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校長室から
147 寒くない冬(1/23)
天気のよい日は、屋外にいても日なたは心地よく感じます。逆に室内の方が足元からしんしんと冷えてくるようです。 今日は、「八甲田山の日」。120年ほど前の明治35年、八甲田山へ雪中行軍に出かけた兵士210名が遭難しました。映画あるいは書籍等でご存じの方もいるでしょう。冬の八甲田山は冬の重装備が必要です。スキーがまだ伝わっていない当時、雪中行軍のノウハウの無さや指導部の無謀さから、兵士は軽装のまま行軍を開始。その結果、猛吹雪の中で道を失い、寒さと空腹、疲労により遭難してしまいました。数日後、199名の凍死が確認されたのです。
先週、ある天気アプリの週間予報を見ると、柏市の25日(水)とその翌日の最低気温が「-13℃」「-11℃」と表示されています。明らかに間違いだと思って問い合わせると、次のように丁寧な回答をもらいました。
“予想気温につきましては不具合によるものではなく、強い寒気の流入を踏まえて予測された値でしたが、予測対象日まではまだ日にちがあり、予想気温がかなり低い値となっておりました。(略)”
ここ何年もあまり寒くない冬が続きます。昔は首都圏でも結構雪が降ったような記憶がありますが、積雪は極めて少なくなりました。目に見えてわかる温暖化でしょうか。通勤通学にはありがたいのですが、雪遊びをしたい子供たちは残念かも。雪とともにほとんど見かけない景色になったのが「氷柱(つらら)」です。軒先にぶら下がった氷柱を折って舐めたこともありますが、「汚いからやめなさい」と叱られました。そうそう、雪も奥の方を食べました。霜柱を踏んで歩くのも楽しみでしたが、どれだけの子がそうしたことを経験しているのでしょう。
明日以降、強い寒気団が流れ込む今週。気温が上がらなかったり最低気温がかなり低めだったりします。暖かくして出かけたいと思います。
146 平田ソファさんは52歳(1/20)
先週からいつも朝の通勤電車で私の前に座る同年配の男性の顔が見えません。もしかすると感染症に罹ってしまったのかもしれません。いつもある景色が違うと少し不安になります。JRではベビーカーを押した男性が乗ってきました。その車輪を私の足の上に乗ったことに気づいて向きを変えましたが、「ごめんなさい」が言えない?イラっときましたがグッと我慢!
さて、本校の「平田ソファさん」は52歳。運動不足も手伝ってか、年齢による肌荒れや痛みは隠せなくなってきました。日焼けによるシミも年齢相応かそれ以上かも!この方は、校長室の真ん中に鎮座するソファです。四角い座面の内側に3~4か所の裂け目があるのです。その傷を線で結ぶと正方形になるからあら不思議。座面を裏返すと、ちょうど傷になる辺りにボタン状の突起があるのです。きっとこれが原因です。備品シールには「昭和45年」とあったので年齢が判明しました。痛んできて当たり前。表面の弾力もなく、メンテを忘れたときの私の皮膚状態?!
先日、このソファに座った子が、無意識で座面の裂け目に指を入れているではありませんか。こうして傷は広がっていくわけですが、指を入れたくなる気持ちもわからなくはありませんので見て見ないふり。ただ、これ以上広がらないようにするために座布団のようなものを置く必要がありそうです。どこかに不要となった応接セットはないものでしょうか?
