まであります。あること自体知りませんでしたし、秋田県のように学校で歌う場面も皆無。ただ、今年6月15日(県民の日)が千葉県誕生150周年です。一度聴いてみようと思い立ち、再生してみました。古臭く、夏休みのラジオ体操の始まりの「新しい朝が来た~♪」に近い感じです。でも千葉県の特徴が歌われ、普段から聴いていれば歌えるようになるのかもしれません。

 校歌も同じようなもの。コロナでほとんど歌う機会のないと、覚えないし愛着も薄れてしまいがちです。実際、全校で集まる機会のなかった前任校では、校歌を歌ったのはわずかですから、覚える場がありませんでした。むしろその学校を母校とする妻は、卒業して半世紀たった今も口ずさむことができたのです。ちなみに私も、小学校の校歌は1番だけなら歌えます。平田小の校歌も音楽が流れてくれば歌えるようになりました。

 子供たちが、平田小学校や市川市、千葉県に興味と愛着を抱けるようにするために、何から始めましょう。

228 蝸牛と蛞蝓(23.6.5)

 休みの日、雨が降っていなければせっせと庭作業。アジサイがきれいに咲く中、庭に異臭が漂っていることに気づいてはいましたが、原因を突き止めることはしないでいると、後から出てきた妻が「ねぇ、古雑巾のような臭いがしない?」と言います。同意しながら作業を続けていると、そばに寄ってきて鼻をひくひくさせます。私の匂いを嗅いでいます。「うん、大丈夫!」って疑っていた?どうも、あるアジサイが妙な匂いを放っていたようです。

 さて、1年生が虫かごを首から下げて校長室に飛び込んできました。『何を捕まえたの?』と尋ねると「カタツムリ」と元気よく答えてくれます。小さなカタツムリですが、教室で飼うそうです。『何を食べるの?』「草じゃない?」『本当?あとは何が必要かな?』「水じゃないかな」『あげすぎてもだめだよね』「調べてみればいいの?」『図書室で調べてごらん』などと会話しながら、カタツムリの赤ちゃんのことも教えると目を輝かせていました。もしかすると、卵から生まれた赤ちゃんが、ウヨウヨと飼育かごから出てくるかもしれません。

 こんなカタツムリは可愛がられますが、殻のないナメクジは嫌われ者。玄関外の階段や植木鉢の底などにいるので、発見すればたちどころに駆除。でもこの2つ、どこが違うのでしょう?ヤドカリの引越しを想像すると、カタツムリの殻を取ったらナメクジになるイメージです。でも、カタツムリの殻は体にしっかりとくっついていて、無理に引き剥がすことはできませんし死んでしまうそうです。つまり、殻は成長とともに大きくなり、これで外敵や乾燥から身を守っています。カタツムリは、殻の栄養のためにカルシウムを取る必要があるため、草花以外にコンクリートも餌にするというから驚きです。一方、ナメクジは殻がない分、狭い場所などに身を隠して外敵から守れますし、移動も身軽。

 殻があるからこそカタツムリに触れますが、ナメクジは勘弁!そんなナメクジによく塩をまいたことも思い出されますが、今どきの子供はそんなことはしないのかも。

227 三十一文字(23.6.2)

 大雨の予報です。5月下旬に『サラッと川柳』のベストテンが発表されました。さすがにコロナに関する川柳がぐんと減りました。この中で私の推しは、『ヤクルト1000 探し疲れて よく寝れる』(第2位)です。大事なのは、共感できるかどうか。『パスワード つぶやきながら 入れる父』(第7位)もうなずけます。自分では声にしていないつもりなのですがねぇ。『現金か ペイペイですかと おままごと』(第14位)は以前ここでも触れましたが、縁あって一昨日作者の方から直接お電話をいただきました。

 一方、短歌がブームだといいます。子供たちはある時期に百人一首大会で熱戦を繰り広げますが、私はどちらかというと俵万智さんの『サラダ記念日』派です。『この味が いいねと君が 言ったから 七月六日は サラダ記念日』という歌がよく知られていますが、技法よりもやはり共感かなと思います。季語を必要とせず、日常の楽しかったことや忘れたくない出来事を三十一文字という最適な文字数で、しかも普段使いの言葉で表現できる面白さがあるのでしょう。俵さんは、「短い言葉を使ってSNSで発信することに慣れた多くの人は、思いを共有するために短歌はちょうどよいサイズ」であると言っています。

 『平日の 明るいうちから ビール飲む ごらんよビール これが夏だよ』(岡本真帆さん)といった歌も自然で思いが伝わります。また、『君くれた 手紙に書かれた 文字心友(しんゆう) 誤字じゃないって 感じたあの日』(当時高2 登川千鈴さん)や『真っ白な キャンバスに描く 下書きを 未来の僕は はみ出せるのか」』当時高2 脇龍志さん)など、高校生が詠む短歌はまさに青春そのものでキラキラしています。

 小学生ならでは、子育て真っ最中の保護者ならではの視点でサラッと詠んでみてはいかがですか。簡単な解説文でもつければ、親子で取り組む家庭学習にもなります。校長室に届くことがあれば、何らかの形で紹介させてもらいます。

226 古いアルバムの中に~(23.6.1)

 予報を見ると、台風2号が北東へ進み、日本列島の方へやってきそうです。梅雨入りしそうなこの時期に?と思います。そんな天気には関係なく、『想い出がいっぱい』(HO)を家族の前で鼻歌交じりに歌うと、歌いだしから音程が違うと指導が入ります。好きに歌わせてよというのは聴く側には通じないわけで…。

 さて、家族の写った写真は今、家に何枚飾ってありますか?一体どれだけあるのだろうと思って数えてみました。亡くなった親の写真を除いても15枚。子供が小さかったころキャンプに行った時のものもあれば、家族が2人から徐々に増えていく記録写真にも似たものまであります。そんな中に、大町少年自然の家でキャンプファイヤーをする4年生の応援に行った時のものがあります。一度家に帰って、園児の娘の手を引き息子を抱いて、真っ暗な中ファイヤー場に到着。邪魔をしてはいけないので、少し離れた場所で見ようと思いました。当時の教頭先生が火の神を務めます。シーンと静まり返った中、司会の子が「火の神様がやってきてくれました」と厳かに告げます。白装束に身を包んで火の神様が登場する場面。突如息子が「火の神~?」と大きな声で叫んだのです。子供も大人も笑いたいのに笑えないつらさ。私はみんなに申し訳なくて縮まる思いでした。でも、こんなふうにたった一枚の写真からよみがえる思い出や鮮明な記憶を大切にしたいと思います。白黒写真だってセピア色に変わってしまった写真だって、そこに流れる物語を子供や孫たちに話してあげたいと思いませんか?

 今はもうスマホのカメラ機能で十分ですが、望遠レンズと一緒に買った一眼レフ、初期のデジカメ、デジタル一眼レフと手にするものがどんどん進化していきました。印刷をしてアルバムに綴じ、コメントを書いて楽しんできましたが、以前も書いたようにアルバムの保管場所がなくなって以来ほとんど貼っていません。校長になって手元に届く入学式や卒業式、校外学習の集合写真に至っても整理が全然できておらず、バサッと束になったまま。何とかしなければと思いつつも手を付けずに7年目も2か月が終わって6月に突入です。あ~情けない!