さて、書き初めの展示が来週23日から2週間、教室前にされます。昔、自分の子供たちに家で練習させたことを思い出します。形や勢い、筆の動きを「ドン、ス~、パッ」のように音で表して脇で見ていました。でもその指導は厳しかったようで、書き初めの練習は憂鬱だったと今更ながらに言います。横画では右上がりを意識すると形が整いますが、左利きには筆運びが大変です。息子がそうだったので、体育館で取り組む中にサウスポーを見かけると応援の声をかけたくなります。
私も応接セットのテーブルにカレンダーの裏白を広げてお習字をしました。“「ありがとう」を口ぐせに”と書いて、掲示板にそっと貼っておきました。
145 もっともっと(1/19)
朝、家を出るときの明るさが増して、明けるのが少しずつ早くなってきたことを感じます。
ある曇り空の朝、「今日は寒そうだね」と言うと、「ヒィーテンナイシ~」と返ってきます。何語ですかと思うでしょうが、さすがに30数年一緒にいるとすぐにわかります。「今日は、陽(ひ)が照んないし、きっと寒いだろうね」と言っているのです。「家族だからこそ伝わる言葉」「その家独特の言い回し」がきっとあるのではないでしょうか。
先日、新しいウクレレを買ってしまいました。3本目です。「手が2本しかないのに、ウクレレばかり増やしてどうするの!」と呆れられています。でも、現在所有するものとは違った響きに心浮き立ちます。まるで新しいおもちゃを買ってもらった子供のような気分とでも言いましょうか。
最初1年半通ったウクレレ教室の先生は、私が初心者でしたから目標がわかるように指導してくれました。30分レッスンですから無駄なおしゃべりは一切ありませんし、質問できるような余地というか話しかけることすらできませんでした。「もっとコミュニケーションをとりながらやりたい」というのと「ソロ演奏に挑戦したい」という希望から、教室を変えて1年近く経ちます。現在は、疑問や希望を自由に口にできてそれに対して的確な回答がもらえます。でも、進むべき方向が示されず私次第といった感じです。「こうしたい」と言えばそれに寄り添ってくれますが、初心者を抜け出せない自分がもっとステップアップしていくためにどうしたらよいのかが見えてきません。費用は決して安くないからこそ、この先どうするか悩んでしまいます。
学校や教室も似ていないでしょうか。程度の差こそあれ、もっとできるようになりたいと願う子供は少なくないはず。そうした願望を秘めた子供たちに指導方針や進む方向性が伝わるか否か、教職員と話がしやすいか否か、一緒に創り上げていく感覚を共有できるか否か、大事なポイントです。個に応じて適切な目標設定と支援・指導ができるように私たちも日々学び続けることが求められていると思います。
144 共通テストの日に(1/18)
ずっと感じてきた素朴な疑問。
それは、“どうして「理科」だけ「科」が標準装備なのだろう?”というもの。一般的に学校の教科に関しては、「科」を省いても成立します。国語・算数・社会・外国語・体育など。でも、「理科」だけは「理」だけではわかりません。必ず「科」とセット表記です。学習指導要領の教科名も、理科だけ「科」をつけています。いったいどうしてなのでしょう?
『Yahoo知恵袋』の回答には、“「理科」は、物理・化学・生物・地学をまとめて縮小した「造語」だそうです。明治19(1886)年に制定された小学校令を作成する際に物理・化学・生物・地学の自然科学関係4教科をまとめて縮小した言葉として創られたのだそうです。よって、国語・算数などと同じように理科で一つの言葉なのです。”(ほぼ原文のまま)とあります。
また、『教えて!goo』にはこれを補足するように、“実際、昭和初期の制度では、「理数科理科」「理数科数学」という言い方がありました。”(原文のまま)と書かれています。ただ一部には、「理科科」とする学校もあるようです。
さて、先日「大学入学共通テスト」が行われました。千葉県内では29会場で2万4千人余りが頑張ったようです。昨年度から「大学入試センター試験」から名称を変更して実施。遡ると、1990年度に始まったセンター試験以前は、1978年度から11年間続いた「大学共通一次試験」でした。私が受けたのも共通一次の初期。そして、理科4分野で選択したのは、生物と地学!物理は苦手でした。
共通テストが行われる当日、私の頭を悩ませたのが新聞にあった「漢字熟語クイズ」。虫食い状態の3~5文字熟語を完成させていきます。簡単そうに見えてもフル回転の脳みそです。例えば「○○高島○」という問題だと、何が思い浮かぶでしょう。懸命に考える私の脇で「大宮高島屋」とささやく輩。正解は「文金高島田」だったのです。また、完成すると「金茶金十郎」となる言葉があります。知らない人物ですし、本当にあるのかと思って調べると、“芸者屋などで大金を浪費することから転じて、「馬鹿者・たわけ者」を指す”とのこと。人物ではありませんでした。そういえば熟語問題だったわけです。もう試験とは縁遠くなりましたが、頭の体操は欠かさないようにしないと危ない!
最近、朝電車に乗ると、受験生と思しき中学生の姿が目立つようになりました。中学受験をする児童もいます。体調を整えて悔いのないように臨んでもらいたいなぁ。プライスレスの応援しかできませんが…。
143 セーターになりたかった毛糸玉(1/17)
セーターになりたいと憧れる10個の赤い毛糸玉たちが、おばあさんに買われていきます。でも、孫に編んだセーターは9個で完成。1個だけ残った毛糸玉は、赤い手袋となって孫にプレゼントされます。セーターにはなれなかったけれど手袋として幸せな日々をおくっていたのに、孫は手袋をどこかに置き忘れてしまうのです。犬に咥えられ、ネズミにボロボロにされるなど紆余曲折を経て、最後は猫のセーターになって幸せな毛糸玉を描いています。この本は、シャイだった?私が最初に妻にしたプレゼント。絵と話が素敵で自分好みだけど、ちゃんと読んでもらえるか自信がなくて…。
さて、先週島根県の小学校敷地内で、昼休みに鬼ごっこをしていた児童2人が車に轢かれるという事故が発生しました。敷地内のアスファルト舗装部分が、小学校近くの民家と国道の抜け道となっていたといいます。信じられないことです。ただ、普段当たり前になってしまっている中に落とし穴があるものです。
学校の門の前まで車で送ってくる場面を見かけますが、道路の反対側で降りて横断歩道を渡らずに横切っている子もいます。以前もかなり危ない時があって注意喚起をしましたが残念です。親の意識・指導の積み重ね、普段の行動はととても大事です。子供はよく見ていますし聞いています。
子供たちも、毛糸玉以上に「なりたい自分」「夢」があるはずです。自分の内なるものや外的環境が障壁となって、なかなかうまくいかないことに気づかされる経験をするかもしれません。ただ、不注意などによる事故で夢がついえることのないようにしてほしいのです。
142 甘味(1/16)
浅草へ初参りに行ったのが1週間前。菩提寺があるので事務手続きを兼ねて浅草寺などを詣でました。浅草へ行くと必ずと言ってよいほど足を運ぶのが、甘味処「梅園」です。あんみつ・みつ豆・豆かんなど持ち帰り品がいろいろありますが、毎回迷わず「あんみつ」一択。夕飯の後でも、すんなりおなかは受け付けてくれて、至福の喜び~。舟和の芋ようかんも捨てがたいですが…。
みつまめは、茹でた赤エンドウマメとさいの目に切った寒天、求肥、白玉、ミカンやモモなどのフルーツなどを器に盛って黒蜜をかけたものを指し、餡をトッピングすればあんみつ!みつ豆であれ豆かんであれ、主役は赤エンドウマメと寒天。創業以来の製法で手間暇をかけて作られた寒天や豆は、しっかりした歯ごたえや味が自慢といえます。また、黒蜜や餡などとのバランスが最適だからこそ美味しいのだと思います。
これって学級や会社組織などと同じかもしれません。どんなに美味しくても寒天だけとか豆だけでは成立しません。それを引き立てる役割があってこそ。場面によっては役割を変えながら生活をしているのだと思います。互いのよさや足りない部分を理解し、互いに尊重しあってこそ集団が伸びて美味しくなるのだと思うのです。
11日の鏡開きには、給食で白玉小豆が出ました。小豆を大釜で煮るところから始めます。いくつもの回転窯で時間をかけて丁寧に煮込まれた小豆は濃厚で、適度な甘さから笑顔がほころびます。小中学校合わせて千食以上ですから、作業の大変さは想像以上でしょう。家では焼き餅でお汁粉を食べたい!
141 成人(1/13)
校長室にやってきた男児が、椅子の後ろに回って「今日は4日目?」と尋ねます。見事な観察力です。私が頭を剃ってから何日目かを見ただけで当てたのです。
週末恒例の道の駅に行くと、青菜が旬であることがよくわかります。「見事」といえば、小松菜やホウレン草に並んで置かれているターサイのロゼットも見事です。段ボール札には「炒め物に最適」と書かれていますが、「被り物に最適」の間違いではないかと思うほどの大きさ・形です。
さて、先の日曜日や月曜日に晴れ着や慣れないスーツ姿の若者をあちこちで見かけました。40年以上前の自分はどんなだったか思い出そうにも浮かんできません。ただ会場に来たゲストが高橋真梨子さんで、いい声で歌う姿を見ていたという記憶だけは…。
そして、市行政で勤務していた十数年前の成人式は、防犯担当でした。穏やかに進行できるように客席に目を光らせ、いつでも動けるように身構えていました。ある年は、卒業させた教え子が成人を迎え、挨拶しに来てくれたこともありました。 市川市のHPには、“「成人」とは、心身ともに十分に成長した人のことを指します。一人前の「大人」として社会的にも認知されます。過去に遡ると、奈良時代には既に、成人になったことを示す通過儀礼として「元服の儀」が行われていました。今で言うと小学校高学年から高校生の間の頃で、年齢は一定ではなく、その時代によって変化していたようです。”とあります。成人の代表的な権利にあたる選挙権などについては、既に満18歳以上に引き下げられていますから、「成人」とは何か?「成人」になると何が変わるのか?「成人」に向けて自分自身がどうあるべきなのかを、今のうちから考えてみるのもよいかもしれません。
今日は5年生が帰ってくる日です。活動の様子は、HPでご覧いただけたでしょうか?ホテルでゆったりした時間を共有することもできたようです。でも、子供たちの心の内側は写真では伝わり切りません。直接聞いてもらったり、個人新聞や作文などになって廊下などに掲示された作品を読んでもらったり…。
140 ぬいぐるみ(1/12)
我が家には、大小を問わずぬいぐるみがやたらたくさん。数えてみると、寝室に3つ、妻の部屋に9つ、私の部屋に娘が残していったものを含めて20個、階段に2体、1階に9つ、車の中に8つ。校長室にも3つありますが、ほとんどに名前がついています。わが子は、同じように見えるぬいぐるみも判別してちゃんと名前で呼んでいましたし、大事にしすぎてぺちゃんこになっていたり表面が毛羽立っていたりします。家族旅行に行くときもリュックに忍ばせて連れていたくらいです。
学校ではぬいぐるみや人形を大事にしていることを話したりそぶりを見せたりしない子も、家に帰ると呼びかけたり抱きかかえたりしているのかもしれません。薄汚れて、親にしてみれば「処分対象」であっても子供には大事な家族の一員かもしれません。
さて、私が補聴器を購入する決め手になった一つに、その専門店の代表が補聴器の愛用者であったことが挙げられます。会話の中で、今何について話をしているのかわからなくなることがあります。聞き取れた言葉をつなぎ合わせて把握するのですが、会話の主導権を握ってしまえばよいと思い、聞くことよりも自分から話してしまって不安を解消するような場面があります。こんなことに、代表が「そうなんですよね」と言って聞こえないつらさに共感してくれたのです。自分が難聴だからこそ、利用する人の困り感に寄り添って軽減したいと直接話を聞くことができ、ここなら安心だと考えたのです。
年末近くなったころ、「全国の公立小中学校の通常学級に、発達障害の可能性がある児童・生徒が8.8%いる」という文科省の調査結果が新聞に掲載されていました。こうした子供たちにとっても、わかってもらえたり、「そうかぁ」と言って頷いてくれたりする人が大事です。眼鏡をかけたり補聴器をしたりすると同じような支援が必要です。この支援はモノや機械ではなく周りの「ひと」なのだと思うのです。
もしかすると、何も言わないぬいぐるみに自分のつらさや愚痴を吐露している子がいるのかもしれませんし、ホワイトスクールにぬいぐるみ同行なんて子だっていないとは限りません。
139 トイカプセル(1/11)
5年生がホワイトスクールに出発しました。宿泊学習なのになぜ校長が学校にいるのかって?引率を教頭先生にお願いしたからです。ただ、学校留守番も大忙し。教頭・教務・養護教諭がいませんから、その役割は自然と私に回ってきます。現地でのけがや発熱がないことを願うとともに、学校も何事もないことを祈るばかり。
正月2日に、映画『Dr.コトー診療所』を観に行ってきました。始まるまでに時間があったので、ショッピングセンター内にやたらと増えたガチャポンコーナーへ足を運びました。「合掌する犬」「釣りをする猫」「天プラモ丼」「カップみそ汁」など可愛らしいものばかり。同じシリーズを集める人もいるでしょう。5種類あったとすると、全部を揃えられたらいいなぁと思ってしまいます。 私のお目当てはクルマ、「ランクル70」です。以前やった時に出たのが白色だったので、残り3色のどれかが出ることを祈りながらレバーを回転させます。カプセルを開けると、そこに表れたのは前と同じ白。がっかりです。娘や息子に尋ねても「いらない」と素っ気ないLINEの返信。ショックに打ちひしがれる中、思いついたのは自分で塗ってしまうこと。アクリル絵の具を借りて、20時過ぎから一人黙々と作業を開始です。とにかく細かい部分が多いので息を止めるように慎重に筆を動かします。21時を過ぎてもまだ3分の1を残しているので作業終了。翌朝、乾かしてある青と白のランクルを見て笑いながら、「これ、飾りたくない」「やらないほうがよかったね」ときっぱり言われてしまうとさらに意地になってやってしまう性格なのです。
「やればよかった」「やめとけばよかった」などと後悔することのないホワイト3日間を終えて、全員が笑顔で帰ってくることを願っています。
138 お気に入り(1/10)
比較的暖かかった昨日と打って変わって、北風に襟を立てたくなる三連休明けです。
コロナ感染時は、普段服用する薬にさらに加わって、その多さに辟易しました。テーブルに並べてしまうと、同じような大きさや色でどれが何の効果があるのかわからなくなります。サプリメントもその中の1つ。「いつまでも自分の力で歩き続けたい人」「ひざの痛みを気にせず運動したい人」など謳い文句が頭に浮かびます。飲み始めると、飲んでいるからこそ効果があると思って愛飲し続けるしかなくなってしまいます。
子供のころは薬を飲むのが苦手でした。錠剤は1粒ずつじゃないと喉を通らないし、粉剤は吐きそうになって目を白黒させているものだから、オブラートに包んでくれました。でも、これが大きいと飲み込めない。面倒くさい子供でした。だから今、10錠の薬を一気に飲めるようになったなんて、大人になったと思ってしまいます。
ところで、そんな子供の頃に愛用していたのは、ジャイアンツの野球帽でした。どこに行くにも被っていたような気がします。中学校では、今と違ってカツオ君が被るような校帽があるなど、帽子はやはり身近なものでした。ただ、高校生になった頃からは疎遠になります。教員になってからは、夏場の陽ざしをダイレクトに受ける頭を見ながら「帽子を被らなくて大丈夫ですか」と心配してくださる方がたくさん。逆に冬は、見ている者まで寒くなるようです。
そんな私がまた帽子を被るようになったのは、ランニングを始めてから。流れる汗を堰き止めてくれますし、暗くなってからは反射材があるので少しは安心だからです。そうこうするうちに、娘が被るキャップを見て「いいかも」なんて思ったり、真冬はニット帽で武装したりするようになりました。毛がないので、今どきの若者のように似合いはしません。
年末近くなって、別の帽子を探しました。「イスラム帽」と呼ばれるものです。というのも、亡くなった父も一年中愛用していたものがまだ手元に残っていることやALTの先生が着用していたのを毎回見ていたこともあります。こんな時、ネットショップは本当に便利。帽子屋やアウトドア店を探しても見つからないものが色々あるある!お試しで安価なものをポチりました。商品が届いて被ってみるとすっぽり頭部を守ってくれますが、鏡で見るとじじぃくさい!普通にしていても十分じいさんですが、それをさらに老けさせるようです。
さて、自分が身に着けるお気に入りの物ってなんですか?持ち寄って紹介しあう懇親会なんて粋?